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9/21 朝から頭が痛い。歩いてもふらつく。精神的にどん底に落とされた自分がそこにはいた。はっきりとわかったことは、妻は今回の件で全くといっていいいほど反省していない。妻が苦しい立場になったのは、すべて私のせいであると考えている。一般的には妻の方が悪いというのはわかっているのだが、妻が自分のやりたいことができなくなったり、家族ときまずくなったのは、すべて私が悪いと考えているということである。夕刻まで私の気持ちの葛藤は続いた。やはり離婚しかないのか。だれかに相談したい。自分では、もう爆発しそうだ。しかし、妻の両親には、もう相談できない。子供にももちろん。会社の人間にもできない。自分の親?しかし、それをすると妻の逃げ場はもっとなくなってしまうだろ。裁判所の円満調停?本当に悩んで悩んで悩みぬいた。そんなとき、なんとなくあることに気づき、ふっきれた気がした。今まで自分の妻に対しての気持ちが強すぎたのだ。妻のことを愛しているがゆえに、自分が愛されていないそのギャップに苦しんでいたのだ。それが、わかると、ここまで痛めつけられたのだから、妻に対する気持ちを少し冷まさせよう。という気持ちになることができた。もう、妻のいうとおりでいいや。定期的にsexだけはして、性的には満足しておけば、以前のような性的にも不満足、気持ち的にも不満足という状態よりははるかに良い状態ができるではないかと思うようになった。もう、妻の行動は気にすまい。たとえ、土日に仕事をしても遊びにいっても、自分をさけても、こちらから誘うことはもうやめよう。他の楽しみをみつけよう。そう思えたとき、気持ちが本当に楽になった。そして、その夜、妻にそのことを伝えた。自分の好きなようにやていいよ。冷めた夫婦を目指そう。理想のために子供は犠牲にはできないから。妻は、それは、私の理想と違うのがわかっているので、無理をされてもれしくないといった。しかし、無理をするのはお互いであるから、それは仕方がないでしょう。そんなことを喜んでいえるはずもないわけで、無理を承知でその条件を飲むのだからそれでいいのではと話をした。これからは、一切、いい夫婦になろうとか、二人ででかけようという話はしないから。といった。妻は私にとって妻と結婚したのが最大の失敗だったねと自虐的にいってたが、それは、妻が私との結婚を最大の失敗と考えていることの裏返しであると思う。まあ、今になっては仕方のないことなので、放っておくことにしよう。また、今回の件で全く妻が反省していないと思うことをはっきりと伝えた。もし、反省したときはいってくれともいっておいた。そんな日が来るとはいまは考えられないが、もし、素直にあやまるようなことがあれば、それは、もう一度妻を許してやろうと今は思っている。その日は妻を求めて妻もそれに応じた。心が離れた夫婦の営みとしては、まずまずであったのではないかと思う。妻も、私の対応に驚いたのか、あまりに素直に妻の要求をすべてのんだことに多少の罪悪感を感じたのか、昨日のようなとがりきった、雰囲気は消えていた。9/22 妻は昨日、寝ているとき、何度も私の手を握りにきた。おそらく、心の中の罪悪感がそうさせているのであろう。朝起きても何度もキスをくりかえした。気持ちが一歩離れてからのキスというのは、少し気恥ずかしい感じはするが、なんとなく心が久しぶりに通じた気がしてうれしかった。その夜も妻は、私の手をにぎりたがった。やはり、妻なりにかなりこたえているのかもしれない。といっても、妻が改心するとは考えられないので、数日で以前のようになることはわかっている。しかし、妻がそうしている間はしっかりと抱きしめておいてあげよう。でも自分の気持ちは、前の状態に戻せばきっと、また、さらに傷ついてしまうので、やはり冷めた夫婦を目指す方向でしばらくはやっていこうと思う。
2004年12月31日
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9/18 最近は、妻も少しは努力しているように見える。こちらが何かいっても、とりあえず、返事が返ってくるようになってきた。ほとんど意見はあわないが、私の意見に最初は反対しても、しかたないので、従おうという気持ちは時々見受けられるようになってきた。もちろん、絶対いやなことは、嫌とはいうが・・・まあ、これでも進歩とはいえるかもしれない。あさって、2人でどこかへ出かける予定である。その最後に、もう一度最初からやりなおそうと声をかけたとき、妻はなんと答えるであろうか。沈黙になることは、嫌だなとは思うがその可能性が一番高いと思う。そのとき、私の精神が持つかどうか、今から心配である。しかし、絶対にそれはきかなくてはならないと思う。それからがスタートだから。今は、スタートにたてるかどうか、お互いに一緒に暮らして判断しているところであるから。妻がどのような結論を出すか。私は、やはり家族が大切だ。でも、完全に冷めた状態で夫婦を続けるのも嫌だ。本当の結論を出すのにあと2日と迫った。9/20 今日は妻と出かける日であった。私は、妻も本当にやりなおすきっかけを作るために二人で落ち着いて話をするつもりでいるとおもっていた。そのため、いくつもデートプランをつくり、妻に選んでもらうよう考えた。妻はしぶりながらも神戸へいくプランを選んだがいく直前になってキャンセル。天気が良すぎて暑いというのがその理由でった。本当にやりなおそうと妻が思っているというのは、大きな間違いであった。妻は、やはりかなりのこだわりを持っており、今はこどものために離婚するのは良くないが、自分の今の状態は絶対にいやだと考えているようだ。私の夫婦の理想像と妻の夫婦の理想像は大きく食い違っており、私のいつまでも仲良くできる夫婦というのは、無理であるといわれた。冷めている夫婦があたりまえであると妻は考えているようだ。だから今回は、3ヶ月前の状態に戻して、お互いに干渉しない夫婦でいたい。それができなければしかたがない。と妻の気持ちを伝えられた。今回、離婚をしなくても数年後、または数ヵ月後、また離婚する気持ちになるかもしれないことをわかっておいてくれといわれた。また、私が家族に対して一生懸命する姿はとてもうっとうしいようだ。自分と比べられるのがとても苦痛らしい。妻の言葉をそのままいえば、私はやりすぎだそうだ。妻は仕事に対するこだわりをとても持っている。特にガイドヘルパーを制限されるのは心底いやらしい。さらに、私がいつも強制をするのが、とても嫌らしい。一緒に遊びにいこうとか、家族でなにかをしようというのが、彼女にとって、苦痛このうえないということだ。私は強制したつもりは一度もないが、彼女はそう感じているようだ。しかし、彼女はいままで、私のそういった要求に一度も首をたてにふったことはない。常に頑強に拒否し続けている。妻は、私が理想の夫婦像を描きすぎであるといった。夫婦は単に同居しているだけであって、結婚記念日も誕生日も一切必要がないと考えているようだ。確かに私は夫婦いつまでも仲良く楽しくと思っているが、それを完全に否定された。私は妻を愛していた。(る?)それが、今はわからなくなった。彼女は私のことを嫌っているのは、はっきりとわかった。ここで、私はどうするべきか。このままの状態が続けば、おそらくすぐに身体はぼろぼろ、仕事もぼろぼろになってくるだろう。そして結果として家族は崩壊である。今、離婚したらどうか。3人の娘たちは、まだまだ多感な頃である。特に一番下の娘はまだ小5である。子どもには、大変な精神的苦痛を与えてしまうであろう。それでも離婚できるか。離婚せずに、今まで通りの生活を続けていくこともできる。しかし、そのときには自分自身の気持ちをどう整理すればよいか。妻のいうように、夫婦は冷めた関係のほうがよいと考えるのか、とってもそれは嫌ではあるが、それが一番良い方法であるか。
2004年12月30日
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初めてこの日記を読んでいたいている方へ、お時間があれば、ぜひ、この日記は前にアップしている日記の最初から読み返してください。展開が刻々とかわり、きっといろいろと感じていただけることと思います。現実は小説よりも奇なり。とはこのことであると思っています。ぜひ、実録43歳の純愛と挫折の記録をお楽しみください。9/11 朝から妻が3階に上がってきた。昨日のわれわれの話が気になるらしい。私はこどもたちにすべて、そのままを話したと答えた。日記を書いていたことも伝えた。妻の態度を見ていると、ちょっと弱気になっているように見え、今のままの状況で帰ってきてほしいんだろうなということはわかった。朝、長女を送って、家にかえり、しばらく3階で寝ることにした。すると妻が上がってきて話をし始めた。いきなり、「やりなおすとしてもこの家にはおれないんやろ?」私は意味がわからなかったので、「どういう意味?」と聞いた。すると、「逃げ場がないんやろ。この家におったら」といいはじめた。多分、妻が自分は逃げ場がないからN本さんとメールをしていたといったとき、俺も逃げ場がなかったわ。ここはお前の家やし、相談する人間もおらへんかったし。といったことが気になっていたようである。本質では全くないのではあるが、まあちゃんと答えようと、「お前がそっぽを向いてしまうと逃げ場がなくなるという意味で、今はこどもも逃げ場になるし、家をすぐにでることは考えていない。でも、義父がわれわれを迷惑に考えているようなので、その対策は考えなければな。」と言っておいた。そうすると、「離婚したら子どもの行事には出てくれないのという」ので、子どもの行事は出るよ。それは親の責任だものとこたえた。ただ、離婚をするのなら子どもをどうするのかはまだ決めていないので、今は話ができないと思った。妻は、今のままだったら帰ってこないのときいた。男とわかれずにかと聞くと、うんと答える。よっぽどN本さんのことが好きとみえる。気分が悪いがそれは、絶対譲れないと答えた。次に「もし、それがふっきれても妻が私を許せるか(通帳や携帯を見たことをさしている。)が結論が出ない。それには時間がかかるんだけど。」と妻がいった。だから結論がでるまで帰ってきてというのである。私は、まったくわかっていない。大きな憤りを感じながらも、しずかに、「自分はわるいことをしたとは思っていないよ。おそらく次に同じ状況になれば、また、おなじことをする。それは子供たちに対しても一緒。おれは、家族を守るためにやったんだから。」妻はまた、なにも言わずだきついてきた。今の自分には何もできない。抱きしめることだけはしてあげよう。おそらく、妻はいま、自分と戦っているのだろう。自分の否を認めるのを極端に嫌う傾向にあるので、しかし、状況はみな妻が悪いほうに向いている。苦しくて仕方がないと思うが、自分は当事者。何もいわず抱きしめてやろうと思った。多分、落ち着くのには時間がかかるだろう。9/11 夜、明日香からメールが届いた。日記を読み返しているらしい。でも、この日記は、私の心の動きをそのまま書いているものだから、自分が感じたままお母さんに話せばいいよといっておいた。義母もかなり気にやんでいるらしく、死にたいといっているようだ。長女には、おばあちゃんをしっかり支えてあげてねといっておいた。また、明日の文化祭、来て欲しいといっていたので、いくことにしよう。でも、心が苦しい中で娘のメールはとても勇気を与えてくれた。ありがとう。9/12 昼前から、妻と三女と一緒に長女の文化祭にいった。極力、何もなかったように妻とは接したが、お互い思うところはあると思う。でも、三女のためにも努めて明るくふるまった。妻の顔にも精彩がない。きっと食欲もなく、あまり寝れてもいないだろう。状況はほとんど私と同じだと思う。三女が私と遊びたがっているのがよくわかる。ごめんね。思わず抱きしめたくなった。来週の火曜日、家で仕事があるので、そのときに、ちょっとは遊んであげよう。しかし、極端にやせてきたのがわかる。ズボンがぶかぶかになってきた。精神的なストレスというものは、ここまで身体を蝕むものなんだなと痛感した。妻の返事がおそければ、こちらから返事しようかなとも思い始めた。でも自分で返事をするのは最悪の結果になるので、もう少し辛抱しようと思います。夜、妻からメールがとどく、20日に2人で外で会おうという。当初は離婚の決断をしたと勘違いをしたが、やりなおそうと思い始めたみたいである。しかし、言いたいことをいってしまったあとだけに、やり直せるかが不安とのことである。一応あってみることにした。夜、子供たちが妻と話をしたらしい。子供はストレートだから、妻も相当こたえているだろう。また、自分には味方がないとふさぎこむかもしれない。しかし、妻は通帳を見たことをよほど気にしているらしい。私は、今回の件では、自分に非があるとは思っていない。というより、全くあやまろうとしない妻に脱力感を感じている。妻は、果たして自分のしたことを反省できるのであろうか。妻はいつも私が通帳をみたことを許せるかがわからないというが、私は許してほしいとは思っていない。仕方なくやったことで、原因は自分が作ったということをわかってほしい。さらに、N本さんのメールの件は、猛烈に反省してもらわなければ困る。それでなければこれからうまくやっていけるはずがない。とにかくここまできたのだから、あいまいに終わらせるのはやめよう。もう、こんな思いは2度としたくないから。9/13 今日は朝から体調が悪い。下痢はとまらないし、胃は痛む。頭はクラクラだし、精神的にはズタズタ。授業をするのがとても億劫になっている。最近、会社の調子も下がってきた。とにかく頑張るしか方法はないのか。今は事業のことを考える余裕がない。このままでは、何もかも駄目になっていく。今日は早く寝よう。妻からメールが届く。昨日、私が娘に妻が離婚を決意したらしいと、あやまりのメールを送ったことを怒っている。妻のあいまいな言葉を私が勘違いしたのが原因であるが、この時期にあいまいな表現をするのも、どうかと思う。まあ、それを相手のせいにするのは、妻のいつものパターンか。まあ、妻はやりなおそうと思い始めたようなので、できるだけやさしく包んでやろうと思う。9/14午後から妻と話をした。自分が信じられないかと聞いたが答えが返ってこない。多分、よほど信じられないのであろう。でも、やりなおしたい気持ちはあるようである。N本さんとは連絡を全くとっていない。自分は家族が大切だと、連絡し、西本さんからはわかったとの了承をもらったとはいっているが、どこまで信じられるのか。すぐには、納得できないのは仕方のないことだと思う。また、まだ妻の反省は不十分で、というより、反省をほとんどできていなくて、こちらが誤解をしたためにここまで話がこじれ、N本さんともわかれなければならなくなったことを本当に残念に思っているようである。もう、あまり考えると、体がもたないところまで、きているので、とりあえず、家にかえって、もう一度やり直す努力をしてみることにした。
2004年12月29日
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9/9 今日は、自分の気持ちを整理するために、朝から京都へ向った。出町柳でおり、銀閣寺に向うと、百万遍知恩寺というお寺があった。あまり知られてはいないが、意外と本堂が立派で中央に阿弥陀如来が鎮座している。朝まだ早いので参拝者は自分ひとり。大きな本堂の真ん中で、阿弥陀様にどうするべきかをたずねてみた。もちろん何も答えてくれるはずもないが、心になにかうかんでくるのではないかと思い、一心に語りかけた。15分ほど座っていただろうか、少し気も落ち着いてきたので、銀閣寺にむかうことにした。銀閣寺はつきあって間もない頃、妻と一緒にきたことがある。その後も、一度、子供をつれて家族できたことがある場所である。昔を思いながら、銀閣寺の境内を散策した。京都の北山を一望できる高台にきたとき、ふっと気が晴れるような気がした。妻の行動に不審なところがあったため、確かに身辺を調べた。それが、妻には大きな憤りとなっているといった。これが原因であれば、自分は堂々としていよう。家族を守るためには当然のことをしたんだ。自分の行動を棚にあげて、それが原因で私に対して不信感を持つようであれば、もし、今回離婚しなくても、一生いろいろなことで悩み続けなければいけないだろう。やっと自分の気持ちが固まったような気がした。それから哲学の道を歩いた。歩きながら思ったのは、妻は本当にN本さんのことが好きになったんだな。ということだ。おそらく、妻の様々な理不尽の言葉の裏には、西本さんが好きなのに、会えなくなった。しかも、そのことで、自分が責められるということに耐えられなくなったのではないかと思うようになった。そう考えると可愛そうではあるが、(私自身はもっとかわいそうであるが・・・)まあ仕方がないことではあろう。おそらく、しばらくは妻はふっきることはできないところまで気持ちが入っているようなので、今回は離婚しか道はなさそうだなと思う。子供については、これからじっくりと考える事にするが、何とかすくすくと育つ環境を作ってあげたいなと思う。これは、夫婦だけではなく、両家で一生懸命話し合うべき内容ではあると思っている。気持ちが整理できたので、久しぶりに食事ができた。最近、ろくに食事ができていなかったので、うなぎの定食を食べた。まあ、完全に食欲が回復とまではいかなかったが、少しは食べれたのでこれで体力は回復するだろう。昼から頑張って仕事をするぞ。来週はまた、忙しくなるだろうからな。9/10 朝から義母から連絡があり、今日は朝の仕事が終わったら一旦、帰ってくるようにいわれた。最初は、妻から連絡があるまでは決して帰らない覚悟をしていたが、昨夜妻が、長女と次女にわれわれの問題について話をしたらしい。それなら、このままより自分の方からも子どもたちにしっかりと話をしてあげるべきだと思った。きっと不安が一杯になっているだろうから。昼、仕事が終わって家に帰ると、義母だけがいた。妻は早めに仕事のため、家を出たらしい。義母から子どもたちが不安がって、妻がついに話をしたということを聞いた。そして、今日は帰っておいでというので、その言葉に従おうと思った。妻は、義母や義母の姉ともいろいろと話をしたらしい。しかし、やはり私に対する気持ちは冷めているということと、N本さんとは心から相談できるよきパートナーであることを説明しているようだ。しかし、N本さんと一緒になるところまでは決心がいっていないし、離婚したら不安であると考えているらしい。義母はN本さんと別れさせるので、冷めたままでも帰ってきて欲しいと私にたのんだ。しかし、私はそんなつもりは全くない。男と別れる。もう一度、お互いに一生懸命やりなおす。その条件がクリアできない限り、私は一生ストレスを抱えていかなくてはならないだろう。きっとすぐに死んでしまいます。と答えた。とにかく、もうちょっと様子を見て欲しいというので、わかりました。いずれにせよ、妻の返事を待ちますとだけいった。義母が精神的に本当にまいっているのを見て、申し訳なさとどうしょうもなさで心がさいなまれた。その日の夜、家にかえり、長女と次女にこの日記をもとに、いままでのいきさつをすべて話した。決してうそや誇張はいれず、すべて事実に基づいてそのままを話をしたつもりである。途中から、こどもたちは、涙が止まらなくなっていた。まさかここまできていたのかと3人で泣き崩れてしまった。最後に、長女がいった。私たちがなんとかする。お母さんの目を覚まさせなあかん。次女もそれに同意した。思春期の多感な時期の2人にこれだけの精神的負担を与えてしまったことは、親として本当に情けないことである。謝っても謝っても謝りきれない。でも、子どもたちも立派な当事者だ。ひとりの大人として彼女たちの行動を見守ろうと思う。2時頃話を終わった頃、義父が突然下りてきて、キレ始めた。子どもたちの声がうるさくて寝れないとのことである。私の悪い習慣で子どもたちが皆夜型になってしまい、一緒に住んでいる朝型の人間にとって大変迷惑である。向こうの両親でも同じ状況であれば我慢ができないはず。特に私のいびきは死んだおばあちゃんも大変迷惑していたと思う。と言い出した。突然のことでみんな唖然としたのだが、多分、妻の擁護をするために、こちらを攻める何かが欲しかったと理解しておこう。やはり義父も娘が可愛い。それは私もわかるから。でも、冷静な話をしているときに、論点のずれた話はどうかと思うが・・・もし、夫婦問題が解決したなら我々がうるさくて迷惑をかけていることは何らかの形で解決するようにしよう。その日の夜は、長女と次女と一緒に3階で雑魚寝をすることにした。今日は、精神的にとてもホットする日であった。ありがとう、私の愛する子供たち。
2004年12月28日
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初めて見ていただけた方は、ぜひ、日記の最初から戻ってご覧いただくことをお勧めします。きっと、小説のような感じで読み進めていただけるものと思います。9/4今日は、比較的落ちついているのか、あまりキレた様子はない。このような平和な日々を毎日すごせたらと思う。夕方からは前の会社の同僚と一緒に六甲山荘に行く日である。六甲山荘はよくお互いの家族でキャンプをしたりして楽しんだ場所である。もう一度あのときのような家族に戻れるのであろうか。時間がかかるかもしれないが、努力だけは続けていこうと思う。しかし、そう思っても心のどこかで離婚という選択肢もぬぐいきれないじぶんがいる。精神的には限界が近づいている。今度妻から私の精神をずたずたにするような言葉を聞いたら、歯止めがきかないかもしれない。本当に精神的につらい。9/5六甲山荘で朝4時半まで飲んだ。前の会社の話をしていたのだが、昔を思い出しすごく前向きで元気な自分が少し回復できたような気がした。少しリフレッシュしたので、今日は、もう少し頑張れるような気がしている。このままストレスが続くと必ず身体をこわしてしまうと思っていたのでかなり救われた気がした。みんな元気をくれてありがとう。9/6 今日は普通に会話ができるようになってきた。あまりとがったところはなく、普通の生活はできそうである。しかし、また、不審な動きをする。私が夜遅くまで部屋にいることがわかると、急に起きてきて、携帯をかくした。また、あやしいね。いつになったら、こんな生活がやめれるんだろう。隠せば隠すほどあやしいのにね。今日は、一日中離婚するかどうするかという問答が頭から離れなかった。二人の心がまったく通じないことに対するイライラが相当つのっているからである。裁判所に一度いって相談しようかな。このままでは、私は体を確実にこわします。9/7 あまりに怪しい妻の行動に、どうしても我慢できなくなり、また携帯をチェックしてしまった。(オレって最低。自己嫌悪に陥る)。でも、しょっちゅうメールしているわりには、受信ボックスの数は少なく、送信ボックスはほとんど空。明らかに削除している様子。見られる事を想定して、削除ををしている妻と、それを見てしまっている俺。なんかとても嫌な気分になってしまった。携帯のアドレス帳を見て、怪しそうな女性の名前を発見。電話番号を控える。予測はあたってほしくないが、これはもしかして、例のN本さんのものだろうか。考えただけで気分が悪くなり、夕食は食べる事ができなかった。気分が悪いが妻をなんとか信じたいという気持ちでsexに誘ってみた。しぶしぶではあったが、一応のってきてくれたので、とてもうれしかった。もしかしたらオレのとりこしぐろうか。とそのときは一縷の望みを持ち眠る事ができた。9/8 意を決して、例のあやしい女性の電話番号に電話してみる。結果は最悪、見事にN本さんにつながった。間違い電話のふりをして電話を切る。もう頭はむちゃくちゃ。ふるえがとまらない。どうしてここまで裏切られるのか。もう離婚は避けられないかもしれない。子供の顔が目に浮かぶ。妻の両親が病院にいたため、もう一人で悩んでも仕方がないので、このことを報告した。かなりショックを受けていたが、とにかく、自分が先に妻と話をするので、それからのことにしてくれと頼んで病院を出る。妻が仕事から帰ってきた。意を決し、妻にこういった。「何か隠しているやろ。たのむから自分からいってくれ。」「なんも隠してへんわ。また、そんなこというの。そんなことばっかりいうて、私をいっこも信用せえへんねやったら、もうええわ。」予想通りの反応であった。今まで、このように私が彼女に何か隠しているのではないかと問いただすときは、すべて最初は否定し、キレ、そして証拠をつきつけてやっと内容は認めるが、自分の非は認めないというパターンである。今回も、同じパターンをくりかえし、「自分の逃げ場がないので、彼にメールをしている」と開き直った。どうもいつも私が彼女をせめているように感じ、逃げ場を失っていると思っているようである。私は彼女を責めてるつもりは、全くなく、むしろ彼女を理解し、よい夫婦になれるよう、自分が止まり木になってあげれるよう一生懸命彼女に話をしてきたつもりであった。しかし、彼女には責めているように思えたらしい。そして、私が彼女の身の回りを調べたことに一生忘れられないほどの憤りを感じているようだ。私には一切信頼感は感じない。といわれた。なんで調べなければならなかったかわかるかと聞いても、それは関係ない。調べた事が許されないというのである。私は、あれだけあやしい行動をしておきながら、また、こちらが調べれば調べるほど嘘がどんどんでてくる今の状況で、調べたことだけをとらえて信頼感が全くなくなったといわれたことによって、大きな脱力感を感じた。また、彼女は、仕事を理解してほしかったといっている。仕事上のつきあいなのに、変な誤解をして、自分の仕事を奪ったことに大変憤慨している。しかし、今回、私は誤解で全く動いていない。嘘をひとつひとつ正していっただけだ。最初、特定の人のガイドヘルパーはしていないという嘘がわかり、それを正した。嘘をつかなければならないような仕事はやめてほしいという旦那の意見はしごく当然である。そして、彼女は一度は納得した。しかし、今度は私にだまって、また会おうとしていた。メールをチェックして過去の内容も驚いたが、それ以上に、あれだけ会わないでほしいとお願いして約束したのに、全くその約束は嘘で平気で私にも会社にも嘘をついて会おうとしていた。これは、明らかに気持ちがはいっているとしか判断できない。そこで、もう一度正した。そのときは、本当に申し訳なさそうで、もう二度とこんなことはしないからと謝った。私はその言葉を信じようとしたし、やはり心もつらいだろうと思い、できるだけ両手を広げて包み込もうと努力した。いろいろ前向きな話もした。本当は一緒に悲しんであげれば、一番いいのだが、彼女の一番いきたいところにいかさなくしたのは、私なのでそれはできない。だから自分のできることは精一杯したし、話もしたつもりであった。しかし、そのうえで、また、同じ男と親密にメールをしていた。そして、今回は開き直った。悪いのはこちらであり、自分は被害者。謝るつもりはないとのことである。これは離婚だなと思った。離婚について彼女に聞いた。おまえはどうしたい。今までのままがいい。離婚は子供のことを考えてもいやだ。でも、彼との関係を切るのもいやだ。彼との関係を続け、今までとおりの夫婦でいたい。私は断った。そんなことはできない。そんな思いで一緒に生活してもうまくいくわけがない。毎日がストレスで病気になるにきまっている。実際、いまでも病気になりそうである。胃がきりきりといたむ。私は妻に条件を出した。しばらくお互いに考えよう。俺は今日から家を出る。子供には出張に行ったといっておこう。離婚しない条件は、男ときっぱりと別れる。夫婦関係を今続けるということは、一生続けるという覚悟ができたときだけ。10年後に別れるなら、今別れよう。とりあえず、妻なりの結論が出るまで私は家を出る事にした。これらの条件が飲めないならもう離婚でもいい。私はようやく腹がきまった。
2004年12月27日
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8月26日 最近、ようやく妻も夕食を作るようになってきた。(今までも夕食の用意はしていたが、丼やできたものを買ってきて皿に並べるというだけのものが多かった)やはり、仕事をしながら主婦業もするというのは、大変そうではある。精神的にしんどい時期だろうからよけいに心配にはなる。8月31日 たまたま、はやく帰ることができたので、妻といろいろな話をしたいと思ったので、妻のいる部屋にいくようにした。しかし、私がその部屋にいくと1分以内に妻は別の場所に移動した。私は時間をおいて、再度、妻のいる部屋にいくと、また、1分以内で別の部屋に移動する。用事をしている雰囲気はあるが、避けているようにも見える。同じことを4度くりかえして、ゆっくり話したいからきたんだよ。妻に伝えた。しかし、その後メールをはじめ、メールが終わったら用事に立ち、それが終わったらまた、メール。最後は非常に機嫌の悪そうな態度で、新聞を読み始める。私はさすがにその態度にうんざりし、寝室に篭り、妻にメールを打った。ただ、話をしたかっただけなのに、なんでそんなに機嫌が悪い。妻があがってきて、どうしてすねてるのと聞くので理由をいうと、用事したら悪いの?とまたキレタ。私は、本当の気持ちに触れることのできない会話に涙がとまらなくなった。そんな私を見て、妻がぽつっと言った。「妙に親切にされたり、気を使われると気分が悪い。」私は、妻となんとかわかりあいたいと思い、積極的にいろいろと行動したつもりであったが、それが妻には負担になっていたようである。これは、きっと妻の本音であろう。やっと妻の本音の一部をきけることができた。良い機会だからさらに話をすすめた。私は6月末に亡くなった妻の祖母が入院したときも、妻の父が心不全で調子が悪かったときも、私の父が脳梗塞で入院したときも、今回、妻の母が入院をしたときも、自分を犠牲にしても一生懸命、その人のために自分ができることを積極的にするようにした。しかし、その姿は妻にとってとってもうっとうしく感じられていたようだ。理由は自分と比べて自分はやりたくてもできないのに、私だけいいかっこをしているように映っていたかららしい。私はまったくそんな気持ちはなく、心のおもむくまま行動しているため、大変心外ではあるが、妻の気持ちもわからないわけではない。しかし、これは、私の人格そのものであり、おそらく私の最も良いところでもあると自覚しています。その部分を最も妻が嫌っているという現実を知り、私は愕然としました。今後どうしたらいいか、よくわかりません。また、妻は私が妻を縛っているといいました。まったく妻を縛っているという自覚のない私は今まで私が妻になにかをやってはいけないと言ったことがあるかと、聞きましたが、返事はかえってきません。とにかく縛られていると妻は感じているようです。妻は、ガイドヘルパーを再開してもいいかと私に聞きました。私は、妻の浮気を思い出すので、ガイドヘルパーだけはいやだといいました。でも反対しても言うことはきかないだろうと思います。今まで私が反対しても私に従ったことは一度もない妻だからです。しかし、こんなできごとがあっても、ガイドヘルパーをしたいというのは、本当に反省しているのか大変疑問に感じてしまいます。だんだん、脱力感が増し、妻に離婚についてどう思うかと尋ねました。妻は今のように縛られた生活はいやだと返事をしました。返事になっていないので、離婚するんだったら子供にも言わなければいけないからと私が離婚してもいいと思っていることをはっきりわかるように尋ねました。妻は少しあせったのか、離婚はしないで夫婦で頑張ると答えました。そんなときに、長女がやってきたので、話はここでおわりました。本当に頑張ってくれれば良いのですが・・・・9月2日 妻の機嫌がすこぶる悪い。子供にもキレまくっているため、家の中が殺伐とした雰囲気になっている。明日、朝早くから仕事があるらしい。彼女はヘルパーの仕事がとても楽しいようだ。おそらく自己実現の場であるのだろう。彼女には今、家族のことを考える余裕はおそらくないのだろう。しばらくは、様子をみてあげよう。そのうちに落ち着いてくれることを信じて。しかし、さすがに一方的にキレられてばかりでは、こちらも精神状態が持たない。次、私が爆発したらおそらく離婚になってしまうだろう。頭の中で離婚という文字がいつもいききしている。このままではいけない。前向きに考えよう!もう一度やりなおしたい。でも自信がないよ~。誰か助けて!!
2004年12月26日
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8月14日(土)夜、メールのやりとりの件を妻に問いただしました。最初はそんなことは絶対無い。そんなに私を信じられないの?とキレル姿勢を見せていましたが、私がメールをすべてチェックしたことを話すと、最初はどうして人のものを見るのとキレましたが、最後はわかりました、ごめんなさいと抱きついてきました。妻は肉体関係は絶対ないと言っていましたが、私にとってそんなことは関係なく、肉体関係があってもすぐに切れる関係であれば許しやすいが、肉体関係がなくても忘れられない存在になっているのであればそのほうが私にとってとてもつらいことです。妻はその場をのがれる方法で抱きついてsexにもっていけばいいと考えているようで、しきりに身体を触ろうとします。私には、それも武器にされているようで、とても悔しい思いをしました。そして、真剣に話をしているときに、そのN本さんからメールがはいりました。私はすぐに、「N本さんとのメールが主人にばれました。次にあったら、離婚すると主人が言っています。」とメールを打たせました。厳しいようですが、当然の行動であると思います。それ以降、その夜は妻は一応おとなしく私の話を聞き、これからは絶対ふうふで頑張ると約束をしました。そして、私も自分の仕事の話などをいろいろとはなし、夫婦で協力していくことを約束して眠ることにしました。8月16日(月)昼間の妻を見ていても元気がないので、可愛そうに思っていました。でも、それが、嘘がばれて元気がないのか、N本さんに会えなくなって元気がないのかは、実際のところわかりません。その夜心配になって、もう嘘はいやだよ。何でも話し合える夫婦になろうねと話をしました。妻はわかってるって。そんなに私が信じられないのとまた、開き直りました。その態度に私はまた、一抹の不安を感じたのでした。しかし、一生懸命自分の会社のことや家族のことについていろいろと話をしました。妻は抱きついてきてまた、sexで終わろうとしていました。8月18日(土)妻がもし、私の自営業の事務所の家を買うのなら頭金ぐらいはだそうか。といってくれました。私は驚いたと同時に妻が私の仕事に少しでも興味を持ってくれたんだなと本当に心からうれしく思いました。なんとへそくりは500万円もあるようです。その額には、驚きましたが、素直に喜ぶことにしましょう。8月23日(月)私の給料を入れるのと同時に妻のへそくりについても見せてもらうことにしました。最初は100万円の貯金通帳しか見せませんでしたが、その前に妻が500万円ぐらいあるよと話をしてくれていたので、まだあるでしょう。とやさしくいいましたら、少し機嫌が悪くなりながらも、定期預金の通帳で約400万円あるのをもってきてくれました。これで、全部。もうなんにもない!《妻はこの時点でまた嘘をついたのです)正直そのとき、あまり腹は立たなかったのですが、この時点になっても、今度はお金のことで私に嘘をついている妻を心から信じることがまた、できなくなっている自分がいました。しかし、私はそんな自分がとてもいやだったので、その日の夜、妻に問いただしました。また、隠し事をしたね。最初は、なんのこと?と例のしらばっくれた様子でしたが私がストレートに通帳のことをいうと、また、例の逆ギレがはじまり、どうして私のものを調べたりするの、信じられていないのでとても気分が悪い!と大いにキレはじめたのです。自分が嘘や隠し事で固めて信じられない状況を作っているのに、それに逆ギレするのは、どうかなと思いましたが、まあ、興奮を抑えようとあのときは、家族を守るために仕方なくやったんだということをゆっくりと話をしました、最後には、妻はもう見たことは許すといって眠りにはいったのです。しかし、自分が隠していたということには、まったく謝罪の言葉はありませんでした。
2004年12月25日
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これは、実際に私が現在、直面している家族の事件です。不定期日記の形式をご紹介しているので、投稿日と実際の日付にずれがありますが、状況を理解しやすいように敢えて、最初から投稿することにしました。今も続いている膨大な量の日記ですが、少しずつ時期をおって投稿していきたいと思います。皆様のご感想をいただければ幸いに思います。不定期日記「心の叫び」私は43歳、妻と子供3人。8年前に脱サラし、今は自営業です。この事件を通じ、私は、愛情とは何か、家族とは何か、夫婦とは何かということを深く考えるようになりました。妻は、ホームヘルパーの仕事をしており、1年ほど前から、車椅子の方のガイドヘルパーをはじめたことから事件の発端が始まります。8月11日(水)今日から不定期日記を書いていこうと思います。理由は、こわれかけた心を少しでも落ち着かせるため。誰にも見せることのできない心の叫びをここでは、書いていこうと思います。入院している義母から妻の行動について聞かされる。義母は妻が車椅子の男性のガイドヘルパーをしているとき、夜帰るのが遅くなるので心の動きを心配していたが、妻の行動は信じてやりたいと思っていたため、あまり気にはとめなかった。しかし、やはり、子供のことを考えると妻には夜遅くまで仕事をしてほしくないという思いがあるのと、最近、一番下の子が愛情に飢えているしぐさをするのがとても気になっていたため、ここは、夜遅くなる仕事をしてほしくないということを妻に伝えた。しかし、妻の反応は異常なまでに頑強な拒否であった。もともとすぐにキレルタイプではあるが、私の妻の仕事に対する理解がないことを痛烈に批判する。私も妻が妻らしくいきてくれることは、良いことだと思っていたので、ほとんど妻のすることに口出しをしたことはなかったのだが、そんな私に口出しをされたのがよっぽど気にさわったのか、痛烈な拒否反応をしめした。そこで、仕方なく月に1~2回、子供と一緒に遊びにいくことを約束してその日は終わった。8月12日(金)妻の態度を見て、義母からのガイドヘルパーの危険性を指摘されたことによって、少し私も不安になったため、妻の勤務報告書を見てみることにした。そうすると、なんと、妻はガイドヘルパーは特定の人ではないから大丈夫といっていたのに、見事に特定の人であることがわかった。そして、その日もその人のところに行くことになっているようであった。そこで、その夜、妻に問い詰めた。妻は今日は女性の利用者のところにいったと嘘をついた。しかし、私が本当か、絶対かとすごんだため、結局、ついに今日はその人のところにいっていたと白状した。しかし、2人きりにはなっていないと、また、ここでも嘘をついた。(この嘘は、あとでわかるのだが・・・)そして、なぜわかったかと、勤務報告書をつきつけると、そういうふうに誤解されるのがいやだから嘘をついたんだ。と開き直った。まるで、誤解しているほうが悪いといわんばかりであった。私は、気が狂いそうな気分になったが、子供のことが頭にうかび、とにかく旦那として嘘をつかなければならない仕事はすぐにやめるように話した。最初は抵抗した妻であったが、やはり、嘘をついたことに多少の後ろめたさがあったのか、あまりに私が強行なためだったのか、最終的にはわかったと納得をした。そして、その人とは二度と会わないと約束をさせた。私は心のケアも大切だと思い、家族を守るため、家族の大切さを抱きしめながら心をこめて話をした。夫婦がばらばらではいけないという話を心をこめて話をした。8月14日(土)義母が妻の会社の社長に電話をしたらしい。ガイドヘルパーはやめさせてくださいと。このままでは家族がめちゃくちゃになると訴えたらしい。おそらく妻はとても怒るだろうな、少し可愛そうな気がした。精神的なフォローをしてあげたい。心からそう思い自分なりにやさしい言葉をかけたつもりであった。しかし、その日の夜に妻の行動にひっかったところがあったため、私は次の日、決してやりたくはない情けない行動に出てしまった。それは、妻の携帯の履歴をチェックするということである。また、貯金通帳のチェックである。私はここで、恐ろしい現実に出くわすことになる。なんと妻とそのガイドヘルパーの利用者であったN本さんという方とは、まるで恋人のようなメールのやりとりを毎日していたのである。思い出したくはないが、一例をあげると「あの夕日はとってもきれいでしたね。このまま時が止まってくれればいいと思いました」「今夜また寝れなかったらN本さんのせいですよ」「琵琶湖の1泊遠出は次の楽しみにとっておきます」私は気が狂いそうになりました。そして、二度と会わないという約束をしていたのにもかかわらず、「今度の火曜日は、午後からいけそうです。」というメールを送っていたのです。また、会社にも家族と相談した結果、夕方まではOKが出ましたというまったく嘘のメールも会社に送っていました。もう私の心はずたずたです。貯金通帳も驚きました。妻のへそくりが200万もあったのです。私は毎月33万円のお金を妻に渡しています。実際、会社は資金繰りが大変苦しく本当に妻にも手伝って欲しかったのですが妻はそれを拒否し、ヘルパーの仕事をしています。そして、私はいままで妻に給料のすべてを渡していましたが、1度たりとも有難うとか、ご苦労様という言葉は貰ったことがありません。それどころか、子供の学費が年に2回支払わなければならないのですが、私は毎月決まったお金を事業資金の中から渡しているためそんな追加のお金はでません。そうすると、もう私がだしておく、これで私は3ヶ月ただ働きやとキレル始末でした。なんのために働いているのといいたくなるのは、私がおかしいのでしょうか。いずれにせよ、私の事業資金の借金がどんどん増えて妻のへそくりがどんどんふえるこの構図はどうしても理解できませんでした。しかも、仕事のことでキレルときは、「女は働いたらあかんて言うの?」と堂々と言う始末です。もう頭はどろどろです。
2004年12月24日
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