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前回記事 「霊的な目を開き、真のお父様と真のお母様を見つめるようにしてください(by 文亨進)」 に以下コメント(一部)があった。
> 最近お母様とお父様が一体となっておられる。 という話は聞かなくなりましたね
>申し訳ないですが、お父様が霊界に行かれてからお父様の語られていた事がお話しされませんね
真のお父様の話ではなく、真のお母様の話(「独生女」など)ばかり。
さて、「お母様とお父様が一体となっておられる、という話は聞かなく」なったということだが、
逆に言えば、「お母様とお父様が一体となっておられる」証拠である、といえる。
私たちが「真の御父母様」といえば、真のお父様と真のお母様がそこにおられる。また、
私たちが「真のお母様」といっても今日、真のお父様と真のお母様が一体である
、ということだ。
私の過去記事で フレデリック・ソンターク著「文鮮明と統一教会」 のことを書いた。
真のお母様はお父様と一体であるので語る必要がない!!
Nov 1, 2015)
-----(以下引用)
▼
フレデリック・ソンターク著「文鮮明と統一教会」
「文鮮明と統一教会~その人と運動をさぐる~」
元カリフォルニア州ポモナ大教授
フレデリック・ソンターク著
松下正寿監訳
世界日報社発行(1979.6.25)
私は教会へ来て間もない時で、この本を購入した。一生懸命に読んだかといえば、本を買っては積読(ツンドク)の私であったから
1/4は読んだだろうか?
その中でも私に残っている内容がある。
ソンターク博士が文鮮明総裁とインタビューをしての印象について書いたものだ。米国で牧師に会えばやたらに「神様」という言葉が出てくる。ところが、文総裁とのインタビューではそれがなかったという。それがかえって、神様を近くに感じたという話だ。
言葉を換えてみよう。お母様(真の御父母様)の場合は、
(A)が( A') について語らないのではない。(A)と( A') が一体となっているから( B) に語る必要がないのである。
である。
-----(引用終わり)
また、前回記事の説教集の引用で大事な部分が抜けていたので、再照明する。
真のお父様と完全に一体の真のお母様(by 文亨進)
食口の皆さん! 私たちは、真のお父様が真のお母様をおしかりになる姿を見ることがあります。問題は、そのような状況を見たときに、真のお父様と真のお母様の深い心情を理解しないまま、「真のお父様が真のお母様に対してひどい扱いをされるので、私たちもこれからは真のお母様に従っていく必要はない」と思ってしまう人がいるかもしれないということです。
それは、正しい信仰者の態度ではありません。私たちは、そのような状況と遭遇した場合にも、真のお母様の深い心情世界を理解し、慰めてさしあげなければなりません。カトリック信者たちが聖母マリヤを変わらない心で愛しているように、完成したエバであり、真のお父様と絶対的に一つとなられたお母様に対して、信仰的基準を失ってはいけません。
真のお父様は、とても緊迫した、切実な心をもって摂理を導いていらっしゃいます。時には、み旨どおりに摂理が進んでいかないとき、しかられたりもします。それは実は、リーダーと食口たちが責任を果たすことができなかったためです。しかられなければならないのは子女たちであるのに、 真のお母様は、子女である私たちが傷つくことを願っていらっしゃらないので、真のお父様の怒りと私たちの間にたたれて、執り成しをしていらっしゃるのです。
分派の方々は、お父様がお母様を叱られる様子を見ては、お母様とは一体ではないことを主張されるが、2010年3月、文亨進世界会長(当時)の説教のみ言葉である。彼が当時、霊的に真のお母様を見られて証しされたものであった。
「 真のお父様と完全に一体の真のお母様(by 文亨進)」に同感される方は以下をクリックしてください。
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