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「平和を愛する世界人として」出版、やはり、予期した事態が起きた。
"私は名前三文字だけ話しても世の中がわいわい騒々しくなる世の中の問題人物だ。 お金も名誉もむさぼらないでただ平和だけを話して生きてきただけなのに世の中は私の名前の前に数多くのニックネームを付け加えて拒否して石を投げた。 私が何をいうのか何をする人なのかは調べてみようとしてもしなくてただ反対からした。 "
韓国キリスト教関係者らの猛反対である。それが、ムン総裁同様にその本の出版社にも向けられている。
普通、初版本は2000冊ぐらいという。ところが、「世界人として」の初版は不況下にあるこの時に200,000冊と圧倒させられる。商業目的と見られてもおかしくない話だ。その出版社社長の言を載せた記事もあった。社長は仏教者で、出版に当たっては仏前で祈って決めたとする内容のものも目にした。
また、反対者らに対する抗弁もありで、韓国はしばらくそのことで話題となるものと思う。
以下はその一文。
愛が自分のためであることではないように幸福と平和も自分のためであることではないです。 一人で愛してできるのは何もなくて一人で立派な以上を夢見ても成し遂げることができるのは何もありません。 一人で幸せな場合も平和をいうこともできません。 必ず相手がいなければならないということは私より彼がさらに重要だという意味です。
ゴルバチョフ大統領に会ってクレムルリン宮を出て,私は遂行中だった私たちの家族に特別な指示を一つおりました。 "1991年が移る前に金日成主席に会わなければならない。 時間が急だ! ソ連はもう1,2年中に終わってしまう。 問題は我が国だ。 どうにか金日成主席に会って,韓半島で戦争が起きることを防がなければならなくて。"ソ連が崩壊になるならば全世界共産国家らも共に壊滅するつもりだったために気が短かったです。
金日成主席は"私が死んだ後に南北の間に相談することが起これば必ずムン総裁を探せ。"とキム・ジョンイル委員長に頼みこんだというから互いにかなりよく通したようです。
私が一週間の日程を終えて平壌(ピョンヤン)を離れるやいなやヨン・ヒョンムク総理を首班にした北朝鮮代表団がソウルにきました。 ヨン総理は‘韓半島非核化共同宣言'に調印しました。 そして翌年1月30日,北朝鮮はIAEAの核査察協定に調印することで私との約束を皆守りました。
Little anglesは1965年米国公演を始め今まで世界を駆けずり回って韓国の美しい伝統をお目見えしています。 英国王室に招待されて,エリザベス女王の前で公演をしたし米国独立2百周年行事に招待されて,ワシントン ケネディ センターに上がったりもしました。 米国ニクソン大統領の前で特別公演もしてソウルオリンピック文化芸術祝電(祝典)にも参加しました。 Little anglesはすでに世界的に名が知られた平和の文化使節です。 しかし世界色々国に出て行って,私たちの文化の優秀性を立証しながらも,Little anglesは一度も‘コリア'を叫ばなかったです。 ところがリトル エンジェルスの踊りを見て拍手を送る人々胸中には‘文化と伝統の国,韓国'とのイメージがはっきりと根をおろしました。 そのような意味でLittle anglesは他の誰より韓国を世界に広く知らしめて愛国をしたもようです。
ワシントン モニュメント集会には驚くべきことに米国既成教会の牧師らが信徒らを大規模につれてきました。 私が伝えるメッセージが宗教や分派を超越して,若者たちに感動を与えていると判断したのです。 私がそんなにも声帯が破れるように叫んだ超分派,初終教が成り立った瞬間でした。 ワシントン モニュメントの集会は奇跡でした。 その日集まった30万人の人波記録は今でもこわれなかったです。
私は常に宗教が一つになって,人種が一つになって,国が一つになる世界を主張してきました。 数千年人類の歴史は世界を分けてまた分けることの連続でした。 宗教が変わって権力が変わる時ごとに国境が分かれて戦争が起きましたが今は世界主義時代です。 これから世界は国際平和高速道路を通じて,完全にある (註:たぶん、「一つの」という意では?) からだにならなければなりません。
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