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年月 |
略史 |
---|---|
古代~BC10C |
現レバノンに相当する地域は、古代はフェニキア人の故地であり、 |
アッシリア後は、新バビロニアが代わってフェニキアを支配、 |
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7C~ |
7世紀、東ローマ帝国を破ったアラブ人に征服され、イスラム世界に |
16C |
レバノンは歴史的にはシリア地方で、山岳地帯は西アジア地域の |
1918~ |
現代レバノン史は フランスの占領とともに始まり(OETA北)
|
1920年 |
1920年3月8日、シリア・アラブ王国がハーシム家のファイサル1世を キリスト教徒が多くフランスにとって統治しやすいレバノン山地は シリアから切り離されて、大レバノンとなる。 レバノンはこの地域に歴史的に根付いたマロン派、正教会と、 ローマ・カトリック、プロテスタントのキリスト教徒割合が40%を越え、 シーア派、スンナ派などの他宗派に優越している。 現在でも仏との緊密な関係を維持し、9月1日、 フランス占領下の独立国家 大レバノン(仏: État du Grand Liban)が正式に布告
された。 レバノンの各宗派から高等弁務官が任命した。 |
1923年 |
|
1941年 |
6月8日、 委任統治
は、仏本土が独軍の占領下で亡命政府(自由フランス) 第二次世界大戦後のレバノンは金融・観光等の分野で国際市場に進出し、 (仏から独立=1943年)
|
1975年~ |
PLO流入により微妙な宗教宗派間のバランスが崩れ、 1975〜76年 にかけ内戦が発生し、足かけ17年に及んだ( レバノン内戦 )。 隣国シリア軍が平和維持軍として進駐、 1978年にはイスラエル軍も侵攻
し、 1982年、レバノン武装勢力から攻撃を受けたとしてイスラエル軍は南部から 1990年にシリア軍が再侵攻(en:October 13 massacre)、紛争を鎮圧し、
1996年にイスラエル国内で連続爆弾テロが発生し、ヒズボラの犯行とした 1992年10月末ヘラウィ大統領がラフィーク・ハリーリーの組閣を要請。 2003年9月2日、国連安保理の公式会合で、米・仏・英・独の提案による |
2006年 |
7月にヒズボラがイスラエル兵士2名を拉致、イスラエル軍は報復として レバノン国内のヒズボラの政治的及び軍事的影響力は以前にも増して高まり、 同2006年11月21日、反シリアグループの領袖一人、ピエール・ジュマイエル 産業相(マロン派)が暗殺されるなど、シリア情報部またはヒズボラなどの 代理機関によるものと見られる反シリア派へのテロルが増大した。さらにハリーリー暗殺の真相解明のため、反シリア派が国際法廷を設置して 親シリア派を裁く動きを進めていた事が両者間の対立に拍車を掛け、 暗殺直前の12日には親シリア派閣僚が辞表を提出し、レバノン国内の分断は 避けられない情勢となり、 |
2007年 |
2008年8月13日にミシェル・スライマーン大統領とシリアの |
2009年 |
6月に実施された国会総選挙で、反シリア派が引き続き議席の過半数を |
2011年 |
1月、ラフィーク・ハリーリ元首相暗殺事件の真相究明のための国際法廷である 「レバノン特別法廷」が近く起訴状を発出するという動きを巡り、 2011年6月、ミーカーティー首相率いる新内閣が組閣された |
2013年 |
3月、国会選挙と選挙法改正を巡る対立等によりミーカーティー首相が その後、治安情勢悪化を受け、各政治勢力間で内閣不在への危機感が高まったことから妥協が図られた。 |
2014年 |
4月、タンマーム・サラーム首相率いる新内閣が組閣された。 2014年5月、スレイマン大統領の任期終了。 |
2016年 |
10月31日、ミシェル・アウン前自由愛国運動(FPM)党首が大統領に ミシェル・アウン大統領(2016年10月31日就任) サアド・ハリーリ首相(2016年12月28日就任) ジブラーン・バシール外務・移民相(2014年2月就任、2016年12月再任) なお、現国会議員の任期は2013年6月までであったが、選挙を実施する |
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