東方見雲録

東方見雲録

2026.01.07
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カテゴリ: ランドスケープ
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弥生 歴史
弥生式土器発掘ゆかりの地碑
江戸時代に水戸藩の中屋敷と播磨小笠原藩の下屋敷があったのを明治新政府が没収し、町名を向ヶ岡弥生町とした。名前の由来は上野の忍ヶ岡に対する向ヶ岡の一部であることと、水戸藩中屋敷に建てられていた歌碑にある徳川斉昭の和歌“名にしおふ春に向ふが岡なれば世にたぐひなきはなの影かな”の前段詞書に「ことし文政十余り一とせといふ年のやよいの十日さきみだるさくらがもとにかくほかきつくこそ」とあることに因んでいる。

1884年(明治17年)に弥生土器が発掘された地であり、弥生土器と弥生時代という名称はこの地に由来する。



東京大学本郷キャンパス弥生・浅野地区(農学部・工学部など)の他に、弥生美術館、竹久夢二美術館、立原道造記念館、「サトウハチロー旧居跡」碑(弥生二丁目16番1号)などが所在。本郷キャンパス浅野地区には、町名の由来となった後述の徳川斉昭の歌碑・「向岡記」碑のほかに弥生二丁目遺跡(北緯35度42分57秒 東経139度45分50秒:弥生土器発見の向ヶ丘貝塚である可能性が最も高いとされる)や「弥生式土器発掘ゆかりの地」碑、方形周溝墓(復元)や浅野侯爵邸跡地碑がある。本郷キャンパス弥生地区には、旧制一高記念の向陵碑と朱舜水先生終焉之地碑がある。
引用サイト: こちら

西片 歴史
江戸時代中期~後期、備後福山藩・阿部家の中屋敷があった地域が、明治期に「駒込西片町」になった。

1872年(明治5年)に尾根道の中山道(本郷通り)を挟んで両側が町になり、その際、街道の東側を東片町、西側を西片町と名づけた。谷下は庶民の居住地であった。備後福山藩主・阿部家の中屋敷を、明治から昭和初期にかけて、阿部家自らが高級住宅地として開発した。結果、一面が「西片町10番地」となり、その枝番も錯綜してしまったため、正式な住所ではないものの、いろは順による一種の住居表示が行われていた。
引用サイト: こちら


引用サイト:西片の歴史   こちら


江戸時代の西片エリア周辺では武家と町人が一緒に暮らし、独特の産業や文化が育まれたという。明治時代になると文化人の活動の拠点となり、多様な文化が発展する。こうした歴史や文化を学べるのが「文京ふるさと歴史館」だ。文教エリアの歴史、文京区ゆかりの文人に関する展示も豊富で、この地の歴史や文学に触れられるのも楽しい。深い歴史と文化が漂う西片エリア。ここは確かに都内でも有数の邸宅街といえよう。
引用サイト: こちら

小日向 歴史
小日向台という台地があり、坂が多い。坂には「切支丹坂」・「薬罐(やかん)坂」など江戸期からの名称がついている。閑静な住宅街。石川啄木・安部公房・横溝正史などの旧居があった。

旧:茗荷谷町付近はその地形の美しさから、「茗渓」(めいけい)という美称でも呼ばれていた。現在でも「茗渓」という名の付いた建物や企業を目にすることができる。ただ、代表的なものである「茗渓会館」は、かつてこの地にあった東京教育大学(筑波大学の前身)の同窓組織である「茗渓会」の会館なのでこの名がある。東京教育大学の前身である東京高等師範学校は、設立当初は今の御茶の水、すなわち茗渓(茗はお茶、渓は川)にあったので、この名が付いた。東京高師が茗荷谷近くの地に移転したのは、ずっと後のことなので、ここでの茗渓という名は茗荷谷に由来するものではない。

地元では「こびなた」と「ひ」の濁音で発音されていることが多く、行政上の表記/発音「こひなた」については異論も多い。1965年前後の住居表示実施に伴う調査の際「濁音なし」を採用したが、他方、学校名や町会名など古くからの「濁音あり」で呼んだり表記したりしている。また、小日向のすべての丁目は小日向神社の氏神地域に該当する。
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地名の由来
『江戸砂子』によれば、当地は鶴高日向守善仁寺の所領で、家が絶えたあと、「古日向」といっていたのがいつしかこの名になったという。鶴高日向は名主飯塚三四郎家の遠祖といい、小日向水道端鶴高山善仁寺の開基とされる。また、『十方庵遊歴雑記』は、大塚大慈寺(現在廃寺)が昔日向国にあり、徳川家康に従い当地に移転し、火災後大塚に移転したと伝わることから、この意味の「古日向」の可能性もあるとする。いずれにせよ「ひゅうが」と「ひなた」で読みが一致しないので、『御府内備考』以下後の考証家からは否定されている。


小日向二丁目
引用サイト: こちら





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Last updated  2026.01.07 06:00:06コメント(0) | コメントを書く


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