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2020年11月28日に開催された、JR東日本が開催する「駅からハイキング」(→→→こちら)に参加して神田から千駄ヶ谷までを歩いた報告です。東京駅丸の内側から皇居へ続く行幸通り(→→→こちら)を歩きます。写真の人達が歩いている中央車線は、かっては、一般車の通行は禁止され、天皇の行幸と信任状捧呈式に向かう外国大使の送迎の車馬が通行する時にのみ使用される専用道だったそうです。丸の内仲通りです、浅草の仲通りとは違いお土産屋さんはありませんが、三菱関係の企業のビルが並んでいます。和田倉門の交差点にある守衛詰所跡ですね。こちらは馬場先濠です。この濠をはじめとする皇居外苑や北の丸公園の一帯は環境省が管理しているそうです。江戸城の石垣が今も残っていますね。石垣の先には、皇居の桔梗門前広場が広がっています。その奥にちょっと頭だけ見えているのが富士見櫓(→→→こちら)です。【つづく】人気ブログランキングへ東京横断(その3) 東京駅から皇居和田倉門へ
2021年01月31日
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2020年11月28日に開催された、JR東日本が開催する「駅からハイキング」(→→→こちら)に参加して神田から千駄ヶ谷までを歩いた報告です。日銀の前にある常盤橋の交差点を左折して、日本橋川に架かる一石橋を渡って呉服橋の交差点にやってきました。こうしてみると東京って橋が多い橋の町だったんですね。交差点にある銀行の前に鉄骨の残骸が展示されていました。下の説明によると、建て替える前のビルに使われていた鉄骨だったわけですね。呉服橋から永代通りを西の方へ歩いていくと東京駅日本橋口に出ます。さらに大手町に向かって高架橋を抜けて、そして、東京駅丸の内北口にやってきました。【つづく】人気ブログランキングへ東京横断(その2) 東京駅へ
2021年01月30日
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もう一月も終わろうかと言う時ですが、引き続き、昨年11月28日に開催された、JR東日本が開催する「駅からハイキング」(→→→こちら)に参加して神田から千駄ヶ谷までを歩いた報告です。今年の駅からハイキングは今のところ中止が続いています。再開されたらまた参加して報告したいと思います。出発は神田駅からです。神田駅から中央通りを日本橋方面に歩いて、日本橋室町の三越本店まで来ました。この本店は重要文化財(登録有形文化財(建造物))に指定されているそうです。三越の向かい側がこの建物。三井本館で、三井住友銀行日本橋支店がありますが、こちらも国の重要文化財(登録有形文化財(建造物))です。さら行くと、こちら日本銀行の本店です。こちらも国の重要文化財(登録有形文化財(建造物))です。日銀本館の向かいの分館にあるのが日本銀行金融研究所貨幣博物館(→→→こちら)です。古代から現代までの様々な貨幣や海外の珍しい貨幣、そしてこれまで発行された日本銀行券などが展示されています。経済のことを勉強するためには、まずここで貨幣制度の歴史などを勉強するのにお薦めですね。【つづく】人気ブログランキングへ東京横断(その1) 重要文化財だらけ
2021年01月29日
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2020年11月23日に開催された、JR東日本が開催する「駅からハイキング」(→→→こちら)に参加して田町から高輪までを歩いた報告です。 さらに第一京浜を北に進むと、西側に石垣があります。 反対側から見た見たところです。 高輪大木戸跡(→→→こちら)だそうです。 街道の両側に築かれた石垣が作られて、その間に柵と門があり、治安の維持と交通規制の役割を果たした江戸府内の出入り口、つまり「ゲートウェイ」だったということです。 立派な石碑も建立されていました。 そんなわけで、2020年(令和2年)3月14日に開業したこの駅も高輪ゲートウェイ。この駅が今回の駅からハイキングのゴールです。 駅舎は隈研吾氏によるデザインだそうです。 こちらが改札口。 駅前はまだ工事中でした。 二階、三階はお店が入っていました。 駅の東側は、東京総合車両センター田町センターとして使われているようですね。 【了】 人気ブログランキングへ 港区を歩く(その7) 高輪は昔からゲートウエイ(入口)でした
2021年01月27日
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2020年11月23日に開催された、JR東日本が開催する「駅からハイキング」(→→→こちら)に参加して田町から高輪までを歩いた報告です。さらに高輪方面に向かって歩いていくと、渋いユニークな建物が見えてきました。高輪消防署二本榎出張所で、この建物は昭和8年(1933年)12月28日に落成したもので、近代建築の遺産(ドイツ表現主義)として東京都文化デザイン事業により保存建築物に指定されているそうです。坂道を下って、第一京浜までやってくると、黒っぽい石で作られた石垣がちょっと顔を出していました。「高輪海岸の石垣石」というもので、江戸時代に高輪海岸に沿って造られた石垣に用いられていたもの。平成7年(1995)、高輪2丁目20番の区有施設建設用地内の遺跡発掘調査で出土したそうです。江戸時代はここまで海だったんですね。第一京浜を北へ向かって歩いて行くと、高輪一帯の総鎮守社、高輪神社です。11月に行ったので七五三の案内が出ていました。古い石の鳥居が歴史を感じました。ちょっと気になった鳥居のしめ縄。普通のしめ縄のように見えましたが、藁で編んだ綱ではなくなにやら合成繊維のような。社殿です。ちょっと新しい感じでした。こちらは社殿の左手にある太子堂、つまり聖徳太子をお祀りしているところです。おそらく聖徳太子を崇敬している人たちが神社の敷地に造ったのでしょうね。由緒正しい感じのする石碑も建立されていました。【つづく】人気ブログランキングへ港区を歩く(その6) 高輪神社
2021年01月26日
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2020年11月23日に開催された、JR東日本が開催する「駅からハイキング」(→→→こちら)に参加して田町から高輪までを歩いた報告です。白金の目黒通りから桜田通り(国道一号線)に向かって桑原坂を下って行きました。まず最初に目についたのはこの神社。古地老稲荷神社です。この神社が建立されると周辺地域に火事が起こらなくなるという偶然が起こり、これが同神社の霊験として住民に理解されるようになり、その後火伏せの稲荷として見なされるようになったという神社です。その隣にあったのが、レストラン、結婚式場として有名な八芳園(→→→こちら)でした。八芳園は元は大久保彦左衛門の屋敷だったそうですね。そして、坂道をさらに行くと、明治学院大学の前に出ます。休日なので閑散としていますが、なかなか雰囲気のある建物があっていいですね。MoMo太郎は子供の頃、明治牛乳、明治大学、明治生命といった、会社や学校は三菱や三井のように明治という財閥グループ企業だと思っていました(^^;)。【つづく】人気ブログランキングへ港区を歩く(その5) 桑原坂
2021年01月25日
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2020年11月23日に開催された、JR東日本が開催する「駅からハイキング」(→→→こちら)に参加して田町から高輪までを歩いた報告です。伊皿子の交差点を過ぎて、高松宮邸を過ぎていくと、このお店がありました。「虎屋」さんです。かの有名な赤坂にある「とらや」とは違います。もう閉店しているようですね。煙突があるのがちょっと珍しいというか、懐かしい感じでした。そこから清正公前の交差点に出て、目黒通り沿いを歩くと、この大きな建物があります。シェラトン都ホテル東京(→→→こちら)です。昔は近鉄が経営していた都ホテルだったのですが、外国資本と提携していくことが増えてきましたね。そして、いよいよセレブの町、白金にやってきました。白金という町にふさわしいような重厚な門構え。東京大学医科研究所とその附属病院(→→→こちら)です。目的地はここではなく、その隣にあるこのゴシック調の建物、港区立郷土歴史館(→→→こちら)です。アプローチの道路には歴史を旅するようなポップなイラスト。こちらが、港区立郷土歴史館の建物です。1938年に完成した「旧公衆衛生院」の建物を保存・改修して利用しています。常設展は300円、企画展特別展は200円、セットで400円の入場料ですが、建物の見学だけだと無料です。ということで、建物の見学だけさせていただきました。入口を入ったところにあるホールです。2層吹き抜けの空間で、床材、壁材に石材が使われて、特徴的な意匠ですね。公衆衛生院次長の部屋です。内装は、意外と今風のベニヤ板?ちなみに公衆衛生院とは、名前のとおり、日本の公衆衛生の改善と向上のため、公衆衛生に携わる技術者の養成、訓練を行うとともに、公衆衛生に関する調査研究機関として1938年(昭和13年)に設置されたものです。しかし、今は廃止され国立医療・病院管理研究所と共に国立保健医療科学院に改組されて埼玉県和光市にあります。ということで、今この建物中を歩いても、新型コロナウイルスや大腸菌O157などの研究をしている場所があるわけではありません。こちらは院長室になります。院長室です。家具は昔のものではないですね。雰囲気的には、古い大学の構内の雰囲気でした。エレベーターはきっと後で改築されて設置されたのでしょうね。【つづく】人気ブログランキングへ港区を歩く(その4) 旧公衆衛生院
2021年01月24日
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2020年11月23日に開催された、JR東日本が開催する「駅からハイキング」(→→→こちら)に参加して田町から高輪までを歩いた報告です。慶応大学の前を過ぎて、聖(ひじり)坂を登ります。坂の入口にあったこの宗教団体(→→→こちら)に由来して「聖坂」ではなく、古代中世の通行路で、商人を兼ねた高野山の僧(高野聖)が開き、その宿所もあったことから「聖坂」と呼ばれているそうです。こちらは学校です。普連土(ふれんど)学園だそうです。私立女子中学校、高等学校です。普連土といっても、ここのJKやJCの方がガールフレンドになってくれるわけではなく、アメリカ合衆国ペンシルベニア州フィラデルフィアのキリスト友会(クエーカー、フレンド派)の婦人伝道会が女子教育を目的として創設した学校で、「普連土」の当て字は、津田仙(津田塾大学の創立者津田梅子の父)が、「普(あまねく)世界の土地に連なる」、転じて「この地上の普遍、有用の事物を学ぶ学校」であるようにとの思いから命名したとされています。フレンド、お友達といえばこちらの大使館。クウェート(Kuwait)大使館です。石油で儲けたお金持ちも多そうなので、お友達になりたいわ。そして、コースのポイントとなる「亀塚公園」に到着しました。この円墳状の盛り土が亀塚の由来のみたいですね。亀塚に関する説明板です。東京都指定史跡 亀塚所在地:港区三田4-16-15指定:昭和58年5月6日古くから坪井正五郎博士等によって古墳と指摘され、広く知られていましたが、詳細な学術調査が行われず、古墳であると決めることはできませんでした。昭和45・46年、港区教育委員会が主体となり、慶応義塾大学が測量調査および発掘調査を実施した結果、この塚が古墳時代以後に築造されたことが明らかとなりました。さらに平成14・17・18年に港区教育委員会が亀塚と周辺の調査を実施し、亀塚の構築状況を明らかにしました。しかし、埋葬施設や周濠の存在は明確ではなく、依然として古墳と断定することはできていませんが、その可能性は高いと考えられます。また、平安時代に書かれた「更級日記」に見える竹芝寺の伝説地とも伝えられ、文明年間(1469~87)には、太田道灌が斥候(ものみ)を置いたと伝えられています。江戸時代には、この地を屋敷地としていた沼田城主土岐頼熙(よりおき)が、これらの旨を記した「亀山碑」を頂上に建て、現在に伝えています。平成19年3月31日 港区教育委員会 港区環境・まちづくり支援部ということで、頂上の「亀山碑」を見に行きました。港区指定有形文化財 歴史資料 亀山碑亀山碑は、ここ亀塚の頂部にある幅2.2m、高さ1.4mの石碑で、上野国沼田城主土岐頼熙によって寛延3年(1750)に建てられたものです。土岐家は、明暦3年(1657)にこの地を下屋敷として拝領しました。詩文に秀でた大名といわれた頼熙は、この地が「更級日記」の故地であることや、塚の頂部に酒壺があり、ここに出入りする亀を神と崇めていたが一夜の風雨で酒壺の亀が石になったという伝説に興味を持ち、そうした由来を伝えるためにこの碑を建立したと考えられています。大名が邸内に建立した石碑として貴重なものです。平成26年3月10日 港区教育委員会だそうです。江戸時代は上野沼田藩土岐伊勢守の下屋敷で明治維新後は皇族華頂宮家の屋敷跡だそうで、広々とした公園です。高層ビルが見えるところが都心の公園ですね。「三田(みた)」という町名の由来が書いてありました。この地に朝廷に献上する米を作る屯田(みた)が存在したからとも、伊勢神宮または御田八幡神社の神田(みた)があったからともいわれる。伊皿子坂との交差点にやってきました。ここが東京歯科大学発祥の地だそうです。そういえば、東京歯科大学は慶応義塾大学と合併するそうですね(→→→こちら)。これで慶応大学には、前からあった医学部、看護医療学部、そして2008年に共立薬科大学と合併してできた薬学部。そして今回の歯学部ということで、医療系の研究については盤石と言う感じです。さらに東京歯科大学さんは千葉県市川市に「東京歯科大学市川総合病院」という心臓外科や産科なども含んだ総合病院を所有しています。しかもその病院には結構、慶応出身の先生も働いておられるので、実質、慶応大学病付属院千葉分院のようなものですが、信濃町にしか附属病院を持たない慶応としては病院が増えることで収益アップも見込めますね。さらに、市川で働く先生も「東京歯科大学〇〇科教授」よりも「慶応大学医学部教授」という肩書になって、ちょっと嬉しいですよね。【つづく】人気ブログランキングへ港区を歩く(その3) 亀塚公園3
2021年01月23日
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2020年11月23日に開催された、JR東日本が開催する「駅からハイキング」(→→→こちら)に参加して田町から高輪までを歩いた報告です。三田通りに出ると見えました、東京のシンボル、東京タワー。スカイツリーもいいですが、東京タワーの方がやっぱり、タワーっていう感じがしますね。三田通りから坂を上って、ちょっとルネッサンスと呼びたくなるような建物が。「綱町三井倶楽部」(→→→こちら)でした。三井グループの会員制倶楽部ということで、三井関連の会社に関係ある人しか利用できないようです。そういえば、慶応大学出身で三越に勤めている友達の結婚式でここに来たような記憶が。綱町三井倶楽部の横にあるこの綱坂を下っていくとMoMo太郎が入学を断られた慶応義塾大学が。ここに入学できなかったので、当時住んでいた関西の方へ流れていったMoMo太郎です。【つづく】人気ブログランキングへ港区を歩く(その2) 三田といえばこの大学
2021年01月22日
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読売新聞によれば「重症者は1014人、17日連続で最多…全国で5534人の感染確認」 ということで、猖獗をきわめる新型コロナウイルスですが、そういう状況にもかかわらず、出歩いている人が多いですね。このまま感染者が増えると、重症患者の方は受け入れられないので、そのまま自宅で治療を受けずに最後の時間を過ごしてもらうだけになるのでしょうか。また感染した人は、そうですね、とりあえず、無人島に感染者キャンプを作って、そこで生活してもらうことになるのかな。 そのようなことが起きないことを願うばかりですが。 そういう、MoMo太郎も去年の秋はよく出歩いていました。 ということで、2020年11月23日に開催された、JR東日本が開催する「駅からハイキング」(→→→こちら)に参加して田町から高輪までを歩いた報告です。 やって来ました田町駅。今日の駅からハイキングのスタート地点です。 田町駅のコンコースです。意外と広い通路でした。 東口から出て線路沿いに歩き、この地下道を通って国道15号線の方へ。 地下通路を出たところにあるのが、本芝公園。 この公園、かっては海岸で雑魚場(ざこば)と呼ばれていました。昭和45年に運河を埋め立てて造られました。また、落語「芝浜」の舞台としても知られている場所でした。 芝五丁目の交差点です。箱根駅伝のコースですね。かって母校のタスキをかけてここを走ったMoMo太郎を覚えているでしょうか(嘘です)。 この目立つビルは、NECの本社ビルです。 そのビルの裏手にある見落としそうな石碑。 「薩摩屋敷跡」です。 薩摩藩は最初は桜田に上屋敷がありましたが、手狭になったことで三田に上屋敷を構え、その他に高輪に中屋敷、渋谷に下屋敷、白金に抱屋敷などがあったそうです。また三田の海岸沿いには蔵屋敷もあったそうです。 ちなみに、明治維新の発端になった鳥羽伏見の戦いの原因になる薩摩藩邸焼き討ちは、この上屋敷に対して行われたので、江戸を焼き討ちから救ったとされる、勝海舟と西郷隆盛の会見は、三田の海岸沿いにあった蔵屋敷が使われたそうです 【つづく】 人気ブログランキングへ 港区を歩く(その1) 田町駅界隈
2021年01月21日
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2020年10月25日に開催された、JR東日本が開催する「駅からハイキング」(→→→こちら)に参加して恵比寿から原宿にかけてを歩いた報告です。明治通りを新宿方面に向かって歩きます。東郷神社(→→→こちら)に到着です。池の向こうにある建物は「東郷記念館」(→→→こちら)、結婚式場としてよく知られていますが、東郷神社が経営しているのではなく、株式会社東日という会社が経営しています。池には、錦鯉。いよいよ東郷神社に参拝です。この神門の向こう側に拝殿があります。東郷神社といえば、日本海軍の指揮官として、日清戦争、日露戦争の勝利に大きく貢献した東郷平八郎元帥をお祀りした神社。東郷平八郎は、日露戦争の際に、当時世界屈指の戦力を誇っていたロシアのバルチック艦隊を相手に大勝利を収めた日本海海戦により、アドミラル・トーゴー(Admiral Togo 、東郷提督)としてその名を世界に広く知られています。日清戦争、日露戦争を勝利に導いた東郷平八郎を祀っていることから、勝利の神様として信仰が厚い神社です。こちらが拝殿です。参拝を済ませて、この狭い道、有名な竹下通りです。こちらが竹下通りの入口ですね、若い人がやっぱり多いですね。この通りでスカウトされて、芸能界入りしたっていう話をよく聞きますが、今日も何人かはスカウトされているのですかね。ということで、JRの原宿駅に着き、今回の駅からハイキングは終了です。【了】人気ブログランキング渋谷界隈街並み散策(その9) 勝利の神様 東郷神社
2020年12月14日
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2020年10月25日に開催された、JR東日本が開催する「駅からハイキング」(→→→こちら)に参加して恵比寿から原宿にかけてを歩いた報告です。表参道を明治通りに向かって北上していきます。表参道、色々なお店が消えたり出来たりしているのですが、この外観のお土産物屋さん「オリエンタルバザー」、アジアンテイストなお土産品を扱っているのですが、ずっと前から、多分MoMo太郎が生まれる以前からここにあるみたいですね。こちらの表参道・新潟館ネスパス(→→→こちら)は、新潟県の物産が買える施設です。新潟県、表参道に出店するとは、なかなかやりますね。明治通りと表参道の交差点にある東急プラザ表参道原宿という商業施設です。屋上はこのように木が植えられていて、都会の中でもちょっぴり自然を感じられるようになっています。「おもはらの森」、表参道と原宿をもじった名前の森の名前をつけていますが、こんな小さな森でも鳥がやって来るようですね。屋上から渋谷方面を望むと、高層ビルが多いですね。【つづく】人気ブログランキング渋谷界隈街並み散策(その8) 表参道
2020年12月13日
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2020年10月25日に開催された、JR東日本が開催する「駅からハイキング」(→→→こちら)に参加して恵比寿から原宿にかけてを歩いた報告です。六本木通りから、高樹町の交差点を左折して。高樹町通りを表参道に向かって歩きます。MoMo太郎は「高樹町通り」よりも「骨董(こっとう)通り」と言う方が馴染みがありますが、この通りに都電が走っていた頃から住んでいた人には「高樹町通り」という方がしっくりくるのかも。ちなみに高樹町という町名は、1965年(昭和40年)に住居表示が実施されて南青山の一部なって消滅しました。この通りにあったのが、紅ミュージアム。江戸時代から続く最後の紅屋「伊勢半本店」(→→→こちら)が運営する資料館。紅づくりの技と化粧の文化と歴史が展示されています。ちなみに入館料は「無料」です。宮内省御用達と記された看板。なんか宮内省御用達とあると有難味があると同時にちょっと手の出ない遠い存在のような気がしますね。青山通りにでで、表参道の交差点を渡ります。表参道といえば、この石灯篭。ずっと不思議なのが、上の方は白くてきれいなのに、下の台座は黒く煤けていること。誰かキレイに磨いたりしないのですかね。【つづく】人気ブログランキング渋谷界隈街並み散策(その7) 骨董通り
2020年12月12日
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2020年10月25日に開催された、JR東日本が開催する「駅からハイキング」(→→→こちら)に参加して恵比寿から原宿にかけてを歩いた報告です。渋谷駅に到着。渋谷といえば、スクランブル交差点とこの大型ディスプレイですね。若い人が多くて、ちょっとMoMo太郎には場違いな、Out of Place でした。こちらの建物は、渋谷スクランブルスクエア。47階建ての高層ビル。屋上は渋谷上空229mから360度の展望が味わえる「SHIBUYA SKY」という施設になっていて入場料大人2,000円(WEB購入だと1,800円)となっています。当然のことながら、Time is Money 先を急ぐので、SHIBUYA SKY はパスさせてもらいました。そして、この明治通りをいったん南下しまして、渋谷国際皮膚科医院という医院を発見、「国際」というからには海外で罹患した皮膚病も治療してくれそうですね。明治通りを左に折れて、こちらに出ました。國學院大學(→→→こちら)です。旧字体で書くのが正式だそうです。学術メディアセンターというものもあるそうで、いわゆる、図書館の一種なのでしょうか。立派な建物です。國學院大學、これもMoMo太郎には場違いなOut of Placeで、どんな大学なのか良く知りません。ここを卒業すると神社の神主さんになれるという噂は聞いたことがありますが。スポーツ選手も多く輩出されていますね。こちらの胸像は芳賀矢一(→→→こちら)という方です。古典の先生のようですね。MoMo太郎も古典を高校で習いましたが、高校を卒業以来、古典の知識というものを使ったことも必要とされたこともないですね。國學院大學の近くにあったこの建物は「白根記念渋谷区郷土博物館・文学館」(→→→こちら)です。渋谷区区会議員を務められた故白根全忠氏から区に寄贈された宅地、邸宅をもとに、 渋谷区の歴史やゆかりの文学者を紹介しています。こちらのお屋敷、MoMo太郎の記憶が正しければ、ここは常陸宮邸だったと思います。常陸宮さまは、がんの研究家でもあらせられます。MoMo太郎も尊敬しています。そして、六本木通りに出ました。ここから青山に向かいました。【つづく】人気ブログランキング渋谷界隈街並み散策(その6) 渋谷はOut of Placeでした。
2020年12月11日
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2020年10月25日に開催された、JR東日本が開催する「駅からハイキング」(→→→こちら)に参加して恵比寿から原宿にかけてを歩いた報告です。菅刈公園から旧山手通りに戻りしばらく歩くと、玉川通りとの交差点になります。玉川通りの上には首都高速の高架橋があります。そして、旧山手通りと山手通りの分岐点です。この陸橋が山手通りになります。山手通りからこちらの道に入ります。松濤(しょうとう)文化村ストリートという名前の道です。ちなみに松濤という地名は、かつてこの地に茶園「松濤園」があったことに因んでいるそうです。こちらの建物が渋谷区立松濤美術館(→→→こちら)です。区立という割には高級な感じの建物ですね。そして、若者の街、渋谷にやって来ました。【つづく】追伸:その専門家よ出てこい。自衛隊看護官ら、旭川で支援開始 クラスターの2施設ついに新型コロナウイルスの感染拡大で、自衛隊まで出張ってきた旭川市。これに対して、官房長官、旭川市は「緊急事態宣言の状況ではない」加藤勝信官房長官は8日夜の記者会見で、自衛隊の看護師と准看護師計10人を派遣することになった北海道旭川市を対象に緊急事態宣言を出す考えはないか問われ、「現時点で、緊急事態宣言を発出するような状況ではないと判断している。専門家も同じ認識と承知している」と述べた。だそうです。その認識をしている専門家って誰なんでしょうか。名乗り出てきて下さい。もう、旭川市に緊急事態宣言を出して、映画なんかでやっているように、ウイルスに汚染された地帯を封鎖する対策を、自衛隊へ要請した方がいいのでは。人気ブログランキング渋谷界隈街並み散策(その5) 松濤美術館へy
2020年12月10日
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2020年10月25日に開催された、JR東日本が開催する「駅からハイキング」(→→→こちら)に参加して恵比寿から原宿にかけてを歩いた報告です。西郷山公園から台地を下ったところにある「菅刈(すげかり)公園」(→→→こちら)です。園内には芝生広場があって、周辺住民の憩いの場ですね。もともと、この土地は西郷山公園と一緒の西郷従道の邸宅のあったところで、明治天皇も訪れたようです。明治天皇行幸の石碑もありました。公園の中を散策している人も多いですね。こちらの門の中に入ってみました。明治時代に西郷従道の屋敷になる前の江戸時代には「荒城の月」で知られる豊後の岡藩の屋敷があったところだそうで、滝や池のある回遊式の大名庭園として、江戸時代の地誌に江戸の名所として紹介されていました。その庭園を復元されたそうです。その昔の大名家の庭園ってこんな雰囲気だったんですかね。やっぱり、大名庭園に欠かせないのは池なんですね。【つづく】人気ブログランキング渋谷界隈街並み散策(その4) 菅刈公園
2020年12月09日
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2020年10月25日に開催された、JR東日本が開催する「駅からハイキング」(→→→こちら)に参加して恵比寿から原宿にかけてを歩いた報告です。旧山手通りにあるこの橋を渡りました。西郷橋という橋です。橋の下には野沢通りが通っています。上品な街並みですね。旧山手通りから延びる脇道です。この道が渋谷区と目黒区の境になっているようです。左手にある公園が西郷山公園(→→→こちら)です。西郷隆盛の実弟で明治期の軍人・西郷従道(じゅうどう)の屋敷跡に設けられた公園です。西郷従道、「つぐみち」と知られているそうですが、正式には「じゅうどう」と読むそうです。薩摩の生んだ有名人だけに、公園の整備にあたっては、鹿児島県の町から樹木が献上されています。この公園、よく「東京ラブストーリー」をはじめとするテレビドラマのロケ地などでよく利用されているのだとか。富士山が眺められる展望台がありました。ということは西郷従道さんは富士山の見える場所にお屋敷を構えられたということですね。でも、MoMo太郎は富士山が見えませんでした。西郷山・目黒川と一体の散歩道が設定されているのですね。ということで、西郷山公園から坂を下っていきます。【つづく】追伸:失職町議「告白は真実。裁判で明らかに」政治活動は継続性被害を告発した群馬県草津町の新井祥子町議(51)の解職請求(リコール)の賛否が問われた住民投票が6日に行われ、町の有権者は「解職」を選んだ。解職に賛成は2542票で有効投票の9割以上を占め、新井氏は失職した。当日有権者数は5283人で、投票率は53・66%だった。町長室でなにがあったか真実はわかりませんが、新井氏が黒岩信忠町長(73)から「町長室で性被害に遭った」と昨年11月に電子書籍で告白したことは、事実ですね。でも、投票率53.66%ということは、草津町民には関心が低かったのでしょうか。人気ブログランキング渋谷界隈街並み散策(その3) 西郷山公園
2020年12月08日
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2020年10月25日に開催された、JR東日本が開催する「駅からハイキング」(→→→こちら)に参加して恵比寿から原宿にかけてを歩いた報告です。恵比寿駅を出て駒沢通りを西の方へ歩いていくと、旧山手通りに出ます。旧山手通り、「やまてどおり」と読みます。鉄道の山手線は「やまのて」と読むので、微妙に注意しないと。旧山手通り沿いにあるこちらは、重要文化財 旧朝倉家住宅(→→→こちら)です。旧朝倉家住宅は、東京府議会議長や渋谷区議会議長を歴任した朝倉虎治郎氏によって、 大正8年に建てられた大正ロマンの趣のある和風2階建て住宅と回遊式庭園があるそうです。なお、現在の所有者は文部科学省だそうです。ヒルサイドテラスという集合住宅・店舗の複合施設がありますが、その広場の角にある鳥居のあるこんもりとした緑地。これは渋谷区に唯一ある「猿楽塚」という古墳です。6〜7世紀頃、古墳時代末期築造と推定されている円墳。発掘調査はされておらず、詳細は不明なようです。旧山手通りの沿道には大使館が多くありました。これはデンマーク大使館。門の前に立つこの石像。わかりますね。エジプト大使館でした。こちらはマレーシア大使館です。そして、こちらは大使館ではなく、産業能率大学(→→→こちら)だそうです。もうこのあたり代官山になるんですね。【つづく】人気ブログランキング渋谷界隈街並み散策(その2) 旧山手通り
2020年12月07日
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2020年10月25日に開催された、JR東日本が開催する「駅からハイキング」(→→→こちら)に参加して恵比寿から原宿にかけてを歩いた報告です。JR恵比寿駅前にある恵比寿さまの銅像です。ここから街歩きスタートです。恵比寿というからには、やっぱり恵比寿神社が鎮座されています。由緒が記された説明版が、 もともとは駅前にあった天津神社を、昭和34年(1959年)区画整理で遷座させた際、町名あるいはヱビスビールにあやかって兵庫県の西宮神社から事代主命(恵比寿神)を勧請してこれを合祀し、恵比寿神社に改名されたそうです。手水舎は、水ではなくアルコール消毒でした。ご時世ですね。掲げられた心願成就と美徳天道の文字。「美徳天道」とは徳は美しく天然自然の道理ということでしょうか。【つづく】追伸:色と欲との二筋道コロナ感染第三波、東京では飲食店では夜10時からの営業自粛とか、GoToトラベルは継続とか、感染防止もしたいし、経済活動も止めたくはないとの、「色と欲との二筋道」。なにがどうあれ、MoMo太郎はいつも通りに淡々と仕事するしかないですね。人気ブログランキング渋谷界隈街並み散策(その1) 恵比寿神社
2020年12月06日
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銀座駅から東京駅に向かっています。MoMo太郎が子供の頃は、銀座で映画を観るってちょっと大人な雰囲気でしたが、東映会館という看板が今も残る、丸ノ内TOEIは、そういう銀座に古くからある映画館でした。その隣は、むかしは「プランタン銀座」というデパートでしたが、今は「マロニエゲート銀座」というデパートになっています。デパートだけどユニクロとニトリがテナントで入っているのは、なんか時代ですね。こちらは有楽町線の銀座一丁目駅です。有楽町線、便利だけど、ちょっと駅の位置が中心から外れているのかなと思います。東京高速道路株式会社(→→→こちら)です。東京銀座を走る全長2km余の東京高速道路の自動車専用道路は、首都高速1号線、4号線等と接続し、都市高速道路網の一環として利用されていますが、この高速道路は通行料金が無料です。それは、銀座周辺の外堀、汐留川、京橋川を埋め立てて高架による自動車専用道路を建設し、その建設費と運営費をビル賃貸収益で回収するという運営の仕組みでなりたっているからだそうです。写真は、東京高速道路の下にある商店街です。ここは西銀座ジャンクションです。首都高速の八重洲線とつながっています。ちなみに高速道路と名乗っていますが、指定最高速度は全線40 km/hですから、スピードの出し過ぎには注意して下さい。【つづく】人気ブログランキング駅間歩き丸ノ内線(銀座~東京) (その3) 東京高速道路
2020年05月31日
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「Stay in Tokyo(ステイイン東京)」という百合子さんのお願いで、東京都下から出ないように、江戸川区葛西にある妙見島を目指してお散歩してきました。いよいよ妙見島の中を探索です。 かろうじて読める妙見島案内図です。 妙見島は、江戸川の流れできた中洲の東京23区唯一の自然島。「流れる島」として知られていたそうで、護岸が行われることで安定した陸地となったのでしょうね。 島の中にある工場です。アスコン(アスファルト・コンクリート)という舗装用の資材を製造しているようです。 この会社は廃棄物処理工場のようでゴミ収集車が出入りしていました。 こちらは、「ニューポート江戸川」 会員制マリンクラブというものだそうで、ボートの免許の講習会、クラブの船を借りてのクルージングなどが楽しめるそうです。 敷地の中には、ボートが沢山並んでいました。 こちらは、月島食品という会社です。 敷地にはタンクが並んでいました。 旧江戸川の上流部です。遠くに江戸川水閘門が見えました。 対岸の浦安市側です。 浦安にも屋形船があるんですね。知りませんでした。 ここが妙見島の名前の由来となった「妙見菩薩」が奉られている妙見神社です。 こちらが祠ですね。 妙見菩薩というと、仏教のものだと思っていましたが、神様として奉られているのがちょっとわからなかったですが、みんなにわかりやすく神社にしているのでしょうかね。 妙見島、東京23区内唯一の自然島ですが、工場、休憩利用もできるホテル、マリーナ、そして神社がある島でした。 【了】 人気ブログランキング 妙見島へ(その4) 妙見神社
2020年05月08日
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「Stay in Tokyo(ステイイン東京)」という百合子さんのお願いで、東京都下から出ないように、江戸川区葛西にある妙見島を目指してお散歩中です。この歩道橋の階段を上っていきます。旧江戸川の上を渡ります。橋の上からはスカイツリーが見えました、スカイツリーが見えるのなら東京都下ですよ。妙見島にたつホテルです。島にあるホテルといってもリゾートホテルではないですね。妙見島への行き方が書いてありました。旧江戸川を進む船です。遊漁船でしょうか。妙見島を過ぎると県境がありました。この線を踏み越えると、百合子さんの願いを踏みにじることになるので、この一線は越えられません。といいながら、ここへ来る時に乗った東西線で、MoMo太郎は、気づかず快速電車にのったため、電車は葛西に止まらず、千葉県の浦安まで乗り越してしまいました。百合子さん、ごめんなさいね。【つづく】人気ブログランキング妙見島へ(その3) 妙見島上陸
2020年05月07日
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「Stay in Tokyo(ステイイン東京)」という百合子さんのお願いで、東京都下から出ないように、江戸川区葛西にある妙見島を目指してお散歩中です。 堤防沿いのこの遊歩道を歩いて行くことにしました。 川沿いに船が係留できますね。 川沿いには屋形船や釣り船を営業している船宿があります。 これが妙見島です。妙見島は旧江戸川にある三角州で、このように島の周囲はすべてコンクリート護岸で囲まれています。 カワウが佇んでいました。 旧江戸川に架かる東京メトロ東西線の鉄橋です。 堤内地(堤防により洪水から守られている土地)側は平仮名で、 堤外地(堤防の川側の部分)側は漢字で表記されています。「旧江戸川」というのは、この川がかつての江戸川本流であったからです。 1919年に江戸川放水路が開削され放水路側が本流とされた。さらに、1938年7月に東京東部で起こった浸水戸数6万戸に及ぶ被害の対策として、1943年、放水路との分派点に江戸川水門を建設した。その結果、1965年以降は「旧江戸川」なったそうです。 上流側を見ています。対岸は千葉県浦安市。 下流側です。浦安といえば、ネズミマークの遊園地がありますね。行列して乗り物に乗るのが嫌なので、まだ、ネズミマークの遊園地は行ったことがありません。 ところで、写真だとわかりにくいのですが、遥かかなたの海の方に。 こんな山がありました。 浦安にこんな山があったとは知りませんでした。 テレビ東京のドラマ「浦安鉄筋家族(→→→こちら)」にそのうち出てくるかな? 【つづく】 人気ブログランキング 妙見島へ(その2) 旧江戸川
2020年05月06日
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「Stay Home(ステイホーム)週間」で、さらに百合子さんからは「Stay in Tokyo(ステイイン東京)」ともお願いされています。ということで、お散歩くらいはいいみたいですが、東京都から出ないようにということで、妙見島、なんとなくリゾートっぽい名前に惹かれて、東京都の東の端っこ、江戸川区葛西にある妙見島へ行ってみました。でも東にあるのに「葛西」って不思議ですね。さて写真は、東京メトロ東西線の葛西駅前にある、プロペラ(?)です。ここから、環七を北に向かって歩いて、「葛西親水四季の道」(→→→こちら)まで、ここで右折して、葛西橋通りを東に向かって、進んでいきます。途中見かけた不思議なビル。「吉野製粉不動産部」。「吉野製粉不動産部」、吉野製粉が社名でしょうか? それとも「不動産部」までが社名でしょうか?ちなみに、「吉野製粉工場」という建物も近くにありました。多分、地元ではよく知られた不動産会社なのでしょうね。【つづく】人気ブログランキング妙見島へ(その1) 不動産部
2020年05月04日
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拓殖大学のある町名、東京都文京区小日向三丁目ですが、昭和41年(1966年)の住居表示が変更になる前には、茗荷谷町と呼ばれていました。近くにある丸ノ内線の駅名も茗荷谷です、「茗荷谷」と呼ばれたのは、江戸時代、茗荷畑が多かったからといわれているそうです。拓殖大学前の道も茗荷坂(→→→こちら)という名前です。茗荷坂を地下鉄の茗荷谷に向かって歩いていくと、この曹洞宗寺院青龍山林泉寺があります。林泉寺は縛られ地蔵があることで有名ですが、縛られ地蔵とは「盗難や失せ物があると、地藏尊に縄をかけ、願いがかなうと縄をほどく」 という風習だそうです。ちなみに、縛られ地蔵は、品川区の願行寺と葛飾区の南蔵院にもあるそうです。とはいえ、縛られ地蔵の人気もあって信者の方も多いのでしょう。立派な堂宇が、こちらが縛られ地蔵です。かなり厳重に縛られててますね。縛るには、荷造り用のビニール紐などではなく、こちらの紐を使うようですね。林泉寺へのお参りの終えて、丸ノ内線のこの駅に。茗荷谷(みょうがだに)駅ですね。ちなみに帰りは都バスで帰りました。【了】人気ブログランキング文京区散策(その10) 曹洞宗寺院青龍山林泉寺の縛られ地蔵
2020年03月03日
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拓殖大学の前にある急なこちらの坂道は、深光寺(じんこうじ)への参詣道になっています。この深光寺、南総里見八犬伝の作者滝沢(曲亭)馬琴の墓がありました。こちらが深光寺の本堂です。そして、これが滝沢馬琴の墓碑のようです。歴史を感じる墓石ですね。【つづく】人気ブログランキング文京区散策(その9) 深光寺と滝沢馬琴の墓
2020年03月02日
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台地に広がる街なので、坂道が多いですね。この坂道は、蛙坂(復坂)と言うそうです。下の説明版によると「蛙坂は七間屋敷より清水谷へ下る坂なり、或は復坂ともかけり、そのゆへ詳にせず」(改撰江戸志) 『御府内備考』には、坂の東の方はひどい湿地帯で蛙が池に集まり、また向かいの馬場六之助様御抱屋敷内に古池があって、ここにも蛙がいた。むかし、この坂で左右の蛙の合戦があったので、里俗に蛙坂とよぶようになったと伝えている。 なお、七間屋敷とは、切支丹屋敷を守る武士たちの組屋敷のことであり、この坂道は切支丹坂に通じている。ということだそうです。S字の急坂で、登るときにはひっくり返りそうになるかも、だから「蛙坂」と呼ぶのでしょうか。この辺りは、地下鉄の丸ノ内線の小石川車両基地の近くです。幟が一杯立てられた小さな稲荷神社がありました。地元の人の信仰を集めているのでしょうね。この近くにある立派な建物。拓殖大学です。拓殖とは「未開の土地を開拓し、そこに移り住むこと」の意味だそうですから、鈴木宗男議員をはじめ、新たな人生を切り開いてこられた有名な卒業生を輩出していますね。ちなみに、拓殖大学は、当時、日本の植民地だった台湾の開拓を実施するための人材を育成する教育機関として開校したということです。【つづく】人気ブログランキング文京区散策(その8) 蛙坂と拓殖大学
2020年03月01日
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道幅の狭い文京区小日向の道を歩いていきました。この建物のある場所。切支丹屋敷跡(→→→こちら)の石碑がありました。江戸時代、布教のため日本に潜入してきた宣教師を捕らえて収容していた施設だったんですね。この石碑の向かい側に建つマンションにもなにやら説明板が。小日向一丁目東遺跡、縄文時代の遺跡だそうです。文京区って意外とこういう縄文時代の遺跡が多いのようです(→→→こちら)こちらは切支丹屋敷近くにある切支丹坂(→→→こちら)です。しかし、この小日向1丁目に位置する坂以外にも、小日向4丁目と春日2丁目の間に位置する庚申坂、嘉永七年尾張屋刊江戸切絵図「礫川牛込小日向絵図」に示された切支丹坂など、切支丹坂の場所は多数あるそうですね。【つづく】人気ブログランキング文京区散策(その7) 切支丹屋敷跡
2020年02月29日
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小日向の街を歩くと、こんなのぼりが飾られていました。 新渡戸稲造といえば、以前には五千円札の肖像となっていましたが、元々は、農政学者・教育者として活躍し、国際連盟事務局次長として「太平洋のかけはし」として知られる方ですね。 ここが、その新渡戸稲造旧居跡(→→→こちら)のようですね。 マンションの建設はどうなっているのかわかりませんが、もしマンションが建ったら家賃は月五千円くらいではすまないでしょうね。 【つづく】 追伸 新型コロナウィルスの件 「全国すべての公立小中高休校へ 安倍首相が表明、新型肺炎で3月2日から (→→→こちら)」 まあ、思い切ったことを突然ですね。全国の学校閉鎖ですね。まあ学校の教員の方々も重圧から解放されてうれしいでしょう。まあ、その分、子供たちが外で遊び回るとまた心配かも。 それはそれとして、昨日の拙の記事に対して、都内の感染症指定医療機関はどこそこですよと教えていただきましたが、おそらくどこの感染症指定医療機関もすでに感染した人で病床が一杯で、外来も手一杯だから、一般の医療機関で感染した患者さんを診ろということだと思っているんですけど。 人気ブログランキング 文京区散策(その6) 新渡戸稲造旧居跡
2020年02月28日
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2月25日に発表された「新型コロナウイルス感染症対策の基本方針」で、 「医療体制についても、一般の医療機関にも拡大。地域で患者数が増えた場合、診察時間や動線を区分するなどの感染対策を講じた上で、新型コロナウィルスへの感染を疑う患者を受け入れる。」とありましたが、普通の開業医のところに患者さんがこられても、先生困るでしょうね。「診察時間や動線を区分するなどの感染対策を講じた上で」といわれてもね、そこそこの病院でないと、難しいのでは。それに、患者さんを断るのもできないし、新型コロナウイルス感染症と普通の風邪も最初は区別つかないし、また仮に陽性の患者さんだと診察している医者や看護師さんも感染したら大変だし、他の患者さんへの感染は避けないといけないですしね。やっぱり、こういう症状の方は、地域の〇〇病院で診察を受けて下さい。そこでPCR検査しますからとか、ちゃんとルール作ってもらいたいものですね。という話は、さておき、さらに散策を続けました。この建物は「江戸川橋体育館」(→→→こちら)です。体育館、屋内運動場とも言うのですね(→→→こちら)、略して「屋運(おくうん)」ですか(→→→こちら)。しかし、普通の屋外の運動場も、略して「屋運」ですかね。この江戸川橋屋運の横にある坂道を登っていきます。このあたりは、東の茗荷谷、西の音羽通り、南の神田川、3つの谷筋に囲まれている「小日向台地」と呼ばれています。文京区の地形についてはこちらを参考に。坂道を登る途中に鳥居を発見。入ってみると、なかなか立派な神社の本殿がありました。小日向神社(→→→こちら)だそうです。小日向神社は明治5年村社にという社格になったそうです。この神社は、付近にあった氷川神社と田中八幡神社とが合祀して明治2年に小日向神社となったそうです。氷川神社は、常陸国長官平貞盛が、日輪寺の上の蓮華山に天慶3年(940)建立、八幡神社は音羽一丁目(現在今宮神社が鎮座)に貞観3年(860)建立されたと伝わっています。この二つの神社が古くからこのあたりの鎮守社だったそうです。【つづく】人気ブログランキング文京区散策(その5) 屋運(おくうん)と 小日向神社
2020年02月27日
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ちよっと大きな橋がありました。 石切橋という名前です。 橋の両側に門柱のように石柱があって、ちょっと風格を漂わせていました。 石切橋の名前は、かつてこのあたりに石切り(石工)が住んでいたことからつけられたと伝わっているようです。 石ではなく、今ではコンクリートでできた橋を渡ります。 そして、小日向台地の方へ上がって行くと、なかなか上品な住宅街になっています。 その中を進んでいくと、 ちょっと変わった感じの建物を発見。 石切神社、これはかってこのあたりに住んでいた石工に因んだ神社ではなく、 大阪にある石切劔箭神社(→→→こちら)の東京分祀のようです 大阪では昔から、石切劔箭神社は「でんぼ(腫れ物)の神様」として信仰されています。腫物、腫瘍ということで、今や日本人の二人に一人が癌になる時代、 癌にならないように、また仮に癌になっても大門美知子先生のような手術の上手いドクターに手術してもらえるようとお参りしてみたかったのですが、 しかし、シャッターが閉じられていて、今日は神社の営業日ではないようでした。 ということで、二階にありそうな本殿を、 ちょっと、のぞかせてもらいました。 本当に癌になったら、大阪にある石切さんにお百度させてもらいます。 【つづく】 人気ブログランキング 文京区散策(その4) 石切橋と石切神社
2020年02月26日
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目白通りを神田川沿いに歩いてみました。神田川には小さな橋がいくちも架かっていました。この橋の名前は「はなみずばし」、鼻水? 花粉症の時期にピッタリの名前かと思ったら、「華水橋」というきれいな名前だったんですね。こちらも狭い橋ですね。自動車は通れない人道橋ですね。「掃部橋」、ちょっと難しい名前ですね。「かもんばし」ですか、「カモン! ベイビー (Come On! Baby)」ですね。【つづく】人気ブログランキング文京区散策(その3) 橋の名前
2020年02月25日
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江戸川橋の袂にある「江戸川公園」の石碑。神田川沿いにある細長い公園が江戸川公園です。入口近くにある銅像です。この銅像は大井玄洞(1855-1930)という方です。もともとは日本の薬学の草分けともいえる人で東京薬学校(現東京薬科大学の前身)の校長を務め、また陸軍の薬剤官もされた方ですが、退役後は東京府会議員として神田川(当時は江戸川)の治水事業に尽力されたそうで、その業績を称え1928年にはここに銅像が建立されたそうです(→→→こちら)。そのようなことが、この説明板に記されていました。また、この江戸川公園は桜の名所としても知られていますが、まだ桜の季節には早いにもかかわらず、気の早い桜が咲いていました。やはり、これは河津桜でしょうか。【つづく】人気ブログランキング文京区散策(その2) 江戸川公園
2020年02月24日
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東京メトロ有楽町線の江戸川橋駅です。しかし、この有楽町線、西武池袋線や東武東上線からの乗り入れがあって、埼玉県と東京都心を結んでいる路線です。さらに今では副都心線も西武池袋線や東武東上線と乗り入れをしていて、かつ東急東横線とも相互乗り入れしていて、埼玉県から横浜までつながっています。漫画家の魔夜 峰央(まや みねお) (1953-)によれば、かっては、東京都と埼玉県の間には関所があり、埼玉県民は通行手形がないと関所を通過できなかったそうです。その頃に比べると、埼玉県人が通行手形もなく東京や横浜に足を運べるようなったのは、隔世の感がありますね(→→→こちら)。この橋が、「江戸川橋」です。しかし、江戸川といえば、関宿付近で利根川と分かれ、千葉県と埼玉県、東京都の境を南に向かう川のことではないかと思われる向きも多いかと思います。ではこの橋の架かる江戸川とは?この川が「江戸川」です。でも、本当は「神田川」です。都電荒川線早稲田停留場付近から飯田橋駅付近までの区間は、1970年までは江戸川と呼ばれていjましたが、今では神田川という名前に統一されています。川の名前が途中から変わるというのはよくあるようで、筑後川も河口から夜明ダムあたりまでは筑後川で、夜明ダムから日田市の玖珠川との合流点までは三隈川と呼ばれています。しかし、神田川と言う名前に統一されて一番利益を受けたのは「神田川」という曲をヒットさせたかぐや姫というフォークグループでしょうね。「♪窓の下には江戸川~」だと、葛飾柴又の寅さんの歌かと間違われたでしょうから。【つづく】人気ブログランキング文京区散策(その1) 江戸川橋
2020年02月23日
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帰りは、なぜか京浜急行に乗ってみたくなりました。そこで京浜急行線の高架沿いに京急川崎駅へ。こちらが京急川崎駅です。JRの川崎駅と間違わないようにわざわざ「京急(けいきゅう)」と付けたのでしょうね。京急川崎駅の改札口付近、意外と広いという感じでした。大師線のホームのトイレの前にあった創業者の立川裕次郎氏(→→→こちら)についての解説板です。こちらが、大師線のホーム。京急川崎から川崎大師を経由して小島新田駅までの4.5kmを結ぶ路線です。こちらにも乗ってみたいのですが、そのまま京急本線で品川へ帰ることにしました。【つづく】付録 8月~10月のアクセスレポートです。沢山のみなさまにアクセスしていただきありがとうございました。人気ブログランキング川崎に行ってみました(その5) 京急川崎駅
2019年11月01日
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川崎というと、こちらの東口の方が昔からの繁華街というイメージですね。 東口にも川崎ルフロンという商業施設があります。 ヨドバシカメラやゼビオなどの店舗が入っています。 さらに京浜急行の川崎駅もこちらにあります。 元々、西口は東芝の工場や明治製菓の工場があったので、繁華街はこちらの東口ということになります。仲見世通りなんていう商店街もあって、かっての京浜工業地帯の中心地というイメージを残しているように感じました。 【つづく】 人気ブログランキング 川崎に行ってみました(その4) 東口
2019年10月31日
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写真の左側の建物がミューザ川崎。 ここには、音楽ホールのミューザ川崎シンフォニーホールと高層オフィスビルが入っているそうです。 もっともオフィスビルがあるということは、飲食店もそれなりにあるわけで、その飲食店街が1Fにあるミューザ川崎40番地というエリアです。ここはミューザ川崎ができる前にあった40番地という飲食店街の雰囲気を残したということです。 そして、ここには、こんな猫の置物がありました。 猫の置物は二体あります。 この猫をなでるといいことがあるということです。 それが、この40番地の「ふく猫」という話です。 その昔、川崎のとある居酒屋に一匹の猫がいつき、お客さんがその猫の頭をなでると幸運が訪れるという噂が広がった。 むずかしい手術が成功したり、縁談がうまくいったり。噂は噂を呼び、居酒屋はとても繁盛し、40番地の人々は猫を大変可愛がったということです。 まあ試しに、この猫をなでてみるのもいいかもしれませんね。 ちなみに40番地って西口のこのあたりにあったのでしょうかね。 【つづく】 人気ブログランキング 川崎に行ってみました(その3) ふく猫
2019年10月30日
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歩道橋になったこの道を行きます。途中からバスターミナルの方を見下ろすと、こんな文字がかいてありました。「川崎赤煉瓦倉庫」。かって、川崎駅西口に赤レンガ倉庫(旧国鉄の変電所)が1914(大正3)年に建造され、そして、この地区の再開発が始まるまで90年近くこの場所にあったそうです。川崎駅西口にあるミューザ川崎にあるこのモニュメントも、かって赤煉瓦倉庫をイメージして制作されたものだそうです。ミューザ川崎の内部も、赤煉瓦がデザインに取り入れられていました。【つづく】人気ブログランキング川崎に行ってみました(その2) 赤レンガ
2019年10月29日
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10月といってもまだ暑かった、10月初旬、むかし、川崎で働いていたことがあって、その縁で川崎の知り合いに会いに行ってきました。 JR川崎駅西口側にあるラゾーナ川崎プラザです。 川崎駅のコンコース、人が多いですね。 ラゾーナ川崎プラザにある、オープンスペース「ルーファ広場」、よくイベントとか開かれているそうです。 こちらのステージでは、よく歌手の無料コンサートが開かれているそうで、まだ、ライブまで2時間以上はありそうなのに、もうファンの人が最前列に陣取っていました。 ところで、このラゾーナ川崎プラザ、以前は、東芝の工場があったところで、今は東芝のビルがありました。 また、川崎駅西口は色々なビルが建っていました。まだ待ち合わせの時間に余裕があったので、このあたりもう少し探検してみます。 【つづく】 人気ブログランキング 川崎に行ってみました(その1) ラゾーナ川崎プラザ
2019年10月28日
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丸ノ内線新高円寺駅に着きました。この辺りの丸ノ内線の駅への出入り口は、青梅街道をはさんで両側にあります。青梅街道にある横断歩道を渡って、向こう側の入り口に向かう人も多いです。こちらの入り口は、新宿・銀座・池袋方面行の乗り場です。こちらの入り口は、荻窪方面行の乗り場です。駅の中に連絡通路があるので、どちらの入り口から入っても構わないのですが、地下鉄のホームの下の階段を通って反対側に行くのか面倒なんでしょうね。新高円寺駅の構内立体図(→→→こちら)です。【つづく】人気ブログランキングへ駅間歩き 丸ノ内線(新高円寺~東高円寺)(その1) 新高円寺駅の出入り口
2019年09月26日
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巨瀬川調整池をもう少し見てみましょう。こちらにも水門があって、川の洪水を調整池に引き入れることができるようになっていました。ここが巨瀬川調整池の管理施設でしょうか。この建物の前にあった、コンクリートの変な形の輪。これはトンネルの断面のようですね。こちらの石碑は、佐賀導水巨瀬川調整池竣工記念と刻まれていました。碑文には、この調整池建設の経緯が記されていました。しかし、表面にセメントが溶けて流れたような痕があってところどころ読めませんでしたが、このあたりは、むかしから河川が合流するところでたびたび洪水被害に悩まされていたが、ここに調整池をつくり、一部の水を佐賀導水事業(→→→こちらです)で嘉瀬川に流して洪水量の軽減を図っているということです。トンネルの断面が佐賀導水の水路ということだったんですね。こちらの建物は、この巨瀬川調整池k建設中に見つかって発掘された縄文時代の遺跡「東名(とうみょう)遺跡(→→→こちら)」の発掘品の一部を展示している施設でした。こちらが巨瀬川調整池です。佐賀の町を洪水から守ろ施設ですね。面積は約55haあるそうです。そして野鳥たちの楽園でもあるようですね。【了】人気ブログランキング佐賀市兵庫町さるき(その6) 巨瀬川調整池と佐賀導水事業
2019年01月21日
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再び巨瀬川に戻って、川沿いを歩いてみました。佐賀市兵庫町の北側を流れる巨瀬川を上流から下流に向かって撮影しました。今度は右側(南側)の堤防が、左側(北側)の堤防が高いような気がします。これをみると巨瀬川の洪水が溢れても、兵庫町の方ではなく先に金立町の方へ流込むという仕掛けなんでしょうね。巨瀬川にかかる橋のたもとにあった石碑です。由緒正し石碑のようですが。達筆すぎて読めませんでした。こちらは巨瀬川ではなく西の方から流れてくる市の江という水路だそうです。水門があって、またその手前に水門があります。その水門の後ろには広々として池が広がっていました。ここは巨瀬川調整池(→→→こちら)という土木施設のようです。【つづく】人気ブログランキング佐賀市兵庫町さるき(その5) 巨瀬川
2019年01月20日
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近くの集落の中に入ってみました。こういう集落には必ずある神社。この神社で行われる厄除けの行事のことが紹介されていました。このあたりは佐賀市兵庫町まではなく佐賀市金立町になるのですね。境内にあった立派な石碑。郷土の偉人を顕彰する石碑だったんですね。こちらは猿田彦大神の石碑。猿田彦大神は「古事記」および「日本書紀」の天孫降臨の段に登場する神様。天孫降臨の際に、天照大神に遣わされた瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を道案内したことから、導きの神様として、道案内をしてくれるという意味で道路沿いに石碑が建立されているそうです。水路の脇に木が植えられていました。「横土井」という施設だそうです。水路沿いに設けられた洪水防止機能を持つ緑地帯のようですね。【つづく】人気ブログランキング佐賀市兵庫町さるき(その4) 横土井
2019年01月19日
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ひょうたん島公園周辺の様子を国土地理院の航空写真地図で見てみました。ひょうたん島の西側に巨瀬川という川が流れているので、行ってみました。これが巨瀬川です。右側(西側)の堤防が左側(左側)の堤防より若干低いような気がしますね。そして、北側に堰がありました。この堰は白土居堰という堰です。このあいだ訪れた利根川にある利根大堰に比べると可愛い堰ですね。こちらはその白土居堰から取水する「三樋管」という施設で、水を3方面に分けて流すそうです。でもここでは2方面にしか別れていませんね。その三樋管からつながっているこの施設、ここで2方面に別れているので、ここで合計して3方面に分かれているということですか。この近くでみつけたパンダカラス、正しくはカササギという鳥です。上の地図にカササギ生息地と書いてあったのは本当だったんですね。【つづく】人気ブログランキング佐賀市兵庫町さるき(その3) 白土居堰
2019年01月18日
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ひょうたん島公園の中にある「四季のめぐみ館」という施設。中は休憩所なんでしょうか。まあ、朝早かったので誰もいませんでした。四季のめぐみ館の上に展望台があって、そこから北東方向を撮影しました。広々とした平野ですね。真北の方角です。遠くに脊振山地が霞んで見えました。西の方角は、もう佐賀市街地が広がっています。ここは。むかし馬を堀の中で洗ったという馬洗場を再現したものだそうです。堀から田んぼに取水していた跡だそうです。堀の中に突き出たところで水を堰上げて取水していたようです。のどかな田園風景を楽しめる公園でした。【つづく】人気ブログランキング佐賀市兵庫町さるき(その2) 四季のめぐみ館
2019年01月17日
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本当は佐賀県鳥栖市出身なのに福岡県出身と偽っているという女優の松雪康子さんの出身地の佐賀県。その佐賀県の県庁所在地佐賀市の郊外に兵庫町というところがあり、地図を見いていると「ひょうたん島公園」というのがあったので、面白そうだということでやってきました。公園の中はこんな感じ。むかし、このあたりにあった堀(クリーク)を残した公園になっているそうです。ということで、国土地理院のサイトで紹介されている1974年~1979年ころのこのあたりの航空写真そして最近の航空写真です。堀の配置が、随分変わっていますね。次回は、このひょうたん島公園の中を紹介します。【つづく】人気ブログランキング佐賀市兵庫町さるき(その1) ひょうたん島公園
2019年01月16日
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利根大堰から再び歩いて秩父鉄道の武州荒木駅まで戻りました。そして、秩父鉄道を利用して、埼玉県羽生(はにゅう)駅へやって来ました。羽生市にはマスコットキャラクターが設定されているようです(→→→こちら)。結構、いますね。キャラクター。でも一体、どんな活動をしているのか。何かのイベントがあるときに来てくれたり、老人ホームや保育園へ出かけてきてくれたりするのかな?東武鉄道に乗って、東京へ帰りました。【了】人気ブログランキング冬の武州路を行く(その7) 羽生
2019年01月14日
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利根大堰の横にあった石碑群です。この石碑は、江戸時代に建設された見沼代用水(みぬまだいようすい →→→こちら)の取水口が、かってここにあったことを示すもののようでした。見沼代用水とは、かんがい用ため池であった見沼溜井の代替用水路であったことから、代用水という名前がつけられているそうです。そういえば、埼玉県さいたま市に見沼区というところがありますが、あそこに沼があったのですかね。なかなか立派な石碑です。この碑文によると、見沼代用水、江戸時代からありますが、昭和の終わりから平成まで、埼玉合口二期事業として、施設が改築されて、使われてきているのですね。こちらの板碑。難しくて読めませんでした。【つづく】人気ブログランキング冬の武州路を行く(その6) 見沼代用水の石碑
2019年01月13日
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冬空の下、埼玉県までやって来たのは、この利根大堰(→→→こちら)を見たいと思ったからです。この利根大堰、埼玉県下のほとんどの小学校が社会科見学にやってくるという、埼玉県民にはお馴染みのスポットだそうです。利根大堰の役割は次の3点だそうです。●利根川上流のダム群により開発した都市用水を武蔵水路及び荒川を経由して東京・埼玉に導水する。●利根川中流部に展開する29,000ヘクタールの水田に安定的に灌漑用水を供給する。●緊急かつ暫定的に利根川の余剰水を取水して隅田川の河川浄化を行う。水利使用標識では、かんがい用水として見沼代用水・埼玉用水・葛西用水、そして群馬県の邑楽用水が示されていました。堰の長さは700.0 m。対岸は群馬県です。堰の横に「大堰自然の観察室」というのがありました。ここでは、堰の横にある魚道を遡ってくる魚が見物できるようになっていました。利根川はサケ自然遡上の南限河川ということで、貴重な水産資源を守っていることを示しているのですね。写真はちょっとブレブレですが。こちらが、利根大堰から取り入れられた水が、それぞれの水路に別れて行くところです。すごく広いプールのようですね。対岸の群を県側に流れて行く邑楽用水も、いったん埼玉県側に取り入れられて利根川の下を潜って群馬県側に流れて行くようです。【つづく】人気ブログランキング冬の武州路を行く(その5) 利根大堰
2019年01月12日
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見沼元圦公園(みぬまもといりこうえん)という公園がありました。利根川から見沼代用水に取水する利根大堰から見沼代用水沿いの西側に広がっています。見沼元圦公園は、埼玉県行田市の見沼代用水(みぬまだいようすい)の元圦跡(つまり、利根川から水を引き込んでいた施設)を整備して作られた公園です。色々施設があったのですが、駅からここまで40分近くも歩いていたので、とりあえずこの見晴台と呼ばれる展望台にあがってみまし た。周囲は見渡す限りの農地か広がっていました。そして、これが水路、武蔵水路と見沼代用水水路があるってことですね。しかし、このあたりの埼玉県って、東京が少しはみ出したような都市化した埼玉ではなく、広々とした田園風景が広がる農村景観の広がる埼玉ですね。見沼元圦公園の傍にあった、行田市老人福祉センター大堰永寿荘という施設です。高齢者の方がレクリェーションや話し合いをとおして仲間づくりをし、楽しみながら保養する憩いの場だそうです。利用料は行田市民でで60歳以上なら100円だそうです。大堰永楽荘の前に建立された、行田市名誉市民、永沼 倉次郎氏の銅像です。この方は老人福祉センター大堰永寿荘を始め、福祉、教育、消防、土木関係に浄財を寄付した行田市の実業家だそうです。【つづく】人気ブログランキング冬の武州路を行く(その4) 見沼元圦公園
2019年01月11日
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