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ドメニコ(スカルラッティ)のソナタをハープシコードで弾くべきか、それともフォルテピアノ(クリストフォリ等)で弾くべきか、あるいは現代ピアノでの演奏はどうか、といった問題は、いまだに専門家の間でカンカンガクガクの議論が繰り拡げられているようです。未音亭主がドメニコの世界に文字通りハマったのは自らハープシコードを触るようになってからでした。その点、亭主にしてみれば「チェンバロのショパン」とも称されるドメニコのソナタ群がどの楽器のレパートリーとしてヨリふさわしいかは自ずから明らかに見えます。一方で、古くはホロヴィッツ、最近では特にツァアハリアスといった名手のおかげで、現代ピアノによっても同じドメニコのテキストからハープシコードとはまた別世界の素晴らしい響きを創造できることも思い知らされました。こうなってくると、今度は「ドメニコのソナタを現代ピアノで魅力的に響かせる」ということについて、どこまで到達できるのか、あらゆる可能性を知りたくなります。とはいえ、世の中にあまたいるピアニストの中でもそのような「冒険」を試みる演奏家は(亭主の知る限り)皆無といった状況でしたが、嬉しいことに最近になってついにそのような好き者が現れました。件のピアニストの名前はカルロ・グランテ(Carlo Grante)。実は、彼の演奏によるスカルラッティ・ソナタ全集第一巻がこの4月にリリースされていたのをごく最近になって知りました。(第二巻も既に発売中。レーベルのウェブサイトはこちら)といっても、亭主はこのグランテというピアニストの存在を全く知らず、ましてやどういう演奏をするのか(期待できるのか)全く見当もつきませんでしたが、とりあえずCDをゲット。一昨日届いたところで早速聞き始めたところ、これが予想を超えて「聞かせる」演奏です。ダイナミクスの変化やペダルにほとんど頼ることなく、あたかも名手の弾くモーツァルトのように澄んで美しい響き。使っている楽器もパウル・パドゥラ-スコダ愛用のベーゼンドルファー・インペリアルモデルとかで(「ベーゼン」というとややくすんだ響きを想像していたのですが)、結構高音が明るく響くところはむしろスタインウェイに近い感じ。ライナーノートを読むと、グランテさんは少なくとも未音亭の所蔵しているドメニコに関するモノグラフ文献(サトクリフのそれも含め)のほぼ全てに目を通したようで、相当な準備の上でこの全曲録音に取りかかった様子が伺えます。その点は、例えばソナタを収録するにあたって従来のカークパトリック番号の順番ではなく、原典手稿が持つ「曲集」としての構成、特にパルマ手稿の号巻構成を基本に採るなどといった見識に現れています。(7月3日のブログで紹介したR. レスターのハープシコードによる全曲録音に次ぐものと言えます。)また、演奏に劣らず充実しているのがライナーノートで、大変興味深い内容を含むのでそのうち未音亭HPで詳しく紹介しようと思いますが,今日は先の「どこ似て」の話題に関連した部分を少々。Esserciziの2曲目、K. 2の冒頭がヘンデルの合奏協奏曲(Op. 6)のNo. 1に引用されていることは先週触れましたが、グランテのノートを見ると、実はOp. 6についてこういった引用関係を徹底的に調べた人がいたようで(Alexander Silbiger、Basil Lamといった名前が挙っています)、K. 2以外にもK. 12, 15(→No. 3)、K. 23(→No. 5)、あるいはもう少し微妙なところでK. 16(→No. 4)、K. 6(→No. 6)といった類似が指摘されているとのことでした。[もっともこの協奏曲では、やはり先立って出版されたムッファト(G. Muffat)の鍵盤音楽作品集からの引用の方が数も多く、目立っているようです。] さて、どこがどう似ているのか、もう一度ヘンデルのOp. 6を聞き直しです。
2010.08.29
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以前、NHK-FMの人気番組「気ままにクラッシック」で、パーソナリティーがまだギタリストの鈴木大介さんだった頃(2002年~2008年)、表記のようなコーナーがあってリスナーの投稿を毎週紹介していました。、亭主も一度だけ(息子とともに)投稿したものが番組で取り上げられたことがあり、楽しい思い出の一つです。「どこ似て」コーナーでは、「西洋クラッシック音楽」と「日本の曲」との間で類似しているものを取り上げる、というルールがあり、西洋(クラッシック)音楽同士のそれについては、多分「偶然性が低い=意外性が少ない」ということで対象から除かれたのだろうと想像されます。有名なところでは、都はるみが歌う「北の宿から」(1975年)の冒頭と、ショパンのピアノ協奏曲第1番の冒頭(第ニ主題?)とが数小節に渡ってオオッ!とビックリするほどソックリそのもの。(亭主の記憶では、ピアニストの中村紘子さんがゲストとして出演したFM番組で指摘したのが最初で、そこで実際に聞き比べが行われてあまりの相似に亭主も大いに衝撃を受けた、という鮮明な記憶があります。)その他にも、このコーナーで取り上げられる例を聞いてみると意外なほど似たフレーズを持つ例が沢山あり、感心したり笑ったりと、なかなか面白いコーナーでした。ところで、今頃になって上記のようなことを思い出した理由は、夏休みの読書をしていてドメニコ(スカルラッティ)のソナタK. 525番がベートーヴェンの交響曲第7番の第三楽章(スケルツォ)に似ている、という指摘を見つけたからでした。「ベト七(シチ)」と言えば、最近も「のだめカンタービレ」で取り上げられて有名になるなど、多少クラッシックを聞いたことがある人なら誰でも知っている曲ですが、迂闊にもこの指摘を読むまで全く気がつきませんでした。早速手元にあるCDで聞き比べ。亭主所蔵の「ベト七」はロジャー・ノリントン指揮/ロンドン・クラシカル・プレイヤーズの演奏。「古楽」風(18世紀の延長として)の颯爽ときびきびしたノリです。K. 525の方は、例によってロス、ベルダーと聞き直してみましたが、一つにはテンポが「ベト七」に比べるとやや遅めで、すぐにそうとは気づかない感じです。それに比べると、ピエール・アンタイの演奏は速いテンポでまさに「ベト七」のスケルツォとよく似た響きになっていて、おもわず唸ってしまいました。このような類似は、「後の作曲家の音楽を先取りしていた」と、先行する作曲家を単純に持ち上げることに使われたりします。それだけならどうということもありませんが、逆に後の作曲家が直接的な「影響を受けた」証拠になるかどうかというと、コトはその作曲家のオリジナリティにも関わる微妙な問題を含んでおり、軽々には議論できないところです。先の例で、演歌を作曲した小林亜星氏がショパンの協奏曲をパクッたのか、という疑問に関しては(月刊雑誌「ショパン」2009年1月号によると本人は否定しているものの)真相は闇の中でしょう。西洋クラッシック音楽では、グレゴリオ聖歌の旋律を引用・編曲するといった伝統もあり(有名なところでは「怒りの日」の主題)、単に曲想が似ているだけで影響関係を云々するのはキケンと言われています。これは、スカルラッティのソナタについてしばしば語られる「スペインの民衆音楽」に取材している(=直接的な影響を受けた)、という主張についても同様で、やはり慎重な検討が必要なようです。
2010.08.28
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夏休みの読書をしていたところ、面白い記事を見つけたのでご紹介。ドメニコ(スカルラッティ)とヘンデルが二十歳代の半ばにローマで遭遇し、鍵盤楽器の演奏で腕比べを行ったことは既に書きました。ヘンデルの伝記作家によると、この時以来二人は大変親しくなったようで、ヘンデルがイタリアにいる間(数ヶ月?)ずっと交流が続いたようですが、ヘンデルは間もなくイタリアを去り、二度と再びアルプスの南側を訪れることはありませんでした。というわけで、その後二人がお互いにどのような影響を及ぼし合ったのか、あまり定かではないようですが、実はヘンデルの合奏協奏曲(作品6)にドメニコのソナタからの引用がある、という記事を見つけました。具体的には、作品6の十二の組曲中の第一番で、五つの楽章の最後の曲がドメニコの「練習曲集(Essercizi)」中の二曲目(K. 2)を圧縮して使っているとのこと。早速ホグウッドのCDを取り出して聞いてみると、確かに同じト長調のオクターブで飛ぶ最初の音形がK. 2と同じで、その後に続く音の動きも何となく元のソナタと似ている雰囲気があります。ライナーノートによると、当時ヘンデルはコヴェントガーデンオペラの行き詰まりでしばらく休養を取ってロンドンに戻って来たところで、このイタリア風協奏曲を1739年秋の比較的短期間に作曲したとあります。1739年といえば、まさにその年の初めにドメニコの「練習曲集」がロンドンで出版された時期でした。これが英国でかなりの人気を博していたので、親友でもあるヘンデルが目にしなかったハズはないと想像できます。ちなみにその五年後には、英国の音楽家チャールス・アヴィソンが「練習曲集」全体を協奏曲に編曲したものを出版し、以後ドメニコは英国で圧倒的な人気を博するようになります。(K. 29を元にした協奏曲は小説「トリストラム・シャンディ」に引用されるという栄に浴しています。)ヘンデルの合奏協奏曲は亭主のお気に入りで、それこそ数えきれないほど何度も聞いた気がするのですが、このような引用があるとは全く気がつきませんでした。これを機に、全曲をもう少し注意深く聞いてみようと思っているところです。トリストラム・シャンディ(上)改版価格:945円(税込、送料別)
2010.08.22
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未音亭一家は亭主の実家(福岡)から昨日つくばにもどったところ。これで夏休みも半分以上が過ぎてしまいました。とはいえ、ようやく実家へのサービスも終わり、真の骨休めはこれから。そこで今日はつくばセンターで用事を済ませがてら、息子のVnの先生が出演する「朝のサロンコンサート」を拝聴しに行きました。このコンサート、ちらしを見ると第36回とあり、もう随分長いこと続いているシリーズのようです。会場のアルス・ホールに開演十分前ほどに到着すると、既に用意された座席はほぼ一杯。亭主一家の後からも続々と観客が増え、主催者が新たに椅子を用意するために、着席者に椅子ごと前に詰めてくれるようお願いする一幕も。結局、あまり広くないホールに二百人近い観客が入るという盛況ぶりでした。ちらしにもあるように、本日のプログラムはグリーグのホルベア組曲、バッハの管弦楽組曲第2番、そしてパッヘルベルのカノンと、すべてバロック音楽(またはバロック風音楽)で統一されています。来場者に渡されたお土産付きのプログラムノートはすべて手書きで、これらの曲の由来や作曲家の活躍ぶりが簡単に紹介されており、説明の文章も初心者向けに分かりやすい記述。いかにも「手作り」のコンサートという風情です。演奏自体も十分楽しめるレベルのもので、常設でもないと思われる十五六人ものアンサンブルが、指揮者も置かずに淀みない演奏を聴かせてくれるのには驚きました。ところで、一曲目のホルベア組曲はグリーグの代表作の一つとして大変有名で(原曲はピアノ独奏曲)、作曲者の同郷人である文学者ホルベア(Ludvig Holberg、ノルウェーのベルゲン出身、1684年ー1754年)の生誕二百年にちなんで作曲された、という由来はよく知られています。とはいえ、作曲者本人が「フランスのクラブサン組曲を念頭に作曲した」と語っていることからも、曲の内容は特にホルベア自身と何か直接的な関係があるわけではなく、結局のところ「ホルベア時代の古い様式による組曲」という長々しいお題の意味は「18世紀(フランス)バロック風組曲」以上のものではなさそう。なお、多少グリーグのことを弁護するなら、ホルベアは例の1685年生まれのトリオと一歳違い、若年の頃よりベルゲンからコペンハーゲンに出て勉学し、青年時代には大陸(オランダ、フランス、ローマ等)も旅したようなので、もしかするとローマ辺りでヘンデルやスカルラッティ父子と遭遇していたかも?
2010.08.20
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J.S. バッハ、ヘンデル、D. スカルラッティといえば、誰もが名前を知っている後期バロックの三大巨匠。この三人、実は同じ1685年生まれの完璧な同世代人なのですが、このことは意外に知られていないようです。このうちバッハは生涯アルプスの北側に留まり、他の二人と直接的な関係を取り結ぶこともなかったのですが、ヘンデルは二十歳台(1706年~1709年)にイタリア各地(ヴェネチア、ローマ、ナポリ)を旅行し、特にローマではオットボーニ枢機卿のサロンでスカルラッティと鍵盤楽器演奏の腕比べを行う、という一大イベントによってお互いの存在を知ることになります。ヘンデルの伝記作者(マナリング)によると、このコンテストの様子は次のようになります。「...ドメニコは卓越したハープシコード奏者であったので,枢機卿は彼とヘンデルを競わせるべく同席させることにした.ハープシコードの腕比べについては色々な報告がある.何人かはスカルラッティの方に分があると言ったようである.しかし,オルガンとなるとどちらが勝っていたかについて疑いをもつような雰囲気は全くなかった.スカルラッティ自身が競争相手に分があると断じ,彼の演奏を聴くまでこの楽器にこれほどの力があるとは思わなかった,と率直に認めている.その特別な奏法に衝撃を受けて,彼はイタリア中ヘンデルの後をついて回った.そして,彼とともに居るときが最も幸福なときであった.」この記事の書き手がヘンデルの伝記作家である以上、ハープシコード演奏で主人公がスカルラッティに明確に敗北を喫したようには書かれていませんが、その内容を見る限り実情はそうだったと判断できます。さて、この歴史上有名な腕比べ、スカルラッティは一体どういう曲を演奏したのだろう、といろいろ想像しないわけにはゆきません。以前ちらっと見たヘンデルの伝記映画(「くそったれ、タンブリッジ・ウェルズめ!」、1985年)では、二人がはす向かいに置かれたハープシコードに向って交互にヘンデルの変奏曲(組曲第7番のパッサカリア)を弾き、変奏がだんだん難しくなる?、という設定でしたが、亭主から見ると、「ちょっとあり得ないんじゃない?」という印象。最近のある研究家は、K. 63のソナタがこの際に演奏した作品の記録ではないかと推測しています。とはいえこの曲、カプリッチョという珍しい表意記号を持つものの、カークパトリック番号で百番以内の作品中でも特に目を引く作品ではない感じ。むしろ、二十小節目以降の音階進行がヘンデルの作品によく現われるような響きを持っているところが、敢えて言うならそれらしいというところでしょうか?亭主としては、むしろEssercizi中のK.29のような目も眩むファンタジア風の曲を想像したいところ。それにしても彼がどんな演奏をしたのか、もう少し手がかりはないものかと思いますが...
2010.08.15
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世間は夏休みモードの8月というのに、亭主はなぜか仕事に追われる生活が続いておりましたが、ようやくかねてから予定の夏休みに入ることが出来ました。\(^o^)/(とにかく二ヶ月以上前から予定を入れておかないと瞬く間に会議や打ち合わせで埋まってしまいます...おっとついグチが。)週末の数少ない亭主の楽しみといえば、相も変わらずハープシコードに向い、スカルラッティの森を探索することですが、最近少し困ったことが起こるようになりました。というのも、ソナタの譜面が出版社によって微妙に違うことに気づかされることが多くなって来たのです。例えば、K.206。久しぶりにこの「セレナーデ」のような曲を弾くにあたり、ふだん使っているファディーニ版ではなくギルバート版を使っていたところ、後半の70小節目、スカルラッティ得意の目も眩む転調で次に嬰ト短調からホ短調へと移り変わる境目、左手が奏でるギターのつま弾きのような和音の一番上の音(A)にシャープ(♯)がついています。「...あれ?なんか響きがちがうなぁ」と思いながら弾き終わった後、念のためにファディーニ版を眺めてみると、そこにはシャープ記号ではなくナチュラル記号がついていました。ご存知のように、シャープとナチュラルの記号は互いによく似ています。ファディーニ版の注釈には「ヴェネチア手稿でシャープA」とあり、原典ではシャープAと読めることを認めていますが、写譜師が自筆譜等から筆写する際に間違える可能性もゼロではないので、原典そのものを疑ってかかる余地は充分にあります。想像するに、ファディーニはこの可能性を採って、問題の音を次の転調への経過音(?)的なナチュラルAにした方が「自然で美しい」と判断したのでしょう。もっともこの曲、譜面自体はホ長調の調性記号(シャープが掛かっているのはC、D、F、Gの音)の下で書かれているので、作曲家がAの音にわざわざナチュラル記号を付ける必要は元来ないはず。(だからやはり記号が意味を持つためにはシャープが正しい!という考え方もあります。)ところが、この場合にはその直前の小節までシャープAがずっと出て来る(嬰ト短調)ので、演奏者に「ここから違うヨ!」と注意を促すためにあえてナチュラル記号を付けた可能性も否定できません。というわけで、どっちで弾いたらよいのやら...ところで、ギルバート版の楽譜は、巻によって表紙の色が違うことをご存知の方もおられると思います。下記の写真は第1巻、第5巻、第11巻を並べてみたもの。亭主は色の違いに大した意味はないのだろうと思っていたのですが、実はカークパトリックの「理論」に従って初期、中期、後期と色分けしてあるそうです(D. Sutcriffeの著書参照)。色の選択もそれぞれの時期の雰囲気に合わせたものとか。それにしても、21世紀を既に10年も過ぎたのにも関わらず、いまだにスカルラッティ・ソナタの全曲原典版は法外に高価なギルバート版しかない、という状態。何とかならないものでしょうか、ファディーニさま~~~!
2010.08.14
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先週ちょっと触れたフランスの作家、ドミニク・フェルナンデスの小説の一つに、カストラートが主人公である「ポルポリーノ」という作品があります。この小説、前出の評論「木 ー その根まで」の2年後(1974年)に出版され、フランスの五大文学賞の一つであるメディシス賞の栄に浴したということで、日本でも1981年に早川書房から邦訳が出ました。手元にあるのがどうやら初版本らしいので、多分亭主がまだ学部学生だったころに手にしたものですが、ネットで調べると現在もまだ版を重ねているようで驚きました。何しろ三十年近く前の読書でもあり、あまり詳しい内容は憶えていませんでしたが、このところの亭主の興味の対象とも重なる部分が大きいので、久しぶりに埃を払ってパラパラめくっているところです。小説の主人公は表題の名前を持つカストラート。「著者」の知り合いであるハイデルベルクの伯爵が、地下室でこのカストラートの手記を発見し、それを調べるように頼まれた著者がその中身を紹介する、という設定で物語は始まります。時代はどうやら18世紀後半、ちょうど英国のチャールス・バーニー博士がヨーロッパ各地を「音楽旅行」し、ゲーテが「イタリア紀行」を敢行していたころのようで、主人公のカストラート以外の登場人物はほぼ全てが歴史上実在した人物とのこと。とはいえ、この「ポルポリーノ」という名前、どこかで見たことがあると思って調べてみると、S.シットウェルの著書(「スカルラッティの背景」)中に、あのポルポラの弟子の一人として名前が挙がっていました。(ポルポラが自分の弟子に付けた芸名としても容易に想像できる名前です。)もちろん、ポルポラの直接の弟子たち(ファリネッリ等)が活躍したのは18世紀前半なので、小説の主人公が架空の人物であることに変わりはありません。さて、肝心の中身ですが、主人公の手記はナポリの南、カラブリア地方のサン・ドナート(恐らくSan Donato di Ninea)の貧しい農夫の子供として生を受け、その美声に目をつけた領主からカストラートの卵としてスカウトされる、というところから始まります。その後舞台は音楽院(当時全ヨーロッパ的に有名だった)、そして音楽の街ナポリへと移りながら、主人公の目を通して当時退廃し没落の淵にあった貴族社会、そして歌劇場の世界をさながら万華鏡のように活写しています。日本で言えば江戸時代(後期)を舞台にした大河小説のようなものでしょうか?ところで、この小説の主題はオペラや音楽そのものではなく、どうやら「同性愛」、あるいは「性的倒錯」といったところにあります。作者であるフェルナンデスは、当時から「闘う同性愛者」の異名を持ち、そのような性的嗜好もあってか精神分析学に影響を受けた作品が多いことでも知られています。男女という性別をいわば超越した存在であるカストラートは、彼にとって恐らく同性愛の意味や価値を問う(というよりは史上最も完成された歌手たちの「過去の栄光」に依拠して擁護する?)ための舞台を提供する必然的なテーマではなかったかと想像されます。近頃は「のだめ」でもゲイのお兄さんが登場するなど、同性愛者も大分市民権を得て来たようですので、その点三十年前よりは抵抗なくこの世界に浸れるでしょう。
2010.08.07
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昨日は久しぶりに本亭のページを更新していたのでブログはお休み。さて、先週ドメニコの父親であるアレッサンドロ・スカルラッティの肖像(ソリメーナ)を紹介しましたが、実はこの親子を描いたロベルト・パガーノによる伝記、「アレッサンドロとドメニコ・スカルラッティ 二人で一つの人生(Alessandro and Domenico Scarlatti - Two Lives in One)」という著作の表紙を飾っていたのがこの肖像画でした。こちらはカラー画像なので、上述の出典を明示した上で先週のブログ上の画像を差し替えておきます。ところで、これは音楽家に限らないことですが、家族における父と息子の関係というのは、人間関係の中でも身近でやっかいなものの一つ。特にフロイトの有名な仕事以降、精神分析学の世界では「父と息子」は主要なテーマの一つでもあります。モーツァルトの生涯を描いた1984年公開の名画「アマデウス」では、この父子関係が正面から取り上げられており、オペラ「ドン・ジョバンニ」創作と初演にまつわるシーンでは、父親のレオポルドが石像の「騎士長」、息子アマデウスがドン・ファンに投影されている雰囲気が感じられました。実際そのように意図されていたとすれば、シナリオが精神分析的な視点を持っていたことを暗示しています。(亭主はこのシーンを眺めながら、そのような視点から芸術批評を行ったドミニク・フェルナンデスの著作、「木、その根まで」の一節を思い出していました。)スカルラッティ父子の関係は、モーツァルト父子のそれ以上に謎めいています。残された数少ない資料の中には、ドメニコが何と三十二歳にもなって「父親の親権およびナポリ市民権からの解放」を認められる、といった法的文書があり、この二人の間の特殊な関係を示唆するものになっています。カークパトリックは自らの著書の中で、「ドメニコの前半生が謎めいていて,彼が明らかに個人的にも音楽的にも父親の支配的な影響下にあったことを考えると,これらを現代の心理学的な観点から解釈してみたい,という誘惑にかられる」と書いています。しかし、彼はあえてそれをせず、「ここでは,父親の死後三年を経てドメニコの人生が完全に変化した,という外見的な兆候を指摘するだけで満足すべきであろう」と言って、ドメニコがローマ人の娘と結婚したという事実を伝えています。アレッサンドロが他界したのはドメニコが四十歳の時ですから、彼は結婚当時四十三歳と、今日の基準でもかなりの年配になってからでした。(ちなみに新婦は十六歳と、ほとんど親子ほどの年齢差です。)こういった彼の人生履歴、およびドメニコの鍵盤音楽作品がその晩年に集中しているように見えることから、カークパトリックは音楽家の人生における「第二の青年期」理論を提唱するに至っています。ところでこの謎めいた父子関係、先に引用したパガーノの著作ではどうなっているかというと、どうやらアレッサンドロの出身地であるシチリア特有の当時の社会体制、家族制度といった視点からこれを解き明かそうとしているようです。(この本、亭主はまだ読み止しなのでこれ以上の紹介はできませんが...)
2010.08.01
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