2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
2012
2011
2010
2009
2008
2007
2006
全14件 (14件中 1-14件目)
1
ロシア語を表現するキリール文字は、ロシア、旧ユーゴスラビアだけで使われている珍しいアルファベットです。英語のアルファベットとはまったく違い全然読めません。ロシアの何処にでもある看板に書いてあるPECTEPAHT(正確かどうかは不安ですが、大体合っていると思います)。これなんて読むか分かりますか?普通の人はペクテパーと読みますよね。これはレストランと読みます。英語と同じ文字は、A、B、E、K、M、O。CはS、IはNの逆さま、NはH、RはP、UはY、其の他訳の分からない文字多数。昔ロシアの小学校の先生が、教材で使う木で出来たロシア語の文字をイギリスに買いに行きました。沢山買って馬車で帰る途中、その馬車が転倒しました。慌てて文字を集めてアルファベット順の所定の場所に入れ直す時に場所を忘れてしまい今のキリール文字となったと言う、笑い話をロシアで聞きました。
2004年09月30日
コメント(2)
これは長いことNHKのモスクワ支局長をされていた小林和男さんが書かれた本の題名です。ソ連時代の著名な人物の裏話を書いた本で、その最後に出てくる話です。帝政ロシアのシンボルで有った双頭の鷲が描かれた緞帳がエルミタージュ美術館の中の地下の劇場に隠されていて、ソ連邦の崩壊後に再展示された、と言う話です。共産時代の70年間を、誰にも見つからずに歴代の館長が隠し通した訳です。エルミタージュ美術館は世界3大美術館に相応しいルーブル美術館にも引けを取らないスケールの大きな美術館です。エカテリーナ女帝の時に建てられ、その後帝政ロシア時代に集められた300万点の美術品で、展示されているのはそのほんの一部で、全部見るには毎日通って6年は掛かると言うスケールです。台湾の故宮博物館も蒋介石が中国から運んだ美術品が数百万点あり、やはり毎日展示品を変えて見ても、5-6年は掛かると言う話を思い出しました。エルミタージュとは、フランス語で’隠れ家’と言うような意味らしいのですが、何でその名が付いたのか不思議です。大きな6つの建物で出来ており、建物自体が美術品であり、隠れ家とは程遠いスケールの大きな美術館です。
2004年09月29日
コメント(0)
極東沿海州からシべりアにかけて広大に続く森林地帯をタイガと言います。沿海州のロシア人のお客への最大の持て成しが、このタイガの中にある別荘でのキャンプへの招待です。一度だけ招待されました。雪の深い冬でしたが、我々5人に対し、接待する方のロシア人は総勢10名以上です。4WDの車2台にトラック1台のキャラバンで料理人、賄い人全て引き連れてのキャンプでした。走ること4時間、森林の奥深くに別荘がありました。近くは鹿、シベリア虎が出る所で、夜に外でバーベキューでしたがスリルのある経験でした。沿海州に限らず普通のロシア人は大体別荘を持っています。広大な土地であり自分で家を建てれば大した費用は掛からないとの事です。夏休み、週末には家族で別荘で過ごす人が沢山居ます。年収は我々の1/5位ですが、日本人より数倍豊かな生活をしている感じです。
2004年09月27日
コメント(0)
ロシアの最後の皇帝ニコライ2世の話です。エカテリンブルグは、ロシアの丁度真ん中のウラル地方にある鉱工業の町ですが、一度だけ仕事で訪れました。この日本人にはあまりなじみの無い都市の名前を最近新聞テレビで2度見ました。日経新聞の最後のページに著名人の半生を紹介した’私の履履歴書’と言う連載記事があります。最近終わった元女優で参議院議員であった山口淑子さんの’私の履歴書’の最終回にエカテリンブルグが出てきました。彼女の子供の頃からの大親友のユダヤ人のエバがロシア人と結婚してエカテリンブルグに住んでおり最近40年ぶりに会ったという話でした。もう一つは、昨日のNHKのニュースでした。新たに国が認定した12人の中国残留孤児の中にエカテリングルグに住んでいるロシア名ニーナさんと言う残留孤児がロシア在住で始めて認定されたと言うニュースです。彼女は中国で生まれ、ソ連軍に壊滅させられた日本軍の子供でただ一人生き残りロシア軍によりロシアに連れて行かれロシアで育ったそうです。前置きが長くなりましたが、エカテリンブルグはロシア革命当時ニコライ2世一家が隠れ住んでいたところで、最後は一家全員が革命軍に銃殺にされた場所です。処刑された場所を訪れましたが、粗末な木で十字架が立てられていただけでした。あまりにも粗末な十字架で、最後の皇帝が共産国では当然の事ながら全否定されている現実を知り、エカテリンブルグは忘れられない都市名になりました。ニコライ2世は日本にもゆかりがあります。皇太子時代に訪日し滋賀の大津で暴漢に襲われた話は、大津事件として歴史の教科書にも出てきました。
2004年09月25日
コメント(2)
ロシアの国内線に乗ったときの話です。1.国内の何処に行ったのか忘れましたが、ロシアの国内線に初めて乗ったときのロシアならではの経験です。目的地に着陸し所定の場所まで移動し飛行機は止まりました。普通なら乗客が立ち上がり棚に載せた手荷物を降ろしますが、誰も立ち上がりません。おとなしく座席に座ったままです。こちらも初めての事なので、皆の動きを見ながら座っていました。10分位経ってから、コックピットが開きパイロットが出口の方に歩いていきます、その後をスチワーデスが続きます。乗客は全員拍手です。やっと事情が分かりました。旧ソ連では、パイロット、スチワーデスが権威者で乗客は彼らより地位が低かったようです。その後も何度か国内線に乗りましたが、徐々に市場経済に移行して行った時期で、、そのような光景はこれが初めで最後でした。貴重な経験でした。2.極東沿海州のハバロフスクまでモスクワから8-9時掛かります。エコノミークラスしか有りませんが、座席が小さく大男と大女のロシア人に挟まれて座ると身動きが取れません。真冬だったの皆分厚いコートを着ています。しかし座席に座っても誰もコートを脱ぎません。座席はさらに窮屈です。暫く飛んで皆がコートを脱がない理由が判りました。エアコンが正常に作動せずに機内はマイナスの温度のままです。ハバロフスクに到着するまで同じでした。ロシア人は自国の飛行機の性能を良く知っている為、初めからエアコンを信用せずにコートを着たままだった訳です。途中に出た食事はこれもまたお粗末で、茹でたハーフカットの鶏肉に塩、水を沢山の飲んで胃袋に納めました。トイレに行きたくても身動き出来ず、8時間我慢しました。昔のロシア人は想像を絶する世界で一番我慢強い民族でした。
2004年09月23日
コメント(4)
ロシアへの最初の出張は1991年の夏でしたが、その後の2ー3年間で12回ほど行きました。初めての出張は、東南アジア数カ国の後、バンコックからアエロフロートで入りました。夜中の12時着の飛行機でモスクワ駐在員の出迎えを断り入りました。東欧には何度も出張していたので共産国の雰囲気はわかっていましたが、モスクワのシェレメティエブ空港の雰囲気は独特の冷たい感じがあり、旅なれた身にも緊張した覚えがあります。荷物が出てくるのに3時間掛かりました。最初のロシアでの洗礼です。どうやらバンコックからの便なので麻薬のチェックをしていたようです。タクシーに乗る為に空港の銀行に行きましたが、夜中なので開いていません(西側の空港では24時間銀行は開いています)早速2回目の洗礼です。インフォメーションに綺麗なロシア美人が居たので事情を話し小額を換金してもらおうと思ったところ、朝の5時に夜勤明けになるので、私がホテルまで送りましょうと親切にも自分の車で送ってくれました。日曜日の早朝であったので、そのロシア美人に午後から市内観光もしてもらいました。ロシアは初日から超ラッキー、きっと仕事も旨くいくと鼻の下を長く伸ばして、確信しました。(笑)当時は冷戦終結直後でまだルーブル/ドルのヤミレートがあり、確か4倍くらいのレートで彼女にルーブルを交換してもらいました。冷戦時代は東欧でもこのヤミレートの倍率が大きく現地での生活費は殆ど掛からないと言う恩恵に大いに浴しました。始めてのロシアで結構沢山の経験が出来ました。
2004年09月22日
コメント(2)
駐在地のリビア、イラン、インドの雑感を駆け足で書きましたが、駐在地以外で一番出張回数が多がった国は、旧ソ連邦、現在のロシア及びCIS諸国(独立国家共同体)でした。訪れた国は、ロシア、ウクライナ、ベラルーシ(白ロシア)と中央アジアのウズベクスタン、カザフタンです。暫くこの4カ国の事を書いてみようと思います。ソ連邦から独立したのは、他にバルト三国、グルジア、トルクメスタン、キルギスタ、タジキスタン、アザルバイジャン、アルメニアですが、将来これらの国には行ってみたいと思っています。ロシアは、とてつもなく大きな国で、西はサンクトペテルブルグ、東はハバロスク・ウラジオストックの極東まで行きましたが、極東はモスクワから飛行機で8時間も掛かります。現在は新潟からは僅か2時間あまりで行けますが、新潟便がまだ開設される前にモスクワから行きました。何から書いていいやら迷います。少し整理してみます。
2004年09月21日
コメント(0)
10年ぶりのシンガポールから昨夕戻りました。予想したとおりユナイテッドの便は疲れが倍増でした。到着は23:30でホテルに付いて寝たのが2時過ぎでした。帰りは4時半起きであまり寝れず飛行機でも何故か寝付かずで、昨夜は9時前から寝てやっと疲れが取れた感じです。次回はSQにしようと思います。相変わらずごみの落ちていない綺麗な国でした。10年以上前から町を汚くするとの理由でチューインガムの輸入が禁止されていましたが、今年から解禁になるそうです。ガムを噛んでも道路に捨てない道徳心が出来たからなのでしょうか?先進国には珍しく道路の渋滞の無いのは10年前と同じでした。殆どの先進国では自国で乗用車を生産していますが、シンガポールは生産していない数少ない国の一つです。保有台数を抑える為に、輸入関税とナバーブレートとの権利が高く、10年前は、輸入価格の3-4倍、カローラで1千万円くらいしていました。現在は若干相場が下がったそうですが、それでも輸入価格の倍はするそうです。過っては在住日本人が3万人以上で世界で一番日本人の多い国でしたが、今は2万人を切るそうです。来年が建国40周年だそうです。建国の父のリー・カンユーが30年で貿易立国として世界の一流先進国に育て上げましたが、最近は近隣アジア諸国の台頭もあり、少しずつ地盤沈下の感があります。今年リー・カンユーの長男が首相に就任しましたが、IT中心にどうのように巻き返すのか興味があるところです。P.S.ホテルでの始めての経験であったので忘れないうちに書いておきます。やっと部屋に付いてシャワーが浴びれると勇んで部屋のある階でエレベーターを下り部屋を探しましたが、全ての部屋のドアに部屋番号が書いてありません。何処が自分の部屋なのか探しようがありません。何百と言うホテルに泊まりましたが、始めての経験です。狐につままれた感じでした。レセプションに下りて聞いたらドアの直ぐ下の床に番号が書いてあるとの事。そうならそうとチェックインのときに’言わんかぁー’部屋に行ったらドアの下に小さな数字で部屋番号がありました。設計者はなんてセンスの無い人かと思いました。 名前は、The Gallary Hotel ですが、誰か将来行く人がいれば気を付けてください。
2004年09月17日
コメント(0)
明日からシンガポールに行きますが、今回初めてHISで航空券を買いました。ユナイテッド航空で往復4万1千円、シガポール航空で5万4千円。ユナイテッドで購入しました。ユナイテッドは、夜中の24時前の到着、帰りの出発は07:30で、到着の夜は数時間の睡眠だけ、帰りも5時前に起きる必要が有るから数時間の睡眠です。一方、シンガポール航空は、15:30着で帰りが11:30発。よく考えたら安かったのかどうか疑問に思えて来ました。シンガポールに3泊しますが、ユナイテッドあれば実質の滞在は二日。シンガポール航空を使えば、着いた日の夜はゆっくり出来るし帰りもゆっくり帰ることが出来ます。仕事以外にすることが無いので、ゆっくりする必要は無いのですが、次回は値段だけでなくてもう少し考えてからフライトを決めようと思いました。
2004年09月12日
コメント(6)
3年前の今日の悲劇とあの信じがたい映像は誰も忘れることが出来ない出来事でした。このテロに続くアメリカのイラク攻撃とイラクの武装勢力の抵抗、さらには世界中で頻発している大規模テロ、全てはパレスチナ問題と言う同じ根っこから出発しています。1947年のイギリス主導で決められたイスラエルのパレスチナでの建国と国連の承認、ここから始まっています。国の無い国家であったイスラエルに追い出されたパレスチナを、全てのアラブ諸国が立ち上がり抵抗運動が始まりました。一神教のイスラム教は、歴史的に戦争宗教です。さらに、現世よりも来世の幸せを願うイスラム教は、聖戦での殉教により来世に幸せが来ると教え込まれています。いま、世界中に喜んで聖戦に命を捨てる若者が何万人も居ます。世界の金融を牛耳ったイスラエル、そのイスラエル系金融機関から大量の政治資金を受けているアメリカ、さらにアラブの石油資源を牛耳りたいアメリカ。勿論テロは極悪極まりない行為で、許すことが出来ませんが、アメリカ、イスラエルにより同じように悲劇を受けている沢山のアラブ人が居る事も事実です。何処に敵が居るのか分からないテロは、力では抑えられません。抑えれば抑えるほどテロが激しくなります。喜んで死ぬ人が幾らでも居るからです。この悲劇の連鎖を何処かで断ち切らないともっと大変なことになると危惧しています。この問題に原爆を経験した日本が世界で大きな役割を担うことが出来ると思います。9.11の日だけにこの問題を考えるのではなく、普段からテロ事件の事実だけでなく、その背景をもっとマスコミは伝えるべきと感じます。
2004年09月11日
コメント(2)
インドもそろそろ話題が出尽くした感があります。また思い出した時に書くことにします。インドの駐在が終わり帰国となりましたが、帰国便ではめったに経験できない経験をさせてもらいました。某航空会社のムンバイ所長はゴルフ仲間で仲良くしていたので、帰国便では彼の特別の計らいでコックピットに乗せてもらうことが出来ました。当時はムンバイー関空の直行便が有りました。夕方8時頃のムンバイ発で関空が翌朝6時頃の到着でした。ムンバイを離陸して夕食が終わった頃にスチアーデスが呼びに来てコックビットに案内されました。確か当時の最新の260人乗りのボーイング767だったと思いますが、コックピットは予想以上に小さく、操縦士、副操縦士のシートの後ろに予備の小さなシートがありそこに座りました。酒好きの話の合う操縦士で有ったので、親切に色々説明してくれました。操縦はもっぱら副操縦士の仕事で、操縦士は殆ど何もしていません。最近の飛行機は、離陸から着陸まで全て自動操縦で、人間の手をまったく使わなくても安全に着陸するように作られています。さすがに関空に着陸する時は、操縦桿を握っていましたが、天候が良ければ何もしないこともあるそうです。ビックリしました。地上の中継地とのやり取りは殆ど副操縦士の仕事で、副操縦士が英語で地上と頻繁に交信していました。空路地図を始めて見ましたが、この地図を見ながら、レーダーと地上の中継地から来る天気予報などを総合して、進路を決定するわけです。前後に飛んでいる他社の飛行機との交信も頻繁に行われ、前の飛行機の情報を聞きながら走行していました。高度1万メートルの世界は、本当に満点の星の世界です。地上ではけして見ることが出来ないこの星の景色だけでも感激でした。コックピットからは普通の座席の窓とは違い180度のワイドで迫ってくるので迫力が違います。関空に着陸前に日の出も見ることが出来ました、美しい日の出でした。着陸時は、操縦士、副操縦士以外の人間は全てコックピットから出なければなりませんが、どうしても着陸時の模様をコックピットから見たかったので、特別に着陸まで居させてもらいました。もしこれが外部の人に知られると航空法違反の罪に問われるので、スチアーデスにも内緒ですよと言われ、降りる時は、スッチーが降りた後に飛行機を降りました。中々話の分かる操縦士で、今度新橋で飲みましょうと言って分かれましたが、飲み会は実現していません。色々な苦労の連続のインド駐在生活でしたが、最後の帰国で素晴らしい夜の景色を満喫し、心が洗われる貴重な体験をさせてもらいハッピーエンドのインド駐在でした。
2004年09月09日
コメント(2)
1.日本との貿易インドから日本に輸入されている代表的なものは、綿糸、繊維製品、鉄鉱石、海産物(海老)、化学品、等です。所が、輸入金額で常に一番大きなものは、これら代表的なインド製品ではなく、なんとダイヤモンドなんです。インドはダイヤモンドの産地ではありませんが、ダイヤ以外のエメラルド、サファイヤ等の宝石は取れます。その結果宝石の加工技術は高く、また加工料が安い為に世界のダイヤの加工の基地になっているわけです。その加工されたダイヤを大量に輸入しているのが日本です。2.映画ボンベイ(ムンバイ)にはハリウッドに対抗してボリウッドと呼ばれるインド最大の映画の製作基地があります。インドの年間の映画の製作数はハリウッドの米国を凌いでその数は世界一です。日本でも数年前に’踊るマハラジャ’が放映されましたが、インドの映画は殆どが、踊りと歌のミュージカル風映画です。インドのテレビは、30チャンネルくらいありますが、その殆どが映画番組で、同じような踊りと歌の映画のオンパレードです。日本人が見てもあまり面白くないあのインド映画にインド人は熱狂します。インド人を理解するには、まずあの映画を理解することが必要なのかも知れません。
2004年09月06日
コメント(0)
最近、IT産業だけでなく欧米の大手企業がコストダウンの為に続々とインドに事務所を開いています。オフショアリング(海外への事業委託)と言い、コールセンターとバックオフィースを中心にインドに移転し始めています。通信技術が急速に発達し、通信コストが飛躍的に安くなったお陰でこのような事業の海外への移転が可能になりました。またインドは英語が準標準語でさらに人件費は欧米の1/5から1/10と安い為、インドへの事務所の移転に拍車をかけています。コールセンターでは、インド人の英語のアクセントが自国人並のアクセントで無いと雇わない為、英語のアクセントを教える塾が大流行です。欧米企業のサラリーは魅力的で、大学を卒業した優秀なインド人はこの塾で6-12ヶ月発音の矯正をした後に欧米企業に就職します。バックオフィースとは、企業の非営業部門(人事、管理、経理、等)の業務の事であり、グローバル化された大手企業では、その機能を必ずしも自国内に持つ必要は無いわけです。従ってバックオフィース機能もコストの安いインドに移転する訳です。あまりにも急激なインドへの事業移転に、自国の就業機会を奪っていると言う理由で、米国ではオフショアリングを法律で禁止しようと言う動きも出ています。大統領選挙を控え、ケリーの民主党はオフショアリングにより数十万人の職が奪われているとブッシュの共和党を非難し、一方の共和党は、現在米国に進出してきている非米国企業により数百万人の米国人の職が生まれており、オフショアリングのような企業のグローバル化は必要だと反論しています。IT技術者と言い、オフショアリングと言い、インドは暫くの間、グローバル企業にとっての重要な国であり事は間違いないようです。
2004年09月04日
コメント(2)
最近のインドのソフト産業の急激な発展には目を見張るものがあります。マイクロソフトを初め世界の大手IT企業で働くエンジニアの大半はインド人です。国が大学での工学系の教育に歴史的に力を入れており、工学部出身者が多く、しかも英語が準標準語であるため、欧米の大手IT企業にはインド人技術者は魅力的です。インド人は数学に強い、と言う根拠には理由があります。古くは’ゼロ’を発見したのはインド人だということは有名ですね。さらに中学校では、日本の九九に相当する掛け算の暗記を、99x99まで教えます。インドは歴史的に軍事大国であり、軍事産業に携わる工学系の学生を育てる為に沢山の専門の大学を作りました。その結果、工学系の優秀な学生が多く誕生している訳です。特に周りの国からの攻撃には距離的に届かない、デカン高原の真ん中にあるバンガロールに多くの軍事工場と工学系大学を作りました。そう言う背景も有って今やバンガロールは、インドのシリコンバレーと呼ばれるように、欧米の殆どの大手IT企業が拠点を構えています。ソフトの仕事でインド企業と毎日付き合っていますが、頭の良さには常に関心させられます。
2004年09月02日
コメント(2)
全14件 (14件中 1-14件目)
1


