2026.01.17
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今日で阪神大震災から31年目。

その頃私はまだ透析もしていなくて元気にパートに行ってた。

幸いうちの方は大した被害がなく半壊にもならず。屋根の瓦が部分的に落ちたりして修繕工事をしたくらい。

娘たちもまだ小学生で避難所で自分たちと同じくらいの小学生の子たちが同じように避難した友達とトランプをしていていいなあとか言っていた。

わたしはあの子たちは地震で自分たちの家に住めなくなって避難しているから楽しくトランプをしているわけではないよと教えた。

わたしは2か月前に働いていたパート先を人間関係に悩んでやめて新しい職場に通いだしたところ。

でもやっと見つけた新しい職場も流れ作業で結構大変だった。

私の右側でやっている人はとても手が早くて、定年になったけど会社がぜひ残ってくれと言われるほどの人。

どんどん仕事が私の右側にたまってくる。

私の左側の私の次の工程をやっている人は逆に手持無沙汰。

流れ作業は同じようなスピードで作業しないと流れが止まってしまう。





食器が割れて家の中にものが散乱している状態。



とりあえず震災の当日と翌日は会社に電話をかけて休みを取った。

3日目にようやく出社した。

隣のよく仕事のできる人が自分の机の下から物を出して私の机の下に入れている。

何をしているんですか?と聞いてみた。

もし余震が来たらわたしはこの机の下に隠れようと思って。

それで自分の机の下のものを私の机の下に移動していたわけだ。

では私はどこに避難したらいいの?

わたしは不安な気持ちになった。それ以外にも流れ作業で今後やっていくことにも不安があった。

数日不安な気持ちのまま続けたけど退職を決意してやめることにした。

それからしばらく求職活動をしたけど震災直後で次の仕事がなかなか決まらなかった。

JRは止まってしまい夫も通勤ができない。義実家から舅のバイクを借りてきてそれで
がれきの街を何時間もかかって出社した。

それでも仕事があるだけましだった。知人の旦那さんは会社に何度電話しても
つながらないので歩いて見に行ってみたら会社がつぶれてなくなっていたという。

いきなり失業状態。大変だったようだ。

そんな震災直後の我が家の状態。でもまだ家はちゃんと住める状態だったし電気もガスも通じていた。

わが家はガスはプロパンだから地震直後から使えたし、温かいお風呂にも入れた。

家をなくなって着の身着のままで避難所に避難している人たちに比べればまだ恵まれていた。

スーパーに行っても閉まってあいても生鮮食品は入荷しなかった。

銀行に行ってもお金は下ろせなかった。でもとりあえず家族は無事だった。

当時はまだ私は透析をしていなかった。透析をするようになったのは後の話。

当時透析をしていた人は病院の電気や水道が止まって透析ができなくなり、遠くの病院に通院を余儀なくされた。

被害の少なかった西の方の病院に主治医が紹介状を書いて交通網が寸断されている中
家族の車とかで通院していた。

避難所に避難はできたけど、体調を崩して亡くなる高齢者もいた。

まだまだうちの被害はそういう人たちに比べたらましだった。

毎年この日になるとあの頃のことを思い出す。

決して忘れてはいけない。この阪神大震災で多くの命が失われたことを。

わたしはそっと亡くなられた方々のご冥福を祈って手を合わせる。

そんな今日という日。





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最終更新日  2026.01.17 07:41:47コメント(0) | コメントを書く


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