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zepp東京に「ファンキー大百科」を聴きに行く。うん?zepp東京?なに?「ファンキー大百科」?いったいどうしたんだ、この人は。ついに精神の病をきたしたか。いや、ご心配には及ばない。けっして心神耗弱状態でも、薬物の過剰摂取でも、躁鬱の発症でもない。永積タカシの歌を、というよりも正確には、一夜限りのスーパー・バター・ドッグのライブを聴きに行ったのである。敬愛するミュージシャン、永積タカシとの出会いは、彼が「ハナレグミ」としてソロデビューした直後だったから、私はこれまでバタードック(略称バタ犬)のライブを一度も見たことがない。バタ犬は現在、長期の活動休止中だが、「ファンキー大百科」というファンクのお祭りの日にだけ、一年に一度か二度、復活するのである。要するに「バタ犬の一夜漬け」というわけである。昨夜のライブは本来ならば昨年の11月27日に行われる予定だったのだが(ファンならば、この「イイフナ」の日が永積氏の生誕記念日であることはご承知の通りである)、直前に永積氏まさかの肋骨三本骨折の大怪我により延期されていたものである。期待半分、不安半分という気持ちで「ゆりかもめ」の人となる。不安といえば、会場は10代、20代の、いかにも基礎代謝の高そうな方々でびっしり満員である。うーん、私はよく言って「異物」、もっと言えばほとんど不審者である。だが、しかし、タカシくんのあの歌声に接することができるならば、この程度の異物感はへっちゃらなのである。しかし、さすがに気が引けて、一回席最後方に位置どる。(ちなみに全席立ち見である)ファンクバンドがバタ犬の前に二組。客席前方から真ん中にかけては、ファンクキッズの皆様がさかんに小刻みに縦揺れ、横揺れを繰り返している。後方の席はやや温度が下がっているので、前方でさかんに突き上げられたり、横に振られたりする手の波を見て、「まるで会場にいるみたい」な気分でそれを眺めている。二組目のバンドのパフォーマンスにはやや問題があり、純真素朴な若年層から「うざい」「しつこい」「くらい」「魅力のあるメンバーがいない」などというつぶやきが聞こえてくる。レトリックでコーティングされていない分、お子様方の批評は、かなり辛辣である。そこまでひどくはなかったけれども、そう言われる原因があったことはたしかだ。強烈なリズムと音量で空間をびっしりと自分たちの音楽で埋め尽くし、あおりのフレーズ、あおりのリズムパターン、あおりのシャウト。すべて事前に仕込んだものばかりである。このやり方でどれほど会場を盛り上げたとしても、それは結局のところ、予想通りの熱狂にしかならない。それで満足する客はそれでもいいが、「おお、いままさに、私の眼前でこんなものが作られていく」というライブ感覚はそこには生まれない。それは音量とか、演奏の質とかとは無関係だ。一言で言うと、予定調和の世界と「ファンク」とは決定的に異質のものなのである。面白いのは、「これはロックではない」、「これはジャズではない」、「これはパンクではない」という一連の表現は、これらの音楽がロック・ジャズ・パンク以外の別ジャンルの音楽になっているということを意味しない。それは要するに「こんなの音楽じゃない」ということなのである。少なくとも「音楽やってるオレたちが、それを聴いているオマエたちをのせてやるぜい」というのは、演奏する人間としてはなはだしい料簡違いといわざるをえない。「オマエたちは自分の好きな音楽を好きなようにやればいい。それをどう判断するかはオレたちの自由だ」ーこれが正しい音楽鑑賞の姿勢であり、健全な演奏者と聴き手の関係なのである。そこのところを勘違いしてもらっては困る。ということで、ついについにスーパー・バター・ドッグの登場である。会場内のもう一人の超不審者、キーボードの池ちゃんを筆頭にメンバーがひとりひとり登場してくる。そしてついに永積タカシ、降臨。声がやや風邪気味に聞こえるが、彼の喉はスロースターターである。まだ準備運動中というところだろう。やがて、彼らの演奏がはじまる。直前の大音量、照明びかびか、ひたすらシャウトという演奏に耳がじーんとしびれていた聴衆に、永積のややかすれた、少し鼻にかかった、でも甘くせつない歌声が届いてくる。バックの演奏もCDで聴くよりもずっとまろやかに聞こえる。照明も抑えめだ。私の目の前の観客が黒い波に見えてくる。暗い夜の海の向こうに輝くステージがあり、そこから永積が振動を送ってくる。ギターが、ベースが、キーボードが、ドラムスが、響きを送ってくる。それらの音は基本的にはタテノリのファンクでありながら、音と音との隙間がとてもたっぷりととってある。その隙間の中をどう動いたっていいんだぜ。彼らは音でそういっているようだ。そういう音にまわりを包まれていると、とても自然でリラックスした気持ちになる。「自由」を感じる。そう、彼らは音楽で「自由」を作ろうとしているのだ。今まで目の前からまっすぐ叩きつけられるように届いていた音が、いったん足下の方へ潜っていく。そして、海岸の砂浜で波が足元に寄せてくるように、その音は静かに静かに会場の聴衆全員の足元を浸していく。やがて、その波は永積の声に従って、ゆっくりゆっくりとうねりはじめる。会場の前方と後方の間にあった温度差の垣根は同じひとつの波に包まれて静かに解消されてゆく。ゆったりと同じ温度の波があたり一帯を覆い尽くし、それが時には早く、時にはゆっくりと波動を繰り返し、会場全体に大きなうねりをつくりあげていく。私の隣で硬直していたように聴いていた10代の女の子の体が、少しずつ少しずつ横に揺れはじめる。彼女は恥ずかしそうに回りを見ながら、小さく小さく手を打ちはじめる。会場全体を包む「自由」という名の大きな波に揺られながら、私は思う。自由とは静止ではない。波ひとつない、鏡のように静かな海の上で人は自由を感じない。自由には運動が必要なのだ。そしてその運動の起点となる「誰か」が必要だ。それは誰でもいいというわけではない。きわめて限られた特別な人間だけが、自由の起点となって波を起こすことができる。そして、その運動はどこかでコミュニケーションの機能を担っていなければならない。その波は人と人とを自由に、そして確かに、密接につないでいく。そのゆるやかな波の中で人は自分自身を見失うことなく、また他者を見失うこともない。こころをあたため、つなぎ、ときはなつ、静かで、激しい音の波。その幸せで、自由で、あたたかく、はげしい音の波を、人は「音楽」と名づける。以上が、その夜、私がバタ犬から、そして永積タカシの演奏から感じとったメッセージである。永積氏が「新曲です。リラックスして聴けよ、みんな」といいながら緊張しまくって演奏した曲。そして、その次、いきなり永積のソロで歌い出される曲。彼の声が会場にいる一人一人の耳の中のうぶ毛まで揺らすのを私は感じた。そして、その声を聴いた瞬間、ひさびさに鳥肌が立った。鶯谷のキネマ倶楽部に響いた「トンネルを抜けて」、「そして僕は途方に暮れる」、渋谷アックスで聴いた「ハンキー・パンキー」初演、NHKホールで聴いた「男の子、女の子」以来の鳥肌立ちである。その曲の間奏の永積のギター・ソロは、あのビル・フリーゼズそっくりだった。かくして、永積タカシは帰ってきた。なに?永積タカシを知らない?そんなのぜんぜんたいしたことじゃないですよ。ええ。それはただあなたが、この国の最もすばらしいミュージシャンの一人をまだ知らないってことにすぎないんですから。ぜんぜんたいしたことじゃないですよ。ぜんぜん、ね。
2008.02.19
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中村雄二郎「『させていただく』考」という文章の書き出しにふと目がとまる。「しばらく前から、自己と他者の関係、とくに日本社会での自他の関係を考えてきて、『させていただく』ということばが気になっていた。私はもともとばか丁寧な言い方は好きではないので、『させていただく』ということばをずっと使わないですませてきた。しかし、ある程度歳を取ってきて社会的に責任ある立場に立たされるようになると、そうもいかない場面がどうしても出てくる。そういうとき、他人がそのことばをこだわりなく言うのを聞いていると、その方がどんなに気が楽かと思うのだが、それがうまく言えない。」同感である。私も生まれてから今日まで「させていただく」ということばを口にしたことは一度もない(と思う)。他人がそう言うのを聞いただけで、なんだかタオルをぎゅうっと絞りあげられるようにからだがよじれてしまう気分になる。「させていただく」と「よろしくどうぞ」というフレーズはおそらく生涯口にすることはないだろう。よくわからないが、生理的にまったく受けつけないのである。「もともとばか丁寧な言い方が好きではない」という部分にも共感する。「好きではない」どころか、私にはそういう言い方をする人間を「警戒」するところがある。これまでの人生で、そういう人間に少なくとも三人は出会ってきた。一人は職場の年上の男性、一人は同年代の元同僚、もう一人は妙齢の女性であった。三人ともことばづかいが過剰に丁寧だった。ただそこには文法や語法の乱れはほとんどない。きわめて整然と「ばか丁寧」に話がなされるのである。ふつうなら「ずいぶん丁寧な人だな」と思うだけだろうが、私には彼らの話し方はどうにも不自然なものに感じられた。その丁寧さが「何か」の補償行動のような気がしたのである。こころの奥に「何か」があって、その何かとのバランスを取るためにやむなくそういう話し方がなされているように思えたのである。結果から見て、私の直感はそれほど的はずれのものではなかったようである。最初の一人は、仕事を終わって帰宅すると、晩ご飯を済ませた後、細君と向かい合い、その日、職場で起こった出来事を時系列に則して、綿密かつ細密に、細大漏らさず、記憶に残る限り、一言一句まで再現する習慣があったそうである。その業務報告は毎日、ゆうに1時間を超えるものだったという。二人目は後に重度のアルコール依存症であることが判明した。日頃の異常な腰の低さとことばづかいの丁寧さとは裏腹に(私はすれ違いざまにお辞儀をされて、彼の頭が地面につくのではないかと心配したことがある)、酩酊時の突発的な暴力行為と悪口雑言ぶりは同席した人々に深い印象を残したそうである。(幸いにして私には直接それを見聞する機会はなかったが)三人目の女性は長く心身症を患い、極度の拒食症状を示し、何度も路上で意識を失うことがあった。周囲の人間が世話したカウンセラーに対して、事前に膨大な臨床心理学の文献を読み込み、自分がいかに健全な精神の持ち主であるかということを滔々と説き、まったくカウンセリングをさせなかったという話である。「ばか丁寧さ」のすべてがそうだというつもりはないが、聞いていてどうにも居心地が悪くなるような不自然な丁重さには、何かそれなりの事情があるように思えるのである。さて、「させていただく」の話に戻ろう。この言い回しはビジネスの場面ではかなりの頻度で現れる。中村氏も先の文章で述べていることだが、この表現は「させる」という使役の動詞と、「いただく」という謙譲語が合体したものである。あなたさまのおかげで私はこの行為をなすことができるのであり、その寛容なお気持ちに対して感謝の念すら感じている。そういうニュアンスを伴う表現である。「使役」というのは、他人にある行為をさせることだ。「やりたくてやったんじゃないよ、おまえがさせたんだよ」という時の「させる」が使役である。つまり、自分から主体的にやったんじゃない。おまえがそうさせたんだよ。そういうニュアンスがここには感じとれる。「謙譲」はへりくだりである。相手を見上げるために、自分の足元に穴を掘る行為を「へりくだり」という。相手との身長差を拡大するためには、相手を台の上に載せる「尊敬」と、自分の足元に穴を掘る「謙譲」という二つの方法がある。謙譲はわざわざ自分を低く見せようとする行為だから、どうしてもそこには卑屈さ、いじましさがただようことになる。その結果として、この言い回しには自発性・主体性に欠け、潔さ・決断力に欠ける優柔不断な姿勢がにじみでる。私のこの言い回しに対する抵抗感をあえてことばにしてみると、そういうことになる。しかし、ここまで書いてきて、「これだったら自分も使うかもしれないな」という例文をひとつ思いついた。それはこういう文章である。「今日限りで辞め『させていただきます』」。うん、これなら使う可能性はあるな。たまたまこういう機会がなかっただけで、もしこのことばがふさわしい状況に置かれたとしたら、使ってもぜんぜんおかしくない。しかし、この例文だけ違和感がないのはなぜだろう。おそらくそれは「おれをここまで追い込んだのは、まぎれもなくおまえさんたちだぞ」という含意が明確に感じとれるからだろう。これなら上司の目を下からにらみあげ、奥歯をぎりぎり鳴らしながら口にしても、それほど不自然には感じない。適度に言語外情報をぱらぱらとふりかければ、謙虚さどころか逆に「不遜」さすら感じさせることのできそうなフレーズだ。自ら辞めたいと思ったのではない。なにものかの力によって(おそらくはそのなにものかに目の前のあなたも加担しているのだ)、ここまで追いつめられてしまった。これぞまさしく「使役」である。しかし、だからといって公然と相手を非難することはできない。現段階では自分はまだ組織に属しており、相手は同じ組織の目上の上司だからだ。しかし、いくら目上とはいっても相手はいわば「加害者」だ。そんな人間を今さら高い台の上に載せてあがめ奉る気持ちにはなれない。よーし、上等じゃねーか、ここはひとつオレ様の足元に深々と穴を掘り、その穴の下のほうから話してやろうじゃないか。その姿を見て、加害者であるあんたの気持ちも少しは痛むんじゃないの、きりきりと。そこで「謙譲語」の出番というわけである。加害者はおまえさんだ。そのせいでオレはこんなところまで追いつめられちまったんだぜ。こういう状況で発せられる「させていただく」は、むしろ自然な言い回しに聞こえる。「えー、それではただいまより○○社長の叙勲を祝う会を始めさせていただきます」【内心訳】おまえがめんどくさい勲章なんかほしがるから、この忙しいところにわざわざみんなで集まる羽目になっちまったじゃねーか。ああ、めんどくさい。噂ではずいぶん下工作したって話も聞いてるぜ。いくつになってもあぶらっけの抜けねえじじぃだぜ、ったく。みんないやいや来てんだよ。顔はにこにこしてるけどよ。あーあ。こんな欲ぼけじじいの下で働くことにつくづく嫌気がさしてきた。でもなあ、これから再就職先探すったってかんたんじゃねーからなあ。こんなとこにいなきゃいけないオレもずいぶんと情けねーよなあ、考えてみると。あーあ、やだやだ」「させていただく」というフレーズの背後には、なかなかに豊かな含意が読みとれるようである。ことばの幅を広げるためにも、ひとつこのフレーズを使ってみるとするか。ということで、このあたりでこの文章を慎んで終わらせていただくことにするのである。
2008.02.15
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最近「らしい」人が減ってきたように思う。そもそも「らしい」ということばが肯定的に用いられることが少なくなってきた。現在ではむしろ「らしくない」というほうがほめ言葉に近い。「老人らしくない老人」、「役人らしくない役人」、「教師らしくない教師」、「上司らしくない上司」、「四十代らしくない四十代」、一部微妙な用例もあるが、そのほとんどは相手をほめている(ように聞こえる)。もちろん「らしくない」の上にネガティブなものがある場合には、その否定形は当然、反転してポジティブな意味になる。老人、役人、教師、上司、四十代。まあ、一般的にいってあまり肯定的にとらえられることの少ない方々ではある。一方で、「ガイジンらしくないガイジン」、「モデルらしくないモデル」、「東大生らしくない東大生」、「格闘家らしくない格闘家」――テレビその他のマスメディアにはこういう「らしくない」人たちが氾濫している。「新聞記者らしくない新聞記者」、「役者らしくない役者」、「アナウンサーらしくないアナウンサー」、「CMらしくないCM」。挙げていくときりがない。なぜこれほど「らしくない」ことが価値をもつようになったのか。常識的に考えれば、「型の喪失」という社会的な背景が関係しているのだろう。さらに、「型」に縛られないことを「自由」ととらえる意識がある。これまで挙げてきた用例はどこかでその職業や役割の「型」に束縛されていないという意味において肯定的なのである。しかし、「らしくない」をその後につけるとけっして肯定的な意味にならないことばもある。それは「自分」である。「自分らしくない生き方」、「自分らしくない発言」、「自分らしくない振る舞い」――、これらはすべて否定的なニュアンスを帯びている。要するに、「自分」は「型」ではないという意識がそこにはあるのだろう。職業や役割のもたらす「型」よりも、「自分」は上位に属している。上位概念である「自分」が、下位概念である「型」に縛られている状態は息苦しく、はた目にも自由でないように見える。だから、それらの「型」から解放される「らしくない」が珍重されるのだ。しかし、「自分」は例外である。これを失うことは自己の喪失につながるわけだから、「自分らしくない」生き方などけっしてしてはならない。それは最上位概念である「自分」の価値をおとしめるものである。そういうことになるのだろう。しかし、この考えの前提にある「自分は型ではない」という意識ははたして正当なものなのだろうか。むしろ自分とは「型」そのものではないだろうか。「型」とは要するにパターンのことである。発話のパターン、行動のパターン、思考のパターン、表現のパターン。少なくとも外からその人をとらえる時に、何を手がかりにするかといえば、それはパターンしかない。外部からとらえられた個々の人間は、要するにさまざまなパターンを積み重ねた束のようなものなのだ。だから個性とはパターンであり、型なのである。少なくとも外から見た場合には。われわれが芋虫を見るときには、その芋のような外殻を見ている。芋虫に出会って、そのぐにょぐにょした内臓部をただちに意識する人はいないだろう。蟹とは、蟹の外形であり、鳥は鳥の外形であり、蝉は蝉の外形なのである。当然、人も人の外形だ。そして、その外形によって個体を識別する時には、さまざまなレベルのパターンを意識し、そのパターンの偏差や変異に着目する。そのパターン認識が裏切られた時、人は「あの人らしくないなあ」とつぶやく。こちらがあらかじめ用意していたパターンから逸脱した場合には、「らしくない」ということになる。つまり「らしさ」とは型のことなのである。当然「自分らしさ」も型であり、パターンであり、外殻なのである。最近、ずいぶんフットワークが軽くなり、あちらこちらと遊び回っていた芋虫さんが、「オレも最近、ちょっと自分を見失ってるなあ。もう少し昔に戻って、自分らしく、芋虫らしく生きていかねばならんなあ」と反省したとする。さて彼はどのようにして芋虫に回帰するであろうか。当然、どてっと腹這いになって、動いてるんだか動いてないんだかわからないくらいの低速で、もぞもぞぐずぐずと匍匐前進するだろう。これはすべて外から見た芋虫のパターンである。芋虫さんが内面や意識のなかでいくら「芋虫経」を唱えても、彼は芋虫らしくはなれないし、「我は芋虫なり」と内観に励んでみても、ちっとも芋虫らしくはなれない。「自分」も同じことである。「自分らしい生き方」とは、他人が自分をどう見ているか、それをよく観察し、外形をそれに合わせることである。自分を他人の目に応じて固定することである。けっして自分を形のないものに向かって解放することではない。芋虫が芋虫から解放されてしまうと、芋虫ではなくなってしまう。それと同じである。「自分らしい生き方をしたい」と人が言うとき、その時の「自分」はひょっとして外殻を失ってしまっているのではないだろうか。芋虫であることをやめた芋虫は、自分の外殻をべりべりと引き破り、からだの内容物を地上にどさりと横たえる。そして、今や自分は何ものにも縛られない完全な自由を手に入れたと考え、そういう「自分自身」に陶酔する。だが、その姿ははたから見ると、ほとんど「死体」と変わることがないのである。だから「自分らしい生き方」をどこまでも追い求める人の姿は、私の目には路上に放置された内臓の集積物に見える。さまざまな「らしい」殻を脱ぎ捨てた結果、外殻そのものを喪失した「自由な」彼らは、いったいどうやって自分のからだを移動させるつもりなのだろう。それが不思議に思われてならない。
2008.02.14
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好きな文章というものがある。その内容以前に、ことばを紡ぎだす書き手のこころの律動が、こちらの胸の奥にある音叉と共鳴して、微かな「うーん」という音をこころのなかに響かせる文章。ひとつの文をたどりながら、その少し先や、あるいはその少し奥が、布地に垂らしたインクのように周囲に静かににじみ、広がっていく文章。ひとつの文から次の文への流れが予測通りであることがよろこびとなり、予測通りでないことがまたよろこびとなる文章。そういう文章がある。もう一方で、「好き」ということばが必ずしもふさわしくない文章もある。もちろん「嫌い」なわけではないが、こちらから望んで積極的に読むことは少ない、ただ、何かの折にふとその文章に触れると、「はっ」と息を呑んでしまう文章。それまで無意識のうちに曲がってしまっていた自分の背筋を思わず伸ばしてしまう文章。何気ない一節に張りつめた「気」がこもっている文章。そういう文章がある。私にとって幸田文の文章は後者に属する。たとえば「藤」という随筆がある。大正十三年。文は家族ともども町へ引っ越す。それまでの草木に親しんでいた暮らしから、玄関わきに椿が一本、茶の間の前にかなめもちが一本、隅に椎が一本というようなわびしい景色の中に移り住むことになる。草木の少なさに不服を述べる家人に向かって、父、露伴はこう言う。「そこ(庭)は盛り土がしてあり、以前の表土の上に木屑や石くれが積んであるので、植えても木は枯れるだろうし、枯れていく木を眺めていられるほど自分の神経は、むごくはないのだ」。家人はそのことばに納得し、それ以後、何も言わなくなる。文は嫁ぎ、その後、夫と別れ、小さな娘を連れてうちに帰ってくる。「父なし子になってしまった孫娘に、祖父はあわれをかけてくれた。」そんなある日、町に縁日が立つ。「父は私に、娘をそこへ連れていけ、という。町に育つおさないものには、縁日の植木をみせておくのも、草木へ関心をもたせる、かぼそいながらの一手段だ、というのだった。」この縁日の短い描写に、私は小さく息を呑む。「水を打たれた枝や葉は、カンテラの灯にうつくしく見え、私は娘の手をひいて、植木屋さんとはなしをした。『これだけしゃべらせて、なんだ、買ってくれねえのか』といわれたりすると娘は私の手をかたく握って、引っ張った。」「娘は私の手をかたく握って、引っ張った。」ーー文章の神様がそっとウィンクしてくれなければ、けっして書くことのできない一節である。文章の神はこういう細部に好んで棲みつくものらしい。春になり、お寺の境内に植木市が立つ。露伴は文にガマ口を渡し、「娘の好む木でも買ってやれ」という。汗ばむような、晴れた午後、文と娘は連れだって植木市へ行く。娘は藤の鉢植えがほしいといいだす。「鉢ごとでちょうど私の身長と同じくらいの高さがあり、老木で、あすあさってには咲こうという、蕾の房がどっさり付いていた。子供はてんから問題にならない高級品を、無邪気にほしがったのである。」とてもガマ口の小銭で買える代物ではない。文は笑って他の草花をすすめ、娘は小さな山椒の木を選ぶ。彼女は山椒の葉としらすぼしを醤油でいりつけてごはんにぱらぱらとまいた弁当が好物だったのである。のどかな光景である。小さなしあわせのともしびがほんのりと浮かび上がるような情景だ。しかし、この空気が帰宅後、一変する。父、露伴はその話を聞いて、みるみる不機嫌になる。文の書く露伴のことばはいつも私の胸を衝く。それはひょっとすると露伴のことばそのものではないのかもしれない。そのことばを聞いたときの文のこころの震えや怯えや畏れごと、それらは紙の上にすくいとられているように思える。ここに書かれた露伴のことばもまさにそうである。少し長いが、以下に引く。「(父は)藤の選択はまちがっていない、という。市で一番の花を選んだとは、花を見るたしかな目をもっていたからのこと。なぜその確かな目に応じてやらなかったのか、藤は当然買ってやるべきものだったのに、という。そういわれてもまだ私は気がつかず、それでも藤はバカ値だったから、と弁解すると父は真顔になっておこった。好む草なり木なりを買ってやれ、といいつけたのは自分だ、だからわざと自分用のガマ口を渡してやった、子は藤を選んだ、だのになぜ買ってやらないのか、金が足りないのなら、ガマ口ごと手金に打てばそれで済むものを、おまえは親のいいつけも、子のせっかくの選択も無にして、平気でいる。なんと浅はかな心か、しかも、藤が高いのバカ値のというが、いったい何を物差にして、価値をきめているのか、多少値の張る買い物であったにせよ、その藤を子の心の養いにしてやろうと、なぜ思わないのか、その藤をきっかけに、どの花をもいとおしむことを教えてやれば、それはこの子一生の心のうるおい、女一代の目の親しみにもなろう、もしまたもっと深い機縁があれば、子供は藤から蔦へ、蔦からもみじへ、松へ杉へと関心の目を伸ばさないとはかぎらない、そうなればそれはもう、その子が財産をもったも同じこと、これ以上の価値はない。子育ての最中にいる親が誰しも思うことは、どうしたら子のからだに、心に、いい養いをつけることができるか、とそればかり思うものだ。金銭を先に云々して、子の心の養いを考えない処置には、あきれてものもいえない」と。このことばは文のこころに深く沁み入る。娘は大きくなっても花を見て、きれいだというだけ、木を見ても、大きな木ねというだけで、それ以上心が動かない様子を見せる。「ほかには優しい心をもつほうなのだが、野良犬にふみ倒された小菊を、おこしてやろうともしない固さなのである。」文章の神がまたウィンクをしている。しかし、娘の嫁いだ夫は望外に花を愛する人であり、その感化で娘もやがて花を愛ずるようになる。文はほっとこころをくつろがせ、一度どこかへ藤をたずねたいと思うようになる。そして東京近郊に見事な藤を見つけ、ひとときの間、それに見惚れる。しかし、その目は上を仰ぎみた後、下へと向かう。幸田文の文章の真骨頂が始まる。「しかし、花よりもその根に、おどろいた。千年の古藤というからには、根まわり何十尺と数える太さもさることながら、その形状のおどろおどろしいのには、目が圧迫された。うねり合い、盛り上り、這い伏し、それは強大な力を感じさせるとともに、ひどく素直でないもの、我の強いもの、複雑、醜怪を感じさせた。花はどこまでもやさしく美しく、足もとは見るもこわらしく、この根を見て花を仰げば、花の美しさをどうしようとおろおろしてしまう。だが、それならといって、立去れもしなかった。こわいものの持つ、押さえつけてくる力があって、連れの人にうながされるまで、私は佇んでいた。」ここで文は花を見、根を見ながら、人を見、人の生きる姿を見、人の生きる世界そのものを見ている。そこには美があり、同時に醜がある。そして、そのふたつは離れがたく結びついている。美に魅惑があるように、醜にも強い力がある。それをどう考えるべきか、しかし、答はない。答のない世界に棲む生き物の恍惚と不安と恐怖。それをこれほど短い文章に掬い取る幸田文の文章の凄みに、私は好意よりもむしろ恐怖を感じる。彼女の文章がこれほどの凄まじい凝縮力を感じさせるのは、彼女の目がおそらくここに書かれた以上のものをありありととらえていたからである。そして、彼女はそれを書かないことを通して、それらを言外の余韻として読む者に感じさせる。文章の神のウィンクばかりでなく、その鬼のような形相を垣間見た人間だけが、このような文章を書くことを許される。そう思いながら、私は文庫本にしてわずか15頁のこの作品を読みおえ、深く溜息をつくのだった。
2008.02.10
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私たちの世代はたまたま教育課程の変わり目にあたっていた。旧課程、新課程ということばがあちこちに飛び交っていたし、中学校の数学では「集合」を新たに学習したり、理科(たしか第二分野だったかな)では分子レベルの生物学の初歩を学んだりした。「集合」は学習内容こそたわいないものだったが、なぜそんなものを学ばなければならないかよくわからなかった。でもその割には、今でも授業で集合の絵を描いて説明したりしているから不思議だ。黒板全体を日本語の世界にたとえ、「これを、おっきくふたつに分けると何と何に分かれるかなあ」と聞いて、「話しことばー」、「書きことばー」という生徒の声を受け、黒板にぐるりと大きなふたつの円を描き、その共通集合の部分に「作文的世界」を図示してから、やおら「小論文はどこに描けばいい?」と質問する。中学の頃には「こんな役に立たないものやらせやがって」と舌打ちしていたものだが、意外に役に立ったりしているから妙なものだ。そういう新課程の数学の中に「二進法」という項目があった。これがまた面妖な内容である。「次の数字を二進法で示せ」という問題を出されて、たとえば「2」は「10」、「3」は「11」、「4」は「100」というように、10進法の数を2で割っていき、その商と余りの数字を下から順番に並べていくという作業をさせられた。延々と2で割り算する作業に何の意味があるんだろうと思いながら、仕方なくその作業を続けた覚えがある。二進法とは要するに、世界を0と1だけで認識する方法である。まことに単純きわまりないやり方だが、これが意外にバカにできない。「右と左」、「昼と夜」、「男と女」、「明と暗」、「ONとOFF」など、「1か0か」という二進法の世界は日常生活の多くのものに当てはまる。コンピューターもこの二進法にもとづいており、コンピューターを通して受容ないしは表現しているもののすべては、二進法の世界である。だから、パソコン上に時折出現する、敵、味方を鮮明に峻別し(なぜか敵の数のほうが圧倒的に多いように思えるが)ケツの穴に火箸でも突っ込まれたような攻撃的な言辞を弄する人々は、実は二進法に操られている可能性が大きい。二進法にはグラデーションというものがないので、そういう振る舞いになるのであろう。もっとも二進法ごときに人格を乗っ取られてよいのかという問題は残るわけだけれども。それはさておき、コンピューターでカバーできる感覚は視覚と聴覚であり、味覚、嗅覚、触覚は現在のところカバーできない。これは要するに、二進法が細分化可能なものには効力を発揮するが、細かく分けられないものは苦手とするということだろう。視覚情報は究極的にはドットの集合体に還元できる。そのドットを書き込むグラフ用紙のマス目をどこまでも細かくしていけば、ほとんどあらゆる視覚情報を表現することができる。音も同様である。音をさまざまなレベルに分解し、時間を細かく砕いて、微細な時空間の「音アリ音ナシ」状態に還元すれば、「0か1か」で表現することは可能である。基本的にグラフで表現できるものは細分化によって「1か0か」の世界に還元することができそうだ。だが味覚、嗅覚、触覚ではそうはいかない。そんなもん、味覚だって「うまいかうまくないか」、嗅覚だって「くさいかくさくないか」の二進法だろうといわれるかもしれないが、その「うまさ」や「くささ」を一義的に定義することはできないし、数値化することもできない。だから、これらの感覚は二進法にはなじまないのである。では触覚はどうだろう。これはひょっとすると何とかなるかもしれない。「触れられているか触れられていないか」というのは、ある意味では「1か0か」の世界だから。ただし触覚で重要なのは、ただ単に「触られているか、触られていないか」ということではなく、むしろ「誰に(あるいは何に)」触れられているか、あるいは「どのように」触れられているかということだから、この部分に関しては、やはり細分化は難しい。以前、気に入った日本酒を何種類か揃えて、数人に呑ませたことがある。コクのある酒、キレ重視の酒、バランスのとれた酒、いろいろ取り混ぜたのだが、ある女性は二つの酒を飲み比べて、「あ、こっちのほうがおいしい」としかいわない。場をこわさないためにその場では何もいわなかったが、味覚を「おいしい、おいしくない」の二分法で表現するのはいささか味気ない。一説によると、日本酒の飲み比べは生後数ヶ月の乳幼児にもできるそうである(よい子のみんなはまねをしないように)。どっちが自分の舌にあってるかは子どもでもわかるし、それがけっこう一致するのである。でも大人が酒を味わう時には、「こっちがおいしい」だけではなく、「どのようにおいしいか」を感じとらなければ話にならない。どうも二進法の触手は、視覚と聴覚だけでなく、それ以外の感覚にも伸びてきているようだ。「くさい」ということばは、いじめをする人間の常套句だが、「えっと、それはたとえばどんなにおいなんでしょう」と質問する人間はいない。「くさいか、くさくないか」は、「仲間か、仲間でないか」を分離、識別するためのシンボリックな修辞表現なのである。あるいは電車のなかで「ぶつかった、ぶつかってない」で大げんかしたり、「触った、触ってない」で言い争ったりしているのも、二進法のなせる技なのかもしれない。実は二進法には「2」という数字は存在しない。あるのは「0か1」だけである。二者択一、どちらかひとつ、AかBか、こういう「か」の論理が二進法を支配している。そこには「AもBも」という共存・共生の「も」の論理はない。0でもあり、同時に1でもあるという状態はこの世界にはないし、右であると同時に左、昼であると同時に夜、ONであると同時にOFF、男であると同時に女(おっと「あの人」たちは二進法の世界には住めないのか)は原則的に排除されてしまう。個人的な好みもあるだろうが、私はやはり0から1の間に中間点をたくさん設定して、「まあ、今日のところは4.65のあたりで収めとくか」というような収束の仕方を好む。グラデーションのない世界にはどこか息苦しさがただよう。そういえば平坦な砂漠にはグラデーションは存在せず、大海原には無限のグラデーションがある。生命体には微細な中間段階、細かな刻みをもったきざはしが必要であり、そこにこそいのちのうるおいが宿るのである。うん?なぜかまた「枯れ木に水をあげましょう」の話になってしまっているような。みなさん、この時期、くれぐれも異常乾燥と二進法には注意しましょう。そういえば「光と影」という名前もひょっとして……。
2008.02.06
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某年某日某所においてロボットコンテストが催されることになった。課題は直径30センチの金属製の球体と三本の足から成るロボットを作り、水槽の上に渡された長さ10メートル、幅3メートルの板の上を向こう岸まで渡らせるというものである。このコンテストの審査基準は一風変わっている。最短時間で向こう岸にたどりついたものを勝者とするタイムトライアル形式ではなく、ロボットの移動する様子をビデオカメラに収め、その動きを審査員が点数制で採点するというのである。さらに、「このコンテストの意味するところを、漢字一文字、ないしは漢字を含む三文字の動詞で表現せよ」という奇妙な問題がついている。参加者はその指示書を見ながら、首をひねる。「いったいなんなんだ、このコンテストは?」しかし、とにもかくにもロボットを作らなければ話にならない。クイズの答を考えるのはその後だ。なるべく軽量の金属を用いて30センチの球体を作る。加工しやすいアルミにしようということになり、中空構造の球体を作る。比較的簡単にこの作業は終わる。次は足である。これがなかなかむずかしい。そもそも三本の足でどうやって球体を支えるか。固定するだけならば三脚の形にすればいいのだが、これでは歩けない。まず歩行スタイルを決めなければならない。転倒しないこと、スムーズに歩行すること。この二つの条件を同時に満たすためにはどうすればいいか。さんざん考えた末、チームのリーダーが次のようなアイデアを出した。球の真下に一本の足をつけ、その足に平べったい靴を履かせる。これで安定性を確保する。次に球の左右下方斜めに二本の足をとりつける。一本目の足をA、二本目の足(左足)をB、三本目の足(右足)をCとしよう。いま、ロボットはAを真下に下ろして静止している。次にBとCを同時に持ち上げて前方へ移動させる。次にそれを支点にして、よっこらしょっとAを持ち上げ、前方に移動させる。この繰り返しで、AとB・Cを交互に前に出して歩行するのである。Aは一本足で体を支えるから、その下部は平坦にしておかねばならないが、B・Cに関しては二本足で立つから、とくに先端を平たくする必要はない。リーダーは、真下に伸びる一本目の足を「からだ」と名づけた。二本目の足には「こころ」、三本目の足には「あたま」と命名した。「なんだよ、そのへんてこりんな名前は」。不満そうなメンバーの声を聞きながら、リーダーは「まあ、まあ」となだめる。「球体を根本的に支えるのは、Aだ。これがなければ、ロボットは立つことさえできない。だから、これは『からだ』なんだ。でも、からだだけではロボットはただ突っ立ってるだけのでくの坊にすぎない。これを前方に移動させるためには、からだを動かすための二本の足が必要になる。その一つは「こころ」だ。からだがこころを動かし、こころがからだを動かす。このふたつのものを緊密に連動させて、はじめて歩行か可能になる。だが、二本足だけでは安定感に欠ける。ちょっとした振動でも倒れる危険があるし、『あっちに行きたいから、そっちにからだを動かす』というだけでは、目の前の危険を察知できない。ここではどうしても前方を観察し、情報を把握し、適切に判断する『あたま』が必要になる。この三本目の足が「あたま」なんだよ。」みんなはわかったようなわからないような顔をしていたが、とにかく一本足と二本足を交互に前に出して歩く歩行スタイルは悪くないと思ったので、足の取り付け作業に入った。小さなモーターをアルミ製の球体の中にセットし、三本の足をスムーズに駆動できるように調整を行う。ここで難しいのはBとC、つまり「こころ」と「あたま」のバランスである。どちらかの脚力が強すぎると直線的な歩行が困難になる。こころが先行すると、徐々に右に曲がって水槽に落下してしまうし、あたまが先行すると、逆に左に曲がって落下する。このバランスのとり方がきわめて微妙かつ困難なのである。何回か実験してみると、左に曲がって落下するケースの方が圧倒的に多かった。極端な場合には、左に曲がりすぎてUターンして逆方向に歩きだすことすらあった。あたまがこころばかりか、からだまでも支配下に置こうとすると、ロボットは逆走を始めてしまうのである。姿勢を保持するためにも、スムーズな歩行を行うためにも、三本の足の中では「からだ」を最優先すべきだということになった。さらに、こころとあたまのバランスもとらなければならない。試行錯誤の末に、「からだ:こころ:あたま」の力のバランスを「2:1:1」に設定することにした。しかし、何度やっても「あたま」の力が徐々に強まり、どうしてもロボットは左に曲がってしまう。どうも「あたま」は自分の内部で力を増幅させて勝手に強くなってしまうようなのである。リーダーはこの問題を解決するために頭を悩ませた。そして、「あたま」が力を増幅させ、一定レベルを超えたら、その力を自動的に「こころ」に振り向ける回路を作ることにした。具体的には「あたま」の余剰エネルギーを使って「こころ」の分析、探索をさせるようにしたのである。そうすることによって「あたま」の余分なエネルギーは「こころ」に吸収され、その分、「こころ」のエネルギーが増大する。この回路が完成すると、ロボットのバランスはよくなり、ようやく直線歩行が可能になった。しかし、こうするとどうしてもスピードは出なくなる。「あたま」と「こころ」がエネルギー交換を行うときに、動きがぎこちなくなり、時に転倒することもあった。どうも「からだ」と他の二本足とのバランスをとる必要もあるようだ。すでに「からだ」と「こころ」の間には、自然な回路が形成されているように見えた。一方が弱くなると、他方も弱くなり、一方が強くなると、他方も強くなる。ここにはとくに問題はなさそうだ。しかし、問題は「からだ」と「あたま」だ。「あたま」はしばしば「からだ」を無視して勝手に行動しようとする。「からだ」を置き去りにしたまま、こころを連れて暴走するために転倒してしまうようなのだ。それならば、あたまの過剰エネルギーをからだに恒常的に流すようにしたらどうだろうか。第一段階としてあたまの余剰エネルギーをからだに流す。その後に、あたまとこころの間でフィードバックを行う。試行錯誤の結果、やっとうまく直線歩行できるようになった。エネルギーの相互交換で時間がかかり、依然としてスピードに欠けるのろのろ運転ではあったけれど。ロボットは完成した。右に振れ、左に振れ、よちよち歩きながらも、なんとか前方へ歩けるようになった。ただ、あたまのエネルギーを他の二本足に振り向けるため、どうしてもスピードは遅くなる。考えるために時には立ち止まりさえする。でも、こうしない限り、向こう岸までたどりつくことはできないのだ。このコンテストがタイムトライアル制ではないことの意味が、メンバーにもしだいにわかりはじめてきた。右に曲がり、左に曲がりしながら、そして時には立ち止まってじっと考えこみながら、ロボットはようやく向こう岸へ渡った。チーム全員が盛大に拍手喝采するなか、一人の審査員が一枚の紙と筆記具をリーダーに手渡す。「ここに問題の答を書いてください」他のメンバーが手許を覗き込むなか、リーダーはペンをとって書き出した。「生」漢字一文字でそう書いた。そして、その横に「生きる」と書いた。その紙をしばらく眺めた後、彼はその紙をくしゃくしゃと丸め、紙をもう一枚くださいといった。そして、何も書かない白紙のまま、その紙を提出した。この問題には、「答え」はないと信じたのである。はたしてどちらが正解だったのか。あるいはどちらも不正解だったのか。私はその答を知らない。みなさん、自由に考えてみてください。
2008.02.04
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新潮社のPR誌「波」08年2月号に、保阪正康「即位と崩壊――天皇の家族史」が連載されている。今月号は明治45(1912)年7月17日、明治天皇が侍医の診察を受けるところから始まる。この二日後、天皇は体調を損ない、宮中で倒れる。7月20日午後2時、宮内省は天皇が病に冒されているとの官報号外を発し、その病状を詳細に発表する。病名は尿毒症であった。その「御容態書」には、既往の病名、尿量、体温、脈拍、呼吸数、意識状態などがきわめて細かく書かれている。「昨十九日午後ヨリ御精神少シク恍惚ノ御状態ニテ御脳症アラセラレ御尿量頓ニ甚シク減少蛋白質著シク増加 同日夕刻ヨリ突然御発熱体温四十度五分に昇騰御脈百〇八至御呼吸三十二回」昭和天皇の病状報道の原型は、このあたりにありそうである。なぜこれほど詳細な発表が行われたのか、そのような方針を打ち出したのははたして誰だったのか、興味のあるところだが、残念ながらそれについての記述はない。病状報道のあり方が同じであるように、それに伴って起こる社会現象もまた同じようなものである。病状が発表された20日に行われる予定だった隅田川の川開きは中止となり、歓楽街の劇場では急速に客足が鈍り、花柳界の予約取り消しも殺到する。いわゆる「自粛」ムードが社会全体に広がった。保阪氏の文章では、これに続いて漱石の7月20日の日記が引用されている。それを読んで、私は驚いた。明治の最晩年、当時の文豪はどのような所感を日記に記したか。私はその精神の健全さ、強靱な「常識」力に圧倒される。そして、あらためて昭和前期の暗黒を思う。とにかくその日記を以下に引くことにする。「晩、天子重患の号外を手にす。尿毒症の由にて昏睡状態の旨報ぜらる。川開きの催し差し留められたり。天子いまだ崩ぜず。川開を禁ずるの必要なし。細民これがために困るもの多からん。当局者の没常識驚ろくべし。演劇その他の興業もの停止とか停止せぬとかにて騒ぐ有様也。天子の病は万臣の同情に価す。しかれども万民の営業直接天子の病気に害を与えざる限りは進行して然るべし。当局これに対して干渉がましき事をなすべきにあらず。もしそれ臣民衷心より遠慮の意あらば営業を勝手に停止するも随意たるは論を待たず。然らずして当局の権を恐れ、野次馬の高声を恐れて、当然の営業を休むとせば表向は如何にも皇室に対して礼篤く情深きに似たれどもその実は皇室を恨んで不平を内に蓄うるに異ならず。恐るべき結果を生み出す原因を冥々の裡(うち)に醸(かも)すと一般也。(突飛なる騒ぎ方ならぬ以上は平然として臣民もこれを為すべし、当局も平然としてこれを捨置くべし。)新聞紙を見れば彼ら異口同音に曰く、都下闃寂(げきせき)火の消えたるが如しと。妄(みだ)りに狼狽して無理に火を消して置きながら自然の勢で火の消えたるが如しと吹聴す。天子の徳を頌する所以にあらず。かえってその徳を傷つくる仕業也。」(「波」p84~85)保阪氏はこの記述の「恐るべき結果を生み出す原因を冥々の裡に醸す」という表現に「強い関心をもつ」と書かれている。いわば予言の一句ということだろう。私もまたこの一句に強い印象をもつ。だが、それよりもこの文章に見られる漱石の精神の健やかさ、常識の力強さに心引かれる。事実を事実のままに淡々と告げた後、「天子いまだ崩ぜず。川開を禁ずるの必要なし。細民これがために困るもの多からん。当局者の没常識驚ろくべし。」と、すっぱりと所感を述べる。問題はマスコミをも含めた「取り巻き」の過剰反応にある。それは将来「恐るべき結果を生み出す」だろう。明治天皇の病状を案じる前に、まずそのことをまっすぐにことばにした漱石の「常識」から学ぶものは多い。昭和の末年、私はこのような「常識」的な文章を新聞や雑誌のどこにも見ることがなかった。暗黒ははたして昭和前期にだけあったのだろうか。「泣いて血を吐くほととぎす」という歌詞をもつ演歌を、自主規制という名の下に「放送禁止歌」扱いとしたのは、昭和の末年のことである。あまりにも軽々に、脳天気に、「進歩」とか「前進」ということばを口にするべきではない。それよりも、「常識」ということばの内実をあらためて問い直すことが必要ではないかと私は考えるのである。
2008.02.01
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