リュンポリス
2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
2012
2011
2010
2009
2008
2007
1月
2月
3月
4月
5月
6月
7月
8月
9月
10月
11月
12月
全1件 (1件中 1-1件目)
1
平成から令和へと年号が移り変わり…、平成最後の海外旅行はギリシアでしたが、令和最初の海外旅行もギリシアです!GWはあらゆる航空券が高騰していたのもあり、時期を少しずらして6月初週にギリシアへ1週間ほど行ってきました。というのも、今所属中の会社には「5の倍数の年齢になった時、自分の好きな時期に有休を5連続で取っていい」というリフレッシュ休暇制度があり、今年で満25歳になる私は、年末年始・GW・夏季休暇とは別に、9連休を確保できたわけですね。今までのギリシア旅行は(親友と一緒だった第2回ギリシア旅行を除いて)基本的に一人旅でしたが、今回は彼女と休みを合わせて一緒に旅行してきました!彼女は私のようにギリシア好きでも研究家でもないため、内陸部のマイナー遺跡巡りのようなことはせず、一般旅行客に人気の高いエーゲ海諸島を中心に選定しました。その結果、アテネ、ナクソス島、サントリーニ島というチョイスとなりました。メインは何と言っても「新婚旅行で行きたい欧州の島 第1位」を獲得したフォトジェニックの帝王・サントリーニ島です。サントリーニ島はそのあまりの美麗さ故「一人旅では行かず、恋人と行く」と心に決めていた場所なので、超が付くほど有名な島ながら、今回初めての上陸となります。ナクソス島はややマイナーですが、サントリーニのようにバカンスの島であることに加え、第一次ペルシア戦争の一因となった島でもあり、個人的に行ってみたかったので立ち寄ることにしました。アテネ:6/2~6/3格安航空のScootを使い、シンガポール乗り継ぎでアテネへ。エンタメも何もない深夜バスみたいな座席に長時間拘束されるのは結構しんどかったですが、アマゾン・プライムでたんまりオフライン保存しておいた海外ドラマ『スーパーナチュラル』や『松本人志のドキュメンタル』で事なきを得ました。関空発で良い条件の航空券がこれしかなかったんや・・・。★アテネで主に訪れたスポット①リュケイオン②ミトロポレオス大聖堂③アクロポリス(パルテノン神殿他)④プシリ区のエルム―通り▶アクロポリス周辺基本的にアテネはギリシア旅行時に必ずアクセスする場所なので、アクロポリス周辺はもはや実家のような安心感です(アクロポリスはこれで5回目の入場です)。さながらツアーガイドのように、今回が初のアテネとなる彼女を主要観光スポットへと案内していました。彼女は、パルテノン神殿には行きたがっていたものの、遺跡には全く興味がないタイプなので、楽しんでくれるか心配でしたが、アクロポリスとその上に聳え立つパルテノン神殿の壮大さに感無量のようでした。嬉しいものですね。私の解説は8割ほど聞き流されましたが。笑▶リュケイオン歩き慣れたアテネ市内ですが、リュケイオンだけは今回初の入場となります。リュケイオンは、古代アテナイの郊外にある体育場であると同時に、「万学の祖」とも呼ばれる大哲学者アリストテレスが自らの哲学を教えた地でもあります。ここでアリストテレスを始祖とするペリパトス派が逍遥しながら真理について議論していたかと思うと、感慨深いですね。アリストテレスはスコラ哲学を通して中世ヨーロッパにも多大な影響を与えており、学問のみならずキリスト教の理論化にも貢献しました。リュケイオンはアクロポリスと比べると地味な遺跡のため(その歴史的意義はアクロポリスにも比肩しますが)、彼女が休憩中に一人でちゃちゃっと行ってきました。笑▲最早跡形も残っていませんが、リュケイオンは、「エフェベイオン」と呼ばれる講義室や、レスリングなどで体を鍛える「パライストラ」、汚れた体を洗い流す公衆浴場などの複合施設でした。このような設備が発展する前は、アポロン・リュケイオス(牧畜を守る権能を持つ)を祀る神域でもありました。ナクソス島:6/3~6/4エーゲ海のキュクラデス諸島で最大の島であり、アルカイック期(前7~6世紀頃)に周囲の島々を従えるほどの絶大な力を誇った都市国家がナクソスです。光明神アポロン信仰の一大拠点・デロス島に、印象的なライオン像を奉納したのも、古代ナクソス人でした。ヘロドトスによれば、ペルシア帝国から支援を受けたミレトス僭主アリスタゴラスはナクソスを4か月間包囲したものの、その頑強さに撤退せざるを得なくなりました。この失敗でペルシア帝国からの信頼を失ったアリスタゴラスは、「やられる前にやる」精神でペルシアから離反し、マラトンの戦いで有名な第一次ペルシア戦争が勃発したのです。ナクソスの強さが、世界史に大きな影響を与えた瞬間でした。★ナクソス島で主に訪れたスポット①ナクソス・タウン②パラティア島のアポロン神殿③ヴェネツィアン要塞と旧市街④考古学博物館⑤グロッタ・ビーチ⑥ミトロポリス遺跡博物館⑦ナクソス・ポート▶パラティア島のアポロン神殿ナクソス島のランドマークは、何と言ってもパラティア島のアポロン神殿でしょう。もはや神殿の門と基礎部分しか残っていませんが、それが逆に印象的な建造物になるのに一役買っており、「ポルタラ(門)」とも呼ばれています。この神殿は、同時代に着工中だった他国の壮麗な神殿(アテナイ僭主ペイシストラトスによるゼウス・オリュンピオス神殿など)に対抗意識を燃やしたナクソス僭主リュグダミスによって作られました。結局未完成のまま終わり、今ではその面影は殆ど消え去ってしまいましたが、当時のナクソスの繁栄ぶりを偲ぶには最適な場所と言えるでしょう。この独特の非現実感は彼女の心も捉えたようで、太陽神ヘリオスの輝きと風の神々アネモイの息吹、そしてポセイドンの美麗な海に満喫しているようでした。▲この神殿は、入り口がデロス島の方角を向いているので、アポロン神へと捧げられたと広く信じられています。しかし、ギリシア神話が示す通り、パラティア島は酒神ディオニュソスとの結びつきが強い島でもあるので、ディオニュソス神殿だったとする説も存在しています。▶旧市街とグロッタビーチナクソス・タウンはこじんまりしており、1泊2日という短い期間でしたが、思う存分堪能することができました。白亜の街並みを残す旧市街は、あらゆる場所がフォトストップになるほどの美麗さを誇っており、晴天の蒼穹と相まって、さながら絵画の世界に迷い込んだかのようでした。しかも、ふと海に目を向ければ古代の栄光であるポルタラのシルエット。以前旅行したミコノス島もこのような街並みを有していましたが、すぐ近くに古代遺跡が聳え立っているのがナクソスの特筆すべき点であり、異なる時空が隣り合わせになっている町と言えます。モダンなグロッタホテルのウェルカム・ワインを彼女と飲みながら、白い町・美しいエーゲ海・古代のポルタラを眺め、心が現実の鎖から解き放たれたかのような、途方もなく贅沢な時間を過ごすことができました。▲右手に見える小さな島がパラティア島で、その上にポルタラが聳え立っています。パラティラ島へは歩いて上陸することができ、その道中ではヨーロピアンズが海水浴を満喫していました。ちなみに、グロッタビーチ周辺には、キュクラデス文明/ミケーネ文明の住居跡や、アルカイック期のアゴラ跡も確認されており、ここが古代世界の活動の中心部だったことを示しています。古代人たちも私たちのようにパラティア島と海を眺めながら生活していたかと思うと、時空を超えた親しみを感じますね。(ミケーネ文明崩壊後、時代が下るにつれて、住居地域はヴェネツィアン要塞の方へ移行しましたが)夕暮れ時に、パラティア島とポルタラに向かって夕陽が沈んでいく様をビーチから眺めていましたが、古代人たちも我々現代人のように、夕陽を特別な想いで見つめていたことでしょう。サントリーニ島:6/4~6/7ナクソス・タウンを堪能した後は、遂にバカンスの帝王・サントリーニ島へ向かいます!ナクソスとサントリーニは非常に近い位置にあるので、フェリーに乗って上陸しました。港は大量の観光客と客引きで溢れ返り(さすが最も有名な島…!)、早くも静かなナクソスを懐かしむ気持ちでいっぱいでしたが、なんとかフィラ市内へと到着することができました。サントリーニ島は青銅器時代の度重なる大噴火によって形作られたこともあり、断崖絶壁の岩がちな土地が特徴的です。眺めは最高ですが、こんな険しい島に一大バカンス拠点を作るなんて…人間の逞しさは凄まじいですね。★サントリーニ島で主に訪れたスポット①フィラ②先史博物館③考古学博物館④カマリと黒砂ビーチ⑤古代ティラ遺跡⑥オールド・ポート(ロバ乗り)⑦ネア・カメニ島とカルデラ⑧パレア・カメニ島と聖ニコラス教会⑨ティラシア島⑪イア(夕陽)⑫アクロティリ遺跡⑬サント・ワインズ・ワイナリーバカンスでまったりどころか、かなり活動的なガチ観光となってしまいました…!サントリーニ島は「バカンス」や「フォトジェニック」といった表面を一枚剥がすと、歴史的・神話的・地理的に極めて興味深い深層が現れるため、知的好奇心の赴くままに行動せざるを得ませんでした。こんなにアクティブな旅に、文句も言わず付き合ってくれた彼女には本当に感謝です。▶古代ティラ遺跡サントリーニ島は古代スパルタ人が前8世紀頃に入植した地として知られ、そのリーダーだった伝説上の人物テラスの名前を取り、当時は「テラ島」と呼ばれていました。その活動跡が色濃く残るのが、古代ティラ遺跡です。カマリ・ビーチ近くの小高い山の上にあり、観光客でごった返すビーチとは対照的に、世俗と切り離された静穏なる隠遁地のようでした。日頃のビジーさに少し疲れていた私たちは、この無窮の時を刻む太古の頂に癒しを見出し、心を空に投げ出していました。(ほぼ登山なので肉体的には疲れていましたが笑)それにしても…、平成最後の海外旅行としてスパルタに行き、令和最初の海外旅行としてスパルタ人の入植地サントリーニ島に行ったとなると、次の旅行は北アフリカのキュレネ(古代テラ人が入植した地)ですかね?笑▲主にヘレニズム期とローマ期の遺構が広がり、住居・アゴラ・神殿の遺構を確認することができました。意外だったのはプトレマイオス朝守備隊駐屯地の遺跡があったことで、当時のエジプトがエーゲ海にどれだけの影響力を持っていたかが推察できますね。▶ネア・カメニ島(カルデラ)~パレア・カメニ島(温泉)前述した通り、サントリーニ島は紀元前の大噴火によって大きく地形が変形しました。そのインパクトは計り知れず、キュクラデス諸島を始めとするエーゲ海全域に大激震を与えたのは確実で、これが後のアトランティス伝説の元となったとする説もあるほどです。このような地球規模の大破壊は、古代人に神々の怒りとして記憶されたでしょうから。サントリーニの内海にポツンと佇むネア・カメニ島は、度重なる火山活動によって海上にまで隆起したカルデラです。自力で行くことは難しいですが、ネア・カメニ島やその近くのパレア・カメニ島の温泉に連れて行ってくれるお手頃な船上ツアーを現地旅行会社が企画していたので、それに参加してサントリーニの雄大な火山活動を探求してきました。「温泉に行くっていうし、サンダルかな~」と、フィラで購入したハンドメイドの革サンダルを装備して意気揚々とネア・カメニ島に上陸しましたが…すぐに後悔しました。ネア・カメニ島の上には見渡す限りの岩山と荒れ地が広がっており、サンダルとの相性が最悪なのは火を見るよりも明らかだったからです。カルデラまで到達するには、至る所に転がる岩を乗り越えて行く必要がありますが、購入したばかりで履き慣れないサンダルでスイスイ行けるはずがありません。足首をグリングリン捻るわ、サンダルの革がはち切れそうになるわで、折角のハンドメイド品が引き裂かれるかと思いました…。ただ、眺めは最高で、怪物の鱗のような岩肌と蒼穹のエーゲ海の組み合わせは、神話的な壮大さでした。ツアーなので時間は限られていましたが、できることならもっとゆっくり見て回りたかったですね。▲大自然の厳しさと美しさを体現したかのような景色。下部に広がる黒い岩はその一つ一つが非常に鋭利に尖っており、少し押し付けるだけでペットボトルが真っ二つになりました。それでお目当ての温泉ですが、これが史上最高にアドベンチャラスな温泉でした。日本にある温泉のように整備されておらず、水深十数メートルを超える海を泳いだ末に到達できるという海中温泉だったのです。というのも、温泉のあるパレア・カメニ島の近海にツアー船が停泊し、「接岸するのかな?」と思いきやそんなことはなく、「温泉はここから海に飛び込んで泳いだ先にあるよ!ただし水深は十数メートルあるし水温も低いから"Only for Good Swimmers"だよ!」というアナウンスが。("Only for Good Swimmers"を連呼するものだから覚えちゃいました)な、なんて高いハードルなんだ…!バカンス慣れしているヨーロピアンズは躊躇なく飛び込んでましたが、私はというと九十九里浜の近くに実家があるというだけのただの元千葉県民。海の恐ろしさを幼少の頃に叩き込まれており、水深十数メートルもある海に浮き輪も無しに飛び込むなんて、サメの口にダイブするも同然…!ということで、無邪気に海を泳ぎまわりアドベンチャラスな温泉に続々と到達するヨーロピアンズを船上で眺めながら、彼女と談笑するに留めました。というか、事前に温泉がアドベンチャラスだと教えてくれていれば、サンダルじゃなくて運動靴で行ったのに…。笑▲白い聖ニコラス教会周辺の、茶色になっている海域が海中温泉です。陸上から行けば簡単でしょうが、港がないので船から泳いで行く他ありません。入ってみたかったなぁ・・・。▶イア火山ツアーの後は、世界的に有名な夕陽を観るためにイアへと旅立ちました。サントリーニは小さい島なので、フィラからローカルバスを使えば2ユーロ以下で遠くても30分前後で行けるのが便利ですね!ローカルバスは混雑の極みでしたが、運良く座ることができ、1.8ユーロで30分足らずでイアに到着できました。イアの町並みはフィラと似ていますが、明らかに雰囲気が違っていました。なかなか言い表しづらいですが、フィラをウォーマシンとするなら、イアはアイアンマンです。つまり、美しい町並みを揃えながらも、綻びがちょこっと出ているフィラとは違って、イアは洗練されているんです。まさにザ・サントリーニ!よく絵や画像で見かける「蒼穹の海、白亜の壁、藍色の屋根」が完璧に表現されているのがイアなんです。フィラよりもイアのホテルが高騰していた理由が今分かりました。これはここに宿泊したくなるわなぁ・・・。イアに到着した時点で19:00を過ぎていたので、写真を撮りまくりながらも夕陽絶景スポットのアギオス・ニコラオス要塞へ。(夏のギリシアは日本よりも日の入りが遅く、20:30頃に日が沈みます)バスが激混みだった時点で予想はしていましたが、みんな考えることは一緒らしく、ありとあらゆる観光客が要塞付近へ陣取っていました。その様はまるで自撮り棒とスマホを夕陽の女神に奉納しに来た巡礼者の行列のようで、自撮りの大群そのものがある意味スペクタクルでした。笑イアの夕陽は「世界一美しい夕陽」とも呼ばれています。実際、それは誇張抜きでそうだと思います。ザ・サントリーニなイアの町並みを背景に、静かで壮大なエーゲ海へ真っ赤な太陽が少しずつ沈んでいく…、まるでおとぎ話の1ページのような、そんな瞬間。その刹那だけ太陽は巨大な恒星から太陽神ヘリオスの馬車となり、海の果てへと着水して黄金の杯の上に乗り込むのです。現実から幻想世界へと精神を解き放つ、そんな美しさがイアの夕陽にはありました。▲赤い太陽は光り輝く円いポータルのようでもあり、その中から神々の王ゼウスが地球を祝福するために歩いて出てきそうなほど神秘的でした。(アベンジャーズ:エンドゲームのブラックパンサー登場シーンのように。笑)その神々しさと美しさは、写真や動画では決して伝わりません。イアの夕陽を、あらゆる国籍の人々がみんな眺めていました。19世紀頃、イアは海運業で栄えていました。エジプトからロシアの中間貿易拠点として、繁栄の絶頂を謳歌していたのです。しかし、蒸気機関の発明によって中間地点が不要になると零落が始まり、競合となるピレウス港の躍進とマグニチュード7.8の大地震の影響もあり、20世紀後半には住民数はたったの300人前後にまで減少してしまいました。しかし、復興作業によって美麗な外観を取り戻したイアは、"Picture Perfect"な一大観光スポットとしてその地位を不動のものとし、全盛期に肉薄するほどの復活を遂げたのです。一時は落ちぶれるも、不死鳥の如く復活し、世界中が注目する場所になる…これぞ、ギリシア共和国の望んでいる姿ではないでしょうか。元財務大臣バルファキスが告発したように、EUの構造的欠陥と権威主義的政策がギリシアの不況を未だに長引かせています。しかし、いつかその軛から解き放たれ、イアの如く復活し、国際的な威信を取り戻せると信じています。イアの夕陽の幻想的な光景を眺めながらも、ふとそう思いました。▶アクロティリ遺跡「火山灰に埋もれた遺跡」というワードで、おそらく多くの人が真っ先に思い浮かべるのはイタリアのポンペイ遺跡だと思います。アクロティリ遺跡はまさにそのギリシア版で、ポンペイ(紀元後79年)よりも遥かに古い時代(紀元前17世紀頃)に起きた大噴火の悲劇を現代まで伝えています。アクロティリの古代都市は、頻繁に発生する大地震に苦しめられてきましたが、被災する度に並々ならぬ努力で復興してきました。地震で崩れる度に、瓦礫の上に新しい道路や建造物を作っていたので、都市の地面が徐々に高くなっていったほどです。東日本大震災で震度7弱の揺れと津波(実家の庭が浸水し少し地割れする程度でしたが)を経験した私としては、古代アクロティリ人の自然災害にも挫けないその努力に感銘を受けました。▲アクロティリ遺跡は、その歴史的重要性故に、屋内に守られています。今から約3700年くらい前の遺跡だというのに、もう3階建てがあったり、トイレ(パイプによって下水まで流す)の遺構があったりと、極めて高度な技術を有する文明でした。しかし、地震では決して折れなかった古代都市も、地形を変形させるほどの大噴火には勝てませんでした。天から降り注ぐ火砕流と火山灰は、小さな島の小さな都市国家を滅ぼすにはあまりにも充分すぎる量だったのです。サントリーニが白と青に彩られた幸福の島だという評判は、紀元前からなる歴史という分厚い本からしたら、ほんの1ページにも満たない数行の話でしかありません。バカンスの帝王・サントリーニ島の本質は、抗いようのない大自然によって、理不尽に奪われていった数え切れない命の物語なのです。前述のネア・カメニ島の火山ツアーで、ガイドさんが言っていました。「サントリーニ島の教会は、全てこのカメニ島を向いている。それは、ここで大噴火がかつて起きて、多くの愛する者が死んでいったからだ。だから残された人々は、もう二度とこの悲劇が起こらないように、このカルデラの方角に教会を立てて祈っているんだ。サントリーニ島は幸せの島?冗談じゃない。ここは死の島だよ」▶レッドビーチアクロティリから少し歩くと、まだあまり開発が進んでいない秘境的ビーチが現れます。赤砂の絶壁が特徴的なため、レッドビーチと呼ばれていますが、ガイドブックにも掲載されているのでもはや隠れ家ではなくなっていました。笑▲ガイドブックには「人が少ない静かなビーチ」と書かれていましたが、結構な人がビーチでエンジョイしていました。レッドビーチ近くのアクロティリに向かうローカルバスが混みまくってたのも納得です。水着も持参し、気温も25℃とこの旅行中では一番の暑さですし、これはエーゲ海で泳ぐには絶好のチャンス!意気揚々と波に浸かりましたが・・・めっちゃ冷たい。外気温がめっちゃ暑いこともあり、そのギャップが凄まじい。氷水に足を突っ込んでいるかのようです。第3回ギリシア旅行時(8月)のミコノス島の海水もめっちゃ冷たかったし、エーゲ海は基本冷たいもんなのだろうか・・・。(それに比べてコリントス湾は冬でも温かかったし、寒さに苦手系男子はコリントス湾へ行けということか・・・?)その冷たさに彼女は早くも泳ぐことをギブアップ。私は意を決して平泳ぎをしてみたものの、数分で歯が鳴りそうなレベルにまで体温が低下。痩せ型なので元々寒さは苦手でしたが、ここまでとは・・・。ヨーロピアンズが寒さをものともせず泳いでいるのは、地中海の冷たさに慣れてるからなのか、筋肉量が多いからなのか・・・。日光で体温を回復しながらも、そんなことを考えていました。笑▶サント・ワインズ・ワイナリーサントリーニ最後の夜(と言ってもまだ明るかったですが)は、偶然同じ島に居合わせた新婚旅行中の同期と、眺めの素晴らしいワイナリーでディナーです。(部署も業界も大きく異なりますが、私と彼女はいわゆる職場恋愛なので、同期は共通の友人でもあります)サントリーニ島の雄大な景色を眺めながらワインの飲み比べをし、談笑に花を咲かせます。同期の奥さんがコミコンに参加したことがあるほどの大のMARVELファンだったのもあり、会話はかなり盛り上がりました。笑同期は開発職ということもあり、営業職の私とは仕事上での交流はありませんでしたが、新婚旅行という人生の絶頂期にギリシアを選んでくれたことは本当に嬉しかったですね。▲サントリーニはワインも非常に有名で、あまりお酒が得意でない私でも、美味しいワインであることが分かりました。こんなに美しい景色を眺めながら飲むワインは何でも美味しく感じるのかもしれませんが。笑そして…帰国:6/8~6/9楽しい時間は一瞬で過ぎ去り、気付けばアテネのエレフテリオス・ヴェニゼロス国際空港に。Scootに乗り込んで、トランジットのシンガポールまでひとっ飛びです。そして、ただいま日本…。家に着いたのは日曜日の深夜で、月曜日からは普通に仕事です。この幸せに満ちた旅行も、日々の忙しなさに、徐々に埋もれていくのでしょうね。(というか、真っ黒に日焼けしすぎて月曜日は上司・先輩・後輩から総ツッコミを喰らいました。笑)言うまでもなく、とても楽しく、幸せで、学びに満ちた旅となりました。ギリシアに限りませんが、現地でしかわからないことは多いので、それを紐解いていくのは無上の喜びですね。今回は一人旅ではなく、彼女との二人旅でしたが、その場で喜びを好きな人と共有できるのは、非常に素晴らしいことですね。彼女とは、国内旅行に加え、香港・台湾・ベトナムと、ギリシア以外にも様々な場所を訪れてきましたが、今回がトップクラスに楽しかったです。ギリシア補正も絶対あるでしょうけどね。笑彼女もギリシアのことを好きになってくれたようで、彼女お気に入りのナクソス島には一緒に再訪するかもしれません。高橋優の歌詞にもありますが、「辛いことの中にちょっとある最高のために僕らは歩く」。まさにその通りです。ギリシアの文豪ニコス・カザンザキスが生み出したキャラクター・ゾルバは、お金のことを「翼」だと表現していました。普段はコツコツと翼を養って、ここぞという時にそれを脈動させ、最高の瞬間へと羽ばたく。また次の飛翔を夢想しながら、しばらくは翼を養うことにします。
2019.06.12
コメント(0)