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****************************************************************************** 「Rosa☆゜・*☆☆さん」への今日のカキコ******************************************************************************☆【目に止まった「Rosa☆゜・*☆☆さん」のコノ日記】「アクセス異常現象!!!誰か教えて下さい!!!」┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓ 「HPのアクセス記録表示を見て思うこと」 この秋から・・・アクセスログ見てるとこのような現象が毎日・・・もう一ヶ月以上毎日続きますマダ他のもあったのですが今は220.95.*.*が殆ど一日中時間かまわずアクセスしてますが。夜中は特に出ます。私はご覧の通り日記更新殆どしてないのですが???此れは何でしょうか?本の↓一例です06:40:27 220.95.*.* 05:59:46 220.95.*.* 05:55:53 220.95.*.* 05:45:55 220.95.*.* 05:43:24 ゲストさん 05:19:35 220.95.*.* 05:11:54 ゲストさん04:58:55 220.95.*.* 04:34:29 ゲストさん04:28:33 220.95.*.* 03:26:17 220.95.*.* 03:06:18 ゲストさん 02:38:00 220.95.*.* 02:37:32 220.95.*.* 01:33:22 220.95.*.* 夜中は特に出ます・・・でも又昼少しと夕方からボチボチ。私の所は殆どゲストさんって分かってる方だけなのですが。広場の方ばかりで・・ログアウトの方は少ないの。(皆さん殆どログイン状態なので)05:59:46 220.95.*.* 05:55:53 220.95.*.* 05:45:55 220.95.*.* 05:43:24 *.iij4u.or.jp 05:19:35 220.95.*.* 05:11:54 *.iij4u.or.jp 04:58:55 220.95.*.* 04:34:29 *.iij4u.or.jp 04:28:33 220.95.*.* 03:26:17 220.95.*.* 03:06:18 *.iij4u.or.jp 02:38:00 220.95.*.* 02:37:32 220.95.*.* 01:33:22 220.95.*.* *.iij4u.or.jpこの方は特に時間一日中だったりしてスゴイです。アクセスに詳しい方・・誰か~~!何処でもこのような事起きているのですか?おきている方もコメント下さい!よろしくお願いします。…なにでしょう?推測でもいいですから・・・教えて下さい。ナニカナ(゚Д゚ )?┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ ☆ ☆ ☆ ★【上記の日記に対する、私・誠のカキコ】 「はじめまして、お気持よく判ります」 はじめまして、私も足跡が気になる一人です。特に、外来の足跡って、ホント、気になりますね。そんな訳で、このお部屋訪問も「Rosaさん」の足跡が気になっての事。でもストーカーなんて気力もない古希過ぎ爺さんです。先ずは何卒ご休心の程を…。(ホホホ)因みに私は、メモ帳に広場外からの来訪者を下例の如く一定期間記録しております。で、そのリストの中から、ご指摘の足跡2種のみ最近の部分を抜粋してみました。《常連外部来訪者名観察記録》※2004.11.214am8:20現在★「数列」広場外来訪者♯「220.95.*.*」さん詳細記録 …(前略)…【220.??】39692 2004-11-23 07:53:22 220.95.*.* 39674 2004-11-22 06:47:19 220.95.*.* 39673 2004-11-22 06:08:14 220.95.*.* 39672 2004-11-22 03:22:23 220.95.*.*(この間13行あるも字数制限を考慮し中略)39020 2004-11-08 15:09:16 220.95.*.* 39015 2004-11-08 10:51:19 220.95.*.* 39011 2004-11-08 06:59:08 220.95.*.* 39010 2004-11-08 04:14:11 220.95.*.* 39007 2004-11-08 02:13:59 220.95.*.* 39005 2004-11-08 01:42:53 220.95.*.* 39000 2004-11-07 22:49:10 220.95.*.* 38982 2004-11-07 18:33:50 220.95.*.* 38977 2004-11-07 13:14:17 220.95.*.* 38976 2004-11-07 13:06:18 220.95.*.* 38955 2004-11-07 05:26:32 220.95.*.* 38954 2004-11-07 03:43:40 220.95.*.* 38952 2004-11-07 01:56:55 220.95.*.* 38948 2004-11-07 00:18:31 220.95.*.* 38947 2004-11-07 00:01:45 220.95.*.*★「欧文列」広場外来訪者(掲載…abc順)♯「*.iij4u.or.jp」さんの足跡 【i】…※印は広場外からの〔複数回来訪者〕※「*.ictnet.ne.jp」※「*.iij4u.or.jp」※「*.infoweb.ne.jp」※「***.inktomisearch.com」※「*.iprevolution.ne.jp」※「***.itscom.jp」※「*.ix1.co.jp」 …(後略)…このようにして、こちらも逆に覆面来訪者の足跡を観察推理。結構アレコレ楽しませてもらっています。又こうした観察推理の結果、来訪者が誰か判った場合も有りました。それは、私の親友だからですが、見当を付けた足跡が表示された時、直ぐ電話して、「今、私のホムペを読み始めているんじゃないの…?」と確認しての結果でした。ともあれ、お二人(?)を訝る貴女のコノ文面は、私の観察記録でも、全く特異な足跡と思えた方々。自分の知己でない事は先ず間違いないと判断できました。今後とも情報を交換できたら幸甚です。 * * *※《参考》【この日記への、注目させられたカキコ】 「Re:アクセス異常現象!!!誰か教えて下さい!!!(11/23)」 稀.さん 始めまして。訪問カキコありがとうございます。こちらからも宜しくお願いしますね。ところで日記の内容ですが、220.95.*.*は自分の所にも沢山来ます。ストーカーみたいで怖い…と思いきや、これは人間ではなくロボットです。MsnBotというロボットです。何かというと、よく検索エンジンでGoogleとかで文字を検索するじゃないですか?検索エンジンは最初に色々なサイトを片っ端から回って、色々な文字列を記憶していきます。検索した時にその記憶からヒットしたページを差し出すのです。そのサイトめぐりに片っ端から回っているために、連続して記録されるだけです。たったそれだけですので、悪意のある人間が任意にやってるわけでは無いのでご安心を。検索エンジンでGoogleというサイトに対向してマイクロソフトのMsnが、開発した検索エンジンなんですが、Googleに対抗するために、もっとたくさんのページを記録するように連続して周っているみたいです。検索エンジンが来ないようにすることも出来ますが、この楽天ではムリみたいですね。(2004/11/25 12:35 AM) ----------------------------「ごめんなさい」 稀.さん ごめんなさい。220.95.*.*はMsnBotではなくて、NaverBotでした。韓国のNAVERという検索エンジンで、これも片っ端から周る事で有名な場所です。 サーバーに負担をかけるとかで、これを拒否しているサーバーもあります。 楽天運営側も、もしかしたら対処するかもしれません。(2004/11/25 12:54 AM) * * *《稀さんの上記カキコを目にして、私「誠」の読後感》 「やっぱりロボットでしたか…」やっぱりロボットでしたか…。そうは思いながらも、特に夜半過ぎに御来訪の足跡が目に付く方々は、「望郷の想い止みがたき地球の反対側の方が読んで下さってるのかなぁ…」な~んて 思えてくるんだよ。更に、もしかして、或る日なぜか音信が途絶えた以前のメル友さんかも…。てな妄想も…。まあ、それはそれでコノ古希過ぎ爺さんには結構楽しい推理遊びという訳。 でも、「220.95.*.*はMsnBotではなくて、NaverBotでした。 韓国のNAVERという検索エンジンで、これも片っ端から周る事で有名…」だとか。 これ、アクセス数には大して興味のない私とあって。むしろ楽天の仲間同志のアクセス渋滞が最近どうも気になり、その一因がこうしたロボットの仕業ではとも思われてきました。 だとしたら、やはり迷惑千万。用もないのに私の部屋を余りウロチョロせんで欲しいよなぁ。 でも「Rosa☆゜・*☆☆さん」がコノ日記、「アクセス異常現象!!!誰か教えて下さい!!!」を掲げた途端に、足跡が途絶えたとも記されていたので、一応は日記の内容を読まれて反応を見せる相手…?? そう思うとコノ稀さんの「韓国検索エンジンのNAVER説」。一概に信じて良いのかと半信半疑にもなる。やはり、この問題はマダマダ謎が多そうだと思う私だ。 ******************************************************************************《付記》♪お詫び&お知らせ♪「古い日記」や「古い旅行記」等、思い出記事が中心の当サイトながら、今日はフト「他人様の日記」を読みカキコしたくなった「足跡問題」の事を書き残してみたくなりました。 尚、この11月1日から書き始めた侭になっている、『図らずも実現した世界一周「文明の十字路ツアー」の思い出』は、忙しかったり、原文が物足りなくなって書き加えたりで大幅遅れ。13日まで書いたところで只今足踏み中のこと誠に恐縮です。 まあソンナコンナで、未だ完結に至って居りませんが、連載予定を全13回から全17回に変更し書き上げるつもりです。尚、記載日と連載回数を同一数に揃えてきた事は区分けに都合良しと思い、そのまま残りも11月14日から同17日の日記として掲載の予定。 従って11月18日から同24日までは未記載とした侭で、フト筆を執りたくなった標題記事を、本25日の日付で掲出する事にした次第。 こんな事に拘るのは、「日記は毎日欠かさず書き続けなければ、生活が怠惰に流れている証拠…」といった思い込みが強い自分ゆえの事。 そんなに記載率100%に拘らず、楽天日記は気が向くまま書くほうが「楽天」の名に相応しいとは思うものの、早数十年も書き続けている「わが星霜」で培った「例え一日一行でも欠かさずに書き残そう」との不文律が、書き残した楽天暦の空白を目にする度に何か気になって仕方がない私…。(クスクス) ともあれ、そんな心の中の葛藤は別として、残り4回の連載の続きは、暇を見て出来るだけ近日中に書き終えたい所存です。 拙文ご愛読の方々を何かと戸惑わせる事になりそうですが、ご来訪の際は時々頁を遡ってシリーズ文の続き掲出の有無をご確認され、このカビの生えた旅の思い出話にも最後までお付き合い願えれば幸いです。******************************************************************************
2004年11月25日
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****************************************************************************** ★『図らずも実現した世界一周「文明の十字路ツアー」の思い出』 《第13回(全19回連載予定)》 ※同人誌『群』第四号 (1990年7月30日発行)寄稿文「旅友M君への手紙(オリエントの旅を終えて)」 を、14年後の今、即ち2004年10月26日に偶々再読。大幅遅れの楽天公開日記の埋め草にと着目、 推敲と読後感を加え斯く連載することにした。 今以上に構文の稚拙さが気になる作品だが、要は此処に書き残すような旅のハプニングも、時には 有るんだなあと言った軽い話題として、読み流して戴けたらと思う。 天井一面に飾られた硝子器具のインテリアが忘れられない ルクソール・ナイル河岸ホテルのロビー(一昔前の筆者と妻)****************************************************************************** ☆第13回(全19回) 【前文】…初回11月1日のみの掲載記事 ※第二回目以降から読まれる方々は、本文記事をヨリ理解いただきたい為、 11月1日だけ掲出した【前文】だけでも、出来るだけ目を通されてから、 続く本文を読み始めるよう、お薦めします。 勿論、お気が向く限り、初回から順次全文を通読される事こそが、この 程度の拙文しか綴れない筆者の望むところ…。 まあ如何様に触れて戴くにせよ、読み難きを耐え、物足りなさを忍んで、 何卒ヨロシクご判読の程を…。 『 旅 友 M 君 へ の 手 紙 』 …オリエントの旅を終えて… その13(全19回分載予定)※前文「1990年3月・筆者註記」とエジプト土産のイラスト挿絵転載は省略 ☆ ☆ ☆ ♪エジプト …カイロ ⇒ルクソール⇒カイロ/(?分割中の7〕)♪§4.ルクソールでの思い出(その4〔全?分割〕)《昼食後、西岸観光へ向かう》♯民族色を満喫しながら観光船内で楽しく昼食 ルクソール神殿の観光から戻った私達は、宿舎「メルキュール(通称エタップ)」前のナイル河岸に下り、昼食場所のクルーズ船が係留されている上流に向かう。 宿舎の目の前にある観光用フェリー乗場を挟み、ナイル川の風物詩ファルーカがズラリと停泊していた。 丁度昼時だったからか、白い帆をつけている船は戻ったばかりらしい一艘だけ。残りは全て帆が外されていて林立する白塗りの帆柱が岸辺を埋め尽くす側を通り、少し遡った所に係留されている白い汽船の食堂が目指す昼食場所だった。 乗船して案内された食堂脇のデッキに立ち川面に目をやると、滔々とした青き流れに乗ってユラユラと、一見大きな布袋葵(ホテイアオイ)のような緑の水草が、次々と通り過ぎて行くのが印象的だった。 多分これらは遠くアフリカ奥地の遥かな源流から流れ下ってきたのかと、何か「椰子の実♪」の歌に似たロマンを感じながら食堂に入る。 中では白いエジプシャン・ターバンを巻き、白や灰色のガウンを羽織った楽士が4人、シンプルで郷土色豊かな弦楽器と打楽器で民俗音楽を賑やかに奏で歓迎してくれていた。 エジプトの「ステラビール」を飲みながら、そのタンバリンのような太鼓や胡弓をアレンジしたような形の弦楽器が醸し出す旋律に、オリエンタル気分をそそられながら食べた民族料理の数々には、エジプト名物のハト料理もあった。 どうせ土鳩だろうから泥臭さいかと思ったがそうでもなく、味も割と淡白。珍重するほどではないが不味くはなかった。説明されずに出されれば雛鳥かと思ったかも…。 他にムサカ(茄子のトマト煮)、コフタ(串刺の羊肉つくね)、シャクシューカ(卵とトマト)、モロヘイヤのスープ等だったか…。 中でも、ムサカはナカナカの美味だった記憶が残る。♯ナイルの渡し舟での忘れられない思い出と教訓 こうして民族色豊かな音楽や料理で楽しい昼食を済ますと、宿舎前の渡船場から対岸へ向かう。 音もなく流れるナイルの川面を渡船が行く。 渡船といっても大小様々あるが、私達が乗ったのは真ん中に割りと広い船橋があり、その前後の無蓋スペースに各々50人程が鈴なりに乗っていた。 そして、私が乗っていた船橋にも10人程入れそうだし、マア一度に大型バス2台分の観光客なら楽に運べそうである。 箱型をしていて何かタグボートみたいな感じもする。力も強そうなジーゼルエンジン船ゆえ、観光客が少ない時は貨物輸送にも使われるのだろう。 尤も、旅行社のホームページを先ほど見てみたら、いまでは橋が出来ていてアクロポリスからネクロポリスは地続きとなった様子。 だとすれば、殆んどバスでナイルを一跨ぎする観光客ばかりかもしれないが、この渡船でノンビリ行き来するほうが、このルクソール観光にはシックリしているようにも思う。 アルバムに残る写真を見ると、その渡船の船橋の真ん中で得意気に舵を握るのは、挿絵の如きアラビアン・スタイルをしたコノ俺様だ。 尤も側にエジプシャン・ターバンを巻き、灰紫色の民族衣装姿の船長が見守る記念の一枚だが、そのノンビリ旅を楽しむ極楽トンボ姿に、「夢よもう一度 !!」との思いを禁じ得ない、今の私だ。 その写真の下の1 枚は、早、西岸到着間近と思われる渡船の近くを貴婦人然として通り過ぎようとしている喫水線上四層の白いクルーズ船と、それを避けようとしているファルーカ船一隻の姿である。その白い帆の高さは普通のヨットの比ではなく、船体の長さの3倍以上も有りそうだ。 貴婦人がシャナリシャナリと川面を蹴立てる横波を受けて、その小さな帆船の船体が大きく揺れる姿を見ながら私ドモの渡船は、西岸の船着場に着岸。次々に客が下船し始める中、渡船の船体も一瞬横波を食らってユラリと揺れた。 と丁度、船から岸に向かって大きく足を踏み切った我々の旅仲間の最高齢者である爺様の残りの片足が、渡りきれずにグラグラッと体のバランスを崩しハッとさせられた。 幸い先に渡って側に居た若い仲間が、「アアッ」という悲鳴を聞き振り向き、咄嗟に手を差し伸べ抱きとめたので、片足の腿ぐらいまでビショ濡れになっただけで済んだものの、一瞬遅ければ意外と流れの速いナイル川にアップアップといった大事になったかも…。 なにせこのナイル、川幅は然程ではないが両岸に殆んど砂洲が見られないとあって岸近くでも相当深さがありそうだ。なんでも中央部の水深は10m程あるとも聞いていた。 それゆえにこそ、奥地のアスワンまでも豪華なクルーズ船が運航できるのであろう。 ともあれ、今は私も早あの時の爺様と同じぐらいの歳になってしまい、此処彼処「もぐら叩き」みたいに、疫病神が首をもたげ始めている。 このハッとさせられた古い旅先での出来事を良き教訓として、もし幸い今後このスランプを脱し再起が叶ったとしても、ヨクヨク安全を見極めて行動せねば…と、改めて自戒して今日の記事を締めくくろう。 ※(以下、本文は明日以降の日記に続く)******************************************************************************
2004年11月13日
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*****************************************************************************★『図らずも実現した世界一周「文明の十字路ツアー」の思い出』 《第12回(全19回連載予定)》 ※同人誌『群』第四号 (1990年7月30日発行)寄稿文「旅友M君への手紙(オリエントの旅を終えて)」 を、14年後の今、即ち2004年10月26日に偶々再読。大幅遅れの楽天公開日記の埋め草にと着目、 推敲と読後感を加え斯く連載することにした。 今以上に構文の稚拙さが気になる作品だが、要は此処に書き残すような旅のハプニングも、時には 有るんだなあと言った軽い話題として、読み流して戴けたらと思う。 天井一面に飾られた硝子器具のインテリアが忘れられない ルクソール・ナイル河岸ホテルのロビー(一昔前の筆者と妻)***************************************************************************** ☆第12回(全19回) 【前文】…初回11月1日のみの掲載記事 ※第二回目以降から読まれる方々は、本文記事をヨリ理解いただきたい為、 11月1日だけ掲出した【前文】だけでも、出来るだけ目を通されてから、 続く本文を読み始めるよう、お薦めします。 勿論、お気が向く限り、初回から順次全文を通読される事こそが、この 程度の拙文しか綴れない筆者の望むところ…。 まあ如何様に触れて戴くにせよ、読み難きを耐え、物足りなさを忍んで、 何卒ヨロシクご判読の程を…。 『 旅 友 M 君 へ の 手 紙 』 …オリエントの旅を終えて… その12(全19回分載予定)※前文「1990年3月・筆者註記」とエジプト土産のイラスト挿絵転載は省略 ☆ ☆ ☆ ♪エジプト …カイロ ⇒ルクソール⇒カイロ/(?分割中の6〕)♪§4.ルクソールでの思い出(その3〔全?分割〕)《「ルクソール東岸観光…後半」》♯「聖なる池」の畔の「スカラベ像」アレコレ こうして少し歩き疲れた頃に「聖なる池」とされる小さな水辺に出た。 その池も石と土の色しか目に入らない遺跡に中とあって、僅かに数本の潅木が岸辺に繁るだけの、殺風景な溜池的なもの…。 でも、その水面に影を落とす僅かな緑に何かホッとさせらたものだ。 方形で広さは公式の競技用プールの倍程もあったろうか…。 その岸辺の一角に台座に乗せられた「スカラベの石像」があり、これを取り囲み、先を歩いていた仲間達がガイドわ囲んで説明を受けていた。 「鰯の頭も信心から」と言うが「所変われば品変わる」で、この甲虫の像の周りを7周回れば幸せになれると信じられているらしい。 スカラベとは、日本でいう「コガネ虫」の一種で、地中海沿岸地方等に多く生息する「ヒジリタマオシコガネ」の事。獣糞を丸め転がし運搬する習性を持つ事で知られる甲虫で、又の名を「フンコロガシ」の名で知られる。 日本の「糞ブンブン」とは些か種類が違うようだが、子供の頃よく皆歌っていた童謡にも、「こがね虫は金持ちだ、 金蔵建てた蔵立てた♪」と言う歌詞の歌が確かあったから、その意味では所変われど縁起の良い虫と言えない事もなさそうだ。 ともあれ、この「フンコロガシ像」建立の由来は、この虫を古代エジプト人が聖なる虫として崇めていた為だとの説明だった。 つまり彼等は、この虫が作る糞球を太陽に見たて、ソコに産み付けられた卵から再生を繰り返す生命の輪廻に注目。「生成」「創造」「再生」を意味する語のケペル (kheper)と虫の名の音(オン)が似ている事から、この虫の形が「自ら生まれ出るもの」とか「天に昇る若い太陽」とか言うケペリ(Kheperi)神をも表すようになって、スカラベは創造と復活のシンボルとして神聖視されるようになったものと言う訳だ。 なお余談ではあるが、こうしたスカラベを神聖視し、幸福招来の象徴とする考え方は、この旅で歴訪した地中海沿岸三ヵ国の人々に今も共通する思いなのかもしれない。 なぜなら、旅先の各地で印章・護符・装身具などに加工された品々を実に多く目にしたものだからである。 現に我家にも、この旅でアテネ空港の売店で求めたスカラベの金属細工がある。 自分の煙草の灰皿に使っても面白そうだし、娘達のパフ入れか宝石箱の代わりにしても良さそうだと思って買った物だ。 華奢な女性の掌程の大きさをした金色の「スカラベ」像で、本体の材質は真鍮らしく文鎮にしても良いほどの重さ。背中にあるテントウ虫の斑点のような赤と緑の象嵌模様も、樹脂製らしい擬玉を加工したものだ。そんな安物ではあっても、この旅の手軽に楽しめる味わい深き私の思い出の一品となっている。♯ルクソール神殿の印象 さて、思い出すままのスカラベ談義はさて置くとして、カルナック神殿の付属神殿とも言われるルクソール神殿見学の記憶を手繰ってみよう。 参考文献を見ると3kmのスフィンクス参道によって結ばれているとか…。だが今の自分には、その3kmもの長い参道記憶が何としても思い出せない。 でも、ルクソール神殿内部を紹介した様々な写真は間違いなく今も目に焼きついている。 確か本来は2本で1対となっていたと聞く片割れのオベリスクにしても、この天を突く巨大な石造を直に見上げ、 エジプト遠征の折のナポレオンが「王妃ジョセフィーヌへの土産にしたい」と、言ったとか言わないとかのジョークが、何時かフランス政府の宿願となり、今、パリりコンコルド広場に移設されているオベリスクと居を事にする結果となったとの逸話の事を思い出しながら感慨深く見たものだった。 如何に両国親善の為とは言え、世界遺産の保護に喧しい今では到底実現しなかっただろうと、改めて当時の西欧人の独善的な行為を疎ましく思う。 又、有名なツタンカーメン王の像や、カデシュの戦いでのラムセス2世の勇姿を刻んだレリーフも、ああコレコレと見入ったものだった。 それにしてもズバ抜けて多いラムセス2世像には、私が定年までを過した銀行の三代目頭取が無類の彫像好きだった事が思い出されてならない。 実はその三代目が他界する少し前に自ら作らせ、お気に入りの場所に自己の業績を誇示するが如く据え付けた紋付羽織袴の彼の銅像があった。 ところが後日、その息子の五代目が意外な事に何処かへ移設させてしまい今はソコに無い。 その心中の真意は知る由も無いが、彼氏に生前泣かされ続けた者たちは、「あの手前勝手な頭取の事だ、死んでも威張り散らされているような姿を 何時も見せつけられるのは、息子ですら目障りになったのかもしれない。 未だ当の彼が独裁を欲しい侭にしていたならば、如何に息子だろうと、 目障りだろうと、一指だに触れさせなかっただろうが…」。等と、一時勝手なことを言い合ったものでもあった。 だから、このルクソールの遺跡にしても同様で、権力者が没落したり死んだ後で、その彫像が傷つけられたり、功績が刻み込まれたオベリスクの周囲を高い塀で覆わせ威容を減殺しようと試みられた痕跡が痛々しく残ると説明している一寸辛口の解説を読み、何か相槌を打ちたくなった私である。 とにかく、この多寡が知れた一地方銀行の例でさえも、その自己顕示欲や独善の犠牲になり、解雇されたり自分から中途退職した先輩やら同僚の多さは、最高裁まで縺(モツ)れ込み長期化した労使紛争ともなってしまった事もあって、誠に数知れずであった。 それが、この歴史に冠たる古代エジプトの一大王国の世襲社会での出来事となれば、その派手な権力者間の争い事のほかに、支配者と被支配階級との言い知れぬ悲惨な大ドラマが蔭では必ず展開されていたであろう。 往時も今も、下々の苦労も知らず世襲により独裁者の地位に就いた大小のボス達に使われて生きねばならぬ星の下に運命付けられ人々の苦労の程は、如何ばかりだったかと思う。 昨今の話題の的となっている西武鉄道の堤一家や、北朝鮮の金一家による独裁体制の例にしても又然りである。 一部例外を除けば、正に一定規模以上の集団の実質権力者を世襲で決める事は、多くの有意な人々の人生を狂わせる温床だ。 誰憚る事無く非常識が罷り通り、集団の行動を非行化し、場合によっては、その世襲を狙ってのお家騒動も惹起させ、集団の死活問題ともなりかねない。何れにせよ、民主的な国や組織を標榜する集団にあっては、決して有ってはならない事だと、私は強く主張しておきたい。 ハハハ…。まあ、ルクソールの遺跡について思い新たに書き進める間に、フト思いは又いつか飛躍してしまった。 ところで、ルクソール神殿の第一塔門の一角はコプト教(原始キリスト教)の教会があった。また更に時代が下ると、この遺跡の敷地内にはモスクまであった。 このことを今新たに考える時、思い出すのは、アフガン戦争の遠因の一つともいえるイスラムの独裁政権が、岩壁に彫られた世界遺産の仏像まで偶像崇拝はいけないと破壊してしまった事だ。 少なくとも、このルクソールでは遺跡を破壊するような愚行はせず、この神殿遺跡を自らの布教の道具として利用している事を知り、ホッとした気持もした。 しかし、そうは言っても、この旅の話は15年ほども前の思い出ゆえ、この後で訪れた、対岸にある「ハトシェプスト女王葬祭殿」で、日本人観光客も巻き込まれる機銃乱射の一大テロ事件が後年に発生。良い時に旅してこれたと胸を撫でおろしたのも事実。 まあ「喉下過ぎれば何とやら」で、最近は再び賑わい始めているとも聞く。 これから同地を訪れるには、やはり、それ相応の覚悟と勇気が必要になってきた。 正に命がけとあっては、我々如き、子育てを終わり後は神のお召しを待つのみといった立場の者は、まあ諦めもつこう。 しかし、未だ子育て途中の人達は、親としての愛情や責任を考えると、ハタと戸惑いがちにもなろう…。 ちなみに、私達と同年配の者は殆んどが定年後にならなくては、海外の旅の自由は得られなかったものだ。 そういう一般的な先人たちの軌跡を考え、若い間の危険地域への旅は身軽になるまで先のばしにするのも、万ーの悔いを避ける賢明さと言えようか…。 *** >※(以下、本文は明日以降の日記に続く) ***
2004年11月12日
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2004年11月11日
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2004年11月10日
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2004年11月09日
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2004年11月08日
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2004年11月07日
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2004年11月06日
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2004年11月05日
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2004年11月04日
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2004年11月03日
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****************************************************************************** ★『図らずも実現した世界一周「文明の十字路ツアー」の思い出』 《第2回(全19回連載予定)》 ※同人誌『群』第四号 (1990年7月30日発行)寄稿文「旅友M君への手紙(オリエントの旅を終えて)」 を、14年後の今、即ち2004年10月26日に偶々再読。大幅遅れの楽天公開日記の埋め草にと着目、 推敲と読後感を加え斯く連載することにした。 今以上に構文の稚拙さが気になる作品だが、要は此処に書き残すような旅のハプニングも、時には 有るんだなあと言った軽い話題として、読み流して戴けたらと思う。 天井一面に飾られた硝子器具のインテリアが忘れられない ルクソール・ナイル河岸ホテルのロビー(一昔前の筆者と妻)****************************************************************************** 【前文】…初回10月1日のみの掲載記事 ※第二回目以降から読まれる方々は、本文記事をヨリ理解いただきたい為、 以下に記すコノ1日掲出の前文だけは出来るだけ目を通してから、続く 本文を読み始めるよう、お薦めします。 勿論、お気が向く限り、初回から順次全文を通読される事こそが、この 程度の拙文しか綴れない筆者の望むところ…。 まあ如何様に触れて戴くにせよ、読み難きを耐え、物足りなさを忍んで、 何卒ヨロシクご判読の程を…。 『 旅 友 M 君 へ の 手 紙 』 …オリエントの旅を終えて… その2(全13回分載予定) (1990年3月・筆者註) ☆ ☆ ☆ ♪トルコ … イスタンブール⇒カッパドキア⇒アンカラ♪§1.イスタンブール寸感と到着第一夜のコムラ反り騒ぎ そうした思わぬ世界一周をさせて貰う事となった結果は良かったのですが、この予定外の長旅はトルコ到着の第一夜に、家内の方を些かグロッキーにしてしまいました。 疲れを癒そうとバスを一浴びした後で、何と両足ともスネの筋肉が一度にコムラ反りを起こしてしまったのです。 尤も、その時に私は丁度一人で早速近隣の探訪に出かけていました。 現地語で「ス」と呼ばれるミネラル・ウォーターやら、「マンフィ」と言う羊肉料理を仕入れて良い気分で帰宿したところ、ヒ~ヒ~悲鳴を上げている家内を発見。共に旅する者として一時は「前途多難 !?」と、大きな不安に駆られたものでした。§2.歴史の重みを感じた小雪舞う奇景カッパドキア寸感 …で、翌日のイスタンブール市内観光で立ち寄った数多モスク参詣の先々でも、「苦しい時の何とか…」と言った気持になり、私は心からアラーの神に旅の平安を祈ったもの…。 その霊験あらたかなる結果か、不安は杞憂に終わり、時折小雪パラ付く中での奇景カッパドキアの地下都市探訪や見晴台への登頂等も、アナトリアの凍てつく大地をシッカリ踏みしめながら、共に無事に果たす事が出来ました。 しかし何故このような辺地に、地下都市まで作って人間が蟻(アリ)の様に生活しなければならなかったかを思う時。彼らを此処まで追い詰めた人間、即ち他人の生活や自由を武力で侵すことを悪としない人達の影が忌まわしく浮かび上がり、ただ物珍しさだけで見て回ってはならないと考えさせられました。 §3.トルコ史を簡潔に興味深く学べた首都アンカラ寸感 首都アンカラでは、イスタンブールのトプカプ宮殿のように、東ローマ帝国を滅ぼしたオスマントルコ帝国の強大な足跡を偲ぶ驚きはなかったものの、トルコ近代化の英雄ケマル・アタチェルク廟や考古学博物館等を訪ねました。 文明の十字路と言われ古今の列強の足下に泣いた時代の遺品や、遥か化石時代に及ぶ先住民族の足跡等、興味深いトルコ史を簡潔に学ぶ好機を与えられました。 こうして私達はトルコでのハイライト観光を無事終了。大きな夕日がアンカラの街々を美しい朱色に染め上げ、緩やかな丘の彼方へ消えていくのを追いかけるようにして空港に急ぎ、語りつくせぬ思い出を旨に平穏無事イスタンブールへと戻ったものでした。 ※(挿絵掲載は省略。以下、本文は明日以降の日記に続く) ******************************************************************************
2004年11月02日
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****************************************************************************** ★『図らずも実現した世界一周「文明の十字路ツアー」の思い出』 《第1回(全19回連載予定)》 ※同人誌『群』第四号 (1990年7月30日発行)寄稿文「旅友M君への手紙(オリエントの旅を終えて)」 を、14年後の今、即ち2004年10月26日に偶々再読。大幅遅れの楽天公開日記の埋め草にと着目、 推敲と読後感を加え斯く連載することにした。 今以上に構文の稚拙さが気になる作品だが、要は此処に書き残すような旅のハプニングも、時には 有るんだなあと言った軽い話題として、読み流して戴けたらと思う。 天井一面に飾られた硝子器具のインテリアが忘れられない ルクソール・ナイル河岸ホテルのロビー(一昔前の筆者と妻) ****************************************************************************** ☆第1回 図らずも実現した世界一周「文明の十字路ツアー」の経緯【前文】…初回10月1日のみの掲載記事 『 旅 友 M 君 へ の 手 紙 』 …オリエントの旅を終えて… その1(全19回分載予定)〔まえがき〕 まず前号(同人誌『群』第三号)掲載の「南米八部旅」の続編を、本号で皆さんにご覧戴く予定であったが、旅から時間が経ち過ぎたためか、どうにも気分が乗らず、筆が進まないまま一年が経過してしまった。 そうこうする間に、「文明の十字路トルコとギリシャ・エジプトの旅」と銘打つ13日間のオリエント格安周遊ツアーに妻と参加する事となり、その準備に追われる事になってしまった。 そんな事情で、この『群』の編集担当者ST君からの具体的な寄稿問い合わせに対して、「今回は残念ながら見送らせて貰う」旨を連絡して旅に出発した。 だが、そま旅から帰って、旅好きな友M君へ所用連絡かたがた今回の旅の様子を伝えようとワープロを叩き始めたら、フト以下のような考え方に立ち、この手紙を其の侭『群』第四号の原稿として転用しようといった気持になる。 まあ前三号掲載の『南米八分旅』の続きは、初回分の〔まえがき〕で大凡の旅の推移を類推できるよう、タイトルや登場人物の紹介に工夫を凝らしたつもりだし、次の第五号の掲載に繰り延べしても、全くの尻切れトンボといった印象も薄い筈。 やはり紀行文は、その旅の興奮未だ覚めやらぬ間に書いて紹介してこそ最善だと痛感させられたばかりとあって、帰国して直ぐ書いたコノ新鮮さを込めた手紙こそ優先すべきだと、急に気持が変わったという気紛れの結果だ。 で早速、編集者のST君に本年号企画の進行状況を問い合わせてみたたところが、「どうも原稿の集まり具合が思わしくない。今からでも構わないから送ってよ…」との返事を貰った。 尤も、帰国後の整理に追われる事情もあって、文体は手紙その侭を縮小掲載する形をとり、組み換えの手間を省かせてもらった為、多少読み難さが残るとも思うが、ご勘弁いただきたい。 尚『南米八分旅』の続編も、その侭では題名が題名だけにブエノスアイレス到着迄では私の本意を誤解される心配が残る。 又々新たな旅に出かけて別の記事を間に挟む事も有ろうかとも思うが、何れ次号以下で 何とか最後まで書き上げたく思う。よろしくご了承いただきたい。 (筆者敬白)【付記】 この記事は、筆者自身が直接自分の使用するワープロ「エプソン・ワードバンクL」を使い、エジプトで買った 旅土産の名所絵入横罫便箋に直接印字した原稿を、そのまま版下としてプリントしたものです。 従って、編集者・SK君の東芝ルポを版下に使っている他の記事と、書体その他が若干異なります。 又そうした事情から、校正も筆者の出稿段階で即責了という事で印刷して貰った文面だという事をご承知おき ください。 (1990年3月・筆者註) ☆ ☆ ☆ 【本文】 ♪「オリエントツアーが、世界一周初体験の旅に…」とM君へ書き送る♪ Mさん、先頃は結構な名産品を有難うございました。その後いかがお過ごしですか? さて私の方は、毎日お忙しい日々を送っておられる皆さんには誠に申し訳ない次第 ですが、相変わらずのケ・セラ・セラ人生哲学に従い、たとえ燃え尽きて人生行路 を終ろうとも悔いないとの覚悟の毎日。 即ち、自分の労働のダンピングは極力避けて、創造主から与えられた残りの人生を 精一杯エンジョイすることとし、義母の喪が明けました2月早々日本を発ち約半月 程、妻を連れオリエントの旅を楽しんで参りました。 今回の目的地は文明の十字路トルコから、ギリシャを経て、エジプトに至る地中海 文明発祥後を巡るツアーでした。 先年の欧州周遊の時と同じ午後3時発のモスクワ経由のアリタリア 航空便で、恐らく西周りで最初の目的地トルコのイスタンブールを目指すもの…。 そう思っていた。 ところが蓋を開けて見たら、何と出発直前にオーバーブッキングが判明。夜8時発 のイベリア航空便に急遽変更され、逆方向の東へ向かい日本を飛び出す事となりま した。 又、更には帰国便もアリタリア航空の都合でカイロから一旦ローマへ戻り、同社の ニューデリー経由便で帰国。結果的に思わぬ世界一周となる稀有な旅になった次第。 勿論、乗物好きで時間も気にしないで済む今の私だけに、この変更は寧ろ願っても 得られない幸運…。そう思えたものでした。 * * * まず、流氷打ち寄せるアンカレッジの美しい夜明けに始まり、カナダ極北の氷原に 連続する不思議な氷紋。 ハドソン湾から大西洋は夜の闇の中に越えたとは言え、僅かに数時間で再び迎えた 早春のイベリア半島の夜明け。 頑なな女性ガイドでマドリッド空港に釘付けにされ無為に過した5時間は余りにも 長く惜しまれたが、バルセロナ経由で越えた穏やかな日和に恵まれた地中海横断の 旅の眺めは格別だった。 温暖優美な地中海式気候の素晴らしさを実感しつつ、アテネ経由で同夕無事目的地 イスタンブール着。 又、「文明の十字路」と言われるトルコ・ギリシャ・エジプト三国の観光を終えて、 西欧文明の源流に感銘新たなるものを覚えながらの帰路の旅も、予想したモスクワ 経由ではなく、冒頭でも述べたとおりニューデリー経由の南周りのアリタリア便を 利用。自分としては未知のコースとあってマサに興味深々で帰路に就いた。 特にローマからニューデリーまでは、親切なクルーに恵まれたため、愛煙家の私も 特に不自由を感じさせられる事もなく、ひたすら下界の移り行く風景に酔い痴れて、 過せた。 ソノ上、アドリア海からバルカン半島を横切りトルコ上空を通過した際には、数日 前にバスで揺られた思い出多いアナトリア高原の旅の跡が、雲一つない青空の下に 拡がっていた。 あれから以後に降り積もったらしい雪景色が、夕映えの中を飛ぶ機上から再び神々 しいまでの美観として俯瞰でき、一入感動 !! これでニューデリー空港で買物中に交替していたクルーが、禁煙に固執し全く融通 の利かぬ口喧しさでなかったら、どんなにか良かったか…。(トホホ) 空いていた窓際の補助席に移って暫時下界を眺める自由も奪われてのヒマラヤ越え。 更に昆明から思い出の珠江沿いに広州・香港に至る俯瞰も、全て叶わぬままだった。 せめて月明かりの中なりと、こうした区間の風景も垣間見る自由を与えられていた ならば、まず最高の旅と思われたのですが…。生憎とソコ迄は幸運の女神は微笑み 続けてくれず、ニューデリーから成田迄はソノ怖~い年増のパーサー女史の石頭と 薄情さを恨みながら過す事となった事だけが、些か残念至極。 * * * でも旅を終えた今改めて考えてみると、それも良き思い出の一つ…。 兎にも角にもコペルニクスからガリレオ・ガリレイ等に至る少数派の学者たちが、 自身の不遇や迫害に屈せずに、地動説の真理を定着させてくれた偉大さを真に実感 する機会を作ってくれたのが今回のツアー。 そうも思え、多少なりとも文句を付けては罰が当たろうと言うもの…。なんて内心 苦笑しつつ、この筆を進めています。 従ってソンナ一寸した不平不満はコノ際一応棚上げにして、こうした格安シーズン のツアーで、終始雨らしい雨にも降られず。また耐えられぬほどの暑さ寒さに会わ なかったということだけでも、アラーの神の恵み…。はたまたオリンポスの神々の 御加護…などと、神々も苦笑しそうな深謝の念を表し、以下コノ旅のエピソードの 幾つかを訪問先順に書き上げて見ます。 思いつく侭の乱文となりましょうが、現地より別送のアップルティーでも味わって 暫時お付き合いの程を…。 ※(挿絵掲載は省略。以下、本文は明日以降の日記に続く) ******************************************************************************
2004年11月01日
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