リュンポリス
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初めて観たマーベル映画は、『マイティ・ソー』でした。あの頃はマーベルという単語が何を意味するのかすらも分からずに、純粋に「北欧神話の映画だから」という理由で劇場に足を運びました。『アベンジャーズ』というプロジェクトを知ったのはその後です。劇場公開前、友人と『アイアンマン』『アイアンマン2』『インクレディブル・ハルク』『キャプテン・アメリカ:ザ・ファースト・アベンジャー』をTSUTAYAで借り、来たるべきアッセンブルに備えたことを、今でも覚えています。あの時から、私はマーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)に魅了され始め、『アベンジャーズ』以降のマーベルの最新作は、必ず劇場で観るようになりました。気付けば「ギリシアの次にマーベルが好き」と断言できるくらい、MCUのファンになっていました。 あの頃はアメコミヒーローと言ったらバットマンやX-MENで、MCUの重要な要素であるアイアンマン、キャプテン・アメリカ、マイティ・ソーは、マイナーなヒーローでしかありませんでした。ネット上の批評家たちの中には、アベンジャーズのことを「所詮は知名度の低い、弱小ヒーローの寄せ集め」と見下す人もいました。 しかし、それがどうでしょうか。多くの人が失敗すると思っていた『アベンジャーズ』は映画史に残る大ヒットを生み出し、それ以降、MCUは破竹の勢いで拡大し続け、『ブラックパンサー』はヒーロー映画史上初となるアカデミー作品賞ノミネート、『アベンジャーズ:インフィニティ・ウォー』はヒーロー映画史上初の全世界興行収入20億ドルを突破するなど、今やスターウォーズをも超える伝説的なシリーズとなりました。 それが、今作で終わりを迎えます。厳密に言えば、MCUはまだ終わりません。スパイダーマンやガーディアンズ・オブ・ギャラクシー、ブラックパンサーの続編が既に発表されてますから。しかし、MCUを創造し、支えてきた初代アベンジャーズ――アイアンマン、キャプテン・アメリカ、マイティ・ソー、ハルク、ブラックウィドウ、ホークアイの長い長い戦い(インフィニティ・サーガ)は、エンドゲームで幕を閉じてしまうのです。 ※ネタバレ注意! インフィニティ・サーガ最終作に相応しい、文句無しの最高傑作でした! ヒーロー結集というお祭り要素の濃いアベンジャーズシリーズにおいて、ここまで各ヒーローの心の機微を捉えた演出をするなんて、良い意味で驚きです!エンドゲーム前半は、まるでヒューマンドラマ系の映画であるように、ヒーローの内面の動きを追う構成になっていました。インフィニティ・ウォーで全宇宙の生命体の半数が消滅し、各国政府は崩壊、絶望のどん底にいるからこそ、それぞれの人間性や心の底が明らかになりやすいのです。そんな中で、適度にコメディ要素が分配され、全体が重く沈んだトーンにならないような配慮がされているのは、MCUならではといったところ。前作のコメディ担当だったガーディアンズ・オブ・ギャラクシーはほぼ全滅状態ですが、代わりにアントマンというお笑い界のニューホープが劇場に笑顔を呼び込んでいました。笑 ◆絶妙なタイムトラベル設定 コメディ要素もそうですが、本作でアントマンが貢献した役割は途方もなく大きいです。アントマンがいなければ、エンドゲームそのものが成り立ちませんでしたからね。タイムマシンを完成させたのはトニーですが、そのアイディアのきっかけを作ったのはアントマンです。インフィニティ・ウォーでは仲間外れにされていましたが、エンドゲームでここまで重要な役目を担うのなら、前作でははぶられて当然でしょう。笑 というか、本作のタイムトラベルもよく考えて作られていましたね。エンドゲームでのタイムトラベルでは、「過去の改変で現実を変える」というSFのお決まりが封印されています。既に築かれた因果関係は変更できず、過去を変えても、今は変わらないという設定になっていました。つまり、時をさかのぼって、赤ん坊のサノスを殺し、現代に戻っても、「サノスがいない世界」は到来せず、依然として「サノスによって半分の人類がいなくなった世界」のままなのです。 量子世界によるタイムトラベルは、厳密には「パラレルワールドへの移動」に近い概念でしょう。過去に戻った時点で、「未来人がやってきた過去」という別の世界線が生まれ、「未来人がやってこなかった過去」とは隔離されてしまうのです。だから、未来人が過去を改変した後に、元の時代に戻ったところで、「未来人がやってこなかった過去」をベースとした世界線に戻るだけなので、何も変わらないのです。「未来人がやってきた過去」をベースとした世界線は救われますが、「未来人がやってこなかった過去」をベースとした世界線は、依然として救われないままなのです。 こうすることで、今作は、タイムトラベルものに付き物の厄介なタイムパラドックスからフリーになれました。過去へのタイムトラベルも、別の世界線での話なので、過去作や物語上の矛盾を恐れることなく自由に動き回ることができました。過去のムジョルニアを持って来てしまったソーには、さすがに「その世界線のソーが困るやろ・・・!」と突っ込みましたが。笑 ◆早すぎる死 エンドゲームで予想外だったことの1つが、ブラックウィドウが死ぬことです。しかも完全にMCUから退場します。なぜなら、ソウルストーンへの犠牲は、インフィニティ・ガントレットであっても修正できないからです。(終盤、ブルース・バナーが指パッチンしても「彼女を蘇生できなかった」と言っています)ブラックウィドウの単独映画の話が出ていたので、死なないものだと思っていました・・・。 ソウルストーン入手のため、彼女が命を投げ出そうとするのは明白でした。彼女には「世界のために尽くす」ことが全てでしたから。(純粋な公共善を目指してではなく、己の暗い過去を隠すため) とはいえ、ホークアイはドラマ化、ブラックウィドウは単独映画化が企画されているので、「策謀に長けた二人だし、別の入手方法を考案するのかな」と思いきや・・・。 エンドゲームの予告編で頻りに唱えられていたフレーズ "Whatever it takes" 「何を犠牲にしようとも」が、ここにきてガツンと降りかかりました。それまではMCUの過去を振り返りながらも、ヒーローたちの葛藤・成長を改めて感じる「さよならツアー」感がありましたが、彼女の死からトーンが変わり始めます。それは、アベンジャーズ側・サノス側含め、己が目的を"Whatever it takes" なんとしてでも成し遂げようとする、最終局面に入ったことを示していました。 というか、ブラックウィドウの単独映画はどうなるんでしょう?過去編になるのでしょうかね。それとも壮大なミスリードだったのか・・・。 ◆エンドゲーム到来・究極の総力戦! 未来のネビュラが過去のネビュラと偶然リンクしてしまったことにより(ネビュラが生き残ったのはこのためだったんですね!)、過去のサノスがこのことを嗅ぎ付け、未来の地球に攻撃を仕掛けます。彼も、なんとしてでもアベンジャーズの野望を止めようと必死なのです。迎え撃つはアイアンマン、キャプテン・アメリカ、マイティ・ソーの「ビッグ3」。アイアンマンはインフィニティ・ウォーで一度敗北していますし、ソーは相変わらずのビール腹、キャプテンは明らかに身体的能力が(超人たちに比べれば)劣っており、予想通り苦戦を強いられます。 ところがここで凄まじいサプライズが!なんとキャプテンが、ソーの過去から持ってきたムジョルニアを使えるようになったのです!確かに『アベンジャーズ:エイジ・オブ・ウルトロン』では、キャプテンはちょっとだけムジョルニアを動かせそうでした。それがまさか伏線となり、ここでムジョルニアを操り出すとは!エンドゲームの極限状態が、ムジョルニアにキャプテンを"Worthy"であると認めさせたのです。 「キャプテンの盾とソーのムジョルニアを両方装備すれば最強じゃね?」というマーベル好きなら誰もが思うことを、ここにきて実現してしまったキャプテンは、ムジョルニアとヴィヴラニウムの盾のコンボ(まさに最強の矛と最強の盾)でサノスを追い詰めます。しかしサノスも強いもので、新武器の大鉈で、宇宙最硬物質であるはずの盾をも半壊させてしまいます。ウルヴァリンもびっくりですね。 この後の展開がMCU史上、いや、映画史上最も熱い展開でした! 盾が壊れ、ボロボロになりながらも、立ち上がるキャプテン。サノスが全軍に攻撃命令を下し、地球侵略を本格化させます。それでも立ち向かおうとするキャプテンに、ふと懐かしい声の無線が・・・。 ハルクの指パッチンにより復活したMCUのヒーローたち・・・それも主演級だけじゃなく、今まで出演した個性溢れる脇役たちも、一斉に救援に駆け付けたのです。最初、ブラックパンサーが光の輪の中から現れた時は、泣きそうになりました。そして、ファルコン、ワカンダ軍、ウィンターソルジャー、ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー、ヴァルキリー、ドクターストレンジ、スカーレット・ウィッチ、スパイダーマン、ワスプ…数えきれないヒーローたちが集結し、地球侵略を開始したサノス全軍と対峙します。 キャプテン・アメリカはムジョルニアを力強く握り締めながら、「アベンジャーズ!…アッセンブル」と宣言します。究極の胸熱展開と相まって、映画史に残る名台詞だと思います。 (あまりの光景に感動しながらも、「あれ?キャプテン・マーベルは?」と思ったのは私だけじゃないはず。彼女も遅刻したものの途中から参戦してくれてよかったです笑) インフィニティ・ウォーで倒された悪役たちも(過去から来てるので当たり前ですが)復活を遂げ、最終決戦はまさに総力戦の様相を呈してきました。焦点は、トニーがナノテクで作り上げたインフィニティ・ガントレットの奪い合いです。サノスに取られて指パッチンされたら、全生命体の半分どころか、今度は全てを原子レベルにまで分解されてしまいます。かといって、皆を復活させるための指パッチンでナノマシンが焼け焦げ、ガントレットがハルクの手のサイズ(サノスとほぼ同じ)に固定されてしまっているので、ヒーローたちが装着し、指パッチンしてサノスを滅ぼすこともできません。(ハルクはもう片腕やられて瀕死なので装着した瞬間死んじゃうでしょうね) 唯一の希望は、量子世界に再び戻すことです。量子世界転送装置までの、インフィニティ・ガントレットのリレー競争が幕を開けました。各ヒーローたちの見せ場がきちんと用意されており、このシーンは見ごたえたっぷりでしたね。ブラックパンサーは持ち前の肉体能力で戦場を駆け、キャプテンとソーは『アベンジャーズ』以来の絶妙なコンビネーションを見せ、サノスに恋人を殺されたスカーレットウィッチは、怒りの念力でサノスを叩きのめします。スパイダーマンも遂に禁断の「即死モード」をお披露目。まさにお祭り騒ぎです。 そんな中で、一番印象に残っている戦いは、キャプテン・マーベルVSサノスです。キャプテン・マーベルは、ワスプ、オコエ、スカーレット・ウィッチ、ヴァルキリー、ペッパーを率い、怒涛のフェミニズム・アタックで、インフィニティ・ガントレットを量子世界へ戻そうとします。しかし、サノスがそれに立ち塞がり、フェミニズム・アタックは無残にも砕け散りました。ここで、ガントレットを巡って、サノスとキャプテン・マーベルが一騎打ちを繰り広げます。 「マーベル最強」「DCのスーパーマンに匹敵」と言われるだけあり、フィジカルのパワーはサノスをも上回っていました。サノスの頭突きに仰け反ることすらしません。しかし、サノスの真の強さは、腕力ではなく知力、言うなればその判断力と機転でした。ガントレットのパワーストーンを毟り取り、その力を借りてキャプテン・マーベルをぶっ飛ばします。いくらキャプテン・マーベルでも、「力」の本質を司るパワーストーンには勝てないようです。 サノスがキャプテン・マーベルに打ち勝ったこのシーンは極めて重要です。なぜなら、いくら他のヒーローたちが頑張っていても「キャプテン・マーベル1人だけで勝てたんじゃね?」というようなことが起こったら、台無しだからです。(「スーパーマンだけでよくね?」となって失敗したのが『ジャスティス・リーグ』です) キャプテン・マーベルにフィジカル最強という華を持たせながらも、機転の良さでサノスが勝利する。まさに最高の演出ですよ。ドクターストレンジの見た未来では、キャプテン・マーベルがサノスを倒すというパターンは、存在しなかったのです。知力は腕力に勝るというのは、ギリシア神話や旧約聖書にも見られる古代からの伝統的思想ですし、説得力は抜群です! そしてこの思想は、アイアンマンVSサノスにも受け継がれます。アイアンマンは、知力・そのテクノロジーを持って、サノスを制したのです。今回のガントレットは、インフィニティ・ウォーの時と違って、トニー・スターク自らがナノテクを使って設計しました。ストーンの取り外し方も熟知しているはずです。更に、焼け焦げて固定されているとはいえ、元はナノテク。触れさえすればナノテクの流動性を生かし、サノスの手にガントレットを装着したままストーンを盗むのは造作もないことでしょう。ストーンを盗み、トニーの頭の中にあるガントレットの設計図を元にナノテクで再構築すれば、インフィニティ・ガントレットの完成です。 テクノロジーが、強大な力を制した瞬間です。そして彼は宣言するのです。"I am Iron Man"と。 アイアンマンの指パッチンにより、サノス全軍は消滅。サノス自身も、全てを悟った表情で、静かに消えていきました。ただの人間の身で、インフィニティ・ガントレットを始動させたトニー・スタークは瀕死の重傷です。ハルクですら片腕が不随になるほどのエネルギーですからね。ピーターとペッパーが駆け付けますが、もう遅く、トニー・スタークは帰らぬ人となりました。 彼と共に始まったインフィニティ・サーガは、彼の犠牲と共に幕を下ろしたのです。 インフィニティ・ガントレットを使うことの意味を、彼は理解していたでしょう。それでも、彼は成し遂げました。全ては、家族――ペッパーと娘を守るためです。過去に戻って父と対話した彼は、家庭を顧みず、国防の仕事に明け暮れていた父の真の願いは、息子――トニーを守るためだったと気付かされます。キャプテン・マーベルにも勝利したサノスですから、ここで躊躇していては、地球を、家族を守ることなどできません。ヒーローとしての役割以上に、父としての役割を全うすることで、サノスを打ち倒したのです。そういう意味で、『アイアンマン』、『アイアンマン3』で宣言した "I am Iron Man" とは、重みが違うのです。 ◆そして、終幕へ・・・ トニー・スタークの死により、全宇宙は救われました。彼の葬式に集った多くのヒーローたちが、彼の偉大さを証明しています。キャプテン・アメリカはその後、過去から持ってきたインフィニティ・ストーンを元の世界線に戻すため、パラレルワールドへの旅に出ます。 5秒後に戻ってきたキャプテンは、もう老人に。でも、とても幸せそうな表情をしています。 「ふと立ち止まって、自分の人生を歩もうと思ったんだ」 第二次世界大戦で超人兵士計画へ立候補してから、個を犠牲にし、厳格な道徳で公共善を追及してきた彼の、初めての長い長い休暇と言えます。彼は老人になるまで、別の世界線で、平凡で幸せな人生を歩んでいたのです。 ファルコンは彼に尋ねました。「ペギー・カーターとはどうなった?」 キャプテンは静かに「それは胸にしまっておこう」と呟きます。 その後、静かに映し出される回想。キャプテンが、ペギーと幸せそうにダンスを踊っています。戦時中、彼の果たせなかった約束――ペギーとのデートの約束は、異なる世界線で、遂に実現できたのです。 もう泣きそうになりました。これは素晴らしい終幕です。戦時中から現代に叩き起こされ、戦うことの中にしか居場所の無かったキャプテンが、初めて「人生」を持てた瞬間です。『キャプテン・アメリカ:ウィンター・ソルジャー』でMCUデビューしたルッソ監督だからこそできた演出でしょう。スタッフロールに入った瞬間、劇場から自然と拍手喝采が巻き起こりました。こんなの初めての経験です。 MCU初期は、個を重視し、公共善を疎かにしていたトニー・スタークの自己犠牲 MCU初期は、公共善を重視し、個を疎かにしていたスティーブ・ロジャースの幸せな人生 アベンジャーズを代表する2人の、鮮やかな対比がきらりと光ります。ここまで壮大なサーガをまとめ上げ、昇華させた上に、各ヒーローの深い内面にまで掘り下げたルッソ監督の手腕には、脱帽するばかりです。 本作は間違いなく、私が今まで観た全映画の中で最高の作品です。それは、MCUの拡張と共に歩んできたからこそだと思います。私の人生の中で、ここまで興奮でき、夢中になれて、わくわくできる、そんなシリーズに出会えて、本当に幸せだと思います。 MCUが今後どのような展開を迎えることになるか分かりませんが、もうキャプテン・アメリカと、アイアンマンは戻ってこないのです。事実、MCU恒例のポストクレジットシーンは、本作にはありませんでした。でも、だらだら続けるよりは、それで良かったと思います。 "Part of the journey is the end" ――終わりがあるからこそ、物語は美しいのです。
2019.04.27
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