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2008.10.18
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三島由紀夫の映画『憂国』――このフィルムを後に三島夫人は焼却して、この世から消そうとした――を見たとき、彼の愛人だった福島次郎は、内臓まではみだしてくる凄惨な切腹シーンに、三島の性的嗜好を感じ取っている(『三島由紀夫――剣と寒紅』より)。

三島由紀夫が森田必勝といううら若き青年と、いわば心中のように割腹自殺を遂げたことは、表向き三島が主張した「憂国」という高邁な志の裏に、同性愛と切腹マニアという二重の倒錯性があったと推察できるし、実際に三島の自決は単なるオカマのヒステリーだと切り捨てた人もいた。

この三島の最期を思うとき、奇妙に重なって思い出される映画がある。イタリアの女流監督リリアーナ・カヴァーニによる『ルー・サロメ 善悪の彼岸』だ。この映画の主人公は19世紀のヨーロッパ社交界で、幾多の知性を虜にした実在の女性ルー・サロメ(ドミニク・サンダ)。ルーのあまたある男性遍歴の中から、カヴァーニは比較的初期の「 三位一体の友情 」と呼ばれるニーチェとレーの2人の男性とサロメの共同生活を中心に、3人の出会いから関係の破綻、レーとニーチェの死までを、ルーの結婚をはさんで描いている。

三島との共通性を強く感じさせるのは、パウル・レーという男性のキャラクター設定だ。レーは実在の人物で、哲学者でもあり医師でもあった。最初ニーチェと出会い、友情を結んだあとルー・サロメに恋し、ルーの申し出に応じるかたちでニーチェとの共同生活を始める。だが、まずレーとニーチェの友情が破綻し、次にサロメとの関係も終わり、医師としての生活を始めるのだが、その後謎の死を遂げている。

この実際の人物にカヴァーニは、「同性愛」と「マゾヒズム」という隠された二重の倒錯性を与えることで、サロメとニーチェとの奇妙な三角関係を解き明かそうとした。

映画『ルー・サロメ 善悪の彼岸』の冒頭で、パウルは奇妙な行動を取る。彼は友人のフリッツ(=ニーチェ)が自室に呼んだ娼婦と戯れる姿をこっそり覗き見するのだ。
娼婦とフリッツ
この窃視は、死の直前のパウルの脳裏にも別のイメージを伴った記憶として蘇ることになる。

それから、パウルは才色兼備のルー・サロメに出会い、心惹かれる。ところが、ルーに話すことはといえば、友人のフリッツがいかにすぐれた思想家かとういことばかり。
フリッツの話

聖セバスチャン 通り」という意味深な名前の通りで行われている、男だけのいかがわしい野外パーティに連れて行く。

今風にいえば、そこはハッテン場。
ハッテン場
複数の男性にもてあそばれているこの若い青年は、映画の後半で自称キリストとなって、フリッツの、そしてパウルの幻想にも現れることになる。

あまりの卑猥さにショックを受けたパウルは、ルーに「行こう」と促すのだが、ルーは平然と……
ハッテン場で
男性ばかりの痴態を眺めている。

絡み合う青年

こうした情景を見てるうちに、なぜかパウルは昂奮してしまい、ルーに襲いかかる。ルーは拒否するのだが、一方で、「2人の男性と暮らすのが私の夢」だとパウルに奇妙な提案をする。とまどうパウルにルーは、「もう1人の男性は…」
彼しかいないでしょ

ルーは「人の本性を一目で見抜く」女性。パウル自身が気づかないでいる彼のセクシャリティをすでに理解している。

フリッツもルーに会うと一目で恋に落ちる。だが、フリッツは以前娼館で梅毒をうつされ、今は阿片にも溺れて男性としてはほとんど役立たずの状態になっている。

3人はローマで共同生活を始めるのだが、奔放に交わる若いルーとパウルの姿にフリッツが嫉妬してしまい、破局へと進む。

ルーは「大学で勉強がしたい」とベルリンへ。パウルはルーに同行し、フリッツは2人と別れてベネチアへ旅立つ。

ベルリンでルーはカールという大学教授と関係をもつ。2人をなすすべもなく見つめるパウルだが、カールのほうはパウルの特殊性に気づいている。
彼はゲイ



一方、ベネチアで死の幻想につきまとわれたフリッツは、パウルとルーのいるベルリンへ戻ってくるのだが、ルーはフリッツに会ってくれない。心配して様子を見に来たパウルに、絶望したフリッツはカミソリを持ち出し、「オレを切ってくれ」と懇願する。
フリッツとの訣別
パウルは拒否するが、フリッツは「ルーならやるぞ」と迫る。パウルはパニックを起こし、ヘタレ感たっぷりに逃げ出す。ルーが現れる前は、友情で結ばれていたパウルとフリッツの関係は、これで完全に終わる。このあと、フリッツは梅毒の進行もあって、自傷行為に及んでいく。

一方、ルーのほうものっぴきならない状況に陥る。思いつめたカールが、「結婚してくれなければ死んでやる」と腹にナイフを突き立てたのだ。

ショックを受けたルーは、カールとの結婚を承諾するのだが、このとき初めてパウルに精神的にすがろうとする。病院に運ばれたカールの血痕の残る部屋で、ルーはパウルに、泣きながら「あなたも一緒に暮らして」と懇願する。
もう一度
ところが、ここでもパウルはヘタレぶりを最大限発揮。これまでどんな残酷な仕打ちをされても、ルーにつきまとって離れなかったクセに、ルーから初めて精神的なサポートを求められると、「No!」と絶叫して彼女を振り払い、逃げ出すのだ。



そう、パウルはずっとフリッツを愛していた。だがフリッツにはそのケはまったくない。フリッツは娼婦性をもった若いオンナに燃えるタイプだったのだ。フリッツは3人で生活していたときに、「パウルがルーを好きなのは、簡単にセックスできるから」だと言っていた。それはあながち嫉妬だけの台詞ではなかったことが、物語が進行するにしたがってだんだんに明らかになる。

決定的になるのは、フリッツが発狂して精神病院に入ったとパウルが知ったとき。フリッツともルーとも別れたパウルは人生を立て直そうと、医師として1人で再出発していた。貧乏な患者からは治療費を取らず、逆に金銭援助をするなど、いわば「赤ひげ」としてふるまっていたのだが、あの偉大な思想家フリッツが、「馬に話しかける」ような状態に陥ったと聞かされたとたん、パウルの人生はまったく意味を失ってしまう。

以前フリッツと娼婦の絡み合いを盗み見した記憶が蘇り、誰もいない自分の診察室のドアをそっとあけ、覗き見をするパウル。
のぞく

そこで彼が見たのは、
幻想
女性ではなくたくましい男性を抱くフリッツの幻想。この男性は、ハッテン場で彼が見た若者でもあり、ベネチアではフリッツの幻想にも自称キリストとして登場する。幻想の中で2人の男性をつなぐ役割を果たしている。

パウルは1人で酒場に行き、見ず知らずの青年たちに誘いをかけ、彼らから激しい暴行を受けて、川に突き落とされて溺死してしまう。
乱暴

暴行されながら、瀕死のパウルが見る幻想は衝撃的だ。

パウルの死2
手首を血がにじむほどしばられ、複数の男性にもてあそばれるパウル。

パウルの死
マゾヒズムと同性愛というパウルが秘めていた二重の倒錯性を、カヴァーニ監督はここで容赦なく見せる。この残酷で嗜虐的なシーンには、奇妙なことだが、「女性」を強く感じる。これは女性が作った映画だな、と。

パウルの人生はこうして終わるが、降霊術師のもとを訪れたルーに、あの世から戻ってきたパウルが最後にこう告白する。

オンナになりたかった

字幕にはないが、イタリア語を聞くと、この場面でパウルは"Sono felice"と言っている。「(そうわかったから、今は)自分は幸せだ」という意味だ。行きずりの男たちに痛めつけられ、虫けらのように殺されてしまったパウル。だが、自分自身を知った彼は「幸せ」なのだ。

パウルの霊は「(このことを)フリッツに言えよ」と言って高笑いをし、消えていく。ルーも涙を流しながら笑い出す。やりとりを聞いていた「常識的な」老婦人は、「なんて恥知らずな!」と軽蔑と嫌悪感を露わにする。彼女はつまり、世間一般の感覚を代表する存在。

思想家としてのニーチェが発狂という形で終わったとき、彼を愛していたパウルはもはや生きていくことができなくなる。そして、みずからたぐり寄せた死の瀬戸際で、パウルはこれまで隠してきた、自分が最高に昂奮する妄想に浸る。そんな自分に会いに来たルーに、今は「幸せ」だと笑うのだ。

実在のパウル・レーがこうした人物であったという証拠は何もない。これはカヴァーニ監督の仮説だ。レーは哲学者としてニーチェの思索にも影響を与え、医師としても活躍したすぐれた人物だった。だが、高い知性の裏には、常にではないにせよ、しばしば、複雑に屈折した倒錯性が寄り添っていると、非凡な知性と才能をあまた生み出してきたルネサンスの国イタリアの女流監督ガヴァーニは見抜いている。









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最終更新日  2008.10.24 23:20:09
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