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東ティモール民主共和国
<外務省>
年 |
略史 |
---|---|
16世紀以前 |
リウライ(王)が割拠し、王国が乱立。 |
16世紀前半 |
ポルトガル、東ティモールに白檀を求めて来航、ティモール島を征服。 |
17世紀半ば |
オランダ、西ティモールを占領。 |
1701年 |
ポルトガル、ティモール全島を領有。 |
1859年 |
リスボン条約で、ポルトガルとオランダの間でそれぞれ東西ティモールを分割。 |
1942年 |
日本軍、ティモール全島を占領。 |
1945年 |
第2次世界大戦終了後、ポルトガルによる東ティモールの支配が回復(西ティモールはインドネシアの一部として独立)。 |
1974年 |
ポルトガル本国でクーデターが発生し、植民地の維持を強く主張した旧政権の崩壊に伴い、東ティモールで独立の動きが強まる。 |
1975年 |
独立派(フレテリン等)と反独立派の対立激化。フレテリンが東ティモールの独立を宣言した後、インドネシア軍が東ティモールに侵攻し制圧。 |
1976年 |
インドネシア政府、東ティモールを第27番目の州として併合を宣言。 |
1991年 |
11月、サンタクルス事件発生(インドネシア軍による独立派虐殺事件) |
1998年 |
5月、スハルト・インドネシア大統領が退陣、ハビビ副大統領が大統領 に就任。インドネシアは、東ティモールの独立容認へ方針転換。 |
1999年 |
6月11日、国連安保理は国連東ティモール・ミッション(UNAMET)設立を決定。8月30日、独立についての直接投票が実施されたが、投票直後から、独立反対派の破壊・暴力行為が急増し、現地情勢は急激に悪化。これを受けて、国連安保理は多国籍軍(INTERFET)の設立を決定。10月20日、インドネシア国民協議会は東ティモールからの撤退を決定。国連安保理は国連東ティモール暫定行政機構(UNTAET)の設立を決定。 |
2002年 |
4月14日、大統領選挙実施、グスマン氏が当選。 |
2005年 |
4月28日、国連安保理は国連東ティモール事務所(UNOTIL)の設立を決定。 |
2006年 |
西部出身の国軍兵士による差別待遇改善要求のデモをきっかけに、治安が急激に悪化。15万人に上る住民が国内避難。政府の要請を受けて、豪、ポルトガル、NZ、マレーシアが国際治安部隊を派遣。国連安保理は、国連東ティモール統合ミッション(UNMIT)の設立を決定。 |
2007年 |
4月9日、大統領選挙実施(5月9日、大統領選挙決選投票実施、ラモス=ホルタ前首相が当選)。6月30日、国民議会選挙実施。 |
2008年 |
2月11日、ラモス=ホルタ大統領及びグスマン首相襲撃事件発生。ラモス=ホルタ大統領重傷を負う。2月12日、非常事態宣言発出(5月8日、非常事態宣言解除)。 |
2009年 |
5月、UNMITから東ティモール国家警察への警察権限移譲開始(2011年3月、全13県で移譲完了)。 |
2010年 |
4月7日、国造りの基本となる中長期開発計画「戦略開発計画」(SDP)の概要を発表(2011年7月15日、正式発表)。 |
2011年 |
8月20日、政府は東ティモール国軍の前身となるゲリラ組織「ファリンテル」の動員解除式典を実施。 |
2012年 |
2月23日、国連安保理はUNMITのマンデートを2012年12月31日まで延長することを決定。3月17日、大統領選挙実施(4月16日、大統領選挙決選投票実施、ヴァスコンセロス(タウル・マタン・ルアク)前国軍司令官が当選) |
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