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2024年6月30日放送予定の実写ドラマ『ブラック・ジャック』。放送間近になって、ドクター・キリコが女性に改変されたことが話題になっている。https://news.yahoo.co.jp/articles/080e976183672b4b14c1d94b6fd26d0313f1a6d2(上の記事から引用)キリコについて「なぜ自分で自分の死を決めてはいけないのか。いまだ答えの決まらぬ重い問いを、キリコは理路整然と突きつけ、BJのエゴを暴いてしまう。このドラマにも、絶対にいなくてはいけない存在だった」(引用終わり)ドクター・キリコは軍医として地獄を見た経験から、安楽死を請け負う「死神」になった。個人的には、この設定は外せないと思っている。原作のファンなら、ほとんどがそうだろう。だから、女性に改変と聞いて、「あーあ」と思った部類だ。とは言え、「なぜ自分で自分の死を決めてはいけないのか。いまだ答えの決まらぬ重い問い」という番組プロデューサーの視点も、それはそれであってもいいと思う。ただ…今日本で問題になっているのは、治癒の見込みのない患者(多くは老齢者)に対する過剰な医療介入。苦痛しかない人生を長引かせるだけの治療は、虐待ではないかという考えなのだが、このプロデューサーの「調べてみると、海外で安楽死をサポートする団体には、なぜか女性の姿が多い印象があった。脚本の森下佳子さんと相談しているうち、『優しい女神』のような存在が、苦しむ人のそばにいて死へと導くのかもしれない、と想像するようになった」という言葉の軽さがひっかかる。Mizumizu個人は安楽死は認められるべきだと思っているが、それは「苦しい。こんな人生はイヤ」と訴える人にすべからく、「じゃあ、死んで楽になりましょうね」という話とは違う。人はギリギリまで生きるべきだし、それは長短とは関係ない。そもそも生きることには苦痛が伴う。100%生きてて楽しい、なんて人、いるんでしょうかね?また、この新作『ブラック・ジャック』の女性キリコのキャラクターは、コスプレ感が高く、そのビジュアルもドラマを薄っぺらくしてしまう悪寒がする。「高橋一生はよかったけど、キリコがあれじゃーね」と言われるオチになりそうだ。ただ、見てみないとどんなものか分からないので、その意味で、番組放送前にトレンド入りするほど話題になるのは、よい宣伝になった。視聴者に興味をもってもらい、番組を見てもらうよう誘導するという意味では、成功している。そもそも、手塚マンガの面白さ、その深さを二次創作で凌駕するなんて、ほぼ無理な話。手塚マンガ以上に面白い原作手塚のアニメもドラマも観たことないですから、Mizumizuは。でもね、それでい~のだ(いきなり手塚から赤塚に)。先日、大阪の御堂筋線で見た『ブラック・ジャック』の文庫本を読んでる青年。彼が『ブラック・ジャック』を知って、漫画を読んでみようと思ったきっかけはなんだろう?一番ありそうなのは、アニメではないか。手塚眞が監督した子供向けのTVアニメ『ブラック・ジャック』を、最近になって配信で見たのだが、登場する動物が原作ではほとんど死んでしまうのに対し、手塚眞版『ブラック・ジャック』では、かなり徹底して「死なない」設定に改変されていた。Mizumizuはこの改変が非常に気に入った。特に嬉しかったのは犬のラルゴが死なずにブラック・ジャック一家の一員になっている設定。これは現代の価値観にマッチしているし、そもそも動物が死ぬ映像が苦手で、その傾向が年を取れば取るほど強くなっているMizumizuには、手塚流の非業の死(特に動物)はショックが大きすぎるのだ。。『ブラック・ジャック』作品の持つ切なさ、キツさ、そこに描かれた「生」のはかなさは、もう少し大きくなって漫画を読んで知ればよいことだ。Mizumizuはクリエイターの立場ではないから言えるのかもしれないが、原作への敬意があれば、改変はおおいに結構だと思っている。別の才能のインスピレーションが加わることで、新しい魅力が生まれ、ファン層が広がるのなら、二次創作は成功だと言えるし、「なんだこれ、ひどすぎる」「手塚治虫への冒涜」といった、よくある酷評も二次創作者はバネにすればいい。また、そうした新しい作品をきっかけに、元の作品への興味がわいて、「手塚治虫の『ブラック・ジャック』? 知らないけど読んでみようかな」でもいいし、「手塚治虫の『ブラック・ジャック』? そー言えば昔読んだかな。また読んでみるか」でもいい。また原作が読まれれば、そこで「こんなすごい漫画があったのか」と気づく人が増えるはずだ。その数はなにも爆発的に多くなくてもいい。そうやって名作を「つないでいく」ことが大事なのだ。そもそも、漫画をアニメ化するに当たって、原作者が最も大切だと思う部分を改変され、ハブられたのは手塚治虫が元祖といっていい。1960年の東映動画『西遊記』のこと。この時の経験が、手塚治虫にアニメ制作会社を作らせた。この時の顛末を、それぞれの立場からの考え方の違いを踏まえて、冷静にレポートしている著作が、以下。手塚治虫とトキワ荘 [ 中川 右介 ]
2024.06.23
基本、SF好きでは「ない」Mizumizu。今日本ではファンタジーは流行るが、SFは廃れた感がある。それでも、NHKで藤子・F・不二雄の短編SF(少し不思議な物語)がドラマ化されたりと、また徐々に人気が復活する「かも」しれない。で、手塚治虫の『ドオベルマン』だ。これは1970年に「SFマガジン」に発表されたものだという。だが、Mizumizuが読んだのは最近。こちらの電子書籍にて、だ。https://tezukaosamu.net/jp/manga/302.html一読しての感想は、「?????」。なんじゃ、コレ。意味分からない。説明的なわりにはラストシーンが何を意味しているのか、いまいちはっきりしない。多分、宇宙人の侵略を暗示しているのだろうけど、それにしては曖昧だ。「SFマガジン」に描いたということは、コアなSFマニア向けだから、基本SFに疎いMizumizuにはハードルが高かったよう。ドオベルマンの遺作の絵の構図とラストシーンの星空の関連をつかみたくて、それらが絵か描かれている数コマは穴のあくほど見たのだが、直接的な関連は示されておらず、やっぱり分からないままだった。逆に遺作に描かれた複数の〇の位置が、同じ絵なのにコマによってズレてることを発見してしまった。ま、手描きですからなぁ、忙しい手塚治虫なので、ササッと描いたんでしょう、たぶん(だが、後から考えると、同じ絵なのに、〇の位置が見る時間によってズレて見えるのは、「あえて」そうしたのかもしれないとも思った)。ただ、何となく忘れがたい作品なのだ。ラストシーンの星いっぱいの夜空の冷たさが妙に心から離れない。小品だし、昔の作品だし、覚えている人もそうはいないだろう――と思っていたら、実は、いた。2024年6月5日のエントリーで紹介した松浦晋也氏のエッセイでも触れられている。https://news.yahoo.co.jp/articles/dc55cf24410ecb08952a1ed9092f4aa2b3d34e4d?page=5(ここから引用)手塚治虫にも「ドオベルマン」(1970年)という、尋常ならざる速度で絵を描く画家が登場する短編がある。「サンダーマスク」同様に手塚本人が語り手だ。 手塚はある日、コニー・ドオベルマンという外国人の貧乏画家と知り合う。彼は奇妙な絵をものすごい速度で大量に描いていた。手塚は、その奇妙でデタラメな絵画にある規則性があることに気が付く。 ラストで手塚は夜空を見上げ、まさに世界が今までとは全く変わる瞬間に立ち会うことになる。手塚治虫漫画全集の『SFファンシーフリー』に収録されているので、気になる方はどうぞ。(ここまで引用)これを読んで、「あ、やっぱりかー」と解答を教えてもらった気分だ。「まさに世界が今までとは全く変わる瞬間に立ち会う」というのは、松浦氏の解釈だが、素晴らしい。こういうふうに読める読者がいるのが、実は手塚マンガの凄いところなのだ。描いてあるのは、冷たい星の輝く夜空だけ。だが、その前の〇の並んだ絵から想像するに、隊をなしてやってくる宇宙船がまさに、地球に到達した瞬間を手塚が地上から見てしまった、ということなのだ。その後、何が起こるのか? それを考えたうえでで、「世界が今までとは全く変わる瞬間」と解釈してみせる優れた読者。これはまさしく、作家と読者による共同創作だ。「どこからそれらを見るか」の視点の違いがあるから、絵の構図と夜空に関連がないのは当然。松浦氏の文章を読んで、スルスルっと謎が解けた。そういえば、『サンダーマスク』の侵略者も、宇宙空間から見ると〇で描かれていた。ナルホド。答えが分かると、このラストシーン、ジワジワと怖い。夜空のぞっとするような冷たさが暗示する「その後」の物語を、読者が自分で作っていけるようになっている。で、ググッてみると、ブログやX(旧ツイッター)この『ドオベルマン』について書いている人、案外多い。説明的なようでいて、「謎」が散りばめられていて、明確な答えが書かれていないから、想像するしかない。たとえは、こちら↓http://gom47.blog97.fc2.com/blog-entry-104.htmlこの方の疑問に、今はMizumizuはMizumizuなりの解釈で答えられる。1つは物語上の意味ある設定(ある役割をもった機器)。もう1つは、手塚治虫が時々やるという、あるモノを連想させる絵的な「お遊び」。あえて答えは書かないことにしよう。じっくり読めば、多分、Mizumizuと同じ答えにたどりつくはず。「お遊び」については、『手塚番 ~神様の伴走者~』にヒントがある。
2024.06.13
5月8日に放送されたNHKのクローズアップ現代『”AI兵器”が戦場に』。この内容を起こした記事"AI兵器"が戦場に 自律型致死兵器システム開発の現状は - NHK クローズアップ現代 全記録を読んですぐに脳裏に浮かんだのが、手塚治虫の『火の鳥 未来編』。ここでは人類は5か所の地下都市でのみ生きながらえている。支配者として君臨するのはコンピュータ。そして、ささいなコンピュータ同士の対立から2つの都市が戦争になる。「計算」に基づいたコンピュータの判断は絶対で、その命令には人は誰も逆らえないのだ。そして、戦争は2つの都市のみで起こったはずなのに、残りの3つの都市もなぜか同時に爆発して消えてしまう。コンピュータがどういう「計算」をしてそうなったのかは分からない。一瞬の、あまりにあっけない人類の滅亡だ。『”AI兵器”が戦場に』では、以下のように問題を提起している。AIの軍事利用が急速に進み、これまでの概念を覆す兵器が次々登場しています。実戦への導入も始まり、ロシアを相手に劣勢のウクライナは戦局打開のために国を挙げてAI兵器の開発を進めます。イスラエルのガザ地区への攻撃でもAIシステムが利用され、民間人の犠牲者増加につながっている可能性も。人間が関与せず攻撃まで遂行する“究極のAI兵器”の誕生も現実味を帯びています。戦場でいま何が?開発に歯止めはかけられるのか?”究極のAI兵器”とは100%自律的に動作する殺戮機械のこと。人間が判断し、指示する必要がなくなり、「正確な計算」に基づき「効率的・効果的」に敵を倒すことができるようになるというのだ。ヤレヤレ…実に不愉快な話。いや、不愉快ではすまない、ぞっとする話だ。元米国防総省 AIの軍事利用政策に携わる ポール・シャーレ氏「AIシステムは、より多くの任務を果たすことができます。その性能は時間とともに向上しています。機械は民間の犠牲を考慮せず、単に計算をして攻撃を許可・実行してしまいます。結果、人々により多くの殺戮(さつりく)や苦しみをもたらしかねません。人間が命の重さを考えることができなくなれば、向かうのは暗黒の未来です」(以上、『クローズアップ現代』の記事から引用)手塚治虫が常に世に問うてきた「命の重さ」。それを考えることができなくなる、暗黒の未来が来るというのだ。規制を求める声は、当然ある。しかし、かつての核兵器開発競争と同じく、AI兵器の開発競争も、止めることなどできない。ウクライナ デジタル変革担当 アレックス・ボルニャコフ次官「技術革新は私たちが生き残る手段です。ロシアは躊躇(ちゅうちょ)することなく、より致命的な兵器の開発に取り組んでいるのです。いつ、この開発競争が終わるか分かりません。総力戦に向かうことが、人類にとって正しい道だとも思っていません。それでも開発を続けねばなりません。さもなくば、彼らが優位に立ってしまうからです」(『クローズアップ現代』の記事より)「人類にとって正しい道だと思わない。でも、やらなければ敵が先に開発を進め、優位に立ってしまう」――この理屈、この恐怖。それが人類を破滅へと導く。『火の鳥 未来編』が描くのは、完全自律型AI兵器のさらに先に待ち受ける、完璧(だと人間が思い込んでいる)コンピュータが支配する世界なのだ。まさに手塚治虫の「予言」どおりに、世界は進んでいる。NHKは昨夜(2024年6月11日)Eテレでアニメ『火の鳥 未来編』のワンシーンが流れる番組を再放送していた。「なぜ機械のいうことなど聞いたのだ! なぜ人間が自分の頭で判断しなかったのだ」そう誰かが叫ぶのは、遠い未来なのか、あるいはそう遠くない未来なのか。火の鳥(2(未来編)) [ 手塚治虫 ]
2024.06.12
傑作か、駄作か――膨大な手塚治虫の中で、おそらく評価が真っ二つに分かれるだろう作品のひとつに挙げたいのは、『サンダーマスク』。最近見つけた記事で手塚版『サンダーマスク』を傑作認定している人(松浦晋也氏)がいた。手塚治虫の知られざる傑作「サンダーマスク」:日経ビジネス電子版 (nikkei.com)あまり知られていない作品の中にも「すごい」と感嘆せざるを得ないような作品も存在した。その中のひとつが「サンダーマスク」だった。(中略)私にとって「サンダーマスク」は、まごうことなき傑作である。確かにラストは打ち切り作品らしく早足なのだが、それを補って余りあるオリジナリティーが込められている。変身ヒーローのサンダーマスクと魔王デカンダの対立というテレビ版の構造は、完全に換骨奪胎され、かなりハードなSF作品となっている。それどころか、映画「タイタニック」を思わせるメロドラマでもあるのだ。 物語の語り手は、手塚治虫本人。この時期の手塚作品には「バンパイヤ」に代表されるように手塚本人が時折登場している。手塚が命光一という若者と知り合うところから話はスタートする。(引用終わり)この記事を読んで、「おお、同志よ!」と思ったのだ。Mizumizuは最近になって初めて電子書籍版で読んだのだが、この『サンダーマスク』、相当面白い。手塚作品の中ではマイナーな『サンダーマスク』を、なぜ電子書籍版で買おうと思ったか・・・それは、ガチ手塚(真の手塚マニア)であるyou TUBER某(なにがし)氏が同氏の手塚治虫全巻チャンネルで、珍しくテンション下がりっぱなしの口調で「面白いとはいえない」と評したからだ。ファンがつまらないと言ってる作品、どのくらいつまらないの? と興味をひかれたのだ。【都市伝説】手塚治虫パンデミックを予言!支配者層の闇を暴露? (youtube.com)某氏は、手塚治虫自身もこの作品を気に入っておらず、その証拠にあとがきがあまりにアッサリしていること、書籍化の時に描き直しをする手塚治虫が手を入れていない(らしい)ことを挙げている。本人が駄作だと思ってそうしたのかどうか、Mizumizuは断定できないと思うのだが、「力が入ってない」と思うのは、作品の中身ではなく、講談社全集版の表紙の絵。手塚治虫の元チーフアシスタントが証言しているのだが、この全集版、手塚の力の入れようは並々ならぬものがあり、表紙の絵は新しく描きおろし、金の額縁の着色も、アシスタントに細かくダメ出しをしたそうなのだ。だが、『サンダーマスク』の表紙の絵は、過去に書籍化されたものをアップにしただけ。新しく描き直した形跡はゼロ。あとがきの短さ、全集版に向けての描き直しなし、表紙絵使いまわし――その作品が、今頃になって話題になるなんて、ご本人もびっくりかもしれない。漫画の文庫本には反対のMizumizuだが、電子書籍に関しては、利点があると思っている。それは、スマホと一緒にどこにでも持っていけること。本だとしまい込むと捜して出すのが億劫になる。それに、新幹線や飛行機の中に本を持参するのは面倒だが、電子書籍なら気軽に読める。手塚作品は楽天KOBO電子書籍ストアで安く買えるので、結構最近は買って、新幹線や飛行機の移動中に読んでいる。『レオちゃん』なんて、絵が好きだから、絵本版と電子書籍版の両方を買ってしまった(内容が少し違っていたが)。話が逸れたが、この『サンダーマスク』、Mizumizuにはかなり面白かった。夜中に真黒な大きな手が出てきて、クルマをつぶすところなんてホラーそのものだし、飛行機が乗客乗員ごと石になって落下してくるところ、町全体が石になってしまうところなんて、「山崎真監督の特撮映画で見たい!」と思うような発想だ。人類の敵となるデカンダーの正体も、「うわー、そうきますか」という奇想天外なもの。これがサイエンスフィクションというものですか、と妙に納得してしまう。こういったアイディアが秀逸で、次から次へと出てくるのがスゴイ。山崎真監督の映画で見たい、と思うのは、ラブロマンスもちゃんと入っているからだ。『タイタニック』のようだとは思わなかったのだが、『ゴジラ-1.0』にも、こういうロマンス要素がちゃんと入っていたことを思い出し、「さすが手塚作品、ツボは外さない」と変に感心してしまった。ラストシーンでのヒロインの姿には、悲劇でありながら、ほんのわずかな希望を必ず残す手塚治虫ならではの味わいがある。こういうラストは、他の誰も書けないのではないか。そして、個人的にツボったのは、ところどころにあるギャグ。5回は大笑いしてしまったわ。手塚マンガが好きなのは、ふいうちのように繰り出されるギャグがなんといっても理屈抜きに面白いこと。永井豪が登場する温泉のシーンは、力が抜けたおふざけで、大好きだ。こ~ゆ~のも、描けませんよ、なかなか。ところで、あのダサいサンダーマスクのマスク・・・手塚治虫のアイディアではないらしい。テレビドラマが先行した『サンダーマスク』は、サンダーマスクのキャラクター設定と怪獣のキャラクター設定は別の人がやったよう。テレビ版『サンダーマスク』の権利関係のごたごたが最近やっと解決したらしく、動画があがっているが、エンディングにはサンダーマスクデザイン 上山さとし怪獣デザイン 成田マキホとある。上山さとしって、誰? 成田マキホはウィキペディアに情報がある。手塚版『サンダーマスク』では、デカンダーの姿はドラマとはまったく異なっているが、サンダーマスクのマスクはかなり似ている。似ているが、ちょっと違う。違うのは、手塚版はまさにマスクで口元は普通の人間のそれのように見えること。テレビドラマ版では口元までマスクで覆われている。推測するに、テレビ版のサンダーマスクデザインを手塚作品でも使ってくれるよう制作側が依頼したのではないか。手塚版『サンダーマスク』の中で、このマスクのデザインを手塚治虫がさらさらっと描くシーンがあり、なぜか「デザイン料はいらんぜ」とわざわざ言っているのだ。この不自然なセリフ、ちょっと気になったのだが、テレビ版のキャラクター設定を踏襲したものだとしたら合点がいく。テレビでは上山さとしデザインと出てるんだから、そりゃデザイン料はナシでしょう。手塚版『サンダーマスク』、楽天KOBOで安く買えるので、読んでみて。サンダーマスク|マンガ|手塚治虫 TEZUKA OSAMU OFFICIAL面白いか、面白くないかは、アナタ次第。
2024.06.05
麻布台ヒルズの大垣書店で開催された、鈴木まもる 『火の鳥』原画展に行った(6/2で終了)。アーチ形のおしゃれな入口の先に細長い展示スペース。広くはなかったが、その分至近距離で見られるのが嬉しい。いや~、これはね、行って良かった。原画の色彩は想像以上に素晴らしい。最近は印刷技術が進んで、原画よりキレイに見えたりするのもあるのだが、鈴木まもるの微妙な色彩の美しさは、やはり印刷では再現しきれていない。特に印象に残ったのは、上の写真の一番右の上に見えるブルーのページ。絵本はもっと暗めの色で、微妙なグラデーションが暗さの中に沈んでしまっている。原画はもう少しだけ全体的に明るく、動物たちの身体のラインがしっかりと見えた。なにげに強烈だったのが、シンプルなこの作品。絵本では裏表紙に使われてる絵。眠る火の鳥の羽と巣が一体化したかのよう。それがシンプルなで線で表現されているのだが、火の鳥の身体は簡略化されている分、生きている鳥のふくよかな量感がよく出ている。そして、巣の質感。一見すると短い線をラフに描いているようで、鳥の巣の「材料」の少し硬めの手触り、そして鳥の身体から出た熱を含んだ温かさが伝わってくるよう。さらに、構図。鳥と巣以外は何もないのだが、上の空間が広いことで、広がっている空を想像させる。鳥と巣を包み込む。この絶妙な空気感…いやぁ、匠の技ですあ…。絵本ではこの空気感が出ていない。下に巻く帯と右上に印刷する定価などの文字とのバランスを考えて鳥を配置しているので、絵そのものは平面的になっている。違いますねえ…絵本の絵と原画。逆に原画を見て、印刷でもうまく再現できているなと思ったのが火の鳥の「目」の表情。表紙では人間の女性の蠱惑のまなざし…といった感じなのだが、飛び立つページの火の鳥の目は、野性的な鳥のそれ。こういう描き分けは、かなりの再現度だと再確認した。いいなぁ、鈴木版火の鳥のお目目。手塚版火の鳥は、時にめちゃくちゃ「性悪な目」になるんですよ。ひっで~罰を人間に与えるときなんて、ね。残念だったのは、展示されている原画数が少なかったこと。麻布台ヒルズでの原画展は終了したが、次は6月26日~7月16日まで千代田区神田神保町2-5 北沢ビル1Fのブックハウスで開催予定のよう。7/5にトークショー(これは大人向け)、7/6にワークショップ(お子様とどうぞ)があるという。トークショーは前回のエントリーで書いたように宝塚で参加したが、面白かったですよ。最初は手塚るみ子氏との掛け合い(?)だが、ノってくると裸足で(なぜ? 手塚るみ子氏はちゃんと靴を履いていましたが)あっちこっち動きながら鳥の巣の話をする鈴木まもる画伯。年代モノの自家製『火の鳥』(COM連載版)も見せてもらえるかも。ちなみに、ボランティアで学校の子供たちに絵本の読み聞かせをやっている友人が、さっそく絵本『火の鳥』を購入して学校へ行ったところ、手塚治虫と聞いた先生のほうが食いついてきたとか。手塚治虫『火の鳥』、さすがに日本中に浸透している。漫画『火の鳥』には早すぎる子供たちも、これからは絵本『火の鳥』がある。いい時代です。<『火の鳥 いのちの物語』原画展>日時:2024年 6月 26日(水) ~ 7月 16日(火)11:00~18:00(最終日17:00まで) 会期中無休会場:ブックハウス1階 ガリバー+鈴木まもるさん&手塚るみ子さんトークショー日時:2024年7月5日(金)18時00分~会場:ブックハウスカフェ2階 ひふみ定員:60名(店舗) 100名(オンライン) 先着順 見逃し配信あり参加料金:2000円 (絵本「火の鳥 いのちの物語」とセットで3000円)☆終了後サイン会あり+ワークショップ <火の鳥の巣をつくろう!>日時:2024年7月6日(土)①11時00分~/②14時00分~会場:ブックハウスカフェ2階 ひふみ定員 各回12組 先着順参加費 1500円(1組=小学生以下のお子さま1名+大人1名)☆終了後サイン会あり
2024.06.04
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