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日本人にとって何の意味も無いこのハロウィ~ン。こちらでは、11月1日が諸聖人の祝日で2日が死者の日と続き、一年に一度の墓参りの時である。ここでは死ねばそれで終わり、何の供養もしない。特に最近火葬が増えているので墓も何も残らない。(希望者は灰を持って帰るが、大抵芝生の上に撒いてしまう。)私の友人のフランス人は母がそう望んだので火葬で、何の墓らしきものも無い。一日には父親と伯母の墓に花(大抵菊)を持っていくということだ。墓地も10年、30年、50年と期限つきで買う。よってそれが切れれば他の人にその土地を使われることになる。もちろんずっとそこに残ることも出来るが、結構高いそうだ。(いくらかかるかは、その土地によって違うので問い合わせてください)家族としても一年に一度だけなので、どこに墓があるのか忘れるらしく、墓番として区の役員が借り出されるらしい。今年は実にいい天気であったので、ただ散歩に家族連れで訪れた人も多かったようだ。日本じゃ考えられんことかもしれない。
2005年10月31日
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♯赤い靴はいてた女の子異人さんにつれられていっーちゃーった今頃は青い目になっちゃーて異人さんのところにいるのだろう。♯とかいう歌詞だったのではないか・・・金髪で青い目の「がいじんさん」は今でも多くの日本人がうっとりする。しかし金髪でない外人さんも居るのである。碧い目でない場合もある。日本人よりも箸の使い方がうまいのもいる。それに黒い肌の「がいじんさん」もいる。同じ色の場合だってある。鼻の低い場合だってある。「がいじんさん」はどうも金髪(茶色とかも含む)で目があおい場合だけのようで、そうでないと「外人」となるようである。(「外国人」と呼ばなければならない。)どんな肌の色でも人間皆血は赤い。通常心臓はひとつで肺が左右にひとつづつあって、指は基本的に5本づつついている。生まれて、呼吸して食べて育って、そのうち死ぬ。自分たちに無いものが欲しいというのが人間の常。それも美しいと思うものだけがいい。勝手な人間が非常に多い。火曜日までの連休に入る前の書き込みがちょっとシビアだったかもしれない。ブログは勝手にやれるところだから私の場合も然りである。もうひとりの勝手人間追加である。そしてナポレオンの「回想録」(すでに訳したもの)から、「お前がいつの日か出会う禍は、お前がおろそかにしたある時間の報いだ。」一日は24時間しかありません。しかし24時間もあります。(これはオニオンのことば)
2005年10月28日
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ベルギーではブリュッセルで1ユーロから2ユーロ、場所によって違う。映画は7ユーロ90が普通の値段、もちろんもっと高いのも安いのもある。これらは決して安くは無い。「かせぎ」はそんなにないのだ。毎朝カフェに行き、昼も一杯、夕方も一杯する者にとっては高くつく。例えば、月の収入が1000ユーロあたりだと、毎日22杯のコーヒー代で何も残らないことになる。バスやメトロがコーヒー一杯程なので、その分バスに乗るとコーヒー代を減らさなければならない。家賃を支払うとこれまた、コーヒーを減らさなければならない。また、コーヒー以外の食事も必要であるので、その分も引かなければならない。電気代やガス代、水代も、ひいては税金なるものを差し引くと・・・・・・・毎日コーヒーを行きつけのカフェで立ち飲み出来なくなる。身に着ける物も要し、新聞などのメディア代も大。でも命には値段がつけられない。つけられるとしたら私の命は、いったい、コーヒー何杯くらいだろうか?
2005年10月27日
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26日の私のこの世に生を受けた日に彼女からぴったしプレゼントがつきました。いつも趣向を凝らしたものばかりです。今回も素敵なものでした。しかし特に私に響いたのは彼女の言葉でした。暖かい、北風と太陽の太陽みたいでした。ちょうどこの日は素晴らしく快晴でした。彼女のお蔭で一日がとても幸せでした。ありがとうMさん、これからもよろしくね。
2005年10月26日
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その次に大切なものはと聞かれて、即答できるだろうか?命が無ければ何にもならないから、やはり命が一番大事なものとなれば、次は愛なんて言ったら格好つけてるみたいで嫌である。だったら何?こころじゃあ愛と変わらないじゃないか。いいや、10月25日だから、愛にしておこう。ただしこれは見返りを求めない愛である。最後に「人生の疲労は年齢には関係がない。」という坂口安吾さんのことばと「何が辛いと言ったって、用が無く生きているほど世の中に辛いことはない。」(島崎藤村)、更に「しかしまあ、生きているということも一種の習慣であると言えば、それまでであるが。」(梅崎春生)を記しておく。
2005年10月25日
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粒餡と漉し餡のがある。白ごまと黒ごまで区別してあるときがある。また揚げたのもある。そしてクリームといっしょになったのもある。抹茶あんぱんもある。メロンあんぱんもある。デニッシュあんぱんもある。日本だけのものでもなさそうである。しかしこちらの人にはだめみたい。日本人が、お米を甘くしたデザートがいまいちな様に、赤豆を砂糖で煮たものは受け入れない。聞いただけでうげっつとなる。味覚は未確である。どんどんトライしてみよう。思わぬ発見をするかもしれない。
2005年10月25日
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命のシリーズのまとめみたいなものを記しておこう。私の尊敬するある女性小説家が書いておられた。。。「若い時は、意識しなくてもぴんと張っている、それが若さ。」このピンと張っているというところが気にいった。若くなくなると意識しなければならない。意識してもピンと来ないのもある。体だけでなく、心もしっかり意識してピンと張る。疲れたら鹿児島の深蒸し緑茶を飲んで休憩すればいい。おやつには黒豆のうす甘納豆か手つくりのマロングラッセを。。。ちょっと濃い目のはと麦お汁粉とか、ヨモギ大福とかもいい。吹き寄せもいいかなぁ。塩せんべいに豆菓子。。。バターのクッキーが欲しいとも思わないのは、古い人間に属してるからだろう。いくらリサイクルしても人間の好みは変わらない。
2005年10月24日
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昨日から久しぶりの日中の雨。 ぱらぱらと降り続く雨。 心が洗われるような雨。 ベルギーには雨が多いせいか、名前がたくさんついている。 その中で動く霧雨のようなのがある。傘をさしてもしかっりと濡れてしまう雨であ る。 逃げようの無い雨でもある。 こぬか雨というのが日本語である。 来るか、来ぬかの雨なのだ。
2005年10月24日
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4000番というのを私であたってしまいました。これからもよろしくお願い申し上げます。
2005年10月21日
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いっとき、親子の断絶といわれた時代があった。戦後1945年以後の日本のはなしである。高度成長を迎えて、生活は豊かになって、人間の心が貧しくなっていくはしりのころである。親は子供を甘やかし、子供は平気で文句を言ったり、暴力をふるったりで親の権威は、そのころから低下していた。朝の挨拶もしない、ありがとうさえも言えない、さようならもだめで、日本語なのか外国語なのかわからない言葉が行きかう。教師や親に暴力をふるい、気に障ったら殺してしまう。今やその戦後60年という還暦をむかえているのに状況は同じ。やはりみんなまとめてリサイクルすればいいのではないか。でもとりあえず、コミュニケーションという意思伝達の問題であると感じる。特に家庭での会話、親子の会話が無いのである。と思う。追伸:かく言う私の息子との会話は、「早く」と「お昼何食べた?」と「宿題やった」と「歯磨いて、首まいて(冷やさないため)」あたりを徘徊している。彼は「今日何食べるの」、「つまらん」、「おなかすいた」くらいである。日本の要素は薄くてもこういう状況である。家庭教育というか、躾というか、国は違っても育ちの問題なのだろう。
2005年10月21日
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こんな漢字の感じでいいと思う。ベルギーではフランスもドイツもだが、この手の店が多い。何件に何件の割合かとは正確に答えられないけれど、とにかくよく目につく。特に景気が悪いからかもしれない。社会事業に貢献することで、貧富の差をなくそうと試みるだけで国の経済はかたむくものである。アメリカ合衆国のように、その差が顕著であり、それが社会悪でもなんでもない場合は経済パワーが健在なものであるらしい。まっ、それはさておき、服や自動車や家具だけでなく、男や女のリサイクルもいいのではないかと思う。ついでに心のリサイクルや、時間のリサイクル、命のリサイクルとか・・・
2005年10月20日
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メトロも電車も果てはバスも大概降りるときは自分でボタンを押したり、ノブを持ち上げたりしないと扉が開かないシステムである。車内放送とか言うのも無い。最近は観光客のために努力しているようだが、電光掲示板も作動しないか、ずれていることのほうが多い。つまり自分で自分のことはやるのである。停車場で合図をしないと止まってくれないのがバスとトラム。今は前から乗車するので、運転士が開けるが、以前はやはり自分で押して乗車していた。さらに乗り口が高く荷物のあるときや、足が不自由なときなどはつらいものである。しかしバリアーフリーなんて日本の言葉である。お年寄りなどは、文句たらたらよじ登ってくる。バスに乗るくらいだから皆逞しいのだ。席をうかつに譲ると迷惑がられることもある。しかし基本的に負傷者や老人には席を譲ること。子供は立たせること。荷物を席に置いている人がいたら注意してそこに座ってやること。不思議なのは大きなバギーが邪魔でも誰も文句を言わないことだ。折りたためるものにすればいいのに、わざとでかいのでそこに他の荷物をうんとほうり込んでいる。そこいらのマナーは全く無い。犬を連れた人間も同様。もういいかげんにして欲しい。
2005年10月19日
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ブリュッセルでは公共交通機関を利用すると東京や大阪との違いが顕著である。まず、バスにしろ、トラム電車にしろ、揺れが激しい。メトロでも急ブレーキなんかしょっちゅうで、ボヤーとしているとすっ飛んでしまう。手すりは「スピード」の地下鉄のように扉の前に1本の棒が垂直に立っているだけ。ロンドンのチューブよりも天井が高いので相当背の高い人でないとつっかい出来ないので、とにかく足をふんばって椅子につかまるしかない。日本の満タン電車はそういつも無いので、それでなんとかなる。そして大体ホームの降り口位置が決まっていない。その時その時で違う。行き過ぎてしまうのは稀だが、うしろの人が降りることが出来ないので数メートルほど進むことがある。更に時刻表はあってないものも同様。技術的な理由で常に遅れたり、降ろされて歩かされたり、バスに乗らされたり。ストがなくともスムースに運行はしていない。特にひどいのはバスで15分毎には来るはずのバスが、その時々で半時間から1時間来ないことがよくある。これは郊外でなく、一応中心地区である。まあ、最初から1時間に一本と思っていればいいのだが、そこまでになるには修行がたりない。もともと来ないとわかっていれば歩くものを。。。電話のメッセージで待ち時間を教えてくれるシステムがあるが、信頼は出来ない。つまりメチャクチャ。そしてメトロの中では演奏をする人たちや、ホームレスの人が集金にやってくる。携帯電話はところ構わず鳴り響く。私は電車の騒音でキャッチ出来ないというのに、他の人たちはちゃらちゃらおしゃべりやっている。ときおり、その人の住んでいるアパートの道順が披露される。また、聞きたくない文句や若い女の子の彼と先週の木曜日の夜のこととかである。歩きながらでもしゃべっていたり、まるでそれがステータスであるかのように。聞きたくないと思えば思うほど耳にはいってくるのである。
2005年10月19日
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自分ではわからない、周りの人も教えてくれないことが夢に出てくる。良いことばかりなら好いのだが、知りたくないことも告げられるとつらい。そしてそれは正確である。事実は酷いものである。祖母が亡くなって1週間ほどして夢の中に彼女が出てきた。不思議と足が消えていた。七日間お供えをしたりして、供養したからか、ありがとうと言ってくれた。また、父は私が心細い時に度々出てきてくれるのである。死んだ人が生きかえってくるのは、叔母もそうであった。特に父は期限つきで生き返ってくれるのである。これは夢の中だけで、幽霊は見たこと無い。いや見ていないと思っているだけかもしれない。
2005年10月18日
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これはひ・み・つ。
2005年10月17日
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子供の時の夢のひとつに縁台のある家に住みたいというのがあった。庭先に張り出した場所で、家と庭の境をなすところである。あこがれだった。父に何度も何度もお願いした。暖かい陽がさす春口か秋口、お昼はとっくにすぎている。磨きこんだ板の上に真綿で作った座布団を敷き、腰掛けて足をぶらつかせ、庭の木を見ながら、木のくりぬいた丸いお盆にのったちょっと渋いお茶と甘辛いせんべいを食べるのである。そして座布団を丸めて枕にして横になる。遠くで子供たちの笑い声が聞こえる。しかし鳥は鳴きやんだようだ。買い物に行く主婦たちの話し声やあいさつがかすかに聞こえてくる。ほら、今隣の犬がほえた。来客があったのだろう。こうしていつまでもいつまでもそこにいるのである。まるでアルバムを開いたように、時はそこで止まっている。いや、時は止まりもしなければ、進みも、遅れもしないのだ。これは私の夢である。寝ている時のでなく、目覚めている時のうっつらした夢である。しかし、その夢をみている自分が本当の自分なのか、そのイメージの中の自分が本当の自分なのか、はっきり言ってわからない。特に夢の中で寝てしまったら、本当にわからなくなる。どうでもいいことだ。私にとってはこの夢が、最も実現不可能である。アルバムの中のどこかにいるだけで…
2005年10月14日
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夢の話題が出てきたら、なんと次から次へと夢が出てきた。起きている時の夢はあまりに多くてはたと困ってしまった。ヒマラヤ行きの前にやりたいことがありすぎる。あれもこれもと出てくる。なのに命は短い。生命無常、快楽苦短なのである。どうすりゃいいのか。しかし寝ている時(と思っているだけかもしれないが)の夢もたくさんある。ひとつ思い出すと、これも次から次へと涌き出てくるのである。どうしよう。少しづつ整理して順位をつけるしかない。ということで、夢のまた夢というカテゴリーを書き込んでいくことにする。ある日ひとりの青年が花園でうたた寝をしていた。ある夢を見たのである。それは自分が一匹の蝶になった夢であった。あちこちに飛びまわり、果ては疲れ果てて眠ってしまうというのもであった。ちょうどその時、一匹の蝶もまた青年になった夢をみていた。そして彼は目覚めた。しかし今の自分が本当の自分なのだろうか、それとも夢の中で蝶になったのが自分なのかわからなくなってしまった。そしてまた、彼が蝶になった夢をみたのか、蝶の自分が夢をみたのかもわからなくなってしまったのである。とても中国的なお話です。
2005年10月14日
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日本のリズムと違ってフランスにいると考えることが出来る時間を持てるのである。個人主義が発達しているので、ひとりで悩めるだけ悩めるのである。理屈もつけられるだけつけられる。だから哲学が発達したのだろうか。なぜ、どうしてと問いかけて、答えを探す時間を持てるのである。当時(30年前)日本では物事をゆっくり考えている余裕なく、まわりが超スピードで変化しているように私には感じられた。ぐるぐる回る樽の中にいるように、樽の中ですべてが一様に混ざってしまうようなものだった。ところがここは外国、私は外国人である。まわりがいくら回転しても私は混ざることはない。どんなに同じ言語を使っていても、同じ言語で夢を見て、同じ言語で考えても、こちらに長く住んでいても、私は日本人である。一度日本語を使わなくなりかけて、私の一部がまわりの色に溶け出したことがある。言葉のちからは恐ろしいほど強い。あのままだと私は数をもう日本語で数えられなくなっていただろう。さらに国籍だって日本のを捨ててしまえば、それで終わりだった。しかし私は太い足で踏ん張った。もう一度日本人になるために。まずは言葉からだった。使うことが第一である。話すことから、読むことから、書くことであるが、当時日本人とは付き合い無く、日本語の新聞は手にはいらないし、本も入手困難で親元への手紙だけが頼りだった。日本語で物を考えないと日本語が出来なくなる。なぜか私は自分で改めて日本人であることを選んでいたのである。そうすることで自分のIDを確立したのである。万一まわりの色とかき混ぜられても、私は自分の色を守り続けたい。しかし内地の日本人から見ても、また違った色なのだ。今の私の色は私独特の色調である。他色とはっきりと区別できる色である。個性の強い色である。昔から、祖国日本は、群れからはぐれた一匹猿には住めないところである。しかしここでは、外国人であるおかげで、はぐれたままでも生活出来るのである。そして皆自分たちのIDを守りながら、同じ言葉を使っている。
2005年10月13日
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そのあとが銀座だ~よ~だったように思う。これは母がよく口すさんでいたのだ。よく覚えていないというか、彼女もいいかげんに歌っていたのだろう。そのうら覚えの歌のうら覚えである。歌うたびに歌詞が変わるのである。それとここは地の果て、アルジェリアだったか、なんせ古い歌である。私がこのようなものを歌いだすと周りの日本人は、火星人でも見るような目つきになる。ちょっと古すぎたかなあ。夢が出たついでにカテゴリをつくろうっと。
2005年10月13日
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ヤスミンさんの夢バトンをうけます。Q1:小さい頃、何になりたかった? -特にこれといって無いが、10ヶ国語はぺらぺらになりたかった。 鳥のように空を飛びたかった。Q2:その夢は叶いましたか? -まだまだ、ぺらぺらというまでには達していない。しかし今習ってい る分を含めて、更に日本語と中国語をそれぞれ2ヶ国語として数えて(スイスの通訳学校ではそうするらしい)いけば、なんとか10本の指におさまるというと誤解を招くかもしれないので、日本人らしく謙虚に(=卑屈に)言って片方の指がやっと、としておこう。 大きな鳥である飛行機に乗って旅をした。Q3:現在の夢は? -そんなに冬が厳しすぎない山奥で平地を見つけて玉葱をたがやす。そしてオニオンス-プをつくって缶につめて売る。 それとヒマラヤに行き、それを見ればもう死んでもいいというくらい壮大なながめを見る。あとは誰にも見つからないところで野たれ死にする。Q4:宝くじで3億円あたったら? -今の夢の実現に即使う。更に父の骨を飛行機を借り切って、太平洋に撒く。(これは父の希望だった)でもどうせなら5億円以上欲しい。Q5:あなたにとっての夢のような世界とは? -真っ白な空間があって風が吹きぬけ、決して寒くなく、大きなベッドがあるだけのところに住み、肌の色での差別なく、人間が人間として人間らしく生きることが出来るところ。Q6:昨晩みた夢は? -コンピュータで調べ事をしていたら、そのコンピュータが消えてしまい、急に周りがコールセンターのようにたくさんのコンピュータを使っている人が並んで座っている。 何故か皆中国人であって、しゃべりあっている。しかし私には聞き取れない。 (これはコンピュータが無かったときの思い出と、今期の中国語の私のレベルのコースが無い悔しさからか)Q7:この人の夢の話を聞いてみたいと思う5人は? -夢を語りたい人にバトンタッチします。夢といっても一口に言いきれないほどあります。でも実現しないような夢をひとつやふたつは持っておくのがよろしいようです。私の夢は実現可能なものばかりです。でも他にもたくさんあるので実現叶うかです。夢は夢のままのほうがいいのかもしれませんね。
2005年10月13日
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などとのたまうが、最近1993年に亡くなられた森瑤子さんの本を読んでいる。昔は、いまいちだったのが、灯りに誘われた夏虫の如く、森さんに急に惹きつられていくようになった。今暇さえあれば、サイトをあちこち見て森さんの姿をさがしている。それだけ私は年をくったのか、はっきり言ってしまえばそれだけのことかもしれない。でもヨーロッパの奥さんのように家をぴかぴかに磨き上げて、料理や趣味にいそしんで、メロドラマなど見て時間をつぶさない生き生きした女性の姿が忘れられない。彼女のあこがれていた姿がそうだったのだと読んだ。専業主婦の姿だ。なんとなく、彼女が私に呼びかけているような気がする。
2005年10月12日
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9月が普通に始まったというのに、1週間もしないうちにハードの不調で結局PCを里帰りさせて、ひとり残された亭主のように別のPCで浮気していた。インターネットはつなげなかったが、消えてしまった1年かけて作ったデータの作り直しからちまちまとやっていった。なくしたアドレスやお気に入りは仕方ないからあきらめるとして、関係者にはFAXや手紙で知らせた。惜しかったのは、メールアドレスしか知らなかった場合である。こちらに送信してくれればそれでよし。でなけりゃタンピ。(タンピはフランス語で「仕方ないさ」という意味、フランス人はよく両肩をちょっとつりあげる動作をする。)男女関係も連絡先がわからなくなればそれで終わり。あちらから連絡を待つのみ。仕方おまへんやろ。浮気は浮気で本気になるのが恐い。
2005年10月12日
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私にはまじめな反面、全くそうでない面とが同居している。普段冗談を言ってもなかなかわかってもらえないことがある。英語をしゃべり続けていて急に日本語になっても誰もわからないのと同じであろう。昔学校で英語劇を作って、私はナレーターをした。英語だと誰にも理解してもらえないからと思い、日本語を入れたのだが、それでも同じことであったようだ。ごくまじめから、ごく非まじめになってもやはりわかってもらえないのだ。変化したところで印しをつければよいのかもしれない。合図のようなものである。地面をたたくとかすれば、皆にアピールできるのだろう。我々はとかく見慣れたものにだまされやすい。第一印象というものにである。目の前のものに惑わされない者が変化を知っているのである。常にクールで地震がおきても落ち着いている。
2005年10月12日
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青春とは…これはサミュエル・ウルマンの「YOUTH」を参照してもらいたい。次に私なりの訳をしてみよう。「青春とは、人生におけるある期間を指すのでなく、心の様相をいう。それは頬や唇の赤い色から連想するものでもなければ、ひきしまった肉体が暗示するものでもない。強い意志、たくましい想像力、感動できる心、これらが重なり合ったものをいう。青春とは、ふつふつと湧き出てくる生命の息吹、エネルギーを指すのである。」ちょっと格好つけすぎましたかなぁ。。。
2005年10月11日
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今年のが例外的に良いミレジムであると記しましたが、本当に葡萄も甘くておいしいらしいですよ。私がボルドーワインにこだわるのは、日本から最初に私を迎えてくれたのがボルドーであるからなのです。もちろんワインも最高ですし、のちワインに関わる仕事もしてました。個人的にどうしてもブルゴーニュよりボルドーなのです。特にマルゴーのが大好きで、あれさえあれば料理は不要です。ポメロルもこく深くてお気に入りです。サンテミリオンも好い。と書くとよっぽど酒好きみたいでしょうが、グラス一杯でいっちゃいますよ。でもそのあとしみじみと飲んでいくと幸せ~って感じになってくるのです。普段しらふで出来ないこと、やっちゃいます。いくらでも想像してくださって結構ですよ。酒はある意味で人間を解放してくれます。でもほどほどにしとくことです。マルゴー昇天は何年に一度くらいというとこです。なんせやっぱり高いので~それにひとりじゃね~父もあの世にいっちゃったし~未成年の飲酒はお勧めいたしません。
2005年10月11日
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近頃の若い人(年とった人も)へそだけでなく下着を見せるのが流行っている。きれいな人が健康的なおへそを見せているのは若さで輝いていることがあっても、(清潔なものなら我慢できるが)汚れたものを見せつけられてたまらなく思うのは私だけだろうか。若さが輝くと他のディーテルが暗んで見えなくなるものである。太陽の輝きが月や他の星の光を消してしまうのと同じである。しかし若いから内側から輝いているのであって、どんな格好でも通るのであるが、その輝きを失った年寄りは見れたものではない。よって高級な装飾で身を飾るのである。若い人には必要ないのである。高価な貴金属が似合ってきたら、年をとったということになる。では見にくい外見でも内側から輝けば、目に見える美でなく、心に感じる美しさを発することがある。確かに皺だらけで艶のない肌は綺麗じゃない。体も衰えてしまうと、あとは死が近づく恐怖に見まわれる。ところが死は必ずやってくる。それを遅らせることは出来ても、いつかやってくるのである。どうせなら笑顔で迎えたい。年をとるということは、それだけ経験を積み重ねるということで、若いときにわからなかったことがわかるようになってくるのである。昔のように無茶はしなくなる。開き直ってみれば、良いところが見えてくるはずである。その上で老いとうまくつきあっていくのが、大事ではないか。現在は寿命が延びているが、各人の命はいつ尽きるのか凡人にはわからない。1分後に何が起こるかもわからない。ひとつひとつの命を無駄にしないことである。(命を無駄にしないとは、時間を粗末に使わないということである。)フランスの諺に「もし若い人が知っていたら、もし年寄りが出来たら」というのがある。
2005年10月10日
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習い事は幼少時からやると身につくというか、身につきやすい時期というのがある。しかし、ある程度歳をとってからでも決して遅くは無い。もう今さらとあきらめる前に、やりたいことがあれば、やればいいのである。若く、柔らかい頃に比べればもちろん上達の速度が違うが、それでも本人の意思の問題である。何か習うというのは、素直にならないと出来ないのである。子供のように純であることが求められるのである。ひっくりかえすと、習い事を始めると若返るのである。特に語学など習うことで頭の血のめぐりが良くなる。ボケ症対策にも良い。もう25年以上になるが、南フランスの大学の仏文学講義に、中国の服というか上着をはおった白髪の杖をついたフランス女性が、孫のような年頃の現役の学生に囲まれていた。彼女は時々講師に質問もした。他の学生と意見を交わしていることもあった。とても生き生きしていた。顔が輝いていた。もちろん聴講生としてであるのであろうが、講師の親の年頃である。誰も彼女の存在を特に気にかけている者はいなかった。私はその時、フランスという国だからだろうか、南だからだろうかと気になったが、それをあえて聞くことはしなかった。しかしその事がずっと心のどこかに残っていて、別に歳に限ることなく何歳であっても自分のやりたいことをやればいいのだと考えていた。そして今私は好きなことが出来る自由が与えられている。よって好きなことをしている。
2005年10月10日
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歩いていて人に道を尋ねるときは、その答えとして「ここをまっすぐに行って、つきあたりを右に…」というのでいいが、電話などで話しのついでに住所というか場所を聞くことがあり、そういう時の答えで「あの赤い屋根の建物の並びで薬やさんの隣だった~」とか、「猫が昼寝をしている家の反対側で、~」とか平気で教えてくれる人がいる。どうして住所か、店なら名前とかが言えないのだろう。私が聞いてもうまくかわされてしまう。知らないのなら知らないとはっきり言えばいいのに、うまく誤魔化して、「だから、その二軒か三軒となりだって~」となる。これは女性に多くて困りものである。私が知りたいのは正確な道順と住所である。注:今日はもちろん土曜日であるが、特別に書き込みです。 明日は書かんよ。
2005年10月08日
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特別に素晴らしい出来ということです。葡萄つみが終わったらこちらに(つまりボルドー)いらっしゃいません?広々としたなだらかな起伏の葡萄畑をレンタカーでドライブ、お勧めです。あそこは冬でも比較的暖かいので楽しいですよ。最高のものは外に出さないフランスだから、現地に来る必要というか、来る甲斐があるというもの。シャトーでなくても街のコープで良いのが手にはいります。何でしたらアメリカ英語の出来る隠居フランス人のガイド紹介しますよ。週末なら日本語の出来る人居ます。なるべく早めに連絡ください。2泊3日とかいうのはきついので、1週間はとってください。ワインのお好きな方々へ~
2005年10月07日
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ちょっといきなりこういうタイトルになってしまいました。昔からいつも男の人が女性のグラビア写真集を新聞売りから買う時ですね、決まってスポーツ新聞に挟んで手渡されるのですね。当時は新聞の中の「おまけ」みたいな存在だと思ってたのですけど、その後年頃を迎えて、あれは実は雑誌の方が目的であって、新聞は変装みたいなものとわかってきました。女性の場合は男の写真集専門は買わないのではないでしょうか。あるいは堂々と変装しないで買うかでしょうね。でも最近は同性の人の場合どうなるのか、ちょっと複雑な問題ですね。あぁ、狂ってきましたのでこのへんで~好祝
2005年10月07日
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まだPCが使えなかった部分日食の日だけ天気が良かった。その次の日から霧がたちこめて、なかなかすっきり晴れないまま今日をむかえた。久しぶりのゼネストで通勤は自分の足で歩いてきた。といっても1時間と少しだけ、距離にして5キロぐらいだろうか。生娘のころは1時間あれば2里はクリアー出来ていた。やはり肉体的に若くはない。しかし周りの自然を鑑賞しながら、人の私を追い抜いていく後ろ姿を見ながらまたいろいろと考える。2年前のゼネストの時は途中の公園の灯りが壊れていたので、真っ暗の中を足探りして進んだのを思い出した。スピードも出せないまま、犬や自転車とぶつからないように、ベンチを蹴らないように、道からそれて落っこちないようにひやひやしたものだ。あんまり暗いので、電灯が存在することさえわからなかった。故障だから通らないように注意を促す看板などこの国にあるわけはない。落ちて怪我すれば自業自得である。万事がそうだから自然と気をつけるようになる。今朝、電灯はちゃんとついていたが霧が深くて神秘的だった。
2005年10月07日
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先月、メール通信が出来なかった間は周りの世界から切り離されたように、まるで雪でとざされた北国の山小屋にいるようだった。そのおかげでいろいろと考えることが出来た。ただ考えるのである。リラックスして考えるのである。決して構えてはいけない。散歩のようにぶらぶらするつもりでやるといい。疲れすぎてると電車の中でこっくりこっくりしてしまう。特にパリや大阪のメトロの中では30分近く(長居から梅田)乗ってると、更には阪急の十三から石橋あたりくらいでもぐっすり寝てしまう私である。パリならミッテランの図書館からブローニュの森方向にずっと乗ってると、疲れてしまって気分が悪くなって誤魔化すためにうたた寝をする。ところがここブリュッセルでは全然眠くならない。ただアントワーペンやブリュージュのような歩き回る街から帰った時は、ちょうど45分あたりが気持ちよく検札のあとぐっすりしてしまう。昔アメリカ大陸に渡らさせられた黒人たちは、電車に揺られて各地へ送られたという。そしてその時のリズムが、ゴスペルのもとのリズムを作っているらしい。しかし彼らは気持ちよくなってうつらうつらするどころではなかったのだ。第一立ったままだったのではなかろうか。
2005年10月06日
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今日の午後からなんとか再通いたしました。 メールがごっさりあって消していくのに指にタコができそうです。 ぼちぼちと始めますのでよろしくお願いいたします。
2005年10月05日
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