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早朝病院について、霊安室に安置された義母と対面した。眠っているような穏やかな顔だった。痛み止めの薬を使っていたので、苦しまずに眠るように亡くなったと言う。なるべく午前中に、遺体を運んでほしいので、葬儀社に頼んで欲しいと言う。それで、小さなお葬式の指定されたセレモニーホールへ行ったけれど、扉が閉まったまま。ここから突然のことで混乱してしまって、記憶がちょっとあいまい。小さなお葬式の人との電話だったのか、セレモニーホールの緊急電話だったのか、今朝亡くなったのでお世話になりたいと言うと、セレモニーホールが使えないので、予定が立てられるまで、自宅で安置させてほしいと言う。どうもセレモニーホールに、遺体を安置するところが無いらしい。小さなお葬式は、遠方の人たちの到着が遅かったら預かると言ってたけれど、安置所に空きがないような気配。敦賀の家は、数年前から水道が使えなくなって、私たちも行った時はいつもホテルに泊まっていたので、そこに運ぶわけにはいかない。私たちは、焦ってしまってとりあえず、他のセレモニーホールを探すことにした。早朝で閉まっているところもあって、2軒目だったと思う。アスピカホールと言うセレモニーホールは、女の人が対応してくれて、すぐに相談にのってくれた。2階の和室二間にダイニングキッチンが付いた部屋が、家族葬専門に使っていると部屋を見せてくれた。こじんまりと落ち着いた部屋。その人が、テキパキと、いろいろしなければならないことを教えてくれた。宗派は曹洞宗だけれど、2年前にお墓と仏壇を移して離檀したことを言うと、曹洞宗ではなく宗派にこだわらない僧侶の方がいいだろうと言う。お通夜もお葬式も俗名で行い、四十九日までに大阪で戒名を付けてもらった方がいいだろうと言うこと。それで、違う宗派の僧侶を頼んでくれた。遠方なので、明日のうちに帰られるように、火葬は明日の朝早くを頼みましょうと、死亡診断書を渡すと火葬許可書などの手続きをしてくれることになった。後のことは遺体を運んでから、打ち合わせをすることにした。病院に戻ると、義妹夫婦が来ていた。またアスピカホールに戻ると、義母がきれいなお布団に寝かされて、蠟燭が灯され、お線香がたかれていた。僧侶が来て、すぐに枕経をあげてくれた。明朝、朝9時半の火葬を予約してくれていた。それで、お通夜は午後4時から。葬儀は明朝8時から。祭壇の種類や、おくり湯や着物をどうするか聞かれた。壊死したところがあって、身体に包帯を巻いているところが多かったので、おくり湯は断わった。着物は、敦賀の家にまだ新しい着物が何着かあったので、それを着せてあげたいとお願いした。甥夫婦が来たので、義妹の夫は一緒にホテルに泊まることにし、私たち夫婦と義妹の3人でセレモニーホールに泊まることにし、寝具や食事の手配もした。納棺するときに入れたほうがいいものも、教えてくれた。いつも履いていた介護用の靴や、いつも持っているバッグ、補聴器、ブラシなど。物を入れるのを禁止している地域もあると思うけれど、敦賀は割と自由で、日ごろ使っていたものを入れてあげたほうがいいと言う。遺影用の写真がいると言うので、写真屋さんに寄ってから、敦賀の家に着物を取りに行った。娘が結婚するときに一緒に作ったようで、仕付け糸のついたままの着物が何枚かあったので、小紋と紬の着物と、絞りの羽織の3枚を持って行った。担当の人は、こんな良い着物を入れるんですかと言うけれど、義母は小さい人だったので寸法も合わないし、義妹も私も着物はいらない。米寿のお祝いに娘があげたフェイラーのバッグが気に入って、施設でも愛用していたので、その中に小物を色々入れてあげた。遺影も大きく焼いて額に入れてくれて、4時からの葬儀は、私たちと義妹夫婦、甥夫婦と、義母の姪二人の8人で。敦賀に住む姪二人(ダンナの従妹)は翌日の朝の葬儀にも来てくれた。施設に長く入っていたので、ご近所との付き合いもほとんどなくなり、他の親せきは高齢なので、後日知らせることにした。夜は義妹と3人で泊まったけれど、お風呂にも入れたし、久しぶりにいろいろ話もできた。僧侶は、枕経とお通夜と葬式、そして火葬の前にも計4回、読経してくれた。浄土真宗のようで、宗派は違うけれど、とても丁寧にお経を読んでくれて、いいお通夜とお葬式だなあと思えた。色紙を渡されて、8人でそこに義母に贈る言葉を書き、一緒に納棺した。火葬場で、お骨ももらって全て終わったのがお昼過ぎ。みんなで食事して別れ、セレモニーホールに支払いに行った。僧侶の支払いは別にして、40万円ぐらい。小さなお葬式と変わらないぐらい安かった。葬儀後の手続きなど、またいろいろなことを教えてくれて、最後までとても親切だった。その後、私たちは市役所へ行って、諸手続きをし、その日の夜大阪へ帰った。急なことで、うちの息子や娘たちも来れなかったけれど、すごくいいお葬式だったなあと思えるし、好きな物に囲まれて旅立ったお義母さんも喜んでいるんじゃないかなあと思えたのが嬉しかった。義父の命日の翌日で、やっぱりお義父さんが迎えに来たのかなあと思ったりした。義母の戒名は、四十九日の前に、地元の曹洞宗の僧侶が付けてくれた。義父の戒名の中と、名前の中から、ポーラ化粧品の仕事で若いときから歩いて回ってきた母親を表わす文字も入れて、義母らしい戒名を付けてくれた。でも、私たち夫婦は死んでからでも差別性の残る戒名には反対で、二人で俗名の位牌を作ろうと話しているけれど・・・小さなお葬式は使えなかったけれど、調べたら今は違うセレモニーホールになっている。霊安室が埋まってるって、特別なことだったかもしれない。
2022.05.30
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義母のことが当時の日記の下書きに残っている。*************5月13日の母の日に、敦賀の義母が亡くなった。9日の朝、義母の食欲が落ちていると病院から電話があった。11日には娘とイー君の1ヶ月検診で付いて行ってあげたかったし、12日はエルちゃんの幼稚園体験の日で、イー君を見てあげることになっていたし、息子のところの長男が中間テスト前で、土日にはうちに来ることになっていたし、13日の日曜日は、市議会議員選挙で、ダンナがいろいろ手伝っていたので、14日の月曜日から敦賀に行くことに決めた。でも、事前投票はしておいた方がいいかもと、9日に投票に行ったあと、選挙の応援に行ったダンナと別れて帰る途中、義父の命日は5月12日だったなあと思いだして、お墓参り。考えてみれば、義父の33回忌なんだなあと思ったら、義母を呼びに来るんじゃないかと不安になった。うちの母が亡くなったとき、突然で困ったのが写真。それで帰ってからすぐに義母の写真のいいのが無いかパソコンの中を探して、メモリースティックに保存してカバンの中に入れた。13日の夜中の2時過ぎに、敦賀の病院から、義母の状態が悪いので、すぐ来てほしいと電話があった。前の日の土曜日から、娘とエルちゃんとイー君、息子のところの長男と次男が来ていたので、娘に後のことを頼んで、ダンナとすぐに出発した。京都の辺りで、3時10分に亡くなったと連絡があった。延命措置は希望しないと連絡していたけれど、間に合わなかったのはちょっと辛かった。車の中から、小さなお葬式に電話したけれど、全然繋がらなかった。敦賀の病院に着いたのは、5時半ごろだった。**********下書きはここまで。また続きを思い出して書かなくちゃ。
2022.05.29
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義母の調子がどんどん悪くなってきて、もしもの場合のことを私たちは考え始めた。インフルエンザの流行で敦賀に行けなくなった頃、うちの家は、10年ほど前から、冠婚葬祭のS社の会員になっていたので、もしもの時にどうしたらいいか聞きに行った。敦賀までの距離は約200㎞。敦賀で亡くなった場合、ドライアイスを積んで往復して遺体を運んでくるだけで、20万円以上かかると言う。もう積み立ても終わっているけれど、試算してもらったら家族葬でもかなり費用が掛かる。別の家族葬専門のセレモニーホールにも聞きに行ったら、そこも運んでくるだけで費用は同じくらい。いろいろ話を聞いていると、遺体を運ぶとそれだけ日にちもかかるし、火葬場などの手続きも大変そうなので、現地で葬儀を済ます方がいいのではと思えた。そしてネットで見つけたのが「小さなお葬式」その頃は、テレビでCMもしていなかった。葬儀場を調べたら、敦賀のセレモニーホールも提携しているようなので、早速資料を取り寄せて、入会金を払った。入会金は、500円ととっても安かった。3月に敦賀に行った時、義母の施設に寄った後、小さなお葬式と提携しているセレモニーホールに寄って話を聞いた。提携しているだけで、もしもの場合には小さなお葬式の係員と打ち合わせをして決めるのだと言う。遠方なので、到着するまでの間預かる遺体安置所もあると言う。ほっと一安心で、敦賀から帰ってきた。その年の4月2日に、娘がイー君を出産し、とても忙しい日が続いた。その頃の日記にこんなことが書いてある。5月5日で96才になった敦賀の義母も、調子がよくない。足の部分に、ちょっと壊死した部分があり、4月18日に緊急でダンナが呼ばれ、老健施設から同じ建物の中の治療病棟に移動した。もう老健に戻れることはないだろうと言われ、衣服を持って帰ってきた。5月2日にダンナと二人で行って会ってきた。3月の末に行ったときは、手を握ると笑顔で嬉しそうにしたのに、今回は無表情。誰かわからなくなっているみたいだ。手の甲も腫れてむくんでいるのが気にかかる。
2022.05.28
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今日5月13日は、2018年に96才で亡くなった義母の命日だった。生きていたら、5月5日で100才だった。最近、テレビで小さなお葬式のCMがよく流れているけれど、それが入会しているのに使えなかった。義母が亡くなったときのことが、日記の下書きに残っている。覚えている間に、その時のことを書いておくことにしよう。敦賀の義母は、2009年、ダンナが退職する少し前から認知症が出始め、退職した直後に入院、病院から老健施設に入り、徐々に体力も聴力も視力も衰えていってた。2017年ごろには、車椅子で移動し、聞こえないのでホワイトボードの大きく書いた文字を見せて読んでもらっていたけれど、白内障も進んで文字もあまり見えないようだった。ダンナと私は、3週間ごとに敦賀の義母のところに行っていた。そんな状態でも、私たちの顔を見ると、いつもにっこり笑い嬉しそうだった。私は、季節の変わり目ごとに、下着や洋服の着替えを数枚持って行ってたけれど、好きな色のベストなどがあるといつも喜んで「ありがと、ありがと」と、何度も繰り返して言っていた。2018年の1月はインフルエンザが流行って、せっかく敦賀へ行ったのに面会禁止で会えなかった。それなら連絡が欲しいと言うと2月の時は、まだ面会できませんと言う連絡が入った。やっと会えたのは3月。にっこりは笑ってくれたけれど、何か様子がおかしかった。明らかに認知症が進んで、言葉を言ったり、ホワイトボードを見る意欲は無かった。
2022.05.26
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15日の日曜日に行ったのは、和歌山県にある加太国民休暇村。日曜日は、今年小学校1年生になったエルちゃんの、初めての日曜参観。それで、娘の家に行って、私はイー君とお留守番。帰ってきてから、お昼を食べて、私の車を娘が運転して出発。1時間ちょっとで、加太国民休暇村についた。大阪からも近いので人気があり、いつも予約が取れにくい。日曜参観で、翌日の月曜日が休みだからと、娘が予約してくれていた。私は畳に敷いた布団から起き上がれないので、いつも和洋室。大きな窓からは、紀淡海峡に浮かぶ島々が見えて、とても景色がいい。早速、みんなでお風呂へ。ここは、天空の湯と呼ばれるインフィニティのこの露天風呂が人気。お風呂に入って海の方を見ると、お風呂と海面と空とが一体になって、とっても綺麗。夕日の沈むところも良さそうだけれど、この写真はHPからで、私たちは日没よりちょっと早めに出た。お風呂のロッカーは、入っている人が少ないのに、鍵の無いところがいっぱいあったけれど、宿泊者の人数を減らしているのだろう。5時40分ぐらいに夕食。標準のお料理に、てんぷらやサラダ、蒸し物や小鉢、フルーツやデザートなど、バイキング料理もたくさんあって、お腹がいっぱい。久しぶりに食べた、鯛のあらだきや、鯛釜めしが美味しかった。部屋に戻ると、エルちゃんと一緒に、フロントでもらった加太国民休暇村のクイズをしていた。それで、天空の湯と言う名前や、友が島が4つの島でできていること、和歌山から加太まで「めでたい電車」」というのが出ているっことなど知った。ルームサービスで、ハイボールのセットがあると言うので注文。9時過ぎに子どもたちが寝たら、順番にまたお風呂に入った。夜の天空の湯は、海も空も暗いけれど、島々の明かりや、空を飛ぶ飛行機の明かりも見えて、また違った趣がある。頭も洗って、ゆっくり過ごした後、部屋に戻って、ハイボールを飲んでぐっすり寝た。朝食もここはハーフバイキング。今回は和食のセットを頼んだ。朝食時には、好きな具材で握ってくれるおにぎりのコーナーがあって、それが人気。私も温玉イクラと鰻、塩雲丹の小さなおにぎりを握ってもらった。焼きたてのワッフルやフレンチトーストなどもあって、朝から豪華。もう一度みんなでお風呂に入ってから11時にチェックアウト。お土産などを見てから帰ってきた。病院が1時からだったので、お昼を食べる時間が無かったけれど、全然お腹が少なかった。娘が全部払ってくれたけれど、母の日のプレゼントかな?ちなみにヨメのTちゃんからは、ピアスをもらった。紫の方は、14金でちょっと高そう。お花のピアスは、自分では絶対買わなそうだけれど、つけてみたら全然派手じゃない。どちらも嬉しいプレゼント。
2022.05.23
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16日の月曜日、M医療センターでリウマチの診察の日だった。前日エルちゃんの日曜参観で、その後娘とエルちゃんとイー君の4人で、和歌山の加太国民休暇村に泊まっていて、チェックアウトの後、娘の家で3人を降ろしてから病院へ。採血と検尿の後、採血の結果を待ってから診察。その前に、熱と血圧を測ったら、血圧が170/90と高かった。もう一度測っても同じような数字。数年前まで血圧が低かったのに、少しずつ上がってきているなあと思ってたけれど、これはちょっと高すぎ。リウマチの薬(メトトラキサート)を週一回、朝晩3錠ずつ(一日12mg)1か月飲み続けている。その前の1か月は2錠ずつ(8mg)を1か月飲んでいた。薬が効いてきたのか、関節内の炎症を示す、CRPやMMP-3の数値が激減していた。以前の病院では、一日2錠(4mg)を1か月飲んで、咳が止まらず、副作用だろうと言うことで中止になったのに、今回、咳で悩まされることが無い。一緒に飲んでいた、プレドニンもステロイドの薬で副作用が強そうなので、その影響もあったのかな。CRPなどの数値は下がっているけれど、まだ基準値よりはずっと高いので、生物学的製剤のアルテムラの点滴をすることに。効果がはっきり出てくるのは3か月ぐらい続けてから、副作用が出なければ、最低1年ぐらいは続けた方がいいだろうと言うこと。免疫が下がると言うことで、プールや習い事に行ってもいいか聞いたら、コロナの予防と同じようにして、どんどん出て活動してくださいとのこと。何か気になる症状が出たらすぐに来てくださいとのことだった。それと、血圧が高いので、朝晩測る習慣をつけて欲しいと言うこと。薬は、今痛み止めのボルタレンの座薬を一日2回使っているけれど、ボルタレンは腎臓を悪くする可能性があると言うのがなるべく減らしたい。それで、朝晩セレコキシブと言うリウマチに効く痛み止めを朝晩2錠ずつと、胃薬のムコスタ、それとボルタレンは一日1錠にしていきましょうと言うことになった。次回4週間後の予約時間を決めて、診察が終了した。そこから化学療法室へ行って、検温、血圧や酸素濃度などを測ってからアルテムラの点滴。最初5分くらいしてから、また検温、血圧、酸素濃度などを調べて異常が無かったので、点滴を続けた。イヤホンを付けてテレビを見ながら1時間ぐらい点滴をして、最後にまた同じように検査をして4時過ぎに終了した。その後、またリハビリ科の待合に戻り、30分様子を見てから、最後にまた熱や血圧など異常が無かったので終了した。最後に清算。30880円だった。アルテムラが32000円と聞いていたけれど、採血などもしているし、もっと費用が掛かるかなと思っていたので、思っていたよりも安いなあと思った。体重を間違えてる?今までは体中痛いところがいっぱいあるのに、痛み止めで押さえているだけで、原因がわからなかった。費用は掛かるけれど、やっと治療が始まったと言う感じ。今度のY先生は、若い女性の先生だけど、はっきり自分の意見を言ってくれるところが私には合っているように思う。信頼して、1年間は治療を続けてみようと思っている。水曜日に飲むメトトラキサートが無いと困るので、帰りにイオンの薬局に寄って薬をもらって帰ってきた。今までも毎月医療費が多かったのに、今月からますます多くなるので、薬局を変えてみた。イオンの薬局だったら安くできるかなと思ったけれど、株主還元されるオーナーズカードも使えないし、お客様感謝デーのポイント増額も無い。イオンカードは使えるけれど、あまり変わらないかな。
2022.05.21
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昨日は途中で下書き保存しないでアップしたけれど、ネイルをしてくれているのは、昔の教え子。早いもので、仕事を辞めてもう15年になる。2006年、足が痛くて歩けなくなって、4月から、私は勤めていた小学校を休職した。病院とプール以外どこにも行けず、その年の5月からこのブログを始めて、情報の少ない私の病状などを書いていくことにしたけれど、手術しても一向に良くならず、結局翌年の3月に退職をした。15年も経つのに、仕事をしている夢をよく見る。夢の中の私は、階段を駆け下りていたり、子どもと走り回っていたり、とっても元気だ。歩けなくなった最後の子どもたちは4年生で、途中から歩けなくなった私に、荷物を運んでくれたり、自分たちで体育の授業を進めてくれたりと、とても親切にしてくれた。33年務めて、大変なこともあったはずなのに、今思い出すのは楽しかったことばかり。それで、こんな夢を見るのかな。コンピュータが、全国の小学校に入った2000年ごろ、私は4年ほど、コンピュータTT(ティームティーチング)をしていて、全学年のコンピュータの授業を持っていた。ネイルをしてくれているのは、その時の生徒で、その頃の話をするのがとっても楽しい。彼女の担任は、私のコンピュータのお師匠さん。その頃のコンピュータの授業は、カリキュラムが全くなく、毎週の授業を計画して、他の人も使えるようにカリキュラムを作っていった。コンピュータに関しては初心者だけれど、1年から6年までの教材がわかっているのが私の強み。お師匠さんに教えてもらいながら、色んなことを試せるのが楽しくて、趣味が仕事か、仕事が趣味かというような生活をしていた。ネイルをしてくれる彼女は、韓国が好きで、早く行けるようになって欲しいと言う。4年生の授業で、ローマ字を覚えた子どもたちに、「ハングルもローマ字と同じだよ」とインターネットでハングルの表と読み方を見た後、自分の名前をハングルで書いたりした話をすると、いいなあと言っていた。導入部分に、その頃始まったばかりの、草彅剛の「チョナンカン」のビデオを入れて興味付けをしたり、半分楽しみながらしていたような気もする。彼女の担任は、情報教育のエキスパートで、今は大学の教授。彼に、「20才の理解力」とおだてられながら教えてもらって、TTを引き継いだ。久しぶりに、電話をかけてみようかなあ。ところで、教え子と言えば、5月の始めに、40年近く前の教え子のMさんからLINEが来た。十年ぐらい前に、近所のスーパーで働いていて声をかけられ、それ以来時々LINEのやり取りをしている。彼女はある宗教の信者で、その宗教の集まりでWさんに会い、6年生の時の担任が私だったと言うことを知ったと言う。Mさんも5.6年を担任したのだけれど、その数年後に私は違う市に転勤したので、MさんとWさんは、市も違うし学校も違うけれど、卒業した学校の名前を聞いて、私のことを知ってるか聞いたのだそう。6年生の時の担任だったと、Wさんが卒業アルバムの写真を送ってくれたそうで、懐かしい写真もLINEで送ってくれた。Wさんのこともよく覚えている。Mさんを担任したとき、彼女の宗教は、校歌を歌わないとか、クリスマス会をしないとか、いろいろ制約があるので、いろいろな行事を彼女と相談しながら進めていた。それで、数年後に担任したWさんのことも記憶に残っている。そういうわけで、WさんともLINEが繋がった。Wさんは、今42才。自分も年を取るはずだ。
2022.05.11
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今日はネイルの日。いつもワンカラーで、小指にちょっと飾りをつけてもらうのが定番になっているけれど、今回は、ちょっとだけ豪華にしてみた。 指の先が、あっち向きこっち向きで、きれいな手じゃないけれど・・・上から見たら、目立たないんだけれど(左)爪の先に、かすかに金色の線が入っている。(右)ちょっと豪華にしてみたけれど、あまり派手じゃないので気に入った。いつもは3900円のところ、4500円だったけれど、3回目のワクチンでもらったポイントを使えたのでラッキー。
2022.05.11
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ゴールデンウイークもそろそろ終わり。5月2日の月曜の夜は、久しぶりに息子の家族と焼肉のさかい。育ち盛りの3人も、そして息子もよく食べること。この店の良いところは、お酒の飲み放題を欲しい人だけが頼めるところ。この日は、帰りはダンナが車の運転をしてくれると言うので、息子と一緒に私も、アルコールの飲み放題を頼んで、久しぶりに飲んだ。サンチェにコチジャンを付けて、焼肉を巻いて食べるのが好きで、リウマチにはお肉があまり良くないのかなあと思いながらもいっぱい食べてしまった。久しぶりで驚いたのが、高1の次男の前髪の長さ。「前、見えへんのと違うん」と言っても、見えてると言う。前髪を伸ばして後ろと一緒に結びたいそうだ。〈圭さんと同じ髪形やなあ)と思ってしまった。三男坊は6年生。ドラムを習っていて、Official髭男dismの「115万キロのフィルム」を見てくれた?」と何度も聞く。ビデオで送ってもらっているけれど、実際に見てみたいなあ。3日は、両親が仕事だと言うので、次男と3男を誘いに行って、お昼は、行きたいと言ってた、お寿司のくらへ行ってからうちに来て、二人で家事アルバイトをしてくれた。5日は、三男坊と二人でお出かけと言っても、ほとんどドライブ。一緒にいると、三男坊は私の携帯を貸して欲しがって、ゲームをしたり写真を見たり。私のiPhoneは、2013年からの写真が入っているので、「これ誰?ここどこ?」とすぐ聞いてくる。2016年に、長男と次男も連れて沖縄に行った時の写真や、エルちゃんと一緒に海外へ行った時などの写真を見て、「飛行機に乗りたいなあ」と言う。夏休みに、コロナが落ち着いていたら、ダンナと一緒に、飛行機に乗って旅行に連れて行ってあげようかと話している。ラッキーだったこと一つ目は、たまたま引いたペイペイのくじで、大阪王将の焼きそばが当たったこと。6食分が届いた。でも、中華そばとソースだけ。美味しいけれど、yahooメールに、一日に何通も大阪王将のメールが届くのにはちょっと困っている。二つ目は、三回目のワクチンをして、うちの市で出しているポイントカードに、5000円分のポイントが入ったこと。ダンナはポイントカードを持つのを嫌がっていたけれど、5000円分入った自分のカードが届いて、さっそく本屋で使っていた。町で催している企画でもポイントがたまる機会があるので、これからダンナの方が貯めそうだ。3つ目は、近くの桜珈琲で、スタンプラリーが開催されていて、5店舗達成したこと。毎週行く娘の家の近くや、リウマチで通う病院の近くにもあって、私の行動範囲内で、5店舗は楽勝。桜珈琲は、中庭に桜のある雰囲気のいいお店で、モーニングメニューが午後2時までで、種類も豊富で、人気のあるお店だ。5店舗回ったので、お店に渡したら、早速プレゼントが届いた。バームクーヘンと、ドリップパックコーヒーのセットと、お店で使えるコーヒーチケット。5店舗しか回ってないし、宅配じゃなくコーヒーチケットだけぐらいしか送ってこないだろうと思っていたのに、なんと太っ腹。桜珈琲へ行く途中で、4月の中頃、ダンナと寄ったリサイクル公園。遠くから見たら、チューリップがきれいだったのに、近くで見たらもう終わりかけだった。でも、久々にかなり歩けたのが嬉しかった。この日記も、今まで途中まで書いて下書き保存していたものを、張り付けて書いている。もっとこまめに端的に書いて、下書き保存する前にアップしないとなあ。
2022.05.07
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