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めいてい君 @ 日本の純資産~過去最大の純資産で円建てでは世界最大 [東京 28日 ロイター] - 財務省は2…

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Apr 4, 2021
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カテゴリ: 思考紀行
​​

 小生は歴史に疎い。

 しかし、いずれにしても~祖先は渡来人であろう。

 なぜなら~日本は神代の国から存在したのではなく~

大陸から分離されたり~プレート同士がぶつかり合い~

隆起した島国であり~後日に成立した国家なのである。



 我が国への渡来人が力を付けて~大陸の

中国と言う古代文化国家に敬意を表して朝貢したり、

同等の地位にあると表意し、その文化を取り込むのに

どれだけ苦労したかは~
遣宋使、 遣隋使、遣唐使など

にみられる。

大陸・中国の礼節の時期に合わせ~

島国から 台風の時期に 荒海を ​​​​​​​​​​​​​越えて行くのは大変なこと~

海賊や略奪にも遭遇し~

ほんに命がけのことであった。




上海万博記念の遣唐使船


 上記は上海万博を記念して建造された遣唐使船である。

風力                      人力
 帆の力よりも、船の横に並ぶ櫓を大勢で漕ぐ方式であり

玄界灘の荒海や強風では櫓が流されたり難破も多かったという。

 WebからWIKIPEDIA中心で集めてみたい。



 「中国の文献」から古代日本を見ると次のよう~とある。



中国の歴史:WIKIPEDIA

*****
中国の伝説には三皇五帝の物語があり、
五帝の最後の舜帝は禹に皇帝の座を譲り、
禹から世襲王朝の夏王朝が始まる
とされている。

三皇:
1:天皇・地皇・泰皇(人皇)
2:伏羲・神農・女媧
3:伏羲・神農・燧人
4:伏羲・神農・祝融
5:伏羲・神農・黄帝

5帝:

WIKIPEDIA



中国を最初に統一 したのは​

   BC905~BC206
​紀元前221年 「秦」 →​

BC206~AD8年
​​ ​「​ 前漢」 →     

8~23年
(皇后の親族の「新朝」)→​​


AD25~220
「後漢」  紀元220年​

それでも北方には匈奴や東胡等が居るいる。



秦の版図:WIKIPEDIA





その後の漢民族の
征服王朝は明のみ




明の版図:WIKIPEDIA

*****

なのこくおう
  57年 後漢 ・光武帝に倭の奴国王が朝貢、印綬を

      授かる(倭でなく人偏を省略した形)

 107年  ​​​​​​​​ 後漢・安帝に 倭国王師升等が​​​ 朝貢 ​​​​​​​​​​

 239年  邪馬台国の女王として「魏志倭人伝」に現れる

  卑弥呼が 北魏 の都・洛陽に難升米を遣使し、明帝から

 「親魏倭王」の称号と金印紫綬、道鏡100枚、

  五尺刀2口等宝物授与。

 240年  帯方郡の使者が倭国に派遣され、卑弥呼に

  証書、印綬が授与

   (このころ日本には百余りの国があり、朝鮮半島の

  楽浪郡と交流があり、魏の使者が対馬、壱岐を経て
まつろこく                      いとこく
  辿り着く末廬国(末羅→松浦)、を経てさらに伊都國

  に至り、これらの国々は邪馬台国・卑弥呼女王に属す。

  卑弥呼に対抗するのは男王の狗奴国であるという。
さくほう、さっぽう
  北魏に冊封するとは~魏と君臣関係を結んだ国である。)
とよ         いよ
248年  卑弥呼が死去、宗女台与(臺與あるいは壹與)

  が倭女王となり魏に朝貢

ワカタケル
5世紀 は倭の5王(讃、珍、済、興、 ​武​ )が 南朝

  遣使し、 から倭国内の地位や朝鮮半島の軍事的

  支配権を承認してもらうためであった。

  倭国王の将軍号は高句麗王、百済王と比較して常に

  格下であった。

ワカタケル
478年 の遣宋使を最後に~ 雄略天皇 のこの時代には~

  中国皇帝の臣下としての冊封体制の王から、

 「治天下大王」としての独自の国家を志向する意思

  を読み取る見方もある。


​​​​​​​​​
******
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******





★ 
★  ★  ★ 

 このころの日本は鉄の原料を精錬加工する技術がなく

朝鮮半島から
鉄の半製品、加工物を求めていたことが窺われる。

​ 3世紀の日本の弥生人は朝鮮半島の南部の地域が を産出し​

此れを求めて出掛けたようだ。

​ 寺尾公男氏の 「茜色に燃ゆ」 は「ワカタケル」の次の​

継体天皇の時代を描写するが、朝鮮半島南部が鉄資源の枯渇と、

それを加工するための木材資源の枯渇で衰退する様々、

​百済が没落する様も描かれている。


寺尾公男氏「茜色に燃ゆ」P.485


 日本でも次第に鉄の生産が砂鉄を用いて行われていった

たたらせいてつ
蹈鞴製鉄の時代(最盛期は江戸幕末~明治初期)が

始まる(それ以降は西洋式溶鉱炉の時代)。

★  ★  ★  ★ 

  次いで、遣隋使とは推古朝の時代に倭国が技術や

  制度を中国から学ぶために隋に派遣した朝遣使で

 600年~618年 の18年間の間に3~5回派遣

されている。

 隋(581年~618年)は、中国の王朝で魏晋南北朝

時代の混乱を鎮め、分裂した中国をおよそ300年ぶりに

再統一した。

 この王朝は、北周時代の爵号「隋」国公に因み~

「鮮卑」の国家・北朝の官人に出自がある。

 隋の律令制度を受け継ぎ成立した唐王朝も「鮮卑」の

国家・隋の官僚であり~以前の漢民族国家とは異なるが、

北魏以来の漢化政策で~より国際色が高い国家となった。

「胡漢融合国家」 を北魏・隋・唐に適合させる考えもある。) 









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Last updated  Apr 5, 2021 07:52:03 PM
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