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発売日も間近ということで、ますます狩猟熱が高まってきている中、モンスターハンターワールド第3回βテストが開催されました。今までのβテストと違うところは、なんといってもメインモンスターのネルギガンテに挑戦できることです!βテストの時点でメインモンスターを狩れてしまうというファンサービスには感服しますが、少々飛ばし過ぎなのではと心配になってしまいますね・・・。まぁ、メインを出し惜しみする必要がないくらい、本編はボリュームたっぷりなんでしょう!ネルギガンテは古龍種に分類されるモンスターで、非常に攻撃的な性格なことから「滅尽龍」と呼称されています。古龍特有の特殊能力は、「再生」です。部位破壊をしても、次第に棘が再生し、硬質化していきます。棘がまだ白い内は肉質が柔らかいのですが、黒くなってしまったら、もうミラバルカンの表皮のようなもの。体中の棘を飛ばして発動する大回転体当たりが繰り出され、棘がリセットされるまで我慢するしかありません。いかに柔らかい内に折れるかが討伐の鍵になりそうですね。早速討伐しに行ってきましたが、初戦は敢無く敗退・・・。武器は大剣でソロプレイしましたが、ネルギガンテの猛攻に上手く対処することができず、あっと言う間に昇天してしまいました。麻痺ガエルなど環境生物も利用してみましたが、倒せる気がしませんでしたね・・・。ソロで挑むにはまだ経験値が足りなかったようです。・・・というか、カエルの毒ガスで麻痺する古龍ってどうなんだろ。笑次からはマルチプレイに切り替え、武器も大剣からガンランスへ。MHF時代にはガンランスを愛用していましたし、何より肉質無視の砲撃なら黒く伸長し切った棘を恐れる必要はありませんからね!ガンランスの大盾のおかげで滅多に死亡しなくなり(ガードの大切さは『デモンズソウル』で学びました笑)、4人で猛攻撃できるようになると、ネルギガンテが遂に足を引きずり出しました。ネルギガンテは、一見するとウルヴァリンのような特殊能力ですが、体力自体は再生せず、(βテスト版だからでしょうが)そこまでタフでもありません。巣で休もうとするネルギガンテを大樽爆弾で叩き起こし、砲撃を加えていると、遂に討伐成功です。4人でも残り時間5分を過ぎての討伐だったので、ソロだとどれだけ難しいんでしょうね・・・笑ネルギガンテは、クシャルダオラやテオ・テスカトルといった超自然的な能力を持つ従来の古龍と比べると(棘が伸び切った時は恐ろしい容貌ですが)やや地味な感じは拭えません。前脚を駆使したパワフルな攻撃はラージャンを想起させるほどですが、遠距離攻撃は棘飛ばしだけでブレスも吐きません。当初はリアリティを重視した結果だと思いましたが、クシャルやテオも登場するということを考えると、本編ではβテスト版に無い超常的な攻撃を仕掛けてきそうですね!これで、MHW発売までにやり残したことは無くなりました。後は発売日を今か今かと待ちわびるのみです!まだ『アサシンクリード:オリジンズ』をクリアできていませんが、これはモンハンを優先するしかありませんね。笑
2018.01.21
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明けましておめでとうございます!2018年になり、もう正月3が日が終わってしまいましたが、皆様はどのようにお過ごしでしたでしょうか。私はと言えば、久しぶりに会った地元の友人たちと親睦を深める傍ら、実家でダラダラしながらも本の虫になっていました。笑正月に読んでいたのは、書店で見つけた『オデュッセウスの記憶:古代ギリシアの境界をめぐる物語』(フランソワ・アルトーグ/著、葛西康徳・松本英実/訳)という書籍です。新品だと5000円を超える高めの本なのですが、中古で購入したため費用は半分程度に抑えることができました。やはり、フラリと大型書店に立ち寄ると、思いも寄らなかった「収穫」がありますね。特にこれと言って購入する目的もなかったのですが、題名と表紙(イタケー島から望む地中海)に魅かれ即決!実家に持ってきてじっくりと読んでいました。この本では、副題が指し示す通り、古代ギリシア人たちの「境界」について語られます。空間的なものだけではなく、自己と他者、「ギリシア人」とバルバロイ(外人)、人間と非人間の「境界」です。古代ギリシア人がどのように自己を定義し、世界の中で自らをどのように位置付けたか。それをホメーロスの英雄叙事詩で有名なオデュッセウスを案内人としながら論じていきます。つまり、古代ギリシアを学ぶ者にとって自明の法則である「ギリシア人」とバルバロイの二項対立が、どのように形成され、変遷していくかにスポットが当てられています。古典最盛期を通して培われたこの二項対立は、古代ギリシア人の誇りと驕りが凝縮されている概念なだけに、非常に興味深い内容になっています。オデュッセウスの時代には、まだその二項対立は存在せず、ギリシア人は「ギリシア人」ではなく、トロイア人もバルバロイではありません。考えてみれば、今日のような国民国家が存在しない古代において、「ギリシア人」たる概念が無いのはおかしいことではありません。むしろ、あそこまで「ギリシア人」であることが称揚されたことの方が異常であると言えるでしょう。ペルシア戦争という未曽有の危機に対する団結によって、ペルシア帝国とは決定的に異なり、なおかつ各ポリスとの共通点である「国制」が、地中海世界におけるギリシアの卓越性として、明確に打ち出されることになったのです。この「国制」こそ、ギリシア人がバルバロイ(ペルシア人)よりも優れている証左になりました。この二項対立は、マケドニアとローマの出現によって揺らぎ、その形態を変えていきます。ローマに関しては、強大なかの国を「ギリシア人」/バルバロイの関係にどう組み込むか、当時のギリシア人が苦慮した様子が非常に詳細に書かれており、読みごたえがありました。やはり、ローマをバルバロイと一蹴するにはあまりにも重すぎたようで、いかにギリシア人側に引き込むかに主眼が置かれていました。「ギリシア人」たる概念は、イソクラテスの思想をバネにし、その礎を「国制」から「知」へと飛躍させ、最終的にはアポロニオス的な普遍性に昇華します。ローマが全世界を支配しようとも、その世界を「知」っていたのはギリシア人であり、その古さに決して勝てないようにしたのです。エジプトが、かつてギリシアに対してそのように振舞ったのと同様に。(プラトンの術策によって、古さにおいてもエジプトはたちまち敗者になりましたが)これは、ローマに対するギリシアの優越・卓越性を決定付けました。『アエネーイス』を通じてヴェルギリウスが提案したローマ人のアイデンティティと重ね合わせると、ギリシア人の知がいかに強大な存在であったかが分かるでしょう。このように、ローマに対しては充分に論じられているのですが、マケドニアに対するギリシア人の苦慮には、あまりページが割かれていません。二項対立を真っ先に揺るがした存在であるマケドニアは、ギリシア人の「境界」を語る上で欠かせないはずです。なぜなら、ギリシア語を話し、ヘラクレスの血統に連なるマケドニア人は、その他ギリシア人とは異なる国制「王政」を有していたからです。王政はペルシア帝国と同じ制度であり、自由のギリシア人とは縁のない国制、バルバロイの象徴とされていました。民族的にギリシア人ではありますが、「ギリシア人」ではない、そんな矛盾を孕んだ存在がマケドニア人なのです。確かに、ペロポネソス戦争の消耗でギリシア人たちがポリスの脆弱性に気付いたことや、法に従う王のモデルで、バルバロイと「ギリシア人」の距離が縮まったことは事実でしょう。しかし、それだけで「ギリシア人」のマケドニアに対する苦慮が消え失せたとは考えにくいです。イソクラテスとデモステネスという、お互いに全く正反対なマケドニア観を語る弁論家もいるぐらいですから。アレクサンドロス大王も、ローマ時代から見た概念しか本書では語られませんし、この非ポリス的で神的な大王を当時のギリシア諸ポリスがどう「ギリシア人」側に位置付けたか(もしくはそうならなかったか)を詳細に論じてほしかったですね。
2018.01.04
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