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学生運動に参加した希代子と八重は新一郎を共有したものの新一郎はいなくなり、希代子はひとりで光夫を産んで就職し、18歳になった光夫が父親が生きていると知って探していくうちに、八重が病気を悪化させつつ希代子の妹の夫の耕介と不倫する話。主な登場人物は希代子(たぶん主人公)、八重(希代子の友人)、新一郎(光夫の父)、光夫(希代子と新一郎の息子)、和歌子(希代子の妹)、耕介(和歌子の夫)の6人で、この狭い人間関係の内側で物語が完結して物語世界の広がりがない。三人称で希代子、八重、光夫のそれぞれの視点から、息子に父親の存在を隠そうとする希代子、病気の八重の耕介との不倫、光夫の父親探しと恋、という3通りのプロットが展開するものの、どれも突っ込み不足で心理が十分に描けていない。心理が描けていないせいで物語にリアリティがなく、父親探しだの不倫だのというドラマ的部分に迫力も面白みもなくなっている。脇役ほど心理描写が雑で、和歌子が八重と耕介の不倫をあっさり許して美化するのはプロットを優先してリアリティを損ねているし、新一郎が希代子と八重に二股したりタンザニアに逃げたりした理由や心理も十分に書かれていない。その特殊な状況に陥った人間の心理を書くつもりがないのならそもそもこんなストーリーにしなきゃいいし、どのプロットも中途半端にするくらいならメインのプロットをどれかひとつに絞って誰か一人の心理だけでも掘り下げて書くほうがよかっただろう。作者は物語の展開の早さを優先して三人称にしたのかもしれないけれど、登場人物が少ないにもかかわらず心理もちゃんと描けていないというのでは本末転倒で何もいいところがない。それにこの物語では全共闘世代が40代になった1980年代後半のバブル時代や、加齢に伴う登場人物の心理や思想の変化が描けていない。学生運動やキャリアウーマンの仕事ぶりの描写が取ってつけて書いた設定というような具合で、手を抜いてる感じがしてよくない。どういう思想でどういう行動をとってきたのか、登場人物の思想が見えてこない。父親探しに病気と不倫を絡めていかにもドラマチックだよという感じで無難に仕上げた昼ドラ風凡作で、純文学としては見所がなく、現代に読み返すほどの魅力はない。★★★☆☆【送料無料】霧の子午線 [ 高樹のぶ子 ]価格:571円(税込、送料込)
2013.09.16
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世間知らずで馬鹿呼ばわりされているムイシュキン公爵があばずれ美女ナスターシャに惚れていざこざに巻き込まれる話。----------------------内容-----------------------第一篇:スイスでてんかんの療養をしてロシアに戻ったムイシュキン公爵が遠戚を頼ってエパンチン将軍のところに行くと、ナスターシャとガーニャの婚約を巡る騒動に巻き込まれて、ムイシュキン公爵もナスターシャに結婚を申し込むものの、ナスターシャはロゴージンを選ぶ話。第二篇:縁戚が死んでけっこうな遺産を相続することになった公爵がイポリートやケルレルとかのごろつき達に金をたかられるものの追い払う話。第三篇:公爵の誕生日パーティーでイポリートが自殺未遂騒動を起こしたり、エパンチン将軍の娘のアグラーヤが公爵に告白したり、レーベジェフの財布がなくなってフルディシチェンコ(ガーニャの親父)が疑われたりする話。第四篇:ガーニャの父親の泥棒がばれて卒中で死んだり、公爵がアグラーヤに結婚を申し込んだり、エパンチン家の夜会で社交界デビューした公爵が発作を起こしたり、公爵をめぐってアグラーヤVSナスターシャの喧嘩が起きた結果、公爵はナスターシャと結婚することにしたけど挙式寸前でナスターシャがロゴージンと逃げたので、公爵がロゴージンの家を訪ねたらナスターシャが殺されていたりして、ロゴージンが裁判で流刑になって公爵が病気を悪化させてまたスイスの療養所に戻ったという話。-----------------------------------------------作者が見聞きしたことを語っている体裁の文体。古い作家のひとつの定型のようなやり方だけれど、スタイルが一貫しておらず、結局は神の視点で登場人物の心理まで書いてしまっているので、こういう体裁にしたからといってリアリティが出るわけでもない。第一篇では一日の出来事に300ページ余りが費やされて乱痴気騒ぎを起こすので、もうこれで中篇小説一本分の分量があるので満足して続きは読まなくてもいいやという気になる。主人公のムイシュキン公爵が何をしたいのか動機もよくわからないまま騒動に巻き込まれる形で受動的に物語が展開して、偉い人にほいほい気に入られるだのタイミングよく遺産を相続するだのというあたりもご都合主義的で、主人公に存在感がなく物語としてつまらない。受身のムイシュキン公爵よりもむしろナスターシャやロゴージンといった積極的に行動を起こす登場人物のほうが印象的だけれど、ナスターシャやロゴージンといったキーパーソンよりも、イポリートとかの伏線にもならない脇役の物語にかなりのページが割かれていてつまらない。訳者のあとがきによるとトルストイはムイシュキン公爵を「これはダイヤモンドだ。その値打ちを知っている者にとっては何千というダイヤモンドに匹敵する」と激賞したそうである。19世紀のロシアでこの世間知らずで善良な主人公像を提示すること自体にドストエフスキーの意図があるのだろうけれど、その同時代性から切り離された現代日本人読者がこの小説を読んでもトルストイが見出したような魅力は見出せないかもしれない。あるいは見出したつもりでも、トルストイよりもずっと浅い理解かもしれない。この小説の中におけるロシア的な人物というものを理解するには19世紀のロシアの時代背景を知らなければ理解し得ないわけで、ムイシュキン公爵の性格や思想の相対的美点・欠点や、ムイシュキン公爵が他人に与える影響もよくわからない。この小説に書かれている時代はアレクサンドル2世の自由主義改革以後なのだけど、その当時の貴族や自由主義者の立場は以前と比べてどう変わったのか、ムイシュキンの思想はどういう立場だったのか、小説内に書かれていない時代背景を考慮してどういう意図で登場人物が言葉を発して行動したのかを諒解するのはロシア文学者でもない一般読者には難しいだろう。各登場人物の言葉の意図、行動の動機などはよくわからないことだらけで、よくわからないがゆえに退屈する。この小説がはじめからリアリティを追求するものでなく、キリスト教的テーマを追求するために書かれたのならリアリティは問題でないのかもしれない。しかし私はキリスト教徒でないので、聖書を物語の下敷きにしたことで面白くなるどころかむしろ物語世界がキリスト教的価値観に限定されてしまって余計につまらなくなってしまった。そのうえトルストイに比べてキリスト教的価値観が煮詰まってないもんだから、登場人物の思想にも面白みがない。恋愛にしても、ナスターシャがロゴージンの元を離れて公爵と同棲してからまたロゴージンの元に戻るという重要なエピソードが端折られているし、最後に公爵がナスターシャとアグラーヤの二人とも愛していると言った心理もよくわからないし、恋愛小説としては面白くない。ロシアの青年たちの群像劇とみなすにしてもロゴージンやナスターシャの書かれ方が不十分。ページ数に見合うだけの面白さがあるかというと、物語自体が長大なわけではなく個々の場面の描写が長いだけなので面白くない。過ぎたるは及ばざるが如しというくらいに長すぎる。主人公の動機がはっきりせず、ナスターシャに関するメインのプロットがなかなか進まず、脇役が大勢登場してだらだらと会話をしているのにつきあわされる徒労感で飽きてしまった。なんでアマゾンで5つ★レビューばかりなのか不思議なくらいつまらなかったのだけれど、そもそもドストエフスキーが好きでしょうがないという人以外はわざわざこんな長い小説を読もうと思わないのかもしれない。★★★☆☆【送料無料】白痴(上巻)改版 [ フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフス ]価格:935円(税込、送料込)
2013.09.04
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