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先日のシングルママを失礼ながら底辺と呼んでしまったが、底辺とは毎日の食事にも事欠いている人達が属する社会と考えています。そのような人達は確かにいる。しかしテレビや新聞で読むだけで、私達の身近にはいないので、あまりピンとこない。しかし私は一人だけそんな人を知っている。いや知っていた。(いや、知っていたような気がしてました)もう時効だと思うが、独身の頃、そんな底辺の人がいた。行きつけの飲み屋でバイトしていた娘。付き合ったワケでもなく、何度か会ってお茶や食事をしただけ。彼女はお店がつぶれたあと、介護の仕事をしていたが体を壊し、生活に困り、知り合いに金を借り周り、私の所まで来た。最初は食事代、電気代、そして入院費、手術代...。市の福祉課、生活保護などあれこれアドバイスしたが、様々な事情で受けられないという。私に下心がなかったとは言えないが、結局はほとんど会うこともなく、金だけを送り続け、いくつかの定期預金が消えた。彼女には愛というより哀れみを感じていた。しかしこちらの余裕も無くなった頃には連絡も来なくなり、行方も不明。10数年後、昔の飲み友達から彼女の噂を聞いた。彼も金を頼られた口だが、彼女は病を押して風俗で働いていたが、地方に1ヶ月出稼ぎに行くと言ったきり消息は途絶えたそうだ。売られたんじゃないの、という言葉は私の脳裏にずっと残り、何とか出来なかったのかと、思い出すたび苦い想いをしてきました。そんな話を親しい先輩に感傷的に話すと「お前はアホか」と一括されました。「そんなありきたりの口車に載せられて、なんという世間知らずか」何の裏付けもなく女の言葉をそのまま信じ込んでいた私は、確かにそうだったのかもしれません。結局周りの男から金を絞り出せなくなったので、私らは見切りをつけられたんだと。「ほんとに情けない男だ」と先輩は嘆きました。「昨日から食べるものがない」「痛い、苦しい」「今病院の待合、入金しないと手術が受けられない」などという電話が立て続けに入ってきたが、今から思うと「オレオレ詐欺」に似てなくもない。そうかもしれませんね。実際、そうだとわかってもなお、「あの哀れな話は嘘だったんだ、よかった!」と喜んでいる私は底抜けのアホなんでしょうね。
2014/09/30
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Facebookで薦めてもらった「2ちゃんねる」のまとめ記事、「キャバクラ嬢だけど、ママ友と格差有りすぎて辛い」をじっくり読んでみたら、ちょっと感動。3歳の子を抱えたキャバ嬢が再出発に至るストーリーでした。これが事実かつくり話かはわからないが、大手新聞社、テレビ局、いや政府でさえまことしやかな嘘をつくこの時代。これを一つの記事として読み、周りからの意見を参考に自分なりに判断すればよい。話があまりにうまく展開するのが気になるが、私としては、多少の誇張や思い違いがあるかもしれないが、幸運な事例として素直に受け止めたいですね。「2ちゃんねる」は目が穢れるのでほとんど見てませんが、悪臭を放つ発言に我慢すれば確かに参考になる情報がころがってます。このまとめサイトでは「2ちゃんねる」の記事(スレッド)の雑多な書き込みを整理、割愛して読みやすくしてくれてます。それでも本人のコメントに様々な発言がからむので、読み進むのは大変でしたが、なかなか読み応えありました。なんだか2時間ドラマを見終わったような気分。「電車男」みたいに、周りからの応援や中傷を受けながら話が進む。(「2ちゃんねる」の原本ではかなり荒れてましたが...)他の複数のサイトにもこの記事は取り上げられてますが、どのブログも本人コメントは青色。周りからの発言は黒色にしてわかりやすくしてくれてます。主ストーリーは、400コメント程で完結。BIPブログではその後に、記事そのものに関する各種発言を※印番号で羅列してくれてますが、雑多なコメントが500を超えるので目を通すだけでも大変。でも様々な見方があり、これ自体けっこう参考になりました。底辺の人間は情報が少ないためにますます貧しくなり、上流の人間は沢山の情報によりますます豊かになって行くこの格差社会の中、わずかなきっかけから一生懸命に考え、過去に決別して生きようとするヤンママの姿も印象的です。とりあえず、お暇な方はじっくり お読みください。忙しい方はストーリーを読んで底辺の人達に想いを馳せてみてください。--------------------------------------------------------BIPブログ 2ちゃんねるまとめキャバクラ嬢だけど、ママ友と格差有りすぎて辛いwwwww--------------------------------------------------------・388.までで主ストーリーは完結(最後のコメント464.は下記に追記)・以降は、感想や誹謗、真偽に関する議論が延々500以上。--------------------------------------------------------ストーリー:3才の子を持つシングルマザー。夫は借金残してトンズラ。昼はカフェ、夜はキャバクラで働く。保育園で子供同士の喧嘩をきっかけにセレブのママ友と知り合う。恥を忍んで状況を打ち明けると、ママ友が弁護士を立てて借金や不当なキャバクラと交渉、そして正社員の仕事を世話してくれ、まともに生きる道が開かれる。===================================**追伸:別なまとめサイトをみてたら、彼女の最後のコメントが あったので追記しておきます。462: ◆pg8ez4HvoA 2014/08/11(月)12:38:12 ID:x1BWKRSnuもう書かないって言ったけど応援してくれた人どうもありがとう。ママ友に素直に相談する気になれたのも、ここの人のおかげ。本当はずっと相談したかったんだ。でも借金があるとか、こんな私でも本当はまともな仕事したいとか努力して人の役に立つ仕事してるママ友に言うのは恥ずかしかった。でもママ友は私の話聞いてくれて、私じゃどうしようもないことを解決する方法を教えてくれて、私キャバ辞められて正社員にまで…さっき報告したら電話来て泣いて喜んでくれたよ。ママ友の旦那さんがクリーニング工場に就職するのに必要な保証人になってくれるって。464: ◆pg8ez4HvoA 2014/08/11(月)12:42:36 ID:x1BWKRSnu私やっぱりママ友が羨ましい…なんでちゃんと生きてこなかったのかなぁ、私。でも私目標できたよ。まずは夜間高校行くか、通信制に行くかはわからないけど高校行くよ。それでコツコツ働いて娘は大学に行かせる。そしていつか、私みたいに道を過ったけど、やり直したい人を助けたい。いつになるかわからないけどね。とりあえず、真面目に働いて正社員になるよ。借金は時間かかるみたいだけど、多分大丈夫だと思う。じゃあこれで書き込み最後にします。来週から忙しく頑張ります。さようなら以上は下記サイトより鬼女速/シンママキャバ嬢だけどママ友と格差有りすぎて辛い。自業自得だけど人生って不公平だわ その2
2014/09/28
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京都の話題もこれで切り上げますが、最後にちょっと変わった神社を紹介します。そこには日本の大国主命、中国の神農、西洋のヒポクラテスの3体が祀られているのです。さて、二条通りは室町時代から薬屋が多かったからか、ここに秀吉は薬商を集めたので、二条薬業同業者町と呼ばれました。江戸期には「一条戻り橋、二条きぐすり屋、三条みすや針、四条の芝居. 五条の橋弁慶...」とわらべ歌で詠われるほど各町筋は栄ました。<山村寿芳堂、薬祖神祠、二條薬業会館>そんな二条の薬屋も今ではすっかり少なくなりましたが、所々に時代を感じさせるお店が見受けられます。その一画に古めかしい建物とレトロな建物に挟まれた神社があります。左の建物は江戸時代創業の「山村寿芳堂」、右はアールデコ風の「二條薬業会館」です。その間に挟まれているのが、「薬祖神祠(やくそじんし)」です。鳥居があって奥に祠があるのですが、その参道に祭祀用の安置所が建てられ、ガラス越しに参拝するようになってます。<奥に祠が見えます、右手前は神農さんの像>二条の薬業仲間達は江戸時代にこれらを信仰を始め、明治になってこの地に神社を移したそうです。ここは正式には神社ではなく祠(ほこら)と呼ぶそうです。「薬祖神祠」には・漢方医療の祖である中国の神農・和薬の神である少彦名命と大己貴命(大国主命の別名)・そして西洋医学の祖とされるギリシャの哲学者ヒポクラテスが祀られてます。中国の神農とは、中国の伝説上の帝王で農業神とも言われており、農業と医学を人々に教えたとあります。中国茶の祖でもあるそうです。大己貴命は大国主命とも呼ばれ、毛をむしられた因幡の白兎に治療法を教えた説話にもあるように医薬の大神で、共に活動した少彦名命と共に祀られています。ヒポクラテスはギリシャの医師として、迷信や呪術に縛られていた当時の医学を臨床と観察を重んじる経験科学に発展させ「医学の祖」と称されてます。そういえば大森一樹監督の「ヒポクラテスたち」という医学生を描いた映画もありましたね。明治に西洋医薬が入ってきたので薬屋さんたちが合祀したのです。ガラス窓から覗いて見ると、農神やヒポクラテスの像、神輿や太鼓などが散漫に置かれているのがちょっとご愛嬌。<神輿とヒポクラテス像のツーショット>今回、何故この話を出したかと言えば、私の父の実家が薬問屋でこの町筋とは深いつながりがあったからです。以前にもこの日記に書いたのですが、切手マニアの父が残していた数十枚の葉書の束は明治30年前後の薬の発注葉書でした。差出し人を見ると確かに京都の二条の薬屋が多く、「薬祖神祠」の隣の「山村寿芳堂」からの葉書も沢山ありました。父の実家はこの町とは取引だけでなく、使用人の移動、お店の合併などの交流もあったとのこと。<筆書きの薬の注文書>私の親しい先輩の本家筋も二条通りの薬屋だそうで、現在も工業用薬品を商われており、この町は日本の産業振興をも支えてきたようです。町衆は「薬祖神祠」を「神農さん」と呼び、その祭りは明治大正には大変賑わい、京都の大きな祭りのひとつに数えられていたそうです。今はすっかり地味になったようですが、薬祖神祭は11月にあるので一度覗きに行ってみましょう。
2014/09/27
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京都の話題が続きますが、もう少し我慢下さい。最近、自分の身の回りに興味が湧いてちょいと調べ始めてます。私は母方は京都系ですが父は滋賀県出身で、戦後に京都に住むようになりました。今の実家の建物は明治末期に建てられた質素な町屋で、京都御所のすぐ近くです。ではもっと昔、この地には何があったのか知りたくて、平安京の地図を眺めてみました。ところが東西の通りはありましたが、南北の通りがありません。通りの名称も違います。<平安京の地図>気になったので図書館に出かけました。カウンターで京都の古地図を頼むと数冊の地図本と、幅60センチ程のでかい絵図集をワゴンで運んで来てくれました。室町から明治までの京都の絵図です。市内の各通り名や屋敷などが詳細に描かれています。まずは平安京の概要から読む。なんと平安京は完成してなかったそうです。どうも財政難で桓武天皇は途中で造営を止めたとのこと。なので道も建物も完成しない区域があったとか。だから現在我々が見る平安京の図は完成予想図。区域設定にも誤算があり、南西部は湿地のために人は住まず、洪水を嫌って避けた鴨川周辺は物流が盛んになって発展し、都は東へとずれて行きます。それよりも決定的なのは戦乱による中京の壊滅。信長の頃には少し人々が戻り始めたとはいえ、上京と下京の一部だけ残り、それをつなぐ室町通り沿いに人家が残るのみという状態。だから秀吉は京都を改造するというよりは復興に近いかたちだったようです。したがって秀吉の改造は大々的な荒療治となります。御所の修復、聚楽第の造営、御土居の構築、公家、武家、寺の住み分け、そして「天正の地割」。町中の主要な建造物や東西の道は残すにしても、「条坊制」で正方形だった町を縦に二分し、長方形にしてます。これは町の中央部は使いにくく畑などにしていたので、無駄な空間を解消し、より多くの住宅を誘致出来ました。同時に大きな地区を所有する勢力を排除する意味もあったようです。新しく作られた通りは両替町とか車屋町など親しみある名称となり、東西の通りの名称も、春日小路が丸太町通り、大炊御門大路が竹屋町通りと変わっています。なので実家周辺の環境は1590年(天正18年)に、御所が現在の位置で整備され、町割は縦長nになり、親しみやすい通り名や町名が使われるようになったようです。もちろんその後の戦乱や地震などで町は幾度も消失しましたが、区割りは今もそのまま残っています。<江戸期の地図>*上記図の原典/平安京と現在の比較はこちらのサイトで...(拡大出来ます)平安京の条坊図をGoogle Mapに重ねて遊んでみなはれ。しかしこの町内も年寄りとマンションの若い住人ばかりになってしまい、昔の町を語れる人はもういません。昔の面影を残すものといえば、数軒に減った改築されてない町屋と、地蔵盆のご本尊や回覧箱くらいのものです。木箱の裏には明治十三年という年代が書かれてました。こうして、町の歴史は忘れられていくのですね。<町内回覧箱>ご参考:秀吉の京都改造の詳細文献京都改造 - 奈良大学リポジトリ(Adobe PDF)
2014/09/09
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