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夏になると風鈴が欲しくなる。風鈴の音色が聞こえる風が欲しくなる。風の入る庭に面した部屋が欲しくなる。風鈴の音を聞きながら、昼下がりにうとうと昼寝をしたい。目が覚めたら、スイカを食べたい。しかし、庭の向こうは、人が良く通るので窓は開けられないのが現実。軒下に風鈴のある暮らしは、簡単なようで私には難しい。暑中お見舞い申し上げます!! ↑エコロジストのブログにとびます、とびます♪1クリックで10ポイント。 ■□■書き残したネタ帳■□■*石州(せきしゅう)瓦*松江イングリッシュガーデン*大雨災害*映画「赤い風船」*映画「いまここにある風景」■□■過去の書き残しネタ帳■□■*ムダムダなこと。*「赤毛のアン」が好きなわけ。*「Around40」な人と電気ポット*野菜料理*会社でエコ*薔薇ファースト*京都の交通*ガソリン代*IKEA(イケア)*「ちりとてちん」。*近江八幡のいらないネタ*竹の道具*近江八幡の土産*「ALWAYS 続三丁目の夕日」にみるエコ。*中国輸入食品■□■2008.7月に見た映画■□■33■ぐるりのこと。■7.134■西の魔女が死んだ■7.135■ぼくの大切なともだち■7.236■マンデラの名もなき看守■7.237■白い馬■7.30(赤い風船とセット)38■赤い風船■7.3039■今ここにある風景■7.30 ・・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★7月31日*天気のことわざ /天気のことわざ2 * UP・・・・・・・・・・・・・
2008.07.31
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■白い馬:あらすじ■♪音がでます。孤高の魂が響きあう。南仏の湿原を駆ける野生の馬とそれを追う少年。命の躍動に心が震える。南フランス、カマルグ湿地帯。野生の馬を率いるリーダーである“白いたてがみ”は、無理やりに自分たちを統制しようとする人間たちに、必死に対抗していた。しかし、少年フォルコだけは白い馬と心を通わせ、強い絆で結ばれていく。1953年のカンヌ映画祭でグランプリに輝いたアルベール・ラモリス監督による映像詩。南仏の湿地帯で心を通わせた少年と馬の姿を、みずみずしいモノクロ映像で描く。白い馬(’53) - goo 映画いったん捕獲された馬が自力で逃げ出して、仲間のもとに帰り、新しいリーダー馬と決闘する場面。前足を高く振り上げ、後足だけで立ち、相手の首にかみつき合う、馬と馬の壮烈な闘い。迫力ある映像に息をのむ。12歳くらいの少年は、幼い妹と祖父と一緒に粗末な小屋で暮らしている。彼は魚を獲り暮らしを立てているが自然と共に生きている。そんな暮らしをしていたのか、1953年は・・・。会話が極力少なく、ナレーションのみ。逃げる馬と少年、追う牧童たち。映画のほとんどが馬の走るシーンだ。白馬に鞍もつけずに乗る少年の姿。奇跡といいたいくらいに美しい映画だった。たった40分の映画でこんなに素晴らしいものが出来るのだ!!監督はアルベール・ラモリス。同時上映★「赤い風船」・・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★7月29日*なにわの日:なにわ野菜 /民家は人間の作った最大の民具* UP・・・・・・・・・・・・・
2008.07.30
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■西日本の旅■2008年7月8日(火)~10日(木)の2日目の宿は、島根県出雲市の*「マリンタラソ出雲」*。マリンタラソ出雲の客室は、全て日本海を望むオーシャンビュー。瀬戸内海と違って島影も見えない。島がないから、島と島を結ぶ連絡線もない。静かな海だ。いや静か過ぎる・・・。夜になって、真っ暗な海を見ながら「船が通らんな・・・」と言い合った。「これって、燃料代が上がったからとちゃう?!」と私。「そうや!日本海は、イカ釣りが盛んなのに、まったくイカ釣り船のかがり火が見えんのは、燃料代が高くなったからやわ!」と夫。イカ釣り船は夜の海に灯りを照らして、イカを寄せて捕まえる。このとき光が強ければ強いほど、その船の周りにイカがたくさん集まってくる。そのためイカ釣り船は燃料を沢山くう。家に帰って数日後、 18、19日燃油高騰訴えイカ釣り船一斉休業のニュースが流れた。それにしても、電気などなかった昔はどうやってイカを獲っていたのだろう?そう思って調べてみた。いさり火は今は水銀灯を利用していますが、かつてはかがり火でした。いさり火はいつころから用いられていたのかは分かりませんが、明治14年の函館新聞には鍛冶町(今の弥生町)の漁師が沖合いにイカ釣りに出てまきを使いはたし、かがり火をたかずに操業していたところ、汽船と衝突したという記事がみられます。イカ釣り漁はいつも、いさり火を用いたわけではなく、7・8月はイカは海岸に近い所を遊泳していたので、あまり必要とせず、秋口に入ると魚体も大きくなり、沖合いへ移動しましたので、集魚灯としていさり火が利用されたのです。■函館市HP■つまり、明治時代には、薪を使ってかがり火を焚いていたというのだ。そして、使わなくても獲れた時期もあったという。海洋資源の乱獲により今では、強い灯りをたいても燃料代が出ないという。・・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★7月27日*なめすじ* UP・・・・・・・・・・・・・
2008.07.27
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子どもの頃、夏休みになると明けても暮れても川で泳いでいました。泳ぐというより、川で遊ぶ・・・。場所は、何箇所かあって、人数、子どもの年齢、持ち時間に合わせて選んでいました。お気に入りの一つは、山の真下に川が流れる、合歓の木のある淵。胸までの深さで、ゴツゴツした岩場が無く、のんびり泳げます。水の中で、魚を追いかけたり、ジャンケンや鬼ごっこ・・・。遊び疲れると、あお向けに川の中に漂います。目に映るのは、薄紅色の花と優しげな葉っぱ、花咲く合歓の木・・・。私の思い出の中で、合歓の木は、夏休みの川の中に咲く花です。●合歓の木(ねむのき)●<万葉名>ねぶマメ科の落葉高木。夏、小枝の先にうす紅色の花が咲きます。花が化粧用の刷毛のような姿に見えるのは実は、オシベ。うっそうと茂る葉がすべて夕方から閉じたれる。眠りの木の意から合歓の木。一つの花と見えるのは10~20の小花の集合。葉は線香に使うそうです。●■西日本の旅■2008年7月8日(火)~10日(木)の道中、山の中の道をうめる合歓の木。よく通る道路なのに、この季節は始めてだから気がつかなかったのか・・・。●2002.08.11に書いた日記に加筆しました。・・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★7月26日*父の麦わら帽子:目次* UP・・・・・・・・・・・・・
2008.07.26
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石麻呂に吾物申す 夏痩せに よしというものぞ うなぎ取り召せ 大伴家持現代語訳。石麻呂さん、夏痩せには、鰻がいいっていうから、是非、食べるべきだ24日、スーパーをのぞいたら、あっちでも、こっちでも鰻を売っていた。それを見ながら、老夫婦が「1800円やて・・・。今日は買えへんな・・・」とため息を付いていた。大伴家持が、夏痩せにいいという鰻も今や高値の花。いや、昔から誰でも食べれたものではない。私も子どもの頃には土用に鰻を食べる習慣はなかったもの。食べるようになったのは、ここ30年くらい前から。バレンタインデーのチョコレートや節分の恵方巻きなどと同様、多分にコマーシャリズムの産物といえよう。土用に食べるものは、「う」のつくものならなんでもいいとう。うどん、梅干、うり・・・。この方が輸入品の鰻よりも環境負荷が少ない。2日前に生協で買った鰻を食べたので、24日は梅干を食べた。それにしても、あの問題の中国産鰻は、どうなったのだろうか?人間の都合で「悪い鰻」にされて、人の口にも入らないまま、捨てられるのだろうか?・・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★7月25日*子どもの夏服今昔/たこ焼きのトリビア * UP・・・・・・・・・・・・・
2008.07.25
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島根県、石見(いわみ)銀山で栄えた大森の町並みをなるべく早く見った方がいい。そんな雑誌の記事を読んだのは、もう10年以上前。雑誌の写真でみる大森は銀山川に沿った一キロほどの町並み。レトロでなつかしい雰囲気だ。しかし、石見銀山は遠い。きっと、行かないうちに、その風景は無くなるんだろうな・・・。そう思っていた。だから、石見銀山が大森の町並みごと世界遺産になった時、ほっとした。これで大森の町並みは守られると。■世界遺産とは、■1972年のユネスコ総会で採択された「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約」(世界遺産条約)に基づいて、世界遺産リストに登録された遺跡や景観そして自然など、人類が共有すべき「顕著な普遍的価値」(Outstanding universal value)をもつものを指す。世界遺産に登録されることは、周辺地域の観光産業に多大な影響がある。石見銀山でも登録前の30倍という驚異的な観光客の増加。今の経済優先社会、車優先社会では、世界遺産という錦の御旗がないと景観は守れない。そんなわけで、広島県福山市南部に残る古い町並み、鞆の浦(とものうら)も今、世界遺産に登録を目指している。世界遺産のでもならない限り、町並みが守れないなんて、日本の文化は貧しいなとつくづく思う。鞆の浦の景観を守るためにも、世界遺産のなって欲しい。■西日本の旅■7月9日に行った、大森の町は、静かだった。レトロで懐かしく、さびれたような感じが旅情を誘う町並みだった。夫と一緒だと、ゆっくりというわけにもいかず、ここも、あわただしくまわった。いつか、ゆっくり、ゆっくりと歩いてみたい。■石見(いわみ)銀山■・・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★7月23日*下駄の日/籐の乳母車を見た!* UP・・・・・・・・・・・・・
2008.07.23
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■西の旅■の目的地は、世界遺産、石見(いわみ)銀山だ。■石見銀山■大航海時代の16世紀、世界で流通した銀のおよそ3分の1が日本の銀であり、さらにそのほとんどが石見銀山で産出されたものであったと言われます。 その影響力の大きさを示すのが、当時ヨーロッパで作成された世界地図です。日本の中でも「石見銀山」は非常に大きく扱われており、その存在の大きさを表しています。石見銀山の特徴は、自然を破壊せず、環境に配慮した「自然環境と共存した産業遺跡」であることです。そしてこれが、世界遺産として評価された重要なポイントです。 「石見銀山の特徴は、自然を破壊せず、環境に配慮した「自然環境と共存した産業遺跡」というけれど、それはどうかな・・・」と私は言う。当時の人たちだって、本当は、自然破壊をしてでも銀を手に入れたかったに違いない。しかし、破壊するための、機械がない。採掘した銀を精製することができない。精製した銀を運ぶトラックや道がない・・・。というわけで、「自然環境に優しい」産業が発達した。しかし、この銀山は、人間には優しいとはいえなかった。写真は石見銀山で一番有名な「龍源寺間歩(りゅうげんじまぶ)」という所。間歩(まぶ)とは、坑道のこと。龍源寺間歩は、人がゆっくり通れるが、ほとんどの間歩(まぶ)は、かろうじて体が入る程度のところを掘っている。坑道奥深くは、新鮮な酸素もは入りにくかったと見えて、風を送り込むために「唐箕(とうみ)」をつないで風を送っていたという。坑夫たちは、さぞかし辛かっただろう。今、人間は、自分たちの力以上の力を手に入れた。結果、大地を削り、海を埋め立てた。結果、大切なものを失い、人力の産業が世界遺産になった。人間にも、環境にも優しい産業は出来ないものなのだろうか。・・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★7月21日*台風前夜* UP・・・・・・・・・・・・・
2008.07.21
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西の旅の1日目の宿は、岡山県境に近い広島県・休暇村・帝釈峡。ここは、夜になると蛍ツアーがあり、さっそく申し込み、マイクロバスで近くまで行った。降りて見ると、真っ暗な闇の中に蛍が飛び交っていた。蛍の弱い、小さな光は、まぶしい光より心をとらえる。運転手さんが気を利かせくれて、バスのマイクロバスのウインカーをつけた。すると蛍がバスの周りの寄ってきた。20分ほどみんなで見入った。美しい蛍の光。子どもの頃には毎晩のように蛍を見たのに、今はこうして、遠くまで来ないと見られない。知らない間にいなくなった蛍。そして、今はいなくて当たり前になってしまった。蛍が生きるためには、水辺と暗闇が必要だ。夜、遅くまで、いや夜通し、光が溢れる日本。灯りに集まる虫のように、都会の寂しい若者たちがコンビニに集まる。彼らのどれだけが、子どもの頃に、蛍を見たことがあるのだろうか?その2日後の夜、神戸の辺りを通っていた時、「きれいやな」と夜景を見ながら夫が言った。「うん・・・」と私は返事をしたが、心の中では、蛍の光の方が何倍も、何十倍もきれいと思った。■観賞者のマナー■★ホタルは暗い場所で、交尾のためのメスを探して光ります。強い光を嫌いますから、現地に着いたら車のライトを消しましょう。★まだまだホタルの数は少ないので、ホタルを見つけたら、よく観察した後、放してやりましょう。ホタルはオスとメスが光で交信するために、ホタルが飛べる暗い場所があることが大切です。道路や住宅などが近くにできると、その照明の光を避けてホタルは暗い場所に集まります。ホタルの飛ぶ時期には、その近くの街灯に覆いをかぶせるなどして、光が当たらない工夫がされているところを見かけます。・・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★7月20日*映画「少年の誘惑」* UP・・・・・・・・・・・・・
2008.07.20
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*倉敷*のあと行ったのが、「ホロコースト記念館」。広島県福山市にある、ナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺の悲劇を伝えるホロコースト記念館を、見ることを選んだのは、夫。記念館は牧師の大塚信館長がアンネの父、故オットー・フランク氏と出会ったことをきっかけに95年に開設。アンネの隠れ家が再現されていた。実は、25年ほど前、オランダのアムステルダムで、本当の隠れ家を見たことがある。「こういう地味な反戦活動って大事やな」と後で夫が言う。それは分かるけど、アフガニスタン戦争の犠牲者たちを描いた*「君のためなら千回でも」やナチス・ドイツによる紙幣贋造事件で強制収容所内の恐怖を描いた*「ヒトラーの贋札」*の方が怖い分、戦争の悲惨さが分かると思う。たんにモノを置くだけでは、戦争の恐怖は伝わらないのではないのだろうか。そう、言うと夫は、ちょっと不機嫌になって、「どっちも必要や」と言った。ところで、広島県・福山市の一番のウリは、*鞆(とも)の浦*だ。広島県福山市南部に残る古い町並み、鞆の浦。古代から瀬戸内海航路の要所として発展してきました。特に景観の保存がなされているわけではないが、奇跡的に幕末~昭和初期の街並みが、広範囲にわたって、そのまま残っています。鞆街並み保存研修会の調べでは、江戸期の建物が80棟、明治期が91棟、大正・昭和期が301棟あり、このうち保存ずべきは450棟とか。鞆の浦は、その美しさゆえに、多くの芸術家を魅了してきた。浮世絵に描かれ。、宮城道雄は鞆の浦の海をイメージして「春の海」を作曲し、そして日本の誇る映像作家である宮崎駿は2008年夏公開の新作「崖の上のポニョ」をここで構想した。そんな美しい景観を守ろうと、■鞆の浦(とものうら)の景観を守る運動をしている団体■もある。しかし、広島県と福山市は、あくまで、車重視。この町には、多くの観光客が訪れているが、観光資源をなくしても、車を選ぶのだろうか?■西の旅■・・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★7月19日*「純情きらり」と私の昭和:方言/土用餅* UP・・・・・・・・・・・・・
2008.07.19
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7月8日(火)~10日(木)、岡山、広島、島根県の旅の最初は、倉敷。倉敷は岡山県内随一の観光地。白壁に川辺の柳並木が映える一帯が「美観地区」として有名。そんな、風情のある町並みの中にあって大原美術館は、ギリシャ神殿風の建物。その前には、ロダンの像が建つ。日本に美術館というもの自体が数えるほどしか存在しなかった昭和初期(1930年)、一地方都市にすぎなかった倉敷にこのような美術館が開館したのは画期的なことであった。ニューヨーク近代美術館の開館が1929年であったことを考えれば、創設者大原孫三郎の先見性は特筆すべきであろう。大原は、事業で得た富を社会へ還元することの重要性に目覚め、大原社会問題研究所、労働科学研究所、倉敷中央病院などを次々と設立した。大原にとっては美術館の創設も社会貢献の一環という認識だったようだ。 ■カフェ「エル・グレコ」絵葉書大原美術館を駆け足で回ったあと、(私一人だったら、絶対に、ゆっくりと見るが、せっかちな夫と二人だとそうはいかない)行ったのが、美術館の横にある喫茶店「エル・グレコ」。緑の蔦に覆われた、白い扉と赤い日除け(?)に「CAFE EL GRECO」と書かれている。 中には、年代モノのテーブルが・・・。そして、窓から見える、まるで木のようなツタが年月を感じさせる!!!この店の名前、「エル・グレコ」は、大原美術館にある「受胎告知」という絵を描いた人の名前がエル・グレコからとったもの。今や、大原美術館と並ぶ倉敷の名所となっている。ところで、エル・グレコとは、スペイン語でギリシャ人という意味だという!へえ~!!(゚∇゚ ;)知らんかった!!■大原美術館■■カフェ「エル・グレコ」■■西の旅■・・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★7月17日*菊次郎とさき」*父の麦わら帽子:夏の暮らし/言葉の謎:まむし* UP・・・・・・・・・・・・・
2008.07.17
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7月8日(火)~10日(木)、岡山、広島、島根県に行った。その途中寄った、高速道路のサービスエリアの食堂のカウンターにに「マイ箸、洗います!」という張り紙があった。(張り紙の写真、撮り忘れ) _| ̄|○お店の方に「これ、いいですね」と言うと「はい、でも、頼まれる方は、これまでいませんでしたけどね・・・。」 _| ̄|○マイ箸って、そんなにも浸透はしていないとは思っていたけれど、まだ誰も「箸を洗って・・・」と頼む人はいなかったのか・・・。高速道路を使う人がマイ箸を使うようなことはしないか・・・。かく言う私だって、その時、持っていなかったもん・・・。 _| ̄|○言い訳のようだけれど、私は使った割り箸を袋に入れて持って帰り、弁当の箸にしている。この店では、使用済みの割り箸は、製紙会社に持っていっているそうだ。 ■マイ箸メモ■お笑いタレントの*「アンジャッシュ」*の渡部建が、テレビでマイ箸を使っていると言っていた。・・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★7月15日*菊次郎とさき」*吊り下げ手水(ちょうず) * UP・・・・・・・・・・・・・
2008.07.15
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■琵琶湖をめぐる旅 ■の最後を締めくくるのは、「アサヒビール大山崎山荘美術館」。◆大山崎山荘の歴史◆◆1911年6月大金持ちの加賀正太郎が別荘を建てようと木津、宇治、桂の三川が合流する天王山麓に土地を購入したのが、山荘の始まり。 山荘を設計するにあたり、庭も山荘の大切な要素と加賀は考え、「悠々居」と呼んでいた山荘本館の下には、3つの池を配し、庭と山麓にとけ込んでいた。山荘の工事中に、文豪夏目漱石も山荘を訪れた。隣接する宝積寺(通称宝寺)を眺めながら「宝寺の隣に住んで桜哉」の句を残しております。 ◆1967年山荘は加賀の手を離れ、所有者は転々とする。◆1990年頃持ち主である不動産会社が山荘を取り壊し、マンションを建設する計画が持ち上がり、地元住民から強い反対運動が起こった。京都府から保存について協力の依頼を受けたアサヒビ-ル社は、天王山麓の景観を保全するために山荘を買い上げることになった。◆1996年荒廃寸前だった山荘は、京都府、大山崎町の協力も得て、美術館として見事に蘇った。タケノコの彫り物などの遊び心ある暖炉や100人のお客さんが来ても対応できるキッチンなど、明治の人の美意識と器の大きさが感じられる、この山荘が残って、本当によかった。■アサヒビール大山崎山荘美術館■*京都と大阪の間にあり、JR山崎駅、 阪急大山崎駅から専用バスを利用。美術館には、駐車場なし。■琵琶湖をめぐる旅 ■・・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★7月14日*京の始末:にばんや * UP・・・・・・・・・・・・・
2008.07.14
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ミモザの花に春の訪れを知り、白南風(しろはえ)とともに薫る沈丁花。蔦の葉が紅(くれない)はじめる頃、暖炉に火が入り、ピアノ曲に乗って焼き上がるタルトタタン。移りゆく四季の彩りとともにくつろぎのひとときをカフェ・レストラン「再会」パンフレットより。 長い間行きたいと思っていた喫茶店がある。それは京都・山科にある「再会」(会は古い字)。カフェの壁を覆う、ツタ、ツタ、ツタ・・・。 趣のある玄関を入ると、 窓から見えるのは、木々とツタの緑・・・。■琵琶湖をめぐる旅 ■の帰りに寄ったのは、長い間憧れていた、喫茶店「再会」。「再会」は、今、ブームのカフェとひとあじ違うドラマチックな雰囲気の中、優雅な時間がすごせるカフェレストラン。■カフェ・レストラン「再会」■■住所■〒607-8307京都市山科区西野山射庭ノ上町67-11 ■電話■075-591-0591■営業時間■10:00~10:00■アクセス■東海道・山陽本線山科駅よりバス15分 駅構内バスターミナルより京阪バス29番系統「大石神社」停留所下車、徒歩2分■年中無休■琵琶湖をめぐる旅 ■・・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★7月13日*「菊次郎とさき」*印半纏(しるしばんてん) * UP・・・・・・・・・・・・・
2008.07.13
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イベントには、なぜ、イメージキャラクターがいるのだろう?彦根のキャラクターがなぜ、*ひこにゃん*だろう?ひこにゃんがあたったからといって、2匹目のドジョウを狙う、奈良市の*「せんとくん」*はいかがなものなのか?いつもそう思っている、天地 はるなです。先月、琵琶湖をめぐる旅をしたさい、彦根に行ってきた。彦根は琵琶湖の北の方の町。夫も私も、彦根には、来ていたので、今回は、彦根城だけ。 ▲上に見えますのは、彦根城の石垣でごさいま~す。この石垣は、坂本の町の石垣と同じ、穴太衆(あのうしゅう)が作ったものでございま~す。滋賀の琵琶湖周辺に住んでいた穴太(あのう)衆は、徳川家に認められ、以後、全国にその名を轟かし、築城の現場で腕をふるうことになるのでございま~す。なんて石垣を語るようになったのは、歳を重ねてから。若い頃には、目がいかなかったものに、目が行くようになって良さが分かるようになるのだから、歳をとるのも、そう悪くはない。 ▲「桜田門外の変」で有名な、大老、*井伊直弼*も歩いたかもしれない、庭園。**彦根といえば、井伊直弼というくらい、井伊家を代表するような人物。しかし、十四男(どんだけ~)で庶子(本妻以外の人との間に出来た子)であったため、養子の口も無く、17歳から32歳までの15年間を300俵の捨扶持の部屋住みとして過ごした。この間、長野主膳と師弟関係を結んで国学を学び、自らを花の咲くことのない埋もれ木にたとえ、埋木舎(うもれぎのや)と名付けた住宅で、世捨て人のように暮らした。この頃熱心に茶道(石州流)を学んでおり、茶人として大成する。そのほかにも和歌や鼓、禅、槍術、居合術を学ぶなど、聡明さを早くから示していた。その頃「チャカポン(茶・歌・鼓)」とあだ名された。** ■琵琶湖をめぐる旅 ■・・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★7月12日*「昭和恋々」:麦わら帽子* UP・・・・・・・・・・・・・
2008.07.12
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▲この写真は、公園ではない。京阪・坂本駅前の並木道。灯篭の右側、車が見えるのが車道。 ▲これが歩道。桜の古木が陰をつくって、涼しい。歩道の左側は石垣。「穴太衆積み」(あのうしゅうづみ)という美しい石垣が美しい坂本の町。*「穴太衆積み」とは、*約400年前から伝わる大小の自然石を加工せずに組みあげる堅固な石組み技法。穴太衆は、戦国期に全国各地の城普請で石垣造りに活躍した。この石垣は、美しいだけでなく、生きものの棲家でもある。 ▲小川の側の歩道は、左側が車道とは思えないような雰囲気。車に乗らない私は、いつも道路を憎たらしく思っている。自転車は、歩道を通ればいいのか車道を通ればいいのか分からないし、歩道もほんの申し訳程度しかついていない。歩きたいと思うような道が私の町にはない。車優先なのだ。そんな中で、緑があって、おまけに小川まで流れている京阪・坂本駅の前の公園のようなこの道は、日本一素晴らしい道だ!*アクセス:京阪・坂本駅■里坊・旧竹林院■■琵琶湖をめぐる旅 ■・・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★7月11日*うなぎの蒲焼/遊び唄:子とろ * UP・・・・・・・・・・・・・
2008.07.11
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最澄が比叡山に天台宗を開いたときの基本的な考えは“山修山学”。いまも続くその修行は、あまりの厳しさから地獄に例えられ「三大地獄」と呼ばれるほど。厳しい修行の代表が「千日回峰行」。「千日回峰行」は、行者道を辿って決められた礼拝所を巡り、千日間で地球一周分もの距離を歩くという驚くべき修行。やり遂げられない時は、自ら命を絶つとして、修行中は常に短剣と紐を持ってのぞむとか。成し遂げると阿闍梨(あじゃり)という高貴な身分の僧となります。 比叡山延暦寺の門前町として栄えた坂本には約50ヵ寺の里坊がある。里坊は、山上での修行を終えた老僧に与えられた坊舎で、いずれの里坊にも自然石を用いたり、借景などの趣向を凝らしたみごとな庭園があり、サツキ、紅葉、苔などが美しい色合いを見せています。 旧竹林院は、こうした里坊のひとつで邸内には主屋の南西に妬く3300平方mの庭園が広がり、2棟の茶室と四阿(あずまや)がある。八王子山を借景にした庭園は、地形をたくみに利用しながら滝組と築山を配し、四季折々の風情をかもし出している。また、「天の川席」と呼ばれる珍しい間取りの茶室があり、かつて豊臣秀吉や徳川家康もたびたび茶の湯を楽しんだといわれている。 そんな旧竹林院の庭で、見たものは、モリアオガエルの卵!!(写真、真ん中の白いの卵)比較的自然の雑木林が保存されているところでは生息が可能といわれるモリアオガエルの卵があるなんて、すごい!!私もこんな所で、老後が送りたいなァ。でも、修行は出来ない。 _| ̄|○と思いながら、庭を眺めながら抹茶を飲んだ。■旧竹林院■*開門時間 9:00~17:00(入場は16:30まで) *住所 滋賀県大津市坂本5-2-13*お休み 毎週月曜日(祝日の場合は開園)、祝日の翌日 お問い合わせ先 旧竹林院Tel:077-578-0955 *アクセス:京阪・坂本駅■琵琶湖をめぐる旅■・・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★7月7日*七夕の「団子刺し」* UP・・・・・・・・・・・・・
2008.07.10
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苔むした深い林の中にたつお堂の中からは、読経の声が聞こえる・・・。自然と壮大な伽藍からなる比叡山は世界遺産に登録されている。1200年も続く延暦寺の歴史は、19歳の最澄が比叡山に入ったことからスタートする。 最盛期には、三塔十六谷三千坊と言われるほどの大寺院があった。最澄が造った一乗止観院(現在の根本中堂・写)は、自らが彫った薬師如来像を本尊として安置した。その時に捧げられた灯明が、今も根本中堂の内陣を照らす“不滅の法灯”。火災で一時絶えたが、山形県にある立石寺に分灯していたものを移して、今日まで大切に守り続けられている。 法然や親鸞、日蓮など日本仏教の宗祖のほとんどは、延暦寺で学んだ経験の持ち主。そんな歴史ある比叡山には、道の小さな石仏も風雨のため、顔がはっきり見えなくなるなど、歴史を感じる。ここでトリビアを!◎根本中堂では1200年の間、一度も消えることなく灯明が灯っているが、油を断つと灯が消える…、つまり油断すると灯が消える。「油断」という言葉はここから生まれたという。■そうだ京都、いこう:比叡山■■琵琶湖をめぐる旅■ ・・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★7月6日*父の麦わら帽子:ドンブラコ、ドンブラコ・・・ * UP・・・・・・・・・・・・・
2008.07.07
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クロード・モネ(Claude Monet, 1840年11月14日 - 1926年12月5日)は印象派を代表するフランスの画家。「光の画家」の別称があり、時間や季節とともに移りゆく光と色彩の変化を生涯にわたり追求した画家。でも、彼がフランスの田舎、ジヴェルニーに作った庭は、彼の絵と同じくらいに有名。私もジヴェルニーの庭に憧れているひとり。いつか、行こうと思っていたが、まさか6月24日~25日に行った、滋賀県の比叡山で、その庭に行けるとは・・・。日本には、昔から寺や大名が名園を作った。坪庭など庶民の暮らしの中にも庭があった。なのになんで、こうして西洋人の真似をするんだろう?薔薇を植えて、ハーブを植えてた庭が日本中にある。「モネの庭」をテーマに作った庭が日本中にある。日本人って、どうしてこう、西洋かぶれなんだろう?と、まあ、ぼやいていても仕方がないので、楽しむことにした。 ▲睡蓮の池にかかる橋。 ▲ひなげしの丘。とモネの描いた風景が続く。西洋の真似なんかしなくてもいい。100年以上前、日本の美しさは、西洋で多いに認められた。「ジャポニズム」とよばれ多くの芸術家に多大なる影響を与えた。モネもそのひとり。池にかかる橋は、日本の太鼓橋を真似てつくったもの。しかし、今の日本には、世界に通用する美はない。自分たちのよさを西洋を真似ることで消してしまっている。比叡山という日本文化に大きな影響を及ぼした場所にでも、こんなものを作るのだから。花に恨みはないけれど、ついぼやいてしまう・・・。■比叡山ガーデンミュージアム■*京阪電車出町柳駅で叡山電車に乗換え、八瀬比叡山口駅下車後ケーブルとロープウェイを乗り継ぎ。 *JR京都駅または京阪電車三条駅・出町柳駅からバスで「比叡山頂」下車。 *JR比叡山坂本駅、京阪電車坂本駅から徒歩またはバスで坂本ケーブルに乗換えケーブル延暦寺下車後徒歩とバスで「比叡山頂」下車。 *JR京都線からJR奈良線で東福寺駅下車、京阪電車に乗り換え、出町柳駅から叡山電車、ケーブル、ロープウェイ。■花に恨みはないけれど:とっとり花回廊■■琵琶湖をめぐる旅■ ■美しい葉。 ■散ってしまったシャクナゲ ■小さな花・・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★7月5日*食い初め(くいぞめ)* UP・・・・・・・・・・・・・
2008.07.06
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■マンデラの名もなき看守:あらすじ■♪が出ます。27年間囚われた、のちの南アフリカ初の黒人大統領。今、秘められた感動の実話が明かされる。1968年の南アフリカ。アパルトヘイト政策にあったこの国では、黒人には参政権、土地所有権はもちろん、家屋の所有や教育の自由さえも許されない。ジェームズ・グレゴリー(ジョセフ・ファインズ)も、黒人を下等な人間と見なすひとりだった。ある日、彼は看守として赴任した島で、最悪のテロリストとされる男、マンデラ(デニス・ヘイスバート)の担当に抜擢される。マンデラたちの秘密の会話を報告する任務を忠実に遂行するグレゴリー。だが、彼はいつの間にか知性と人間愛にあふれたマンデラに魅了され、彼が目指す平等な社会に憧れていく。そして、これは何十年も続く、マンデラとの奇妙で特別な関係の始まりに過ぎなかった…。南アフリカ初の黒人大統領、ネルソン・マンデラと彼を見守り続けた看守の心の交流を描いた真実の物語。 アパルトヘイト。黒人差別の代表のような言葉。そんな黒人差別と闘ったネルソン・マンデラ。マンデラの人間的魅力に魅かれ、次第にマンデラに魅了される看守。マンデラの目指す平等な社会に憧れていく看守が、マンデラの書いた文献を調べようとする。しかし、それは、危険思想としれ、見ることが許されないもの。見てもよいという許可得ているとウソをつくが、それがばれれば、彼は、即クビになる。いや、マンデラを尊敬しれいるというこをが周囲に知られれば、自分の立場も妻子の安全さえも脅かされる。家族、国、仕事、理想、良心…葛藤の中、それでも正しい歴史の一部でありたいと願ったある看守。鎖に繋がれて、人間以下にあったも、ネルソン・マンデラは、いつも毅然としていて、心を打たれた。一方、白人は、マンデラの息子を事故に見せかけて殺したり、マンデラの同士を殺した。日本人は、そんな中で「名誉白人」と呼ばれて喜んでいたのだ。ところで、看守たち制服は、半袖だった。中には、半ズボンの者もいた。人種差別反対!でも、半袖、半ズボンは、大賛成なのだ!・・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★7月5日*食い初め(くいぞめ)* UP・・・・・・・・・・・・・
2008.07.05
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この映画、好きだな・・・と思って後で調べたら、監督がなんとパトリス・ルコント!「仕立て屋の恋」なんか好き!「ぼくの大切なともだち」は、フランス映画らしいコメディだ!映画全編に流れるアコーデオンのメロディもパリっぽい。■ぼくの大切なともだち:あらすじ■♪音に注意!美術商フランソワが知人たちから「君に友人はいない」と告げられて大ショック。10日後に親友を紹介すると宣言した彼は、人なつこいタクシー運転手ブリュノに近付き、友人作りのコツを学ぼうとする。果たして自分には『親友』と呼べる友人が何人いるだろう?自分が親友と思っていても、相手は単なる仕事上の関係だと思っていたり、またその逆もしかり。ひょっとしたら、相思相愛の親友関係の方が恋愛より難しいのかも?名匠パトリス・ルコント監督が手がけた、笑って泣ける友情ドラマ。ひょんなことから出会った中年男2人の交流を、人生の悲哀をのぞかせながらも温かく描き出す。私も友人がいなかった。それでも不自由はしなかった。でも、ふとしたことから、市民運動に足を突っ込み、首までどっぷりと浸かった。運動を広げるためは、多くの人に訴えなければならない。そういう打算から、私はいつも笑顔でいることにした。気さくに話しかけるようにした。苦手な人付き合いも、慣れれば、楽しくなった。どんな人だって、それぞれいいところを持っていると気づいたのだった。君にとって僕は沢山いるキツネの1匹。でも互いになじめば大事な存在となる。君は僕のたった一人の人。僕は君のたった1匹のキツネ。サン・テェグジュペリ「星の王子さま」より本当にそうだ。友だちを作ろうと思ったら、会い、互いに話合い、なじめばいいのだ。映画の中に出てくる、「星の王さま」の一節がピタリとくる。あなたには友だちがいますか?そしてその友だちもあなたのことを親友だと思っていまか?か?・・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★7月4日*スローフード * UP・・・・・・・・・・・・・
2008.07.04
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■西の魔女が死んだ:あらすじ■♪音が出ます!!中学に進んでまもなく、どうしても学校へ足が向かなくなった少女まいは、季節が初夏へと移り変るひと月あまりを、西の魔女のもとで過した。西の魔女ことママのママ、つまり大好きなおばあちゃんから、まいは魔女の手ほどきを受けるのだが、魔女修行の肝心かなめは、何でも自分で決める、ということだった。喜びも希望も、もちろん幸せも…。祖母と孫の物語。祖父母と孫というのは、相性がいいのだと思う。「佐賀のがばいばあちゃん」もそうだし、「ウォルター少年と夏の休日」 は、祖父と孫。親とでは、あまりに生々しいことも、祖父母となら少し距離を置いている分だけ、お互いが冷静になれるのか・・・。そんな祖母と孫娘といっても違うのは、おばあちゃんが、イギリス人。そして魔女。しかし、この魔女、ほうきに乗って空を飛ぶのではない。日本人の夫と死別した後、田舎の森に住むんでいる。家の周りの畑に植えたハーブで薬を作ったり、イチゴを摘んでジャムを作ったり、まいの母親の着ていた寝巻きを、エプロンと庭仕事ようの服に縫い直したり・・・。おばあちゃんと一緒に暮らした一ヶ月で、暗かったまいは、魔法にかけられたように元気になる。森の中の一軒屋、ジャム作り、縫い物、微笑み、焼きたてのクッキー、静かな時、深い知恵、経験、愛情・・・。まいのおばあちゃんは、そんな理想のおばあちゃんだ。いや、日本でも、少し前までのおばあちゃんは、みんなそうだった。おばあちゃんは、暮らしの達人だった。そんな理想的なおばあちゃん像を求めてか、映画館には、広い年齢の人が来ていた。・・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★7月3日*六月捨(す)てえ * UP・・・・・・・・・・・・・
2008.07.03
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「ぐるりのこと。」ってどういう意味だろう?ぐるりというニックネームなのかな・・・なんて考えながら見た。ぐるりのこととは、自分の身の周りのこと。または、自分をとりまくさまざまな環境のことをいう。ああ、あのぐるりね。会社でも、年配の人がよく使う。「私のぐるりには、離婚経験者が多いんやわ」というように使っている。■ぐるりのこと。:あらすじ■めんどうくさいけど、いとおしい。いろいろあるけど、一緒にいたい。法廷画家として働くカナオ(リリー・フランキー)は、妻である翔子(木村多江)の妊娠に幸せを噛みしめるが、子供の死という予期せぬ悲劇に見舞われてしまう。やがて、それをきっかけに精神の均衡を崩してしまった翔子を、カナオは強い愛情で支えていく。「ハッシュ!」の橋口亮輔監督の6年ぶりの新作。ある法廷画家とその妻が共にたどる10年間の日々と愛情関係を、舞台となる90年代の社会と照らし合わせて温かに紡ぐ。・・・・・・・・・・夫で法廷画家役のリリー・フランキーさんの演技は、自然体で良かった。リリー・フランキーは、「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」の作者として有名だけれど、イラストレーターとしても有名。褄の木村多江も、この役にピッタリ。二人とも、目をみはるような、美男美女ではないけれど、だから、映画にピッタリだった。法廷画家という設定上、裁判シーンがよく出てくる。宮崎勤による連続幼女誘拐殺人事件やオウム真理教による地下鉄サリン事件などを思い起こすものが出てくる。改めて、夫婦っていいな、一緒に暮らすって大切だなと思った。・・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★7月2日*天気のことわざ * UP・・・・・・・・・・・・・
2008.07.02
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<星祭>とは7日の七夕のこと。ほかにも『星迎(ほしむかえ)」「星合(ほしあい)」など素敵な呼び名があります。残念ながらまだ梅雨の時期なので、この日に星が見えたことはあまりありません。今年はどうでしょう。長かった梅雨が明けると、いよいよ盛夏。正午から午後3時ごろまで、いちばん陽が照りつける時間帯、<日盛(ひざかり)>には、暑さをいっとき冷ましてくれる夕立が待たれます。夕立のことを<白雨(はくう)>ともいいます。はげしく降る雨のカーテンの向こうに、景色が白く見えるゆえ。サルビア歳時記倍:木村衣有子 1月1日のお正月、3月3日のひな祭り、5月5日の端午の節句にくらべて、かげの薄い感のある七夕。まあ、今でこそ、かげが薄くなっているが、私の子どもの頃には、一ヶ月遅れでやっていたので夏休みの一イベントだった。 織姫と彦星が一年に一度逢う日といっても、7月7日は梅雨のまっただ中。それに、人口の光がまばゆくて、星の光が目立たない。なら、いっそ、この日は、余分な灯りを消してはどうだろうか?ローソンもファミリーマートもその他のコンビニもみんな、夜は営業を停止。真っ暗な中、織姫と彦星にちなんで、星空の下、恋人達が逢う・・・。なんてことにしたら、もっと盛り上がるかも・・・。■サルビア歳時記■・・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★7月1日*半夏生(はげしょう)のポチ団子 * UP・・・・・・・・・・・・・
2008.07.01
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