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文章を書く行為を定期的に続けていると、そこにはある効能が存在していることに気づく。それを一言でいえば「リセット効果」ということになるだろうか。ふだんわれわれの頭の中はどうなっているか。他人の頭の中にもぐりこんだことがないのでたしかなことはいえないが、さまざまな雑念というか、折に触れてのもろもろの感想、所見、感情がもやもやとしたエクトプラズマを形成し、そこにただよっているのではないか。何かを見、何かに触れ、何かを耳にするにつれ、われわれは何事かを感じ、何事かを思う。しかし、それらの断片的な感想は頭のなかをしばらくふわふわとただよっては、やがて音もなく消えてゆく。これは考えてみれば、きわめて不安定な状態といえる。しかし、この不安定な状態が毎日毎日繰り返されると、やがてはそこに「不安定という名の安定状態」が訪れる。もやもやとした未分化な状態が日常になり、われわれはそれにすっかり慣れきってしまう。それは沼地のおもてにぷくぷくと湧き上がる小さな泡に似ている。それは確かに小さな変化ではあるが、あの泡を見て、何かの予兆と考える人間はいない。それはしょせんやくたいもない意味のない小さな泡にすぎない。しかし、ある日、この泡を記録にとどめてみようと彼は思う。そしてこの非生産的、非効率的な行為をせっせと続ける。しかし、どんなに注意深く慎重に記録してみても、無意味な泡はしょせん無意味な泡である。そこには発見も、驚きも、誕生も、奇跡もない。もやもやとした思いが気泡に変わり、水面に浮かんでは、ぷちっとはじける。ただそれだけのことである。しかし、そのぷちっと泡がはじける瞬間、かすかな感覚がそこには伴う。爽快感というにはあまりにもおおげさだが、たとえば、そう、サイダーの気泡が鼻先ではじける瞬間の、かすかに甘く刺激的な香り。そういうものが一瞬、鼻孔の奥に広がる。この感覚を何と名づけたらいいのだろう。それは、ちょうど部屋の中に散らかったゴミをひとつの半透明の袋に詰め込み、分別し、その口をひもでくくる感覚に似ている。頭の中を覆っているアモルファスな物体を一つの袋の中に拾い集め、それを口のところできゅっと縛って、ゴミ収集場へぽいっと捨てる。その時の感覚。少しだけ頭の中が「かたづいた」感じ。もやもやしたものをひとつにくくって、外部に放出することで、頭の中にわずかながら新たなスペースが生まれる。いままで雑然と床を覆っていたゴミが消え去ることで、その陰に隠れていた懐かしい思い出がひょっこりと顔をのぞかせる。少しだけ広くなった床の上で、なんだかちょっと腕立て伏せをしてみたり、腹筋運動をしてみたくなったりする。この少しだけ「かたづいた」感覚、これを「リセット効果」と呼びたいと思う。私たちの頭の中のカウンターは絶え間なく少しずつ回転をつづけている。のろのろと動く電気メーターのように。このゆっくりとした渦の中にいつしか私たちの意識は呑み込まれ、はじまりを見失い、それと同時におわりも見失い、いつしか惰性の中でもやもやとした動きの中に吸い取られてしまう。そこにささやかではあるけれど、小さなくさびを打ち込む作業。それが文章を書くという行為だ。文章を書くことによって、もやもやとした煙に覆われていた日常に少しだけ「晴れ間」がのぞく。空間が広がる。そこに手足を大の字に伸ばして寝ころんでみる。いつもとはすこしだけちがった風景が目の前に広がる。床が散らかっていた時にはそこに横たわってぼんやりと天井をみつめることすら忘れていた。でも、いまひさしぶりに天井の板のしみをみつめ、それがピエロの顔に見えた幼い頃の日々を思い出す。なんだか小学生の頃、急な風邪で一日寝込み、天井板の模様をさまざまなものに思い描いていた頃の記憶がよみがえる。今日の授業のノートと給食のコッペパンとマーガリンを夕方届けてくれた半ズボン姿の馬場君のことを思い出す。漫画が上手で、お父さんが運送屋のトラック運転手をしていて、その運送屋の駐車場の脇のプレハブの家に三人家族で住んでいた馬場君。算数が極端に苦手で「学校帰りに突然雨が降り出しました。Aくんはあわてて家まで10分走って帰りました。Bくんは走らずゆっくりと10分歩いて家に帰りました。さてどっちがぐっしょり濡れたでしょう」というなぞなぞの答えが「どっちも同じ」だったことにどうしても納得がいかず、私がどれほど説明しても、「いや、走っている人間と歩いている人間が同じだけ濡れるはずはない」といって、けっして納得しなかった馬場君。その鼻筋の通った端正な顔立ちを思い出す。たとえばそれが文章を書くということです。それは頭の中の片づけ作業であり、それによって空いたスペースでひととき遊ぶ作業であり、そこにある遠い日の思い出に浸ってしばし時を忘れる作業です。それはけっして生産性の高い作業とはいえません。しかし、それは生産性とは遠く隔たった地点で、われわれのこころをそっと包み、やさしく癒してくれるひとときの安らぎの場所なのです。だから今日も頭の中のもやもやを半透明のビニール袋に詰め、さきっぽをきゅっとまるめて口を結び、ぽいっとそれを投げ捨てる。それで何かがはじまるわけでも、何かがおわるわけでもない。でもそれは、わたしの耳元で「はじまりのおわり」を、あるいは「おわりのはじまり」をそっと囁きながら、きらめく電子の銀河の流れに乗って、遠い世界の果てへと旅立っていく。広大な宇宙の軌道をはてしなく回り続ける小さな星のかけらのように。
2006.01.31
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しかし、すごいことばである、「光の孤独」ということばは。人間の知性が到達しうる極北の海に浮かぶ流氷を思わせる表現である。今日は他のことを書くつもりでいたのだが、内田先生のブログでレヴィナス老師(先生の呼称に従う)のこのことばを目にした瞬間から他のことが考えられなくなってしまった。詳しくは内田樹先生の本日付の日記をご覧いただきたいが(http://blog.tatsuru.com/archives/001527.php)、稚拙な要約を行えば次のようになる。自己の同一性を疑うことなく、人類の過去も未来も自らの理性によって掌握可能ととらえる傲慢な理性のあり方は、「未知なるもの」を構造的に排除する仕組みをもっている。過去も未来も人間の理性の強力な光で照らし出すことによって、その姿を、その意味を人間は把握することができる。そして、その光の魔術によって自らの存在を救いようのない「孤独」な状態におくこと、それが「光の孤独」である。ここから先は正直、要約することがためらわれるが、自分の理解可能な範囲内でリライトすると、次のようになる。未知とは要するに暗闇の中に存在する「なにか」である。それは人間をおびやかし、不安に陥れる。その恐怖を克服するための唯一の方法はその「なにか」に光を照射することだ。暗闇の中に息をひそめてうずくまる「もの」に、照度の高い光線を当てる。そうすることでそのものの姿は明らかになり、それに抱いていた無用なおそれも消える。たとえその対象物がまったく未見のものであったとしても、それがひとたび「われわれの光」の照らしだす領域に入ってきさえすれば、それは了解可能な光の世界に属するものとなり、われわれはそれを「既知のもの」として編入することができる。このように世界を光で照らし出すことによってもたらされるもの、それが「光の孤独」である。ここには啓蒙主義(enlightenment)に対するもっとも根底的な批判がある。啓蒙主義者に特有のあの節度に欠けたおしつけがましさが何に由来するものかということを、これほど簡潔に、かつ残酷なまでに正確に示した評語に私ははじめて出会ったように思う。しかし、光をネガティブな喩えに用いるという発想はいったいどこから来るのだろう。理性の傲岸さを光に喩え、光で照らし出された空間を近代人の「孤独」に見立てる精神は、ほとんど詩人の想像力の領域に近づいている。暗黒の中でスポットライトを浴びる一人の人間。その姿が示すものは、光の明るさというよりも、むしろその背後にある漆黒の闇の深さである。あかあかと光に照らし出されることによって、彼はそれまで手にしていた闇のもつ混沌の豊穣を見失い、黒い衣を剥ぎとられ、無惨な裸体を晒し出す。よわよわしく体を震わせながらも、彼はなんとか自分を照らし出す光をたどり、その光源を探り当てる。そして、その光の発生原理を突きとめ、ついには自ら小さな光を作り出すことに成功する。その小さなランプを手に持ち、彼はおずおずと自分の周囲を照らし出す。少し気分が落ち着いてくる。ランプに技術的改良を重ねることにより徐々にその光は力強さを増していく。それはより遠くまで、より明瞭に世界を照らし出せるようになる。その光に目が慣れてくると、彼にとっては光そのものが日常であり、常態であると感じられるようになる。光に慣れた彼の眼にはグラデーションを失ったのっぺりとした闇の世界こそが非日常であり、おぞましいものに映るのだ。かくして果てしのない「啓蒙主義(enlightenment)」の時代が始まる。彼の行く手は常に光に包まれ、理性の輝きに照らし出される。しかし、その光のとどまることを知らない拡張の結果、彼の手に入れた世界の拡大は、あくまでも彼の視点がとらえたものにすぎない。視点を外部に設定し、その視点を彼から遠ざけてみると、彼が依然としてすっぽりと闇に包まれているという事実には何の変わりもない。その光に照射されている部分は、その背後にある圧倒的な闇の質量に比べると取るに足りないほどの微々たるものでしかないのだ。その闇は外部にだけ存在しているのではない。彼の内面にも意識という光の届かない広大な闇が深々と広がっている。底なしの井戸の果てしない遠い暗がりのように、一人ひとりの心の中にも闇の巨大な堆積がある。外部に広がる闇と内部に潜む闇の間で、彼の「自己」はほとんど人間の表皮ほどの厚さしか確保することができない。薄っぺらな光の膜がそこに存在しているだけである。これを孤独といわずしてなんと呼ぼう。光に閉ざされて絶望的な孤独の中にある人間。しかし、彼はその孤独すら感じとることができない。光源は彼の手の中にある。それは闇を光に変える魔法の装置なのだ。そして、彼は自分自身の顔にその光を当てる。しかし、そこに浮かび上がるのは理性に養分を吸い尽くされた亡者の顔、亡霊の面である。そして、その向こうには果てしのない闇が浮かび上がる。光の孤独の中に幽閉されながら、自らを闇からの解放者だと信じ込み、高らかに勝利を宣言する人間。彼はまばゆい光の中で、闇の中に存在する他者を見失い、他者を見失うことによって自らの他者性を見失い、その結果、他者によって規定される自己存在さえ見失う。しかし、その光を吹き消し、再び原始の暗黒の中に自らを閉ざすことはもはやできない。光を失った闇は、もう闇ですらないからだ。もしも人間にできることがあるとすれば、それはやはり手許にあるささやかな光で世界を照らし出すことでしかない。でも、その光には自ずからなる限界がある。人間にできることはその限界を慎重に見極めること、そしてその光と闇の境界に真実の存在を認めようとすること、光と闇は互いにもう一方の存在を補完し合う相互関係を形成していることを認識すること。わずかにそれだけだ。しかし、事態はけっして絶望的ではない。「光の孤独」というような霊感に満ちた詩的考想を作り出す力が、われわれの(残念ながら私のではないが)理性にはたしかに宿っているのだから。
2006.01.30
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このところ、自らの欲望の命ずるままに行動し、それが結果的に法的規範を越えてしまったという事件報道が多いようである。これに対して世の識者は、「これは個の欲望の肥大化を止めることができない『欲望自然主義』の暴走である。これを防ぐには一刻も早く『公』の意識を取り戻し、内面的倫理の確立をいそがねばならない。そのためにはまず教育のあり方をみなおすべきである」というようなことを声高に唱えられるのかもしれない。でもちょっと待ってほしい。欲望が肥大化しているのは事実だとしても、それを外部からの働きかけによって押さえることができるものかどうか、私はそれに対してかなり懐疑的である。そもそも「欲望」というものをどうとらえるべきか。これが問題だ。いったい、ヒトという生き物は、欲望を解放することが得意なのか、それとも欲望を抑制することが得意なのか。どちらだろうか。もっとも原初的な欲望とは「本能」の指令だろう。自然の与えた欲望に従順に従っていれば、自然のサイクルの中で自らの生存基盤を保つことは可能だ。多くの生物はその本能に従って、自らの生存基盤を確保しようとする。しかし、ただひとつ、ヒトだけはその方法を選択しなかった。本能の世界に安住することを選んだのであれば、今日の人類は存在しなかったはずである。自然の欲望に従順に従うことを拒否することから、人間の人間らしい生き方が始まった。だから、二者択一するとすれば、人間はそもそも「欲望を抑制する能力にたけた生き物だった」ということになる。しかし、ヒトというものは一筋縄ではいかない生き物である。彼は曲がりくねった生存戦力を選択する。彼は本能の命じる欲望を抑制することをばねにして、自らの内なる欲望をさらに膨脹させる戦略を選んだ。考えてみれば、誰も抑制しない欲望がどこまで行くかと考えてみれば、そんなものはたかがしれている。誰も止めることがなければ、「もうこのへんでやめとこ、いいかげんあきたし」ということになって、欲望はそれほど昂進するものではない。しかし、「押さえなきゃならない」という意識が一方にあれば、「わかっちゃいるけどやめられない」という意識が働き、欲望はストッパーをはずされてどこまでも昂進することになる。たとえばおいしいラーメンを一杯食べる。「う~ん、一杯では我慢できない。もう一杯食べちゃおう」というのは、まあ自然な欲望の発露といえる。でもこれを20杯も30杯も食べ続けることは不可能だ。そのラーメンの値段を500円としよう。まあ、よほど腹が減っていたとしても、この欲望はせいぜい二千円から三千円レベルで止まるはずである。しかし、これが金銭欲という形をとると話は別である。いま手許にある一億円を二億に増やすためにはどうすればよいか、というような欲望の形は十分に可能である。でも一体、一億の金銭的価値とはそもそも具体的にどのようなものか。さらにそれを倍増するという欲望が具体的に何を意味するのか、これはおそらく誰にもイメージすることができないはずである。しかし、金銭という抽象的な価値尺度を導入することによって、人間の欲望はどこまでも増殖可能になった。食欲という具体的な尺度を喪失することによって、人間の欲望を止めるストッパーははずれてしまったのである。目の前の一杯のラーメンを食べる欲望を抑え、その500円を貯金しよう。そして、その貯金を毎日続けよう。そのような形で具体的な欲望を制御することで、人間の欲望は抽象化することとなり、それと同時に具体的欲望に自ずから備わっていたストッパーが外れる結果になってしまったのだ。人間の文明は、このようにして、その欲望をひたすら肥大化、昂進する方向に進歩を続けてきた。そして、多くの人々はその欲望の昂進にブレーキをかける必要があるにもかかわらず、そのブレーキが機能しない状態に陥っている。だから、教育によってそのブレーキを人間一人ひとりの内面に装備する必要があるのだと多くのヒトは考える。でも、この考え方はおそらく不毛である。人間の文明はひたすらその欲望を昂進する方向に働いており、その駆動力によってこれまで「進歩」を達成し、その成果をわれわれは享受してきた。アクセルの技術的進歩は日進月歩とどまることを知らないレベルまで向上しており、それがもたらす甘い蜜をわれわれは味わい続けてきたわけである。しかるに、そのアクセルを制御するブレーキの技術はどうなっているか。これは昔とまったく変わらない。内面的倫理、良心の命ずるところに従い、社会秩序を尊重する。これではスポーツカーのアクセルに自転車のゴムのブレーキを装着したようなものである。200キロのスポーツカーの疾走を自転車のハンドルのゴム式ブレーキで制御することなど、どれほど握力の強い人間が試みてもむだというものである。欲望というアクセルを内面的倫理というブレーキで制御するという発想自体がすでに破綻していることに気づかなければならない。一定のスピードを越えた運動体ではブレーキは役に立たない。航空機にもジェット戦闘機にも宇宙ロケットにもブレーキなどついてはいない。ではどうやってその動きを制御するのか。それは逆方向に作動するアクセルをもうひとつつけるしかない。いわゆる「逆噴射」というやつである。現在の欲望の暴走をくい止める手段がもしあるとすれば、それはおそらく「逆噴射」のアクセルを人間の内面に装着するしかないのではないか。そう私は考える。人間は欲望を肥大化させ、それを昂進させることに快感を得る生き物である。このことには疑いをはさむ余地がない。なによりも現在の社会情勢がそのことの正しさを雄弁に物語っている。それが法律的規範をもやすやすと乗り越え、そのことが社会問題化しているとすれば、解決策はひとつしか考えられない。それはその欲望を制御することを新たな快感と感じる装置を人間の内面に装着することである。ぐったりと疲れて電車の座席に座ったとする。たまたま目の前の乗客が前の駅で降り、そこに座ることができた。「やれやれ」と思って、疲労困憊したサラリーマンはその席に座る。この時点で脳から快楽物質が微量ではあるが分泌される。すると次の駅で杖をついた80過ぎのおばあさんが足を引きずりながら、目の前に立つ。一瞬躊躇したものの「あっ、どうぞ」といって、席を立ち、おばあさんに譲る。このまま自分の降りる駅まで座って居眠りしたいという欲望を抑え、席を譲る。一見するとこれは快楽昂進に逆らう行為のように見える。でも、その時、彼の脳からは新たな別種の快楽物質が分泌されはじめる。「いま、俺は座り続けたいという自らの欲望に打ち勝ち、高齢者に席を譲った。譲られた人間からは手厚い感謝の意が表明され、周囲の空気も俺に好意的だ。あのまま席に座り続けて、降車駅まで居眠りしつづける快感と、席を譲ることによって得られる快感を比較考量すると、これは明らかに後者のほうが上である。」こう考えたとしても不思議ではない。つまり、欲望の暴走を止めるためには、欲望を止めることを快感と感じる装置を内面に装着することが必要なのである。そして、その装置は実は人間の歴史のはるか以前から発明され、今日まで維持されてきている。それは「マナー」である。自分の欲望を抑え、他者に配慮する。自らの欲望を抑制し、他者の意向を優先することによって、実は自己の欲望を昂進させるよりもはるかに大きな「快楽」を得ることができる。その経験の根を幼少時から植え付ける装置、それこそが「マナー」なのである。それは欲望の抑制を教えるのではない。欲望の抑制がより大きな快楽につながることを教える手段なのである。だから、今日多くの人々が自らの欲望に駆り立てられ、法の規範をも乗り越えた行動を行うのは、実は快楽装置の未熟さに起因しているのである。「自分一人がきもちよくなってそれで満足しているようじゃまだまだ。そのきもちよさを他人に譲り渡してごらんなさい。もう信じられないような快感があなたの全身を貫くことになりますよ。あの快感を経験することもしないで、自慰行為にふけっているようじゃ、まだまだ大人とはいえませんな。もう一歩先にほんとうの快楽はあるのですよ」といって、より強力な快楽の道へと導くことが、今日の憂慮すべき状況を変えるきっかけとなるのではなかろうか。少なくとも教育基本法を変えるなどという見当違いな方法よりは、よほどまともで、より実効性を伴う提言だと思うのですが、いかがでしょうか。
2006.01.28
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今年はモーツァルト生誕250年である。そういえば、クラシック音楽を聴くようになったのは、モーツァルト没後200年、1991年のことだった。月日の経つのは早いものである。その頃、CDプレイヤーを購入した。レコードで音楽を聴くことを断念し、大量にレコードを処分した後、さて何を聴こうかと考えた。学生時代のようにビルボードのチャートを追っかけて新譜を聴きあさったり、FMのエアチェックをして何百本も自作テープを作ったり、秋葉原や神田の中古レコード屋を渉猟したりということはなくなった。いまさらポップスを聴くのも気が進まないし、いっそこれまで未開拓だったジャズかクラシックを聴いてみようかと思った。ちょうどその年がモーツァルト没後200年にあたり、さまざまな企画物がレコード屋の店頭に並んでいた。しかし、さて何を聴こうかと思うと、これがなかなかむずかしい。情報が決定的に不足しており、勘の働かせようもないので、とりあえず旧東ドイツの音源による一枚千円のCDを適当に二枚選ぶことにした。初学者の悲しさで一枚は「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」、もう一枚は吉田秀和氏の著作を読んで一度聴いてみたかった「クラリネット五重奏曲」。アーチストは無名である。「アイネ・クライネ」は素人にも演奏はもうひとつに思えたが(合奏の精度があまりよくない)、しかしこの曲はじっくりと聴いてみると、奥行きのある素晴らしい音楽なのである。例の出だしは俗塵にまみれるだけまみれており、さすがに清新な気持ちで聴くのはむずかしいが(頭の中をキャットフードやらなにやらさまざまな商品が飛び交ってしまう)、第二楽章はすばらしい。題名は忘れたが、アメリカの映画で潜水艦の艦長が第二楽章の冒頭、チェロが深々と旋律を奏でるところをヘッドフォンをつけ瞑目して聴き入っているシーンがあったが、このシーンにはこの曲しかないというくらいにぴたりとはまっていた。「アイネ」は愛らしい小品と呼ばれることが多いのだが、それはむしろ「小宇宙」といったほうがふさわしい。何かこの世ならぬ音の構築物が目の前にふわりと浮かんで漂っているような感触がある。曲調から初期の作品という印象を受けるが、これはケッヘル525番、彼の作品は620番台で終わっているはずだから、死の3~4年前に書かれた作品である。おそらく鼻歌でも歌いながら作ったのではないかと思うが、傷一つない完璧な球形を思わせる曲である。今、ブルーノ・ワルター、コロンビア交響楽団のCDを聴きながらこの文章を書いているが、ぼってりと低音を響かせた大仰で悠然とした(いささか軽やかさに欠けた)演奏ながら、この曲のいわば「宇宙性」は強く感じとれる。宇宙船の中で「えっと、音楽は何聴きます?」と聞かれたら、青い地球を眼下に眺めながら(宇宙に上下はないか)この曲をじっくりと味わってみたい気がする。なぜか涙があふれてとまらなくなりそうな気もする。なぜそうなるのかはよくわからないが、おそらくこの曲は(特に第二楽章は)あまりにも美しすぎるのである。そして二枚目のクラリネット五重奏曲。これを初めて聴いた時のことはよく覚えている。日曜のよく晴れた午前10時過ぎくらい。レースのカーテン越しに秋のあたたかい陽射しが部屋にいる私の足元まで届いていた。紅茶を手に持ち、CDプレイヤーの前に椅子をもってきて座り、プレイボタンを押す。そこから聞こえてくるのはバイオリン、ビオラ、チェロ、そしてクラリネットの親密な語り合いだった。くだけた談笑でもなく、議論や討論でもなく、とても親密な雰囲気の中で同型のテーマがそれぞれの口調で静かに語られ、ことばとことばの間に生まれる沈黙に皆で目を閉じて聴き入っているような、集中と静謐の同居した語らい、軽やかさと深さの共存がそこにはあった。それはきわめて明瞭な音の流れでありながら、その音やメロディそのものよりも、その背後にある沈黙の深さをより強く意識させるような、いやむしろその沈黙の中に人をそっと引き入れるような不思議な魅力をもっていた。集中して聴いているうちに、窓からの陽射しがなぜか少し金色を帯びはじめているように感じられてきた。なにか自分の体のまわりに金色の光線がただよっているような感じだった。そして、体の中、そうお腹の中がほんわりとあたたかくなってきた。足元まで射している太陽の光が、服とその下にある肌を突き抜けて、直接体内に入ってくるようなあたたかさだった。そして、体内にうっすらとした金色の光とあたたかな陽のぬくもりが満ちてくる。その幸福感を耳ではなく、頭でもなく、体内の感覚として味うことができた時、はじめて「モーツァルトが聞こえてきた」と感じた。音の背後に沈黙の深さを感じさせる音楽。人間の体の中に金色のあたたかな風を直接送り込むことのできる音楽。その後、何百枚ものCDが本棚には並べられ、積み重ねられたけれども、あの二枚のCDが与えてくれたような至福の時間を味わう経験は数えるほどしかなかった。今、ワルターの指揮する曲は「魔笛序曲」に変わった。冒頭部で幾層にも深い音の響きが重ねられ、その響きの中からまるで今生まれてきたばかりのみどりごのような軽やかな旋律がいきいきと出現してくる。沈黙、響き、生の躍動、喜び、それらすべてがこの曲の中に充満している。この曲が作られたのは1791年9月28日。同じ年の12月5日、彼はわれわれの住む世界とは別の宇宙へと旅立っていったのである。
2006.01.27
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いやー、疲れました。へろへろですね。今日で連続10日出勤。最終日の午後に90分授業2コマというのはかなりハードでした。8日目まではなんとかなります。これは大丈夫と思って、その日の夜運動したりして、9日目はむしろ元気。ぜんぜん大丈夫じゃないかと思っていると、最終日の10日目にどっときました。腰から下がずっぽりと泥に埋まっているような状態で、漁師がはいてる腰まであるゴム長みたいなズボンをつけて歩いているような感覚。しんどかった。ふつう授業の時には少々の疲れは忘れるものだし、むしろ体調が万全じゃないほうが、パフォーマンスはよかったりするんですが、ここまで疲れがたまると、ワニにお尻を噛まれたまま授業してるみたいでした。体が重くって。でも、なんとか終わったんで、ふたたびブログの世界に戻ります。 しかし、疲れというのは基本的に朝、来ますね。今日生ゴミの日で、疲れていたにも関わらず、生ゴミをすべてまとめ、右手に鞄、左手に生ゴミの半透明袋。いざ、出陣、というところまでは記憶が鮮明なんですが、会社のデスクに座って「えっと、生ゴミ捨てた記憶がないんだけど」とふと思いました。あの生ゴミはいったいどこにいったんだろう。1 自宅玄関前に放置してきた 2 新聞をとって新聞受けの中につっこんだ3 新聞をとるためにいったん下に置いてそのまま忘れた 4 鞄を生ゴミ置き場に置き、生ゴミをもって出勤した さあ、正解は何番でしょう。むかし、リゲインのCMで4のバージョンがありましたね。異様なリアリティがあったのを覚えています。おそらく正解は3だと思うんだけど、帰宅した今でも謎です。あの生ゴミはいま。ま、いいか。 そんな毎日を過ごしながら、電車でのひとときの楽しみは「レキシントンの幽霊」から「スプートニクの恋人」へ。「レキシントン」は最後の作品が「めくらやなぎと、眠る女」。これは短縮版だが、ロングバージョンはもうひとつ部分部分のバランスがとれていなかったので、短縮版が正解だと思います。ずっとよくなってます。「スプートニク」はまだ読み始めて50Pくらいだけど、とにかく比喩の炸裂。村上春樹的「ような」「みたいな」の連発ですね。でも比喩をコントロールする力はちゃんと働いていて、これからが愉しみです。その比喩の度に電車でにやにやしたくなるんだけど、幸い今はマスクをつけてるんで遠慮なくにやにやしてます。傍から見ると、けっこう無気味かもしれませんが。 えっと、何か書こうと思っていたんですが、さっきおいしい赤ワインしこたま飲んだんで忘れてしまいました。なんだったっけ。あ、そうだ。感謝のことばを書かなければと思ったんだ。昨日でこのブログも3000アクセスを越えました。実質二ヶ月くらいなので正直びっくりしています。最初はなんだかわからない楽天会員の人ばかりだったのですが、最近はそれ以外の方が多く、きっちり読んでいただいているのを肌身にひしひしと感じております。何人かの方からはあたたかいコメントをいただきました。ほんとに感謝しております。そのコメントをいただいた方も、「がんばれよ」だけではなく、「あんまり気張ると息切れするからぼちぼちやったほうがいいよ」というような慈愛溢れる内容が多く、酷寒の中ほんわかとあたたかいものがこころのなかにしみてきました。ほんとにありがたいことだと思っております。これまでの内容からあまり進歩はしないと思いますが、自分なりにやってみたいこともいくつかありますので、もしお時間が許せばまたこちらにお寄りいただければと思います。今日は中味がないですが、少し休養をとってまたぼちぼち書いていこうと思ってます。どうぞよろしくおねがいします。お風邪に気をつけて、また遊びにいらしてください。そういえば、明日はたしかモーツァルトの誕生日。彼の音楽のことでものんびり書ければいいなと思ってます。正体なくして1日ツエツエ蠅に刺されたみたいに眠りこけているかもしれませんが。「めくらやなぎと、眠るおっさん」か。さまになりませんね。ではおやすみなさい。これから「談志の遺言」を聞いて寝ることにします。
2006.01.26
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最近リスクということばをよく耳にする。主にマスコミ、ビジネス関係で用いられる頻度が高いようだ。この二つの世界そのものと同様、このことばにもなにやらうさんくささがまとわりついている。リスク・マネジメントを「危機管理」と訳す場合も多いようだが、この訳にもやや違和感を感じる。リスクと危機を等価のものとしてよいのかどうか、疑問が残る。危機とリスクには微妙だけれど、たしかな違いがある。そう私の語感は告げている。でもどう違うかというと、即答するのはなかなかむずかしい。危機は避けたほうがいいもの、リスクは最小限に押さえるべきもの。こういえばいいだろうか。危機は「きけん」ということである。「どくいりきけん たべたらしぬで」の「きけん」ですね。こういうものに出会ったら、背中を向けて脱兎のごとく逃げ去るのが唯一の正解。そういうものを「危機」というのではないか。これに対して「リスク」とは、原則的に完全には避けることのできないもの、だから、なんとか最小限に押さえ込むのが正解。そういうものを意味しているのではないか。おぼろげな記憶でいうと、リスクとは切り立った岩壁の間を船で航行するという原義をもつことばだったように思う。その岩壁をぬって無事航海できれば、その向こうには輝かしい成功が待っている。しかし、その成功を手に入れるためには岩壁の間をなんとかすり抜けなければならない。できたらその岩にぶつかることなく、もしぶつかったとしてもなんとか致命的なダメージを受けることなくやりすごしたい。そのための方策を講じるのが「リスク・マネジメント」である。要するに、大きなプラスを得るために最小限に押さえるべきマイナスポイント、これがリスクの定義ではないだろうか。それに対して、危機というのはできたらゼロにしたいもの、ゼロにしようと思えばそうすることが可能なものということになる。航海を例にとれば、そもそも航海さえしなければ岩に衝突することも、座礁することも、沈没することもないわけである。「君子危うきに近寄らず」。私は身の安全のために航海そのものを断念する。こうして回避されるのが「危機」ではないかと私は思う。いやあ、そんな甘いことをいっていては人生の果実を味わうことはできない。危ういものに近づかない限り成功は得られない。ただしそこでの損失は最小限にとどめたい。これが「リスク」派の考え方である。要するに、人生の「あやうさ」を「できたら避けたいもの」と考えるか、「避けられないから最小限にとどめるべきもの」と考えるかによって、人は「危機派」と「リスク派」に分かれるのではないか。私はどうだろう。どちらかといえば「危機派」かな。あぶないものを回避するという発想が基本にあるように思えるから。けっこう消極的でもあるし。でも、ビジネスで成功するのはやはり「リスク派」だろう。肉を切らして骨を断つという発想はおそらくこちらの側から出てくるものだろうから。最近「リスク」ということばがあちこちで聞こえてくるのも、やはり「リスク派」が今の社会の主流になりつつあることのあらわれなのだろう。でもあえて少数派の「危機派」の見解をここで述べさせてもらうことにする。臆病者には臆病者なりの理路があり、論理があるのだ。「臆病者にも三分の理」である。たとえば尼崎の脱線事故、あるいは羽越線の脱線事故。大々的に報じられたあのニュースを知らない方はいないと思う。いずれの事故でも多数の死傷者が出た。その死傷者はいったい何両目に乗っていたか。それも大部分の方がご存じのはずである。そう、一両目、ないしは二両目である。そうですよね。先頭車両と二番目の車両の死亡率はそれ以外の車両に比べて高い。これは明らかだ。おそらくは喫煙と肺ガンの発生率よりも因果関係は明瞭であると思う。でも今日乗った電車の中で先頭車両と二番目の車両は、それ以外の車両と比べてはたして空いていただろうか。私の見るところではそんなことはない。階段に近いせいか、むしろ他の車両よりも混んでいたように思う。あまつさえ埼京線では先頭車両は女性専用車である。万一脱線事故が起これば、その被害者の大半は婦女子ということになる。これは女性に不当な危険を強いることであり、女性専用列車は最後尾に配置するべきである、という意見を私は寡聞にして知らない。はたしてこれでいいのであろうか。「いいのよ、私は。快適な通勤環境を選択する代償としてその程度のリスクは甘んじて受けるわよ」というのならば、ぜんぜんおっけーである。たくましい「リスク派」の言やよし、というところだ。あまり誰も口にしたのを聞いたことがないが、おそらくスカートの丈とそれを着用している女性が性犯罪にあう確率の間には一定の因果関係が認められると思う。「いいのよ、着たいものを着る自由の代償としてそのくらいのリスクは受けるわよ」というのであれば私が何も申し上げる筋合いはない。だけどはっきりいって、「リスク」の思想は加害者の思想であり、「危機」の思想は被害者の思想だという気がしてならない。リスク・マネジメントという怪しげなことばもまず間違いなくメーカーや企業の側から発せられる。そして一般の人々ももっと「リスク」に対する意識を高める必要があると喧伝される。でも、ちょっと待ってほしい。そんな危険をおかしてまで利益を得なくていい、わたしゃ身の安全を第一に考えたいのよ、という人がいてもけっしておかしくはない。リスクなんかおかさずにわたしゃあぶないところからはすたこらさっさ(古いな)と逃げるのよ、という人がいてもいい。むしろそのほうが自然だ。先頭車両を避け、危険な人物のそばを離れ、危険を伴う利益から遠ざかり、小さくて安全な幸せを身の回りにひとつずつ積み重ねていく。そういう生き方があってもいいのではないかと私は思う。そんな考え方は甘い。危機をコントロールしようとする主体的な生き方こそが人の進むべき道であるという反論が返ってくるかもしれない。でも私はこう答えたい。そもそもコントロールできるものであるならば、そんなものは「危機」とはいわないのである。コントロール不可能なもの。突然人間に襲いかかり、有無をいわせずその存在を消し去ってしまうもの、それを危機というとすれば、われわれがそれに対処する方法はただひとつ、うしろを向いて全速力で必死に逃げることしかないのである。逃げのびよ、さらば救われん。うーん、弱々しくて、日めくりカレンダーの標語としてはやや力不足の感は否めないが。
2006.01.24
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短編集『レキシントンの幽霊』のちびちび読書感想文の続きである。この短編集は表題作と「七番目の男」だけが『ねじまき鳥クロニクル』の後に書かれ、それ以外の作品は『ダンス・ダンス・ダンス』『TVピープル』の後に書かれており、両者の間には約五年間のブランクがあると「あとがき」に述べられている。このブランクの間に「ねじまき鳥」と「国境の南、太陽の西」という二長編が書かれたわけである。前回書いた「トニー滝谷」まででもこの短編集の中味は十分すぎるほど濃い。その次に来るのが今回の「七番目の男」である。タイトルからいっても分量的にもこれは小粋な小品ではないかという予測のもとに読み始めたのだが、どうしてどうして、これは野心満々たる作品である。小柄ではあるが、巨大な野望の持ち主というところだろうか。そういう意味で彼の短篇の中でもやや異色な部類に入るかもしれない。 同年に書かれた「レキシントンの幽霊」は淡々とした描写の積み重ねの末に「ここ」という決めどころが現れ、その部分に読み手の関心が集中するように書かれている。ある意味では余裕綽々というか、落ち着き払ってというか、ポイントを一点に絞って、後は流すというのではないけれど、無用な力みを極力排除して書かれた、大家の筆になる佳品である。だが「七番目の男」はそうではない。ぐいぐいと力強い叙述で引っぱっていくスタイルがここではとられている。といってもこの作品にはいわゆる「地の文」はほとんど存在しない。これは一人の男が自らの経験を口頭で述べる「語り」のスタイルで書かれた作品である。出だしはいかにも小品らしく淡々と始まる。一人の男が小学生の頃に出会った台風について話し始める。記録的な台風が海岸沿いの彼の町を襲い、激しい暴風雨の後に一瞬静寂が訪れる。台風の目の中にすっぽりと入ってしまったのだ。彼はその静寂の中を友達を誘って海岸に散歩に出かけ、そこで巨大な高波に会い、友人がその波にさらわれるという話である。私はこの作品のポイントは、この高波が友人をさらうシーンの叙述そのものにあると思った。巨大な高波が子供をさらっていくその情景をことばによる表現でどれだけありありと視覚化できるか、そこにこの作品の眼目があると思った。ある意味ではその情景を描くために書かれた映像的、映画的な作品ではないかと考えたのである。たしかにそう思わせるほど、その部分の描写はすばらしい。ふだんとなにひとつ変わることのない波が、地鳴りのような予兆の響きの後に、三階建てのビルの高さから鎌首をもたげた蛇のように子供の頭上に襲いかかってくる場面の描写は圧倒的である。そして「私」の友人をやすやすと呑み込んだ波が、第二波として再び防波堤に立つ「私」の前に現れる。ほとんど目の前にまで迫ったその波の先端にはさきほどさらわれた友人がまるで透明なカプセルに包まれたような状態で存在しているのが見える。彼はまるで顔全体が裂けてしまうのではないかというほどの無気味な笑顔で、「私」をむこうの世界に連れ去ろうとする。この部分の描写は圧巻である。この描写のためにこそこの作品は書かれたんだな、私はそう思ったのである。しかし、どうもそうではないようなのだ。これがこの作品のクライマックスであるとすると、この後の叙述が少し長すぎるのである。「私」はその後、その海岸の町を逃げるように去り、それ以降その情景のもたらす悪夢にうなされつづける。そしてほとんど40年が経過したある日、「私」は偶然に導かれるようにしてその地を再訪する。そこでの経験を通して、彼はついにその悪夢と訣別し、悪夢から解放されることになる。そういう話である。この作品をもうすぐ読み終わろうとするその時になって、私はようやくあることに気づいた。これは単に映像的な効果を狙って書かれた作品ではない。たしかにあの高波の描写はこの作品の頂点ではある。しかし、この作品はあの波を描くためだけに書かれたのではない。むしろ、この作品全体がひとつの「波」を形成しているのだということにである。この作品はさりげない書き出しから始まる。一人の男がひっそりと物語り始める。それは穏やかな水面がかすかにうねり始め、ゆっくりと水位が上昇する様を思わせる。やがてそのうねりは少しずつ水位を上げていき、ゆっくりと勢いを増しはじめる。そして、徐々に波は高まりを見せ、ついに高波が二人を襲う部分で頂点に達する。その後、その波の記憶に呪縛され、心が閉ざされるという形で再び水位は下がり始める。その下降するカーブが半ばを過ぎた頃、私はあるきっかけをつかみ、その悪夢から徐々に解放されていく。そして、私の精神はゆっくりと平静さを取り戻し、最後の一行に至って、ついに水面はもとの「凪(なぎ)」の状態をとりもどす。つまりこの作品においては、冒頭部からクライマックス、そして終結部に至るまでの展開がひとつの大きな波の成長、発展、頂点、終焉のプロセスを描き出しており、その頂点に当たる部分が巨大な波の描写だったというわけである。この作品構造そのものから、ある決定的な経験はある日突然何の前触れもなく起こり、否応もなくその人間を奪い去る。しかし、真の恐怖はその経験そのものではなく、むしろその経験そのものから目をそらしつづけることのなかにあることが明らかにされる。決定的な経験はその人間の存在そのものを別の世界に運び去ってしまうかもしれない。しかし、人間はそのことによって決定的に損なわれるわけではない。むしろその経験をもとの「凪」の状態に戻すこと、そのことにこそ重要な意味がある。そういうメッセージを作品自体と、作品の展開の示す波形の構造から二重に表現することが作者の狙いだったのではないか。少し勝手な深読みがすぎるような気もしないではないが、私はそう思ったのである。どうしてもその思いから離れられなくなったので、一応その所見をここに書き留めておくのである。
2006.01.23
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日曜出勤。夜の9時までのお勤めなので、朝の10時過ぎにとけかけたかき氷状の道路をがしがしと踏みしだきながら駅へ向かう。陽の当たるところでは、道路の中央部はすでに乾き、道ばたにみぞれが残っている状態である。両側に頭髪を残した禿げおやじの頭頂部を歩いている感じだ。陽射しの中にはわずかにぬくもりが感じられるが、日陰はまるで冷凍室である。さて、今日のお話しを。えーと、書くべきことはとくにないですね、はい、おわり。という状態がいつ訪れるのかと不安半分、期待半分でブログを書いているのだが、何とかなるものですね、文章を書くことに関しては。もちろん内容は問わないという前提をつけての話ですが。才能ある文筆家の本を読んでいて、よくもこういろいろなことが頭に浮かぶものだと思うことがあるが、実は書く側に回ってみると、この謎は案外簡単に解けるものである。なぜこんなに多様なことが書けるのかという感想は、おそらく文章を書くという行為を「消費」の側面から見ているのだと思う。まず頭の中に発想があり、その発想を文章化することで消費していく。あんなにどんどん発想を使っていて、よくネタが尽きないな、というのが素朴な読み手の感想となるのだろう。しかし、書き手の側から見ると、事情はそれとは異なる。彼は消費しているのではなく、生産しているのだ。「使っている」のではなく、「作っている」のだ。たとえば典型的なマンションの間取りを考えてみよう。リビングルームと台所の間が遮蔽されていない、オープンキッチンというんだったか、あるいは対面式キッチンだったか、とにかく流し台の前にいる人とリビングにいる人が握手できるような部屋を想像してみる。そして、二つの部屋の間をつなぐ空間を徐々に狭くしていき、ついにはパチンコ屋の景品交換所の窓くらいにまで狭めたとする。そして、毎日の料理をそこから出すことにする。リビングから見ると、窓の向こうはほとんどブラックボックス状態である。そうすると、これはほとんど毎日がマジックショーという感じになるだろう。台所で何が行われているのかはわからない。一定の時間になると、窓がぱかっと開いて、そこからいろんな料理が出てくる。麻婆豆腐、シチュー、焼き魚、おしんこ、みそ汁、丼もの、お刺身、煮物、デザートなどなど。「いったいどうなってるんだろう」。食べる側にいる者はそう思うはずだ。さぞや世界中の料理の素材が何十種類、何百種類も窓の向こうに貯蔵されているのだろう、そう考えたとしても不思議ではない。でも、実はそうではないのである。台所では料理が作られているだけなのだ。毎日毎日、基本的な素材をもとに様々な調理が行われ、違う料理が作られる。そして、多様なメニューが目の前に並ぶ。料理というのは食べる側から見ると消費物であるが、調理する側から見ると生産物なのである。消費者は「よくもまあこんなに違うものが毎日毎日でてくることか」と思うが、生産者は「毎日毎日違うもんつくってんだから、それは当然」と思う。文章でも同じことで、基本的な素材はある一定の枠内に限られているが、調理法を変えれば毎日違うものが書ける。ただそれだけのことなのである。こういうことは「書く」側に回ってみるとよくわかる。ただ、ここで心に留めておくべきなのは、同じ一つのものでありながら、それを「消費」と「生産」という両方の側面からとらえることができるということである。大工さんは家を作るが、その過程で沢山の釘や木材を消費する。料理人は料理を作るが、同時に沢山の食材の消費者でもある。消費者、生産者というのは何か固定された別々の人たちのように思われがちだが、実は両者は分離不可分の一体のものなのである。「何かを使って、別の何かを作る」過程において、人が消費者であると同時に生産者であるのは当たり前のことなのだ。しかし、この当たり前のことが現代社会ではしばしば見失われがちである。商品経済のサイクルは、まず消費活動を活発に行うことでスイッチが入る。ものを消費するとなくなってしまう、ないものは買わねばならない、買うためには新たなものを作る必要がある。そこでものを作る、それを売る人が生まれる、そしてそれを買う人がいる。彼はそれを消費する、消費するとなくなる(以下同文)のサイクルをぐるぐる回していくことで、経済の歯車が回転する。この回転をスムーズなものにするには、消費の力を強めるのがいちばんだ。そして、そのためには、社会の大多数の人間をあらかじめ「消費する人」として特化しておくと安心だ。そういう過程を経て、「消費者優先」「消費者第一」「消費者尊重」ということばが生まれてくる。でも、ちょっと考えてほしい。「消費」というのは要するに使い尽くすということである。それはけっこう疲れることだし、空しさもともなう。その疲れが癒され、空しさが解消されるのは、その消費の向こうに「生産」がある場合に限られるのではなかろうか。高いコートを買い、スーツを買って、それが喜びに変わるのは、その服を着ることで自分の新たな生活様式が「作れる」からではないだろうか。これに対してある男が念願のベンツを購入したとする。「これで俺もベンツの所有者だ」「やっとベンツのオーナーになれた」。たしかにこれもよろこびには違いない。しかし、これは「所有している」という静止した状態に対する満足感であり、「作る」という動的過程を伴うものではない。その喜びは購入時に早くも頂点に達し、後は徐々に減衰していくだけである。その喜びの底は浅い。しかし、商品経済社会が求めているのは、まさにこういう「底の浅い」喜びを次々と追い求める消費者なのである。彼は新たな喜びを求めて、次々と消費活動に走り、その結果、経済のサイクルは一目盛ずつ動いていく。彼は回転する車の中を走り続ける鼠なのだ。人間の根源的な喜びはやはり「作る」ところから生まれるのではないか。私はそう思う。「買う」こと、「使い尽くす」ことに喜びが伴うのは、それが「作る」ことに奉仕している場合に限られるのではないか。もう一度話を文章に戻そう。本を買って読む。これも一つの消費活動である。本を読むこと自体に特別に大きな意味があるとは私は思わない。だから、全然本を読まない人には「本ってけっこう面白いよ」というし、本ばかり読んでる人には「たまには他のこともやってみれば」という。本を読むことが単なる消費に終わっている状態では、少なくとも私自身はそこからほんとうの喜びを得ることはできない。やはりそこで得たものを手がかりとして、自分なりの物語を「作って」いくところに読書の真のよろこびもあるように思う。そして、そのよろこびを確認するために、たまには「書く」側に、つまり文章の生産者の側に回ってみるのも悪くないですよ。というようなことを思いながら、今日もまたできそこないの料理が一品できあがったというわけである。
2006.01.22
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昔、フォークソング・ブームというものがあった。60年代の後半から70年代にかけてだったろうか。私の世代は微妙にそのブームには乗り損ねており、泉谷しげるの「春夏秋冬」を聞いたのが中学一年生の頃だったと記憶しているから、そのブームが既に下火になりかけた頃ようやくメッセージソングの意味が理解できる年齢に達したことになる。そんな中学生の頭の中にも「岡林信康」という名前は既に伝説上の人物として記憶されていた。しかしその唄を実際に耳にする機会は少なかった。その当時の地方の中学生にとって、レコードはあまりにも高価であり、ラジオから彼の曲が流れることはめったになかったからである。ある日、民放のラジオ番組で彼の特集が組まれることになった。私はずっしりと重いソニーのオープンリールの録音機を取り出し、スタンドマイクをラジオのスピーカの前に置いて録音することにした。まだカセットテープも一般的ではない、「今は昔」の時代のことである。特集とはいいながら、彼の曲は結局3曲しかかからなかった。しかし3曲で十分だった。私はラジオのスピーカーから、こういうことばが、こういう音が聞こえてくるとは思ってもいなかった。その驚きを再現することはできないが、せめて曲名とその歌詞だけでもここに書き留めておくことにしよう。一曲目は「チューリップのアップリケ」だった。うちがなんぼはよ おきてもお父ちゃんはもう くつトントンたたいてはるあんまりうちのこと かもてくれはらへんうちのお母ちゃん どこへ行ってしもたのんうちの服を はよう持って来てんかまえは学校へ そっと会いに来てくれたのにもうおじいちゃんが 死んださかいにだれもお母ちゃん 怒らはらへんではよう持って来てんかスカートがほしいさかいにチューリップのアップリケついたスカート持って来てお父ちゃんも時々 こうてくれはるけどうちやっぱり お母ちゃんにこうてほしいうちやっぱり お母ちゃんにこうてほしいうちのお父ちゃん 暗いうちからおそうまで毎日くつを トントンたたいてはるあんな一生懸命 働いてはるのになんでうちの家 いつも金がないんやろみんな貧乏が みんな貧乏が悪いんやそやでお母ちゃん 家を出ていかはったおじいちゃんに お金のことでいつも大きな声で 怒られはったもんみんな貧乏のせいやお母ちゃん ちっとも悪うないチューリップのアップリケついたスカート持って来てお父ちゃんも時々 こうてくれはるけどうちやっぱり お母ちゃんにこうてほしいうちやっぱり お母ちゃんにこうてほしい彼の歌声はやさしく、せつなく、しかし強かった。ことばの隅々まではっきりと明瞭に聞き取ることのできる、よく通る声だった。歌詞だけを見ると、悲惨で暗い唄を想像されるかもしれない。たしかにそういう部分もあるが、でもそれだけではない。何か細いけれども強靱な針金がその中を通っているような、不思議な力強さがその歌声にはこめられていた。彼の曲を聴く者は、それが喚起する具体的な情景を頭の中に少しずつ思い浮かべながら、その唄の中心にあるテーマを手探りでつかみだそうとする。それは時代や世代などの特殊性を越えた普遍的な哀しみをたたえながら、少しずつ少しずつ具体的な形をとりはじめる。そして、唄の後半になり、曲のうねりが最高潮に達する時、その曲の核心にあることばが彼自身の声によって明瞭この上ない形ではっきりと口にされる。この唄における「びんぼー」ということばはそういうプロセスを経て、聴く者の耳に限りなく印象的に響き渡るのである。この曲をはじめて聴いた時、社会的貧困を糾弾するというメッセージよりも、神話やおとぎ話の世界の中にある普遍的な哀しみとでもいうべきものが私の心の中にしみわたった。彼の曲にはなにかそういう「神話性」のようなものがまとわりついていたように思う。だから一度聞くとそのことばと歌声は頭の中から容易なことでは立ち去らなくなるのである。そして2曲目は「手紙」。これはその当時、すでに放送禁止歌だったのではなかろうか。なぜその時にこの曲がかかったのかはわからない。私の好きな みつるさんがおじいさんから お店をもらい二人いっしょに 暮らすんだとうれしそうに 話してたけど私といっしょに なるのだったらお店をゆずらないと 言われたのお店をゆずらないと 言われたの私は彼の 幸せのため身を引こうと 思ってます二人はいっしょに なれないのなら死のうとまで 彼は言っただからすべて 彼にあげたことくやんではいない 別れてもくやんではいない 別れてももしも差別が無かったら 好きな人とお店が持てた「ぶらく」に生まれた そのことのどこが悪い なにがちがう暗い手紙に なりましただけど私は 書きたかっただけど私は 書きたかったこの曲を聴いた時、体中に鳥肌がざぁーと広がるような思いがした。話法は一曲目と同じである。哀しみを予感させる冒頭の歌詞、しかしそれはあくまでも世間一般によくあることではないか、と聞く者に思わせておいて、問題の核心を示すことばがずばりと歌われる。その瞬間のせつなさとやるせなさと怒りの入りまじった複雑な感情。聞き終わって、いてもたってもいられないような、そういう気持ちにさせる歌というものにこの時はじめて出会ったように思う。そして最後の曲、「私達の望むものは」。私達の望むものは生きる苦しみではなく私達の望むものは生きる喜びなのだ私達の望むものは社会のための私ではなく私達の望むものは私達のための社会なのだ私達の望むものは与えられることではなく私達の望むものは奪い取ることなのだ私達の望むものはあなたを殺すことではなく私達の望むものはあなたと生きることなのだ今ある不幸せにとどまってはならないまだ見ぬ幸せに今飛び立つのだ私達の望むものはくりかえすことではなく私達の望むものはたえず変わってゆくことなのだ私達の望むものは決して私達ではなく私達の望むものは私でありつづけることなのだ今ある不幸せにとどまってはならないまだ見ぬ幸せに今飛び立つのだ私達の望むものは生きる喜びではなく私達の望むものは生きる苦しみなのだ私達の望むものはあなたと生きることではなく私達の望むものはあなたを殺すことなのだ今ある不幸せにとどまってはならないまだ見ぬ幸せに今飛び立つのだ私達の望むものは私達の望むものは.....この曲は前の2曲とはちがって力強さが前面に出た歌い方が印象的である。フレーズも短く、簡潔で力強い。こぶしを握って人を立ち上がらせる力を持ちながら、しかしこれはいわゆる「あおり」の歌ではない。曲の半ばから歌詞が反転するところで、思いはねじれ、屈折し、心の内側に向かって突き刺さる。こぶしを握って立ち上がったのはいいが、そのままうずくまって頭を抱えて考え込んでしまうような、そういう複雑さをもった曲でもある。これは既にフォーク・ソングの域を越えている。曲調も力強く、リフレインの部分などはほとんど「ロック」といってもいいくらいだった。私は呆然とした。そして心屈した時、そのテープを繰り返し聞いた。いわゆる「懐かしのフォーク・ソング特集」のような番組で、これらの曲がかかることは少ない。これらの曲はノスタルジーの対象にはなりにくいのである。今の時代に生きるわれわれの心を喚起するなにものかが、ざっくりと開いた傷口から見えるなまなましい血の色が、これらの曲の中にはまだ生き生きと宿っているからである。彼を「忘れられたミュージシャン」にしておいていいのだろうか。彼の曲を若い人々に伝える必要はないのだろうか。もう一度彼の曲に耳を傾ける価値は十分にある。彼を知っている人にとっても、彼を知らない人にとっても。私はそう思う。
2006.01.21
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村上春樹の短編集「レキシントンの幽霊」をちびちびと読み進めている。仕事を終えてげっそりと疲れて帰宅する時でも、「あっ、電車の中で『氷男』の続きが読めるんだ」と思うと、気持ちが一瞬なごむ。こういう小さなしあわせをもたらす作品が身近にあるということは大事ですね。すべからく芸術というものはこうあるべきだ、とは思わないけれど、一日の疲れをそっと癒してくれる作品に出会えるのは幸せなことだ。「私は一日仕事をして疲れて帰宅した人々のこころを癒すためにこそ作品を書くのだ」といったのはパパ・ハイドンだけど、その太陽のような人柄に温められた日向の水を泳ぐおたまじゃくしの中から、モーツァルトという天才は誕生したのだ。天才には感性を鋭くとぎすます逆境も必要だけれど、その天分を育むための酸素と栄養に満ちた温かい水もまた必要なのだ。この短編集の二作品の短評を以下に述べる。氷男おそらく短篇傑作選のようなものが編まれたとしても、その中には入らないだろうと思われる作品である。しかし、この作品を紡ぎ出すひとつひとつの文章のきめの細かなこと。すみずみまで周到に目配りがなされ、粒のそろった端正なことばづかいで、小さなひとつの宇宙が読む者の頭の中にぽっかりと浮かび上がる。村上春樹の文章そのものをじっくりと味わいたいという読者にはお薦めの一品である。女性を主人公にした彼の作品特有の、繊細でしっとりとした味わいがある。この作品は読んでじっくりと味わえばそれでいいのだと思う。おいしい料理を食べた後に、その料理を遠心分離器にかけて、クロマトグラフィーで成分分析したいという人には「勝手にやってれば」というしかないけれども。トニー滝谷短篇には珍しくストーリー性を追究した作品。視覚性も強く、映画化されたのもうなずける。個人的には、滝谷父子の仕事の「思想性」のなさという部分に強く惹かれた。父のトロンボーン、子の精密でリアリスティックな絵、ともに同時代の人々には「思想性がない」「芸術性に欠ける」と非難、嘲笑される。しかし、それを味わう人々の心はやすらぎと幸せに包まれる。そのような仕事のもつ意味。こういう素材が文学作品で取り上げられること自体がきわめて稀である。ここにはわずかながら村上氏自身の仕事への気持ちもこめられているように思われる。この「無思想性」がこの作品の核となるのかと思ったが、後半はほとんど妻の話に終始する。おなじみの「失われたもの」というテーマである。おそらくは「ねじまき鳥」にもこの作品が遠くこだましているのだろう。前半部と後半部がうまく結合して一つの作品世界として完成しているのかどうか、そこにやや不安は感じさせるものの、後半部の白眉はやはりこの文章である。「女が帰った後で、トニー滝谷は妻の衣装室に入って、ドアを閉め、妻の残していった服をしばらくぼんやりと眺めていた。どうしてあの女が服を見て泣いたのか、彼にはよく理解できなかった。その服は彼には妻が残していった影のように見えた。サイズ7の彼女の影が折り重なるように何列にも並んで、ハンガーから下がっていた。それは人間の存在が内包していた無限の(少なくとも理論的には無限の)可能性のサンプルを幾つか集めてぶらさげたもののように見えた。」こういう文章に出会うと「まあ、こまごましたことはいいじゃないか」という気になる。「とにもかくにもこういう文章に出会えたのだから」と。そういう気持ちにさせるすばらしい文章である。
2006.01.20
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世情は騒然としているが、テレビをつけるとさぞかしあの人やこの人の顔が氾濫し、あのことやこのことがかまびすしく論じられているのであろう。金一筋に生き(この段階が実は問題だと思うが)、その結果として法を踏み外した人間と、それをさんざん祭り上げるだけ祭り上げておいて、一夜にして態度を豹変させた人間と、どちらがたちが悪いかというと、個人的には後の方が始末が悪いような気もする。少なくとも微塵も罪障感を感じていない点においては、後者のほうが上だろう。何はともあれ、人間は「歴史を学ぶ」ことはできるが、「歴史に学ぶ」ことはきわめてむずかしいというのが私の感想である。さて、そんな人たちの尻馬に乗ってわあわあ騒いでいてもしかたがない。話を変えよう。ここで唐突にクイズです。次の3つのことばに共通するものはなんでしょう。「1 いわし 2 さわら 3 かもめ」なに、「海」ですと、たしかにまちがってはいませんが、いささか退屈な答ですな。じゃあ、ヒントもまた3つのことばで示しましょう。「1 よくわからない 2 そうかもしれない 3 いささか」なに、ヒントになってない。失礼しました。これは村上春樹氏の口癖(書き癖?)ですね。最初のクイズの答は「猫」です。すべて村上作品に登場する猫の名前というわけです。(ここで文体を変えて)私はこれらの猫の名前を好む。猫という生き物はどこかひらがなになじむ。その生き方の柔軟性というかしなやかさというか、それがひらがなと通じるところがあるのである。できれば猫には大和言葉をつけてあげたい、そういう気がする。昨年の5月頃、公園のそばを歩いていて、一匹の野良猫に出会った。こちらがしゃがんでおいでおいでと手招きすると、こわがるそぶりもみせず、おとなしく頭を撫でられている。そこに初老の女性が通りかかって、その猫が野良の雌であること、子猫の時に病院につれていって避妊手術を受けさせたことを教えてくれた。どうやら餌の面倒もみてあげているようだ。その猫の周りにも二三匹の野良猫がいた。みんな成人の一歩手前というか、子猫を卒業したばかりというか、そういう年齢に見えた。それからその公園に出かけて猫に会うのが楽しみになった。そこには五匹の猫がいた。顔なじみになると、名前がないと何かと不便を感じる。呼びかけようがないからである。そこで名前をつけようと思った。最初に出会った雌猫は人なつこいが、聡明で、意外にクールなところもあった。撫でられることは拒否しないが、媚びを売ったり、べたべたまとわりついたりはしない。クールでべたつかず、聡明さのただよう、しかも元気で長生きできる名前はないかと考えた。その際に村上春樹氏のネーミングのセンスを見習おうと思った。その猫に「ひのき」と命名した。清潔で長寿でさっぱりとして人にも好かれる。これはわれながら自信作である。呼んだ感じもいい。おそらくその猫の姉妹であろう、毛並みのよく似た猫がもう一匹いた。ややとぼけてて、おっちょこちょいで人見知りもするが甘えん坊である。「樹木」シリーズで「がじゅまる」と名づけた。これも悪くはなかったが、やや呼びにくいのが欠点だ。「がじゅ」と約して呼ぶことが多かった。あと二匹いる。一匹は栗色の毛色が特徴的だったので、安易だが「まろん」、もう一匹はこわもてで黒っぽい毛色でいかにも野良という感じのどら猫である。絶対に人間に体を触らせないし、近づいてもこないので、高貴な名前をと思い、「ばろん」と命名。その後、さらにもう一匹登場。これは攻撃的でやんちゃな性格。手を伸ばすと、右フックで手を引っ掻かれた。その傷を見ながら、「鷹みたいなやつだな」と思い、「まるた」と命名。「マルタの鷹」ですね。この五匹である。「ひのき」は名前に反して疥癬にかかり苦しんだ挙げ句、謎の失踪をする。何ヶ月ぶりかにやっと帰ってきたと思ったら、今度は「がじゅ」が失踪。野良猫の世界も転変としてなかなか大変なのである。事情があって、その公園にも1~2ヶ月行けなかった。以前には猫缶をもっていったり、にぼしをあげたりして親交をあたためていたのだが、それも間遠になり、いつしか月日が過ぎていった。先日、ひさびさにその公園に立ち寄った。「まるた」がいた。はたして私のことを覚えているだろうか。猫は物忘れがはげしいっていうもんな。彼は私のほうへ小走りでやってきた。以前には餌をねだるような仕草をしたのだが、私の1メートル前くらいで立ち止まり、ほんの一瞬だが、じっと私の目を見た。そして、一言「やあっ」といった。なにぶん猫なので軟音化されて「にゃあ」となったが。でも、私の耳にはたしかにそう聞こえた。「ひさしぶり」という表情をして、私の周りを一回りして、再び1メートルくらい離れて私と同じ方向を向き、おもむろに毛づくろいを始めた。猫の集団を観察していると、小津の構図(互いに向き合わないで皆が同一の方向を向いて座る)をとることが多い。おそらくは無防備な背中を相手に見せることが、ある種の信頼と親しみの表現となるからではないかと思われるが、詳しいことは聞いてみないとわからない。私は感動した。まるで旧友と再会したような気持ちになった。まるたは決して繊細な猫ではない。攻撃的で自らの欲望に忠実なバイタリティあふれる食い意地の張った猫である。でも、餌をねだるでもなく「やあ」と一声かけて、公園のベンチに並んで腰掛けでもするように、私と同方向を向いてぼんやりとしている。ばろんも同様である。背後からせっせと走ってきて、顔をあわせると「やあっ」といって、逡巡した表情で回りをうろうろし、近くで毛づくろいをしている。猜疑心の強いまろんは無反応だったが、最後に会ったひのきはまた違った反応を見せた。彼女は地面に横たわり、おなかを撫でる私の手を一心に舐めはじめた。それはまるで私の手の甲にある「空白」という文字を舐めてぬぐい取ろうとしているかのように見えた。あるいは私の傷を癒そうとしているようでもあった。ざらざらとした舌の感触を感じて、私はなんともいえない気持ちになった。なぜ彼らはこんなに洗練された再会の作法を身につけているのか。今時、人間ですらこんなにさりげなく、かつ情のこもったコミュニケーションの所作を行うことはむずかしいというのに。そして、彼らの作法の背後に、コミュニケーションに不可欠な二つの条件があることに気づいた。それは「孤独」と「はじらい」である。コミュニケーションとは原理的には個と個をつなぐことである。だから、コミュニケーションの大前提には、なによりもまず「個」であること、すなわち「孤独」が必要なのだ。私はそのことに思い至った。猫は基本的に単独行動をとり、どんなに集団でいてもその一匹一匹はあくまでも「個」としてふるまう。「個」と「孤」の緊張感を背後に感じさせるからこそ、彼らのつながりはべとつかず、ねばつかない。しかし、個と個をつなぎ、両者を関係づけようとするとき、注意しなければならないのは、両者の間に「支配―被支配」の関係が忍び込みがちなことである。このことに無自覚でいると、集団はやがて巨大なピラミッドを形成し、下位の者は絶え間ない重圧にさらされることになる。これを防ぐためには、人間と人間の間をあまり密着させず、適度な距離を作る必要がある。ぴたりと密着させない限り、ピラミッドを作ることはできないからである。そして、人と人との間に適度な距離感をもたせるもの、それは「はじらい」ではないだろうか。少し離れて、はじらいながら、そっと同じ方向を眺める。ここには上下の関係は生まれようがない。それはあくまでも同一平面を共有する水平関係を形作るからだ。「えっと、あんただれだっけ」という忘却でもなく、「いったいいままでどこいってたんだよ」という非難でもなく、「早くエサよこせよ」という要求でもなく、「やあ」と一声かけて、少し距離を置いて同じ方向を向いて座り、肩をならべて遠くを眺める。猫の洗練された作法からわれわれが学ぶべきものは少なくない。
2006.01.19
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最近、電車のホームや街ですれちがう人々の顔を見ていると、「閉じている」印象を与える顔が増えているように思う。これは顔の造作の問題ではなく、他人の顔を一目見た瞬間、「あ、この顔は閉じてる」「この顔は開かれてる」と二分できるように感じるのである。この感じ、わかっていただけるだろうか。閉じている顔とは、そうだな、昔学校で使っていたセルロイドの下敷きのようなものを想像してください。ああいうものを両耳にひとつずつくっつけて、前方の視野を狭める。この視野狭窄装置をつけて歩いている人の様子といえばいいだろうか。とにかく隣を歩いている人が突然心臓発作で倒れても全然気づかないで通り過ぎてしまいそうな、向こうから刺客が来て出刃を腹に突き立てられたら、背中まで貫通してしまいそうな(ぶっそうなたとえだな)、そういう感じである。その表情は乏しく、周囲に無関心で、センサーが正常に作動していない状態。そういう状態で街を歩く人々が増えている。考えてみると、ムンクの「叫び」のポーズというのは絶叫する時の人間の形であると同時に、外界を遮断する姿勢をも意味しているように思える。内面から強烈な叫び声を上げるとき、そのポーズが外音を遮断する姿勢でもあるというのはなかなか示唆的である。以前、東武線だったか、踏切の保安係が電車が通過するにも関わらず遮断機を上げてしまい、死亡事故を起こしたことがあった。保安係は逮捕され、有罪になったと聞く。まあ、当然の措置ではあるのだろうが、この件に関して当の係員や会社の安全管理の問題がさまざまに論じられていた。私は一連の報道を見聞きしながらかすかな違和感を抱いた。被害者の家族の心情をおもんぱかって報道機関はとりあげないのだろうけれども、「そんなに踏切を盲目的に信じてしまっていいのだろうか」という気がしたのである。信号や踏切の遮断機などというものはあくまでも「一応こういうことにしときましょうね」という仮の約束事にすぎない。信号が青の時には車は原則としてこないことになっており、遮断機が上がっていれば電車はこないことになっている。でも、「こないことになっている」ことと「実際にこない」こととはまったく別のことである。日常生活で基本的な約束事をいちいち疑っていたらやってられないから、その約束事を8割から9割方信用するのはやむをえないとしても、自分自身の生命に関わることであれば、あとの1割から2割は疑いの気持ちを残しておく必要があるのではないだろうか。以前、正月に外出し、自宅へ帰る途中、交差点で信号を待っていたことがある。夜の6時頃であり、あたりはまっくらだった。信号が青に変わり、私は横断歩道を渡り始めた。その時、なんともいえない「いやーな」感じがした。うまく説明できないのだが、べっとりと黒いコールタールを体の内側に塗りたくられたような何ともいえない「いやーな」感じがこみ上げてきて、道路の真ん中よりやや手前で足が止まった。止めようとしたわけではないけれども、その「いやーな」感じと連動して自然に足が止まってしまったのである。次の瞬間、一台の乗用車が私の1メートルくらい先を100キロ以上の猛スピードで轟音とともに駆け抜けていった。歩行者用信号は青のままだった。私はその車の巻き起こした突風を体に感じながら、「あのまま歩いていたら死んでたな」と思った。足を止めなければ、今頃は路上に激しく体をたたきつけられていただろう。体内に装着された何かのセンサーが自動的に働いたとしか思えなかった。しかも、後から考えてみると、その「いやーな」感じは、その瞬間からずいぶん前にさかのぼって起きていたようにも思える。だから何だといわれても困るのだが、こういう感覚を麻痺させないようにしようと、その時に思った。それから電車に乗って、目の前に座っている男の顔を見て、「いやーな」感じがしたら、すぐに場所を移動するようにした。こういうセンサーは本来誰の中でも作動しているはずである。それが発する信号を「んなもの、あるわけないじゃないか」といって自分自身で否定しない限りは。人間が便宜的に作った約束事とぺこぺこの粗末な木で作られた遮断機を信用して、自分に向かって轟音とともに突進してくる何トンもの鉄の塊に気づかないのでは、あまりにも「人がよすぎる」のではなかろうか。「閉ざされた顔」で街を歩く人々は、実は他者ばかりではなく、自分の体内のセンサーに対しても感覚を閉ざしているのかもしれない。そもそも自己認識とは他者との対照、比較を通して初めて可能になるものであり、他者を見失うことは実は自己をも見失うことなのである。「ひきこもり」ということばがあるが、他者を見失い、他者がもたらす適度の圧力を肌身に感じない状態に長く置かれていると、「ひきこもる」べき自分自身すら見失い、人間は内側に陥没してしまうのではないだろうか。そんなことを考えていると、街を歩く人々が空気の抜けた風船のように見えてきて、なんともいえぬ「いやーな」感じがしてくるのである。
2006.01.18
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昨日ブログで「理性」について私見を述べたが、通常のこのことばの使い方とはかなり異なるものでもあり、わかりづらいとの指摘を都内某所より受けたので、再び理性について書く。でも、「理性について」というタイトルでがちがちに書くと、おそらく誰も読んでくれなくなりそうな気がするので、ちょっとくだけた感じで書きましょうかね。テーマがなにしろ固いから。私の言いたいことは一つである。それは「理性は暴走する」ということだ。このことに関しては皆さんももう少し意識されたほうがよいのではなかろうかと日頃から考えている。「ああ、あのクールで理性的なまなざしがたまらないわ」という表現および状況を否定するつもりはないし、「感情の暴走を理性が止める」というケースがあることも承知している。ただ、「理性が暴走する」危険性に無自覚でいると、先々かなりまずいことになるのではないかというのが、私が日頃から感じている危惧なのである。一般的にいえば理性とは概念的思考能力のことである。つまり、現実的、具体的な細々したものを捨て去って、本質だけを取り出したところに成立する思念の世界が「理性」のすみかである。感情と対立して考えられることが多いのもご承知の通りである。「感情の暴走を理性が止める」という一般的例文を先に挙げたが、私はこれはむしろ逆ではないかと思う。たとえば、そう、あなたに愛してやまないキュートな恋人がいたとしましょう。彼女のほっぺに「チュッ」をしたとする。でも一度では物足りない。もう一度「チュッ」、まだ物足りない。三度目の「チュッ」。これは愛情にもとづく行為であり、まぎれもなく感情生活に属することがらである。しかるにこの行為を480回繰り返すということをあなたは考えられるだろうか。さすがに最愛の恋人でも薄気味悪くなってあなたを突き飛ばすか、あるいは新たな段階を目指して別種の行動に推移するいうのが一般的なパターンだろう。つまり、感情というのはおのずから一定の段階に達すると、自然に止まるものなのである。いくら何でもまあこれくらいのところでやめとこう、と思うのが感情の特質なのだ。突発的、一時的に暴発することはあっても、それが永久に持続することはない。だから、おのずとブレーキがかかる。これが感情の世界である。これに対して理性の世界ではどうか。ここで理性の代表、数学に登場していただこう。いまここに「1」という数字がある。これに1を加える。その和は2である。これにまた「1」を加える。こういうふうに、前の数字に順次「1」を足していく作業を行うとする。この作業の480番目を想定することはきわめて容易である。479に1を足して480という数字が得られる瞬間ですね。「おい、おい、いつまでおんなじことやってんだよ、そろそろやめたらどうなんだ」とは誰もいわない。この動作はおのずから止まることはないのである。止めようとすれば、あらかじめ「1からはじめてこれを100回繰り返したとする」という制限ないしは条件を加えておかなければならない。私の言っている「理性の暴走」というのは、要するにこういうことなのだ。理性の世界では、あるルールが設定されるとそれにしたがってそのルールが適用され、それは一直線にどこまでも突き進む。具体的世界を捨象した抽象的、理性的世界では、ニュートンの運動の第一法則のように、一旦動き始めた物体は抵抗がなければどこまでも等速度運動を続けるのである。「いったん動き始めると、自分では止められない」、これを指して、私は「理性とはブレーキのない車だ」といったのである。何を馬鹿なことをいっているんだといわれるかもしれないが、これは重要なことである。昨日の日記で、「あなたは理性的な人間だ」というと、客観的自己認識能力にすぐれた人間であるかのような印象を与えるかもしれないが、実は「あんたは動き出すと自分ではとまらない人間だね」といっているのと同じだといった。この表現がわかりにくかったとすれば、例文を変えよう。被修飾語を「人間」ではなく、「殺人者」に変えてみる。さあ、あなたは次の二つの殺人者のうち、どちらのほうにより強い恐怖を覚えますか。ひとつは「感情的な殺人者」、もうひとつは「理性的な殺人者」。前者はかっとなったら突発的に殺人を犯しそうで物騒ではあるものの、そのタイミングをはずしたり、注意深く観察していれば、難を逃れることはできそうだ。しかし、後者はどうだろう。どんなに逃げ回ろうとも、どこまでも執拗につきまとわれ、最後にはとどめをさされそうな気がしないだろうか。私は後のほうがこわいですね。たちがわるそうだし。理性というものは強力なパワーをもっているけれども、それだけに暴走する危険性もより多くもっている。もっとも危険なのは、自らその暴走を止めるブレーキを内蔵していないことだというのが、私がいいたいことなのである。アウシュビッツの虐殺が恐怖をもたらすのは、それが異民族への憎悪や排斥感情に根ざすものだからではなく(そんなものは今日どこでも観察できる)、その殺戮行為がきわめて合理的、事務的に、いわば理性的に整然と行われていたというところにある。どんなに異民族を憎んで無差別殺戮を繰り返したとしても、それが感情にもとづくものであれば、何万人、何十万人も殺せるものではない。そこには「もう、そろそろやめとこう」というブレーキがおのずからかかるからである。しかし、それが行政府の命令で、官僚機構を通して整然と秩序立って行われていた場合、この殺戮には歯止めがきかなくなる。たとえ何百万人殺したとしても、その組織の内部から「殺すのをやめろ」という声が発せられることはないのである。これはけっして特殊なケースではない。理性というものが本来そういう性質をもっているのである。原爆の悲劇を考えてみてほしい。あの原爆の内部にはその当時の最高レベルの専門的科学者の理性と知性がおしげもなく投入されていたはずだ。だからこそ、あのような大量殺人が引き起こされたのだ。そのことを忘れるべきではないと私は思う。だからといって、私はいわゆる反理性主義を唱えているわけではない。理性のパワーは旧陋を打破するために必要なものであり、弱者が強者に対抗するためにも不可欠なものである。しかし、その暴走する本性を十分に認識した上で慎重に理性をコントロールする姿勢をもたなければ怖ろしいことが起こる。私はそう思うのである。こう考えてくると、理性の世界の住人である、たとえば大学人、知識人、文化人のお歴々の多くが人間的品性に欠けているということにも納得がいく。たまたま人間的品格をそなえた知識人がいたとしても、それはあくまでも「たまたま」なのだ。理性そのものの中からその品格が生じたわけではない。たとえば、そういう知識人の中にこういう口調で話す人がいる。「え、なに、あんた、こんな初歩的なことも知らないの。そんなこと中学校の教科書にも載ってるよ」。さすがにこうあからさまにはいわないものの、これをソフィスティケイトされた猫なで声で皮肉まじりに語る啓蒙主義者の方々がいる。(私はけっして宮台真司氏を個人攻撃しているわけではないので誤解のないように)しかし、そういう当人は公費を使って本を買ってもらい、朝から晩まで他の労働も行わず、ひたすら勉学にいそしむことを許されている特権の持ち主なのである。少々物を知っていてもそれは当然であり、本を読む暇も精神的余裕も許されないでいる一般の労働者を無知だといってあざける権利など彼にはないはずだ。私は建築現場のそばを歩いていて、いわゆるスポーツやエクササイズによってではなく、純粋な肉体労働のみによって形作られた見事な筋肉の持ち主の姿にほれぼれと見とれることがある。しかし、彼らが道を歩いている一般人に向かって「おい、そこのにいちゃん、ちょっと暇だから腕相撲でもやらんか」と声をかけ、圧勝すると「なんだ、へなちょこやのー、これじゃ、うちの小学校の息子にも負けるわ」などと言うのを聞いたことはただの一度もない。「そんな失礼なこと、するわけないじゃないか」、彼らはそういうはずである。理性の世界の住人に、自制心や品格が欠けているからといって驚くにはあたらないのである。理性そのものの中にその暴走を止める制動機は装備されていないのだから。
2006.01.17
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朝日新聞の1月15日朝刊の求人欄に、将棋の羽生君のインタビュー記事が載っていた。このブログでは以前にも羽生君の知性あふれる発言に触れたことがあるが、この記事を読んで、またまた感心してしまった。大体、求人欄のこの手の記事は、朝日新聞の記者ではなく、外注の編集スタッフあたりが書いている場合が多いのだが、総じて文章は本体よりも上質である。悲しいことだけれど。そもそも文章力などというものは、ことばをひねくり回す小手先の技術とは異なり、文章を書く人間の気概とか生き方と深く結びついているものだから、飼い殺しで運動不足の肥満気味の猫に敏捷に獲物を捕捉する能力を求めること自体が無理な話だとは思うのだけれど。さて、その羽生君の発言だが、私が面白いと思ったのは「理性」ということばの使い方である。彼はこういう話をしている。実力を発揮するには経験が必要だ。経験を重ねていればこそ、無用な恐れを抱くことなく、力を発揮することができる。しかし、あまりに経験に頼りすぎると、旧来の常識的判断に縛られることになり、新しい局面に対応できなくなる。そこで必要になるのが「理性」の力だというのである。こういう「理性」の使用法はかなりユニークである。過去の経験に縛られず、新たな局面を切り開くためにこそ「理性」が必要だと彼はいう。しかし、彼は「理性」ということばの本質をよくつかんでいると私は思う。おそらく理性とは、肉体的な強さに恵まれなかったヒトという生き物が、その非力さにも関わらず、なんとか生き抜いていくために生み出した奸智や謀略、つまり「悪知恵」を起源とするのではないかというのが私の考えである。それはいってみれば「騙し討ち」の知恵といえる。理性はもともとあまり「おさと」のよくないものなのである。「彼は理性的な人である」というと、それは冷静で客観的判断にすぐれた人物だという印象を一般に与えるが、それはおかしい。むしろ、その表現は「ブレーキが効かない人」「抑制が効かず、一直線に突っ走る人」、そういう人間を形容する表現としてこそふさわしいといえる。理性とは、いわばブレーキが装備されていない車なのである。馬力はすごいし、ぬかるみにはまった時など、そこから抜け出すためにはとても役立つが、いったん走り出すと、自分の走りを自分で止めることはできない。それが理性の本質である。話はややおおげさになるが、フランス革命のことを考えてみよう。革命前夜のフランス社会の状況を劇的に変えるために、あの革命は甚大な力を発揮した。しかし、革命が成就して、ふとうしろを振り返ってみると、そこには何千、何万という人間の生首がごろごろところがっていた。理性とは本来そういうものなのである。それは伝統や常識の世界を一気に壊す強烈な破壊力を持っている。そして、いったん走り出すと自分では止められない。もし止めるとすれば、それを止める装置を理性によって新たに作り出すしか方法はない。フランス革命を例に引くまでもなく、現在の自然科学の現状を振り返ってもこのことは明らかだ。だから、常識に縛られた発想を打破するために理性の力が必要であるとする羽生君の語法と語感はきわめて正確なものであるといえる。しかし、それだけならば、私はさほど感心しない。そこには斬新な発想があるわけではなく、ただ正確なことばづかいがあるだけだからだ。しかし、羽生君の話はここで終わらない。次に羽生君は、将棋の対局を未知の海原に旅立つ航海にたとえる。最初のうちは想定の範囲内で航海が進む。しかし、やがて未知の局面が現れる。そこでどう判断し、決断するか。前述の話から推測すると、ここで理性が登場しそうな場面である。しかし、羽生君はそうはいわない。「いざというときの判断は実は直感です」、羽生君はこういうのである。過去の経験のすべてが働いて無意識の中からぱっと出てくる、その考えに従えばいいのだ、と彼はいう。これは一見すると矛盾しているように思える。おい、おい、理性はどこいったんだよ、といいたくなる人もいるかもしれない。でも、そうではないのだ。棋士は自分の頭の力の限界まで手を読む。読んで読んで読みまくる。しかし、相手も同様である。つまり、盤をはさんで対峙する人間が自らの理性の力を極限まで駆使する。しかし、なおかつその先に未知の局面が現出してくる。そこではもう理性の力は通用しない。旧態依然とした硬直した考え方にひびを入れ、破砕するためにきわめて有効な道具であった理性も、ここではもう役に立たない。では、どうすればいいのか。そういう時に無意識の世界から現れた直感に従え、と彼は言うのである。これを賢人の洞察といわずして何と言おう。つまり、彼の頭の中では、まず経験があり、その蓄積から生まれた手堅い実践的な知恵がある。そして、その知恵が有効性を失った時、理性が要請される。そして、理性の力が使い尽くされた時、そこには無意識と直感の世界が訪れるというのである。これはほとんどユング的世界観というべきものである。しかも、それが観念の遊戯ではなく、将棋の対局という実践的経験の中から出てきたものであるというところに価値がある。理性の世界、それは自我(ego)の世界である。自分で自分を理性の眼でとらえる、それを自我の世界だとすると、自分ではとられきれない自分というものもまた存在する。それは無意識を含む広大な「自己」(self)の世界である。この世界は膨大な経験の世界を培養土として、自分の理性ではとらえきれない判断を「直感」という形で下すことがある。自分はいったいなぜこんなことをいったんだろう、なぜこういう行動をとったんだろう。その理由が自分でも説明できないまま、やむにやまれぬ気持ちであることばを口にし、ある行動をとる。しかし、後から考えてみると、それは自分の理性すら越えた、より大きな自分の「自己」が下したとしか思えないような大きな知恵に基づく決断であったという場合がある。羽生君がいっているのはそういうことなのである。経験という自分一個の小さな世界に閉ざされないためには理性の力が必要になる。しかし、理性にも自ずからなる限界がある。それを突き破るためには何が必要か。それは無意識の世界への敬意と、そこから訪れる直観的判断の尊重である。きわめて限られた字数でありながら、ここに示された羽生君の叡智にははかりしれないものがある。羽生君の叡智おそるべし、である。
2006.01.16
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「空が泣いたら 雨になる 山が泣くときゃ 水が出る 俺が泣いても なんにも出ない 意地が涙を 泣いて泣いて泣いてたまるかよ 夢がある」小学校の頃テレビで見た「泣いてたまるか」というドラマの主題歌である。(最後の一節だけ、ちょっと書き換えてある。こちらの方が私は好きなので)主演は青島幸男、渥美清。隔週でそれぞれが一話完結のドラマの主役を演じていた。今考えると、かなり斬新な企画である。定期的に見ていた記憶はないのだが、何かの機会に見て、印象に残っている回がある。主演は渥美清だった。彼は平凡な勤め人である。ある日、彼は自分が癌であることを宣告され、余命がいくばくもないことを知らされる。その日から、平凡な日々が一変する。自分はまもなく死ぬ。でも、いったいそれを知ったからといって、何をすればいいんだろう。彼は煩悶する。ここからの記憶はきわめてあいまいなのだが、自分の創作を含めて脚色すれば、彼はある公園で小学生くらいの少女と知り合いになる。彼が途方に暮れてベンチに座り込んでいる時に、その少女が話しかけてくれたのである。その少女とのたわいもない会話が彼にとって唯一の救いとなった。ある日、その公園に座っていると、けたたましい消防車のサイレンが聞こえてくる。野次馬が火災現場に向かって走っている。彼もなんとなく彼らの後を追って、火事の現場にやってくる。そこには燃え上がる一軒家と、その前で半狂乱になっている母親の姿があった。「あの中には娘がいるんです。手を離してください。」母親は消防団員に羽交い締めにされながら、そう叫ぶ。燃え上がる家の表札に書いてある姓は、彼がいつも話していた少女のランドセルに刻まれていた名字と同じものだった。「○○子~」と母親は叫ぶ。間違いない。眼の前で燃えさかっているのはあの娘の家なのだ。母親は狂ったように娘の名前を叫び続ける。彼は半ば燃え落ちかかっている家をみつめる。そして、一歩一歩その家へ向かって歩を進める。「あぶないよ、あんた」。静止しようとする消防団員の手を振り払い、彼は駆け出す。その炎の中に向かって。叫ぶ母親、静止しようとする消防団員。炎に向かって走る渥美清。彼の姿は紅蓮の炎の中に消え、しばらくすると、突き飛ばされるように少女が炎の中から外に向かって投げだされる。彼女の服は半ば焦げ、顔は煤で真っ黒になっている。母親は娘を両手でしっかりと抱き締める。その直後、彼女たちの背後で炎上する家が轟音とともに崩れ落ちる。遠い記憶を手探りでたどると、おおよそそういった筋であったように記憶している。私はそれから何日間か、その映像が頭に焼き付いて離れなかった。細い眼をしばたたかせて、炎の中に向かって歩を進める渥美清の表情が忘れられなかった。小学校2年か3年頃の記憶だったと思う。私はおさなごころにすごい役者だと思った。「死線をくぐる」ということを体験した人間でなければ表現できない何かがそこにはあったように思われた。たぶん、そのシリーズが終わってから、しばらくして同じ時間帯で「男はつらいよ」というテレビシリーズが始まったのではないだろうか。でも、そこにいる渥美清は、あの時、私の見た鬼気迫る渥美清ではなかった。その後、そのシリーズが好評を博し、映画化されても、私は見に行こうとは思わなかった。あのドラマの彼が、あまりにも強く印象に残っていたからである。今から思えば、あれは黒澤の「生きる」の焼き直しのような作品だったと思う。おそらくは、その映画を見てインスパイアされたとおぼしき作品を手塚治虫も描いており、私はその漫画を見たような記憶もある。でもそんなことはどうでもいい。二番煎じであろうが、フェイクであろうが、人と作品との出会いは一回きりのものであり、「実はあれはね」と後で耳打ちされたからといって、その一回きりの経験の質が変わるというものではないのだ。私はその後、そのストーリーすらあらかた忘れてしまった。でも、苦しい時、もうだめだと思った時、これで終わりだと思った時、頭の中であの曲が聞こえてくる。それは、そう、今でも同じように聞こえてくるのだ、渥美清のあの特徴的な節回しをともなって。「空が泣いたら 雨になる 山が泣くときゃ 水が出る 俺が泣いても なんにも出ない 意地が 涙を 泣いて 泣いて 泣いてたまるかよ 夢がある」(ないって ないって ないってたまるかよ~おおおっ ゆーめーがあーるー)良い唄であり、良い歌詞である。
2006.01.15
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昨夜来の強い雨と風で空を洗われ、西方の山並みは春の予感を漂わせながら青みを帯びた山容を静かに横たえている。そして、その中心には半ば以上を純白の雪で飾った霊峰富士が端座している。今冬の富士は冠雪が少なく、地肌をさらしていることが多かった。言ってみれば、普段着のジャージ姿だったわけだが、今日はあらたまった紋付き羽織袴の正装で正座しておられる。やはり何度見ても一瞬息を呑み、立ちつくし、感慨をもたらす威容である。これが吉兆であることを願うばかりだ。一時期、日本酒に凝っていたことがある。今でも飲むのは好きだが、その頃は図書館から日本酒関係の本を借り出して、かたっぱしから読んでいた。なぜそんなことをしたのかはよくわからない。おいしい酒の銘柄を探すというよりも、日本酒そのものがどのようにして作られ、その味を左右する条件は何かということに興味の中心があった。考えてみれば「日本酒」というのは悲しい呼称だ。「酒」でいきましょうね、「酒」で。「洋酒」などという意味不明の名前から派生したような哀れな名前をつけられては酒がかわいそうだ。第一、アフリカのアルコール類は「洋酒」っていうのかな。よくわからない。その酒の味を規定する要素を思い切り大胆に単純化して整理すると、それは「コク」と「キレ」ということになる。宣伝上手のビール業界にすっかりもっていかれたことばではあるが、本来は純然たる酒の世界のことばである。「コク」はわかりやすい。味の深み、複雑にして精妙な味の複合体のもたらす得もいわれぬずっしりとした存在感といえばいいだろうか。年季、経験、奥行き、幅、広がりそういうことばとなじみの深い味の一側面である。これに対して「キレ」とはなにか。これはきわめて日本的な表現である。酒を口中に含む、繊細微妙な味と香りが立ち上り、ふくよかな余韻が口から喉へとゆったりと移動していく。その瞬間、すっとその味わいがいさぎよく消える。この消え方の鮮やかさを表現することばが「キレ」である。「コク」は存在感そのもの、「キレ」はその存在の消し方のあざやかさといえばいいだろうか。そして、いい酒はこの二つの条件をともに満たすものであるとされている。深い味わいをもちながら、それが一瞬にして消え去る。ここに至高の酒体験が存在するという美学である。これは別に酒に限ったことではない。人間にもそのまま当てはまる。人間性が豊かで、独創性に富み、会話は洒脱で、機知に富む。実にすばらしい美質である。しかし、ここにもうひとつの要素が加われば、大きな龍の絵には睛(ひとみ)が入れられ、完成される。それは「すっと」いなくなることである。その場の全員に惜しまれ、悲しまれ、ちぎれよとばかりに手を振られ、しまいにはテープまで投げられるようではだめである。それでは味わいがくどく、しつこすぎる。さよならのことばもいわず、辞去を気取られず、すっと自分自身の存在を消す。出会った時の新鮮なよろこびを逆向きに投影して、別れることをも新たなよろこびに変えること。次にくる新しい味への期待を抱かせ、未来への扉を開くためには、過去の味の扉を音もなく、すっと閉じる必要がある。コクとキレの共存。人間の生き方として追究するにはむずかしい課題だが、挑みがいのあるテーマではある。
2006.01.15
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先日、ケーブルテレビのチャンネルをあちこちザッピングしていると、突然レイ・チャールズの顔が映り、こちらの手が止まった。その隣にはケニー・ロジャースがいた。小さなライブをやっているようであり、会場はこじんまりとしたバーだった。ケニーがおもむろに話し始めた。「昨日、夕飯をすませてから、レイとチェスをしたんだ」一瞬の間。そして、「彼が勝った(He won.)。」聴衆は拍手喝采する。「彼はなかなか抜け目のない奴だ。今度からは、ちゃんと灯りをつけてやらなくちゃいけない」レイは大きな両手をまるでシンバルを打ち鳴らすようにばしばしと叩き、足で床をどんどんと踏みならして大喜び。観客もやんやの喝采である。よく考えるとなかなかむずかしいジョークである。落ちは逆でもいい。「今度からはちゃんと電灯を消しとかなきゃならない」これでも成立する。どちらかといえば、私は後の方の落ちを好むが。こういうジョークが普通の会場で説明なしに受け入れられる風土というのは、やはりなかなかのものである。日本で同じような場面を想像することは困難だ。わるふざけや駄洒落や強引な笑わかしは横行していても、ジョークが定着する気配はこの国にはない。こういうジョークはまずはユダヤ人の専売特許である。自虐と客観視を生存条件として持たざるをえなかった民族だからこそ、それを培養土としてジョークの文化を花開かせることができたのだろうか。あるユダヤ商人の臨終の床での会話。「レイチェルはいるか?」「はい、ここにいるわよ、あなた」「ジョシュはどこだ?」「ここよ、パパ」「ハーブはどこにいる?」「ここにいるよ。パパ」「レベッカは?」「もちろんよ、全員ここにいるわ」「ばかもん、じゃあいったい誰が店番をしとるんだ」いいですね。自虐の笑いはこうでなくては。でも迫害者に対してもこういう作品がある。ヒトラーは占星術師の力を借りて、さまざまな政策決定を行っていた。ある日、ヒットラーは占星術師に尋ねた。「私はいつ死ぬだろうか」「総統、あなたはユダヤの祝日にお亡くなりになります」ヒットラーはさっそくユダヤ暦を取り寄せ、ユダヤの祝日を調べあげた。幸い祝日は思ったよりも少なかった。彼は側近の部下に命じた。「これらの祝日には、余の警護を百倍にしろ」そして、安堵の胸をなでおろした。「やれやれ、これで一安心だ」「総統」と占星術師が言った。「安心は禁物です。いずれにせよ、総統のお亡くなりになった日がユダヤの祝日になります」いいですね、この呼吸。では、日本にはこういうジョークは存在しないのか。いや、けっしてそんなことはありません。ここはやはり伝統芸能にご登場いただかなければならない。いうまでもなく「落語」ですな。桂枝雀という関西の落語家がいた。私は十代の頃、彼を高く買っていた。とくにその枕はウィットに富むものだった。だが、それから十数年して見ると、彼の芸風はすっかり変わってしまっていた。誇張された表情、突拍子もない叫び声、完全におどけに徹して笑いをとっている彼の姿は正視に耐えないものだった。おそらくは彼の住んでいる風土が、彼の芸風をそのままの形では許さなかったのだろう。その後、彼は関西落語の大御所として第一人者となり、ある日、突然自ら首をくくって死んだ。痛ましい死であった。十代の頃私が聞いて、いちばん気に入った彼の枕を紹介しよう。ある日、男が歩いておりますと、道ばたになにやらモノが落ちております。「おや、こんなとこに定期券が落ちとるやないか、落とした人はさぞや困っとるやろうな、落とし主が誰か調べてみよう。えーと、名前はと。あれ、名前書いてないやないか、住所はどうやろ、あー、住所も書いてない。電話番号はどないやろ、これも書いてない。困ったなー、これやったら届けようがないやないか。ああ、そうか、せめてどこからどこまでの定期かわかったら、駅にあずけるいう手もあるか。そうか、いったいどこからどこまでの定期なんやろ。……。それも書いてないがな。そもそもバスか電車かもわからへん。こまったなー。…………。まてよ、そもそもわし、なんでこれが定期券やと思ったんやろ」お後がよろしいようで。
2006.01.14
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村上春樹「レキシントンの幽霊」を読んでいる。いま、表題作の「レキシントンの幽霊」「緑色の獣」「沈黙」を読み終わったところだ。「レキシントン」は淡々とした出だし。最後にケイシーと出会ってからの彼の独白のところで眼がページに吸いついて離れなくなる。こういう瞬間が彼の作品ではまず間違いなくやってくる。これはきっと彼自身が、「こうやって、こう書いていれば、きっとあの瞬間がやってくる、あの瞬間が」という確信を持ちながら、筆を運んでいるせいだろう。そして、その確信に導かれて、確かに「あの瞬間」はやってくる。「緑色の獣」。ぎりぎりに切りつめられた作品であるが、その分だけ、余韻が尾を引く。「緑色の獣」とはなんだったのか。夫を見送った後、妻は子供の頃に自分で植えた椎の木の根もとから這い出てきた緑色の鱗におおわれた長い鼻をもつ獣に出会う。彼は家のなかに入って来、不思議な言葉遣いで彼女に求婚しにきたことを告げる。その獣は人の心を読むことができた。しかし、彼には何の悪意も敵意もない。彼女はいったんは恐怖に脅えたけれど、気を取り直し、彼に対するありとあらゆる残酷な想像を頭に思い浮かべる。それをあたかも現実そのもののようにありありと読みとることのできる獣は深いダメージを受け、最後には眼だけになって空中に浮かび、やがてその眼も消滅していく。この獣は何か。それが彼女自身の何かであることは間違いない。いっさい手も触れることなく、ただ思念するだけでそれを殺戮することができるのだから。いったい彼女は何を殺したのか。無意識か、感情そのものか、自然か、あるいは彼女そのものか。深い謎が余韻として残る作品である。しかし、やはり「沈黙」。この作品は今読み終えたばかりだが、春樹くんにしてはかなりストレートな書きっぷりの作品である。この作品が高校生向けの朗読用の小冊子として古本屋に並んでいたのを見たことがあるが、そういう教育的素材として用いられてもけっしておかしくはない。そういう意味では、これは逆の意味で村上作品としては「異色」のものといってもいいかもしれない。この作品を読みながら、思い出したことがある。感想に代えて、その思い出話を書く。高校三年生の頃、鬱屈した毎日を過ごしていた。朝から一言も口をきかず、高校からの帰り道に唇を開こうとすると、「ばりっ」という乾いた音がして、「ああ、今日も一言も話さなかったんだな」と思った、そういう日々がずっと続いていた。昼休みのことだったろうか、私は何をするでもなく、一人で本を読んでいた。安部公房の「R62号の発明」あたりだったろうか。同じクラスにSという剣道部の主将をしていた男がいた。彼は医者の息子で、やや太めながら筋肉質で、剣道は三段。声も大きく、態度も堂々としていて、クラスのリーダー的存在だった。彼にはいつも二三人の取り巻きの同級生がついていた。私はSのことがそれほど嫌いではなかった。好意的というのではないけれど、彼は率直で正直だったし、けっして優等生でもない。どこか憎めない性格の持ち主だったからだ。その彼が明らかに私の方を向いて、やや大きな声でこういった。「よかったよなー、俺達はよー、ふつーで。ふつーでよかったよ。ほんとに。」あからさまに私の顔を見ながらそういったのである。まるで戦争で腕を吹き飛ばされた主人公の映画を見て、そっと自分の腕をもう片方の腕でつかみ「あー、よかった」と言っているような口調で。「ふつーでよかったよなー、おれたちは」ということばが私の耳に残った。残ってなかなか消えなかった。その頃、たしかに鬱屈はしていたけれど、私は外で自分の感情をあらわにするということはなかった。そういう私を見て、温厚な人間だと勘違いしたクラスメイトもいたくらいである。しかし、Sはちがった。明らかに周囲に違和感を感じ続けている私の心の中を、彼は直感的に見抜いていたんだと思う。彼にはそういう勘の鋭いところがあった。私はちらっと彼の顔を見た。そこには不安の影などみじんもなかった。安心しきった表情だった。口先のことばだけではなく、心底自分が「ふつー」であることに感謝している顔つきだった。その時、私の心になんだか久しぶりにある感情が湧き起こってきた。自分でも照れくさいくらいあからさまな感情だった。誤解のしようのないくらい明解な感情、それは実にストレートな「怒り」だった。自分でもやや意外だったが、私は彼の「ふつー」ということばの使い方に激しく憤っていた。このことば自体は別に嫌なことばではない。敵意や悪意を含むものでもない。しかし、このことばが最悪の用いられ方をした場合、それは卑屈と傲岸を同時に表現することができるのだということを、私はその時知った。自分はふつうである。並はずれた者ではない。これは考えてみると、謙遜のことばである。へりくだった言い回しである。自分は傑出した存在ではない、と自ら口にしているのだから。それはいい。しかし、同時にこの言葉は、「自分は絶対的な多数派だ」ということをも意味している。俺達は絶対に少数派ではない、「ふつー」という名の多数派なのだ。だから、お前ら少数派の側に回ることなど絶対にないのだ、よかった、「多数派で」。そういう意味では、この謙辞は同時に少数派への痛罵でもあるのだ。「おまえとちがって、俺らはなー、ふつうという名の多数派なんだよ。おまえなんかかないっこないんだよ。ふつうじゃない、おまえなんかにはな」。私の耳には、彼のことばはそう聞こえた。被害妄想だったのかもしれない。しかし、その時に感じた深い嫌悪感はいまでもありありと思い出すことができる。その頃、体育の授業で私は剣道を選択していた。柔道か剣道か、どちらかを選ぶ必要があったのだ。私は剣道にどこか引かれるところがあった。武具を身につけて、竹刀を構えると、なんとなく気持ちがすっきりするように思えた。その剣道の時間に、一対一で試合のようなものをやらされた。どちらかが一本とったら勝ち。体育教師は国士舘大で日本選手権に出たこともあるという剣道部の顧問だった。たぶん五段だったと思う。私は、なぜかSと試合をやれといわれた。相手は三段である。かなうわけがない。私はまっすぐに竹刀を構え、すぐにこの試合は終わると思った。Sの剣さばきは見事なものだったし、特に小手を打たせたら、彼にかなうものはないという評判だった。しかし、こちらの予想に反して試合はなかなか終わらなかった。彼はこちらの剣先をかいくぐってやすやすと私の目の前まで竹刀を運ぶのだが、なぜか決定打を打たないのである。微妙に的をはずして試合を長引かせているのだ。彼は遊んでいたのである。ちょうど逃げ場を失った鼠を猫が余裕たっぷりの様子で弄ぶように。面ごしの彼の口元ににやりとした笑みが浮かんだように見えた。その時、私の頭のなかに「おれたちはふつうーでよかったよ、ふつうでよ」という声が響いた。彼に嘲られているという気持ちが心の中に湧き起こった。あのことばを聞いた時の怒りもありありと甦ってきた。私は考えた。でも、どう見ても勝ち目はない。相手は有段者なのだ。しかし、このままもてあそばれていることにはどうしても耐えられない。何か手段はないか。その頃、私は毎晩バットの素振りを何百回もやっていた。別に野球をやっていたわけではない。ただテレビで野球を見ていて、阪神の藤田平の美しいスイングにひかれ、左で打てるようにしようとなぜか思い立ち、バットを買ってきて、ひたすら素振りをやったのである。何ヶ月かすると、バッドのヘッドがぶうんと回る音がするようになった。実戦経験ゼロながら、スイングだけ見ると、野球部の人間にあまり遜色がないくらいにバットを振れるようになっていた。これしかない、と私は思った。竹刀をほとんど右手だけでもち、左手は軽く添えるだけにした。どんなに竹刀を振り回しても彼の防御は完璧だ。有効打をとることはできない。しかし、有段者には有段者の弱みというか盲点もあるはずだ。予期しない攻撃というものがあるはずだ。私はそう考えた。私が狙ったのは彼の背中である。ほとんど右手一本で私はまるで野球のスイングのように竹刀を横殴りにぶんまわした。彼はやすやすと自分の胴を竹刀で守った。しかし、大きく伸ばした右手の先に握られた竹刀は彼の予測よりももっと彼に接近していた。竹刀の根もとを彼に払われながら、私は右前に一歩踏み込み、竹刀の先端で防具をつけていない彼の背中を狙った。「ばしっ」と獲物をとらえた感触があった。もちろんそれは無効な攻撃だ。しかし、そんなことはどうでもいい。私は彼にダメージを与えることができればそれでいいのだ。さすがに超初心者に痛い思いをさせられて、彼も平常心を失った。微妙に攻撃が的をはずれるようになった。私はこれ幸いと同じ攻撃を右から左から試み、彼の背中をしたたかに打ちのめした。最後はさすがに見事な小手をとられて、試合は終わったけれども。体育の時間が終わり、教室で着替えをしていると、Sの背中がみみずばれに腫れ上がっているのが見えた。人づてに聞いたところでは、「○○は怒らせないほうがいい、あれは怒るとこわい」といっていたそうだ。その後、彼から不愉快な思いをさせられたことは一度もない。「沈黙」という作品を読みながら、なぜかこの経験を思い出していた。あの時から、私は「ふつー」ということばが嫌いになった。「ふつー」という多数派の安全地帯から、少数派をあざわらう人間が大嫌いになった。だから、「日本もちゃんと軍隊をもって、他国と同様に国際貢献の義務を果たし、「ふつー」の国の仲間入りをしようではないか」などという言説を聞くと、いまだに肌が粟立つ思いがするのである。
2006.01.13
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小学校3年か4年の頃だったろうか、担任の女教師の発案で、毎週一つずつ国語の時間に詩を作らされた。これが苦痛でしかたなかった。あんまり嫌だったので、いまだに記憶に残っているが、B5のわら半紙を半分に切ったものを配られ、右端に名前と詩のタイトルを書き、短い詩を書いて、先生の短評を受けるのである。詩を作るなどという行為は、歯を磨くとか床掃除をするとかいうこととは根本的に異なるものであり、他人に命令され、定期的に行うという形態にはなじまないものだ。第一、歯を磨けば歯はきれいになり、床を拭けば床はぴかぴかになるが、むりやり詩を書くと、そこにはことばの残骸が残るだけである。前者は世界からゴミを除去するが、後者は世界に新たなゴミを生み出してしまうのである。今考えても不幸な時代だったと思う。たとえば「雲」というテーマが出される。20分かそこらで詩をひとつひねりださなければならない。なんとか嫌な思いをしないで、この時間を乗り切ることはできないだろうかと考えて、自分なりのパターンを作ることにした。まず「説明」をする。たとえば、「雲、雲は大きい。雲は白い。それは大きな綿菓子のようだ。」というふうに。そして、「疑問」を作る。「雲はなぜ空にぽっかりと浮かんでいるのだろう。どこから来て、どこに向かっていくのだろうか」という具合である。ひとしきりそんなことをだらだらと書いた後に、「しめ」のフレーズが来る。これは決まっている。「~は不思議だ。」で終わるのである。「ほんとうに雲は不思議だ。」という具合に。ひたすらこの鋳型に様々なテーマを当てはめて、なんとかその場をしのいでいた。女教師も教育的情熱にはあふれていたようだが、注意力にはやや欠落があったようで、私の作品が時には優秀作に選ばれたりしたこともある。しかし、この作業をやればやるほど、詩というものが嫌いになった。詩的なるものに対するやりきれない嫌悪感がこの頃から醸成されはじめたのではないかと思う。不幸な文学的体験である。さて、時は過ぎ、私は高校生になった。その頃、ぼんやりしていると、なんとも名づけようのない感情や情緒にしばしばとらえられることがあった。おそらくは稚拙ながらも「詩情」というようなものではなかったかと思う。自然の情景や街の風景を眺めていると、こころのなかに淡い水蒸気のようなもやもやしたものが湧き上がり、それをどう始末したらよいのかわからず、その処理に苦労した。不幸な詩作経験のために、誰かの詩を読むなどということは考えもしなかった。だから、そのような情緒にことばで形を与えるすべを知らず、私は途方にくれていた。うねうね、ぐちゃぐちゃとしたことばの遊びに私はついていけなかったが、短歌や俳句などの定型詩には、自由詩に感じるほどの違和感は抱かなかった。そこには詩情という曖昧な情緒をソリッドな磁器にもりつけるような、ある種のいさぎよさがあるのではないかと感じられた。ある秋の日の夕暮れ。私は自宅の裏庭に出た。夕日があたりを照らしていた。裏庭には小屋があった。大きさは三畳間を二つつないだくらいのものだったろうか、父親が自分で作ったものだ。基礎をブロックで固め、その上に板を打ち付け、屋根をつけ、真ん中でしきりをつけて、二つの空間が作られていた。木の表には渋皮色のニスが塗りつけられ、そのニスがあちこちでひび割れていた。一つの空間は自転車置き場となり、もうひとつの空間は大工用具その他の道具置き場となっていた。小屋には二つの扉がつけられていた。父親は大工になるのが夢だったそうで(夢破れて電気関係の設計技師のような仕事をやっていた)、その小屋の造りは半端な大工の仕事よりもよほどしっかりしたものだった。その小屋の扉に何か小さな虫のようなものがしがみついているのに私は気づいた。なんだろうと思って近づいてみると、それは蝉の抜け殻だった。鈎のように曲がった前足を扉の板にしっかりと食い込ませたまま、褐色の背中が二つに裂け、そこから蝉が飛び立った跡だったのだろう。薄い褐色の抜け殻が折からの風に細かくふるえるように揺れていた。これを「空蝉」というのか、と私はぼんやりと思い、名づけようのない情緒が胸の中に湧き起こってくるのを感じた。これをなんとか形に、ことばにできないものかと私は考えた。この情景を短歌に詠めないものだろうか。「小屋の扉」では歌にならない。ここでは若干の文学的虚飾は許されるだろう。語呂のいい木の名前をいくつか考えた。そして「櫟木(くぬぎぎ)」というのはどうだろうと思った。「櫟木に 爪突き立てし 空蝉の 背を吹き抜ける 軽(かろ)き秋風」これがその時に詠んだ歌である。なぜかいまだに記憶している。その歌をはがきに書いて、高2時代だか高2コースだったか、その時にとっていた学年誌の短歌の欄に投稿した。(昔はみんなこういう雑誌を定期購読していたのだ。今となっては不可思議な民俗的風習に思えるが)選者は木俣修という人で、準特選だか佳作だかはわすれたが、とにかくいくつかの短歌の最初から二番目に掲載され、万年筆か何かを景品としてもらった。高校に行くと、文芸部の女子に入部を勧誘され、走って逃げた。それだけの記憶である。今日なぜかこの歌を思い出して、口にのせてみた。まあ、嘘はあるけれども前半はそれほどひどくはないようだ。しかし、「背を吹き抜ける 軽(かろ)き秋風」という部分はひどい。定型的で表現が垢にまみれている。第一、空蝉の背中の割れ目から風が吹き抜けるわけがない。「軽(かろ)き秋風」という部分は、この情景を大きく損なってしまっている。これはひどい。あんまりだ。なんとかならないものかと改作を試みた。「櫟木に 爪突き立てし 空蝉の」という前半は生かそう。問題はこの後だ。「背(せな)に残りし 生命の洞(ほら)」くらいだろうか。「背(せな)に残りし 旅立ちの跡」かな。これはやや理に落ちているか。まだ前のほうがましか。改作。「櫟木(くぬぎぎ)に 爪突き立てし 空蝉の 背(せな)に残りし 生命(いのち)の祠(ほこら)」このくらいかな。しかし、幼児期からの情操教育というものに私は断固反対する。詩情を与えようなどという僭越なことを考えるから、こういういびつな失敗作が生まれてしまうのである。幼児教育反対。
2006.01.12
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前々から薄々感じていたことなのだけれど、テレビに出るとたいていの人間は馬鹿に見える。そうは思いませんか。私は日頃ほとんどテレビを見ないので、あまり確かなことはいえないのだが、どうもそういう印象から逃れることができない。ふだんはラジオを聴いている。TBSラジオの「アクセス」などは毎日のように聴いているのだが、この番組にはなかなか鋭い論客が出演し、時折鋭いコメントやエッジの効いた発言をする。だが、その当人がテレビに出演すると、どうも知的レベルが2割から3割がた減衰しているような印象を受けるのだ。たとえば、宮崎哲弥。ラジオではなかなかの分析力と知的素養を発揮する人物だが、テレビの画面でみると、少なくともラジオで感じたほどのインテリジェンスは感じられない。田中康夫などもそうだ。まあ、コメントの内容に関してラジオのほうが規制が緩いということも確かにあるとは思うが、そういう発言内容以前に、受ける印象が「あれっ」と思うくらい違う。テレビの画面で見ると、彼らは一様に必要以上におろかに見えてしまうのだ。考えてみると、テレビくらい嘲弄、悪口に適したメディアはないだろう。食事をしながらちらちらとテレビ画面を見て、「なにいってんだ」とか「なんだ、その顔はよお」とか言うのはとても自然なふるまいである。だから、日頃、悪口雑言をぶつけているかごに入ってしまうと、誰もがそれにふさわしい人間に見えてしまうということもあるのかもしれない。はきだめの中の鶴は鶴ではなくて、カラスに見えてしまうということだろうか。でも、そうとばかりもいいきれない。普通に考えると、テレビのほうがその人間そのものをまるごと映し出しているわけであり、実像に近いと思ってもおかしくはない。ラジオは聴覚のみであり、そこでは部分的な長所がことさらクローズアップされ、その結果として実物以上に知的な印象を与えているとも考えられる。しかし、私の感覚としてはむしろ逆である。ラジオこそがその人間の自然な実像をよく伝え、テレビに出ると、本来の知的雰囲気が消し飛び、実像よりもずっとおろかに見えてしまうのである。いったいなぜだろうか。この謎を解くためには、そもそも人間を知的に見せる要素としてどのようなものがあるかを考えてみる必要がある。人間を知的に見せる第一の条件、それは「沈黙」だろうか。沈黙の中に沈んでいながら、なおかつ馬鹿まるだしというのは、ほとんどすくいがたい馬鹿である。少々おろかでも眉間に皺を寄せて、じっと考え込んでいれば、そこそこ知的には見えるものだ。しかし、テレビがもっとも嫌うのはその沈黙である。テレビほど沈黙を伝えるのが苦手なメディアはない。街を歩く一般人でさえ、いったんテレビカメラを向けられると、何をおいてもまず猛然と話しはじめる。不思議に思われるかもしれないが、テレビよりもラジオのほうがずっと静かな印象を与える。沈黙の量もラジオのほうが多く感じられる。テレビは一日中狂騒曲を垂れ流すのに適したメディアなのである。知的に見せる第二の条件、それは「影」だろうか。薄暗がりの中で、顔に斜めから光線を当て、表情に翳りを与えることに成功すれば、少なくとも一瞬は知的な印象を与えることができる。翳りを帯びた顔、それが知的に見せるための第二の条件である。しかし、テレビでは出演者は例外なく煌々たるライトを正面から浴びせられ、翳りなど作るべくもない。その顔はのっぺりと平べったく見え、知性はここでも大きく損なわれてしまう。さて、第三の条件はなにか。知的な人間は、自らの意志で判断し、考え、その考えに基づいて行動する。めったなことでは人のいいなりになどならない。これも重要な要素である。一言でいうと「主体性」ということだろうか。他人の意のままに操られている人間を見て、「知的」と感じることはないだろう。しかるに、テレビの出演者はどうか。彼らは例外なく秒刻みのスケジュールに縛られ、ストップウォッチの支配を受ける。時間に首根っこを押さえられ振り回されているのでは、その人間のインテリジェンスなど発揮しろというのが無理な話である。沈黙、影、主体性、この三つをテレビの画面の中で表現するのは至難の技である。だから、テレビに出るとみんな馬鹿に見えてしまうのだ。テレビに出てもなおかつ知的雰囲気を損なわないでいられる人間がいるだろうか。私見では養老孟司氏などはその数少ない一例かもしれない。よく聴いていると、彼は相手の質問をしばしば無視して自分の話したいことをしゃべっている。ここには主体性があり、おしゃべりなようでいて、相手の質問を無視しているという意味ではある種の沈黙もある。しかも専攻が解剖学という「影」の学問である。現在ではテレビに映って、なおかつ知的に見えるというのは、それだけで「碩学」と呼ぶにふさわしい人物といえるのかもしれない。考えてみると、松本人志、さんま、タモリなどはテレビを通しても十分に知的である。これはなぜだろう。これに対して北野武や所ジョージは少なくともテレビの画面上ではあまり知的には見えない。彼らはラジオのほうがずっと高い知性を発揮する。この違いはいったいどこから来るのだろうか。
2006.01.11
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受験生の頃、生物の勉強をしていて、ホメオスタシスということばに出会った。なにやら面妖な響きのことばだなと思って、意味を調べたら「恒常性」と書いてある。これはつまり、生物がある一定の体の状態をキープする性質のことをいうんですね。その頃はぴんとこなかったが、この概念を創出した人はなかなか鋭いところをついている。人間は零下40度のツンドラ地帯から、プラス40度の熱帯地方まで、寒冷さまざまな環境の下で生を営んでいる。しかし、彼らの体温を計ってみると、おそらくは一度と違わないだろう。考えてみると、これはすごいことである。ランニングをすると代謝は増大し、体温は上がる。しかし、ある地点に達すると、そこから先には上がらないように体全体が連携を保って体温調節を行う。車のエンジンのようにヒートアップして煙をふくということは生物の体では起こらない。これは生物の精妙な生命活動によるものなのだ。ホルモンなどの内分泌系、神経系、脳、皮膚組織、ありとあらゆる機能を駆使して、生物は自らの生存状況をある一定の枠の中にキープし続けている。そういう仕組みを「ホメオスタシス」と名づけようと提唱した人がいるんですね。たしかアメリカのキャノンという人だったと思う。いわれてみれば、「まあ、そんなもんもあるんじゃないの」という感じですが、これを概念として取り出すというのは並の人間にはできない。体温だけ、臓器の機能だけというのではなく、全体として「大体同じ状態にしとこうよ」という約束が生物の個体の内部にあるというのは、まぎれもない大発見であると私は思う。これはことばを変えれば「安定」ということだろう。しかし、この「安定」を得るために生物は時々刻々と目まぐるしい活動を繰り広げ、その結果として「安定」が得られる。これはなかなかに示唆深いことである。人はともすれば「安定」を得ようとして静止する。しかし、生命体における静止とはすなわち「死」を意味する。生命活動を続けながら安定しようとすれば、そこにはたえまない運動が必要になる。つまり「安定」というのは、小刻みに動き続けることではじめて獲得できる状態なのだ。止まることは死を意味する。なんとなく動いているだけでは不安定な状態を招く。だから、動きながら安定を目指すためには、積極的にあっちを動かし、こっちをつつきして、なんとか平衡状態を維持しつづける必要がある。安定というのは、だからとても活発な活動状態を意味しているわけである。先日見た「駅馬車」という映画では移動カメラを駆使して騎馬隊の躍動的な動きが生き生きととらえられていた。しかし、馬の疾駆する動きを生き生きととらえるためには、立ち止まって眺めていてもだめである。馬は一瞬にして目の前を通り過ぎ、はるかかなたに走り去ってしまう。じゃあ、といって、カメラを持ってその馬にまたがって撮影したらどうなるか。画像がぶれてみられたものではない。そこにはたしかに動きはあるが、安定はない。静止状態には安定はあるが、動きはない。では、どうするか。そう、その馬の横をほとんど同じ速度で走る滑車の上にカメラを据え、ほとんど等速度で走らせながら、移動カメラで馬をとらえるしかない。その時、馬の躍動する筋肉の動きや激しい息づかいは鮮明にカメラに映し出される。そこには激しい動きとともに、その動きを生き生きととらえる安定した視点がある。安定はじっと止まっているだけでは得られず、かといって、やみくもに走り回っても得られない。それは一定の方向と速度に明確な目的意識をもって走り続けることによってはじめて実現するのだ。日々、停滞することなく、細かな動きを続けながら、動体視力を鍛え上げる。そして、未来に向かって確かな足どりで走りつつあるものを発見し、その横を併走することで、その動きの実相を見つめ、未来のあり方を考える。そして、ふと反対側を見ると、そこにも自分と同じ速度で走り続ける人々がいる。それが人間的生の「ホメオスタシス」だとしたら、この世界は今とはずいぶんちがったものとなるのではないだろうか。
2006.01.10
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以前から録りだめしておいたビデオを二本見る。「キューティー・ハニー」と「駅馬車」の二本立て。っていったい何なんだろう、この組み合わせは。いや前者は「スワロウテイル」を録ったはずのテープになぜか入っていたものだが(ほんとだって)、全然見る気はなくて早回しで最初のほうだけ眺めていたら、なんとなく気になる箇所があってそこから通常の速さで見始め、ついに最後まで見てしまったのである。これが意外に面白かった。よく出来ていたと思う。でも、これは全然何の期待もせずに見るという前提条件がついた上での話ですからね。「あ、そうか、面白いのか」と思ってレンタルビデオ屋で借りて見ると、また話は別かもしれません。念のため。庵野秀明という監督のことはアニメ出身ということくらいしか知らなかったが、この絵の作り方とビジュアルにたいするこだわり、カット割りの細かさは徹底している。何というか、怪獣ものやヒーローもののテレビ番組を見て眠りについた小学生の夢想が勝手にオリジナルをはるかに越えるレベルにまでスケールと完成度とストーリー性を高め、それが異常なリアリティをもってフィルムに定着されているという感じですかね。うまくいえないけど。少なくとも「ゼブラーマン」と同じくらい私は楽しめました。面白かったです。おそらくはあの異常に細かいカット割りはアニメーションの制作過程が必然的にもたらすものなのだろう。いくらなんでもアニメで延々と同じ視点からカメラを長回しするような映像を作ることは考えられない。なめらかな動画を実現するためには膨大な絵が必要になり、人間が作るものである以上、その絵には少しずつ変化をもたせたくなる。だから、コマ割りも多くなり、それに慣れると、実写でも多くの視点からの絵を短時間で重ね合わせるような作り方になるのだろう。しかし、このようなアニメーションの動きは作り手だけでなく、見る側の感覚にもある種の影響を与える。アニメを見ている人間の眼は、細かく動く画面をとらえようとして微細動を繰り返すのではないか。ひとつのものをじっと見つめることよりも、次々と起こる微細な変化を目で追いかけることが自然な動作と感じられるようになる。これは最近の若い人たちの特徴的な眼の動きに重なる。彼らと正対していると、フォーカスがこちらの顔の周辺を細かく動き回り、自分はその動きの範囲の中でぼんやりととらえられていると感じることが多い。眼を細かく動かしていると、人間は不安になる。順序が逆だと思われるかもしれないが、人が不安を感じるということは世界が安定感を失い、小刻みに動き続けるということであり、その世界の小さな動きをもたらすのは、実は世界ではなく、その世界をとらえる視覚の動きなのだから、眼の動きが世界を動かし、その結果、不安な情緒が醸し出されるのである。実験したことはないが、たぶんそうなるだろう。実験して成功してもあまり愉快ではないと思うので、自分ではやってみないけど。不安な人間が求めるものは安定である。アニメのテーマとして永遠の愛や友情、絆が好んでとりあげられることの背後には、このような事情があるのかもしれない。さて、続いて「駅馬車」。これは過去に何度もビデオに録画しながら、なぜか今まで一度も見ることがなかった。理由はよくわからない。ただなんとなくである。「駅馬車」といえば、有名なジェロニモの率いる騎馬群と騎兵隊との壮烈な戦闘シーンが有名だが、実はそこに至るまでのこの映画の筋の運びは実にゆったりとした人情劇である。これはやや意外だった。町を追放されるアル中の医者がいい味を出している。しかし、ここには黒澤の「酔いどれ天使」や「用心棒」(最後の決闘シーンの街並みはそっくりである)、「七人の侍」の原型がぎっしりと詰まっている。太い筆で墨痕鮮やかに書き上げられた堂々たる楷書を思わせる映画である。無法者であるはずのリンゴー・キッドが妙にやさしいジェントルマンであり、女性的ですらあるところがなかなか面白く、気位の高い身重の婦人が最後まで好意的には描かれず、街の住人も総じていやな奴として描かれている。作り手のはぐれ者・アウトローに対するやさしくあたたかい視線が感じられる映画でもある。しかし、名画として名高いこの作品がはたして一つの作品として全体的にバランスがとれているかといえば、やや微妙である。人情喜劇めいた冒頭から、唐突にあまりにも激しいアクションシーンに移行するあたりは、部分部分が必ずしも全体の統率の下に従っていないような印象を受ける。とにかく娯楽映画に必要な要素をこれでもかとばかりにぎゅうぎゅうに詰め込んだ一本であり、それだけに一作品として完成度が高いかといわれれば疑問が残るのである。有無をいわせぬ圧倒的な面白さにケチをつけるつもりはないのだけれど。しかし、ここまで娯楽的要素が強調されていると、逆に「ここにはなにかあるな」と勘ぐりたくなる。ちょっと冷静になってこのストーリーのキーワードを探ってみると、「密告」(リンゴーは密告によって牢獄へつながれる)、「追放」(酔いどれ医者と商売女)、「不正」(銀行の頭取)、「差別」(商売女への)、「零落」(賭博師)、「風紀を正す会(?)」(おばさま方を中心としたこの会の存在は西部劇の中では違和感をもたらす)、「正義の相対性」、「復讐」といったところだろうか。時代は合わないものの、これらはマッカーシズム(赤狩り)を想起させる。既にこの動きの萌芽のようなものが映画界あるいはアメリカ社会にあったのだろうか。力による弱者の排除に反発するメッセージ色がどことなく感じとれる。またインディアンやメキシコ系住民なども映画の中に正面からアップで登場し、比較的同情的に(というのが言い過ぎならば、「否定的ではなく」といいかえよう)描かれている。ジェロニモの大写しになった顔の表情からは、ある種の大きな哀しみが読みとれるようである。文句のつけようのないほどの娯楽作品にこのようなメッセージ色をそっとしのばせる作り方は私の好むところでもある。でもこの映画の中のジョン・ウェインはなぜあのように女性的なのだろうか。これは見終わった後もずっと疑問として残っている。
2006.01.09
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鼻が悪くなって思い出したことがある。何年か前、においと味が一切なくなるという経験をした。「味気ない」ということばがあんなにリアルに感じられたことはない。最近、障害者や老人の気持ちを知ろうということで、アイマスクをしたり、体に何キロもの重りをつけて街を歩くという試みがなされている。それはそれで、具体性があって悪くない試みだと思うし、そのような体験を通してさまざまな発見をすることもあるだろう。けれど、それで障害をもつ人の気持ちがわかったと思い込むのは、やはり危険だと思う。自分のささやかな経験を通して、私はそう感じる。「においがしない」ことと「においがない」こととはまったく別のことなのだ。嗅覚、視覚、聴覚のない状態をわれわれは疑似的に体験することはできる。何もむずかしいことはない。鼻をつまみ、眼をつぶり、耳の穴をふさげばいいのだ。だが、嗅覚や視覚、聴覚そのものの喪失を追体験することはできない。「においがしない」というとき、そこでは世界はにおいのあるものとにおいのないものに二分され、これはその後者に属しているということを意味する。すなわち、これは「においがある」世界特有の表現なのだ。これに対して「においがない」というのは、においそのものが失われた世界を意味する。それは「世界の喪失」なのだ。そこではこれまで嗅覚を通して知覚してきた世界そのものが回復不能な形で失われるのである。まず味覚がなくなる。実は味覚の大きな部分は嗅覚が占めているのだ。たしかに塩辛いものを口に入れると舌にびりっと刺激を感じる。しかし、それは「しょっぱい」とは感じられない。味が強いと感じられるだけである。牛乳も水も同じ味がする。歯を磨いても無味である。食物を口に入れ、咀嚼し終えて、鼻から息を出す時に感じる「風味」がなくなる。急速に食欲が減退する。しかし、いちばんこたえるのは嗅覚を通した自然体験が失われることである。雨が乾いた大地を叩き始めた時に立ちのぼる、あの砂埃と雨水の混じり合った匂い、花の匂い、草いきれ、たき火の匂い、それらが失われることは、単なる「においがしない」経験ではない。それは「におい」を通して経験してきた自然そのものを喪失することなのだ。そこには無味乾燥の世界が広がっている。われわれは健康な時、誰の目にも同じように映る客観的な世界がまず存在し、各人がそれぞれの仕方でその世界を感じていると思っている。しかし、ある感覚器官を失うと、そうではないことに気づく。各人がそれぞれの感覚器官を通して、まったく異なるひとりひとりの世界像を作り上げているのだ。だからある感覚器官を失うことは、それを通して認知してきた自分の世界の一部を失うことを意味する。この喪失感は大きい。それはちょうど愛する人を失う悲しみが、ただ愛の対象を失ったというのではなく(対象を失ったという感覚ならば人はそれに耐えることができる)、その人と自分とで作り上げてきた世界そのものが失われ、ひいては自分自身が失われ、深くそこなわれたと感じることに似ている。ある感覚の喪失は、その感覚に伴う世界の喪失なのだ。そして、この感覚が取り戻せないものならば、この喪失感が癒されることはない。もしも癒しが可能だとすれば、それはまったく新たな世界の獲得を通してなされるしかないだろう。盲目の音楽家の奏でる音楽が、われわれの心を強くとらえるのは、その喪失体験の深さと、そこから新たな世界を獲得するまでのドラマを、その音楽の背後に聴くからではないか。まして音楽家が聴覚を失う危機に陥ったとしたら、その喪失への恐怖ははかりしれないものがあるだろう。彼の苦悩は果てしなく深く、重い。そして、その喪失体験の向こうに彼が見たものが、生きることそのもののよろこび、他の人と手をつないで絆をたしかめあうことで味わう「歓喜の世界」であったとしたら、その音楽が人々の魂を深く強く揺さぶることに何の不思議があるだろうか。今晩はひさびさにベートーヴェン「第九」(指揮フルトヴェングラー、ウィーンフィル、1951/7/29 バイロイト祝祭劇場)を聴いて寝ることにしよう。
2006.01.08
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人間が他者と接して生きる時にもっとも必要となる能力、それは「想像力」だと思う。想像力ということばを聞いて、人々がまず思い浮かべる単語は何だろう。ファンタジー、幻想、メルヘン、動詞ならば、「解放する」あたりだろうか。少なくとも、「日々の鍛錬」「跳び箱」をイメージする人はほとんどいないだろう。でも、私はこの二つの単語を頭に思い浮かべる。想像力の本質は「メタ機能」にある。メタというのは、「もひとつ上のレベルの」というくらいの意味ですね。親亀の上に小亀が載っている状態、そのまた上に孫亀が載っている状態、この関係がメタです。マトリョーシカというロシアの人形があります。その人形を上下にぱかっと開くと、その中に一回り小さい同じ形の人形が入っていて、それが続いていく、あれです。そのマトリョーシカを一番小さなものから順番に組み立てていく作業をイメージしていただけるといいと思います。想像力というものは、いまさら解放しなくても、すでに社会の至るところに充満している。最も顕著なのは、どうすれば金が儲かるだろうかという想像力である。これはありとあらゆるところで人間の意識を、行動を駆り立てている。もちろん金というのは他者との関係性の中でのみ意味をもつものだから、(無人島に住む大金持ちというのは無意味な存在だ)金を儲けようとして発動される想像力も、他者の想定なくしては成り立たない。他者の消費行動、生産活動、投機行動を「想像」して、それははじめて実効性を伴う。しかし、この想像力は「金儲け」という金属製の枠によってしっかりと限定されてしまっている。この限定の枠をはずして「もひとつ上の」段階に行くためには何が必要になるか。もちろん、それは「金を儲けるという想像力」を超えた段階をイメージする「想像力」である。それは跳び箱を一段重ねる作業に似ている。ある限定された想像力を超えるためには次の段階の想像力が必要になる。だから、想像力の本質は「メタ機能」だといったのだ。だから、これは筋肉番付の跳び箱ゲームなのだ。どこまで段を重ねてそれを飛び越せるかを競う競技なのだ。(余談ですが、私が元旦に見るテレビ番組はTBSが夜延々と放送する筋肉バトルだけです。あの番組では鬼っ子池谷が負けて残念でしたね。他人の失敗を請い願い、切望し、にやっと悪魔の笑みを洩らす名前のない男ーいまだに「池谷の弟」だものーあの悪の輝きが失せて、単なる反省猿に転落したのは残念だった。)えっと、ああ、想像力でしたね。想像力とは跳び箱を跳び越える行為であると。まず自分がいる。考えてみると、「自分」という存在、というか「自分」というとらえ方、これも想像力があってはじめて可能になるものだ。それは「他者」という存在を想像することによってはじめて「自分」になるわけだから。だから、ここではまず「自己」となるべき原基とでもいう存在がある。その存在を一つ越えていくためには、跳び箱を一段積まなければならない、他者というもうひとつの存在を想像することによって。そして、その「自己」に手を突いて、自分自身を跳び越えることが第二の段階となる。そうすることによって、人は他者の世界へと参入していくわけである。ただここで肝心なのは、一段、箱を重ねる時にはその下の跳び箱がしっかりと強固なものでなければならないということだ。ふにゃふにゃぐにゃぐにゃの土台では、この競技そのものが成り立たなくなってしまう。考えてみれば、「宗教」というものの本質も「超える」ことにある。ただ、あやしげな宗教は、自分を超えるために、もやもやふわふわとした桃源郷を信者にイメージさせ、「小さく醜い自分を捨てて、こちらの世界へいらっしゃい」と誘(いざな)う。これではこんにゃくでできた跳び箱を越えようとするのと同じで、手首を捻挫して、奈落の底に落ちるのは必定である。自分を超えるためには、想像力が必要であり、その想像力の基盤となるのはなによりも強固で客観的な自己認識なのだ。自分自身をどこまで冷厳にソリッドに認識できるかによって、その自己は跳躍可能なものとなる。そのような自己認識を鍛え上げるためのひとつの手段が文章を書くことではないか。私はそう考える。だから、文章を書くことは厳しく緻密な想像力を錬磨する作業であり、その想像力をあくまでもその文章の読み手、すなわち「他者」に向けることなのだ。ここでは自己に対する厳しさと他者に対する想像力はほとんど表裏一体の関係をなしている。そして、そこにおける想像力は、もやもやふわふわとしたバラ色の世界に意識を遊弋させることではなく、固い木組みに囲まれた跳び箱を一段一段確実に跳び越えていく日々の鍛錬を意味しているのだ。きょうも私は手に白い石灰をまぶし、呼吸を整え、ゆるやかに助走を開始する。そして、加速をつけ、目の前にそびえる跳び箱を跳び越えるべく、踏切板を強く蹴る。その向こうにある確かな世界の存在を信じて。
2006.01.07
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うー、具合悪い。副鼻腔炎のせいで頭がもうろうとしたまま起床。一度は起き上がったものの戦闘不能状態であり、ふたたびばったりと倒れ込み、午前中に病院へ。 平日の午前中にも関わらず、なぜか混んでいる。高齢者はいつもの通りだが、あとはほとんどおっさんばかり。ここは近所の小さな病院(耳鼻咽喉科、内科)なのだが、気の弱いサラリーマン風、頑健そうな土木作業員風、その斡旋師らしき怪しげな人物、毛皮のショールを羽織った鷲顔の男。なんだか撮影所の大部屋にいるような気分である。 しかし、男性患者というのは、一般的に病気に弱い。病気にかかったのはしょうがないとして、それと戦う前に既に負けているという風情が濃厚に漂っている。なぜなんだろう。おばさまなんかはけっこう病を愉しんでいる雰囲気があるのだが。総じて男性患者は暗くてもやもやしていて歯切れが悪い。(あんまり人のことはいえない) 気弱なサラリーマンは原因不明のめまい。土木作業員は下顎関節痛症候群。なかなかバラエティに富んでいる。私はいうまでもなく副鼻腔炎である。H医師は私の顔を見るなり、「お、副鼻腔、炎症起こしちゃったね、こことここが腫れてるよ」と一言。うーん、診察もしないで、外見で言い当てるとはなかなかの腕である。なんらかの菌が鼻から副鼻腔に回り、そこで炎症を起こしているとのこと。やっぱりね。看護婦との問診の際、「いやあ、こりゃ自力で直すの無理だと思って病院来たんですよ」といったら、看護婦、先生にその旨、御注進。「そら、そうだよ、こりゃーなおらんよ。ながびくだけ。これ自力で直したら大したもんだけどね、むりむり」、だそうである。 念のため、レントゲン室で正座してまるで罪人が首を切り落とされるような姿勢で板に顎をつけて一枚、額をつけてもう一枚、写真をとられる。幸い薬でなんとかなりそうである。 しかし、4年前に体調を崩してから病院に通うようになったが、やはり病院通いにも心得がある。現在、病気知らずの方も「もしもの時にどうするか」ということは平時から考えておいたほうがいいと思う。(病気知らず、病院嫌いであわてまくった私がいうのだからまちがいない)まず、1 具合が悪くなってからどこか適当な病院を探すのはやめること。 これはまず失敗します。病気の時に、健康時と同じ判断力が保持できていると思ったら大間違い。大体は「ばば」引きます。日頃から「まあ、ここが悪くなったらだいたいこのへんの病院に駆け込もう」という「当たり」くらいはつけておいたほうがいいですね。2 とにかく医者を選ぶこと これが最大のポイント。病気をしてわかったのは、一口に医者といってもこれだけのレベル差があるのかということ。ほんとうに「ぴんきり」です。また、それは外形、所属組織とはほとんど関係ありません。だから、病院で選ぶと失敗します。「こんな大きな病院だから」という曖昧な安心感は禁物です。「こんなに大きいんだから、カス医師もさぞや多かろう」と思ったほうがいいです。とにかく医者です、医者。要するに一人の人間を見極める力量、これが求められるわけです。以下は良い医者の見分け方。3 他の患者との接し方をよく観察する だいたいこの時点で医者の見分けはつきます。質問が的確である、患者の話の重要部をしっかり聴きとる姿勢をもっている、無駄な話をしない、おっとりしているようでもどこかに「きびきび」した印象を与える医者が望ましいといえます。4 診断は的確・迅速、処方は慎重に 私は過去に3人の名医に出会ったが、共通点はこれです。レントゲンをあっちこっちからためつすがめつしているような医者はまちがいなく藪です。ホンモノはちらっと一瞥した瞬間に診断はついてます。その瞬間の集中力の強さが名医の条件です。その瞬間、彼らの頭には驚くべき情報量がインプットされているのです。ちょっと時間をおいて、患者にどういうべきかを考える医者もいますが、とにかく診断そのものが迅速であるというのが名医の条件。そして、治療、薬の処方の際には「どうしよっかなー」と考える間があるのも名医の条件です。だって、そこにはほとんど無限の選択肢があるはずだから、迷わないはずはないんです。逆に診断に時間がかかって、処方に迷いがないのは、特定の製薬会社とつながってて、薬価差益の高い薬を自動機械のように処方する藪の可能性が大ですから、要注意。 医者を判断するときには、この「迅速さ」がかなり重要な要件ではないかと思う。なぜかはよくわからないし、一見するとのんびり、おっとりした印象を与える人も多いのだが、肝心要のところでは彼らはおそろしいくらい俊敏、敏捷である。おそらくゆっくり考えていると余計な情報が入りすぎて判断を誤る可能性が高いからではないでしょうか。最適解が一つの問題の場合にはできるだけ迅速に一直線に問題を解き、多くの選択肢の中から比較考量して次善解を選ぶ問題の場合には慎重に結論を絞り込む、ということですかね。この考え方は医者に限ったことではなく、応用範囲が広いような気がしますが。 遠く異国からこのブログにアクセスいただいている方もいらっしゃるみたいですが、だらだらとつまらないことを書いてしまいました。抗生物質で今、体内の菌をたたいている状態なんで、すこしもうろうとしている状態なんですよ。(いいわけ) そう、いい医者はいいわけをしない。これも最後に入れとこう。最近、日記の文章がだらだらと長くなる傾向にあるのだけれども、これっていったい。1 適当にあちこちのブログを渉猟してもろくなものは見つからない2 書き手を厳選しろ3 コメントへの応答を観察しろ4 主題は明確、語り口はゆったりとなんだ、そのままブログの選別条件にもなってるじゃないか。でも書いてて、なんだか自殺点を蹴り込んで頭を抱えている選手の心境になってきました。もともと頭痛いしなあ。みなさまおからだ大切に。
2006.01.06
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仕事始め。鼻づまりで夜中に何度も目が覚め、ようやく寝入ったかと思うと、遠い意識の向こうから目覚ましがけたたましくなりひびく。やれやれ。切れ切れの眠りは次々に異なる夢を見せてくれるのだけど、分析する気持ちの失せるような内容なのはなぜだろう。だって、アパートの一室で謎の諜報活動をしている、なぜか秋吉久美子がサンダル履きで実家の庭先にやってきて、電話回線を4つも引いたんだけど、どれがどれだかわかんなくて弱ったというぐちを私の父親に延々と話し、その姿を私が二階の屋根越しにじっと見下ろしている、なんて夢をあなたは分析する気になれますか。だいたいなぜ秋吉久美子なんだろう。さっぱりわけがわからない。 さて、そんなことを言っていても仕方ない。鼻のせいでアタマがどんよりと曇っているので、ろくなことは書けそうにないが、「ファンになれる人、なれない人」というお題はどうだろうか。 世の中にはたくさんのファンがいる。「いつもみてまーす」「だいすきでーす」「そんけーしてまーす」という、例のあれですね。 でも私は誰のファンなんだろうと思うと、どうも誰のファンでもないような気がする。ブログのコメント欄やトラックバックにもたくさんのファン気質というか、ファンことばが氾濫している。でもどうもああいうワーディングになじめないんですよね。いってることわかってもらえますかね。 もちろん好きな作家や文筆家はいる、よく聞くミュージシャンも好きな脚本家も映画監督も役者もいる。でも誰のファンともいいきれない。「冷めてるんじゃない」といわれるかもしれない。でも、どうも逆のような気がしてならないのだ。 高校生の頃だったろうか、3歳違いの兄と映画の脚本か何かについて話したことがある。その当時、私は映画のシナリオに興味を持っていて、新藤兼人のシナリオ修行の本を読んでいた。その中に、あるシナリオを読んで、頭の中心部がかぁっと熱くなって、いてもたってもいられなくなる、そういう瞬間のことが描かれていた。ひょっとすると、それはシナリオではなくて、映画だったかもしれない。あまりにも感動的な作品に出会って、「わあー、すばらしい」「なんていい映画なんだろう」と思った後に、頭の中心部がかぁーと熱くなって、いてもたってもいられなくなる。やみくもに自分でも「なにかしなくちゃいけない」という気持ちにとらえられ、とりあえずそこらへんにあるノートにへんてこなシナリオだかコンテだかわからないものを書いてはみるのだが、書き終わってしばらくして、それを見ると、あまりのひどさにがっかりする。そういう経験を何度もしたように思う。 新藤兼人の本にもそのような瞬間が活写されていたので、「ほんと、こういうことってあるよね」と兄に話したら、「そんなもんないよ」と即座に否定されてしまった。すごい作品に出会った時に感動したり、呆然としたりすることはある。でも、「自分で何かしなくちゃ」という気持ちにとらえられて頭がかぁーとなることなんて俺にはないよ、と。 たしかに言われてみれば、そちらのほうがずっと正常な反応であるように思える。凄い作品に出会ったら、その作品の凄さに圧倒されていればいいのである。そんなときに自分で何か作ろうとしたって、その作品との落差が際立って、自分に絶望するに決まっている。その通りである。 でもこの感覚は理屈ではないのだ。とにかく理屈抜きに頭が「かぁー」として、「なにかしなくちゃ」と思うのだから。 ひょっとすると、この時の頭の中の温度が一定値を越えてしまう人は誰かのファンにはなれないのではないだろうか。常識的には逆のようにも思えるが、ファンというのはその熱狂がある一定の枠内に収まる人のことをいうのではないか。そして、両者の違いは、他者の作品のもたらす感動が、そのまま他者に向けられるのか、それともくるっと一回りして自分に向かってくるかの違いであるようにも思える。 どうも人間は、他者の作ったものから得た感動を他者に向けたままで満足できる人間と、その感動をまるでブーメランのように自分の方へ旋回させて、自分を駆り立てる刺激ととらえてしまう人間のふたつに分かれるのではないだろうか。 すぐれた文章にもふたつあるように思う。ひとつはその文章のすごさに圧倒されてしまうだけの文章。もうひとつは、すごさに圧倒された後に、自分でも何かを書きたくなるような文章である。 両者はどちらが上とかレベルが高いとかいうのではない。とにかくある種の文章は「すごい、でも自分では書かない」という反応を引き起こし、ある文章は「すごい、自分でも何か書いてみよう」と思わせるのである。たとえば、私の場合、村上春樹、内田樹という人たちのつぼにはまった文章(愛読者の方はわかりますよね)を読むと、何かを書かずにはいられない気持ちにおそわれることがしばしばである。 でもおそらくそういっても「え、なんで、それってどういうこと」という顔をしてぽかんとする人がいるだろう。その人の文章がすごくいいと思うなら、いいじゃない、その人のファンになってれば、といって。 たしかにそうだ。それで満足できれば十分だと私も思う。でも、それができない。ある種のすごい文章を読むと、自分でも何かを書かざるをえない気持ちにおそわれる。そして実際に自分で書いてみて、彼我の違いにぼうぜんとし、深く失望する。 こういう人間はファンにはなれないのだ。不幸なのか幸福なのかはわからない(あんまり幸福そうには思えませんけどね)。それで懲りずにまたこんな文章書いては、がっくりと落ち込むのである。 やっぱ、ファンになれないって不幸なことなのかなあ。
2006.01.05
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今日が仕事始めの方も大勢おられるだろうが、今日までは休み。この1日は貴重である。しかし、昨日の夕方から左の鼻の具合が悪く、副鼻腔がやられている気配。鼻の奥という部所は、脳の直近であることもあり、全身の健康にはさほど影響を及ぼさないものの、精神的なうっとうしさははなはだしく大きなものがある。あー、しろしい(博多弁)。 空は朝から曇天だったが、次第に明るさが増してきた。うちのマンションは7階建てで、自宅は最上階にあるのだが、晴れた日にはほぼ目の高さに富士が屹立している姿が見える。夕方には西の空一面に広がるあかね色を背景に富士がすっくと背筋を伸ばして立つ姿を望むことが出来、当家随一の自慢である。 今日は西方の山並みが曇りにもかかわらず、よく見えた。そして、その中央に雲に似た灰白色ながら、南の斜面に太陽を浴びて銀色に鈍く輝く富士が見える。これもまた休日にしか味わえない風景の一つである。 年末の大掃除が終わり、正月三が日も終わる。あわただしい年末に混乱の極に達した部屋の惨状は大晦日に見事に秩序を回復する。目の前のB&Wのスピーカーの上にも脇にもなんにもなし。すっきりとした木目が浮かび上がっており、すがすがしい。いずれエントロピーの増大に伴い、また元の姿に返っていくのだろうが、こういう秩序だった姿に心引かれることが最近多くなった。 以前にはこう感じていた。人間が生活すればあちこちに雑然とものが散らかるのは必然であり、その姿は自然なものだ。そんなものほっとけばいいじゃないか、と。それを無理やり秩序立てても、いずれもとに戻っていくのであり、必死になって片づけを行うのは自然に逆らう不自然な行為だと。 でも最近少し考えが変わった。人間が生活していれば周囲にものが散らかるのは当然である。この前提に変わりはない。でも、だからこそ毎日毎日少しずつ、その乱れを整える作業を行う、日々秩序を回復する。そのことの意味はけっして小さくないのではないか、と。 だって、一言で整理整頓を行うといってもそれは一色の行為ではありえない。十人いれば十通りの秩序の立て方があり、そこにはその人のスタイルが反映される。そして、自らのスタイルを生活の細々としたことに反映させるのは、それはそれで人間として自然な行為ではないか、と考えるようになった。 皿を食器棚に並べる時にも、実用本位でいくか、美的見地を優先するか、機能別でいくか、色でいくか、製造メーカーでいくか、種別でいくか、さまざまな分類整理の方法が考えられる。 これを洗い桶にほおりっぱなしにしておくと、たしかに自然な姿とはいえるかもしれないが、そこには自分の自然なスタイルは反映されない。その姿はだれがやってもほぼ同じ無個性的なものであり、そこには人間行為一般の自然さはあるかもしれないが、自分のもつ自然なスタイルはむしろ消滅してしまう。 人間の散らかし方には一定のパターンしかないが、整序の仕方には無限の広がりがある。こちらを愉しむ生き方というのもいいかもしれないな、そう考えることが多くなった。 汚れ物のあふれた台所の洗い場をみて、まずさっと水で下洗いをし、スポンジに洗剤を垂らす、その洗剤は事前に水でほぼ二倍の薄さに薄められている、大きなものから洗っていき、小さなものをその上に重ね、コップを洗い、小物を洗う、すすぎの水が上手く洗い物全体の上にこぼれ落ちるような順番で作業を進め、すすぎに使う水の量を最小限に押さえるように工夫する。洗い桶に入れるときにもしずくが自然な流れを作り、水がよく切れるように置き方を考える。まあ、なんということもない作業だが、こんな小さな作業の時にも、頭はけっこういろいろなことを考えているものだ。 洗い物が終わり、ふきんで食器に残った水気を拭き取り、食器棚に再配置していく。それが終わり、洗い桶の底にたまった水をざっと流しに空け、周囲を台拭きで拭き上げる。一連の作業を終えて周囲を見回すと、何かすっきりとした爽快感のようなものが感じられる。 「終わった」という感覚は、次に何かを「始めよう」という気持ちを生み出す。 人が自然に生きるという時、そこには異なる二つの意味が含まれているようだ。ひとつは天然自然の法則に従って生きるということであり、もうひとつは自分の内面で自然に感じられる生き方をするということである。 両者がひとつに重なることもあるだろう。しかし、天然自然の法則に唯々諾々と身を任せる生き方に訣別することから、人は自分の歩を進め、独自の生活や文化を作り上げてきた。 自然の大きな流れを無視しては失敗することが目に見えている。でも、その流れにただ身を任せるだけでは、この「自分」が生きているという実感が感じられなくなってくる。では、どうすればいいか。 自然の大きな流れを感じながらも、時にはその流れに正面から向き合い、自分の足と手で流れとは逆の方向に進もうとすることも、また大事なことではないか。その時に、自分の体の回りに渦がまきおこり、さざ波が生まれ、その波が周囲に及んでいく。流れと流れがぶつかりあったところにわずかではあるが、心地よい抵抗感が生まれ、生きているという実感が湧き起こる。自然の流れの方向や巨大な水量は、実は無自覚的に流されている時ではなく、自分の足ですっくと立ち、流れの源流に目を向けた時にこそ、実感として感じとれるものではないか。 日々の小さな片付け作業も、実は無秩序へと下っていく大きな流れの中で、自分の足で立ち上がり、源流へと向かって一歩足を踏み出す行為であり、その時に体の回りに湧き起こる心地よい抵抗感を味わう作業ではないだろうか。 そんなことをふと考えた。
2006.01.04
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昨日は朝からどんよりと曇っていたが、やることもないので、昼前に明治神宮に初詣に出かける。何年か前、元旦に明治神宮に行った時には、砂利道に砂埃がもうもうと舞う中、参道をまるですもうとりのすり足のように何センチかずつにじり寄っていき、賽銭を投げるまでに一時間近くかかったように記憶しているが、さすがに二日、それもぽつぽつと雨が降り始める天候では、参道そのものはスキーの滑降のプレイヤーがひょいひょいとポールをかわしていくように人をかいくぐって歩いていける状態。人の出入りが規制されるのは門の入り口あたりから先だけである。雨は次第に本格的な降りになり、傘からぽつぽつとしずくが垂れはじめる。でもまあ、このくらいは正月の儀式をやっといてもいいかなという感じですね。よく考えると、毎日勤めている職場から徒歩で10分のところにわざわざ一時間かけて来ているわけで奇妙な感じもしないではないのだけれど。 電車の中で「2」について考える。入試小論文で「人生で二番目に大事なことについて述べよ」という出題があって、なんか面白そうだなと思ったまま、練習にも使わず、塩漬け状態にされている。見た時の第一感としては、感覚的に悪くないなと思ったのだが、自分で何を書くかと考えると、これがいっこうに浮かばないのである。出題をする側としては、自分でなんにも浮かばないテーマは出さないというのが最低限の節度だと思っているので、まだこのテーマをとりあげる機会が訪れない。 なぜ何も浮かばないのだろう。どうやら「二番目に大事なもの」なんて、そもそも大事なものとはいえないんじゃないかということのようだ。人生で自分にとって大事なものがあったとして(実際にそれはあると思うのだが)、それらに番号を振り、優先順位をつけるという発想自体に問題があるように思われる。 「二番目に愛してるよ」という言葉は、要するに「愛してない」といっているのと同じ。そういうことなのである。 ゼロか一か。この二進法の世界では、あるかないかという考え方をすればよいので、ある意味では単純明快、もやもやとしたグレーゾーンが存在しえない。昭和30年代には、こういう明快さが社会を包んでいたように感じられる。そして、まずは原則的にみんな「ない」ところから始まった。そこに自動炊飯器が、自動洗濯機が、(この「自動」ということばが上につくところが妙になつかしい。炊飯や洗濯が「自動」的には行われなかった時代については、今の子どもたちには特別な説明が必要になるだろう)、そして、電気冷蔵庫、電気掃除機、カラーテレビなどが、一つずつ「ある」状態に変わっていくことで、その家にともる灯りが一目盛りずつ照度を上げ、父親の威光が少しずつ上がっていく。それは実にクリアな時代だった。 思えば、この国の家庭の崩壊が加速度的に進行してきたのは、家庭に二台目のテレビが存在しはじめた頃ではなかっただろうか。「ある」か「ない」かから、どのようにあるか、何台あるかという時代へ。「ある」という状態が無数のグラデーションの中の位置づけとしてとらえられる時代。そこからある種の混迷と淀みが生まれてきているようにも思える。 人生で二番目に大事なこと、それは自分にとって大事だと思われることを序列化しないことではないか。人間にとって大事なことはいつも「ひとつ」なのだ。そのひとつが個々に独立した状態で、複数存在しているのが大切なもののあり方であり、そこに順位をつけることなどできるはずがない。だから、人生で一番大事なことは「大事なこと」そのものであり、二番目に大事なことは「大事なことに順位をつけない」ことなのだ。 こう考えた瞬間、二番目に大事なことは自らの定義によって自然消滅する。だから、人生で二番目に大事なことは存在しえないということになる。このテーマについて中味のある文章が書けるわけがないのである。書けなくて正解だったというわけである。
2006.01.03
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久々の自宅での正月。実家に帰らないと、旧年と新年の切断面を作るのがむずかしいが、今年は本格的に大掃除作業を挙行することで「切れ目」を作る。 一夜明けて、正月のテーブルには、お屠蘇として(屠蘇散は入れなかったので「酒」ですね)三種類の日本酒が並ぶ。大晦日からのつきあいは普通酒の王様「鶴の友」、さらに新潟の同胞、王紋の「純米 夢」、特別ゲストとして初見参、滋賀は草津の「道灌 中汲み 純米吟醸」。この最後の酒は、中汲み、精米度45%、しぼりたて原酒という特別仕様である。さすがに馥郁とした香りで他を圧する。さすがの「夢」もかすみがちだが、「鶴」は凛とした立ち姿を崩さないところが立派。 なに、日本酒のことを知らないとわかりづらい。う~ん、そうですね。音楽で喩えると、この三者のラインアップは、誰でも知ってるメジャーの歌い手というわけではないけれども、実力は知る人ぞ知る、つぼにはまるとほとんど無限の力を発揮するミュージシャンの揃い踏みというところですな。ハナレグミ、キリンジ、くるりのジョイントコンサートというところでしょうか。なに、ますますわかりにくい?こりゃまた失礼しました。 閑話休題。年末の内田師の日記に対する感想から始めるのも新年にふさわしくない出だしのようだが、12月30日の日記はなかなか刺激的であり、一言感想を書いておきたくなった。この日の日記には微妙に内角近めをついてくるナチュラルシュート気味のボールを投げられた感触があったからである。おそらく多くの人は日記の「国防」という語句に反応するのだろうが、私はあえて「愛」について語りたい。 先生は戦争遂行のためには冷厳なリアリスティックな戦略と同時に、自己を放擲してまで共同体を守ろうとする無私の精神、ないしは「愛」が必要だと説かれている。そして、わが国の自称「愛国者」には決定的に「愛」が欠乏していることを嘆いて、その日の文章を締めくくられている。 未曾有の危機に際して身を処する方法として、「声の大きい者についていってはならない」ということを先生は繰り返し説かれている。これはほんとうにすばらしい処世の術であるとかねがね私は感服している。なによりも「内容」じゃなくて、「声量」で判断しろというところがいいですよね。ほんとうに自称「正論」家はなぜあんなに大きな胴間声でがなりたてるのか。こんなに力んでいるからにはわしはろくなことはしゃべっとらんけんね、と周囲に広報活動しているとしか思えませんね、ほんとに。 さて、本題は愛だった、愛。愛とはなにか。愛とは本来存在していたはずのつながりにあらためて気づくことである。それは新たに生まれた関係性ではない。もともと存在していた、しかし、なんらかの理由により忘却されていた。そういう関係性にはっと気づくこと、それが愛というものではないかと私は考える。 だから愛の対極にあるのは切断である。私は祖国のために身を捧げる。こういう考え方の根底にあるのは、自らと自らが属する祖国とをまず分離した上で、前者が後者の存在のために身を捧げるという図式である。これを愛とはいわない。こういう事象には自己犠牲ということばがふさわしい。 いわゆる愛国的行為というものは、基本的には自を他のために捨てるという図式の中に収斂される行為であると私は考える。 では愛とはなにか。もしも自と他の区別が存在しているとすれば、両者は分離していることになる。そして、実際にわれわれの生活はこの自他の分離の上に成り立っている。しかし、この両者の存在の根底をどこまでも遡及していくと、何代か前において必ず両者はつながっている。人間、いやもっと大きく生命体といってもよい。それらはどこまで遡るかというレベルの違いはあるにしろ、必ずどこかでつながっている。だから、「ああ、分離していたという意識でいままで生きてきたけれども、実は深いところでつながっていたんだ」という身体感覚にも近い認識をわれわれがもった時、そこにはある深い感情や情緒がともなう、それを「愛」と呼ぶのではないだろうか。 だから、特攻隊の遺書で、自分はなんのために死ぬのかという問題が自らの意識に前景化した時、彼らはまず両親の名前を挙げる。そして擬似的な親として天皇の名を挙げる。それは遠い昔に遡って自分とつながっている存在であり、そのことを意識することが「愛」であり、この「愛」のためにだけ、人間は自らの生命を放棄することができるからだ。 そこでは国家は出てこない。いや、たとえ出てきたとしても、それはどこかで自分とつながりのある人間にすりかえられている。国家とは近代的思想の作り上げた虚構であり、われわれはどこまでさかのぼっても、それとは「つながっていない」からだ。せいぜい擬人法の過剰包装で包みこむことによって、なんとか愛らしきものにたどりつくことができるにすぎない。 だから「愛国」ということばには、どこか倒錯めいた不自然な力みがともなうのだ。男が女を愛する時、それはまったくはじめて出会った素晴らしい異性との出会いがもたらす感情ではない。それは「恋」である。もっといえば「恋」にすぎない。 誰かを愛するようになったとき、相手の痛みが相手以上に自分の痛みとなり、相手の喜びが相手が感ずる以上に自分の喜びとなる。そのような内的経験の積み重ねを通して、ある日突然「人間は互いにつながっている、いやずっと前から人間同士は深い絆によってつながっていたんだ」ということに気づき、愕然とする。それが「愛」の発生である。 だから愛ということばを国家の上に冠するのは不当表示なのである。誰も国家を愛することはできない。もちろん、その庇護のもとにあることに謝意を感じ、忠誠を誓い、義務を果たすことはできる。でも、それで十分ではないか。愛は人に向けるべき感情である。システムや機構には、それにふさわしい感情があるはずであり、そのような感情をこそ向けるべきなのである。そういう振る舞いをすることを「節度」というのではないか。 先生の日乗の最後の一節に「ALL YOU NEED IS LOVE」の訳が挙げられている。これは「愛こそすべて」ではなく、「君に欠けてるのは愛なんだ」と訳すべきだと。 たしかにその通り。しかし、愛国者に真実の「愛」が欠けているのはいわば必然なのだ。なぜなら、愛国ということば自体が語義矛盾をきたしているからだ。誰も国を愛という感情でつつみこむことはできない。 「ALL YOU NEED IS LOVE」という歌を私は好まない。それはあまりに「大声」で唄われすぎていると感じられるからだ。愛もまた大きな声で語るべきものではない。ビートルズの音楽は、絢爛豪華に織りあげられたほとんど完璧なまでの完成度を誇る、しかし壮大なゴミ箱ではないかというように私には思われる。そして、そのことに痛切に気づいたのは、そのグループを主導したジョン・レノンというひとりの男だった。 彼はそのグループとその音楽を否定し、自らの愛の歌を作りはじめる。「OH MY LOVE」「LOVE」などなど。それらの歌の中で「LOVE」ということばが、まるでこわれものをそっと手で包みこむように、小さな声でささやくように、いつくしむように唄われていることに、わたしたちは深く心をいたすべきではないだろうか。 あけましておめでとうございます。今年があなたにとってよい年となりますように。
2006.01.01
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