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手で数を数える時を見ていると、国の違いが出ておもしろい。中国での8はフランスなどでは2である。あるところでは札束を数える動さがマネーのことになる。右手と左手とはっきりと区別する場合もある。以前はぎっちょというと左手で字を書いた場合であり幾分軽蔑を含んでいた。今は左手用のマウスやペンが出ている。ギターもある。私は結構左でも使える様にしている。両方使えると便利いいことが多い。特に肩の骨(つがい)をずらしてしまった時、いたくて右がずっと使えなかったので練習した。奥の手と奥手というのがあるが、「の」があるかないかだけなのに意味が全く違う。日本語の難しさよ。出島オランダにだけ許され出入り出来た日本だった。どれだけ多くの和人が外国を夢みて脱出を試みたことだろうか。最近は高い国内旅行よりも安い海外へ公私ともに日本人は進出しているが、日本人はあくまでも日本人。昔は米ドルで今はユーロ。国際化と言うが、わかってるのだろうか。本当にあるべき姿や意味を。外国は夢であると言う人のほうが実は多いのではないだろうか。インターネットのクリックひとつで地球の裏側に居る人と繋がってしまうので、便利といえば便利だろうけど、上の階の人のこと全然知らない人が増えているのではないだろうか。自分の同じ屋根の下に居る家族でさえわからないものだ。もっと言えば己のことがよくわからない。天使エンジェルとかアンジュとか守護神とか。。。 天使は男でも女でも無いという。 天の使いというからには天にはその雇い主がいるのだろう。 彼らはちゃんと給料をもらってるのだろうか。 有給休暇ってあるのだろうか。過労死ってあるのだろうか。 健康保険、労災、傷害保険とかあるのだろうか。 労協は。家族手当、出張費は。ノルマ制なのか。 ずっと同じ額しか払ってもらえないのか。
2005年04月29日
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私は映画が好きだ。 日本に居た頃は最低毎日一本見ていた。 特に洋画のファンであった。 字幕を読んでいた。日本のは殆ど字幕付である。 残念ながらフランスやドイツでは吹き替えてあるのが多い。 世界芸術とされる黒澤明映画がフランス語では、あの独特のフェリニ映画をドイツ語 で見るようなものだ。 幸いベルギーのオランダ語圏では大概字幕入りである。テレビも原語でやっている。 ちなみに昔の日本ではテレビの深夜放送があって、一晩中やっていた。朝まで。 そこで殆どの古い映画を見た。朝学校へ行くのが大変だった。 サイレントから有声になってカラーになっていくあたりまでのを片っ端から見るので あった。 深夜放送がなくなってから試写会へ出かける様になった。 三本たてのえびす会館に行って日曜日は一日そこで過ごした。 「男と女」、「フレンズ」を見たところだ。 横の松竹劇場では「エキゾシスト」や「十戒」や「ある恋のうた」だった。 特に「十戒」は一番前で全体が見渡せない位に画面がでかかった。 日本には案内嬢やトイレのおばさんに、ただ立ってるだけなのにチップを要求される ことはない。こちらではチップの要らないところに行くのは相当勇気が要る。 今はDVDで手軽に映画を見れる。videoの時代ももう終わり。 洋画のタイトルは英語をカタカナにしているだけ。 「風と共に去りぬ」や「暗くなるまで待って」とかもう無くなった。 どうせならカタカナをやめて横文字にすればまだいいものを、と思う。 カタカナでは日本語の発音だけなので何のことなのかわからない。 そういえば、学友(別れてマルセイユに住んでいるが、コルシカ人の父親を憎んでい た8人兄弟の下の方のイザベル、彼女の愛犬はナターシャといってボクサーの雌だっ た。なぜかその犬には知らないはずのドイツ語で命令していた。ちなみにのち彼女イ ザベルの方は英国で英語研修に、メキシコにスペイン語研修にと出かけて行った。私 からは日本語をいくつか。。。)と夜通し上映の5本たてを見に行った。そこで初め てポルノを見た。しかしとても明るくて、さっぱりしててあっけらか~んとした。ポ ルノといってもハードでなく芸術的?というか…であった。 フランスとイタリアと日本のポルノとあとハードボイルド2本だった。 若い頃は何でもOKだった。
2005年04月28日
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今度亡くなられた方々の名前のリストを読んでいても、本当に自分の知っている人なのかどうかわからない。心のどこかに風が吹く。人間って名前があるのだ。雑草にもある。地震でもどの地震かは名前で区別する。当たり前の事かもしれないが名前の無い場合って、どうするのだろうか。適当につけてしまうのか。年末の津波の被害者の場合もそうなのか。長く日本を離れてしまっていて、心からお悔やみ申しますと言う言葉がぴんとこなくなった。でも何か伝えたい。特にお子さんを亡くされた方には。。。でも感情がことばにならない。たとえ別の言語であっても見つからない。すみません、うまく言えなくって、でも死も生も避けられないと言います。生きている人はしっかり生きてください。ただそれだけです。小学生のような文章ですけど、笑ってやってください。世にいうおばさんですから。
2005年04月27日
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コスナ-、ケヴィン 彼のパンツルックは抜群である。 映画ではそればっかりが気になってしまう。 しかしただ一本、海に投げられたボトルの中の手紙の話のは筋が あまりにも悲しかったことが気になった。 恵まれない「こ」い(恋)である。 こども 元気なこどもが居るとそこには生気が満ちるものだ。 日本の子供は昔元気に外で遅くなるまで遊んでいたものだ。 子供の頃、裏の田んぼのレンゲ畑で近所の子供と他所から遊びに来ていた女の子 と靴隠しをしていたら、私の隠したその子の靴が見つからなくなってしまい、 女の子は泣き出した。 私は怒られて暗くなった田んぼを捜した。 時間をかせいだのだ。その子が帰るまでの。。。 息子が小さい時、変な穴に足をつっこんで靴を片方無くしてしまい、 抱いて帰らなければならなかった。 ベルギーでは公園の遊び場みたいなところがあれば、子供は遊んでいる。 バスや電車では席は御年寄りや障害者に譲るもので子供には普通座らせない。 御客がある時はフランスでもベルギーでもスイスでも子供は大人と分けられる。 パーティーでも子供主体で無い限り、別々である。 人前であまり騒ぐ子供はいない。 チョコレートなども大人用と子供用とがある。 幸福(こうふく)もあったっけ。。。
2005年04月27日
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Bruxelles(仏語)/ Brussel(オランダ語) ブリュッセル / ブラッセル 街の真中に大きな広場の意味のグランプラスがあってしょっちゅう何らかのイベント がある。8月15日のあたりには、フラワーカーペットが敷かれるのが有名である。 本物の花が飾られるのである。これは高いところから眺めるのがいい。 特別のことがない時は花市場になったりする。 周りにカフェーがあるのでテラスで時間をつぶす人が目立つ。ワッフルを頬張る姿も ある。 クリスマス近くには大きなクリスマス用の木がやってきて広場の真中に立てられる。 無料ではないが、オメガングという時代祭りみたいなのもある。 ヴィクトルユーゴ-が居た家もあり、下の店でレースを売っていて、横にはチョコ レート屋がある。 銀行もある。レストランにホテル、観光案内所から市庁、博物館。。。 常に人でにぎわっている。 ここは仏語圏とオランダ語圏共存というか、公式に二カ国語である。厳密に言うと、 ブリュセルセンター区のことである。ブリュッセル市のブリュッセル区になる。 小さな街でありながら二カ国語というのは、スイスのジュネイヴ(仏語とドイツ語と イタリア語)に似ている。こういうのは実際にそこに住んでみないと感覚がわからな いだろう。 観光客用のムールのレストランが集まっているところに小さなギャラリーがあってそ の奥に小さな映画館がある。観光客はよりつかない。古いつくりで椅子も古い。レジ には地元のブリュッセル人か隣の中国レストランの親戚のような女性が座っている。 トイレは無料だが行かない方がいい。映画でもロードショーからはずれて、はずれて しまった映画がそこで長い間上映される。料金は最初8ユーロからそこで5ユーロに なる。始めはおっかなく思ったが一度行くとなんてことない。毎日毎日やっている。 うるさい広告もなく、案内おばさんもいない。見たい映画だけが見れるのである。静 かである。不思議と安全である。本当に映画を見たい人しか来ないのだ。 私の見つけた小さな場所である。 ここで出た時に行けなかったモンゴルのらくだの泣く話の映画を見に行った。
2005年04月26日
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こちらブリュッセルでは今朝からラジオで大阪の西で電車事故があったというニュースが流れています。まだ被害者の方の数など把握できていないようですが、昔から神戸や宝塚に縁のあるものにとって幾分気がかりです。その後日本のニュースで、事故に遭われた大学に入ったばかりの息子さんがおかあさまに電話された記事を読みました。一瞬ぎくりとしました。地震といい事故といい遠く離れていると、どんな情報でも知りたいの一心になります。大地震の時は気の狂ったように実家に電話のボタンを押し続けました。災害のつらい結果というのは、後日に症状が出てくるので恐ろしいのです。心の中がショックを受けるというか、余震が続くのです。
2005年04月25日
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昔、フランス人の様にという歌があった。フランス人の様にとはどういうことだろうか。日本人がイメージするのと西欧で人々が持つのと幾分違うとは思うのだが、おしゃれなとか、あかぬけたとかであろう。実際にパリにはおしゃれなところがあるが、ミラノに行けばそれはそれは皆様センスが良くて垢抜けている。アムステルダムでもアントワーペンでもブリュッセルに比べるとずっとスマートである。同じフランスでもパリ以外のところは、また違った様相である。ファッションをとれば、世界中のセンスのよりどころが集合しているというところでパリなのかもしれないが最近はやはりアントワーペンやミラノに中心は移っているのかもしれない。食べ物はフランスは中国並に豊富である。さまざまな食材が豊富にあって、凝ったものがある。フランスワインはまだまだ世界一である。乗り出してきたのが、南アフリカや南米でフランスの葡萄株を使っている。またチーズの種類も豊富である。フランスの白パンは最高の小麦粉を使ってあるので本当においしい。よその国ではその年の小麦粉は保管に回して、まず3年くらいの古い小麦粉をパンに使うところがあるが、正直言ってまずい。朝、ほかほかのバターがしたたるクロワッサンを口にほうばりながらコーヒーをすするのがたまらない。パリに泊まったら必ずやるのだが、最近ブリュッセルから超特急があるので泊まらなくても用事がすんでしまうのでなつかしい。さらにバゲットは翌日硬くなっても火であぶって少し焦げ目をつけてバターを塗って苺ジャムを塗ってコーヒーの大茶碗にひたして食べる。これは行儀が云々でなく焦げ目の香りが微妙に鼻をくすぐりコーヒー豆の香りと混ざってバターとジャムの甘さのハーモニーがたまらないのである。コーヒーにつけすぎてもフランスのバゲットはぶよぶよにはならない。バターがコーヒーの中に落ちてジャムも滑りこむ前にパンをさっと口に運ぶのである。スポンジのようになったパンをむしゃむしゃ食べきってしまうのだ。これはパリのホテルでは残り物のバゲットをあぶってはくれないので、アパートを借りて生活する時や知人のところに泊まった時に是非試されたい。やせるダイエットの人にはお勧めできない。ホテルには泊まらないが駅の売店で(バゲットかピッコロの)サンドイッチを買って帰るのである。チーズとかハムとかが少ないのを選ぶようにしている。しかしチーズもハムもパテもおいしいので間違っても後悔はしない。それを電車の中ではがまんして、家に帰ってから食いつくのである。ただ健康ブームで雑穀パンが出まわっているが、これはなんといってもドイツがナンバーワンである。硬くなったパンはやはりあぶってニンニクを塗ってオニオンスープや魚スープやポトフーに浮かべる。このオニオンスープは何を隠そう私目の大好物。そしてポトフ‐は世界で美味しい物のひとつである。これは決して高級レストランの品ではない。田舎の家庭料理であるが、クツクツ焚いたポトフーは、(ベルギーのワーテルゾ-イしかり)心と体を温めてくれる。特に骨の髄をすするとぶるっぶるっとする。更に硬くなったらフレンチトーストにする。フレッシュバターとミルクをたっぷり使って新鮮な卵も溶いて。。。けずってパン粉にすることも出来る。昔母は父が舶来?パンを買ってくるとわざわざ少しとっておいてパン粉にしていた。もちろんコロッケになるのであった。フランスでカフェーの前に朝早く立てかけてあるのがバゲットであるが、地べたにそのまま立ててあるのできれい好きな人はあの端っこは客に出さないよねぇと心配してりする。フランス人はパン屋から出てきてよくその端をかじってるのを見る。カフェーでも一度店の中にいれてしまえば、どっちの端か区別がつかないだろうから、結局プティデジュネ(朝飯)に出されたらもったいないから全部食べてるようである。ただときたまパンの中身が消化に悪いといって柔らかいところを捨てる人がいる。それで遊ぶ人もいる。こういうのを目撃したらどっきとしてしまうのは私だけだろうか。それだけ皮を好んで食べるフランス人である。郷に入っては郷に従えということでもないが、今はブドウの種も皮もそのまま食べてしまえる。ただぶどうの種はイチゴのつぶつぶより大きいのでパコンと歯のくぼみにはまり込んで出なくなることがあるのであまりお勧め出来ない。南仏に居るとイチゴなどは洗わずにそのまま食べるようになる。しかし軽くても濯いだほうが無難かもしれない。。。トイレでも手を洗えないところが多いということは…話が食べ物になるとこの国は話題が切れない。しかしフランスは自然が非常に豊かである。国の中央山脈にはミネラルウォーターがとれるところがある。ヴォルビックという水が私のお気に入り。近くには黴チーズの産地もある。南に下りれば地中海、西に行けばフォアグラとレスコー洞窟で有名なドルドーニュ、ボルドー地区の松林を経て大西洋へと。東はアルプスやアルザスである。どこをとっても豊かな自然がある。高速道路はその中をうまく張り巡らしている。そしてスペインとドイツとベルギーとリュクセンブルグとスイスとイタリアと隣接している。バスクがあり、ブルターニュがあり、モナコがあり、アルザスがありの国である。またフランスにはマルティニックの方にも領地がある。(詳しくは地図で参照を)「パピヨン」の舞台になった島もある。フランスで青春時代を過ごした私にとって、この国には愛着を感じる。決して生活は楽ではなかったが、若さの気楽さがあった。オニオンスープの味といったらいいのだろうか。今はポトフ-の味になりつつある。明日はおまけでブリュッセル。
2005年04月25日
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来週は「ふ」からです。河豚とか 不幸とか 不思議とか 不真面目とか 不謹慎とか 不二家とか ふさふさとか ふすまとか 拭き掃除とか ポックリとか 麩饅頭とか 豚とか 無礼とかぶすというのも考えたのですけど、やっぱりフランスのことにします。ご期待あれ。
2005年04月22日
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「け」じめをつけるという。 物事のけじめ 関係のけじめ 私の人生にもけじめをつける。 それがこの日記の目的である。 「げ」げげの鬼太郎 息子が見ても面白いまんが。(貸しビデオ) 変な日本語がないから安心して聞ける。 更にテーマはエコロジーである。 水木さん、ありがとう。 私は「モクモクレン」が好き。 木蓮の開発工事に対するうらみ話みたいなものだ。 平成のたぬきたちも 木蓮も 自然破壊に悩んでいる。 人間は便利さを求めてやまず 生き物に不可欠な自然をおろそかにしている。 今とき電気の無い生活が想像出来るだろうか。 水道から水が出なくなるのを想像出来るだろうか。 地震や津波が発生してから考えても遅い。 いいじゃないか、今がよければ。。。 という歌があったが、 それでいいのかもっと真剣に考えるべきであると思う。 思ったり、考えたりするのを面倒がらずにPCを消して考えるべきではないのか。 考える時間を持つべきではなかろうか。 誰にも一日は24時間しかない。 けじめをつけて生活すれば、一日は24時間もある。
2005年04月22日
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「マ」ルセイユ コバルト色の空 目の前は一面の碧い海 気ままな船長の合図で ぽんぽん船が出る 真っ白い孤島へと ここはモンテクリスト伯で有名なところ まわりは静かで別世界 容赦なく照る太陽がいっぱい 吹きまくるミストラル 遠くに見える旧市街 山手の船乗りのお守り聖母マリアの教会 あそこでマリア様の小さなペンダントを買ったっけ こうして離れて見るのも悪くない 昔何千人、何万人の人間がこの港を求めてやってきたことか。。。 vieux portは心温かく迎え入れている 神のご加護がありますように 何の神でもいい 命あることに感謝したくなる
2005年04月21日
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「や」めて、愛して無いなら… という歌が昔あった。 これから先はちょっと妖しくなってしまったので、 削減する。 (・・・・) 此の世にどれだけの満足している女や男がいるだろうか。 今度のローマ法王にカトリックたちは満足するだろうか。 「や」んばるくいな 保護されるということはどういうことだろうか。 「や」きとり ほっくらとした鶏肉にちょうど好いたれをかけてあるのが好き。 甘ったるくないたれがいい。たまねぎをスライスしたものにごまドレッシングをかけ ていただく。ちょっとお酒をぬるめにしたものをすすって。。。電車の音で途切れる ラジオから流れるナツメロを聞きながら。。。牡蛎フライも食べたくなった。冷酒の 方が合う。キャベツのきざんだのを添えてあったかいご飯が欲しくなる。それとおい しい漬物がいいなぁ。鰻もいいな。 やっぱり私は日本人。 だと思う。
2005年04月20日
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苦しみを知らない者は楽しみのありがたさがわからない。 しかし出来るなら苦しみを知らない方がいい。 若いうちは苦労した方がいいとも言うが、 苦労はしないで済むのならしないほうがいい。 苦労は買ってでもとも言う。 それは買うことが出来ないからである。 ごくろうさま。と言うが一体何人の者がこの意味を理解しているだろうか。 ことばは抜け殻のように心が無いとよく響くが中身が無い。 むなしく響くだけである。 ありがとう。これも魂の無い音は空虚である。 「く」し団子 蓬団子と桜団子に粒あんこのかけたのが好き。 みたらしなら湯気がたっているのがいい。 黒ごまが中に入った団子もある。黄な粉がまぶしたのが好き。 また抹茶黄な粉というのがあって抹茶色である。 それに黒豆黄な粉というのもある。 「く」もに汁 諺:雲に汁 曇り空のブリュッセルにて。
2005年04月19日
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「お」とこ、「お」んな此の世には男と女が住んでいる。そのどちらでもない場合もある。遺伝子の組み合せによって区別されるのであろう。“男と女の間には深くて暗い川がある 誰も渡れぬ川なれど えんやこら今夜も舟を出す”女と男の違いは何だろう。陰と陽、マイナスとプラス。女は子どもを産むことが出来る。男は精子を作ることが出来る。男女でワンセット。「お」っぱい女から出てきたあかちゃんはおっぱいから乳を飲む。充分出ないと泣くは泣くはが、我が息子だった。今つけ乳首が流行っているという。それをどうも流行らせたデメちゃんがやっとジュスティンに負けた。(ちなみにジュスティンはベルギー人。)しかし変なものが流行るようになったものだ。「お」とめ宝塚に乙女餅というのがあった。まだあると思う。
2005年04月18日
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(章外です。)先日アロマでご活躍のヤスミンさんのサイトにお邪魔した時、クラシックバレエ観劇の話が出たのでちょっと蛇足…日本では高いコンサートこちら西欧では結構気軽(より幾分気重かなぁ)に行ける。映画も学割や60歳以上の割引がなくてもなんとかしょっちゅう出かけられる。コンサートといってもぴんからきりまであるけれど、そんなに服装にお金をかけなくても楽しめる。あとの食事代とかが高くつく。そんなところでよく気になるのが人の匂いと頭である。音楽のコンサートなら耳に入れば良いだろうというものでもなく、香水系のにおいがぷんぷんすると吐き気まですることがある。更に前の人の頭や肩が邪魔になってよく見えない。そこで首を揺ら揺らさせて隙間から覗くのであるが、これを続けてるとまた気分が悪くなる。ちびの私だけでなく他の人たちも同じ事をやっているのでおもしろい。まるでダンスみたいである。ステージでダンス、席でもダンスと2倍楽しめるというわけ。大衆はあんまり文句を言わないで黙って聞いているか見ている。一度クレームつけたら余計に見えなくさせられたことがある。けんかするのもあほらしいので引き下がったものの、よく言葉がわからない人だったらどうするのだろう。泣き寝入りか?もう二度と出かけないか?スーパーでも平気で割り込んでくるのがあって、皆が嫌な顔だけで見過ごしてしまうから後ろの者はばかをみる。一度文句というか、怒って注意したら、うさくさと引き上げて別の列に割り込みに行った。他の人は我関せず。これはベルギー(ブリュッセル)での話で割り込みはこの時は外国人でちなみに私も外国人。南ドイツで郵便局の列に割り込む外国人がいたが、こちらはすぐに列の中のドイツ人に肩を持ち上げられて追い出された。見てて気持ち良かった。南フランスとイタリアではとにかく窓口にたどり着いた者勝ち。(ぼやぼやしてると皆に先をとられる)(私個人の見解)これは外国人だからだろうか?どんなに長く住んでいても顔の整形でもしない限り、私は外国人。ポーランドの白人なら二時間前に来てても、30年住んでても顔だけでは外国人にならない。国が違うというより人種が違うと言った方があってるのではないか。外国人でなく白人でない人種、つまり有色人種ということか。日本人は色さえ白くすれば外国人だとか思ってるのではないだろうか。マイケルジャクソンは白人になったのだろうか。外国人という言い方がいけないのならエトランジェでも良い。ことばを幾ら変えても違うモノは違うのだ。肌の色だけでなく髪の毛の色や目の色の違いが目立たない温室日本に居るとこの「エトランジェ」は妖しく映える。
2005年04月15日
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「の」の章 ノンがフランス語ならノゥーが英語で否の意味のいいえ。 ついでにドイツ語だとナイン、 (反対がヤー、大阪風に「あ~そうや~」と言ってしまったら おしゃべりしていたドイツ人たちはぎくりとして黙ってしまった。 ドイツ語の発音はちと違うけれど意味は同じ。 ただ横でビールをすすっていた私は何もナインよ、ナインよと言ってごまかした。) オランダ語でネー (反対がヤーだからヤーネーと言ってしまうと何が何だかわからなくなる)。。。 昨日の続きでこうなってしまった。 いいえと言えと言われても言えないことのほうが多いと言える。 しかし思い切って言ってしまうとさっぱりする。 決して振り向かないでそのまま進むこと。 のの字の耳かきというのを楽天市場で見たけれど2000円以上出してよいものか迷う。
2005年04月15日
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「ゐい」はフランス語の「はい」。「是」とか「yes」とか… 昔、「返事は、はいと元気良く」なんて標語があったっけね。 今はその元気もないみたい。 あいさつに「元気?」なんてよく交わす。 ちなみに仏語では、サ(ァ)ヴァ?。(サバではない) 相手に元気が無いということを想定しているようである。 「元気!」となればその逆というよりも、 あんたが元気であろうがなかろうが、私は元気よ。 「どうでっか?」 こっちは相手の元気をさぐってるのである。 ちょっと遠慮がちに出てみる。 -「あの人好きなの?」 -「はい。」 となれば結構なこと。 それが -「別に、嫌いではありません。」 となれば結構でない。 日本人は意思表示がへただという人がいるが、 常にきらやかに変化する人間の心が そう簡単に表現出来るものではない。 日本人は昔からはっきり物事を言うのを避けている。 言わなくってもそれで通るからである。 開国されてそれでは通じなくなってきただけなのだ。 確かに海のむこう側では、声を大にして表現しないと通じないことがある。 しかしどんなに叫んでも通じないことのほうが多い。 だからといって黙っていては”損”をするよ。 泣き寝入りをしたくなければ、思いっきり叫んでやれ。 デシベルの高い声を出さなくても叫ぶことは出来る。 まあ人好き好きである。 ところで日記をはじめて一ヶ月近くになるがまだ文体が定まらない。 しかし毎日クリックしている人にはありがとう。 ゲージが出ると、何故かやらなくっちゃという気になってしまい 休みの日も原稿をつくってしまう。 営業で成績を壁に貼っておくのと同じ効果なのだろうか。 (しかし毎日せっせと自分でクリックしてしまうので本当に何人かとなると?) 私は何も商売してないし、きれいな文章も書いてないからこれぐらいなのかなあ。 と何の足しにもならないことを仕事中にぼんやり考えてみる。 人間このぼんやり状態が大切である。(ぼんやりの語源は何だろうか?) と思う。 注:昨日書けなかった分とで今日は2章という結果になった。 明日に回せばよかったのかも…フリーページに入れればよかったのかなぁ
2005年04月14日
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「む」かし昔、昔その昔、ひとりのとても優しいお姫様が父親のそれは優しい王様と小さな王国に住んでいました。そこはとても平和な国で皆が幸せに暮らしておりました。王様は御妃をお姫様は王子を求めていました。しかしそれには国境を超えていかねばなりませんでした。王家の者は一度国境を超えてしまうと、目的を果たさないでは入国出来ないというしきたりがありました。だから使いの者を出してお触れを出すことにしました。「王妃」を求む。「王子」を求む。たくさんの候補者が集まりましたが、王様もお姫様もお気に入りが見つかりませんでした。ちょうどその頃、ひとりのとても優しい王子様が母親のそれは優しい王女様と小さな王国に住んでいました。そこはとても平和な国で皆が幸せに暮らしておりました。王女様は良き配偶者を王子様は美しいお姫様を求めていました。しかしそれには国境を超えていかねばなりませんでした。王家の者は一度国境を超えてしまうと、目的を果たさないと再入国出来ないというしきたりがありました。だから使いの者を出してお触れを出すことにしました。「王」を求む。「姫」を求む。多くの候補者がやってきましたが、王女様も王子様もお気に入りが見つかりませんでした。どちらの王国も後継者がいないので、絶えてしまいましたとさ。
2005年04月14日
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~この下書きを週末に準備しておいたが、今手元にない。 せっかくやっといたのにぃ~ あまりに多くの行事があるので。。。なんて言い訳。 「む」っ、「む」っぅ、「む」ぅ~ 物忘れは歳をとらなくてもやってくる。 脳のどこかの障害で記憶が消されるのである。 または狂うのである。 昔、ある本格的ワインセラーで屈んで壜を数えていて、 全部数え終わったところ自分がどこに居るか忘れてて、 スパッツと立ち上がったら、 その低い天井(というのだろうか、あれは?)に思いっきり 脳天をぶつけてしまった。 天蓋が抜けるのではないかと思った。(セラーの天蓋) 薄暗いのにキラキラしていたように… とにかくその時から数字がまともに書けなくなった。 363なら問題ないが、 398なら893になったり 58が85になったり 13が31になる。 ちゃんと読めるのだけれど書くとひっくらかえる。 よ~く注意すれば書けるのだが、しんどい。 何年続いただろう。 今はもうまともになったようである。 それと同じようなことは、それまでにもあったが、 以後脳は大事だねぇと深く感じるようになった。 何事も経験。 予定していた「む」の章はいつかご披露しよう。 今日は無理(「む」り)。
2005年04月13日
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http://pt.afl.rakuten.co.jp/c/00883f3e.4b58821a/?url=http%3a%2f%2fwww.rakuten.co.jp%2fkawamotokk%2f601386%2f632888%2f
2005年04月12日
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「なら」う 習うという行為は受身の行為である。 教えてもらうことがあってそれを繰り返し学ぶという形になるのである。 我々は実に色々なものやことから教えてもらっている。 普段はそれに気がつかないだけである。 何かある時、ふとその存在に気つくことがある。 というのもその時には、考えるからである。 この考える行為もいってみれば考える題があるからであって、受身の行為といえる。 刺激を与えられないと閉じない植物みたいである。 しかしよくここで考えてみれば、題があるから考えるのであれば、考えるから題があ るのでもある。どっちが先でもいいことである。 もっと謙虚になって教わるべきであると思う。 もっと感謝すべきであると思う。 おまけ/ 「なら」漬 子供の頃嫌いだった奈良漬が西ヨーロッパに住むようになって食べたくなった。 同じくあの粕汁も欲しくなった。 しかしもう粕汁の好きだった父は此の世に住んでいない。
2005年04月12日
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「つね」の章 “つくね”と”常” 時々つくるとりのつくねが好き。 とろりとさせるための片栗粉 (といってもジャガイモが原料) のしょうがの風味で幸せな気分になる。 とりのハンバーグである。 御飯は雑穀を混ぜて炊いたものが好い。 少し軽いレッドワインか日本酒の冷えたのでも好い。 玄米茶でも好い。 我々は些細なことで幸せになれる。 何の変化も無いように見える毎日でも実は刻一刻変化している。 雲を見ればわかる。 よ~く目を凝らしてみると動いているのがわかる。 一時も同じ形をしていないのだ。 人の心も常に動いている。 絶対ということが無いように、いつどうなるかわからない。 明日のことでなく、2分先のこともわからないのだ。 しかしその未来を作るのは自分である。 原因があっての結果である。
2005年04月11日
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休みの日。 おいしいアイスクリームを食べに行く。 フレーバーは三種胡椒(グリーンとブラックとレッドペッパー)。 そのあと本格的ホットチョコレートをすする。
2005年04月08日
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空は”そら” とも ”くう” とも読む。 大きな青い空はぽっかり開いている。 オゾンホールとかいうのが開いている。 そこには白い風が吹いている。 一体何人の人が上を向いて生活しているだろう。 自分の目の位置より上を向くだけでは見ることが出来なくなった空。 無料で与えられている空気に触れるにはそこに風を起こせばいいのだ。 寿司飯を作る時のようにせっせとあおぐといい。 甘酸っぱいかおりが立ち込めて、おなかが空になってるのがわかる。 からっぽだと響くのだ。 でっかい(大きな)和太鼓みたいにとどろきわたる。 いつの間にかまわりは嵐になってる。 おなかの虫とお空のコンサートだ。 急に桜色したばらずし(チラシ寿司みたいなもん)が食べたくなった。 三つ葉の浮いたおすましと一緒に。 デザートは豆腐で作ったマンゴプリンにミントの葉っぱを飾って。 では皆様、また次回(つぎ)まで。
2005年04月07日
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悪がきのことを「あくたれ」という。焼肉の「たれ」もある。「たらちね」もある。そこで少し続ける。鶏肉を火であぶって適当に焦げ目をつける前に、漬け汁に漬けておくと味がしみておいしい。つまりやきとりになる。一度ブリュッセルの日本食材屋さんでやきとりならず、鳥の照り焼きがあった。その味付けはなんと社長じきじきらしく、ご本人が客に評価を聞いていたのである。私も客の一人であったので好きなことを言ってやったが、彼は化学出身でアミノ酸については本当に詳しい人だった。日本人の好む味と言われても、東と西では違うもんだし…そういうのを幾分説明したのだが、わかってくれただろうか。お互い母国語でない英語でやったのだが、私のいうのは言葉の問題でなく、民族の違いだとか云々。こっちの人向きならどろりとした甘いたれだろうし、でもあっさりした方が良い場合もあるしで彼はどろりとあっさりと二つ作るとか…売られる場合には冷凍されていたので、結局どっちがどっちか区別つかずであったが…しかし民族にもひつこいのとそうでないのとがある。これは西だからとか北だからとかに比例していないように思う。この世にはなんと色々な民族がいることよ。
2005年04月06日
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「たれ」 誰も知らない。 自分のすぐ隣の人が誰であるか知らない。 一緒に住んでる家人のことも知らない。 自分のことって知ってるのかなぁ。 知らないから声もかけないしあいさつもしない。 30年ほど前あたりまではパリでも日本人同士、例え見識なくともあいさつしてい た。 今は誰が日本人だかわからないし、へたに声をかけようものなら勘違いされる。 誰も知らない。 そのほうが楽だ。 あいさつした、しないでうるさい。 ニコニコすることさえも出来ない。 それで皆はぶすっとしている。 だから無理やり笑うテレビの番組を見る。 自分の庭がないから花を咲かせることが出来ない。 自分の土地がないから家を建てることが出来ない。 自分の心がないから人に優しく出来ない。 本当のことは誰も知らない。
2005年04月06日
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世の中があるなら世の外もあるのだろうか。 世の中は見える物(物体)と見えないもの(精神)とがワンセットらしい。 では世の外とはどうなんだろう。無秩序なのか。 ローマの法王がこの世を去った。 あの世への旅立ちだということになるらしい。 それにしても英国の王子さんはついてないというか、 あのふたりを見てると幾分気の毒にはなる。 モナコの方にしても、これで歴史のページが捲られるのである。 思いっきり咲いている実のならない八重山吹を見ながら ふと思った。 一度発した念は残るという。 どの世にも念が残るのなら、念だらけになってしまうだろうに… 「よ」うわからんが、 そういうものらしい・・・ そんな週末を私は声を思いっきり出して過ごした。 まわりに気を配らず大声を出すということは、このせちがらい世にいて、 とにかく気持ちがすっきりする。 一度試されたし。
2005年04月05日
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まだお休み。
2005年04月04日
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本当にお休み。あとがき:この日には本当にまじでジョークを言います。テレビのニュースでもやります。今年のはローマ法王のことがあったので控えてはいたようです。あとがき:その2紙で魚のかたちを切り取って、人の背中にテープで貼り付けてやることもします。本人は知らず、まわりの人間がくすくすとからかうのです。イースターに近いせいからかチョコレートの魚も売られます。ちなみにイースターにはチョコレートのウサギや鐘や卵などが街中を賑わします。地区の子供たちの卵さがしがあって、大人も子供もチョコレートをこれでもかと食べます。街角では(こっちではあんまりそういうことはしない)何と小さい卵のチョコレートをただで配ってます。水も飲ませてくれない銀行でも窓口に小さな籠があって卵たちがひしめいてます。ベルギーチョコだから調子にのってると太ります。経験者は語ります。
2005年04月01日
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