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1967(S42)年8月15日(火)雷雨、のち曇★朝からの凄い雷雨が思い出させた過ぎし歳月のアレコレ 朝から凄い雷雨に見舞われた今日、第22回目の終戦記念日だった。 ソノ雨を中を愛車で職場近くの実家まで行き、何時もの如く歩いて職場の銀行へ向かう。 だが余りのドシャ降りに、兄が見かねて銀行まで車で送ってくれた程の荒天だった。 始業迄の短い時間、3階の部室の窓から稲妻閃(ヒラメ)く暗い市内を見下ろしていたら、 フトあの頃に思いを馳せた。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 確か沼中への入学試験の日、サイパン島かグァム島の日本軍が玉砕したと報じられ、 “戦局、いよいよ我に利あらず…”と子供心に意識させられたものだった。 無事、入学出来たとホッとする間もなく、空の超要塞B29の本土爆撃が始まって定期便化。 以来、殆ど防空壕掘りや軍事教練等に明け暮れ、満足な学業は稀な中学一年時代となった。 そして6月21日には沖縄を米軍が占領。長兄が此処で犬死させられていた事も知らぬ間に、 7月17日には戦災で我家が焼失。 程なく広島・長崎がピカドンと言われた新型爆弾で壊滅。 火事場泥棒の様だと父が口惜しがっていたソ連も参戦、あの8月15日の敗戦の日を迎えた。 以来、「連合軍進駐」「天皇の人間宣言」「農地解放・教科書墨塗・旧新円切替等の諸改革」 と米国至上の民主主義に次々と様変わり。 その目まぐるしさに「狂乱インフレ」が拍車をかけ、米国とも読めた新十円紙幣が発行され、 国会議事堂が十字架型の窓越に幽閉された絵柄とも言われ、敗戦を実感させられたりもした。 そうした中、不戦の誓いと民主主義を高らかに掲げた新憲法が発布された。 やがて発生した朝鮮動乱の戦況が変転する中、自衛隊の前身となる警察予備隊が設置された。 そんなキナ臭さに包まれる中、日本経済は朝鮮特需で奇跡的に息を吹き返し単独講和も成立。 幸か不幸か私は、そんな未曾有の国難の世に育ち、非常時ならではの少年時代を体験した。 瞑目すると、そんな激しい時の流れに翻弄されがちだった自分のアノ頃が、際限なく甦る。 戦災の夜は、平塚を空襲した敵編隊が突然舞い戻ったとかで、寝入り端を母に起こされた。 寝ぼけ眼で肩掛式の学生鞄と剣道の道具を担ぎ、焼夷弾の雨の中を千本松原に向け逃げた。 明くる朝、松林やバスの中で目にした焼け爛れた死体の数々。 敗戦は、箱根山麓の小村にある霊光寺という母の実家の菩提寺で聞いた。 一夜にして家を失った当時の家族5人が、そこの本堂の一隅を借り肩寄せ合って聴いた。 その玉音放送の内容は判りにくく、一緒にいた姉二人も首を傾げて休戦かしらと言った。 だが次第にコノ放送が、日本の無条件降伏を伝えるものだったと知り、途端にガックリ。 学校では、“鬼畜米英”と煽っていた教師程、何故か“進駐軍様々”と言った豹変ぶり。 特に、英語無用論を盛んに煽りコワモテだった教師が、“もしも進駐軍がやって来たら、 「アイム・ベリー・ハングリー、ギブ・ミー・チョコレート」等と言い菓子でもたかれ” と唆(ソソノカ)すように語り、生徒を笑わせるようになった。 その変わり身の早さには全くビックリしたが、余りに軽薄に思えて今も強く印象に残る。 敗戦直後は、焼け残った軍関係小施設の此処彼処を借り、各地での分散教育が行われた。 時には、沼津御用邸に程近い牛臥海岸に作られた教職員用製塩所まで、焼失した校舎の 焼棒杭(ヤケボックイ)を曳き、炎天下を牛馬代わりに運ばされた事も有ったっけなぁ…。 駅北の元海軍工廠庁舎で全校一括授業が復活したのは、それから半年ほど経った頃で、 元校地に新校舎が竣工し名実共に学校らしくなったのは、確か高校1年頃だったと思う。 勿論、駅南中心だった市街地の建物の殆ど全てが灰燼と帰して焼けてしまったのだから、 未だ世間は教育どころの騒ぎではなかった事だろう。 だが中学一年という基礎教育段階で教科書も焼かれ、手抜きされた我々にしてみれば、 取り返しのつかない時間の空転であったと、無知ゆえのボロが出る度にツクヅク考える。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 今こうして立派に復興した市街を見下ろしていると、戦争を経験せずに育った人達の 幸せが目に見えるようだ。 しかし、果たして戦後育ちの人達にコノ平和の尊さが真に理解されているだろうか…。 幸せと言うものは、得てして当事者には意識されない場合が多いからである。 戦争による恐怖や空腹の辛さを実体験していない人達に、この事を真に認識させる事は、 非常に難しい。だから、いつか平和憲法も空文化されかねないと思う。 だからせめて吾子二人だけでも、正しく戦争の真の姿を見極める目と悲惨さを理解させ、 子々孫々にも不戦の志を語り継いで行くよう言い残したい。 仮に施政者たちの常として、どんな高邁な大義を持ち出されようと、戦争は愚かな行為。 多くの場合、犠牲になるのは戦争を始めた施政者ではない。 これに巻き込まれ犠牲になるのは決まって多くの彼我の庶民達なのだと…。(夫・誠筆)********************************************************************************** 《付記》2004年5月31日の誠、日記再読所感 ☆朝からの凄い雷雨が思い出させた過ぎし歳月のアレコレ 同じような敗戦前後の記事を以前この日記にも、何かに引っ掛けて書いたように思う。 それと比較し、回想の時点で思い出の記述も些か違った味になっているかもしれない。 そんな事を思いバックナンバーを探したが、時間を取るばかりで徒労に帰してしまった。 まあ、トロイ遺跡を発見したH.シュリーマンの記述を引き合いに出しては甚だ失礼だが、 こんな一市井人の日記でも、出来るだけ食い違いのないようにと念を入れたかったのだ。 丁度今、そのトロイ遺跡の事を「世界歴史遺産」で取り上げていて、ヨリ感慨深く見た。 それでは、ソロソロ午前零時。何か内容の浅い所感となったが、一応ここで筆を置こう。 ソウ私の楽天日記の更新時間を、出来るだけ守って掲出して置きたいから…。*********************************************************************※参考事項★1966(S41)年の大きな動き★ 国内…国債発行による景気上昇の反面、消費者物価問題が深刻化。(通年 ) 航空機事故相次ぐ。下記4事故死者計371人(通年) 全日空機東京湾墜落(2月) カナダ太平洋航空機、羽田空港着陸失敗(3月) 英BOAC機富士山上空で空中分解(3月) 全日空YS11型機松山空港で墜落(11月) 戦後最大の交通スト、公労協・交運共闘統一スト突入。(4月) 新東京国際空港を千葉県成田に閣議決定(7月) 自民党代議士・田中彰治、恐喝・詐欺容疑で逮捕(8月) 山口衆議院議長が東京大証事件に関連して辞任(12月) 世界…英国のビートルズが音楽で世界の寵児に(通年) 中国で文化大革命(通年)★1967(S42)年の大きな動き★ 国内…新宿西口広場が完成(1月) 日航が世界一周線の営業開始(3月) 富山県の奇病イタイイタイ病は三井金属神岡鉱業所廃水が原因 と学会発表(4月) ロータリーエンジン車を東洋工業が発表。自動車保有台数一千 万台を突破(5月) ワンマン宰相・吉田茂が死去。(10月…’89に戦後初の国葬) 那覇市で沖縄の即時無条件返還要求国民大会開催(11月) 消え行く都電。銀座線を廃止(12月) 世界…インドネシアのスカルノ大統領失脚(2月) アラブ諸国とイスラエル間に戦争勃発。スエズ運河を閉鎖。(6 月) 中国が初の水爆実験に成功。(6月) ボリビアでゲリラ闘争中の前キューバ工業相ゲバラが戦死。 (10月) 清朝最後の皇帝溥儀が死去(10月) ベトナム戦激化。米首都で十万人反戦集会のデモ隊が座り込み 。(10月) アラブ連合のアスワン・ハイ・ダムが発電開始。(11月)♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
2004年05月31日
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1967(S42)年8月13日(日)晴れたり曇ったり★試験も終り、夜はYBさん宅でフラメンコ・ギターの名盤を鑑賞 波音高く、洗ったばかりの車も、海から松林を抜けてくる強い潮風に早くもベトベト。 1時間もしない間に埃(ホコリ)を吸い寄せてしまう。 試験も終り、久しぶりに解放された日曜日だが、幸の身体が不調では、遠出も出来ない。 そんな訳で、日中は「財務分析」の本を開く。 ところが、退屈した子供達が傍で始終雑音を立てる為、ロクに頭に入らずイライラする。 休日には、必ず何処かへ連れて行ってくれるものと決め込んでいる様な我家の子供達だ。 そんな午後3時頃、YBさんの奥さんから何か我家の空気を察したような誘いの電話…。 結局、身に入らない読書を一先ず諦め訪問する事にして、漸くチビ達の欲求不満も解消。 ヤレヤレであった。 同家に着くと、折り良く旦那のTMちゃんも一寸店を抜けて自宅へ戻ったところだった。 そして、最近入手したばかりという、フラメンコ・ギターの名盤鑑賞会が始まった。 奏者の名前は忘れたが、急に最近クローズ・アップされてきた生粋のジプシー男とか…。 弾き語りの即興曲「ジプシー・ルンバ♪」と言うのが、特に迫力に満ち素晴らしかった。 (夫・誠筆)------------------------------------------------------------------------------※(1967.8.13の日記余白、「昔・誠」書き込み記事)*夜は、スーパーMKへ預金勧誘交渉に出かける 預金割当対策のため、夜8時過ぎから外出。 YBさんの親父さんを閉店前のMK本店に訪ね、2時間ほど懇談。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━1967(S42)年8月14日(月)晴★全くチ(シ)ョウがない腸を持ったもの 昨日から少々調子の悪かったお腹が、絶食中にも関わらず一向に快方に向かわない。 このため、パパの出勤ついでに車に同乗させてもらいSM医院へ行く。 腸カタルと言うSM先生の診断で、注射2本と薬を貰う。 注射のせいか、午前中ウトウトと布団の上で過ごしているうちに大分楽になった。 午後からは、洗濯や掃除をする気力も出てきて先ずはヤレヤレ…。 モリモリ食べて、たっぷりスタミナを付けよう思っていた矢先のコノ体たらく…。 全くチ(シ)ョウがない腸を持ったものである。 (妻・幸筆)********************************************************************************** 《付記》2004年5月30日の誠、日記再読所感 ☆試験も終り、夜はYBさん宅でフラメンコ・ギターの名盤を観賞☆全くチ(シ)ョウがない腸を持ったもの 潮風に、洗車したての愛車も直ぐにベタベタ。 ママの不調で散歩にも行けず、退屈しきって私に纏(マト)わり付く娘達の姿が瞼に浮かぶ。 そんな困惑続きの「昔・誠」にとり、YBさんの奥さんの誘いは実にグッド・タイミング。 滅入りがちだつた週末も、聴かせて貰ったフラメンコの響きに何時か掻き消されたようだ。 それにしても、朋子の消化器の弱さには、今も本人共々泣かされどうしだ。 そんな弱味からか、食事には人一倍神経質で、三度の食事量も普通の人の半分以下。 果物でも1つを丸々食べきる事は稀で、バナナは3分の1、蜜柑は半分といつた具合。 蜜柑などは剥いて食べ残し、カバカバしてしまっている物がアチコチに目に付く為、 戦時育ちの私は、ツイ勿体無いと食べ残しを自分のお腹に入れて後始末する事となる。 それで「私が太ったのは、オマエの過ぎた寡食も原因だ」と冗談を言うと、ムキになり、 「そうやって、自分に都合の悪い事は全て私のセイにしてしまうんだから…」と怒る幸。 そんな悲喜劇もパターン化してしまった我々老夫婦だが、そんな二人三脚もゴール寸前…。 そう思うと、一つ一つを分け合って食べる果物も感無量。味わい深く噛み締めたくもなる 今日この頃という訳だ。
2004年05月30日
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1967(S42)年8月12日(土)晴のち曇、夕立あり★一寸その辺をドライブのつもりが… 土曜日で、いつもより早目に帰宅したパパに急かされて車中へ。 買物がてら、一寸その辺をドライブ…と思っていた。 ところが、何時の間にやら三津海岸迄の混雑を抜け出し、大瀬崎へ向かってまっしぐら…。 風が相当に強く、千本や静浦の海は大分波立っていたのに、この辺まで来ると鏡の面の様。 富士山方向へ細く突き出した岬の内側は、ノッペリと凪いで静かそのもの入り江。 人影も疎(マバ)らで海水も澄み切っているように見えた。 だがコノ大瀬崎には有料駐車場しかなく、その上、何やら夕立ちが来そうな空模様となり、 黒雲に追われるように、早々トンボ帰りして帰途に就く。 一旦、沼津駅前まで戻り西武と富士急で夕食の品を求め、盛り蕎麦で空腹を一先ず抑える。 デパートから外に出てみると、サッと夕立が通った後だった。 埃(ホコリ)も収まり、気持の良い夜となる。 (妻・幸筆)
2004年05月29日
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1967(S42)年8月10日(木)晴★10文字日記&ソッと二人だけで… §1. 10文字日記 まことに平凡なる一日。 (妻・幸筆) §2.二人だけで味合う「カルピスの味」ならぬ「トコロテンの味」も乙なもの… 平凡なる日々…。 ソレを意識的に補おうとした訳ではないが、 夕方、銀行から帰宅すると幸は留守。 娘達に聞くと、ママは今、留守中の朱門宅(幸の実家)を見廻りに行ったところ…」との事。 それで、「お母さんに急用があるから、もう暫く留守番していてね」とか何とか誤魔化し、 門前に停めた侭だった車で直ぐ朱門へ向かう。 丁度、所用を済まして勝手口の戸締りをしていた幸を、そのまま攫(サラ)って『梅鉢』へ…。 二人内緒で啜(スス)った冷たい心太(トコロテン)の味の実に爽やかでスリリングだったこと。 それは「初恋の味」ならぬ、七年目夫婦のマンネリと暑さの、お手ごろ解消法。 あの半透明で磯の香漂う海の糸蒟蒻(コンニャク)といった感じは、本当に夏の一番の味覚だ。 留守番役の一菜(カズナ)と二美(ツグミ)も、帰宅後、お団子と風船ガムを貰ってニッコリ…。 まずはもって結構な夏の夕べでした。 (夫・誠筆)1967(S42)年8月11日(金)晴 ★太っちょの「御前様」 今日は銀行で血圧の検査があった。 128~88と言ったところ。 高低差は年齢からすればマズマズ標準に近いが、血圧が幾分低すぎるそうだ。 尚、ついでに体重も量ってみたが、十九貫を少しオーバー気味。 夏ヤセならぬ夏ブトリだ。 節食して少し減量しなければと時々思うのだが、幸の料理の腕ますます冴えて、 一杯のつもりが二杯・三杯・四杯、さては五杯にも及ぶ時さえある。 それゆえ、私は幸にとって「御前様」なのだそうだ。 でも、このニック・ネーム、何時返上できるやらと、思案に暮れる今日この頃である。 (夫・誠筆)--------------------------------------------------------------------------------※(1967.8.11の日記余白、「昔・誠」書き込み記事)*日韓閣僚会議 我が国の大幅譲歩に終わる。 満州国と違い、多くの諸外国にも認められて併合した相手国に何故これほど巨額な…とも思う。*紅衛兵(?)異聞 北京空港で日本共産党員二人が、日本人紅衛兵の一団に集団暴行され、一人が重体。********************************************************************************** 《付記》2004年5月28日の誠、日記再読所感 ☆10文字日記&ソッと二人だけで… (以下、後日執筆予定) ☆太っちょの「御前様」 (以下、後日執筆予定) ************************************************************************※参考事項★1966(S41)年の大きな動き★ 国内…国債発行による景気上昇の反面、消費者物価問題が深刻化。(通年 ) 航空機事故相次ぐ。下記4事故死者計371人(通年) 全日空機東京湾墜落(2月) カナダ太平洋航空機、羽田空港着陸失敗(3月) 英BOAC機富士山上空で空中分解(3月) 全日空YS11型機松山空港で墜落(11月) 戦後最大の交通スト、公労協・交運共闘統一スト突入。(4月) 新東京国際空港を千葉県成田に閣議決定(7月) 自民党代議士・田中彰治、恐喝・詐欺容疑で逮捕(8月) 山口衆議院議長が東京大証事件に関連して辞任(12月) 世界…英国のビートルズが音楽で世界の寵児に(通年) 中国で文化大革命(通年)★1967(S42)年の大きな動き★ 国内…新宿西口広場が完成(1月) 日航が世界一周線の営業開始(3月) 富山県の奇病イタイイタイ病は三井金属神岡鉱業所廃水が原因 と学会発表(4月) ロータリーエンジン車を東洋工業が発表。自動車保有台数一千 万台を突破(5月) ワンマン宰相・吉田茂が死去。(10月…’89に戦後初の国葬) 那覇市で沖縄の即時無条件返還要求国民大会開催(11月) 消え行く都電。銀座線を廃止(12月) 世界…インドネシアのスカルノ大統領失脚(2月) アラブ諸国とイスラエル間に戦争勃発。スエズ運河を閉鎖。(6 月) 中国が初の水爆実験に成功。(6月) ボリビアでゲリラ闘争中の前キューバ工業相ゲバラが戦死。 (10月) 清朝最後の皇帝溥儀が死去(10月) ベトナム戦激化。米首都で十万人反戦集会のデモ隊が座り込み 。(10月) アラブ連合のアスワン・ハイ・ダムが発電開始。(11月)♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
2004年05月28日
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1967(S42)年8月8日(火)晴のち曇★暑さ続く中、日暮れ早くも秋恋しを誘う虫の声 立秋だそうだ。 日中の暑さはマダマダ厳しい。 だがココ数日、夕方から夜中・朝方にかけては誠に清々しいクールな季節になってきた。 耳を澄ますと、リーン・リーンと虫の鳴き声も聞こえるし、 次第に秋が恋しく感じられてくる今日この頃である。 (妻・幸筆)1967(S42)年8月9日(水)晴 ★面接試験&YBさん一家の遊園地行きに妻子同行 §1.面接試験での頭取・副頭取の質問と「昔・誠」の思い 昨日の頭取・副頭取の面接では、 実家の事、ペーパーテストの成績の事、得意とする事などを頭取に…。 作文の事を副頭取に質問された。 勿論、私の地で行けば反撥されるに決まっているから、 可もなし不可もなしと言った答え方をしておく。 昔から気狂(キチガ)いと刃物は使いようと言うからなぁ…。 ところで今日は家の連中、YBさん一家と合流して、富士急ハイランドへ出かけた。 丁度、銀行で割引券を撃っていると言うので、それを3枚買って持たしてやる。 §2.YBさん一家の富士急ハイランド行きに行きに我家の妻子も便乗 夕方、銀行の帰りに御礼がてらYBさんのところへ立ち寄ってきたが、 次男坊のHR君が迷子になるという一幕もあったとか…。 なかなか賑やかなドライブだったらしい。 家では私と入れ違いで帰宅したママ達が、首を長くして居るだろうと早々に退散する。 (夫・誠筆)********************************************************************************** 《付記》2004年5月27日の誠、日記再読所感☆暑さ続く中、日暮れ早くも秋恋しを誘う虫の声☆面接試験での頭取・副頭取の質問と「昔・誠」の思い☆面接試験&YBさん一家の遊園地行きに妻子同行 (以下、後日執筆予定)
2004年05月27日
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1967(S42)年8月6日(日)晴★不公平も甚だしい役席者資格試験 9日の予定の役席者資格試験が頭取の都合で急に7日に変更され、今日は一日家に閉篭る。 何時も冷房の効いた室内に居るためか、この自宅での一日の暑さが何とも身に応える。 それに、銀行生活十数年の間、後半は本部で秘書やら書籍の編纂やらに携わっていたので、 今更、細かな営業の行内ルールを定めた事務規定を読んでも、オイソレとは理解しがたい。 “こんな事で、本部の特殊要員の能力を判定しようなんて、不公平も甚だしい”。 そんなウップンがこみ上げて来て仕方がない。 だが、とにかく馬鹿でもチョンでも頭取は頭取。 無理難題は分っていても受けずばなるまいコノ試験という訳だ。 こうなったら運を天に任せて、ただ頑張るのみだと思う。 では、もう一(ヒト)ふん張りするか…。 そして夕方になったら久しぶりに床屋に行こう。 せめて頭の外側だけでもサッパリした気分で、この理不尽なる試験に臨もう。 (夫・誠筆)1967(S42)年8月7日(月)★受験番号1番。一番前の机に座らされて始まった試験の結果は…? 受験番号1番。一番前の机に座らされて答案用紙を受けとる。 久しぶりに学生時代に戻ったような気分だ。 でも、コレが家族4人の生活に直結すると思うと、責任を痛感させられる。 肩が凝る事、学生時代の比ではない。 それでも一番心配された実務知識の問題が、マアマアと思われる程度には書けた。 何よりであった。 明日は朝から面接だそうだ。 (夫・誠筆)--------------------------------------------------------------------------------※(1967.8.9の日記余白、「昔・誠」書き込み記事)*人事部情報(次長よりの極秘メモ) ペーバー試験の採点結果……58点(※自分) 平 均 点……………………41点 及 落 線……………………50点********************************************************************************** 《付記》2004年5月26日の誠、日記再読所感 ☆不公平も甚だしい役席者資格試験☆受験番号1番。一番前の机に座らされて始まった試験の結果は…? (以下、後日執筆予定) ************************************************************************※参考事項★1966(S41)年の大きな動き★ 国内…国債発行による景気上昇の反面、消費者物価問題が深刻化。(通年 ) 航空機事故相次ぐ。下記4事故死者計371人(通年) 全日空機東京湾墜落(2月) カナダ太平洋航空機、羽田空港着陸失敗(3月) 英BOAC機富士山上空で空中分解(3月) 全日空YS11型機松山空港で墜落(11月) 戦後最大の交通スト、公労協・交運共闘統一スト突入。(4月) 新東京国際空港を千葉県成田に閣議決定(7月) 自民党代議士・田中彰治、恐喝・詐欺容疑で逮捕(8月) 山口衆議院議長が東京大証事件に関連して辞任(12月) 世界…英国のビートルズが音楽で世界の寵児に(通年) 中国で文化大革命(通年)★1967(S42)年の大きな動き★ 国内…新宿西口広場が完成(1月) 日航が世界一周線の営業開始(3月) 富山県の奇病イタイイタイ病は三井金属神岡鉱業所廃水が原因 と学会発表(4月) ロータリーエンジン車を東洋工業が発表。自動車保有台数一千 万台を突破(5月) ワンマン宰相・吉田茂が死去。(10月…’89に戦後初の国葬) 那覇市で沖縄の即時無条件返還要求国民大会開催(11月) 消え行く都電。銀座線を廃止(12月) 世界…インドネシアのスカルノ大統領失脚(2月) アラブ諸国とイスラエル間に戦争勃発。スエズ運河を閉鎖。(6 月) 中国が初の水爆実験に成功。(6月) ボリビアでゲリラ闘争中の前キューバ工業相ゲバラが戦死。 (10月) 清朝最後の皇帝溥儀が死去(10月) ベトナム戦激化。米首都で十万人反戦集会のデモ隊が座り込み 。(10月) アラブ連合のアスワン・ハイ・ダムが発電開始。(11月)♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
2004年05月26日
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1967(S42)年8月5日(土)晴★迷い迷ってヤッパリ買うことにした黒い帽子 実家の父と西武へ買物に行く。 子供連れで日傘を差していると、沢山の荷物を持って子供の手を引く事ができず。 つい暑いのを我慢して炎天下を傘も差さずに歩く結果となってしまう。 まだまだ暑さもつづきそうだし、思い切って帽子を買う事にした。 母より1000円を奮発してもらったので、その範囲内で始めは何とかしたいと思った。 だが、手頃な品で1200円、素敵だ是非欲しいとなると1600円から3000円と撥ね上がる。 さんざん鏡の前で被ったり脱いだりした挙句、買わずに帰宅。 だが夕方、やはり思い直して、込宮先生の所へ手術後の治療に出かけるというパパに頼み、 1600円也の黒い帽子を買ってきてもらった。 (妻・幸筆)********************************************************************************** 《付記》2004年5月25日の誠、日記再読所感 ☆迷い迷ってヤッパリ買うことにした黒い帽子 (以下、後日執筆予定) ************************************************************************※参考事項★1966(S41)年の大きな動き★ 国内…国債発行による景気上昇の反面、消費者物価問題が深刻化。(通年 ) 航空機事故相次ぐ。下記4事故死者計371人(通年) 全日空機東京湾墜落(2月) カナダ太平洋航空機、羽田空港着陸失敗(3月) 英BOAC機富士山上空で空中分解(3月) 全日空YS11型機松山空港で墜落(11月) 戦後最大の交通スト、公労協・交運共闘統一スト突入。(4月) 新東京国際空港を千葉県成田に閣議決定(7月) 自民党代議士・田中彰治、恐喝・詐欺容疑で逮捕(8月) 山口衆議院議長が東京大証事件に関連して辞任(12月) 世界…英国のビートルズが音楽で世界の寵児に(通年) 中国で文化大革命(通年)★1967(S42)年の大きな動き★ 国内…新宿西口広場が完成(1月) 日航が世界一周線の営業開始(3月) 富山県の奇病イタイイタイ病は三井金属神岡鉱業所廃水が原因 と学会発表(4月) ロータリーエンジン車を東洋工業が発表。自動車保有台数一千 万台を突破(5月) ワンマン宰相・吉田茂が死去。(10月…’89に戦後初の国葬) 那覇市で沖縄の即時無条件返還要求国民大会開催(11月) 消え行く都電。銀座線を廃止(12月) 世界…インドネシアのスカルノ大統領失脚(2月) アラブ諸国とイスラエル間に戦争勃発。スエズ運河を閉鎖。(6 月) 中国が初の水爆実験に成功。(6月) ボリビアでゲリラ闘争中の前キューバ工業相ゲバラが戦死。 (10月) 清朝最後の皇帝溥儀が死去(10月) ベトナム戦激化。米首都で十万人反戦集会のデモ隊が座り込み 。(10月) アラブ連合のアスワン・ハイ・ダムが発電開始。(11月)♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
2004年05月25日
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1967(S42)年8月4日(金)晴★久しぶりに緊張した時間をもって気分良し 孔版の勉強を始めてから、そろそろ一ヶ月になろうとしている。 しかし、この一ヶ月間は私やパパの体の故障続きで、決して充実した時を過ごした訳では なかった。 だが、そろそろ一ヶ月目の課題提出義務を果さねばならぬ時に来ているので気が気でなく、 やっと昼間の1時間を割いて制作する。 久しぶりに緊張した時間をもって気分良し。 夜は、店(誠の実家)で原紙を譲ってもらい、いよいよ。本格的な練習に入ることにしよう。 (妻・幸筆)********************************************************************************** 《付記》2004年5月24日の誠、日記再読所感 ☆久しぶりに緊張した時間をもって気分良し (以下、後日執筆予定)
2004年05月24日
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***********************************************************************************************※「お知らせ」昨5月22日の古い日記…の後半記事である〔《付記》「誠、再読所感」〕の執筆は、当初(以下、後日執筆予定)として処理しましたが、遅れ馳せながら加筆完了。只今掲出しましたので、ついでながら遡ってご笑覧願えれば幸甚です。なお、本日の〔《付記》「誠、再読所感」〕の執筆は、また後日、加筆完了の際この欄でお知らせします。(5月23日16時45分追記)***********************************************************************************************1967(S42)年8月3日(木)晴★一家で早起きし、今日からラジオ体操会へ 今日から児童公園で開かれているラジオ体操会に出席することになった。 7時過ぎまで眠っていた我家では、6時おきは辛い事。 だが、まあ何時まで実行できるか、とにかく一家総出でやってみることにした。 首から出欠カードをさげて、二人共、けっこう皆の真似をして手足や体を動かしている。 このくらいの年齢では、体操をすると言うこと自体よりも、毎朝規則正しく早起きをし、 決まった事を実行し続けるということに意義があるのかも知れない。 子供にお相伴して久々大人も身体を動かしてみたが、やはり体が思うように曲がらない。 こんな筈では…と、若い頃と比べた体力の低下を痛く感じた次第である。 (妻・幸筆)********************************************************************************** 《付記》2004年5月23日の誠、日記再読所感 ☆一家で早起きし、今日からラジオ体操会へ (以下、後日執筆予定)
2004年05月23日
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***********************************************************************************************※「お知らせ」この5月22日の古い日記…の後半記事である〔《付記》「誠、再読所感」〕の執筆は、当初(以下、後日執筆予定)として処理しましたが、遅れ馳せながら加筆完了。只今掲出しましたので、ご笑覧願えれば幸甚です。(5月23日16時45分追記)*********************************************************************************************** 1967(S42)年8月1日(火)晴のち曇★子供達に手を引かれ、漸く出掛けた花火大会 恒例の花火大会。 7時過ぎ、華やかな音と共に花火が打ち上げられ、子供達は大きな歓声を上げる。 暫くの間、我家の窓辺の桟敷席で我慢していたが、ついに狩野川に行こうとせがまれて、 親はミコシを上げるハメになった。 夜の浜辺とシーサイド・センターを散策し人波で埋まった狩野川の土手を行く。 もう終りに近く、2・3発の仕掛け花火を見て、煙でモウモウたる街を後にする。 (妻・幸筆) 1967(S42)年8月2日(水)曇のち雷雨 ★雷雨を衝いての花火大会雑感 夏祭り2日目の今日である。 商人は大量の人出を待ち望んだ事であろう。 だが生憎と夕刻から雷鳴轟(トドロ)き大粒の雨となる。 この雨を衝いて幾らかの仕掛け花火が次々と点じられたが、 コレでは川沿いに住むゴク一握りの人々の目を楽しませたに過ぎなかっただろう。 一昨日も西穂高へ登山した長野県の高校の生徒達が、集団で落雷で遭難という事故が発生。 とにかく、今年は本当に雷の当たり年。干害の次は雷と言う訳か、一難さって又一難の感。 化学で習ったように、空中窒素がコレにより肥料化するといったプラス面だけなら良いが、 なかなか思うように問屋は卸さない此の頃の天候ではある。 (夫・誠筆) ********************************************************************************** 《付記》2004年5月22日の誠、日記再読所感 ☆子供達に手を引かれ漸く出掛けた花火大会☆雷雨を衝いての花火大会雑感 相変わらずの短文ながらも、月末から久々に幸の筆跡が甦った。 この前に書かれているのは何時だったかとページを遡ってみると、先月24日以来だった。 その短かさが気になってか、子供達に手を引かれ花火見物をした気分転換が良かったか、 とにかく久々に2日続きの「昔・幸」の日記となっていて、「今・誠」も何かホッとした。 ところで、その花火見物を終え、「煙でモウモウたる街を後にする。」 と結んだ8月1日の幸の日記の結びの一語からか、「今・誠」の思いはフト現実に戻る。 その今昔の境を越えて立ち込めた煙の間に間に見えてきたのが、何と今夜のTVショー。 小泉猿芝居座の年金改革劇が余りのお粗末さに観客騒然。飛んで来そうな座布団を予感し、 狡猾座主自らが観客の怒りを逸らそうと急に演じ始めた平壌再訪、拉致家族救出の茶番劇。 日テレパージ騒ぎやら、政府専用ジャンボ機一機有れば充分なのに予備機まで用意した挙句、 「ナンチャラホイ !!」この成果。 オマケに大層な「援助金」名目の手土産や、「対北対策法案」の取り消し発言などなど…。 一国を代表する首相自らが、こんな屈辱外交をやらかして何とも呆れた家の中のガシ犬だ。 これでは、拉致問題は年金疑惑隠しの煙幕と参議院選対策のダシにされたと言われて当然。 今後は拉致連も、今回帰国できた2家族5人の関係者とは微妙な心理的温度差が生じよう。 その点でも、この小泉座の党利党略優先茶番劇を、金正日はホクソ笑んで居ることだろう。 ハテサテ問題を何時も擦りかえ逃げ延びる純坊、この不始末の幕をどう下ろすつもりか…。 それにしても金正日の奴が、「家族が離れ離れに暮らすなんて…」と言ったとか。 自分が子分共に拉致させて家族を引き裂いておきながら、オトボケにも程がある。 それを人間味も窺わせた等と評していた純坊の随行者がいたが、何ともノー天気野郎。 これでは、今も身内の消息が判らずに悩み続ける拉致連の人達の苦言も馬の耳に念仏。 こんな連中に日本を任せておいたら、何れは逆に彼等の植民地にされちゃうかもね…。 まあ、今日も一杯やった酔眼には、毎度バカバカしい猿芝居中継の煙の向うの方に、 何となく、そんな悲劇も見え隠れしていたようだ。 ハテサテ、毎度ご愛読の皆様方は、今日の小泉座の猿芝居にドンナ思いを抱いただろう? まあ、いろいろアラーナとは思うけどね。(トホホ)
2004年05月22日
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1967(S42)年7月30日(日)曇のち晴★又々妻は里帰りコチトラは試験勉強でウンザリ等々 幸は体の不調を理由に里帰り。 私は誰も居ない我家で、試験のための気の向かぬ参考書を読み読み過ごす。 元々、自行以外には殆ど役立たずの事務規定の勉強だし、直ぐ肩が凝る。 その度に家の内外を掃除したりして気分転換を図り、気晴らしする始末。 夜は、実家の甥っ子のSG坊や(兄の一人息子)を連れて海岸を散歩。 千本レジャーセンターで余興を見て帰る。 7月最後の日曜日とあって、浜辺は今が盛りといった賑わいであった。 本当は今日、姪のYK子(次姉の娘)を何処かへドライブに連れて行ってやる 予定だったのだが、店の車で兄夫婦が代わってくれたそうで、取り止めた。 それで、一人置いてきぼりを喰い拗ねていたSG坊やを逆に誘い出し、 兄夫婦にソレトナクお返しをしたつもりなのだが…。 ハテサテ弟のコノ気持、判ってもらえるか知らん…。 (夫・誠筆)1967(S42)年7月31日(月)晴 ★ママの私は体調悪く、ひねもすノタリノタリかな ママは体の具合が悪く、食事の仕度以外は終日(ヒネモス)寝て暮らす。 しかし暑くて寝ているのも楽ではない。 (妻・幸筆)--------------------------------------------------------------------------------※(1967.7.31の日記余白、「昔・誠」書き込み記事)*「何か有ってか、人事部長を批判」 人事部長の非礼さに腹が立つ。ニャロメ!!*「社内報の間引き」 月刊だった行内誌『SRG』が隔月刊となる。*「見積りの為に来訪予定の鳶職人が約束不履行」 鳶(トビ)のONさん、今日も来ず********************************************************************************** 《付記》2004年5月21日の誠、日記再読所感 ☆又々妻は里帰りコチトラは試験勉強でウンザリ等々☆ママの私は体調悪く、ひねもすノタリノタリかな この暑い最中に、無粋無休の試験勉強を一人ポツネンとさせられてた「昔・誠」。 その昔の吾が姿なれど、何とも気の毒。 オマケに「昔・幸」はアノ手術以来、ヨリ病がちで子供を連れて里帰り中。 実家が近いだけに、こんな時はツイ軽い気持で母親に甘えたくなったらしい。 まあ試験勉強には妻子が居ない方が…と、幸にしてみれば気を使ったのかもね。**********************************************************************************《付記》2004年5月21日の誠、今日の随想★「追悼文に代えて」(小生日記『わが星霜』より抜粋)「NN君、去る18日前夜半過ぎ他界の訃報を知りて」 今20日の朝刊広告で突然彼の訃報を知る。 遂に病床を見舞うことも無く逝きし彼の御霊に、心密かなりと吾が弔意 を伝えたく、斯くこの日記に書き残す事とした私である。 彼とはNM中学入学以来の親友であった。 銀行員として社会人となって以後も、永く私の職場に対する第二保証人 を引き受けてもらい続けた程の仲であった。 また共々若き日には、日本の未来の理想像は修正資本主義に向かうべき という考えで一致した事もある私達であった。 ソレが時代が激変して、思想的な乖離を共に自覚するようになって以来、 自然、お互いに距離を置くようにならざるを得なかった事は、運命とは 言え残念至極。 だが、その後もお互い同じ街に住む竹馬の友として、共々常に気になる 存在だった事も、また心中では否めない事実であったと思う。 あれは既に5・6年も昔になるだろうか…。 私が市役所に急用で出かけた際、一度彼から声を掛けられた事があった。 「暫くぶりに一寸話さないか」と呼び止められたものの、急ぎだったため 「いや又、後日ね…」と別れざるを得なかった。 今こうなると、何か昨日の事のように思い出されてならない。 それが彼との今生の別れとなった事が、何か惜しまれる私である。合掌 !! 若 水 誠***********************************************************************************
2004年05月21日
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1967(S42)年7月29日(土)曇、夕方時雨 ★期せずして重なった恩師NY先生来訪と母校校地移転惜別夜会 昼過ぎに突然、恩師NY先生より電話を貰う。 家族総出の富士見ランド来遊の帰途、4時過ぎの列車まで時間があるので…との事。 丁度土曜日だし何処かへ案内しようと思ったのだが、生憎と又々車が調子悪く入院中で、 家で歓待するより他無し。 尤も、この方も幸が丁度体の具合が悪く、何かと支障が重なってしまった。 まあ心なりと精一杯歓待して、行き届かぬ点は我慢してもらう事とする。 幸い茶菓子だけは、姪YK子(次姉の娘)来訪の為に買った旭園の餡蜜があり大助かり。 不足した分は我家の4人分をそのまま充てて何とか遣り過ごす算段ではいたものの、 イザとなるとソウも行かず先生夫婦も遠慮がち。結局、夫婦別けあって済ます有様…。 オマケに、先生は相変わらず義理堅く手土産まで提げてご来訪とあっては、尚々恐縮。 とにかく大忙しの午後だった。 夜、漸く修理わ終え戻った車を駆ってNH高校へ…。 母校移転に際してのファイヤー・ストーム出席の為である。 題して“KRの地に惜別する会”とか。 夕立一去の母校運動場が暮れなずむ頃。香貫山香稜台より下ってきた聖火ランナーが、 旧校舎の一角を取り崩して築いた古材の山に、赤々としたトーチを一際高く掲げ点火。 いよいよ式典が始まる。 高々と燃え盛る火を中心にOB・現役入り混じり、校歌や応援歌等を次々と合唱する。 パチパチと燃える火の音と共に、今臨終の校舎に木魂(コダマ)せよとばかりに歌う。 やがてフォーク・ダンスが始まり、踊りと歌の輪が、思い出と共に波紋の如く広がる。 明治以来、三つの世代の若人(ワコウド)の夢を育(ハグク)んだコノ“KRの地”から、 母校の姿が忽然(コツゼン)と消えてしまうなんて事は、予想だにしなかった我々だ。 何としても寂しい限りだが、目まぐるしい時代の推移には抗す術も有るまい。 夜が更け行くにつれ“惜別の宴”は、現役男女生徒が疲れも知らぬ気に踊り狂う姿を、 コノ庭で過ごす間にあった様々な思い出を反芻するかのような面持ちのOB達の瞳は、 そうした感慨を秘めて何か潤みがちに燃える炎を映し、真っ赤な顔の中で光っていた。 (夫・誠筆)********************************************************************************** 《付記》2004年5月日の誠、日記再読所感 ☆期せずして重なった恩師NY先生来訪と母校校舎移転惜別夜会 それにしても、この思い出懐かしき母校最後の日に際し、恩師NY先生来訪は正に奇縁。 まるで、誰かが知らせでもしたような以心伝心といった来訪だった。 私が社会人として巣立つまで、ソレこそ星の数ほど先生と呼ばれる人々と出会ったのだが、 ソノ中で、古希過ぎた今日まで心から敬愛できる師となると、このNY先生ほか数氏のみ。 その何れもが、「自分は、お前の先生だぞ」といった前提を少しも感じさせず接してくれ、 私と言う人間の長短を見抜き、その慈愛と懐の深さを感じさせてくれた人々だったと思う。 そんなNY先生が私達の結婚式で述べた祝辞が、苦笑させられたのに何故か忘れられない。 「私は英語の教師として若水と出会った者ですが、彼に英語を教えたという記憶が今も尚 ございません」。 …な~んて言葉で始まって、花婿としてツンボ桟敷に置かれた私に、目を白黒させたもの。 しかしながら、それでも私たちは何故かウマが合い、時に激論を戦わす事もあったものだ。 でもソンナ事があっても、直ぐ忘れて折々訪ね会い語り合い、生ある間、常に仲良くして いただいた。 まあ、そんな不思議な人間的な魅力を感じ、お互い一期一会を大切に貫いた間柄だった。 そんな素敵な人の殆どが、今は逝きて遥かな黄泉の人とは、実に実に寂しい限りである。************************************************************************※参考事項★1966(S41)年の大きな動き★ 国内…国債発行による景気上昇の反面、消費者物価問題が深刻化。(通年 ) 航空機事故相次ぐ。下記4事故死者計371人(通年) 全日空機東京湾墜落(2月) カナダ太平洋航空機、羽田空港着陸失敗(3月) 英BOAC機富士山上空で空中分解(3月) 全日空YS11型機松山空港で墜落(11月) 戦後最大の交通スト、公労協・交運共闘統一スト突入。(4月) 新東京国際空港を千葉県成田に閣議決定(7月) 自民党代議士・田中彰治、恐喝・詐欺容疑で逮捕(8月) 山口衆議院議長が東京大証事件に関連して辞任(12月) 世界…英国のビートルズが音楽で世界の寵児に(通年) 中国で文化大革命(通年)★1967(S42)年の大きな動き★ 国内…新宿西口広場が完成(1月) 日航が世界一周線の営業開始(3月) 富山県の奇病イタイイタイ病は三井金属神岡鉱業所廃水が原因 と学会発表(4月) ロータリーエンジン車を東洋工業が発表。自動車保有台数一千 万台を突破(5月) ワンマン宰相・吉田茂が死去。(10月…’89に戦後初の国葬) 那覇市で沖縄の即時無条件返還要求国民大会開催(11月) 消え行く都電。銀座線を廃止(12月) 世界…インドネシアのスカルノ大統領失脚(2月) アラブ諸国とイスラエル間に戦争勃発。スエズ運河を閉鎖。(6 月) 中国が初の水爆実験に成功。(6月) ボリビアでゲリラ闘争中の前キューバ工業相ゲバラが戦死。 (10月) 清朝最後の皇帝溥儀が死去(10月) ベトナム戦激化。米首都で十万人反戦集会のデモ隊が座り込み 。(10月) アラブ連合のアスワン・ハイ・ダムが発電開始。(11月)♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
2004年05月20日
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1967(S42)年7月28日(金)晴 ★試験・姪の子守・職人来訪・従妹RU子宅訪問 来月9日午前10時から又々試験だそうだ。 「試験試験は、学生時代だけでモウ沢山 !!」と言いたいところだが、か弱きサラリーマン の私には、抵抗する術(スベ)もない。 嗚呼 …。 夕刻、母から電話があり、「今、東京から帰った…」との事。 そして、 「一緒に姪のYK子(次姉の娘)も連れて来たので、日曜日に何処か連れて行ってやって…」 と頼まれる。 試験の事や車の調子等、まあ余りグッド・タイミングとは言えぬが、これも付き合いの中、 止むを得まい。 出入りの鳶(トビ)職人、OMさんが夕食時に来訪。明後日、また見積りのため来宅する由。 家が先年結婚した従妹RU子の新居がある東芝機械大岡寮の近くだと言うので送って行く。 零細な土建屋稼業とは言え、余りの荒屋(アバラヤ)に住んで居るのを知り、気の毒になる。 この界隈には、戦災直後の焼けトタンバラックが、未だに住宅として現存していて驚いた。 これでは、我家の物置を見て、「モッタイナイ!!」と呟(ツブヤ)く筈(ハズ)である。 帰途、RU子の処へ寄り、一寸話す。 今月七ヶ月になったばかりという長男・NK君と初顔合わせ。 文字どうり「丸々と太った」という表現がピッタリの赤ちゃんだった。 (夫・誠筆)--------------------------------------------------------------------------------※(1967.7.28の日記余白、「昔・誠」書き込み記事)*何か時の彼方に没し意味不明な書き込み1件 T(実際は○で囲ってある)・R ING 挿入********************************************************************************** 《付記》2004年5月19日の誠、日記再読所感 ☆試験・姪の子守・職人来訪・従妹RU子宅訪問 >零細な土建屋稼業とは言え、余りの荒屋(アバラヤ)に住んで居るのを知り、気の毒になる。 >この界隈には、戦災直後の焼けトタンバラックが、未だに住宅として現存していて驚いた。 >これでは、我家の物置を見て、「モッタイナイ!!」と呟(ツブヤ)く筈(ハズ)である。 との記事は、 未だ敗戦と言う厳しい悲劇を背負った侭の人が、相当居た事を目の当たりにした「昔・誠」の 心に大いなる衝撃だったに違いないと再認識させられる。 それにしても、銀行という世界に入り、仕事柄とは言え毎日ウズ高い万札の山に囲まれていると、 どうも世の中がヨリ以上に世知辛い事を、何時の間にか忘れてしまいやすい。 「上を見ればキリは無いが、下を見ればモットモット厳しい現実があると言う事を、誰もが常に 念頭にして生きることが、人間の限りない欲望を消化し、皆々幸せになる捷径…」。 そんな意味の言葉を何時か誰かも書いていたように思う。 今回の国民年金保険料未納騒動では、何かとアタフタしている政治家や公務員もサゾ多かろう。 己の公僕たる本来の使命も何のその、一国の首脳が強弁これ努める姿は浅ましいと言う他無し。 何がライオンだぁ。初志は兎も角、今じゃ薄汚い三百代言そのものじゃねえか。鏡を見てみろよ。 先生先生と持ち上げられ、結局のところブチ壊してくれたのは庶民の暮らしばかり。恥を知れ !! ともあれ、こんなマンネリ化して国蔵虫集団と成り果てた公僕共に国の舵取りを任せておいては、 日本丸の行手は真っ暗闇。 この際、法に抵触するや否やは国民の判断に任せ、保険料の未納者リストを速やかに公開せよ。 巧言令色に惑わされず、少しでも未納が有るマンネリ化した議員には政治家を辞めてもらおう。 ヨリ愛国の熱情に燃え、人類愛に目覚めた誠実で有能な野人が、世の中には一杯いると思うぜ。 現に、あのイラクで人質になり、態の良い囚人同然に連れ帰られながら、毅然としていた若者達。 中でもあの18歳の若者の態度にはジーンときたなぁ。大人でも真似の出来ぬ立派さだったよん。 あのパウエルさんさえ絶賛していたのに、日本政府の代表たちの言動は正反対。 コレじゃ誰かさんが大好きな靖国神社の英霊達さえ、「もうダシにされるのはコケケッコウ !!」。 出来る事なら、ああした高潔優秀な若者にこそ是非、この国の明日を任せて見たいものだなぁ。 若いから当初は失敗もあろう。だが毒に染まった奴よりシガラミが無く国蔵虫一掃には最適だ。 今後の選挙では、無党派層も野党に投票し先ず流れを変えよう。そう、未納議員以外の候補にさ。 野党全てが結集し選挙管理内閣が作れたら、舐められ憤る庶民の意志と怒りが結実に向かう筈。 それで駄目なら、最後は「ラ・マルセイュズ」でも歌って国会をバスチーユにする他に策なしだ。 私は古希を迎える今になって、漸く血生臭いフランス革命が必要悪だったと漸く判った気がする。 でも、あの国会前をギロチンで斬首された悪議員や汚職官僚一族の腐れ血で汚したくはない。 この古希爺も、余り国民を舐めきった国会議員達の言動聞きすぎてか、そんな悪夢ばかり見る。 でも広島・長崎に象徴される計り難い代償を払わされて、漸く実現したコノ平和な国なればこそ、 国連も虚仮(コケ)にする米国の尻馬を担がされるより、世界一立派な平和憲法を死守したい。 とにかく、大義名分も無く徴兵される世の中も、革命の悪夢ばかり見る世の中もモウ御免だよ。 まあソンナ白昼夢を現実とせず、コレまで甘い汁吸ってた盗人先生方も今が身の引き時では…? ともあれ、皆まず今度の参議院選挙には棄権せず、舐められた奴等に唾吐き返しに行こうよな。 ああ又、随分脱線しちゃったようだけど、胸に詰まったものゲロして、もう酔い心地最高やぜ !! 「ウィー、文句有るやツァー、相手になってやるぞぉ。矢でも鉄砲でも持って来い !!」(フフフ)
2004年05月19日
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1967(S42)年7月25日(火)晴 ★「会長追想録・正誤表」発送の忙しさの中で腹痛。…が、何時か治まりペンキ屋も続行 昨夕納品された「会長追想録・正誤表」の発送を終わる。 午後3時までに何が何でも間に合わせてくれという通信課長の督促しきりで、全く忙しなく 作業を進めた。 又、折悪しく腹痛も起こり、苦しい思いをしながらアタフタ駆け回ることになってしまう。 しかし、夕刻までに腹痛も何時か解消。夕方のペンキ屋も予定どうりノルマを果し終わり、 やり残した分の半分ほどは作業が進んだ。もう一息である。 (夫・誠筆)1967(S42)年7月26日(水)晴 ★SG奨学生補導会を前に又々副さんの急用にアタフタ 副頭取が「明日11時より行われるSG奨学生補導会用として、『会長追想録』の中の一文 を10ページほど抜粋してパンフレットを作るように…」と、今朝になって事も無げに言う。 余すところ時間は何と半日ほどである。 いつもながら、足許から鳥が飛び立つような慌しさを感じる話でキリキリ舞いさせられた。 幸いコンナ事も有ろうかと、渋るTS印刷の担当者を口説き、紙型をサービスとして保存 させてありヤレヤレだった。 それでなければ、こんな無理な要望には到底応えられなかったと、『前頭取追悼録』編纂 で学んだ印刷知識が図らずも役立った事を内心喜ぶ。 尤も、足許を見られてか大分恩を着せられ、少々高めな見積もりにも目を瞑(ツム)らねば ならぬ形勢だし、明朝コチラから製品受け取りに出向く破目にもなる。ヤレヤレ。 (夫・誠筆)1967(S42)年7月27日(木)晴 ★暑いSG奨学生補導会を漸く終ると、お後が又々宿直。ああ、嫌になっちゃったなぁ~ 今日は朝から、東奔西走の大忙しであった。 家を出て直行したTS印刷では、直ぐに受け取れる手筈だった例のパンフレット千冊が、 未だ製本行程にあったため約1時間も待たされる。 それから直ぐ銀行へ急ぎ、「SG奨学生補導会」でのパンフレット配布を間に合わせ、 併せて会場風景の写真撮影と録音に入る。 終わって奨学生を愛鷹山麓に有るオーナー一家の墓所へ引率。 参詣後、千本松原の井上靖文学碑と我入道海岸の芹沢光治良文学碑に案内。 見学を済ませて沼津駅まで送り届けて無事行事は閉幕。 補導する方も、補導される方も、唯々「暑い暑い」の難行苦行であった。 午後4時過ぎになり漸く解放され、その足でKM医院へ向かう。 手術後の消毒とガーゼの取替えを済ませ、冷房の効いた待合室でホッと一息…。 でも、ソレも束の間、お後に又々宿直という何とも無粋なお役目が待ち構えていて、 「ああ、嫌になっちゃったなぁ~」と言いながら、黴(カビ)臭い布団に入り一日がチョン。 (夫・誠筆)********************************************************************************** 《付記》2004年5月18日の誠、日記再読所感 ☆会長追想録・正誤表」発送の忙しさの中、腹痛が…。でも、ペンキ屋も後半分程に…☆SG奨学生補導会を前に又々副さんの急用にアタフタ☆暑いSG奨学生補導会を漸く終われば、お後が又々宿直…。ああ、嫌になっちゃったなぁ~ (以下、後日執筆予定) ************************************************************************※参考事項★1966(S41)年の大きな動き★ 国内…国債発行による景気上昇の反面、消費者物価問題が深刻化。(通年 ) 航空機事故相次ぐ。下記4事故死者計371人(通年) 全日空機東京湾墜落(2月) カナダ太平洋航空機、羽田空港着陸失敗(3月) 英BOAC機富士山上空で空中分解(3月) 全日空YS11型機松山空港で墜落(11月) 戦後最大の交通スト、公労協・交運共闘統一スト突入。(4月) 新東京国際空港を千葉県成田に閣議決定(7月) 自民党代議士・田中彰治、恐喝・詐欺容疑で逮捕(8月) 山口衆議院議長が東京大証事件に関連して辞任(12月) 世界…英国のビートルズが音楽で世界の寵児に(通年) 中国で文化大革命(通年)★1967(S42)年の大きな動き★ 国内…新宿西口広場が完成(1月) 日航が世界一周線の営業開始(3月) 富山県の奇病イタイイタイ病は三井金属神岡鉱業所廃水が原因 と学会発表(4月) ロータリーエンジン車を東洋工業が発表。自動車保有台数一千 万台を突破(5月) ワンマン宰相・吉田茂が死去。(10月…’89に戦後初の国葬) 那覇市で沖縄の即時無条件返還要求国民大会開催(11月) 消え行く都電。銀座線を廃止(12月) 世界…インドネシアのスカルノ大統領失脚(2月) アラブ諸国とイスラエル間に戦争勃発。スエズ運河を閉鎖。(6 月) 中国が初の水爆実験に成功。(6月) ボリビアでゲリラ闘争中の前キューバ工業相ゲバラが戦死。 (10月) 清朝最後の皇帝溥儀が死去(10月) ベトナム戦激化。米首都で十万人反戦集会のデモ隊が座り込み 。(10月) アラブ連合のアスワン・ハイ・ダムが発電開始。(11月)♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
2004年05月18日
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1967(S42)年7月23日(日)晴 ★夫婦で日曜一日かかっても、半分やり残した門塀塗り替え 近頃、隣近所で門や塀の改装が盛んだ。 デザイン・経済性・耐久性とも、それほど他に引けはとらぬと自負していた我家の塀だが、 この辺で均合(ツリアイ)上、ペンキの塗り替えだけは行っておく必要を感じる。 で、今日は朝から夫婦揃って俄かペンキ屋を始める。 始めに錆落としのための、ワイヤーブラシ。 次に錆び止めのための、茶色いペンキ・ブラシ。 そして最後が、 門扉(モンピ)用のシルバーと、ビニ金網サッシ塀用の、ブルーのペンキを塗る仕上げブラシ。 つまり、3種4本のブラシを使い分けて行う3行程の必要欠くべからざる面倒な作業である。 又その段取りが難しく、丸一日かかっても漸く半分がとこ進捗(シンチョク)したのみだった。 まあ残りの仕上げは、背中の日焼の痛みも考え合わせ、早朝と日没時にボツボツ片付けよう。 尤も、この気持を幸に話したところ、頻(シキ)りに眉(マユ)に唾(ツバ)を付けてカラカワれた。 「早起きなんか、とても貴男には出来っこない」と言う意味なのである。 こうなると、意地でも初志貫徹と行きたいところだ…。 (夫・誠筆)--------------------------------------------------------------------------------※(1967.7.23の日記余白、「昔・誠」書き込み記事)◎雑件2話*夜、切れなくなった包丁類をYB家へ持って行き、TMちゃんに砥いてもらう。*スーパーMKの御主人に預金勧誘の話をしたところ、長く手間取り、幸、カッカとなる。━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━1967(S42)年7月24日(月)曇、ときどき雨 ★朝1夕1で俄かペンキ屋続行. その1:「半行日記」 台風十号の影響で、時々雨が降る。 (妻・幸筆) その2:「ペンキ塗りの疲れにもめげず、幸の半行日記に加筆」 6時起床。予定どうりペンキ屋を始める。 朝の1時間と夕方の1時間の計2時間づつ、これから毎日続けて今週中には埒(ラチ)を…。 そんな心づもりではある。 (夫・誠筆)********************************************************************************** 《付記》2004年5月17日の誠、日記再読所感 ☆夫婦で日曜一日かかっても、半分やり残した門塀塗り替え☆朝1夕1で俄かペンキ屋続行 行間からペンキ塗り替えに脂汗をかき、フーフー言ってる誠と幸の姿が垣間みえるようだ。 それにしても、翌24日に書いた幸の半行日記を見て、何か物足りず後で書き足した誠の顔。 想像するに余りあり、「今・誠」も些か感慨無量の感。 何?「如何に感慨無量か」って…。 それは言わぬが花って言うじゃないの…。(フフフ)
2004年05月17日
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1967(S42)年7月22日(土)晴 ★入院で遅れ「お中元」のつもりが「暑中見舞い」に… 土曜日で早帰りのパパと共に、気懸かりになっていた御中元のご挨拶に行く。 仕事や病気などで御中元の時期が一週間ばかり遅れてしまったので、暑中見舞の貼札とした。 尤も、先に訪問した三島のK伯父さん(誠の母の長兄)の所へは、自宅で静養中らしいので、 病気見舞いの貼札で果物の盛り合わせを選ぶ。 その後で沼津へ戻り、第二保証人をお願いしたパパの親友、NGさんの所を訪問したところ、 何時もの事ながら、NGさんからは、お返しの方を今回も逆に多く戴いてしまった様子で、 又々恐縮しながら帰宅する結果となってしまった。 (妻・幸筆)********************************************************************************** 《付記》2004年5月16日の誠、古い日記再読所感 ☆入院で遅れ「お中元」のつもりが「暑中見舞い」に… この年のお中元を「病気見舞」として届けたK伯父も、「暑中見舞」として届けたNGさんも 共に私が銀行員として勤める為、銀行から要件として求められて依頼した身元保証人だった。 如何に自分自身では不正などするつもりがないと言ったところで、使う側にしてみれば実に 都合の良い制度が、この身元保証制度だったと思う。 逆に、使われる側にとっては実に気詰まりな制度で、資産家の親族や知己にソレを頼む事は、 何か申し訳なくて、保証書の更新書き換えの度に平身低頭してお願いに行ったものだった。 また逆に頼まれる立場になった事も有るが、まかり間違えば本人に代わり勤務先に全額弁済 なんて例も良く耳にしたので、相手が誰でも憂き世の義理を感じざるを得なかったものだ。 そして、この保証人の事で双方何となく気詰まりとなり、縁を断った友さえあった。 だから定年近くなり、この制度が一定年限勤め続けた者だけでも廃止された時はホッとした。 やはり身元保証制度は、十年以上勤め上げた正社員の監督責任は企業側が負うべきだと思う。 また身元保証を代行する保険会社が存在しても良さそうに思うのだが、如何なものだろう? 頼む側にしても、知人同士で嫌な思いをするより保険料を支払って保証を代行して貰えれば、 金銭には代えられぬ福音だと感じる者も多かろう。 そんな事を思わせた、今日の古い幸の短文日記の紙背だった。
2004年05月16日
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1967(S42)年7月21日(金) ★円座持参で久々出勤&離れ増築を夢想 まだ傷は痛いが、そうそう休んでばかりも居られないと、円座を持参して出行する。 暫く続いた布団の上の生活の為か、今日は一日中フラフラと目眩(メマイ)のような感じが 付きまとう。 でも、忙しくなくって大幸じあわせだ。 夜は、裏庭に五・六坪の離れを立てる事を想定したプランを練る。 又、紙上プランのみに終わるかも知れないが、これはこれで又、結構楽しいものではある。 尤も、実現した折の事を考えて、裏の地所の現名義人である兄の、了承だけは取っておく。 (夫・誠筆)********************************************************************************** 《付記》2004年5月15日の誠、日記再読所感 ☆円座持参で久々出勤&離れ増築を夢想 まだお尻の傷が痛むのに、円座持参の出勤か…。 トホホ、宮仕えではマア仕方がないよな。 有給休暇は常に使いきれないほど残っていたが、額面どうりと思ったら大間違い。 今も昔も、平社員は病気でもオチオチ寝ても居られないのが実情。 尤もフリーターという労働予備軍が、正社員の十倍も居て首のスゲ変えも自由な昨今だ。 円座持参でも無事おさまって、何はともあれ定年まで勤め終えた事は上々かな…。 まあ、同期の桜は皆途中で居なくなったし、決して居心地も良くは無かったがね。 でも、家族の事を考えると、会社人間は打ち上げられた人工衛星のようなもの。 余程才能に自信がある人や幸運に恵まれた人は別にして、廻り続けるしか無かよね。 思い切って飛び出せば、もっと自分らしい有意義な人生が開けたかもしれないが、 正直その勇気が遂に出なかったなぁ。 何時も「短気は損気」と自分に言い聞かせ、遂に古希を迎えちゃったなぁ。嗚呼 !! それにしても、憲法で守られている筈の働く者の人権、 今、何処さ行っちゃたんかいなぁ !! ************************************************************************※参考事項★1966(S41)年の大きな動き★ 国内…国債発行による景気上昇の反面、消費者物価問題が深刻化。(通年 ) 航空機事故相次ぐ。下記4事故死者計371人(通年) 全日空機東京湾墜落(2月) カナダ太平洋航空機、羽田空港着陸失敗(3月) 英BOAC機富士山上空で空中分解(3月) 全日空YS11型機松山空港で墜落(11月) 戦後最大の交通スト、公労協・交運共闘統一スト突入。(4月) 新東京国際空港を千葉県成田に閣議決定(7月) 自民党代議士・田中彰治、恐喝・詐欺容疑で逮捕(8月) 山口衆議院議長が東京大証事件に関連して辞任(12月) 世界…英国のビートルズが音楽で世界の寵児に(通年) 中国で文化大革命(通年)★1967(S42)年の大きな動き★ 国内…新宿西口広場が完成(1月) 日航が世界一周線の営業開始(3月) 富山県の奇病イタイイタイ病は三井金属神岡鉱業所廃水が原因 と学会発表(4月) ロータリーエンジン車を東洋工業が発表。自動車保有台数一千 万台を突破(5月) ワンマン宰相・吉田茂が死去。(10月…’89に戦後初の国葬) 那覇市で沖縄の即時無条件返還要求国民大会開催(11月) 消え行く都電。銀座線を廃止(12月) 世界…インドネシアのスカルノ大統領失脚(2月) アラブ諸国とイスラエル間に戦争勃発。スエズ運河を閉鎖。(6 月) 中国が初の水爆実験に成功。(6月) ボリビアでゲリラ闘争中の前キューバ工業相ゲバラが戦死。 (10月) 清朝最後の皇帝溥儀が死去(10月) ベトナム戦激化。米首都で十万人反戦集会のデモ隊が座り込み 。(10月) アラブ連合のアスワン・ハイ・ダムが発電開始。(11月)♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
2004年05月15日
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1967(S42)年7月19日(水)晴、午後雷雨★五十代では我慢できた事でも… 日中の暑さは、正しく熱さと言いたいほど。 こんな陽気では誰しもカッカするが、店(誠の実家)で又ゴタゴタが生じたとの事。 対岸の火事と済ましていられぬ事態らしいが、何とか上手く纏(マトマ)ってほしいもの。 よく朱門(幸の実家)の母が、 「五十代では我慢できた事でも…、六十代、七十代となると、笑って済ませて置けない…」 と言った事がある。 だんだん人間は気が弱くなってくるのだから、周囲の労(イタワ)りが必要なのだろう。 結婚して十五・六年も経つ嫂(ネエ)さんだ、共に同じ屋根の下に居たら、 「姑(ハハ)」と言うより「母」と言う観念も生じてくるのではないかと思うのだが、 所詮、血の繋がりは如何とも成し難いものなのだろうか…。 (夫・誠筆)1967(S42)年7月20日(木)晴 ★義母来訪。鬱積(ウッセキ)した不満を気の毒に思う… 朝早くから、お店のオバアチャンが来訪。 胸の中に鬱積(ウッセキ)した不満をブチマケにきたわけであるが、 原因が何処(ドコ)にあろうと、自分の子供や夫の世話を投げ捨てて、 その面倒が年寄りに降りかかる事は百も承知で家を出て行ったことは理解し難い。 最近、あまり家事をしつけていないオバアチャンだけに気の毒だ。 二美(ツグミ)が鼻風邪を引いてしまった。 耳へ来ると困るので、念のためTB先生へ…。 (妻・幸筆)********************************************************************************** 《付記》2004年5月14日の誠、日記再読所感 ☆五十代では我慢できた事でも…☆義母来訪。鬱積(ウッセキ)した不満を気の毒に思う… 私は実家の直ぐ近くに分家していて、半々づつ出して買った車を昼間実家が商用に使う為、 実家の家族とは朝夕殆ど毎日顔を合わせていた。 それゆえ、両親の健康状態も常に見守っていたし、こうした揉め事も直ぐ跳ね返ってきた。 だから私としては何時もソンナ時は、事の如何より双方をマアマアと先ず鎮めに掛かった。 下手にドチラかへ肩入れしたら、それこそ火に油を注ぐ様なもの。 その辺の手加減が、実に頭痛の種だった事が。恰(アタカ)も昨日の事の如く思い出される。 末っ子夫婦の私達だし、本来なら養親問題でコンナに悩まされるとは思わずに結婚した。 即ち、私の両親は次兄夫婦と同居だったし、幸の両親は長男夫婦が向かいに住んでいた。 ところが、どちらも次第に折り合いが悪くなり、出たり入ったり、別居したりしたので、 最後は結局、実質的には私達夫婦が頼りにされることになったり、泥掛けられたりだった。 そんな兄姉達の、養親を放棄しながら遺産だけは独り占めしようとする身勝手さに呆れ、 諺に言う、「兄弟は他人の始まり」と言う言葉を身に染みて味合った。 つまり早い話が、我々一家は、そんなバブル後に大発生した核分裂家族の一例と言う訳だ。 だから、人生に悔いが無いと言えば嘘になろう。 でもソノ割には両親も既に彼岸だし兄一家の喧嘩の仲裁も不要。実にサバサバしたものだ。 今のところは生活もマズマズだし、最近時折見舞われる体調不順以外は実に平穏そのもの。 こうした過去の喜怒哀楽の記録も、今は唯々噛み締めて、ジッと思い出懐かしむばかり…。 それも老いの楽しみの一つと言えるだろう。 たから、今もし心残りな事は…と問われたら、 両親への感謝と、十分な孝養を尽せなかった事ぐらい…。 そう私は、躊躇なく答えるだろう。************************************************************************※参考事項★1966(S41)年の大きな動き★ 国内…国債発行による景気上昇の反面、消費者物価問題が深刻化。(通年 ) 航空機事故相次ぐ。下記4事故死者計371人(通年) 全日空機東京湾墜落(2月) カナダ太平洋航空機、羽田空港着陸失敗(3月) 英BOAC機富士山上空で空中分解(3月) 全日空YS11型機松山空港で墜落(11月) 戦後最大の交通スト、公労協・交運共闘統一スト突入。(4月) 新東京国際空港を千葉県成田に閣議決定(7月) 自民党代議士・田中彰治、恐喝・詐欺容疑で逮捕(8月) 山口衆議院議長が東京大証事件に関連して辞任(12月) 世界…英国のビートルズが音楽で世界の寵児に(通年) 中国で文化大革命(通年)★1967(S42)年の大きな動き★ 国内…新宿西口広場が完成(1月) 日航が世界一周線の営業開始(3月) 富山県の奇病イタイイタイ病は三井金属神岡鉱業所廃水が原因 と学会発表(4月) ロータリーエンジン車を東洋工業が発表。自動車保有台数一千 万台を突破(5月) ワンマン宰相・吉田茂が死去。(10月…’89に戦後初の国葬) 那覇市で沖縄の即時無条件返還要求国民大会開催(11月) 消え行く都電。銀座線を廃止(12月) 世界…インドネシアのスカルノ大統領失脚(2月) アラブ諸国とイスラエル間に戦争勃発。スエズ運河を閉鎖。(6 月) 中国が初の水爆実験に成功。(6月) ボリビアでゲリラ闘争中の前キューバ工業相ゲバラが戦死。 (10月) 清朝最後の皇帝溥儀が死去(10月) ベトナム戦激化。米首都で十万人反戦集会のデモ隊が座り込み 。(10月) アラブ連合のアスワン・ハイ・ダムが発電開始。(11月)♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
2004年05月14日
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1967(S42)年7月16日(日)晴★§1.慣れぬ入院生活にアタフタ 朝、手帳の書き込みを見ると、今日はTK電気店招待による“夏のデラックス特選会”の日。 「本当は今頃、久々に退院してきた我家の車で“長岡高原ホテル”へ着く頃だったのに…」 幸も内心、そう思ったであろうに…。 だが、我家の奥方は苦情一つ言わなかった。 それだけに愛妻家(?)をもって自認する私としては、逆に可哀そうで滅入りがち…。 それに、朝方、幸が病室へ顔を見せ、年寄りと子供の食事をしてくると帰宅した直後から、 待ってましたとばかりに体温が急に鰻上り。夕方には遂に39度2分にまで達してしまった。 だが生憎と、病室なのにインターホンも呼び鈴もなく、看護婦を呼びたくも動けない。 漸く病室に顔を見せたかと思うと、この程度の熱は手術後だし出ても当り前といった顔。 それに比べ、相部屋のONさんと言う方が、何かと親切に面倒を見てくれ大いに助かった。 傷の場所が場所でなければ、家政婦でも頼んで来てもらう策も無きにしも非ずなのだが、 主な仕事となる生理現象の介助にしても、見ず知らずの他人では出るものも出なくなる。 費用はともあれ、何とも気が進まない。 また母の手助けも、電話でソレとなく遠回しに謎かけて見たが、酷く頭痛がするとの事。 この上は、少々無理をしてでも退院の他はなしと、24時間ぶりに我家に帰る事に決めて、 タクシーの後席に横になり帰途に就いた。 かくして、「高原ホテル」ならぬ、「込宮ホテル」での一日は終わった。 (夫・誠筆)1967(S42)年7月17日(月)晴 ★§2.退院後の泣き笑い通院 熱が下がり頭痛が治ったら、今度は傷口がズッキリズッキリ傷む。 でも手術前のキリキリがズッキリズッキリになったのだから文句は言えまい。 特に通院してガーゼを取り替えた後の一・二時間が痛い。 ソノ上、これ以上に余分な出費を家計に負わせまいと、タクシー代をケチる。 そのため確かに500円程は節約出来たが、 お尻を浮かすようにしての運転中、「ケチだケチだ」と幸に茶化されどうし…。 これも皆、家族共々の将来を考えての節約なのに…と、些か癪に障った。 何か他人事のような…と怒りたかったが、言葉を返す力もなし。 いや、力むと傷口が傷むと言った方が本音かな…。 (妻・幸筆)1967(S42)年7月18日(火)晴 ★§3.激痛を脱すると、もう夫婦一触即発。だが… 夕刻、一寸した事から二人の感情がこじれ、 あわや危機一髪 !! といったところへ、YBさんの奥さんが二人の子供を連れて来訪。 実にタイミング良く、激論の合間の睨(ニラ)み合い一瞬に現れたから良かったけれど、 際どいところでボロを出し、お互い気まずい思いをするところだった。 お蔭で、夫婦喧嘩の方はは即時停戦が成立してヤレヤレ。 まさに救いの神々の御到来というべきか…。 (妻・幸筆)********************************************************************************** 《付記》2004年5月13日の誠、日記再読所感 ☆慣れぬ入院生活にアタフタ ☆退院後の泣き笑い通院☆激痛を脱すると、もう夫婦一触即発。だが… 本来なら修理が仕上がった愛車の試運転方々「長岡高原ホテル」へ行く筈だった様子。 一風呂浴び、ノンビリと楽しみにしていた最新の電気製品でも品選びして太平楽。 そんな予定の休日が、「込宮病院ホテル」での痛さ不便さに悩まされる事になったとは…。 当てが外れ、「暗い日曜日」を日記でボヤキたくなったり、幸にアタリたくなったりと、 「昔・誠」のイライラする気持が見えるようだ。 まあ何が原因かは書き残されてないが、退院早々の夫婦喧嘩も多分そのモヤモヤからか…。 閑話休題。 さてソノ「暗い日曜日」という言葉で思い出したが、「Sombre Dimanche」という歌ご存知? そう、フランス語読みすれば「ソンブル・ディマンシェ」。つまり邦訳は「暗い日曜日」。 私の生まれたのは満州事変が始まった1932年、世界不況の暗雲と硝煙が人心を暗くした頃。 この唄は、その1930年代に世界的に流行したシャンソンだった。 尤もコレ、原曲はフランスではなくハンガリーの作曲家が第一次大戦後の暗い欧州の憂愁を 歌ったもの。そして、その旋律と歌詩の余りの美しさと切々なる迫真性に魅かれ自殺者激増。 …そんな現象さえ生んだ為、一時この歌の演奏を当局が禁止した程だったと伝えられる。 尤も私がコノ曲を初めて意識して聞いたのは、戦後間もない中学生の頃だった。 「バラ色の人生」とか「パリの空の下セーヌは流れる」とか、明るいシャンソンが多い中。 逆に何とも暗いのに何故か又耳を傾けたくなる、こんな不思議な曲がある事を初めて知った。 特に、この曲が名歌手ダミアにより歌われてから大ヒット、世界中で愛唱され始めたと言う。 そこで横道に逸れ始めたついでに、久々に聞きたくなって昔買ったSP盤を探し出してみた。 すると、ナナ何と、有るには在ったが、酷い皹(ヒビ)が入っちゃってて、これにはガックリ。 A面の『人の気も知らないで』も、B面のコノ『暗い日曜日』も共に名歌手ダミアの独唱盤だ。 何とも惜しい。 まあ何れも若い頃に飽きるほど聞いた擦り切れ盤だが、嫌な事があった時等よく聞いたもの…。 それだけに愛着一入なのである。 まあ、若い皆さんも機会があったら、こういうシンミリしたシャンソンも聴いてみたら如何?. 1936年2月の事、ブダペスト警察はヨゼフ・ケラーという一人の靴屋の自殺につき調べていた。 ケラーの残されたノートには、当時流行していた唄の歌詞が記されていた 。 この「自殺の聖歌」とも「伝説化した名曲」とも云われる何とも因縁深き戦前の名曲には、 そんな物語から始まる一人の男の悲劇が、秘められている。 そんなコノ曲の誕生と作者やその友人達との数奇な運命を描いた同名の映画もあるとか…。 ... 機会があれば一度見てみたいものだ。 参考までに、罅割れた名盤の解説書にはコンナ訳詩が、フランス語の原詩と併載されていた。 まあネットには無かったし、ご存知ない方や関心のある人の為にご紹介しておこう。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 『Sombre Dimanche(暗い日曜日)』 マレエズ、ゴンダ 作詞 レ ゾ ー 作曲 ダ ミ ア 独唱 暗い日曜日……腕に花を抱へ(エ)、 私は疲れ果てた心で『私達』の部屋に戻って来た。 私は、貴方が又やって来る事のない事をもう知ってゐ(イ)たから。 そして私は愛の言葉、苦しみの言葉の数々を口吟(クチズサ)んだ。 私は独りぼっちのまま、そして低い低い声で咽(ナ)いた、 木枯しが何か訴へる様に唸(ウナ)ってゐるのを聞き乍(ナガ)ら。 暗い日曜日ーー 余り苦しくなったら、ある日曜日に死んでしまは(オ)う。 その時貴方が戻ってきても私は発ってゐるだら(ロ)う…… 蝋燭(ロウソク)の火は烈しい希望の様に燃えてゐるだらう。 貴方を見る為。私の眼はぼんやりと開かれてゐるだらう。 恋人よ恐がらないで、貴方を見る事が出来なくても、 眼は生命よりも貴方を愛してゐたと言ってくれるだらう。 暗い日曜日ーー ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ まあ、曲の旋律にはチョイ合わんとは思うが、こうした直訳的な訳詩も味なものだろう。 意訳なら、越路吹雪だったかが唄っていたものに、旋律に合わせた歌詞もあった筈。 確か唄い出しは、 「暗き部屋に花を持ちて、今は褪(サ)めし君が心…」 とか、始まっていたように思う…。 まあ、それはともかく、古い日記のオチは格好の救いの神の到来で夫婦喧嘩も収まってた。 本当、アノ頃の私には良い友達が多かったっけなぁ…。 でも古希も過ぎた今は、真に良き友と思えるのはホンの数えるほどだ。 彼岸に旅立った友も多いし、喧嘩別れした友も居る。 何せあのバブルの頃は、金や権力に眼が眩み、裏切り朝飯前の都会人も多かったものなぁ。 そんな風雪を乗り越えて残った知友は本当に自分にとって珠玉のような存在だ。 これからも大切に、友情を温めて行きたいものと、願うや切なる思いだ。 なお、最後に一言お断りしておく。 この歌詞を読んだからって決して自殺を…なんて考えんときや!! 花も嵐も、踏み越えてこその人生や。 古希過ぎジジイなんて自嘲気味に名乗る「今・誠」も、正直かつては自殺願望もあった。 でも、今は本当に死なずに生き通して良かったと思う。 そして理不尽を押しつけた者が、見えざる神の手により罰せられるのを数多見聞きした。 勿論、中には悪運の強い奴も居よう。でも決して自らは手を下さず神の裁きに任せよう。 相対性原理ではないが、彼岸はネガティブな世界。悪者には高利付の悲運が…と信ずる。
2004年05月13日
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1967(S42)年7月14日(日)曇 ★§1.激痛に苛(サイナ)まれた一夜 三津浜で若い連中に誘われるままナックル・フォアを漕ぎ、 “まだまだ、ボート部一年生には負けることなし”等と好い気になったのも束の間だった。 その時に負ったお尻の擦傷が凄く痛み出し、今日はもう我慢できぬ状態となってしまう。 勤め帰りにKM医院に廻って、応急手当をしてもらったが、一晩中激痛に苛まれる。 (夫・誠筆)--------------------------------------------------------------------------------※(1967.7.14の日記余白、「昔・誠」書き込み記事)* SB君より来意連絡。 夜遅くSB君より電話があり、日曜の夜に来訪の由。 こちらは三津浜での名誉(?)の負傷が化膿。入院するかもしれないと伝えておく。-------------------------------------------------------------------------------1967(S42)年7月15日(土)晴 ★§2.俎上(ソジョウ)の鯉 まさか、三津浜で若い連中に誘われボートを漕いでコレコレシカジカ等と説明するのは業腹。 “臀部(デンブ)外傷化膿・手術の為” 早退届の理由欄には、唯こう記して早々にKM医院へ駈け込む。 KM先生は、こうなると思ったと云った顔付きで、 「とうとう年貢の納め時のようだね」 と、手術を勧めた。 NH高校の一年後輩だつたと聞く若いYG先生も、 「切らないで治癒させようとするなら、まだ此処当分は激痛が続く事を覚悟しなければ…」 と傍でアドバイスしてくれ、とにかく“俎上の鯉”となる覚悟を決める。 しかし、一応それ相応の準備も必要の事とて、一旦車で家に戻り、タクシーで出直す。 途中、H町の実家へ寄ったが、兄達夫婦の旅行の件で、母と兄が大衝突した後とか…。 その余震を感じて、コチラは、母の手助けも頼めぬまま退散。 …かと言って、目下、義母が旅行中で義父の食事も世話しなければならない幸は幸で、 母・娘・妻と一人三役の活躍中だけに、どうしたものかと思案に暮れる。 で、私としては致し方なく手術後は通院する事とし、少々痛いと言う局部麻酔を選ぶ。 幸い執刀医は後輩のYG君だったので、自ら人前に変な格好を曝(サラ)すといった、 恥ずかしさも大して感じず済んだ。ヤレヤレではある。 尤も、手術中は一向に眠くならなかった麻酔薬が、手術室を出た頃から効き出した為、 幸や皆の勧めで、やはり、そのまま入院という事になってしまう。 ええいコウなったら、オテモヤンではないが「後はどうなと、かあなりょたい♪」だ。 (夫・誠筆)********************************************************************************** 《付記》2004年5月12日の誠、日記再読所感 ☆激痛に苛(サイナ)まれた一夜☆俎上(ソジョウ)の鯉 だんだん良くなる法華の太鼓って言うが、あの時の激痛は、まさにその逆。 三津浜から帰って以来、それこそドンツクドンドンと日毎夜毎に痛さが倍増。 何か、お尻が爆発しそうな感じでKM医院へ駆け込んだものだった。 思い切って手術して本当に良かった。 あのまま散らして誤魔化そうなんて、どだい無理だったよなぁ…。 まあ、そんな風に、あの時の古傷の痛みが思い出されてきた私だった。 そしてアノ時の失敗も、自分の体力を過信した事が原因だった。 やはり、「人間は加齢を甘くみてはいけない」。 そうツクヅクと考えさせられた今日の古い日記だった。 ************************************************************************※参考事項★1966(S41)年の大きな動き★ 国内…国債発行による景気上昇の反面、消費者物価問題が深刻化。(通年 ) 航空機事故相次ぐ。下記4事故死者計371人(通年) 全日空機東京湾墜落(2月) カナダ太平洋航空機、羽田空港着陸失敗(3月) 英BOAC機富士山上空で空中分解(3月) 全日空YS11型機松山空港で墜落(11月) 戦後最大の交通スト、公労協・交運共闘統一スト突入。(4月) 新東京国際空港を千葉県成田に閣議決定(7月) 自民党代議士・田中彰治、恐喝・詐欺容疑で逮捕(8月) 山口衆議院議長が東京大証事件に関連して辞任(12月) 世界…英国のビートルズが音楽で世界の寵児に(通年) 中国で文化大革命(通年)★1967(S42)年の大きな動き★ 国内…新宿西口広場が完成(1月) 日航が世界一周線の営業開始(3月) 富山県の奇病イタイイタイ病は三井金属神岡鉱業所廃水が原因 と学会発表(4月) ロータリーエンジン車を東洋工業が発表。自動車保有台数一千 万台を突破(5月) ワンマン宰相・吉田茂が死去。(10月…’89に戦後初の国葬) 那覇市で沖縄の即時無条件返還要求国民大会開催(11月) 消え行く都電。銀座線を廃止(12月) 世界…インドネシアのスカルノ大統領失脚(2月) アラブ諸国とイスラエル間に戦争勃発。スエズ運河を閉鎖。(6 月) 中国が初の水爆実験に成功。(6月) ボリビアでゲリラ闘争中の前キューバ工業相ゲバラが戦死。 (10月) 清朝最後の皇帝溥儀が死去(10月) ベトナム戦激化。米首都で十万人反戦集会のデモ隊が座り込み 。(10月) アラブ連合のアスワン・ハイ・ダムが発電開始。(11月)♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
2004年05月12日
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1967(S42)年7月13日(木)曇★§1.舗装道路の有り難さ染々(シミジミ) このところトルコンの故障で、車は修理工場へ入院中だ。 銀行への往き帰りは勿論、種々不自由を感じる事が多い。 歩く事は15分程だから苦にもならない私だが、松林の中ゆえに乾く暇もない郷林村の事。 こう晴れ間が少ないと、泥田道を行くよう毎日なのが一番の悩みだ。 銀行と言う勤めの性質上、長靴では出勤できず弱ってしまう。 お車様の早期退院の日を、首を長くして待つ今日この頃である。 ★§2.始めは反対だった幸の通信講座受講 さて、かねて孔版技術を身につけたいと云っていた幸が、愈々通信講座を受講し始めた。 夕食の後片付けを済ませ机に向かう妻の横顔は真剣そのものだ。 この調子を何時までも続けられるなら、完全に自分のものとして消化しきれる事だろう。 だが、実を言うと当初私は、これに些か反対した。 何か自分の低所得が、幸にコンナ事まで始めさせた如く意識したからである。 今考えれば、妻に出来るだけ貧乏臭い事は避けてほしいという、妙な見栄だったようだ。 幸が趣味として、又、万一の場合の安全策として習って置きたいと言うコノ提案は、 むしろ自分として感謝し、賞賛すべきであったと思う。 かつて、私は幸の父がN軽金を退職した折、失業保険金受領の権利を放棄したと聞いた。 そのおり私は、定められた保険金を納付した上で、国が約束した額を受け取るのである。 その給付の受領を潔しとせず、臆する態度をとり辞退した事に内心反撥を覚えたものだ。 しかし、今回の幸の孔版技術習得を巡る心の動きにも、これと何か似たものを感じる。 「ワレ年老イタリ」と考えべきであろうか…。 はたまた、「ワレ堕落セリ」と考えべきであろうか…。 何れにせよ、こんな事に拘っていたなんて、あまり感心すべき傾向ではなかったと思う。 (妻・幸筆)********************************************************************************** 《付記》2004年5月11日の誠、日記再読所感 ☆車の修理と泥濘(ヌカルミ) 結婚する少し前迄は、我家と南隣のN家との境界近い市道中央に、松の巨木が立っていた。 その木は、大人が3人がかりで手を回し、漸く抱えられるほどの太さだった。 それゆえ、4m幅程の道が、この部分だけ松を挟み両側に分かれ、6m幅程になっていた。 だが、それでも松が余りに太く、更に潮風で山側に傾斜していて車が通り難かった為に、 近隣から市に、根まで掘り下げての伐採が望まれていた。 ところが、イザその大きな松の老木が取り除かれてみると、何とも困った問題も発生した。 それは、取り除かれた根の部分を補填すべく運び入れたらしい埋め土が悪かったのだろう。 雨が降ると溢れ出す側溝の水が、根の跡に大きな水溜りとなって泥田の如く泥濘みだした、 まあソンナ訳で地元選出の市会議員が、恒久的な対策は完全舗装あるのみと主張してくれ、 我家の門前だけが広くなったコノ市道の舗装は、付近で一番早く実現したように記憶する。 以来、雨が降っても案ずる必要がなくなった。 この日記は、そんな松の木が伐採されて舗装が完成する間の、一時期の難儀を伝える話だ。 ところで、最近は何処の修理工場も車を入院させれば黙っていても代車を貸してくれるが、 まだ車が普及し出したばかりのコノ頃は、そうしたサービスが殆ど普及していなかった。 それと較べると今は舗装道路に下水道まで併設され、浄化槽も不要となった。 毎度ご厄介になるのに、鼻を摘むようにして入った肥溜め式の和風トイレも今は洋式化。 それのみか、前に立てば蓋(フタ)が開き、用を済ませ腰を上げれば水が流れ、蓋も閉まる。 暖房便座に、温風除臭。ソノ上、大切な部分の洗浄から乾燥まで全自動で行ってくれる。 まったく便利になったものだ。 何かと政府や公務員の堕落した姿ばかり見せ付けられ、嫌になるばかりの昨今だが、 こうした面は、本当に良い意味で隔世の感がする。 余り恵まれすぎて、皆が無理をしてまで贅沢を追い求めた結果が、昨今の体たらく。 公僕が主人を欺(アザム)き、自分達だけ豊かになろうとの誤魔化しばかりが大流行。 些か鼻ツマミの話も混じったものの、そうした意味では未だ公僕への感謝の念も湧く、 不便で、何かと貧しさにジッと手をみるような一面も確かに多かったと思うアノ頃。 そうだ、「ボロは着てても心は錦…♪」って歌う演歌の流行も、やはりコノ頃だった。 ああ、何だか古き良き時代の日本が、ジーンと懐かしくなっちゃったなぁ…。 (トホホ) ☆始めは反対だった幸の通信講座受講 「ミミズがのノタクッタような…」と評した友もいた程に悪筆を自認する私だからか、 幸の美しさと速さを兼ね備えた筆記力に、群を抜くものを感じていた当時の私だった。 まあ惚れた弱みもあっての事だったろうが、何か書く事を楽しんでいる風にも見えた。 当時は実家の親父さんの年賀状までも、全て代筆を頼まれるのが恒例だった幸である。 それゆえ孔版技術を…と云い始めた幸の思いは、まず趣味としての熟達にあった筈。 事実、道具一式を買い揃え指にタコを作り頑張っていた姿は、「好きなればこそ…」。 そう思えた。 でもソノ反面、当時、孔版は封筒貼りに次ぐ主婦のバイト仕事といった印象が強く、 何か惨めったらしく思え、自分の妻にはソンナ姿を見たくない一面が私にはあった。 まあプロレタリアートを自認しながら、プチブル的な思いが抜け切れない私だった。 尤も、趣味の追求と思っていた幸だが、漠然たる未来への不安は感じていた様だし、 万一に備える気持もあって、一挙両得を目指したというのが本音だったかも…。 ただ、この孔版技術は、その後主として子供のPTAのお知らせ等に活用したのみ。 家計の足しには余りならなかったように記憶する。 それと幸の親父さんの失業保険金受領の権利放棄問題だが、何か判り難い話だったかも…。 実は、日本屈指の軽金属会社の副工場長だった義父は、一見英国紳士風の好男子だった。 それゆえ親父さんとしては、多寡が知れた金額を貰いに社会保険事務所に通うなんて事は、 何とも恥ずかしくて我慢ならなかったのだろう。 当時の私すら勿体無いなぁと思ったものだが、この不景気の長期化で失業者が溢れる今、 この「武士は食わねど高楊枝」の精神には、妻子すら蔭で惜しむ思いが強かったようだ。 まあ、通称「失業保険」なんて云われた名前も気に入らなかったとは思うが、 それだけ、ご苦労なしでも通せた、実に誇り高く良き時代の月給取りだったとも言えよう。 私同様、そんな風に思った人が多いのではなかろうか…。
2004年05月11日
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1967(S42)年7月12日(水)降ったり止んだり ★クリーニング店を一日休業し、リサイクル洋裁店を開業 こう天候が不順だと、雨が降っても手を抜けず、一日も休まず洗濯物を処理し続けていた。 だが今日は、やることがあるので天候と睨み合わせてクリーニング屋は一日だけ臨時休業。 代わって洋裁店を開業した次第。 古い箱の中から裾の破れたワンピースが出てきた為、それで一菜(カズナ)のエプロンをと思う。 つまり、スナップを外して廃品利用と言う訳である。 それに、近頃の子供達は少々マセ過ぎていて、 「一菜ちゃんは、何時も同じ服を着ているね」 と言われるというそうだ。 それと、今年は何とか間に合いそうだと胸算用はしていたのだが、 思ったより成長が早く、どの服も少々短くなり過ぎた様子。 だから、丁度ママのワンピースの残り切れも出たので、一つ新調してやる事にする。 午後からは、日本脳炎の予防注射。 何時もの事ながら、市の事務の不手際には腹が立つ。 一時間も待たされ、汗だくで帰宅。 無駄な時を費やしてしまった。 (妻・幸筆)********************************************************************************** 《付記》2004年5月10日の誠、日記再読所感 ☆クリーニング店を一日休業し、リサイクル洋裁店を開業 そう言えば、就学前は良く母子二人して同じ柄の服を着て街を歩いていたっけなぁ。 母親にとっても娘にとっても、心楽しい思いだっただろう。 それに引きかえ父親の服ではお対にと言う訳にもいかんし、連帯意識どうも盛り上がらんなぁ。 それと、終戦直後に大流行し多くの子供が命を奪われたり脳膜炎の後遺症を起こし怖れられた、 この日本脳炎のことを思い出した。 孫達にしても最近は余り聞かないように思う。 一度は撲滅宣言がされた結核も最近は再流行の兆しもあるようだが、 疫病も災害と同じで、忘れた頃に息を吹き返すらしい。 今の子供は、予防注射の摂取を義務付けられているのかしら…。 とにかく年金同様、今の役人は金にならない事は、手抜き誤魔化しなんか朝飯前だからなぁ…。 おやおや、今夜の所感も、話が又々此処へ落ち着いちゃったワン。 「ウー、ワンワン !!」。 何処かでガシ犬も吠えてるぜ。 吠えられて口惜しかったら、心が驕り腐った政治家も高級官僚も、この際みな辞職し襟を糺せ。 「オイ幸ちゃん、モウ一本お代わりだ。何だって最近、肴が美味すぎるんでなぁ…」(ウフッ)
2004年05月10日
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1967(S42)年7月11日(火)★何故か尾を引いた幸の「婦人雑誌記事読後感」〔第4回〕平に奥様ご容赦を…。でも、私の書いた真意だけは理解して欲しいなぁ 一週間ぶりの晴れ間。 我家の幸奥様は、たまった汚れ物の洗濯に精を出しすぎて、些か疲れた由。 ホントニ、ホントニ、御苦労様。 ところで一昨日、私がコノ日記に書いた事が気に障ったようなら、平にご容赦を願いたい。 でも、幸と同様に私は私なりに思った事をソノママ書いただけ。 悪意からではないと言う事だけは、認めて欲しく思う。 私としては、たとえ一時ぶつかり合うようなことが起ったとしても仕方がない。 それよりも、お互いの考え方を良く理解し合うことこそ先決。 そうする事で、より良い調和の方法も見出し得ようと思って書いたまで。 それに、元々私は当たらず触らず式の平和は大嫌いな性格だからでもある。 何れにせよ、口は禍の元。無難な形式的な日記を…等とは考えずにもらいたい。 軽い紙上討論会とでも考えよう。 思ったまま感じたままを有りのまま書き記し、風通しを良くしてこそ共白髪への王道と思う。 (夫・誠筆)--------------------------------------------------------------------------------※(1967.7.11の日記余白、「昔・誠」書き込み記事)* 流体クラッチの折損問題 近隣ゆえに日中の常時駐車を条件に車の給油先に決めているKN油業の若い店員が、 鍵が付けてあるのを幸いと、トルコン車を珍しがって運転したが途中で立ち往生。 運転操作を誤り流体クラッチの一部を折損してしまった。 トヨタで分解修理の結果、ローレンジから急にリヤレンジに入れた事が原因との事。 でも、決定的な証拠もなく実家と近所同士とあって、表立っての補償も求めにくい。 仕方がないので、もし先方にその気があれば、新たに入れ替えが必要なトルコン油 程度でも負担願いたいと、主人に伝えてもらう。 ********************************************************************************** 《付記》2004年5月9日の誠、日記再読所感 ☆何故か尾を引いた幸の「婦人雑誌記事読後感」〔第4回〕平に奥様ご容赦を…。でも、私の書いた真意だけは理解して欲しいなぁ夫婦喧嘩とは云わず「紙上討論会」という表現は、まさに夫婦日記なればこそ。まさに夫婦の風通しを良くしようと発案した「昔・誠」の真骨頂的新語だなぁ。 それにしてもソノ夫婦日記。昨年の元旦からを書き始めたのだから、ソロソロ一年半にもなる。これで何回目の紙上討論会になるのかなぁ。全く飽きもせず、ようやるわい。まあ軽い気持の誠旦那にしても、亥年生まれだからか後には決して引かない幸奥様にしても、懲りない事では共々人後に落ちない持って生まれたツヨ~イ性格。ソノ事は、お互い既に古稀を挟む歳となった「今・誠」「今・幸」共に、骨の髄まで自覚した仲。好むと好まざるとに関わらす、これからもページを捲れば再々本性を発揮した場面に出くわす筈。どうぞ、ご来臨の紳士淑女各位。まずは、犬もソッポ向くかもしれない公開夫婦討論会なれども、心大らかに、スポーツでも観戦するが如く、事の成り行きを御笑覧を…。 (「今・誠」、頓首敬白)
2004年05月09日
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1967(S42)年7月10日(月)★何故か尾を引いた幸の「婦人雑誌記事読後感」〔第3回〕オシャベリに崇り有りの今日この頃 本を読んで、なるほど尤もな事と思い、コレを他所にも伝えたい気持…。 我家でも、こうしたらドンナに良かろうかと思って記した事だった。 それを直ぐ、 「私もこうしてやっているから細かい点までツベコベ言うな。 外で働いてきて疲れているではないか…」 と切口上に述べられたのでは、生活の進歩向上も有り得ない。 主婦だけ仕事を軽減しようとしていると云う変な考えが頭にあるからこそ、 そういった恩着せがましい意見が出来るのだ。 夏らしい住まい様式にしたら、 玄関から丸見えになる風呂場の戸はキチンと閉める。 見終わった新聞類はキチンと畳んで置く。 着替えた衣服は風呂場の篭(カゴ)へ入れる。 脱いだ靴下は二足(左右?)合わせておく。 等々…。 ついでにすれば誰の手も煩わさずに済むことである。 大袈裟に手伝いなどと言わずに「事のついで」と言う言葉も有るほどだから…。 そんな気軽な気持で書いたのに、 「私もオマエの事を黙って後始末してやっている。少しは大目に見ろ」 だなんて…。 これでは、これから本を読んでも唯、自分の心の中に黙ってしまっておく事にしよう。 やはり、 「今日は天気定まらず、洗濯物を軒先から出したり入れたり、忙しい一日だった」。 という形式の日記が無難か。 オシャベリに崇り有りの今日この頃だ。 (妻・幸筆)********************************************************************************** 《付記》2004年5月8日の誠、日記再読所感 ☆何故か尾を引いた幸の「婦人雑誌記事読後感」〔第3回〕オシャベリに崇り有りの今日この頃 妻からすれば、本を読んでフト思った考えを「事のついで」に言った言葉であったろう。 だが夫からすると、常々こう事細かに指示されているのだから我家に戻った気がしない。 つい、「少しは大目に見ろよ」と懇請したくもなろうというものだ。 人間と言うものは、余程の人格者でない限り、とかく自分に甘く人の痛みは感じないもの。 ソンナ事を感じた今日の「古い日記」のページだった。 ところで、到々小泉内閣の大番頭も、自分の強弁を通しきれないと悟った様子。 この福田氏を初めとする年金改悪法案を審議する立場のお偉方の行動も、その悪の典型だ。 なのに誰もが首を傾げる現行制度を、ヨリ改悪温存する法案成立を尚も目指すとは何事か !! 役職辞任は当然だが、年金財政の破綻の真因は彼等と官僚の怠慢と我田引水に発したもの。 議員年金は退職金に代わるもの…なんて理屈は厚かましいも程がある。全て辞退すべきだ。 その上で、コレまでの国保との保険料差額分を全部支払い、一本化してこそ公正を期せよう。 まあ本当に腹が立ち、この程度は書き並べさしてもらわんと虫が治まらんわい。(ホホホ) さて今日の所感は腹立ち紛れの大脱線。古稀爺、何とも目茶苦茶やなぁとの声も聞こえる。 それでは、そろそろ今夜のトックリも空っぽだ。 「オシャベリに崇り有り」とした幸ではないが、遅まきながら己が愚を悟らせていただき、 毒舌に蓋をするとしよう。(ウィー !! ムニャムニャ)************************************************************************※参考事項★1966(S41)年の大きな動き★ 国内…国債発行による景気上昇の反面、消費者物価問題が深刻化。(通年 ) 航空機事故相次ぐ。下記4事故死者計371人(通年) 全日空機東京湾墜落(2月) カナダ太平洋航空機、羽田空港着陸失敗(3月) 英BOAC機富士山上空で空中分解(3月) 全日空YS11型機松山空港で墜落(11月) 戦後最大の交通スト、公労協・交運共闘統一スト突入。(4月) 新東京国際空港を千葉県成田に閣議決定(7月) 自民党代議士・田中彰治、恐喝・詐欺容疑で逮捕(8月) 山口衆議院議長が東京大証事件に関連して辞任(12月) 世界…英国のビートルズが音楽で世界の寵児に(通年) 中国で文化大革命(通年)★1967(S42)年の大きな動き★ 国内…新宿西口広場が完成(1月) 日航が世界一周線の営業開始(3月) 富山県の奇病イタイイタイ病は三井金属神岡鉱業所廃水が原因 と学会発表(4月) ロータリーエンジン車を東洋工業が発表。自動車保有台数一千 万台を突破(5月) ワンマン宰相・吉田茂が死去。(10月…’89に戦後初の国葬) 那覇市で沖縄の即時無条件返還要求国民大会開催(11月) 消え行く都電。銀座線を廃止(12月) 世界…インドネシアのスカルノ大統領失脚(2月) アラブ諸国とイスラエル間に戦争勃発。スエズ運河を閉鎖。(6 月) 中国が初の水爆実験に成功。(6月) ボリビアでゲリラ闘争中の前キューバ工業相ゲバラが戦死。 (10月) 清朝最後の皇帝溥儀が死去(10月) ベトナム戦激化。米首都で十万人反戦集会のデモ隊が座り込み 。(10月) アラブ連合のアスワン・ハイ・ダムが発電開始。(11月)♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
2004年05月08日
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1967(S42)年7月9日(日)降ったり止んだり★何故か尾を引いた幸の「婦人雑誌記事読後感」〔第2回〕余りに働き嵐が来てはと、午後は一家で親友宅へ。だが夜、書いた日記が…。 午前中は、先ず郵便受けの取替え、トイレットの汚れた床の張替えると、庭の掃除を行う。 ついでに、皮膚病と寄る年波で見る影もなく衰えた哀れな愛犬・アヴィヨンを洗ってやる。 水を掛けられて暴れるかと思ったが、案外おとなしく気持良さそうな様子だった。 余程かゆかったに違いない。 さて、余り働くと嵐が来ると言いた気なママの手料理“冷やしソーメン”を昼食に賞味し、 一家揃ってに向かう。 松林を通り抜け、途中でアイスクリームや心太(トコロテン)も食べた。 朝から“散歩に連れて行って”と駄々をこねどうしだった我家のチビ姫様二人の御機嫌も、 この店を出る頃には、ベスト・コンディションとなる。現金な娘達だ。 YB家でも、「童女(ワラワ)は満足じゃ !!」と、MAちゃん(長男)やHRちゃん(次男)と、 大騒ぎして遊びまわり、天下さんソノモノ。 親達は折り良く帰ってきた御主人(親友YTちゃん)を交え、ゆっくり語り会いたいのに、 その五月蠅(ウルサ)いこと五月蠅いこと…。 午後4時、H町の実家に立ち寄って帰宅する。 ところで昨日の日記で幸が提唱していた、“自分の雑用は自分で片付けよう !!”と言う スローガン。私も基本的には賛成だ。 そうする事で主婦の負担が些かでも軽くなればと思う。 それに又、今までもソノつもりで心掛けてきたつもりである。 しかし、すべてに完全ならざるが人間だし、えてして処理を忘れる事もある。 特に宮仕えの私のような者は、一日の緊張を我家に戻り解きほぐそうと思うのが常だ。 それゆえ、ある程度は大目に見てもらいたい。 事実、私は幸から毎日のように、やれ“戸を閉め忘れた”とか“電気を消し忘れた”等、 再々お叱りを頂戴する。 そのこと自体は誠に合い済まぬ事ではある。 だが、夫のコノ程度のミスは許容してもらえぬものかといった気持も、常々一方で働く。 私としては、例え奥さんが鏡台の上に汚れた脱脂綿を放り出したまま棄て忘れていようが、 自分でソッと片付けて極力黙っていたいという主義である。 それは、相手が子供ではないからであり、その人格を尊重したいと思うからなのだ。 勿論、これから人格が形成される子供に対しては、一定の時期迄は躾(シツケ)の意味で、 あくまで容赦なく教え込む必要があると信じている。この点を特に誤解して欲しくない。 ともあれ、この問題については、お互いの善意を信じようではないか。 気付き得る範囲で極力自己の雑事を片付けるよう努めよう。 しかる上での忘れ事は、互いがカヴァーしあうという習慣を、若水家の家風としたい。 わが愛する奥方の意見は如何なりや…。 (夫・誠筆)********************************************************************************** 《付記》2004年5月日の誠、日記再読所感 ☆何故か尾を引いた幸の「婦人雑誌記事読後感」〔第2回〕余りに働き嵐が来てはと、午後は一家で親友宅へ。だが夜、書いた日記が…。 今日の日記を読み返すと、あの「あなた好みの、あなた好みの…」と言う歌の文句と逆に、 二人とも飽きもせず同じように、相手を自分好みに調教しようとしてたような感じがする。 そんな事を思い、キーボードを叩く手を一休みさせ、掲示板の新着カキコを読む。 すると、最近親交増す「TONO9784」さんから、次のような自己紹介風の一文が目に入った。 >こんばんわ~! >私は8人家族で育ちましたよ。 >祖父母は母方、父母と兄弟4人男2人、女2人ですよ。 >現在は7人家族。 >私の父母とパートナー、子供男3人・・・で7人家族 >3世代同居ですよ。 >私の仕事は整体師を現在していますよ。 >今年で6年目です。 >クライアントさんには喜んでいただいております。 >きっちり快方へ導きますからね・笑。 >では、またよろしく! >TONOでした。 (5月6日1時41分) と言う訳で、コレに対し書き始めたのが、次の一文。 ♯TONO9784さんへ ★Re:“月の神秘”0505(05/05) 賑やかな家族に囲まれて活き活きと月日を送るTONOさん。 楽しそうだなぁ !! 私も、祖父母・父母・兄2人、姉2人の計9人家族。 その末っ子として生を享けました。 妻も、結婚当時の実家が同じ松林の中にあり、 両親・兄2人、姉3人の計8人家族の末娘でした。 尤も結婚当時は、双方の兄姉すべて独立結婚後。 老境を迎えた双方の両親と、スープを分け合ってました。 でも今は、娘二人も他家へ嫁し、老妻との二人暮し。 時々、夫々を乗馬と勘違いしたように鞭打って、 飽きもせず、泣き笑いしながら、最終コーナーを通過。 ジャジャ馬化した老妻の鬣(タテガミ)にガッチリしがみ付き、 ゴールへ向かって只今驀進中で~す。(嗚呼、フーフー?? ふふふ) (若水 誠) まあコレ、掲示板まで愛読いただいている御常連の中には、 既に読み終えていて二度読みを強要する結果となったかもしれない。 唯、TONO9784さんの自己紹介文に倣った応答文をと書き始めたのに、 結びの言葉に及ぶと筆が次第に脱線、何か競馬人生風な表現となる。 「何でやろ」と良く考えると、今日の幸の古い日記が脳裏を離れず、 その余韻を拾っての筆の走りが、コノ結びの言葉となった訳。 それにしても、日本恐妻会会長を辞任する「今・誠」ゆえに、、 「こんな事書いちゃったが、見付かったら又一嵐きそうだなぁ~」。 なんて、内心は戦戦兢兢(センセンキョウキョウ)なのだ。 桑原桑原… (ニヤニヤ)
2004年05月07日
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1967(S42)年7月8日(土)降ったり止んだり★何故か尾を引いた幸の「婦人雑誌記事読後感」〔第1回〕TMちゃんのお母さんに借りた『婦人の友』の記事に感じて… 一菜(カズナ)が幼稚園に通い始めて一年半になる。 色々の行事ゃ参観、子供同士の行き来に連れ、私にも数人の顔見知りが必然的に生まれた。 戦前は都会人の別荘が多かった事の名残か、殆ど深い近所付きあいをしない土地柄の当地だ。 また私自身も、自ら平気で他人の家に出入りする事の出来ぬ性格で、余り友人も居なかった。 しかし一菜が幼稚園に通いだしてから、子供同士共通する話など、次第に話す友達が出来た。 TMちゃんのお母さんも、そんな友達の一人であったが、特に気軽に話しあえる人柄だった。 その上この間の病気の際は、わざわざ『婦人の友』を一菜に託して貸して下さり、退屈せず 静養することが出来た。 その『婦人の友』に、こんな言葉があった。 「家中の一人一人が生きる為、相互に周囲の者が、あらゆる便宜を図るという事は大切です。 まず手近な実例を言えば、 家の中の誰でもが、自分の雑用などを、家の中の誰にもさせてはならないのです。 即ち、皆大切な務めを持っている一人一人を、他の雑用を以て妨げてはならないからです」。 しごく当り前な理論で誰も納得してはいるが、それだけに実行しにくい問題であると思う。 例えば、自分で使用した物は必ず元の定められた場所に返しておく事。 そうすれば、他の人が使う時も、いちいち探し回らなくとも直ぐ判るといった具合である。 小さな子供の居る家庭では実行しにくいが、せめて大人同士だけでも気をつけたいものだ。 そうすれば、家の中は雑然とせずに済むだろう。 主婦が昔のように主婦本来の仕事に安住せず、あちこち目を向けるようになった現代では、 ますます必要な問題であると思う。 (夫・誠筆)--------------------------------------------------------------------------------※(1967.7.8日記余白、「昔・誠」書き込み記事)* 受信…東中野のKT姉さん(次姉)より暑中見舞(返信)が届く********************************************************************************** 《付記》2004年5月6日の誠、日記再読所感 ☆何故か尾を引いた幸の「婦人雑誌記事読後感」〔第1回〕TMちゃんのお母さんに借りた『婦人の友』の記事に感じて… コチトラの加齢の為とは思うが、この久々の幸の読後感は些か判りにくかった。 特に、雑誌の原文その侭か幸が要約転載したものかは不明だが、次の部分は難解だった。 「家中の一人一人が生きる為、相互に周囲の者が、あらゆる便宜を図るという事は大切です。 まず手近な実例を言えば、 家の中の誰でもが、自分の雑用などを、家の中の誰にもさせてはならないのです。 即ち、皆大切な務めを持っている一人一人を、他の雑用を以て妨げてはならないからです」。 とした部分辺りは、文節同士が繋がると何か意味が判りにくく思え、特に復刻に戸惑った。 為に、筆者は多分こう言いたかったのだろうと独断加筆したリしたリライト文と差し替え、 掲出する事とした。 でも、「筆者は、そんな事を言いたかったのではなかった」と、幸に言われそうでもある。 …よって、読者の中には、原文その侭の方が判り易く、この文の本意も誤らないかとも考え、 蛇足かもしれないが、以下に同部分だけでも念のため原文を参考用として掲載しておこう。 (原文) ※太字部分がリライト箇所 「家中の一人一人が生きるために、相互に周囲の者が、あらゆる便宜を計るという事は、 まず手近な実例を言えば、家の中の誰でもが、自分の雑用などを、家の中の誰にもさせては ならないのです。即ち、皆大切な務めを持っている一人一人を、他の雑用を以て妨げては ならないからです」。 とマア本来は、このように長い文節の原文だった訳だが、私には何度読んでも読み辛かった。 結局コノ文章をコノ日記に引用し読後感として書く事で、 「自分が使った物や食べた食器等、使用後は元の位置へ戻すようにしましょうよ」とでも、 幸は私に言いたかったのだろうか…? そんな事も考えさせられた、今日の「古い日記」復刻作業だった。--------------------------------------------------------------------------------〔所感追記〕 …と、まあコンナ風に書いて筆を置いた私だった。 だが、続く日記のタイトルを決めておこうと先を読み始めたところ、何とコノ日記には先があった。 それも、全4日が絡み合っていた。 そんな訳で、急遽コレに合わせたタイトルに変更する事にした。どうぞ後日編も続いて御笑覧を !!************************************************************************※参考事項★1966(S41)年の大きな動き★ 国内…国債発行による景気上昇の反面、消費者物価問題が深刻化。(通年 ) 航空機事故相次ぐ。下記4事故死者計371人(通年) 全日空機東京湾墜落(2月) カナダ太平洋航空機、羽田空港着陸失敗(3月) 英BOAC機富士山上空で空中分解(3月) 全日空YS11型機松山空港で墜落(11月) 戦後最大の交通スト、公労協・交運共闘統一スト突入。(4月) 新東京国際空港を千葉県成田に閣議決定(7月) 自民党代議士・田中彰治、恐喝・詐欺容疑で逮捕(8月) 山口衆議院議長が東京大証事件に関連して辞任(12月) 世界…英国のビートルズが音楽で世界の寵児に(通年) 中国で文化大革命(通年)★1967(S42)年の大きな動き★ 国内…新宿西口広場が完成(1月) 日航が世界一周線の営業開始(3月) 富山県の奇病イタイイタイ病は三井金属神岡鉱業所廃水が原因 と学会発表(4月) ロータリーエンジン車を東洋工業が発表。自動車保有台数一千 万台を突破(5月) ワンマン宰相・吉田茂が死去。(10月…’89に戦後初の国葬) 那覇市で沖縄の即時無条件返還要求国民大会開催(11月) 消え行く都電。銀座線を廃止(12月) 世界…インドネシアのスカルノ大統領失脚(2月) アラブ諸国とイスラエル間に戦争勃発。スエズ運河を閉鎖。(6 月) 中国が初の水爆実験に成功。(6月) ボリビアでゲリラ闘争中の前キューバ工業相ゲバラが戦死。 (10月) 清朝最後の皇帝溥儀が死去(10月) ベトナム戦激化。米首都で十万人反戦集会のデモ隊が座り込み 。(10月) アラブ連合のアスワン・ハイ・ダムが発電開始。(11月)♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
2004年05月06日
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1967(S42)年7月7日(金)曇 ★母も子も「エッチ」「エッチ」。芸術が判らん輩(ヤカラ)はコレだから困る… 泰西名画ルノアール裸婦「入浴」(部分) 曇空の七夕様で、子供達が庭に立てた折角の竹飾りも何か寂しそうだ。 どうも今年は初夏と梅雨が入れ代わってしまったようだ。 7月も間もなく半ばと言うのに、全く如何(ドウ)したわけだろう。 でも、ソノ鬱陶(ウットウ)しさを少しでも凌(シノ)ぎ良くと、 家の奥さんアレコレ工夫をしてくれ、誠に結構だと思う。 お蔭で本当に寛(クツロ)げる。 一風呂浴びて、ウイスキー・グラスを傾けたので、快く酔いも廻った。 久しぶりに美容院で夏向きの髪型に変えてきた幸が、 障子を取り払った部屋の中で良く映える。 それに、亭主の私が言うのは一寸照れくさいが、 お前さん、最近目立って色っぽさを増してきた。 酔眼ながら、特に、襟足から、肩・腰・足へと流れる曲線の美しさは、 まるでドガやルノアールの絵を見ているようで、 起伏に富んだナイーヴで微妙な円やかさが何とも目に楽しい。 ところが、その思った通りを褒(ホ)め言葉のつもりで幸に言ってみたところ、 「あら、アナタってエッチね」だってさ。 でも、満更でもなさそうな顔だった。 なお昨今は、まだ舌が良く廻らぬ二美(ツグミ)さえ。「エッヂ「エッヂ」と良く口にする。 「エッチ(H)」と言ってるツモリだろうが、変な流行だと思う。 つまり平たく言えばローマ字で書いた“HENTAISEI(変態性)”を略した最近の流行語。 オヤオヤわが奥方まで、そう述給(ノタモ)うか…。俺、そんなに変態性かなぁ…。 芸術が判らん輩(ヤカラ)は、これだから困ったものです。ハイ !! (夫・誠筆)--------------------------------------------------------------------------------※(1967.7.7の日記余白、「昔・誠」書き込み記事)* 発信…次姉・KT宛(返信) 三津浜寮宛(滞在時礼状)********************************************************************************** 《付記》2004年5月5日の誠、日記再読所感 ☆母も子も「エッチ」「エッチ」。芸術が判らん輩(ヤカラ)はコレだから困る… 泰西名画ドガ裸婦「梳る女」 ハハハ、大人も子供も「エッチ」だの「エッヂ」等と、何かと言うと言い出したっけなぁ…。 その当時の女性達が意味も深く考えず使った流行語「エッチ」も、昨今は意味が様変わり。 ご承知の如く、男女の性行為そのものズバリを指すようになってしまったばかりか、 一見、お嬢様風の女性や、未だヒヨコのような女の子までもが、恥じらいも無く口にする。 この古い日記を書いた頃は、ソレこそ今の意味でエッチしてきたなどと公然と言おうものなら、 それこそ嫁の貰い手も無くなっただろう。 ところが、この楽天の日記をランダムで歩きまわっても、いとも当り前で書きまくっている。 まあ、先ごろ家内が買って帰った「週刊新潮」を何気なく捲ったら、連載小説の挿絵に何と、 歌川国芳の『華古与見』地之巻がノーカット・原色版で堂々と使われていた。 こんな絵は、密かに売られ、密かに手に入れ、愛する男女が密かに見てこそ役立つもの。 古稀過ぎ人間の私には、如何に芸術的価値はあろうとも、本来枕絵はそうした作品と思う。 如何に性教育ばやりとは言え、枕絵を一流週刊誌の表紙を付け、玉石混淆で売ろうとは…。 昔は筆者も出版社も素案の俎上にも乗せなかったものだ。末世の感一入といった私である。 閑話休題。要するに昔は夫婦間のコンナ些細な会話さえエッチだ何だと揶揄されたもの。 この時の「昔・誠」は多分、往時の愛蔵本『洋画技法講座』に掲載されていた泰西名画中、 ドガの「梳る女」とか、ルノアールの「水浴」等を連想しながら発した言葉であったろう。 そんな事を思い、何か轟々と去りゆく時の流れを感じる、古稀過ぎ人間「今・誠」である。
2004年05月05日
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1967(S42)年7月6日(木)雨 ★独断専行した我家の夏化粧に、ホッとさせるパパの一言が嬉しい 近頃は、日本の梅雨の時季の鬱陶(ウットオ)しさを、イヤと言うほど感じさせられている。 少しでも住みよく快適に…と、今日は財布の底を叩き、竹簾(スダレ)とカーテンを求めた。 六畳間の障子を3枚外し竹の簾を掛けると、玄関左脇の丸窓から冷たい風がスーッと入る。 玄関正面から奥へ向かう小廊下入口に、父が子供達の為にと作ってくれたブランコの上の、 目隠しも兼ねた毛絲刺し刺繍(シシュウ)の暖簾(ノレン)も外(ハズ)して、夏向きに変えた。 代わりに奥の風呂場入口のカーテンを長めにして、玄関から丸見えになるのを防いでみた。 金額にして7~8百円の出費ではあるけれど、とってもサッパリすることが出来たと思う。 しかし、私の独断でやった事なので、パパから何と言われるか少々心配であった。 だが、帰宅したパパが玄関を入るなり、 「障子を外しただけで、随分サッパリしたなぁ…」。 と云う言葉を聞いてホッとする。 (妻・幸筆)--------------------------------------------------------------------------------※(1967.7.6の日記余白、「昔・誠」書き込み記事)* 発信…長姉の夫HR義兄さん(暑中見舞い返信) 高校時代の旧友SB君(来信返事) **********************************************************************************《付記》2004年5月4日の誠、日記再読所感☆独断専行した我家の夏化粧に、ホッとさせるパパの一言が嬉しい 今年もソロソロ入梅だそうだ。 この古い日記シリーズは、今のところ37年前の月日だと、現実より少し前を復刻中だ。 そのため、テレビの長期予報での入梅報道以前に、季節の変転を先取りできる。 でも、それが良い事か、悪い事かは余り考えた事も無かった。 ところがコウして記事の中で過ぎ去った日の梅雨明けの情景を連想すると、 何だか、現実の季節も早もう梅雨を過ぎてしまったような、爽やかな錯覚もしてくる。 これも、老いのボケ現象のひとつかしら、な~んちゃって…。 その癖、一方の自分では未だ結構若いツモリ。 実は先刻、夕餉の席で幸と朝刊掲載の広告を巡り、コンナ掛合漫才を演じてしまった。 それは、こんな旅広告だった。 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓ 「第47回ピースボート《地球一周の船旅》(102日間)」 ※2004年10月21日~2005年1月31日 1人部屋182万円・2人部屋142万円 ※経路…東京→神戸→フィリピン→ベトナム→シンガポール→セイシェル→ケニヤ →南アフリカ→ナミビア→ブラジル→アルゼンチン→パタゴニヤフィヨルド遊覧 →チリ→イースター島→タヒチ→ニュージーランド→オーストラリア→パプア ニューギニヤ→神戸→東京 ※使用客船…トパーズ(31,500t) 添乗員・通訳・日本人医師・通訳同行 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓ 誠「わぁ、この広告見たぁ。行きたいなぁ…。 コースも私向きだし、料金も割安で毎食ファッションショーなんて堅苦しさもなさそうだ」 幸「そんな事を言ったって、その身体で行ける筈ないじゃないのよぉ…」 誠「ココに《傷害のある方も気楽にご相談ください》と書いてあるよ。思い切って一緒に行こう」 幸「駄目よ、駄目、駄目。私は嫌 !! プラハの時のような思いは、二度とコリゴリよ。 早3年近く経ったとは言え、又、旅行中に深部静脈血栓症になったらどうするつもり…」 誠「だって、日本人船医と看護婦が居るし、チェコの時のように言葉が通じず困る事もない。 それに、この機会を逃がせば、もう私は満足な旅が出来ない気もする。 だから、お前が何でも行きたくないのなら、一人部屋もある事だし私一人で行くから…」 幸「勝手にしたら、私もう知らない !!」 と、まあザッと、こんな調子だった。 ともあれ、自分自身は未だ世界一周位は出来ると思うのだが、家内にとっては早オンボロじじい。 どうやら、そんな感じらしい私なのだ。 嗚呼 トホホ !! ************************************************************************※参考事項★1966(S41)年の大きな動き★ 国内…国債発行による景気上昇の反面、消費者物価問題が深刻化。(通年 ) 航空機事故相次ぐ。下記4事故死者計371人(通年) 全日空機東京湾墜落(2月) カナダ太平洋航空機、羽田空港着陸失敗(3月) 英BOAC機富士山上空で空中分解(3月) 全日空YS11型機松山空港で墜落(11月) 戦後最大の交通スト、公労協・交運共闘統一スト突入。(4月) 新東京国際空港を千葉県成田に閣議決定(7月) 自民党代議士・田中彰治、恐喝・詐欺容疑で逮捕(8月) 山口衆議院議長が東京大証事件に関連して辞任(12月) 世界…英国のビートルズが音楽で世界の寵児に(通年) 中国で文化大革命(通年)★1967(S42)年の大きな動き★ 国内…新宿西口広場が完成(1月) 日航が世界一周線の営業開始(3月) 富山県の奇病イタイイタイ病は三井金属神岡鉱業所廃水が原因 と学会発表(4月) ロータリーエンジン車を東洋工業が発表。自動車保有台数一千 万台を突破(5月) ワンマン宰相・吉田茂が死去。(10月…’89に戦後初の国葬) 那覇市で沖縄の即時無条件返還要求国民大会開催(11月) 消え行く都電。銀座線を廃止(12月) 世界…インドネシアのスカルノ大統領失脚(2月) アラブ諸国とイスラエル間に戦争勃発。スエズ運河を閉鎖。(6 月) 中国が初の水爆実験に成功。(6月) ボリビアでゲリラ闘争中の前キューバ工業相ゲバラが戦死。 (10月) 清朝最後の皇帝溥儀が死去(10月) ベトナム戦激化。米首都で十万人反戦集会のデモ隊が座り込み 。(10月) アラブ連合のアスワン・ハイ・ダムが発電開始。(11月) ♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
2004年05月04日
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************************************************************************《お知らせ》※本5月3日の日記は、日付が改まった午前零時に一応本文のみ先に掲出致しましたが、午後4時、保留してあった文章後半掲出の下記付文も書き上げました。ご高覧いただければ幸甚です。 ---------------------------------------------------------《付記》2004年5月3日の誠、日記再読所感 ☆§1.家の前の道路補修問題☆§2.腕時計、遂にオシャカに…。当面は中古の懐中時計で我慢************************************************************************1967(S42)年7月5日(水)降ったり止んだり ★道路補修と市会議員IDさん/オシャカになった腕時計の後釜§1.家の前の道路補修問題 家の前の道路補修問題につき一昨夜、堪りかねて市会議員のIDさんに電話し、善処を訴えた。 すると昨日の朝、出勤後に態々ご本人が実情を見に来てくれたと、帰宅後に幸から聞いた。 成否は兎も角も、誠意の程に感謝し、早速お礼を電話で述べておく。§2.腕時計、遂にオシャカに…。当面は売れ残りの懐中時計で我慢 ところで、腕時計が到々オシャカになってしまった。仕方がないので新しいものを購入する。 尤も、自動車修理等々思わぬ出費が嵩(カサ)んでいる折とて、そう高価な後釜は決めれない。 で、実家の隣のTC時計店で売れ残りのアラーム付き懐中時計を半値以下に値引してもらう。 因みに、定価は9800円。それが特別にしてくれ、何と4000円で良いと言うのだった。 機能は変わらないし、昔は流行だった懐中時計も味なもの…。 それに何より節約第一と言う訳だ。 何か、大変得したような気がする。 但し、何年これから持つかが問題だ。安かろう悪かろうでは困るが…。 でもまあ、仮に1年の寿命だったとしても、2万円が腕時計の今の相場。 従って、時計の耐用年数は5年としても、損はないといった腹算用ではある。 (夫・誠筆)--------------------------------------------------------------------------------※(1967.7.5の日記余白、「昔・誠」書き込み記事)◆私事*車の修理費…21,000円ほど掛かる由。実家と半々持ちに…と思う。*郵便受譲受…夕食後、YBさん宅へ行き、不要となったという中古品を貰い受けてくる。◆行務* 『会長追想録・正誤表』の初校ゲラが届く。 正誤表の正誤表なんて事になったら大変と、念入りにチェック。 夕刻までに朱を入れ、T社へ戻す。再校は明後日の予定との事。◆慶弔* スーパーMK三島支店開店日に付き、帰途立ち寄って、お祝いを言ってくる◆発受信* 義兄YHさんより書中見舞いが届く* 幸の末姉夫婦である東京のTJさんへ所用で電話する********************************************************************************** 《付記》2004年5月3日の誠、日記再読所感 ☆§1.家の前の道路補修問題 この市会議員のIDさん。 生まれは当市で開業医をしていた病院長の息子さんで、私の母校の先輩でもあった。 尤も、成績優秀と噂されながら医学部に進まず、大学を出て一流機械会社に入社された。 だが職場の労働運動が原因とかで人員整理され、厳しい試練の時を経験された様子。 でも、それにも挫けず、映画友の会の仕事など地元の文化運動を一生懸命に進めていた。 私が銀行に入った頃は、素敵な愛妻さんと再々映画の切符を職場に売りに見えたりした。 そんな姿に畏敬さえ感じたが、やがて市会議員に当選。以後、市政に深く関って行った。 勿論そんな誠実な生き方に好感を持っていた私は、何時も夫婦共々同氏を支持してきた。 それに、代々の市長が問題百出で、今の日本同様に百年河清を待つ思いだった為もある。 そんな憂いを託っていた折、市の議会事務局勤務だった友人からコンナ話を私は聞いた。 「市役所の電話を私用に使っても、全議員中で公私を使い分けるのはIDさん唯一人」。 そう噂されたコノ人こそ当市を託せる人。そう強く思い、市長当選の時は狂喜したっけ。 自ら襟を糺す市長あってこそ、役所の不正や無駄も排除され、明るい故郷が実現しよう。 そう期待されたからだった。 ところが市長になってからのIDさんには、公約も反故にされ裏切りの連続で失望した。 即ち、 中心街に近く至便最大最良の海水浴場を埋め立てる外港造成計画は断固阻止すると公約、 それを支持する市民多数の支持で当選した同氏だが、就任後は賛成に転じ工事を祝った。 そればかりか、緑化地区で保安林だった外港に接する名勝指定の松林を惜しげなく伐採。 地元民に事業内容を偽り下隠しして、市内最初の下水糞尿終末処理場を造ってしまった。 更に新埠頭会社の役員に就任し、セメントサイロやニトロ系薬品のタンク建設迄も計画。 又、薬害を案ずる住民を尻目に、早朝から窓を締めさせ松喰蟲駆除薬の空中散布を強行。 干物工場が多く汚染著しい河川が注ぎ、細菌汚染された海水浴場維持の為の薬剤投入も 一向に改善せず、市税浪費の声も承知で続行。観光業や薬剤業者との黒い噂も聞く始末。 当初期待した役所内の合理化も綱紀粛正も、逆に市労組の票集めで馴れ合いが進む一方。 加えて、駅から同氏の自宅裏を通り内港に通じていた明治以来の由緒あるR線廃止の時は、 駅前付近の渋滞解消や西伊豆へ向かう鉄道誘致に、絶好と思われた同線跡を庭園ベルト化。 新幹線開通で斜陽化した当市で、特に空洞化進む当市南部地域の活性化の鍵を逸したと思う。 こんな中で始まった三選出馬は、当初は現役の有利さで無投票当選とも予想され始めた。 だが私はコレを黙視できず、それなら銀行を辞め自身出馬を…とアドバルーンを上げた。 勿論、彼氏の世論無視や堕落ぶりに呆れた私の、単なる牽制策の心算の噂を流したのみ。 すると、妙なもので同様な動きが随所に現れ水鳥の羽音が高まる中、彼氏の出馬断念を知った。 まあ、ソンナコンナの悲喜交々とした過ぎし日を思い起こさせた今日のコノ記事だった。 ☆§2.腕時計、遂にオシャカに…。当面は中古の懐中時計で我慢 戦後、バブル崩壊まで軒並み高騰した物価だが、今の実用時計類の下落には唯々驚嘆。 何せ、百円ショップでさえ見かけるようになったのだから。 でも多分、直ぐ壊れようと試みに買ったガラクタ時計が、何と一年経っても動いてた。 それと、当時は見向きもされなかった懐中時計が、後に一時、若者に珍重され驚いた。 そんな事を思い、先程テレビの「鑑定団」を見ていたら、物価の不思議さを痛感する。 まあ一概に骨董品と言われ高額な値段もムベなるかなと思うものも有る。 しかしソノ反面、オモチャ類のバカ値だけは、我々世代の者には一寸理解しにくい。 それは多分、その玩具に想い出がある世代のコレクターが生きている間だけのもの。 古い絵画や茶器などのように、長い時を越えてソノ価値を維持できるとは思えない。 例えば夜店で買った月光仮面のお面とか、プラモデル、駄菓子のオマケ、漫画本等。 多分、一過性的骨董品とも云えるのではなかろうか…。 そう言えば、戦後一時バカ値で取引された記念切手類も、今では多くが表記価格だ。 まして、表記価格があっても公衆電話が消えゆく時代を迎えたテレホンカード等は、 今後、余程珍しいもの以外は紙屑同然となるのではあるまいか。 ともあれ徒然なる侭に、そんな埒もない事まで感じさせた今日の時計買物噺だった。
2004年05月03日
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1967(S42)年7月3日(月)晴 ★§5/発後4日目…眠れぬ夜半の台風一過、晴天に恵まれ帰途に就く ※写真説明…《左上》湘南海岸で不調気味な愛車コロナを労わり一休み 《右下》鎌倉で長谷観音と大仏参詣後の妻と娘達 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 昨夜より風雨強まり、磯辺に一番近い我々の離れに当たる風音の強いこと強いこと…。 子供達の面倒まで良く見てくれる付き添いの婆やさんは、以前は海女をしていたそうだ。 その為、天候の変転を見極める才覚に長けていて、もう朝のうちから荒天を予告していた。 だが、こうも荒れようとは、素人の私には思いも寄らぬ事であった。 昨年の台風の折、この離れの広い座敷の三方を囲む広縁外側を仕切る一枚ガラスの大戸が、 外側の雨戸を閉めてあったのに、家の捩れで数枚も割れてしまったとも聞いていただけに、 尚のこと眠れぬ夜半と相成った次第…。 だが、その嵐も夜明けと共に去った。 未だ滞在中に晴れ晴れした天候に恵まれなかっただけに、青空が目に染みる美しさだった。 今日こそ、ひとつユックリと、この辺りを巡って帰途に就こうと思って床を蹴ったものの、 何と折悪しく、一菜(カズナ)が微熱を出し医者へ立ち寄る事となり、この案は立ち消えた。 唯一箇所、幸が子供達に見せたいと言う、鎌倉の大仏だけ立ち寄り、午後二時半帰沼した。 この旅行を顧みて、車の不調や一菜の病気等、好ましくない事も二・三あるにはあった。 だが割り当てられた部屋が、元・A製作所社長の別荘だったというだけに中々の造り…。 それだけに我々には過ぎた感さえした。 その上、管理人さん・調理師さん・船頭さん共、各夫妻揃って親切で、実に快適だった。 そんな事を考えると、思いがけず予約が取れた事に始まり、予想以上に幸運な旅と言えよう。 幸も口癖のように旅疲れを口にしてはいるが、結構この旅で、身心共に静養できたであろう。 今年も暑さに負けず頑張って欲しいものだ。 (夫・誠筆) 1967(S42)年7月4日(火)晴 ★§6/帰宅翌日…ホッと安心、結びの言葉 ※写真説明…旅から元気に帰宅後、朝の体操会(1967.7.4) 一菜(カズナ)と二美(ツグミ)は何処にいる? ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 旅行中に溜まった洗濯物を処理。久しぶりの掃除に精を出す。 心配していた一菜(カズナ)の体も、幼稚園から元気に戻ってきた顔を見て、ホッと安心する。 (妻・幸筆)--------------------------------------------------------------------------------※(1967.7.4の日記余白、「昔・誠」書き込み記事)*発信…SB君より手紙を貰う。先日来訪時の謝辞と、近く再び来訪の由を伝えてくる。 ********************************************************************************** 《付記》2004年5月2日の誠、日記再読所感 ☆眠れぬ夜半の台風一過、晴天に恵まれ帰途に就く この日の話題の一つとなっている、この元・A製作所社長の別荘だったという離れの事は、 もっと詳しく書き残して置くべきだったかとも思う。 それを簡単に、 「中々の造り…。それだけに我々には過ぎた感さえした」。 とあるだけなので、以下おぼろ気な記憶を辿り多少ともヨリ具体的に触れて見たい。 それは、大小合わせ確か4棟あった三津浜寮の建物中で、最も小さく古い木造平屋建だった。 でも小さいとは言っても、立派な床の間付の十畳間と八畳の次の間を囲んだ広縁がを巡らせ、 一間の広縁の前には広い濡れ縁もあり、数間幅の芝生と砂浜が波打際まで緩く坂なしていた。 だから部屋で水着に着替え直ぐ泳げる一方、三方が崖で隔絶されたプライベート海岸だった。 そして磯遊びの後、確か廊下の突き当たりが広々とした水屋で、入浴も用足しも随意即応。 また遊び疲れて数寄屋風の和室で昼寝した時も、とても手の込んだ欄間の彫刻に見惚れる中、 潮風の快さを感じながら何時かウトウト素敵な夢路に入れたような記憶が今蘇る。☆ホッと安心、結びの言葉 旅の間中は、家族の安全と楽しみを第一にハンドルを操り、緊張しどうしだった「昔・誠」。 対照的に、帰ってから家事の多忙さや子供の健康を気遣い、日記等二の次だった「昔・幸」。 そんな感じが、この僅か二行の字間に垣間見た「今・誠」である。
2004年05月02日
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1967(S42)年7月2日(日)曇のち雨 ★§4/発後3日目…雨や車の不調の為、終日この日は寮で初泳ぎやボートを楽しむ ※写真説明…37年の歳月でスッカリ褪色したカラー写真。 当時のカラー写真は未だ高価で、白黒が主流 《左上》城ヶ島/灯台下広場での二美(左)と一菜(右) 《右上》油壺湾/樹間に見下ろすヨットハーバー 《左下》三戸浜寮のオバチャンにボートに乗せてもらう二美 《右下》沖の二美に手を振るパパ(私) ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 時々薄日が射すかと思うと雨かチラつくといった、何とも気紛れな天気。 私達は一日ずっと、寮に腰を落ち着ける結果となった。 尤も、車の流体クラッチのリバース・レンジが、バンドの緩みから思うように作動せず、 明日の帰宅を前に出来るだけ使わぬほうが上策では…、との配慮もあっての事だった。 しかし、その御蔭か、私は今年の初泳ぎも出来たし、久々にナックル・フォアも漕げた。 ナックル・フォアとはオール4本で漕ぐスライディング・シートの競技用ボートである。 後部で船を操る舵手を含め計5人乗りだったが、今日は生憎と一人欠けてしまっていた。 それで本行ボート部の連中に何でもと誘われ、約20年ぶりにオールを握る事となった。 とは言え、平均二十四・五歳の漕ぎ手の中で、私一人が御齢三十五歳という取り合わせ。 些か負担を感じながらのクルー参加だっただけに、後輩達に馬鹿にされぬかと何か不安。 まあ昔とった杵柄(きねづか)だけに、そうは酷(ヒド)くボロは出さずに済みヤレヤレ…。 尤も幸はソノ間一時間ほど部屋に取り残されて、一菜(カズナ)と二美(ツグミ)の子守。 そのため、一漕ぎして戻ったら、ボヤくことボヤくこと…。 その罰が当たってか、夜、床に入っても、身体の節々が痛むこと痛むこと…。 (夫・誠筆)********************************************************************************** 《付記》2004年5月1日の誠、日記再読所感 ☆雨や車の不調で一日寮で初泳ぎやボートを楽しむ 幸の体調が予期せざる一件で狂ったので、今年は唯ノンビリと家で夏期休暇を…と思っていた。 “その罰が当たってか、夜、床に入っても、身体の節々が痛むこと痛むこと…。”とある如く、 この日のボート漕ぎの結果は、この後、次第に痛みが激しさを増した。 帰宅後程なく擦りむけた臀部は腫れ出し呻吟{シンギン)。遂には化膿し手術入院の憂目となる。 とにかく、如何に昔とった杵柄でも、デスクワークに就いて早十年。体力の減退を痛感した。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ※昔は海女をしていたと言うオバチャンにスッカリ懐き、初めてのボートなのに素直そのもの… 「オーイ !! ツグミチャ~ン」と呼ぶパパの声にも澄まし顔。歩き出して一年程の初乗り風景
2004年05月01日
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