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この前のフランス生活失敗談の続きを書きます。夜中約11時に家まで歩いて帰ろうと思い立ったのはよかったけれど、はっきり言ってそんなに甘いものではなかった。その田舎町から自分の住んでる町まで、電車では30分くらいかかった。駅もローカルなものを含めて5,6個あった。つまり常識的に考えれば歩いて帰るのなど不可能な距離である。そういう選択をしたということは僕は本当に動転していたのだろう。いや、思い起こしてみれば色々他の選択肢も考えた気がする。ホテルをとるとか、ヒッチハイクをするとか。ホテルに関して。ただ、その町には駅前にホテルが一つも見当たらないほどの田舎町だった。また、町をほっつき歩いて、万一幸運にもホテルを見つけ出したとしても、パリとかならいざしらず怪しげなアジア人である自分がチェックインさせてくれるようには思えなかった。ヒッチハイクは明らかに嫌だった。いくら能天気で楽天家の僕でも知らない人の車にしかも深夜に乗るというのは絶対避けたかった。というわけで、歩いてかえるという選択肢を取らざるを得なかったのである。さて、歩いて帰ると思い立ったはいいけれど、地図も持たないゆえにどの方角を進んでいいのかもわからなかった。で、線路沿いに沿って歩いていくことにした。これなら大体の道を外すことはないだろうと。一つだけ幸運だったのは、田舎ということもあり都会を夜間一人ぼっちで歩くと言う意味での危険性は0ではないにしろ、少なかった。むしろ、野生動物に襲われるという恐れがあったが、幸いトラックが多く通る街道沿いを歩いたのでその恐れも少ないように思われた。てくてく歩いて約2時間後、つまり午前1時頃一つの標識に出くわした。「○○(僕の住んでる町) 25km」!!!25kmと言う距離ははっきり言って自分にはまったく実感がなかった。高校のときのマラソン大会で走った距離が10kmで、確かそのときは45分くらいかかったから、などと適当な計算をして、4,5時間も歩けば帰宅できるだろう、と全く楽天的に結論を出した。はっきり言って甘すぎる計算である。第一、その25kmという距離は大まかな自分の町までの距離を示しているに過ぎない。僕のアパートが町のはずれにあることを考えれば、実際の家までの距離はもう数km上乗せされるかもしれなかった。(実際そうだった)第二に、自分の体力は高校の頃に比べて明らかに落ちていた。体育の授業と言うものがなくなって早4,5年。体を動かす機会というものが殆どなくなってしまっていることなど忘れ去っていった。と言うわけで、2時間ほど歩き続けた後の午後3時頃、疲れ果てて一歩も歩けなくなってしまった。丁度そこは、郊外の大型ショッピングセンターだった。へたれこんで座り込んでいたところ、夜間労働中のアラブ人二人が通りかかった。彼らは親切にも心配して声をかけてくれた。アラブ人1 Bonsoir, Qu’est-ce que vous faites ici à cette heure?Saltshun Je me repose un peu. Malheureusement j’ai raté mon train Je rentre chez moi à pieds. Mais ma maison c’est toujours loin d’ici. Je suis complètement fatigué. J’ai besoins de me reposer un peu ici…アラブ人2Quel dommage !!! Je suis désolé… Ben, après qu’on va finir notre travail, on va vous raccompagner chez vous en voiture. Notre travail va finir dans 2 heures.Saltshun Merci ! Vous êtes très très gentil. Je vais revenir ici dans 2 heures…<日本語訳>アラブ人1 こんばんは、あなたこんなところでこんな時間に何してるの?Saltshunちょっとここで休んでるんです。 不幸なことに電車に乗り遅れて、自分のうちまで歩いて帰ってるんです。 でも、私のうちは依然遠く、疲れ果ててしまいました。 とにかくここでちょっと休む必要があるのです。アラブ人2 なんてこと!!!お気の毒に・・・。 よし、我々の仕事が終わったら、あなたのうちまで車で送ってあげよう。 仕事は大体2時間後に終わる予定だよ。Saltshun ありがとう!あなたたちは本当に親切ですね。 2時間後にここに戻ってきます。地獄に仏とはこのことだと思った。このアラブ人たちは信用できそうに思えたので彼らを信じることにした。彼らは他の場所でも仕事があると言い残し、去っていった。僕はあまりに疲れ果てていたので、ずっとそこにとどまっていた。2時間後。正確には2時間半後。つまり午前五時半頃(要するに彼らは待ち合わせに遅れた)彼らが戻ってきて言うには、「仕事が長引いたので後2時間ほど待って欲しい!」・・・。この人達をちょっとでも信用した自分が馬鹿だった。幸運なことに、始発の電車、始発のバスも始まっている時間だった。というわけで、一番近くのバス停に行って、バスにのり家に辿りついたわけである・・・。それにしても・・・。あんなに歩きに歩いたことはなかった。今後の人生でも絶対ないだろうと思う。真っ暗な田舎の街道を歩くというのは恐ろしい以外の何物でもなかった。たまにむちゃくちゃ巨大なトラックが自分の側を通り過ぎたりするときは、冗談ではなく命の危険を感じた。(ヨーロッパのトラックは日本のと比較にならないくらい大きい)たまに僕を売春婦と間違うのか、自分の側で車がとまったりしたりし、その時にはどっかにさらわれるのではないかとさえ思った。とにかく、フランスに来て以来もっとも恐ろしい経験だ。あんな思いはもう二度とごめんだ。ということで、それ以来夜遊びに出かける際には終電時刻を確認し、必要ならばホテルもとって出かけるように、必ず徹底している。フランスに来られる予定の皆様。田舎では特に終電信じられないくらい早いですよ!日本の感覚で行動されると僕のように痛い目にあうことがあります。お気をつけ下さい。(というか、僕くらいかも、こんな目に合うの)
2003年02月28日
プラハ!最高だった。なんて美しい街なんだろうと思った。東欧のパリとか、魔法の都とかいろんなキャッチフレーズがあるけれど、どれもうそ臭く聞こえた。というか、キャッチフレーズってそういうの多い気がする。やっぱり実物を見て、自分で確認しないと、と思った。フランスに住んでることもあり、パリは何度も行くことが多いが、個人的にはパリより数段気に入った。プラハも勿論観光化されてるけれど、パリに比べるとまだなんとなく田舎臭さが残ってて、落ち着いてて僕好みの街だった。圧巻はプラハ城だった。ハプスブルグ家はやっぱり偉大だー。ベルサイユみたいに豪華絢爛ごてごてという感じじゃないけれど、重厚さが伝わってきて、歴史も感じた。とにかく一度は訪れてみて欲しい。絶対お勧めです。さて、今回の旅は友達のアメリカ人夫妻と行ったんだけど、彼らみてると、やっぱり日本人夫妻とは数段いろんな面で違うと思った。旦那がむちゃくちゃ優しい。いつも優しく労わっていて、ちょっとした対応からも、日本人旦那と違い、ジェントルマン振りを発揮していた。確かに、欧米男性がもてる理由がわかった気がした。色々学ばせてもらったこの旅でした。さて、ではこんな感じで。
2003年02月26日
今日は、昨日の日記の続きを書く予定だったがちょっと予定が狂ったのでまた数日後に書こうと思う。明日というか今日の深夜、22日午前1時発のバスでプラハに行くので時間がないのだ。僕は明日の深夜発のバスで行くものと考えていたが実は今日の深夜だった。僕なにかというとこういう感じで抜けている。だめだなあ・・・。アメリカ人夫婦と日本人の友達の計4人で行ってくる。当地はとにかく寒いらしいが、楽しみだ。やっぱり東欧ってすごい情緒をそそると思う。ハプスブルグ家の威光を現在にまで伝えるというか。時間とお金があればブタベストにまで行きたかったんだが、ちょっと無理だった。ところで、今回のツアーは何というか凄まじい激安ツアーだ。プラハまでの往復交通費・宿泊費(3日分・朝食付)含めて150ユーロ(日本円で18000くらいかな?) だ。激安ツアーということもあり、プラハまではバスで行く。ドイツを横断して!というわけで、片道大体7時間かかるらしい!このツアーを探し出してきた、アメリカ人夫妻はすごいと思う。彼らは新婚なのだが、例えば日本人でバックパックしょってこういうツアーを自ら行きたがる新婚妻っているだろうか。いなさそうだと思うのは僕だけだろうか。欧米人はやっぱりタフだ。すごすぎる。というわけで、しっかり楽しんでくる予定です。ここ4日は日記の方もお休みします。
2003年02月21日
今日はフランス生活にまだなれない頃の自分の失敗談を綴ってみたい。フランスで終電を逃した話。僕の実家は本当に過疎化最前線のど田舎で電車も一時間に一本しか走っていないようなところだった。つまり、電車でどこかにいく場合には時刻表を前もって確認し発射時刻に合わせて家を出るということが自分には当たり前だった。そんな僕が大学入学と同時に東京で一人暮らしを始めたわけである。全てのものがもの珍しかったが、やっぱり電車の本数の多さにはとにかくおどろいた。山手線など、ラッシュアワー時など数分に一回のペースで電車が来る。通常の時間帯は勿論、終電が近い0時前後でもそれなりの本数の電車が走っている。つまり電車の時刻に合わせて家をでる、ということが全く必要なくなった。勿論終電の時刻は基本的にチェックしていたが基本的にどの私鉄でも0時前後はまだ電車が走っているのでよっぽど遅くなるとわかっていない限り終電時刻もチェックしなかった。そんな僕がフランスにやってきた。断っておくが、僕が住んでいる町はそれなりに人口が多い、フランスでも5本の指に入る都会である。しかし!悲劇は起こった。あれはフランスに来てまだ1月ほどしかたっていない2002年5月頃のこと。僕は何をかくそう、Irish文化(ケルト文化ともいうが)大ファンである。ブラッドピット・ハリソンフォード(だったかな?) 主演のデビルっていう映画ご存知でしょうか。そこでIrish songが幾つか流れてくるのだが、その美しくもものがなしい旋律を耳にしてのが僕とアイリッシュの文化との最初の出会いだったと思う。そのときはこんな美しい民族音楽があるのかと本当に感動した。きっかけは、アイリッシュソングだったのだがそこからアイリッシュダンスにもどんどんはまっていった。リバーダンスとかご存知でしょうか?あの激しい足の動き、靴底で刻まれるリズム、迸るような情感溢れる動き・・・。本当にすばらしいと思う。さて、そんな僕は一枚のチラシを発見した。何でも近郊の小さな町でアイリッシュダンスの舞台が催されるとのことだった。これは是非ともいかねばなるまい、と思った。フランスは文化大国ということもあり舞台のチケットとか日本とは比較にならないほど安い。オペラとかも、かなり安い値段で鑑賞することができる。そのときのアイリッシュダンスの舞台も自分の目にはかなり格安にうつった。確か20ユーロくらいだった。早々にその舞台に行くことを心に決め、チケットを購入した。さて、その当日。その町は電車で30分くらいのところにあった。その町についてから舞台の会場を探す必要もあったので、余裕をみて、舞台開始時刻8時の大体1時間前、7時にその町に到着した。会場も特に問題なく探し当てることができた。舞台も最高にすばらしかった。音楽もダンスも一級で、本当に堪能させてもらった。今思えばどうしてあんなすばらしい舞台があのような田舎町で開催されたのかと思う。アンコールも含めて夜10時過ぎまでくらいまで、本当にすばらしい一時を過ごした。ここまではよかった。上機嫌で帰途に着き、国鉄の駅にもどると!なんと駅そのものが閉まっている。入り口のシャッターもおろされて。真っ暗だった。そのときの時刻は確か午後10時半くらいだった。自分の感覚では、夜10時半に終電を迎えるということが信じられなかった。というか僕のど田舎でも、10時半には電車が走っている。勿論前もって時刻を確認しておかなかった自分が悪いと言えば悪いが、8時開始の舞台でどう見積もっても11時には終了すると思われる舞台で、終電を気にする必要があると思われなかったのだ。30秒ほど駅の前で呆然と突っ立っていた。自分の目が信じられなかった。とにかく何とかせねば、と思いタクシーを呼んで、タクシーで家に帰ろうと思い立った。生憎番号を知らなかったので、舞台の会場に戻り、受付の女性に自分にタクシーを呼んでくれるように頼んだ。彼女は快くタクシー会社に電話してくれた。数分後、信じられない一言。「タクシーはもう終わっています。」は??? 夜中に就業しないタクシー???自分には考えられなかった。だって、夜11時ですよ、11時。いくらフランスは深夜労働・休日労働に厳しいと言ってもタクシーくらいはどんな田舎町でもやっていて欲しいんですけど。ただ、そんなことそこで主張していても意味がないのは当然だ。明らかに自分は動転していた。動転した頭で導き出した結論、“歩いて家まで帰ろう”(続きは明日に)
2003年02月20日
僕は元来田舎育ちなのだが、東京に5年も暮らしているうちに日本での便利さ・快適さにどっぷりつかった暮らしが当たり前になっていた。客観的に言って日本のサービスは世界一であると自身を持って主張できる。これは僕が日本人だから点が甘いわけではなく、多くの国籍の人が声をそろえていう言葉である。チップなしで、あれだけのサービスを提供するレストランの店員なんかには、皆ほんとに驚くようだ。スーパーの店員なんかみても、本当にお客様が神様という意識が社会の隅々まで行き渡っている国だと思う。そんな僕がフランスという国に放り込まれたわけだ。便利さにどっぷり遣った自分にとって、何かとアナログで手間のかかるフランス社会システムには苛々させられることが決して少なくなかった。何をするにも時間と労力がかかる。一番手っ取り早く日本とフランスの便利さを比較できる場は、スーパーである。先ずスーパーのレジ。先ず、待つのは当たり前である。それも日本とは比べ物にならない長い時間。多くの人がレジに並んでいっこうにスムーズに進む気配がない。にも関わらずスーパーのレジの人々は動きが非常に緩慢である。日本と違って大抵は椅子に座ってレジをすることになっているようで、より快適な状態で業務に当たれるはずなのだが、あのやる気のなさはなんなんだろう。日本のように笑顔をいつも期待できるわけではない。それは従業員の機嫌に大きく左右される。ただ、客としての自分が笑いかけながら挨拶をすると、さすがに笑顔で返してくるが。商品によってはバーコードの読み取りができず責任者に問い合わせるといったことが頻繁に起こる。その問い合わせも極めてゆっくりしている。日本だと走っていくところだろうが、ゆっくり歩いて問い合わせに向かう。その間客は待つばかりである。次にスーパーの開店時間。スーパーは日曜・祭日に必ず閉まるというのにも最初はびっくりした。そして、平日も7時に閉まる。金曜日はちょっと遅めで8時半だが。日本で7時に閉まるスーパーって存在するだろうか。また、何か探しものをしていて、従業員に尋ねたときなども、従業員の気分によって、対応がすさまじくなる。早口のフランス語で、「あそこの棚よ!」と罵られたり、探すのがめんどくさいときなどは、「売り切れた」と平気でいうこともある。(その後実際に自分で目当ての品を探しあてることができたとき、さすがに頭にきた)マクドナルドも日本のマックとは違う。僕自身マックでバイトしたことあるが日本のマックって動作がとにかくきびきびしていてお客様をお待たせしないようにという意識が全従業員に行き渡っているように思う。高度に業務がマニュアル化されていることもあるが、怠ける・手を抜く余地というものがまるでなかった。フランスでのマックは心なしか動作がゆっくりしているように思う。さすがにスーパーなんかに比べると、まだましだが。そういえば今ふっと思い起こしてみれば、僕の住んでいる町はフランスでもそれなりに大きな町であるのにコンビニというものが存在しない。夜中に喉が渇いて何か飲みたくなったと思っても日本のようにコンビニにジュースを買いに行けるわけではない。役所の対応のひどさは日本以上だ。先ず膨大な種類の書類が必要とされ、一つでも足りないものがあると、出直しとなる。本当に手厳しい。対応者の機嫌によっても、スムーズにいくかどうかはかわる。僕自身滞在許可証の更新のために半日つぶした記憶がある。それも、滞在許可証自体はもう作成されていて、それをただ受け取るだけの作業だったというのに信じられない。以上のようにフランス社会の“不便さ”を数え上げるときりがなく、このように書くと自分は日本社会システムの信望者であると思われるかもしれない。ただ、最近ことはそう簡単に割り切れないのではないか、と思うようになっている。日本のお客様第一主義のシステムを維持するために、どれだけ従業員の負担が重くなっているか。とんでもないクレームをつけてくる客に対しても真摯に対応しなくてはならない。お客様をお待たせしないようにと常時小走りに動き回らなくてはならない。お客様の多様な要望・ニーズに応えようとするあまり、企業は度を越したサービスに手を伸ばさざるを得なくなる。そうすると、より大きなコストが必然的に必要となってくる。そのコストを埋め合わせるために、サービス残業も当たり前のように行われるようになったのだろう、と思う。そして、みんな立場を帰せば自分も従業員になりうることに気付かないままでいる。お客にあまりの過重をおきすぎると、従業員としての自分に過大な負担がかかってくることに無知でいる。それが日本の大きな社会問題(いわゆる過労死など)に繋がってくるのではないか。仕事のやりすぎで精神を病んだり、自殺したり、過労死する人が多い日本社会はどっか病んでいる。人間は、生きるために仕事をするのであり、仕事をするために生きているのではないはずだ。その意味では、フランスは日本の対照に位置すると思う。フランスは、完璧に店員優位の国だと思う。お客が第一ではない。売ってやっているとまでは言わないが買いたくなければ別に買わなくてもいいよ、という意識がなんとなく伺える。サービス残業などもってのほか、お客様をお待たせしないようにと無駄な労力を使うこともない。勿論レストランなんかではチップをもらえればまた話は別だろうが。週35時間労働が法律としてきちんと規定されており、またきちんと守られている国である。35時間労働を達成するには、ある程度お客様にも我慢を強いるよりないだろう。労働時間が圧縮されるということは、それだけ顧客のために割くことができる時間が圧縮されるわけだから。この間など、週30時間労働を求めてデモ行進している人々を目にした。さすがにそれは行き過ぎだと思うが、(だって一日6時間、週五日ですよ!!!)。少しでも日本の労働者の環境をよりよくするためには多少お客様が不便でも、労働者の負担を減らせる環境を志向する必要があり、その意味では日本もフランスのような社会を志向するべきだと、個人的に僕は思う。スーパーが7時に閉まってもいいじゃないですが。日曜日に開いていなくてもいいじゃないですか。コンビニがなくても生活できるはずじゃないですか。勿論例えば現在朝から晩まで週末なく働いているような人々にとってはコンビニがないと、生活していけないだろうし、そういう人達はコンビニの存在意義を頑として主張するだろう。でもコンビニの存在意義を主張する前に、朝から晩まで週末なく働いているという異常な事実に先ず目を向けるべきではないだろうか?コンビニがこれほどまで栄えることができた社会というものに疑問を持つべきではないだろうか?夜中にでも思い立ったときに、ジュースを買いにいけるというつまらない欲望を満たすために、どれほどのコストが支払われているかということに、日本で暮らしていたときの自分は余りにも無知でいた。フランスで暮らすうち、たとえコンビニがなくても、スーパーが7時に閉まっても、慣れれば問題なく暮らせる自分に気付いた。少なくとも自分は日本では働きたくない。たとえどれだけよい給料をもらえても、だ。少ない給料でも自分の余暇・時間を大事にできる、ヨーロッパスタイルに僕はとても憧れる。皆さんはどうでしょうか?
2003年02月19日
フランス及びその文化を憧れる日本人が多いのはよく知られるところである。僕自身日本にいたとき、フランスはなんとなくお洒落で洗練されているというイメージがあった。多分そのイメージは少なからぬ日本人の間で共有されているのではないだろうか。パリなどでは、どこを歩いてもよく日本人観光客と思われる一団に出くわす。航空券は、いくら安くなったとはいえ往復最低6,7万はすることを考えれば、その数の多さはやっぱり尋常ではないと思う。そういうとき、つくづく日本人ってフランス好きなんだな、と思う。それにしても日本人って何故世界中どこに行っても一目で日本人だとわかるんだろう。服装・顔つきが明らかに他の黄色人種と違う。以前僕の日本人友達と日本人と他の東洋人との間の違いは何にあるのか、議論したことがある。そのとき彼は、日本人の顔は他の東洋人の顔に比べて「ゆるんでいる」と評した。なるほどと思った。よく言えば柔和とでもいうんだろうが確かに中国人とかに比べてゆるんでいる気がする。経済大国で、国民のほぼ全てが中流レベルの生活を維持できる日本では緊張感のない、緩んだ顔となるのは当たり前なのかもしれない。後、歩き方・ちょっとした行動からも日本人の緊張感のなさが見出される。すきだらけというか。まあ、なんにせよ、そういう日本人観光客をフランス人自身は温かく迎えてくれているようである。何といっても彼らはお金払いのいい、ドル箱だし。それに加えて日本文化、漫画の影響で日本そのものに対していい印象を持つフランス人が多いからだ。僕自身日々生活する上で、フランスで日本人として生きる際不都合を感じることは先ずない。あからさまな差別を受けることもないし、皆とっても親切だ。後、これは僕の個人的見解だが、フランス人の国民性の一部は日本人のそれに共通していると思うこともある。一言で言い表すと、”控えめさ”とでもいうのだろうか。なんというか、押しが強くないというか、物静というか、そういう雰囲気を持つフランス人って僕の周りにとっても多い。うまく説明できなくてもどかしいが。彼らと接していても全く疲れない。なんにせよ、日本人にとっては、フランスという国はとても暮らしやすいということだ。日本で留学というと、アメリカを第一に考える人が多いが、ちょっと目をヨーロッパに向けてみるのはどうでしょうか?快適な生活が絶対保証されますよ!
2003年02月17日
フランスに限らず、違う文化圏で暮らすときショッキングな出来事がに出くわすのは当然だ。生活習慣上の違いからちょっとした誤解を生む事は日常茶飯事だし、自分には理解できない習慣があったりするのも当たり前だ。当初僕がフランスに来て、一番戸惑った習慣はBise(ビズ)だった。ビズというのは、フランスだけでなく殆どの欧米圏で挨拶として行われる頬と頬を触れ合わせる軽いキスのことだ。頬と頬を触れ合わせる瞬間「チュッ」と音を出すことになっている。つまり、左右の頬を交互に触れ合わせる瞬間計2度キスの音を発することになる。ビズは基本的に女性同士、もしくは女性と男性の間で行われる。男同士では普通握手がビズの代わりとされる。男同士のビズは同性愛者など、ごく限られた関係でしか存在しないようだ。僕は日本人の基準でもパーソナルスペイスを大きく取るほうだと思う。ましてや、あまり知らない人とほっぺたをくっつけ合わせるなど当初は考えられもしなかった。羞恥心もあったし、後、清潔感のない女性とビズをやるときなど生理的に受け付けられないなどとも思った。美しい女性とビズをするとき、緊張してしまい、相手の女性の頬に自分の頬の骨を思い切りごつんとぶつけてしまったこともある。相手はびっくりしていたし、「何だ、この東洋人は!」という目で僕を睨んだ。このときはさすがに笑えなかった。自分でもちょっと落ち込んだ。でも慣れとは恐ろしいもので、最近では何の抵抗もなくビズができるようになっている。おばさんとかとも普通にできるようになった。前はチュッという音を申し訳なさげにしか出せなかったが、最近はそれなりに大きな音を立ててビズができるようになった。恥ずかしがらずに大きな音を出してビズをしたほうが一般的に受けは良いようだ。というわけで、僕はビズの習慣を受け入れられるようになったが、他ならぬフランス人自身はこの習慣をどう思っているのかな、と考えることもある。いかにも脂ぎった清潔感の無い、無精ひげがもじゃもじゃの男とビズをせざるをえない状況になったとき、フランス人女性はどう思うんだろう。やっぱり嫌だろうな。勿論その逆もしかりである。清潔感のない女性とビズをすることになったフランス人男性はどのように思うんだろう。そういう時ってビズを拒否できるんだろうか。ハワイ市場さんも日記で書いておられたが、欧米人は他人との肉体的接触を持つ機会が多く、肉体的接触を大事に考えるからこそ体臭とか口臭とか、自分の清潔感を保つように日本人以上に気を配る傾向がある。確かに僕の友達でも嫌な体臭とか、口臭とかを漂わせているフランス人は極めて少ないと思う。だからこそ、ビズという文化がきちんと根付くことができるのかなと思ったりもする。嫌な体臭・口臭をぷんぷん撒き散らしている人が多い文化圏では絶対ビズはありえないだろうと思う。幸い僕自身今までビズを拒否されたことはない。まあ自分からビズをしにいくことが少ないということもあるが。最低限の身だしなみ・清潔感はこれからも大事にしていこうと思う今日この頃である。
2003年02月16日
今日は、フランスで論文・エッセイの書き方に関する授業をみっちり受けてきた。3時間!前回のクラスとあわせると、6時間分も書き方に関する講義を受けたことになる。日本語訳すると « 論文 »とひとまとめにされるけれど、それに対応するフランス語はたくさん存在する。Le mémoire、La thèse、L’article、La dissertation、など・・・。」(きちんと数え上げれば他にも色々出てきそうだ)Le mémoireは、日本でいう学士論文、修士論文に当たるといってよい。La thèseは、博士論文を主に指す。L’articleは新聞・雑誌への投稿論文だ。La dissertationは、英語圏でいうところのエッセイに近い。所謂期末試験なんかで課されるエッセイのことだ。La dissertationというと、英語圏では博士論文を指すようだが、フランスではちょっと意味は異なる。僕が所属している専攻では日々のクラスおよびその期末試験に加えて、学生達は一本論文を書くことになっている。それは強制ではないが、論文を一本書くことで免状取得条件が幾分緩和されるので、殆どの学生は論文を書くようだ。その論文は、なぜかla note d’étudesと呼ばれる。この呼び方はフランスのほかの大学では一般的ではない気がする。(詳しくは知らないので、断言はできないが)確かにun mémoire、une thèse程には量的にもハードなものでなく、ちょっと一味変わった名前が使用されているのだろう。そうはいっても勿論フランス語で30ページほど書かなくてはならない。ちょっと大変かも(^^ ;勿論僕にはちょっとどころじゃなく大変だ。僕はこっちでは免状取得を目指してはいないものの、一応論文は書いていこうと考えている。日本に帰ったときの負担を減らさないといけないから。まあ、僕の場合立場的には至極気楽なので、失敗しても問題ない!位の気持ちで取り組もうと思う。ある程度のプレッシャーは必要だが、余りに気張ってやるとろくなことがない。さて、本題に入るが、フランスの論文の書き方って外国人にはとっては耳慣れない、ちょっと厄介なものだ。構成が極めて限定されている。書式自体は、殆どの論文が同じだと思う。(つまり、Le mémoire、La thèse、L’article、La dissertation全てで)論文は、必ず序論、本論、結論の3パートから構成されていなくてはならない。本論は、大きく2、3個の章に分かれていなければならず、4つの章にわかれていると、その時点で駄目となる。客観性を持たせるために、Je(私)・Nous またはOn(私達)という言葉は使ってはいけないなど、幾つかの禁則もある。以上のような一般的な規則に加え、ややこしいことには各教授によって守らなければならない独自の規則が存在する。わかりやすいところで言えば、ある教授の場合には本論の3つのパートそれぞれにタイトルをつけることが強く推奨されたり、それは全く必要ないとする教授もいる。極めて複雑だ。しかし、フランス人であろうがなかろうが、このフランス式論文の書き方は必ずマスターする必要がある。なぜならば、例えば試験なんかで、la dissertationの書式を外したものは教授によっては採点すら受け付けてもらえないことがあるからだ。考えてみれば、日本には論文の書き方に関してフランスほどの書式の徹底というものはみられない気がする。中学校・高校でも読書感想文など、作文の宿題自体は存在したが、自由作文といった感じだったし、とりたてて形式にうるさく言われた経験は少なくとも僕はない。まあ、これもいい経験だと思う。まだ深いレベルでフランスの論文の書き方を理解しているわけではないが、論理的・組織だった文章を書くには、このフランスのスタイルはとっても適していると思う。ちょっとやる気を出してフランス式論文の書き方を学んでみようと思う今日この頃。
2003年02月14日
今日は例のフランス語が変に訛った、比較政治の授業だった。この前の授業よりはかなりましだったとは言え、わからんものはわからん。今日は旧東欧の国の政治制度・政治史の解説だった。ポーランド・チェコスロバキア・ルーマニア・ブルガリアの旧体制から新体制への移行の様子が説明された。大体、政治家の名前が長すぎる。3時間の授業で、主要政治家・思想家の名前が嫌というほど出てくる。はっきり言って耳に残らない。これがまだ日本語の名前だったら・・・。これに関連して、外国人の名前って覚えにくいと思う。馴染みが無いのに加え、発音しにくいから耳にのこりにくいのだ。無論、これは我々日本人だけでなく、西洋人にとっても自分の国以外の人の名前は発音しにくく、覚えにくいようだ。僕のクラスメートにリトアニア人でGiedreという女の子がいる。彼女の名前は西欧人でも発音できる人は少ない。日本語で無理やり発音しようとすると“ジイャドゥリ”とでもなるのか。教授が出席を取ろうと名前を呼んでも彼女によれば、発音は違うらしい。最近は彼女もあきらめたようで、適当に皆が呼びたいように呼ばせている。あと、これはフランス語にも限らず、日本人にとっての難関は、RとLを区別して発音することだろう。日本語にはラ行しかないのだから、大変である。英語なんかでもそうである。アメリカ人と英語で話すとき、Rは思いっきり舌をまかないと通じないことがある。例えば公園のParkも文脈にもよるが、普通に“パーク”と言った場合には先ず通じないと言ってよい。これは僕自身実際に経験した。フランス語にも無論、RとLの区別は存在する。日本語のラ行は、フランス語ではLに近く、Rは喉がかすれたような音で発音する。日本語のハ行をより喉でかすらせたような感じ、といったところか。RとLを混乱させると、全く通じないことがある。今日は授業中archaïsme「昔ながらのやり方・古風な物言い」という単語が出てきたが、僕はその意味がよくわからず、フランス人に尋ねたが、日本語的にアルカイスムと発音しても全く通じなかった。Rが問題だった。お陰でフランス人の友達に10回ほど発音矯正訓練を受けた。。。。フランス語上達まではまだまだ道のりは険しそうである。最後に、一言アドバイス。英語のミスターにあたる言葉はフランス語ではMonsieur(ムッシュー)というのはよく知られていますが、日本語的にムッシューと発音してはいけません。フランス人の耳にはmouche(蝿)と言っているように聞こえます。Monsieurは、むしろムッスィウという風に発音しないといけません。ムッシュー(人の名前)といってはなりません!お気をつけあれ!
2003年02月13日
今日はヨーロッパ統合史の授業最終日だった。10月の授業開始から駆け足でヨーロッパ統合に至る道のりを学んできたが、興味深い内容であったという一言に尽きる。授業を受けていく中で、勿論フランス語の問題は常時付きまとった。僕の研究科は留学生が7割を占めるということもあり、教授は非常にゆっくり喋っていたけれどそれでも僕には十分難しかった。特にボキャブラリーの面で苦しめられた。でも、授業を重ねていくにつれ、だんだんと教授の仏語に慣れていく自分に気付くようになった。特にこの授業で扱われる特殊用語などは、だんだんと耳から頭に残るようになっていった。最後の方は大体の内容は取れるまでになっていた。だからこそ、試験にもぎりぎりとは言え合格できるまでになったのだろう。嬉しいの一言だ。明日は比較政治の授業がある。相変わらずこっちの授業は半分程度も理解できない状況が続いているが、いずれはなんとかなるであろうことを切に願う。比較政治の授業の難しさは、先ずボキャブラリーの点でなじみが無さ過ぎることにある。というか、この授業は日本語で解説されてもわからないのではないか。ヨーロッパ学生はそれまでの各国の学校教育のお陰である程度基礎知識は身につけているようだ。我々アジア人学生はそういうわけにはいかない。フランス・ドイツの政党名や政治史を知ってる日本人はほぼいないだろう。後、比較政治担当の教授にも問題がありそうである。先ず、フランス語が微妙になまって聞きにくい。フランス人学生はなまっているとは言わないが、多くの外国人学生は彼のフランス語に苦しんでいる。なんか鼻につまったというか、喉に痰が絡まったというか、とにかく微妙なフランス語。さらに彼は授業内容がorganizeされておらず、よく脱線するので、内容についていくのも大変なのだ。これはフランス人学生の多くも指摘している。まあ、それなりに面白い内容もあるので、授業に出続けているが、たまにあまりのわからなさに授業中金切り声を挙げて訴えたくなる。(決してそんな事はしないけれど)こんな感じで僕のフランスでのアカデミックライフは続いている。学期末まで、無事何事もなく終わることを願いつつ・・・。
2003年02月12日
フランスに来て以来ずっと料理にはまっている。東京で一人暮らししていた頃もそれなりに料理はしたが、こっちでの料理への熱の入れようとは比べ物にならない。何がここまで僕を料理へと掻き立てるのかを冷静に分析してみると、やはり、「飽くなき日本食への渇望」がある気がする。(ここまで言い切るほどのことでもないが)普段日本では洋食派でも、一旦日本を離れれば絶対日本食が恋しくなるのが日本人だと思う。特に醤油・味噌の風味は外せない。後お米!(日本米!!!)世界を一年中転戦して回った伊達公子選手も、遠征には必ずお米と炊飯器を持っていったと聞いたことがある。日本では、お金さえだせば日本食はどこでも食することができるので日本食に対してそこまでの愛着を感じることができないのだと思う。味もまあそこそこのものが、安価に手に入る。ちなみに僕は貧乏学生なので東京ではよく大戸屋で御飯を食べてたものだ。日本食を味わうのにわざわざ自分で作る必要はなかった。フランスではそうはいかない。自分が満足するレベルでの日本食を味わうには、かなり高級なレストランに行かなくてはならない。安い日本食レストランは、先ず偽日本食しか提供しないと言ってよい。はっきり言ってまずいことが多い。僕はこっちでも勿論貧乏学生である。食費にそんなにお金を使うことはできない。よって、日本食を味わうためには専ら自分で作ることとなる。これが実に面白い。幸いなことに、僕が住んでる町にはアジアスーパーがあり、そこでは多くの日本食を手に入れることができる。醤油・酒・みりんなどある程度のものは購入可能だ。ただ、そうは言っても手に入らないものも少なくない。例えば刺身なんかはあたりまえだが存在しない。さすがに僕もフランスの生魚を刺身として食べる勇気はない。そこで、創意工夫が必要となる。フランスにある限られた食材を使って日本の味を出す作業はとっても楽しい。寿司などは、こっちのスモークサーモンを使えばとてもおいしい握りができる。お吸い物を飲みたいときなど、ムール貝を使うと、それはそれで十分味わい深いものができる。たまにはへこむほどまずいものが出来るが、それは愛嬌というものだ。大体は自分なりに満足の行くものができる。今日はちなみにカツ丼を作った。パン粉が無かったので、フランスパンを削って作った。久々の大ヒットといってもいいくらいおいしかった。主夫になれるかな?と思うくらい。でも整理整頓がなってなく、掃除も好きではないので、主夫はちょっと無理かな。整理整頓掃除が大好きで料理が嫌いな女性と結婚すれば、家事もうまく分担できてちょうどよさそうな気がする。なんて、そんなこと言ってる前に相手を探すのが先決でしょ!っていうつっこみを自分で入れてみました(笑)
2003年02月11日
今日は昨日のパーティーの後のことを書こうと思う。昨日のパーティーは昼の12時から大体5時くらいまで続いたのだが、その後、僕は他の日本人学生と連れ立って、他のフランス人友達と遊びに行った。映画を観にいった後、(フランスのコメディ、最悪につまらなかった。フランスのコメディって外れると最悪なのだ)そのフランス人友達の家に行き、ピザを食べ、その後バーに行ってきた。そのフランス人って、驚くほど金持ちの坊ちゃんだってことがわかってびっくりした。地下にプール付・立派なワインカーブ付のまさに邸宅と呼ぶに相応しい豪邸に住んでいた。3,40人規模のダンスパーティーが開けるほど、すごい立派なお宅だった。彼の服装、小物からまあ、そこそこのぼっちゃんだろうとは思ってたけど、あそこまでとは思わなかった。ともかく凄しの一言。彼の言動みてるとほんとに育ちの良さがわかる。すれていないというか、雰囲気がいいというか。ああいう育ちの良さは、後から身に付けられるものではないし、つくづく羨ましい。豪邸を探検(ほんとにこの言葉がふさわしいと思う)した後、バーに遊びに行った。すごく感じのいいバーで、ストラスブールにもこんなcoolなのがあったのかと思った。結局夜3時くらいまでdanserした後、うちに帰って寝た。今日は起きたら午後2時だった。よく考えたら、というか考えるまでもなく、最近遊びすぎである。何をしているのだろう。きちんと勉強せねば。でも言い訳ではないが、留学ってそういう人との交流もとっても大事な要素だと思う。色々な人との人脈を形成しておくのは、今後の自分のキャリアにプラスになること間違いなしだ。勉強も程ほどに、遊びも程ほどに、楽しんでやっていこうと思う。じゃ、chao
2003年02月09日
今日はフランス人友達(男・女)二人と台湾人女友達一人後日本人の男友達二人を呼んで日本食パーティーをした。この人選にはちょっとしたこつがある。先ずフランス人二人は、いつも僕に親切にしてくれるかどうかを基準に選んだ。相変わらず僕のフランス語は僕が望むレベルには程遠く、特に授業の理解の時点で困ることが多い。そういう時、親切なフランス人友達の存在はとってもありがたい。彼らは僕に授業が終わった後、ノートを貸してくれる。実を言うと、そのノートを解読するのは大変困難なのだ。彼らのノートの字はとっても汚いのだ。これは、フランスの大学での授業スタイルに起因する。フランスの大学の授業では、教授が一方的にべらべらと喋り続け学生はただひたすらにノートを取り続けるのが一般的だ。時にはフランス人学生ですら授業をテープに録音するくらい喋るスピードが速いことがあり、丁寧に書いていられないのである。というわけで、フランス人学生ですら他人のノートを解読できないということが頻繁に起こりうる。ましてやフランス語のボキャブラリーに難のある僕が彼らのノートを理解するのはなおさら難しい。とは言え、親切心から彼らはノートを貸してくれるのだ。不平不満を言っては罰が当たる。いつも感謝の気持ちを持って借りている。今日呼んだフランス人2人のうち、女友達は僕にいつもヨーロッパ比較政治のノートを貸してくれる。彼女はとっても親切だ。彼女はフランス人とスペイン人のハーフで、かつ以前ケンブリッジで学位も取ったという才媛だ。仏語・スペイン語・英語がネイティブレベル!すごしの一言。フランス人の男友達も僕にとっても親切だ。彼は身長が2m近い。とにかくでかい。彼はドイツ人とフランス人のハーフだ。ドイツ語は理解はほぼ出来るものの、喋るのには困難を感じるらしい。かれはいいやつだ。ほんとに親切。台湾人女友達は僕と同じく、授業についていくのに困難を感じている。品のない言い方をすれば、落ちこぼれ組だ。いつも二人で色々慰めあっている。やっぱりアジア系学生は、先ず言語の時点でより高いハードルに直面する。言語間の類似点が少なく、言語習得により大きな困難があるからだ。あと、僕が今こっちでとってる欧州統合論など欧州の学生は日々のニュースでそういう話題に馴染みがあるが我々の場合ではそうはいかない。基礎的な知識のレベルで、差があるのも動かしようのない事実である。というわけで、台湾人の女友達とはいつも仲良くやっている。お互いなんとか危機を乗り越えてやっていこう、と。彼女もとってもsympaだ。スペインに彼氏がいるらしい。彼氏はスペインに留学し、博士号取得を目指しているとのこと。つまり、彼氏はスペイン人ではなく、台湾人。(感じがいいやつを意味する口語。Sympatiaqueが正式)日本人に関して。何故日本人女友達を呼ばなかったか疑問に思われるかもしれない。日本人女友達を呼ぶと色々人間関係の面で不都合が生じうるのだ。先ず、誰かを呼ぶと、呼ばれなかったものに“何故自分が呼ばれなかったのか?”“もしや自分はsaltshunに嫌われているのか”等というあらぬ疑いをかけられる可能性があるのだ。後、女同士でも仲がよくないなど、グループ分けが進んでいるようで、色々とめんどくさいのだ。というわけで、めんどくさくないように女友達は全く呼ばず、日本人男友達だけ呼ぶことにした。結果としてこの人選は成功したように思う。終始和やかにパーティーは進み、僕の日本食もそれなりに好評だった。箸の使い方、山葵を味わうなど定番のネタもあり終始和やかなムードで進んだ。とっても楽しかった。また、誰かを呼んでパーティーしようと思う。
2003年02月08日
楽天の日記の中で僕の一番のお気に入りは、ハワイ市場さんのだ。今では僕は偏執狂に近い。毎日彼女の日記には必ずアクセスする。ちょっとぬけた(失礼!!!) 旦那さんとのやりとりはたまらない。下手な漫才より面白いのだ。勿論彼女の文才も讃えられるべきである。とにかく大好きである。さて、そんな彼女の日記中僕を驚かせたtopicが一つあった。それは差別に関するtopicだ。彼女によればアメリカ本土ではまだ根強くアジア人に対する差別が残っており、彼女自身も何度か差別を経験したそうだ。スーパーで黒人の男性に“Go Home Jap!!!”とか言われたり、白人の店員には明らかに他の白人客に対するのとは異なる態度をとられたりしたそうだ。勿論、そんな愚かな振る舞いをするのはごく一部の人間でしかないとも断っておられたが、ちょっとショックだった。フランスに関しても無論、差別は存在する。というか全く存在しない国は悲しいことだが皆無だろう。どんな国にもそういう愚かな人間は存在するのだ。フランスでは移民、特にアラブ系の移民達に対する差別が一番如実に見受けられる。4月の大統領選挙の決選投票移民排斥を謳う極右政党候補ジャン-マリー・ルペンが大方の予想を覆し勝ち残った。勿論決選投票ではシラクの圧勝であったが、自由・平等・博愛を謳うフランスで、ルペンのような候補に対する支持が増大していることはフランスのみならず、世界中に衝撃を与えた。彼が支持を広げている理由は、フランス旧植民地からの移民の増大による治安悪化にある。特にアラブ系の住民の増大をフランス人の少なからず部分がフランスのidentityの危機として捉えているようだ。モスクの焼き討ちや、アラブ系住民に対する暴行に関するニュースを耳にしたこともある。そういうニュースを聞くととても悲しい気分になる。皆同じ人間なのに・・・。幸いなことに日本人としての僕はこっちに来て以来差別というものを全く感じた事はない。皆凄く親切で、本当にフレンドリーだ。こっちから働きかけていけば必ず受け入れてくれるし、特に困ったときなど必死に助けよう、助けたいという意思が伝わってくる。僕の住んでいる都市は田舎に位置すること、国際機関が幾つか存在するインターナショナルな都市であること、日本文化愛好者が多く、日本に対するいいイメージを持っているフランス人が多いことなどがその理由だろう。なんにせよ、喜ばしいことだ。差別されて嬉しい人間などいるわけがない。
2003年02月06日
海外生活が長い人は、現地の食生活に慣れてもくるのだろうが僕はまだフランスに来て1年弱。というわけで、やっぱり味覚は全くの日本人である。フランスの料理は決して嫌いではないけれどやっぱり自分から進んで食べたいのは日本食だ。僕が住んでるのはフランスの一地方都市であるが日本料理屋はいくつか存在する。ただ味は?らしい。生憎僕はまだ試した事はないが、他の日本人によればあまり美味しくないとのことだった。一般にフランスの日本食レストランの五割はエセ日本食を供するといってよい。店員も日本人かと思いきや、ベトナム・カンボジアなど旧フランス植民地出身者であったりすることが普通だ。一般の日本人がフランスで労働VISAを取ることの大変さを考えると日本人が普通に働けるわけないもんなぁ・・・。というわけで、日本的な味を追求しようとするならば自炊せざるをえなくなる。ついでに、フランスでは物価に比して外食すると結構高くつくので僕はフランスに来て以来食事はもっぱら自分で作っている。お陰でフランスに来て料理の腕がかなりあがった。揚げ物から寿司まで、そこそこのものは作れるようになった。専業主夫立派にやれると思う。これからの時代男・女関係なく料理はできるべきだと思う。僕の父親はいわゆる日本の一昔前の親父像というのがぴったりくる感じで、家事などははっきり言って殆どやらない。まあ、それはそれで僕の両親はうまくやってきたので僕がとやかく言うことでないが母親に先立たれた時どうするのかと思う。僕はいかなるときにもいろんな意味で自活できる人間でありたい。今度の土曜日に、フランス人の友達を呼んで日本食パーティーを開く予定だ。彼らに本当の日本食というものを味あわせてやろう。
2003年02月05日
今日もバーに友達と飲みに行ってきた。今回はフランス人・ベルギー人が主で、ヨーロッパ学生が殆どだった。本当に様々な国籍の学生がいたのにはびっくりした。スウェーデン・チェコ・リトアニアなどヨーロッパの多様性を垣間見たような気がした。彼らとの会話は全てフランス語で行ったのだがそれにしても彼らのマルチリンガル振りは本当に驚かされる。皆きれいな聞きやすいフランス語を話すし、英語は間違いなく普通に皆話せるようだった。後、ドイツ語など、第3,第4言語を操れるものも少なくなかった。やっぱりヨーロッパ人にとって、言語間の類似性が大きいようでヨーロッパ言語を習得するのはそれほど困難な作業ではないようだ。うらやましー。どうあれ英語もそれなりでしかなくフランス語も未だブロークンである自分にとっては驚嘆の一言だ。いいな。なんか悔しくなってきた。自分もフランス語がもう少しなんとかなったらドイツ語かなんか始めようと思う。
2003年02月04日
僕のフランス語は相変わらず初心者レベルである。勿論、普通に暮らす分にはほぼ問題はないが、やっぱり洗練されたフランス語にはほど遠い。先ず発音。皆さんご想像付くと思うが、フランス語の発音はとっても難しい。よく言われる言葉が”articulez!"(直訳すると、くっきりはっきり発音しろ!)日本語ってあんまり口を動かさなくて発音する言語だっていうの、フランス語を勉強し始めて始めて知った。日本語で育った自分は、口の筋肉がそういう風に出来上がっている。はっきり発音しながらフランス語を発音しようとすると、舌がまわらなくなるしなんか口まわりが疲れる。ちょっと油断すると、日本語的な発音でフランス語を発音してしまう。そして通じない。このもどかしさ。さすがに僕のクラスメートなんかは、僕の日本語訛りのフランス語に慣れてるので、大体何を言おうとしてるかわかってくれる。でもその他の状況では何度となく聞き返される。苛々するし、悲しくもなる。日本語って発音という観点ではとっても簡単な言語だと思う。英語訛りの強い日本語、中国語訛りの強い日本語など、確かに変だけれど、彼らがしゃべっている限り、わからないということは少ない気がする。日本語の発音の数が少ないのがその一因だと思う。中国人とかだと、発音がむっちゃくちゃ多いので、中国人は多言語の発音をスムーズに習得できると聞いたことがある。いいな。まあ、ここで落ち込んでいても意味が無い。毎日articulerに注意しながらフランス語を今日も練習しようと思う。
2003年02月02日
2/1/2003昨日はクラスメートと遊んでて、朝帰りしてしまった。よって、日記書けなかった。朝帰りなんて久しぶりだ。(僕はこっちではそれなりに真面目な学生なのだ)先ず昨日は中国にとって旧暦の正月にあたるらしかった。それは中国人にとって、最も重要なお祭りだ。中華レストランに行って、新年を祝った(とってもうまかった!)その後、アメリカ人の友達と(夫妻二組)ベルギー人と飲みにいった。中国人は来なかった。彼らはそういうときには先ず来ない。やっぱり真面目なんだろう。勿論中国人にも色々いるとは思うが・・・。さて、アメリカ人も含め、欧米人と過ごしてると、あのタフさにはいつも驚かされる。本当に酒に強く、夜にも強い。体のつくりが違うのか、と思うほどだ。僕は酒は飲めなくはないが、それ程強くもない。彼らのペースにあわせると大変だ。(お陰で今日は二日酔い(><)そういえば、バーでちょっとだけ文化的違いに関する口論があった。口論というほどのものでもないが。アメリカ人の二人の妻にバーの地下に誘われてダンスをしようと誘われたのだが(バーの地下はちょっとしたクラブのようになっている)やけに体の接触が多かった。僕は日本人の中でもいわゆるパーソナルスペイス(人物間の距離)大きく取る方だと思う。後、他人との肉体的接触をあまり好まない嗜好も結構強い。ましてや、アメリカ人の既婚者となど、とちょっとばかしひいてしまった。勿論、日本人の中にもそういうのは全く気にしない人がいるだろう。一般的な日本人男性という観点からみて僕はちょっと保守的な傾向が強すぎるのも認める。でも、やっぱり、僕の考えでは妻は他の男性と肉体的接触(変な意味ではなく)をもたない方がいいと思う。彼らは「気にしないで!これは全く何でもないのよ!」とはいってたが、僕は気にした。こういう文化的違いに起因するバトルというか、ディベートは結構起こる。まあ、それはともかく。とっても楽しかった。テストも終わったし、ちょっと遊びまくってやろう。(勉強はどこにいったんだ、というのは聞かないで!)今日は映画を観にいきます。日本ではもうすでに封切られたらしいが、Gang of N.Y.に行く予定。楽しみだ。じゃ、CIAO!
2003年02月01日
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