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総合力の勝利とでも言おうか。本当はショートも1位は安藤美姫だったと思う。安藤美姫のショートは完璧だった。ミスが許されないはずのショートプログラムで、完璧な演技を披露した選手が大きなミスをした選手の下に来る。ミスしても点が下がらない選手というのは、どうやらジャッジに愛されているらしい。ルッツであれだけステップアウトしながら相変わらず世界トップの点を出す摩訶不思議な選手が相手の嫌な展開。だが、安藤選手は自ら大きく崩れることなくフリーを滑り終えた。世界レベルの同じ国際試合に浅田選手が出て、浅田選手のジャンプの調子がいいと「なぜか」しぶくなる安藤選手への加点も今回はかなりまっとうについた。同じ国際試合に他の日本選手が出て調子がいいと、「なぜか」なかなか揃わないスピンのレベルもきちんと揃えた(プロトコルはこちら)。(ちなみにグランプリファイナルのプロトコルはこちら)いくら工夫しても、「なぜか」昨シーズンとは違ってどうしてもスピンのレベルが取れなくなってしまった高橋選手とは対照的な結果になった(今年のプロトコルはこちら)。ちなみに昨シーズンの世界選手権の高橋選手のプロトコルはこちら。シーズン中はスピンのレベルがなかなかもらえなかったのが、最後にきっちり取っている。五輪後の疲労困憊したなかでも、ルールに適合できたのに、今回は「なぜか」最後までダメだった。実際、スピンで軸足がブレるなど、細かいミスの出やすかった安藤選手が、きちっときれいにスピンをまとめたのは本当に感心した。世界レベルの同じ国際大会に浅田選手が出て、しかも調子がいいと「なぜか」上がってこない安藤選手の演技構成点も、今回はさほど露骨に低くなかった。ジャンプがどうであろうと、金メダル仕分けのキム・ヨナ選手の下であることは、どうやら事前にもう決まっていたようだが、今回はその差がまあまあわずかだったので、技術点の高さが効いて、フリーの結果、なんとか実力どおり、キム・ヨナ選手の上に来た。安藤選手のフリーの演技は、正直「圧巻」とは言えなかった。全日本のときに最後に見せたような、「どうだ!」と言わんばかりのガッツボーズ(と、ついでに会心の演技でウルウル男泣きするニコライ)が見たかったのだが、なんといっても中盤のダブルアクセル+トリプルトゥループが決まらなかったのがやはり残念だ。四大陸のころから、ずいぶん体調が悪そうだった。それでも長いシーズンの厳しい試合を延々と戦いぬき、大震災のあとという精神的にも難しいなか、これだけ演技をまとめたのだから、やはり安藤美姫の強さは圧倒的だと言える。滑り出しの表現の迫力には鬼気迫るものがあった。包み込むようでいて、どこか無邪気でもある笑顔のショートとは別人になったよう。前半の転調前に一瞬のポーズを決めたときの刺すような視線は魔的ですらあり、見ているこちらも背筋がゾクゾクした(こちらの動画で1.13当たり。残念ながら画質は悪い)。それから一転して、たおやかな女性的表現に入る。いったいこのひとは、性悪な女なのか優しい女なのか、きついのか包容力があるのか、強いのか弱いのか、見ているうちに混乱してくる。1人の女性に惹きつけられていく男性の視線に同化して、こちらも安藤美姫を見つめ、魅せられていく。そして、クライマックスは、地の底から湧きあがってくるような力強い音楽。わざとらしく音を鳴らすのではなく、自然に力強く盛り上がる。安藤美姫という、1人の成熟した女性のもつ強い生命力が徐々に徐々に解放されていくようだ。これは多少、浅田選手の「鐘」に通じる部分もある。ロシア出身の振付師でなければ出せない味かもしれない。クライマックス部分の大きく腕を振り上げてポーズを決めたあと(上の動画で3:06あたり)、片足でイン、アウトと深いエッジにのって滑って行くスケーティングは本当に見せる。音楽ともぴったりと同調している。大好きな部分だ。このあたりからはもう感動で胸がいっぱいになってくる。どの動作、どのポーズも、安藤美姫でしか出せない味がある。くいっと伸ばす顎のラインも、広げた腕の動きも、アスレチックな回転動作も、すべてが素晴らしい表現になっている。最後に両手を伸ばして天を仰ぐポーズなどは(写真はこちら)、宗教的な崇高ささえ感じる。野生の女が聖母に昇華した瞬間に、私たちは立ち会っている。女性のもつ神秘性、強さ、優しさ、繊細や、包容力、そして何より生命力を感じさせる不世出のプログラム。だれか1人の女性を演じるということではない、女性のもつ情感の抽象性を氷上で表現する難しいプログラムだが、安藤美姫にはこうした作品がぴったりと合っている。振付師も素晴らしいがパフォーマーも素晴らしい。その幸福なマリアージュが安藤美姫を4年ぶりの世界女王に返り咲かせる結果になったことは、ファンとしても本当に嬉しい。絶頂期の特に短い女子フィギュアスケート選手が、4年ぶりに2度目の世界女王になるなど、それだけでも非常に難しいのだ。
2011.04.30
圧巻のフリーだった。操作感アリアリの歴代最高得点をマークし、「本当は300点出したかった」などと、ジャッジに間接おねだりしている――こういうふうに点を要求するところは、キム・ヨナのかつてのコーチ、オーサーにそっくりだ――パトリック・チャンのことではない。シーズン最初に「このプログラムは凄い」と驚嘆し、さっそくエントリーにあげた小塚選手のフランツ・リストだ(そのときの記事はこちら)。技術点はチャンを上回る、驚異の98.53点(プロトコルはこちら)。あのジャンプ構成、あの出来栄えを思えば当然だが、何度も繰り返し指摘しているように、加点(もっと露骨なのは演技構成点だが)はいまや順位操作点になりさがっている。昨シーズン、解説者が、「加点1以上はつく素晴らしいジャンプ」と、思わず本当のことを言ってしまった安藤選手のジャンプに、雀の涙以下の加点しかつかなかったのはすでに指摘したとおり。今回、前に滑った織田・高橋選手が大崩れしたことで、加点配分が小塚選手に来たのかもしれない。だいたい小塚選手はシーズン初めはマトモに点を出してもらえるのが、年明けの大きな大会になってくると奇妙なほど点が出なくなる傾向があった(もちろんその原因は、本人の疲労がジャンプを低くしたことにも求められるかもしれないが)。それが今回のフリーでは、要素に対する加点がずいぶんと真っ当についた。一方のチャン。ショートの4回転+3回転はファーストジャンプからセカンドジャンプを跳ぶところで一瞬流れが止まり、「単独にしてしまうのか?」と思ったほどだ。つまりセカンドを跳ぶときにタメが少し長い。これが浅田真央なら、「流れが止まる」などと言われて減点されるところだ。ショートのトリプルアクセルも軸が広がってしまい、回転が強引だった。これらの欠点にもかかわらず、ジャッジは加点「2」を惜しみなく与えた。逆に去年の世界選手権で気前よく加点「2」をもらった高橋選手のトリプルアクセルに対する評価は、今回は期待したほどではなかった。チャン選手のフリーの単独4回転は、軸が傾いたのを、本田武史の解説の言葉を借りれば、「強引にもってきていた」。軸が傾いても力でピタッと着氷させるのは素晴らしいのだが、もともとフィギュアのジャンプは、effortlessであることを理想とする。そこから言えば、あれだけ軸が外れてしまったジャンプは綺麗なジャンプとは言えないはず。それでも気前よく「2」をつけたジャッジが多い。後半のフリップも軸が傾き、着氷でずいぶん氷の削りカスが飛んだ。これがオリンピックのプルシェンコなら、「彼らしからぬジャンプ」などと言われて加点がつかないところだ。ところがチャンなら、「2」がズラズラ。もちろん、プラスの要素もある。チャンのジャンプは助走が短い。回転が速く、着氷時に身体が極端に前傾姿勢になるといった、多くの選手が見せる欠点がない。だが、それにしてもジャンプのプラスの部分を「奇妙なほど」素直に、積極的に評価されている感はぬぐえない。フリー後半の3Lz+1Lo+3S。ルール改正でハーフループからのコンビネーションの基礎点が上がったことを受けて取り入れた難しいジャンプだが(これを入れて、大きく乱れなかったのは本当に素晴らしい)、ルッツをもう少し姿勢よくピタッと止めないと、サルコウとの間に、まるでオーバーターンを入れてしまったかのように、特に素人目には見えるはずだ。(中国大会の)ジュベール選手のように、1Loが回転不足判定されそうな危うさだった。明らかにルッツの着氷時の姿勢が完璧でなかったのに、またも加点「2」がぞろぞろ。この加点の甘さは、明らかにキム・ヨナ選手を彷彿させる。一方の小塚選手のフリーのジャンプ。まずそのジャンプ構成が凄い。チャン選手は確かに4回転が2度、しかも連続ジャンプは4+3だ。それは本当に素晴らしい。だが、ジャンプ構成は全体で見るべきだ。4回転は2度決めたが、苦手のトリプルアクセルは1度しか入らす、しかも今回はステップアウトして決まらなかった。最後のジャンプはダブルアクセル+ダブルトゥループ。ずいぶんと竜頭蛇尾な印象だ。高橋選手が4大陸選手権で歴代最高点を叩き出したとき(動画はこちら)は、4回転4回転+2回転トリプルアクセルトリプルアクセル+2回転+2回転(後半に)トリプルフリップ+トリプルトゥループが入っている。4回転2度にトリプルアクセル2度、加えて3回転+3回転。これならば世界歴代最高点にふさわしいジャンプ構成だ。この構成に比べるとチャンのジャンプ構成とその出来は見劣りがする。一方の今回の小塚選手のジャンプ構成。彼のフリーにはダブルアクセルが1つもない。4回転は単独で1度だが、トリプルアクセルは2度入る、さらに後半にトリプルルッツ+トリプルトゥループの高難度3+3。実に見ごたえがある難度の高い構成。しかも、今回はすべてのジャンプが鳥肌が立つほど完璧だった。4回転は流れがあり、回転も自然で、「強引に回している」感がまったくない。浅田選手に対するエントリーで何度も指摘したが、トリプルアクセルはルッツを決めてこそ威力を発揮する。トリプルアクセルが2度入るのは確かに素晴らしいが、世界女王ならばルッツを決めて欲しいのだ。チャンに対しても同様のことを言いたい。4回転2度、しかも連続は4-3というのは確かに驚異的だが、フリーでトリプルアクセルをせめて1度はきれいに決めなければ。だが、現行のルールと、ジャッジの愛情(苦笑)は、トリプルアクセルをショート、フリーを通して1度しか決められなくても、チャンに破格の点を与えるようになっている。日本が生んだ最高のジャンパーは本田選手だというMizumizuの確信にはいまだ揺るぎがないが、今回の小塚選手のジャンプは現役時代の本田選手に匹敵するほどの出来栄えだった。プレパレーションから着氷までよどみがまったくなく、着氷したあときれいに流れる。ジャンプも無駄な力が入っておらず(つまり、それがeffortlessということだ)、回転も自然で、力で回している感じがまったくしない。空中で放物線を描くきれいなジャンプで、トリプルアクセルの大きさなど、「おおっ」と唸ってしまった。後半の3+3もセカンドジャンプのほうが高いくらいで、あれならば絶対に回転不足を取られることはない。後半の連続ジャンプのセカンドが回転不足気味になりやすくなってきた高橋選手とは対照的だ。過去には低くなって回転不足を取られがちだったループも、後半にもってきてきちっと降りた。現行のルールで最も大切な「回転不足を取られないこと」という意識が徹底しており、しかもそれを実行できる体力がある。そして目ざましい表現力の向上。ショートはまるでカート・ブラウニングが氷上に戻ってきたかと思うような洒脱な演技だった。トリプルアクセルは多少回転不足気味で(あれが回転不足判定されなくてよかった)着氷が乱れたが、全体の出来がよかったことはコーチの表情からも明らかだ。点が伸びなかったのは、操作性を感じざるをえない(まあ、そんなことはもう皆わかっているが)。フリーのフランツ・リストはシーズン前半には、冒頭の表現にやや難があり、手を単に振り回しているように思えたが、徐々にモーションやポーズを磨いてきた。正直に言うと、前半の表現だけだったら、今回のフリーより、四大陸のフリーのほうがよかった。背筋をぴたっと伸ばして大きな表現を心がけ、指先にまで神経を行き届かせていた。Mizumizuはその前、往年の名スケーターをあげ、その手首や指の表現に小塚選手も学んでほしいと書いたのだが、四大陸ではそうした課題に取り組んで成果をあげたようにすらみえた。小塚選手の表現力の進歩には目を見張ったのだが、その分後半、体力がもたずにジャンプの失敗が出てしまった。演技構成点も期待したほど伸びなかった(本当に、ジャッジの皆さん、よく見てくださいよ)。今回は四大陸の冒頭ほどの表現への心配りはなかったかもしれない。だが、全体のバランスが素晴らしかった。極度の緊張を強いられる場面で、体力を温存して、最後まで滑りきる。ジャンプもきれいに跳び、そのうえで表現をする。表現にばかり力が入りすぎることもなく、ジャンプだけ跳ぼうとしているわけでもない。高い次元でこの2つを融合させるというバランスが傑出していた。チャン選手のほうは、明らかに動きが硬く、見ていて息苦しくなるような機械的な演技だった。本田解説の「動きが硬かった」というのは、まったく的を射ている。それでも、チャン選手と小塚選手の演技構成点は「お約束どおり」フリーで10点近く開いている。この意味不明の演技構成点での大差のつけ方をどうにかしなければ、得点はいくらでも操作できるのだ。他の有力選手がショートに4回転を入れたら、その分、チャン選手の演技構成点をインフレさせればいい。加点ももちろん問題で、恣意性があからさまに目立ってきているが、それは評価に質を取り入れるというシステムの理念から言っても、その評価の評価にも好みや主観が入ることを考えても、いきなり大きく変えることは難しい。そもそも論だが、ジャッジはもともと加点・減点の点のつけ方には慎重だったのだ。それを「いいものはどんどん評価するように」と言って、「2」だの「3」だのを惜しみなくつけるように指導してきたのは、組織上部のジャッジを指導する立場の人間なのだ。そして、ジャッジに「愛された」人間は失敗しても不思議と点が落ちないから、本人はモチベーションあがりっぱなしだ。努力すればどんどん報われる。そのほかの選手は、思わぬところで減点されたり、点が伸びなかったりして悩む。結果、いい演技ができなくなる。それを考えると、これまで何度もここ一番で自ら崩れてきた小塚選手が完璧な演技をしたのは、いくら褒めても褒めたりることはない。織田・高橋選手の大崩れで、日本選手最後の砦になってしまった土壇場で、全日本チャンピオンの名にふさわしい演技を見せた。ジャンプの完璧さに加え、余裕を感じさせる伸びやかな滑り、すっと伸ばした足先や身体を返したときの一瞬のボディラインの美しさ、ノーブルで清廉で真摯な演技。すらりとして足も長く、スタイルもいい。まさにアマチュアスポーツとしてのフィギュアの理想に限りなく近かった。報道で知ったのだが、フリーの曲は祖父の小塚光彦氏が嗣彦氏に勧めたものだったという(こちら)。今でさえこの曲は、難解で、哲学的で、日本人にはやや馴染みにくいところがある。それに目をつけた光彦氏とは、なんともはや、日本人離れした感覚の持ち主だったのではないだろうか。フリーで滑るリストの「ピアノ協奏曲第1番」は、祖父の光彦さんが元五輪代表の父、嗣彦さんの現役時代に勧めた曲だった。しかし、当時はピアノ曲で滑る選手がまれだったため、使うことなく引退。約40年の時を経て、祖父から受け継がれた特別な音楽で、フィギュア一家のサラブレッドが輝きを放った。小塚崇彦というノーブルな技巧派スケーターの成長を、この曲が世界に知らしめることになった。Mizumizuにとってもこのプログラムは特別なもの。正統派のクラシックのもつ格調高さ、スケールの大きさ、哲学性と気品、繊細な軽やかさと重めの哀愁を秘めたこの旋律を今後聴くたびに、小塚選手のスケーティングを思い出さずにはいられないだろうと思う。久々にテレビの前でスタンディングオベーションをしてしまった。本当に素晴らしい選手が日本にはいると思う。
2011.04.29
子どものころ父親がよくドイツ菓子をお土産に買ってきてくれたせいか、一番初めに覚えた洋菓子の名前が「バウムクーヘン」だった気がする。子どものころは周囲の砂糖層が好きで、生地の部分はさほどでもなかった。今は、違う。バウムクーヘンは、日本のカステラのようなポジションのドイツ菓子というイメージがある。味も店によって、劇的にではないが、微妙に違う。Mizumizuにとって、日本で一番、ドイツを感じさせてくれるバウムクーヘンを作っているのが、世田谷区桜新町にあるヴィヨン。香料の使い方が「ドイツ」なのだ。ヴィヨンのバウムクーヘンの強めの香料を嗅ぐと、ドイツで食べたお菓子に記憶がつながっていく。特定のお菓子ではない。「ドイツ」と聞いて思い出すお菓子の香りというものがあり、それがヴィヨンのバウムクーヘンから漂ってくる。生地のしっとりした口当たりも好みだ。素朴なお菓子ゆえ、生地の風合いや甘さの具合といった微妙なところで好みが決まってくるところも、カステラに似ている気がする。ヴィヨンのバウムクーヘンの決め手は、なんといってもこの香料。たぶん、慣れない人には鼻につくかもしれない。だが、慣れるにしたがってやみつきになり、しばらくするとまた食べたくなる。そんな魅力がある。「ヴィヨネット」という、立体的なデザインのバウムクーヘンに果物のゼリーを入れたオリジナル商品もあるが、Mizumizuはオーソドックスなバウムクーヘンを好んでいる。桜新町はMizumizuの家から近くはないのだが、しばらくすると食べたくなって、わざわざクルマで出かけて行く。ドイツのお菓子の香りを嗅ぐために。
2011.04.26
カステラといえば長崎。長崎に行った折に、めがね橋のたもとで、鼈甲屋のご主人に聞いて連れて行ってもらった、「天皇家に献上している長崎で唯一のカステラ専門店」。それが匠寛堂だった。ゆかしげな暖簾をくぐると、すぐに席を奨められ、お茶と一緒に、さっそくカステラが運ばれてきて試食させてもらう。こうなると買わないわけにはいかなくなる(笑)。お奨めはと聞くと、悠仁親王殿下ご誕生の際に献上した「天地悠々」だという。いわゆる五三焼き(卵黄と卵白の割合が5:3)カステラの部類に入るが、材料をさらに厳選して謹製したのだとか。このときの長崎旅行では、テレビタレントが絶賛したという別のメーカーのカステラも買ってみたのだが、比べてみると、逆に「天地悠々」の美味しさがくっきりと意識できた。あえていうなら・・・パンを思わせるような風味。それじゃ、褒め言葉にならない感じだが、立派な褒め言葉のつもりだ。さっくりとして、重くなく、甘すぎず、しつこくないのに食べ応えがある。正直に、「こんな美味しいカステラは初めて食べた」と思った。五三焼きカステラは卵の風味が強すぎて、やや重たく感じられ、実は必ずしも好きではないのだが、「材料をさらに厳選した」と胸を張るだけあって、風味の上等さはそこらの五三焼きの比ではない。匠寛堂は東京には出店していないので、長崎まで行くかネットで注文するしかない。ネットで注文すればすぐに届けてくれるだろうが、あのめがね橋のそば、和服の女性が立って迎えてくれる小粋な店の暖簾をくぐって、おっとりとして感じのよい店の人と少し世間話などしながら献上カステラを包んでもらう時間もまた格別だった。買おうと思えばネットでいつもで買えるけれど、あえてそうはせず、長崎を再び訪ねたときの楽しみにとっておこう。
2011.04.25
言わずと知れた和菓子の老舗・虎屋。羊羹が有名だが、Mizumizu母はここの最中を大いに好んでいる。[とらや]虎屋最中9個入(763721/286)Mizumizuが楽しみにしているのは、季節の和菓子。草餡餅は大好物なのだが、これは販売期間が非常に短く、東京地区ではすでに終了してしまった(御殿場店では4月30日まで販売)。そこで柏餅を購入。たぶん日本で一番上品な柏餅かと。つるんとしたカタチの端整さがいい。つややかな餅に包まれた餡は、しっとりときめ細かく、滑らかで、天女のような口当たり。味も甘すぎず、どこに入ったかわからないうちに終わってしまう(苦笑)。こちらは「岩根の錦」。くっきりとした模様が、口に運ぶときりりとした舌触りに変わる。感動的に滑らかで、かつ味わいは密度が濃いのに、味にはしつこさが皆無で、白餡もひたすら爽やか。見た目といい、味といい、すべての面で日本的な上品さを極めた逸品。【送料無料】老舗ブランド「虎屋」の伝統と革新【送料無料】虎屋和菓子と歩んだ五百年
2011.04.24
昨日ご紹介したキーマカレーはよほどの人気商品と見えて、またも売り切れになってしまったよう。また再開すると思うので、買い損ねた方はマメにチェックしてください。被災した企業と言えば、テレビで盛岡の醤油メーカーの八木澤商店の現状を見た。創業200年を誇る老舗なのだが、今回の津波でなにもかもが流され、壊滅的な被害を受けた。にもかかわらず、内定取り消しはせず、新入社員を受け入れて、再生を目指すという。その八木澤商店の醤油を使ったせんべいがこちら。これと盛岡冷麺を組み合わせた「復興袋」という企画商品もある。復興袋 第2弾今日はさらに、少し範囲を広げて、東北地方の特産品を扱う店舗をご紹介しようと思う。今回の大震災は東北の経済全体に大きな打撃を与えた。元気な地方の方は、逆にこれを機会に、普段はあまり馴染みのない東北の特産品をGETしてみてはいかがだろうか。山形 さくらんぼ 佐藤錦(訳あり商品を予約で)訳あり山形さくらんぼ佐藤錦(優品)≪2箱以上で送料無料≫ちょっとだけ訳あり露地栽培さくらんぼ(佐藤錦)バラ詰め500g【わけあり・さくらんぼ・サクランボ・産地直送・山形】山形さくらんぼ佐藤錦バラ詰め500g(優品)<6月下旬~発送開始>【tg-w1】【訳あり】山形県東根産秀選さくらんぼ佐藤錦M・L500グラム【早割り期間限定×ポイント5倍】【訳あり】山形県東根産秀選さくらんぼ佐藤錦M・L500グラム仙台 ずんだ餅関東ではだいぶ浸透してきている東北の味だが、西日本の方にはまだあまりなじみがないかもしれない。素朴で懐かしい味だ。ずんだ餅 仙台名産 ずんだもち 5個入(300g) 4972847403190 【冷凍】【代引不可】【同梱不可】【10P22Apr11】【がんばろう!宮城】 ごますり団子はご存知だろうか? Mizumizuの中では、ずんだ餅とごますり団子が東北和菓子の双璧。とろ~り○うま~い○松栄堂ごますり団子 秋田の稲庭うどん伝統の平麺製法の稲庭うどんをお試しください。訳あり(切り落し)醍延堂(だいえんどう) 『極 -きわみ-』徳用切り落し稲庭うどん(約3~4人前) 秋田の比内鶏を使ったラーメン※震災影響により商品準備にお時間を頂きます[秋田県/物産中仙]比内鶏ラーメンセットA 青森のヒバ油木の香りに癒されたくなったら・・・アロマな天然ひばの香り 森林浴気分をお試用青森ひば油(送料込)天然ひば油 10ml
2011.04.20
先日ご紹介したあと、いったん品切れになった、にしき屋「伊達鶏キーマカレー」。再び販売を開始したようなので、買いそびれて残念な思いをしていた方はお早めにどうぞ。(にしき屋は被災地の企業です)。送料無料で、お買い得☆伊達鶏キーマカレー4食入 具だくさん、食べるスープ★ananに掲載!国産野菜のコーンチャウダー5食入(無添加)【プレミアム仙台】シリーズにしき屋の仙台カレー(仙台黒毛和牛使用)ゴールド牛タンカレー2食入
2011.04.19
東日本大震災では、「何か自分にできることはないだろうか」と、ほとんどの日本人が自問自答したことと思う。阪神大震災の教訓として、中途半端なボランティアは返って被災者の迷惑になるということが言われた。今回の大震災でも、やはり頼りになるのは軍隊(日本の場合は自衛隊)だということがはっきりとわかった。組織力、統率力、隊員の訓練度。「自衛隊車両が通るたびに、感謝の気持ちで手を合わせたくなった」と言った被災者がいたが、さもありなん。だが、民間でも組織された経験のあるボランティア団も、やはり復興の一助を立派に担っている。参加することは難しくても、そうした団体を資金面で支援することなら誰にでもできる。今回の大震災、被災者への義援金や支援活動への資金提供を一般人が考えたとき、不安材料になるものがあるとすれば、それは、「本当に自分の寄付したお金が東日本大震災の義援金もしくは援助活動資金に使われるのか?」ということではないだろうか。実際、義援金詐欺も相次いでいるという。そうなるとやはり、ある程度大きく、実績のある団体に寄付しようということになるのは当然だろうと思う。Mizumizuもそうだ。今回Mizumizuが選んだ寄付先は3つ。「社会的認知度が高く、寄付金の使用先を、収支報告を含め(なるたけ)オープンにしている団体」だった。そういうい団体なので、当然所得税控除の対象にもなる(ただし、5000円以上。くわしくはこちら)。具体的には以下の団体だ。 1)日本赤十字社信頼度、知名度からいっても、やはりここになると思う。使用目的は被災者への義援金。直接寄付することもできるが、いろいろな団体が、それぞれ募金を集めて、日本赤十字社に送付することを謳っている。今回Mizumizuが行ったのは、楽天銀行を通じての寄付。ここを選んだわけは、楽天銀行に口座をもっていればネットで送金ができ(手数料は無料)、手軽だったからだ。所得税控除の対象になるとも書いてある。ところが!送金してから、ふと気づいた。「税金控除を受けるための領収書はどこからどう発行されるのだろう?」。それについての説明は一切ない。送金先が日本赤十字社だから、受領書発行も日本赤十字社だろうと思い、電話をかけて聞いてみた。すると、「楽天銀行からの寄付はひとまとめに来るので、日本赤十字社は個々の受領書は発行しない」という返事。ならば楽天銀行なのだろうと思うのだが、どこに電話をかけたらいいのか、実に探しにくい。カスタマーセンターをクリックしても、いったいどこにかけたらいいのやらサッパリわからない。とりあえず、商品全般ということで、「0120-77-6910」にかけてみた。すると、「現在電話がこみあっております」と延々と待たされた。フリーダイヤルに電話をすればすぐに通じて、必要な情報は即座に入手できた日本赤十字とは雲泥の差だ。ようやくオペレーターにつながって、聞いてみると、(すぐにはわからず待たされたのだが)、領収書の発行は日本赤十字社で行うが、それを申請するのが楽天銀行なのだという。しかも、実際に日本赤十字社に入金されてから手続きが進行するので、領収書が送られてくるのは、2ヶ月以上先になるとのこと。実にわかりにくいが、とりあえず、手続きの申請は電話で口頭で申し込むことができた。あとは数ヵ月後(苦笑)に、日本赤十字社から領収書が送られてくるのを待てばいいということだ。本当にちゃんと来るのだろうか? いつぐらいになるのか曖昧なのが不安だ。正直・・・楽天銀行は失敗だったかなと思った。手軽に自分の口座からネットで手数料無料で寄付できるのはいいのだが、そこから先の手続きがわかりにくいうえに、面倒だ。三菱・三井銀行もしくは郵便局を通じて日本赤十字社に直接寄付すれば、そのときの振込用紙がそのまま領収書になるので、氏名と住所を通信欄に書き込めばいいとのこと。そちらのほうがずっとすっきりする。銀行や郵便局の窓口まで足を運ぶべきだった。また、楽天銀行からだと、とりまとめて日本赤十字社に入金されるから、実際に日本赤十字社に届くのは1ヶ月から、場合によっては2ヶ月以上かかることがあるという。日本赤十字社に直接送金すれば、当然このようなことはない。ちなみに、日本赤十字社の担当者に、「入金されるのが遅くなったために、東日本大震災以外の目的に使われてしまうことはないのか」と聞いてみたが、今回の大震災の義援金募集は長期にわたって行われ、使用目的は被災者への義援金に限定されているため、他の目的に使用されることは一切ないとのこと。こうした心配の声は多いようで、(以前よりは)日本赤十字社も広報に努めている。仮設住宅の家電などは、海外の赤十字社から日本赤十字に送金されてきた義援金で調達したとテレビのニュースで言っていた。こうしたフィードバックは、寄付金を集めるうえで、非常に大切だと思う。 2)国境なき医師団大震災発生後すぐに被災地に入り、宮城県南三陸町と岩手県田老町の避難所では、高血圧症や糖尿病など慢性疾患をかかえた被災者の診療に当たり、医薬品や救援物資の配布も行ったという。また、臨床心理士による心理ケアも開始したとのことだ(4月5日のニュース)。今回の震災で、慢性疾患を抱えた被災者の支援がいかに困難で、かつ必要とされているかはテレビのニュースで認識したので、そうした支援を専門的に行うこの活動法人に寄付することにした。クレジットカードでの寄付も可能なのだが(サイトはこちら)、ここでまた、「待てよ」と立ち止まることになる。カードだと、例によって国境なき医師団に入金されるまで2ヶ月ぐらいのタイムラグがある。その間に医師団がミッションを終了してしまう可能性はないのだろうか?さっそく問い合わせることにした。電話番号はこちら0120-999-199楽天銀行と違って、すぐに連絡先がわかり、また電話もすぐつながった(笑)。問い合わせたところ、結果として、「カードで送られてきた寄付金のタイミングによっては、東日本大震災でのミッションは終わっていて、他の目的に回されることもありえる」とのこと。そもそも「国境なき」医師団なのだから、理念からいっても当然といえば当然だ。「日本は先進国なので、我々の支援が早めに終了することはありえる」という率直な話が聞けた。たった今入ってきた寄付金なら、間違いなく東日本大震災の被災者支援に使われるとのことなので、郵便局を通じて寄付することにした。当然、振込み用紙が所得税控除のための領収書となる。すぐに当該団体に入金になる振込先はこちらなので、日本の被災地の医療支援活動に寄付したい方は、郵便局の以下の口座へ。口座番号 00150-3-880418加入者名 特定非営利活動法人 国境なき医師団日本通信欄に、「東日本大震災あて寄付」と明記。振込み用紙には住所と氏名を記入。 3)CIVIC FORCE被災者への義援金ではなく、被災地の支援活動(お風呂を設置したり、テントを作ったりといった)をスピード感をもって行う民間の支援団体。活動報告も詳細で、信頼度を高める努力をしている姿勢が感じられる。被災者の顔がわかるような写真を使わないなど、プライバシーに配慮しているのも、目立たないが好感がもてる。直接寄付する場合は、こちらのサイトから。Mizumizuは元フィギュアスケート・アイスダンス日本代表の田中衆史&河合彩氏の呼びかけ(チャレンジ)に賛同するかたちでの間接寄付を行った。クレジットカードで自宅から気軽に寄付できる。しかもこのチャレンジでは、寄付金額も自分で入れることができ、小額でも大丈夫だというのが特長。ネット上での操作も簡単。こちらのサイトから寄付できる。呼びかけ人(チャレンジャー)のお1人、河合彩氏のブログはこちら。モスクワ開催となった世界選手権のアイスダンスのテレビ初解説に備えて、元コーチのもとに出向いて現行のルールをいちから学び、頭に叩き込むべく奮闘中とか。こちらのチャレンジも、一視聴者として楽しみにさせていただいている。例によって、「クレジットカードを使った寄付のタイムラグ問題」については、CIVIC FORCEに直接メールで問い合わせたところ、「今回の支援活動は長期にわたるので、東日本大震災の名目で送られた寄付は、他の目的に回すことはない」と返答がすぐに来た。領収書に関しては、CIVIC FORCEのほうから発行される。その手続きもネット上でできる(ただし、CIVIC FORCEへの入金後になるので、本人がクレジットカード募金を行った2ヶ月後ぐらい)。楽天銀行を通じた日本赤十字社への寄付金の領収書は、このまま待つだけだが、CIVIC FORCEの場合は、ネット操作で、領収書の申請ができるかどうか(つまり入金がされたかどうか)を自分で確認できるので、ずっと安心感もある。メールで質問すれば、回答がすぐに来る。全体として、このチャレンジャーを通じたCIVIC FORCEへの募金のほうが、楽天銀行を通じた日本赤十字社への募金より、はるかに透明性が高い。というか・・・楽天銀行が、寄付ばかりやりやすくして、他のことは不親切すぎるのだが。以上、Mizumizuとしては、多角的な支援の資金援助ができるよう、寄付先を選択したつもりだ。上の3つの団体の主旨に賛同いただける方は、それぞれのリンク先からクレジットカード、もしくは直接振込みにて寄付をお願いいたします。また、信頼できる活動先で資金援助を必要としている団体からの情報をお待ちしております。申し訳ありませんが、実際に活動を行っている方に限らせていただきます。「またぎき」のチェーンメールはご遠慮ください。
2011.04.18
毎日のように地震を感じる東京。それでも桜が咲き、気温があがるにつれ、人々の活気も戻ってきたようだ。大震災のあと、紙類や水、カップ麺などの商品が買い占められ、スーパーから消えたパニックも今は嘘のようにおさまっている。そんななか、久々に日本橋三越に行ってみた。店内の一部は照明を落として暗かったのだが、大震災前の週末より逆に人出が多い気がした。地震、津波、原発事故の悲惨な現実を目の前にして打ちひしがれてきた東京の人々も、ようやく元来の経済的活発さを取り戻しつつあるのかもしれない。それでこそ東京だと思う。まだまだ放射能汚染の不安は去らないが、毎日閉じこもって心配していては、放射能でガンになるより前に、ノイローゼになって生きる意味を見失ってしまう。さて、日本橋三越の催事場では、イタリアフェアをやっていた。行ってみて、あまりの人の多さと活気に圧倒された。ワインやチーズやドルチェといった食べ物から、洋服やアクセサリーや小物まで、さまざまなブースが並び、押すな押すなの人だかりになっている。人気のあるショップの前は通り抜けることさえままならない。日本橋三越の催事にはよく行くのだが、これほどの人出を見たのは久しぶりだ。自粛解禁ムードの時期に、陽気のよさが重なったせいかもしれない。こちらは、アマルフィからやってきたサル・デ・リゾの「デリツィア・アル・リモーネ」。イタリア最優秀菓子職人による人気のドルチェだそうだ。食べてみた印象は・・・・・・・・・・・・・・・日本で作ったモノが、オリジナルと同じかどうかわからないからなあ・・・・・・まあ、美味しいかどうかは人それぞれだとして(笑)、口あたりの滑らかさには驚かされたが、Mizumizuには少し香料がきつかった。これが「イタリアを代表する名作ドルチェ」だと言われたら、イタリアにあまたある、めちゃうまドルチェにやや失礼かと。イタリアの本当に美味しいモノは、やはりイタリアにあるということか。それでも、その一端を、飛行機代を出さずに味わえると思えば、こうしたフェアにも――ちょっと宣伝のほうが質より勝っているというのが気になるが――それなりの価値はある。
2011.04.16
お知らせ:先日ご紹介したにしき屋の「伊達鶏キーマカレー」、注文が殺到したのか、さっそく品切れになってしまった模様。「にしき屋の仙台カレー(仙台黒毛和牛使用)」と「ゴールド牛タンカレー」はまだあるようです。コーンポタージュは相変わらず品切れですが、「コーンチャウダー」のほうは来週火曜日から発送再開になる予定とか。コーンチャウダーは食べたことがありませんが、レビューを読むと、評判は上々の様子。
2011.04.15
被災地の企業を応援したい、でも情報がない・・・ という方の参考になれば嬉しいのだが・・・仙台のにしき屋。Mizumizuはここの「伊達鶏キーマカレー」と「コーンポタージュ」が大好きで頻繁にリピートしていた。大震災のあとアクセスしてみたら、販売を休止しているとのお知らせ。被害甚大だったのだろうか、と心配になり、かつあの味がもしなくなったら・・・と大変残念に思った。ところが先日アクセスしてみると、数量限定ながら、一部の商品が販売を再開しているではないか!送料無料で、お買い得☆伊達鶏キーマカレー4食入このカレー、カレーは全般に好きだが、キーマカレーそのものはそれほど好物でないMizumizuでもおいしく食べることができた。鶏肉に臭みがまるでなく、レトルト特有の後味の悪さもない。レトルトでよくぞここまで・・・と拍手したくなるナチュラルな味だ。辛さもほどよく、非常にスパイシーなカレーを好む向きには物足りないかもしれないが、そのぶん、年齢を問わず日本人の舌になじみやすい味だと思う。カレー好きのアナタ、一度お試しあれ。大震災の影響で、数量限定での販売になり、品切れになったところでまたいったん販売休止になるということなので、そのあたりはご了承を。Mizumizuの好きなコーンポタージュは残念ながら販売休止のままだが、カレー商品はほかにも、ちょ~お高い「にしき屋の仙台カレー(仙台黒毛和牛使用)」も、「ゴールド牛タンカレー」も販売を再開している。仙台カレーは以前から興味があったのだが、「レトルトにしては高すぎませんか?」という囁き声がどこからかして、手が出ずにいた。しかし、この機についに頼んでみようかな。【プレミアム仙台】シリーズにしき屋の仙台カレー(仙台黒毛和牛使用)ゴールド牛タンカレー2食入
2011.04.14
キャサリン・サンソムという英国外交官夫人の著作に、「東京に暮らす」がある。日中戦争の直前まで日本で暮らし、教養人の女性としての視点で日本人の特性や生活習慣などを描いたエッセイだ。彼女が例えば民俗学といった、特定の専門分野をもった学者でないことが、返ってこのエッセイを普遍的なものにしている。やや蔑視的な表現がないわけではないが、自分の中の差別意識を極力抑制して、曇りのない目で日本人を見つめ、温かい気持ちで理解しようと努めている。その姿勢がいい。このエッセイを読むと、日本が失ってしまったものも数多いことに気づかされる。たとえば、子どもの養育に関するくだり。赤ん坊が生まれてきて一番幸せな国は日本です。日本人は子どもをとても大切にしますから、子どもを虐待したり、子どもに対して罪を犯すということはめったにありません。子どもはみんなから可愛がられ、あやされ、ほめられます。イギリスの赤ん坊のように早くから厳しくしつけられることはありません。これを読むと、いったい「日本」とは、どこの国のことなのかと思う。確かに、Mizumizuの子どものころは、「子どもの虐待」などという言葉が聞かれることはなかった。実際に「なかった」のか、あるいは「隠されていた」部分が多いのかはわからないが、それにしたって、今のように親の酷い虐待が社会問題化することはなかった。「しつけ」と称して子どもを殺してしまうような親も(多分、ほとんど)いなかった。どちらかと言えば、子どもは確かに、みんな――他人も含めて――から可愛がられ、あやされていた。これは日本人が失ってしまった最たるものの例だろう。今の日本が子どもにとって幸福な国だとは到底思えない。だが、不思議と「変わっていない」と思える部分も多いのだ。たとえば日本人の礼儀正しさと自己抑制に、関東大震災がからんだエピソード。日本人の礼儀正しさは、優雅な話し方やマナーのよさばかりではなく、他人との交際において利己的にならないということだからです。外国人だったら自分のことを色々と話しますが、日本人は自分のつまらない話をしては相手に悪いと考え、どんなに悲しい時でもそれには一切触れず、一般的な世間話しかしません。以前、ある日本人の紳士が私に「どんな宝物をお持ちですか、ご主人は日本に長く住んでいらっしゃるから、美しい屏風を始め色々な美術品を収集なされたでしょう」と尋ねたことがありました。私は主人が収集したもののほとんどが、1923年の大震災でやけてしまったとこぼしました。私があれも、これも、それも・・・と嘆くのを紳士は同情しながら聞いてくれました。続いて私が、「その時は東京にいらっしゃいましたか、失われたものはありませんか」と尋ねました。紳士は微笑を浮かべながら「妻子をなくしました」と答えました。私は愕然とし、懸命に紳士を慰めようとしましたが、彼の方は、私たちが楽しい話をしているかのように微笑み続けていました。実際、紳士は悲しみに浸っているわけにはいかず、思いもかけぬ不幸を知って動揺した外国人女性の気持ちをなんとか鎮めなくてはならなかったのです。それで彼は日本人の例の微笑を続けていたのでした。悪意をもった外国人なら、「妻子をなくした話を、薄笑いを浮かべながらする不気味な日本人」「悲しくないのか」などと言いそうなところだ。もちろん、悲しいのだ。紳士の無念さは日本人にはよくわかる。彼はそれを自分自身で乗り越え、少なくとも乗り越えることを自分に課し、微笑を浮かべながらおだやかに話したのだろう。美術品を失うより、妻や子をなくすほうがよほど重大な悲劇だ。だが、彼は問われるまで、その話はしなかった。そしてサンソムも、自分の個人的な感情よりも相手への配慮を優先させる日本人の行動を驚きとともに、一種の敬意をもって描写している。2011年の未曾有の大災害のあと、世界を驚かせた被災者の忍耐強さや秩序正しさは、1920~30年代当時とまったく同じではないにせよ、日本人の美徳意識が、依然として受け継がれていることを示している。そして、サンソムは日本人特有のやさしさと辛抱強さを形成したものは何かということについて、次のように考察している。日本人は自然を愛するだけではなく、私たちとは違って、今でも自然の中に生きています。だからといって日本人の中に旺盛な精神の持ち主があまりいないというわけではありません。ここ半世紀の間に彼らのやりとげたことの一片でも知る人は、その逆が正しいということを知っています。日本人はいつでも辛抱強く、しかも楽しそうにその時々の状況を受け容れています。それにはもちろん気候の影響もあるでしょう。(中略)冬を除くと湿度がとても高いということは、外国人だけでなく、日本人にとってもつらいことです。文字通り「天気にやられない」ためには、健康な人でも強い意志の力を持たなくてはなりません。ここで東洋人特有の強い忍耐力が役立つのです。また、辛ければ辛いほど逆に笑おうという驚くべき態度は、おそらく、神経を鎮め、大気の異常な重みが神経をいら立たせるのを少しでも和らげようとする日本人の生活の知恵なのでしょう。さらには、多湿の空気だけでは不十分というかのように、地震がかなり頻繁に発生し、中には人々が外に逃げ出すような大きなものもあります。しかし何といっても腹立たしいのは台風で、夏の間いろいろな強度のものが日本の一部を襲います。(中略)このように日本人が遭遇する空と地と海からのかなり頻繁な危険と不安を考えると、彼らが意識的にも無意識的にも、かなり独特な性格を作り出さなくてはならなかったことが理解できます。たとえ怒りっぽく興奮しやすい国民であったとしても、そういう性格をあまり露骨に出すことはおそらく許されないでしょう。台風の時に怒っていたらとんでもないことになりますから。優しい手が日本人の頭の上にかざされていると思うことがあります。このことが正に日本文化の真髄かもしれません。日本人も、意識的にせよ無意識的にせよ、そう望んでおり、またそう望まなくてはならないのです。 【中古】文庫 東京に暮らす-1928~1936-【10p12Apr11】【画】
2011.04.13
去年、満開の桜を見たのは千鳥ヶ淵だった。そのときのエントリーはこちら。同エントリーでは、たまたま思い出した「摩利と新吾」の桜のシーンについても触れたのだが、1年経ち、東日本大震災から1ヶ月たった今日、あらためてこの漫画の桜のシーンを読んでみたら、奇妙な符合に気づいた。「音もなく桜が散る ため息のように散る 見たくないか? 摩利・・・・・・」物語の中で、そう新吾が心の中で友にささやきかけてから、季節がめぐり、次のシーンは1923年の夏に飛ぶ。そして、その年の9月、関東大震災が起こるのだ。これはヨーロッパにいた摩利が、大震災のニュースを見て茫然自失するシーン。「日本国大崩壊」「熱海 伊東の町は消え 富士山頂が飛び」「帝都 灰燼に帰す」「東京 横浜の住民は10万人死亡」「三日三晩猛火につつまれ」と、真実と誇張がないまぜになった報道がヨーロッパを駆け巡る。昔このシーンを読んだときは、「大正時代だから、さぞや情報が届きにくかったんだろうなあ」などと思ったものだが、88年たった今でも、案外似たようなものだ。単なる誤報や無知からくる偏見も多いが、明らかに意図的な煽りもある。花粉症でマスクをし、目をしょぼしょぼさせている人を写して、「放射能に苦しむ東京都民」などと海外で報道するのは、知っていてワザとやっているとしか思えない。1923年9月1日 午前11時58分・・・ M7.9の大地震が日本を襲った。のちに言う関東大震災である。ちょうど昼食時だったため、市内いたるところの台所から出火した地獄の猛火は3日間燃え続けた。特に地盤の弱い東京下町では、ほとんどの家屋が倒壊し、火に追われ、水に飛び込んで溺れ、死者は累々。東京だけで6万人に及んだという。私たちが1ヶ月前に見た光景には、これに大津波が加わった。死者の数は関東大震災のほうが多いが、東日本大震災のほうが、被災地は広範囲にわたる。関東大震災から1ヵ月後の東京の風景。崩壊から復興へ 混乱から秩序へ 88年後の今日は、2011.3.11からちょうど1ヶ月。もし地震と津波だけだったら、同じように言えただろう。だが、今回はおさまる気配を見せない余震とともに、いまだに収束の見通しがたたない福島第一原発の事故という重いくびきが、元通りの生活に戻ろうとする私たちの行く手を阻んでいる。折りしも東京都知事選挙が行われ、脱・原発一辺倒では立ち行かない現状を訴えた石原慎太郎が4選を果たした。これほどまでに恐ろしい原発。手を引くことができれば理想的だ。だが、それは一筋縄ではいかない。代替方法で効率的かつ安定的な電力供給が可能であるというのなら、希望論や机上の空論ではなく、実際に見せて欲しい。今後原発に頼らない方向に進まなければいけない。それは今回の事故でハッキリした。だが、今すぐに「脱・原発」したらどうなるだろう。私たちの生活は、経済は?節電すればいいじゃないか、ちょっとぐらい停電になったって、我慢すればどうってことない、昔はそうだったんだから・・・・・・そう言える人は、ある意味強い人たちなのだ。だが、たとえば人工呼吸器などの高度な医療機器に頼らなければならない、弱い弱い立場の人たちは? 停電のたびに、命の危機に見舞われるのではないか。「昔」なら命をつなぐことのできなかった人たちも、生きていけるようになった。それは医療の発達と経済的に豊かになった社会の賜物なのだ。その豊かさには、もちろん安定して供給されてきた電力の恩恵も含まれる。また経済は? このまま節電、節電で企業活動が滞れば、個人の消費活動も鈍り、経済は失速する。それでどうやって、この未曾有の大災害から復興するのか?もちろん、無駄な電力消費はやめるべきだ。特に東京は無駄に明るすぎたし、無駄に便利すぎた。だが、それだけで脱・原発を図れるのだろうか、本当に? 現在進行中の福島第一原発の事故は、この国の経済が、絶望と紙一重で回っていたという、危うすぎる事実を見せ付けた。原発が本当に安全などと、心から信じていた人がいるだろうか? チェルノブイリやスリーマイル島の事故を見ているのに? 皆心の中で、本当に大丈夫なのか、もし日本の原発に最悪の事態が起こったらどうなるのかと恐れていたはずだ。だが、原発から遠い場所に住む、特に都会の人間は、便利で快適な暮らしの中で、「最悪の事態」を想像することをやめ、信じたい言葉を信じてきた・・・あるいは少なくとも、信じるふりをしてきたのだ。最悪の事態が起こった今になって突然「覚醒」し、理想論を振りかざすのは、社会的に無責任なポジションにいる人間にはたやすい。聞こえもいい。だが、この国の経済活動の一端を担っているという自覚のある人間になればなるほど、物事は机上の理論どおりにはいかないということを知っている。経済を発展させることと環境を守ること。この2つは簡単には両立できないのだ。あちらを立てればこちらが立たずの状況を、なんとかあちらを立てつつ、こちらも立てて、四苦八苦してやっていかなければならない。すぐにすべての原発を止めることは不可能だ。だが、危険な原発施設をどうするのか、これから作る予定の原発は本当に必要なのか。そして、原発に頼らないとするなら、それに替わる技術をどうやって開発していくのか。一朝一夕には結論の出ない重い課題を、2011年の私たちは背負っている。5000円以上で送料無料!【中古】afb【古本全巻セット】摩利と新吾_全8巻[完結]_木原敏江_白泉社_文庫版_【あす楽対応】【240ポイント付】摩利と新吾 文庫版 1-8巻 全巻 【ポイント×5倍】【中古漫画】【中古】摩利と新吾 (全13巻)/木原敏江
2011.04.11
椿山荘の中には桜はあまりなかった。大きな池の脇に数本と修理中の三重の塔のそばに大木が1本。そのかわり、庭園から神田川沿いの遊歩道にすぐに出ることができ、そこで満開の桜を堪能した。正直、ここより近所の善福寺公園のほうがいい気もしたのだが(苦笑)。それでも、今年は神田川沿いの桜を上からも下からも見たので、それでよしとしよう。どこもかしこも満開の桜。花見のタイミングとしては完璧だった。桜の「超」名所だと、桜を見に来たのか人を見に来たのか、わからなくなってしまうのだが、このくらいの場所ならそれもない。水面に落ちた花びらが流れていくさまも美しい。川がもっときれいならいいのだが。夜になって、庭園内の三重塔の脇の大木を見に行ってみた。風が強く、花を全身につけたまま、きしむような音を立てながら身をよじる桜の美しさは、むしろ恐怖に近かった。
2011.04.10
フォーシーズンズホテル椿山荘の庭園内にある数寄屋造りの料亭、錦水。というと、いかにも高そうだが、入り口のメニューを見たら、ショート懐石で6000円(サービス料・税込み!)という特別メニューがあった。消費マインドが冷え込んでいる昨今、なんとかお客さんに来てもらおうと、どこも必死に工夫しているのがよくわかる。ホテルのコンシェルジュをとおしてディナーの予約を取ってもらい、ついでに、「できれば窓際の席」と指定したのだが、「混んでいて窓際は取れない」と言われた。行ってみると宿泊客ではなく、食事だけ食べに来たといった女性グループも多かった。桜の効果だろうか。錦水は非常に広く、個室がいくつもあった。そのなかの一室が貸切客以外のレストランスペースになっていて、畳敷きの和室にテーブルが並んでいる作りだった。庭園内にあるので、庭の眺めがいいのかと思っていたのだが、レストランスペースとして使っているその部屋からの眺めはほぼゼロ。節電で庭の照明を落としてるということもあるだろうが、「庭園内の料亭」の雰囲気を味わえる眺めのいい部屋は貸しきり客のためのものだとういうことだろう。よく考えれば、そりゃそうだ。6000円ポッキリ(笑)のコースなので、もちろん文句はない。桜豆腐と百合根(右)、湯葉を使ったおひたし、目にも可愛い器。お造りはひたすらウマイ。普段食べているお刺身との違いに改めて唸る。素材はもちろんだが、「切り方」でこうも味が変わるのか。素材を選ぶ目と料理人の技の違いを舌で納得できる日本人に生まれてよかった。花形のカボチャと桜色の豆腐、白っぽい固まりは鯛子。給仕役の若い女の子:「タイコというのは、鯛のお子さんです」。爆笑こちらはMizumizuの選んだ和牛。さっぱりとしたドレッシングのかかった野菜も上品な味で肉とよく合っていた。脇に添えられたゆず胡椒と辛くない唐辛子がアクセントに。Mizumizu連れ合いはきんきを選択。ヒレがピンと立ち、目にも美しい焼き魚。少しもらって食べたが、火の通り具合も最高で、「やっぱり魚料理は日本人でしょ」と確信する。フランス料理でよく、「魚の火入れの具合を楽しんでください」などと言うが、そうやって威張るわりにはムラがあったり、ちょい生っぽかったり、たいしたことがない。しょせん、魚の火の入れ具合の「微妙な巧み」は、日本人にしかわからないのかもしれない。桜海老のご飯と赤だし。これはちょっと田舎臭い味だった。自家製の杏仁豆腐(右)は極上の滑らかさ。左はフルーツカクテル。器は江戸切子。東京は和食の「味」に関しては、たいしたことはないと思うのだ。出汁の使い方が違うのか、あるいはそもそもの味に対する好みが違うのか、やはりながく日本の食文化の中心地だった「西」の洗練にはかなわない。今回もその印象は残ったが、なんといってもこの場所でこの値段というのが破格だと思う。食事のあと、夜風にあたりながら、ほの暗い庭を歩けるゆとりもいい。椿山荘のシンボルでもある三重の塔は現在改修中で、四角い囲いとシートに覆われているのだが(なんだか、建屋が爆発してふっ飛ぶ前の福島第一原発のよう・・・)、園内の桜はライトアップされていた。三重の塔の眺めがないことも、ホテルと料亭の「特別価格」提供の一因かもしれない。だが、サービスは丁寧で十分に満足できるレベル。ホテルのほうも、割引価格とはいえ、高級ホテルの命である部屋のメイクアップサービスに手抜きはなかった。食事の前に使ったタオルは、食事から帰って来るとすべて新しいものに交換されており、ゴミ箱も飲み終わったティーバックもきれいに片付けられていた。だが・・・1つだけ言うと、日本の高級ホテルって、部屋に傷みがあるのにきれいに修繕されていないことが多い気がするのだが・・・今回泊まった部屋もレースのカーテンが数箇所、薄切れていたし、壁の角のクロスがひび割れて剥げていたり、荷物をぶつけて凹んだあとかそのままだったりした。椅子の布地はきれいだったが、ときどきシミがついたままになっている高級ホテルもある。こういうことって欧米の高級ホテルではまずない・・・ように思うのはMizumizuだけだろうか。
2011.04.09
震災および福島原発事故による外国人観光客の激減(というより全滅)、それに自粛ムードの広がりで打撃を受けている日本各地の観光業・飲食業。募金やボランティア活動といった直接的な被災地支援も大事だが、大きな被害を蒙らなかった人間は、自分のできる範囲で経済活動を活発化させることも大切だ。経済が停滞してしまうと、さまざまな方面で悪影響が出る。そこで、これからはフィギュアスケートネタと並行して、Mizumizuが実際に足を運んだホテルやレストランの情報を掲載して、苦悩する業界の「宣伝」に一役買えたらと思う。今日の話題は、桜の開花に合わせて一泊した都内のホテル、フォーシーズンズホテル椿山荘。目白の高台に位置しながら、秩父山系から地下水脈を通じて100年かけて雨水が湧き出してくるという稀有な場所。その地の利を生かして造営された、広々とした自然主義庭園を抱くこのホテルでは、東京都心にいるとは思えない緑と花の織り成す景観美を堪能できる。そのため、都内に住む人をターゲットにしたショートステイプランにも力を入れ、女性を中心に人気を得ているようだ。今回Mizumizuが利用したのは、Travelzoo提供の特別プラン(こちら)。このクラスのホテルとしては、確かに「驚愕」の割引プランだった。これがホテルと庭園の全景マップ。神田川沿いには桜並木が続き、今まさに満開だった。神田川方面から見たホテル。窓の張り出した8階が今夜のMizumizu+Mizumizu連れ合いの部屋。たまたま庭園の眺めのいい、和風インテリアの部屋が空いているというので、そちらをチョイスしてみた。この部屋のウリは、なんといっても檜風呂。水を張って身体をしずめると、檜のいい香りがほんのりと漂ってきた。ベッドなのだが、確かに和風の上質なインテリアが施されている。障子の向こうには張り出した窓がある。フォーシーズンズホテル椿山荘は、シティビューとガーデンビューで室料金が違い、当然ガーデンビューのほうがいい。もちろんMizumizuも、ガーデンビューで予約。こちらは神田川方面の眺め。桜は満開。右は庭園の緑。池のある庭園。起伏に富み、散策すると美しい山道を歩いている気分になれる。こちらが庭園の「底」。湧き水が流れている。椿山荘の名の由来となった椿もあちこちで咲いていた。椿山荘と名付けたのは山県有朋で、山県の出身地である萩から移植された椿もあるのだとか。夕闇が迫ると、暗い庭園と桜の神田川の向こうに、都会らしい風景が広がった。夕食は庭園の中にある料亭、錦水(きんすい)でいただくことにした。
2011.04.08
<きのうから続く>このように自分自身の目で見た選手の長所を、的確かつ魅力的な言葉に変換できる人間がそばにいることも、高橋大輔の強みだろう。もちろん、それは高橋選手の才能が図抜けているからだからなのだが。今年のショートプログラムの「マンボメドレー」は、明るい光のもと、競技会で見るのもいいが、照明を凝らした暗い空間でショーナンバーとして見てのもまた格別楽しい。普通、アマチュアスケーターの場合は、どうしても試合のほうがおもしろい。ジャンプも難度の高いものを跳ぶし、緊張感もある。だが、高橋大輔の「マンボメドレー」は、試合は試合、ショーはショーで別の味わいがあり、しかもどちらも甲乙付けがたい。「マンボメドレー」は前半と後半の滑りの違いにスケート鑑賞の醍醐味があるが、トゥの先まで効果的に使った華やかで激しい後半よりも、むしろMizumizuはゆったり(いや、むしろ「ねっとり」)滑っているだけの前半に魅力を感じる。とりどりの色彩を氷のうえに落とす照明の下で、高橋大輔が深いエッジに乗りながら滑ると、彼の刃が氷に付けていく一筋の白い傷跡さえ色っぽく見える。キム・ヨナ陣営はオリンピックに備えて、彼女をヨイショしてくれる人材をカナダで雇っていた。翻って、浅田選手。浅田選手にはそうした戦略を立て、実行していく周囲の人材が欠けているように思う。キム選手のプログラムについて、韓国紙は必ず振付師の「キム・ヨナにしか演じられないプログラム」という宣伝文句を頻繁に載せるが、日本のメディアは浅田真央についてこうしたプログラムの作り手からの言葉をあまり掲載してくれない。事務所はショーに浅田選手を出すことには熱心だが、そのわりには世界的な売り出しをしてくれるわけでもない。イメージを傷つけるような誹謗中傷や事実に反する報道がなされても、ほとんど自分からリアクションを起こさない。You tubeには浅田真央を中傷するような動画が多くあるのだが、なぜ削除依頼もせずホッタラカシなのか理解に苦しむ。浅田真央の印象を悪くするような記事を書くフリーライターが、主にネットメディアで幅をきかせ、浅田ファンの怒りを買ってきた。最近になってようやく、彼女について好意的な記事を書こうというミリオンセラー作家が現れたが、残念ながらフィギュアに関しては門外漢なので肝心のフィギュアファンからの評価は高くないようだ。このあたりもややちぐはぐな印象を受ける。有名な作家に書いてもらうのは基本的にいいことだが、書き手にフィギュアの知識が欠けていれば、それはただの修辞に頼った主観的な印象論に終始してしまい、説得力がなくなるからだ。そこにいくと、バレエダンサーの熊川哲也の浅田評は的確で驚かされた。http://www.youtube.com/watch?v=gelA0pdbaW8&playnext=1&list=PLE1119F69E7F9AB89「脚のラインがきれい」「ステップとステップのつなぎが本当にきれい」「透明感があってショパンの曲とぴったり合っている」。演技を見終わったあとは、「(思いっきり力をこめて)素晴らしかった」「スケートが好きな自分というのが(あって)、客席へのアピールではなく、自分とスケートとの対話がそこにあった」「ショパンへのリスペクトがそこで見えた」「観客へのアピールというよりも、自分が大好きなスケートをやっているということに、僕は感動した」。1つ1つの言葉に緊張感があり、「素晴らしかった」「感動した」という賞賛がお世辞ではなく熊川哲也本人の実感であることがよく伝わってくる。そして、何が素晴らしく、どこに感動したかの表現も的確で説得力がある。他の解説者やアナウンサーの言葉がむなしくも無駄なおしゃべりに聞こえてしまうほど。高橋大輔とはまた違った表現力がそこにはあるのだ。浅田真央のスケートの対話から生まれてくる現実離れした夢の世界、それを観客はそっと見つめて感動するのだ。彼女はダイヤモンド、自ら「ほらほら、私、きれいでしょ」とアピールせずとも、観る者の目を釘付けにするうつくしさに溢れている。彼女のもつ透明感、すらりとした脚のライン。練習を重ねることで磨いてきたテクニックと所作、それ加えて恵まれたプロポーションとルックスという天性の魅力を含めて浅田真央の持つ大きな武器、それらを短い言葉であますところなく伝えている熊川解説は、見事としかいいようがない。「ステップとステップのつなぎが本当にきれい」というのは、意図せずともジャッジへの皮肉にもなる言葉で笑ってしまった。タラソワの振り付けだと、「なぜか」演技構成点の「つなぎ」の点数は低く出るのですよ。フィギュアの表現がお手本とするバレエの専門家として、一度、本当の「つなぎ」とは何か、ジャッジに講習してあげていただけませんか、熊川さん。ここまで専門的な目をもった人はそうはいないとは思うが、フィギュアに詳しく、的確かつ魅力的な言葉で浅田真央を「宣伝」できる人材を浅田陣営は、もっと真剣に探す必要があるかもしれない。高橋大輔と比較しても、その差は大きいように思う。浅田選手について佐藤コーチは、「技術的なことについては言えない。僕が何か言うとそれが一人歩きしてしまう」と言っていた。これほどまでに商業化が進みながら、日本のコーチ陣はそれに無頓着な部分があり、自分の発言に尾ひれがついたり、ファンが曲解したりするなどと思ってもみなかったフシがあった。生粋の競技指導者としての率直で公平な意見が、ある種の思惑によって歪められ、別の話になってしまうのは、最近はよく見られることだ。ことに最高の人気を誇る浅田真央に関しては。佐藤コーチはその危険性を認識したということだろう。素晴らしいものは誰が見ても素晴らしいから、特に自分たちから宣伝しなくても、謙虚にただ素晴らしいことをしていれば、自然にそれは周囲に理解される・・・そう日本人は思いがちだが、現実はそうではない。素晴らしいものに対する評価さえ、思惑と金銭に左右される。無意味な理想論に浸るのではなく、現実を知ったうえでどう対処し、戦略を立てていくか。それにはビジネス感覚が要求される。フィギュアスケートだけを純粋に見つめてきた日本のコーチ陣にはどうしても欠けている感覚だが、今やそうした視点が必要になってきている。【送料無料】浅田真央、18歳【送料無料】浅田真央奇跡の軌跡 【中古】児童書・絵本 ≪児童書・絵本≫ 浅田真央 さらなる高みへ【10P06Apr11】【画】【送料無料】浅田真央 20歳になった氷上の妖精■高橋大輔 CD【Daisuke Takahashi 2010~2011 Season】11/1/7発売
2011.04.07
芸術というものの世間的評価に、いかに「宣伝」がものを言うかという話は過去にも書いてきた。メディアで繰り返し、「素晴らしい、素晴らしい」と言われれば、タダの石ころでも次第にダイヤモンドに見えてくる。フィギュアも例外ではない。メディアが誰を持ち上げるかで、一般のファンのその選手に対する見方も変わる。奇妙なことにフィギュアの女子選手について日本のマスコミの多くは、自国に目を見張る逸材がいるにもかかわらず、他国の選手をしきりと誉めそやす。日本に現世界女王がいるのに、わざわざキム・ヨナを「フィギュアの世界女王」などとレポーターに呼ばせたりする。このいかにも胡散臭い報道姿勢については、こちらのブログのエントリーが緻密で詳しい。だが、男子に関しては、こうした奇妙な現象はあまり見られない。現在の男子シングルでプロトコル上の最強選手はパトリック・チャンだし、4回転を決める確率がもっとも高いのも、恐らくチャンだと言っていいだろう。ところが、チャンに関しては、キム・ヨナに見られるようなメディアによる過剰な持ち上げは見られない。むしろ、「高橋大輔、世界選手権2連覇へ」で、衆目を集めようとしているようだ。浅田VSキムに見られるような、高橋VSチャンの過剰な煽りもない。男子と女子に見られるこの不可解なメディア報道の不均衡の裏に何があるのかないのか、Mizumizuとしては知る由もないのだが、高橋大輔選手に関して言えば、その実力に見合ったメディアからの厚遇が得られているといって差し支えないと思う。もっとダイレクトに言えば、日本フィギュアスケート選手で最も「宣伝」がうまくいっているのが高橋選手なのだ。特に日経新聞は好意的で良質な記事を書いてくれていた。シーズン初めに出た高橋選手の談話記事(高橋大輔「格好いいか、悪いか。流れと表現力を磨く」)は、同選手がスケート選手として、また同時に身体を使った表現者として何を最も大事に思っているかを詳しく掘り下げた興味深い内容になっていた(こちら)。この中でMizumizuが最も核心的だと思うのは、「僕が思う男子フィギュアは簡単に言えば、『格好いいか、悪いか』だと思います。形は大事だけれど、それ以上に心をわしづかみするような演技ができるかだと思います」というくだりだ。そして、その「格好よさ」をどうやって作り上げるか。そのプロセスについても解説しているのだが、それは意外なものだった。「毎年プログラムの滑り始めに『これって変?』と、長光歌子コーチに聞いています」「僕はあまり鏡とかは見ません。動きをイメージしながらやってみて、コーチに意見を聞いて、調整していきます」。つまり、高橋選手は自分で鏡を見ながら自分自身で自分の思い描く「格好よさ」を作っていくのではなく、長光コーチに「格好いいか、変か」を見てもらい、「変だ」と言われれば、それを修正していくという、かなり受身な手法を取っているということだ。自分がどう見えるかを鏡で気にするのではなく、第三者の目を借りて、どう見せるかを最初から意識している。長光コーチはこの場合、コーチであると同時に、観客(もっと言ってしまえば一般のファン)の目で高橋選手を評価しているのだろうと思う。コーチでありながら、ファンの目も持つ・・・これはできそうで、簡単にはできないことだ。長年かけて培った長光コーチと高橋選手の信頼関係とお互いの感覚のマッチングがうまくいってこそ、成果を出している手法だろう。これは意外でもあったが、納得でもあった。Mizumizuがこのブログでも常々指摘しているように、高橋選手は演技に深く入り込みながら、どこが冷静な第三者の目で自分を突き放して見ているような部分がある。それは、本当に優れた表現者にしか達し得ない境地で、しかもフィギュアスケーターに限定されるものではない。たとえば、イタリアの名優マルチェロ・マストロヤンニは、「泣く」演技について、「自分が泣くのは、観客を泣かせるため。自分が本当に感情移入してしまうことはない。ただ、1度だけ、本気で泣いてしまったことがあり、そのとき、もう1人の自分が、『おいおい、この人物の人生はお前のものではないんだよ』と諌めてきた」と語っている。同じようなことを高橋選手も言っている。「表現力が大切といいましたが、感情移入しても、自分に酔うことはありません。自分に酔ってしまったら伝わりません」。この台詞は頭で作り上げた言葉ではない。こう言えと言われて言ったものでもない。高橋選手自身の言葉だ。こうした実感をもった話ができるのは、恐らく現在のアマチュアスケーターでは高橋選手だけだ。キム・ヨナ選手にも同じ傾向の才能があるようにも思うのだが、彼女の場合は、アイドル歌手の振り付けのような単純でインパクト重視の大衆性に傾いていってしまったのが、個人的には残念なのだ。「あげひばり」のころに見せた腕全体、指の先まで繊細に使った、こちらのイメージを刺激するような表現がなくなり、かわりにやたらとハッタリをきかせた、パターン化した演技ばかりを繰り返すようになった。だからキム・ヨナの演技は1度見れば、それで十分になってしまった。2度めからはどんどん平凡でスカスカでつまらなく見えてくる。ワールド一発勝負に出るのは、キム・ヨナ陣営が、彼女のプログラムは底が浅いという欠点を実は自覚しているからではないかとさえ思う。次のワールドで、「それだけではないキム・ヨナ」を見せてくれると嬉しいのだが、どうだろうか。なにはともあれ、「アリラン」には個人的に期待している。「あげひばり」以上のものができるとすれば、それは韓国人の彼女にしか演じられない「アリラン」をおいて他にはないように思う。どう見えるかを気にするのではなく、どう見せるかを常に考えている。自分に酔っているようでいて、冷静に「それを見る人たちの反応」を予想し、確認し、そこからまた自分の表現に工夫を加えていく。それが一流の表現者の姿勢なのだ。ただ単に自分を格好よく見せたいだけの役者が一流になれないのは、格好いい自分に酔おうとするからだ。キム・ヨナの演技がつまらなくなったのは、アイドル的な見かけのよさばかりを追求したからだ。あっという間に忘れ去られるアイドルならばそれでいいだろう。だが、アイドルと一流の役者は違う。一流の役者なら、格好よい自分を作り上げるのはそれが必要とされているからであって、同じ情熱をもって、たとえば「惨めな」自分を作り上げることもできる。そうした才能を高橋選手も持っている。その能力が現在のアマチュアのフィギュアスケート界で、最も傑出してるのが高橋選手だ。よく「世界一のステップ」と技術的な面で賞賛される同選手だが、高橋大輔の魅力がそれだけに留まらないのは、彼がアマチュアスケーターの範疇を超えた、一流の表現者に普遍的に要求される能力と姿勢を兼ね備えているからに他ならない。パトリック・チャンの演技にどうしても感動できないのは、彼にこうした表現者としての才能が欠けているからだろう。彼の演技はまるでよくできた機械のようだ。いくら上手にすいすい滑っても、オーバーなアクションをしても、クルクル器用にスピンを回っても、肝心の本人のエモーショナルな部分での深みと成熟が伴わない。今年のフリープログラム、「オペラ座の怪人」は、つなぎも濃く、技術的には素晴らしい。だが、かつて高橋大輔が氷上で仮面を剥ぎ取るモーションをしたときに彼の身体全体から発散された異形の存在のもつ孤独感、そしてそこから解放されたいという内的なエネルギーの爆発を思い浮かべるとき、チャンのプログラムは一瞬で色褪せる。音楽の使い方も、高橋大輔のプログラムでは、あえて皆が知っている旋律を極力使わない、通で凝った編集がなされていたが、チャンの場合は、オペラ座の怪人の中でも最もポピュラーな旋律をタイトルナンバーから取ってきた大衆的なものだ。実につまらない。信じられないことに、今のフィギュアスケート界は、「(組織と密接なコネをもった有力な)振付師兼コーチがジャッジに宣伝をしてくれる」選手が、「ジャッジに愛され」て、高い得点をもらえるらしい。こうした演技ばかりにプロトコル上で天井知らずの演技構成点を与えている現状が、フィギュアスケートの表現世界の可能性を狭めている。日本以外でのフィギュア人気の凋落ぶりが、それを裏付けている。日本は選手の独創的で素晴らしい演技が沸騰するフィギュア人気を支えている。高橋選手の場合は、「高橋大輔の格好よさ」を作り上げるのに、彼自身の才能に加え、コーチやもちろん振付師の能力がうまく噛みあっている。また、それを宣伝する道筋もスムーズでうまく行っている。先に挙げた日経の記事もそうだが、たとえばこの宮沢賢治・・・じゃなくて、宮本賢二氏の解説。http://www.youtube.com/watch?v=iNcz5SaaG_wあの名プログラム「eye」を作る前だが、いかに振付師・宮本賢二がスケーター・高橋大輔の才能に惚れこんでいるかよくわかる。最初はなぜかパンツの色と髪型の個人的好みから始まり(苦笑)、アナウンサーが織田選手との「激闘」に話を振っても、まったく意に介さず、高橋ワールドの「唇」の話をしている(再苦笑)。それはつまり、宮本賢二自身が、髪型や衣装、そしてモーションやポーズに関して、「こういう大輔が格好いい」という強いイメージとビジョンを持っているということだ。それをふまえた上で、高橋大輔表現のキーワードである「格好いい」を連発する。ここまで、「格好いい」と言われれば、本当に格好よく見えてくる。なぜ格好いいのかという説明も的を射ているからなおさらだ。「ジャンプもすごい」「世界一のステップ」という一般的な解説に加えて、「楽器を表現できる。バイオリンならこう伸びるような動き、ピアノならこう叩くような動き(つまり、弦と打の音質の違いを表現できるという意味)」「どこもかしこも動いている(つまり、全身を使った身体表現がエネルギッシュで卓越していることを言っている)」といった普通のファンにはあまり気づかないような点にも言及している。しかもありえないほどの熱を込めて(笑)。これも、解説者自身が実感していなければ話せない内容で、かつ解説者が振付師でもあることから、その説得力は勢い増すことになる。<明日へ続く>
2011.04.06
ながらく休止しておりましたが、来週あたりより、またブログを再開いたします。よろしければ、また遊びに来てください。最初の内容は・・・以下からお察しを。【送料無料】STEP!STEP!STEP!高橋大輔STEP!STEP!STEP! 高橋大輔 フィギュアスケートを行く (日経ビジネス人文庫) (文庫) / 原真子/著【送料無料】NHKスポーツ大陸(石川遼・福原愛・高橋大輔)【送料無料選択可!】ワールド・フィギュアスケート 45 【表紙】 高橋大輔 (単行本・ムック) / ダンスマガジン/編
2011.04.01
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