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先日イランでの仕事の相手先であり、20年来の友人が来日し、10年ぶりに東京で再会しました。彼が13年前に麻薬で逮捕された時の話しです。当時、商談中に何度か机の陰で何か粉末のものを鼻から吸引していたので、始めは普通のクスリを処方しているのかと思っていましたが、実はコカインでした。彼はアメリカに頻繁に行っていましたが、当時アメリカでは企業の経営者、幹部などの三人に一人がコカインを吸っていたという話しがあり、ストレスを取る為の一種の流行だったようです。アメリカで味を覚え、帰国後も続けていました。運悪く、麻薬取締キャンペーンの最中に彼がコカインを購入していた売人が逮捕され、数日後彼も現行犯で逮捕されました。イランでも麻薬の罪は重く、売人は死刑、彼は懲役30年、全財産没収の判決を受けました。その後、運良く恩赦などがあり最終的に3年で釈放され財産も半分以上戻ってきました。現在は仕事にも復帰し先日の訪日となりました。クスリに手を出すと、怖い結果になります。
2004年11月30日
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中近東では昔から麻薬を日常的に吸う習慣が有ります。アラブ諸国(特にイエメン)では、植物の葉っぱをかじると興奮状態になるカートと言う植物麻薬が有ります。子供も昼間からかじっています。お酒は禁止でもカートは合法的です。イランの普通の家には、アヘンを吸う部屋が必ずあり、仲の良い男たちが集まり、食後に皆でアヘンを吸います。勿論違法ですが、日本の賭けマージャンと同じで、殆ど罪の意識が無くアヘンを楽しんでいます。もう時効なのでいいと思いますが、僕も自宅に招待されて、何度かアヘンを一緒に吸いました。アヘン樹脂を燃やし、特殊なパイプでその煙を肺の奥まで吸いますが、血圧が下がる為にお砂糖を沢山取りながら吸います。それを知らずに吸ったことがあり、帰りの車の中で気持ちが悪くなり、相棒に言われて直ぐに飴をなめて元に戻りましたが、危うく気を失う所でした。大麻も経験が有りますが、アヘンも大麻もまた吸いたい思うほど、気持ちが良くならないので、幸い習慣にはなりませんでした。タバコの方が美味しいと言うのが実感でした。お酒と同じで、お酒の許容量が多い人は麻薬もあまり効かないのかも知れませんね。若かれし時の無茶な経験でした。
2004年11月29日
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一週間ぶりのアップになってしまいました。アジアの事を書くことにしてましたが、やはり昔の馴染みの国の事が気になります。連日新聞テレビを賑わしているウクライナの大統領選挙も今日の新聞で再選挙になるであろうとのことでほっとしました。ロシア人が過半数住む東の地域で信任されている親ロシアの与党に対して、ポーランド系住民などが多くEUに早く加盟したい親ヨーロッパの西の地域で信任されている野党との対立ですね。さらに東の工業主体に対し、西は農業主体、全く違う国のような東西がソ連時代には一つの国として旨く行っていましたが、独立後は対立が絶えなかったようです。再選挙で西側の野党が勝利すれば東側がウクライナからの独立を宣言する可能性も有るようです。いずれにしても流血を見ないで民主的に解決して欲しいものです。暫くウクライナ情勢から目が離せません。
2004年11月28日
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韓国での仕事は、韓国の会社に海上コンテナを作らせてアメリカのリース会社に輸出する仕事でした。工場は釜山の北東、車で2-3時間の蔚山市に有りました。工場の生産状況をチェックする為にほぼ毎月出張しましたが、生憎韓国では良い思いでは殆どありませんでした。どちらかと言うと嫌々出張していた感じでしたが、そう言う気持ちに張りの無い時には大体いい事が無く、案の定何回目かの出張の時に、当時流行っていたA型の急性肝炎に感染し、1.5ヶ月の入院生活を余儀なくされました。急性肝炎は生野菜から感染する事が多く、通常は風邪と同じように感染しても、体が元気であれば発病しません。しかし、当時の韓国出張では毎日残業で忙しくその後にお酒を飲んで1週間ほど寝不足が続きました。体力が消耗していたのでしょう、帰国後に電車の中で倒れ翌日から入院しました。韓国で感染したのは明らかで、会社では同じ時期にやはり韓国に出張した10名ほどの血液検査をしたとこと、7名から感染の結果が出ました。この人たちは感染だけで発病はしていないので全く問題有りません。むしろ抗体が出来て将来の感染、発病が無いので安心です。その後数年後にシンガポールで急性肝炎に掛かった他の社員が死亡するという不幸もありました。東南アジアの駐在員、出張者が肝炎に掛かるケースは結構沢山有りました。A型は完全治癒されるので良いのですが、B型、C型は厄介です。最近では東南アジア各国の食べ物も衛生面でかなり改善されているので、あまり心配は要らないと思いますが、それでも注意が必要です、韓国、台湾、シンガポール、ベトナム、などの屋台料理は安くて美味しいので旅行者も良く食べると思います。こう言うところで感染はまず無いと思いますが、念のため、旅行中は良く寝て体力を維持しておく事が重要です。この急性肝炎での入院で、その後体を注意する習慣が出来、結果的に良かったと思っています。一病息災です。
2004年11月21日
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映画、音楽などの日本文化が韓国で解禁され、また日本では、韓国のイケメン俳優が大フィーバーしている最近の韓国での日本ブーム、日本での韓国ブームは、昔の日韓の関係を知っている人には喜ばしい事ではないかと思います。つい最近行われた日韓共催のサーッカーのW杯でも、まだ韓国は、日本からは一番近くて遠い国の感じがしていたと思います。中国と同じく、韓国民には当時の日本の植民地政策に対する恨みが大きく、戦後の学校教育では徹底した反日教育をしていた時期が長かったようです。そんな反日感情が特に強かった20年以上前に初めて仕事で訪韓しました。今でこそ押しも押されもしない経済大国になった韓国ですが、当時は空港を出ると子供の物乞いに囲まれるような貧しい国でした。日本の戦後の驚異的な経済発展と同じように70年代からの韓国の経済発展も驚くべき速さでした。そんな韓国での出来事を思い出しながら次回何か書くことにします。
2004年11月20日
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アフリカ、中近東、インド、ロシア・CISの次はアジアの事を少し振り返ってみようと思います。アジアは意外と広く、西は中近東のイラン、イラクのイスラム諸国まで、東は日本までの地域をさします。何で中近東(Middle East)と言うのかあまり疑問には思いませんが、この言い方は英国から見ての方向で、同じように英国から見て東南アジアの事を極東(Far East)と言います。アジアも広いのでインドを境に、その西の国を西南アジア、東を東南アジアと分けています。インドは西南アジアに入ります。東南アジアでまだ行っていない国は、ブータン、ブルネイ、ラオス、バングラデッシュくらいでしょうか。何カ国か数えたことはありませんが、それ以外の国には一泊だけも含めて殆ど行ったと思います。この日記は、海外での出来事、思い出を忘れないうちに書き留めておく事なので、アジアの事も書いてみます。
2004年11月18日
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中近東のトイレ事情です。公衆トイレ、家庭、一流ホテルを除いたホテル、殆どのトイレにはトイレットペーパーは置いていません。トイレには座った時の目の前の位置に水道の蛇口があり、水道の蛇口からホースが伸びでいるか、ホースでなくプラスチック製の手桶が置いてあるだけです。ホースの場合は問題有りませんが、手桶の場合は厄介です。中々旨く行きません。何とかコツを掴むまで時間が掛かりました。水で始末をすることが習慣になるとその清潔さに慣れてしまい、今度はトイレットペーパーが使えなくなります。イランから帰国後に直ぐにウォッシュレットを購入しました。中東の男性が外で用をたす時は、我々のように立ったままでなく、座ってやります。何故かと聞いたところ、立ったままだと飛び散ったものが体に付き不清潔との事でした。納得です。中東の人は生活の知恵なのか清潔好きです。トイレとは関係有りませんが、清潔好きの面白い話です。イラン時代の会社の部下が、何時も週末になるとズボンのポケットに手を突っ込んで股間の辺りを掻いているので何故かと聞いたところ、中東の人の意外な習慣が分かりました。結婚した男女は、体毛を剃る習慣があるとの事です。中東では金曜日が休みですが、金曜日に剃ると一週間後の丁度生え始めた頃に痒くなるとの事でした。これも体を清潔に保つ為との事でした。そう言えば良く注意して見ると同じようにズボンの手で、と言う人が良く見られました。朝からトイレの話ですみませんでした。読んで頂いた人に取って置きのトイレの消臭方をお教えします。トイレにマッチを常備して下さい。用を足した後にマッチに火をつけ先のリンの部分が燃えたら消してください。これだけです。マッチのリンの燃えた臭いは残りますが、一瞬にして他の臭いは全て綺麗さっぱり消えます。市販のどんな消臭剤よりも数倍の効き目です。騙されたと思って、是非一度試してください。試された方、ご意見下さい。
2004年11月16日
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トイレからもその国の文化、習慣、民度、などが良く分かります。一番ビックリしたのが中国の公衆トイレです。横並びに座って隣にしゃがむ人との間に腰の高さの仕切りが有るだけです。通称’ニーハオトイレ’と言うそうです。初めてで落ち着いて出来ず、そのまま出てきた事が有りました。臭いにも閉口です。でも中国人はおしゃべりをしながら用を足していました、さすが大陸の人と感心しました。観光地には外国人用の西洋式のトイレもありますが、そのトイレを使う中国人は、堂々とドアを開けて用をたしていました。長い間の習慣で個室では出来なのでしょう。オリンピックの為に北京では市を上げて町の美化に取り組んでいますが、トイレも例外ではなく、4星でランクを付けて綺麗なトイレを増やしているそうです。そう言えば東京オリンピックの時に駒沢公園などに綺麗なトイレが沢山出来ました。オリンピックで綺麗なトイレが増えるのは万国共通?
2004年11月15日
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海外で一番心細くなることは、怪我や病気になったときです。二度ほどありました。1.麻酔無しの外科手術リビアに駐在していた時です。腰の上辺りの横腹が化膿し、直径3cm大に腫れ上がりました。抗生物質を飲み続けそのうち治ると思っていたら一向に治りません。そのうちに38度位の熱が出て化膿した部分が咳をしても激痛が走るようになりました。石油大国のリビヤには立派な病院は有りましたが、何故か信用できない感じがしたので、自分で外科手術をすることにしました。当時某自動車会社のエンジニアと一緒に駐在していました。自分ではさすがに自分の体を切ることは出来ないので、彼に執刀して貰いました。ライターの火で消毒した剃刀で切り、膿を出しました。激痛に脂汗でしたが、早めに切ったのが良かったのか、その後抗生物質を飲み続け1週間くらいで傷口は塞がりすっかり治ってしまいました。若い時とはいえ今考えると一寸無茶なことをしたと思います。その時の傷跡は今でもはっきり残っており見るたびに当時の事を思い出します。2.原因不明の頭痛インドに赴任して直ぐの時でした。突然頭が割れそうな頭痛が始まり、それが1週間続きました。医者で貰った頭痛薬は強い薬で一日3錠以上は飲まないように言われました。飲むと痛みは無くなりますが、薬が切れると耐えられない頭痛がまた始まります。4-5時間位で薬が切れるので3錠までの薬を結局一日5-6錠飲みました。1週間、夜は殆ど眠れず食事も取れません。その間地元の医者に通いましたが、どんな検査をしてもその原因がはっきりしません。もう2-3日様子を見てそれでも治らなければ、脊髄の液を注射器で抜いてウイルスの検査をしましょうと言われていました。不思議なことにその検査の予定の日の前に突然頭痛は消えました。インドの検査では不安が有ったので、あと2-3日治らなければシンガポールに検査の為に出る予定にしていましたが、幸い不要となりました。結局原因は分からずじまいです。
2004年11月13日
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ロシア・CISシリーズからイラン・インドに逆戻りしてました。ロシア・CISの話題も大体書き終えた感じがするので、其の他の雑感を書いてひとまず終わりにします。1.ロシアに来る日本女性に聞くと例外無しに、ロシアには何でこんなに美男子が多いのか? また来たいと必ず言います。確かに良い男は沢山居ますが、欠点の無い整い過ぎた感じがしないでもありません。日本の女性はああ言う整った顔の男に弱いんでしょうね。韓国のヨンさまもそう言えば欠点のない美男子。2.ロシアの7不思議の一つに、ホテルのベットのサイズがあります。ロシア人は女性でも180cmある人は珍しくないくらい大きな体をしています。しかし、ホテルのベットは177cmの僕でも窮屈なサイズです。皆などうやって寝るのか不思議です。ホテルと言えば、各階に鍵を預かる叔母ちゃんが怖い顔をして必ず座っていましたが、今はどうなんですかね。3.ロシア料理は油っこい料理が多いのですが、あの冬の寒さに耐える為の生活の知恵でしょうか。特に前菜は、豚肉の脂身のハム、油の乗ったタラの燻製、イクラ、等、油だらけです、この油っこい前菜に、冷凍庫で凍らせたどろどろのウォッカは最高に合います。お酒は気候・料理と一対になっているのか、日本でウォッカを飲んでも全然美味しくありません。日本酒もあの油っこいロシア料理では美味しくないでしょうね。最近はロシアに行く用事は全然有りませんが、今後の経済発展を期待されているBRICS諸国(ブラジル、ロシア、インド、中国)の一つであり、今後はロシアの話題が頻繁に日本の新聞を賑わすと思います。
2004年11月11日
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火を神として数千年も絶やさずに燃やし続けている拝火教と言う宗教があります.死体を鳥に食べさせて荼毘に付す鳥葬の宗教としても有名ですね.イランの東の地域及びインドに拝火教徒は沢山います.イランではゾロアスター教、インドではファーシーと呼んでいます.この拝火教徒はインドでは弁護士、医者、等かなり高い地位の人が多く、インドの最大財閥の一つであるタタ グループのオーナー及び多くの経営幹部は皆拝火教徒です。インドのムンバイに住んでいたときの自宅の近くにこの拝火教の鳥葬をする場所があり観光地の一つにもなっていました.すり鉢状のかなり大きな野外の鳥葬場で、小高い丘の上にあり周りは林に囲まれ中は見えません.自宅近くには沢山のカラスが飛び回っており、このカラスが人肉を食べいるのかと思い、気持ちの悪い思いをしていましたが、今では儀式だけで実際には鳥に食べさすことはなく、火葬で荼毘に付すとの事で、安心しました.世界には理解に苦しむ色んな宗教がありますね.
2004年11月10日
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今日は15年前の1989年にベルリンの壁が崩壊した日です。この日を境にロシア、東欧で民主化の嵐が益々激しくなり数年の内にソ連邦の各共和国が独立し、東欧各国の共産党も消滅しました。この東西の冷戦終結には後にノーベル平和賞を受賞した当時のソ連邦のゴルバチョフ書記長の功績が大で有る事は勿論ですが、一番の功労者は、衛星テレビのパラボナアンテナと言われています。西側の情報を操作する事によって、共産主義の優位性を教えてきたこれらの国は、衛星テレビの出現で西側の情報が全て入るようになり、全ての人が共産主義の宣伝に踊らされていたことを知るようになりました。ルーマニアのチャウセスク大統領は、この年の暮れ経済支援を受けていたイランにいました。1989年12月25日、僕がイランの駐在を終え日本に帰国したその同じ日に、彼もイランからルーマニアに帰国しました。成田に着きテレビを見たところ、ブカレストの大統領府のバルコニーで演説し、それを聞いている聴衆から罵声を浴びせられていたチャウセスクを見ました。チャウセスク夫婦はこの演説の後1週間ほどで処刑されました。共産主義時代の抑圧から解放されるかの様に各国で同じように大統領、首相が失脚しました。早いですね、もうあれから15年も経ったんですね。今、独裁者に抑圧されている国は、世界中で北朝鮮、キューバ、リビアの3カ国位でしょうか。これらの国も数年中に開かれた国になるのではないかと希望的観測を持ってみています。
2004年11月09日
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そう言えば海外出張から日本に戻ったその日に飲み過ぎて、と言う失敗が何度かありました。リビアから半年振りにリビヤのお客を連れて日本に戻って、会社の上司と慰労もかねて銀座で飲みました。リビヤはお酒が無いので、自分で作ったワイン以外は殆ど飲んでいませんでした。半年近くもお酒の量が極端に減ると、アルコールの許容量も落ちることをすっかり忘れ、昔のように杯を進めた結果、お客と一緒に泊まる予定の帝国ホテルのロビーでダウン。意識はあるけど、腰が抜けて立てません。ロビーに倒れながら胃の中の物を戻し、最悪でした。宿泊している外国人が心配そうに上から眺めていましたが、どうすることも出来ず、仲間に抱えられて部屋に運ばれました。1ヶ月ほどヨーロッパに出張し、夜行で帰り、会社に出て仕事をして、その夜睡眠不足のまま飲んだときはさらに最悪でした。美味しい濁り酒を飲ます所が有楽町のガード下にありました。このお酒はアルコール分が強く、飲み過ぎると足腰に来るお酒で、通常2合までしか飲ませてくれません。行きつけだったので良く知ったマスターに無理を言って、4合まで飲ませて貰いました。夜行飛行機で寝ていない上に、1ヶ月の疲れも溜まっていたかもしれません。その店を出た途端に記憶がなくなりました。気が付いたのは翌朝我が家のベットの上で、顔中に鈍痛が走り目を覚ましました。鏡を見ると片方の目は塞がり、紫色に大きく腫れています。持っていたポッシェットも有りません。この中には、パスポート、クレジットカード、千ドルあまりのトレベラーズチェック、現金5万円ほど、など入っていました。どうやって帰ったのか思い出してもかすかな記憶で良く思い出せませんが、何とか記憶をたどると、どうやら電車で帰り、階段の上から転んで落ちた記憶がかすかにありました。全財産を何処かで落として、最寄り駅からはタクシーで帰った来たようですが、お金をどう工面したのか、それとも運転手さんがお金を取らなかったのか分かりません。無くしたポッシェットは結局出てきませんでしたが、カードなど直ぐにストップしたので、被害は現金の5万円だけでした。それよりも駅のホームで線路に落ちなかった事を幸運と思わずにはいられませんでした。この失敗依頼、外で飲み過ぎることは少なくなりました。
2004年11月07日
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昨日、一昨日と二日続けての深酒でこの週末はおとなしくしておきます。お酒の失敗談は、数え切れないくらい有りますが、海外でも何度かありました。東南アジア、ロシアでは、現地のお客からの招待で必ずお酒の席が用意されます。彼らはこちらがつぶれるまで飲むことを期待しており、つぶれるほど飲んで開襟を開くことで、信用し仕事に結びつくケースが結構有りました。今はそう言う飲み方はあまりしませんが、当時はお客との飲み会は大体つぶれるまで飲むのが普通でした。台湾では、レストランで気を失い救急車でホテルに運ばれました。モスクワでは、ウォッカで腰が抜け、ホテルのトイレで動けなくなり、ロシア人に担がれて自分の部屋に運ばれました。お酒で体を壊した仲間は沢山いました。僕は、幸いアルコールの分解酵素が普通の日本人より多いので体を壊すまでは行っていませんが、これからは楽しんでもむように心がけたいものです。と、しらふでは思うのですが、飲みだすとすっかり忘れてしまうのは困ったものですが。
2004年11月06日
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今年も何もしないうちにもう11月です。時間の過ぎる早さにブレーキが掛かりません、逆にアクセルを踏んでいるようです。11月1日:20年ぶりに新紙幣が発行されました。紙幣と言えば、海外出張用の財布に4カ国の紙幣が眠っています。海外で面倒な事の一つに両替があります、またそのうちに再訪すると思い、あまった現地通貨を交換しないで帰ることが多いのですが、その内の台湾の紙幣は2年前から財布の中に眠っています。当分行く予定はありません。11月2日:アメリカの大統領選挙。日本時間の3日08:00から開票が始まり、早ければ今日の夕方には判明する予定です。前回同様僅差で訴訟合戦が繰り広げられる可能性も高いので、前回のように最終決定まで年越しも有るかも知れません。うるう年、夏のオリンピック、アメリカの大統領選挙は全部4年に一度、同じ年に有りますね。親友の一人の誕生日はうるう年の2月29日です。誕生日が4年に一度は羨ましいですね。11月3日:文化の日。昔は毎年、何処かで開催されている菊花展を見に行きました。今年はその予定無しです。
2004年11月03日
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今日の新聞に河南省でイスラム教徒と漢族との間で子供の交通事故を切欠に大きな紛争が起こりかなりの人間が死亡した記事が有りました。先日は、四川省で役人の態度を批判する大掛かりなデモが有ったそうです。どちらも表面的には、違う理由の事件ですが、どちらも最近の中国の沿海部と農村部の貧富の差の大きさに不満のある農民の怒りが、こう言う形で現れてきたのではないかと思われます。広州、上海、大連、天津、などの沿海部の経済発展は目を見張るものがあります。世界中の大手企業が工場を持ち、今や中国は世界の工場になっていますが、その安価な労働力は農村部から出稼ぎに来る農民に支えられています。沿海部と農村部の年収の差は5-10倍になるそうです。しかし、農民は都市には定住出来ないので数年で農村部に帰らなければなりません。中国では、農民の戸籍と都市に住む人の戸籍と二つの戸籍がありますが、自由に選ぶことは出来ません。農民でも都市の大学へ進むと都市の戸籍が持てるので、優秀な子供は大学受験しますが、高い授業料が払えないケースが多いとの事です。年収が数万円の農民には、どんなに優秀な子供でも大学に行けないので、一生貧しい農民として生きるより方法がありません。中国政府は現在内陸部の重点的開発を国策として行っていますが、内陸部が豊かになるには、まだ10年は掛かるでしょう。色々な問題を含んだ中国ですが、21世紀の世界経済の中心になる国であり、ますます目が離せません。
2004年11月02日
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香田さんの家族にはお悔やみ申し上げます。他に言葉が有りません。大変お気の毒でした。この事件では色んな事を考えました。この事件に対する小泉首相の最初のコメント、その後の日本政府の対応への批判が有りますが、頼りにならない日本政府には今まで何度も裏切られている訳で、はなから期待するのが間違いだと思います。独自の情報網を持たない日本政府には、アメリカにその情報を頼る以外に何もする手立てが有りません。情けない限りです。この事件に限らず、どうすれば日本が主体的に世界の国と伍していけるかは、一度民主党に政権を取らせて見るのが一番良いのかも知れません。民主党に変わったからといって、多くは期待できないとは思うけれど、盲目的なアメリカ追従、自民党を壊すと言って壊せない小泉政権はもうそろそろ限界でしょう。色々言われている香田さんに付いては、コメントのしようがありません。中近東との関わりを20年以上しているものにとっては、彼の行動は無謀以外の何者でも無いと言う意外に有りませんが、純粋の若者の気持ちも理解できない訳でも有りません。でも単なる好奇心から命を落とした訳で、本人、家族の皆様には悔やんでも悔やみきれないものが有ると思います。周りの誰かがもっと強く忠告できなかったのか、残念に思います。前にも書きましたが、アラブのイスラム教徒の過激派は、イスラエル、アメリカへの聖戦としてイラクで戦っています。彼らの恨みの深さは我々の想像を超えています。アメリカの同盟者は全て敵です。日本政府が声高に言っている、自衛隊はイラク国民の為にイラクの復興の為に派遣されている、と言うことはいくら繰り返しても彼らは誰も信じていません。12月に期限の来る、イラク派遣法の延期が無いように望んでいます。
2004年11月01日
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