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愛子(あやし)の広瀬文化センターホールにて平川新教授の講演を聴いてきました。http://www.stks.city.sendai.jp/hito/WebPages/osirase/h23hirobun20syuu.pdf教授は江戸時代史もご専門で、25年前から愛子に住んでらっしゃいます。講演内容の中で、慶長の津波の話がありました。1611年(慶長16)仙台藩領の死者1783人、盛岡藩・弘前藩の死者3000人余今回の3.11の大津波とほぼ同規模で、農地は壊滅し数年間食糧難に陥りました。おそらく当時の建物もほぼ倒壊したでしょう。しかし、政宗公は震災から2年後の1613年の秋、常長の慶長遣欧使節を派遣しています。大津波で大打撃をくらった直後に、仙台藩の造船技術の粋を集めたガレオン船を作らせ世界へと目を向けたのです。なんというか、強大なリーダーシップにおどろくばかりです。いなべの晴明による六芒星の発見から、イタコの埋蔵金伝説に至るまでの書き下ろしはコチラです。星の街仙台~伊達政宗が隠した六芒星http://slib.net/2343↓いなべの晴明の研究書はこちらです。在庫有ります↓当通販以外では青葉神社で購入可能です。1000円ネット通販はコチラまで。メール便送料160円別途。
2011.10.29
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ウィキより-常長の墓といわれるものは宮城県内に3ヵ所存在する。・仙台市青葉区北山にある光明寺(北山五山の1つ)、・常長の生まれ故郷とも言える川崎町支倉地区の円福寺、・そして、最有力とされる大郷町。 常長らが持ち帰った「慶長遣欧使節関係資料」は仙台市博物館に所蔵されており、平成13年(2001年)に国宝に指定されている。その中には常長の肖像画があり、日本人を描いた油絵としては最古のものとされる。資料の中に名をfaxikuraとつづった部分があり、当時ハ行を唇音で発音していた証拠となっている。また、常長自身が記録した訪欧中の日記が文化9年(1812年)まで現存していたが、現在は散逸しており幻の史料となっている。-世が世なら、支倉常長は稀代のヒーローでした。日本人の見果てぬ夢を、命がけで持ち帰った侍。なのに7年後、故郷の地に足をおろしたその日に、歴史から抹消された。もしも常長直筆の航海日誌が見つかったら、歴史的大発見になるでしょう。四百年前、常長が大航海の行く手に見た世界はどのようなものであったか。伊達政宗が描いた奥州の未来が、理想の日本が、そこに書かれているかもしれません。いったいどこへいってしまったんでしょうか。「散逸している」ってことは、どこかには在るってことで。↓いなべの晴明の研究書はこちらです。在庫有ります↓当通販以外では青葉神社で購入可能です。1000円ネット通販はコチラまで。メール便送料160円別途。
2011.10.22
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仙台バイパス(4号線-奥州街道)を北上し、泉区を抜けると富谷町になります。バイパスからほんの少し入ったところにある熊野神社は、現在地よりも東にあったのですが、政宗公の命によって「富谷宿」が開設されたときに富谷の玄関口としてここへ移されたのです。街道を旅する大勢の人たちが、まずは熊野神社で参拝してから宿場へ入る、ということでしょう。熊野神社の前のT字路を右折すると宿場になります。―富谷宿は、元和4年(1618)に政宗公によって町場とされ、元和6年(1620)検断や肝入りを務めた内ヶ崎家が本陣を仰せ付けられた―という説明板が立っています。―内ヶ崎家の初代・織部は、宿場町「富谷宿」の発展に尽力した人物であり、寛文元年(1661年)に仙台藩の命を受けて酒造を創業し、現存する酒蔵では宮城県最古です―主力銘柄の「鳳陽」は全国新酒鑑評会で何度も金賞を受賞している宮城の逸品です。ここで私が気になったのは、宿場として開設された年号です。1618年といえば、常長の遣欧使節が帰国する前の、フィリピンに2年間滞在していた時期です。このころ仙台でもキリシタン弾圧が激化し、遣欧使節が帰国するのはあまりにも危険だと判断した政宗公が、横澤将監を迎えにいかせ、帰路の途中フィリピンに寄って帰国のタイミングを調整していた。2年後の1620年に常長一行が帰国し、同時に家康の七男忠輝と離縁させられた五郎八姫も仙台入りします。キリシタンの五郎八姫とローマ帰りの常長キリシタン一行。五郎八姫はすぐに仙台城本丸の西舘に身を置き、政宗公没(1636年)後すぐに愛子(あやし)の栗生西舘に移りました。遣欧使節の帰国後の消息は一切不明。一説では帰国2年後の1622年に常長は病死したことになっていますが、政宗公のはからいで大郷町(富谷町の隣町)に隠れ住み、天寿を全うして84歳で死んだとされます。イタコ的仮説ですが、富谷宿が遣欧使節を受け入れるために用意された宿場だったとすれば、年号的にはつじつまが合います…宮城県最古の酒造蔵より直送でお届け![宮城県/内ヶ崎酒造店]【送料込】大吟醸 鳳陽(四合)価格:3,465円(税込、送料込)
2011.10.15
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ちょっと気になることがあるので書いときます。現在奥州街道を調べています。奥州街道全行程図を眺めていたら、仙台市の北部に隣接する町で街道が突然急激に折れ曲がる地点がありました。その行きつく先に毘沙門堂(びしゃもんどう)があったのです。毘沙門堂の本尊は七福神の毘沙門天。毘沙門天はインド神話の財宝神クベーラを前身とする。クベーラ(Kubera)は、インド神話の富と財宝の神。地下に埋蔵されている財宝の守護神であり、またローカパーラの一人として北方の守護神とされる。そしてその北東部に支倉常長関連施設があります。さらに南西部には、横澤将監(常長を迎えに行き、松島の大仰寺に代々の墓がある)が治めていた将監地区があります。そんでもってこの町にある長楽寺の由来が、黒川三十三観音の第30番札所。ここにまつられている本尊は秘仏で、戸を開けると目がつぶれるという言い伝えを昔から守ってきましたが、昭和36年、観音様の傍らにあるマリア観音像が発見されました。つまりこの町にも隠れキリシタンがいたということなんですが、常長さんにかかわりが深いような予感がします。将監さんは、帰国前に立ち寄ったフィリピンで洗礼を受けましたが、帰国後弾圧を逃れるために棄教したと、歴史上ではたったひとことで終わってます。この町は、政宗公の命により宿場町となったところです。今でもその風情が色濃く残っています。それから、東側には松島があります。1620年、常長一行が帰仙した港は史実上は出発地の月の浦と言われていますが、私は松島だと思っています。常長一行の帰国後の足取りが全く不明ですが、月の浦には幕府の目付が待ち構えていたでしょうから、仙台でもキリシタン弾圧が激化する中、伊達家の霊場である松島に上陸するほうがなにかと融通が利いたはず。とりあえず松島からこの町へ身を隠した常長と将監なのではないか。宿場町で商人になりすますことは容易であり、堂々と仙台城下へ自由に行き来するにも便利な要素があった。そして、ローマから持ち帰った財宝の数々はいまだに発見されていないわけだから。この町は、仙台城下と通じながら隠匿するには最高の条件がそろっていたと思われる。ずばり、この町は宮城県黒川郡富谷町(とみやまち)です。
2011.10.14
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昨年結成された「五郎八倶楽部」主催のおまつりが9/4に実現しました。落合市民センターにて、ビデオ上映・歌・踊り・太鼓・紙芝居・平川新先生の基調講演など多彩な催しもので、会場は予想を超えた160名以上の来場者で賑わいました。9/6の河北新報。河北コルネットでも見れます(会員登録要)なんといってもこのおまつりの一番の見どころは、現存する五郎八姫の着物(三着)が展示されたことでしょう。四百年前、伊達政宗の長女五郎八姫が、隠れキリシタンの里愛子(あやし)に住み交流のあった村人へ拝領された着物です。博物館ではなく、民間のお宅に代々家宝として保存されている大変貴重なものです。さて、わたくし仙台イタコですが、3.11以降このブログをまとめる作業をしておりました。著作権が守られる小説投稿サイトへ登録しましたので、そちらをご覧いただければと思います。残念ながら画像掲載は不可ですが、長編ですのでじっくりと楽しんでください。「星空文庫」http://slib.net/2343【星の街仙台~伊達政宗が隠した六芒星】当ブログは今後、倶楽部の活動やお知らせ用に時々アップさせていただきますのでこれからもよろしくお願いします。ひきつづき陰陽師親方著「星の街仙台~ベールを脱いだ呪術都市」は通販続行します。当通販以外では青葉神社で購入可能です。1000円ネット通販はコチラまで。メール便送料160円別途。
2011.10.08
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