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<知識>にとって最後の課題は、頂きを極め、その頂きに人々を誘って蒙をひらくことではない。頂きを極め、その頂きから世界を見下ろすことでもない。頂きを極め、そのまま寂やかに<非知>に向かって着地することができればというのが、おおよそ、どんな種類の<知>にとっても最後の課題である。この「そのまま」というのは、わたしたちには不可能にちかいので、いわば自覚的に<非知>に向かって環流するよりほかに仕方がない。最後の親鸞は、この「そのまま」というのをやってのけているようにおもわれる。」(最後の親鸞:吉本隆明著) 前号では、<大衆の原像>を取り上げたが、今号の<非知>とは密接な関係がある。吉本の<信>の構造「対話篇」では、次のように語っている。 知識あるいは理念的なものは、宗教や信仰と同様に閉じられていくという宿命にある。ギリシャ哲学以来、内容は高度に緻密になってきているが、結局その知識の収斂の仕方は閉じた体系になってしまう。そして、知識が閉じられると<党派>になってしまう。その党派性を防ぐにはどうしたらよいか。そこで<知でないもの>に価値の根底を置けば、、またそれを自分に繰り込んでいければ知識は閉じられなくて済むのではないか。こうして、彼の<大衆の原像>が考えられている。
2008年06月17日
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戦闘的民主主義と大衆世界同盟 民主主義も戦後日本の政治制度として、真に定着しえたかどうかというと、最近の政治を見ても疑わしい。自民党一党独裁と官僚制との一体化が、議会制民主主義の名の下に腐敗と国民乖離の中央集権政治を行ってきた。 しかし、この民主主義の導入と運用は大きく曲がり、民意を反映しがたい、生活者・庶民を足蹴にする発想の理念や赤字を生み出し、それでも自民党議員から国民は馬鹿にされている。大衆をないがしろの民主主義を改め、しかも世界性のある制度けっけいをし、大衆が納得いく政治を奪回する必要があると考える。それには社会民主主義でも、改革民主主義などでもない。みな使い古された妥協の産物で、真に根本的な解決とはいえない思想ばかりだ。 そこで、私たちは「戦闘的民主主義」として真に生活者である大衆を主役の政治制度に作り直し事を提案する。なぜ、国民といわないかというと、国民は国家がある、その一員という既成関係が取れていない。既存の国家的発想では、私たちの希望が達成できるとは思わないし、国家はあえてなくても大衆は生きていけるのであるから、各国に同じ生活者として存在する世界民と連帯するために、「大衆世界同盟」なる発想で生活者の連帯を世界レベルで手をつなぐことでくらし、諸問題を解決していきたいと考えている。
2008年06月11日
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中央集権敵官僚制度を解体するには、分権改革と同時に、行政主導から大衆主導の協働という改革の柱で推進する。と同時に新しい議員像は、この行政主導を改革するため、行政プランナーとして、いままで官僚たちが一手に担っていた官僚主導の機構そのものを解体するための、大いなる役割を担うべきであると考える。
2008年06月10日
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