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今朝ウオーキングに行こうと用意して一階に下りたら、夫も出かける支度をしている。「どこに行くの?」と聞いたら腕時計の電池を入れに行くという。そして「どこで入れてくれるかな?」と聞く。駅前の時計屋はとっくに閉店している。ホームセンターとかスーパーとか私が心当たりのある店に電話してみたけど、ホームセンターはメーカに出すから2週間かかるという。スーパーはやっていないと言われた。すると夫が昔行ったことのある時計屋が隣の駅周辺にあるという。夫の言う時計屋を携帯で検索する。一応以前の店は閉めているものの自宅でやっているという。自宅の住所を聞いてナビで道を教えてもらいながら行こうと夫に言う。ウオーキングに行くつもりだったけど、私以上に方向音痴な夫では多分時計屋にたどり着けない、最悪迷子になるかも(笑)車で出発。夫にナビをセットしてと言ったら久しぶりなのでもたもた。その間に私が携帯で検索。もうそっちはあきらめてこれで行こうという。出発する。とりあえず東に向かう。ナビに右折左折の指示が出る。私はその通りに夫に言うけど夫は、勝手に違う角で「こっちやと思う」とか言って曲がってみたりするからぐるぐる回るだけ。ナビの言うとおりに行っても行きすぎたり。夫が言うことを聞かないからイライラする。家を出る時15分で行けると表示されていたのに1時間くらいかかる(笑)ガソリンも高いのに余計にうろうろしてしまった。最後にようやく看板を見つけゴール。電池替え千円でした。ピンポンを押したら中から出てきたのは高齢の時計職人さん。電池替え終了。家の中には所狭しと柱時計が並んでいる。私は聞いてみた。60年ほど前の柱時計があるけど、かろうじて今は動いているけど遅れたり進んだりすると。修理は受けるけどいつできるかわからない。一年前に注文を受けた時計がまだ終わってないという返事。まあここなら分解掃除に持ってくるにしても、割合近いけど。なんでも同居している息子さんも職人さんらしい。時計職人の学校の先生をしているから息子さんならもっと早くできるかもという。まあ考えておこう。最初からナビの指示通りに来たらもっと簡単だったのに。帰り道、気が付くとそこは40年前に私たちが住んでいたアパートの近く。〇〇荘の近くだねと言っていると夫が、また勝手に道を曲がって路地に入りこむ。「どこを走っているのかわからなくなった」ナビの言うとおりにせず。嫁の意見も聞かず。勝手に迷子になる夫"(-""-)"何とか国道に出て帰ってこられたけど。そして疲れた疲れたという。いや疲れたのは私だ。夫といると自分のエネルギーを吸い取られる気分"(-""-)"
2024.06.08
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街のあちこちにトライやるウイークの旗が風にはためいている。トライやるウイークと言いうのは多分兵庫県だけかもしれないけど中学2年生が地域の会社や商店で職業体験をする一週間のこと。うちの孫1ちゃんも中学二年生。どこに行くの?とメールしたら〇〇という地元では有名なケーキ屋さんやさん。お菓子を作ったりするのに興味があるらしい。昨日そのお店の前を通ったらのぞいて行こうかなと思ったけど、やめといた。きっと嫌がるだろうと思って(笑)メールに某アイドルグループのメンバーのスタンプを押してある。最近までスタンプは隅っこかコウぺンチャン、ペンギンなんですが、こういうのだったのに。今はアイドルに夢中らしい。「これはなんというグループ?」と聞いてみたら「おばあちゃんは知らないやろけどsnowmanっていうグループや」と教えてくれた。「知ってるわ。」ちょっと見栄を張ってみる(笑)「ラウルという子がいるやろ?」「ラウールや?好きなん?」と返事が来る。残念ながら一人しか知らない。「全員の名前を言えるで」と威張る孫ちゃん。「おばあちゃんがメンバーを言えるグループはスマップとTOKIOと嵐や」というと「古いグループばかり」(笑)と言われる。やっぱりついて行けない(笑)そこで言ってみた。「もしテストにsnowmanのメンバーを答える問題が出ていたら百点なのにな」「うん、自信ある」やて(笑)推しが変わってきたというのは成長のあかし?今頃ケーキ屋さんで頑張っていることだろう。勉強より楽しいかもしれない
2024.06.05
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前回携帯ショップで聞いて来たうちの最寄り駅の駅前のサテライトショップに行ってみた。以前はうちの駅前に携帯ショップがあったけど閉店してその後は隣の駅近くの店に行かないといけない。家からバスを二路線乗り継いでいくか、それともバスとJRか?私は市からタクシー券をもらっているけどそれでも500円券2枚+千円近くかかる。(二枚までしか使えない)最寄り駅前ならバスか徒歩でも行ける。次からここに行こう。結果問題解決した。ラインの通話、ビデオ通話の問題、dヘルスケアを使えるようにする問題。せっかく歩数計も使えるようにしたからどんどん歩こう(^^♪これから暑くなるからウオーキングの時間は早めに。6月4日新たなトラブル発生。先日dヘルスケアを設定してもらったけど、今度は携帯から写真をパソコンに送れない。dアカウントがなんたらかんたらで送れませんというメッセージが出てくる。同じくdアカウントを使うアプリが使えなくなっている。どこでdアカウントを訂正したらいいのかわからないからまたショップへ行かないと。
2024.06.04
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先日夢に幼馴染のNちゃんが出てきた。いつも通りにこにこ笑っていた。Nちゃんはいつもニコニコ人の話を聞いてくれるイメージ。会えてうれしかった。でもめがさめて気が付いた。3年前にNちゃんは亡くなってもう会えないんだった。夢だったと気づいてがっかりした。もう会えないんだなと思うと寂しかった。亡くなったのを聞いた時にはもうお葬式も終わっていたのでしばらくしてから別の友達とお仏壇にお線香をあげに行った。その子の住んでいる家をお知らなかったので当時の担任の先生が最寄りの駅まで迎えに来てくれて案内してくれた。その時ご主人が今お墓を準備中でのいづれはそこに納骨する予定だと話していたので是非お墓参りをさせてもらいたいと話した。その後なぜか一緒に行った友達とは連絡が取れなくなり、私も忙しさに紛れてお墓参りの約束をすっかり忘れていた。それでNちゃんが会いに来てよと催促するために夢に出てきたのかな?これが夢枕に立つということかなと思った。できるだけ早くお墓参りに行こうと思った。お墓は電車で西に3駅ほど行った先にあり、よく知らない場所。ご主人にお墓の場所を確認して誰かと一緒に行こうと思った。今朝同級生のライングループに誰か一緒にお墓参りに行きませんか?とメールを入れた。早速手を挙げてくれたのは同じく幼馴染のSちゃん。今は隣の市に住んでいるけど、ぜひ行きたいと言ってくれた。わたしも懐かしい。一緒にお墓参りに行けるのはうれしい。Sちゃんとも小中学校一緒だった。高校は別だったけど偶然卒業後入社した会社も一緒で結婚式にも招待された。会社を退職後は年賀状だけの付き合いになったけどクラス会で連絡先が分かって復活した仲。早速Sちゃんからラインが来てお墓参りの日が決定した。ようやく約束を果たせる。待たせてごめんね、Nちゃん。しかし旦那さんと連絡が取れない。お寺の場所を最終確認したいのに。
2024.06.03
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先日腎移植の会のラインによる会議があった。何とかできた。実は長女に教えてもらって練習して置いた(笑)でもその時カメラがオフになっていたのか私の顔は写ってなかったらしい。それで後日教えてもらった。ちゃんtのメモにも取っていた。ところが携帯が壊れて新しいのにしたから再設定しないとだった。すでにメモは処分。"(-""-)"うろ覚えのメモを思い出してやろうとしたけどうまくできない。ちょうど友達からメールが来たのでちょっとラインのビデオ通話を今設定していたところだから試させてもらってもいいかな?と言ってやってみようとした。うまくいかない"(-""-)"一瞬自分の顔が写っただけ。相手の顔が写らないとだめなんですよね?何が間違っているのか? そんなに友達にばかり頼れないから夫の携帯で練習。夫はいつも書いている通り携帯を持ち歩かないからいつもリビングにある。そして着信が来ていても見ない。メールの仕方も忘れたから返信しない。出先から夫が家にいても携帯では連絡が取れない"(-""-)"ライン登録をしているのは私と義姉と友達が一人。友達がラインしてきても一年も放置。ラインや着信をチェックしない。毎朝チェックしているのは事件と天気だけ。夫が帰って来ても夫はラインをよく知らないから練習相手にはならない。それで夫の携帯を使ってこっそり練習(笑)多分私からの着信がたくさんあっても気が付かない"(-""-)やっぱりショップに聞きにいこうっと。それで思い出した。3年くらい前のコロナが一番ひどかったころ。ヨガを習っていたのだけど、オンラインレッスンになった。オンラインレッスンできてたということはラインビデオ通話もできていたはず。でも多分一人在宅勤務のメンバーさんがいてその人に設定してもらったんじゃないかな?対面レッスンもたまにはあったし、その時にやってもらった可能性がある。先生もその人に聞いていたくらい詳しかった。多分在宅勤務でラインで会議とかしていたのだろう。そのヨガのオンラインレッスンの時。自分の顔が写るのが嫌だったのかお面をかぶってやっている人がいて。初めて見た時びっくりした。こんなメンバーはいない。ウルトラマンか何かの孫のお面だったかな?確かに顔はいつも以上に変に映るけどそこまでする?わからないでもないけど。明日ショップに行って設定をもう一度聞いてくる。腎移植の会の役員の人に聞いてもいいけど、あまり何度も同じ人に聞くと悪いし。それと万歩計のダウンロードがうまくいかない。前の携帯で使っていた万歩計が見つからないので違うのにしたら見にくくて。結局ダウンロードしたのを削除した。それでdヘルスエアというのがあったのに気が付いた。これはたしか前の前の携帯で使っていた記憶が。歩数の記録と同時にdポイントもたまるんじゃなかったかな?これを使えるようにしようと思った。これもうまくいかない。dアカウントがわからない。前の携帯の購入時にアカウントやパスワードをメモした紙を置いているけど、それにはdアカウントを設定する欄が空白になっている。設定しなかった?それなら新しく設定したらいいんだけどできない。全く何でもアカウントとかパスワードとかでややこしい。それで携帯ショップで設定してもらってdヘルスケアを万歩計として使おうかと思っている。明日は携帯ショップへgoだな。この前行ったショップは日曜日はたぶん激込みで予約は取れないと思うので駅前にあるのをこの前聞いて来た。ウオーキングを兼ねて駅前まで行って聞いて来よう。混んでるかな?それにしても携帯を変えるといろいろ厄介だな。明日で問題すべて解決したらいいけど"(-""-)"
2024.06.01
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友達とランチ。今日は体操だけど途中で抜けてきて友達とランチ。友達と来月会って渡したいものがあった。でも来月は忙しいというので急遽今日ランチになった。彼女は仕事をしていて、そのシフトの都合や娘ちゃんの出産が近いので、今日会ったらしばらく会えないと思う。娘ちゃんが生まれた時はうちの近所に住んでいて娘ちゃんのお兄ちゃんやうちに娘たちも仲良くしていて病院に娘ちゃんを見に行った。そういう長い友達。今日のランチ。以前から行きたいと言っていたカフェレストランがあった。何度行っても定休日で無駄足だった。そして今日やっと行けた!950円のランチ、値段の割にボリュームがあってサラダは食べきれなかった。小鉢二個もついていてメインは魚のフライ。その後喫茶店でケーキセット。こりゃ私は夕飯は抜こう。食べ過ぎた"(-""-)"今日の収穫。彼女はとても携帯に詳しい。私の新しい携帯を見せるとパスワードや指紋認証をしていないの?と言われた。私の携帯を見たい人なんていないと思ってとわたし。もし落としたらどうするの?拾った人に悪用されて勝手に遠くや外国に電話されて支払いが来るという。教えてもらって指紋認証とパスワードを設定する。なるほど。一つかしこくなったかな?それと今日はラインの友達の名前で下の名前とかニックネームで登録した人がいるけど後で見たら誰だっけ?と思うことがあるので名前の変更の仕方を教えてもらった。ライン開通で知らない人、最近付き合いのない人は思い切って消した。彼女によると友達を自動追加をオンにしていたら知らない人が勝手に登録されることもあるらしい。怖いねえ。幸い私は今はそういう設定にはしていなかった。携帯教室(笑)以外にも一杯話してさっき別れてきたところ。彼女の娘さんが出産が近いからあの〇〇ちゃんがママになるから私も年取ったわけだと納得した(笑)彼女とも30年以上の付き合いになる。結婚して40年になったところだから息子ちゃんや娘ちゃんの小さいときのこともよく知っている。その時はご近所さんだったから。色んな相談や悩みも共有して知恵を出し合ってきた。頼りになる人だ。今日もペイペイを勧められたけど私は現金だけで管理したい。カードやペイペイを使うと一体何にいくら使っていたのか管理する自信がないと答えた。わたしならできると言われたけど、できる気がしない(笑)今の家計簿エクセル管理で一応黒字も出ているから私はこれで行くつもり。そのうち現金が使えない店が増えたら考えるかも。こんな私でも今日は指紋認証を教えてもらい、ラインの名前を訂正追加する方法も聞いて少しは進歩してない?進歩してる。そう思っとこ(^^♪急に何歩も前には進めない。旧式の人間だから(笑)
2024.05.31
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晩御飯にご飯が二人分には少し少な目でどうしようかなと思ったけどレタスたくさん入れてレタスチャーハンにした。レタスを4分の一玉くらい刻んで入れて後人参とシイタケと残ってたミンチを入れて。ご飯どこにあるのかあまり目立たない(笑)夫、ご飯はどこにあるの?今日はないの?いやそれがご飯(笑)初めてレタスチャーハンを食べたのは大昔。まだ独身だったころ。その頃私はお料理とお茶を習っていた。先生は同じ先生で教室は先生の持っていたマンションで教えてもらった。月に一度先生のお宅でお茶会がある。その時の料理は私たちが教えてもらいながら作ることになっていた。7月に浴衣会と言って夕方のお茶会をしたとき。作った料理は夕方食べるのでそれまでのつなぎに先生の指示でレタスチャーハンを作った。それまでレタスはサラダとか生で食べるものかと思っていてちょっとびっくりした。でもレタスがシャキシャキしておいしい。炒めすぎないほうがいいね。(^^♪この調子でどんどんレタスを使おう(^^♪
2024.05.30
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朝から携帯ショップへ。9時の予約で携帯のラインの接続をしてもらうため。何とかラインをしている人はうまくつながった。けど今までのメールが全部消えてた。え?と思ったけど仕方ない。担当は若いお兄ちゃん。さすが何を聞いてもすらすら答える。すごい知識。以前知人の息子さんが携帯ショップに就職した。ちょっとおっとりした息子さんだから仕事が合わなかったのかすぐにやめた。あの仕事は向き不向きがありそう。携帯に詳しいだけでなくて説明や応対も練習しないとね。ライン出来なくて寂しかった。改めてラインを見直したら知らない人?とか今は付き合いのない人もいたから整理が必要だね。便利だけどなくしたり故障したりすると困るもの。それが携帯。今では携帯のない生活は考えられない。無人島に何か一つ持っていけるとしたら何を持っていくという質問に携帯と答えた人がいるらしい。電気もない無人島に携帯を持って行っても使えない(笑)充電もできないのに。それほどほとんどの人は携帯に依存している。現金を持ち歩かないですべて携帯という人もいる。いつだったか携帯会社の事故?か何かでストップした時は困った人が大勢いただろう。まあ今回のことはいい勉強になったかな?そう思っとこ(^^♪
2024.05.30
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朝セットした目覚ましで起きた。昨日新しい携帯にユーチューブからのいつもやっているストレッチを探してマイページに登録したので朝のストレッチ。ふと気がつくとさっきまで会った目覚ましが行方不明。なんで?あれがないと不便。っていうかもともとあったのに消えるって?早速遠隔サポートに連絡して調べてもらう。こういう時助かる(^^♪途中携帯が切れたけど家電に電話してもらって何とか再設定完了。やっぱりこの携帯でも遠隔サポートにお世話になることが多多ありそう(^^♪よろしくお願いしますね。まだまだ初心者(笑)
2024.05.28
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朝9時の予約。夫は車で連れて行ってやると言っていたのに8時になっても起きる気配なし。期待はしていなかったけど、タクシーを呼んでいこうと思ったら。携帯が使えない!携帯にタクシーの電話番号も載せているけど番号わからない!仕方ないのでバス停へ。この時間は割合バスが多い。タクシーを呼んで待っているうちにバスが来るパターン。わたしは市からタクシー券をいただいているので使わせてもらおう。駅に着いたら駅前からタクシーに乗る。バスなら携帯ショップもバス停前だけど路線が違うので乗り換えて、そちらは本数が1時間に二本しかない路線。バス&タクシーが正解かな?10分ほど前に着いて店の前で待つ。結局2時間近くかかって新しい携帯をゲット。と言っても今までと同じ簡単スマホ。使い慣れない別の機種にする気にはなれない。店員さんといろいろ説明を受けて相談しながら、進めていく。中古のスマホと交換もありだけど、すぐにダメになってもと思って結局新しくする。ところで携帯が進歩してきたのはもちろんだけど、私も進歩してきた(笑)新しく知り合った人を登録したりするのも最初はできなくて娘とかに頼っていた。今では普通にできる。Wi-Fiも最初はよくわからなかったから友達に聞いてずいぶん迷惑をかけた。前回の時は自分で設定しようとしてうまく行かなくてらくらくホンセンターのお世話になる。うまく行かなかった原因は、ルーターの暗号化キーの入力で0と入力するところをアルファベットのOと入力したから何度もエラー。困ってしまってらくらくホンセンターに聞いてみた。ゼロとアルファベットのOを間違えていませんかと教えられて何とか完了した。今回は一人で終了。今回の課題はDアカウント、グーグルアカウントとパスワードを覚えていなかったこと。前回メモに書いていたけど持ってきていなかった。ネットワーク暗証番号は覚えていたんだけどね。(笑)ということでラインの登録は後日。木曜日に再度予約して教えてもらうことになった。ミクシーはどうやるんだっけ?これも次回聞いて来よう。帰って来てグーグルのアカウント&パスワードはメモを見ながら自分で。木曜日にお姉さんに聞いてくるまではラインもミクシーもお預けだな。次回は完璧に用意して行って一回で済ませよう。ちなみに前回の時は通帳を忘れてショップに2回行ったな。。今は引き落としの通帳は持って行かなくていいのかな?おねえさん何も言わなかったけど、すでに登録済みなのかな?一応持っていこう。わたし、だんだん賢くなってる?(笑)それくらい誰でもできるんだろうね。私的には進歩だけど。(笑)それにしてもなんにでもパスワード。アカウント。忘れると何もできない。ちゃんとメモしておかないと困る。覚えられない."(-""-)"メモ紛失に備えてパソコンにも入れておこう。プリントしたのも作っておこう。これで完璧かな?疲れた。脳みそフル回転した気分(笑)いい脳活?たまにはいい刺激?(笑)
2024.05.27
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携帯が起動しなくなった。どうする?バッテリーがダメになった?とりあえず携帯ショップに電話して予約を入れた。今日は予約が一杯だからと明日の朝一にようやく予約を入れた。とりあえずミクシーはパソコンでもできる。ラインは?誰にも連絡できない。起動しないということは明日ショップに行ってもデータはとりだせないということ?ラインの電話番号やアドレスなどの情報は取り出せないかも。どうやってラインの連絡先を復元する?思いついてパソコンの年賀状の住所録をプリントする。携帯番号や自宅番号の載っている人もいれば住所だけの人もいる。パソコン同好会と体操の連絡網からこの二つのグループのメンバーの連絡先はわかる。腎移植の会のライン。使えない"(-""-)"同級生のライン。使えない。誰かメンバーの一人に連絡を取ってラインに招待してもらう?いつだったか前の携帯が壊れた時も困った。どうしても載せておきたい人は年賀状の住所ではがきを出して、新しい携帯は同じ番号だから連絡くださいと言って電話してもらった。それを再登録した。今は年賀状用の住所録もパソコンの中。年賀状を出すくらい親しい人は何とか連絡がつく。年賀状交換しない、ラインだけしかわからない人はどうしようもない。盲点は娘たち。いつもラインでやり取りしているから携帯番号がわからない"(-""-)"彼女たちは家電もない。連絡方法がない。まだ次女は近くに住んでいるから日曜日とかのいそうなときに行って次女一家の携帯番号を聞いてライン登録できる。日曜日なら次女か孫ちゃんがいるだろう。長女は市外在住。わざわざ聞きに行くわけにもいかない"(-""-)"ライン連絡先を復元するのは結構大変そうだ。わたしパニック。バッテリー交換してうまくデータ移行できるか?明日行かないとわからない。最近調子が悪かったから早めに行けばよかった。
2024.05.26
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テレビで見たある女性の話。確か40代だったと思う。看護師としてバリバリ働いていた数年前に病気で失明,白杖を持たないと歩けない状態になってしまった。その後は家に引きこもる毎日だったけど、ブラインドメイクというのを教わった。目の見えない人は化粧を自分でなかなかうまくできない。そういう人が自分で鏡を見ないでできる化粧法だという。パレットに時計のようにいろんな色が並んでいて時計回りに自分の指で塗っていくと化粧が完成する。それで自信をつけた彼女は表に出るようになる。週に何度か居酒屋で仕事をするようになる。最初は皿洗いから始まって今では接客もこなす。お客さんと話もする。通勤も白杖をついて電車で通う。まだ40代外出が怖いと言っていては一生家に居ることになるから。目が見えない人が一歩を踏み出すのは相当大変だし勇気がいると思う。勇気を出して街に出てみる。それだけでも彼女の勇気に拍手したくなる。かつての看護師の同僚から仕事の話が持ち込まれた。かつて総合病院で働いていた彼女に眼科の看護師さんに目の見えない患者さんの気持ちに寄り添うためにどうしたらいいのか講義してほしいというもの。気持ちに寄り添い、どう手助けをするのがいいのか、どう声がけするのがいいのか。そういうことは実際に目の見えない人でないとわからないことも多い。より良い看護を目指して協力してほしいと頼まれて、彼女は自分にもできること、自分にしかできないことがあると前向きに考えている。病気をして引きこもり状態になってしまった人はきっと大勢いると思う。何かきっかけがあれば何かを始められる。自信を取り戻すことができれば外の世界に踏み出せる。私もかつてはそういう状態を経験したから、彼女の気持ちも理解できる。彼女は今看護師をしていたとき以上に毎日が充実して楽しいという。障害に負けないで立ち向かっていく、彼女のこんな生き方が素敵だ。
2024.05.25
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7年前に腎臓移植をした私。それまでは週3回の透析に縛られてあんまりやりたいことができなかった。移植後は通院日以外は予定がない。最初はウオーキングをしたり友達とランチしたりしていた。やがてコロナが蔓延しだして外出もなかなかできなくなった。当時は今と別の体操に通っていたけどそれもコロナでお休みになり。友達ともなかなか会えなくなる。毎日がつまらなくなってくる。そんなある日市民だよりだったかな?ヨガの3回講座(無料)の案内を見つけた。場所は家の近くのコミュニテイセンター。申し込んで行ってみた。隣でヨガマットを広げていたTさん、初対面、いきなりぐいぐい来た(笑)私が代表をしている体操に来てみない?ちょっと戸惑ったけど行ってみた。それまでの私は地域に友達っていうか子育て中に知り合ったママ友が数人いただけ。体操メンバーは30人近くいて一気に知り合いが増える。メンバーの一人に誘われて給食イベント(毎月中学と同じメニューの給食を食べる)に誘われていく。今や毎月通う常連(笑)もともとは市のおひとり様対象のイベントだけど、ボランテイアの方々が配膳をしていて毎月参加者が少ないと嘆いておられた。そのボランテイアさんに声を掛けられて音楽を楽しむイベントとかに参加するようになる。コミュニテイセンターに出入りするようになると高齢者大学や市民講座などいろんなイベントがあることに気がつく。高齢者大学に入学。挨拶をして自己紹介をしてどんどん知り合いが増える。出て行くのが楽しくなる。高齢者はきょうようときょういくが大事と言われる。きょうようは教養出なく今日行く用事。きょういくは教育でなく今日いくところ。予定がなければ作ればいい!私はどんどん積極的にいろんなことに参加するようになる。定期的なのは火曜日のパソコン、金曜日の体操。その他の日には月に二回の無料ヨガ。(これは別の場所だけど)高齢者講座の講座受講。市民講座など見つけては参加する。時には隣町のイベントに遠征。これも初めての場所に一人で出かけた。以前の私なら方向音痴もあって消極的だった。誰かに誘われるとかこちらから誘って一緒に行きましょうとなったら参加していたけど、最近は一人でも参加する。コロナが収まって来て旅行に行きたいなと思った。今までならだれかに誘われて一緒に行かないと不安だった。でもだんだん自信がついて来た私。先月は一人で日帰りで三宮へ異人館巡りに出掛けた。インターネットで下調べをして行った。来月は有馬温泉に初めて一人でお泊りの予定。友達と行ったことはあるけど一人では初めて。行き方はわかっているし、これもインターネットで一人旅を良くしている女性のホームページを下調べしている。何とかなるだろうと思う。不安より楽しみの方が多い。もし道に迷うことがあっても誰かに聞けばいい。日本語が通じる日本国内だからなんとかなる。思い返せばここ数年で私も随分変わってきたなと思う。だんだん年を取って来て自由に自分の足で行きたいところに行けるのはあとどれくらいの年月だろうと思う。自分で動ける間に行きたいところへ行きまくって後悔のないようにしたい。一人旅なんてとしり込みしていた私が、初めての有馬一人旅をするようになるなんて。以前なら考えられない。有馬に行ったら次は県外で二泊くらいの旅行をしたいなと思う。本当は北海道に1週間くらい行きたい。九州にも行きたいところがたくさんある。でもいきなり数日の旅行はハードルが高いのでまずは一泊から慣らし運転と考えている。徐々に行動範囲を広げていこう。日本中まだまだ行ってみたいところはたくさんある。亡くなった父と今ホームにいる母は父の晩年たくさん旅行に出かけた。たくさん写真が残っている。両親のように夫婦で行くのもいいかもだけどうちの夫、旅行には全く興味がない。以前子供たちが小さかったころには行ったことがあるけど最近は全く出不精。友達と行ってこいという。それなら留守番ばかりだと文句を言わないでね(笑)自分から留守番宣言したんだから。夫と行かないほうが楽しいかもしれない(笑)とりあえず来月の有馬。楽しみです(^^♪
2024.05.25
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わが家には長い間エアコンがなかった。夫がエアコンなんていらないというからなかなか買えなかった。私が透析をするようになった時。病院で透析をするときにエアコンが効いているから寝て夜は暑くて扇風機の熱風ではねられない。でも透析中に寝てしまったら血圧が下がるから起こされる。寝てはだめって。透析の時間に多少寝ても寝たりない。これでは体調を崩すからと夫を説得してまず一台目を購入。私の部屋につけた。夫、自分の部屋にはないから枕を持ってきて私のベッドの横でエアコンの風に当たろうとする。しばらく涼んだら帰る。その時うるさくて、電気を消せ、テレビもパソコンも消せ。夫が来るとストレスがたまる。時には当時まだ長女も家に居たけど長女が枕をもって来たり。長女は働きだして自分の給料で部屋にエアコンをつけた。そしてエアコンの快適さに目覚めて(笑)リビングにも設置した。私は夫が涼みに来るのがストレスだったので夫の寝ていた部屋にもつけた。夫、快適だと言いながら電気代が気になる。なんとタイマーを使わないで5分か10分エアコンを使ったら切って扇風機に変える。そして暑くて寝られないと文句を言う。いくら言ってもタイマーを使わない。毎年同じことを言っている。10分とかで部屋が冷えるわけがない。私は2,3時間タイマーを掛ける。熱中症になるよ。高齢者が毎年亡くなっているやろ?と今朝も話したところ。夫は子供時代にエアコン何てなかった年代だったから昔の感覚なのかもしれない。私は実家の父が冷暖房設備の会社で働いていたからはやくから実家にはエアコンがあった。っていうか仕事先で新しいのを買ったから処分してと言われたエアコンを修理してうちにつけていた。私は多少電気代が上がってもエアコンは必需品と思っている。義実家でもエアコンはあるけどほとんどつけているのを見たことがない。義父母が健在だったころ夫が義実家に行くと「エアコンをつけてないのか?死んでしまうぞ」と言いながらつけていた。だけどわが家では電気代が気になる(笑)今リビングと長女が使っていた和室。私の寝室、夫の寝室の4台あるけど4台が常に稼働しているわけではない。長女は家を出てマンションに住んでいるから和室のエアコンはほぼ使わない。リビングも食事時だけで夫は私がいないと消してしまうからそんなに使ってない。夫もほぼ使わないからフル稼働しているのは私の部屋のエアコンだけ。だから真夏も1万円を少し出るくらいの電気代で収まっている。夫にはタイマーの使い方を再度教えたいと思う。エアコンがあるのに熱中症で入院になっても困るしね。
2024.05.23
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今日は高齢者大学の日。出会いふれあい語り合いという講座で去年も同じ講師の方であった。私は二回目の参加。前回の時40年ぶりに元いた会社の方にばったり会ったことを思い出した。人と人とのご縁は奇跡だと思う。講師の先生もそういわれた。この講座面白そうだから行ってみようと腰を上げたからここで出会えたわけで。先生の絶妙なおしゃべりと楽しいゲームで時間があっという間に過ぎた。今日知り合った方の名前3人は覚えて帰ってと言われました。こうやってだんだん名前の分かる人が増えてくる。顔見知りが増えてくる。家に引きこもって新しい知り合いがいない、毎日家族としか話さない毎日は認知症一直線。だから出かけようとする。知り合いができたらあの人が行くと言っていたから行こうという風に変わってくる。ところでここで度々会ったことのあるNさんという女性の方。帰りがけにいきなり一人暮らしで寂しいから家に遊びに来てと誘われた。正直びっくりした。私は長い付き合いの友達とも家を行き来したりしないで外でランチをしたりメールなどで連絡を取る。家に行ったり来たりするようなおつきあいはしていない。それがいきなり家に来てといわれたので面食らった。無防備な人だなと思った。もしも私が悪い人間だったらどうするんだろう?詐欺師だったり、宗教のお誘いだったり、何か厄介なことになるとは思わないのだろうか?また逆に私もその人のことを良く知らないから家に行くのはちょっと怖いという気持ちもある。この間の健康講座に行ったときに知り合った人もいきなり距離を縮めてくるからびっくりしたけど、今回もびっくりした。おひとり様で寂しいなら出て行く機会を多く作ればいい。とりあえず明日の給食を食べるイベントにお誘いした。残念ながら明日は予定があるということだけど、毎月これを楽しみにしているおひとり様を何人も知っている。一人暮らしで一人でご飯を食べるのは味気ないから一緒に食べられる機会を楽しみにしておられる。でもお互い自分の生活のペースとかあるから私はあんまり自分の家に人を呼びたくない。掃除とかしないとだし。以前知り合いに家を見たいと呼んでもいないのに押しかけられたことがあった。突然来た挙句家の間取りを見たいと二階まで見られた。私が気が弱かったから断れなかったのも悪かったけど。大体呼ばれてもいないのに友達まで連れて押しかけてくる神経を疑った。でも今は多少強くはなったから、いきなり押しかけられても断ることはできると思う。フレンドリー?いや同じ考えを持っている同士ならいいけど、私はそういうのは嫌だ。人との付き合い方や距離感はみんな違うんだなと今日もしみじみ思った。講座で仲良くなったとしてもその場のこと、家に呼んだり呼ばれたりは勘弁。親しくなってもせいぜい外で会ってランチやお茶をする程度でお願いしたい。
2024.05.22
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昨日いつも本を借りに行く某スーパーの図書室にて。いつも貸し出し事務をしてくれているのは地元のボランテイアの人たち。いないときは事務室の人に行ってやってもらう。昨日はどういうわけかボランテイアの方が3人もいらしていた。私はあんまりいない珍しい名字。どこでも自己紹介をしたら初めて聞く名字だといわれる。昨日はその3人のボランテイアさんたちに囲まれて質問攻め。「ご主人はどこのご出身?」「主人は地元の市で生まれたけど舅さんは少し西の〇〇の出身です」と話した。珍しい名字でまるで珍獣扱い(笑)しかも昨日借りた本の中の一冊は「夫の骨」というショッキングなタイトル。以前には「殺した夫が帰ってきた」という物騒なタイトルの本も借りたことがある。まあタイトルはショッキングだけど推理小説とか謎ときみたいな内容なんだけど。短時間で借りる本を決めるにはタイトルと前に読んだ著者とかをさっと見て決める。表紙の後ろのあらすじを読んで決めることもある。そしてあんまり長編は持ち帰るのに重いし、老眼で見るのが大変だから厚さはそこそこのを選ぶ。最近は歴史ものが結構多い。今まで貸し借りの時のボランテイアさんは淡々と仕事をされて名字のことを言われたこともないし、借りた本のことをあれこれ言われたこともない。いやな気持になったというほどのことはないけど、ちょっと引いた。皆さん色々興味津々で。そういえば昔某新聞の投書欄に投稿したところ、義姉に周りにあれは親せき?とか聞かれて恥ずかしかったから今後は投稿するなら、仮名でするようにと言われた。何か私が悪いことをして新聞に載ったわけでもないのにそんなことを言われたのは心外だった。そして新聞は義実家が取っているのとは違う新聞。誰かが余計なことを義姉の耳に入れたのか?珍しい名字ですんなり読んでもらえないし、娘たちも学校や職場で苦労したらしい。この名字でいろいろあったな。すでに旧姓を名乗っていた期間より今の名字を名乗ってきた年月の方がはるかに長くなった。これからもこの珍名と付き合っていくしかないな。
2024.05.21
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今朝のウオーキング。今日の予定は歯科の定期健診。その前に歯科の手前にある郵便局に用事があるので予約時間より早めに家を出た。郵便局→歯科→スーパー(いつも本を借りている店。借りた本を返して入れ替える)の予定だった。郵便局にまず行って用を済ませる。そして歯科へ行くには北の方に行かなくてはいけない。それなのにふと気がつくと東向きの横断歩道に立っていた。え?次スーパーだったっけ?何か忘れているような。。。。あ、歯科。かろうじて歯科へ行くのを思い出す。北向きの横断歩道を渡って歯科へ進む。何やっているんだワタシ。そのうち行くところが何か所か合ったら忘れて行かなかったり、かえりみちがわからなくなったりするのかな?ブルブル。どこへ行くのか?どこへ帰るのか?わからなくなったら大変だ。ウオーキングか徘徊かわからなくなる。そんな危ないお年頃。もっと脳を鍛えないと。ってどうやって?それが問題。
2024.05.20
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亡くなった父はお酒はほとんど飲まず、甘いものが大好きだった。その父が亡くなる直前食べたがった物は意外にもオレンジだった。肺がんが進行して食べ物を受け付けなくなり、最後は家でということで家に帰ってきた。父は亡くなる数日前に母にオレンジを食べたいと言った。母はオレンジを買いに行ったけどお店ではオレンジは袋詰めされて結構重かったので母は歩いて買って帰れないと手ぶらで帰ってきた。私は母にお店の人に病床にある父が最後に食べたいと言っているから一個か二個分けてくださいとお願いしたらよかったのにと言った。そしてオレンジが食べられないまま父は病院に戻って亡くなった。私は父の告別式で最後に食べたかったオレンジを棺の中に入れた。花やオレンジに囲まれて父は焼かれた。父の遺体が骨になって出てきたときほのかにオレンジの香りがした。父はオレンジの香りに包まれて旅立った。オレンジを見たら私は今でも父を思い出す。オレンジの香りは父の思い出になった。
2024.05.20
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腸活のお話を聞きに行ってきました。近くの総合病院の栄養士さんと理学療法士さんのお話、栄養面と体力づくりの面からのお話をいろいろ聞けました。栄養士さんと話していると別の方に声を掛けられて少し話しました。その方は最初私が行くとき家の前でちらっとお見掛けした方。私は近道を通って行ってその方は近道をご存じないらしくて遠回りしていらっしゃいました。帰りに一緒になって近道教えましょうか?と教えて一緒に帰りました。その時もしお時間があればお茶でもと言われてお茶をしました。80代くらいのとても上品な方でしたが、女性とはいえ初対面の方とお茶するなんてちょっと当惑。まあいいかと思って行きました。一時間くらいお話しをして帰りがけにお茶をごちそうになりおまけにご主人にお土産とサンドイッチをいただきました。もちろん何度もお断りしたんですが、これは私がいつもお顔つなぎにやっていることと言って聞いてもらえず、仕方なくお礼を言っていただいてきました。足も悪くて杖をついておられてあまり外出もされないらしく、楽しかった、私に元気をもらえたと喜んでくださいました。電話番号を聞かれて番号交換したもののまだちょっと当惑。次回会ったら宗教の話とか何か売りつけられるとかはないかとちょっと警戒する気持ちもあります。携帯番号と住所教えないほうがよかったのかも。ちょっと後悔。警戒しすぎ?でも今どきは警戒したほうがいいかもね。
2024.05.18
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NHKの朝ドラ虎に翼を毎朝見ている。戦前のころ、女性は結婚するのが一番の幸せと教え込まれてほとんどの人が18歳とか遅くとも20歳くらいまでに嫁ぐのが普通の感覚だったようだ。主人公もお見合いをするけどどうしても結婚だけが女の幸せとは思えない。それから時代が過ぎて私の20代のころ。当時は24歳を過ぎたら売れ残りのクリスマスケーキなどと言われ、結婚適齢期は24歳という風潮。私は高校卒業後就職したけど大体同期入社の女性は数年で退職していた。結婚してしばらく働いている人もいたけど産休は会っても育休はなくて産休中は私の会社では無給。お給料の何割かは後でもらえるけど実際に産休が開けてしばらくは出社しないともらえなかったと思う。当時はゼロ歳で保育園でも見てもらえなかったから、赤ちゃんを産んでも見てもらえる人がいないと働き続けられなかった。一部に定年まで働く女性もいたけどほぼ独身者だった。大部分の女子社員は結婚までの腰掛と言われていて長い間働く人は少なかった。だから当時は私も同期入社の女子社員の最後に残りたくなくてせっせとお見合いをしていた。ドラマの中で主人公が友人から結婚に逃げたなどと言われていたけど私もそうだったかも。一応男女雇用機会均等法ができて入社10年目に昇格試験は男性と同じように受験はできる。一応男女一緒の受験対策の研修も受けられた。でも形だけの男女平等。女子はすぐに結婚してやめると思われていてなかなか合格はしなかった。そして受験日前日には上司は男性の受験生だけを集めて受験対策で勉強をさせた。女性は平常通りに仕事。これでは受かるはずがない。こうしてみてみたら虎に翼の時代から女性をめぐる環境は変わっていないように思う。今は育休を就業規則に入れている会社も増えて、男性が取れる会社もあるようだ。男性が育休を取れる会社はまだまだ少ない。日本の女性の就業形態はM字型と言われている。結婚、妊娠、出産で仕事をやめてブランクののちある程度子供がおおきくなったら、パートとかで仕事を始める。ずっと仕事を続けるのは難しいのは今も同じ。朝ドラの主人公も結婚していないことで社会的に信用がなくせっかく弁護士資格を取っても仕事の依頼が来ないから法廷に立てない。社会的な信用を上げるために結婚しようと考える。これから産休も育休もなかった時代、主人公がどう奮闘して道を切り開いていくのか今後の展開が楽しみだ。
2024.05.18
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午前中マウスを見るために電気店に行ったときのこと。平日なのに駐車場は満車。空いていたのは障碍者駐車場の二台分のスペースのうちの一台分だけ。夫があそこに入れようというので入れた。私は一応障碍者手帳を持っているから入れてもいいと思っている。ところが「そこに入れたいんですけど」と後ろの車の運転席から男性が顔を出して言う。私は車から降りていたけど、夫は聞こえてなかったみたいなので「ここに入れたいという人がいてはるよ」と声をかけた。私は何か納得できなくてその人に「私も一応障害手帳もってるんですけどね」と思わず言った。すると男性は「すみません、知らなかったもので。他を探しますからもういいです。」と謝られてよそを探し出した。夫は車を出しかけていたけど、私はもういいんだってと声をかけて駐車した。男性の横に女性が乗っていてぱっと見る限りではどこに障害がある方なのかはわからない。障碍者も車いすに乗っているとかはっきり目で見てわかる方ばかりではない。わたしのように透析をしているとかペースメーカーをつけているとか外から見てわからない人たちのことを内部障碍者という。だから障碍者の駐車場に駐車しようとするとジロりとみられることもある。健常者なのに止めていると誤解されることもある。以前止めた時は拡声器からここは障碍者用のスペースだから健常者の方は使用しないでくださいとアナウンスされた。どこで見ているのか、もしくはただのテープなのかわからないけど健常者が使っていると決めつけるような言い方にもやもやした。もしかしたらさっきの方も後部座席に車いすを載せていて障碍者用の駐車場の止めたかったのかもしれない。快く譲ってあげたほうがよかったのかなと後で思った。どこでも障碍者用のスペースは広くないから、譲り合って気持ちよく使う方がよかったのかな?
2024.05.15
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私は5月に結婚したので扇風機は嫁入り道具に入れなかった。冷蔵庫や洗濯機など主な家電は持って行ったけど、扇風機は必要になればまた買えばいいかと思って。そろそろ扇風機がいるねと夫に言ったら、夫は義実家に行って扇風機をもらってきた"(-""-)"自分の給料で買ったから僕のやといって。でも古い型の古い扇風機にがっかりした。結婚したばかりなのに古い扇風機。当時でも珍しい風量調節のボタンがピアノの鍵盤みたいに盛り上がっている。そして寒くなると毛布を買わないとというと夫はまた義実家で毛布をもらってきた。わたしは?買うのかと思ったら、お前も実家でもらってこい。ケチだ"(-""-)"毛布くらい言ったらくれるだろうけどなんでそこまで節約するんだ。しかも結婚祝いにペアの二枚セットをいただいたのがある。あれを使おうと言ったらもったいないから置いておくという。ちなみにずっと使わずに置いて置いたら高級な毛100%だったらしく穴だらけになって使えなくなった(笑)後生大事に取っておいて結局虫さんにプレゼントしたのか?送り主の気持ちが無駄になった。私はもらったものや買ったものはすぐに使う。あんまり置いておくことはしない。夫は結婚40年たった今も義実家からもらってきた毛布を愛用している。あちこち擦り切れているけど穴はまだ開いていない。扇風機はとうとう壊れて動かなくなったので処分した。多分捨てない、もったいない精神が義実家の家風だろう。だから子供が生まれた時もどっさりお下がりをもらった。でも何人も着まくって、デザインも古くて、正直これを着せるのはかわいそうと思うくらい。保育園で使っていたのか裏側に名前が書いているけどこれは誰?という知らない名前。親せきの知っているこの名前じゃない。一体どこから来たのやら。"(-""-)"赤ちゃん用の布団もお下がりで使っていた姪たちのおねしょの沁みだらけ。いくら赤ちゃんでわからないと言ってもかわいそうだと思った。姑は実家の母が新しい布団を買うと言ったのをうちにあるからいいと言って断ってまでこれを持ってきた。わたしも母に新しいのを買ってもらいたかったけど姑にそこまで言えなかった。物のない時代を過ごしてきた人だからもったいない精神が人一倍あるのだろうと思うけど。その姑に育てられた夫だから扇風機も毛布も義実家からもらってきたのだろう。扇風機を出すシーズンになるとこの話を思い出す。何でも新しいのを欲しがって家に扇風機があるのに売り場で新しいのを見たらどんどん買ってくる旦那さんの話も聞いたことがあるけど、それも困るね。
2024.05.12
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20年前私は楽天でホームページを始めた。その頃の日記を見てみた。意外に楽しそうな毎日。まだ娘たちも高校生と大学生。家のローンも娘たちはふたりとも私立で学費とかあって私は透析をしていて働けない。お金はないはずなのに毎日が楽しそうだった。やりくりは大変だったけど笑いに替えて日々を乗り切っていたのだろうか?あの頃が懐かしい。今は娘たちも家を出てそれぞれ別の生活。今は娘たちと夫の仲はあんまりよくないけど当時は結構冗談を言い合って長女はお小遣い稼ぎに夫の肩をもんだりして。どんなに懐かしく思ってももう過去は過去、戻ることはできない。今は夫と二人暮らしだから、それなりに楽しくやっていくしかない。あまり楽しくないこともあるけど(笑)楽しいことを自分で探して、計画して、自分で毎日を楽しくしていこう。楽しい毎日を自分で作っていこう。友達が言っていた、100まで生きてもう思い残すことがないくらい楽しいことがいっぱいあったね。と言って死んでいきたいと。わたしもそれをめざしたいな。(^^♪
2024.05.09
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私は洋裁が得意だった母に似ず不器用。家庭科の宿題とか母によく手伝ってもらって、いやてつだってもらうというより、ほとんど代わりにやってもらっていた。ところが今は立場が逆転。母は3年前からホームにいるけど、母の衣類の繕い物やパジャマのゴムの入れ替え、ズボンの丈直しなどがホームに行くと私にスタッフから手渡されるようになった。私は洋裁とかは苦手なのでミシンも持っていない。娘たちが幼稚園とかのころは手提げ袋や上履き入れもすべて母につくってもらっていた。夫のズボンの丈直しとかまで。その私が今は母のために針を持つ。ミシンがないからすべて手縫い。私の不器用は相変わらずで時には針で指をついたりする。苦手な針仕事をやりながら、まるで昔と逆だな。母に大きな借りを作っているのを今私が返しているような、まるで母から出された宿題をやっているような(^^♪そんな気分になる。今日も日曜日の母の日のカーネーションの鉢植えと一緒に繕ったズボンを持って行ってきた。母は先月誕生日で91歳になった。いつまでもこんな穏やかな日が続いてほしい。一日でも長く。(^^♪
2024.05.08
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明日から次女が仕事復帰、孫ちゃんも保育園に復帰することになりました。4月から慣らし保育をして仕事復帰に備えていたら、孫ちゃんの体調不良で伸びてしまった。ようやく仕事復帰、保育園復帰にこぎつけたけど、でも問題山積。職場復帰の日が遅れたために、上司にいろいろ言われたり。あまりのいい方に思わず退職も頭をかすめたらしい。保育園をいつまで休むか、わからなかったので保育園や、市役所に問い合わせたり。そしてもし仕事復帰辞めて退職した場合どうなるのか?とか仕事復帰してもせめて最低半年は働いてもらわないとと市役所も人は言う。復帰後は月140時間?働かないと保育園にはいられないとか言われたらしい。予定では仕事復帰後は時短勤務の予定なのでフルタイムで働けない。頑張っても月100時間がいいところ。保育園で風邪でももらってくれば急に休むこともありうる。市役所の人の言う決まりは現実に即していない。もっと柔軟にルールを適用しないとますます少子化が進むばかり。岸田さんはそんな現実を知っているのだろうか?知らないだろうな。時短勤務のうちは保育園の迎えには十分に間に合うけどこれも3歳までと職場で言われているらしい。3歳以降はどうするんだ?フルタイムで勤務するなら延長保育?働くママの職場復帰は問題山積、いばらの道ですね。これはうちの市、次女の職場の場合なのでまたよその市とか違う職場だと違うかもしれない。共働き前提の子育ては市役所側、保育園側にもまだまだ改善の余地がありそうです。っていくら私がここで吠えても現実は何も変わらないんですけど。
2024.05.06
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先日もらった図書カードで7か月の孫ちゃんに絵本を買いました。それを今日持っていったら大泣きされました。見たことない顔だから?マスクだから?会ったのは2,3回くらいだから無理のないかな。帰るまでずっと泣かれてました."(-""-)"まあ、そのうち慣れるかな?持っていった本。パパの方のおじいちゃんが持ってきてくれた本とおんなじだった。しかも向こうは同じ著者の本をセットで。負けたな(笑)明日交換してくれるか聞きに行ってきます。買ったのは二日でレシートもあるけど、交換してくれるかな?もしかしたら明日は日曜だから定休日で6日になるかも。とりあえず明日の朝電話してみます。取り換えられたら持っていきます。明日は泣かれないかな?そろそろ人見知りが始まるころ。パパのおじいちゃんには泣かなかったって。どうして?次女が言うには私の声が大きいからびっくりしたんじゃないかという。明日は小声で行ってみよう(笑)
2024.05.04
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グループホームにいる母に面会に行ってきました。グループホームではひと家族あたり月一回の面会制限があり、先月は弟が面会したので今月は私の番。母は相変わらずですが、今日は少し調子がいいようで部屋で車いすに乗っていました。調子の悪い日は寝ていることも多い。先月弟が言ったときはほぼ何もしゃべらずありがとうだけしか言わなかった。最近母は言葉数が少ない.私にもみんな元気か?歩いて来たのか?とかくらいしか言わない。でも母に会うとほっとする。母にひ孫の写真を見せたらかわいいという。10分ほどいて帰ってきた。母の部屋に紫の名前の分からない花の小鉢があったので聞いてみたら弟が持ってきたらしい。母にはもう兄弟もなく会いに来るのは私と弟だけ。ホームの生活も3年を過ぎてだいぶ慣れたけど、寂しいと思っているかもしれない。ホームに入居当時はまだ元気があって手押し車を押してホーム内を何度も行き来していた。だんだん弱って来て今は車いす。面会制限で頻繁には会えない。今月はもう会えないけど今度は母の日に花を持ってこようと思う。先月母は91歳になった。91歳になった母の心境は正直分からないけど穏やかで気持ちよく毎日を過ごしてくれていたらいいなと思う。
2024.05.01
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まだ子供たちが幼稚園や小学生だったころのこと。週末夫の車で買い物に行くのに夫が私の実家に子供たちを預けて二人で行ってこようという。子供たちはちょろちょろして迷子になったり、あれ買ってこれ買ってとか言うのが夫は煩わしかったようだ。ほぼ毎週末実家に預けて買い物をしていた。当時はまだ母は平日はフルタイムで働いていてやっと週末になったら子守では悪いなと私は思った。夫に子供たちは預けないでたまには買い物に連れて行こうよと言ったら夫は、私の母が孫を見られて喜んでいるから任せたらいいんやという。私が預けに行ったら母は機嫌が悪い。また来たのか?と露骨に嫌な顔をする。そりゃいやだろう。預かるのは責任がある。休みだからと言ってのんびりできない。私は夫がこういっている。ごめんね。また預けに来てと謝る。すると母は「孫を見られて喜んでいると思うなら、たまには夫の方の実家に預けたらええのに」私はそれを夫に伝えた。夫無言。夫は姑に何かを頼むのをすごく遠慮する。忙しいし高齢だから悪いという。姑に子供たちを預けるのは悪いと思うのに、平日仕事で疲れている母に頼むのは悪いとは思わなかったらしい。お盆や正月に実家に行ってもお客様みたいに座っていて、私は昼寝をしたりほとんど手伝いもしなかった。途中から母もさすがに疲れてきたのか、食事は外食になったり、買ってきたものだったりするようになった。それでも若かった私は気がつかず(笑)どっぷり実家で甘えていた。今になって思う。母に甘えて頼り過ぎたなあと。帰れる実家がある幸せ。近くだからちょくちょく行ける幸せ。過ぎてみて初めてわかる。恵まれていたなあって。自分に孫ができて孫の世話するときが来たら初めてわかる。母に負担を掛け過ぎていたなあと。子育て時代を過ぎてみないとわからないのかもしれない。娘さん夫婦や孫ちゃんが来て大変という人の日記を読んで過去のことを思い出したので書いてみました。
2024.04.28
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阪神大震災で自宅が全壊した知人がこの歌が好きでよく口づさんでいる。自分たちの歌だと言って。こういう歌詞が心に沁みるお年頃に私もなってきました。ここ数日詳しくはかけませんがいろいろありまして。生きていくということはまさに楽しいことばかりでなくしんどいこと苦しいこともやってくる。それでも生きて行かないといけない。なんちゃって。まだまだ私は苦労の足りないひよっこです(^^♪
2024.04.27
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夫と車で買い物に出かけて三つ子ちゃんに遭遇した。いつも本を借りに行くスーパーの地下駐車場。夫に待っててもらってエレベーターで2階に行く。ちょうど同じころ駐車場に着いたバン?ちょっと大きめの車から旦那さんが大きいベビーカーをおろしていた。保育園にあるような大きなベビーカー。そして車から次々に赤ちゃんをおろす。3人いる!エレベーターに行くと遅れて3つごちゃんのパパママがベビーカーを押してきた。先にエレベーターに乗って開けるを押して上げながら何階ですか?と聞いたら二階お願いしますとパパが答えた。三つ子ちゃんを見たのは初めて。女の子二人と男の一人の三つ子ちゃん。思わず「三つ子ちゃんですか?」「何か月ですか?」と聞いたら「1歳8か月です」意外に小さい。うちの孫ちゃんなんて7か月で10キロもあるけど三つ子ちゃんたちはスリム。小さめに生まれたのかもしれない。大変ですねと言ったら苦笑いしていた。でも見ている方は見ているだけでとても幸せな気分。降りるときも開ボタンを押しててあげた。またパパがお礼を言って下りて行った。いえいえ幸せのお裾分けをもらった気分。こちらこそありがとう。みじかい時間だったけどとてもほっこりした。最近は買い物に行くと赤ちゃんを抱っこしたパパさんをよく見かける。それだけイクメンが増えたということだね。昔こんなイクメンがいて夫につめの垢をもらっていたら(笑)うちの夫はほとんど抱っこもしなかった。写真を撮るときだけ一瞬抱っこしてすぐに渡してくる。おしっこが手に着いたら困るからだそうだ。(笑)漏れることもあるけど手を洗えばいいだけ。夫はアルバムの中でだけイクメンふうに子供を抱っこした写真があるだけの偽イクメン。こんな風に子育てで大変なときは買い物とかは当然パパも子育て要員。パパが仕事でいない日はママが一人でどうやっているのかと思う。普段助っ人に来る人はいるのだろうか?子育ては協力してくれる人が絶対に必要。最近の若いパパは普通に子育てしている。今の若い夫婦を見ていたらうらやましくなる。3つごちゃんのパパママは当分大変だと思うけど、幸せも3人分と思って頑張ってほしい。
2024.04.24
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新聞に東北大震災に会った家族の13年の記事と写真があった。当時幼稚園だった男の子。地震と津波が来たのはちょうど幼稚園にいた時。先生たちと幼稚園の園舎の屋根で一晩を過ごした。自衛隊のボートで助け出されて、護衛艦で三日間を過ごした。その時点で家族がどうなっているかわからない。5歳の子には不安でたまらない三日間だったと思う。3日後母と再会。記者は偶然母が震災のがれきの中にたたずむ母の写真も撮っていた。まだ息子の生死がわからないときで母は不安げな表情で立ちすくんでいた。無事再会して一年後の親子の写真。つらいときもあったけどこの子がいたから生きてこられたと母が言う。息子を助けた護衛艦が入港してきたとき助けてくれた隊員に会いに行った。三日間面倒を見てくれた隊員に会ってお礼の手紙を渡している写真。息子が中学卒業した時の写真。背はもう母を越えていた。そして今春の写真。息子は自分を困っている人を助けたいと海上自衛隊に入隊がきまり制服姿の写真。数枚の写真で親子の13年間を速足で振り返る記事。もう震災から13年もたったんだなと感慨深い。被災した人たちはどうしているだろうか?今年はお正月に能登半島でも地震があった。家が全壊して避難所にいたり、不安な気持ちでたくさんの人がいることだろう。少しでも落ち着いて生活できる日が早く来ますようにと願っている。
2024.04.23
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知人の旦那さんが今まさに抗がん剤治療真っ最中。その旦那さんがぽつりと言ったという。「いい人生やったな」深い言葉。この旦那さんはうちの夫と同じ75歳。知人から旦那さんがそういったというのを聞いて私は返すことばがなかった。まだ人生を賭けた戦いの真っ最中なのにあきらめるのはまだ早いと思うのに。旦那さんは主治医にガンと告げられた時に何も治療しないと余命はどれくらい?と聞いた。それから家族とも相談の上抗がん剤治療が始まった。一般的ながん治療は手術と抗がん剤治療と放射線。私もそれくらいの知識しかない。手術を勧められるのは比較的若い元気な人だと思う。主治医も手術に耐えうる体力があると認めたら手術になると思う。亡くなった私の父も肺がんだったけど、父はマラソンが趣味で年齢の割に体力があったので主治医に手術を勧められた。父は自分は高齢者だからガンもゆっくり進むだろう。手術しないでも後2年くらいは生きられるだろうと勝手に思い込んだ。だから手術はしないと主治医に返答した。実際その時はがんという診断が誤診ではないかと思うくらい元気だったから父もまた私たち家族も信じられなかった。手術しないと余命は2か月と言われたけど何事もなく2か月を過ぎやがて夏になると父は急速に弱っていった。ようやくがんの診断を信じる気になった父は主治医に手術を受けますと話した。主治医はもう手術のタイミングではないと言われた。ガンが進んでもう何も治療ができないという。父は自宅で死にたいと言い退院を申し出た。結局亡くなる前の10日くらいを自宅で過ごしたけど、父は母に言いたい放題暴言を吐きやりたい放題で最後まで母を苦しめた。今になって父の気持ちが少しわかるようになった。もうすぐ死ぬと言われた父は錯乱し今まで家族にもみせたことがないような弱さを見せたということだろう。死を受け入れられなくて父は最後の最後まであがいていたと思う。それもまた普通の人間の死に際の姿だと思う。冷静でいられなくても不思議ではない。知人のご主人のように「いい人生だった」などという達観した気持ちにはなかなかなれない。抗がん剤治療をしてよくなって元気になった人も知っている。以前と同様の暮らしができている。抗がん剤治療で髪が抜けきつい治療だったようだ。でも乗り越えて数年たつ。1年治療のために仕事を休んだけど無事復帰した。人によっては抗がん剤治療は少しは効果があったとしても延命効果しかないかもしれない。死がだんだん現実味を帯びて迫ってくる。その時人は何を考え、どう行動するのか?神さまから人生の最後をどう生きるのか考えろという宿題をを出されているような気がする。どう自分の人生を締めくくるのか?悔いのない人生とはどういう人生なのか?その人にとっていい人生というのは一人ひとり答えが違うだろう。まだまだ生きたい、今死にたくはないと痛切に思うかもしれない。もう自分の寿命は十分な長さだと思うかもしれない。周りの人の生き方や自分の今後の生き方をいろいろ考えさせられる深い言葉だった。
2024.04.18
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うちの夫は1月に誕生日が来て75歳になった。75歳になると後期高齢者の保険に入ることになっている。今までは夫婦二人とも国民保険。ということで後期高齢者の件の払込票が届いた。二期分で35000円余り。一か月あたり17000円余り。私の国民保険の支払いと会わせると一か月3万円を超える。そんなあー、これは痛い。もちろん国民の義務なので払わないという選択はないのは承知しているけどもしかしたら間違いではと淡い期待で市役所に電話した。電話に出た職員が間違いないから支払ってくださいという。仕方なく二期分何とか支払いを終えた。ところが今日届いた書類は払い過ぎだから返還しますという内容。やっぱり払い過ぎだった。電話で問い合わせた時には自信満々で答えていたのに。一期分17000円余りが返還される。届いた書類に印鑑を押して振込先の口座名を書いて返送してくださいってなんか上から目線。"(-""-)"おまけに今月中に手続しないと来月振り込まないよ。6月になるよ。出し忘れて2年たったら権利がなくなるよという内容。人間だからそれはミスもあるだろうけど、役所というところはこういうところかと腹立たしく思っている。問い合わせた時にちゃんと確認してくれていたらその時にわかったかもしれない。忙しいのかもしれないけどお詫びの電話一本もかかってこない"(-""-)"もしかしたらこの手のミスが多すぎていちいちお詫び電話を掛けていられないのかも(笑)いや笑っていられない。いくら事務が機械化されてもミスは起こるから何度も確認して仕事しないとね。17000円という金額は年金生活者にとっては結構な大金。それでなくても年金は減ることは合っても上がらないし、物価はどんどん値上がりするし。苦しい中やりくりして支払う保険料だからミスのないようこれからもよろしくお願いしますね。
2024.04.16
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母の入所するホームに午前中行ってきました。今日は母に面会するためではないです。運営会議というのをするのでよかったら来てくださいという案内をもらったからです。年に何度か今のホームはこういう感じですというまあいわばホームの生活報告会のようなもの。来ているのはホームに来ているお年寄りのご家族。息子さんや娘さんたち。ホーム内でこんなイベントをしたとか、こんなヒヤリハットみたいな事例がありましたとかの報告もあります。また最近もコロナが発生したり、ノロウイルス感染もあったらしい。いくら気を付けていても感染症が発生することを完全には防げない。でも最小限の被害に食い止めるようスタッフさんたちが頑張っておられる。幸い入院するような重症者はいなかったようで。ホームも人手不足で派遣の方に来てもらっているようです。募集を掛けてもなかなかずっと来てもらえる人が見つからない。ホーム長さんがこぼしていた。応募が11人あったからどなたかに決まると思いきや実際に面接の時間を決めて待っていても来られたのは3分の一。そして面接の結果採用が決定しましたということになっても当日来られない。書類とか準備万端整えていても何の連絡もなく来られない。連絡もしてこないままキャンセル。ありえない。最近はこんな人が多くて人を信じられなくなるとホーム長さん。私も昔こんな人に遭遇したことがあり。以前パートに行っていたころ、仕事を探していた知人にうちの会社に来る?と聞いたら行くというので総務の人に面接を仲介した。後日社内で総務の人に採用に決まりました。何日から出社しますと言われてよかったと思っていたら。前日に別の用事があって彼女に電話を掛けたらなんと言われたと思います?どう考えても4年制大学卒の私があんなところで働くのは納得できない。わたしに代りに断ってほしいというもの。はあ?と思った。お断りの連絡は自分でするのが当たり前。言いにくくても。前日まで何の連絡もしないで放置するのも無責任だし、入社の意思がないならなるべく早く連絡するのが常識だと思っていた。面接のときに会社内の見学もさせてもらってここでは働きたくないと思ったならなるべく早く断りの連絡をする。ああ、この人は大学を出ていてもこんな常識のない人だったのかとあきれました。私はそういう連絡は自分でするものだから自分でして。私は連絡はしないと言いました。人が働いている職場をあんなところ呼ばわりも失礼な言い方だし。わたしも過去に面接を受けて採用が決まっていたけどお断りをしたことはある。無理だと思ったら言いにくくてもちゃんと自分で連絡した。そんな人が今増えているんだなとびっくりした。介護の仕事の募集広告はよく見かけるけど、なかなか大変な仕事で続かない人も多いようだ。ホーム長さんは言われた。資格や経験は問わないで募集している。最初は人柄と意欲を面接で見る。資格は後から取れる。とりあえずは法律で決められたスタッフの人数を揃えないといけない。今はやむを得ず派遣の方に来てもらっている。色々問題もあるけど今は派遣の方を切ることは考えていないという。少ない人員で事故やミスのないように見守っていくのは大変だ。スタッフの方々の日頃のご苦労がよくわかった。帰りに食堂をのぞいたら母が昼食を食べている後ろ姿だけ見てきた。最近はほとんど部屋で寝ていて食事とおやつの時間だけは出てくるらしい。入所した時は手押し車で元気に移動していたのが、今は車いす。何があっても食事は完食していたのが食欲にもムラがあり、ほぼ一日中寝ている日もあれば気分が良ければ食堂に出てきて他の人と話す。今日は日向ぼっこをしていたらしい。母はそんな毎日らしい。今すぐどうのこうのということはなさそうだけどだんだん衰えてきているのは事実らしい。母のことをよろしくお願いしますと言ってホームを後にした。
2024.04.14
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NHKの朝の連ドラ「虎に翼」を毎朝楽しみに見ている。戦前の女性の地位の低さにおどろかされている。私は戦後生まれだけど思い返せば私の若かったころはそんな風潮はまだまだ残っていた。私は高校進学後大学進学を希望していた。通っていた高校は普通科で就職する子はほとんどいなかった。結局家庭の事情もあり、父の強い反対があって進学はあきらめざるを得なかった。父は女は高卒で十分といい、高学歴だと嫁の貰い手がないという。親せきで大学院に進学した女性がいたけど父は彼女の両親は何を考えているのかと自分には関係ないのに怒っていた。男性は高学歴の女性とは結婚したがらないという。父の古い価値観に反発したい気持ちもあったけど、結局就職することにした。今思えば昼間働きながら学ぶ道もあったと思うけど当時の私にはそこまでしてという気持ちもあった。親が快く進学を認めて費用を出してくれないと進学はできない。ご両親に理解があって、大学に進学した友達をうらやましいと思う気持ちはあったけどどうしようもなかった。そして結婚、出産、子育てを経て長い月日がたち、今は私は高齢者大学に通っている。もちろん当時進学したかったような大学とは違っているけど、それなりに楽しんで通っている。ここはうちの市がやっている60歳以上のための大学。勿論普通の大学とは違って入学試験もなく、また用意されている講座の中から自分で受けたい講座を選んで受けられる。費用も年間千円で年金生活でも無理なく払える。大体週一度くらいなので体力がなくても高齢者でも無理なく通える。そこでは今まで会ったこともないような講師の方や、同じく学びたい人たちとの出会いがあった。大学には行けなかったけどそれでも今私は十分楽しみながら学べている。同じ地域に住みながら今まであまり関係がなく、知り合えなかった人たちとの出会いも楽しい。いろんな人の影響を受けて少しずつ私の生き方、考え方が変わって来て、今年は移植の会の役員を引き受けることになった。それまでの私は同窓会でもまた習っているパソコンや体操の会でも誰かが引っ張ってくれるのを待ってついて行く私だったけど一歩前に出ることができたと思う。積極的に人と関わっていく気持ちになってきた。これもどこのどなたともわからない私に腎臓を提供してくださった方のおかげだ。週3回の透析に縛られてやりたいことがなかなかできなかった日々が大きく変わって忙しくけど今毎日を楽しく過ごせている。虎に翼を
2024.04.13
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先ほど疲れて帰ってきました。今日は午前中、体操、お昼ご飯の後電車で大学病院に行く。予約時間は3時だけど早い目に行って長女と待ち合わせることになっていた。一応長女には2時といった。それだと40分くらいしか時間がないので少しでも長くしゃべりたいなと思って、私は一時20分くらいに大学病院最寄り駅についた。ついたよと長女にメールをしたら、長女が「まだ家に居る」という衝撃的な返信。長女はこの駅から4つ目が最寄り駅。駅まで歩いて電車に乗って30分で着けるのか?長女は言う。まさか私が勝手に早めに来たのに時間に遅れてきたなんていわないよね?いやそれだとギリギリじゃない?駅まで10分として電車がすぐ来るのか?そして各駅停車で4つ目の駅で降りる。彼女が来たのは57分くらい。途中電車が行った後だったり、また遅れていたりしたらアウトじゃない?私は電車一本や二本遅れても大丈夫なように早めの電車に乗るし、時には待ち合わせの30分や1時間前に着いちゃうこともあるけど、自分が先に来て待つのは平気なので。どこかで時間をつぶすし。ちなみに夫は結婚前、デートに毎回遅刻してきた。本当に毎回ですよ。それで謝りもしないで平気な顔をしていた。こちらがもしかしたら時間を間違えたのかなと思うくらい。遅れているのに洗車してから来てみたり。夫の平気で遅れるDNAを長女が引き継いでいるのかも。今日は何とか間に合ったけどいつも出勤とかあんなぎりぎりで大丈夫かなと心配になった。でも長女ももうアラフォー女子だからそんなことはいちいち注意はしないけど。
2024.04.12
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夫が以前タコ焼きを家で焼いて食べたいと言い出した。わが家にはタコ焼き器はない。以前子供たちが小さかったころは会ったけど使わないから、実家の母が欲しがったから上げた。そして子供たちが巣立って今は夫婦二人。突然タコ焼きを食べたくなった夫、それ?誰が焼くの?面倒だから聞こえないふり(笑)夫,タコ焼き器を買ってきた。僕が焼くからという。それならまあいいかと思ったのでタコ焼き粉。ひっくり返す道具。油引き。一通りそろえた。夫、タコを買ってきて2,3回やってみた。なかなか難しい。毎日焼いているプロの様にはなかなかできない。それに9個では足りないから何度か焼かないと。夫、スーパーでタコを見かけても、私が買わないの?と聞いても今日は高いと言って買わなくなった。タコ焼き器は邪魔になるからしまった。先日台所の食品を整理していたら賞味期限切れのタコ焼き粉を二袋見つけた。去年で期限切れ、さすがに虫でも湧いていそうだしゴミ袋へ。ゴミ集め担当の夫が、まだ残っているのに捨てるの?と聞いて来た。いや半年以上期限が切れているのは無理でしょう?そもそもあんたがたこ焼きをするからと言って買ったけど最近ちっともしないからと私が言うと夫、沈黙(笑)多分もう二度とタコ焼きブームは来ない予感。(笑)うちの夫は飽きっぽい。飽きっぽいのに将棋とパチンコだけは続いている不思議(笑)
2024.04.12
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私は透析を15年して、腎臓移植を受け今年で7年目になる。腎移植には生体移植と献腎移植の2種類がある。生体移植は自分の親や兄弟、最近は配偶者などからの移植。以前は血のつながった肉親から出ないと移植はできなかったけど、医学の進歩で血縁関係はなくても配偶者からでも移植ができるようになった。献腎移植は自分にもしものことがあったら腎臓を必要としている誰かにあげてくださいというカードを持っている人が亡くなったら、腎臓移植を希望する人のリストから適合性を審査して選ばれた人が腎臓をいただける。移植を希望する人の数に対して実際に移植が叶うのは宝くじに当たるようなものと言われていた。私の周りには献腎移植を受けた人はほとんど聞かなかった。移植してから移植の会に入会したらいろんな方がいた。親から移植を受けた人、兄弟から移植を受けた人、ご夫婦間で移植をした人。中には最初の親からの移植がうまく行かず、再移植は残った親からもらった人。ちなみに機能を失った自分の腎臓と移植される腎臓を取り換えるのでなくてもともとの腎臓はそのままにして新しく腎臓を移植して元の腎臓から血管をつなぐのが腎移植。だから一回移植した人は腎臓が3個、二回移植した人は4個持っていることになる。生体移植にもいろいろと問題がある。健康な体の人なら二個ある腎臓のうち一個を移植しても残りの一個で十分機能する。でもドクターの中には健康な人の体にメスを入れることにあまり賛成でない人もいると聞く。姉からもらうという約束を取り付けたのに、親が猛反対したり。健康なお姉ちゃんからもらってお姉ちゃんにもしものことがあればどうするの?と親が反対する。夫婦間移植で夫から妻に移植しようというときに夫の親が息子にそんなことをさせたくないとばかりに反対する。親族の適合を検査して診て合うとなった人にもちろん移植してくれるよね?的なプレッシャーがかかったり。夫婦間移植の人でも配偶者が二つ返事でいいよと移植に同意してもらった人。逆に配偶者から無理ですと言われた人。腎不全の配偶者にもしものことがあった場合、残された子供を育てていく責任がもう一方の親にあるから二つ返事で移植オッケーとはならないかもしれない。私の場合は親からもらうのも高齢だったからもしものことを考えて断ったし、弟とは不仲なので考えても見なかった。そしてわたしは献腎移植を登録、移植まで15年待った。透析を始めたころたまたま隣のベッドで透析をしていた方に勧められて移植を登録した。その方に勧められていなかったら今もずっと透析をしていたかもしれない。その時初めて透析以外に移植という方法があるのを知った。透析患者会の役員の方だったけどその方が私にとっては恩人だと思っている。15年というのは腎移植の平均待機年数とちょうど同じ。これ以上の期間を待つ人もあるいはもっと早く移植が実現した人もいる。亡くなる縁もゆかりもない人から腎臓をいただく。なかなか順番が回ってこないときは早く回ってこないかなと思うことにわたしは人の死を願っているような罪悪感を感じたりした。移植の際、その方がどういう方でどういう亡くなり方だったかとかの情報は一切教えてもらえない。でもご遺族の方が移植に同意しないと移植はできない。移植後移植された側からご遺族の方へ手紙を書いてはどうかと提案された。ご遺族の方の理解で移植が叶ったわけだから、こんなに元気になって感謝しておりますという手紙をもらった遺族は役に立ててよかった。故人の遺志が実現できたと喜ぶそうだ。いわば亡くなられた方から命のバトンをもらったわけだからありがたい気持ちと大事にしないとという思いがこみ上げる。わたしという人間に透析のころは国庫から月に30万、かかっている。30万×12か月×15年で莫大なお金をかけて透析を受けて生かされてきた。もちろん移植にも莫大なお金がかかっているけど、それもほとんど税金で賄われている。私一人を生かせるためにこれだけのお金がかかっていると思うと、申し訳ない気持ちになる。今の時代、今の日本に生まれてよかったとつくづく思う。時代が違っていたり、違う国に生まれていたら私はとっくになくなっているだろう。と言ってこれから私に何ができるわけでもないし、大したことはできないけど。わたしに腎臓をくださった方はどんな方だろう?と時々考える。もっと生きてやりたいこともたくさんあったに違いない。その人の無念を思うと私がやりたいことをどんどん実現して楽しい人生にするのがせめて供養になるのかな?と勝手に思っている。一日でも長く生きて人生を楽しんで悔いのない人生にしたい。せっかく命のバトンをいただいたわけだから。大事にしていきたい。
2024.04.10
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私が通う高齢者大学のオリエンテーションに行ってきました。ここは市の施設の中でいろんな講座を受けられて費用は年間千円です。60歳以上で何歳までという制限もなく何年でも好きなだけ通えます。私は3年目。オリエンテーションって本当の大学か会社見たいでしょう?講座の受け方とかを説明してもらいました。知ってるけど(笑)初めての方もいるから毎年これを受けるのが義務になっています。講座は多岐にわたり、興味のあるのだけ受ければいい。何なら家でオンラインで受講してもいい。ここでいろんな人と知り合いました。中でもKさんとはラインで会わないときも連絡を取っています。80代かな?とても若々しくて多趣味。いつも着物生地を使ったおしゃれな洋服を着ています。先日私がコロナにかかって受講の予定をキャンセルした時もお見舞い代わりに楽しい川柳をたくさんメールしてくださって笑えました。おまけに返信は気にしなくていいから既読が付いたらメールを読めるくらい元気なんだなと安心するからと言われて、お言葉通りに返信しないで読み逃げしました。(笑)年代は違うけどお友達です。今日も終わってからおしゃべりをしました。Kさんもまたそれ以外のお友達も私が高齢者大学を受講しようと思い立ったから知り合えたわけで、同じ地域に住んでいてもそれまではまるで接点がなかった方たちです。こういう風に人と人の縁がつながってまさに一期一会、楽しいひと時を共有できる。大学と言ってもテストもなく成績とかも気にすることもなく気軽に受講して友達までできる。これからもいろいろ新しい知識を得ながら楽しんで続けようと思います。(^^♪
2024.04.09
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方向音痴の私が去年迷った会場。今度は迷わないで行けました。ナーんだ、わかりやすい場所じゃない。前回はJRの降り口を間違えたから迷ったんだ。今回は間違わずに降りたら後はまっすぐ。少しは方向音痴克服できそう(笑)移植の会総会+親睦会+第一回役員会。私は今回役員デビューです。と言っても役員の方々は何年もやっていらっしゃって私は黙ってみていただけ。役員紹介の時自己紹介をしただけでしたが。初めて会った会長さん。団体や組織では年長の人が会長に推されるイメージだったので多分高齢の方かなと思ったら意外にお若い。40代くらい?娘と同じくらいかな?役員の方々は多分ほとんど年下みたい。でも移植してから十年二十年たっている人もいて移植では皆さんほぼ先輩。私は7年目だからまだまだひよっこです。皆さんお元気そうで移植後の生活を楽しんでいらっしゃる。私も10年20年目指して頑張ろう。残念なことに移植した腎臓が拒否反応でだめになって透析に戻る方も少しですがおられます。移植後どう生活するのかというのが元に戻らないポイントの様です。定着率90何パーセントだったか、忘れたけど、その中にぜひ入りたい。とりあえず私のテーマは先日の受診で指摘された塩分が多すぎるのを改善しないと。塩分が多いと血圧が上がったり腎臓にダメージになる。マイミクの皆様もお気をつけて、若い人も熟年の人も塩分に気を付けるのが元気に長生きの秘訣のようです。昨日駅から十分くらいのところを往復し、最寄り駅に帰ってからも歩いて家に帰ったらそれでも4000歩くらいだったのに、朝方は足がつった。これからも無理をしないで少しは歩いて足腰鍛えて行こう。ところで去年から体重が増加気味の私、去年春の体重までようやくあと1.4キロまで減ってきました。もう一息だ。まずは去年春の体重に戻そう。そしてそれを維持しよう。本当はもっと痩せたいけど無理をしないでぼちぼちと。明日は友達とランチ。細身の友達につられて食べ過ぎないようにしないと。楽しんできます!
2024.04.09
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コロナ以来一か月余り。夫はまだ洗濯物を干してくれている。夫はゴミ出しにしてもお風呂掃除にしても新婚の時は全くやってなかった。何かの理由でいったん始めたらそのまま自分の仕事として受け入れるようだ。そして洗濯物干しは続いている。ただ不思議なことに晴れてベランダに干せる日だけしか干さない。雨で室内干しはやらないで洗濯物のかごを持ってきてくれるだけ。あれ?もう終わりになるのかな?と思っていると晴れたらまた再開する。それでも新婚当時のことをおも言えば変わったな。結婚してしばらくして妊娠した私は切迫流産になり家で絶対安静と言われたことがあった。仕事も休みトイレ以外は布団で安静にしていた。家事は当然夫がやることになった。当時仕事をしていた夫は家事など実家では全くやったことがない。仕事から帰って夜遅くに晩御飯を作ってくれたけど、味噌汁には煮干しが浮いていて実家では姑がだしをとった煮干しをそのまま引き上げないで食べていたと夫は主張した。そんなことはなかった。実家で姑の料理を食べたことがあったけど夫はそうだったと言い切る。また外で洗濯物を干すのは誰かに見られたら格好が悪いと言って天気が良くても室内で干していた。それが今ベランダに出て洗濯物を干している。ものすごい変わりよう。うちのベランダはよその家に囲まれていて洗濯物を干していてもあまり誰かに見られることはない。晴れた日だけの洗濯物干しでも続いていたら私から見てうれしい変化だ。これで入院しても洗濯物を貯められないで済む。私の出産とその後の里帰りの間の一か月洗濯物を貯めたまま、へらへらしてお前の仕事を置いておいてやったと言っていた夫とはまるで別人だ。一か月分の洗濯物は臭いし、里帰りから帰ってきたら赤ちゃんの洗濯物も増える。2月で一年で一番洗濯物が乾きにくい季節。それをへらへら笑って洗濯物を貯めていたことを謝りもしない夫にがっかりした。私のいない間夫は毎日義実家に行って晩御飯を食べ、お風呂に入れてもらい、姑には洗濯物があれば出して、一緒に洗濯してあげるとまで言われていたのに、おふくろに洗濯を頼むのは悪いと一度も持って行かないで貯めていた。おふくろに洗濯を貯めるのは悪くて産後の嫁に一か月分の洗濯物をやらせるのはいいのか?このことは一生忘れられない。しかも下の子が生まれた時も洗濯物を毎日でなくても私の里帰り中何度かでもやっておいてと言ったにもかかわらず同じことを繰り返した。そんな夫が毎日のように洗濯物を干してくれている。年を取ってくるとあんまり嫁に頼りっぱなしだと嫁の入院や最悪先に逝かれることになるとたちまち困る。男性も家事をやるべきだと思う。家族である以上嫁の入院や入院しなくても体調が悪いとき家事をだれがやる?ということになる。家事は男はしないものというのは今ではもう通用しない。食べることにしても毎日お総菜やお弁当というわけにもいかないけど、夫に料理までは多分できないと思う。理想は家事すべてをやれるようになることだけどそれはなかなかできないとおもうので洗濯だけでも貯めないでやってくれたら大助かりだ。これで安心して入院できる(笑)いや入院はしないほうがいいけど。
2024.04.04
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最近は大学病院は整形が多かったけど今日はに二か月に一度の泌尿器科、腎臓内科。ここで7年前に腎臓移植ししてそれから定期的に検尿、血液検査、と受診がある。今年2月以来の受診。さっき帰ってきました。腎機能は異常なし良好。けれど塩分を取り過ぎているとしっかり注意が入りました。冬の間鍋とか煮物とか温かいものが多かった、自然に塩分を取り過ぎていたみたいです。これからは温かくなるから炒め物、サラダとかも増やして塩分を気をつけよう。せっかく移植してもらった腎臓を末永く使わせてもらうには塩分の取り過ぎはダメダメだから。最近はお昼にうどんかラーメンが多かった(反省"(-""-)")夫は最近ラーメンにはまっている。私が出かけていてちょっとお昼が遅くなると夫はラーメンで済ませている。ラーメンは唯一夫が作れる料理?(白)料理ではないかも。私は一人分だけお昼を作るのが面倒だからつい私もラーメンが増えて。塩分が増えたのは夫のせいだ(笑)人のせいにしてはだめですよね。夫は夫注意しても勝手にポテトチップス一袋とか食べている。私はポテトチップスは付き合わないけどラーメンのお付き合いは今後はやめておこう。暖かくなってきたからうどんもしばらくやめておこう。塩分の取り過ぎは血圧も上げるし、むくみも出てくる。腎臓に悪影響があるから減らしていかないと。献立の見直しをしなくては。いつものように病院内のコンビニから処方箋をファックスで送る。二か月に一度だけどよく間違う。機械が変わることもあるし、私がぼけていることもある(笑)今回はスムーズに送れた。けれどあまりに量が多くて一包化してもらうので時間がかかると言われて、明日取りに行くと言って待ってないで帰ってきた。待っていたらもっと遅くなってた。明日散歩がてら取りに行こう。明日は駅前の方に車の任意保険を払いに行って、薬をもらって、来週の母の誕プレを買いに行こう。金曜日は3月いっぱいお休みしていた体操に久しぶりに行きます。7日の日曜日は移植の会の総会、8日は友達とランチ、9日は高齢者大学のオリエンテーション。高齢者大学は3年目だけど毎年オリエンテーションは受けないといけないことになっている。講義の内容もだけど高齢者大学は多くの人と出会いがあって楽しい。11日は母の誕生日、10日か11日にプレゼントを持っていく。だんだん忙しくなってくる。体調に気を付けて乗り越えよう。(^^♪
2024.04.03
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高校を卒業して就職したころのエイプリルフールの思い出。入社したのは地元で結構大手の会社。そこには幼馴染の子も入社していて懐かしい再会があった。皆小中学校が同じで、高校は違っていたけど同期も大勢いた中でその子たちとは特に仲良くしてきた。当時はまだワープロもない時代だったので、事務社員は大量に新卒採用されていた。書類は手書きの時代だった、主な仕事は書類の清書とかコピー取りだった。その幼なじみの中の一人のA子。4月1日の朝会社の最寄り駅で電車を降りて会社に向かう途中で言う。共通の幼馴染のB子(会社は違ってた)のお父さんが亡くなった!という。私がびっくりすると、彼女は「びっくりした?エイプリルフールの嘘だよ」という。私は朝からいやな気持になった。いくらエイプリルフールだと言っても朝から人が亡くなった話をするなんてと気分が悪くなった。A子にはエイプリルフールだからと言っても人が亡くなったなどという話をしたらだめだよと私は言った。それもよそのお父さんが亡くなったなんて嘘にしても最悪なウソ。嘘とわかって笑い飛ばせないような嘘はエイプリルフールの嘘にはふさわしくないと思う。誰も傷つかない、楽しいウソをうまくつくのは結構難しいかもしれない。そういえば夫にも一緒に実家の父にうそをつこうと提案されたことがある。3人目を妊娠したと言って驚かそうというのだ。私は夫にそういう嘘はだめだよ、父はきっとそういうことを言うと激怒するのはわかっていたし、当時私はすでに透析中でそのことで両親にも一杯心配をかけているのにそんなことはとてもできない。やるなら一人でやれというと結局夫はやらなかった。なぜうちの父を選んだ?やるなら自分の親にやればいいのに。多分義両親も激怒すると思う。大多数の人にはにはそんな嘘は受け入れられないと思う。エイプリルフールの習慣は日本ではまだまだ受け入れられてないと思うし、日本人にはスマートなウソをつくのは難しいと思う。
2024.04.01
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うちは娘たちは保育園にはいかないで幼稚園に入れた。近所に住む知人は保育園に子供を入れていたのでいくらくらいするものか聞いてみたら一人3万円近くいることが分かった。二人を預けたら6万?当時のパートに時給から考えてパートで働いた給料を全部保育園代に消えるくらいの費用が掛かることが分かった。それじゃあ家で内職でもしたほうが収入アップすると私は思った。うちは当時ローンを組んで家を買っていて、義母からいつから働くのかというプレッシャーを掛けられていた。義母は夫と姉二人3人の子供がいたけど保育園に預けてずっと働いてきた人。義母から見たら夫に家を買わせて自分はのうのうと家で遊んでいる嫁と思って苦々しく思っていたようだ。でもしばらくは家で内職をしていたほうがいいと私は思って娘たちを幼稚園に入れた。当時幼稚園は保育園よりずっと安く一人1万くらいだった。今はその幼稚園も3歳保育も始まっていて、幼稚園が終わった後希望者には別料金だけど延長保育もやっている。時代はだんだん変わってきていたけど当時は4歳児保育も抽選で入れないこともあった。だから保育園の事情は友達とかにたまに聞くくらい。以前保育園では、持っていく着替えはもちろん紙おしめにまで名前を書いて持って行って、汚れたものも持って帰るとか週末にはお昼ね用の布団を持って帰って干したり、シーツを洗ったりするとか聞いていた。保育園も結構大変だなと思っていた。ところが4月から孫2ちゃんが保育園デビューして次女が復職することになった。最近の保育園事情を聴いてみて驚くことばかりだった。まず子供が保育園で使う紙おしめは持って行かない。名前も書かない。月決めでいくらか紙おしめ代を払って向こうで使う紙おしめは何枚使っても料金は変わらない。サブスクというシステムだそうだ。保育園は最近できたばかりだから色々新しいらしい。地元には戦後すぐにできた古い保育園もあるけど保育園に寄ってやり方はいろいろ違う用だ。布団も一人一人専用の布団を保育園に用意していちいち持って帰ることはない。布団の上に薄いマットを引いて寝かせるのだけどマットは週末に持って帰って自宅で洗濯するという。色々と新しい。慣らし保育と言って最初は一時間から慣らしていって夕方までいられるようになったらいよいよママの職場復帰になる。これは以前と同じようだ。最近孫2ちゃんは人見知りが始まっていて、私やあまり知らない人に抱っこされると泣くようになってきた。パパ、ママと孫1ちゃん(お姉ちゃん)に抱っこされたら泣かないけどそれ以外の人と区別がつくようになってきた。人見知りは成長のあかしなんだろう。当然保育園の保母さんに抱かれてもなくだろうけど、向こうはプロだからそういうことは慣れているだろう。大きくなってからだと登園時に大泣きしてもっと大変だろうし。幼稚園の入園当初は泣いて母親と別れるのをいやがって柱にしがみついて泣いている子もいた。ずっと家でママと一緒にいるのが当たり前だと思って育つとなかなか幼稚園デビューも大変な様子。まあ慣れて来たら逆にママが迎えに来ても帰りたくないというくらいになるんだけど。赤ちゃんのうちだと最初は大泣きしても物心つく頃には幼稚園で友達と遊んだりするのを自然に受け入れられるようになっていると思う。ママも職場復帰頑張れ、孫2ちゃんも保育園デビュー頑張れ。今日から4月。新しい年度が始まる。旅立ちの季節だね、(^^♪
2024.04.01
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うちは娘たちと夫が不仲。長女はまだなんだかんだ言ってもたまにはうちに来るし、夫がいたら話くらいはする。でも内心は嫌っているので、老後は独身の長女がいるから大丈夫などと夫が言うときっぱり断っている。それでも夫は長女の言うことを冗談と思っていて最後にはほっておかないという。次女は離婚前後うちにいた時に何度も夫とぶつかった。夫は言いたい放題で居候は早く出て行けとか、しつけだと言って孫ちゃんに手を挙げてもめたりしていた。次女と夫の間に立つのに疲れて私が次女に別居を勧めた。そんな経緯があるから次女は絶対にうちに来てもうちには上がらない。用事があってくるときは夫がいないときか確認してくる。一時私ともぎくしゃくしていたけど何とか普通になってきた。夫とはずっと会わないままだけど去年の結婚式を機にちょっと雪解けムード。年末に一緒にご飯をというとき次女は私だけを誘ったつもりだったけど、私が思い切って夫も一緒に行ってもいい?と聞いて夫も参加させた。9月に生まれた孫ちゃんを夫はまだ見ていなしと思って。結婚して次女が明るくなってきて余裕も出てきたのか、いいよと言われて一緒にご飯を食べた。孫ちゃんを抱っこする?と言ってくれたけど夫が怖いと言って断った。そして昨日私を送ってきてくれた次女がうちに上がって、話をしていると突然夫帰宅。いつもなら夕方まで帰らないのに。どうする?と思ったら次女は普通に挨拶をして孫ちゃんを抱いてみる?と言って夫に抱かせてくれた。次女も変わったな。夫は変わらないけど(笑)夫は次女が出て行った理由とか自分がやったことはすっかり忘れていて次女の態度に怒っていた。これからも夫は地雷を踏んで次女を怒らせることがあるかもしれないけど、一応孫も抱かせてくれたし、今のところは関係が落ち着いてきたかな?今後はあまりうるさがられないように次女夫婦を見守っていこう。孫に優しいいいおじいちゃんを目指してください(^^♪コメント
2024.03.30
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と言っても孫2ちゃんは最近離乳食を始めたばかりでお店でたべられるものはないので先に済ませてから行きました。駅の向こうのお店まで歩いて行ってちょうど孫2ちゃんはベビーカーで寝てしまって3人でランチ。家と違って周りがざわざわしているのですぐに起きてしまって。結局次女がひざに抱っこして、それでも次女親子はデザートまでしっかり食べました。私はおなかいっぱいなのでデザートはパス。次女はいよいよ来月から職場復帰。けれど前途多難。産休前の職場は電車通勤。産休育休を取って復帰したら正社員だったのが時短勤務になるからというのもあってパート扱い。パートでもある程度の日数を働かない社会保険に入ってもらえないし、保育園も規定の時間数働いていないと退園になるらしい。でも子供が熱を出したり、いろいろあるだろうから以前より休む日が増えそう。昔より産休育休が充実してきて働き続け易くなっているのかと思いきや、あまり変わりはないような。産後は保活というか保育園にうまく入園できないと働けない。保育所の抽選に落ちたら復帰のめどが立たなくて退職するケースもあるらしい。めったに病気をしない元気な子で、いざというとき頼りになる実家が近いとか旦那さんが協力的だとか。働き続けるにはいろんな条件というか環境というかが整わないとなかなか難しい。産んでも働き続けることが難しいなら産まないという人も増えるだろう。少子化が進んでいるなら、働くママさんたちがもっと働きやすいように条件や環境を整えないとだめだと思う。次女は今の職場に必ずしもこだわってない。行っても見てもし続けられなさそうならもっと近いところに転職もありだという。これからも次女はいろいろあるだろうけど旦那さんと一緒に頑張って乗り越えて行って欲しい。
2024.03.29
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朝起きて携帯を見たら弟からメールが来ていた。意味不明"(-""-)"昨日亡くなったおばさんのお香典を郵便局から送ったというメールを弟に送った。そしていとこにも連絡済みだと。いとこから焼き場でお骨を焼いて今は初七日の法要をしているという返信があったことも伝えた。その返事なのだけど、了解の文字の後に〇〇家(実家のこと)はバカやな、うんざりや。おやじがばかやから仕方ないけどというメール。自分の生まれた家や家族を馬鹿やという?私にとっては意味不明。自分はどれだけ立派な生き方をしてきたというのか?会社勤めを独立したいからと言って退職、小さな会社を興した弟。結局失敗して借金まみれ。父と違ってギャンブルでの借金ではなかったけど、それを父に助けてもらったこともあったのにそういうことを言う?会社がつぶれてからも母に何度か借金を頼んだ弟。一体何でそんなお金がいるか説明もなく何度も借りに来て返さないままになっていると母がこぼしていた。弟に父を批判する権利はないと思う。確かに父の生き方もギャンブル三昧で人に自慢できる父ではなかった。わたしもこの父さえいなければ平穏に毎日を過ごせるのにと憎んだこともあった。でも最後は孫をかわいがり、よく面倒を見てくれた。父に貸したままになっているお金は返されることはなかったけど、母にはお金でない形で私に返していると言っていたのを聞いた。そして父が亡くなる前日にに父に今までのことを謝られた。弟は父に対する気持ちをまだ引きずったままなので父のことを馬鹿などと言っているのだろう。父も弟も結局不器用な生き方しかできないかわいそうな人間なのかもしれない。弟のメールには何も返信しなかった。弟の言うことに反論してけんかをしても仕方ない。弟の思い込みをかえるような反論は浮かばないし。弟の人生が自分の思い通りにならなかったのは父だけのせいではない。父のせいにしても何も変わらない。父を恨んでも仕方がない。弟はそのことにいつ気がつくのか?この先気がつかないままかもしれないな。朝から弟のメールで気分が悪く、いろいろ考えさせられた。
2024.03.28
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亡くなった父は長女、長男、次男(父)次女、三女の5人兄弟。末っ子の叔母の死で父の兄弟はすべて旅立った。亡くなった父は昭和二年生まれで亡くなったおばとの間にもう一人叔母がいた。父は戦争中予科練に行き、残された家族は神戸市在住。空襲で家が丸焼けになってしまって父の家族は祖母の親せきを頼って疎開した。一方終戦で父が神戸に帰って来てみたのは一面の焼け野原の実家跡。その焼け野原に家族の移転先を書いていたのを見つけてそちらへ行ってみた。親せきの家を訪ねると小学生だった叔母が「お兄ちゃんが帰ってきた!」と大喜びで抱き着いてきたという。それから父一家は神戸市の市営住宅に引っ越す。6畳、4畳半、台所の間取り。母とは昭和30年に結婚して、ここで両親の新婚生活が始まった。義父母と小姑が2人いて母はさぞ肩身の狭い思いだっただろうとおもう。そこで祖父がなくなり、妹たちがお嫁に行ってようやく家族4人の生活が始まった。気が強かった祖母は子供たちの誰のところに行ってもけんかになり、飛び出してしまって家にも一時同居していたけど出て行って一人暮らしをしていた。祖母は最後に寝たきりになり末の叔母のところにお世話になっていた。叔母の家も叔父の継母と異母弟、妹が一緒に住む世帯。それでも叔父は快く祖母を引き取ってくれたという。叔母は叔父の継母と祖母を看取り、苦労したと思う。叔母はなくなった祖母に一番良く似た顔立ちだった。うちの父が存命だったころ、叔母はちょくちょくうちに来ていた。当時はすでに他の兄弟はなくなっていて昔話をする相手は父しかいなかったから父を訪ねて父と話すのはおばには楽しみだっただろうと思う。父が9年前に亡くなってお葬式も終わったら叔母は母のところに来ることがなくなり、私もそれ以来おばには会っていない。もっと早くに会っておけばよかったと後悔する。私は移植やその後の入院が続いて母の介護もあったし、なかなか親せきに連絡を取る余裕がなかった。母をホームに入れた後親せきに母のことを連絡してホームに会いに来てやってほしいと連絡を入れた。すでに母の姉の叔母も入院中で、父の妹の叔母も入院中。誰かに付き添ってもらったとしても母に会いに来るのは無理だった。とうとうおばたちと母は会うこともなくなくなってしまった。母に会ってもらいたかったなと後悔している。私がもっと早くに動いていたらよかった。今は静かに叔母の冥福を祈りたいと思う。合掌。
2024.03.26
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今日父の妹の叔母の訃報が届きました。父の兄弟の一番下だった叔母。小さいころはよくかわいがってもらいました。編み物が得意なおばは私にセーターやカーデガンを編んでくれました。父が亡くなってからは会うことも亡くなってずっと会っていません。母がホームに入ったときにもう母は自由に外出はできないから、できたら会いに来てやってくださいとメールしました。ところがいとこから返事が来て叔母は入院中で、叔母の電話は今はいとこが使っているとのこと。それを聞いたのは2,3年前。コロナで面会もなかなかできなくて退院出来たら連絡が欲しい。家に会いに行きたいと連絡をしていました。とうとう家に帰ることもなく病院で亡くなりました。最後に会えなかったのが残念です。叔母の家族が住んでいるのは隣の市だけど今はコロナやインフルエンザの心配もあるので、お葬式は遠慮しておきます。やさしかった叔母を思い出して冥福を祈ります。合掌。
2024.03.25
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きょうはようやく手の手術担当の先生を受診。予約時間は15時半だったけど1時間前に到着。時間になる前に呼ばれた。先生カルテを見ながら、レントゲンとCTを撮って来てという。撮って来てまた前で待つ。呼ばれて診察室に。びっくりする事実。レントゲンの結果左手親指の根元の骨がずれている。押したら痛いけど、痛くてたまらないことはない。亜脱臼とか言ってたな。先生に手術より注射を勧められる。ステロイドだしあんまり気が進まない。そんなに副作用が出るほどの量ではないと説明される。次回は4月12日。注射の効果を見るらしい。注射をして2,3週間後に診て場合によっては手術しない結論になるかもしれない。ということで注射で様子見。すぐに診察室内で注射、手首の当たり、痛かった。前からの指のしびれが注射後もっとしびれる。これは注射のせいで1時間くらいで収まるらしい。という結論。先生は私は元透析患者で左手にシャント(透析用の血管を作るために手術している太い血管)があるので手術はものすごく難しくなる(あんまりやりたくないような言い方)シャントが詰まると万一また透析に戻ることがあったらまた作り直さないといけなくなる。移植したらシャントを元に戻す人もいるけど、私はそのまま置いている。今のところシャントはもう透析には使ってないけど元気に動いている。シャントはとてもデリケートで左手で重いものを持ったり時計をつけたりしないようにと言われていた。また血液検査で血液を採るとかいうのもシャントの側の手を使わないようにと言われている。今も血液検査の時は右手で血管が出にくいから手の甲から採血している。先生の本音は注射で収まったら手術しないほうがいいらしい。ま、様子見というから様子を見ていよう。手術はいつでもできるし。
2024.03.22
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