不思議 0
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衆院選挙投票も終わり、日本国民の審判がくだされようとしています。 どうやら下馬評通り、民主圧勝で政権交代の誕生のようです。途中 偶然の数か月を除いて、過去50数年間 日本の政治を独裁してきた自民党が初めて野党になる日がきたようです。これが吉となるか、凶となるかは神のみぞ知るところでしょうか? もっとも 凶になってもらっては困りますが・・・さて、現在 地球環境の悪化が叫ばれています。 人間が文明と引き換えに汚染してしまった地球。 このままでは人類、いや 動植物の生存の危機もあるかも・・・これも神のみぞ知るところでしょうか?では 宇宙に逃げればいいではないか? 宇宙には人類が住めるも他にあるのではないか?とSF的に考えても不思議ではありません。 実際 太陽系以外にも地球と同じような星があるかもしれない。 というより、あるそうです。 まあ まだ宇宙旅行も確立されていませんし、まだまだ未知の世界ですが・・・しかし、宇宙というのはどうしてできたのでしょう。 地球の誕生はほぼ解明されていますが、太陽系やそのもっと大きな宇宙はまだまだ解明されていません。ということで、本日のお題は 「宇宙の誕生」尚、昨日のお題は 「秋の味覚」←ご覧になってない方はこちらもどうぞ 宇宙の誕生は "ビッグバン"によって誕生した というのがこれまでの定説です。では"ビッグバン"とは何か? その名のとおり、Big(大きい)Baa~n!(爆発)です。シャレかい。 何をいい加減な! とお思いでしょうが、それほどいい加減でもないのです。 ちょっとムズイですが、ビッグバン理論(仮説)というのは、遠方の銀河がハッブルの法則に従って遠ざかっているという観測事実を、一般相対性理論を適用して解釈すれば、宇宙が膨張しているという結論が得られます。宇宙膨張を過去へと外挿すれば、宇宙の初期には全ての物質とエネルギーが一カ所に集まる高温度・高密度状態にあったことになります。 この初期状態、またはこの状態からの爆発的膨張をビッグバンといいます。光の速度が無限大でないために、もし 宇宙に始まりがあったとすると、宇宙の大きさは有限なはずです。 これは宇宙が膨張していなくても言えることなのです。ただし その場合には、ある瞬間に同時に無限に広い宇宙を造っておきながら、宇宙の大きさが有限というのは矛盾のように思えますが、そうではなく、その宇宙のある観測者(人類)にとっては、宇宙開びゃくからその時までに経過した時間に光がやってこられる範囲がすべてです。 その外では何が起こっても、観測者には影響しません。これが宇宙のハッブル半径の定義です。 時間が経てば、より遠方からの光が到達できるのでハッブル半径は広がっていく。 また違う場所にいる観測者(宇宙人)は互いに異なる領域を自分の宇宙とみなします。光の速度が無限大でなく有限で、宇宙年齢も有限なために宇宙の半径が有限になるということです。 かなりムズイですねぇ~宇宙は非常に小さい世界から始まり、そして次第に膨張して、その過程で宇宙に存在する諸々の物質、例えば素粒子、原子核、原子、人間、惑星、太陽系、銀河などの構造が生まれて現在まで至ったという考え方がビッグバン理論(ビッグバン仮説)です。このビッグバン理論は宇宙論の正統派理論と考えられています。そして 宇宙進化のシナリオは詳しくは語れませんが、次のように想像できます。 宇宙が始まったのは10のマイナス44乗秒という、とても短い時間ですが、その時代に宇宙が生まれました。そして 前述の非常にミクロな物質の時代、つまり素粒子の時代があり、原子核の反応が起こる時代があり、それからプラズマ状態といって、電荷を持つ粒子の状態があり、それから原子ができて、原子の塊である銀河が生まれて、そして様々な銀河宇宙の構造が生まれてきました。このへんで頭がごちゃごちゃになってきました。(書いてるほうも・・・) 実はビッグバン宇宙の中で非常に難問だと言われている問題が2つあります。 1つは宇宙の創世です。 宇宙はどのようにして始まったのかという問題です。 これに関してはまだ答えは出ていません。というより、この答えは永遠に出ないのではないかと思います。 「創世記」によれば宇宙は無から始まったということになっています。 要するに無から始まったと考えざるを得ないわけです。何か物があれば、必ずその物はどのようにして生まれたのかということになるわけです。 従って、何にも無いところから始めないといけないわけです。 ホーキング論とうのもありますが、ちょっとそれは横へ置いておきます。そして もう1つが銀河の形成。 銀河宇宙がどのようにして生まれたのかという問題です。 銀河宇宙というのは現在私たちが観測している宇宙です。 これに関してはある程度の理解が進んできました。ビッグバン理論は、必ずしも完全に実証されたわけではないですが、ヘリウムの存在比と背景放射という2点に関して、理論から導かれる予測と観測データとが良く一致することから、1960年代後半から、天文学者や宇宙物理学者に幅広く支持されるようになりました。こんにちでは、宇宙論の研究はビッグバンの存在を前提として進められるのが一般的であり、ホイルら定常宇宙論の研究者が批判を加えてはいるものの、宇宙初期が高温・高密度状態だったという理論の根幹は、まず覆されることはないと考えられています。ビッグバン宇宙論の驚異的な成果は、科学者が創成直後の宇宙の状態について語るすべを獲得したことに端的に現れています。ところが、最近は宇宙の始まりにはビッグバンより前がある という説が有力になってきました。 またまた頭がごちゃごちゃに・・・これまでのビッグバン理論では、宇宙の始まりは超高温・超高密度で光に満ちた「火の玉」のようなものが爆発的に膨張し、広大な宇宙ができあがったとされていました。では、その火の玉とは何か? ビッグバン理論では、1点に無限大のエネルギーが集中した状態ということになっています。 しかし、「無限大」は物理学で説明することができず、理論的に破たんしてしまいます。そのため、これまで火の玉が生まれた理由は"神の仕事"として片づけられてきました。 しかし 理論物理学者たちとしては、そこもきちんと解明したいわけです。とはいえ、ビッグバンが起こったことは、ほぼ間違いないようです。 問題はなぜビッグバンが起こったのかということ。 それを説明するのが「インフレーション理論」です。この理論は、実はビッグバンよりも前にインフレーションという膨張があった という考えです。 ということで、この続きは別ブログで・・・宇宙、まだまだよくわかっていない空間です。 しかし、宇宙から見れば、地球なんてちっぽけなもの。 そのまた地球に住む人間はもっとちっぽけなものです。その ちっぽけなもの同士が、ちょっと意見が違うから、考え方が違うから、と些細なことでいがみあい、果ては殺し合いしているのが人間。 宇宙から見れば、愚かなものなのかもしれません。「宇宙的尺度」 最後に人間の瞳に行く着くところがなぜか大学からアクセスの多い別ブログ ●別ブログ 8/30の新着は「宇宙のはじまり」 前回は「山小屋メンテナンス」 こちらも見てね
2009年08月30日
風車(ふうしゃ)といえば、オランダを想像する人も多いでしょう。 オランダで干拓地の排水用に風車が多用され始めたのは15世紀ごろ。電動機や内燃機関の発達でほとんど廃れてしまったが、製粉・揚水などに使用されていました。 また 風車の回転数を元に、風速を測る風速計としても使われています。オランダの風車は、本来の使命を終えたあとも、各地で観光用として使われています。 日本でもハウステンボスなど、各地で観光用のものが存在します。近年はエコロジーなどの台頭により、発電用の風車も多く見られます。 風力発電は従来の集中型電源とは様々な点で異なる特徴を持ちます。まず 温室効果ガスの排出が少ないこと。 これがエコロジーと言われるゆえんです 運転用燃料が不要で持続的に利用できる他、経済面での効果などが重要視される。 特に離島など、燃料の確保や送電コストの高い地域にて独立電源として活用できる利点があります。また 太陽光発電と異なり、夜間でも発電が可能。 ただ 夜間も発電するため、他電源の出力や需要の状況によっては夜間の余剰電力を増大させる欠点もある。 そして 風速の変動に伴って出力変動が大きいなどの欠点もあり、改善が今後の課題を要することもあります。では 日本の発電用風車はいつごろ出来たのか?ということで、本日のお題は 「風車(ふうしゃ)」尚、昨日のお題は 「豚インフル」ご覧になってない方はこちらもどうぞ幕末の1857年、唯一の国際貿易港だった長崎港に、船舶修理用ドックとして「長崎鎔鉄所」が開設されました。 幕府がオランダの技術協力を得て建設した初の西洋式工場。明治維新を経て84年7月、岩崎弥太郎が借り受け、造船事業を始動させた。 後の三菱重工業の誕生です。 尚、前回の「鉄道の発祥地」もご参照ください明治後期から北米航路を航行した豪華客船、天洋丸。 大和と並ぶ史上最大の戦艦、武蔵。 戦後の引き揚げ船として旧ソ連と舞鶴港を結んだ興安丸などなど。数々のを建造し、長く「東洋一の造船所」と呼ばれたが、1970年代の2度の石油危機に揺らぐ。 タンカーの受注が激減し、また 主力の一つだった火力発電装置も不振に陥った。原油高の「余震」がなお続く中、上司から「一緒に風車をやらんか」と 入社2年目の松浪さんに声がかかった。原油に頼らない発電装置が求められる時代が必ず来る。 そう聞かされて、火力発電用ボイラーの担当から離れ、80年春 風車開発チームに加わった。「まさにゼロからのスタートでした」と 松浪さんは思い起こして言う。現在 波頭きらめく長崎港に面した三菱重工業長崎造船所の一角に白く巨大で、流線形の造形物が横たわって船出を待つ。長さ45メートル、幅2.5メートル、重さ10トンというその造形物は、繊維強化プラスチック(FRP)製の羽根。 最新型風車の部品。3枚を取りつけて仕上げる完成形は地上約120メートル。 30階建ての超高層ビルにも匹敵し、日本最大の規模を誇る。 出力は2400キロ・ワット。わずかに枝葉が揺れるそよ風で回転を始め、年間でドラム缶1万1000本分の石油と同じエネルギーを生み出すという。今や地球温暖化対策に不可欠と言える発電用風車。 その国産1号機もこの造船所で開発された。 早くから西洋文明に触れた地だからこそ息づく技術力の伝統が、商業用の風力発電を軌道に乗せた。開発当時、欧米では発電用風車の大型化が進んでいたが、故障が多く壁に突き当たっていた。国内でも終戦直後、木製の小型風車が北海道の農家を中心にして数千基規模で使われたが、50年代後半、送電網の発達で廃れ、参考になる先例が見当たらなかったのだ。「故障しない風車を造る」 自らも含めて3人のメンバーでそう意気込んだが、研究費はごくわずかだった。 船舶エンジンの開発で培われた流体力学や制御工学といった高度技術を用いて何とか設計したが、材料調達も難しい。をつけたのが、ヘリコプターの中古羽根の再利用だった。 自衛隊にかけ合い、29枚を入手した。 土台にも困り、タンカー用タラップの残骸を使ったという。「新品は発電機だけ」というつぎはぎだらけの1号機は開発開始から9か月後、工場の桟橋で回り始めた。誰もが感慨より恐怖を感じたらしい。 「バタバタ回る羽根に、見物していた社員は逃げ出した」という。 実際、羽根が折れ、歯車が壊れたことも数知れない。出力は40キロ・ワット。 風がある時だけ工場の湯を沸かすというささやかな役割を果たしつつ、試験運転を続けた。トラブルを受けて様々な技術が生まれ、中でも、羽根の取り付け部を可動式とし、角度を自動制御して風を効率よく使う技術は後に世界標準となった。風力による電気が国内で初めて送電線を流れたのは82年11月。 1号機のデータを生かした2号機が鹿児島県・沖永良部島で民家300軒にをともした。 成功を機に、米ハワイ州から37基の注文が舞い込む。中古羽根では対応できず、軽くて強いFRPを用いて量産体制を整え、93年当時、世界のトップメーカーに躍進した。現在松浪さんは主席技師。 当初メンバーで唯一の現役として、送り出した約1300基のアフターケアに飛び回る。90年代後半以降 欧州で風車生産が進み、市場占有率は落ちたが、7代目の最新型まで開発にかかわった自信は揺るぎない。「国産の風車は台風が多い自然に学び、鍛えられている。 いつも大自然から恵みを分けてもらうという気持ちになるんです」と言う岸壁に100年前のクレーンがいまだにそびえる。 国の登録有形文化財でもある歴史的構造物だが、今も稼働が続く。「うちの創業は江戸時代。 会社より古いからねぇ」と長崎鎔鉄所の伝統を継ぐ技術者らの口癖にも誇りがにじむ。商業用の発電用風車を建造し得たのも、その技術の誇りだろうか。 大阪花博記念公園の風車 本日 26万OVERしました。 お昼前ごろにOVERしたと思われますが、出かけていたため確認できません。 気がついたら26万100以上過ぎてました。よって今回のキリプレはお流れです。今日はやたらyahooのアクセスが多かった。 やはり話題の「豚インフル」のせいでしょうか? なぜか大学からアクセスの多い別ブログ●別ブログ5/6の新着は「カーシェアリング」 前回は「アトランティス伝説」 こちらも見てね
2009年05月15日
この頃すっきりしない天候が続いています。 それに週末になると模様です。 今日も先週 書いたように、会社都合で今日から3連休です。 実は長野・木曽にスローライフに行く予定でした。 用意までしたけど、どうやら明日もだし、風邪も完治していない(咳だけですが)ので中止しました。この頃は寒暖の差が大きい時期ですが、春の訪れがすぐそこに感じられるようになりましたし、つい先日、気象庁がの開花予報を出しました。「もうすぐ春ですね」←クリック さて、今は卒業式のシーズンですね。 「あの~・・・・・ 第2ボタン下さい!」今は下火になった感がありますが、一時期は卒業する男子生徒の学生服の第2ボタンを女子生徒がもらうという風習が流行しました。元々「第2ボタンの風習」は女子中高生のウワサ・流行から始まったとも言われており、1983年の柏原芳恵が歌った「春なのに」がルーツとも言われています。でも最近は第2ボタンに限らず、仲のよかった友達みんなに記念にあげたり、もらったりしています。 ブレザーの学校だったりすると、校章だったり、ネクタイだったり、というのも結構あるようです。でも なぜ「第2」ボタンだったのでしょう? 一般的には「心臓に一番近いのが第2ボタンだから」と言われておりますが、「一番上のボタンがないと、襟が立たなくなるから」という、とっても現実的なものや、「第2ボタンをはずすことで、がつかみやすくなるから」という情熱的なものまで、さまざま。 また、一説には兵士が戦地へ向かう前に、想いを寄せる女性に万が一のことを考え、「自分の代わり」(形見)として、軍服の第2ボタンを贈った、ともいわれております。もしかしたら死出の旅になるかも知れない兵士が、想いを寄せる女性に「自分の代わり」に第2ボタンを渡して戦地に赴く。 その時の彼らの気持ちは如何ばかりのものであったのでしょうか?好きな人への想いがいっぱい詰まっているのが、この第2ボタン。 青春ですね~ 遠いということで、本日のお題は 「スローライフ Part2」尚、昨日のお題は 「ガンになったら」ご覧になってない方はこちらもどうぞ前回 「スローライフ」で、スローライフの考え方として「もっとゆっくりと、いろいろ愉しみながら、生きようよ」というのが原点だと書きました。ということは、日常の行動でも「もっとゆっくりと」という考えをすればスローライフが楽しめます。例えば、何か大きな失敗をしてしまった時、ふか~く ふか~く落ち込んで、底が見えないくらい沈んでしまいます。 あなたはそんなことありませんか?以前、友人にものすごく深刻な顔をして、「この前はごめんね」と、謝られたことがあります。 私はなんのことだかさっぱりわからず、「何のこと??」と聞き返す始末。私は迷惑をかけられたつもりはないのに、友人はものすごく気に病んでいたようなのです。 つまりは、自分がものすごく気にしていることでも、他の人は案外気にしていないもの ということもあります。そんなに深く気に病む必要はないのかもしれません。 もちろん反省は必要です。 自分に非がある場合は・・・「悪いのはすべて相手。 自分は正しい」なんて思っていては、とうていスローライフにはなりません。反省と、自分を否定することは根本的にちがいます。 あなたの全てが間違っているのではなく、あなたのしてしまった事が間違っているのです。間違いに気付いたら、素直に謝って反省する。 そして、もう2度と同じ間違いをしない。そう自分に誓って、後は忘れる。 まあ 場合によっては謝れないこともありますが、その時も反省は必要です。それでいいんじゃないでしょうか?人間は間違える生き物なんです。 それでいいんです。そして、スローライフといえば、次にスローフードという言葉を思い浮かべます。スローフードとは、規格・標準化された生産ではなく、その土地土地の風土にあった伝統食文化・農業を大切にするための運動、または、その食品自体を指す言葉をさします。日本では意味を矮小化して受け取られ、大量栽培のものではない有機農法などで作られた安全な食材や、その加工品を意味します。以前 「オーガニック」、「ポストハーベスト」で書いたように、無農薬野菜などもスローフードに含まれますね。つまり、ファストフードやインスタント食品ではない、手間ひまかけた料理などを言います。1980年代半ば、ローマの名所の1つであるスペイン広場にマクドナルドが開店しました。 このことが、ファストフードにイタリアの食文化が食いつぶされる、という危機感を生み、「スローフード」運動に繋がったといいます。スローフードの理念はジャン・アンテルム・ブリア=サヴァランの著書が大きく影響しました。1989年のマニフェストに「人は喜ぶことには権利を持っている」というコンセプトを発表し、また、同年パリで開かれた国際スローフード協会設立大会でのスローフード宣言を経て、国際運動となりました。1996年のスローフード法令には、具体的な活動における3つの指針が示されています。守る:消えてゆく恐れのある伝統的な食材や料理、質のよい食品、ワインを守る。 教える:子供たちを含め、消費者に味の教育を進める。 支える:質のよい素材を提供する小生産者を守る。尚、ブログ仲間のriminさんが、昨年 スローフード秦野支部を立ち上げ、いろいろな活動をされています。また、過去ログに「健康に過ごす」、「陰陽」がありますので、お時間のある方はこちらもご参照ください。しつこく 第2ボタン「第2ボタンの誓い/ダ・カーポ」、「春なのに/柏原芳恵」 なぜか大学からアクセスの多い別ブログ ●別ブログ2/25の新着は「謎の企業 B-CAS社」 前回は 「クレーマー保護者」 前々回は「アナログ放送終了」 こちらも見てね
2009年03月13日
この前 「ワークシェアリング」、「ワークシェアリング その2」で書いたように、仕事をわけあうワークシェアリングを導入する企業が増えてきています。今までも休業日を増やしたりして、生産調整することはありましたが、今回の休日増は給与を支払わない休日、ということが以前と違うところです。 ------------------------------------------------------------日立製作所は4月から毎月平日のうち1日を無給の休日にする方針を決め、労働組合に提案した。 対象は間接部門を含む国内の全社員約4万人(単体ベース)で、月額賃金は3―5%減る見込み。日立は2009年3月期に7000億円の最終赤字になる見通し。 異例のコスト削減策で収益改善を急ぐ。電機や自動車など製造業では、生産調整の一環として工場を中心に賃金を一定割合カットして所定労働日に休む「休業日」を設ける企業はあるが、無給扱いの休日を増やすのは珍しい。(2009年3月4日 日本経済新聞) ------------------------------------------------------------確かに、仕事量の減った昨今ですが、この前も書いたように、実質的な賃金の切り下げという側面があることは承知しておくべきでしょう。私のいる会社も、とりあえず月1回の第3土曜日の出勤日(正社員のみ)をなくして、賃下げをしましたね。 これからはもっと他の方法も出てくるでしょう。それに、今月は3連休が2回(本社のみ)もあります。 春分の日の3連休の前の週に、本社のサーバ入れ替えに伴い、金曜日が休日で3連休。まあ 少し前の日本人は“働きすぎ”といわれていましたから、ちょうどいい機会かもしれません。 ただし、それで生活がやっていけるなら ですが・・・「人生、そんなに急いでどこへ行く?」そんな声が聞こえてきそうな、 “スローライフ”忙しく生きている人が多いような気がします。(私もその口ですが・・・) 仕事に忙しい人、人づきあいに忙しい人、趣味や遊びに忙しい人、何かを学ぶのに忙しい人、生活に忙しい人。生活を愉しめない人は、心が急ぎすぎているのかもしれません。 愉しむ心の余裕がないのでしょう。(単に、生活を愉しもうという意識がないのかもしれませんが・・・)ということで、本日のお題は 「スローライフ」尚、昨日のお題は 「男女の脳の違い その5」ご覧になってない方はこちらもどうぞ“スローライフ”は、「もっとゆっくりと、いろいろ愉しみながら、生きようよ」ということでしょうか。世間一般に浸透しているのは、スローライフ=田舎暮らし という図式だと思います。しかし 生きて行くためには会社へ行って仕事をしなければならないし、会社ではいかに効率よく仕事をするか ということを、当然のことながら求められます。 時は金なりです。イタリアのシェスタのように、2時間くらいかけて昼食をとって、その後 お昼寝して、それから仕事に戻る。 そんなことは、今の日本では許されません。スローライフって、とても奥が深いようなものなのです。 定義するのがとても難しいです。例えば、伝統を大事にする。 といっても、そんな大それたことではなく、我が家特製のお漬物だったり、地域独特の野菜使った料理だったり・・・いつもいつも同じ味にはならないし、見た目も不恰好だったりします。 でもそこには、既製品にはない温かみがあります。また やでなく、普通(急行は含む)で旅をする とか、に乗らずで近場に遊びに行く とかですね。 急いでいて見えなかったものが見えたりします。せめて お休みの日くらいは、自分だけの時間を持って、ゆっくりマイペースに過ごす。 たとえ効率的ではなくても、自分が満足する時間の過ごし方をする。それが、スローライフだと思うのです。そのためには趣味をもつのもいいことです。 しかし 趣味とはいえ、あちこちにセカセカ出かけて行くのはとうていスローライフ的とはいえませんね。これでは、追われているに過ぎません。 仕事ならいざ知らず、趣味は追われてするものではありません。 「スロー」には、もう一つ「いいことをしよう」という考え方があるようです。 自分にいいことをしよう。 身体にいいこと、心にいいこと、など 地域にいいことをしよう。 地域振興、など 社会にいいことをしよう。 NPOなどの様々な活動(ボランティア)、など 文化にいいことをしよう。 芸術振興、伝統を守る、など 地球にいいことをしよう。 自然を守る、環境問題、エネルギー問題、などただし 決して「自分だけにいいことをしよう」じゃないんです。 それではエゴになってしまいます。 自分のためには時間も金も惜しみなく、じゃなく、人のためにも時間も金も惜しみなく、なんです。 ちょっと難しいですが・・・このへんを勘違いしている人が多くいます。 個人主義が利己主義にすりかわっているいるように・・・いいことをする、誰かの役に立つ、何か(人や社会など)に貢献するというようなことは、自分にとってもいいことだし、そういう活動の中でやりがいや生きがいなどの幸せを感じられることも多いのではないでしょうか。自分の心や身体に「いいこと」を見つけ、それをやる時間をもって、そのことを愉しむことです。自分にとって「いいこと」を、生活の中で一つ一つ、できる範囲で、組み入れていけばいいのではないでしょうか。と、こう書くと、以前に書いた「個人主義」と同義的な気がしますが、ちょっと違います。 それに個人主義はほとんどの場合、利己主義(エゴ)になっている場合も多いのです。ボランティアをしない人がしている人の誹謗・中傷し続けるなどは、やっている人への冒涜としかとれません。 これには団体をあげて抗議するとともに、しかるべき処置を講じる とのこと。あ~あ とうとうおおごとになってきた。 知~らないっと!また 次の方法は、「スローなもの」を愉しむ。ふだん関わっている物(食べている物、着ている物、使っている物など)を、今の物からスローなものに変えてみてはどうでしょうか。使って気もちがいいもの、身体にいいもの、地球にやさしいものなどを、一つ一つ自分のまわりに増やしていけばいいのではないでしょうか。もう一つの方法は、「スローな時」を愉しむ。生活の中に「ゆったり」と過ごす時間を、30分でもとるようにし、安らいだ時を過ごしてみてはどうでしょうか。毎日でなくても、週に何日かでも、小さな「スロー」を愉しめたらいいでしょう。 年に何日かは、スローな1日を愉しんでみるのもいいでしょう。私が長野・木曽に行くとき、最近は何もしないで過ごすことが多くなってきています。 まあ 歳のせいもあるのでしょうが、あの自然の中であくせくするのがバカらしく思えるようになったのです。これこそ“スローライフ”の原点だと思えるようになったからです。 とはいえ、昔は違ってましたけどね。なぜか大学からアクセスの多い別ブログ ●別ブログ2/25の新着は「謎の企業 B-CAS社」 前回は 「クレーマー保護者」 前々回は「アナログ放送終了」 こちらも見てね
2009年03月07日
お天気は相変わらず曇ったり、にわか雨が降ったりですっきりしません。 天気予報もちょっとズレっぱなし。 早朝の発表と、午後からの発表がかなり違うこともよくあります。 さて、以前 農産物の生産調整で白菜を廃棄する話をご紹介しましたが、これだけでも「もったいない」と思うのに、大手販売のスーパーなどが独自の賞味期限を設定し、本来の賞味期限前でも返品していることがわかった。 返品されたものはほとんど廃棄されていたという。 -----------------------------------------------------------------農林水産省が菓子業界を対象に7月に実施した賞味期限に関する調査で、大手スーパーなどの小売業者が独自の納入期限や「店頭販売期限」を設けている実態が明らかになった。期限が切れた食品は返品・廃棄されるなどして、食品の廃棄を増やす一因と指摘されている。 農水省は調査を踏まえ、10月までに対応策をまとめる。調査は全日本菓子協会が協力し、全国で流通している菓子を製造する31社を対象に実施した。 このうち、6社から回答があった。それによると、大手スーパーやコンビニは全般的に、製造日から賞味期限の期間のうち3分の1の時点を「納入期限」と定めていた。 この条件では、例えば賞味期限3か月の商品では、製造から1か月を超えると納品ができなくなる。 期限を外れた商品は返品されていた。また、製造日から賞味期限までの期間のうち3分の2の時点を「販売期限」と定めている小売店もあった。 期限を過ぎた商品は、見切り品として割引販売されるか、卸業者やメーカー側に返品されていた。全商品に占める返品率は平均1.1%で、その99.5%は捨てられていた。(2008年8月17日 読売新聞) -----------------------------------------------------------------ファミレスなど、食べ残しの廃棄食材やスーパー、コンビニなどの食品廃棄は相当な量になっているが、このように本来の賞味期限前に返品、廃棄するのは非常に「もったいない」気がするのだが・・・自給率の低い日本、なのに飽食の日本 いったいどうなってんの?とはいっても「もったいない」で、使いまわしや返品の賞味期限偽装で再発売はゴメンだが・・・ところで、あるアメリカ在住の人が見聞したことですが、この5月に米国バージニア州で開催されたフード・フェスティバルでひときわ賑わっているスタンドがあった。 それは『虫料理』(未邦訳)の著者デヴィッド・ジョージ・ゴードンのスタンドで、彼はなんと「コオロギのパスタ」を作っているところだった。今、ゴードンのような虫料理の愛好家たちはみな、「虫は、牛や豚や鶏よりはるかに環境にやさしいタンパク源だ」と口を揃える。 というのも畜産業界が排出する温室効果ガスの量は全体の18%にも及ぶからだ。さらに、餌になる穀物の値上げが深刻な昨今では、環境への影響が少なく安価な虫は、“未来の食材”になる可能性を秘めているという。 例えば150gのイナゴを育てるのに必要な水はわずかだが、同じ量の牛肉を得るには3290Lもの水が必要だ。 また虫を育てるなら、経費も少なくてすむ。加えて、注目すべきはその栄養価。 中央アフリカなどでよく食べられるイモムシは、火を通した状態で100g中28gのタンパク質を含み、これは鶏肉に含まれている割合よりも多い。 またゲンゴロウは、牛肉の4倍の鉄分を含むという。ちなみに、国連食糧農業機関の職員も最近バンコクで開かれた“食虫会議”に出席し、「これは決して蔑むべき発想ではない」と述べている。 将来、充分な「エコフード」となり得るのだ。とはいえ、一般的な人間が口にするにはまず「気持ち悪い」という感覚を克服する必要があるのは、言うまでもない。ということで、本日のお題は 「エコフード」尚、昨日のお題は 「メガネ」←ご覧になってない方はこちらもどうぞさて、虫料理といえば、長野でよく食べられるのが「イナゴの佃煮」長野では昔から貴重なタンパク源として、また冬の保存食としてイナゴを食用としてきました。 今は、お酒のおつまみに食べる方もいますし、食事のおかずとして食卓に並ぶ家庭もあります。 イナゴの味は乾いた小えびや沢がにに似て美味です。長野県民が皆好んで食べているわけではありませんが、秋になるとよく目にします。 成分としてはタンパク質が多く含まれ、鉄分、ビタミンAに富むが、以外にカルシウムは少ない。 昭和30年代頃までは学校の行事としてイナゴ取りがあったそうです。都会在住の某元長野県人は懐かしそうに、こう言う。子供の頃は、普通に食卓にイナゴの佃煮がのる家など珍しくなかった。 実際、我が家でも食べるのは父だけとはいえ、毎年家で作っていた。 きゃらぶきや、貝の佃煮にも似た甘辛い味付けで、あの「見た目」だけクリアできれば、かなり美味いとよく父にすすめられたものだ。とはいえ、時折、「あ、足がのどにひっかかった」などと苦い顔をする父を見ると、どうにもその「見た目」がクリアできない。ただし、「イナゴ食べない派」にとっても、毎年 秋時季になると、田んぼにイナゴをとりに行くというのは、一種の「娯楽」だった。 無心で捕まえ、袋に放り込む。 それは、少年たちがクワガタ・カブトムシをつかまえるのと何ら変わりないのだ。イナゴとりの道具も、いろいろ改良した結果、ヤクルト容器の底をくりぬき、くびれ部分に布袋をゴムでとりつけるというものに落ち着いた。 ポイポイ虫を放り込みやすいうえ、脱出の可能性もないという画期的なものである。こうして大量捕獲したイナゴは、家で調理する。 グツグツに湯だった鍋に一気に投入すると、ぱちぱちと音をたてて硬直し、草っぽい独特のニオイが台所に満ちてくる。熱い湯に入ったイナゴの緑色の体は、一瞬にして真っ赤に茹で上がり、地獄絵図のような光景に、なぜだかいつも見とれてしまうのだった という。ところが、この時期になるとあちこちの田んぼで見られる「イナゴとり」の光景が、最近はあまり見られなくなった。 食べる人が減ってるからかと思ったが、実家に聞いてみると、ここ数年、「イナゴがいない」というのである。農薬の影響なのか。あるいは、環境の変化か。「昔は、主婦が大量につかまえたイナゴを、近所のスーパーに売りに行ってお小遣いにすることもあったのにねえ」と、寂しそうに言う。かつては当たり前だった秋の娯楽「イナゴとり」も、貴重な保存食の「イナゴ」も、貴重な存在となってきているようです。山形県の内陸部、群馬県、でも「イナゴ」は食べられています。 また 他には、ざざむし、蜂の子、カイコのさなぎ、まゆこ(カイコの成虫)の佃煮などもあります。伊那地方では、ざざむし、蜂の子の缶詰が産業としてありますが、長野県の人がみんな虫を食べているわけではありません。尚、次の画像は食事前 および直後の方、また 私みたいな小心者???は見ないほうがいいかも・・・ イナゴの佃煮 姿・形そのまま 蜂の子 甘露煮 シリーズ化してしまった懐メロ「グッド・ナイト・ベイビー/ザ・キングトーンズ」、「夜明けのスキャット/由紀さおり」、「ブルー・ライト・ヨコハマ/いしだあゆみ」なぜか大学からアクセスの多い別ブログ●別ブログ8/17の新着は「壱億円札」 前回は「値引き値札」 こちらも見てね
2008年08月27日
お仕事 相変わらず忙しい。 算出した搬送能力計算を元に機器選定、小物部品の選定、それがうまく着くかどうかの検証と・・・ 本来ならメーカーがやることだが、今回はすべて丸投げ。たいていは、こういうことが終わってから、我々図面屋さんのところに依頼が来る。(だから図面屋さん というありがたくない名称があるのだが・・・) ま 頂けるものが頂けるならやりますがね。 一応 技術を売るサービス業だし。同僚 分室へ転勤のはずが、まだ居てます。 「いつ行くの?」と聞いても、「わからん」と・・・ どーなってんの?あと 唯一残っている有能女性、これもズルズル伸びていて、やっと来週からお客さまのところへお出かけが決定した。 どちらにしても、残るのはワタクシひとり。 これまた どーすんだろ?さて、洞爺湖サミットも終わり、食料問題や環境問題が決定的な解決をみないまま繰越された。 原油価格は相変わらず、天井知らずの値上がりが続いている。ここで何度も取り上げたが、今 ちょっとした波紋をよんでいるのが「バイオ燃料」バイオ燃料への転換で食料不足の影響が大きくなっている というもの。 -----------------------------------------------------------------世界銀行のエコノミストが、食糧を原料にしたバイオ燃料生産によって世界の食糧価格が75%上昇したという報告書を作成していたことが分かった。草案で未公表だが、バイオ燃料の増産目標を掲げ、影響は少ないと主張する米政府の推計をはるかに上回るだけに、波紋を広げている。農業エコノミスト、ドン・ミッチェル氏が、バイオ燃料の影響について2002年1月から今年2月までの食糧価格の上昇幅140%のうち、75%分を占めると試算。 穀物在庫低下や投機拡大などと結びついて影響力が増幅したとしている。一方、米ブッシュ政権は2、3%と主張、国連の食糧農業機関は最大30%と試算。 従来の推計をはるかに上回る結果となった。英紙ガーディアンが今月4日、このリポートの中身とともに、ブッシュ政権に配慮して公表が見送られたとの見方を報じた。しかし、世銀はこれを否定。 報告書は草案で、4月に世銀が公表した食糧危機とバイオ燃料に関する報告書の参考となった研究結果の一つで、世銀公認の数値でもないと説明している。ただし、「世銀内部で唯一の推計」(関係者)で、バイオ燃料は食糧価格に「重大な影響を与えている」とする世銀の見解を決定づけたとみられる。世銀のゼーリック総裁は食糧危機を「人災」と強調、主要国首脳会議(北海道洞爺湖サミット)でも、輸出規制と並んで、米政府などが導入するバイオ燃料向け補助金の撤廃を強く求めた。(2008年7月11日 産経新聞) -----------------------------------------------------------------化石燃料は無尽蔵ではなく、いずれなくなるものであるから、バイオ燃料の研究は必要であろう。しかし これもここで何度も書いたが、そのために食料不足に輪をかけることは本末転倒のような気がするのだが・・・ということで、本日のネタは 「バイオ」尚、昨日はネタなしなので、一昨日のネタ 「人材派遣 その2」 ご覧になってない方はこちらもどうぞトウモロコシやサトウキビ、木材など植物を原料とする自動車用のバイオ燃料が、注目を集めている。この燃料を使っても温暖化の原因となる二酸化炭素は出るが、「京都議定書」の規定では排出ゼロとみなされる。 ここ数年、原油価格が高騰したこともあり、ガソリンの代替として世界中で需要が急増した。政府が一昨年定めた京都議定書の目標達成計画には、2010年までに50万キロリットル分のバイオ燃料を導入することが盛り込まれた。 一般のガソリンにバイオ燃料を3%混ぜて使用すれば、ガソリン消費量全体の1/3が混合燃料となる。しかし、今 デフレが深刻化している状況で、食料品の値上げが相次いでいる。 その要因のひとつにバイオ燃料の普及で、その原料になるトウモロコシの需要が急増した というのがある。需要増でトウモロコシの価格が上がると、オレンジや大豆、小麦の生産農家がトウモロコシに転作し、オレンジ、大豆、小麦の供給が減って、価格が高騰するというメカニズムになっている。 有限な化石燃料から、原料が再生可能なバイオ燃料に転換するのは良いことである。 しかし、エネルギー自立の視点を持たず、安易に輸入に頼ることは好ましくない。(日本はフランスから輸入する)価格の高騰を引き起こすなど、混乱を招くようでは、本末転倒といわざるを得ない。 実際に、各国が競うようにバイオ燃料の導入を進めた結果、原料となるトウモロコシなど農産物の価格が急騰した。食用分まで燃料に回され、メキシコでは伝統的主食のトルティーヤが食べられなくなったと、大規模な抗議デモが起きたほど。そして、もうひとつ疑問がある。 日本のバイオエタノール混合率が3%なのに、アメリカが10%だということ。 アメリカは京都議定書にも賛成しないほど、世界で最も環境対策に不熱心な国として有名になった。その国がなぜ日本の3倍ものバイオエタノールをガソリンに混ぜているのか? 値上がりしたトウモロコシ、小麦、オレンジ、大豆はすべてアメリカの主力輸出農産物である。しかも、大豆や小麦については遺伝子組み換え作物がかなりの割合で使われている。 遺伝子組み換え作物は世界において食の安全という点で懸念が高まっており、日本も輸入していない。環境対策にこれほど無関心だったアメリカが急にバイオ燃料の普及にだけ本腰を入れる理由。 上記の遺伝子組み換え作物の在庫一掃セールとも思える。また、ここにきて、バイオエタノールの温暖化防止効果そのものに対する異論が出始めた。 穀物などの大量栽培には農業機械を動かす燃料が欠かせないし、関連プラントの稼働も石油に頼っているというわけ。日本のガソリンに混ぜるバイオエタノールは、フランスから輸入する。 輸送のためには当然ながらエネルギーを使う。 それを二酸化炭素で計算するとどうなるか。日本の元売り各社はバイオガソリンの販売を全国展開する2010年度以降、国内生産を計画している。 その準備はどこまで整っているのかはっきりしない。 貴重な石油代替燃料だとしても、輸入主体では輸送用燃料の消費などが抑えられず、温暖化防止効果は半減する。今後、技術開発を進めて、バイオエタノールがより効率的に生産できるようになれば、二酸化炭素の排出量削減の可能性はあると思う。温室効果ガス排出との因果関係を見極めるため、あらためて詳細なデータの解析が必要だろう。 それをやらずして、いきなり「食べ物を燃料として燃やす」などというふざけた政策をやめさせるべきではないか。そして、もうひとつの案がある。 日本の石油メーカーが研究を進めている建築廃材などからバイオエタノールを作る技術が確立すれば、これは明らかに二酸化炭素排出量を減らすことになる。廃材はどうせ燃やして処理するしかないし、なによりも「国産原料」だからだ。 完成はまだ先らしいが、こうした技術が確立して走行実験でもやって、補助金を出しても遅くないと思うのだが・・・ バイオ燃料の原料には、木材や稲わら、菜種など国内で調達可能なものも多い。 休耕田対策も兼ねて、もっと国産に力を入れる必要があるのではないだろうか。廃材やおがくずなどを材料として、バイオエタノールを生産する技術を1日でも早く完成させるべきであろう。 市場原理が優先され、食料不足をきたすようなら、これは本末転倒であり、本来の二酸化炭素排出量削減にならないような気がする。なぜか大学からアクセスの多い別ブログ●別ブログ7/21の新着は「派遣会社の収支」 前回は「高齢男性の病気 前立腺肥大」 こちらも見てね尚、迷惑書き込みがやたら多いため、現在 別ブログのコメント欄は承認後でないと投稿表示できません。 ご了承ください。
2008年07月23日
徒然草 第一四三段この大事は、権化の人も定むべからず。 博学の士も測るべからず。 中国 四川大地震のお見舞い申し上げます。本日 これにておしまい。尚、昨日のブログは 「五寸角」←ご覧になってない方はこちらもどうぞ◆行方不明の ケイ君 まだ見つかっておりません。 長くなりそうなので、お知らせはヘッダーに移動しました。●別ブログ5/12の新着は「鹿せんべい」 前回は「お米をもっと食べよう」 こちらも見てね尚、迷惑書き込みがやたら多いため、現在 別ブログのコメント欄は承認後でないと投稿表示できません。 ご了承ください。
2008年05月13日
昨日は終日雨で肌寒い1日でした。 今日は午前中はまだ曇ってましたが、午後からは晴れてきて、若干気温もあがりましたが、まだそれでも4月中旬の気温だそうです。ところで、以前 「侍マラソン」を書きましたが、今日はそのマラソンが行なわれた日。 昨日は前夜祭で非常に盛り上がってた とか、雨天決行なので、どうなったか楽しみです。さて、みなさんおなじみの「割り箸」 最近 エコロジ-とかでとかく悪者扱いされるのですが、その材料には、昔は国内の間伐材が使われていて、間伐材利用におおいに貢献したものです。しかし 安い中国産に押されて、国内の割り箸は衰退しましたが、旅館などで見直しの機運が高まってきたようです。 -----------------------------------------------------------------ヒノキの間伐材を原材料にした割り箸が、岐阜市のホテルや旅館で使われることになった。使い道に困っている間伐材の有効利用を図ることで、割り箸の材料となってきた海外の森林資源を守ることができるという。 間伐材の割り箸は、協同組合県木造住宅センターが今年1月、岐阜市の岐阜長良川旅館協同組合に持ちかけたのがきっかけとなった。 利用するのは、県内で生産されている良質の東濃ヒノキ。防かび剤や漂白剤が使われておらず安全なうえ、河川の源流にある森林の保全につながるとして、ホテルや旅館で今月から試験的に使うことにした。 旅館組合に納める割り箸は、間伐材の丸太のうち、柱として製材した後に残った端材を使う。 端材は、これまで、紙や燃料用のチップにするなどの限られた用途しかなかった。 国内に流通する割り箸は、安い海外産が多く、中には森林を違法に伐採しているものもあり、貴重な森林を破壊しているとの批判が絶えなかった。間伐材の割り箸には「間伐材製品マーク」の添え紙をつけ、森林破壊でなく保護につながることをPRしている。 旅館組合の伊藤善男理事長は「コストが割高になるが、香りがいい割り箸だ。 好評であれば継続したい」としている。同センターの村山好胤理事長は「幅広く継続的に使ってもらえるよう安く出来る仕組みづくりを考えていきたい」と話している。 (2008年5月6日 読売新聞) -----------------------------------------------------------------現在 国内の森林は荒れています。 後継者不足もありますが、この間伐材利用がないのも一つの原因。 森林は間引きしないと生育が悪くなります。しかし 間引きした間伐材が売れないとなると、その費用は丸々余分な経費になってしまいます。上記のように、昔はいろいろと利用されていましたが、安い外国産に押されて、現在はほとんど利用されていません。あ ちなみに、木曽の山小屋はヒノキの間伐材製です。ということで、本日のお題は 「割り箸」尚、昨日のお題は 「ししゃも」←ご覧になってない方はこちらもどうぞ外でお弁当を食べれば必ずと言っていいほど、割り箸を使いますよね? 一見して木材で作られていて、社会で広く大量消費されている割り箸。割り箸が環境に良くはないというのは一目見れば明らかです。 しかし 一方で洗って使う箸の製造、使用にも 環境負荷はあるはずですよね。割り箸は本当に環境破壊を引き起こしているのかどうか。 これは賛否両論ありますが、現在の輸入品を使っているかぎり、環境破壊を引き起こしている と言わねばなりません。1989年4月、世界最大の民間自然保護団体「世界自然保護基金 WWF」が「日本は割り箸の大量使用で、熱帯雨林を破壊している」と非難したことから、いわゆる「割り箸論争」が始まりました。それに端を発し、マスコミでもそれを大きく取り上げられ、環境保護者たちによる割り箸排斥運動が始まりました。現在、日本国内では年間250億膳(木造住宅2万軒分)もの割り箸が使い捨てされています。 そのうち97%は輸入材、さらには輸入量の99%が中国産なのです。割り箸は間伐材だから森林破壊にならない・・・ という人もいるでしょう。 確かに、昔は森林の保護・育成時に発生する端材や間伐材などが多く使われていました。しかし、最近では海外からの安い木材を大量輸入・消費するようになったのです。今、世界では東京ドーム80個分の森林が1年間で消えています。 森林破壊は環境破壊の連鎖をもたらし、生態系破壊や地球温暖化にも大きく拍車をかけるでしょう。ちなみに、日本には国土の約68%とされる森林があります。 その一方、中国には国土の17%しか森林がありません。 私たち日本人は、その中国から大量の割り箸を輸入しているのです。毎日の生活で何気なく使い捨ててしまう割り箸が、 実はこれだけ大きな背景を持つことをみなさんは考えたことがありますか?洪水などを引き起こしている中国での森林破壊が、 実は自分の弁当箱の上まできているって、今までに考えたことがありますか?あなたの、となりの友達の、家族の、割り箸を使う、使わないが、何万haの森の運命を左右するものになると気づいたことありますか?その気づきの上でわかったこと。 それは2つあります。一つは、環境問題とは遠い世界の話ではなく、一人一人の日常生活の中で起きているということ。 「自分一人が使うのやめたって、別に割り箸がなくなるわけない」と 思うかもしれません。けれど、たまたますべての人が「使うのやめようかな」と思ったら、 割り箸は本当になくなってしまうかもしれないです。一人の行動だけじゃ変わらないけど、 一人の行動から世界は変わるかもしれないのです。二つ目は、環境問題は「環境に悪い、じゃあやめる」というほど 単純な構図ではないこと。 確かに森林を破壊する中国のやり方で製造した割り箸は環境に悪いです。だけど、林業と共生し得る間伐材利用の割り箸も同様に悪いのでしょうか?それに 割り箸が環境に悪いとわかっても、割り箸が売れなくなったら、 今まで中国で割り箸を作って生活してきた人たちはどうするのでしょうか?割り箸を作ることって、それ自体は別に悪いことではないですよね。 すべての割り箸が環境によくない というのは不正確な理解だと思います。目の前のごみ箱の中に山のように積まれる割り箸を見て、「使い捨てだからとにかく良くない」と感じる方がおられるようです。しかし、私たちの目に見えるかどうかに関わらず、その原材料となる木材はずっと昔から存在していました。「『貴重な森林資源を破壊し、あとは野となれ山となれ』方式で切られた木で作られた割り箸」なのか、それとも「もし 割り箸にならないとすれば、ただ放置されたり燃やされたりするしかない木で作られた割り箸」なのか、によっても、評価は変わるかもしれません。森林を育成するには、ただ自然にまかせておくのではなく保育作業が必要です。 保育をしなければ昼間でも森林に太陽の光が入らなくなり森林が育たなくなります。保育の中でもっとも大切なのは間伐で、間伐した木材のうち利用可能なものは柱や板などとなるが、そういう用途に使えないものは焼却処分にするか、割り箸などにするかしかありません。どうせ焼却するならば、一度 割り箸に姿を変えて間伐等の森林保育をすすめるための費用を生んで、割り箸として活用されることのほうがいいかもしれません。プラ箸等の洗浄のための水や洗剤などの使用を抑えてから、割り箸を焼却する方がずっと地球環境のためになる という意見があり、これに対する反論はありません。つまり、「すべての割り箸が環境によくない、すべての割り箸の使用をやめるべき」というのは極端すぎる意見だと思います。割箸は魚にたとえれば「刺し身」の部分ではなく、「アラ」の部分で作ることを意味します。「アラ」も「刺し身」と同様に利用することによって資源を有効に活用し、そのことによって森林への投資や労働投下を容易にし森林資源を維持し守っていくことができるのです。また古来、箸を使うことは脳に刺激を与え,手先の器用さを高める日本民族の特質のひとつとして論じられています。それに,「木の文化」、「箸の文化」として木の香りすがすがしい割り箸を使っての食事は、単に衛生面だけではなく生活に潤いを与え、人間の精神生活上も非常に有益だと思います。物事 何でもひとつの面から考えず、多くの側面を見ることが必要です。 これは現在 日本では悪者扱いされているディーゼル車もそうです。また 今 値上げラッシュですが、原材料の値上げは異常気象の不作だけのせいではなく、経済面も大きく関わってきています。 この前書いた、日本食ブームによる嗜好の変化もそうですね。また 現に原油については投機マネーがより原油高を招いています。 単純にしか物事を考えることしかできない人にとっては理解不能なことですが・・・◆行方不明の ケイ君 まだ見つかっておりません。 長くなりそうなので、お知らせはヘッダーに移動しました。●別ブログ5/12の新着は「鹿せんべい」 前回は「お米をもっと食べよう」 こちらも見てね尚、迷惑書き込みがやたら多いため、現在 別ブログのコメント欄は承認後でないと投稿表示できません。 ご了承ください。
2008年05月11日
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