めいてい君のブログ

めいてい君のブログ

PR

Calendar

Keyword Search

▼キーワード検索

Comments

めいてい君 @ 日本の純資産~過去最大の純資産で円建てでは世界最大 [東京 28日 ロイター] - 財務省は2…

Category

寄稿(宇治見、マドレーヌ、トキめき橋氏ほか)

(64)

自由が丘氏寄稿文

(189)

Tsunami氏寄稿、SCRAP記事、写経・感想など

(326)

政治・経済(国内統計etc.)

(693)

世界、国際比較(国際統計etc.)

(226)

生活全般

(128)

基本事情(各国)

(114)

アジア州

(255)

ヨーロッパ州

(287)

北米地区

(199)

中南米地区

(112)

オセアニア州

(100)

中東地区

(51)

アフリカ州

(126)

宇宙の不思議・開発etc.

(71)

気候変動など

(7)

津波・自然災害

(30)

自然の脅威、驚異etc.

(47)

資源・エネルギー(陸・海洋etc.)

(49)

発電・原発事故・放射能事故

(74)

金融(事件含む)

(128)

PC・家電

(229)

スポーツ・余暇・車

(264)

栄養・健康

(143)

病気・伝染病など

(184)

事故・災害

(102)

福祉・厚生・年金問題

(59)

公害

(15)

流通(商品)・廃棄関連

(17)

新技術

(30)

友人・知人・地縁等

(40)

土佐の高知

(63)

(49)

お墓・葬儀・戸籍

(24)

ガーデニング&DIY

(14)

TV番組

(15)

海外旅行

(6)

国防/テロなど

(41)

財政・税・電子証明など

(28)

自治体、地元、遺産など

(37)

店舗

(6)

公衆道徳/法律など

(26)

裁判/調停

(7)

宗教

(21)

ブログ

(31)

テンプレート(表形式etc.)

(3)

DVD収録など

(6)

ホームページ、ウエブ会議など

(48)

祝い事など

(13)

会社時代

(22)

学生時代

(7)

物語り

(43)

経済学研究

(26)

思考紀行

(73)

作業中マーク(終了次第削除)

(0)
Oct 1, 2016
XML
<改訂>

III. Business(職業)

 Schumpeter 一族の家長の職業は代々、織物商人で

あり織物生産者であった。


 勿論、直系から外れた傍系の中には、他の職業、

たとえば僧侶とか兵士といった人もいた。


 しかし、農民や労働者といった職業の人は一族には

誰もいない。


 彼らはまずは商売で財を蓄えた。

 その後毛織物工業に転じた。

 この2つの仕事に使う原料は、たぶん近くで飼育され

る羊からのものであろう。


 表1から解るのは、一族はしばしば Třešť の市長を

輩出した。


 これは重要なことである。

 彼らは経済的に裕福であるばかりでなく、社会的に

傑出していた。


 表1に出ていない一族の一部も、この町の市長、

議会議員、僧侶になっている。


 そこで、Třešť の600百年の歴史を踏まえ、

一族の企業活動につき、
  František Xaver Šumpetr

( SchumpeterⅨ )から記述してみよう。


 製造業は Třešť では、織物、家具、マッチを中心に

19世紀に始まった。


 Schumpeter 一族は、主に織物の物流および生産に

従事した。 


 Schumpeter Ⅸ は織物製品の卸売り業を営み、

市長として数年間務めた。


 彼の息子の一人 Josef Šumpeter( Schumpeter

X)も、
同じく卸売り業(織物、鉄製品、塩 )に従事、

後に織物工業をはじめた。


 1832-1833年、彼は自宅の後ろに工場を建てた。

(ユダヤ人通りと呼ばれるとおりの向こう側にある)

 この工場が Třešť における毛織物工業の始まりである。

 彼は最初、馬力を使ったが、後に、織物工程、染色工

程の作業に、
蒸気機関を導入した。

 工場は「 Josef  Schumpeter & Son 」と呼ばれた。

 Son とは Josef の長男、Karel (1804-47)を指す。

 Schumpeter Ⅹ の引退の後、そして Karel の早すぎ

た死の後、
Karel の弟、Alois Jakub Šumpetr

( Schumpeter XⅠ)は工場の所有権を
Karel の未亡人

から買い取った。


 彼は新しい機械を導入し、工場を改良し、工場の

規模を拡大した。


 彼はこの工場を「 Alois Schumpeter & Son 」と

名づけた。


 Son とは、今度は、長男の Karel František

Dominik (1840-1906)を指す。


 彼は経済学者 Schumpeter の父親の兄に当たる。

 1873年 Schumpeter 工場は60台の機織機械と自前

の染色工場、糸紡工場、
織り目を密にする工場を有し、

原料の羊毛から最終製品まで、外部の力を借りずに


すべて生産できる体制を敷いた。




​  Schumpeter XⅠは子沢山で85歳まで生きた。

 その企業家としての手腕は有名であった。

 Třešť 市の歴史調査によれば、彼の工場の飛躍は、

手作り工程から、
機械織物工程への移行に負うところ

大であるとの事だ。


 町には、1枚の絵が残っている。

 そこには、1850年頃の Třešť の鳥瞰図が描かれ、

工場の高い煙突とお城と教会が
 2つ見ることができる。

 工場は Schumpeter XⅠの所有物であると思われる。

 彼は Třešť の市長を7年やり、名誉市民の称号を

もらった。


 Schumpeter XⅠの11人の子供の一覧表は表2の通り。

 彼には7人の娘と4人の息子がいた。

 しかし息子2人(6番目と8番目)は子供の頃死亡した。

 残った2人の息子、KarelとJosef ( Schumpeter XⅡ)

は織物業に従事した。


 先に述べたように、Karel は Schumpeter XⅠとともに

 工場の共同経営者となっていたが、Josef ( Karel より

15歳若い)が実質この工場経営に
従事していたかどうかは

わからない。


 なぜなら彼ら3人の内、Josef(経済学者 Schumpeter

の父親)が
1887年、32歳で最初に死亡してしまった

からである。




 Schumpeter 一族は何代にも亘って、敬虔な信仰心

の持ち主であった。


 そしてよく宗教上の目的で寄付をした

(以下で触れる。)。


 Schumpeter 工場はキリスト教徒の工場として知ら

れており、
毎週金曜日には午後3時に仕事を止め、

神に祈りを捧げた。

 Schumpeter XⅠは1898年7月に死んだ。

 その年12月に工場は火災で焼失した。

 原因はわからないが疑いが残った。

 工場の古い敷地は1899年ユダヤ人経営者( Hodice

出身)Berthold Münch に売却された。


   ここに Třešť における Schumpeter一族の企業家と

しての歴史は終わる。


    Münch は4階建ての、時代の先端を行く織物工場を

建設した。


 これは1931年まで存在した。

 これは Třešť の景観を語るのに、なくてはならない

要素であった
(経済面はとにかくとして)。

 ここに数枚の写真と絵がある。

 そこでは、お城と2つの教会を持つ古い Třešť の町

の側と、
  新しい工場の建つ新しい町の側とが、

 「 New Pond 」をはさんで、対峙している。

 工場は1931年、火災で焼け、3階建ての建物に再建

された。

 Třešť にも、ドイツのユダヤ人迫害が1938年に及ぶ

と、Münch は捕らえられ追放された。


 工場の建物は1965年まで存在した。

 市長舎の壁には Münch が2度目に建てた工場の描写を

含む絵画がかかっている。


 この絵は、この町の600年祭の折描かれたものである。

 そこには現在、チェコ国営家具工場が建っている。

 そして、工場の脇にあった池はもうない。

 沼地の中の小さな川が、工場裏手に残るのみである。










 欄外追記:

 鮮明な写真を追加します(宇治見氏の提供)。


★​
​​ ​​





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  Oct 16, 2020 10:08:58 AM
コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: