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一番行きたかった国の一つでした。10年前に偶然仕事の話があり、そのチャンスが巡って来たので、真夏と真冬のモンゴルを二度に渡り見る事が出来ました。夏のモンゴルは緑一色、見渡す限りの草原の国です。雨は殆ど降らず毎日快晴で、その景色は何処までも続く緑の絨毯です。ゲルと言う遊牧民が移動しながら住むテントの家に一泊させてもらいました。馬にも乗りました。モンゴル人は人懐っこい性格で、日本人のルーツと言う気持ちがこちらに有るからか、直ぐに打ち解けて仲良くなれる人たちです。首都のウランバートルには定住用のアパートが出来ていましたが、このゲルに住みたい人が多く街中にテントを建てて住んでいる人が沢山居ます。それほど、ゲルは、夏涼しく、冬暖かい快適な住居です。緑は目に良いと言いますが、モンゴル人の目の良には、驚きです。数キロ離れた場所に居る自分の馬の識別が出来ます。普通の人には豆粒ほどにしか見えない自分の馬が分かります。視力は成人で5.0以上と言っていましたが、納得です。反対に、冬のモンゴルは、寒く厳しい環境です。外はマイナス10度以下ですが、ゲルの中ではストーブを一日中燃やすので、ゲルの中では快適でした。極寒の外で、体毛が凍ったままでも、立ったままで一日を過ごすモンゴルの馬の強さは印象的でした。もう一度夏のモンゴルに今度はプライベートで是非行きたいと思っています。蒙古ハンと言う赤ん坊のお尻の青いハンは、日本人とモンゴル人に有ることは誰でも知っていると思います。世界にはもう一カ国この蒙古ハンが赤ん坊に有る国(人種)があります。何処か知っていますか?驚く無かれ、ヨーロッパのハンガリーがその国です。顔も、目の色も、髪の色も東洋人とは全く違うハンガリー人も日本人と全く同じ蒙古ハンがあります。ハンガリーは、フンガリーから訛ったと言います。モンゴル人の祖先のフン族が西に渡ってハンガリーに定住し、そこの人間と混血した人たちが今のハンガリー人のルーツだそうです。一寸信じがたい事実ですが、ハンガリー人から聞きました。
2004年10月31日
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飛行機事故は確率的には交通事故よりかなり低いと言われています。それでも何回飛行機に乗っても怖いと感じます。何百回となく飛行機乗っているので、普通の人よりは事故に遭う確立はかなり高いでしょう。その事故が一番近くまで来た時の話です。テヘラン空港は、民間機と空軍の戦闘機が両方離着陸する空港です。テヘランから南のアフワズに行く国内便に乗った時です。滑走路に3台の飛行機が離陸待ち状態で、僕の乗った便は二番目にいました。離陸待ちの状態が約1時間続いたため、この3台の後に離陸予定の戦闘機が先に飛び立ちました。その後一番目の飛行機が飛び立ちました。その飛行機は西のタブリッズに行く小型のロシア製のツボルフでした。その後に僕の飛行機が飛び立ち、無事にアフィワズに到着しました。到着後に僕らの前に飛んだツボルフと先に離陸した戦闘機が空中衝突した事故を知りました。勿論乗員乗客約100名は全員死亡でした。もし、戦闘機が僕らの前に飛んだら、----、色々想像しぞっとした記憶が鮮明に残っています。それから暫くの間は、飛行機に乗るたびに何時もの数倍の緊張感を感じました。こんなに近くまで事故が来たので、もう自分の生きている間は二度と事故は近づかないと信じ、今は飛行機の怖さが少しは軽減された気がします。本当は、昼間から飲めるのお酒の影響でしょうが。
2004年10月25日
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娯楽の殆ど無いボンベイ(ムンバイ)駐在時の唯一の楽しみは、休日のゴルフでした。ゴルフ好きの日本人が毎土日の08:30に集合し一緒にプレーしたことからBombay830会と命名されもう20年以上も続いています。1990年後半に駐在していた連中が帰国後に東京を中心にメーリングリストで連絡を取り合い近況報告など始め、Bombay830東京支部が2年前に発足しました。年に数回の飲み会、年末の一泊でのゴルフ旅行と昔話に花が咲き楽しみの一つになっています。今は九州の離れ小島で関係会社の役員をしている某航空会社のI氏も何時も参加してくれます。この中で特に親しく駐在時にゴルフ、マージャンで遊んだM氏とS氏の3人で昨日は個人的に会食しました。特にM氏とは帰国後の5年間で3回も偶然に町で出くわす奇遇が続き、先日もこの広い東京の地下鉄でばったり出会い、昨日の会食になったわけです。話が盛り上がり久しぶりに笑い転げました。
2004年10月22日
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また台風接近のようですね、僅かな快晴の秋晴れの後はまた毎日雨、10日前に掛かった風邪も未だに治らず、今日は気分も今一、********************何百回と飛行機に乗っていると色んな事が有ります、ロシアに頻繁に通っていた頃の話です、当時はモスクワまでヨーロッパ行きのJAL、ANAが有りましたが、サービスの悪いJALには絶対に乗らなかったのでANAを利用していました。モスクワ経由のウイーン行きのジャンボでした。数3便有りましたが、比較的空いており、事前に予約しても何時でも予約可能でした。その日は、待合室の乗客がかなり少ないので、ひょっとすると欠航なのか?と不安に思ったくらいでした。搭乗し席に座って全ての乗客の搭乗を待っていましたが、幾ら待っても殆ど乗客は乗ってきません。周りはがらがらのまま、離陸の準備が整い動き出しました。離陸後にスチワーデス(今はキャビンアテンダントとかフライトアテンダントとか言うそうですね)に聞いたところ、その便の乗客は僅か20名ほどとの事、300人以上乗れるジャンボに僅か20名、乗員が15名ほどなので、ほぼマンツーマンのサービスです。スッチーがひっきりなしに、お酒、おつまみ、等を運んできて、話の相手にもなってくれたので、銀座の飲み屋の乗りで貴重な経験をさせてもらいました、幾ら旅行のオフシーズンとは言えこれほどの小人数の飛行機は、後にも先にもこれが初めてでした。ソ連邦が市場経済に移行し、大勢の日本人のビジネスマンの利用を見込んでスタートしたこの便は、その後週一回に減り、最終的には無くなりました。
2004年10月20日
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昨日は町内会の第30回目の記念のソフトボール大会に何年かぶりかに久しぶりに参加しました。何時もは開会式など出ずに試合の時間に集まって試合を楽しむだけでしたが、昨日は開会式から参加してみました。準備体操で懐かしい音楽が流れ、何十年ぶりでしょうかラジオ体操第一を懐かしくしました。何十年振りでも覚えているもので、最後まで間違えずに出来ました。日本国民ほぼ全員が知っていて、この音楽の伴奏で皆が同じことが出来ると言う、唯一の事ではないかと思いました。これは世界に類を見ない世界に自慢が出来ることではないかとも思います。永遠に続けて欲しいものです。(最近の子供たちが学校でしているのかはよく知りませんが)ソフトボールの方は、年甲斐も無く頑張りすぎで、足腰は筋肉痛です。多分二日後の明日は歩けないかも知れません。
2004年10月18日
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今日は取引先の年に一回のゴルフコンペに参加。スコアーは、46/40の86で今年のベストスコアーでした。ハンディキャップが高いので、参加32人の10番目。飛び賞の商品が7千円の商品券、そのほかニアピン賞、ドラコン賞、バーディー賞が3千円の図書券。仕事は最近下降線が続いていたけど、このゴルフを機に挽回したいところ。***********************インド式呼吸法の話を以前にしました。7月にセミナーに参加して、セミナー終了後に60日間続けると奇跡が起こるかもしれない、と講師に言われ、とにかく続けてみました。体の疾病が見違えるように良くなるという事が有るそうですが、これを奇跡と表現していました。僕の場合は、その頃原因不明の三半規管の疾病にかかっていたので、それが良くなるのかとの期待は有りました。その疾病が理由でインド人の友人からこの呼吸法のセミナーを教えてもらいました。9月30日が丁度60日目で、その間シンガポールでの3日間を除き57日間続けました。見違えるほどの奇跡は起こりませんでしたが、かなり良くなってきた感じはあります。またこの呼吸法は、精神を安定させ、睡眠には大変効果的であることが分かりました。寝入りが悪かったけれど、最近は直ぐに寝れるようになりました。また、熟睡するので、朝早く目が覚めます。そう言えば、心療内科に通っている人が何人か参加していました。3種類の呼吸法を毎日しますが、時間にして20-25分程です。健康法の一つとして続けたいと思っています。興味のある方は、下記URLで内容を見てください。www.artoflivingjapan.org
2004年10月15日
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ウクライナは見本市の参加でキエフに一度、ベラルーシはインドからの仕事の調査でミンスクに一度行きました。インド駐在時代に、ベラルーシのルカシェンコ大統領がムンバイのあるマハラシュトラ州政府の招きでムンバイを訪問しました。この時に州政府主催のパーティーに呼ばれ参加しました。インドは経済開放された1990年以前は、政治的にも経済的にもソ連邦との関係が深く、ベラルーシとの間でも経済的な繋がりが深かったようです。ソ連邦の崩壊、インドの対外経済開放の後、更なる経済的な繋がりを深める為の大統領の訪印でした。この時、ムンバイの我が社の事務所には、ロシア駐在が長くロシア語が堪能な駐在員が居たので、二人で、インド・ベラルーシの商売の市場調査と言う名目でインドからミンスクに出張しました。日本の商社が仲介できるような仕事は難しいと知りながら、一度ベラルーシに行ってみたい気持ちが強く、上記の名目をでっち上げて本社の許可を取り出かけた訳です。当時は両国ともまだまだ貧しい時代であったので、暗い国だなー、と言う印象だけでした。両国とも電力・エネルギーをロシアに依存している為、独立後もロシアとの関係が一番深い国です。繊維製品、医療機器、機械など、色々試しましたが、結局仕事には結びつきませんでした。両国とも日本からは旅行で行く人もあまり居ないので、日本人には殆ど知られていない国だと思います。知られているのは18年前のウクライナのチェルノブイリ原発事故の悲劇くらいでしょうか。このときの風向きがベラルイーシに向かっていた為、ベラルーシでも多くの人が被爆しました。他に有名なのは、画家のシャガールがベラルーシ生まれのロシア人。それとウクライナの英雄、棒高跳びのブブカくらいでしょうか。
2004年10月14日
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ウズベキスタンでは、忘れられない思い出があります。首都タシケントには大理石で出来た立派な国立劇場が有ります。旧ソ連邦の主要都市にはこのような国立劇場が必ずあります。この劇場は、スターリン時代に、シベリアに抑留されていた日本人のうち数千人がタシケントに連れて来られ、この日本人の手で作られたと聞かされました。建設中に寒さと重労働でこの地で200人以上の日本人が亡くなりました。この日本人が葬られたお墓が遺族の手で日本の墓石を日本から運び作られていました。この墓地に行き、お参りをしたときのことです。日本から遥か遠くのこの過酷な土地で重労働を強いられ、最後は力尽きて亡くなったことを思うと、さぞ無念で有ったであろうと思い、涙が出て止まりませんでした。日本では見ず知らずの人のお墓でこのような気持ちになる事はけしてありません。海外では、同じ日本人の辛い歴史が自分の家族の事のように感じられるのは不思議な体験でした。
2004年10月08日
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ロシア・CIS各国で日本の自動車の販促の為に展示会を開催しました。ウズベキスタンの首都であるタシケントで展示会をした所、ウズベキスタン政府(内務省)から白バイの緊急買い付けの話が持ち上がり、最終的に40台の白バイの売り込みに成功しました。この商談でウズベキスタンには2回ほど行きました。中央アジア5ヶ国の真ん中の国で、ユーラシア大陸の丁度真ん中の国でもあります。また、隣接する2カ国を通らないと海に行けないと言う世界で唯一の国でもあります。綿花の生産量が世界第二位、金が第8位、その他は目立った産業はありませが、なんといってもシルクロードの要の都市であった、サマルカンド、ブハラで有名な国です。この地域の国には、タジキスタン、トルクメスタン、などーーースタンと付く名前が多いですが、このスタンは、ペルシャ語でLANDの意味で、全てイスラム教の国です。またロシア語と共にペルシャ語が公用語です。西洋風チャーハンの事を、ピラフと言いますが、このピラフ(ウズベキではプラフと言いますが)はウズベキスタンの一番ポピュラーな郷土料理で、ピラフの語源だそうです。
2004年10月07日
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