撮影日記 0
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453系・455系:急行「ときわ」常磐線の急行と言えば、やはり「ときわ」が代表と言えるでしょうね。特急「ひたち」が季節運転で1往復しか設定されていない時代から、常磐線の昼間の優等列車として活躍してきたわけですから。私の年代で言うと、この他にも「もりおか」「そうま」といった列車も設定されていましたが、特にヘッドマークも付いていた訳ではなし、必然的にカメラを向ける回数は極端に少なかったと思います。それでも、気動車急行以外に撮った写真が2枚ほどありましたので、写真を大~きくしてご紹介したいと思います。昭和56年5月 新松戸駅にて列車番号の札が無くて、列車名が特定できません。急行列車はこれが困るんですよね。特に常磐急行は、殆どの列車が全く同じ編成なんですから。まあ、多分、本数比からして「ときわ」でしょうけどね。2両目のM’車の屋根肩ルーバーが小さく、先頭車の雨どいが乗務員ドア上まできていることから、クモハ453+モハ452であることが判ります。昭和57年10月12日 荒川沖~土浦国鉄に入社した年ですね。同じく仕事の不規則な東武社員の友人と平日でも良く撮影に行ったものです。この頃の常磐線は、583系「ゆうづる」「みちのく」、気動車急行、気動車荷物、EF80客レ・貨物と、まだバラエティーに富んでいて面白みはありましたね。ただ、ロケーションを良く知らない地域だったので、余り足が向かなかったのも否定できません。この写真も遠くて列車番号が判りません。これも多分「ときわ」でしょうけどね。この写真、スキャニングするまで判らなかったのですが、画面左側のカーブ立ち上がりから対向の急行列車が来ているんですよね。逆タイミングで撮っていればすれ違い写真も望めたんでしょうけど。こちらは、最後部クハの形式は判別付きませんが、電動車ユニットはルーバーの形状から455系のようです。常磐線への撮影回数は少なかったですが、時代的にネタが沢山ありましたので薄まってしまっても仕方なかったですね。そんな中でもこうして急行列車の当たり前の時代を撮っておくことが出来て良かったです。欲を言えば、カラー写真が1枚も無かったのは残念です。キハ58系:急行「奥久慈」「ときわ」マル鉄コレクション館『時刻表ネタ 昭和55年 水郡線を走った急行「ときわ7号」』
2022.09.01
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キハ58系:急行「白馬」快速 大糸線全通65周年号 運転急行「白馬」の歴史は古く、昭和29年にも遡るらしいです。この頃の記録は見つかりませんが、おそらくは蒸気機関車が牽く客車だったのでしょう。その後気動車急行として新宿~糸魚川間を結んでいました。単独時代もあり、その後、急行「アルプス」や「かわぐち」とも併結されていたようです。昭和43年10月の改正で一旦廃止となりますが、昭和46年に金沢~松本間を結ぶ気動車急行として復活(臨時?)。途中、信濃森上止まりなどの変遷がありながらも、昭和57年11月改正で廃止となるまで、大糸線を通しで走る唯一の直通気動車急行として活躍していました。ちなみに、北陸本線内の金沢~糸魚川間は、上下とも急行「しらゆき」に併結されていました。昭和56年7月22日 大糸線内にて キハ58系 急行「白馬」撮影地は記録に残っていないのですが、大糸線最後の旧型国電を撮影に行った際に撮ったものです。なのでもちろん電化区間です。南大町~信濃常盤間?キハ58+キハ28+キハ58の3両編成で、全部の車輌が冷房車の豪華版。中間にキハ28を介することにより、3両分の冷房電源の供給を可能とした合理的な編成です。大糸線内は3両編成ですが、需要を考えれば適当なセンでしょう。北陸本線内は「しらゆき」と併結されるため、12両の堂々たる編成となります。ヘッドマークも無く、サボも撮っていなく、なんらインパクトのないキハ58系の写真ですが、大糸線内であるからこそ、急行「白馬」を主張できる1枚です。旧型国電 クモハ60:大糸線旧型国電 クハ55:大糸線旧型国電 クモハ54005:大糸線
2022.08.20
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EF58牽引 旧型客車:急行「鳥海」上野~秋田間を上越・羽越線経由で結んでいた急行「鳥海」は、荷物車+グリーン車+A寝台+B寝台+自由席普通車で構成された、由緒ある夜行急行スタイルの列車でした。強いて言えば、なぜか普通車指定席は連結されていません。上野~秋田間を結ぶ急行は、この他にも全車寝台急行の「天の川」が設定されており、お互いに補完しあいながら長らく運転されていました。急行「鳥海」は、上野~新津間をEF58、新津~青森間をEF81が牽引し、水上~石打間はEF16がサポートしていました。(時代背景により、羽越本線非電化時代はDD51、晩年の上越国境越えはEF641000番台のサポートなど、牽引機は変化しています。)昭和52年頃 蕨~西川口間にて EF5890牽引 「鳥海」回送東大宮操車場に回送される「鳥海」編成は、そこそこ遅い時間になってから通りましたので、比較的見る機会が多かったように思います。昭和55年7月23日 南浦和~蕨間にて EF58174牽引 急行「鳥海」昭和55年10月頃 蕨~西川口間にて EF58134牽引 急行「鳥海」同列車の晩年に近い写真です。グリーン車の帯がまだ残されています。一方、本来茶色のマニ36が連結されている筈が、当時新車のマニ50に変わってしまっています。昭和57年 大宮操車場駅構内から 上り急行「鳥海」右側にスニ40が少しだけ写っています。他の夜行急行列車は、A寝台車が上野寄りに連結されているのに対し、この写真では逆なんですよね。それまでは所定の上野寄りでしたので、最終期頃に連結位置が変わったようです。もう1点、マニ36が張上げ屋根改造車です。この写真を撮った時は、プリントにしなかったため、日常的に「鳥海」に連結されていることに気が付きませんでした。後に注目した車輌なんですが、気が付いた時には荷物輸送すら廃止になってしまいました。その後わかったことですが、マニ362022ではないかと思われます。昭和57年11月14日 大宮駅にて 停車中の急行「鳥海」上り定期の最終日。翌朝到着の臨時列車扱い「鳥海52号」をもって急行時代の幕を下ろしました。急行「鳥海」は、ツララ切り+スノープラウといった雪国装備をまとった高崎第二機関区のEF58が終始担当してしておりました。上越急行には、他にもEF58+雑形客車の組み合わせとして、急行「天の川」「能登」(旧急行「北陸1号」)が走っており、あまり珍しい感じはありませんでしたが、「鳥海」の最大の特徴は、スニ2両(パレット積載型荷物車)+一般荷物車と、計3両の荷物車が連結されていたことでした。ちなみに、スニ2両は、新潟地区への新聞輸送に使われていたものです。昭和57年11月のダイヤ改正(上越新幹線大宮暫定開業)で廃止になってしまった急行「鳥海」ですが、他に生き残った夜行列車たちとは違い、最期まで20系化や12系・14系化されることなく、旧型客車のまま伝統ある夜行急行のスタイルを守りとおした列車でした。5147 ワサフ8000[KATO]《04月予約》[鉄道模型]カトー (Nゲージ) 5147 ワサフ8000【中古】Nゲージ/KATO 10-899 セットバラ 5139-2 (1両のみ) スニ41-5 (郵便・荷物列車「東海道・山陽」A 2022年ロット) 【A’】 付属品無し/ビニール袋で個装しエアキャップに包んでの発送【中古】Nゲージ/KATO(カトー) 貨車 セットバラ10-899(1両のみ) スニ41-5(郵便・荷物列車「東海道・山陽」 Aセット)【A】【2022年8月】 KATO|カトー 【Nゲージ】5300 オハフ45 ブルー【発売日以降のお届け】[鉄道模型]カトー (Nゲージ) 5228 オハ46 ブルー
2022.08.15
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キハ58系:急行「奥久慈」「ときわ」「奥久慈」は、上野駅から常磐線・水郡線を経由して常陸大子・郡山方面へ直通した急行列車です。常磐線内は急行「ときわ」と併結になっていたため、急行「ときわ」としても「奥久慈」と手を組むために気動車急行としてながらく存置されました。「奥久慈」は上野に乗り入れる水郡線からの唯一の列車であり、通年2往復体制をとっていましたが、多客期には臨時列車も増発されています。水郡線内では何れも途中駅まで急行運転であり、その先は普通列車となっていました。急行「奥久慈」の運転関係については、マル鉄コレクション館『時刻表ネタ 昭和55年 水郡線を走った急行「ときわ7号」』でご紹介しておりますので、ご参考を。昭和55年頃 上野駅にて 常磐線快速ホーム11番線に停車中のDC急行「ときわ」「奥久慈」時代によって変遷があるようですが、上野駅の11・12番線は京浜・山手ホーム同様に嵩がありますので、ステップ付きの車両は入口の1歩目が落ち込むため危険なんですよね。私がバイト時代に臨時の「ときわ」「奥久慈」が11番線発だったので、この写真も臨時かもしれません。旅客誘導中に何人かステップに足を引っ掛けて転びそうになった人がいたのを今でも覚えています。昭和55年頃 上野駅にて 上野駅を発車したDC急行「ときわ」「奥久慈」上の写真の列車が発車したシーンと思われます。この時代でも上野発のDC急行は非冷房車が多かったのですが、関東のみを運用する水戸区には冷房車が中心に配置されていたようですね。同じ時代の「おが」や「いいで」「ざおう」と随分格差のある編成です。昭和56年5月頃 新松戸駅にて 「ときわ」「奥久慈」常磐快速線はこの区間でも95~100km/h運転していましたので、DC急行も結構カッ飛んでいました。スピードを確保するため、加速に有利なキハ58の編成率が高かったのも常磐線の特徴です。昭和56年8月30日 新松戸~北小金間にて 下り「ときわ」「奥久慈」これは新松戸駅近くの築堤をよじ登って撮影したものです。未だ循環タンクの付いていないトイレの列車が走っていたので、実はこのアングル、ある意味命がけです。今ではこんなところをよじ登ることすら出来ないんでしょうね。昭和57年10月12日 常磐線 荒川沖~土浦間にてこの区間は交流区間ですが、DCには関係ありません。この翌年の昭和58年には、急行「奥久慈」は常磐線内のみとなり、水戸からは普通列車という直通しているだけの役割となり、年を追うごとに衰退し、昭和60年3月改正でとうとう廃止となっています。私は個人的に常磐線には縁がなかったので、当急行列車には乗ったことはありませんが、その昔は編成中にキハ55も組み込まれており、注目していた列車でした。しかし、現実にはバイト中に臨時の「奥久慈」にキハ55が3両連結されているのを見たことがあるだけで、晩年の定期急行はキハ58系に統一されていたようでした。結果的に混成列車を撮ることができなかったのが非常に残念でした。ところで・・・このたび、TOMIXからキハ58系「奥久慈」「ときわ」セットが発売予告されました。もうかなり昔からHG仕様として発売されてきた同社のキハ58系ですが、ここに来てコアな車両セットとして発売されることになります。特に、「ときわ」「奥久慈」は常磐線を走る急行列車であるため、常磐無線アンテナを搭載しているのが最大の特徴で、このアンテナを設置するためにクーラーの一部を移設している点で既製品にはない設定となっています。常磐線を再現するモデラーであれば、これは待ちに待ったグレードであると思われます。しかし・・・10両編成ではかなりの高額となりますね。送料無料◆98494 TOMIX トミックス 国鉄 キハ58系 急行ディーゼルカー (奥久慈) セット(5両) Nゲージ 鉄道模型 【2月予約】98494 国鉄 キハ58系急行ディーゼルカー(奥久慈)セット(5両)[TOMIX]【送料無料】《02月予約》送料無料◆98493 TOMIX トミックス 国鉄 キハ58系 急行ディーゼルカー (ときわ) セット(5両) Nゲージ 鉄道模型 【2月予約】98493 国鉄 キハ58系急行ディーゼルカー(ときわ)セット(5両)[TOMIX]【送料無料】《02月予約》送料無料◆セット販売 98493/98494 TOMIX トミックス 国鉄 キハ58系 急行ディーゼルカー (ときわ) セット(5両)+(奥久慈) セット(5両) Nゲージ 鉄道模型 【2月予約】
2022.08.12
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165系:急行「なすの」「なすの」は、上野~宇都宮・黒磯を結ぶ急行列車です。準急時代は157系が使用されましたが、その後急行に格上げ、165系電車が使用されるようになり、本数も増えていきます。急行「なすの」は、その名のとおり上野→黒磯間がメインな訳ですが、宇都宮行きや、黒磯行きでも宇都宮~黒磯間が普通列車になるものもありました。さらに、455系を使用した「なすの」が上りの1本のみ設定されており、白河発の急行と黒磯発の普通列車が別々に本線を走り、宇都宮で併結されて上野を目指すという大変珍しい形態の運用でした。また、変わったところでは、昭和53年10月の改正くらいまでだったと思いますが、115系を使用した「なすの」「日光」もありました。宇都宮にEF57の写真を撮りに行ったとき、偶然に乗り合わせたことがあり、ガッカリした記憶があります。昭和52年頃 宇都宮駅にて M7513 急行「なすの3号」集約臨の155系と並ぶ急行「なすの3号」。背景には建設中の東北新幹線高架橋脚が写っています。昭和58年10月5日 黒磯駅にて165系を使用した「なすの」で、黒磯駅では2番線又は3番線で折り返しとなります。165系の場合、基本はグリーン車を1両含む7両編成で、運用によって途中宇都宮で増結したり、急行「日光」(7両編成)や「わたらせ」(3両編成)を併結した、10連か14連の編成で運転されていました。私が写真を撮り始めてからはヘッドマークは既に無く、「日光」とも「あかぎ」とも「ゆけむり」とも「草津」とも全く区別の付かない急行列車で、趣味的には非常に面白くありませんでしたので、写真も僅かしか撮っていません。昭和60年3月のダイヤ改正において、急行「なすの」は新特急へと移行され、発展的解消を遂げています。
2022.08.08
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EF62牽引12系・14系:臨時急行「軽井沢」「軽井沢」は、上野~中軽井沢(軽井沢)間を結ぶ急行列車。軽井沢方面へは特急「あさま」が多数運転されており、急行列車でも「信州」や「妙高」があるため、短距離となる軽井沢方面から定期列車は存在しませんでした。しかし、高級リゾートとして有名になった軽井沢には季節的な多客期があるため、これを捌くために特急「そよかぜ」や急行「軽井沢」が設定されていました。シーズンを外れると需要が減るため、いずれも季節列車として設定されており、さらに多客のシーズンには臨時列車で対応していました。ちなみに、季節列車としての急行「軽井沢」は、碓氷峠を通過することが前提の列車であるにもかかわらず、新前橋区の165系7連が充当されており、上野~高崎間は急行「ゆけむり」と併結になっています。昭和52年頃 上野駅にて EF6229牽引 9613レ 急行「軽井沢53号」2枚とも同じときに撮った写真と思われます。上野駅5番線に停車中のEF6229牽引、14系客車を連ねた臨時列車です。ホームにいる乗客はかなり軽装ですので夏休みっぽいですね。しかも、陽がかなり高いようですので、お昼くらいでしょうか?当時の時刻表を見ると、上野駅13:53発、9613レ急行「軽井沢53号」というのがあります。発車番線も5番線で、時期的にも時間的にもちょうど一致している感じですね。昭和53年8月 上野駅にて EF622 9616レ 上り急行「軽井沢53号」夜間の上野駅にブルトレを撮影に行ったときのものです。EF622牽引で到着した14系使用の臨時列車です。列車名は全く覚えていませんでしたが、当時の時刻表を見てみますと、上野着20:12に上り急行「軽井沢53号」がありました。時刻表と同じ5番線着となっており、6番線に停車中の115系が20:15発新前橋行き897Mと全て状況が一致します。テールランプを点けて推進回送の準備が整っています。現在ではまず見ることの出来ない光景ですが、この時代では何ら珍しくも無い、当たり前の上野駅の光景でした。昭和55年頃 上野駅にて昭和55年頃、やはりEF6237が牽引する14系客車の臨時列車です。上野駅17番線で、隣の18番線は既に新幹線工事のため塞がれています。この写真は非常に推測がしづらいのですが、まだ午前中っぽい感じがします。季節感もちょっと掴めません。昭和56年2月号の時刻表を見ると、上の写真と同じ9613レ急行「軽井沢53号」というのがあります。ただし、上野駅10:56発と大幅に時間が繰り上がっています。ただ、時刻表によると17番線発と言うのがピタリと一致していますので、もうこれは間違いないと言って良いでしょう。いずれも14系は全車指定で、客車であるためか中軽井沢までは行かず、軽井沢止まりとなっています。昭和60年11月4日 岡部~深谷間にて EF628牽引 急行「軽井沢52号」急行「越前」が廃止となり、これを受け継いだ信越本線経由の「能登」が唯一のEF62牽引定期列車でした。昼間の定期列車としてはEF62というのは全く無くなっていましたので、撮影可能帯を走るEF62の牽引列車は大変希少でした。「軽井沢」の臨時列車はシーズンになると多数の設定がありましたが、殆どは新前橋区の165系・169系が使用されており、客車列車の設定は少数でした。14系客車が12系に変化していますが、各地の夜行急行に14系が多数使用されるようになり、臨時列車にまで14系が回らなくなってしまったかもしれません。
2022.07.31
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キハ58系:急行「いいで」・「ざおう」「いいで」は、上野~新潟を東北本線・磐越西線経由で結ぶ気動車急行列車です。私の母親の実家が福島県で、最寄(といってもかなり遠い)駅が東北本線の須賀川駅。小学生の頃(昭和40年代)は急行列車を多用していたので、架線下を行くDC急行「いいで」・「ざおう」に1回か2回乗ったことがあります。当時の東北本線急行事情と言えば、「まつしま」「あづま」「いわて」といった本線系急行に、「ばんだい」「ざおう」といった枝線系を併結した455系列の急行が一般的で、臨時を除けば電車化・オール冷房化が当たり前でした。しかし、昼行定期急行の中でも2往復、秋田行急行「おが1号」と「いいで」・「ざおう」がDC急行のまま残っていました。キハ58系はグリーン車を除いて非冷房が基本でしたので、同じ急行料金を払う上では、夏場の格差は否めませんでした。昭和52年頃 東北本線 撮影場所不詳 キハ58800番台 急行「いいで」多分、宇都宮にEF57を撮りに行ったとき、途中駅での急行退避の際に追い越してくるディーゼル急行を115系普通列車の窓からカメラを出して撮影したものと思います。昭和52年頃 古河~栗橋間にて キハ28800番代 急行列車こちらの列車は、コマの前後から判断して下り「いいで」「ざおう」のようです。2両目に800番台が連結されていますが、こちらはキハ28のようですね。当時使っていた中古キャノンFTbはシャッター幕の走行ムラを良く起し、出来上がった写真を見て泣かされたことが何度もありました。昭和56年8月頃 赤羽駅にて 赤羽駅に進入する下り「いいで」・「ざおう」。もちろん高架化工事などの発想は微塵も無い頃です。バックに見える土手は京浜東北線。右側にチラッと見えているのは貨物線です。昭和57年1月4日 東北本線 白坂駅にて白坂駅の客扱い線で「やまびこ3号」を退避する下り「いいで」・「ざおう」。急行のため退避停車はしますが、通過扱いでドアは開きません。編成が長過ぎて、最後部がはみ出してしまっているのもご愛嬌ですね。写真は、今まさに「やまびこ3号」が追い越しに掛かった瞬間を捉えたものです。昭和57年1月4日 東北本線 区間不明この写真は、豊原~白坂間における撮影から、磐西・只見線経由で水上へ移動する際の行程で出会った上りの「いいで」・「ざおう」。偶然にも1日で上下の同列車を捉えました。旧客による普通列車の窓からの撮影で、風景からしておそらく白河~矢吹の間くらいだと思います。昭和52年春頃? 上野駅にて 「はつかり2号」と「いいで」「ざおう」の並びこの写真につきましては、その経緯を「昭和52年頃の上野駅 485系「はつかり2号」と急行「いいで・ざおう」の一瞬の並び」にてご紹介しています。興味がありましたらご覧ください。「いいで」は喜多方までと新津~新潟間、「ざおう」は全線にわたって架線の下を走ります。ある意味新幹線開業まで良くディーゼルのまま残っていたと言う印象ですね。ヘッドマークも無く、非冷房でもあるため普通列車とすら区別が付きづらいところですが、12両という長大な編成と、1両(昭和40年代は2両)連結されたグリーン車が急行列車であることを主張していました。時代に遅れても頑張っていたDC急行「いいで」・「ざおう」ですが、昭和57年11月、上越新幹線の開業とともにその使命に幕を閉じました。【中古】Nゲージ/KATO(カトー) 10-1531 キハ58系 (非冷房車) 急行「いいで」7両セット 【A´】 ※スリーブ若干傷み[10-1531] キハ58系(非冷房車) 急行「いいで」 7両セット (4949727674087)KATO Nゲージ キハ58系(非冷房車) 急行『ざおう』 5両セット 鉄道模型 10-1532[10-1532] キハ58系(非冷房車) 急行「ざおう」 5両セット (4949727674094)キハ58系 (非冷房車) 急行「ざおう」 5両セット【KATO・10-1532】「鉄道模型 Nゲージ カトー」
2022.07.28
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ED75牽引 12系客車:急行「八甲田」東北本線の急行「八甲田」については、過去ログ『EF58牽引 旧型客車:急行「八甲田」』『EF57牽引 旧型客車:急行「八甲田」』でご紹介済みですが、昭和53年10月ダイヤ改正よりワサフ8000がスニ41に変更され、さらに昭和55年3月から旧型客車から12系客車に変更されました。今回は、交流区間においてED75が12系客車を牽引しているシーンが1コマだけありますのでご紹介いたします。昭和57年1月4日 白坂~豊原間にて ED75牽引唯一撮っていた交流区間での「八甲田」。晩年ですので、既にED71の出番はなくなっていたと思います。まだ高校生で徒歩移動でしたので、移動中に時間を迎えてしまい、こんなアングルになってしまいました。5147 ワサフ8000[KATO]《04月予約》[鉄道模型]カトー (Nゲージ) 5147 ワサフ8000【中古】Nゲージ/KATO 10-899 セットバラ 5139-2 (1両のみ) スニ41-5 (郵便・荷物列車「東海道・山陽」A 2022年ロット) 【A’】 付属品無し/ビニール袋で個装しエアキャップに包んでの発送【中古】Nゲージ/KATO(カトー) 貨車 セットバラ10-899(1両のみ) スニ41-5(郵便・荷物列車「東海道・山陽」 Aセット)【A】
2022.07.26
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EF58牽引 12系客車:急行「八甲田」「八甲田」は上野~青森を結ぶ急行列車。特急列車が高価な寝台列車であった時代、安価に北海道との連絡を行うために大変重宝された列車でした。上野駅を19時台の早いうちに発車し、仙台以北を夜行で早朝に青森着。上りは青森駅を日付が変わった深夜に発車し、仙台以南は昼行列車のように走って11時台に上野に到着します。昭和50年3月ダイヤ改正までは、仙台~青森間でB寝台を増結しており、古くは全区間にB寝台を連結していた時代もあり、さらに気動車による昼行設定されていたこともありました。過去ログ『EF58牽引 旧型客車:急行「八甲田」』『EF57牽引 旧型客車:急行「八甲田」』でご紹介済みですが、昭和53年10月ダイヤ改正よりワサフ8000がスニ41に変更され、さらに昭和55年3月から旧型客車から12系客車に変更されました。今回は、この中からEF58が12系客車を牽引していた時代のものを集めてみます。昭和55年頃 蕨~西川口間にて EF58116+スニ41尾久送りの回送列車と思っていましたが、改めて調べたところ、165系が2511Mだとすると急行「なすの1号」となり、蕨付近で「八甲田」とすれ違いになる可能性が非常に高いことが判りました。「2」を入れ忘れたか、運転台に見当たらなくてそのままにしてしまったか・・・そんなところかもしれません。昭和56年5月 蕨~西川口間にて EF58152牽引 12系化後の「八甲田」で、荷物車がワサフ8000→スニ40に変わり、オユ10も連結されていません。私の年代ですと12系は「臨時列車」専用車のようなイメージがあるので、荷物車を連結していなかったら「八甲田」とは思えないでしょうね。昭和56年 南浦和~蕨間にて EF58119牽引上の写真と同じ頃でしょうか。そろそろEF58に廃車の危機が迫ってきた頃です。この翌年、57・11改正で119号機、152号機、153号機とも休車となり、そのまま廃車されています。そして、EF58の運用はさらに減り続け、「八甲田」の牽引機もEF65PFにバトンタッチすることになりました。5147 ワサフ8000[KATO]《04月予約》[鉄道模型]カトー (Nゲージ) 5147 ワサフ8000【中古】Nゲージ/KATO 10-899 セットバラ 5139-2 (1両のみ) スニ41-5 (郵便・荷物列車「東海道・山陽」A 2022年ロット) 【A’】 付属品無し/ビニール袋で個装しエアキャップに包んでの発送【中古】Nゲージ/KATO(カトー) 貨車 セットバラ10-899(1両のみ) スニ41-5(郵便・荷物列車「東海道・山陽」 Aセット)【A】
2022.07.12
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475系:急行「つくし」山陽新幹線が博多まで開業する前、関西~九州間には夜行列車を中心にまだまだ急行列車が走っていました。東海道新幹線が開業する前に東京~九州を結んでいた夜行急行列車は、殆どが新大阪~九州間に運転区間を縮小してしまいましたが、山陽新幹線岡山開業後も大阪発着の夜行列車はそのまま存続しました。しかし、昼行急行列車は岡山発着のみが存続し、京都や大阪発着の急行は山陰方面や宇野行の「鷲羽」の一部を残して廃止になってしまいます。そんな中、九州行きの昼行急行列車として残ったのが急行「つくし」でした。東京発着であった急行「筑紫」は、東海道新幹線の開業と同時に大阪~博多間を結ぶ「つくし」となり、客車急行として設定されます。40・3改正時には2往復体制となり、475系電車による運転に改められます。さらに43・10改正時において、1往復が夜行列車化されています。特に、昼行電車急行の1往復については赤穂線経由となったのも特筆されます。昭和49年8月 大阪駅にて 475系 急行「つくし1号」小学生の時、フィルムに限りがあるため、撮りたい列車を考えて大阪へ行きました。その中で、何故かこの急行「つくし」の名前が気にってしまい、実際にカメラに収めることができました。しかし、被写体は遠いわ、手ブレして列車番号すら判別できないわ、散々たる写真で終ってしまいました。特に残念だったのは、既にヘッドマークを装着しなくなっていたことです。ヘッドマークが付いている急行「つくし」が撮りたかったな~、と思い出してしまう1枚です。そんな思い出も、新幹線博多開業により急行「つくし」が廃止されたことにより、遠い彼方へと消えていきました。
2022.06.22
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DD51牽引 20系客車:急行「おが」「おが」は、上野~秋田間を奥羽本線経由で結んでした急行列車。昭和55年10月ダイヤ改正で14系化され、寝台車の連結もなくなります。東北新幹線の暫定開業後も季節列車として存続しますが、20系化された急行「津軽」の自由席車が大幅に減少したことにより苦情が殺到、これと交換する形で昭和58年10月より急行「おが」が20系化されることになりました。さらに、山形新幹線のための奥羽本線改軌工事により同区間が通過できなくなったため、平成3年3月ダイヤ改正からは北上線経由での運転となりました。非電化区間の通過に伴い、DD51が牽引する20系客車列車を見ることができるようになりました。平成3年9月22日 北上線 ゆだ錦秋湖~ほっとゆだ間にて北上線経由として経路を変更された20系「おが」は、こともあろうにDD51牽引の昔の特急「出雲」のようなスタイルで、北上線を走るようになりました。平成4年8月17日 北上線 撮影地不詳20系は大好きな車輌ですが、もう既に終焉を迎えようとしている頃。最後の活躍といった頃でしょうか。ヘッドの帯が消えてしまい、表情が変になってしまった20系。しかし、DD51の牽く20系客車は、かつては東北特急の「はくつる」「ゆうづる」、奥羽本線の「日本海」「あけぼの」、そして山陰の「出雲」や九州各線ブルトレと、由緒ある20系特急が必ず歩んだスタイルだけに、その迫力・美しさは、鉄道ファンの心に永遠に残る最高のシーンであると確信します。この20系最後の「おが」では、テールマークが飾られ、ヘッドマークも掲示、さらにEF5889まで牽引したと知ったのは、廃止されてから20年近く経った後でした。キハ58系:急行「おが」EF58牽引 旧型客車:急行「おが」EF8181牽引24系寝台客車:団体列車「おが」
2022.06.15
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451・453系:急行「つくばね」古く辿るとキリが無いので省略いたしますが、昭和43年10月のダイヤ改正において、電車急行としての「つくばね」が誕生しています。急行「つくばね」は、上野から東北本線を経由し、小山の手前の「間々田駅」から水戸線へ短絡する貨物線を通り水戸線へ乗り入れ、結城・下館・友部を経由して常磐線「勝田駅」まで運転されていました。途中の結城までは急行ですが、水戸線内~勝田までは普通列車となっていました。(電車化当初は、下館まで急行運転をしていたようです。)水戸線は交流電化区間のため、使用車両は451系又は453系です。東北本線の黒磯以遠へ行く急行はすべて451系~457系で運転されているため、特に注目する車両には見えないのですが、当列車は勝田電車区の車両を使用していたため、東北本線の日暮里~岩沼間では唯一見られた編成でした。また、最大の特徴は、当時、大宮を出て最初の急行停車駅である「小山」に到達する前に水戸線へ短絡してしまい、代わりに「間々田」に停車しました。間々田駅の歴史の中でも、急行列車が定期で停車したのは「つくばね」だけでしょう。昭和60年1月5日 栗橋~東鷲宮間にて 上り急行「つくばね」「小山駅」を経由しなかった理由としては2つ考えられます。1つは、小山駅の東北本線と水戸線のホームの間に貨物ヤードがあり、転線に時間が掛かかり過ぎるため、直通列車としての時間的利点を優先した。2つ目は、小山駅を経由するとスイッチバックになるため、勝田電車区又は上野駅時点で列車の向きが変わってしまう。といったところでしょうか。おそらく、後者の理由の方が大きいと思います。「つくばね」は、東北新幹線上野開業を迎えた昭和60年3月に廃止となったため、写真は最末期の頃のものとなります。ヘッドライトのシールドビーム化など魅力も半減していましたが、7両という仙台電車区所属車とは一味違った編成が、勝田電車区の急行「つくばね」であることを主張しています。水戸線結城駅→100kmの急行券・自由席グリーン券です。「つくばね」の名称は一切見当たりませんが、実際問題として水戸線には「つくばね」以外のグリーン車を連結した列車はありませんので、「専用」であったと言えます。※臨時列車でお座敷(グリーン車扱い)使用の列車は運転されたと思いますが、原則指定席だと思われますので、ここでは「専用」という表現をいたします。発行駅は水戸線岩瀬駅であり、水戸線内は普通列車の種別ですので、当然岩瀬駅から乗車することができますが、急行区間は結城駅からとなるため、表示も結城→となります。ここでひとつの疑問が湧くのですが、「つくばね」は普通列車区間においても「普通列車用グリーン車」として営業しており、普通列車の区間においてグリーン車に乗車するとなれば、当然「普通列車用グリーン券」を購入しなければなりません。しかし、例えば「下館」から「大宮」まで通しでグリーン車の乗車する場合、全行程で100kmに満たない場合でも「下館」から「結城」までの「普通列車用グリーン券」を購入しなければならないのでしょうか?優等列車用のグリーン券であれば、普通列車のグリーン席に座っていても問題の無いような気がしますが・・・。読者様からの情報により、このような場合はそのまま普通列車グリーン車に乗車できる特例規定があるそうです。国鉄時代に与野駅で1年半ほど勤務しましたが、意外とこのグリーン券は着札があり、短区間で高額ながら需要があったようです。
2022.06.14
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EF58牽引 旧型客車:急行「おが」「おが」は、上野~秋田間を奥羽本線経由で結んでいた急行列車。このうち夜行急行「おが」は、古くから季節列車として設定されていたため、完全な定期列車ではありません。運転区間も時によって秋田止まりだったり男鹿線男鹿まで乗り入れたりと、イマイチ安定性を欠く列車に感じました。昭和50年頃 蕨~西川口間にて 上り「おが2号」私が小学生時代、ポケットカメラで撮った写真なので、大変不鮮明で申し訳ありません。荷物車・グリーン車を連結しない唯一の編成なので、明らかに「おが」であることが判ります。牽引するEF58も不鮮明なのでナンバーは判りませんが、宇都宮区で原形ヒサシ付きで3ケタあることは判別できるので、102号機・152号機・153号機のいずれかと思われます。昭和55年7月23日 南浦和~蕨間にて EF58114牽引 上り「おが4号」こちらはアップ過ぎてさらにブレているという悲惨な写真です。客車夜行急行の「おが」は季節列車であったため、あまり写真を撮る機会が無かったように思います。夏場は比較的撮りやすい時間であった筈ですが、EF58自体に着目していない時代で、さらに編成もショボイ感じがしていたので、あまりカメラを向ける気が無かったのでしょう。昭和55年8月13日 EF5870牽引 急行「おが3号」未だ高校生の頃です。初めはこの列車が何か判別できなかったのですが、隣の13番線に停車中の列車が秋田行きの急行「鳥海」ですので、時刻表に照らし合わせると、季節急行の「おが3号」であることが判りました。今まさに乗客が列車の乗り込み始めたところで、列をなして車内へと入っていく様子が伝わってきます。さらに14番線には、この急行「おが」の後発となる夜行列車の待ち客の荷物がホームに置かれ、順番待ちをしている様子も判ります。この写真を撮った昭和55年の10月からは14系化されたそうで、その後は写真を撮ることもなかったようです。キハ58系:急行「おが」DD51牽引 20系客車:急行「おが」EF8181牽引24系寝台客車:団体列車「おが」5228 オハ46 ブルー[KATO]《08月予約》[鉄道模型]カトー (Nゲージ) 5228 オハ46 ブルー5300 KATO カトー オハフ45 ブルー Nゲージ 鉄道模型 【8月予約】[鉄道模型]カトー (Nゲージ) 5300 オハフ45 ブルー
2022.06.06
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EF58牽引:急行「津軽」EF57牽引:急行「津軽」に続き、今回はEF58が牽引する急行「津軽」を集めてみました。古い時代から付き合いがあるにもかかわらず、特急列車の本数が少ない時間帯でもあったためか、EF58牽引の写真が見つからず、座席車が12系に切り替わってからのものしか見当たりませんでした。昭和57年5月 浦和~南浦和間にて EF5884牽引 上り急行「津軽2号」ずぅ~と時代が流れて、東北新幹線開業直前です。寝台車は10系が存置されましたが、座席車は12系化されています。荷物車・グリーン車は既に外されていますが、A寝台車はまだ連結されています。昭和57年11月6日 上野駅にて EF5889牽引 上り急行「津軽2号」上越新幹線開業直前、上野駅へ時代の変遷の様子を収めに行きました。標準塗装時代のEF5889の牽引で上野駅に到着した上り「津軽2号」。たった半年後なのに、A寝台車もとうとう運用から外れてしまいました。新幹線の開業により、東北方面の夜行列車は完全に冬の時代と化してきました。昭和57年 上野駅にて EF58122牽引 上り急行「津軽4号」上の写真と同日か、記録が曖昧です。やはりA寝台がなくなり、わずかにマニ36とB寝台が1両だけ残った寂しい姿です。新幹線が開業すれば、客車急行列車も殆どが消滅し、EF58の運用も縮小することが目に見えていました。しかし、上の89号機やこの122号機は誰もが予想しないほど長く生き残ったわけですね。昭和60年1月5日 栗橋~東鷲宮間にて EF58154牽引「津軽」昭和58年7月のダイヤ改正で1往復が廃止、同時に20系化された「津軽」。ナロネ21を改造した自由席車ナハ21を3両連結してグレードアップを図りましたが、自由席車が少ないことから苦情が殺到、間もなくオール14系座席車に変わります。しかし、今度は寝台車が連結されていないことへの不満が出てきたため、14系寝台車を併結することとなりました。写真は、そんな過渡期を越えた14系寝台車+座席車の時代で、結局は、この姿が最後の客車急行「津軽」となり、後に電車化→臨時列車化→廃止という運命を辿ることになりました。せっかく良い時間帯を走っていた列車なのに、本当に撮った数が少ないです。これは「津軽」以外にも、「はくつる」や「あけぼの6号」にも共通して言えます。14系ハザ時代や、20系時代、そして電車時代。全く撮っていません。
2022.06.02
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EF57牽引:急行「津軽」「津軽」は、上野~青森を奥羽線経由で結んでいた急行列車です。その昔、普通列車で上京し、仕事をしてお金を稼ぎ、この急行列車で帰って来るということから「出世列車」とも呼ばれていたのは有名です。私としても写真だけですがこの列車との付き合いは古く、写真を撮り始めて間もない頃からの記録が残っています。昭和48年 蕨~西川口間にて 上り急行「津軽1号」番号は判りませんが、EF57のスノープラウ台座を装備していない形態です。多分ですが、次位がオユ10で、オハフ、オハ、スハネ、スロ、オロネ、スハネと続いているようです。1~3号車は秋田回転車となっており、資料を見るとこの時代は3両ともハザの筈ですが、写真では3号車が寝台車になっているのが判ります。昭和51年 蕨~西川口間にて 上り急行「津軽2号」こちらもEF57が牽引する上りの2号です。2号は秋田回転車が連結されていませんので、マニ36の次はいきなりグリーン車(4号車)となる編成が特徴でした。昭和51年頃 蕨~西川口間にて 上り急行「津軽2号」こちらも同じシチュエーションです。とにかくEF57だったら何でも良かった頃。妻板から足回りまで雪まみれになっていますので、おそらく1月から2月頃に撮った写真でしょう。もしかしたら、昭和52年かもしれません。完全な順光となっていますので、いくらか遅延して上って来たのかもしれませんね。当時の写真としては比較的綺麗に写っていますので、編成の様子が判ります。ここまでの時代はEF58とEF57は共通運用となっており、どちらが牽いて来るかは運次第でした。しかし、この写真を撮った頃がEF57活躍の末期となっており、この年以降の記録は残っていません。
2022.05.23
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キハ58系:急行「おが」「おが」は、上野~秋田間を奥羽本線経由で結んでいた急行列車です。東北の昼行急行は、奥羽本線の全線電化開業後も気動車急行として存置され、他の急行「いいで」「ざおう」や「出羽」とも複雑な共通運用を組んでいました。昭和52年1月 大宮駅にて 急行「おが1号」こちらはキハ28800番台を先頭にした秋田行き急行「おが1号」です。まだ国鉄の塗装合理化が始まる前でしたので、修学旅行指定の解除後、一般運用に共通使用されていた頃もしばらくは修学旅行色のままでした。昭和52年というと、運用から外れたEF57を追って宇都宮運転所へ何度か出掛けたことがありましたので、電車待ちで偶然撮ったものと思いますが、運が良いと先頭に修学旅行色を見ることが出来ました。新幹線などまったく想像も付かなかった時代で、広々とした空を見ることができました。昭和55年7月23日 蕨~南浦和間にて 秋田行「おが1号」ブレちゃってます・・・。既に塗装合理化後であり、グリーン車の帯は消え、修学旅行色も消滅しています。こちらは冷房準備車となった後期のキハ58と思われますが、東北急行はグリーン車を除き、晩年まで非冷房車で大勢あったことも特筆されます。昭和57年1月4日 豊原~白坂間にて 秋田行「おが1号」東北・上越新幹線開業に伴う57・11改正を迎える晩年の頃の写真です。東北の気動車も多少の冷房化が進んできたのか、先頭車のキハ58冷房車となっています。中間にも2両並んで冷房車が連結されていますが、1両はグリーン車でしょうね。下りの「おが1号」は上野発が7時過ぎでしたので、撮影の時間帯は良かったのですが、夜行群の到着が終わった後の上り通勤時間帯となっていたため、撮影する機会が非常に少なかったですね。ヘッドマークが付いていれば、格段に撮影回数も上がっていたと思います。昭和51年11月に奥羽本線全線が電化したにも拘わらず、昭和57年11月のダイヤ改正前日までディーゼルのまま走っていた、架線の下の気動車急行の代表格であった列車と言えると思います。【中古】Nゲージ/KATO 10-1531 キハ58系(非冷房車) 急行「いいで」 7両セット【A’】※スリーブ若干傷み【中古】Nゲージ/KATO 10-1531 キハ58系(非冷房車) 急行「いいで」 7両セット【A’】※スリーブ若干傷み
2022.05.22
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165系:急行「よねやま」(サハ164)上越線急行としての「よねやま」は、昭和47年10月の改正で誕生しています。運転区間は、上野~上越線経由で直江津までと、それまでの特急「はくたか」とともに、昼行列車としては長岡~直江津へ乗り換え無しで直行する数少ない優等列車でした。編成は、新潟運転所(後の上沼垂運転所)所属の165系13連を使用し、急行「佐渡」と共通運用となっていました。ビュッフェの営業廃止及びサハシの運用離脱により12両編成となり、さらにサハの連結廃止、サロの1両減車により、末期は10両編成とりました。クリックすると元のサイズで表示します昭和56年頃 蕨駅にて 3602M 上り「よねやま」上越新幹線の大宮暫定開業を控えた前の年で、特急「白山」とのすれ違いシーンです。すれ違い写真なので残念ながら後部編成は写っていませんが、末期の10両編成と思われます。終始ヘッドマークが掲示されませんでしたが、列車番号の札が整備されていたため、列車番号から判別ができました。クリックすると元のサイズで表示します昭和52年頃 蕨~西川口間にて サハ164-2サボが急行「よねやま」になっていますが、写真から判断すると朝の上り列車のようなので、東大宮から上野への回送列車のようです。サハシではなくサハ164が連結されていました。サハ164は、昭和41年に中央東線急行「アルプス」等の増発に対応するため、ビュフェ車サハシ165に代わる車両として2両のみが誕生した車両。形態的には中間付随車のサハ165に似ていますが、車端に売店を設置し、さらに荷捌き用の扉を設置しているため、165系群の中では唯一の3ドア車となっているのが特徴でした。中央東線の急行列車で活躍しましたが、最後までビュフェを営業していた中央東線では列車の統一性を欠くことなどから新潟区のサハシ165と交換のため転出、「佐渡」「よねやま」などに使用され、さらにサハシ165の運用離脱とともに活躍の場を失うと大垣区へ転属となり、東海道本線の「東海」や間合いの普通列車としても利用されました。上越新幹線の暫定開業時点においては、乗り換えの利便性確保から辛うじて存続した急行「よねやま」でしたが、昭和60年3月の新幹線上野開業により乗り換えの不便が解消されたと判断、これをもって廃止となっています。【中古】鉄道模型 1/150 165系急行 佐渡 7両増結セット [10-1489]
2022.05.20
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169系:急行「信州」「信州」は、上野~長野間を結ぶ急行列車。碓氷峠を通過するため、169系による協調運転が行われていました。列車によっては長野~軽井沢間で普通列車による運転が行われていたり、上野~湯田中間(長野電鉄乗り入れ)の急行「志賀」を併結していたものもあります。昭和57年1月頃 南浦和~蕨間にて 「信州6号」?このような急行列車、編成である程度の区別は出来ますが、ヘッドマークがないため特定が困難なものが多々あります。今はスキャニングで拡大が出来ますので、列車番号からその種別を推測・判断することも出来るようになりましたが、この写真のように、まじめに列車番号を示していないものもあります。今回は推測になりますが、おおよその撮影時期は判明しており、この場所の光線状態からして14時前後くらいと見ました。ここに時刻表を当ててみると、確かに14時過ぎ、上り「信州6号」が通過いたします。編成もご覧のとおり、サロ2両を含む169系編成ですので、ほぼ間違いないかと思います。昭和52年頃 大宮駅にて サハシ169-7写真の列車は、大宮駅の急行の発着は殆どなかった思われる折り返しホームの7番線に入っている状況が???なところですが、写真を撮った時間と行き先サボに青帯が表示されているところから推測すると、長野~軽井沢間が普通列車となっていた上り「信州2号」であると思われます。ビュッフェに関する記述は、過去ログ『169系:サハシ169』をご覧下さい。新幹線の開業により急行列車の廃止が危惧されましたので、このように撮影記録が残っていますが、それ以前は165系急行なんてゴロゴロ走っていましたので、まず撮る機会はなかったんです。故に、撮った写真の枚数が非常に少ないです。
2022.04.22
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EF57牽引 旧型客車:急行「八甲田」「八甲田」は上野~青森を結ぶ急行列車。前記事のEF58牽引急行「八甲田」に続き、今回はEF57が牽引の急行「八甲田」をご紹介いたします。小学生時代の写真なので愚作であることはご勘弁。昭和51年 EF57(機番不明))牽引昭和51年 EF571牽引いずれも上り列車。編成は旧型客車時代末期ですが、昭和51年ではオユ10が冷房化されていないようです。前記事のEF58ではこの頃でも冷房化されたものがあったようですので、ちょうど急ピッチで改造が行われていたのかもしれません。同級生の影響でEF57を追った時代ですが、折しも老朽廃車で急激に数を減らし始めた頃でもあり、多客期のために休車にして延命するなど、捉えるのが大変難しくなっていました。さらに、買ってもらったばかりのカメラを盗まれてしまったことで、親戚から貰っていたリコーオートハーフを多用していたため、ブレブレや指カブリと、遺恨が残る写真ばかりになってしまったのが非常に悔しいです。EF58牽引 旧型客車:急行「八甲田」EF65牽引 12系客車:急行「八甲田」ED75牽引 12系客車:急行「八甲田」5147 ワサフ8000[KATO]《04月予約》[鉄道模型]カトー (Nゲージ) 5147 ワサフ8000
2022.04.07
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EF58牽引 旧型客車:急行「八甲田」「八甲田」は上野~青森を結ぶ急行列車。特急列車が高価な寝台列車であった時代、安価に北海道との連絡を行うために大変重宝された列車でした。上野駅を19時台の早いうちに発車し、仙台以北を夜行で早朝に青森着。上りは青森駅を日付が変わった深夜に発車し、仙台以南は昼行列車のように走って11時台に上野に到着します。昭和50年3月ダイヤ改正までは、仙台~青森間でB寝台を増結しており、古くは全区間にB寝台を連結していた時代もあり、さらに気動車による昼行設定されていたこともありました。私が接していたのは旧型客車でグリーン車を1両連結していた時代からで、特に上り列車は遅い時間だけあって、写真に撮る機会もそこそこありました。今回はこの中からEF58が旧型客車を牽引していた時代のものを集めてみます。昭和51年頃 EF58152牽引昭和52年頃 EF58153牽引昭和53年頃 EF5858牽引いずれも上り列車で、11時近い時間なので撮影はしやすい列車でした。グリーン車以外は普通車のみ。上野方に郵便車のオユ10、ワサフ80000を連結しています。写真ではオユ10は既に冷房改造完了後のようです。ワサフ8000は客荷両用として誕生した貨車ですが、ほぼ荷物車用として使用されており、主に荷物列車に連結されました。中でも、西日本の急行「音戸」と東日本の急行「八甲田」には定期で連結された花形運用でした。ちなみに、昭和53年の時刻表によると、オユ10は下りが上野~郡山間、上りが全区間、ワサフ8000が往復とも全区間とやや変則的な運用だったようで、下りの青森口のみワサフ8000を最後尾に走る姿を見られたようです。EF65牽引 12系客車:急行「八甲田」EF57牽引 旧型客車:急行「八甲田」ED75牽引 12系客車:急行「八甲田」5147 ワサフ8000[KATO]《04月予約》[鉄道模型]カトー (Nゲージ) 5147 ワサフ8000
2022.04.06
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EF6118牽引:急行「阿蘇」名古屋~熊本を結んでいた急行「阿蘇」。新幹線博多開業(昭和50年3月)以前は、寝台車・自由席車を旧型客車で編成した列車でした。昭和49年8月 大阪駅にて EF6118牽引 上り急行「阿蘇」私が初めて大阪に行ったとき、山陽方面の客車列車は、特急列車も含めてEF58又はEF65500番台が牽引しており、EF61を見たのはこの「阿蘇」だけでした。実は、この「阿蘇」を牽引していたEF61は私が見た初めてのEF61形であり、同車に興味を持つきっかけとなった列車でした。新幹線博多開業後は運転区間が新大阪~熊本に短縮され、客車も14系化されてしまいます。この時点において、10系寝台車を含む旧型客車やEF61の牽引もなくなってしまいました。さらに、日豊本線の「くにさき」と併結によりさらに地味な存在となり、旅客需要の低迷から廃止となりました。昭和54年3月、九州旅行からの帰り道に乗車した14系「阿蘇」も遠い思い出となってしまいました。[鉄道模型]カトー (Nゲージ) 3093-1 EF61[鉄道模型]カトー (Nゲージ) 3093-3 EF61(茶)
2022.04.04
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