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世界遺産委員会は7月17日ル・コルビュジエ設計、国立西洋美術館本館(東京都台東区)を含む7カ国17資産で構成される「ル・コルビュジエの建築作品」の世界文化遺産登録を決めました。この国立西洋美術館はル・コルビュジエの設計ですが実施設計・管理は、パリで師事した坂倉準三を中心に行われました。ル・コルビュジエは一度しか来日せず設計図には寸法が記載されておらず坂倉準三、前川國男、吉阪隆正、の三人が苦心の末、実施しました。設計の寸法に使うための数列。ヨーロッパ人男性の理想的身長を183センチ、片手を伸ばした時は226センチなど定め、その数字を元に、もっとも美しく見える比として知られる黄金比1対1.618を使って数列を導き出したと言われています。伊賀市庁舎 坂倉準三設計伊賀上野公園内、レストハウス 坂倉準三設計これで坂倉準三設計の伊賀市庁舎、保存活用に影響を及ぼすかもしれません。
2016年07月29日
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県指定文化財、入交家 先日高知からのツアーの人達を案内したとき藤堂藩と長宗我部家との関わりを調べて多くの ことが分かりました。 まず最初は1585年の秀吉の四国平定の総大将豊臣秀次の使いとして降伏勧告を高知城 に入って行っています。 その関係からか関ヶ原の戦いでは直接、戦ってはいませんが改易後、長宗我部家臣を召し 抱えました。 1615年の大阪の陣では、直接戦い、旧長宗我部家臣同士が、幼なじみが壮絶に戦い 藤堂藩も藩主のいとこで侍大将二人を失うなど多大の損失を受けました。 その関ヶ原の戦い後、藤堂藩に召し抱えられ入交家からは兄弟四人がた召し抱えられそのうちの 一人の子孫がこの地に屋敷を構えました。 この屋敷は寛政年間(1789〜1800)の頃、屋敷変えによって 入交勘平(いりまじり かんぺい)が拝領したもの。 高知に残った一方の入交家は、郷士として上士の山内家臣に虐げられ半農、半商を余儀なく なりました。。 しかし入交家は石灰に目を向け新興商人として台頭し後、豪商になり大いに繁栄しました。 明治以後も発展し続け現在は30以上の株式会社を傘下に持つ入交グループに成っています。 ソニーの副社長からセガの社長になられた入交昭一郎氏もその中の一人のようです。
2016年07月10日
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ファミリーヒストリー「赤井英和~戦国武将・ 赤井悪右衛門の謎 大阪・西成の心~」. 赤井さんの、先祖は赤井悪右衛門という戦国武将と聞いている。果た して本当なのかという番組を観ました。 驚きました、伊賀市では有名な国の有形文化財に指定さている「赤井 家住宅」に関わる人がご先祖だったのです。 これが伊賀市上野忍町にある「赤井家住宅」です。 赤井英和さんのご先祖はこの住宅の初代、赤井直義の叔父、赤井幸家 (よしいえ)で丹波黒井城の城主、赤井悪右衛門直正(直義の父) が明智光秀に何度も攻め込まれていた時、病死し翌年(1579年)落城 の際、九歳の直義を守って落ち延びさした人でした。 その落ち延びた赤井直義がその後、藤堂藩に千石で召し抱えらました。 寛永永年間(1624~1644)に赤井悪右衛門(父の通称を名乗ったの でしょう)が丸之内の西の鉄砲場に屋敷があり明治初期の絵図には 現在地に赤井餘三郎の名があります。 赤井英和さんのご先祖がいたからこそこの侍屋敷が国指定文化財に なるまでになったのです。 主屋、長屋門、土蔵、土塀、茶室が文化財に指定さています。 赤井幸家は、その後、丹波に戻りその地で没したようです。 正面、長屋門
2016年07月01日
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