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昨日のテーブルキッチンは麻婆豆腐抗がん剤治療後の体毛の変化 ― 寛解後1年3か月で気づいた身体の小さな変化 ―最後の抗がん剤治療が終わって、1年3か月が過ぎました。私が診断されたのは、びまん性大細胞型B細胞リンパ腫(DLBCL)でした。悪性リンパ腫の中では比較的多いタイプで、進行が早い一方、治療によって寛解が期待できる病気だと説明を受けました。私の場合は、胸髄の周囲に腫瘍ができていたため、下半身の麻痺という症状が出ていました。治療として受けたのは、PolaR-CHP療法です。抗体薬、抗がん剤、ステロイドなどを組み合わせた化学療法で、入院しながら一定の間隔で点滴を受ける治療でした。がんそのものに対する治療と並行して、下半身麻痺に対するリハビリも始まりました。そして、2025年3月13日、DLBCLは完全寛解となりました。完全寛解という言葉は、本当にありがたい言葉です。けれども、治療が終わったからといって、すべてが元通りになるわけではありません。下肢の麻痺は残っています。排泄障害もあり、排尿や排便の管理には今も日々悩まされています。それでも、訪問リハビリや通所リハビリを続けながら、なんとか前向きに生活を立て直しているところです。そんな日常の中で、最近ふと気になっていることがあります。それは、体毛の変化です。抗がん剤治療中には、頭髪だけでなく、眉、髭、鼻毛、脇毛など、身体の毛がほとんど抜けていたように思います。治療が終わってから、少しずつ毛は戻ってきました。今では、頭髪も眉も髭も鼻毛も、脇毛も、かなり元に戻っているように感じます。ただ、よく見ると、治療前とは少し違います。腕や足、胸などに、以前はなかったような極端に長い体毛が生えています。一本だけ、ひょろっと長く伸びている毛。周囲の毛とは明らかに長さが違う毛。そうした毛が、身体のあちこちに見られるようになりました。こんな感じにヒョロヒョロと頭髪も、全体としては戻ってきたものの、治療前に比べると頭頂部が薄くなったように感じます。一方で、体毛で以前より多くなったようにも感じる部分もあります。つまり、毛が単純に「元に戻った」というよりも、部位によって戻り方が違う、以前とは少し違う身体になっている、という感覚です。医療情報を調べてみると、抗がん剤治療後の毛の変化は、決して珍しいものではないようです。抗がん剤は、がん細胞のように分裂の速い細胞に作用しますが、毛を作る細胞も影響を受けやすいため、脱毛が起こります。治療後、多くの場合は毛が再び生えてきますが、その際に、色、太さ、質感、くせ、密度などが以前と変わることがあると説明されています。医学的には、毛を作る毛包が治療の影響を受け、再び働き始める過程で、毛の生え方や性質が一時的に変わることがあるようです。そう考えると、今感じている体毛の変化も、治療後の身体の回復過程のひとつなのかもしれません。もちろん、急激な変化や皮膚の異常、ホルモンの異常を思わせるような症状があれば、主治医の先生に相談する必要があると思います。ただ、今のところは、治療を乗り越えた身体が、少し違う形で日常に戻ってきているのだと受け止めています。大きな病気を経験すると、身体の小さな変化にも敏感になります。体毛の変化など、命に関わる問題ではないのかもしれません。下肢の麻痺や排泄障害に比べれば、ほんの些細なことなのかもしれません。それでも、毎日自分の身体と向き合っていると、こうした変化がふと気になるのです。以前とまったく同じ身体には戻らない。それは、リハビリを続ける中でも、日常生活の中でも、何度も感じてきたことです。けれども、変化に気づけるということは、それだけ日常を取り戻してきたということでもあります。抗がん剤治療で一度抜け落ちた毛が、また生えてきた。その生え方が少し変わっていても、それはこの身体が治療を越えて、再び動き始めている証のようにも思えます。体毛の変化。小さなことですが、私にとっては、寛解後の身体と向き合う中でのひとつの気づきです。これからも、こうした小さな変化を受け止めながら、今の身体と折り合いをつけて、自分のペースで日々を重ねていきたいと思います。■ 関連記事びまん性大細胞型B細胞リンパ腫(DLBCL)の治療経過や、抗がん剤治療中・完全寛解後の記録をまとめています。● 私の悪性リンパ腫と治療について(DLBCL・PolaR-CHP療法)びまん性大細胞型B細胞リンパ腫と診断され、PolaR-CHP療法を受けることになった経緯をまとめた記事です。今回の記事の前提となる病気と治療の記録です。● PolaR-CHP(ポラR-CHP)療法について〖少し詳しく〗DLBCLに対して受けたPolaR-CHP療法について、薬の組み合わせや治療の考え方を整理した記事です。抗がん剤治療の内容を振り返る参考になります。● 第2クール1週目 順調です。抗がん剤治療中の脱毛の様子や、下肢機能の回復への小さな兆しを記録した記事です。今回の体毛の変化につながる、治療中の身体の変化が書かれています。● 桜咲く ― 完全寛解から始まる新たな歩み ―2025年3月13日に完全寛解となったことを受けて、治療後の新しい歩みを記録した記事です。寛解後の生活と気持ちの変化を振り返る内容です。
2026.05.03
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タケノコのちらし寿司テーブルキッチン⑧孫娘8歳のバースデイメニューはちらし寿司とエビフライ🍤今回は、かわいい孫娘・次女(8歳)のバースデイメニューを、テーブルキッチンで作りました。本当の誕生日は4月19日ですが、小学4年生の長女の体調が悪く、「バースデーメニューは4月24日にしてほしい」と娘から連絡があり、今日に延期となりました。今朝から妻が買い出しに行き、昼から二人で準備を進めました。テーブルキッチンでの調理も、すっかり我が家のスタイルになってきました。今回のメニューは、孫たちの大好きな定番、ちらし寿司とエビフライです。■ 旬のタケノコ入りちらし寿司ちらし寿司には、旬のタケノコをたっぷり入れました。シャキシャキとした食感とやさしい風味が酢飯によく合い、エビや錦糸卵、きゅうり、紅しょうがの彩りも加わって、春らしい一皿に仕上がりました。これは我が家の定番の味です。■ エビフライは2種類の食べ比べエビフライは、ブラックタイガーとバナメイエビの2種類を用意して、食べ比べができるようにしました。しっかりした歯ごたえのブラックタイガーと、やさしい甘みのバナメイエビ。それぞれの違いを楽しんでもらえたらと思っています。本当は前回のように、エビフライタワーにする予定でした。出来上がりました。美味しく食べてくれるといいな!■ まさかの体調不良夕方、孫娘たちの下校に合わせて持って行き、その場でお祝いしようと考えていましたが、娘から「次女の体調が悪くなって早退した」との連絡が入りました。妻も私も今の体の状態では孫たちに近づくことができず、夕方、妻が料理だけを届けに行きました。■ 3人いれば、体調も順番に小学4年生、小学2年生、そして3歳の保育園児。3人いれば、順番に体調を崩してしまうのは仕方のないことだとわかっています。それでも、こういうときにそばで支えてあげられないのは、やはりもどかしく感じます。今はただ、早く元気になってくれることを願うばかりです。■ また元気な日にとりあえず、8歳のバースデイメニューは無事に届けることができました。でもやはり、みんなが元気なときに、改めて作り直して、一緒に美味しく食べてほしいと思っています。家族の健康がいちばん。また笑顔で集まれる日を楽しみにしながら、次のテーブルキッチンに向かいたいと思います。■ 関連記事これまでのテーブルキッチンの記事を、時系列でまとめています。● 座って作る料理の愉しみ ー テーブルキッチンという選択 ー車椅子生活の中で、座って料理を続けるための工夫と、テーブルキッチンという考え方をまとめた記事です。● 3歳のバースデーメニューをテーブルキッチンで ー エビフライ当番はじいじ ー孫娘の3歳の誕生日に、テーブルキッチンでエビフライを準備した記録。今回の記事にもつながるバースデーメニューの回です。● テーブルキッチン③ — 90代の父へ、900食の昼弁当90代の父へ、3年間ほぼ毎日作り続けた昼弁当の記録。現在のテーブルキッチンにつながる、料理と家族の原点を振り返っています。● テーブルキッチン④ ― 夫婦二人の手作り餃子 ―夫婦二人で手作り餃子に取り組んだ一日。今の暮らしに合わせた、無理のない調理の楽しみをまとめています。● テーブルキッチン⑤ ― 鍋焼きうどん風鍋? ―ポータブルガスコンロを使って、具だくさんの鍋焼きうどん風鍋を作った記録。テーブルキッチンの日常編です。● テーブルキッチン⑥ ー お雛様のちらし寿司と、受け継がれる母の味 ーお雛様に合わせて作ったちらし寿司の記録。今回のタケノコ入りちらし寿司にもつながる、我が家の定番の味です。● テーブルキッチン⑦ ― 金柑の香り、レンジで作る小さなジャム ―金柑を使い、レンジで小さなジャム作りに取り組んだ記事。座ってできる調理の工夫を記録しています。
2026.04.24
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今日のテーブルキッチン「カレイとタケノコの煮付け」ボツリヌス治療64日目 ― 再び強まる痙性と、次の治療までの42日 ―ボツリヌス治療から64日目。再び強まってきた左足の痙性に不安を覚えながらも、次の治療までをどう乗り越えるかを考える日々です。レッグクロスやハムストリングの突っ張りは、少しずつ戻ってきました。それでも、週4日のリハビリと日々の工夫を重ねながら、前に進んでいきたいと思っています。2月19日の第2回ボツリヌス治療以降の変化を振り返りながら、今の身体の状態を記録しておきます。2026年4月23日。ボツリヌス治療から64日目を迎えました。前回の記事でも書いたように、ここにきてボトックス治療の効果が少しずつ弱まってきていることを実感しています。この1週間で感じている変化は、はっきりしています。左足の腿裏、ハムストリング。そして腿の表側。そこに、「ビク、ビク」「ビーーーン」といった筋肉の突っ張りや緊張が戻ってきました。ボトックス治療前とまったく同じとは言いませんが、あのときの感覚に確実に近づいてきています。ただ一つ違うのは、痛みです。治療前に感じていたような強い痛みは、今のところそこまでではありません。しかし、「常に続く痙性」という状態は、確実に戻ってきています。今この文章を書いている最中も、左足の腿の表と裏はずっと緊張したままです。2026年4月23日、午後9時15分。この瞬間も、痙性は途切れることなく続いています。■ 第2回ボツリヌス治療後の経過(時系列)ここで、2月19日の治療以降の身体の変化を、これまでの記事をもとに時系列で整理しておきたいと思います。まず治療前日の2月18日の時点では、痙縮そのものは残っているものの、以前のような強い痛みはやわらぎ、夜はフットマッサージャーや保温で調整しながら過ごしていました。左足はピクピクと動き、立位では両方の腿裏が引っ張られ、かかとが浮きそうになることもありましたが、それでも「制御不能なもの」から「調整できるもの」へ少しずつ変わってきている、そんな感覚がありました。そして2月19日、大学病院で第2回ボツリヌス治療を受けました。前回の治療から3か月、この間の身体の変化や日常生活で困る場面をブログに記録してきたこともあって、今回は自分なりに落ち着いた気持ちで治療に臨むことができました。治療後すぐに劇的な変化が出たわけではありません。けれど2日目、3日目あたりから、小さな変化が見え始めました。2月21日の記事では、朝ベッドサイドに座ったとき、いつものように左脚が内側に入り込んで強い痙縮で脚が交差する「クロスレッグ」の姿勢になりながらも、その直後に脚を少し外へ広げて、両足を真下に下ろして座ることができたことを書きました。ほんのわずかではあっても、内転筋の痙縮がゆるみ始めていると感じた瞬間でした。立ち上がったときに浮きがちな踵を床に接地させる動きも、少し楽になってきたように思いました。さらに6日目になると、これまで強かったレッグクロスは少しずつ緩和してきました。その一方で、トイレやベッドサイドでの立ち座りでは、立位をしっかり保つにはまだ不安定さが残っていました。実際に膝折れして便座に座り込んでしまったこともあり、筋緊張が抜けてきたこと自体は良い変化であっても、その変化に身体が慣れるまでには時間が必要だと感じていました。また、この頃には両足ふくらはぎの筋緊張にも新たに気づくようになっていました。8日目の通所リハビリでは、治療効果が実際の動きにどう現れているかを理学療法士の先生と一緒に確認する時間になりました。それまで続けてきたニューステップやレッグプレスなどのトレーニングの中でも、「歩きやすさ」の変化を確かめられるタイミングになり、ボツリヌス治療の効果がリハビリの動きに結びつき始めていることを感じました。そして3月16日、25日目の記事では、両足のふくらはぎの筋肉が以前よりもはっきりと膨らんでいるように感じ、立ち座りや更衣のための立ち上がりで、最後の一踏ん張りのときに、ふくらはぎから床へと力が伝わる感じがわかるようになったと書いています。この頃は、単に痙縮がやわらいだというだけでなく、身体の使い方そのものに少しずつ変化が出てきた時期だったのだと思います。こうして振り返ると、第2回ボツリヌス治療の効果は、治療直後から急に大きく現れたのではなく、まずレッグクロスのゆるみという小さな変化として表れ、立位や歩行の感覚に広がり、その後リハビリの中で「歩きやすさ」や「力の入り方」の変化として少しずつ積み重なっていったように思います。しかし、4月15日の55日目の記事では、再びレッグクロスの兆しが見られるようになりました。以前ほど強いものではないとはいえ、注射後しばらくは意識せずに過ごせていた症状だけに、やはり「戻り始めている」ことを感じさせる変化でした。そして今、64日目。レッグクロスも再び出やすくなり、左足の腿裏と腿の表には「ビク、ビク」「ビーーーン」といった筋緊張が続いています。持続的な痙性があり、脚の動きの中でコントロールの難しさを感じる場面が増えています。こうして振り返ると、第2回ボツリヌス治療の経過は、「治療前の調整しながら保っていた状態」→「治療後数日でのレッグクロスのゆるみ」→「立位や歩行の変化」→「ふくらはぎに力が伝わる実感」→「55日目頃からの再びの戻り」という流れで進んできたことがよくわかります。次回、3回目のボツリヌス治療は6月4日。そこまで、あと42日。正直な気持ちを言えば、「大丈夫かな」という不安はあります。ただ、ここで立ち止まるわけにはいきません。現在の生活は、訪問リハビリが週2日、通所リハビリが週2日。合計週4日のリハビリ体制です。この時間をどう使うかが、これからの42日を左右すると感じています。歩行器を使った自主練習。ベッドでの寝方の工夫。エアーマッサージャーの活用。できることを一つひとつ積み重ねて、なんとか次の治療までを乗り越えていきたいと思います。ボトックスの効果が薄れていく過程は、不安な時間であると同時に、自分の身体と向き合う時間でもあります。効いているときには見えにくかった変化が、少しずつ浮かび上がってきます。不安がないと言えば嘘になります。それでも、これまでの積み重ねを思えば、今回もきっと乗り越えられるはずだと思いたいのです。今この瞬間も続く筋緊張の中で、それでも前に進もうとしている自分がいます。その感覚を大切にしながら、次の治療までの日々を過ごしていこうと思います。■ 関連記事第2回ボツリヌス治療の前後から、効果の変化、リハビリの手応え、そして再び現れ始めた痙縮までを、時系列で記録しています。● ボツリヌス治療前の現在地 ー いまの身体と向き合う ー第2回ボツリヌス治療を受ける前日の身体の状態を整理した記事です。痙縮は残りながらも、痛みの質や身体との付き合い方が少しずつ変わってきたことが記録されています。● 2回目のボツリヌス治療 ― 今日から始まる新しい3ヶ月 ―2026年2月19日の第2回ボツリヌス治療当日の記録です。治療前に整理してきた課題を踏まえ、新しい3か月のスタートとして治療に臨んだ思いが書かれています。● ボトックス治療3日目の小さな変化 ― クロスレッグが少しゆるんだ朝 ―治療後3日目に感じた最初の変化を記録した記事です。毎朝のように見られていたクロスレッグが少しゆるみ、脚を真下に下ろして座れたことが印象的に書かれています。● ボツリヌス治療6日目 ― 体の変化と、次のステージへクロスレッグの緩和が見られる一方で、立位や立ち座りにはまだ不安定さが残っていた時期の記事です。身体の変化に慣れていく途中の戸惑いが率直に綴られています。● ボツリヌス治療8日目 ー 通所リハビリで確認できた“歩きやすさ”の変化 ー通所リハビリの中で、治療効果が実際の動きにどう現れているかを確認した記事です。歩きやすさの変化が、リハビリの手応えとして見え始めた時期の記録です。● ボツリヌス治療25日目 ― ふくらはぎに力こぶ ―治療から25日ほど経った頃の変化を記録した記事です。ふくらはぎに力が入り始めた感覚や、立ち上がりの最後の一踏ん張りに身体の変化を感じたことが書かれています。● ボツリヌス治療 効果はいつまで?55日目に感じた痙縮とレッグクロスの変化第2回ボツリヌス治療から55日目の時点で感じていた身体の変化を記録した記事です。再び現れ始めたレッグクロスや痙縮の兆しと、それでも歩行練習を続ける思いがまとめられています。【特典付き 6/30(金)まで】【公式店】パナソニック エアーマッサージャー はくだけキュッとリフレ レッグリフレ ダークグレー EW-RA192-H 無料ギフトラッピング マッサージ 脚 太もも こり 血行促進 座りっぱなし 立ちっぱなし もみほぐし 疲労 送料無料価格:49,954円(税込、送料無料) (2026/4/22時点)楽天で購入
2026.04.23
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今日のテーブルキッチン「豚ひき肉のカレー🍛」脚の浮腫と向き合う日々 ― 入院中から続く課題と、これからの取り組み ―脚のむくみは、いつの間にか「日常の一部」になっていました。入院中から続くこの症状は、退院後の生活の中でも形を変えながら残り続けています。今回は、これまでの経緯と現在の課題、そしてこれからの向き合い方について整理してみました。■ 入院中から始まっていた浮腫との付き合いこの問題は、退院後に始まったものではなく、大学病院に入院していた頃から続いているものでした。2026年1月8日の記事でも書いているように、入院中はベッド上で過ごす時間が長く、下肢の状態には常に気を配る必要がありました。当時もすでに、脚のむくみははっきりと自覚しており、・足を挙上する・ポジショニングを工夫する・リハビリの中で関節を動かすといった対応を行っていました。医療スタッフの方々のサポートの中で、浮腫は「よくあること」として扱われながらも、決して軽視されることはなく、日々の管理の一つとして位置づけられていました。■ 退院後に変わったこと、変わらなかったこと退院後、生活の場が自宅に移ることで大きく変わったのは、「生活の自由度」でした。しかしその一方で、浮腫という課題は形を変えて続いています。現在は、睡眠の問題や下肢の痙縮の影響もあり、ベッドで横になる時間がどうしても短くなり、気がつけば1日に17時間近く車椅子に座っていることもあります。この「長時間の座位」が、浮腫をさらに助長していることは間違いありません。■ なぜ浮腫が続くのか(あらためて理解する)脊髄に障害がある場合、浮腫が起こりやすい理由ははっきりしています。・筋肉ポンプの低下(動かないことで血液が戻りにくい)・自律神経の影響(血管の調整がうまくいかない)・重力の影響(脚を下げた状態が長い)入院中も、そして現在も、この条件自体は大きくは変わっていません。だからこそ、浮腫は「一時的な症状」ではなく、「継続的に向き合う課題」として存在し続けているのだと思います。■ 現在の状態と実感朝は比較的軽く、日中から夕方にかけて徐々にむくみが強くなる。これは入院中と変わらないパターンです。ただ、現在は生活の中での影響をより強く感じています。・脚が重く感じる・動かしにくい・痙縮が出やすい浮腫は単なる見た目の問題ではなく、「動きやすさ」そのものに関わっていることを実感しています。■ これまで続けてきた対策と、その効果入院中から現在まで、いくつかの対策を継続しています。・脚の挙上(クッションなどを使用)・座り方の工夫(フットレストや姿勢の調整)・関節の運動(リハビリ・他動運動)・フットマッサージャーの使用特に、パナソニックのフットマッサージャーを使い始めてからは、脚の張りや重さは明らかに軽減されました。これは自分にとって大きな前進だと感じています。■ それでも残る大きな課題 ― 「寝ること」しかし、根本的な改善という意味では、まだ大きな課題が残っています。それが「ベッドで横になること」です。横になると下肢の痙縮が強く出てしまい、楽な姿勢を保つことが難しい。そのため、どうしても車椅子で過ごす時間が長くなってしまいます。本来、浮腫の改善には「脚を心臓より高くする時間」が重要ですが、その基本的なことが難しい状況にあることが、今の一番の悩みです。■ これからの取り組みこれからは、これまでの対策に加えて、「寝ることそのもの」をリハビリの一つとして取り組んでいきたいと考えています。・無理にまっすぐ寝ようとしない・クッションを使って楽な姿勢を探す・短時間でもベッドで過ごす時間を作るこうした小さな積み重ねが、結果として浮腫の改善にもつながっていくはずです。■ まとめ脚の浮腫は、入院中から現在まで続いている課題です。そしてこれからも、日々向き合っていく必要のあるテーマでもあります。しかし、これまでの経過を振り返ると、確実に変化もありました。対策によって楽になる部分もあることを実感しています。排泄管理と同じように、浮腫もまた「生活の質」を支える大切な要素の一つです。これからも無理のない形で工夫を重ねながら、前向きに取り組んでいきたいと思います。■ 関連記事浮腫やリハビリの経過を、時系列で振り返ることができます。● 脊髄損傷患者に起こる「足のむくみ」の仕組み ― 筋ポンプ作用の低下と車椅子生活 ―脚の浮腫がなぜ起こるのかを、筋ポンプ作用の低下と長時間の車椅子座位という視点から整理した記事です。大学病院入院中のエアーポンプや弾性ストッキングによる対策、退院後の変化も振り返っています。● 歩行器のある生活へ ― 1年9ヶ月の闘病とリハビリの記録 ―退院後の生活の変化と、歩行器導入までの経過を振り返った記事。日常生活の中での身体の変化がよくわかります。● ボツリヌス治療25日目 ― ふくらはぎに力こぶ ―ボツリヌス治療後、ふくらはぎの筋肉の手応えや、立ち上がり・立位保持での小さな変化を記録した記事です。痙縮が少し緩んだことで、それまで使いにくかった筋肉が働き始めているのではないかという実感が丁寧に綴られています。【特典付き 6/30(金)まで】【公式店】パナソニック エアーマッサージャー はくだけキュッとリフレ レッグリフレ ダークグレー EW-RA192-H 無料ギフトラッピング マッサージ 脚 太もも こり 血行促進 座りっぱなし 立ちっぱなし もみほぐし 疲労 送料無料価格:49,954円(税込、送料無料) (2026/4/22時点)楽天で購入
2026.04.22
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テーブルキッチンでりんご🍎ジャム1人でできるもん!シャワー浴の今 ― 車椅子生活1年10か月でここまで回復した入浴の変化 ―「もう一人で入浴はできないのではないか」そう思っていた時期が、確かにありました。ストレッチャーで運ばれていた私が、今では一人でシャワーを浴びています。私は現在、車椅子での生活を送っています。びまん性大細胞型B細胞リンパ腫が胸髄付近にでき、神経を圧迫したことで、放射線治療の開始とともに胸から下が全く動かなくなりました。あれから1年10か月。日々のリハビリの中で、少しずつ生活は変化してきました。その中でも「入浴」は、最も大きな変化を感じる場面のひとつです。■ 2024年6月〜 すべてを任せるしかなかった入浴発症直後、入浴は完全に介助に頼る状態でした。ストレッチャーに乗せられたまま浴室へ移動し、浴室内でも別のストレッチャーへ移され、看護師さんと介護士さんの二人がかりで体を洗ってもらう。自分では何もできない。ただ任せるしかない時間が、長く続きました。■ 2024年10月〜 車椅子移動は可能に、それでも入浴は機械浴4か月ほど経ち、浴室までは車椅子で移動できるようになりました。しかし入浴自体は変わらずストレッチャー。リハビリテーション病院では、いわゆる「機械浴」で、ストレッチャーのまま浴槽に入れてもらう形でした。移動はできても、「自分で入浴する」という感覚はまだ遠いものでした。■ 2025年3月 完全寛解、そして回復期リハビリへびまん性大細胞型B細胞リンパ腫は完全寛解となり、回復期のリハビリテーション病院へ転院しました。ここで入浴は一段階進みます。浴室までは車椅子で移動し、吊り下げ式のリフトのシャワーチェアーへ移乗。自分で洗えるところは自分で洗って手の届かないところは看護師さんと介護士さんに体を洗ってもらい、そのままリフトで浴槽へ。そして退院前、作業療法士の先生の指導で「退院後のシャワー浴」の練習が始まりました。ここが大きな転機でした。■ 2025年8月 退院後、妻と二人の生活へ退院後は、妻との生活が始まりました。この頃のシャワー浴は、まだ見守りと介助が必要な状態です。・ベッドサイドで脱衣・車椅子で浴室へ移動・シャワーチェアーへ移乗(妻の見守り)・衣類を脱ぐ(妻の介助)・自分で体を洗う・再び移乗(妻の見守り)・ベッドで着衣「自分で洗える」という部分は増えましたが、まだ一人では完結できませんでした。■ 2026年4月 ついに一人でシャワー浴そして現在。ついに、妻の見守りなしでシャワー浴ができるようになりました。・ベッドサイドで全て脱衣・車椅子で浴室へ(濡れ防止にタオル)・自力でシャワーチェアーへ移乗・車椅子を手の届く位置へ移動・シャワーカーテンで車椅子を保護する・自分で体を洗う・自力で車椅子へ移乗・そのままベッドへ戻り着衣もちろん、万が一に備えて妻には近くにいてもらっています。しかし「自分のペースで一人でできる」ということは、これまでとは全く違う感覚です。■ 入浴の自立がくれたもの入浴は、単なる生活動作のひとつではありません。・安全にできるか・どこまで自分でできるか・どこで人の手を借りるかそのすべてが、自分の現在地を教えてくれます。ストレッチャーで運ばれていた自分が、今は自分のタイミングでシャワーを浴びている。この変化は、リハビリの積み重ねそのものだと感じています。■ おわりに「1人でできるもん!」少し子どもっぽい言い方かもしれませんが、今の私には、とても大きな意味を持つ言葉です。できなかったことが、できるようになる。その一つひとつが、これからの生活への自信につながっていきます。これからも焦らず、自分のペースで。できることを少しずつ増やしていきたいと思います。■ 関連記事回復の過程での具体的な出来事ごとに、その時の身体の状態や生活の変化を記録しています。● ボツリヌス治療 効果はいつまで?55日目に感じた痙縮とレッグクロスの変化ボツリヌス治療から55日目の時点で、再び現れてきた痙縮やレッグクロスの変化を具体的に記録した記事です。● 歩行器のある生活へ ― 1年9ヶ月の闘病とリハビリの記録 ―歩行器を使った生活が始まるタイミングで、発症から1年9ヶ月のリハビリの経過を振り返った記事です。● 足の裏が知らせてくれるもの ― 小さな感覚の変化に希望をのせて ―足裏の感覚に変化が出てきた時期に、その具体的な気づきと回復の兆しを記録した記事です。● 排泄管理とともに歩んだ1年9ヶ月 ― 回復の中で見えてきた生活 ―排泄管理の方法が変化していく過程と、日常生活の中での具体的な工夫をまとめた記事です。
2026.04.21
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庭のモッコウバラ尿路感染を経験して見直したカテーテル管理 ― グリセリンBC液の使い方と交換頻度の考え方 ―自己導尿やナイトバルーンの管理で使う「グリセリンBC液」、どこまで清潔に管理すればいいのか迷うことはありませんか?私自身、尿路感染で40℃を超える高熱を経験してから、その使い方を大きく見直しました。今回は実体験をもとに、グリセリンBC液の役割と交換頻度についてまとめてみます。■ グリセリンBC液とは?自己導尿やナイトバルーンの管理を続ける中で、欠かせないもののひとつが「グリセリンBC液」です。私自身、昨年12月8日に尿路感染から膀胱炎を発症し、40℃を超える高熱が出て緊急入院するという経験をしました。そのときのつらさや不安は今でもはっきりと覚えています。それ以来、カテーテルの管理については、以前よりもかなり神経を使うようになりました。■ グリセリンBC液の成分グリセリンBC液は、主に次の2つの成分で構成されています。グリセリンベンザルコニウム塩化物(BC)グリセリンは保湿や潤滑の働きがあり、ベンザルコニウム塩化物には殺菌作用があります。この2つが合わさることで、カテーテルの管理に適した液になっています。■ 効能と特徴カテーテルの消毒(細菌の増殖を抑える)乾燥を防ぐしなやかさを保つ挿入時の摩擦を軽減する単なる消毒液ではなく、「消毒」と「保護」を同時に行える点が大きな特徴です。■ 実際の使用場面私の場合は、自己導尿カテーテルナイトバルーンのカテーテルの消毒・保管に使用しています。日常生活の中で、自然と欠かせない存在になっています。■ 私の使用方法(感染経験後の変化)使用後、カテーテルを水道水でしっかり洗うグリセリンBC液に浸して保管するグリセリンBC液は毎回新しいものに交換する一般的には「1日1回交換」や「数回使用ごとに交換」という方法もあるようですが、尿路感染を経験してからは、できるだけリスクを減らしたいと考え、毎回交換するようにしています。■ なぜここまで気をつけるのか尿路感染による高熱は、想像以上に体にこたえるものでした。突然の40℃を超える発熱、そして緊急入院。あの経験をしてから、「少しの油断が大きな結果につながる」ということを強く感じています。グリセリンBC液は消毒作用がありますが、一度使用すると完全に無菌の状態ではなくなります。そのため、毎回交換 → 最も安全1日1回交換 → 現実的な運用という考え方になりますが、私の場合は「安心を優先する」選択をしています。■ 使用上の注意液が濁ったり変色した場合は使用しない容器も定期的に洗浄する他の消毒液と混ぜない体内に直接使うものではない(器具用)■ まとめグリセリンBC液は、自己導尿やナイトバルーン管理において、感染予防を支える大切な存在です。そして私にとっては、尿路感染という経験をきっかけに、その重要性を改めて実感したものでもあります。日々の管理は決して特別なことではありませんが、その積み重ねが体調の安定につながると信じて、これからも丁寧に続けていきたいと思います。■ 関連記事排泄管理や自己導尿、ナイトバルーンに至るまでの経過がわかる記事です。あわせて読んでいただくと、今回の記事の背景がより伝わりやすくなります。● 排泄管理とともに歩んだ1年9ヶ月 ― 回復の中で見えてきた生活 ―びまん性大細胞型B細胞リンパ腫の治療開始後から現在までの排泄管理の変化を、1年9ヶ月の経過として振り返った記事です。24時間導尿カテーテルの時期、尿取りパッドでの管理、夜間のナイトバルーン、昼間の自己導尿など、生活に合わせた工夫が詳しくまとめられています。● 排尿障害との向き合い方 ー 放射線治療後から今日の泌尿器科受診まで ー放射線治療後に始まった排尿障害について、尿道留置カテーテルでの生活から、泌尿器科受診を経て、リハビリパンツや尿取りパッドでの管理へ移っていった流れを記録した記事です。夜間のナイトバルーンや昼間の自己導尿に至る転機も書かれています。● 排泄障害とともに歩んだ1年6ヶ月 〜体幹機能の回復と日常生活への手応え〜治療開始後に生じた排泄障害について、体幹機能の回復やリハビリの進展と重ねながら振り返った記事です。オムツでの生活からリハビリパンツ、トイレでの排便訓練へと進んでいく過程が、当時の身体機能とともに丁寧に書かれています。● トイレで排便ができるようになりました。大学病院に戻ってから、看護師さんの協力のもとでトイレで排便ができるようになった節目を記した記事です。入院後ずっと願っていたことが実現した喜びと、その意味の大きさが率直に綴られています。
2026.04.17
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今年の桜🌸 4月3日撮影ボツリヌス治療 効果はいつまで?55日目に感じた痙縮とレッグクロスの変化ボツリヌス治療から約2か月。順調だったリハビリの中で、再びレッグクロスの兆しが出てきました。「あと51日」という現実に不安を感じながらも、確実に前に進んでいる実感もあります。いまの身体の状態と、次の治療までの向き合い方を記録しておきたいと思います。2月19日にボツリヌス注射を受けてから、55日が経過しました。もう少しで2か月を迎えようとしています。この間、訪問リハビリや通所リハビリの中で、歩行練習は順調に進んできました。歩行器を使った歩行も、少しずつ形になってきており、「歩く」ということが日常の中に戻りつつある実感があります。しかしここ10日ほどでしょうか。以前のような強いものではないものの、「レッグクロス」の症状が再び見られるようになってきました。ボツリヌス治療を始める前の、あの強い痙縮の状態と比べれば、明らかに軽いものです。それでも、注射後しばらくはレッグクロスを強く意識することなく過ごせていただけに、少し動揺しているのも事実です。次のボツリヌス治療までは、まだ1か月半以上あります。「あと51日」と考えると、正直なところ不安もあります。ただ一方で、今回の治療の効果を実感していることも確かです。治療前と比べると、時々左足のハムストリングが突っ張るような症状が出てきますが、その頻度は明らかに少なくなっています。感覚としては5分の1くらいでしょうか。今もふとした瞬間にビクッと動くことはありますが、痛みも同じく5分の1くらい。治療前と比べると、ずいぶん楽になっていることを実感しています。現在は、・訪問リハビリ、通所リハビリでの下肢の調整・自宅でのストレッチ・フットマッサージャーの活用こうした日々の積み重ねで、なんとかこの時期を乗り越えようとしています。【公式店】パナソニック エアーマッサージャー はくだけキュッとリフレ レッグリフレ ダークグレー EW-RA192-H 無料ギフトラッピング マッサージ 脚 太もも こり 血行促進 座りっぱなし 立ちっぱなし もみほぐし 疲労 送料無料価格:49,954円(税込、送料無料) (2026/4/15時点)楽天で購入パナソニックのこのフットマッサージャーは、今の私にとってはなくてはならないものになっています。足のコントロールがうまくできないため、装着するだけでも一苦労です。それでも、これを使わずに寝た翌朝は、下肢のこわばりが明らかに強く出ます。夜のあいだ装着して、足を伸ばした安定した姿勢を保つことで、体への負担が軽くなっていることを実感しています。さらに、4種類のマッサージモードでしっかりとケアすることで、足の浮腫の軽減にもつながっています。この積み重ねが、日々のコンディションを支えてくれているように感じます。明日の訪問リハビリでは、歩行器を使った歩行の状態を改めて確認する予定です。家族の見守りの中で、日常生活でも歩行器を使えるようになることが、次の目標になります。■ 医療的に考えていることボツリヌス治療の効果は、一般的に2〜3か月程度で徐々に弱まっていくと言われています。今回のように、2か月を前にして軽い痙縮の再発を感じることは、自然な経過とも言えます。大切なのは、・急激な悪化かどうか・生活やリハビリへの影響の程度・痛みや関節の可動域の変化こうした点をしっかり見ながら、無理をしないことだと思っています。またこの時期は、「できていたことが少しやりにくくなる」ことで、気持ちが揺れやすい時期でもあります。だからこそ、歩行器で歩けていること、日常生活が広がっていること――「できていること」に目を向けていきたいと思います。6月4日の次回のボツリヌス治療まで、残り51日。この期間を「我慢の時間」と考えるのではなく、「自分の身体と向き合い、整えていく時間」として過ごしていきたいと思います。歩行ができるように、確実に前に進んでいる。その実感が、何よりの励みです。焦らず、無理をせず、それでも前へ。これからの51日を、上手く付き合いながら乗り越えていきたいと思います。■ 関連記事今回の記事は、ボツリヌス治療後の経過を記録してきた流れの中にあります。治療前から現在までの変化を、時系列で振り返ることができます。● ボツリヌス治療前の現在地 ー いまの身体と向き合う ー治療前の痙縮や歩行の状態を整理し、その時点での身体の状況を記録した記事です。● 2回目のボツリヌス治療 ― 今日から始まる新しい3ヶ月 ―2回目の治療当日の記録。これからの3か月への思いが綴られています。● ボトックス治療3日目の小さな変化 ― クロスレッグが少しゆるんだ朝 ―治療直後に感じた変化や、身体の感覚の違いについての記録です。● ボツリヌス治療6日目 ― 体の変化と、次のステージへ ―治療後1週間ほどの身体の変化とリハビリの進展について書いています。● ボツリヌス治療8日目 ー 通所リハビリで確認できた“歩きやすさ”の変化 ー通所リハビリで感じた歩行の変化をまとめた記事です。● ボツリヌス治療25日目 ― ふくらはぎに力こぶ ―治療後しばらく経過した時期の身体の変化と手応えを記録しています。
2026.04.15
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今年もハナミズキに癒されています♪排尿管理と前に進むための工夫― 自己導尿の見直しから見えてきたこと ―私は、びまん性大細胞型B細胞リンパ腫(DLBCL)という血液のがんの治療を受け、その影響で下肢に麻痺が残りました。現在は車椅子での生活を送りながら、リハビリを続けています。その中で、日常生活において大きな課題のひとつとなっているのが「排泄の管理」、特に排尿の問題です。神経の障害により、尿意が分かりにくかったり、自分の意思でうまく排尿できなかったりする「排泄障害」があり、現在は自己導尿を中心に排尿管理を行っています。現在の生活では、昼間に3回程度の自己導尿を行い、外出時にはレッグバッグを使用し、自己導尿時以外は尿取りパッドに排出する形で対応しています。また、夜間、就寝時はバルーンカテーテル(ナイトバルーン)を装着してウロバッグに尿を溜めています。これで夜間の尿漏れの心配がなくなり、睡眠時間を確保することができています。1回の導尿で出る量はおおよそ100ml前後。ただ、自己導尿で出した尿は尿取りパッドに出しているため、正確な量測れていません。おおよその目安になります。振り返ると、リハビリテーション病院に入院していた昨年6月頃は、カテーテルを入れても尿が出ず、横から漏れてしまうこともありました。それが今では、カテーテルからしっかり尿を出せるようになり、横漏れもなくなってきています。この点だけでも、大きな前進だと感じています。しかし最近、「出てはいるが量が少ない」「排尿後も残尿感がある」という状態が気になるようになってきました。カテーテルは問題なく挿入できているものの、奥で少しつっかかる感じがあるいっぱいまで入れて、少し戻すと尿が出る出し切れていない感覚が残るこうした状態から、姿勢や陰茎の角度に原因があるのではないかと考え、あらためて見直してみることにしました。■ 姿勢を見直して分かったこと今回の見直しで一番大きかったのは、「姿勢」です。車椅子ではどうしても背もたれに寄りかかる姿勢になりがちですが、この状態では膀胱の出口が上になり、尿が下に集まりにくくなります。導尿の際は、骨盤を立ててしっかり前かがみになりおへそを見るような姿勢をとるこの姿勢にすることで、膀胱の出口が一番低い位置になり、尿が出やすくなることが分かりました。■ 陰茎の角度も大事だったもうひとつ重要だったのが、陰茎の角度です。これまではあまり意識していませんでしたが、陰茎は下に向けるのではなく、「お腹に向けて持ち上げる」この角度にすることで尿道がまっすぐに近くなり、カテーテルがスムーズに入り、奥での引っかかりも軽減されることが分かりました。■ 出し切るための工夫さらに、尿が出始めてからも工夫が必要でした。ただ待つのではなく、さらに前かがみになる軽くお腹に力を入れる体を左右に少し動かすカテーテルを少し出し入れする最後に抜きながら排尿するこうした動きを加えることで、残尿が減る可能性があることも分かりました。■ 回数や量について感じたこと現在は1日3回程度の導尿ですが、一般的には4〜6回が目安とされています。回数が少ないと排尿のリズムが整いにくく、出し切れない原因になることもあるようです。また、尿取りパッドでの排出は現実的で便利ではありますが、排尿量が把握しづらいという面もあります。可能であれば、1日1回でも量を測ることで、改善の目安になると感じました。■ 今の自分は次の段階に来ているこうして振り返ってみると、最初の頃は、カテーテルから尿が出ず、横漏れする状態でした。それが今では、カテーテルで排出できるようになり漏れもなくなっている確実に前に進んでいます。今は「できるようになった段階」から、「しっかり出し切る段階」へ進んでいる途中なのだと思います。■ これからも前向きに取り組んでいきたい自己導尿は単なる作業ではなく、日々の体の状態と向き合う大切な時間でもあります。姿勢や角度を少し意識するだけで変わることがある。その積み重ねが、排尿管理の安定につながり、生活の質の向上にもつながっていくと感じています。そしてそれは、下肢麻痺の改善歩行への取り組み日常生活の広がりすべてにつながっていくものだと思います。これからも、自己導尿に前向きに取り組みながら、排尿管理をしっかりコントロールし、下肢麻痺の改善や歩行への希望と合わせて、少しずつ前に進んでいきたいと思います。■ 関連記事● 排泄管理とともに歩んだ1年9ヶ月 ― 回復の中で見えてきた生活 ―びまん性大細胞型B細胞リンパ腫の治療によって生じた排尿・排便の障害について、この1年9ヶ月の経過を振り返りながらまとめた記事です。24時間カテーテルでの生活、尿取りパッドでの管理、昼間の自己導尿や外出時のレッグバッグなど、現在に至るまでの排泄管理の変化が丁寧に記されています。● 排尿障害との向き合い方 ー 放射線治療後から今日の泌尿器科受診まで ー放射線治療後に始まった排尿障害について、尿道留置カテーテルでの生活から、泌尿器科受診を経て、リハビリパンツや尿取りパッドを併用した管理へと移っていった経過をまとめた記録です。排尿機能がある程度残っていると分かったことや、パッド管理の難しさも具体的に書かれています。● 排泄障害とともに歩んだ1年6ヶ月 〜体幹機能の回復と日常生活への手応え〜DLBCL治療開始後に生じた排泄障害について、体幹機能の回復やリハビリの進展と重ねながら振り返った記事です。オムツでの生活からリハビリパンツ、トイレでの排便訓練へと進んでいく過程が、当時の身体機能の状態とあわせて詳しく記されています。● トイレで排便ができるようになりました。大学病院に戻ってから、看護師さんの協力のもとでトイレで排便ができるようになったことを喜びとともに綴った記事です。入院以来ずっと願っていたことが実現した節目として、その時の気持ちが率直に記されています。
2026.04.13
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でっかいかき揚げののったぶっかけうどん!美味しく頂きました。頻脈?心拍数が多いということ ― 回復の途中にいるということ ―昨年1月下旬に抗がん剤治療が終わってから、1年2ヶ月が過ぎました。体調はおおむね安定していて、訪問リハビリや通所リハビリを続けながら、下肢の機能も少しずつ回復が続いています。歩行器での歩行練習も少しずつ増えてきて、生活の中でできることも増えてきました。体の回復という意味では、ゆっくりですが前に進んでいると感じています。ただ、ひとつ気になっていることがあります。それは「心拍数が多い」ことです。■ 安静でも心拍数が100前後リハビリのときには必ず血圧、体温、心拍数などのバイタルを測ります。私の場合、安静時 100〜110リハビリなどで体を動かすと 120前後少し強めの運動をすると 130前後休むとまた110前後に戻る調子がいいときは90台のこともあるだいたいこのような感じです。息苦しさがあるわけではありませんし、胸が痛いとか、脈が乱れる感じもありません。血圧はだいたい110/70くらい、体温は36.1〜36.5℃くらいで安定しています。それでも、安静で心拍数が100前後というのはやはり少し多い気がして、ずっと気になっていました。■ 検査では特に異常はなし大学病院に入院していたときに、心エコー(心臓の超音波)心電図を調べてもらっていますが、特に問題があるとは言われませんでした。最近の血液検査でも、貧血なし炎症反応なし電解質異常なし腎臓・肝臓も大きな問題なしという結果でした。つまり、心臓が悪いとか、血液の問題とか、はっきりした原因は見つからないけれど、心拍数だけが少し多い状態ということになります。■ 心拍数が多い理由を考えるいろいろと話を聞いたり、自分でも考えてみたりして、今はこう考えています。私はこの2年間で、抗がん剤治療長期入院下肢麻痺ベッド中心の生活車椅子生活リハビリ開始歩行練習開始という経過をたどってきました。長い間、体を動かさない期間があり、筋肉も体力もかなり落ちました。そして今は、リハビリで少しずつ体を作り直している途中です。筋肉が減ると、心臓は1回で送り出せる血液の量が少なくなります。すると、血液を体に送るために「回数を増やす」必要があります。つまり、体力が落ちていると、心拍数は増える。体力が戻ってくると、心拍数は少しずつ下がってくる。そういう関係があるようです。■ 血圧が少し低めなのも関係している私の血圧はだいたい110/70くらいです。高血圧ではありませんが、どちらかというと低めの方です。血圧が少し低めだと、体は血流を保つために心拍数を増やします。これも、心拍数が多くなる理由のひとつのようです。つまり、血圧やや低め筋肉量少なめ体力回復途中リハビリで活動量増加自律神経もまだ回復途中こういう条件が重なって、安静でも心拍数が100前後になっているのではないかと今は考えています。■ 心拍数は「回復のバロメーター」いろいろ話を聞いていて、なるほどと思ったのは、心拍数は体力や回復の状態を表す数字でもあるということです。一般的には、安静時心拍数体の状態100回復途中95少し回復90回復中85かなり回復80良い状態70とても良い状態だいたいこんなイメージだそうです。そう考えると、今の私はまだ「回復途中」の数字なのだと思います。■ 焦らず、時間をかけて回復していくがんの治療が終わってから1年2ヶ月。長いようで、まだ1年2ヶ月です。歩けなかったところから、歩行器で歩く練習ができるようになり、生活の中でも少しずつできることが増えてきました。心拍数も、もしかすると体の回復とともに、今年は95くらい来年は90くらいその次は85くらいそんなふうに、ゆっくり下がっていくのかもしれません。■ 今はまだ回復の途中最近思うのは、私はまだ「元に戻った」のではなく、「回復の途中にいる」のだということです。歩くことも、体力も、そして心拍数も、全部がまだ途中なのだと思います。だから、心拍数が少し多いことも、悪いことと考えるより、体がまだ一生懸命働いている証拠、回復の途中にいる証拠と考えて、もう少し長い目で見ていこうと思っています。焦らず、無理をせず、リハビリを続けながら、少しずつ体を作り直していく。そんな気持ちで、これからも過ごしていこうと思います。■ 関連記事今回の記事とあわせて、治療の背景や、回復の過程で感じてきた身体の変化について書いた記事です。続けて読んでいただくと、治療後の体の変化がよりつながって見えてくると思います。● 完全寛解後の不安 ー 頻脈の傾向?と向き合う今 ー完全寛解後、血液データや心エコー、心電図には大きな異常がない一方で、安静時でも心拍数が高めに出ることへの不安を整理した記事です。治療後の体がまだ「回復の途中」にあるのではないか、という視点で頻脈を見つめ直しています。● 脊髄障害に伴う「位置覚(深部感覚)障害」 ー 布団の中の足の位置がわからなくなる不思議 ー足が実際にはどうなっているのか、見えていないと分からなくなる不思議な感覚について、脊髄障害による位置覚(深部感覚)障害として整理した記事です。麻痺そのものだけではない、感覚の障害による戸惑いや不安についても書いています。● 脊髄損傷患者に起こる「足のむくみ」の仕組み ― 筋ポンプ作用の低下と車椅子生活 ―下肢麻痺や車椅子生活の中で続いてきた足のむくみについて、筋ポンプ作用の低下や長時間の座位との関係を、自分の体験を交えながらわかりやすくまとめた記事です。治療後の生活で起こる身体の変化を理解する手がかりになります。● 私の悪性リンパ腫と治療について(DLBCL・PolaR-CHP療法)びまん性大細胞型B細胞リンパ腫(DLBCL)と診断され、PolaR-CHP療法を受けることになった経緯や、下半身麻痺を含めた当時の状態を、自分の言葉でまとめた記事です。今回の記事の背景となる治療の全体像を知っていただける内容です。
2026.03.30
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桜の開花宣言が🌸出されました。リハビリ病院退院後7か月 ― 妻と家族に支えられて―昨年2025年3月25日、9か月の県外の大学病院、リハビリ病院の入院生活を終えて、県内の回復期リハビリ病院へ転院して、今日でちょうど1年になります。回復期リハビリ病院で150日のリハビリを受け、昨年8月21日に退院。それから自宅での生活が始まり、7か月が過ぎました。今の生活を考えるとき、まず思うのは、妻と二人の生活のありがたさです。毎日、三度の食事を一緒に食べ、テレビを見たり、本の話をし、血液内科、泌尿器科、眼科、歯科、そして県外の大学病院の脳神経内科、病院へは妻の運転で通い、ときどきドライブに出かける。空港近くの公園でコーヒーを飲みながら飛行機の発着を眺めたり、県立図書館へ本を借りに行ったり、そんな何気ない日常が、今の私の楽しみになっています。そして、もう一つの大きな楽しみが、娘家族、孫たちとの時間です。2月下旬から黒板アートを描き始めました。映画「ドラえもん のび太の絵世界物語」のテレビ放映をきっかけに、三人の孫娘たちとの共通の話題づくりになればと思い、描き始めた絵でした。土曜日になると孫たちが来て、一緒に絵を描き、色を塗り、にぎやかな時間を過ごしました。孫たちが笑いながら絵を描いている時間は、私にとって何より幸せな時間でした。病気になってから、できないことはたくさん増えました。歩くことも、以前のような生活も、まだ戻っていません。それでも、こうして毎日生活できているのは、妻がそばにいてくれて、娘家族が近くにいてくれて、孫たちが遊びに来てくれるからだと思います。1年2か月の入院生活。退院して7か月。この1年9か月を振り返ると、私は治療、リハビリで回復してきたということだけでなく家族に支えられてここまで生活してこられた、そう思います。今の私の生活を支えてくれている家族に、あらためて感謝したいと思います。これからも、妻と二人の生活を大切にしながら、孫たちの成長を楽しみに、少しずつ前に進んでいきたいと思います。■ 関連記事● 最愛の家族に支えられて 「がんばる理由」が家族であること娘夫婦や三姉妹の孫たちがお見舞いに来てくれた日の記録。短い時間の面会の中で、家族に会える喜びと、「元気になってこの子たちのところへ帰る」という強い思いがまっすぐに綴られた記事です。● テーブルキッチン⑥ ー お雛様のちらし寿司と、受け継がれる母の味 ー子どもの頃に母が作ってくれたばら寿司の味を、今度は三人の孫たちへ伝えたい――そんな思いから、お雛様のちらし寿司を妻と二人で作った記事。家族の記憶と、受け継がれていく味のあたたかさが感じられます。● 3歳のバースデーメニューをテーブルキッチンで ー エビフライ当番はじいじ ー三番目の孫娘の3歳の誕生日に、妻と二人でバースデーメニューを準備した日の記録。孫たちと一緒に「エビフライタワー」を作って楽しんだ、にぎやかで幸せな家族の時間が描かれています。● テーブルキッチン④ ― 夫婦二人の手作り餃子 ―今は妻と二人で作る餃子を囲みながら、娘がまだ小さかった頃、家族3人でたくさんの餃子を包んで焼いた思い出を振り返った記事。今の夫婦の時間と、かつての家族の時間がやさしく重なります。● 支えられながら前へ リハビリ病院2週目の土曜日リハビリ病院での生活が始まった頃の記録。少しずつ体調が整い、リハビリが本格化していく中で、周囲に支えられながら前を向こうとする気持ちが綴られた記事です。
2026.03.25
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里芋の煮っころがしテーブルキッチン、楽しんでいます。足の裏が知らせてくれるもの ― 小さな感覚の変化に希望をのせて ―ここ2週間ほどでしょうか。足の裏や足指の感覚、感触が、これまでより少し敏感になってきたように感じています。以前の記事ボツリヌス治療25日目 ― ふくらはぎに力こぶ💪 ―にも書いたように、このところ足の機能に少しずつ変化が出てきています。そうした変化に希望を感じる一方で、私はどこかで、「歩けるようになりたいという気持ちが強すぎて、自分の体の変化を少し大きく受け取りすぎているのではないか」という思いも持っています。けれども、今回感じているのは、単なる気分の問題だけではないようにも思うのです。痛い、熱い、冷たいといった感覚が、完全ではないものの6〜7割ほど戻ってきたと感じている左足だけでなく、自分では2〜3割くらいの回復かなと思っている右足でも、足の裏の感覚や、足指の動き、足首の動きに、これまでとは少し違う変化を感じています。足の裏が床やフットレストに触れたときの感触。足指を動かそうとしたときの反応。足首を意識したときの、わずかな手応え。そうしたものが、以前より少しだけはっきりしてきた気がします。脊髄や神経の障害のあとの回復では、運動だけでなく感覚の変化が一緒に現れることがあり、リハビリによる繰り返しの刺激や練習が、残された神経の働きを引き出していくこともあるとされています。感覚は「ただ感じる」だけではなく、体をどう動かすかにも深く関わっているそうです。ですから、足裏や足指の変化を自分で感じられることには、それなりの意味があるのかもしれません。また、ボツリヌス治療は、突っ張りすぎている筋肉をやわらげることで、動かしやすさを取り戻す助けになることがあり、下肢のリハビリと組み合わせることで機能面の改善を目指す考え方もあります。もちろん、それだけで歩けるようになると単純に言えるものではありませんが、少なくとも「動きやすさが出てきたことで、今まで埋もれていた小さな変化に気づきやすくなる」ことは十分ありそうです。この変化が、本当に神経や筋肉の回復によるものなのか。あるいは、歩きたいという気持ちが強いあまり、少しよく感じているだけなのか。その両方が混ざっているのか。今の私には、まだはっきりとはわかりません。でも、たとえ少し過大評価が混ざっていたとしても、私はこの変化を楽しみたいと思っています。ベッドサイドで車椅子に座っているとき、足でステップを踏むように動かしてみたり、足の指でグー✊、パー✋をしてみたり。そんな時間が、最近は少し楽しくなってきました。「まだできないこと」を数えるのではなく、「今日感じた小さな変化」を一つずつ拾っていく。今の私には、その積み重ねがとても大切です。脊髄障害の回復は一直線ではなく、変化の出方にも大きな個人差があるとされています。だからこそ、小さな感覚の変化を日々観察し、リハビリの先生と共有しながら確かめていくことには意味があります。今感じているこの足の裏の感覚も、足指や足首の小さな動きも、もしかすると、次の一歩につながる準備なのかもしれません。そう思うと、うれしくなります。期待しすぎないように。でも、希望はなくさないように。これからも、自分の体に起きている小さな変化を、ひとつひとつ大事に見つめていきたいと思います。■ 医療的な補足脊髄や神経の障害の回復では、感覚と運動の変化が並行して現れることがあります。リハビリで繰り返し感覚刺激や動作練習を行うことは、神経の働きの再編成につながる可能性があるとされています。また、ボツリヌス治療は痙縮をやわらげ、動作練習をしやすくする目的で用いられます。ただし、回復の程度やスピードには個人差が大きいため、変化は主治医の先生やリハビリの先生と共有しながら見ていくことが大切です。■ 関連記事● ボツリヌス治療25日目 ― ふくらはぎに力こぶ ―ボツリヌス治療から25日ほどが経ち、ふくらはぎの筋肉のふくらみや、立ち上がりの最後の一踏ん張りで床へ力が伝わる感覚を記録した記事。治療とリハビリの積み重ねの中で、体の中で何かが少しずつ変わっている実感が丁寧に綴られています。● ボツリヌス治療8日目 ー 通所リハビリで確認できた“歩きやすさ”の変化 ー治療後初めての通所リハビリで、足のつっぱりの変化や“歩きやすさ”の変化を確認した記録。実際のリハビリの場面で、治療効果がどのように動きに表れているかを見つめた記事です。● ボツリヌス治療6日目 ― 体の変化と、次のステージへ治療から6日目、クロスレッグの緩和や新たに気づいたふくらはぎの筋緊張、立位保持の不安定さなどを、訪問リハビリの先生と共有しながら整理した記事。体の変化を次のリハビリにどうつなげるかを考えた記録です。● ボトックス治療3日目の小さな変化 ― クロスレッグが少しゆるんだ朝 ―治療後まもない時期に、強かったクロスレッグが少しゆるみ、足を真下に下ろして座れた感覚や、立位で踵を床につけやすくなった変化を記録した記事。小さな変化を見逃さずに言葉にした、回復の初期記録です。● 2回目のボツリヌス治療 ― 今日から始まる新しい3ヶ月 ―大学病院で2回目のボツリヌス治療を受けた当日の記録。前回治療からの3ヶ月を振り返りながら、今回の治療をどの筋肉の問題に対して受けたのか、これからの新しい3ヶ月への思いを書いた記事です。
2026.03.25
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歩行器のある生活へ ― 1年9ヶ月の闘病とリハビリの記録 ―先週の訪問リハビリで、リハビリの先生にサポートしていただきながら、ベッドサイドから立ち上がり、歩行器へ移る動作を確認しました。そして歩行器で歩いてトイレへ行く動作も一緒に確認しました。いよいよ、自宅で歩行器を使った日常的な歩行が始まります。ここに至るまでの1年9ヶ月を、少し振り返ってみたいと思います。2024年6月17日びまん性大細胞型B細胞リンパ腫(DLBCL)の治療が始まりました。治療の過程で下肢に麻痺が出て、胸から下の感覚はほとんどない状態になりました。大学病院のリハビリの先生に支えられても、ベッドサイドに座ることもできない状態でした。今振り返ると、ここがすべてのスタートでした。2024年8月がんリハビリの患者としてリハビリ病院へ転院。車椅子での入院生活が始まりました。大学病院での抗がん剤治療と、リハビリ病院でのリハビリを交互に繰り返す生活でした。この頃はまだ、立つことも歩くことも現実的な目標には思えず、まずは「座る」「車椅子に移る」ことが目標でした。2025年3月13日完全寛解。病気との大きな戦いが一区切りついた日でした。ここから、本格的に「歩くためのリハビリ」に集中できるようになりました。2025年3月25日地元の回復期のリハビリ病院へ転院。5ヶ月、150日の入院リハビリ生活が始まりました。この時点では、・長下肢装具を装着・リハビリの先生が後ろから支える・平行棒で歩行・約2.5メートルを2往復という状態でした。歩くというより、「脚を出す練習」「体重を乗せる練習」という感じでした。それでも、平行棒の中で一歩一歩進むことが、とても大きな前進でした。2025年8月21日回復期リハビリテーション病院を退院。この時点では、・短下肢装具・平行棒は自立で歩行・最長10往復・ピックアップ歩行器での歩行も可能ただし痙性が強く、日常的に使用するにはまだ難しい状態でした。また、馬蹄型の歩行器では、リハビリの先生の支持を受けて約80m歩くことができました。退院時点では、「歩くことはできるが、安定して日常的に歩くのはまだ難しい」という段階だったと思います。退院後の生活退院後は、・自宅での生活・訪問リハビリ・通所リハビリこの3つを中心に生活が続きました。そして歩行の大きな課題が、脚の痙性(突っ張り)でした。脚が交差してしまうクロスレッグ、膝が曲がる、足首が固いなど、歩行の妨げになる症状が続いていました。ボツリヌス治療・2025年11月18日・2026年2月19日2回のボツリヌス治療を受け、脚の突っ張りが少しずつ緩み、足が前に出しやすくなり、歩行の安定感が少しずつ出てきました。この治療とリハビリの組み合わせが、今回の歩行器導入につながったと思います。そして今回、歩行器導入へ今回導入する歩行器は肘掛け式で、肘で体重を支えることができるため、下半身への負担が減り、膝折れのリスクが軽減されます。今の自分の身体状況にはとても合っている歩行器だと思います。何より大きいのは、リハビリの時間だけ歩くのではなく、生活の中で歩くようになることだと思っています。・ベッドからトイレまで歩く・部屋の中を歩いて移動する・立っている時間が増える・歩く回数が増える歩くことで、・腿裏・ふくらはぎ・足首・アキレス腱・股関節・体幹いろいろな部分のストレッチや筋活動につながり、脚の機能面での改善も期待できるのではないかと思っています。歩くこと自体が、毎日のリハビリになる。これが歩行器の一番大きな役割だと思います。この1年9ヶ月を振り返って2024年6月、ベッドに座ることもできなかった状態から、・車椅子・平行棒・長下肢装具・短下肢装具・ピックアップ歩行器・馬蹄型歩行器・通所リハビリでの歩行練習・そして自宅で歩行器ここまで来ました。リハビリは、急に良くなることはなく、小さな変化の積み重ねだったと思います。これからの目標これからの目標は、まずは歩行器で家の中を安全に自由に歩けるようになること。その次は、・歩く距離を伸ばす・方向転換をスムーズにする・もう少し軽い歩行車へ・杖歩行・屋外歩行そこまで行けたら、本当にすごいことだと思います。新しい段階へ歩行器が家に来るということは、単に福祉用具が一つ増えるということではなく、生活の形が少し変わるということだと思います。「リハビリのために歩く」から「生活するために歩く」へこの歩行器のある生活が、これからの回復の新しい一歩になるような気がしています。焦らず、無理せず、でも少しずつ前へ。またここから、新しいリハビリ生活が始まります。
2026.03.22
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2022年3月15日 撮影 セイヨウタンポポ今が一番若い、アド街「お茶の水」から ー 昭和32年生まれのテレビっ子 ー2026年3月21日放送の「出没!アド街ック天国 お茶の水」を見ました。私は1976年4月から1983年3月まで、東京と埼玉で学生時代を過ごしました。もう50年近く前のことになります。番組を見ながら、当時の空気や街の雰囲気、学生だった頃の自分の気持ちのようなものが少しずつ思い出されてきました。懐かしいというよりも、ほんわかと温かい気持ちになり、少し前向きな気持ちになりました。以前ブログにも書きましたが、サイモンとガーファンクルの「The Boxer」の一節にこんな言葉があります。年月は静かに過ぎていく穏やかに揺れながら僕はかつてより年を取りそれでもこれからよりは若い人は誰でも年を取っていきます。でも同時に、「今がこれからの人生の中で一番若い」ということでもあります。今回のアド街の中でも、これからの人生の中で今が一番若い、というような言葉が出てきて、とても心に残りました。18歳の頃の自分。将来がどうなるかも分からず、形のない不安もあり、でもなぜか根拠のない自信のような、生きる力のようなものがありました。あの頃は前が見えていないというより、前が見えていなくても進んでいける、そんな年齢だったように思います。今回の番組を見て、その頃の自分の気持ちを少し思い出しました。びまん性大細胞型B細胞リンパ腫が完全寛解して1年。体調も落ち着き、治療の影響で動かなくなった下肢も、少しずつではありますが回復への道の途中にいることを感じています。だからこそ、今思います。18歳のあの時と同じように、今もまた人生の途中にいるのだと。番組の中では、私たちシニア世代の方々がお茶の水に集って第二の青春を楽しむ姿が紹介されていました。生きる力のお裾分けをいただいたような気持ちになりました。時間は確かに過ぎましたが、人生はまだ途中です。これからの人生の中で、今が一番若い。そう思って、これからも前を向いて生活していこうと思います。今回のアド街ック天国「お茶の水」の回は、そんな気持ちを思い出させてくれた、とても良い番組でした。■ 関連記事● 『トクサツガガガ』テレビとともに過ごす日々 ② ー 昭和32年生まれ、68歳のテレビっ子 ー2019年放送のNHKドラマ『トクサツガガガ』をあらためて見返しながら、「好きなものに支えられて生きること」の大切さを静かに見つめ直した記事。病気や障害を経験した今の自分の生活とも重ねながら、これからの人生をどう楽しむかを考えています。● テレビとともに過ごす日々 ー 昭和32年生まれ、68歳のテレビっ子 ー退院後の暮らしの中で、NHKオンデマンドやNHKプラスを中心にテレビを見る時間が増えたことから、日々の生活とテレビとの関わりを振り返った記事。自由な時間の過ごし方や、今の自分にとってのテレビの位置づけが素直な言葉で綴られています。● サイモン&ガーファンクル「The Boxer」―入院中の夜にー入院中の夜、NHK「アナザーストーリーズ」をきっかけにサイモン&ガーファンクルの音楽、とりわけ「The Boxer」が深く心に入り込んできた体験を綴った記事。病気や下肢麻痺という現実の中で、歌詞の一節が自分の気持ちに重なったことが丁寧に書かれています。● テレビ東京最強説ふだん自分がよく見ている番組をNHKとテレビ東京を中心に並べながら、民放の中ではテレビ東京がいちばん自分に合っているのではないか、という思いを楽しく綴った記事。『出没!アド街ック天国』や『孤独のグルメ』など、好きな番組の並びにもその人らしさが出ています。
2026.03.22
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2024年3月22日 ヒメツルソバ排泄管理とともに歩んだ1年9ヶ月 ― 回復の中で見えてきた生活 ―この1年9ヶ月の闘病生活の中で、今の私の生活に最も大きく関わっていることは排泄管理です。排尿や排便の問題は、人にはなかなか話しにくいことでもあります。しかし、実際の生活の中ではとても大きな意味を持っています。この1年9ヶ月を振り返りながら、私の排泄管理がどのように変わってきたのかを、自分自身の記録としてまとめてみようと思いました。びまん性大細胞型B細胞リンパ腫の治療が始まり、2024年6月17日に大学病院に入院してから、私の身体は大きく変わりました。放射線治療、そして抗がん剤治療の過程で下肢が麻痺し、胸から下の感覚がまったくなくなった時期がありました。排尿や排便の感覚も完全に失われ、排泄は自分の意思や感覚とは関係なく起こるものになりました。医療スタッフの方々に管理していただくしかなく、身体の変化を受け止めることだけでも精一杯だったように思います。それでも、入院して2〜3週間ほど経った頃、ほんのわずかですが排尿や肛門のあたりに感覚が戻ってきたように感じる瞬間がありました。はっきりした感覚ではありません。それでも「あ、何か感じている」と思えたとき、自分の身体が完全に止まってしまったわけではないのだと、かすかな希望を感じたことを今でも覚えています。■ 最初の4ヶ月 ― 導尿カテーテルでの生活 ―入院してから最初の約4ヶ月、2024年10月頃までは、24時間導尿カテーテルを入れた状態で生活していました。自分の意思で排尿することはできず、尿は常にカテーテルを通して排出される状態でした。当時はそれが当たり前の状態で、そこから先の生活を考える余裕はあまりありませんでした。■ 泌尿器科受診と、カテーテルが外れたときの解放感その後、大学病院の泌尿器科を受診し、膀胱の機能を詳しく調べてもらいました。その結果、膀胱の機能はある程度残っていることがわかり、自己導尿ではなくリハビリパンツと尿取りパッドで管理することになりました。カテーテルが外れたときのことは、今でもよく覚えています。身体的にはまだ不自由な状態でしたが、大きな解放感がありました。「一歩前に進めた」そんな感覚がありました。■ 尿取りパッドでの排尿管理カテーテルが外れたことで生活は少し変わりましたが、尿取りパッドでの管理にもまた別の難しさがありました。2〜3時間ごとの交換が必要になり、リハビリで身体を動かすとパッドがずれて尿漏れが起こることもありました。夜間は夜用パッドを使ったり、陰茎部に巻くタイプのパッドも試しましたが、痙性で足が動くことで外れてしまい安定しませんでした。睡眠が十分に取れないこともあり、排尿管理は決して簡単なものではありませんでした。■ 回復期リハビリ病院での排尿管理2025年3月末に回復期のリハビリ病院へ転院してから、排尿管理にも少し変化がありました。夜間の排尿管理の負担を減らすため、夜だけナイトバルーンを使うようになりました。さらに昼間は自己導尿を取り入れ、排尿管理の形も少しずつ整ってきました。■ 現在の排尿管理退院後の現在は、生活に合わせて排尿管理の方法を使い分けています。夜はナイトバルーンを使用し、昼間は自己導尿と尿取りパッドで管理しています。外出時や通所リハビリに行くときにはレッグバッグを装着して生活しています。試行錯誤を重ねながら、今はこの形が自分の生活に一番合っているように感じています。■ 排便管理の試行錯誤大学病院やリハビリ病院に入院していた頃は、便失禁が起こることもよくありました。排便は下剤、浣腸、摘便などで管理していただいていました。2025年3月末に回復期のリハビリ病院へ転院した頃も、最初の1ヶ月ほどは浣腸や摘便をしてもらっていました。その後、リハビリの効果もあり、グーフィスやマグミットなどの薬で排便をコントロールできることが少しずつ増えてきました。■ 在宅生活での排便管理退院後は薬での管理を基本にしながら、必要なときには妻に座薬を入れてもらって排便することもあります。それでも排便のタイミングが合わず、通所リハビリをお休みしたことも何度かありました。排泄は生活の予定にも大きく影響します。その意味で、排泄管理は今の私の生活の中で最も大きなウェイトを占めていることの一つです。■ この1年9ヶ月を振り返ってしかし、この1年9ヶ月を振り返ると、身体の状態は確実に変わってきていると感じます。最初は胸から下の感覚がまったくない状態から始まりました。そこからほんのわずかな感覚が戻り、リハビリが進み、生活動作も少しずつできるようになってきました。排泄管理もまた、身体の回復とともに少しずつ形を変えてきました。今も決して楽ではありませんが、以前に比べるとずいぶん生活しやすくなってきています。■ これから先のこと大きな回復ではなくても、小さな変化が積み重なることで生活は前に進んでいくのだと思います。これから先も、身体の回復とともに排泄管理も今よりさらに良くなっていくのではないかと、私は希望を持っています。排泄管理は人に話しにくいテーマかもしれません。けれど、私の生活の中ではとても現実的で、とても大切な問題です。これからも自分の身体の変化を見つめながら、少しずつ前に進んでいきたいと思っています。排泄管理については、これまでのブログでもいくつかの記事で記録してきました。そのときの体験や工夫については、こちらの記事にもまとめています。■ 排泄管理・排尿管理の関連記事排泄障害とともに歩んだ1年6ヶ月 〜体幹機能の回復と日常生活への手応え〜下肢麻痺によって始まった排泄障害について、体幹機能の回復やリハビリの進み方とあわせて振り返った記録です。排泄動作が生活動作の回復と深く関係していることを実感した時期の体験をまとめています。排尿障害との向き合い方 ― 放射線治療後から今日の泌尿器科受診まで ―放射線治療後に始まった排尿障害について、導尿カテーテル、尿取りパッド、ナイトバルーン、自己導尿、レッグバッグなど、排尿管理の方法がどのように変わってきたのかを整理した記事です。脊髄障害による排便管理の今脊髄障害による排便管理について、在宅生活の中での具体的な方法や工夫をまとめた記事。リハビリと生活の中で排便管理がどのように変化してきたのかを振り返っています。
2026.03.17
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2024年3月6日 水曜日 ユキヤナギ2月19日に大学病院で2回目のボツリヌス治療を受けてから、25日ほどが経ちました。この数日、自分の体に少し気になる変化を感じています。両足のふくらはぎの筋肉が、以前よりもはっきりと膨らんでいるように感じるのです。手で触ると、丸く固い筋肉の感触があります。はっきり「筋肉がついた」と言い切れるほどのものではないのかもしれませんが、以前とは明らかに違う手応えがあります。実は、ボツリヌス治療の前後の頃から、ふくらはぎに「つりそうな痛み」のような違和感を感じることがありました。最初は少し気になりましたが、最近はその感覚がむしろ「力が入り始めた」感覚に変わってきています。トイレでの立ち座りや、ベッドサイドで更衣をするための立ち上がりの場面で、最後の一踏ん張りのときに、ふくらはぎから床へと力が伝わる感じがはっきりわかるようになりました。これは自分にとって、とても不思議な感覚です。これまでの生活では、足の内転筋の痙性(脚が交差してしまう強い筋緊張)の影響が強く、立ち上がりのときにどの筋肉を使っているのかを感じ取る余裕はあまりありませんでした。しかし、今回のボツリヌス治療で内転筋やハムストリングスの筋緊張が少し緩んだことで、それまで使いにくかった筋肉が働きやすくなっているのかもしれません。ふくらはぎの筋肉は、立ち上がりや立位保持の「最後の踏ん張り」に大きく関わる筋肉だと聞いています。リハビリの先生の話でも、ふくらはぎが働き始めることは立ち上がり動作の回復にとって重要な要素のひとつだと言われていました。今回の変化がボツリヌス治療の効果なのか、リハビリの積み重ねなのか、あるいはその両方なのかは、正直なところ自分にははっきりわかりません。ただ、ひとつ言えることは、体の中で何かが少しずつ変わっているという実感があるということです。私の場合、びまん性大細胞型B細胞リンパ腫(DLBCL)の治療が終わり、「完全寛解」と言われてから約1年が経ちました。抗がん剤治療と長い入院生活で落ちた体力や筋力は、すぐに戻るものではありません。それでも時間をかけて、少しずつ回復していくものだとも聞いています。最近の血液検査では、白血球、ヘモグロビン、血小板のいずれも正常範囲でした。抗がん剤治療のあとには、骨髄の働きが弱くなり、血球が下がることがありますが、今回の結果を見る限り、骨髄の働きはほぼ回復している状態と言えるようです。もちろん、血液検査の結果だけで「筋肉が増えた」とまで言えるわけではありません。けれど、骨髄がしっかり血液を作れる状態に戻り、体の基礎的なコンディションが整ってきていることは、リハビリで体を使ううえでの大きな土台になっているのではないかと思います。そうした体の回復の流れの中で、ボツリヌス治療による筋肉のバランスの変化や、訪問リハビリ、通所リハビリでの積み重ねが重なり、今回のような小さな身体の変化として現れているのかもしれません。訪問リハビリや通所リハビリの先生とも、この変化はすでに共有しています。こうした小さな身体の変化を、これからのリハビリの中でどう活かしていくかを、一緒に考えていくことになるのだと思います。回復は、一直線ではありません。それでも、体のどこかに新しい感覚が生まれるとき、そこには次の変化の芽があるような気がします。今回の「ふくらはぎの小さな変化」も、そのひとつなのかもしれません。■ ボツリヌス治療 経過記録シリーズ今回の記事は、大学病院で受けたボツリヌス治療の経過を、自分自身の体の感覚とともに記録しているシリーズのひとつです。治療前から治療後の変化までを、時系列でまとめています。① ボツリヌス治療の前に整理した、今の自分の体の状態大学病院で2回目のボツリヌス治療を受ける前に、痙性の状態やリハビリの状況、日常生活で感じていた身体の変化を整理した記録。② 2回目のボツリヌス治療 ― 今日から始まる新しい3ヶ月 ―大学病院で2回目のボツリヌス治療を受けた当日の記録。前回の治療から3ヶ月間の体の変化と、新しい治療サイクルへの期待。③ ボツリヌス治療2日目 ― 小さく動き始めた体の変化 ―治療後まだ大きな変化はないものの、脚の感覚や動きの中にわずかな変化を感じ始めた頃の記録。④ ボツリヌス治療6日目 ― 体の変化と、次のステージへ ―治療から1週間ほどが経ち、リハビリの中で感じ始めた体の変化や手応えを整理した記事。⑤ ボツリヌス治療後の体の変化を考える痙性や筋肉の働き、リハビリの視点から、治療後の身体の変化をあらためて整理した考察記事。⑥ ボツリヌス治療25日目 ― ふくらはぎに感じた小さな変化 ―今回の記事。ふくらはぎの筋肉の変化や血液検査の結果も含め、体の回復の流れを自分なりに考察しています。
2026.03.16
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テーブルキッチンシリーズ第7回。今回は、冬になるとどうしても作りたくなる金柑のジャムです。金柑の甘く爽やかな香りが、私はとても好きです。以前はホームベーカリーを使ってジャムやマーマレードを作っていたのですが、最近は電子レンジで作る方法にはまっています。短時間でできること、そして何より色がくすまずきれいに仕上がるのが魅力です。■ 金柑の下ごしらえ金柑をよく洗い、キッチンペーパーで水気を拭き取ります。ヘタを取り、輪切りにしていきます。種は楊枝で取り除きます。今回の金柑は「種無し」の品種だったのですが、なぜか小さな種がいくつか…。こういう小さな発見も、台所に立つ楽しみの一つです。■ レンジでジャム作り輪切りにした金柑を耐熱ボウルに入れ、グラニュー糖とレモン汁を加えて軽く混ぜ、しばらく置きます。1時間ほどすると、金柑から水分が出てきます。ここから電子レンジで加熱します。ラップをして500Wで5分。一度取り出して混ぜ、さらにもう5分。…ところがここでトラブルが。レンジの中で沸騰して少し吹きこぼれてしまいました。いったん取り出してよくかき混ぜ、粗熱を取り、水を少し足して今度は3分加熱。前回はこの段階で仕上げたのですが、冷めると少し硬くなってしまいました。そこで今回はさらに水を少し足して、もう一度3分レンジへ。どうやら「少しゆるいかな」くらいがちょうどいいようです。■ 瓶詰め熱いうちに消毒した瓶に入れて蓋を閉め、冷めるまで瓶を逆さにして置いておきます。こうして、金柑ジャムの完成です。■ テーブルキッチンの楽しみレンジで作るジャムは、思った以上に手軽で、しかも仕上がりがきれい。短時間でできるので、気軽に「もう一瓶作ろうかな」という気持ちになります。今回も、香りのよい美味しい金柑ジャムができました。金柑の香りが、本当にたまりません。この小さな香りが、冬の台所の楽しみです。■ 関連記事(テーブルキッチン)● テーブルキッチン⑥ ― お雛様のちらし寿司と、受け継がれる母の味 ―テーブルキッチンシリーズ第6回。子どもの頃に母が作ってくれた「ばら寿司」の思い出をたどりながら、孫たちのために妻と一緒に作ったお雛様のちらし寿司。家族の味が世代を越えて受け継がれていくことを感じた一日です。● テーブルキッチン⑤ ― 鍋焼きうどん風鍋 ―テーブルキッチンシリーズ第5回。鶏肉や白菜、大根などを使った鍋料理にうどんを入れて楽しんだ「鍋焼きうどん風鍋」。ベッドサイドテーブルと卓上コンロを使った、工夫いっぱいの調理スタイルの記録です。● テーブルキッチン④ ― 夫婦二人の手作り餃子 ―テーブルキッチンシリーズ第4回。かつて家族3人でホットプレートいっぱいに焼いていた餃子を思い出しながら、妻と二人で手作り餃子に挑戦。仮住まいの限られた道具でも工夫して料理する楽しさを感じた夜の記録です。● テーブルキッチン③ ― 90代の父へ、900食の昼弁当 ―テーブルキッチンシリーズ第3回。90代の父のために3年間ほぼ毎日作り続けた昼弁当、約900食の記録。料理を通じて生まれた家族の距離感や、日々の小さな喜びを振り返った記事です。● 3歳のバースデーメニューをテーブルキッチンで ― エビフライ当番はじいじ ―テーブルキッチンシリーズ第2回。孫娘の3歳の誕生日に、妻と二人でエビフライ・チキンライスなどのバースデーメニューを準備。孫たちと作った“エビフライタワー”も楽しい思い出になった一日です。● 座って作る料理の愉しみ ― テーブルキッチンという選択 ―車椅子生活の中でも料理を楽しむために生まれた「テーブルキッチン」というスタイル。テーブルと卓上調理器具を組み合わせた工夫や、料理を続ける喜びについてまとめたシリーズの原点となる記事です。
2026.03.11
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今日は地元の総合病院の血液内科を受診してきました。昨年 2025年3月13日。びまん性大細胞型B細胞リンパ腫(DLBCL)の治療が終わり、PET-CTの結果から完全寛解と評価されました。あの日からちょうど一年。今日はその節目のような外来でした。外来の間隔が少しずつ広がってきた大学病院を退院したあと、私は地元のリハビリテーション病院に転院しました。その頃は、リンパ腫の経過を確認するために血液内科の外来を受診する間隔もまだ短く、・最初は1か月に1回の受診が2回・その後2か月に1回の受診が5回というペースでした。そして今日、主治医の先生から「次回からは3か月ごとの受診にしましょう」と言っていただきました。これは、病気の経過が安定しているときに少しずつ外来の間隔を広げていく、血液内科ではよくある流れです。数字で見ると小さな変化ですが、私にとっては体が少しずつ普通の生活に戻ってきている証のように感じられました。今日の血液検査の結果外来では血液検査の結果を主治医の先生から説明してもらいました。リンパ腫の経過を見るとき、医師が特に注目する検査があります。LDH(乳酸脱水素酵素)LDHは、体の細胞が壊れたり増えたりすると上がる酵素で、リンパ腫の活動性を見るときに重要な検査です。今回の結果は正常範囲でした。再発すると上昇することがある値なので、正常で安定していることは安心材料になります。sIL-2R(可溶性IL-2受容体)これもリンパ腫の活動性を見る指標のひとつです。私のこれまでの数値は、ずっと正常範囲の中で安定しています。再発すると1000以上に上がることもありますが、私の場合は200〜300台で安定しています。血球(白血球・赤血球・血小板)抗がん剤治療の後は、骨髄の働きが弱くなり・白血球・赤血球・血小板が下がることがあります。しかし今回の検査では・白血球:正常・ヘモグロビン:正常・血小板:正常すべて正常範囲でした。つまり、抗がん剤で弱っていた骨髄もほぼ回復している状態です。主治医の先生からも「経過は順調ですね」という言葉をいただきました。その言葉を聞いて、次の一年も前向きに過ごしていこうという気持ちが自然に湧いてきました。完全寛解から一年びまん性大細胞型B細胞リンパ腫は、再発する場合は比較的早い時期に起こることが多いと言われています。統計的には・約半数が1年以内・約80%が2年以内と言われています。つまり、この1年を無事に過ごせたことは、私にとって一つの節目です。もちろんまだ通院は続きます。それでも、今日の外来で「順調」と言っていただけたことは大きな励みになりました。リハビリも少しずつ前に進んでいるもう一つ、この一年で変わってきたことがあります。それは下肢の麻痺に対するリハビリの内容です。退院直後は、生活の中で「できること」を少しずつ取り戻すことが目標でした。しかし最近は、・家の中の生活に歩行器を取り入れる・訪問リハビリでの歩行練習・通所リハビリでの歩行練習こうした取り組みが少しずつ進化してきています。歩くことはまだ簡単ではありませんが、「歩く練習を生活の中に組み込む」という段階に入ってきました。体の回復は決して一気には進みません。けれど、振り返ってみると少しずつ確実に前に進んでいることを感じます。次の一年へ完全寛解から一年。この一年で・血液検査が安定してきた・外来の間隔が広がってきた・リハビリの内容が進んできた生活も体も、少しずつですが整ってきました。病気は確かに人生を変えました。しかしその一方で、普通に生活できることのありがたさを深く感じるようになりました。これからの一年も、無理をせず、しかし前向きに。体の声を聞きながら、一日一日を大切に過ごしていきたいと思います。■ 関連記事● 桜咲く ― 完全寛解から始まる新たな歩み ―2025年3月13日、PET-CTの結果説明で「完全寛解ですよ」と告げられた日の記録。命がつながった喜びとともに、脊髄障害という残された課題、そして新たなリハビリ生活への出発点を綴った記事です。● 私のびまん性大細胞型B細胞リンパ腫 ー 小さな違和感から「完全寛解」、そして現在の私 ー背中の小さな違和感から始まり、検査、大学病院での生検と経過観察、2024年6月の急変、放射線治療とPolaR-CHP療法、大量メソトレキセート療法、そして2025年3月の完全寛解までを時系列で振り返った記録です。● 私の悪性リンパ腫と治療について(DLBCL・PolaR-CHP療法)びまん性大細胞型B細胞リンパ腫(DLBCL)とはどのような病気か、私が受けたPolaR-CHP療法の概要、下半身麻痺に対するリハビリ、そして完全寛解に至るまでを、当事者の立場から分かりやすく整理した記事です。
2026.03.09
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テーブルキッチン⑥ ー お雛様のちらし寿司と、受け継がれる母の味 ーすしは昔から「ハレの日」の最大のごちそう。子どもの頃、私の母は行事や家族の集まりのたびに、ばら寿司や巻き寿司、そして今では考えられないほど大きないなり寿司を作ってくれました。本当に大きかったなあ……今売られているいなり寿司の5倍はあったんじゃないでしょうか。そんな母の味を、私も3人のかわいい💕孫たちに伝えたい。2026年3月3日(火)今日のテーブルキッチン⑥は、「お雛様のちらし寿司」です。◆ 参考にしたレシピ農林水産省「うちの郷土料理」 ※次世代に伝えたい大切な味香川県 ばら寿司https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/bara_zushi_kagawa.htmlここのレシピが、母親の味に一番近い気がします。◆ 材料(4人分)米:3合(昆布 5cm1枚、酒 小さじ2)【合わせ酢】酢60ml、塩 小さじ1強、砂糖50〜70g【具】油揚げ1/4枚、人参40g、ごぼう20g、しいたけ3枚、里芋(今日はなし)、れんこん30g、エビ80g【飾り】卵1個、菜の花(きぬさやの代わり)、イクラ(アナゴの代わり)、紅しょうが 少々◆ 作り方(簡略メモ)米は昆布と酒を入れて普通に炊く。具材はそれぞれ下ごしらえし、煮干し出汁で薄味に炊いてザルに上げる。合わせ酢を作り、砂糖と塩を溶かしておく。すし桶に熱いごはんを移し、合わせ酢を混ぜる。煮ておいた具材も手早く混ぜる。錦糸卵、菜の花、イクラ、紅しょうがを彩りよく飾る。◆ 妻と二人でつくる幸せ妻とは何年もちらし寿司を作ってきたので、自然と役割分担が決まっています。「あ・うんの呼吸」とまではいかないけれど、今年のお雛様のちらし寿司も、なかなかうまくできました。思えば、去年の今ごろは大学病院で最後の抗がん剤治療を終え、がんリハのリハビリテーション病院で PET検査を受ける少し前の頃でした。それを思うと、こうして元気に、妻と一緒に、母から受け継いだ味を孫たちのためにつくれる——その幸せを、今日は深く深く感じることができました。◆ 次は「巻き寿司」に挑戦!4月生まれの孫娘の誕生日には、母がよく作ってくれた巻き寿司に挑戦してみようかな。季節の行事のごちそうを、こうして孫たちと共有できる日々に、心から感謝です。テーブルキッチン⑥■ 関連記事(テーブルキッチン)● テーブルキッチン⑤ ― 鍋焼きうどん風鍋 ―テーブルキッチンシリーズ第5回。寒い季節にぴったりの“鍋焼きうどん風鍋”を妻と二人で楽しんだ日。具材もだしもやさしい味で、体の芯から温まる一品になりました。● テーブルキッチン④ ― 夫婦二人の手作り餃子 ―テーブルキッチンシリーズ第4回。妻と二人で“こじんまりとした手作り餃子”に挑戦。かつて家族3人でホットプレートいっぱいに焼いていた頃を思い出しつつ、今の生活に寄り添ったフライパン調理で楽しんだ一日です。● テーブルキッチン③ ― 90代の父へ、900食の昼弁当 ―90代の父のために3年間ほぼ毎日作り続けた“約900食”の昼弁当の記録。家族の距離感や料理がもたらした喜び、そして現在のテーブルキッチンにつながる原点を振り返った記事です。● 3歳のバースデーメニューをテーブルキッチンで ― エビフライ当番はじいじ ―テーブルキッチンシリーズ第2回。孫娘の3歳の誕生日に、妻と二人でバースデーメニューを準備。エビフライ当番として奮闘し、“エビフライタワー”まで作って楽しんだ一日です。● 座って作る料理の愉しみ ― テーブルキッチンという選択 ―車椅子生活の中でも料理を楽しむために工夫してきた“テーブル+卓上調理器具”というスタイル。調理環境の工夫や、今後の卓上IHへの期待も含めてまとめた記事です。
2026.03.04
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孫たちとの描いているドラえもんの黒板アートさて、どんなふうに仕上がるか?テレビとともに過ごす日々 ② ー 昭和32年生まれ、68歳のテレビっ子 ー『トクサツガガガ』2019年にNHKで放送されたドラマ『トクサツガガガ』。気がつけば、一気見するのもこれで3度目くらいになるでしょうか。放送当時から強く惹かれた作品ですが、68歳になった今あらためて見直しても、まったく色あせることがありません。むしろ心に響く場面が増えているように感じます。NHKオンデマンドの紹介によると、このドラマの主人公は商社勤めのOL・仲村叶(かの)。特撮ヒーローをこよなく愛する「隠れオタク」であることを、母親にも職場の同僚にも秘密にしながら、日々の生活で直面するさまざまなピンチに向き合っています。窮地に追い込まれると、彼女の脳内には特撮ヒーローたちが現れ、アドバイスをくれたり、勇気をもたせてくれたりする。そんな「あるある!」な悩みや葛藤を、ユーモアを交えて描いたコメディドラマです。誰の心の中にも、程度の差はあれ「ちょっとオタクな自分」がいる。この作品は、その部分をやさしく肯定してくれる物語だと思います。画面を見ながら「そうそう」「あるある」とうなずいてしまうのは、きっとそのせいでしょう。昭和32年生まれの私も、振り返ればずっと何かしらの「オタク的なもの」に支えられて生きてきました。マンガ、映画、黎明期からのパソコン、カメラ。このブログにもまとめてきたフェルメールの追っかけなど、思い返せば夢中になってきた対象には事欠きません。不思議なもので、10代の頃に胸を熱くしたものは、68歳になった今も、どこかで変わらず心の奥に居座っています。人の「好き」という感情は、姿かたちは変わっても、根っこの部分はあまり変わらないのかもしれません。主人公・仲村叶を見ていると、そのことをあらためて実感します。私自身、びまん性大細胞型B細胞リンパ腫(悪性リンパ腫)の治療を経て、現在は完全寛解。その治療の過程で脊髄損傷を負い、下肢麻痺となり、今は車椅子での生活を送っています。病気も障害も、人生にとっては大きな出来事でしたが、それでも、いや、だからこそ、「これからの人生をどう楽しむか」という視点がより大切になってきました。『トクサツガガガ』は、そんな私にとって「これからの人生を楽しむ指針」をそっと示してくれるドラマの一つです。仲村叶が抱える「生きにくさ」は、病気や障害とは別の種類のものですが、誰にも言えないモヤモヤを抱えながらも、好きなものの力を借りて少しずつ前に進んでいく姿は、私の今の生活ともどこか重なります。社会的な評価としての『トクサツガガガ』ドラマ版『トクサツガガガ』は、放送当時からSNSを中心に大きな反響を呼びました。「オタクあるあるが刺さりすぎる」「自分のことを描かれているみたいで泣いた」「NHKがここまでやるとは思わなかった」など、好意的な感想が多数寄せられました。原作マンガの人気に加え、実写ドラマとしても「隠れオタクのリアル」を丁寧に描いた点が高く評価され、深夜ドラマながら“知る人ぞ知る名作”として今も語り継がれている作品です。特撮ヒーローものへの愛情あふれるパロディ表現だけでなく、母親との関係性や、職場での立場、友人との距離感など、日常のなかのささやかな痛みや喜びが、決して大げさではなく、それでいて心にじんわり染み込むように描かれています。そこに、このドラマの大きな魅力があるように思います。主演・小芝風花さんについて主人公・仲村叶を演じたのは、俳優の小芝風花さん。この作品で、小芝さんの演技力にあらためて注目したという視聴者も多かったのではないでしょうか。コメディ特有のテンポの良さや、表情豊かなリアクションはもちろんのこと、ふとした瞬間に見せるさみしさや戸惑い、うれしさを抑えきれない笑顔など、細やかな感情の揺れがとても自然に伝わってきます。「好きなものを好きだと言えない自分」と、「本当は思いきり楽しみたい自分」の間で揺れる仲村叶の心情を、小芝さんは実に丁寧に演じていました。『トクサツガガガ』は、小芝風花さんにとっても代表作の一つと言っていいかもしれません。その後、朝ドラやさまざまなドラマ・映画で活躍の場を広げていきますが、「小芝風花=仲村叶」というイメージを持つ視聴者も今なお少なくないように思います。68歳のテレビっ子が、このドラマに惹かれる理由私がなぜ、このドラマを何度も一気見してしまうのか。理由はとてもシンプルです。「好きなものがある人生は、やっぱり強い」そのことを、見るたびに静かに思い出させてくれる作品だからです。病気も障害も、人生の途中で出会った大きな出来事でした。それでも、いや、だからこそ、これからもマンガや映画、パソコン、カメラ、フェルメール、そしてテレビドラマ——。そういった「好きでいられるもの」を大切にしながら生きていきたいと思います。『トクサツガガガ』は、そんな私にとって、これからの人生を楽しむうえでの“心のヒーロー”のような存在です。68歳のテレビっ子は、これからもきっと、何度でもこのドラマを見返すことでしょう。■ 関連記事● 記憶の色を写すカメラ ー RX100M3と歩く、春のひととき ー10年来の相棒ソニーRX100M3を首から下げて春の園芸センターを散歩し、iPhoneとの違いや「記憶の色」に近い描写力、これからも現役で使い続けたいという思いを綴った一日記です。● テレビとともに過ごす日々 ー 昭和32年生まれ、68歳のテレビっ子 ー訪問リハや通所リハ、各科受診で慌ただしい平日の中でも、NHKオンデマンドやNHKプラスでの「一気見」を楽しみながら過ごす今現在の生活リズムと、昭和32年生まれのテレビっ子としての原点を振り返っています。● テレビ東京最強説自分の視聴時間の8〜9割を占めるというNHKとテレビ東京の番組表を一日分ピックアップしながら、ニュースから教養番組、旅番組まで「この2局さえあれば十分」と感じる理由を具体的な番組名とともに語っています。● 有元利夫、こんな楽しみ方画集『雲の誕生』からお気に入りの1枚を切り取り額装してリビングに飾り、日常空間で有元利夫の世界を味わう楽しみ方や、作品の魅力、関連書籍との付き合い方を紹介している記事です。● 実は、フェルメール・フリークです。フェルメール作品に出合えると幸せな気持ちになるという“フェルメール大好き人間”として、これまで日本で鑑賞してきた作品の来日歴をたどりながら、限られた点数を巡礼のように追いかけてきた記録と、その魅力をまとめた一本です。
2026.02.27
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2024年3月6日 水曜日ユキヤナギ2026年2月26日、ボツリヌス治療から8日目。今日は、治療後初めての通所リハビリの日でした。足のつっぱり(痙性)の状況を確かめるうえで、とても良いタイミングでのリハビリです。通所リハビリでの一日の流れ通所リハビリに通い始めて、もう5ヶ月になります。今日もいつもと同じように、まずはマシンを使ったトレーニングからスタートしました。ニューステップ、レッグプレスなど、これまで続けてきた「いつものメニュー」です。先週、大学病院でボツリヌス治療を受けてきたことについては、通所リハビリのPT(理学療法士)の先生ともすでに情報を共有できていて、今日はその治療効果が実際の動きにどう現れているかを一緒に確認していく、という位置づけになりました。ニューステップ・レッグプレスで感じた変化● ニューステップ治療前は、ペダルを踏み込むたびに内転筋の突っ張りが邪魔をして、脚が内側に引っ張られるような感覚が残っていました。ところが今日は、その「引っ張られる感じ」が明らかに軽くなり、上半身と下半身が素直につながって、リズムよく全身を動かせるようになっていました。ニューステップは腕と脚を同時に動かす全身運動なので、筋肉のこわばりが和らいだ今の状態だと、体幹と脚がうまく連動しやすいのだろうと実感しました。● レッグプレスレッグプレスでは、脚が「スッと前に出る」軽さがはっきり分かりました。太もも前側(大腿四頭筋)でしっかり押し返す感覚がつかみやすく、今まで後ろ側(ハムストリングス)の突っ張りに負けて伸びにくかった膝も、今日は素直に前へ伸びていく感じがありました。ボツリヌス治療で余計な力みが取れたことで、本来使いたい筋肉に力が入りやすくなり、そのまま歩行につながる動きが自然に出てきた――そんな印象です。PTの先生とのリハビリで実感したことマシンで体を温めたあとは、PTの先生との個別リハビリの時間です。マッサージで筋肉のこわばりをほぐし、可動域を確保するためのストレッチを丁寧に行ってもらったあと、ピックアップを使って20mの歩行、平行棒で15mの歩行に取り組みました。通所リハビリに通い出して5ヶ月。今日の歩行は、その5ヶ月の中でも「一番楽に、安定して歩けた」と感じました。この実感は、PTの先生の評価とも一致していて、「今日は脚がスッと動いていますね。 今までよりも、足が前に出るタイミングと、体の重心の移動がうまく合っていますよ」と声をかけてもらいました。大学病院の先生からは、「ボツリヌス治療は、打てばそれだけで劇的に歩けるようになるというものではなくて、余計な筋緊張が取れたタイミングで“正しい動き”を繰り返し練習することがとても大切なんです」ということを言われていました。筋肉がほぐれ、動かしやすくなった今の時期に、ピックアップや平行棒を使いながら歩行練習を重ねることで、脳と身体が「こうやって歩けばいいんだ」というパターンを改めて学習し直していく――その意味で、今日のリハビリはとても重要な一日だったのだと思います。訪問リハビリと通所リハビリの連携ボツリヌス治療の効果を最大限に生かすためには、通所リハビリだけでなく、訪問リハビリともうまく連携していくことが大切だと感じています。訪問リハビリの先生とは、日々の中で・痙性や痛みの強さ・歩行時の癖や気になる点・可動域の変化・その日の体調といった情報を共有しながら、自宅で行う運動の内容を調整してもらっています。その情報があるおかげで、通所リハビリのPTの先生も、「今日はこのあたりの筋緊張が少し強めですね」「最近はここが少し動きやすくなってきていますね」といった具合に、これまでの流れを踏まえたうえで、今日やるべきメニューを素早く判断してくれます。「ボツリヌス治療後の1〜2週間は、特に動きの学習が進みやすい“ゴールデンタイム”だと言われています。大学病院での治療、通所リハビリ、訪問リハビリ――。それぞれの現場の先生方と、ボツリヌス治療の効果や今の体の状態を共有しながら、同じ方向を向いてリハビリを進めてもらえていることが、何より心強く感じられます。治療でつくられた「動きやすい状態」を、そのままにしておくのではなく、リハビリを通して「歩き方」として身体に定着させていくこと。今の私にとって一番大切なのは、まさにこのプロセスなのだと、今日の通所リハビリを終えて改めて実感しました。■ 関連記事● ボツリヌス治療6日目 ー 体の変化と、次のステージへ ー治療から6日目、訪問リハビリの先生と「クロスレッグの緩和」や立ち座りの不安定さなど、体に出てきた変化を丁寧に共有した記録。ピックアップでの立ち座り練習や、次週から始まる歩行器での歩行練習に向けて、「次のステージ」へ進むための心構えと期待をまとめています。● ボトックス治療3日目の小さな変化 ー クロスレッグが少しゆる…治療後2~3日目に感じた「脚の交差(クロスレッグ)」の緩和を、日常の動きの中で具体的に振り返った記録。座位で脚が真下に下りやすくなった感覚や、変化が出始めたタイミングを言葉にして整理しています。● 2回目のボツリヌス治療 ー 今日から始まる新しい3ヶ月 ー大学病院で2回目の治療を受けた当日の記録。前回からの3ヶ月での痙性(突っ張り)や動きの変化、日常生活での困りごと・やりやすさを踏まえ、「これからの3ヶ月」をどう過ごし、どう評価していくかを見通した内容です。● ボツリヌス治療前の現在地 ー いまの身体と向き合う ー治療前に、自分の身体の状態を丁寧に再確認するための記事。筋緊張・痛み・動かしにくさなどを振り返り、リハビリでの変化や日常生活での実感も含めて「いまの自分の現在地」を確認しています。次の治療に向けた心構えにもつながる内容です。
2026.02.26
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2026年2月23日 iPhone 12Proで撮影 iPhoneの解像度、発色、なかなかのものです。今日は訪問リハビリは、リハビリの先生と、ボツリヌス治療後の体の変化についてじっくり共有する時間です。治療から6日目。2日目、3日目あたりから、これまで強かった“クロスレッグ”の状態が少しずつ緩和してきていること。ただその一方で、トイレやベッドサイドでの立ち座りでは立位をしっかり保持することには不安定さが残っていること。実際に昨日は体が支えきれず、膝折れして便座に座り込んでしまったこと。筋緊張が抜けてきて良い兆候ではあるのですが、その変化に体がついていくまでには時間が必要だということ。最近は、両足ふくらはぎに今まであまり感じることがなかった筋緊張にも新たに気づくようになったこと。自分の体と向き合いながら、今の状態を確かめていくことが大切であること。これらのことを共有しながら、マッサージでピンポイントで筋緊張をほぐしてもらい、ストレッチで足の可動域を確保してもらいながら、屈伸などの基本的な動きを繰り返しました。そのひとつひとつが、体だけでなく気持ちまで落ち着かせてくれる大事な時間です。後半は、ピックアップ(固定型の歩行補助器)を使って立ち座りの訓練。立位をとった状態で「5秒間、手放し」を10回繰り返す練習も行いました。そのあと、ピックアップで部屋の中を歩く練習も。自分の足で体を支えながら動ける時間が確実に増えてきました。そして、来週からはいよいよ “歩行器での歩行練習” が始まります。福祉用具のレンタル業者さんから歩行器を何台かお借りして、自分の体に合ったものを選び、訪問リハビリの先生と一緒に練習していく予定です。2回目のボツリヌス治療に合わせて、リハビリそのものも新しい段階に入っていきます。治療の効果をしっかり生かしながら、“歩く” という動きをもう一度自分のものにしていくための大事なステップです。不安が全くないわけではありませんが、それ以上に、「また歩けるようになるかもしれない」そんな期待が、今日の体の変化を通して少しずつ現実味を帯びてきています。一歩ずつ。焦らず、前を向いて。次のステージへ進んでいきます。■ 関連記事ボトックス治療3日目の小さな変化 ー クロスレッグが少しゆる…治療後2~3日目に感じた「脚の交差(クロスレッグ)」の緩和を、日常の動きの中で具体的に振り返った記録。座位で脚が真下に下りやすくなった感覚や、変化が出始めたタイミングを言葉にして整理しています。2回目のボツリヌス治療 ー 今日から始まる新しい3ヶ月 ー大学病院で2回目の治療を受けた当日の記録。前回からの3ヶ月での痙性(突っ張り)や動きの変化、日常生活での困りごと・やりやすさを踏まえ、「これからの3ヶ月」をどう過ごし、どう評価していくかを見通した内容です。ボツリヌス治療前の現在地 ー いまの身体と向き合う ー治療前に、自分の身体の状態を丁寧に棚卸しするための記事。筋緊張・痛み・動かしにくさなどを振り返り、リハビリでの変化や日常生活での実感も含めて「いまの自分の現在地」を確認しています。次の治療に向けた心構えにもつながる内容です。
2026.02.25
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シクラメン「カガリビバナ」今日の最高気温は17℃。春の陽気に誘われて、近くの総合園芸センターまで足を伸ばしました。首には、10年来の相棒である ソニー RX100M3 を下げて。外出はどうしても車椅子で動くことを考えるため、普段はミニショルダーバッグにスマホと必要最低限のものだけを入れて出かけることが多いのですが、今日は久しぶりに“本気の相棒”を連れての散策です。一昨年の6月以降、一緒に外出するのは今日が初めてでした。RX100M3(DSC-RX100M3)は2014年発売のプレミアムコンパクトカメラ。1インチセンサー、明るい 24-70mm F1.8-2.8 のツァイスレンズ、内蔵EVFを備え、発売当時は「ポケットに入る最強クラスの高級コンデジ」と呼ばれたモデルです。その扱いやすさと高い描写力から、旅行や仕事、海外生活、孫たちのお宮参り・七五三など、私の日常を10年以上にわたり記録し続けてくれました。最近はどうしても iPhone に押され気味で、撮影の機会が減っていましたが、今日の写真を見返してみると、改めて「記憶の色」に一番近いのはこのカメラだと感じました。柔らかいボケ、自然な階調、レンズらしい立体感──やはりスマホとは違った表現をしてくれます。すでに生産は終了し、今では“名機”として中古市場で評価される存在になりました。それでも、今日こうして首からぶら下げて春の光の中を一緒に歩いてみると、「まだまだ現役でいてくれる」そんな頼もしさを強く感じます。これからも、私の目に映る季節の移ろいを、この小さな相棒とともに記録していければと思います。
2026.02.24
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鍋焼きうどん風鍋?今日の夕飯は、鍋焼きうどん風鍋?でした。鶏もも肉に、白菜、ネギ、大根、油揚げ、そして卵。鶏鍋にうどんを入れたようにも見えるし、大根が入っているので、しっぽくうどん風にも見えるし、まあ気持ちは鍋焼きうどんということで、適当に作りました。まず、いつものようにベッドサイドテーブルの上で具材を切り、ポータブルガスコンロで鶏肉から煮ていきます。しっかり灰汁を取って、まずは煮えにくい大根。大根が透き通ってきたところで、粉末の鰹だし、醤油、みりん、日本酒を入れて味を整えます。次に白菜。野菜が煮えたところで、主役のうどんを入れます。火が通ったら油揚げとネギを加え、最後に卵を落として完成です。出来栄えは……いやいや、われながら上出来でした。鶏だしと鰹だし、野菜の旨味が相まって、思っていた以上においしい出汁になっていました。今日のうどんは、いつもの冷凍うどんではなく、近所のスーパーに製麺所が卸している袋入りの茹で麺。家庭用うどんは冷凍うどんが一番、という長年の固定観念がありましたが、これが美味しい。ほどよいコシがあり、鍋焼きとして煮込んでも柔らかくなりすぎない。「もちもち」というのがぴったりの食感でした。具だくさんの鍋焼き風うどん鍋。お腹いっぱい、大満足です。ごちそうさまでした。◆ ボツリヌス治療4日目の気づき一方で、治療4日目となる今日は、体の動きに少し不安を感じる場面もありました。トイレやベッドサイドで衣服の着脱のために立位をとっているとき、右足が膝折れして、ヒヤッとする瞬間がありました。実際、トイレでは膝が折れて、そのまま便座に座り込んでしまいました。ボツリヌス治療によって筋緊張がゆるむ一方、体がその変化にまだ対応しきれていないのだと思います。今は動きの変化を慎重に見極め、腕での支持をしっかり確保し、無理せず安全に生活できるよう気をつけて過ごしていきます。■ 関連記事(テーブルキッチン)● テーブルキッチン④ ― 夫婦二人の手作り餃子 ―テーブルキッチンシリーズ第4回。妻と二人で“こじんまりとした手作り餃子”に挑戦。かつて家族3人でホットプレートいっぱいに焼いていた頃を思い出しつつ、今の生活に寄り添ったフライパン調理で楽しんだ一日です。● テーブルキッチン③ ― 90代の父へ、900食の昼弁当 ―90代の父のために3年間ほぼ毎日作り続けた“約900食”の昼弁当の記録。家族の距離感や料理がもたらした喜び、そして現在のテーブルキッチンにつながる原点を振り返った記事です。● 3歳のバースデーメニューをテーブルキッチンで ― エビフライ当番はじいじ ―テーブルキッチンシリーズ第2回。孫娘の3歳の誕生日に、妻と二人でバースデーメニューを準備。エビフライ当番として奮闘し、“エビフライタワー”まで作って楽しんだ一日です。● 座って作る料理の愉しみ ― テーブルキッチンという選択 ―車椅子生活の中でも料理を楽しむために工夫してきた“テーブル+卓上調理器具”というスタイル。調理環境の工夫や、今後の卓上IHへの期待も含めてまとめた記事です。
2026.02.23
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今日の夕日がとても美しくて!2026年2月21日(土) ボトックス治療を受けて3日目です。昨日、治療2日目の朝、ベッドサイドに座ったときのことです。いつものように左脚が内側に入り込み、強い痙縮によって脚が交差してしまう「クロスレッグ」の姿勢になりました。これは毎朝のように起きる、私の典型的な座位姿勢です。ところがその直後、ゆっくり足に力を入れてみると、手を添えずに脚を少し外側に広げ、両足を真下に下ろして座ることができました。内転筋の痙縮が、ほんのわずかですがゆるんでいるように感じられた瞬間でした。添付した図の左側は「いつもの朝のクロスレッグ」、右側は「昨日や今朝のように脚を真下に下ろせた姿勢」を描いています。今日は治療後3日目ですが、立位での変化も感じました。相変わらず腿裏のハムストリングスには突っ張りがあり、痙縮も残っています。それでも、立ち上がったときに浮きがちな踵を、床に接地させる動きが、少し楽になってきたように思いました。ボトックス治療は一般的に「3~7日目に効果が出始める」と言われますが、私の場合もその初期の変化が静かに現れてきているのかもしれません。ちょうど今週末は、土・日・月の3連休です。この3日間は自宅でゆっくり過ごしながら、生活動作の中で筋緊張の変化を確かめ、無理のない範囲で軽いストレッチを続けてみようと思っています。連休明けの火曜日と水曜日は訪問リハビリの日です。リハビリの先生と足の痙縮の状況を確認しながら今後のリハビリの方向や日常の生活動作での注意点を共有しようと思っています。まだ大きな変化ではありません。それでも、「少しできた」「昨日より楽に動けた」そんな小さな変化が、今の私には大きな励みになっています。ゆっくり、でも確実に前へ進んでいる実感があります。今後の小さな変化も、これからの毎日のリハビリの積み重ねも、しっかり記録していきたいと思います。■ 関連記事● 2回目のボツリヌス治療 ― 今日から始まる新しい3ヶ月 ―2回目のボツリヌス治療の記録と、内転筋・ハムストリングスへの注射位置、効果の出方や「これからの3ヶ月」をどう過ごすかを整理した記事。● ボツリヌス治療前の現在地 ー いまの身体と向き合う ー治療前にあらためて自分の身体の状態を振り返った記録。痙縮の質の変化、歩行や排泄機能の現在地を丁寧に言葉にして整理した1本。● 2026年2月19日、2回目のボツリヌス治療を受ける予定です。1回目のボツリヌス治療後の変化と、感染症などでリハビリが中断した経過を振り返りながら、2回目の治療を前に気持ちと状況を整えた記事。
2026.02.21
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病院の帰りにガッツリ海鮮丼を頂きました。「美味しかった」2026年2月19日 大学病院で2回目のボツリヌス治療を受けてきました2025年11月18日の第1回目のボツリヌス治療から3ヶ月。この期間、内転筋やハムストリングスの痙性(突っ張り)の変化、リハビリでの動きの変化、日常生活の中でのやりにくさ・やりやすさなどを、このブログに丁寧に記録してきました。その積み重ねのおかげで、今日2回目の治療を落ち着いた気持ちで受けることができたと感じています。日頃から体の状態はリハビリの先生と共有しながら進めています。今回も、治療前にリハの先生と一緒に「今どの筋肉が一番問題になっているのか」「日常生活に最も影響が出ているのはどこか」を確認したうえで治療に臨みました。■ 今回の注射の位置下の図は、今回の治療でボトックスを打ったおおよその位置を示したものです。左足の内転筋(内もも)に複数点、左右のハムストリングス(太もも裏・やや内側)に注射を行いました。痙性が特に出やすく、私自身も日常動作で負担を感じていた部位で、今回の治療内容はその点を的確に捉えたものでした。■ ボトックスの効果が出てくる時期ボツリヌス治療は、注射したその場で急激に効果が出るものではありません。一般的には次のような経過で変化が現れます。2〜3日後: わずかな変化が出始める4〜7日後: 張りが軽くなるなど、効果がはっきりしてくる2〜4週間後: 最も筋肉が緩む“効果のピーク”効果の持続: 約2〜3ヶ月特に2〜4週間後はリハビリの黄金期と呼べる時期で、体が動かしやすくなる分、リハビリの効果が出やすくなります。■ 効果を最大限に引き出すためのリハビリボツリヌス治療は「筋肉を緩める治療」ではなく、リハビリをやりやすくするための治療です。つまり、効果が出ている時期にどれだけ正しい動きを身体に覚えさせるかが非常に重要になります。● 内転筋(足が閉じてしまう原因)足を閉じすぎない座位姿勢を意識する股関節の外転ストレッチを継続する立位で足が内側に入りすぎないよう注意する● ハムストリングス(膝が伸びにくい原因)膝裏を伸ばすストレッチ短時間でも立位保持を行い、自然に膝を伸ばす歩行時に脚を前へ振り出す意識を持つ■ 日常生活でできる工夫リハビリ室だけでなく、生活そのものがリハビリになります。次のポイントは私自身が日々意識しているものです。足の間にタオルやクッションを軽く挟み、内転しすぎないようにする座位では左右差を整え、骨盤をまっすぐにして座る短時間でもいいので立位保持の機会を増やす(無理のない範囲で)● トイレでの立ち座り立つ前に足幅を軽く広げる座る時に膝が内側へ入らないよう意識する立ち上がりの瞬間はゆっくり動き、過緊張を防ぐ● ベッドサイドでの衣服の着脱足を上げる時に内側へ巻き込まれないよう注意するズボンを上げる時は骨盤の左右差に気をつける横向き・仰向けの姿勢変更で足がクロスしすぎないようにする● 車椅子・自動車への移乗移乗前に足の位置を整え、左右のバランスをとる立ち上がりから座る動作を“ゆっくり丁寧に”行う車への移乗では足を前に出す意識を持ち、ハムストリングスを伸ばすこのように、生活全体の中で「内転しすぎない」「膝をまっすぐ使う」「ゆっくり動く」という3つのポイントを意識するだけで、ボツリヌス治療の効果を高め、動作の質を良くしていくことができます。■ 今後について今回の治療は、次回6月4日までの3ヶ月のスタートです。これからの3ヶ月、体がどのように変化していくのか、前回よりも丁寧に記録していこうと思います。このブログは私自身の記録であると同時に、ボツリヌス治療が必要な方にとっても、少しでも役に立つ情報となればうれしいです。■ 関連記事脊髄障害による排便管理の今 ― 1年7ヶ月の記録と気づき ―排便動作がどう変化してきたか、薬や生活上の工夫も含めて「1年7ヶ月」を振り返った記録。ボツリヌス療法と向き合ういま ― できることを広げながら、次の一歩へ ―痙縮と付き合いながら、治療とリハビリをどうつなげていくか。ボツリヌス治療を軸にした現在地の整理。排泄障害とともに歩んだ1年6ヶ月 〜体幹機能の回復と日常生活への手応え〜排泄動作の安定と体幹機能の回復を結びつけて整理した記事。日常生活の「手応え」を言葉にした記録。痙性と痙縮について|自分のための備忘録「痙性」と「痙縮」を自分の体感に引き寄せて整理した備忘録。治療(ボツリヌス)との関係も含めたまとめ。ボツリヌス治療後の体の変化とリハビリの手応え(2026年2月18日)治療直後の体の変化を丁寧に記録した記事。翌日の感覚とリハビリ内容がわかる“つながる1本”。
2026.02.20
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ボツリヌス治療を前に、いまの身体と向き合う2025年1月31日 MRI画像2月19日に大学病院でボツリヌス治療を受ける予定になっている。その前に、いまの自分の身体の状態を一度きちんと整理しておきたいと思った。一年前の脊髄のMRI画像を見返すと、あの頃の状態の重さを改めて感じる。圧迫があり、神経がどの程度回復するのか見通しのつかない時期だった。それから時間が経ち、いまの自分の身体はどうなっているのか。■ 痙縮はある。でも質が変わった現在も痙縮はある。特に夜、夕食後から就寝前にかけて強くなることが多い。左足はピクピクと動き、右足の腿裏には緊張が残る。立位をとると両方の腿裏が引っ張られ、かかとが浮きそうになることもある。それでも、以前の「ズーンとくる痛み」に比べると、いまは同じ痙縮があっても痛みはかなりやわらいでいる。就寝時はフットマッサージャーを装着している。足の位置と体勢が安定することで、痛みを感じにくくなった。部屋が冷えるときは足先を温め、脚全体を保温する。温めることは確実に効果がある。痙縮は消えていない。けれど「制御不能なもの」ではなく、「調整できるもの」に変わってきている。■ 朝の身体の変化回復期のリハビリ病院に入院していた頃は、朝のこわばりが本当に強かった。ベッドサイドに座ることも、車椅子に移ることもしんどい日常だった。退院から約6か月。朝の動きやすさは明らかに改善している。スライドボードなしで車椅子へ移乗できるようになった。これは小さなことのようでいて、自分にとっては大きな変化だ。■ 歩行の現在地平行棒では25m歩ける。両手は触れているが、体重を強く預けている感覚はない。ときどき、「ほぼ一人で立てているのではないか」と感じる瞬間がある。実際には手を離して歩くことはできないだろう。けれど「立てている感覚」ははっきりある。ピックアップでは理学療法士の先生に軽く腰を支えてもらいながら30m歩いている。最近、通所リハの先生から「歩幅が少し広くなってきていますね」と言っていただいた。以前は左足を外に開き、置きにいくような歩き方だった。それが、いまは膝を上げてまっすぐ前に出せるようになってきた。「きれいに歩けた」というより、「安定している」と感じることが増えている。怖さはない。繰り返し練習してきた分、身体が応えてくれている。■ 左右差という現実右足は筋力が強い。左足は感覚が優れている。温度や皮膚の感覚は、左が10のうち7程度。右は2から3ほど。階段は、上るときは強い右足から。降りるときは弱い左足から。トイレで立位をとるとき、体勢によっては膝折れしそうになることもある。実際にガクンと崩れて便座に座り込んだこともある。まだ不安定さは残っている。それでも、以前より確実に安定している。■ 排泄機能の小さな回復排便では、出そうになったときに少し堪えられる感覚が出てきた。排尿でも「出そう」という感覚が少し戻ってきている。足の触覚や足指の感覚も、ゆっくりと回復しているように思う。派手な変化ではない。でも、自分にとっては確かな前進だ。■ ボツリヌス治療を前に今回の治療で、左内転筋や腿裏の緊張が少し緩めば、歩行はさらに安定するかもしれない。これは「歩けるようになる」治療ではない。「いま持っている機能を、より自然に使えるようにする」治療だ。いまは回復の量よりも、質を高める段階に入っているのだと思う。一年前の画像を見返しながら、いまの自分の身体を振り返った。痙縮はある。左右差もある。不安定さもゼロではない。それでも、朝は動きやすくなった歩幅は広がってきた立てている感覚がある感覚は少しずつ戻っている回復は止まっていない。2月19日を前に、いまの自分の現在地を確認できたことは大きい。焦らず、比べず、いまの身体と丁寧に向き合いながら、次の一歩へ進みたいと思う。■ 関連記事脊髄障害による排便管理の今 ― 1年7ヶ月の記録と気づき ー排便動作がどう変化してきたか、薬や生活上の工夫も含めて「1年7ヶ月」を振り返った記録。ボツリヌス療法と向き合ういま ―― できることを広げながら、次の一歩へ痙縮と付き合いながら、治療とリハビリをどうつなげていくか。ボツリヌス治療を軸にした現在地の整理。排泄障害とともに歩んだ1年6ヶ月 〜体幹機能の回復と日常生活への手応え〜排泄動作の安定と体幹機能の回復を結びつけて整理した記事。日常生活の「手応え」を言葉にした記録。痙性と痙縮について|自分のための備忘録「痙性」と「痙縮」を自分の体感に引き寄せて整理した備忘録。治療(ボツリヌス)との関係も含めたまとめ。【公式店】パナソニック エアーマッサージャー はくだけキュッとリフレ レッグリフレ ダークグレー EW-RA192-H 無料ギフトラッピング マッサージ 脚 太もも こり 血行促進 座りっぱなし 立ちっぱなし もみほぐし 疲労 送料無料価格:49,954円(税込、送料無料) (2026/2/18時点)楽天で購入
2026.02.18
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テーブルキッチン第4弾、手作り餃子手作りの餃子が無性に食べたくなりました。最近は味の素の冷凍餃子が我が家(妻と二人ですが)の定番。それはそれで本当に美味しいのですが、ふと、娘がまだ小さかった頃のことを思い出しました。家族3人で餃子を包み、ホットプレートいっぱいに並べて焼く。50個くらいはあったでしょうか。焼きあがった餃子を囲んで食べた、あの時間。美味しかったなあ…。冷蔵庫にハンバーグ用の合挽き肉がありました。「これでやってみようか。」妻は昔から、栗原はるみさんのレシピで餃子餡を作っています。今日もその手順で。ただ今は仮住まい。道具も十分ではありません。包丁も、ボウルも、調理スペースも最小限。それでも、あるもので工夫するのがテーブルキッチン。■ 今回の材料(33個分)白菜 … 約400gニラ … 2分の1束合挽き肉 … 約200g(本来は豚ひき肉150g)にんにく・しょうが … 適量(今日はチューブのにんにく・しょうがで)鶏がらスープ(顆粒小さじ1を湯大さじ1で溶く)ごま油 … 小さじ1/2塩・こしょう … 各少々餃子の皮 … 33枚焼き用の油・ごま油 … 適量刻んだニラ。塩もみした白菜。それらを合挽き肉と混ぜると、思いのほか軽やかな餡になりました。「合挽きで大丈夫かな?」と少し心配していましたが、焼いてみると意外にさっぱり。仮住まいの小さなフライパンに並べ、湯を回しかけ、ふたをして蒸し焼きに。最後にごま油を少し回しかけて、じゅわっと焼き目をつける。焼き上がった餃子の香りは、あの頃と変わりませんでした。68歳と66歳。少し体力の落ちてきた夫婦二人で、33個の餃子をぺろりと完食。「まだいけるな。」と笑いながら。材料も、道具も、食器も、もう1段階、2段階アップグレードできたら。夫婦二人の定番料理になりそうです。テーブルキッチン第4回。大げさな料理ではないけれど、今、一緒に台所に立てることが、なによりありがたい。そんな夜でした。■ 関連記事(テーブルキッチン)座って作る料理の愉しみ ー テーブルキッチンという選択 ー車椅子生活の中でも「料理を楽しむ」ために、テーブル+卓上調理器具で工夫してきた経緯と、今後の展望(卓上IHへの期待など)をまとめた記事です。3歳のバースデーメニューをテーブルキッチンで ー エビフライ当番はじいじ ーテーブルキッチンシリーズ第2回。孫娘の3歳の誕生日に、妻と二人でバースデーメニュー作り。エビフライ当番として奮闘し、「エビフライタワー」作りまで楽しんだ一日です。テーブルキッチン③ — 90代の父へ、900食の昼弁当90代の父のために3年間ほぼ毎日作り続けた「昼弁当」約900食の記録。家族の“ちょうどいい距離感”と、料理がくれた喜び、そして今につながるテーブルキッチンの意味を綴った記事です。
2026.02.17
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ツユクサ2016年7月14日 木曜日 8:44 撮影2025年11月18日に、待望の1回目のボツリヌス治療を受けました。痙縮(けいしゅく:筋肉の緊張が異常に高まり、突っ張りや動かしにくさが出る状態)が強く出ていた左ハムストリングス(太ももの裏の筋肉)に、ボトックス200単位を注射してもらいました。ボツリヌス治療は、神経から筋肉へ伝わる「アセチルコリン」という神経伝達物質の働きを抑えることで、過剰な筋収縮を弱める治療です。麻痺そのものを改善する治療ではなく、筋緊張をやわらげることで動きやすくすることが目的です。効果は通常、数日から1週間ほどで出始め、2〜4週間で最大になり、3か月前後持続すると説明を受けました。■ 治療後の変化実際、3日目くらいから立ち座りのときの腿裏の突っ張りが「少し軽いかな」と感じられるようになりました。10日ほど経ったころ、訪問リハビリの先生からも「左足を曲げ伸ばししたときの抵抗が軽くなっていますね」と言われました。そのころから、トイレやベッドサイドでの立ち座りの際に、かかとが浮かず、足裏が床につくようになりました。治療前は、立位をとると両腕で体を強く支えなければならず、足が浮いてしまうこともありました。それが明らかに減りました。通所リハでの平行棒内歩行やピックアップ歩行も、以前より楽になりました。右足の痙縮は変わらなかったため動作のしにくさは残っていましたが、「左だけでも緩むとこんなに違うのか」と実感できました。■ 12月の中断このままリハビリを重ねれば、筋力を鍛えたりストレッチを積み重ねたりして、さらに可動域を広げられるのではないかと期待していました。しかし、12月8日に尿路感染による膀胱炎で1週間の緊急入院。退院後1週間で今度はインフルエンザ。12月はほとんどリハビリができませんでした。痙縮治療は注射だけで完結するものではなく、筋緊張が下がった状態で適切なリハビリを行うことが重要だと言われています。その意味で、この中断はとても悔しいものでした。■ 効果の持続と再緊張それでもボトックスの効果は続き、約2か月後の1月中旬ごろまでは左足の筋緊張は明らかに弱くなっていたように思います。その後、徐々に緊張が戻り、最近では立位をとるとかかとが浮くことが日常になっています。立ったときに自分でゆっくり腿裏を伸ばし、足裏を床につけるよう意識しています。ズボンやリハビリパンツをはくとき、フットマッサージを装着するときなど、脚をコントロールしようとすると、12月から1月中旬ごろに比べて重さを感じます。医学的に見ても、ボツリヌス治療の効果が3か月前後で徐々に弱まるのは典型的な経過です。今回、自分の体でその推移を実感しました。■ 2回目への期待いよいよ2回目です。右足にボトックスを打てること左足の内転筋にも追加で打ってもらえるかもしれないこと両足に打つことでバランスが整い、立位や歩行練習がしやすくなるかもしれないこと期待は大きいです。ボツリヌス治療で足の麻痺が良くなるわけではないことは理解しています。しかし、筋緊張がやわらいだ期間は、身体が動きを再学習する大切な時間です。緩んだ状態で、立つ。伸ばす。踏みしめる。支える。その積み重ねが次のステップにつながると信じています。■ この3か月を振り返って効果を実感し、中断を経験し、効果の消退も体で理解した時間でした。2回目は、ただの「次の注射」ではなく、この3か月の経験を踏まえた新しいスタートです。期待と冷静さの両方を持ちながら、また一歩前へ進みたいと思います。■ 関連記事ボツリヌス療法と向き合ういま ―― できることを広げながら、次の一歩へ脊髄障害による左足の「内側に引かれる感じ(内転筋・ハムストリングの緊張)」と、生活動作の自立(トイレ・着替え・自己導尿など)の広がり、歩行練習の現状を整理。1回目の注射の振り返りと、2回目(2026/2/19)で内転筋への注射も相談したい気持ちが書かれています。痙性と痙縮について|自分のための備忘録「痙性」と「痙縮」の違いを、自分の足の変化(反射的な動き→こわばりの出現)を手がかりに、できるだけ簡単な言葉で整理した備忘録。いつ頃から何が起きていたのかを振り返るための記事です。
2026.02.16
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数年前に書いた「黒死病からの復活! PENTAX K-70」という記事が、今もコンスタントに読まれています。▶︎ 黒死病からの復活! PENTAX K-70(2022年9月5日)発売からすでに10年近く。現在は実質的に生産終了となり、新品で見かけることはほとんどなくなりました。カメラ市場はすっかりミラーレス中心へ移行し、一眼レフは少数派になっています。それでも、中古市場では今も流通していて、状態の良いボディは数万円台で取引されています。「まだ欲しい人がいる」という事実は、このカメラの魅力を物語っているように思います。私にとっても、K-70は特別な存在です。この1年2ヶ月の入院期間中、カメラはほとんど触れませんでした。しかも、バッテリーを入れたまま保管してしまい、久しぶりに取り出そうとしたらバッテリーが膨らんで抜けなくなるというトラブル。Webで見つけた“ナットを瞬間接着剤で付けて引き出す”という裏技も試しましたが、うまくいかず。やはり自己責任。長期保管の反省です。最終的には慎重に取り出し、現在はロワジャパンの D-LI109 互換バッテリーを購入。問題なく、元気に動いています。ファインダーを覗いた瞬間のあの感覚。シャッター音。しっかりとしたグリップ感。やっぱり、いいカメラです。世の中がどれだけミラーレスに移行しても、私にとっては、これが「マイ一眼レフ」。唯一の現役機。だからこそ、大切に使っていきたいと思います。先日の雪の日に部屋の中からガラス越しにPENTAX k70でもう少し暖かくなったら、車椅子で外に出て、春を写そうと思います。桜かもしれません。新芽かもしれません。光そのものかもしれません。K-70と一緒に迎える、次の季節。それを撮れること自体が、今の私にとっては何よりの喜びです。
2026.02.15
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ナワシログミ2023年3月24日 撮影びまん性大細胞型B細胞リンパ腫の治療としてPolaR-CHP療法を受け、9ヶ月後に完全寛解。その後10ヶ月が過ぎ、治療開始から数えると1年7ヶ月が経った。大学病院、リハビリ病院を退院して自宅に帰り、訪問リハビリ、通所リハビリを生活の中心に安定した生活を送っているが、その中でひとつ気になることがある。心拍数だ。血液データは安定している。直近のヘモグロビン(※1)は13.0。心エコー(※2)や心電図でも異常は見られなかった。血中酸素濃度(※3)も現在は98%前後で安定している。治療前、スマートウォッチの記録では安静時心拍数はおよそ70前後だった。それが今は、横になっていても100前後。車椅子に座っていても大差はない。リハビリ前の安静時でも95前後。80台になることはほとんどない。少し動けば120〜130。やや強い運動をすれば140程度まで上がる。血圧は上が110〜120、下が70〜80で安定している(※4)。顕著な息苦しさやしんどさは感じない。それでも「なぜだろう」という疑問は残っていた。貧血や心臓の異常ではない?最初は貧血を疑った。実際、一時期はヘモグロビンが9.8まで下がっていたこともある。しかし直近(2026年1月5日)は13.0まで回復している。頻脈の傾向が出たとき、大学病院で心エコーや心電図、ほかの検査も受けたが、特に異常は見られないという所見だった。入院中は血中酸素濃度が93〜95%ということがよくあったが、今は98%くらいで安定している。こうして並べてみると、「心臓そのものが悪い」「酸素が足りない」「貧血のせい」だけでは説明がつきにくい。腑に落ちたのは「回復の途中」という見方整理してみて腑に落ちたのは、次のような可能性だった。体力の大幅低下自律神経のリセット(※5)長期ストレス状態筋肉量減少基礎代謝の変化1年7ヶ月という時間は、身体にとって大きな出来事だったはずだ。長期入院、抗がん剤治療、脊髄への影響、リハビリの日々。その間、身体は常に「非常事態モード」にあったのかもしれない。交感神経(体を活動モードにする神経)が優位な状態が続くと、心拍数は高めに出ることがある。心臓そのものが悪いのではなく、身体全体のバランスがまだ回復途上にある――そう考えると、今の数値は「異常」というよりも「途中経過」と受け止められる気がした。医学的には、安静時心拍数が100回/分を超える状態を「頻脈(ひんみゃく)」という(※6)。ただし、心機能が正常で血圧も安定し、自覚症状がなければ、必ずしも危険な状態とは限らない。次にやってみたいこと、主治医に聞きたいこともちろん、油断はしない。次回血液内科の受診時に、今の心拍数のことについて聞いてみるつもりだ。また、最近は夜の最低心拍数を測れていないので、近々スマートウォッチを充電して、熟睡時の最低心拍も計測してみようと思う。治療が終わればすぐ元通り、というわけではない。完全寛解はゴールではなく、回復のスタート地点なのかもしれない。それでも、こうして自分の身体を冷静に見つめ、納得し、少し安心できたことは大きい。身体は、ゆっくり戻っていく。そう信じて、今できるリハビリを続けていこうと思う。関連記事私の悪性リンパ腫と治療について(DLBCL・PolaR-CHP療法)びまん性大細胞型B細胞リンパ腫の発症から治療開始までの経緯、PolaR-CHP療法の概要、そして当時の心情をまとめた記録です。今回の記事の背景となる治療の全体像を書いています。PolaR-CHP(ポラR-CHP)療法について〖少し詳しく〗PolaR-CHP療法の薬剤構成や作用、副作用について、当事者の視点で少し詳しく整理した記事です。治療内容をより具体的に知りたい方はこちらへ。注釈(一般の読者向け)※1 ヘモグロビン(Hb)赤血球の中にあるたんぱく質で、酸素を運ぶ役割をする。成人男性の基準値はおよそ13〜17 g/dL。9〜10台だと貧血とされることが多い。※2 心エコー超音波で心臓の動きを調べる検査。心臓のポンプ機能(左室駆出率など)を評価する。※3 血中酸素濃度(SpO₂)血液中にどれくらい酸素があるかを示す指標。通常96〜99%が目安(個人差・測定条件の影響あり)。※4 血圧一般的に、上(収縮期血圧)100〜130、下(拡張期血圧)60〜85程度が正常範囲の目安(年齢や体質で変わる)。※5 自律神経体を無意識にコントロールする神経。交感神経(活動モード)と副交感神経(休息モード)がバランスを取っている。※6 頻脈一般的に安静時心拍数が100回/分を超える状態を指す。原因はさまざまで、症状や検査結果と合わせて判断する。
2026.02.14
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今日のテーブルキッチン「大根の皮のキンピラ」白内障の手術を終えて、1ヶ月が過ぎました。白内障と自覚し、手術を決断するまでの経緯は、こちらの記事にまとめています。白内障手術で感じた「世界が明るくなった」という実感あのときはまだ手術直後で、視界は明るくなったものの、本当に安定するのだろうかという不安もどこかにありました。退院後の私の生活は、自宅の一室が中心です。介護ベッドがあり、テレビがあり、絵を描く道具やPC、iPad、本や雑誌に囲まれています。この部屋が、ある意味で生活のほとんどすべてと言ってもいい空間です。その大切な空間の中で、少しずつ視界の変化を感じていました。PCの文字がかすむ。絵の細い線がはっきりしない。美術系の雑誌や画集の色が、どこかくすんで見える。けれど、「こんなものかな」と受け入れて過ごしていました。私は、びまん性大細胞型B細胞リンパ腫の治療としてPolaR-CHP療法を受けました。この治療は、ポラツズマブ ベドチン、リツキシマブ、シクロホスファミド、ドキソルビシン、そしてプレドニゾロン(ステロイド)を組み合わせた治療法です。この中で、白内障との関連が最も強いとされているのがステロイドです。プレドニゾロンのようなステロイド薬は、免疫抑制や抗炎症作用を持ち、リンパ腫治療において重要な役割を果たします。一方で、高用量を反復して使用すると、水晶体の代謝に影響を与え、濁りを生じやすくなることが知られています。医学的には、ステロイドによる白内障は「後嚢下(こうのうか)白内障」と呼ばれます。このタイプは、進行が比較的早い光がにじみやすい強いまぶしさを感じやすいといった特徴があります。加齢による自然な変化に、治療でのステロイド使用が重なった。そう考えると、自分の視界の変化にも納得がいきます。白内障手術では、濁った水晶体を取り除き、代わりに眼内レンズを挿入しました。術後は一時的な炎症や違和感がありますが、一般的には1か月前後で炎症が落ち着き、視力が安定するとされています。今、まさにその安定期に入ったのだと実感しています。部屋の中の景色が変わりました。テレビの映像がくっきりしている。PCの文字が輪郭を持っている。画集の色が深く、線がはっきりと見える。そして、視線は少しずつ部屋の外へ向き始めています。妻の運転で車に乗ると、街並みの輪郭がはっきりと分かります。遠くの山の稜線が、空ときちんと境界を持って見える。通所リハビリで出会うスタッフさんやリハの先生たち、利用者の方の表情も、以前より自然に読み取れるようになりました。新しい車椅子も届きました。これまでより軽く、操作しやすい一台です。行動範囲が広がる予感があります。さらに、手動運転装置を付けた車の運転にも挑戦しようと考えています。まだ準備段階ですが、自分でハンドルを握るという選択肢があること自体が、大きな希望です。部屋という世界から、外の世界へ。視界がはっきりすることは、行動の幅が広がることでもあるのだと感じています。春が近づいています。新しい車椅子で、妻と一緒にカメラを担いで、春を見つけに出かけようと思います。山の稜線も、街の光も、花の色も、はっきりと見える目で。治療を終え、手術を経て、また一つ自分の世界が広がりました。見えるということは、生活の可能性を少しずつ外へ押し広げてくれるものなのだと、今は静かに実感しています。関連記事白内障手術で感じた「世界が明るくなった」という実感待ち望んだ自分の車椅子と、再び動き出すための準備
2026.02.13
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2024年2月7日 水曜日 撮影脊髄障害を抱えてから、排便は「出る・出ない」だけの問題ではなく、生活の中で最も大きなテーマの一つになった。便意の有無、筋力、移乗、姿勢保持、排便後の処理、そして失禁のリスク。どれもが「自分の体がどこまでできるのか」を毎日確かめる行為で、正直しんどいと感じる日もある。しかし、こうして振り返ってみると、少しずつ、確かに前に進んでいることを実感できた。■ 退院後の現在の排便動作車椅子生活の私だが、現在以下の排便動作は自分で行えている。車椅子から立ち上がって手すりを持つズボンとリハビリパンツを下ろし、便座へ移乗する排便後、再び立位を取って衣服をあげる手すりと車椅子の肘掛けを持って座位に戻る退院後5ヶ月、下肢の状態に波はあるが、初期のころに2回だけ便座に届かず床に落ちたことを除けば、今は余裕を持って排便動作を行えるようになった。これは大きな進歩だと思っている。■ 薬による排便コントロール排便管理の大きな支えになっているのが薬である。マグミット錠330mg:朝・昼・夕の毎食後に1錠グーフィス錠5mg:朝食後2錠マグミットは便を柔らかくし、グーフィスは腸の動きを促す薬。私の場合、マグミットを増やすと軟便や下痢になりやすいため、退院後は1日3錠に調整している。■ 生活習慣による工夫排便の調子には食事も大きく関わる。特に効果を実感したのは次の2つだ。さつまいもいちじく(姉夫婦が昨年8〜10月に毎週のように届けてくれた)これらをよく食べていた時期は排便が非常に安定していた。■ 出ない不安と坐薬の使用体調によっては便が出ない日が続くことがある。3日目・4日目まで待てば自然に出る感覚はあるものの、翌日に通院や通所リハがある場合は「外で失禁したらどうしよう」という不安も出てくる。そのため、必要に応じて前日に坐薬を使って排便を促すことがある。これは翌日を安心して迎えるための準備でもある。■ 排便管理の経過(2024年6月〜現在)● 2024年6月〜8月:紙おむつでの管理びまん性大細胞型B細胞リンパ腫の治療開始直後から下肢麻痺が進行し、排便・排尿とも自力での管理が困難になった。6月25日(メモより)朝4時前、浣腸後の残便を看護師さん2人がかりで処置してくれた。ありがたい気持ちと申し訳なさの入り混じった時間だった。7月27日(メモより)大量の便の処置をしてもらった。こうして生きていくのだと思った。二人の看護師さんに感謝。この頃から「肛門のあたりが動く感覚」がわずかに戻ってきた。● 8月19日:初めての便座移乗(介助あり)リハビリ病院で作業療法士の介助を受け、初めて便座に座ることができた。しかし排便のコントロールはまだ難しかった。● 9月10日:紙おむつ → リハビリパンツへ介助を受けながら便座での排便が可能に。● 9月26日:大学病院に帰院リハビリ病院で撮影した移乗動画を看護師に見せ、介助で排便ができるようになった。治療開始から3ヶ月、念願だった「便座で排便」が実現した。● 2025年3月13日:完全寛解治療が一区切りつき、身体機能の回復に集中できるようになった。●3月25日:回復期リハビリ病院へ転院●6月末:自立排便の獲得手すりを使った立位保持が安定し、ズボンやリハビリパンツの上げ下げが可能になり、自己判断でトイレへ行けるようになった。●8月21日 退院〜現在退院後は便秘気味の日もあるが、便失禁はほとんどなくなった。体幹の安定、下肢筋力の向上が排便機能に良い影響を与えているように思う。■ この1年7ヶ月の変化を医療的に振り返る① 感覚の回復は神経再生のサイン便意や肛門周囲の動きなどの微細な感覚は、仙髄(S2〜S4)の神経が担っている。最近の「わずかな便意」や「肛門の動き」は、神経の可塑性(つながり直す力)が働いている証拠だと感じている。② 体幹の安定が腹圧を戻した排便に必要な腹圧は、体幹・骨盤底筋・腹筋の安定が不可欠。リハビリで座位・立位が安定したことで、自然な腹圧が戻り、排便を押し出す力が強くなった。③ 筋緊張(痙縮)の変化は回復過程の一部ふくらはぎの張りや太ももの急な緊張は痙縮の一種だが、神経回復期には一時的に増えることがある。最近の体の反応は、そのプロセスの途中にいるように感じる。④ 自律神経の回復も影響している腸の動きは自律神経の影響を大きく受ける。治療の負担が減り、生活リズムが整ってきたことで、腸のぜん動が安定してきた。⑤ 失禁が激減した理由直腸の感覚が戻り始めた骨盤底筋が働くようになってきた立位や移乗動作が安定し、排便後の処理がスムーズになった■ 私なりの結論排便管理は、今も生活の中で大きなウェイトを占めている。長時間便座に座り続けることもあるし、出ない苦しさもある。それでも、この1年7ヶ月を振り返ると、確実に回復の階段を登っていると感じる。便失禁がほとんどなくなったこと、便座への移乗が自立したこと、腸の動きや便意の感覚が少しずつ戻っていること。どれも、以前の自分にはなかった変化だ。排便管理は正直しんどい。しかし、身体は確かに回復しようとしている。その動きを信じながら、これからも無理なく、生活の質を高めていきたい。▼ 関連記事はこちら排便・痛みの変化と今後のリハビリの方向性排便管理とこれからの不安と希望久しぶりの「腰のビクッ」 ― 脊髄障害の身体が教えてくれること ―
2026.02.12
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クスノキの葉2024年2月7日 水曜日 12:24ここ2〜3日、下肢にこれまでにない変化を感じている。左右のふくらはぎに、まるで肉離れの後のような強い張りや痛みがあって、正直なところ不安もある。けれど、どこかで「もしかすると良い変化なのでは?」と思いたい気持ちも湧いてくる。今日は午前中に訪問リハがあり、リハビリの先生にこの“変化”を細かく話すことができた。■ 腰の「ビクッ」と、ふくらはぎの張りまず、先日から起きている腰の「ビクッ」という突然の収縮。これは、脊髄障害がある人に時々みられる、神経の興奮による反射的な収縮らしい。そして、この数日にかけて起きているふくらはぎの強い緊張・痛み。リハビリの先生が触ってくれたときに、「あ、ここ張っていますね」「左右とも反応が強いですね」と言われ、やはり自分だけの思い込みではなかったのだと少し安心した。■ 痙縮と深部感覚の不思議今日のリハの中で、先生と深部感覚の話になった。足の指のどれを触っているのか分からない。どの方向に曲げられているのか判断できない。そういう深部感覚障害が、私の場合いまだに残っている。その一方で、ふくらはぎが強く張る太ももが急に力を入れたようになるじんわりと痛みを感じるといった痙縮の症状は日によって波がある。「感覚としては分からないのに、筋肉は勝手に反応してしまう」——そんなアンバランスさが今の私の足の状態だ。先生がマッサージをしながら説明してくれた言葉が印象に残っている。「動かないようでいて、中では神経がいろいろ反応しているんですよ。だから張るんです。だから痛くなるんです。“反応している”ということは、悪いことではないですよ。」その言葉を聞いて、不安の中に少し光が射したような気がした。■ 体の変化を“自覚できる”ということ今日のリハでは、ふくらはぎ、太もも、骨盤まわりなど、いろんな場所をゆっくり押したり伸ばしたりしてくれた。その刺激を受けながら、「ここの張りは昨日より強い」「この部分は逆に緩んできている」そんなふうに、自分の身体の変化をはっきりと感じられた。脊髄障害になって以来、「自分の体の声」には病気前に比べてとても敏感になっているが、最近はより敏感に「自分の体の声」が聞こえてきている気がする。■ 生活動作は安定してきているリハビリの先生にも言われたが、生活動作そのものはずいぶん安定してきた。・ベットサイドでの衣服の着脱・トイレでの立ち座り・自動車助手席への移乗など、去年の8月末のリハビリ病院退院時と比べれば自分でも驚くほどスムーズになっている。■ 2月19日、大学病院でボツリヌス治療の2回目来週の2月19日、大学病院の脳神経内科でボツリヌス治療(2回目)を受ける予定だ。前回は効果を実感できる部分もあったが、まだ痙縮が残り、立位、歩行、生活動作を阻害していることがある。今回の変化が、回復の前兆なのかどうかは分からない。だが、身体の反応が続いている今、治療後にどんな変化が現れるのか期待もある。■ 本当に改善しているのか?正直、分からない。不安もある。けれど、ただ痛むだけの頃とは違う。反応がある筋肉が張る痛みが左右に出るリハビリの先生と体の変化、感覚の変化を共有することができるそれらは、単に悪化した痛みではなく、「身体の中で何かが動いている証拠」だと信じたい。脊髄障害の回復はまっすぐではなく、揺れながら、行ったり来たりしながら進む——この1年半で私はそれを痛いほど知った。だから今、期待と不安を両手に持ちながらも、この変化を前向きに受け止めていきたいと思う。▼ 関連記事はこちら久しぶりの「腰のビクッ」 ― 脊髄障害の身体が教えてくれること ―
2026.02.11
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ムラサキカタバミ2024年6月8日 土曜日 撮影訪問リハに通所リハ、血液内科に泌尿器科、眼科に歯科。ウィークデイはほぼ毎日、何かの予定が入っていて、妻と二人でバタバタ動き回っています。けれど、一日の中で自由に使える時間も実はたっぷりあって、「できること」「したいこと」はたくさんあるはずなのに、気がつけばテレビをつけて何かゴソゴソしている時間がいちばん長い――そんな日々です。CMの多い民放テレビは、今の私には少ししんどい。だから自然と、Amazonプライムの Prime Video 内にあるNHKオンデマンド や NHKプラス を観ることが多くなりました。何より「一気見できる」魅力があって、観始めるとなかなかやめられないのが困りもの。昨年8月21日に退院してから観た作品を思い出しながら書き出してみました。ここからは、退院後に視聴した作品一覧です。放送年や主要キャストが分かるものは記しました。■ ドラマ10(NHK総合)● 水族館ガール放送年:2016年主要キャスト:松岡茉優● 透明なゆりかご放送年:2018年主要キャスト:清原果耶● トクサツガガガ放送年:2019年主要キャスト:小芝風花● 正直不動産放送年:2022年~主要キャスト:山下智久● 東京サラダボウル放送年:2025年主要キャスト:奈緒、松田龍平● しあわせは食べて寝て待て放送年:2025年主要キャスト:桜井ユキ、宮沢氷魚● シバのおきて~われら犬バカ編集部~放送年:2025年主要キャスト:大東駿介● テミスの不確かな法廷放送年:2026(現在放送中)主要キャスト:松山ケンイチ■ 夜ドラ(NHK)● 作りたい女と食べたい女放送年:2022主要キャスト:比嘉愛未、西野恵未● バニラな毎日放送年:2025年主要キャスト:蓮佛美沙子、永作博美● いつか、無重力の宙で放送年:2025主要キャスト:木竜麻生、森田望智● ひらやすみ放送年:2025年主要キャスト:岡山天音、森七菜、吉村界人、吉岡里帆■ 朝ドラ(連続テレビ小説)● マッサン放送年:2014~2015年主要キャスト:玉山鉄二、シャーロット・ケイト・フォックス● とと姉ちゃん放送年:2016年主要キャスト:高畑充希■ プレミアムドラマ(NHK BS)● 珈琲屋の人々放送年:2014主要キャスト:高橋克典● 奇跡の人放送年:2016主要キャスト:峯田和伸、麻生久美子● 受験のシンデレラ放送年:2016主要キャスト:小泉孝太郎、川口春奈● 山女日記~女たちは頂きを目指して~放送年:2016主要キャスト:工藤夕貴● 山女日記~山フェスに行こう/アルプスの女王~放送年:2017主要キャスト:工藤夕貴● 山女日記3放送年:2021主要キャスト:工藤夕貴● 路~台湾エクスプレス~放送年:2020年主要キャスト:波瑠、許光漢● 団地のふたり放送年:2024主要キャスト:小泉今日子、小林聡美● TRUE COLORS放送年:2025主要キャスト:倉科カナ、舞熊克哉、渡辺謙■ ドキュメンタリー/旅番組/バラエティ● カールさんとティーナさんの古民家村だより● やまと尼寺 精進日記● あてなよる● 小さな旅● 釣りびと万歳● 世界ふれあい街歩きおわりにこうして一覧にしてみると、思っていた以上にたくさんの番組に支えられてきたことに気づきます。テレビは今の私にとって、「生活のリズムをつくる装置」であり、「リハビリの合間にそっと寄り添う相棒」です。昭和32年生まれ、テレビとともに育ってきた世代として、これからも無理のないペースで、好きな番組を楽しんでいこうと思います。
2026.02.10
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2026年2月7日(土)。ついに、自分の体に合わせて作られたアクティブタイプの車椅子が届きました。申請から約6ヶ月。長かったと言えば長く、けれど「必要だからこそ」待ち続けることができた時間でした。申請するしかなかった、という“必要感”私は現在68歳。本来であれば、車椅子は介護保険でレンタルすることが原則です。しかし、私の身体の状況、そしてこれからの生活を考えると、どうしても体に合った専用の車椅子が必要でした。 車への移乗ができるようになりたい 病気療養中の妻を車で病院へ連れていくという、大切な役割がある 自分自身の外出や通院も自立して行いたい 姿勢や上半身の負担を軽減し、長く使えるものにしたいこうした理由から、医師の指示を得て、ケアマネさんに「現在使用中の補装具(部品)が介護保険貸与を利用できない理由」をまとめた理由書を作成してもらい、申請を進めました。書類が整い、申請が通り、そして製作が始まるまでの期間。「本当に通るだろうか」「どんな車椅子が出来上がるのか」そんな期待と不安の混じる日々でした。やっと届いた、“自分のための車椅子”6ヶ月が経ち、ついに私のもとに車椅子が届きました。段階的に身体の状態を測り、使用環境を確認し、必要な調整を加えた、まさに“自分専用”の車椅子。座った瞬間、ああ、これは「借り物」じゃないんだ、自分の生活のために作られたものなんだ——その実感がゆっくり湧き上がってきました。待った甲斐がありました。ここから始まる、新しい訓練車椅子が届いたから終わり、ではありません。むしろ「ここから」が始まりです。これから訪問リハビリの先生と一緒に、 車への移乗 車椅子の積み込み 生活動作の練習 車椅子姿勢の調整などを行っていく予定です。どれも簡単ではありませんが、“できることをひとつずつ増やしていく”——そんなステップが楽しみでもあります。車の改造、教習所での訓練へ車椅子生活になった今でも、私はもう一度、自分の力で運転できるようになりたいと思っています。そのために、 自動車に「手動運転装置」を取り付ける(車の改造) 自動車教習所で、手動運転装置付きの車で教習を受けるというプロセスがこれから始まります。運転は、ただの移動手段ではなく、「家族を守る手段」であり、「外へ出て世界とつながるための力」でもあります。今はまだ、妻の移動や買い物で“車に乗せてもらう側”です。けれどいつか再び、“誰かを乗せて移動できる側”に戻りたい。その目標は、私にとって大きな希望になっています。移動する自由を、もう一度取り戻すために今回の車椅子は、単なる道具ではありません。 外出する自由 妻を支える力 家族と出かける楽しさ 自分の意志で動くという尊厳 そして、未来への小さな希望こうしたものにつながる第一歩です。病気によって変わった生活。できないことが増え、不安も多い。それでも、こうして新しい車椅子を手にし、できることが少しずつ増えていくのを感じています。春になったら、また妻と一緒に、どこかへドライブに行けるかもしれない。その日のために、今日からまたひとつずつ。体と向き合い、機能を取り戻し、新しい生活の準備を進めていきます。
2026.02.09
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仕事をリタイアした後、90代の父に3年間、ほぼ毎日作り続けた弁当があります。病気や生活の変化を経て今は形を変えましたが、そこには家族の時間と、料理を通じたささやかな喜びが詰まっていました。今回は、その弁当作りの記録と、テーブルキッチンが与えてくれた“楽しさの再発見”について綴ります。2021年3月。2年間の海外生活を終えて帰国し、私と妻、そして当時91歳の父との3人暮らしが始まりました。当初は朝・昼・晩の3食を揃って食べていましたが、次第に「揃えること」が私たち家族をどこかきゅうくつにしていきました。父は食事の時間に呼ばれるのを待つだけになり、どこか主体性を失っているようにも見えました。そこで父と話し合い、家族それぞれが心地よく過ごせる新しい食事スタイルに変えることにしました。私たちが選んだ “ちょうどいい距離感の食事スタイル”朝:妻が朝食を準備し、父の部屋へ運ぶ。昼:私が弁当を作って父に渡し、父は自分のペースでお茶を淹れて食事をする。昼の時間は、私も妻も自由に過ごす。家にいる日でも、父は自分のリズムで食事を楽しむ。夜:3人でテーブルを囲み、昔話や孫の話、テレビの話題などをゆっくり語り合う。父と私は晩酌をしながら。家族として寄り添いながらも、それぞれの生活リズムを大切にし合う。そんな「ちょうどいい距離感」が私たちの日常に馴染んでいきました。弁当作りを始めた2021年前半の弁当から3年間で約900食。弁当作りがもたらした喜び2024年6月、私がびまん性大細胞型B細胞リンパ腫(DLBCL)で入院したことで、この生活は一旦止まりました。振り返れば3年間で約900食。毎日の弁当作りは大変でありながら、それ以上に「楽しさ」がありました。冷蔵庫にあるもので工夫したり、父の好物を多めに入れたり、彩りを考えたり。季節の食材を入れるのも楽しみでした。父が「今日もおいしかった」と笑ってくれる。その一言が、私の何よりの励みでした。96歳になった父、そして今も続くつながり現在、父は96歳で高齢者介護施設で穏やかに暮らしています。2〜3日に1回は電話で話し、退院後の面会で顔を合わせると、お互いに安心します。電話では、車椅子で生活する私の体のことを父が気遣ってくれます。年齢を重ねても、親子のつながりは変わらず温かいものだと感じます。春になったら、また一緒にもう以前の3人の生活に戻るのは難しいかもしれません。けれど、春になって暖かくなれば、車でドライブに出かけたい。妻と弁当を作って、父が喜びそうな場所へ一緒に行けたらいいなと思っています。テーブルキッチンが思い出させてくれた “料理の楽しさ”病気になる前、私はキッチンで料理をする楽しさを見つけました。リハビリ生活が続く今も、その感覚が少しずつ戻りつつあります。父のために作り続けた900食の弁当は、料理ができることの幸せを再確認させてくれる大切な時間でした。これからも、テーブルキッチンで妻と一緒に料理の楽しみを再び広げていこうと思っています。
2026.02.08
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マルバマンネングサ(学名:Sedum makinoi)2023年6月16日 金曜日 12:12 撮影2025年6月、回復期リハビリテーション3ヶ月目のリハビリテーション計画には、起立や着座、方向転換を見守りで行えるようになること、立位でズボンの上げ下げができること、夜間の疼痛が落ち着いて眠れるようになることなど、自分の状態に沿った現実的な目標が記されていました。150日の入院生活の折り返しとなる6月前半には、平行棒、ピックアップ、歩行器、階段練習と、次の段階につながる基礎が整ってきている実感がありました。6月にはリハビリ後の自主練習にも行くことができ、「自分の判断で、好きなタイミングで練習できる」という手応えを感じていました。2025年6月8日(日)ここまで平行棒で歩けるようになっていました。この調子でいけば、8月末の退院時には歩行補助具を使い、支え介助で移動できるようになる。その目標が現実味を帯びてきた時期でした。6月下旬〜7月、思わぬ壁にぶつかるしかし6月下旬からは急に筋緊張が強まり、その状態は7月いっぱい続きました。朝昼晩、そして就寝前のリオレサール、ダントリウム2錠を飲んでいても太ももの突っ張りや痛みは治まらず、夜はホットパックで筋緊張で痛い部分を温めたり、ハンディマッサージ器で筋緊張をゆるめたりしながら過ごしました。※リオレサール(バクロフェン):筋緊張を和らげる内服薬で、脊髄の反射を抑えて過剰な筋収縮を軽減する薬です。※ダントリウム(ダントロレン):筋肉そのものの収縮を抑える作用があり、痙縮による強いこわばりや痛みを緩和する目的で使われます。リハビリでは医療用マッサージ器「メドマー」を毎日のように20分間かけてもらい、何とかその日のメニューをこなしていました。しかし、立位を取るときにハムストリングが強く緊張して安定した立位が取れず、自主練習が怖くなってしまい、一時中断せざるを得ませんでした。8月、再び前へ進み始める8月に入って筋緊張が少しずつ落ち着き、ようやく歩行練習に戻ることができました。それでも退院後も痙性・痙縮との闘いは続き、良い日と悪い日を行き来しながらの毎日です。「できていたことができない」「後退したように感じる」という日があると、気持ちが萎えそうになることもあります。それでも結局は前に進むしかない。そんな思いで日々を重ねています。ボツリヌス治療の開始と、12月の悔しさ昨年11月から大学病院の脳神経内科でボツリヌス治療(ボトックス注射)が始まりました。初回は左ハムストリングに200単位。筋緊張をコントロールするための新しい一歩でした。そして迎えた12月。ボツリヌス治療の効果が最も安定し、リハビリが一番進むはずの時期でした。体調もよく、生活動作も安定してきていました。ところがその矢先に、尿路感染による膀胱炎で1週間入院し、さらにインフルエンザにもかかってしまいました。せっかく整ってきたリハビリの流れが止まり、十分に取り組めなかったことは、今でも残念に思っています。それでも、確実に良くなってきていること痙性・痙縮によって進んだり戻ったりを繰り返しながらも、体幹はしっかりしてきて、生活動作は確実に安定してきています。退院後の生活を振り返ると、ブログを書く習慣ができ、自分の歩みを整理しながら過ごせていることテーブルキッチンで調理を楽しめるようになったこと孫娘たちとの時間が日常の大きな力になっていること妻とのドライブやお出かけを楽しめるまでに回復したことこうした「生活の広がり」は、身体機能の回復以上の力になっています。痙性・痙縮との付き合い方 ― 今の私の考え痙性・痙縮は、自分の思いどおりの動きを妨げる存在でありながら、歩行機能を取り戻すために必要な反応でもあります。良い日もあれば悪い日もある。進む日もあれば戻る日もある。それでも全体としては前に進めている。そして生活は確かに豊かになってきている。今はその実感を大切にしながら、これからも痙性・痙縮と向き合っていこうと思っています。
2026.02.07
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紅葉したセダム・六条万年草(Sedum sexangulare)2022年2月9日 水曜日 13:09 撮影今朝、久しぶりに腰の中央あたりが「ビクッ」と動く感覚が続きました。同時に左足の腿裏や膝裏にも小さな刺激が走り、思わず体が反応しました。この「腰のビクッ」という現象は、大学病院に入院して2ヶ月ほど経ち、下肢にほんの少し動きが戻り始めた頃からすでに起きていました。当時は寝ている最中に突然腰が跳ねるように動くためとても不安で、リハビリの先生に「これは大丈夫なんでしょうか?」と繰り返し質問していました。先生は「脊髄の反射が強く出ているサインで、回復期にはよくありますよ」と説明してくださり、少し安心したものです。■ 今朝の「腰のビクッ」と同時に起きたこと今日は、腰だけではなく、左足の腿裏や膝裏にまで刺激が同時に伝わりました。脊髄の神経がひとつの束として連動しているときに起こる典型的なパターンだと感じます。■ その日の背景にあったこと(排泄障害について)昨夜は寝ている途中に急に便意があり、真夜中にトイレへ向かいました。私の排泄障害の特徴として、便意があっても勢いよく出るわけではなく、便が出るまでに30分、長いときは1時間ほど座り続けることが日常的にあります。昨夜もまさにその状態で、長く座っているのにほとんど出ず、力んだり休んだりを繰り返しながら時間だけが過ぎていきました。結局、十分に排便できないままベッドに戻ったのは朝の6時頃でした。こうした排泄に時間がかかる状況は、体力だけでなく精神的にも消耗します。この日も例外ではなく、寝不足で、骨盤周囲の疲労も強く感じる朝となりました。脊髄障害の身体では、この睡眠不足や排泄の長時間姿勢による疲労が脊髄の反射を強め、「腰のビクッ」のような反応が出やすくなります。■ 回復期に経験した「あの頃の腰のビクッ」とのつながり2024年11月から2025年6月頃までの回復期、私は長下肢装具を使って立つ練習や、足を前に出すための第一歩を訓練していました。その頃も今と同じように「腰のビクッ」が頻繁に起きていました。当時は身体の機能が揺れ動いていた時期で、脊髄の反射が強く出るたびに不安になり、気持ちがざわついたものです。「これは回復のサインなのか? 痙性なのか? それとも悪化なのか?」と、毎日のように自分の体に問い続けていました。しかし振り返れば、あの頃の「腰のビクッ」は、神経が再び働き始める時期に多くの人が経験する、典型的な回復過程の反応でした。脊髄の回路が活性化すると、過敏な反射として現れるのです。■ 今朝の「腰のビクッ」の意味今日起きた腰と左足の連動した動きは、大学病院入院中の初期、そしてがんリハの時期に経験した現象と非常によく似ています。脊髄反射が一時的に強まっている腰(L1〜L3)の反応が下肢へ広がる腿裏・膝裏(L5〜S1)への刺激睡眠不足と深夜の排便努力が背景にあるこれらを合わせて考えると、今回の「腰のビクッ」は危険なサインではなく、脊髄の反射活動が一時的に高まっただけの現象だと捉えることができます。■ あの不安な時期を思い出しながら大学病院入院中の初期、そしてがんリハの11月頃の私は、「腰のビクッ」が起きるたびに不安に襲われていました。しかし今は、同じ現象が起きても、あの頃より落ち着いて身体の反応を受け止められています。「今日は寝不足だから反射が強いのだろう」「腿裏に響いたのは神経が連動したためだろう」と、冷静に観察できるようになりました。これは、身体が回復していく過程を、一つひとつ自分で経験し、理解してきたからこそだと感じています。■ 同じ症状に悩む方へ脊髄障害の回復期に起こる「腰のビクッ」は、とても不安になる現象です。私自身もそうでした。しかし、この反応は神経が再び働き始める時期に必ず通る過程でもあります。もし今日の記録が、同じような不安を抱えている誰かの心を、少しでも軽くできれば嬉しく思います。
2026.02.06
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今回の記事は、テーブルキッチンシリーズの第2回目です。2月4日。今日は、かわいい🩷💕3番目の孫娘の3歳のお誕生日です。お誕生日メニューはエビフライチキンライスマカロニサラダ妻と二人で協力して、私はエビフライ当番です。スーパーで買ったバナメイエビは背ワタが取ってあって手間いらず。皮をむいた後、腹側に包丁で5〜6か所切れ目を入れ、筋を切るようにしてブチッと伸ばすのがポイントです。その後、小麦粉 → 溶き卵 → パン粉の順につけていきます。揚げる作業は妻にお願いしました。きれいに揚がりました。おいしそうです。🗼 孫たちのリクエスト「エビフライタワー」午後5時30分。学童保育を終えて帰宅した孫たち。おしゃべりのあと、長女・次女・私の3人でエビフライタワー🗼作りに挑戦しました。少し高さが足りないようにも感じましたが、一番上の“シャチホコ風エビフライ”がしっかり映えてとてもかわいらしいタワーになりました。3人で撮影会。孫たちが撮った写真もとても良い表情です。じいじ撮影孫娘、長女撮影孫娘、長女撮影※ トリミング、多少の補正はじいじが。 孫娘、次女の撮った写真はママのスマホの中に。みんな満足です。🍳 テーブルキッチン、やっぱり最強。今回も私のテーブルキッチンが大活躍でした。座って作業でき、安全で効率的。視線と手元が近くてとても使いやすい調理スタイルです。これからも、調理器具・素材・下ごしらえ・調理方法など、私なりのこだわりや工夫をシリーズとして書いていこうと思います。
2026.02.05
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ミモザ2023年3月10日 金曜日 16:33 撮影背中の小さな違和感から始まった私の病気の物語を、これから治療に向き合う誰かの参考になればと思い、文章にまとめました。治療の選択、病院を移した理由、迷いや葛藤、そして「完全寛解」を聞くまでの流れ。自分自身の整理のためでもありますが、同じように悩む方に「こんな例もあるんだ」と感じてもらえたら嬉しいです。◆ 2020年:海外での仕事とコロナ禍のリモートワーク2020年、海外での仕事2年目。コロナ禍の影響で生活の多くが在宅でのリモートワークになりました。その頃から、背中の「一点だけが痛む」ような違和感が現れました。我慢できないほどではありませんが、深い場所がうずくような感覚はずっと続いていました。◆ 2021年:帰国後も続く違和感2021年3月に帰国しても背中の違和感は消えず、「これは一度しっかり調べる必要がある」と感じ始めました。◆ 2022年:地元の総合病院でPET-CT痛みが増してきた2022年、地元の総合病院を受診し、PET-CTなどの検査を受けました。脊椎近くに代謝の高い部位が写り、腫瘍の可能性が示されました。ただ、今後の治療方針について十分な説明が得られているとは感じられず、脊髄近くという繊細な部位であることも考え、インフォームドコンセント(十分な説明と同意)に基づいて医療を選ぶため、セカンドオピニオンを求めることにしました。◆ 大学病院での診断:生検と「経過観察」大学病院では、呼吸器外科の先生を中心に、必要に応じて脊椎領域の専門医も交えた合同カンファレンスで検討が行われ、生検を受けることになりました。2022年10月、生検手術。結果は「悪性度は強くないため、経過観察でよい」というもので、以後は3か月ごとの受診とCT・血液検査での経過観察となりました。◆ 2023年:静かな経過と、11月の変化しばらくは大きな変化がありませんでしたが、2023年11月の検査で腫瘍の増大が確認されました。◆ 2024年:治療を始める決断2024年5月のPET-CTで病変が明確な活動性を示し、治療開始が決まりました。病院の選定、治療の時期、方法について迷いもありましたが、十分な説明(インフォームドコンセント)を受けたうえで、納得して治療を選択できたことは大きな支えになりました。◆ 入院直前の3か月:背中の痛みで眠れない日々入院予定日の約3か月前から背中の痛みは強まり、夜に眠れない状態が続きました。痛みは体力も気力も奪い、治療開始までがとても長く感じられました。◆ 2024年6月:治療直前の急変と緊急入院6月15日頃から排尿・排便の異変、歩きにくさが出はじめ、17日にはつかまれば歩けるものの極めて不安定で、大学病院では車椅子が必要な状態になりました。予定より8日早く、緊急入院して治療を受けることになりました。◆ 入院後の治療①:放射線治療脊髄の圧迫を軽減するため、まず放射線治療が行われました。倦怠感や食欲低下などの副作用はありましたが、腫瘍の縮小に重要な役割を果たしました。◆ 入院後の治療②:PolaR-CHP療法(6クール)続いてDLBCLに対する主治療としてPolaR-CHP療法を6クール受けました。吐き気・倦怠感・食欲低下は吐き気止めや整腸剤で軽減しながら進め、免疫力低下により感染症の高熱・帯状疱疹・偽痛風といった副作用にも対処しました。◆ 入院後の治療③:大量メソトレキセート療法(2クール)中枢神経への再発予防のため、PolaR-CHP療法の3クール目と4クール目の間に大量メソトレキセート療法を行いました。慎重な管理が必要な治療でしたが、再発予防として欠かせないものでした。◆ 最終評価:2025年3月10日のPET-CT、そして3月13日治療途中でPET-CTは行わず、最後の抗がん剤治療から60日後の2025年3月10日に最終評価としてPET-CTを実施しました。結果は3月13日の診察で説明を受けました。◆ 「完全寛解ですよ」主治医の先生から告げられた言葉――「完全寛解ですよ」。病院選びも治療の時期も葛藤の連続でしたが、その選択が「最良の結果」へつながった瞬間でした。◆ そして今(2026年2月3日)― 新しい身体、新しい歩み治療は成功し、腫瘍は完全に消えましたが、治療や脊髄障害の影響として下肢麻痺が残り、歩行はできていません。それでも私は、この身体を受け入れながら前向きに生きていくという新しいステージを歩み始めています。大学病院の脳神経内科での治療と評価、訪問リハビリ・通所リハビリを継続し、ゆっくりではありますが、脚の感覚やこわばりの変化、動かせる範囲が増えるなど、確かな改善の実感が得られる日が増えてきました。「いつかまた歩けるようになるかもしれない」――そう思えることが、今の私の大きな希望です。これからも自分の歩幅で進んでいきます。
2026.02.04
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2019年2月3日 日曜日 11:17 撮影紅梅、白梅がまるで1本の梅の木のように2024年6月18日に放射線治療を受け、その副作用として下肢麻痺とともに排尿障害が始まりました。排便障害については別の記事でまとめますが、今回はこの約1年半の「排尿管理の変遷」を記録として残しておきたいと思います。◆ 発症直後〜11月末:尿道留置カテーテルでの生活発症後すぐに排尿ができなくなり、尿道留置カテーテルで排尿管理を行う生活が始まりました。ベッド上のリハビリはもちろん、車椅子に移乗できるようになってリハビリ室での訓練が始まってからも、そして車椅子でトイレに行けるようになってからも、24時間常にカテーテルを留置したままの状態でした。看護師さんに交換・管理をしてもらいながら、感染に気をつけつつの毎日でした。◆ 2024年11月中旬:泌尿器科受診 → 排尿機能が「残っている」と評価大学病院の泌尿器科で検査を受けた結果、ある程度の排尿機能が残っていることがわかりました。このため、自己導尿で完全に排尿させる方法ではなく、リハビリパンツと尿とりパッドを併用した排尿管理で様子を見ることになりました。◆ 11月〜2025年6月:パッドによる排尿管理の限界しばらくはこの方法で過ごしましたが、問題も多くありました。2〜3時間ごとの交換が必要リハビリで身体を動かすとパッドがずれて尿漏れが起こるズボンまで濡れてしまうこともあり不安また夜間は夜用パッドを使ったり、陰茎部に巻くタイプのパッドを試しましたが、痙性で足が動くことで外れることがあり、安定しませんでした。◆ 2025年6月:回復期リハビリテーション病院での転機回復期のリハビリテーション病院に入院して2か月半が過ぎた頃、この方法では睡眠時間が十分に確保できないことから、夜はナイトバルーンで管理することになり、昼間も自己導尿をすることになりました。この方法で夜はずいぶんストレスなく過ごせるようになり、連続した睡眠時間が確保できるようになりました。◆ 退院後:日常生活に合わせた工夫(レッグバッグの活用)退院後は血液内科でもかかっている総合病院の泌尿器科に診てもらっています。血液内科、泌尿器科、歯科、眼科の通院に加え、週2回の通所リハビリもあり、生活のリズムが整ってきました。家内と二人での買い物やドライブなど外出する機会が多くなりましたが、尿パッドでの管理では十分に外出ができません。そこで、間欠式バルーンカテーテルを使い、レッグバッグを装着して外出するようにしています。これによって4時間は活動に集中することができ、もっと長くなる場合は多目的トイレでたまった尿を出し、そのまま外での活動を続けることができています。◆ 尿路感染症:避けがたいリスクと「早期対応」の大切さただ、8月末の退院後5か月の間に2回、尿路感染による発熱があり、2回目は40度近い高熱が出て1週間の入院となりました。毎日の導尿カテーテルの洗浄などの管理には細心の注意をしていますが、主治医の先生からは「私のような状況で生活している人には、十分に注意をしていてもこうしたことは起こり得る。症状が出たらすぐに治療を受けることが大事」とお話を伺いました。◆ 今日(2026年2月2日)の泌尿器科受診と検尿結果今日の泌尿器科受診での検尿結果では、白血球がやや高め(7.9/μL)でしたが、細菌は検出されず、亜硝酸も陰性でした。昨年12月の膀胱炎時(白血球58.2/μL、細菌2+)と比べると格段に改善しており、現時点で急性の感染を強く疑う所見ではない、ということを確認できました。◆ それでも前を向いて治療の副作用としてこの状態になった初期のことを思うと、排尿管理については基本的に私一人でできており、生活しやすくなっているとはいえ、しんどく辛く思うこともあります。それでも、足の自立や歩行が改善していくことで、この排尿障害も今よりは良くなっていくと希望を持っています。これまで積み上げてきた方法で、なんとか前を向いて頑張ります。
2026.02.03
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梅の花が咲き始めています。悪性リンパ腫(びまん性大細胞型B細胞リンパ腫)での入院治療、そして回復期のリハビリ病院での生活をふり返ると、私の14か月には常に「リハビリの先生」が寄り添ってくれていました。しかし、これまでなんとなく理解しているつもりだった「理学療法士・作業療法士・言語聴覚士の役割」や「その資格を得るまでのプロセス」「大学病院で出会った実習生がどんな道を歩んでいるのか」といった点を、しっかり整理できていないことに気づきました。今回あらためて調べたことを、私自身の体験と重ねながらまとめてみます。【1】理学療法士(PT) ― “動作の再獲得”の専門家理学療法士は、立つ・座る・歩くといった基本的な身体の動作を回復させる専門家です。私の場合は、特に以下のような関わりがありました。長下肢装具・ニーブレス・短下肢装具を使った立位・歩行の練習歩行に必要な筋力・バランスの調整痙性や筋緊張が強い日のメニュー調整「歩けるようになるためには痙性が必要な時期がある」という説明もPTの先生からでした。毎日違う私の体調を見極めて、“今日の私にとって最も効果のある内容”を組んでくれていたことが今になってよくわかります。【2】作業療法士(OT) ― “生活そのもの”を支える専門家作業療法士は、日常生活の動作(ADL)を支える役割を担っています。更衣(ズボンの上げ下げなど)トイレ動作の指導車椅子からベッドや車への移乗手・腕の使い方の訓練生活の組み立て、動作の順序の工夫自宅環境の調整私が回復期リハビリ病院で一つひとつ「できること」が増えていった背景には、OTの先生の細やかな評価と指導がありました。単に“できるかできないか”ではなく、「どの順番で」「どこに意識を置き」「どう準備すれば安全にできるか」まで教わったことが印象に残っています。【3】言語聴覚士(ST) ― 一般的な役割私は直接STの先生に治療していただく場面はありませんでしたが、一般的には次のような重要な役割があります。嚥下(飲み込み)機能の評価・訓練食事形態の調整言語・発声の評価高次脳機能(注意・記憶など)の支援長期入院では嚥下機能の変化が出ることもあり、必要に応じてSTが介入します。私の入院中の周囲でも、嚥下訓練を受けている患者さんをよく見かけました。【4】リハビリの先生はどう育つのか ― 国家資格取得までの流れPT・OT・STはいずれも国家資格で、大学や専門学校で3〜4年の教育を受けて現場に出てきます。基礎医学(解剖学・生理学など)の学習リハビリ評価・技術の実技と講義長期の臨床実習国家試験への合格この過程を経て、“患者の身体や生活、心に関わる専門職”として成長していきます。【5】大学病院で出会った実習生のこと大学病院で出会った実習生の存在は、治療が始まったばかりの私にとってとても大きな意味を持ちました。明るく話題が豊富で、医療の話だけでなくアニメ(孫娘の好きなプリキュアのこと)やグルメなどの雑談もでき、不安の大きかった時期を支えてくれました。彼女から聞いた話の中で「へー、そうなんだ」思ったのが、「実習は大学のある県ともう1県で行う決まりがある」という話です。彼女は県外の大学からこの大学病院に実習に来ていました。これは学校側が幅広い症例を経験させる実習先を確保する急性期・回復期など異なる医療現場を学ばせるといった目的で取り入れている制度だと知りました。実習生は資格取得前の身ではありますが、患者に向き合う時間が比較的多く、話を丁寧に聞いてくれる存在でもあります。医師や看護師が多忙な中で、患者にとってあのときの実習生の存在は少し特別な意味を持つのだと気づきました。【6】リハビリには“カウンセリングの側面”があると知った今回あらためて調べて感じたのは、リハビリには強いカウンセリング的な機能があるということでした。医師や看護師は業務が非常に多く、じっくり時間をかけて話を聞く余裕がありません。しかしリハビリの先生は1対1で40〜60分、患者のためだけに時間を使う毎日の身体と心の変化を観察できる患者が安心して弱音を吐ける「安全な空間」を提供できる私も、痙性が強い日、不安が大きな日、眠れない夜のあとなど、リハビリの時間が心の支えになっていました。身体の訓練でありながら、実は“心の調整の時間”でもあったのだと今になって実感しています。◆ まとめ今回あらためて整理したことで、私の回復の背景には、PT・OT・STの先生方、そして実習生を含む多くの人の支えがあったことを再確認できました。リハビリとは、 「動作を取り戻すための訓練であると同時に、生活を取り戻すための伴走でもある」。私にとって14か月の入院生活を支えてくれたのは、まさにその「伴走者」たちでした。
2026.02.02
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マルバマンネングサ(丸葉万年草、学名:Sedum makinoi)2024年4月24日 水曜日 6:42 撮影—— 14か月の入院生活と、これから続く回復への道 ——私の14か月に渡る入院生活は、治療の段階に合わせて3つの異なるリハビリを渡り歩くことから始まりました。大学病院 → がんリハ病院 → 回復期リハビリ病院。そして退院後の訪問リハビリと通所リハビリ。同じ「リハビリ」でも、それぞれの病院には制度・目的・役割があり、患者の立場からするとつながりや連続性はあるものの、「まったく別物」と言って良いくらいの違いがありました。ここでは、その違いを制度と実体験の両面からまとめ、同じ道を歩む方に少しでも参考になるように整理してみました。① 大学病院(急性期)がん治療中の体を守る“治療のためのリハビリ”■ 急性期リハビリの目的(制度上の位置づけ)廃用症候群の予防骨・関節の拘縮予防肺炎・血栓の予防がん治療(抗がん剤・放射線)に耐える身体の維持ベッド生活で失われる“最低限の機能”の保持急性期は「治療の妨げにならない範囲」が大前提。決して“積極的に歩かせる段階”ではありません。■ リハビリ時間の制限(制度)急性期病院のリハビリは、制度上は1日最大9単位(180分)が上限ですが、実際には1回20〜40分の短時間が多い長期入院が続くと「算定要件」が厳しくなり単位数が縮小される体調不良時は中止も普通私の場合は1日40分×2単位でしたが、入院が長期化した最後の1か月は「40分×2単位 → 20分×2単位に短縮」されました。■ その時の気持ちちょうど並行棒で歩けるようになってきた時期で、歩行時間が減るのは正直つらかったです。それでも担当PTは工夫して、20分×2単位を続けて実施し、歩行訓練を確保してくれました。2024年7月24日 水曜日 11:30 自分の意思で動いたことがうれしくて。2024年12月26日 木曜日 16:22 ここまで動けるようになるとは!② 大学病院と連携して入院していたリハビリ病院(がんリハの患者として)治療と治療の“隙間”を支える、がん患者のためのリハビリ■ 制度上の位置づけ「がん患者リハビリテーション料」に基づき、以下を目的とした専門リハが行われます。副作用への対応筋力・持久力の維持有害事象(転倒・血栓・肺炎)の予防精神面の安定■ リハ時間基本:1日2〜3単位(40〜60分)強度は控えめで、体調に合わせて調整■ 実際の特徴無理をしない、でも完全には止めない。がん患者に“適度な負荷”をかける絶妙なバランス。急性期より前へ進み、回復期ほどハードではないリハビリです。2024年12月5日 木曜日 14:50 歩くことに希望が持てました。③ 回復期のリハビリ病院日常生活を取り戻す“本格的で密度の高いリハビリ”■ 回復期リハの制度(最重要)回復期リハビリ病棟は、厚労省が定める「集中リハビリ期間」に基づき運営されています。脊髄疾患の場合:最大180日まで入院可能多くの患者は150〜180日の範囲で調整毎日3時間(180分)のリハビリが可能■ 現場での実際制度はあるものの、身体は制度通りには動きません。「歩ける兆しが見えてきた頃に残り日数が減っていく」——この焦りは多くの患者が経験するものです。しかしその中でも、回復期の先生たちは限られた日数で最大の効果を出そうと工夫し続けてくれていました。私が感じた「ハードだが積み重ねが形になった」という実感は、まさにこの病棟ならではです。2025年4月18日 金曜日 13:40 確実に前に進めている実感が!④ 退院後の在宅リハビリ(現在)回復を“生活の中で続けていく”段階■ 訪問リハビリ(週2回・1回60分)リハの先生が自宅に来てくださり、可動域維持のストレッチ立位保持、立ち座り訓練ベッド⇔車椅子、トイレ、自動車への移乗などの生活動作を指導してくれています。「家で安全に暮らせる体」をつくるリハです。■ 通所リハビリ(週2回・1回3時間)リハビリ機器による下肢・体幹トレーニング平行棒・歩行器での歩行訓練全身のメンテナンス病院ほどハードではありませんが、確かな手応えがあります。■ 私が気づいた“リハビリの本当の意味”制度の制限は時に厳しく感じました。急性期:長期入院で時間が突然減る回復期:150日(〜180日)の壁在宅:生活の中で自分で積み重ね続ける必要しかし振り返ると、どの段階のリハビリにも意味がありました。急性期は「守るリハビリ」。がんリハは「つなぐリハビリ」。回復期は「取り戻すリハビリ」。在宅は「定着させるリハビリ」。そして私は今も、昨日の続きとして今日のリハビリがあり、今日の続きとして明日のリハビリがあります。リハビリは終わったわけではなく、これからもずっと続いていく私の生活そのものです。
2026.02.01
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2026年1月31日(土)今朝、起きてベッドサイドに座り、体を慣らすためにいつものように足踏みをしようとしたのですが、右足が重く上がらず少し不安になりました。しばらく待てば動くようになるだろうと足をさすったり、両手で足を持ち上げてストレッチしたりしたのですが、どうにも感覚がしっくりこない……そんな始まりの朝でした。実は昨晩、いつも就寝前に使っているエアーマッサージャーを使わずにそのまま寝てしまいました。朝、布団をめくると体が〈図1〉のような状態になっていました。〈図1〉足と腰が捻れた状態昨日のブログで「位置覚(深部感覚)障害」のことを書きましたが、まさにその典型で、寝ている間に右足の痙縮が強く出て、関節が不自然な方向に曲がったり重なったりしても、布団で隠れていると認識できません。強い痛みなら目が覚めますが、少しの痛みではそのまま寝続けてしまいます。今日の場合も、朝になって布団をめくり、足腰の軽い痛みと違和感でようやく状態に気づきました。ベッドから車椅子への移乗も少しやりにくかったものの、なんとかこなして朝食をとり、テレビを見たりしているうちに1時間ほどで徐々に動くようになってきました。実際には、この〈図1〉のような状態だけでなく、〈図2〉のように足が内側に巻き込まれる姿勢になっていることもよくあります。さらに〈図3〉のように膝が大きく開き、左右どちらかの脚がねじれた状態になっていることもあります。〈図2〉足が内側に巻き込まれる姿勢〈図3〉膝が大きく開き、脚がねじれた姿勢特に厄介なのは、足が重なってしまう姿勢です。私の右足は「痛みを感じにくい状態」にあるため、多少の負荷や不自然な角度になっていても寝ている間はほとんど気づけません。本来であれば痛みが知らせてくれるはずの危険信号が届きにくいのです。さらに、寝返りを自分ではうてないため、足が重なったりねじれたままでも、自力で楽な姿勢に戻すことができません。その結果、朝になって布団をめくった瞬間に初めて「こんな格好で寝ていたのか」と気づくこともあります。こうした姿勢が続くと関節に痛みやこわばりが出てしまい、動き始めの身体が重く感じられることにつながります。ここしばらくこのようなトラブルが起きなかったのは、就寝前にエアーマッサージャーで足をマッサージし、そのまま眠る習慣が続いていたためです。今日のことで、エアーマッサージャーには血行改善による浮腫(むくみ)の軽減だけでなく、寝ている間の痙縮による不自然な姿勢を予防してくれる効果もあると実感しました。土・日・月の3日間は訪問リハビリも通所リハビリもありません。だからこそ、自分で工夫して体のメンテナンスを続けていく必要があります。エアーマッサージャーでのマッサージ、ベッドや車椅子でのストレッチ、そしてトイレや車の乗り降りといった立ち座りの生活動作——。こうした日常の「小さな積み重ね」を組み合わせることで、今の自分にできる最良の状態を維持していきたいと思っています。【公式店】パナソニック エアーマッサージャー はくだけキュッとリフレ レッグリフレ ダークグレー EW-RA192-H 無料ギフトラッピング マッサージ 脚 太もも こり 血行促進 座りっぱなし 立ちっぱなし もみほぐし 疲労 送料無料価格:49,954円(税込、送料無料) (2026/1/31時点) 楽天で購入
2026.01.31
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ロクジョウマンネングサ(六条万年草)2022年1月25日 火曜日 13:00 撮影 下肢の麻痺が始まってすぐの頃から、足が実際にはまっすぐ伸びているのに「曲げているように感じる」、逆に曲がっているのに「伸びているように感じる」という不思議な感覚がありました。目で見れば正しく分かるのに、布団がかかって足が見えなくなると急に分からなくなる。あれは麻痺のショックに加えて、私にとって大きな不安のひとつでした。 テレビで、事故などで手足を失った方が「欠損した部分があるように感じる」と話しているのを見た記憶があり、私は「これもそれに近いのだろうか?」と勝手に思っていました。大学病院のリハビリの先生に相談したこともあったように思いますが、今回、いろいろ調べることで医学的にしっかり理解できたのは初めてでした。 結論として、私に起きていたこの感覚は、脊髄障害に伴う「位置覚(深部感覚)障害」だと分かりました。■ 医療的な背景 脊髄は、筋肉・腱・関節のセンサーから送られる「体の位置情報(深部感覚)」を脳へ伝えています。しかし、悪性リンパ腫による脊髄の圧迫や炎症、放射線治療や化学療法の影響などで脊髄の伝わり方が乱れると、膝がどの角度にあるのか足首が曲がっているのか伸びているのか足先がどこにあるのか といった情報が脳に正確に届かず、「現実の姿勢」と「脳が感じる姿勢」にズレが生まれることがあります。目で見えているときに正しく認識できるのは、視覚が深部感覚の不足を補ってくれるからです。■ 温度感覚が戻ってきた過程 温度の感覚も初期はほとんど分かりませんでした。温かいお湯をシャワーでかけてもらっても、温かいのか冷たいのか判断がつかず、「何かが当たっている」程度の認識でした。 その後、左足は比較的早く回復し、上腿のあたりから少しずつ温かさが分かるようになって、ゆっくり足先へ“降りていく”ように範囲が広がっていきました。左足先はまだ完全ではありませんが、以前より確実に感じ取れるようになっています。 右足は回復がゆっくりで、今は太ももの上半分くらいまで温度の違いが分かるようになってきました。同じ下肢でも左右差があることを、自分の体で実感しています。■ リハビリでの「感覚の再学習」 リハビリでは、足の指先を見ないで「どの指を触っているか」を当てる練習をしています。触れられている感覚は少しずつ戻ってきていますが、指の位置を正確に答えるのはまだ難しい場面があります。これも左足の方が回復が早く、右足はまだこれから、という印象です。 足の位置や関節がどのように曲がっているか伸びているかが分からない感覚については、最近は以前ほど気にならなくなってきました。それでも時々、ふっと不安になって意識することがあります。けれど、症状の「名前」と仕組みが分かったことで、以前ほど怖くはなくなりました。■ 入浴の場面で助けられたこと 入浴介助のとき、看護師さんや介護士さんがシャワーの温度をこまめに気遣い、「熱くないですか?」「足先はどう感じますか?」と声をかけてくれました。私は温度感覚が鈍いことを伝えていたので、腕で温度を確認してから足に当ててくれたり、リフトで浴槽に入るときも足先が浴槽の縁に当たっていないか丁寧に確認してくれたりしました。 自分では分かりにくいからこそ、その声かけと配慮がどれほど安心につながったか、今でもはっきり覚えています。■ 退院後も続けている「感覚の確認」 退院後の今も、シャワー浴のときに「今日はどこまで温かさが分かるかな?」と、温度を感じる場所を確認する習慣が残っています。これは不安だからというより、回復の変化を自分で確かめるための“日々のチェック”のようなものになりました。■ 同じ不安を抱える方へ 「足が曲がっているのか伸びているのか分からない」「足がどこにあるか分からない」「温かい・冷たいが分かりにくい」――こうした不安は、脊髄の障害がある方には決して珍しいものではないと知りました。 回復はゆっくりで、左右差が出ることもあります。それでも、少しずつ変化が積み重なっていくことも確かです。私自身、今回こうして文章にまとめることで、長く抱えていた不安の正体が整理でき、納得することができました。 この記事が、同じような感覚で悩んでいる方にとって「そうそう、これだ」「こういうことなのか」と思える共有になり、不安な気持ちが少しでも静まるきっかけになれば嬉しいです。
2026.01.31
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ハナミズキ2022年4月15日 金曜日 11:46 撮影12:00 昼食。13:00〜13:40 リハビリ②。この時間は私の担当である女性の理学療法士(PT)の先生。転院当初はこの先生と担当の作業療法士(OT)の先生以外に複数の先生が入り、内容もかなりハードだった。がんリハとして体に負荷をかけない形でリハビリを受けてきた身としては、痙性や痙縮が続く今の身体には正直きつく、「最後にクールダウンを入れてほしい」とお願いしたことがある。それ以来、どの先生もリハの最後にしっかりメンテナンスを入れてくれるようになった。この日は可動域を広げるストレッチ、平行棒での立ち座り・歩行訓練、そしてクールダウン。午前中のピックアップで歩けたのも、この1か月弱の積み重ねの結果だと実感している。13:45〜14:05 立ち座り訓練。患者の状態に合わせて進められ、私は②のPTの先生がついて、立ち座りと立位保持を繰り返す。14:25〜15:05 入浴(週2回)。脱衣所で衣服を脱ぎリハビリパンツになって浴室へ。車椅子から入浴用リフトへ移乗する。これまでの病院ではストレッチャー浴だったため、転院後に初めてリフトで入った時はかなり緊張した。洗身・洗髪はできる範囲は自分で行い、背中など手の届かない部分は補助してもらう。リフトで持ち上がり浴槽上へ移動すると、足先が縁に当たらないよう注意される。脚の感覚は十分でなく暑い・冷たいが分からないが、お湯に浸かると筋緊張が少しほぐれていく。温まった後は再びリフトで上がり、シャワーで流して体を拭き車椅子へ戻る。湯冷めしないようタオルを掛けてもらい、脱衣所でゆっくり着衣。入浴は身も心もリセットできる大切な時間で、リハビリに向けて気持ちが整う。「入浴用リフト(チェアインバス式)」15:10〜15:50 リハビリ③。若い男性の先生。入浴直後であり、午前と午後のリハもハードだったため、この時間は体のメンテナンス中心。特に上肢を酷使して腕がパンパンになっているため、腕や肩甲骨まわりも丁寧にほぐしてもらう。夕食までの時間はフリー。テレビやYouTubeを見たり、トイレに行って尿取りパッドを替えたり。リハビリ室で自主トレをしている人もいる。18:00 夕食。20:00頃 病衣の着替え。朝と同じように下のズボンを替えてもらう。リハビリパンツや尿パッドが濡れていれば交換する。尿パッドは基本的にトイレに行った際に自分で替える。消灯までは家族にLINEしたり、家族共有アプリ「みてね」を見たり、テレビやYouTubeを見ながら過ごす。22:00 消灯。■ 眠れない夜と、自分なりの付き合い方あとは眠るだけなのだが、私はもともと眠りが浅く、なかなか寝つけない。眠剤を処方してもらったこともあるが効果は乏しく、今は使っていない。脊髄のダメージや痙性の強さ、日中のリハビリで身体が緊張した状態が続くと、自律神経の切り替えがうまく働かないことがあり、夜になっても体が休息モードに入らないのだという。眠れないことを気にすると逆に緊張が強くなるので、私は無理に寝ようとせず、スマホやiPadで動画を見たり家族とやり取りをしたりして、自然に眠気が訪れるのを待つようにしている。そう思うことで気持ちが軽くなり、かえって眠れることもある。■ 今日という1日を振り返って今日は午前・午後の3本のリハビリに加えて入浴もあり、かなりハードな1日だった。しかし身体の動きや感覚の面で、少しずつ積み重ねが成果として現れ始めているのを感じた。転院後、環境やリハビリ内容が変わり、試行錯誤の日々が続いているが、こうした1日1日の積み重ねが確かに前へ進む力になっている。思うようにいかない時もあり、筋緊張に悩む日もある。それでも「今日もよく頑張った」と自分に言い聞かせ、明日に向けて心を整える。眠れない夜もあるが、焦らず自然体で過ごしながら、また次の1日を迎えようと思う。
2026.01.30
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ハナミズキ2022年4月15日 金曜日 11:46 撮影2025年4月21日(月)AM 7:00 起床ナースコールをして看護師さんまたは介護士さんに病衣の下を着替えさせてもらいます。リハビリパンツや尿取りパッドが濡れている場合は、このタイミングで替えてもらいます。その後、自力でベッドサイドに座り、車椅子へ移乗。ここまでは見守りがありますが、この後は一人で上半身の着替えをします。8:00 朝食車椅子で食堂へ向かいます。その後、歯磨きとトイレ。用便は車椅子で自走してトイレへ行き、中からナースコール。看護師さんまたは介護士さんが便座への移乗を見守り、リフトアップでお尻を上げ、ズボンやリハビリパンツを下ろしてもらいます。排泄障害があるため、うまく出ないときもあり、30分ほど座っていることもあります。お尻の仕舞いは自分ですることができます。終わった後は再びナースコールをして、リハビリパンツやズボンを上げてもらい、車椅子への移乗を見守ってもらって終了です。9:00 バイタルチェック9:55 立ち座り訓練患者さんの状況に応じて、食堂の椅子や病室前のベンチを使って、指示の音楽に合わせて自主トレする人、看護師さんや介護士さんが軽く補助する人などさまざまです。この日の私はリハビリの先生の指導・補助を受けながら、車椅子で平行棒の端まで行き、両腕の支持で立ち座りを行いました。立位保持は5秒。10回もすると足の緊張と疲労が強く、継続が難しい状況でした。10:15 リハビリ①担当は、コーヒースタンド開店前に「コーヒーを飲みませんか?」と声をかけてくださった、ベテランの男性PTの先生。この日はなんと初めて、ピックアップ(歩行器)を使った歩行練習でした。立ち座りを何度か繰り返した後、歩行練習へ。初めてのピックアップでの歩行(この日のもの)平行棒での歩行練習を重ねていたとはいえ、ここまでできるとは、自分でも驚きでした。この動画は、午後すぐに妻と娘にLINEで送りました。回復していく高揚感を家族と共有できました。回復期のリハビリテーション病院に転院してから約1か月弱。体力的にはしんどいものの、身体の変化に満足しています。脚の痙性・痙縮は相変わらず強いため、1本のリハビリの後には必ずクールダウンのストレッチを入れてもらうようにしています。こうして1日の流れをまとめてみると、ずいぶん長くなりました。午後の生活は、明日につづきます。
2026.01.29
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2025年2月24日 月曜日 17:58 病棟6階の廊下で他の入院患者さん2人スタッフさんと私、4人で眺めた夕陽 14か月におよぶ入院生活を振り返ってみると、治療やリハビリを支えてくれたのは医療スタッフの方々だけではありませんでした。長い入院生活の中で、心の孤独や不安を和らげ、前を向き続ける力を与えてくれたもうひとつの相棒――それが「iPhone」と「iPad」でした。 病名を聞いて間もない頃から、私はiPhoneで病気のことを調べ続けました。治療法、薬の特徴、同じ病気を経験された方の体験談。知識が不安を少しずつ整理し、心を落ち着かせてくれる大切な時間でもありました。2024年6月30日 日曜日 13:24 大学病院全く動かなかった足が反射であっても動き始めた。ここから始まりました。2025年4月18日 金曜日 13:40 回復期のリハビリテーション病院立てること、歩くことが実現可能な目標になってきました。■ 面会制限の中で“つながり”を支えたiPhone 新型コロナウイルスの影響は今も病院内に残っており、面会の時間や人数には制限があり、小学生以下の子どもの面会は禁止という病院も多くあります。私がお世話になった病院でも例外ではなく、“会いたい時に会えない”状況が入院生活を一層しんどくさせていました。 そんな中で、妻や娘、姉弟とのLINEを支えてくれたのがiPhoneでした。治療の節目の報告、体調の変化、短いメッセージ。どれもが心を温めてくれました。特に妻とのやり取りは、「一人で闘っているわけではない」と感じさせてくれる大切な時間でした。かわいい💕💕💕孫たちとのFaceTime(イメージ) そして何より支えになったのが、iPhoneのFaceTimeでつながる三人の孫娘との時間です。本来なら病室で直接会える年齢なのに、面会が叶わない。その中で画面越しに「じいじー!」と呼びかけてくれる笑顔は、何よりの薬でした。家族共有アプリ「みてね」に届く日々の写真や動画も、病室の夜を照らす小さな灯りでした。■ 病室の窓、廊下の光、そしてiPhone/iPadのカメラ iPhoneは“外の世界”とつながる窓でもありました。病室の窓から見える山の稜線、空の色。廊下の奥から差し込む朝の光。季節によって変わる景色。そのひとつひとつが、閉ざされた入院生活の中で心を救ってくれました。iPhoneのカメラで日々の景色を撮ることは、小さな喜びであり、気持ちを整える時間でもありました。 また、iPadでリハビリの様子を動画で残すことも大きな励みになりました。少し立てた日、平行棒で初めて一歩を踏み出せた日、装具の調整がうまくいった日。動画で自分の動きを確認できることは、「昨日より今日、今日より明日」という回復の実感を積み重ねる支えになりました。■ 3つの病院で異なったネット環境と、それぞれの工夫 大学病院では、朝7時から夜10時まで利用可能な患者用Wi-Fiがありました。夜10時を過ぎると動画再生などができなくなるため、その後はiPhoneのデータ通信を30GBに増やしテザリングで乗り切りました。 がんリハの患者として大学病院と行き来していた大型のリハビリ病院では、「地域Free Wi-Fi」が24時間使え、iPhoneもiPadも自由に使える快適な環境でした。 しかし、最後にお世話になった地元の回復期リハビリ病院には患者向けWi-Fiがなかったため、私はUQモバイルのモバイルルーターを契約し、毎月4千円ほど自己負担してインターネット環境を整えました。 それぞれの病院で、通信量、セキュリティ、費用負担――患者自身が対応せざるを得ない現状を痛感しました。■ 入院患者にとって通信は「必要なインフラ」 同じ病気を経験されたフリーアナウンサーの笠井信輔さんも、闘病経験をもとに「病室Wi-Fi協議会」を立ち上げ、入院患者にとってWi-Fiの整備が必要であると発信されています。家族とのつながり、情報へのアクセス、精神面の安定。スマホを通して感じてきた“つながる力”の重要性は、私自身の経験とも深く重なります。 医療技術は進歩していますが、患者が安心して治療に向き合うための日常を支えるインフラとしてのネット環境は、これからの大切な課題だと強く感じています。 私は自分なりの工夫で14か月の入院生活を乗り越えましたが、同じような状況にある方々には、より安心して治療に専念できる環境が整うことを願ってやみません。
2026.01.28
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甘夏のマーマレードづくり 今の私は車椅子で生活している。若い頃のように、食材の買い物に行ったりキッチンに立って自由に動き回ったりすることはできない。それでも、料理をやめようとは思わなかった。料理は、私にとって「作業」ではなく「暮らし」そのものだからだ。テーブルキッチン+卓上調理器具リハビリテーション病院を退院してから、私の主な調理器具は ホットプレート と 電気鍋 だった。ベッドサイドテーブルの上で、野菜を切り、肉を切り、魚を切る。そして、そのままホットプレートや電気鍋で火を入れる。ベッドサイドテーブルは決して広くはない。しかし 高さを自由に調節できる という点では、今の私にとって、とても理にかなった調理台だった。一方で、使える鍋やフライパンの種類、大きさが限られることは、料理の幅を狭める小さなストレスでもあった。「これが作りたいのに、道具が合わない」そんな場面が何度もあった。それでも、今あるものを最大限に使って楽しむそれが今の私の料理の基本姿勢だ。甘夏のマーマレードづくり今日の料理は、甘夏のマーマレード。皮を刻み、果肉をほぐし、砂糖をまぶす。吹きこぼしだけは家内に手伝ってもらい、加熱はできるだけ 電子レンジ を使う。「安全に、簡単に」それが今回のコンセプトだった。手間はかかるが、座ってできる作業がほとんどで、上肢をしっかり使える。出来上がりは――自分で言うのも何だが、上等だった。鍋料理のある日常最近は、鍋料理が多い。JAの産直で、白菜、ダイコン、ほうれん草、じゃがいも。思いつくままに買ってくる。そこに、肉や魚、練り物を適当に入れて、電気鍋でコトコト。わけぎや菜の花のぬた。林檎ジャム。どんなふうに作っても、家内と二人で食べれば、それはちゃんと「美味しい食事」になる。テーブルキッチンの今と、これから最近よく思う。テーブルキッチン というのは、「立てない人の代替」ではない。座ることで、安全に、疲れず、長く、料理を楽しむための場所だ。今は通院、リハビリのための仮住まいで、キッチンも収納も十分とは言えない。それでも、テーブルひとつと調理器具があれば、料理はできる。そして、ここに 卓上IHヒーター が加われば――使える鍋も増え、調理の自由度はぐっと広がるはずだ。28歳の僕へ、もう一度先日、「28歳の僕への家づくり」という文章を書いた。あの頃の私は、効率や広さや見た目を優先していた。今なら言える。家は、立てるかどうか ではなく、続けたいことを続けられるか で決めるものだと。テーブルキッチンは、その答えのひとつだと思っている。ちょっと先の楽しみ次に買う調理器具は、きっと 卓上IHヒーター。「これで、また何を作ろうか」そんなことを考えている時間も、料理の一部なのだと思う。座って作る料理。今の身体で作る料理。それでも、料理はちゃんと、楽しい。いま私が介護保険でレンタルしているテーブルも、ちょうどこんな形のものです。ベッド横での作業がしやすく、高さ調整ができるタイプは本当に助かっています。同じような用途で探している方の参考になればと思い、リンクを貼っておきます。【先着クーポン20%OFF!!】サイドテーブル ベッドサイドテーブル 昇降 ガス圧 介護テーブル 昇降式 「40*80cmの大天板」角度調節可能 キャスター付き 高さ調節可能 北欧 ベッド横 デスク おしゃれ 食事 ソファーテーブル 省スペース 選べる2サイズ価格:7,680円~(税込、送料別) (2026/1/28時点) 楽天で購入
2026.01.27
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小さなスティックケーキを添えて2025年3月25日、悪性リンパ腫(びまん性大細胞型B細胞リンパ腫)の治療を終え、大学病院から回復期のリハビリ病院へ転院した。抗がん剤治療と放射線治療を経た身体は、画像上は「完全寛解」と評価されても、実際には 体力・筋力・自律神経・感覚のバランス がまだ不安定な状態にある。特に私の場合は、脊髄への影響による下肢麻痺と痙性を抱えており、身体は常に「緊張しやすい」「疲れやすい」状況だった。4月に入ったばかりの頃は、新しい病院、初めて会うスタッフの方々、これまでとは質の違うリハビリ。身体だけでなく、気持ちのほうも知らず知らずのうちに緊張していたのだと思う。この時期の患者は、医学的に見ても・交感神経が優位になりやすい・睡眠が浅くなりやすい・筋緊張が強まりやすいという状態に置かれていることが多い。そんなある日、午前中のリハビリを終え、1階ロビーの自販機に飲み物を買いに行った。エレベーターを降りた瞬間、ふわっと鼻をくすぐる香りがした。コーヒー豆の、あの香り。嗅覚は、脳の中でも「感情」や「記憶」を司る部分と非常に近い場所に直接つながっている。そのため香りは、理屈を超えて、瞬時に気持ちを動かす力を持っている。健康だった頃、毎朝レギュラーコーヒーを飲んでから仕事に向かっていた。肩の力を抜いて、気持ちを切り替え、「さあ、行こうか」と一歩踏み出すための合図のような存在だった。その記憶と結びついた香りが、緊張していた私の自律神経に、そっとブレーキをかけてくれたのかもしれない。その香りに導かれるように近づいていくと、リハビリでお世話になっていたベテランの男性の先生と、コーヒーを淹れている方がいて、「コーヒー、飲んで行きませんか?」と声をかけてくださった。聞けば、月に2回ほど不定期で、ここにコーヒースタンドができる予定で、4月5日の営業開始に向けた準備中とのこと。その日は“試し淹れ”だった。いただいた一杯のコーヒーが、驚くほど美味しかった。味そのもの以上に、自分の身体のこと、新しい病院、不慣れな環境の中で張り詰めていた緊張が、ゆっくりとほどけていき、「ふっ」と楽になる瞬間を確かに感じた。この「ふっと力が抜ける感覚」は、医学的に見れば 副交感神経が優位に切り替わった瞬間 と考えることができる。筋の緊張が一時的に緩み、呼吸が深くなり、心拍が落ち着く。リハビリを行ううえで、この状態は決して軽視できない。コーヒーを部屋に持ち帰るために車椅子に付けたドリンクホルダーベビーカー用のものを購入しましたコーヒーは嗜好品、でも療養中の私には…療養中の身体にとって、コーヒーは決して「無条件に良いもの」ではない。カフェインには・中枢神経を刺激する作用・筋緊張を高める可能性・利尿作用による排尿への影響があり、脊髄障害や痙性を抱える身としては、注意すべき点も多い。それでも――あのコーヒーは、私にとって確実に“功”のほうが大きかった。焙煎された豆の香りには、リラックス効果をもたらす成分が含まれていることが知られており、飲まずに香りを楽しむだけでも、自律神経に良い影響を与えるとされている。飲む前から、すでにリハビリが始まっていたのかもしれない。5か月間の入院生活と、コーヒースタンドその後、8月21日に退院するまでの約5か月間。私は次の営業日を心待ちにし、ほぼ皆勤賞で、さまざまな種類のコーヒーをいただいた。それは単なる「飲み物」ではなく、入院生活にメリハリを与えてくれる存在であり、人と人をつないでくれる時間であり、「今日もここまで来た」と思える小さなご褒美だった。そして、今退院後の訪問リハビリは、お世話になった同じリハビリ病院から来ていただいている。その先生から聞いた話では、不定期営業だったあのコーヒースタンドが、いよいよ2月中旬に常設として再オープンするという。楽しみで仕方がない。リハビリ病院での5か月間を支えてくれた、あの香りと味を、もう一度味わいに行こうと思う。コーヒーは嗜好品だ。けれど、あのときの私にとっては、確かに「回復を支える医療の周辺要素」だった。
2026.01.26
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