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めいてい君 @ 日本の純資産~過去最大の純資産で円建てでは世界最大 [東京 28日 ロイター] - 財務省は2…

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Jul 3, 2016
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カテゴリ: 基本事情(各国)

国名:トルコ共和国・・・第一次世界大戦WWI以前(その1)


 略史<外務省、WIKIPEDIAなど>

年月

略史

 10世紀後半

 中央アジアから遊牧民・トルコ語系民族が西に移動

 11世紀

 遊牧生活を送りながらイスラム教に改宗し、アフガニスタンとイラン付近に セルジューク朝を建国(1038年) 、1040年にはダンダーナカーンの戦いでホラーサーン地方(現トルクメニスタン)を治め、さらに、イラン(1050年)・イラク地方(メソポタミア)に拡大、イスラム系の世界で重要な都市バクダードを征服(1055年)し、首都に定める。アッバース朝カリフからスルタンの称号を得る

 1071年

 セルジューク帝国が東ローマ帝国(ビザンツ帝国)にトルコ東部のマラズギルトの戦いで勝利し、コンスタンチノープルに迫る

アナトリアではセルジューク王権を好まないテュルク系が流入しトルコ化が進む。

セルジューク朝の権威は西にはアナトリア、シリア、ヒジャーズにおよび、東にはトランスオクシアナ(アム川とシル川の間=現・ウズベキスタン、タジキスタン、カザフスタン南部、クルグズスタンの一部)までの、中央アジア~地中海にわたる大帝国に及んだ。

アナトリアに流入した トゥルクマンの一集団( =テュルクに似たものでその一部が」セルジューク朝などイスラーム王朝を建設 )が聖地エルサレムを占領したことで、西欧にトルコ人がキリスト教巡礼が妨害される噂が流れ、東ローマ皇帝が西ローマ教皇にアナトリア奪回の援軍を要請し、1096年の第一回十字軍が編成される。

1099年には第一回十字軍にエルサレムを奪回される。

内紛を経て1123年には大セルジューク朝が復活したが、第8代スルタンのサンジャル(在位1118-1157)を実質的な最後の王として分裂状態となる。 

 14世紀

 セルジューク帝国が絶滅記に入る中でアナトリア地域に小国家(藩のようなもの)が乱立するが、マルマラ海(イスタンブール南)の南に 1299年に出来たオスマン藩 (オスマン1世)が近くの藩を次々と征服し、トルコ民族として初めてダーダネルス海峡を渡海し、ヨーロッパ大陸に国土を拡大

 1453年

 コンスタンチノープル(東方キリスト教会の拠点)を東西から包囲したオスマントルコのメフメト2世が陥落させ、ビザンツ帝国を滅亡させる

<西側はポルトガル、スペインの大航海時代(15C半ば~17C半ば)>

 1473年

 バシュケントの戦いでアク・コユンル朝(=白羊朝・・・東部アナトリア、イラク、イラン、アゼルバイジャンを支配したオグズ・トルクメン系王朝)に勝利

 1514年

 チャルディラーンの戦いでサファヴィー朝(白羊朝を破った王朝で、現在のイランを中心とした地域=ペルシャを支配したシーア派の十二イマーム派を国教とする王朝)に勝利

 1517年

 エジプト征服、マムルーク朝(エジプトを中心にシリア、ヒジャーズまでを支配したスンナ派のイスラム王朝、スルタンが奴隷身分の騎兵=マムルーク出身)の滅亡

 1526年

 モチーハの戦いでハンガリーを領土

 1656年

 オスマン帝国の世襲貴族キョプリュリュ家の首相・時代 でオスマン朝はバルカン、アナトリア、メソポタミア、北アフリカ、アラビア半島にまで及ぶ最大版図(ウイーン~スーダンまたはコーサカス・カスピ海~アルジェリア)を支配・・・<中東中心の支配体制>

<西側はルネッサンス(14~16C)で栄える>

 1699年

 カルロヴィッツ条約でハンガリーを失う

 1703年

 アメフット3世即位、チューリップ時代(~30)

 1768年

 第一次露土戦争(~74)、キュチュク・カイナルジ条約締結(露の勝利、クリミヤ半島ほかは露領に併合)

<西側は産業革命(18C半ば~19C)で隆盛>

 1839年

 ギュルハネ勅令発布、タンズィマート改革始まる

(カリフ制宗教国家からの近代化勅令) 

 1876年

 ミドハト憲法発布、ミドハト・パシャ大宰相(~77)(西洋列強の干渉を避ける近代的な憲法)

 1908年

 青年トルコ大革命(青年将校らがスルタンに専制政治を放棄させた)、ミドハト憲法復活

1914~1918年

 WWI・・・連合国側の勝利

連合国 (協商国)=フランス共和国、イギリス帝国、ロシア帝国、セルビア、モンテネグロ王国、ベルギー、イタリア王国、日本、ルーマニア王国、ポルトガル共和国、アメリカ合衆国、ギリシャ王国、中華民国、ほか多数

中央同盟国 (同盟国)=ドイツ帝国、オーストリア=ハンガリー帝国、 オスマン帝国 、ブルガリア王国 

(その2)に続く 

参考1 ★WIKIPEDIAから

セルジューク朝(1038~1308年)最大版図・・・1092年 > 

セルジューク朝最大版図

★  参考2 ★ 

・< オスマン帝国(1299~1922年)最大版図・・・1683年

オスマン帝国最大版図

★ 

★  参考3 ★ 

イスラム帝国(=622~1258*年;サラセン帝国・大食)の最大版図 > 

ムハンマド下に於ける領土拡大 622~632年

正統カリフ時代に於ける領土拡大 632~661年

ウマイヤ朝時代に於ける領土拡大 661~750年

イベリア半島ではイスラム侵入(711年)から

  レコンキスタでのグラナダ陥落(1492年)となり、

  同半島から離脱、

  9世紀から統一は次第に地方で失われていき、 

  1055年にはセルジューク朝にスルタンの称号を授与し、

  カリフとして名目的にとどまるものの、

  1258年、モンゴル帝国によりイスラム帝国は滅亡

イスラム帝国の最大版図

 以上は漠然とした説明に過ぎない。

 より正確には、WIKIPEDIAをご覧下さい。 

★ 

★  参考4

・< モンゴル帝国(1206~1634年) の最大版図

モンゴル帝国

モンゴル帝国最大版図

★ 






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Last updated  Sep 11, 2023 01:06:45 PM
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