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1967(S42)年5月24日(水)晴 ★核心を避け重箱の隅を問題視する様な質問に、些か隔靴掻痒(カッカソウヨウ)の感 昨日今日と続き、『前頭取追悼録』製作に関する国税庁検査官の調査を受ける。 多額な弔慰金を受けているのだから、追悼録までも銀行で出版してやる必要はあるまい。 そう言う事は弔慰金の二重払いではないかというのが、今回の検査の根拠のようである。 配布方法や代金の決済処理など、微に入り細に渉り質問されたが、何しろ早一年前の事。 まさか銀行業務と直接関係ない事の検査等…と思っていたので、思い出すのに苦労する。 特に、特殊製紙で特漉させた本文用紙が、頭取の二度に渉る心変わりで、部数・頁数共、 大幅な削減を余儀なくされ、大量に余ってしまった点など、まともに説明も出来ず困惑。 そうした物の勘定処理なども大分突っ込まれてしまった。 だが今回の国税庁の検査では、何か核心をワザと避け、重箱の隅ばかり穿(ホジ)ってる。 そんな感じがした。 問題は、行員の退職金の低さに比し、皆驚く巨額弔慰金の支出を如何に扱うかでは…? こんな事では、とても当行のトップの公私混同ぶりは糺せない。 勿論、それは私たち国税庁の仕事ではないと言う事は分かっちゃいるんだよ。 でも我々行員は、こうした外部圧力によりトップの襟を糺させてもらいたい。 まあ、そんな虐げられし者の密かな希(ネガ)いが、フト妙な事を感じさせたのかも…。 (夫・誠)--------------------------------------------------------------------------------※(1967.5.24の日記余白、「昔・誠」書き込み記事)* 午後からT印刷へ 会長追想録の製作工程が予定通り進んでいるか、仕上がり状況を念のため確かめてくる。 --------------------------------------------------------------------------------1967(S42)年5月25日(木)晴 ★日照り続き 一雨ほしい今日この頃の日照り続き。 水撒きをしても10分と経たぬ間に干上がってしまう。 その上、比較的風が強いので廊下は直ぐザラザラになり、何度拭いても追いつかない。 雨が欲しい。 (妻・幸)********************************************************************************** 《付記》2004年3月31日の誠、日記再読所感 ☆核心を避け重箱の隅を問題視する様な質問に、些(イササ)か隔靴掻痒の感☆日照り続き (以下、後日執筆予定)
2004年03月31日
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1967(S42)年5月22日(月)晴 ★幸の投書“自分の力で生活に張りを…” ママさんモニター三ヶ月の経験を綴った幸の投書が、 また昨日の“くらしの声”欄を賑わす。 伊東から帰ったパパに、これを話しかけるママの顔は満更でもなさそうだ。 よって、以下その掲載文を切り抜き貼付しておくこととする。 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 《自分の力で生活にハリを》 私はこの三か月間、サンケイの社外モニターをやらせていただいた。 新聞を読んで毎日気の付いた点を書いて送るのが仕事。 それまでは、家事や子供の世話に追いまくられて、 ざっと新聞に目を走らせるのが精いっぱいの生活をつづけてきた。 ところがじっくり読んで批評し、それを文章にまとめなければならない。 判りにくい経済・社会問題について主人に説明を求めたのがきっかけで、 一つの記事について長時間、討議をかわしたこともあった。 しろうとはしろうとなりに、 紙面の構成はこんなふうに変えたほうが読みやすいとか、 ある事件を報道だけで終わらせず、 もっと別の面からも調査しては…などと述べているうち、 いっぱしの専門家になったようで、ウキウキしたものである。 どうやら三か月がたって、果して期待にそえただろうかという不安はあるが、 どちらかというと、ひっこみじあんであった私の心に、 有るていどの自信が生まれた。 主婦は何かと言うと主婦本来の仕事にアグラをかき、 別の世界の空気にふれることを嫌う。 多忙な割に単調な生活も、異質の仕事をすることによって、 気分転換になったり、精神的にハリが出てきたりする。 それまで、こどもに振り回されている状態では、 机に向かっている時間等とても生み出せないと、一人ぎめしていた自分が今ではおかしい。 「主婦よ、勇気を持て !!」である。 (静岡県沼津市S町〇〇〇番地 若水 幸 31歳 主婦) と、まあコウいった具合である。 自分の女房を自慢するのは亭主馬鹿そのものだが、夫婦日記の紙面に限定して言うなら、 最近の幸は、妻としても母としても人間としても、その進歩成長の程は驚くばかりである。 これも、この日記の一つの成果であろうと、私は密かに気を良くしているのである。 尚々、頑張ってくれやっしゃ !! (夫・誠)-----------------------------------------------※(1967.5.22の日記余白、「昔・誠」書き込み記事)* 外出がてら実家でカラーテレビ観賞 夕食後に買物がてら家族で外出。 実家に立ち寄り、ついでにカラーテレビを楽しむ。 とてもキレイで、一同大喜び。 幸も今日は非情に楽しかったようで御機嫌上々で帰宅。 *TR君より借用の珍本、複写完了 彼が秘蔵する限定本、『永井荷風「腕だめし」秘版伝』を、 返送に先立ちコピー保存。--------------------------------------------------------------------------------1967(S42)年5月23日(火)晴 ★短期モニター稼業で知った、定期的収入の有難さと快い緊張感 昨夜は色々と家計の事について考え始めたら、疲れきっているにも拘(カカ)わらず、 頭の方は冴えきってしまって眠れず、二・三時間しか眠れなかった。 ために、一日中頭が重くて辛い。 二美(ツグミ)も漸く一人遊びが上手になり、体の具合が悪い時や眠くなった時以外は、 あまりママの膝を必要としなくなった。 些か時間的・気分的に余裕が生じてきた上、サンケイ・モニターをやってみると、 僅かでも定期的収入の有る有難さや、心の緊張感の快さを知った。 何だか、働く意欲が沸々(フツフツ)と身中に漲(ミナギ)る感じの昨日今日である。 現在の生活は、毎月食べてコレだけの生活ができるのだから、文句があろう筈はない。 だがやはり、高額とは言わないが、少しずつでも余分の収入が得られたならば、 もう少し気分的に楽な生活が出来るに違いないと思う。(妻・幸)********************************************************************************** 《付記》2004年3月30日の誠、日記再読所感 ☆幸の投書“自分の力で生活にハリを” ☆短期モニター稼業で知った、定期的収入の有難さと快い緊張感 今日復刻した「古い日記」は、久々に再読した甲斐があったと感じた。 それは、「昔・誠」が幸の投書ソノモノを紹介した後で締め括った次の最後の4行に、 当時の私達が何だかだ言い合いながらも、如何に互いに励み励まし合い生きていたかが、 誠に良く示されているように思えた。 即ち、 >自分の女房を自慢するのは亭主馬鹿そのものだが、夫婦日記の紙面に限定して言うなら、 >最近の幸は、妻としても母としても人間としても、その進歩成長の程は驚くばかりである。 >これも、この日記の一つの成果であろうと、私は密かに気を良くしているのである。 >尚々、頑張ってくれやっしゃ !! (夫・誠) とある4行に込められた思いである。 それは、幸を励ます為の、些かの誇張や煽(オダ)ても感じられるが、 未だ若かった「昔・誠」が、幸をヨリ自分の理想の妻とすべく、 夫として実に懸命にリードしようとする姿とも思えた。 何か今こうして、ささやかながら幸せを感じて余生を生きる「今・誠」に、 「遥けくも来つるもの哉(カナ)」といった、 生きぬいた喜びのようなものを染々と自覚させてくれた。 今私は、晩酌も程よく効いた自己陶酔も加わってか、仄々(ホノボノ)とした読後感で感慨一入である。************************************************************************※参考事項★1966(S41)年の大きな動き★ 国内…国債発行による景気上昇の反面、消費者物価問題が深刻化。(通年 ) 航空機事故相次ぐ。下記4事故死者計371人(通年) 全日空機東京湾墜落(2月) カナダ航空機羽田空港着陸失敗(3月) 英BOAC機富士山上空で空中分解(3月) 全日空YS11型機松山空港で墜落(11月) 戦後最大の交通スト、公労協・交運共闘統一スト突入。(4月) 新東京国際空港を千葉県成田に閣議決定(7月) 自民党代議士・田中彰治、恐喝・詐欺容疑で逮捕(8月) 山口衆議院議長が東京大証事件に関連して辞任(12月) 世界…英国のビートルズが音楽で世界の寵児に(通年) 中国で文化大革命(通年)★1967(S42)年の大きな動き★ 国内…新宿西口広場が完成(1月) 日航が世界一周線の営業開始(3月) 富山県の奇病イタイイタイ病は三井金属神岡鉱業所廃水が原因 と学会発表(4月) ロータリーエンジン車を東洋工業が発表。自動車保有台数一千 万台を突破(5月) ワンマン宰相・吉田茂が死去。(10月…’89に戦後初の国葬) 那覇市で沖縄の即時無条件返還要求国民大会開催(11月) 消え行く都電。銀座線を廃止(12月) 世界…インドネシアのスカルノ大統領失脚(2月) アラブ諸国とイスラエル間に戦争勃発。スエズ運河を閉鎖。(6 月) 中国が初の水爆実験に成功。(6月) ボリビアでゲリラ闘争中の前キューバ工業相ゲバラが戦死。 (10月) 清朝最後の皇帝溥儀が死去(10月) ベトナム戦激化。米首都で十万人反戦集会のデモ隊が座り込み 。(10月) アラブ連合のアスワン・ハイ・ダムが発電開始。(11月)♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
2004年03月30日
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1967(S42)年5月20日(土)曇 ★SB君発案の『伊豆暦』出版計画検討のため伊東TR君宅へ… SB君が企画した『伊豆暦』出版計画検討のため、夕方列車で伊東へ向かう。 TR君からの召集によるものだが、三人三様で、各自の考え方に相違がありすぎた。 そのギャップは容易に埋まらず、とても片手間では需要層を魅了する事は難しいとの結論となる。 しかし、この事が好機となり旧友3人が土曜の夜、久々に硬軟取り混ぜた四方山噺に興じ得た。 実に楽しい限りで、旧交を温め合い真に有意義な時が持てた流れたと各自喜ぶ。 特にTR君の何時もながらの落とし噺には感心させられた。 この類の彼の落とし話は、あの三遊亭歌笑も顔負けだ。 『瓢六好色詩集』とでもして、私家秘蔵版の形で限定出版したら、 いずれ洛陽の紙価を大いに高からしめるのではなかろうか。(夫・誠)-------------------------------------------------------※(1967.5.20の日記余白、「昔・誠」書き込み記事)* SB君の『伊豆暦』案は断念。 折角SB君が起案した『伊豆暦』案だったが、需要見通し困難のため見合わせ。 その慰労を兼ね、旧友3人で久々痛飲。角瓶一本余を空け大いに気焔を上げる。* 本文補遺 本文の最終行から一行前に書かれた『瓢六好色詩集』の「瓢六」は、TR君のペンネーム。 又、この題名は西鶴の名著に肖(アヤカ)ろうと捩(モジ)ったつもりだ。--------------------------------------------------------------------------------1967(S42)年5月21日(日)晴 ★案の定、ウチの鉄砲玉亭主は伊東泊まり。でも、割り切れば何かサバサバ… 昨日は日記の如く、NH高校演劇部出身の名物男三人の集会。 だから初めから覚悟はしていた。 でも、もしかしたら…とも思った。 そしたら案の定の伊東泊まり…。 まあ、夜遅く帰ってきて、日曜日の朝いつまでも布団の中にいられるより、 返ってサバサバするが…。 早目にドンドン仕事を片付け、鱚(キス)釣り大会が開かれ賑やかな海岸を一寸お散歩。 ツ反応が陽性でX線撮影をした一菜(カズナ)の検査結果は、今のところ異常なしとの嬉しい診断。 しかし、特別反応を示しやすい体質だから、この一年は充分注意するように言われた。 このため、折角お散歩好きな一菜も意のままにならず、さかんに残念がっている。 少し太り気味のママも今年は水泳でもしてスマートになりましょうと思っていたのに、 お付き合いで残念。(妻・幸)--------------------------------------------------------------------------------※(1967.5.21の日記余白、「昔・誠」書き込み記事)* TR君に誘われ伊東へ。日帰りのつもりが泊まりに… SB君が『伊豆暦』出版を発案。 その企画検討のため今夜出て来いと、職場へ昨日TR君から召集電話。 発案者が他ならぬSB君とあっては、ともあれ「行かざーなるめぇ」、 …てな事で出かけたもの。 でも、この二人と呑み始めたら、途中で帰るとは言い出しにくくなって、心ならずも(ニヤニヤ)泊まってきたという訳。まずは平にご容赦を !!********************************************************************************** 《付記》2004年3月29日の誠、日記再読所感 ☆SB君発案の『伊豆暦』出版計画検討のため伊東TR君宅へ…☆案の定、ウチの鉄砲玉亭主は伊東泊まり。でも、割り切れば何かサバサバ… 既に、遥かな昔の事ゆえ、『伊豆暦』なるSB君の企画が如何なる内容だったかは忘れた。 だが彼は隣町の三島の産。しかも両親と居を共にしていた住まいは三島大社の直ぐ傍だった。 それゆえ中世の鎌倉時代から、同所の暦師・河合家が伊豆・駿河・甲斐・安房で専売を開始。 江戸時代には三島大社を中心に広く頒布され、明治維新まで東海道三島宿の街道土産として、 旅人の人気を集めていたと聞く『三島暦』。 そのの広域現代版を狙った企画だったのではと、今になって思う。 即ちソノ『三島暦』は、日本一古い地方暦として知られ、三島市が全国に誇る文化遺産なのだ。 新聞もテレビもない時代に、その独特な文字は細かく美しいことで知られる木版刷りだった。 もし彼が、その復権を策していたとすれば、違う視点で私も身の入れ方があったかも…。 正に「昔・誠」の浅学非才を嘆くべき企画を、惜しげなく没にしてしまったのかも…。(トホホ)
2004年03月29日
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1967(S42)年5月18日(木)晴 ★着飾った色トリドリの大供子供に、鳥達も好奇の目…? ルンビニ幼稚園の遠足で、一菜(カズナ)は今年もまた野鳥園に行けると大喜びで出掛けて行った。 尤も、これには付き添うママと二美(ツグミ)の方が、常々こうした機会に余り恵まれないだけに、 期待の程を感じさせていたのも微笑ましい。 お蔭様で、昨夜は“どの服が似合うかしら…”とママがファッション・ショーを繰り広げてくれた。 何せ衣装持ちゆえ、箪笥(タンス)からアレコレと引っぱり出して来ては、母娘で「ハイ、ポーズ !!」。 それこそ退屈する暇もない楽しさだった。(ニヤニヤ) 会社も昼休みの今頃は、野鳥園の鳥達が、自分達に負けじと着飾った色トリドリの大供子供に、 サゾ好奇の目で見惚(ミト)れていることであろう。 先ずはもって結構な平和な一刻(イットキ)と言うべきかも…。(夫・誠)1967(S42)年5月19日(金)晴 ★考えてみれば、女はつまらぬもの… 昨日は天候に恵まれて、上々の遠足日和であった。 だが、夕食を済ませてお風呂に入ると、急に疲労を憶えた。 初めての二美と一菜を連れたママ一人での遠出とあって、考えるだけでメランコリー気味。 でもこんな機会でもなければ堂々と外出するわけにもいかない為、思い切って参加した訳。 女は子供のこと以外は、何かと外出する機会も少ない。 現代は大分改善されたとは申せ、留守がちの主婦はマダマダ世間から良く見られない。 これが本当のところ。 考えてみれば、つまらぬもの…。(妻・幸)--------------------------------------------------------------------------------※(1967.5.19の日記余白、「昔・誠」書き込み記事)*一菜のツ反応異常 一菜のツベルクリン反応に異常があった由。 このため、念のためレントゲン撮影をさせる。********************************************************************************** 《付記》2004年3月28日の誠、日記再読所感 ☆着飾った色トリドリの大供子供に、鳥達も好奇の目…? (以下、後日執筆予定) ☆考えてみれば、女はつまらぬもの… (以下、後日執筆予定) *************************************************************************※参考事項★1966(S41)年の大きな動き★ 国内…国債発行による景気上昇の反面、消費者物価問題が深刻化。(通年 ) 航空機事故相次ぐ。下記4事故死者計371人(通年) 全日空機東京湾墜落(2月) カナダ航空機羽田空港着陸失敗(3月) 英BOAC機富士山上空で空中分解(3月) 全日空YS11型機松山空港で墜落(11月) 戦後最大の交通スト、公労協・交運共闘統一スト突入。(4月) 新東京国際空港を千葉県成田に閣議決定(7月) 自民党代議士・田中彰治、恐喝・詐欺容疑で逮捕(8月) 山口衆議院議長が東京大証事件に関連して辞任(12月) 世界…英国のビートルズが音楽で世界の寵児に(通年) 中国で文化大革命(通年)★1967(S42)年の大きな動き★ 国内…新宿西口広場が完成(1月) 日航が世界一周線の営業開始(3月) 富山県の奇病イタイイタイ病は三井金属神岡鉱業所廃水が原因 と学会発表(4月) ロータリーエンジン車を東洋工業が発表。自動車保有台数一千 万台を突破(5月) ワンマン宰相・吉田茂が死去。(10月…’89に戦後初の国葬) 那覇市で沖縄の即時無条件返還要求国民大会開催(11月) 消え行く都電。銀座線を廃止(12月) 世界…インドネシアのスカルノ大統領失脚(2月) アラブ諸国とイスラエル間に戦争勃発。スエズ運河を閉鎖。(6 月) 中国が初の水爆実験に成功。(6月) ボリビアでゲリラ闘争中の前キューバ工業相ゲバラが戦死。 (10月) 清朝最後の皇帝溥儀が死去(10月) ベトナム戦激化。米首都で十万人反戦集会のデモ隊が座り込み 。(10月) アラブ連合のアスワン・ハイ・ダムが発電開始。(11月)♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
2004年03月28日
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1967(S42)年5月17日(水)晴 ★愛妻弁当品評会に終わってしまったのは残念 今日のモーニングショーは、「サラリーマンの手弁当」についての特集だった。 十二・三人のサラリーマンが机上(キジョウ)に今日の弁当箱を開けて見せてくれたが、 ただ一人の人を除いて、すべて実に立派なものばかり。 カラーでなくとも、さも美味しそうと判る程だった。 テレビに出演するからと言うので、事前に情報が漏れた為の特別献立かもしれない。 …が、そこまで追求せず、お互いの品評会で終わってしまったのは残念だ。 わが家の御弁当の歴史も次第に築かれつつある。 けれど近頃は先立つものが些か不足しがちで、お弁当の方に思うほど予算が取れず残念。 なお勉強を重ねて、少ない予算で美味しいものが出来るよう努力しましょう。(妻・幸筆)--------------------------------------------------------------------------------※(1967.5.17の日記余白、「昔・誠」書き込み記事)*新聞のモニター記念万年筆が届き御満悦の幸ママさん 三ヶ月にわたるモニターのお礼として、サンケイ新聞から記念の万年筆が届く。 単にパイロット・ミニ1本だが、思いがけぬ記念品とあってママは何とも上機嫌。 早速コレを使って今日の日記を記し、「書きよい書きよい」と嬉しそうである。********************************************************************************** 《付記》2004年3月27日の誠、日記再読所感 ☆愛妻弁当品評会に終わってしまったのは残念 (以下、後日執筆予定)
2004年03月27日
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1967(S42)年5月16日(火)晴 ★オルガン教室へ通い始めた一菜(カズナ) 会長追想録の仕事も、後は納本を待って、梱包・発送を残すばかりとなった。 ところで、今度の機構改革による部屋変えで、編纂委員会だけ別区画となった。 何か体(テイ)の良い島流しにあったたような感じでもある。 この為、大の男が一人無聊(ブリョウ)を託(カコ)つといった昨日今日ではある。 ところで、今日から一菜(カズナ)がオルガン教室へ通い出した。 今の我家の経済状態からすると、この約1500円也の月謝は些か予算オーバー気味。 だが、本人が独習で結構弾きこなしてきた。 その熱心さに推され、パパは小遣いを毎月切り詰める事とした。 これから二年間、飽きることなく、しっかり頑張ってもらいたいものだ。(夫・誠)--------------------------------------------------------------------------------※(1967.5.16の日記余白、「昔・誠」書き込み記事)*夕食後、買物に外出 一菜のオルガン教室用通学鞄と、二美(ツグミ)の特大帽を買うため、夕食後に街へ皆で出かける。 ********************************************************************************** 《付記》2004年3月26日の誠、日記再読所感 ☆オルガン教室へ通い始めた一菜 (以下、後日執筆予定)
2004年03月26日
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1967(S42)年5月15日(月)晴のち曇 ★庶民の親以上に物分りが良くなった皇室の子育て 朝刊の所謂(イワユル)三面記事に裕宮(ヒロノミヤ)様がデパートへ御忍びで買物に行かれた模様が、デカデカと報道されていた。 特殊な環境の中での生活の為、社会科の勉強の為にもと計画したのだそうだ。 大きなロボットと怪獣図鑑を求めたということだが、近頃の社会の流行を子供はヤハリ敏感にキャッチしていると思った。 それにしても、昔は考えられなかった程、皇室は物分りが良くなったものである。 最近の一般家庭では、きっと子供が怪獣図鑑を欲しいといったら、黙って買ってやる人は少ないだろう。 何かというと、英雄物語や偉人伝などを読ませたがる風潮があるからだ。 これが一つの契機になって、今度は世の中に怪獣図鑑ブームが来るかもしれない。 全く何が幸いするか判らぬ世の中だもの。(妻・幸筆)********************************************************************************** 《付記》2004年3月25日の誠、日記再読所感 ☆庶民の親以上に物分りが良くなった皇室の子育て (以下、後日執筆予定)
2004年03月25日
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1967(S42)年5月14日(日)晴、遅くなって曇 ★庭にエアー・マット敷き、日光浴の休日を夢見たが…(トホホ) パパがレジャー用にと、銀行に来た出入り業者から買ってきたオート・エアー・マット。 その必要・不必要を巡り、昨夜は久々派手に夫婦論争。 そんな訳で、今朝は10時過ぎまで寝過ごす。 それから昼過ぎまで、庭の芝生の手入れをするママの手伝い。 本当は、買ってきたエアー・マットを庭に敷き日光浴の休日を夢見ていたパパだった。 でも、傍らで草むしりして働くママを無視する訳にもいかず、止む無くお手伝い。 尤も、ホンの草取りの真似事をした…といったところが、本当は適当な表現かも…。 まあ、「とんだ母の日だったわ!!」とでも言いたげなママの心は、とくと承知の介。 コチトラはコチトラで、「とんだ芝生の夢に変った休日」とボヤキたくなる心を抑え、 ともあれ家庭円満が第一と、まずはもって「相済まんこってした!!」と結んでおこう。 (夫・誠)--------------------------------------------------------------------------------※(1967.5.14の日記余白、「昔・誠」書き込み記事)*今日は「母の日」 私と幸、それぞれの母へ、旭園の菓子折一箱づつを、「母の日」の贈物として感謝のメッセージを添え届ける。********************************************************************************** 《付記》2004年3月24日の誠、日記再読所感 ☆庭にエアー・マット敷き、日光浴の休日を夢見たが…(トホホ) (以下、後日執筆予定)
2004年03月24日
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1967(S42)年5月13日(土)晴 ★幼稚園の先生の来訪で、母子共「ソワソワ・ワクワク」 昨日は幼稚園の先生の家庭訪問があった。 学校とは違って気は楽であるが、何時見えられるかと思うと仕事が手につかず、 半日イライラと過ごす。 ソノ上、例の一菜(カズナ)の友達が、沢山の仲間を連れて来て、 庭中を我が物顔に荒らしまわるので余計だ。 二美(ツグミ)が「イナバセンセ・イナバセンセ」と大歓迎。 親の目から見ると、まだまだ分からずやの子だと思っているのに、 先生の仰言(オッシャ)るには、「申し分のない子供さんです。」と言う事だ。 やはり集団の中では、いささか緊張しているのだろうか。 ついでに幼稚園に対して、「遠足の際のバスの乗降状態を何とか改善してほしい。」 そう註文を出しておく。 席の取り合いを子供の面前でするのは教育上良くない。 それに、第一、その為に無駄な時間を費やして、何時も出発時間が半時間近く遅れる。 丁度、遠足を間近に控えていることだし、どの様な処置をとって下さるのか楽しみだ。 (妻・幸筆)********************************************************************************** 《付記》2004年3月23日の誠、日記再読所感 ☆幼稚園の先生の来訪で、母子共「ソワソワ・ワクワク」 (以下、後日執筆予定)
2004年03月23日
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1967(S42)年5月12日(金)晴 ★総務部と庶務部が合体、新庶務部が発足 一昨日の予定が昨日になり又々今日になって、到々2日も遅れ「新庶務部」が引越し完了。 人事同様に、始終掻き回していないと気が済まない経営者が今度打ち出した機構改革で、 総務部と庶務部が合体、新・庶務部が発足したという訳だ。 即ち名前は「庶務部」で纏め、「総務部」の名で一体化していた昔に再び戻っただけの話。 そこで大所帯を一人の部長が一括管理する為、隣接していた両部の壁を壊し一部屋にしたのに、 新しい部室への什器配置図さえ満足に作れず、同じ机や書棚類を右往左往させられるばかり…。 恰も烏合の衆の引越しと言った有様で、事前に具体案を練ったM建築課長等の無能さを露呈。「本来なら2時間もあれば終わる作業が、何と延々8時間も続く結果となってしまった…」。 そんな恨み節が、アチコチから聞こえる一日であった。(夫・誠)--------------------------------------------------------------------------------※(1967.5.12の日記余白、「昔・誠」書き込み記事)*副頭取からの労(ネギラ)いと、それとない異動予告に思い交々(コモゴモ) I 副頭取に今日、所用で呼ばれた時、 「もう直ぐ会長の追想録も出上がり、いよいよ君の仕事も終わることになったなぁ。 “本当に長い間ご苦労さん”」と言われる。 思い交々なれど、先ずは何か救われた気持ちがした。 「終わったら行内誌の編纂でもやってもらおうか…」と言うので、 「多忙な毎日を送る営業店の仲間達に申し訳ないし、現業へ戻り一から覚え直せたら…。 と答えておく。 尤も、正直なところ今更現業に戻っても今浦島さながら。周囲に迷惑かけるだけとも思う。 そんな私の不安を副頭取は見抜いているようで、 「君の才能は本部で育てた方が良いと思うんだが…」とも言っていた。 まあ、どうせお偉いさん方の恣意に従う他ない私。ドチラと言っても仕方あるまい。 が、苦労を労う心が本当なら、せめて少しでも生活が安定できるようにして欲しいものだ。 ********************************************************************************** 《付記》2004年3月22日の誠、日記再読所感 ☆総務部と庶務部が合体、新庶務部が発足 (以下、後日執筆予定)
2004年03月22日
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1967(S42)年5月10日(水)雨 ★日本に相応(フサワ)しい形での新社会主義国家誕生を希って“共産党大進出におののく京都市民”。 こんな大見出しが今日発売の『週刊現代(5/18)』の広告に目を引いていた。 なんとセンセーショナルなタイトルを付けたものだと思う。 まあ確かにソレ自体、保守万能の日本においてはショッキングな事に違いなかろう。 だが、京都市民の大半が、こうした体制を欲して投票したのだ。 それゆえ少なくとも京都市民だけは、慄(オノノ)くどころか、喜んでいる人が多い筈だ。 真に慄いているのは、こんなに騒ぎ立てて人心を不必要に煽り立てる、 この週刊誌の発行元、“講談社”のブルジョワ経営者であろう。 日本で始めて市内電車を走らせ、インク・ラインを建設した京都市民は、今また新たな時代を欲している。 私は楽しみに、この革新府政の前途を眺めたい。 そして、このきじのオーバー気味のサブ・タイトル、 “「1970年革命の拠点」とまで言われて…”の実現を心ひそかに期待したい。 勿論、際限の無い極悪な汚職の垂れ流しや、お上思想の横行を排する策を講じた、 日本に相応しい形での新民主社会主義国家誕生を希って。(夫・誠筆)1967(S42)年5月11日(木)雨 ★記す事もない一日 平々凡々なる一日。さして記すことなく一日を終わる。 (妻・幸筆)********************************************************************************** 《付記》2004年3月21日の誠、日記再読所感 ☆日本に相応しい形での新社会主義国家誕生を希って (以下、後日執筆予定) ☆記す事もない一日 (以下、後日執筆予定)
2004年03月21日
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1967(S42)年5月9日(火)曇のち小雨 ★幼稚園講座『現代っ子の躾(シツ)け方』に思う 昨日は汗ばむ程であったのに、今日は又セーターが恋しい程の陽気。 まことに近頃は馬鹿げた天候である。 幼稚園で『現代っ子の躾け方』と言う講演会が開かれたが、朝から体がだるくて仕事が思うにまかせない。 朝の日課がナカナカ渉らなかったので、大分遅刻してしまった。 ソノ上、二美(ツグミ)が余り良い子にしていてくれなかったので、せっかくの話の内容はチンプンカンプン。 つまり、 「現代の子供たちの周囲には余りにも刺激する物がウヨウヨしすぎている。 大人が早くから何か教え込もうとすると、変にマセた奇形児に育ってしまう。 だから、出来るだけ子供らしさを失わせないように自我の発達を待って、 自分で判断が出来るようにしてやらなければいけない」。 まあ、そう言う事らしい。 分かりきった事であるが、やはり自分の子供の場合に当てはめると、 少しでも他の子より上になってくれという願いから、親は直ぐに手を貸したがる。 即ち、早い話が「親馬鹿チャンリン」なのである。(妻・幸筆)--------------------------------------------------------------------------------※(1967.5.9の日記余白、「昔・誠」書き込み記事)*「ガソリンって、なぁ~に?」 二美(ツグミ)が急に、 「パパ、ガソリンって、なぁ~に?」と聞く。 ハテサテ、何と説明すべきかと戸惑っていると、 一菜(カズナ)がソバから、 「自動車のゴハン」と助け船を出してくれる。 まことに子供ならではの“ご名答 !!”と感心。********************************************************************************** 《付記》2004年3月20日の誠、日記再読所感 ☆幼稚園講座『現代っ子の躾け方』に思う (以下、後日執筆予定) ☆「ガソリンって、なぁ~に?」 (以下、後日執筆予定)
2004年03月20日
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1967(S42)年5月7日(日)晴 ★GW(ゴールデン・ウィーク)の最後は何と又もパパの宿直でアタフタ ゴールデン・ウィーク最後の休日は朝から雨。 おかげで一日ゆっくり過ごせると思っていたが、パパが今夜宿直とあってソウも行かなくなった。 何しろ4時には家を出るということなので、夕食は早目に済まさねばならない。 それまでに、バパが急に思い立って始めた壁紙貼りを一緒に手伝って片付けねばならず、 午後からは忙しい時間となってしまったという訳。 今年はなるべく倹約をと心がけてきた。 その為、このゴールデン・ウィークは出来るだけ慎ましくをモットーにしてきた。 そんな思いの我家だけに、今日の雨は、無駄金を一銭も使わずに済み何よりだったかも…。 (妻・幸筆) 1967(S42)年5月8日(月)晴 ★宿直の夜に旧友SB君来訪 昨夜10時頃、銀行で宿直をしていると、旧友のSBから電話があり、 「これから大阪へ出張するところだが、明朝までに着けばよいので途中下車した」と言う。 だが、コチラは生憎と勤務中。 遥々訪ね来し友だが、酒を酌み交わす事も無く、2時間ほど受付の小部屋で人生論など語り合い別れる。 そんな訳で今朝は些(イササ)か起床が辛かった。 オマケに、人の気も知らぬ常傭のFさんが五時半にやってきて、ガラガラとシャッターを上げて廻る。 ウトウトとした明け方の夢を突如叩き破られ、これには何時もながら全く閉口させられる。 宿直室のシャッターは後で私が開けるからと言っても、逆にムキになるだけなのは毎々体験済み。 そのガンコ小父さんぶりが分かっているだけに、言うだけ野暮で始末が悪い。 まあ、今夜はユックリ休もうと諦めて、寝床を離れる。「ああ、シンド !!」 (夫・誠)********************************************************************************** 《付記》2004年3月19日の誠、日記再読所感 §1.気になる事 今日も又々、「付記は後日折を見て…」と横着を決め込もうとも思った。 だが付記なしだと、味付せず素材だけ皿盛りした侭のようで、筆者自身何とも味気ない。 幸い今日は楽天の動きもスムースで、昼食後ひと書きして本文は書き終えた。 それで、気になっていた幾つかを補足しながら、久々に「古い日記」の所感も…と思う。 サテ、気になっていた事の第一は、親友で愛読者のUC君から先頃コンナ電話を貰った事だ。 「どうも、付記を書かなくなってからの『古い日記…』は面白くない。 書いてる暇が無いなら、無理して書かないほうが良いのでは…。」 こういった彼の助言に迷いつつ、付記なしの『古い日記…』を今も書き続けているのだから…。 この件では特に内容が37年も前に書かれたもの。しかも私が突然陥った奈落の底に呻吟していた時だ。 言わばコノ日記は、そんな日々の哀しみや憤りをジッと堪えるための涙壷であり痰壷であったと思う。 だから、それなりの背景説明なくして、コンナ内々ゆえ書き殴った毒舌文を生のまま目にしたら、 いかに温厚寛容な読者も驚き呆れ、「昔・誠」のみか「今・誠」の人格さえ誤解されかねないのでは…。 何か、そんな気もしてならない。 又、気になる事の第二は、これと表裏一体の問題として、特に付記も一緒に書く必要を感じた記事の事だ。 それは去る3月14日のコノ楽天日記で、『No.334「ガシ犬頭取(1967.4.28《♂35♀31》)」 』という記事。 実は、『★空威張りする割に意気地のない頭取』というサブ・タイトルそのままに毒気の多い内容なので、 この記事が書かれた憤懣やる方なき背景や怒りを一気呵成に殴り書きし、自己の心の爆発を避けたもの…。 要は、そんなウサ晴らし的な役割をコノ夫婦日記が果してくれたからこそ、今の平和な老後が迎えられた。 そういった付記の下書きをも含め、当日半日掛けて書き上げ、楽天日記に本文と併せて掲載しようとした。 だがソノ拍子に又々楽天がフリーズ。挙句の果てに何故かドロン !! そんなコンナで、本文を再度書き直すだけの気力しかなくなり、そのまま横着を決め込んでしまった次第。 ともあれUC君の助言の如く、今の侭では古い日記としての面白味も半減だし、何かと誤解を受けやすい。 書く以上は適当に味付けは欠かせまいが、それには終日この日記に掛かりきりになろうと悩む「今・誠」だ。 まあ、これからは不定期日記となるかもしれないが、乗りかかった船。暫時このまま復刻を続けようと思う。 §2.☆GWの最後は何と又もパパの宿直でアタフタ 最近復刻した古い日記を読むと、何だか幸が書いた記事には、モットーの「節約」の文字が妙に目に付く。 「まるで何か明日にでも夜逃げしそうなゲルピン夫婦だなぁ」と、思われた訪問者も多かったかも…。 入行時は10,000円にも満たない給料だったから、20,000になるまでは結婚しないと宣言していた三男の私。 この当時、私の月給が幾らだったか確かな事は憶えていないが、多分15,000円くらいだったと思う。 ところが両親も兄夫婦も、半ば居候の私を早く分家させて肩の荷を下ろしたがっているようだった。 そこへ、嫂(アニヨメ)が持ち込んだ幸との見合い話に乗れば、借地上だが両親の隠居所を私に譲り、 かつ、嫁さんとなった幸が商店である実家で共稼ぎする事で、安定した新婚生活が出来る筈と提示された。 まあソンナ話を信じOKした私だったが、イザ結婚してみると嫂が幸の共稼ぎに裏で異を唱え始めた。 その本心は、姑の母だけでも煩いのに小舅の嫁まで年中一緒では肩が凝るといった所にあるようだった。 結局これがトンダ目算違いで、肉親同士だからとの口約束が争いの元となり、後々まで尾を引いた。 ともあれ、こんなスタートだったから、子供が増えるにつれて家計は次第に苦しさを増しタイト化して、 当初の予定以上に節約をモットーにせざるをえなくなった訳だ。 勿論そうは言っても、将来に備え相当無理した給料天引きの心算貯金をしていた事も一因ではあった。 ともあれ、そうした背景が、この日も、幸の日記の結びの三行に反映されたともいえよう。(トホホ) §3.☆宿直の夜に旧友SB君来訪 この話に登場する旧友SB君というのは、昨年末の日記で再々触れた高校時代のクラスメートの事だ。 夫婦日記に寄せる私の夢を聞き、フジテレビに売り込んだ演劇部時代の盟友でもあった。 その彼の事は、もしかしたら、これまでの日記では単にS君という仮名で登場させていたかもしれない。 当時彼は、確か東京のビルの一室を借り著名な新劇人の演劇講座のテープを製作販売していた様子。 大阪へ出張というのは、多分コレを関西の学校の演劇部の教材として売り込みに行く途中だったかも…。 それとも、関西の著名な演劇人に講座出演の交渉に出かけるつもりだったのか…、等と回想された。 ともあれ、あの頃は毎月一度くらいは東京から顔を見せていたものだ。 それで私も、彼から聞く最新の演劇情報や都会事情を聞くのが楽しみで、来ると夜更かしとなった。 子供達も彼に良く懐き、あの黒い笑顔が大好きで、「野良黒のオジサン」と何時も慕われていた。 当時の我家の居心地が、余程良かったのかも…。
2004年03月19日
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1967(S42)年5月4日(木)晴 ★最終所感は、二人合作で「コラム“ベトナム少年兵”を褒める」の評 三箇月に亘ったママさんモニターも愈々終りだ。 このため今日は、終り良ければ全て良しと夫婦二人の合作とし、 「“コラム・ベトナム少年兵”を褒める」の評」を書く>。 ベトナム戦線へ送られた18歳の少年兵が、麻薬煙草所持で日本の警察に捕まった。 勿論、休暇で我が国へ立ち寄った際の出来事である。 「麻薬煙草を吸わなくては、怖くて戦場に戻れない」と告白するコノ少年兵。 ソノ言葉を中心に、若者を戦争が如何に狂気に駆り立てるかを説いている。 そして、平和以外にコレを解決する方法がないと結んだ筆者の意見に、全く同感だとした。 モニター終了の日にあたって、他にも二・三題材が無いでもなかった。 しかし、今後も平和の問題を最重点に扱ってもらいたいと、このコラムに焦点を絞る事にした。 ともあれ、どんなに忙しかろうと眠かろうと、終始いい加減な記事は書かず二人とも良く頑張った。 3ヶ月間、お互い本当にゴクロウサマ !! (夫・誠)-------------------------------------------------------------------------------- 1967(S42)年5月5日(金)◎子供の日 晴 ★モニターの完了で、「今後のヘソクリ策、どないしょう !?}」と戸惑う サンケイのモニターも期待に沿えたかどうかという不安は残るが、充実した三箇月であったと思う。 たった一ヶ月3000円の収入ではあったけれど、貴重なヘソクリになった。 それに、主婦の本来の仕事以外に責任を持たねばならない仕事を持つ事は、 平凡な毎日にメリハリをつける意味でも良い経験だった。 しかし正直言って、もうヘソクリが出来なくなるのかと思うと一寸淋しい。 たとえ千円でも良いから定期的に余分な収入を欲しい。 昨晩はソンナ事を考えて中々寝付かれなかった。 内職をしたい。安定所へでも出かけて探してもらおうか…。 それともパパの反対を押し切って、軍手の会社の内職をやってみようか。 今は見栄をはっているいる時ではないんだもの。 色々考えあぐんでいたら1時を過ぎてしまった。(妻・幸筆)--------------------------------------------------------------------※(1967.5.5 の日記余白、「昔・誠」書き込み記事)* 先立つものなく、欠伸の連続で終わったゴールデン・ウイーク 今日は子供の日。 パパは、車のお掃除。 ママは、お洗濯。 終わると二人共、 「アーァ、アーァ」と大欠伸(アクビ)の連続。 思わず顔を見合わせ笑ってしまう。 暇はあれども先立つものなしの一日、 否、1週間だったと言うべきかも…。--------------------------------------------------------------------------------1967(S42)年5月6日(土)晴 ★幸の内職願望に一言 幸が最近アルバイトをしたいという意欲に燃えている事は、 それ自体、労働の価値や尊さに目覚めた人間の厚味やフレッシュさ感じさせ喜ばしい。 尤も、だからと言って、決して幸が今迄そうした事に全く無関心だったと言う訳ではない。 要は、積極的に自分の労働を収入に結び付けたいと願う態度の変化である。 だが、ここで私は幸に、もう一段の進歩を望みたい。 それは自分に一番相応(フサワ)しく、かつ自分の能力をヨリ高く育てるような仕事を選ぼうという意欲だ。 職業に貴賎はないが、前述した意味での選択を誤ってはならない。 幸い、我家は今日・明日の生活に事欠く状態ではない。 「武士は喰わねど高楊枝」とも言うではないか。 焦らずにジックリと機会を待ってほしい。(夫・誠) ********************************************************************************** 《付記》2004年3月18日の誠、日記再読所感 ☆最終所感は、二人合作で「コラム“ベトナム少年兵”を褒める」の評 (以下、後日執筆予定) ☆モニターの完了で、「今後のヘソクリ策、どないしょう !?}」と戸惑う (以下、後日執筆予定) ☆幸の内職願望に一言 (以下、後日執筆予定)
2004年03月18日
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1967(S42)年5月3日(水)《祝日/憲法記念日》 晴 ★Yさん母子共々有意義に楽しんだ好天の祝日 午前中はブラブラと過ごしていたが、 あまりにも好天気に恵まれ、家の中にいるのが勿体無いと、 吉原の海岸へ、Yさん母子を誘って出かける。 先立つものがないのでパンを買い込んで出かけたのであるが、 いつも見慣れている千本浜と違って、ずっと広く続く砂浜に子供達は大喜びで飛び回り、 どんなにお金を使ったレヂャーより有意義に楽しめた。 その上、夕食をYさん宅の御好意に甘えたので、 節約第一と言う我家のモットー(?)も、存分に発揮された祝日となった。 (妻・幸筆)--------------------------------------------------------------------------------※(1967.5.3の日記余白、「昔・誠」書き込み記事)*田子の浦を訪れて Yさん母子を誘い久々に田子の浦海岸へドライブ。 沼川放水路の水門近くに車を止め,砂丘の上で昼食とした。 田子の浦に うちいでてみれば 白妙の 富士の高嶺に 雪はふりつつ この山部赤人の一首が、此処へ来ると何時も思い出される。 美しい富士を背に嬉々として遊ぶ子供達を見守りながら、 暫時、万葉の昔のごとく夫々ノンビリと祝日の午後を楽しむ。 田子の浦港では、丁度入港中だった『富士丸』を見学。 この船は、先年、父母が沖縄戦の犠牲となった長兄慰霊の為、 玉砕の地に出来た慰霊碑墓参団に加わり渡航に利用した船だ。 帰途の海が荒れ、辛かった話をフト思い出しながら船内を巡る。 夕食はYさん宅でカレーライスを御馳走になり帰宅。 (夫・誠筆)*********************************************************************************《付記》2004年3月17日の誠、日記再読所感 ☆Yさん母子共々有意義に楽しんだ好天の祝日 (以下、後日執筆予定)※(日記余白、書き込み記事所感)*田子の浦を訪れて (以下、後日執筆予定)
2004年03月17日
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1967(S42)年5月2日(火)雨★改めて知る、この夫婦日記での触れ合いの大切さ この数日来の日記を振り返り、我々がこの紙面を通じ触れ合う事の、如何に大切かを改めて知った。 幸の言うように、今後もお互い努力を怠らず調和を図って行きたいと思う。 そこで、今日は先日フト目に触れた『婦人公論(5月号)』の記事の一つについて、所感を記したい。 それは「愛は対話によって高められる」と題した一文である。 法政大学教授・福田貞義氏(哲学)の筆になるものだが、その中で筆者がコンナ事を言っている。 「対話といえば、岡潔 対 小林秀雄と言うような、偉い人間同士の対談のようなものと思い誤られる懼れがある。 確かに偉い人も対話をすることができるが、今日必要なのは、平凡な人間同士の対話である。 … (中 略) … たしかに、 愛はセックスで確かめられるだろう。 だが、それ以上に、愛は対話によって確かめられる。 しかも、そればかりではない。愛は対話によって高められるのである。 それは、対話が愛し合う個人個人を高めるものだからである。 … (中 略) … 私たち日本人は他人同士の話し合いが下手くそなのだ。 ではどうして、そうなっのだろうか。 その原因の一つは,貧乏と、それに由来する多忙である。 僕がある中級サラリーマンの奥さんに夫婦の対話の必要性を説いた時、彼女は、 “夫と話をする機会は殆どない”と言いきった。 … (中 略) … “でも、私たちは、話し合いが出来ないことを不満にも思いません。 夫婦と言うものは、ものを言わなくっても分かり合えるものなんじゃないですか” この考えは、別に間違がっているわけではない。 少なくとも、今日の日本の社会事情に正しく対応した考えである。 だが、それは、夫婦が話し合わずとも理解しあうことが, 美徳とされていた封建時代の家庭観と、 たいした違いのない考えでもある。 だから、この考えは当然、消極的なマイ・ホーム主義におちいる。 私たちの社会や文化が今どんなふうになっているか、ということは、どうでもいいことになるからだ」と…。 これを読んで私は、実に同感同憂を禁じ得なかった。 勿論、ここに引用した部分だけでは到底筆者の思想を他に伝えうるものとは思えない。 だが、私共がこの夫婦日記を始めた理由を、実に見事に代弁してくれているように思えたからである。 そしてコノ一年を振りかえり、私共はこの日記形式での夫婦の対話ということの意義を確かめ合った。 だからこそ、たった一年と言う経験の浅さも省みず、 幸は我々二人だけの日記の秘密を、新聞のコラムを通じて公(オオヤケ)にした。 又、私は私で、逆にコノ家内の蛮勇に教えられ、この事柄の真の意義の認識を深めるに至った。 つまり、「バクさんの夢」と銘打って、大きな運動に発展させようと志したと言う訳である。 尤も、今この運動は、吾が一石の意義を理解し得ないマスコミの優柔不断さに禍され一頓挫中。 実に口惜しい限りだと思う。 しかし此処に至っては、何も、そう焦ることもあるまい。 気が向いたら一度この筆者・福田定良氏に、吾が思いの丈(タケ)を手紙に書いてみるか…。(夫・誠)********************************************************************************* 《付記》2004年3月16日の誠、日記再読所感 ☆改めて知る、この夫婦日記での触れ合いの大切さ (以下、後日執筆予定) ************************************************************************※参考事項★1966(S41)年の大きな動き★ 国内…国債発行による景気上昇の反面、消費者物価問題が深刻化。(通年 ) 航空機事故相次ぐ。下記4事故死者計371人(通年) 全日空機東京湾墜落(2月) カナダ航空機羽田空港着陸失敗(3月) 英BOAC機富士山上空で空中分解(3月) 全日空YS11型機松山空港で墜落(11月) 戦後最大の交通スト、公労協・交運共闘統一スト突入。(4月) 新東京国際空港を千葉県成田に閣議決定(7月) 自民党代議士・田中彰治、恐喝・詐欺容疑で逮捕(8月) 山口衆議院議長が東京大証事件に関連して辞任(12月) 世界…英国のビートルズが音楽で世界の寵児に(通年) 中国で文化大革命(通年)★1967(S42)年の大きな動き★ 国内…新宿西口広場が完成(1月) 日航が世界一周線の営業開始(3月) 富山県の奇病イタイイタイ病は三井金属神岡鉱業所廃水が原因 と学会発表(4月) ロータリーエンジン車を東洋工業が発表。自動車保有台数一千 万台を突破(5月) ワンマン宰相・吉田茂が死去。(10月…’89に戦後初の国葬) 那覇市で沖縄の即時無条件返還要求国民大会開催(11月) 消え行く都電。銀座線を廃止(12月) 世界…インドネシアのスカルノ大統領失脚(2月) アラブ諸国とイスラエル間に戦争勃発。スエズ運河を閉鎖。(6 月) 中国が初の水爆実験に成功。(6月) ボリビアでゲリラ闘争中の前キューバ工業相ゲバラが戦死。 (10月) 清朝最後の皇帝溥儀が死去(10月) ベトナム戦激化。米首都で十万人反戦集会のデモ隊が座り込み 。(10月) アラブ連合のアスワン・ハイ・ダムが発電開始。(11月)♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
2004年03月16日
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1967(S42)年4月29日(土)小雨、のち晴 ★本家でのカラーテレビ観賞で過ごした連休初日 ゴールデンウイークの出発。 だが午前中は小雨で夕方近くになり、嘘のように晴れ上がり暑くなってきた。 これでは明日の人出は相当なものになるだろう。 我家は安上がりにと、本町宅へカラーテレビを見に行く。 尤も本音を言うと、半分はパパのお付き合いといった按配。 でも、結構楽しんできた事も事実。(妻・幸筆) 1967(S42)年4月30日(日)晴 ★口の悪いウチの奥方も楽しめたらしい、清水町・泉の養鱒場でのバカンス 普通の人間なら、十人中九人は喜ぶに決まっている事…。 例えば、 ドライブに出掛けたり、 美味しいものを食べたり、 面白いものや美しいものを見たり…といった機会を与えられた時。 まず滅多にウチの奥さんは、素直に楽しかったと言う事がない。 そればかりか、反って損をしたようにも聞こえる言葉さえ発する。 私にしてみれば、家に引篭もりがちな主婦や子供達の立場を考え、計画し行動しているつもりだ。 それだけに、こういう態度をされると、実に遺憾の極みだと言うほかはない。 さて今日は連休2日目。 H町の実家から、母と甥のSK(次兄の長男)の二人を加えた都合6人で、お昼から近郊のドライブをした。 行った先は清水町・泉の養鱒場だったが、これが珍しく中々の大好評。 何しろ、釣り糸を垂らすや否や、アッと言う間に大物が次々と3匹も掛かる。 でも、吊り上げたものは全て買わねばならないのが此処のルールだ。 だから好い気になって釣っていたら、コチトラの財布が空になることは必定。 まあソウ言う訳で、早々にコレを料理してもらって昼食とした。 もちろん自分達が今釣り上げたばかりの鱒の刺身だ。「生き作り」の言葉どおり新鮮ソノモノ。 甥のSKを始め皆「美味しい美味しい」の連発であった。 代金の千五百円也はチト高いようにも思えたが、この物価高の時代だ。 休めて、遊べて、味わえて、更に土産から明日の弁当のオカズまで揃うとあれば、先ず上々。 バカンス経済学的見地から考えても、実に充分なる効用と言えよう。 屁理屈はともあれ、久々のドライブに我家の可愛い姫様二人もスッカリ御機嫌。 日ごろ口の悪い吾が奥方まで、今日はどうやら「楽しかったわぁ」との声を聞く。 フフフ、まさかソノ為では有るまいが、「夜半から明日にかけ春の嵐になる怖れあり」と、先刻のニュースが報じていた。 クワバラクワバラ…。(夫・誠)1967(S42)年5月1日(月)雨のメーデー ★人の性格云々するばかりの誰かさんの性格 率直に言葉を受け入れない自分の性格をたてにして、褒めれば、それが逆にとられて、「春の嵐が訪れる」などと茶化す。 人の性格を云々するばかりで自らを省みないのも誰かさんの性格ではなかろうか。 しかし穏やかな春の小雨で静かな時を今日は送れたのはどうしたことか。 お店にカラーテレビが入ってこの二・三日、毎夜入りびたりになって楽しい時を過ごしている誰かさん。 そのくせに、余り註文を付け過ぎているのではないかしら。 色気のある物に魅かれるというなら、少し色狂いの気ありかしら。 とにかく、ここのところ少し気分的に食い違いの気味があると思う。 せいぜい努力し相和させたいものである。(妻・幸筆)********************************************************************************** 《付記》2004年3月15日の誠、日記再読所感 ☆本家でのカラーテレビ観賞で過ごした連休初日 (以下、後日執筆予定) ☆口の悪いウチの奥方も楽しめたらしい、清水町・泉の養鱒所でのバカンス (以下、後日執筆予定) ☆人の性格云々するばかりの誰かさんの性格 (以下、後日執筆予定)
2004年03月15日
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1967(S42)年4月28日(金)雨 ★空威張りする割に意気地のない頭取 出勤前の慌しい朝の一時(ヒトトキ)を割いて市議会議員選挙の投票に充てる。 この一票が市政を些かなりと浴する事が出来ればと、空しい希望を託して…。 午後、日本一のロクデナシ頭取の指示で、前会長夫人の写真の寸法を測りに行く。 本宅の仏間に掲げてある他の写真と合わせて引き伸ばせという事だったので、実測して来て欲しいと秘書課に頼んでおいた。 だが、一週間ほどして漸く測って来てくれた寸法が何とも疑わしい。 実は写真屋から全紙判の規格寸法より10cmも長いが間違いないかという念押しがあり、秘書課に再確認を依頼した。 ところがアアだコウだと逃げてばかりいて一向に埒(ラチ)が明かない。 仕方なく自分で遥々出かけて行って計尺したところ、やっぱり写真屋の言うとおりだった。 そのまま信じて引き伸ばさせたらエライコッチャ。それこそデカイ雷さんを落されたかも…。クワバラ、クワバラ !! それにしても全くアテにならない無責任な人間ばかり、そうした連中を威張り腐らせている現状は、いかにもロクデナシ頭取らしい。「悪くもない人間をクビにしたりして、己の権威を誇示しようと空威張りすることしか出来ぬ男…云々」 と、銀行頭取としては日本一の若さの弱点として挙げ、そのロクデナシぶりをクサス声が次第に強くなってきている昨今ではある。 それを彼も意識していると見えて、停まっている車のドアもロックさせて、恨みのある者に奇襲されないようにしていると言う。 知らない者が聞くと本気にしないが、彼のお抱え運転手のSTさんから直(ジカ)に聞いた話だから間違いない。 又これは私の秘書時代の事だが、SY寮に頭取用の宿泊室を作らされた事があった。 前頭取が急逝し世襲が決まった直後の事ではあったが、ここを数ヶ月利用する際に、夜、枕元に木刀を用意させられたものだった。 だからS運転手のコンナ話を聞き、そんな事を改めて考え「さもありなん」と相槌(アイズチ)を打った私だった。 つまり頭取という肩書を背負って鯱張(シャチホコバ)ってはいるが、コノOKと言う男は、空威張りする割には小心者で意気地が無い。 本質的には大変な臆病者で、その自分の弱点を見せぬため、必要以上に威張り散らしてみせるのだと私は思う。 尤もソレダケに使われる者にとっては始末が悪い。 誰にでも弱みを見せまいと猜疑心に駆られているキチガイに、生殺与奪の刃物を持たせたようなもの。 実に包容力の無い、迷惑千万な存在の男が世襲者として居座った訳だ。(夫・誠)--------------------------------------------------------------------------------※(1967.4.28の日記余白、「昔・誠」書き込み記事)*車のワイパーが故障。どうもモーターが焼き切れたようだ。*********************************************************************************** 《付記》2004年3月14日の誠、日記再読所感 ☆空威張りする割に意気地のない頭取 (以下、後日執筆予定)
2004年03月14日
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1967(S42)年4月27日(木)晴 ★市議会議員選挙で珍しく仲人さん来訪 洗濯物を干していると、仲人(ナコウド)をしてていただいたSJさんの御主人が直々お見えになった。「明日はよろしく」と名刺を置いて行かれる。 結婚式の時以来お会いしたことがなかったので恐縮してしまった。 明日は市議会議員選挙。「最後のお願いに参りました」という声にも一段と力が入っている様に思える。 だが、「清潔な男、沼津市に無くてはならない男。力のある男です」 には吹きだしてしまう。 文句通りの男性だったら沼津市も、もう少し住み良い町になっていただろうに…。 一寸町中を外れると、もうデコボコ道。 雨が降ると直ぐ氾濫(ハンラン)する下水。 市営の幼稚園の設置等々。 もっと生活の根本を見てもらいたいものだと思う。 先日の朝日新聞の投書欄にコンナのがあった。“東京都知事候補者「みのべ」は当選して「美濃部」に変った。 都民から一歩かけ離れてしまったような感じだ”。 …これは御本人よりもマスコミの態度を批判したものである。 とかく、選挙中は低姿勢だが、当選した後はガラリ一変。 先生然として掌かえした態度をとる人も居ることを、暗に仄(ホノ)めかしているとも読めた。 (妻・幸筆)*********************************************************************************** 《付記》2004年3月13日の誠、日記再読所感 ☆市議会議員選挙で仲人さん来訪 (以下、後日執筆予定)
2004年03月13日
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1967(S42)年4月25日(火) 晴★夏も近付き、駿河路に新茶サービス始まる 菜種梅雨の時期はもう上がったのか、日中、力仕事をすると汗ばむほどの陽気となった。 テレビのニュース・ショーでは、今年も静岡駅に恒例の新茶サービスがお目見えした事を報じていた。 当地では、これを期に初夏の訪れを知ると言っていた。 まあ、初夏には未だ一寸間がある感じだけれど、本当に麗(ウラ)らかな陽気だった。(妻・幸筆)-----------------------------------------------※(1967.4.25の日記余白、「昔・誠」書き込み記事)*お気に入りだったYT(a)調査役の厄日 庶務部の中では、新頭取の一番お気に入りと思われていたYT(a)調査役が、今日は珍しく元気が無い。 なんでも毎春入校式が済むと直ぐ作製させられていた「新入行員への頭取訓示」という小冊子が原因らしい。 昨日、直々頭取から呼び出され東京本部へ出張したが、「仕上がりが遅い!!」と凄い雷を落された由。 テープからの文章に書き上げる段階での遅れもあろうが、T社での印刷段階での遅れが、どうも主因の様子。 オマケに傍系会社への出向を宣告されたとかで、いつも笑顔の先輩が青菜に塩といった感じで実に気の毒だ。 気紛れで我侭な超ワンマン頭取らしい事だが、もし言葉通りの人事が実行されるなら余りに先輩が可哀そう。 家も借金で新築したばかりだし、奥さんと共稼ぎとは言え、今後が思いやられ昨夜は眠れなかったであろう。-------------------------------------------------------------------------------- 1967(S42)年4月26日(水) ★又々待ちぼうけのボヤキ節 朝からT印刷へ出張校正。 何時もの事ながら、又々3時間余もゲラの出るのを待たされる。 何て手順の悪い事かと腹が立つ。こんな事だから、この会社は儲からないのだとさえ思う。 社長の奥さんの人柄や、現場の作業員の質の良さ等、個々を拾ってみれば他社よりも非常に優れた点も多い。 それなのに、計画性がなく行き当たりばったりといった面が目立ち過ぎる。 何とも惜しいと思う。 地元の産業に贔屓(ヒイキ)し、業績を伸展させたいと思う気持が強い私である。 だが、こうした杜撰(ズサン)なドウニカナルワイ主義を毎度見せ付けられると、その気持も鈍る。 とにかく、おかげさまで今夜も8時半過ぎまで残業と相成った次第。(夫・誠)-----------------------------------------------※(1967.4.26の日記余白、「昔・誠」書き込み記事)* 杜撰(ズサン)なT社での出張校正 TK先生とT社で本文頁の最終校正を済ませ「責了」とする。 杜撰なT社の作業遅延でゲラが出始めたのは昼頃。 約束もあったらしく先生も迷惑気だった。 因みに、TK先生は頭取の高校時代の国語の教師だった方。 追悼録編纂委員会の顧問をされている。 ご高齢の為、長時間の集中読書は大分疲れる様子。気の毒だった。 夜は写真頁の校正を進める。*********************************************************************************** 《付記》2004年3月12日の誠、日記再読所感 ☆夏も近付き、駿河路に新茶サービス始まる (以下、後日執筆予定) -----------------------------------------------※日記余白、書き込み記事所感 * お気に入りだったYT(a)調査役の厄日 (以下、後日執筆予定) -------------------------------------------------------------------------------- ☆又々待ちぼうけのボヤキ節 (以下、後日執筆予定) -----------------------------------------------※日記余白、書き込み記事所感* 杜撰(ズサン)なT社での出張校正 (以下、後日執筆予定) *************************************************************************※参考事項★1966(S41)年の大きな動き★ 国内…国債発行による景気上昇の反面、消費者物価問題が深刻化。(通年 ) 航空機事故相次ぐ。下記4事故死者計371人(通年) 全日空機東京湾墜落(2月) カナダ航空機羽田空港着陸失敗(3月) 英BOAC機富士山上空で空中分解(3月) 全日空YS11型機松山空港で墜落(11月) 戦後最大の交通スト、公労協・交運共闘統一スト突入。(4月) 新東京国際空港を千葉県成田に閣議決定(7月) 自民党代議士・田中彰治、恐喝・詐欺容疑で逮捕(8月) 山口衆議院議長が東京大証事件に関連して辞任(12月) 世界…英国のビートルズが音楽で世界の寵児に(通年) 中国で文化大革命(通年)★1967(S42)年の大きな動き★ 国内…新宿西口広場が完成(1月) 日航が世界一周線の営業開始(3月) 富山県の奇病イタイイタイ病は三井金属神岡鉱業所廃水が原因 と学会発表(4月) ロータリーエンジン車を東洋工業が発表。自動車保有台数一千 万台を突破(5月) ワンマン宰相・吉田茂が死去。(10月…’89に戦後初の国葬) 那覇市で沖縄の即時無条件返還要求国民大会開催(11月) 消え行く都電。銀座線を廃止(12月) 世界…インドネシアのスカルノ大統領失脚(2月) アラブ諸国とイスラエル間に戦争勃発。スエズ運河を閉鎖。(6 月) 中国が初の水爆実験に成功。(6月) ボリビアでゲリラ闘争中の前キューバ工業相ゲバラが戦死。 (10月) 清朝最後の皇帝溥儀が死去(10月) ベトナム戦激化。米首都で十万人反戦集会のデモ隊が座り込み 。(10月) アラブ連合のアスワン・ハイ・ダムが発電開始。(11月)♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
2004年03月12日
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1967(S42)年4月24日(月)晴 ★暴君に建言者なし&身近にカラーテレビ時代の波&ソ連宇宙飛行士の墜死§1.のぼせ殿様に、ご意見は怪我のモト.『会長追想録』の為に頭取が漸く書いてくれた“序文”と“後書(アトガキ)”は共に余りの短文。 それで体裁を考え、できるだけ周囲や行間等を空け何とか3ページに組み込んだ。 ところが、これを2ページに追い込めという指示が頭取からあった。 で、早々に発注先のT印刷側担当者と相談した。 すると、 「これでは“目次”や“奥付(オクヅケ)”との間の空間が全く無くなり、造本上の収まりが悪くなる」 との意見が返って来た。 これには編纂委員長の副頭取も同感の如くだったが、自ら頭取に進言するでもない様子…。 何しろ相手は、行内の誰一人として言うことも聞く筈もない“のぼせ殿様”だ。 “生じっか良かれと建言しても、逆に雷さんを落されたのでは敵わない…”。 敬遠したくなるのは、一人私のみならずと言う訳だ。 まあ「オテモヤン♪」ではないが、「後はドウなとカアなれたい」だ。 §2.実家でカラーテレビ設置。何と1インチ約壱万円也 !! ところで、H町の実家に今日からカラーテレビが入った。 で早速、夜、観賞に行く。 始めは調整が悪く、余り綺麗(キレイ)ではなかった。 でも、マニュアル読み読み微調整を繰り返すうちに、マズマズの自然色を再生できるようになった。 確かにもモノクロームに比して格段の良さが感じられるが、価格は値引後でも十三万五千円也。 何と、一インチ約壱万円弱である。 こんな値段では、未だチト庶民には「高嶺の花」過ぎよう。 西高校に合格した長女YU子の祝いにと買ったらしい。 「親に内緒で受験しやがって」と、入学金さえ出し渋った私の大学進学時が思い出され何か感無量。 まあ、せめて、これから精々楽しませて貰うことにしよう。(夫・誠)--------------------------------------------------------------------------------※(1967.4.24の日記余白、「昔・誠」書き込み記事)*宇宙飛行で初の死亡事故 昨日打ち上げられたソ連の宇宙船ソユーズ1号乗り組みのコマロフ大佐が墜死。 地上帰還の際、パラシュートが開かずが地上に激突。 宇宙飛行中、人類初の悲劇的事故として世界中が彼の死を惜しんだ。*********************************************************************************** 《付記》2004年3月11日の誠、日記再読所感 ☆§1.のぼせ殿様に、ご意見は怪我のモト。『会長追想録』の《あとがき》は (以下、後日執筆予定) ☆§2.実家でカラーテレビ設置。何と一インチ約壱万円也 !! (以下、後日執筆予定) *宇宙飛行で初の死亡事故(余白記事) (以下、後日執筆予定)
2004年03月11日
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1967(S42)年4月23日(日)晴のち曇、夜遅くなって小雨 ★アッと言う間に過ぎ去った春の日曜日の記録二題§1.母や義父に頼まれ東奔西走、アッと言う間に過ぎ去った春の日曜日 パパは終日お年寄りのサービスに駆けずりまわされる。誠に御苦労様の一言(ヒトコト)なり。 子供にせがまれて昼近くYさん宅までお散歩。 例の如く奥さんと、とりとめもないオシャベリで時間を過ごしていた。 帰宅しなくちゃと時間を気にしながらも、2時間ばかりして、思ったより早く用事を済ませパパが帰宅。 その上、Yさん自身も仕事の合間に一寸立ち寄ったため、久しぶりに両家一同顔を合わせ、 その賑やかな事。実(マコト)に凄(スサ)まじいばかりなり。§2.♭お池に嵌(ハマ)ってサァ大変♪、一菜(カズナ)がドボ~ン !! Yさんから、夕食後また誘いの電話があり同家を再訪。 御自慢のステレオで当世流行(ハヤリ)の新リズムに耳を傾けている折も折、 一菜が池に落ち込んでしまって大騒ぎ。 お蔭で名曲鑑賞もチョン !! それにしても、どうしてコウも池や溝(ドブ)にヨク落ちる子なんだろう。 気を付けなさいとクドイほど注意を与えているのに、コノ始末なのだから腹が立つ。 流石(サスガ)の一菜もシュンとして、「お家(ウチ)に帰りたいよ~」と言い出す。 で、すっかり腰を落ち着けたパパを急(セ)かして夕方帰宅。 (妻・幸筆)--------------------------------------------※(1967.4.23の日記余白、「昔・誠」書き込み記事)*午前…母に頼まれ、戦時中に故郷の畑毛温泉に近い奈古谷に疎開し住み付かれた親戚で、 戦前まで東京で大きな薬屋をされていた御一家(母の従妹?)の所まで送る。*午後…朱門の義父に頼まれ、神戸から来訪された旧友共々、近郊と白糸の滝までドライブ*夕方前と夕食後の二回、Yさん宅を訪問。*ソ連が2年半ぶりに人間宇宙船を打ち上げ。 噂では30トンもある巨大なものとか…。*********************************************************************************** 《付記》2003年4月10日の誠、日記再読所感 ☆アッと言う間に過ぎ去った春の日曜日の記録二題 (以下、後日執筆予定)
2004年03月10日
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1967(S42)年4月19日(水)小雨が降ったり止んだり ★菜種梅雨(ナタネツユ)「菜種梅雨」と今頃の雨を呼ぶと言う事だが、こう長々と降り込められていては、 この風流な名前の雨期を楽しんでいる訳にもゆかない。 その上、今後まだ本格的な梅雨の時期が控えているかと思うと、尚更の事である。 (妻・幸筆) --------------------------------------------※(1967.4.19の日記余白、「昔・幸」書き込み記事)*パパ、東京出張-------------------------------------------------------------------------------- 1967(S42)年4月20日(木)風雨、ことのほか強し★車のアリガタサ 朝、出張帰りの重い荷物を提げて出勤しようとしたら、車のエンジンが掛からない。 車庫を兄が反対して作らせなかった為、時化(シケ)模様の時は、再々同様なトラブルに悩まされる。 防潮堤越しの潮風が吹きつけ、フロントガラスに白く塩がコビリ付いて前が見ぬ程だし当然かも…。 ともあれ、こんな事に関わっていて遅刻してはたまらないとあって、 パパはバスで、一菜はお向かいのSさんの車でと言う事になる。 車のアリガタサをツクヅクと感じさせられた朝であった。 (夫・誠筆) --------------------------------------------※(1967.4.20の日記余白、「昔・誠」書き込み記事)*“日本のおかあさん”の応募は残念ながら落選。 夫婦日記を一つの国民運動として育てる一つのチャンスと思ったが、 SK新聞の編集局の連中にとっては、企図の如何より、 安直な読者受けするものしか通じないようだ。*追想録の写真頁校正のため、午前零時までT社で夜業(出張校正)-------------------------------------------------------------------------------- 1967(S42)年4月21(金)晴★お掃除日和 昨日の激しい風雨も午前10時近くにはウソの様に通り過ぎ、久しぶりの青空が覗く。 少し調子に乗ってガラス拭きをし、ついでに戸棚の整理にかかる。 そろそろゴキブリの活動期にも当たるので、スッカリ食器類を出し、 薬品を散布して清々(セイセイ)とする。 なんだか非常に疲れた。 (妻・幸筆) --------------------------------------------※(1967.4.21の日記余白、「昔・誠」書き込み記事)*今日もT社で出張校正。 担当者のズボラさに呆れる。 新束見本(補正分のツカ見本?)の作製も明日までの約束が、とても実現しがたくなってきた。 -------------------------------------------------------------------------------- 1967(S42)年4月22日(土)晴★女子行員の転勤 今日は二時間半ほど残業。 アシスタントのNS嬢も手伝わせての校正作業だった。 しかし土曜日で天気も良く、約束があるのか何かソワソワ…。 一向に仕事に気が乗らない様子なので聞いてみると、 今度の異動でHR君と共に熱海支店へ転勤となるUC嬢の送別会が千本であるとか…。 女子行員の転勤は稀なため、同じグループの女性だけで特別に慰労激励する会らしい。 そこで、予定より早目にキリ上げて千本浜で待つ皆の所まで車で送ってやる。 UC嬢は入行依頼4年ほどになるが、支店の仕事は未知ゆえ不安でならないらしい。 最近まで異動が稀だった女子行員でも、特に本部勤務の者の支店転勤は皆無に等しかった。 余り異動させずに本部の専門業務に熟練させて能率を上げさせた方が得策と言う考え方で、 本人も親も又それを望み、自宅至近の当行に就職出来た事を喜んでいる場合が多いと思う。 そうした意味で、どうも最近の人事管理は本人の希望等お構いなし。実に非人情すぎる。 家族主義を標榜しているから給与水準の低さは甘んじろと言うのが当行の経営方針だった筈。 その理念は一体どこに行ってしまったのだろう。 それともある程度昇給した女子行員を自発的に止めさせようと言う嫌がらせ転勤が本音か? 職場の花は、少し薹(トウ)が立ったら、若くて安上がりな花に体よく差し替える腹かと疑う。 とにかく当行に働く女性達には、余り歓迎できない風潮と言えよう。 (夫・誠)--------------------------------------------※(1967.4.22の日記余白、「昔・誠」書き込み記事)*HR君とUC嬢に、熱海支店へ転勤辞令。*4時20分まで残業。 *********************************************************************************** 《付記》2004年3月9日の誠、日記再読所感☆菜種梅雨 (以下、後日執筆予定) ☆車のアリガタサ (以下、後日執筆予定)☆お掃除日和 (以下、後日執筆予定) ☆女子行員の転勤 (以下、後日執筆予定)
2004年03月09日
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1967(S42)年4月18日(火)曇 ★その人間味の強さを思い、きっと美濃部さんなら公約どうり頑張ってくれるだろう !! この15日に行われた統一地方選挙で、東京都知事に美濃部亮吉氏が当選した。 美濃部氏が、かの有名な天皇機関説を唱えた美濃部達吉氏の令息であり、 我が国有数の経済学者である事は誰もが知り、その骨っぽい感じが江戸っ子の心を捉えたに違いない。 又、“対立候補である松下立教大学総長が当選しなければ自民党は都政には協力しないぞ”など、 余りにエゲツない佐藤首相の度量の狭さが、逆に江戸っ子気質(カタギ)にカチンと来たのではとも思う。 とにかく初の革新系都知事・美濃部さんの出現を、心密かに待ち望んでいた私である。 この民主主義に逆行する現自民党政権の独善政治に対し、一つのブレーキとなりうるものと期待したい。 これが弾みとなり、我が国の政治が再び新憲法の高邁(コウマイ)な理想である真の民主主義の軌道に戻り、 皆が心から祖国を誇り得(ウ)るような状態になればと、心から希(ネガ)うものである。 しかし、社会・共産両党共同推薦とは言え、両党の都議会での勢力分野は、与党とは申せ過半数に尚足りない状態だ。 これから副知事他ブレーンの人選を初め、海千山千揃いの政府自民党との舵捌(カジサバ)き等々、何せ難問山積である。 学者・美濃部さんが、果たしてコノ重圧や姦計に耐え得るかと心配やる方ない次第だ。 尤も、 「きっと美濃部さんなら公約どうり頑張ってくれるだろう !!」 そういった気持も強い。 それは、この人の持つ人間味の強さを思うからである。(夫・誠)*********************************************************************************** 《付記》2004年3月8日の誠、日記再読所感 ☆その人間味の強さを思い、きっと美濃部さんなら公約どうり頑張ってくれるだろう !! (以下、後日執筆予定)
2004年03月08日
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1967(S42)年4月17日(月)曇ときどき晴★長女・一菜、満六歳の誕生祝&浜の観音祭のヒヨコ §1.豪華さを競い合う誕生祝のエスカレーションを危惧 一菜(カズナ)が六回目の誕生日を迎えた。 生まれた日も丁度(チョウド)、今日と同じ月曜日だったが、天気の良い暖かい日だった。 朱門の私の両親宅から童話の本2冊とケーキ。 H町のオジイチャンとオバアチャン(パパの両親)からは竹製のハンドバック。 パパからはソノシートの音入り絵本を贈られて大いに御満悦。 「幼稚園のお友達からも“オメデトウ !!”と言われて恥ずかしくなっちゃった」 と可愛いことを言う。 お友達同士でバースデー・プレゼントに自転車やオルガンを買って貰ったとか言う話を良く聞く。 子供には、それがどんなに高価な物か分からないのは当り前である。 だが、年々こうしたプレゼント品が贅沢と思える程になって来たようだ。 菜っ葉や大根の10円・20円の値上がりにメクジラ立てて怒る大人が、 やれバースデーだ、やれクリスマスだと言って、未だ物の価値も分からぬ子供に高価な品を贈る。 こんな豪華さや珍しさを競い合う様な親の行為が、贈物に込めた本来の心を子供達に見失わせてしまう。 「バースデーやクリスマスは、必ず何か貰える日」 そんな風に子供達に思わせてしまっては本末転倒と言う他はない。 お金の無い者の戯言(タワゴト)かもしれないが、 物が豊富になればなる程、人の心の中は情緒に乏しくなってくるようだ。 やはり「物は程々」。 私はそう思う。 §2.縁日の出店で始めて目にした「毛染めヒヨコ」に驚き呆れる 浜の観音様の祭典最終日である。 今年も初日・中日と雨に祟られ、余り天候に恵まれないお祭であったが、漸く最終日になって陽が射した。 そんな訳で、朱門のオバアサン(幸の母)を誘って出かけてみた。 出店の殆どは既に片付けはじめ、紙屑だらけの松林が侘(ワビ)しく思えた。 それでも、所々子供達が群がっている露天もあって、その一つを覗き込んで見たら、可愛いヒヨコの人形? …と思ったら、動いていた。全く驚いた。 運動会の装飾に良く使う緑や赤のモールと同じ色のヒヨコがピヨピヨ動いているのだ。 いくらカラーテレビが流行(ハヤ)っている世の中とは申せ、何だか腹立たしくなってきた。 ヒヨコが綺麗(キレイ)なクリーム色のフサフサした毛をしているのを知らない子供は、 こんな大人の商魂逞しい手段で、間違った知識を持たされてしまいがち…。 そんな思いがフト頭を過(ヨ)ぎり、何か背筋が寒くなってしまった。(妻・幸筆)--------------------------------------------------------------------------------※(1967.4.17の日記余白、「昔・誠」書き込み記事)*13万票ほどの大差で美濃部氏が東京都知事に決まる。*会長追想録の実物大見本が出来上がる。 これで、どうやら上梓(ジョウシ)の目鼻が付いた感じ。*********************************************************************************** 《付記》2004年3月7日の誠、日記再読所感☆§1.豪華さを競い合う誕生祝のエスカレーションを危惧 (以下、後日執筆予定) §2.縁日の出店で始めて目にした「毛染めヒヨコ」に驚き呆れる (以下、後日執筆予定) *************************************************************************※参考事項★1966(S41)年の大きな動き★ 国内…国債発行による景気上昇の反面、消費者物価問題が深刻化。(通年 ) 航空機事故相次ぐ。下記4事故死者計371人(通年) 全日空機東京湾墜落(2月) カナダ航空機羽田空港着陸失敗(3月) 英BOAC機富士山上空で空中分解(3月) 全日空YS11型機松山空港で墜落(11月) 戦後最大の交通スト、公労協・交運共闘統一スト突入。(4月) 新東京国際空港を千葉県成田に閣議決定(7月) 自民党代議士・田中彰治、恐喝・詐欺容疑で逮捕(8月) 山口衆議院議長が東京大証事件に関連して辞任(12月) 世界…英国のビートルズが音楽で世界の寵児に(通年) 中国で文化大革命(通年)★1967(S42)年の大きな動き★ 国内…新宿西口広場が完成(1月) 日航が世界一周線の営業開始(3月) 富山県の奇病イタイイタイ病は三井金属神岡鉱業所廃水が原因 と学会発表(4月) ロータリーエンジン車を東洋工業が発表。自動車保有台数一千 万台を突破(5月) ワンマン宰相・吉田茂が死去。(10月…’89に戦後初の国葬) 那覇市で沖縄の即時無条件返還要求国民大会開催(11月) 消え行く都電。銀座線を廃止(12月) 世界…インドネシアのスカルノ大統領失脚(2月) アラブ諸国とイスラエル間に戦争勃発。スエズ運河を閉鎖。(6 月) 中国が初の水爆実験に成功。(6月) ボリビアでゲリラ闘争中の前キューバ工業相ゲバラが戦死。 (10月) 清朝最後の皇帝溥儀が死去(10月) ベトナム戦激化。米首都で十万人反戦集会のデモ隊が座り込み 。(10月) アラブ連合のアスワン・ハイ・ダムが発電開始。(11月)♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
2004年03月07日
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1967(S42)年4月16日(日)冷雨★総意を無視した職場旅行が強行された土曜日の所感 菖蒲(アヤメ)の季節には未だ少し間がある水郷に行きたいと提案。 一旦部員の多数が希望した「日光旅行案」を強引に退け、自分が望む水郷案に変えさせたMR通信課長。 その実行日となった昨日、何時もながら迎え酒でも飲んで出勤したような赤ら顔で朝礼に臨み、 「シオライ着は、今日の朝だ…」 と何が何だか解かりかねる挨拶をした。 エッ、何を言おうとしたのかと一瞬思ったものだった。 でもコレは、 「潮来(イタコ)着は、明日の朝だ…」と言いたかったものらしいと分かり、思わず吹き出しそうになってしまった。 ともあれ、まことに見事な人物を当行は役職者に選び出したものと心中苦笑させられた次第。 少なくとも、多くの部員の前で話す以上、自分が提案した旅の目的地ぐらい勉強して望むべきだろう。 この調子で、バスの車掌や、潮来の船頭さんに話しかけられたら、サゾ当行の名を高からしめて来ることであろう。 全く、「オホホのホ」だ。 ところで、そんな心配はさて置くとして、こちらは昨夜から『故会長追想録』実物大見本作製のための校正で、徹夜に近い強行作業。 やっと、つい先ほど解放されて我家に戻ったところ。 これからコレまで積もった寝不足を解消すべく、安心して寝の権現様へ旅立つつもりだ。グッドナイト。(夫・誠) *********************************************************************************** 《付記》2004年3月6日の誠、日記再読所感 ☆総意を無視した庶務部旅行が実行された土曜日の所感 今日の記事は、既に書いた『2003年 12月 30日の古い日記♪No.270「庶務部の旅行案を巡って」』の後日譚である。 サブ・タイトルは『1967(S42)年2月10日(金)雨・「成田・潮来水郷案」VS「雪の日光の朝を楽しむ案」』となっている。 それゆえ、なるべく日記一覧から同日の日記を再読。予備知識を温めて今日の日記を読んでいただけたらと思う。 何せリストラや人材派遣会社といった、かつては非合法手段とされたサラリーマンの奴隷化策が常識化されてしまった現在。 働く者が生き残る為、新憲法で保証された人間としての権利や上司の横暴を、正々堂々と訴え得ないのが殆どの悲しい現実。 まして、職場旅行のルールなどは夫々の職場の事情で千差万別が実情だろう。 そうした当行の特殊事情が絡むコノ話は、読み手の生きてきた環境次第で、書き手の真意が誤解されやすいようにも思う。 従って今から37年前には、こんな戯言を日記に書き、人知れず職場の憂さを晴らしていた男も居たと軽く受け止めて欲しい。 ともあれ、その過日の日記で「昔・誠」が以下のように書き結んでいる話の結果が、この今日の日記に書き込まれていた。 「尤も、この話の結果がどうなったかは今思い出せない私だ。 いずれ後日の日記の中で何か書かれているかもしれないが、職場の旅行としては、日光も水郷も行った覚えがない。 しかし何事も強引なM課長の事だ。多分最後まで無反省で押し切られ、罰金として積立金没収は余儀なくされただろう。 まあ仕事も超繁忙の折とて、実のところ旅行どころではなく、不参加の良い口実にもなる筈。 この不愉快極まる「成田・潮来旅行」をオミットしたのではなかったかとも思う。(トホホ) 」 どうやら「昔・誠」の記述どうり、私もMR通信課長も、最後まで意地を張りとおしたようだ。 まあ、そんな若くて一途だった自分に改めて苦笑しながら、今日の日記を読み終えた次第である。
2004年03月06日
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1967(S42)年4月14日(金)曇ときどき小雨 ★蕎麦屋の出前より当てにならない印刷屋の約束 蕎麦屋の出前より始末の悪いのが口先三寸で無責任な印刷屋である。 約束していた期日を行くたびも延引させて、なお且つ出来ない。 おまけに此方の注意点を忙しさにかまけてか、上(ウワ)の空で聞いている為、出来上がった品物は予想外の代物…。 左様、T印刷にて進行中の故会長追悼録編纂印刷作業について、私の感ずるものズバリをココに述べた訳だ。 今日も、指定した束(ツカ)見本の布地の色を間違えた為、又々納期がズレ込みそうな形勢となり大騒ぎ。 とうとう一旦帰宅した私が呼び出され、又、同社へ飛ばなければ収拾が付かない事態となる。 仕方がないので門外漢の私だが、先日来行された際に I T庶務部長から念押ししてもらった同社重役のN東海営業部長に直訴。 その威光を借り、実物大見本だけ月曜日の朝までに仕上げる約束を現場にさせ、何とか会議に間に合わせる見通しが付く。 まあ、如何に何でも今度こそ大丈夫だろう。(夫・誠) 1967(S42)年4月15日(土)雨、風強し ★名なしの逆選挙日和 選挙日和とは程遠い今日の悪天候。「風雨強く、気温も低い。 箱根地方には雪も降り、 スカイラインは3センチの積雪で車は全てストップ」。 そうテレビが報じている。 全く馬鹿げた陽気になったものである。 もう4月も半ば過ぎだというのに…。 このところの雨続きで外へ出られない二美(ツグミ)はグズリどうし。 少々欲求不満気味で煩い事ばかり言う。 大人でさえ重苦しい気分になるのだから、それも止むを得ないだろう。 (妻・幸筆)*********************************************************************************** 《付記》2004年3月5日の誠、日記再読所感 ☆蕎麦屋の出前より当てにならない印刷屋の約束 メインタイトルを『苛立ち』としたコノ日の記述。 受註する時ばかりは熱心でイザ作業に掛かると口先ばかりといった業者の何と多かった事か。 予定通り進まねば、予定通りの校正回数もおろ抜かざる得なくなり、それだけ誤字も残りやすい。 この時も、確か週明けの委員会に束見本を提出し、頭取に決済を貰って置く必要に迫られていたようだ。 それが出来なければ確か6月だった目標日の上梓は覚付かず、仕方なくT印刷の重役部長N氏に直訴…。 ソンナ私の苛立ちが改めて思い出される記録だった。 ☆名なしの逆選挙日和 「選挙日和とは程遠い…」と始まった今日の幸奥様の日記原文。 でも直後は分かりきった事と思ってか、省略されている選挙名が何か気になる。 それで、念のためコンサイスの歴史年表で調べてみたところ、有った有った。 それは、全国一斉に行われた都道府県知事・議員選挙だった。 そしてアノ偉大な革新都知事・美濃部亮吉氏が与党候補に大勝したのもコノ時だった。 汚職筆頭の自民党嫌いで、人生を通じ反骨を通した私ゆえ、あの時は実に痛快だった。 「全く馬鹿げた陽気になったもの…」と幸は書き残している。 でも、こんな転機をもたらす時化模様なら大歓迎。 雨よ降れ ! 風よ吹け !! 雪でも霰(アラレ)でも降り積もれ !!! そして、官僚と政財界人の汚職の温床となって久しい日本列島を、芯から洗い清めてくれ…。
2004年03月05日
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1967(S42)年4月12日(水)曇、遅くなって小雨 ★今更不向きな転勤強いられるぐらいなら、イッソ転職も… 転勤が間近いらしい。今日、人事部長と会ったら、一寸言葉の端々にソンナ気配が窺えた。 それも余り良い結果は期待できそうもない口振りだ。 私としては、既に銀行生活14年。その約半分を本業以外の仕事に費やさされてしまっている。 今さら現業部門へと言われても、機械化が始まって処理方法が目まぐるしく変った昨今だ。 後輩の物笑いになるのが関の山。…そう思うと些か気が進まないと言うのが本音。 ならば一層の事、この辺で思い切りよく独立してしまおうかといった気持も強い。 自分の他人にはない長所を思い切って伸ばしてみたい。 尤も、80%の勝算はあるのだが、残り20%の裏目が何とも気になる。 何せ今の自分には妻と二人の可愛い娘が居る。 その責任を考えると、ココは一つ、ヨリ慎重に身を処さねばなるまい。 まあ、辞令が何時出るのかは知れないが、その結果を見てからでも遅くはあるまい。 それとなく策は練っておくにしても、いま暫く様子を見守り、ジックリ考えよう。(夫・誠) 1967(S42)年4月13日(木)曇のち小雨★雨雲低く垂れ込める海岸を我子と散歩して感じた幸せ 今日こそは…と雨戸を開けるのだが、やはり雨雲が低く垂れ込め、一向に晴れる見込みがない。 まるで梅雨のようでやりきれない。 門の前の水溜りも、大きくなるばかりで、何時になったら泥んこ道がキレイになるんでしょう。 一菜(カズナ)にせがまれて、久しぶりに海へ散歩に出る。 風は少し冷たいが、堤防に遮(サエギ)られて砂地へ降りると逆に暖かいぐらいだ。 天気のせいもあって殆ど人影も見えず、波もとても小さくて、長閑(ノドカ)そのもの。 子供達が石を海に投げ込む姿を見ていると、ホノボノとした幸せを感じる。(妻・幸筆)※(1967.4.13の日記余白、「昔・幸」書き込み記事)*国内…ラムダ三号機、打ち上げ失敗。*受信…青梅のASちゃん(幸の長姉)から小包(?)が届く。早速お礼状を出す。*********************************************************************************** 《付記》2004年3月4日の誠、日記再読所感 ☆今更不向きな転勤強いられるぐらいなら、イッソ転職も… 「銀行生活14年。その約半分を本業以外の仕事に費やさされてしまっている。 今さら現業部門へと言われても…」 といった当時の私の悩みが、前頭取急逝以来激変した私の職場環境を誰よりも良く知る幸ゆえに、 それとなく語り聞かせておこうといった配慮が感じられる夫婦日記だ。 この時は未だ、人事部長の言葉の端に感じた単なる私の憶測だったかもしれない転勤の予兆。 でも、進行中の故会長追悼録編纂が終れば、何れかへの異動の辞令は必至。 それがモシ現業復帰なら、最早この銀行に居るより外に活路を…。そう半ば思っていた私だった。 それゆえ突然転職を言い出すより、それとなく幸にもイザと言う時の覚悟を…と書いた様だ。 何しろ、如何に他の職場で機械化が進もうと、銀行の機械化だけは無理。そう思っていた業界だ。 一円たりと計算違いが許されない職業だけに、入行当時は人間の手作業と算盤が最高の武器だった。 なのに私が本部勤務となって以後、急に銭勘定も記帳も急速に機械化し始め銀行業務は様変わり…。 そう思うと心は揺れて当然。この日の日記もソンナ「昔・誠」の本音を浮き彫りにしているようだ。 ☆雨雲低く垂れ込める海岸を我子と散歩して感じた幸せ 前日の私の憂鬱な記事を読んだ後の幸の日記だけに、鬱陶しさを絵にしたようなお天気話。 でも、そんな海岸に娘と散歩に出た幸の何気ない描写に、揺れる私の心も些か鎮静したかも…。
2004年03月04日
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1967(S42)年4月10日(月)雨 ★夫婦日記に懸ける“バクさんの夢”を共々脚本に… NHKが芸術祭参加作品用のテレビとラジオドラマの脚本を、それぞれ募集している。 これを機会に懸案の“バクさんの夢”をコメディータッチで書き上げようかと思う。 しかし、題材としては絶対の自信がありながらも、文才のないゆえに暇も無くグラ付きがちな自分を考え、何か心もとない。 そこで、幸い“数人の合作でもよい”との応募条件。幸さえ承知してくれれば、ぜひ協力してこのドラマを完成させてみたい。 良く聞く、 「イザと言う時は、一緒に屋台でも引っ張りましょう。二人、共に働けるなんて楽しいじゃない…」 と言う言葉を信じて、是非お願いしたい。 夫婦日記に懸ける“バクさんの夢”を、二人で力を合わせ、足らざるを補い合って創作しよう。 モシ実現すれば素晴らしいじゃぁないか…。(夫・誠) 1967(S42)年4月11日(火)曇ときどき小雨 ★他力本願の傾向がアリアリ。ソノ手はクワナの蛤よ… 何とかカンとか、上手い事を言って気持を動かそうとしているのは分かるけれど、ソノ手はクワナの蛤(ハマグリ)よ…。・ “バクさんの夢”に関する限り、他力本願の傾向がアリアリと有って気が進まない。 今までだって好い加減、私の尻を引っ叩(ヒッパタ)き続けていて、自分は少しもオミコシを上げようとしないのはオカシイ。 4月と言うのに、またもや冷たい雨。裏の梅の花も、今日の雨でスッカリ散ってしまった。 これで儚(ハカナ)い花の命を終ったわけ。(妻・幸筆)--------------------------------------------------------------------------------※(1967.4.10の日記余白、「昔・誠」書き込み記事)*発案…NHKが別添要領でテレビ&ラジオドラマの脚本を募集中。 夫婦日記を題材にしたコメディーを創作し、応募検討の事。**********************************************************************************《付記》2004年3月3日の誠、日記再読所感 ☆夫婦日記に懸ける“バクさんの夢”を共々脚本に…☆他力本願の傾向がアリアリ。ソノ手は桑名の蛤よ… (以下、後日執筆予定)
2004年03月03日
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1967(S42)年4月8日(土)晴 ★多忙さにかまけ、娘に我が庭の春を教えられる 丁度季節は花見頃だというのに、生憎と私は『会長追悼録』の再校正に追われどうし。 そのため、ここ暫くは残業残業。帰宅は毎晩8時~9時。 そのためか、妻の幸も心身共に不調の様子。 でも、どうやら今夜で今回の残業は一段落。 正直、ホッと一息ついだものの、後2~3日もすれば、また写真頁のゲラ刷りが出来上がる様子。 …そう思うと一寸憂鬱だ。 やはり、6月の上梓が終るまでは、本当の息抜きは出来そうもない。 今朝も出掛けに、一菜(カズナ)が、 「パパ、見て御覧。お庭の芝生に桜の花が舞ってキレイよ !!」 と言う。 それで、何時の間にか満開を迎え、落ち着いて眺めやる暇もなく散り始めた桜を仰ぎ見る。 今年は、こんな風にして幼い一菜に我家の春を教えられた次第。 ともあれ、ツイ忙しくって、自分の家の庭の様子さえ忘れがちな昨今である。 まして、実家の母の望むとおりの庭の手入れなど、とてもとても…といった所。 「オフクロさん、ゴメンナサイネ !!」 (夫・誠) 1967(S42)年4月9日(日)降ったり止んだり ★庭の手入れで幸の恨み言 「ゴメンナサイネ !!」では済まされないのが嫁の苦しい立場。 その立場を考えて、朱門のオジイチャン(幸の父)に手伝ってもらって昨日は午後から庭の草取り。 尤も、手伝ったのは私の方かも知れないが…。 まあソンナ訳で、草取りをする度に、庭の広さが逆に恨めしくなるのが常である。 多忙で庭の手入れまで行き届かないのは仕方がないが、車に乗り込む前に一寸、庭先に目を移してくれたら…と思う。 貴方以外の者が、どんなに草取りに精を出し、キレイになったか分かる筈。 それさえする心のユトリが無いなんて、まさか言わないでしょう。 庭付きの家に住んでいる者としては、当然のことなんですから。(妻・幸筆)--------------------------------------------------------------------------------※(1967.4.9の日記余白、「昔・誠」書き込み記事)*幸の叔父・HRさん来沼。 手土産として「マドレーヌ5個入1箱」を戴く。 お返しに、実家で文具各種(600円)を買い持ち帰ってもらう。*高校時代の旧友・NT君に、先日撮影したカラー写真を贈る (※二世の誕生記念写真D判計13枚)**********************************************************************************《付記》2004年3月2日の誠、日記再読所感 ☆多忙さにかまけ、娘に我が庭の春を教えられる (以下、後日執筆予定) ☆庭の手入れで幸の恨み言 (以下、後日執筆予定)
2004年03月02日
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1967(S42)年4月6日(木)曇 ★春の異動で共感持てた先輩上司が揃って更迭 T印刷のOS営業課長が漸く来行する。 本当は昨日、営業部長と共に来ると聴いていたのに、又々の約束違反である。 それにしても、コンナ状態では果たして目標日上梓に間に合うものやらと案じられてくる。 I T庶務部長も、今日は私同様に腹が立ったらしく、ギュッと釘をさしてくれた。 ところで、その I T庶務部長を筆頭にKN文書課長など、私の直属の上司が、この春の配転で揃って異動する事となった。 ご両人とも、私の仕えた上司の中では、最も人間味を感じさせる人達だった。 それだけに、ご両人共々、余り栄転とは言い切れない今度の更迭人事が惜しまれてならない。 どうやら、今朝のT印刷のOS営業課長へのキツイ叱言が、追悼録編纂委員を兼ねていた I T部長の最後の仕事となったようだ。(夫・誠)1967(S42)年4月8日(土)晴 ★リリアン編みを始めた一菜(カズナ)に思う 一菜が、親友のMEちゃんのオカアサンからリリアン編みを習ってきた。 以前から、私が洋裁や編み物をしていると、その側で糸を出鱈目にではあるけれど繰っていた事もあった。 でも、本格的に手芸らしき物に手を触れたのは今日が初めてである。 危なっかしい手つきで針に糸を掛けている様に、私自身の子供時代を憶(オモ)い出す。 赤や青・黄の原色が織り交ざったリリアンで際限もなく細い紐を編み、良くソノ長さを競い合ったものだ。 時代は変わっても、子供の遊びには今昔の区別なく、ある共通点を見い出すことができる。 それにしても、やっと我家の長女も娘らしくなったのだろうか…。(妻・幸筆)**********************************************************************************《付記》2004年3月1日の誠、日記再読所感 ☆春の異動で共感持てた先輩上司が揃って更迭 春はサラリーマンにとって定期異動の季節とも言えよう。 各自の立場立場で、その噂話や結果に一喜一憂していた往時の他愛なさに、井戸の中の蛙を連想させられている今の私である。 ☆リリアン編みを始めた一菜(カズナ)に思う コノ記事を復刻しながら、 >時代は変わっても、子供の遊びには今昔の区別なく、ある共通点を見い出すことができる。 と書いてある37年前の幸の印象が、最近のゲームソフト時代で些か変化しつつあるのではないかと思った。 だって、私達の5人の孫が幼い頃に一番夢中になっていたのは、やはりゲームソフトだったように思う。 それで、話題となったリリアン編みにしても、唯一人の女の孫の場合はどうだったかと、電話を掛け本人に聞いてみた。 すると、彼女は今は小学校四年生だが、入学以前の五年前頃には、未だリリアン遊びをした覚えがあるとの事。 そのほか、セーラームーンのお人形遊びなどを良くして遊んだっけ…との答え。 で、ゲーム・ソフトはと聞くと、それは小学校に上がって暫くしてから流行ってきたものだそうだ。 そう言えば、3人兄弟の末っ子で一人娘の彼女が我家に来て兄さん達とズラリ並んで、指をシコシコしていたのは数年前だったようだ。 まあ、そんな訳で私の予測からは少しズレがあったようだ。 しかし早、今の幼稚園から小学校低学年の女の子の遊びから、このリリアン遊びは消えかかっているように思う。 始めに電話に出た今日の日記の登場人物である一菜の話でも、最近は玩具屋でも殆どリリアンは見かけないそうだ。 それにしても、「子供の遊びに今昔の区別なく見い出す、ある共通点…」と書いている幸は、何を指していたのだろう。 側で、テレビに見入るご本人に問いかけてみても、どうもハッキリしない。「ツー」と言えば「カー」と反応した若い頃が、何か懐かしい今日この頃である。
2004年03月01日
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