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今日突然、ボクのノートパソコンに見覚えのない名前のアカウントが作られていてボクのアカウントの右に並べられている。気持ちが悪い。そのアカウントを削除しても再起動すると、また表示される。遠隔操作されていると思った。ハードディスクを交換しなければならないか。あぁ、何とさえない2014年の幕切れか、と思った。気を取り直しネットで調べてみる。マイクロソフトのサイトにたどり着いた。そこではESETという格安のアンチウィルスソフトを使う人にそうなることがあると書いてあった。まさにボクが使っているソフトだ。設定変更で対処するようにと指示してある。目がチカチカしてきた。寝るとしよう。ベートーヴェンの「第9」を耳元で鳴らしつつボクは眠るのだ。眠りにつくのが早いか?コーラスの最後まで聴けるか?
2014年12月31日
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妻との夜の散歩低血糖過ぎてあるいは高血糖過ぎて途中で足が止まることがありボクか、息子かが同行するふと真上にオリオンを仰ぐ「オリオン瞬く」とはいかないあの時のような夜空ではない子供の頃父親と一緒に銭湯に通う冬の夜オリオン座が夜空にうるうると瞬いていたもうあの頃から60年も過ぎ去ったのにオリオンがある所は変わらないボクの年齢も父が亡くなった年齢に近づくそう、もうあと5年もすればそんな歳になるこれからどんな5年を過ごそうか?もちろん5年生きられる保証はないが静かにその時を迎えられればそれで良い
2014年12月30日
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今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。 ルカによる福音書2章11~122014年最後の礼拝はクリスマス第2礼拝として守りました。ルカによる福音書2章の主のご降誕の場面です。人間の中で一番弱い存在としてお降りくださった神様それが飼葉桶の赤ちゃんイエスしかしイエス様はもう一度来られると約束なさいました。そのときには、助けを必要とする弱い赤ちゃんではなく「王の中の王、主の中の主」として来られます。
2014年12月28日
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バッハの「クリスマス・オラトリオ」クリスマス前後、ずっと聴いています。心が温かくなり、思わず目頭を熱くするところも。アリア(独唱)が途切れると突然、壮大なコラール(賛美歌)が高らかに歌われたりするのです。明るくて、美しくて、優しくて、力強い音楽。クリスマス関連の礼拝で用いられる6つのカンタータが集められて、「クリスマス・オラトリオ」と名付けられています。バッハの時代は、クリスマス礼拝は年末年始に渡って献げられたようです。現代でも、ヨーロッパなどでは、同じなのでしょうか?12月25日 第1曲12月26日 第2曲12月27日 第3曲1月1日(イエスの命名日)には第4曲1月の最初の日曜日に第5曲1月6日「異邦顕現日」に第6曲このようにクリスマスにちなむ礼拝が6回バッハがカントル(聖歌隊長)なる当時のルーテル教会の信徒の皆さんはこのような音楽と共に、クリスマスの礼拝を捧げたのです。心、澄み渡る礼拝だったに違いありません。アリアに耳をそばだてた会衆はコラールが始まるときっと感涙しながら一緒にキリストの誕生を喜び歌うのです。何とすばらしいクリスマスでしょう!クリスマスがなかったら、キリスト教もなかったのです。
2014年12月27日
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家畜小屋から聞こえるうぶごえ。驚いて家畜も啼く。なだめる母マリアの声。父ヨセフはだれかを呼びに走る。大変でしたね。羊飼いたちがやってくる。こんな赤ちゃんの頃から貧しい人々との関わり。キリスト様、たたあなたにのみ栄光が輝きますように。夕食後妻が、「歌いましょう」息子のギター伴奏で、3人でキャロルを歌い出すとシンガポールの娘から、スカイプ電話での呼び出し。電話をつなぎ、娘家族と一緒に歌う。あの夜の家畜小屋の安らぎと同じだと思った。
2014年12月25日
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馬小屋にお生まれになった幼な子イエス・キリストを心に想う。それはどんな夜だったかしら?プロテスタント教会のイブの礼拝は終わったかしら?カトリック教会は終夜にミサが続くのかしら?キャロリングは繰り出すかしら?世界中のサンタクロースは準備を整えたかしら?サンタのお手伝いをする親たちが昼間は忙しく動き回ったことだろう!幸せな親たちに平和。父を失ったあの子の元にもサンタは訪れるかしら?飼葉桶に寝かされたおさなごイエスを見つめる聖家族の平安。全世界の子供たちに平和。
2014年12月24日
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話をするときはできるだけ笑顔で「あなたは」と話し始めず「わたしは」と話し始める
2014年12月23日
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前の初診から1週間今日は再診に出かけました。眼に2つの目薬初めのは瞳孔を開くため30分後は、眼の麻酔のため若い女医さんは確信に満ちているようでなかなか気持ちが良い事前にインターネットで調べるとレーザー照射には2万円ぐらいかかるらしいとお金を多めに用意していく。「レーザーを当てますよ」やっぱり、来たな!ずいぶん長く感じたが正味5分位だったかな?「はい、剥がれましたからもう大丈夫ですよ」説明はこれだけだったがレーザー照射で、網膜と硝子体の癒着を剥がしたと判断。先日は、網膜が引っ張られて出血していると言われたのだ。「網膜の穴はどうですか?」「ありませんよ」会計の窓口で720円そんなにお安いのですか?と口に出かかって呑み込んだ。
2014年12月22日
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クリスマス礼拝はいつものメンバーで守りました。何もかもいつもと変わりませんでした。妻と母の証しの言葉に加えてクリスマスの讃美歌を歌いクリスマスのメッセージをお話します。変わらないってすばらしい。いつもの礼拝メンバーからだれも欠けなかったからです。ギターで伴奏してくれるわが弟来年は87歳を迎えるわが母病中のわが妻も今年も無事にクリスマスを迎えた。親の介護の使命をもって共にいる末息子は礼拝への態度が徐々に本気になってくる。来年も同じメンバーでクリスマスを迎えたいね。でもすべては主の御心の中何が起こっても、御手から受け取ります。礼拝後はお鍋を囲みました。ボクたちの家庭集会のクリスマスはこれでおしまい!!
2014年12月21日
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去る日曜日の「親族クリスマス感謝会」には18人の親族が集まって集いを持った。快く足をお運び下さる皆さんに感謝でいっぱいだった。今年、長男を亡くしたボクたち今年、夫を亡くした妻の姉今年は止めようかと一度は考えたが喪中でもクリスマスの喜びは輝いているはずだしどんな時にも伝道に励まなければならない、と決意。姉さんも一度はお断りになったが妻の励ましでお出かけ下さった。弟の妻の兄弟が全員ご夫婦で来て下さった。その兄さんが「キリスト教のクリスマスを経験してみたい」と電話でお話しくださり。叔父の息子さん2人。ボクにとっては従兄弟来て下さりありがとう!みんなありがとう!どうぞイエス様を信じて下さい!そして明日はクリスマス礼拝全国のイエス様の教会に祝福あふれよ!
2014年12月20日
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若い頃、読んでおくべきはずだったまたは読みたかった本が気に掛かる昨今。小さな人生の仕上げはきっと読書なのだ。たとえばアウグスチヌスの「告白」「三位一体」恥ずかしいけれどまだ残っている。カルバンの「キリスト教綱要」古典の中の古典に手が届いていない。文学では志賀直哉の「暗夜行路」ドストエフスキーの「カラマゾフの兄弟」などで、余裕があれば「チボー家の人々」
2014年12月19日
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午前中は、1型糖尿病の妻との散歩。それから家庭礼拝をすると午前のスケジュールはほぼ終わる。今日は日ざしが降り注ぎ引き返してサングラスをかけて出た。サングラスをすると、余計にまぶしい角度があることがわかった。家庭礼拝は、聖書1章を読み、祈りをする。読みながら左目を隠してみると右目の視力はちゃんとあることが確かめられ安心する。妻は涙を流しながら、親族の救いのために祈っていた。ボクは子供の頃、小児ぜんそく持ちで、発作の最中は、普通に呼吸ができたらどんなにうれしいだろう、と思ったのだが、いつしかぜんそくが快癒し呼吸をすることが当たり前になった。今は、普通に見えることで感激している。聖書が読めることで感激している。
2014年12月19日
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それが人生か?右目に異常を感じていたが親族クリスマス感謝会を終えるまではと思った。その集いを楽しく終えたので月曜日に眼科を受診。ただでは済まないなとは思っていたが「網膜裂孔」という症状で網膜から出血があるという。父方の親族はがん系統で、がんは普段から警戒していたが目とは驚いた。
2014年12月17日
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犬の散歩には大きめのペットボトルに水ポリエチ袋ふんを始末するため小便は水でながして道路にシミができないように(内の犬は雌なので電信柱にはかけない)妻と散歩の時に、放置されているふん見つけるボクは嫌な顔をするそして怒る妻は一緒に怒っていたが最近はそれを見つけると、かがんで取って歩くようになったしかも楽しそうに、それをやるのだ!いやだなぁやめて欲しいよ汚いよでもなぜ? 自分の犬のフンは平気で取るのに人が放置したフンは嫌なのだろう?
2014年12月16日
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大学に入るときに買った「広辞苑」は紙が黄色く変色するまで使ったので千葉に越すときに捨ててきた。「大字典」は、これも大学時代に買ったもので、大切にして今も時々使う。昔は子供の命名などに調べた。漢字の辞典は、もう一つ冨山房の「詳解漢和辞典」を持っていた。内容がシンプルで、紙もしっかりしていて、活字がきれいな字引だった。捨てた覚えはないのだが、どこへやっただろう。あの字引はまた触って見たい。最近、無性にまた国語辞典が欲しくなった。大学時の先生方が「広辞苑」は勧められないと言っていたことを思い出す。もう広辞苑は要らない。今更「大言海」を買う歳でもない。「大辞林」のような中辞典を買おうかな?
2014年12月14日
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昨晩はお手伝いをしている神学校の聖誕祭に行ってきました。図書室で、祝会と礼拝が行われます。いつもより出席する信徒さんたちが多い!なつかしいお顔が・・・・家族総出の牧師さんたちも・・・・ 温かく、和やか一人の学生がボクの所に来て「今年はみんなの心が不思議に一つに揃いました」本当に、学生たちはのびのびとその人らしく司会をし、証しをし、演奏をし、メッセージをしました。食事も質素でよかった(笑)聖誕のその夜もきっとこんなふうだったのでしょう。
2014年12月13日
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(それは息子の死よりも もっと悲しい出来事)その人は海を渡ってきた。ボクたちの集まりの講師になってくださりボクたちの教師の集まりにも加わりその心の内もフランクに語って下さった。やがていつの間にかお顔が見えなくなった。どこかの集まりに来ておられて駆け寄ろうとすると、もうあなたがたとは付き合わないと言うように、顔を背けられた。その人は、いつしか巨大な群れを作った。あるとき、その人の耳を疑うような噂を聞いた。柔和なお顔を思い出しそんなことはあるはずがないと思った。ボクはホームページを漁りその人のニュースを調べようとしたよかった、何もない、やはり、間違いだった。つい先日、その人のことをまた耳にした。ボクはまたホームページを調べた。悪い噂が幾つも幾つも書き連ねられていた。その人は強い指導者だった。檄を飛ばしてまっすぐな信徒たちを走らせた。その人は弱い人だった。自分の弱さを隠すために大声を上げなければならなかったのか。
2014年12月12日
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今朝はヨハネによる福音書14章を読みました。14章がヨハネによる福音書の頂上に違いありません。父・み子、聖霊、弟子の4者の関係が記されています。信者にとってこれ以上の慰めはほかにありません。しばらくすると、世はもうわたしを見なくなるが、あなたがたはわたしを見る。わたしが生きているので、あなたがたも生きることになる。かの日には、わたしが父の内におり、あなたがたがわたしの内におり、わたしもあなたがたの内にいることが、あなたがたに分かる。ヨハネによる福音書14章19~20(新共同訳)
2014年12月08日
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徳島ではお年寄りと2人で、山寺に向かっていた僧侶が雪のため、乗っていた車が脱輪し、歩いて向かったようだが寺の手前で、2人が倒れているという。意識はないという。お年寄りは80歳代きっとお寺の檀家なのだろう。僧侶にとっては檀家は命だ。年取った檀家さんが動けなくなったとき若い僧侶は彼のそばを動かず一緒に助けを待ったに違いない。助けの手は、地上ならず天の彼方から伸ばされ倒れている2人を包み2人の体は確かに冷えきったが心は温かかったに違いない。
2014年12月06日
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楽天kobo touch という電子書籍を読む端末を使って電車の中で、聖書や説教を読んでいます。聖書は重いですが、koboに入った聖書は軽いです。楽天koboは、その後バージョンアップされた端末が発売されていますがボクはまだ初期の touchを使っています。kobo touchの画面は、くっきりしていていいです。koboに慣れているボクが、Sony Reader の薄い画面を見てがっかりしました。特に年寄りにはいいです。無料の書籍が読める「青空文庫」を、koboのストアから無料で手に入れることができます。これはすばらしい。内外の著作権が切れた名作を、無料でkoboで読めるのです。キリスト教関係の本は、koboのストアに比較的多く置かれています。「一太郎」で作ったファイルは、「ユニコード・テキスト」というテキストファイルで保存すればkoboで読むことができます。「ワード」でかいた文章もワードのファイルでは、文字化けして読めません。作ったファイルを保存する際に「Webページ」で保存すると読めます。「書式なし」保存でも読めます。「書式なし」の場合はサブ画面で Big-Endien UTF-8 US-ASC11 などで保存するとkoboにコピーして読むことができます。問題は、本の名前が日本語で表示できないことでした。フリーソフトの「Sigil」というソフトを使うと表紙が作れることがわかりました。タイトルの入った表紙を作り画像ファイルで保存します。それを Sigil を使って表紙にします。そうすると、日本語タイトル付のファイルが作れます。本文の方は、epub というファイルになりますがkoboで読むことができます。
2014年12月03日
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バッハのモテット、ミサ曲を繰り返し聴いています。こんなに楽しく明るい聖歌を背景に進められる礼拝を持った時代は恵まれた時代だったのでしょう。それに比べると今のプロテスタントの礼拝の音楽は貧弱です。ゴスペルソングは内容に乏しく、音も薄く、メロディもガサガサしていて、若者しか歌えない。長く歌われるようなゴスペル歌もありますが。バッハの時代は楽しみも乏しかったでしょうからこんなすてきな音楽に浸れる礼拝が、どんなに楽しみだったでしょう。現代のコンサートホールなどで、高価なチケットを買って聴きに行くのではなく愛する主を讃え、礼拝する場所に、毎週こんなに豊かな音楽が響き渡っていたのです。バッハの受難曲を「第5福音書」と呼んだ時代があったそうですがバッハは牧師並みの神学知識を持っていたことが、書斎の書物などからわかっているので作る音楽も宗教的確信に満ちているように感じます。今もモテットを聴きながら書いています。優れた芸術は命にあふれています。それを作った人はとうに亡くなっているのにその芸術は今に至るまで新鮮に輝いていることに驚きを覚えます。
2014年12月01日
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