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昨日の某TV局の長寿番組、「世界ふしぎ発見!」の舞台はナポリでした。食い意地が張っている亭主にとって、ナポリはまずもって大好物である薄焼きカリカリのでかいピザの街。これは誰にとっても同じなのか、当然のようにレポーターのお姉さんがピザをうまそうにほおばる様子を画面に大写し。指をくわえて見ているだけの我々には全く目の毒、気の毒であります。さて、番組ではもっぱら18世紀後半、カルロ7世の時代に焦点を当てて、世界遺産になった大宮殿であるカゼルタ宮などを紹介していましたが、実はこのカルロ7世、D. スカルラッティが仕えていたマリア・バルバラ王妃の夫、スペイン王フェルナンド6世とは異母兄弟に当たります(母親はイザベラ・ファルネーゼ、スペインにおけるブルボン家最初の王であるフィリペ5世の二度目の妻)。当初フェルナンドがスペイン王位についたので、異母弟のカルロスは属州のナポリ副王としてカルロ7世を名乗っていましたが、 1759年にフェルナンドが他界するとスペイン王を継承し、カルロス3世を名乗っていました。妻の影響かフェルナンド6世が音楽好きだったのにくらべ、カルロス3世は全く音楽に関心がなく、彼がスペインに来るとファリネッリは自分の立場を悟ってまもなくボローニャに引退。このとき、マリア・バルバラから遺贈されていたスカルラッティのソナタ手稿をイタリアに持ち帰ったと考えられ、それらが現在ヴェネチアとパルマの図書館に収まっている、というわけです。ところでナポリと言えば、何と言っても亭主にとってはドメニコ・スカルラッティが生まれた(1685年)街であり、父アレッサンドロがその名声の頂点にあった街でもあります。その当時(17世紀末~18世紀初頭)、ナポリはヨーロッパにおける音楽の中心でもあったようで、音楽家として「成功する」とはナポリで、特にオペラ作曲家として名を上げることだったとのこと。(例えば、ドイツ人ハッセはまさにそのような出世街道を地で行った音楽家でした。)約一世紀後(1770年頃)に、英国の音楽史家であるバーニー博士が彼の「音楽の旅(Musical Tour)」の中でナポリについて語った部分にはこうあります。「私はイタリアであらゆる音楽的贅沢と洗練によって我が耳を楽しませることが出来るとすれば,それはナポリでしかないと期待していた.他の都市への訪問は仕事の一環であり,自分自身に与えた課題をかたづけるためのものであった.しかし,その地には喜びへの期待に胸を弾ませながら着いたのだった.二人のスカルラッティ,レオナルド・レーオ,ペルゴレージ,ポルポラ,ファリネッリ,ヨンメッリ,ピッチンニ,そして声楽,器楽を問わず他に無数の第一級の輝かしい音楽家達を輩出した場所にあって,音楽の愛好者たるものが最も楽天的な期待を抱く以外に一体何をするべきというのだろうか?」残念ながら19世紀のウィーンやパリですら、このようなレベルには遠く及ばなかったようです。(現代世界でこれに対応するような街があるでしょうか?思い浮かびませんねェ...)我々が知らない、いにしえのナポリの一面がここにある、ということでしょうか。
2010.06.27
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誰もがご存知の「バロック(Baroque)」という言葉、これが「いびつな真珠」を表すポルトガル語barrocoから来ているとはよく言われることです。この、元になった言葉が何かゆがんだものを指すことから、誇張したり「不自然な」もの、極端に走ったり、劇的で不安定なもの、といったイメージが浮かびます。でも一方で、バロック音楽、さらに美術や建築までも含む「バロック芸術」には宮廷ロココ美術も含まれ、要するに何か「洗練された」イメージもあります。そもそも、例えば大バッハの音楽(これも実に多彩な様式を含んでいますが)を聴いて、上述のような形容詞群(どちらかというとどれもネガティブ)を積極的に連想するでしょうか?(むしろ、例えば亭主の好きな数少ない「現代音楽」であるアルバン・ベルクの弦楽四重奏などの方がよほどこういう形容にピッタリ来ます。)バロックという概念はどうやら19世紀末あたりに美術史や建築史で使われ始めた概念らしく、それを20世紀になって音楽史家が輸入して使ったのが「バロック音楽」という用語の始まりのようです。歴史家が使ったということで、要するに「ルネッサンス」と「(新)古典主義」時代の間にあたる「時代」(およそ17~18世紀あたり)を表すことが目的で、その間に芸術表現に現れた傾向がどういうものだったかはむしろ後付け、と言った方がよいでしょう。しかしながら、同じく時代を区切るための用語である「ルネッサンス」が、その定義内容を巡って百家争鳴の大議論を巻き起こしたように、どうやら「バロック」についても同じようなことが起こったようです。実は先日、ふと気になって、大昔に読んで以来亭主の本棚で埃を被っていたE. ドールスの「バロック論」(筑摩叢書)を取り出してぱらぱら眺めていたところ、そのような論争の舞台となった会議についての一節に出くわしました。そこでは、美術史や建築史の専門家がバロックを17-18世紀に固有の現象として定義しようと試みたあげく、結局破綻してしまう様が活写されています。時代に固有の芸術概念としてのバロックの破綻を建築の分野で証明してみせたのが、ドールス自身によって提出された、ポルトガルのマヌエル1世時代(15世紀後半~16世紀前半)に完成したトマールの修道院の窓の写真(下図:ウィキペディアコモンズより)。確かにコテコテの装飾が施された窓は17-18世紀「バロック建築」と見紛うものです。というわけで、結局「バロック音楽」という言葉も、どうやら「ルネッサンス音楽」と「(ウィーン)古典派音楽」との間の「時代」を表す合い言葉以上のものではなさそう。(つまり「バロック期」の音楽という程度の意味しかない?)その芸術上の中身を敢えて言うなら、ある種の「表現主義」的な傾向を指している言葉ではないかというのが亭主の印象です。モンテヴェルディのマドリガーレには確かにパレストリーナと違う傾向、ある種剥き出しの感情表現が聞き取れます。でも、これは例えばムソルグスキーにフォーレとはまるで違う表現を聞くのと同じ、というのは雑駁に過ぎるでしょうか?(「表現主義」、あるいはそういった傾向というのは時代を問わず現われるものです。)D. スカルラッティのソナタにブラームスやサティの響きを聴く亭主にとって、「バロック音楽」はやはり17-18世紀という歴史上のタイミングを指すだけの言葉にしか見えません。...ん?だから「バロック音楽」はなにって? そんな音楽、実はないんです ;-)
2010.06.26
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ものの本によると、日本のクラッシック音楽ファンの人口は全体のおよそ4%(~500万人弱)だそうです。絶対数としては多いように見えますが、例えば亭主の職場にいる職員の総数1000人ぐらいで考えると大体40人、ふだん接している人はその一割とするとたった4人、ということになります。さらにバロック音楽ファン、となるともっと数が減って、多分身の回りにいるかいないか、といったところ。このような人口構成を反映してか、民放も含め、テレビ番組でクラッシック音楽関係の番組といえばNHKぐらいしかありません。かくして新聞のテレビ欄を見る度に「あー、見るものがない...」とぼやくわけですが、そのような亭主を慰めてくれるのがスカパーの「クラシカ・ジャパン」です。亭主は別にスカパーのまわしものではありませんが、このチャンネル、それなりに重宝します。クラッシック音楽関係の映像ソフトは、自分で買うとそれなりに高価(しかも繰り返し見ることはあまりない)ですが、このチャンネルは月三千円で見放題。残念ながらまだデジタル化には未対応ですが、色々流してくれるDVDソフトを見るのには十分です。最近もアルゲリッチが出演する演奏会の日本初公開映像を放映するなど、以前のこのブログでも少し触れましたが、今月から始まった企画として表記「ルネサンス バロック 音楽大系」の放映があります。もとはDVD全二十巻、三百七十一曲を収録とのことで、最初はヴィヴァルディのヴァイオリン協奏曲、次にその他の協奏曲、それからより広くイタリア・バロックの協奏曲、器楽曲と来ています。(このDVD、全巻揃いで何と二十九万円弱!)実際取り上げられる曲目を眺めていると、膨大なバロックのレパートリーに比べてやはりごく一部しか収められないことは明らかなのですが、何と亭主が驚いたことに、器楽曲集のチェンバロ(ハープシコード)のところでいきなりスカルラッティのソナタが三曲取り上げられていました。(^o^)その三曲とは、K. 43、K. 69、そしてK. 239。K. 43はヴェネチア手稿の中でも最初に写譜が用意された番号なしの巻(1742年、カークパトリックがXIV巻とした)の冒頭の一曲。その雰囲気は1738年のEsserciziに含まれるものと通じるものがあります。K. 69は同じ巻に含まれる比較的有名なポリフォニックな曲。K. 239は名曲ぞろいのヴェネチア第IV巻の4曲目、対としては2つ目の対の後半の曲で、いかにもスペイン舞踏風な雰囲気の曲(こちらも比較的有名な曲)。この三曲をどう選んだのか亭主にはわかりませんが、誰にしろあの膨大かつ多彩なソナタの中から三曲選びなさい、と言われたら大いに困惑するでしょう。(でも亭主ならやっぱりあのアッチャカトゥラで背筋がゾクゾクするハープシコードの名曲、K. 119とかK. 175から一曲は入れたいものですが...)ちなみに演奏者はジョヴァンナ・フォルナーリさんとあり、楽器はどうやらイタリアンモデルのようでした。
2010.06.20
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18世紀以前のオペラの輝きがどのようなものであったか、それから三百年近く後の現代世界に住んでいる亭主共には想像するのも難しいのですが、よく語られることの一つとしてカストラート、つまりあの残酷な手術の結果生まれた男性ソプラノ歌手の存在があります。S. シットウェルの言を借りれば、彼らは「史上最も完成した歌手たち」で、「ロッシーニに至るイタリアオペラの栄光の真の理由は彼らの存在にあった」、ということになります。スカルラッティ親子が活躍した17世紀末~18世紀前半は、まさにカストラートたちの絶頂期にあたる時代。中でも当時のヨーロッパ中を夢中にさせたのが伝説的なカストラート、ファリネッリです。その音域は3オクターブ半あったといいますから、まさに超人的。その彼が人生の後半、ほぼ四半世紀の長きにわたり、スペインの宮廷でD. スカルラッティと同僚であった、ということは意外に知られていないようですが、彼の前半生の活躍(例えば、ポルポラと英国に渡ってヘンデルの「国王派」オペラと熱い競争を繰り広げた話)は有名で、1994年製作の映画「カストラート」でも活写されています。(亭主もDVDで楽しませて頂きました。)カストラートが活躍するオペラは上演される機会が少ないのですが、モーツァルトのいわゆるオペラ・セリアと呼ばれるカテゴリーのオペラ(例えば「イドメネオ」など)がその片鱗を伝えているようです(E.J. デントによると、父スカルラッティの最上の弟子の一人がモーツァルト)。もちろん今やカストラート自体は絶滅して久しく、彼らが歌う音域を受け持つ歌手はアルト(女性歌手)かカウンター・テノール(男性)となりますが、後者はやはりウラ声だなァと分かる不自然さがありました。ところが、数年前に登場したフィリップ・ジャルスキー(JALでスキーではありません!)、その声たるやまさに「ファリネッリもこんな風だったかも!?」と思わせるようなインパクトです。例えばこのCD:実に自然かつ自在な声で聴くものを唸らせてくれます。その声音を文字ではなかなか伝えることができませんが、あえて例えれば、往年の名歌手、テレサ・ベルガンサにとても近い感じ。ちなみに、1994年の映画ではファリネッリの声を「再現」するために、何人かの歌手の声を基にコンピューター上で人工的に合成したとか。今からでもジャルスキーで吹き替え直してはどうでしょうか、コルビオさん?
2010.06.18
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バロック音楽では装飾音というものがついて回ります。他人の演奏を聴いているだけであればどうということもないのですが、自分で実際に弾いてみようとすると、譜面に指示されているものも含め、これをどう「処理」するかが常に問題になります。この辺、当時から悩みのタネでもあったようで、有名なC.P.E.バッハの著作(邦訳=「正しいクラヴィーア奏法」)をはじめ、色々な文献に装飾音の扱い方が紹介されているようです。こういった文献によると、トリルは「半音又は全音高い音を開始音(=上接音)とし、拍の始めに合わせて弾く」となります。亭主もスカルラッティの最初のソナタ、K.1を弾き始めたとき、初めの方に出て来るトリルをこの指示に従って弾いておりました。(下図、赤丸の音)例えば2小節目のトリルならb'a'b'a'b'a'...ところが、スコット・ロスの全集ではこの逆、つまりa'b'a'b'a'b'...と演奏されており、K.1の中でこれ以後に出て来るトリルもすべてこのように「主音」から始まっていました。さらに衝撃を受けたのは、最近聞く機会があったもう一つのベルダーによる全集でも、ロスと同じようにやはり「主音」からのトリルで演奏していたことです。一方、このように演奏家の間で常に見解が一致するのであれば、そこに何か亭主の知らないルールがある、という想像も出来るのですが、これがそうでないところが困ったところ。実際CDを聞き比べていると、ロスとベルダーの間でトリルの開始音が相互に逆になっている演奏のソナタも一つや二つではありません。プロの演奏家の間でも見解が分かれるとなると、亭主のようなアマチュアはもうお手上げ。「要するにどーでもいいんだろ」となってしまいます。この辺の機微に触れて、以前どこかでグスタフ・レオンハルトが、「『正しいこと』と『確信がもてること』は必ずしも一致しない」と語ったとの記事を目にした覚えがあります。この場合、当然彼は後者を取る、ということなのでしょう。ちなみに、ピアノによる演奏を調べてみると、ポゴレリチは前述の二人と同じく「主音」からのトリルを採用していましたが、プレトニョフはC.P.E.バッハのルールに従い「上接音」から演奏しておりました。さて、貴方ならどちらを取ります?
2010.06.13
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今日は、以前から気になっていた「バッハの森」に思い切って出かけてみました。「バッハの森」とは、古代イスラエル史・聖書学者であられる石田友雄さん、オルガニストの一子さんご夫妻が1985年につくばの地に創設されて以来、パイプオルガンを備えたホールを中心に、四半世紀にわたりルネサンス・バロック音楽の普及活動を行われてこられた団体です(ご本人は「私塾」と呼んでおられます)。メールでご連絡したところ、3時半から合唱の練習を行っているのでよかったら参加されては、とのお誘いを受け、お言葉にに甘えて中学生の息子と二人で東光台にある施設をお訪ねしました。少し早めに到着し、一言ご挨拶をと案内を乞うたところ、石田先生がにこやかに出て来られました。亭主とはもちろん初対面だったにもかかわらずとても気さくにお話くださり、バッハの森の活動全体について、その概要をご紹介頂きました。学校のような縛りもなく、自らの発意で会員が合唱、ハンドベル、オルガン演奏といった音楽活動から聖書やバッハの音楽の勉強まで、実に様々な活動をされていることが分かりました。もうすぐ傘寿を迎えられようという年齢にも関わらず石田先生ご自身もとてもお元気そうで、きっと音楽のせいに違いないなどと勝手に想像していました。お話している間にオルガニストのメルカールトさんが現れたので、「オルガン志望」の亭主に早速ご紹介頂いたところ、これから行う合唱練習では伴奏を務められるということで、あのアーレント・オルガンの音を聞くためにも予定通り合唱練習に参加させて頂くことにしました。(といっても亭主は歌の方はからきしダメ、息子も変声期ということで、後ろの席で譜面をお借りしておとなしく拝聴とさせて頂きました。)さて、ホールに案内されると既に八~九人の方々が練習されていましたが、ホールに入るなり彼らの声の透明な響きにいきなり胸を打たれました。練習されていたのは7月の演奏会の演目の一つ、パレストリーナのミサ・ブレヴィス。中央で指導されている女性はどことなくエマ・カークビーを思い起こさせるようなよく通る声をお持ちの方で、他のメンバーの声もノン・ビブラートの声がよく響いています。後で伺ったところでは、既に4月から練習されているということで、なるほどと納得した次第。亭主も息子も退屈することなくルネサンスのポリフォニーを楽しませて頂きました。ミサ・ブレヴィスの練習が小一時間ほどしたところで石田先生がホールに現れ、ラテン語の歌詞についての勉強会の時間に入りました。メンバーの一人がご親切にも対訳の載ったプリントを貸して下さり、亭主も一緒にお勉強。息子にはラテン語がその昔ヨーロッパの共通語(現在の英語のようなもの)だったことをひとくさり。これが十分かそこらで終わったところで、今度はバッハの曲の練習が始まりました。メルカールトさんのオルガン伴奏が静かに響く中、パレストリーナとはまた違う音の世界が広がってゆきます。大型のオルガンと違い、「バッハの森」のオルガンは威圧的な感じが全くなく、とても人なつこい響きがします。そうこうするうちにいつの間にか家事当番をしなければならない時刻になり、練習中のスタッフの方のお邪魔をして暇乞いを申し出るとともに、せっかくなので帰り際に「維持会員」として入会手続きをさせて頂きました。7月の演奏会には何とか来聴したいもの、と思いながら「バッハの森」を後にしました。
2010.06.12
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昨日、ハープシコードの弦の張り替えについて書きましたが、今日もまた別の弦が一本切れてしまいました。切れたのはBの音(下から41番目の鍵盤)。見るとチューニングピンの根元近くで切れています。幸い以前に余分にもらっておいた細い方の交換用弦で対応。ことなきを得ました。というわけで、音が揃った楽器を前に、久しぶりにハープシコード三昧。たまたま譜面台に乗っていたファディーニ版のスカルラッティソナタ集第7巻を端から音にして楽しみました(~三時間ほど没頭)。ファディーニ版(Ricordi)は、スカルラッティ・ソナタの原典版楽譜としては一番新しいものですが、残念ながらまだ未完。全十巻の予定のうち現在までに出版されたのは第8巻までで、しかも「ヴェネチア手稿を第一原典とし、まずそれに含まれるソナタを順番に収録する」、という編集方針なので、第1巻はカークパトリック番号で43番(K. 43)のソナタから始まる等、Essercizi=「練習曲集」の第一曲K. 1から順に収録されているギルバート版(Heugel)から見ると、あちらこちらと歯抜けになった状態。(練習曲集をはじめ、その他モロモロの原典からのソナタは最後の第10巻に収められる予定とのことですが、一体何時になることやら...実に不便な状態です。)スカルラッティの鍵盤作品は、たまに「パストラール」など曲の内容をほのめかすようなお題がついているものもありますが、ほとんどは単に「ソナタ」という名前がつけられているだけで、他に表題のようなものが一切ありません。これは、同時代のラモーの作品に洒落たお題が付いているのとは際立った対照を見せており、それ自体興味深いことなのですが、彼の作品を引用したり論じたりする上では大変不便です。結局、何らかの基準に従って通し番号を付け、ソナタをその番号で呼ぶことになるわけですが、スカルラッティのソナタについてはこれが何通りもある、という、これまたメンドーなことになっています。いろいろある番号体系の中で、多分最も広く使われているのがカークパトリック番号(既にお察しの通り、亭主のブログでもこれを使っています)。カークパトリック(Ralph Kirkpatrick)は米国のチェンバリスト・音楽学者で、彼は「スカルラッティの自筆譜が一切今日に伝わっていない」という謎めいた状況の下、当時参照できる限りの出版譜や写譜手稿に収められた作品群を比較・整理し、それらが出版あるいは写譜された年代の順番に基づいて通し番号を付与しました。またその際、知られている主要な写譜原典のうちでも、バルバラ王妃が使っていたと考えられるヴェネチア手稿(496曲を含む)を第一原典と考えて、これを基準に作品を整理したようです。この点をもっと徹底したのがファディーニ版という見方もできます。つまり、どうせ出版・写譜された年代と作曲年代が対応している保証がないのだから、むしろスカルラッティがバルバラ王妃のために自分の作品を「編纂」したと思われるヴェネチア手稿を最も信頼できる「順番(=通し番号)」の基準と考えたわけでしょう。ちなみにファディーニ盤の第7巻は、ヴェネチア手稿第IX巻(30曲)、および第X巻(34曲)の全曲が収まっています。そのほとんどが三ツ星クラスの名曲ぞろい。(何しろ弾いていて実に楽しい曲ばかりです。例えば第IX巻の2曲目、K. 389。なんだかサティを弾いている感じ!)カークパトリックは、スカルラッティの伝記的な事実の調査も徹底的に行い、何とスペインで彼の子孫(1950年当時九代目)が存命であることを発見したりもしています。来年はカークパトリックの生誕百周年という、スカルラッティ・ファンには記念すべき年。何か面白いイベントはないものかしらん...
2010.06.06
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一昨日、交換用のハープシコードの弦(鉄製)が届きました。週末になってようやく時間が出来たので、久しぶりに切れていたC#の弦の張り替え作業を行いました。実はちょうど一年ほど前にも、もう一オクターブ上の方の弦が二本、余り間を置かずに切れたことがあって、二本目の時には念のために余分の弦を送ってもらっていたのですが、いざ切れた弦と交換しようと見てみると何となく太さが違うように見えました。そこで念のためにとギタルラ社に問い合わせてみると、やはり音域によって太さの異なる弦が使われているとのこと。確かに張力だけに頼って音の高さを変えようとすると、高音側の張力が大きくなり過ぎますネ。ある程度の音域毎に弦の太さを変えるのは合理的です。さて、弦の張り替えはハープシコードメンテの中では結構難しい作業です。まず、ジャックの列を覆うカバーを外し、弦の一方(ループが作ってある)を支点(小さなピン)に掛けて、弦が暴れても外れないように「目玉クリップ」でピンを上から挟みます。それから、あらかじめ切れた弦がどのくらいの長さ調整ピンに巻き付いていたかを測っておいて、その分だけ残して弦をニッパーで切断し、その端から弦を調整ピンにぴちっと巻いていきます。残りの弦長が調整ピンを立てる位置に来たところで、弦をきちんとコマの位置に合わせ、それからピンをカナヅチでピン穴に打ち込みます。(この「カナヅチで打ち込む」というマニュアルの指示について、最初は楽器にダメージを与えるのではないか、とかなりおっかなびっくりで、弦をピンに巻く前にピン穴に立てて、片手で弦を引っ張りかつチューニングと同じようにピンをねじ込みながら巻いてみたりもしましたが、やはりうまく行きませんでした。)打ち込んだあとは、いつものように調整ピンを回してチューニングです。今回は、ここまで来たところで、チューニングのためにピンを回しながら「なかなか音が高くならないなァ...」などと不安に思いながら回し続けていたところ、プツッ!と弦がはじけてしまいました。またもや切れたか、と思いきや、何と反対側のループがほどけてしまっています。というわけで、ループを作り直してまた始めからやりなおし。それでも20分少々で終わることが出来ました。未音亭のルッカースは2007年製ですが、こうして弦がちらほらと切れ始めたところを見ると、弦の寿命は三年~五年というところでしょうか?ちなみに、鉄製の弦を張るのはルッカースの特徴(それ以前は真鍮製)のようで、これによって比較的細い弦を強い力で張ることが出来るようになり、あの「鈴のような音色」で当時のヨーロッパ宮廷を魅了したということのようです。(ルッカースの登場で、それ以前にあったフランス固有のハープシコードは絶滅し、ルッカースの改造版が「フレンチ」モデルとして発展したとのこと。)
2010.06.05
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スカルラッティさまの鍵盤音楽にハマって以来、亭主は彼に関する著作をネット上で探し集めています。とはいっても、どちらかというとマイナー?な作曲家なので、それほど多くの本があるわけではなく、めぼしいものは大体集めることが出来たのですが、少数ながら未だ手に入らないものもあります。というわけで、昨夜も例によってお目当ての本が落ちていないものかとネット上をグーグルっていたところ、どういう検索の綾が働いたのか、全く予期しなかった発見をしました。何と、スカルラッティ・ソナタの最も重要な原典であるヴェネチア手稿を一ページずつデジタル写真に収めて公開しているWikiサイトがあるんです! \^o^/\^o^/\^o^/(亭主はかなりの興奮状態)→ http://wiki.livedoor.jp/tekuteku2008c/以前にも紹介しましたが、ヴェネチア手稿は全15巻の曲集(写譜師が筆写した楽譜を合本装丁したもの)からなっており、そのうちの13巻には巻番号が付されています(IからXIIIまで)。残りの2巻には元々巻番号がなく、これにカークパトリックがXIV、XVと番号を付けて整理したことから、今ではそのような番号付けが使われていますが、実はこの2巻、他の13巻より先に作られたことも(写譜された年号から)分かっています。何とこのサイトにはこの15巻中11巻分の手稿がカラー画像でデジタルアーカイブされていました!名前からも推測されるように、これらの手稿はヴェネチアの聖マルコ寺院に付随した図書館に所蔵されており、亭主もあの世に行く前に一度は拝んでみたいもの(とはいえヴェネチアは遠し...)、などと日頃から思っていたところ。こんなところで予想外の遭遇をしてホントにビックリするとともに、ネットの力を思い知らされました。このサイトを作られた方々に心より感謝するとともに、その労苦に敬意を表したく思います。ここには他にもアントニオ・ソレールのソナタの手稿の一部の写真アーカイブも公開されているなど、色々と目の保養になります。さらに、これは亭主もあればいいなと思っていた「国内原典版楽譜に収録されているスカルラッティ・ソナタの一覧と対応表」が掲載されていて、特定の曲にしか興味がない場合には高価な輸入版楽譜に頼らなくても済ませられるようになっています。ところで、亭主が今凝っているソナタの一つにK. 262があります。知られざる名曲と言ってよい曲なのですが、その最後から6小節目-7小節目のバスの音がまだ曲の途中なのに下図(赤丸)のようにこの調の主音(つまりこれでオシマイ、という音)になっていて、とっても違和感!フツーの感覚では属音になるべきと思うのですが注)、ファディーニ版(Ricordi)、ギルバート版(Heugel)、橋本版(全音)のいずれもこの通りになっていて、ここまで一致すると「多分原典もそうなっているのだろうな」と想像せざるを得ないのですが、やはりこの目で確かめたいと思い上記のサイトを見に行ったところ、何とこのソナタを含む巻はアーカイブから漏れていました。そうやって眺めると、手稿の中でも特に「名曲」が目白押しの巻である第IV巻、第VIII巻、第IX巻が抜けているのがちょっと残念...とはいえこのサイト、亭主にとっては願ってもないようなヴァーチャルライブラリでした。注)CDに収まっている演奏としてはロス、ベルダー、アンタイのものを聴く機会がありましたが、楽譜通りに弾いていたのはアンタイだけ、ロスとベルダーはF#に読み替えて演奏しています。
2010.06.01
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