昨年、初夏に受講した 神奈川県立公文書館 での「古文書入門」の講座。( 当時のブログはこちら )
その後、11月に「古文書講座応用編」を受講したのだけど、それからスケジュールがいっぱいいっぱいになっちゃって、とてもブログにまとめるどころの話ではなくなり、そのままに。
今回、6月から「古文書講座入門編」を受講したのだけど、なぜか、そういう月に限って、仕事が目白押しなのよね。おもしろい古文書を読んだので、途中までまとめてみたのだけど、また放置。
ただ、また9月からの講座にも受講が決定したし、神奈川県立歴史博物館のほうの古文書講座にも通ってるので、ついに記録をちょっとばかしまとめておくことにしました。
(って、仕事があいたのよー)
さて、6月からの講座も5回シリーズで、江戸時代の文書を読んでいきます。
おもには公文書館に保管されている「地方文書(じかたもんじょ)」という村方の役目をしていたお家に残っていた古い書類です。
年貢のこととか、土地のこととか、行政的なやり取りは、文書でやり取りされる必要があったため、村にバックアップが残っているとか。
今回は4日目、5日目で、江戸時代の人の人生?の垣間見える文書を読みました。
タイトルは「乍恐以書付御慈悲奉願上候」って、お役所に提出した嘆願書です。
舞台は川崎から高田とか太尾(今の大倉山)あたり。
主人公は、高田村の百姓・仲蔵さん。32歳。
どうやら、川崎宿で働いていた「はた」さんという女性を誘拐した?という疑いで、捜索願が出されていたようです。実のところ、仲蔵さんは、はたさんに頼まれて、深川の成田山の出開帳に付き合っただけで、本当はすぐに帰るつもりだったらしいのです。
ただ、具合の悪いことに、はたさんが途中で病気になってしまったので、江戸から帰るに帰れなくなったとか。
今ならLINEだとか電話だとか、連絡の手段もあるのですが、江戸時代ですからねぇ。
もっとも、2人がいなくなったのが2/28。この文書の日付が4月なので、一か月ちょっとの出来事みたいですよ。(天保13年:1842年)
もっとも、はたさんの親元とかから捜索願も出されていることから、本人たち見つかったものの、そのままじゃ、仲蔵さん、誘拐犯人?にされちゃう!ということで、お役所に事情を説明して、逮捕しないでとお願いしたというのが、この文書です。
もっとも、以前には、実際、宿の女の子と駆け落ちしちゃう事件というのもあったみたいなんですけどね(生麦村 関口家文書 安永8年:1779年)。
はたさんは、太尾村から年季奉公で川崎宿(川崎駅あたり?)に働きに出ているのですが、何の仕事をやってたんだろう? ここでは特に記されてないのですが……。
仲蔵さんとは昔から知り合いだったみたいで「私村方とは隣村同様」って言う割には、高田と大倉山って、隣っちゃあ隣だけど、それなりに距離あるし、どうやって知り合ったんだろう?
はたさんは、成田山にずっと前から「心願有」だったらしいのだけど、いったい、どういう切羽詰まったお願い事があったんだろう? 途中で病気(何の病気か不明)で倒れちゃうくらいだから、持病があったのかなぁ? それとも、仕事の悩み? 恋の悩み?
仲蔵さんも、なんか軽いヤツなのか、はたさん(宿に困っていた彼を自分の宿に紹介してあげた)に、「江戸に行くんだぜ」みたいなことを言っちゃってるんだよね。
なのに、はたさんに「じゃあ、一緒に行ってよ」と、懇願されて、「一向心附不申」(まったく納得はできないながらも)一緒に行ったと、言い訳してたりするんだよね。
もっとも、文書を書いたのは親戚の人だと思うし、無罪にしてもらわないといけないから、少しでも責任逃れをしようとしてる感じはするんだけど。
ということで、文書の後半は、「誤解です」「これから気をつけます」「がんばります」「はたの親元にも許してもらってます」とか、ひらにひらに謝ってます。
誤解だったし、これを受け取った関東御取締御出役の太田源助さまも、許してくれたんだとは思うのだけど。
昔の人が、いろいろやっちまったり、考えたりしているのが想像できて、なかなか楽しかったです。
一方、歴史博物館の講座のほうは、宝永噴火の関連の文書。
昨年、冬の公文書館の講座でも宝永噴火の文書は読んだのだけど、今回は、災害当時の文書というよりも、被災状況が垣間見える史料です。後半に向けて、ちょっと予習しておかねば・・・。
って、ちゃんと復習していないので、解読はまだまだ…。かな書もやってるのになぁ。
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