めいてい君のブログ

めいてい君のブログ

PR

Calendar

Keyword Search

▼キーワード検索

Comments

めいてい君 @ 日本の純資産~過去最大の純資産で円建てでは世界最大 [東京 28日 ロイター] - 財務省は2…

Category

寄稿(宇治見、マドレーヌ、トキめき橋氏ほか)

(64)

自由が丘氏寄稿文

(189)

Tsunami氏寄稿、SCRAP記事、写経・感想など

(326)

政治・経済(国内統計etc.)

(654)

世界、国際比較(国際統計etc.)

(224)

生活全般

(125)

基本事情(各国)

(114)

アジア州

(248)

ヨーロッパ州

(275)

北米地区

(182)

中南米地区

(112)

オセアニア州

(95)

中東地区

(51)

アフリカ州

(126)

宇宙の不思議・開発etc.

(71)

気候変動など

(7)

津波・自然災害

(30)

自然の脅威、驚異etc.

(46)

資源・エネルギー(陸・海洋etc.)

(49)

発電・原発事故・放射能事故

(74)

金融(事件含む)

(128)

PC・家電

(229)

スポーツ・余暇・車

(262)

栄養・健康

(142)

病気・伝染病など

(182)

事故・災害

(102)

福祉・厚生・年金問題

(59)

公害

(15)

流通(商品)・廃棄関連

(17)

新技術

(30)

友人・知人・地縁等

(40)

土佐の高知

(63)

(49)

お墓・葬儀・戸籍

(24)

ガーデニング&DIY

(14)

TV番組

(15)

海外旅行

(6)

国防/テロなど

(41)

財政・税・電子証明など

(28)

自治体、地元、遺産など

(37)

店舗

(6)

公衆道徳/法律など

(26)

裁判/調停

(7)

宗教

(21)

ブログ

(31)

テンプレート(表形式etc.)

(3)

DVD収録など

(6)

ホームページ、ウエブ会議など

(48)

祝い事など

(13)

会社時代

(22)

学生時代

(7)

物語り

(43)

経済学研究

(26)

思考紀行

(73)

作業中マーク(終了次第削除)

(0)
Oct 3, 2016
XML
​​​ <改訂>


V. Monuments(記念物)

Schumpeter 一族の神話は、この町に残した宗教上の

記念物にも見られる。


 Třešť  の Catharin 教会の祭壇は、1771年、

Schumpeter Ⅸ により寄進された。


 教会の外部にある、石の礎石台の上にのった鉄の十字架

は、
1815年、Schumpeter Ⅹ の寄付よるものである。

 1824年教会が火事で消失すると、Schumpeter 一族は

その再建に尽力した。


 他の教会( St.Martin )の金箔の聖杯には「 Brosche 」

という名前が刻まれている。


 寄進の時期はわからない。

 わが Schumpeter  の父親の兄、Karel  には4人の息子

がいたが、
その1人は Brosche  一族と結婚している。

 Schumpeter 一族の名前は Třešť  の路傍にある記念の

十字架(数箇所ある)に残っている。


 これらはオーストリアやバイエルンでよく見かけるもの

と似ている。


 町の南側のはずれの小さな坂にある郵便馬車駅の十字架

は、1758年、
布地裁断師 Jiří Jan Šumpetr

(1706-1777)により建てられた。


 少し破損しているが。

 彼は Schumpeter Ⅶ の息子であり Schumpeter Ⅷの

兄弟である。


 彼は町の東側のはずれの郵便馬車駅の十字架も寄進した。

 1766年と刻まれ、IGS という文字が刻まれている。




現在 Lenina Street  と呼ばれている道は Schumpeter

工場の前にあり、


 そこで分岐するが、その交差点に、Schumpeter Ⅹ は

1815年、
鉄の十字架(石の土台の上に)を建てた。

 土台の裏に、彼の名前が刻まれている。

 これら多くの記念物は長い年月の経過とともに、たぶん

破壊されているか、
あるいは忘れ去られている。

 しかし、上記で見たとおり、Schumpeter  一族は社会

的地位があり、
敬虔な信仰心のある一族だったとこれら

記念物から推論することは容易であろう。


 だが、Třešť  墓地の中にある礼拝堂ほど、 この一族の

高い社会的地位を物語るものはない。


 それは墓地の最も高い場所に建っている。

 この墓地は町の東の丘の上にある。 

 そこからは市内が一望に見渡せる。

 礼拝堂は  3X3.5メートル の大きさで、Maria Teresian

Yellow  を基調とする
白色をしている。

   正面には「 Schumpeter  ―  Killian  一族」という表示

が書かれている。





   Killian という名前が第2図にはあるが、この家族との

関係は何か。


   Anastazie Schumpeter(1845-1868)は

 Josef Schumpeter ( Schumpeter X1 の弟)の娘で、

 Jihlava の商人の息子、František Killian

(1837-1890)と結婚した。


   彼は後に  Třešť  の市長になった。

 しかし Anastazie は結婚後3年で死亡したので、

 František は彼女のいとこで Schumpeter XⅠ の娘で

ある、
Františka Schumpeter(1849-1937)と再婚した。

 最初の結婚で、Eugen(1866-1902)が生まれ、

 再婚後、Emil Killian(1870-1886)と

 Richard Killian(1875-1918)が生まれた。

   これらの Killian 姓の人たちは全員この礼拝堂に祀られ

ている。


   Schumpeter X1 と Killian 一族は、社会経済的に同じ

ような地位にあったと考えられる。


   そこで、1886年9月の Emil Killian の死、及び1887年

1月の Schumpeter XⅡ の死の後、
両家は共同の礼拝堂を

建立することに合意した。


   これらの人たちの名前は礼拝堂の内部の壁に書かれてい

る。


   1880年代前に死んだ両家の他の人々の名前は、祭壇の

前面に書かれている。


   そこには、Schumpeter X、彼の妻、彼の2人の息子

( Schumpeter X1を除く)、
そしてその妻たち、

それに幼児で死んだ  Schumpeter X  の2人の子供、


そして  Schumpeter XⅠ の妻の名がかかれている。

    彼らの墓はこの礼拝堂完成後、他の場所から、ここに

移されたと考えられる。


   ヨーロッパの多くの地域では、無縁墓地になると、

墓地事務所は古い契約を解除し、
他の人にその場所を与え

るのが大方の慣わしであった。


    新しい墓を割り当てられた家族は、以前使っていた墓

石を廃棄し、新しいものを作るか、
古い名前を消し新しい

名前をその上に書いた。


    有名人の墓を除いて、墓地に古い墓碑が少ない理由は

ここにある。


   Třešť  での  Schumpeter 一族は絶えたが、

彼らの大きな礼拝堂は現在も残っている。


   そして、市民一般の葬儀の場所として、現在も使われて

いる。


   Schumpeter XⅠの11人の子供の内、Karel  と  Josef 

( Schumpeter XⅡ )は 
Schumpeter  の姓を有した。

  そして、わが  Schumpeter の直系が絶えた後も、

Karel は4人の息子を残し、
彼らはさらに、Ⅱ世代に亘り、

Schumpeter  姓を残した。


   しかしこれらの一族も今は  Třešť  にいない。

​​




 欄外追記

 Figure 9に相当する現在の写真

 (宇治見氏より提供)。



​★​​​
​​​





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  Oct 16, 2020 10:11:07 AM
コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

© Rakuten Group, Inc.
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: