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Sep 30, 2016
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I. Třešť(Triesch)

 Trieschは、(チェコ東部)モラビアの小さな町であり、

Schumpeter の故郷である。


 彼が生まれた時期、この町はオーストリア=ハンガリー

帝国に属していた。


 第1次大戦で帝国が崩壊した後、ボヘミア、モラビア、

およびスロバキアは一緒になり、
   チェコスロバキアと

いう独立国を作った。


 19世紀の地図を現在の地図に重ねてみると、

Triesch は現在のチェコ共和国の Třešť(発音はチェシュ

チュ)である。


 Triesch はチェコスロバキアの独立とともに Třešť に

変わったとする見解は間違いである。


 Třešť の表記が最初に登場したのは、1349年、ある

男爵が統治していた時代にさかのぼる。


 当時町は「 Triesc 」という名で知られていた。

 したがって、Třešť の人々は、自分たちの町は600年

の歴史があると主張する。


 長い間、町はドイツ語で「 Triesch 」、チェコスロバ

キア語で「Třešť」と呼ばれていた。


 Třešť は、ボヘミアモラビア高地の中の盆地であり、



ある。


 1901年に町に昇格、現在人口は6,700人で、  いくつ

かの工場が存在する、工業の町である。城と2つの教会

は昔の面影を留めている。


II. Family (一族)

 Schumpeter 一族の家系図については、 すでにある

レベルまで、Třešť  で調査されていたが、その話を知

って実は驚いた。


 その調査とは、エコノミスト Schumpeter について

ではなく、
企業家 Schumpeter 一族に関するものであ

った。


 この町の歴史において、一族の果たした中心的な役割

は無視できないものがあるのである。


 Schumpeter 一族は Třešť において、何代にも亘り

素封家であり、格式の高い一族であった。


 Třešť に存在する一族の戸籍簿の内、初期の部分は、

勿論完全ではないが、
16世紀の Jan Šumpetr  にまで

遡ることができる。


 その後については、エコノミスト Schumpeter に直

接つながる一族の名前、職業、
生誕、死亡の日付、場所、

兄弟姉妹、夫人についてまで、しっかりと把握すること

ができる。


 一方、チェコの公文書記録によれば、Mildov 出身の

Václav Šumpetre と、
Hladov 出身の妻  Barbora と

が1523年 Třešť に住んだことが
 Schumpeter 一族

の始まりだとある。


 Václav の職業は分からない。

 しかし、記録によれば、Barbora は Václav に多額の

資金を頼っており、
彼女は Moravia の Piltenberk 

( P ö ltenberg )にある自らの世襲財産を使って、
借財を

返済したとある。


 その世襲財産とは、土地、城、Hladov を含む沢山の

村々に存在する私有地である。


 一説に Václav は商人あるいは金融業者ではないかと

いわれている。


 Mildov の場所については分からない。

 17世紀の中頃以降、エコノミスト Schumpeter に直接

つながる先祖は、
それぞれが父親の年齢が(平均)34歳

の頃に生まれている。


 この事実を基礎に、17世紀中庸以前にこの1世代の長さ

を引き伸ばしてみると面白い。


 そして、2世代(名前はわからないが仮にYとzとしよう)

が Václav  Šumpetre と
Jan  Šumpetr  の間に存在した

であろうと推論することができる。


 Václav は1478年生まれなので、Třešť  には45歳のと

きに来たことになる。


 これらの日付はあくまで推論に過ぎないが、一族の記録

のこの隙間には、
2世代ではなく、1あるいは3世代が存在

したと考えてもおかしくはない。


 結局、Schumpeter 一族は Třešť では13世代続いた

( Václav  Šumpetre からエコノミスト Schumpeter ま

で)。


 表1は、エコノミスト Schumpeter と直接つながる家系

図の要約である。



今後の画像の見方:マウスで右クリックして新しいタブを開き、大きな画像でご覧下さい

 以下、Schumpeter Ⅰから Schumpeter XⅢ と呼ぼう。

 表1で、Schumpeter Ⅰから Schumpeter Ⅴ までの

生年月日に?マークがついているが、
これは推定を意味する。

 名前の綴りは種々あるが、 Šumpetr  はチェコ語、

Schumpeter はドイツ語の綴りであり、
最も頻繁に

使われている。


 Schumpeter という現在最も使われている綴りは、

17世紀に出現した。


 Schumpeter 一族は16世紀の初頭から Třešť  に

連続して住み続けた。


 そして、夫人は初期の頃は Třešť  から、その後は

近隣から嫁いできた。


 Schumpeter  一族は本物のドイツ人である。

 この事実から次のように結論付けられる。

 Schumpeter  一族は決して宗教的迫害を受けること

はなかった。


 一族にはユダヤ人を疑わせる要素はまったくなかった。

 Schumpeter は米国において、1933年、ドイツに

住むユダヤ人経済学者を
擁護する宣伝活動を行ったが、

その際、自分はユダヤ人ではないし、
ユダヤ人を先祖に

持つということも絶対ないと発言した。


 Schumpeter 一族の宗教はローマ・カトリックである。






欄外追記:

チェコ語のアルファベットと発音








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Last updated  Oct 16, 2020 10:07:47 AM
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