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三つ目は万引きのことではないが、小学校高学年の時のこと。校外写生大会があり、弁当を持って、学校から相当離れた河川敷に行った。みんな思い思いに写生をしたが、写生会も終わり、帰り支度となったところで、M子の画用紙一杯に落書きがなされていたことがわかった。帰校するなり、クラスの全員に先生から注意があり、犯人探しの尋問がなされた。しかし、なかなか自首する者はなく、とうとう先生はA君・B君・C君と私を起立させ、改めて先生の尋問が始められた。しばらくして、A君を座らせ、やがてB君を座らせた。私とC君だけが立ち、尋問が続けられた。私はやってないのに、立ったままで嫌疑がかけられ、その場にいることが耐えられず、教室から飛び出し、家へ向かっていた。先生は大急ぎで私を追跡し「悪かった。悪かった。」と言うような言葉を発し私に謝った。一つひとつの言動が今でも鮮明に残っており、受けた心の傷を思い出すことがある。四つ目のことになるが、これはどうだろうか。言うべきことでないかも知れない。高校の時のことであるが、N君が「今夜用事があるので、学校に来てくれ」と下校の折、私に言った。定刻に指定された場所に行くとN君は来ており、「行こうか」の言葉に私がついて行くと、第2職員室のある建物の所に着いた。彼はここに入ると言って、窓の上のカギのかかっていない小窓を開けてすいすいと入り、私にも入るように言った。私は何とか入り込んだ。何のために入るのか、ここでも私には未だわからなかった。彼は「古文」のテスト結果を知りたいと、職員室に入ったようだが、その手口は上手で慣れたものだった。彼は自分の答案用紙を見つけ、点数が増えるようにならないかを考えているようだった。先生の採点は中途みたいな感じを受けたが、採点の合計は未だされていないものもあったように思われた。彼が採点を実際に増やしたかどうかは知らない。この大胆な一方的な行動に私は只驚いてしまい、唖然とするばかりであった。ここで彼が真の友人であるなら、私が彼の行動をやめさすべきだったであろうが、そんなことに思いが及ばず、また善悪を考える思いもなく、そういう気持ちにはならなかった。
2009/02/28
子供の頃は悪いことをちょっとしても、それを気にして心が痛むということはなかった。ところが、年老いてくると、小さい事柄でも悪いことであれば、昔のことや、今のことでも、いつまでも気になり思い出すと気持ちが沈みがちになる。 小学校中学年の頃のことだったが、クラスの友達に誘われ用事もわからないまま、みんなについて行ったことがある。歩いているうちに万引きをするということがわかった。善い悪いのことは何も感じずに店にたどり着いた。 みんなそれぞれ文房具を少しずつ万引きした。中には万引きをしないで、先に帰る者もいた。私は赤エンピツ1本が手に入った。今、思うとどうも後味が悪く、悪い思い出として残り、純真な子供の心についた汚点はなかなか消えない。時々思い出し苦しむことがある。次に、小学校高学年の頃のことだったが、年下のY君と山や畑を走り回っていたら、なんとイチゴ畑に入っていた。喰べたことのない赤いイチゴは私の目に吸い込まれ、私はイチゴを取ろうとした。その時、「これー」という大きな声がこちらへ向けて発せられた。二人はあわててしまい、イチゴを1個も手にせず、一目散に逃げた。注意した女の人は、村のはずれの知ったおばさんのようだった。家に知れることを二人は恐れ、発作的に死のうと思い、どちらからともなく縄を探し始めた。しかし、縄は見つからずひっそりと家に着いた。夕方には悪い気持ちも薄れ、もう気にすることはなくなっていた。
2009/02/21
過日、高校の同級生K子さんが亡くなったことを知った。今迄も亡くなった人を知っているが、年が老いたからだろうか、今回はいつまでも心の中に留まっている。 彼女は郷里で教職に従事し、一生懸命子どもたちの教育に専念していた。高卒10年目ぐらいであったと思うが、村の狭い道から広い道に出る所で彼女と出会った。突然だったので話をすることもなく「元気で」「がんばって」という言葉をお互いに発して、その場を立ち去った。それ以来会ったことはない。 高校時代、彼女は小説を手にし、廊下や校庭を友達といっしょによく歩いていた。文学少女で未来を見つめ、夢を抱き続けているような少女だった。彼女は小柄で前髪をたらした可愛い女の子だった。話すときは眼を上に向けて話し、いつもほほえんでいた。 これも高校時代のことになるが、弁当がご飯とタクワンだけの場合とか、おかずが少ない場合、私も含め男の子の何人かは、彼女等にすり寄って、おかずをせしめることがあった。女生徒の暗黙の了解だろうか、怒りもせず寛大に取り扱われた。 風のたよりによると、結婚後だろうか、家庭が不和になっていたようだった。一般的に言うことになるが、紆余曲折の中、荒波をくぐり、挫折の人生を乗り越えたようだ。その間に強い女・強い妻・強い母親・強いおばちゃんになり、世間の辛酸をなめ味わったに違いない。誰でも挫折のない人生はなく、挫折の中でこそ、未来の道も開けていくものである。 彼女は、ふるさとに育ち、ふるさとに生き、ふるさとで死に、そしてふるさとの土にかえった。ふるさとの自然の中に70余年過ごせたのは、本当にうらやましいかぎりだ。この自然が彼女を仏にしない筈がない。
2009/02/14
「冬はつとめて。雪の降りたるはいふべきにもあらず、霜のいと白きも、またさらでも、いと寒きに、火など急ぎおこして、炭もてわたるもいとつきづきし。昼になりて、ぬるくゆるびもていけば、火桶の火も、白き灰がちになりてわろし。(枕草子一段 春はあけぼの)」 炭を持って運んでいくのも冬らしくて良く、寒い冬にふさわしい情景である。 ふる里の子どものころのことだが、寒い朝ふとんに潜っていると、朝起きの早い母が玄関の戸を開くなり「雪がよーけ降っとるー」と大声をあげた。大雪になる真夜中は本当に気味が悪いほど静寂の夜で、風の音もなくひっそりと降るのである。 次に登校について思い出がある。古い雪が固くなったり、氷ったりすると大変歩きにくい。スリップして、体のバランスが崩れ転倒してしまう。何回も何回もスリップし、時には転倒してやっと学校にたどり着き帽子を脱ぐと、頭から湯気が立ち上るという日がしばしばあった。小学校低学年には歩きにくい道である。 冬の暖房は朝と夜で、いろりで薪を使う。晩寝る時炭火に灰をかけ、上手に保管すると朝種火として使える。薪が勢いよく燃えるまで時間がかかり、母も苦労していたようだ。 薪を夜遅くまで使うと相当の量になるので、夜は早く寝るようになっている。ふとんの中にこたつをいれ、暖をとるが炭火によっては、夜中に消えてしまい寒い朝になってしまうこともある。
2009/02/07
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