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ミケーレ少年が誘拐されたうんこまみれの少年を助けようとする話。●あらすじ1978年の南イタリアで、9歳のミケーレは妹のマリア、12歳のガキ大将テスキオ、9歳の親友サルヴァトーレ、レーモ、でぶ女のバルバラとメリケッティの豚を見に行き、自転車競走でバルバラが罰ゲームでパンツを下ろして割れ目を見せることになったのをかばって罰ゲームで廃墟に行かされたときに穴の中の少年を見つけるもののみんなには秘密にする。翌日穴の少年を見に行くと、裸でうんこまみれだったので死んでいたと思ったら生きていたのでびっくりして逃げ帰り、父親に大事な話があると言っても話をきいてもらえず、次の日に少年の様子を見に行って水をあげて、次の日には食料をあげて話をするものの少年は頭がおかしくて自分が死んでいてミケーレは守護天使だと思っていた。テレビのニュースで二ヶ月前にフィリッポ少年が誘拐されたと報道していて、家にいた父親と仲間のセルジョじいさんはフィリッポの母親を罵っていたので、ミケーレは父親とセルジョが少年の誘拐犯だと思う。ミケーレはサルヴァトーレのおもちゃがほしくて秘密を話すもののサルヴァトーレは興味を示さず、ミケーレが少年を助け出そうとしたときにサルヴァトーレが裏切って告げ口したので見張りのフェリーチェにつかまって家に帰され、父親は少年に会いに行ったら少年は殺されるから会いに行くなとミケーレに言う。ミケーレとサルヴァトーレは仲直りして、テスキオが廃墟に行こうと言い出すのでみんなで行くものの穴の中に少年はおらず、サルヴァトーレは父親たちが取引がうまくいかなくて峡谷に移動させたと話していたとミケーレに教える。大人たちが誰が少年を殺すかで揉めているのをミケーレが盗み聞きして、家を出て少年を助けようとすると、銃を持った父親がやってきてミケーレを撃つ。●感想主人公ミケーレの一人称。構成が下手で、冒頭では22年後にミケーレが9歳の頃の物語を回想して語っているという設定のはずなのに、途中から9歳のミケーレが実況形式で語っている文章に移っていて、語り手の設定が一貫していない。冒頭は自転車競走で妹のマリアがこける(現在)→メリケッティの豚を見に行って競争になった(過去のいきさつ)→妹がこけた後の話(現在の続き)、という構成になっているものの、ひとつながりの時系列にあるエピソードをわざわざ分割して登場人物の心理の連続性をなくして緊迫感がなくなってしまううえに、場面転換での語り手のたどたどしさが目立つという悪手。本のはじめに作者の妹への献辞があり、作者は冒頭で兄と妹の関係を強調したかったのかもしれないものの、妹は大して物語に関係するわけでもないので、無駄に時系列をいじっただけだった。書きたい事を早急に書いてしまってじっくり演出することができないというのは経験が少ない新人によくある特徴で、著者が若いときの作品なので経験不足なのだろう。あるいはわざわざ時系列をいじってプロットにするなら、妹ではなく物語のキーパーソンとなる穴の中の少年にまつわるエピソードを冒頭にもってきてサスペンスとして演出したほうがストーリーテリングとしてはうまくいったかもしれない。語り手の現在と過去の時系列をいじれるのが回想形式のメリットなのに、回想形式にしているにもかかわらず構成に工夫がなく、過去が現在にどういう影響を与えたのかを書かないのでは回想形式にする意味がない。22年後になってからこの物語を語る意味は何なのか、もっと早く語らなかったのはなぜなのかというナラトロジー上の疑問も残る。場面転換のやり方もぎこちなく、数ページおきに一行あきで場面転換をしていて話が途切れ途切れになっていて、長い場面をよどみなく展開したり、あるいはひとつの場面を濃密に描写したりして場面を書き分けていく筆力がない。短編ならこの文体でもまだごまかせただろうけど、長編で構成力がないせいでいっそう粗が目立つ。プロットとしては大人たちがなぜフィリッポを誘拐したのか、フィリッポの母親とどういう因縁があったのかという点くらいしかないのに、その謎さえもはっきりさせないまま、少年がその後どうなったのかも書かずに物語を終わらせている。少年がヴァンパイアとか伝染病持ちとかの特殊な存在で殺さないといけないとか、少年は実はフィリッポではなくて父親も誘拐犯ではなかったとかの読者を楽しませるエンタメ的などんでん返しの要素があるわけでもない。少年が犯罪に巻き込まれるというセンセーショナルな物語内容だけに著者の注意が向いていてどう演出するかという点に注意が向いておらず、その上子供目線の拙い語りに逃げたせいでリアリズムでもなくなり、ミケーレが事件に巻き込まれたけど怖がらずに助けようとしたというナイーブな勇気と正義感をごり押しして強調するだけの素人だましの内容になっている。少年の勇気と正義感を強調するために子供目線の語りにするにしても、冒頭で22年後の回想という設定にした時点でこのやり方は技術的に失敗している。少年の冒険と心理的成長の物語なのでジュブナイル小説として小学生くらいが読むならそれなりに面白く読める水準だろうけど、大人が読むと技術的にへたくそすぎて興ざめする。イタリアで出版されたその年最も優れた作品に贈られるというヴィアレッジョ賞を史上最年少の34歳で受賞して若者に人気でベストセラーになったらしいけれど、こんなのが最も優れた作品扱いで映画化されて持ち上げられているならイタリアの現代小説の質はだいぶひどいのだと思わざるをえない。これはヴァッファンクーロと言わざるをえない。★★☆☆☆【中古】 ぼくは怖くない ハヤカワepi文庫/ニコロ・アンマニーティ(著者),荒瀬ゆみこ(訳者) 【中古】afb
2016.10.25
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世間ではボブ・ディランがノーベル文学賞を受賞したことが話題になっているけれど、ノーベル文学賞がすごい賞なのかというとそういうわけでもない。ノーベル文学賞は西洋的価値観で選ばれるもので、すごい作家がノーベル文学賞を受賞することもあるけれど、受賞したからといってすごい作家であるというわけでもないし、受賞しなかったからといってすごくない作家というわけでもない。選考しているスウェーデン・アカデミーの会員の作家たちは世界中の小説や詩を原書で読めるわけでもなく、有識者からヒアリングした中から候補者を選んで、生涯を通して活動した文化的功労者の老人に順繰りに受賞させていて、一年に一人しか選ばないせいで死んでしまう作家も多い。賞の発足後しばらくは西洋人しか受賞していなかったけれど、受賞者の人数を絞りつつアジアやアフリカといった西洋に憧れる発展途上国の作家にもたまには賞を与えて恩着せがましく世界的な権威を演出してきて、歴史と伝統があって世界の中心である西洋人でさえめったにもらえないような賞を歴史が浅い辺境の小国の作家が受賞するからなんかすごい価値があるような感じがするわけである。それに文学賞といってもコンペ形式で作品の完成度を競うのとは違って、一方的に選んで与える賞なので選ぶ側の政治的意図がなにかしらある。中国の孔子平和賞がノーベル賞に対抗して作られたけれど、中国政府の政治的意図が露骨すぎて受賞辞退者が続出しているように、ノーベル賞にしても政治的意図があるので受賞を辞退する作家も多少はいる。たいていの作家は自由主義的な左翼的なので西洋的な価値観に合うし、高額な賞金がもらえるので素直に受賞するけれど、受賞を辞退する作家はサルトルのように公的な名誉の否定だとか、ソ連のパステルナークのように国家から反対されたとか、それなりに理由があって辞退している。さてボブ・ディランはノーベル文学賞の受賞連絡を無視して、かといって辞退もしないでスウェーデン・アカデミーをやきもきさせている。返事をしない理由は良くわからないものの、ちゃんと理由をつけて受賞を辞退するよりも相手にせずに無視するのが一番相手のメンツをつぶせるので、権力に媚を売らない姿勢として意図的に無視しているとしたら面白い。何食わぬ顔で授賞式に出ても注目されて宣伝になるし、じらしたあげくに受賞辞退したとしてもすでに宣伝効果は抜群なうえに反権力のポーズを維持できるので賞金をもらわなくても十分得をするだろうし、どう転んでもボブ・ディランの勝ちだ。こうやって連絡を無視してじらす遊びがノーベル賞各賞の受賞者の間で流行れば来年以降のノーベル賞はもっと混乱して面白くなるかもしれない。どうせなら辞退しないでそっくりなモノマネ芸人を受賞式に送りこむとか、間違えて女装してしまうとか、酔ったふりして会場を破壊するとか、詩をとちりながら棒読みで朗読するとか、ボブ・ディラン賞を作ってノーベル賞に受賞させて賞金をそっくり返すとかして、もっと権威をおちょくってほしい。私はボブ・ディランも彼の曲も知らないのでノーベル文学賞の受賞にふさわしいかどうかという点はよくわからないしどうでもいいのだが、どうせなら面白いイベントとして文学業界を盛り上げてほしいものである。さてボブ・ディランがノーベル文学賞受賞に乗り気でない一方で、ハルキストたちは村上春樹の受賞を待望している。ハルキストたちにとってはノーベル文学賞は西洋に認められた名誉の証という扱いで、権威主義的になることが恥ずかしくもないようで、ボブ・ディランが素直に受賞を受け取らないがゆえにかえってハルキストの権威主義が目立つ。本来は原書を母国語で読んでいるファンが作品の一番の理解者であるべきなのに、ファンでもなく原書を読めない外国人からの評価をファンがほしがっているというのが滑稽に見える。これはラノベファンが西尾維新に芥川賞をやるべきだと言うのに似ていて、自分が好きなものが他の人からはくだらないと批判されるので、権威ある第三者から評価をもらって自分の価値観が正しいのだということを証明したいのだろう。自分がどう思うかより他人がどう思うかということを気にして、自分の意見よりも他人の意見のほうが重要になるようでは読書の意味がなくなるし、さらには自分の存在意義さえなくなる。読書は自己の精神と作品が孤独に対峙するもので、ひいては自己をとりまく社会と対峙するもので、つまりは自分が生きるか死ぬか、作者を殺すか作者に殺されるか、世界を殺すか世界に殺されるか、神を殺すか神に殺されるかという殺伐とした命がけの戦いなのだ。ハルキストは村上春樹に精神を殺された軟弱者の集団となり、社会を疑いもせずにノーベル賞の権威をありがたがって村上春樹が好きなボブ・ディランが受賞したことを喜び、仲良くカフェに集まってきゃっきゃうふふとリア充していて、実存が世界に対峙する際の精神の緊張が微塵もない。私は村上春樹の小説はくだらないと思うものの、エッセイはよいと思うし、村上春樹という個人を嫌いなわけでもないし、好きでもないし、どうでもいい。何人か好きな作家がいて村上春樹も好きだという程度のファンもどうでもよい。しかし村上春樹に陶酔して生き方まで真似る熱狂的ハルキストは嫌いである。ハルキストたちもいい加減に受賞を待ちくたびれただろうし、そんなにノーベル賞がほしいなら世界中のハルキストたちがパレスチナとかシリアとかISISとかに行って壁にぶつかる卵ごっこをすれば文学賞はもらえなくても平和賞はもらえるかもしれないので、来年のノーベル賞の季節になったらぜひ試してみてほしい。
2016.10.23
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マックス・ヴェーバーの伝記で、「新潮45」に連載されたものを本にしたらしい……。●まとめヴェーバーは脳膜炎になるものの頭がよくて教師に対して反抗的でキリスト教に懐疑的な子供で、大学ではっちゃけて決闘したり飲んだくれたりして、志願兵役でたるんだ体を鍛えて、マリアンネと結婚するもののセックスレスで、ハイデルベルク大学の教授になるもののうつ病になって講義を中止して旅行療養して、回復して雑誌に論文を載せるようになる。●感想500ページほどあるけれど内容がそれほど充実しているわけではない……。著者は1934年生まれの高齢の人で、ヴェーバーの研究をしたくて早稲田大学に入ったものの中退した作家のようで、そのせいか知らないけれど、論文の書き方を知らないんじゃなかというくらい論旨が定まっていない……。日本の学者によくあるような先行研究書をまとめて自分なりに解釈するだけで独自研究がないやり方で、しかも原典を自分で読まずに翻訳に頼っているのはよくない……。三点リーダーを多用する文章の癖が目につくし、引用の仕方も論文の規則に従っていなくて「」でくくらずに──と……でくくる独自の引用方法で、どこからどこまでが引用かわかりにくいし、何ページから引用したかも書いていないし、日本では云々……というヴェーバーに関係のない脱線も多いし、伝記なのに西暦何年にヴェーバーが何歳のときの出来事なのかがはっきり書かれていないし、おまけに年表さえないのは読者に対して不誠実で、これは本来は編集者が指摘して修正するべき点だろう……。徹底的に事実に即したヴェーバーの伝記にするとか、思想を解説するとか、焦点を絞ればもっといい内容になったかもしれないけれど、作者が書きたいことをあちこち脱線しながら書いていて読者のことを考えていない独りよがりになっている……。巻末で京都大学名誉教授の野田宣雄が「父親と母親との葛藤、夫人マリアンネとの結婚生活、執拗な神経疾患との闘い等々、ヴェーバーの伝記に欠かせないテーマは、慰労なく取り上げられている。長部氏は、これらのテーマを扱う場合、過度のドラマ化を避け、自己抑制の利いた筆致で叙述を運ぶ。また、日本の読者に親しみやすくするために、同時代のドイツを訪れた日本人(森鴎外、伊藤博文など)の描写を随所に挟むなどの工夫も凝らしている。こうした手法が効果をあげ、読者は、本来なら恐ろしく難解なヴェーバーの人間像や思想的発展を比較的容易に知ることができる。そして、二十世紀の運命をあれほど鋭く見抜くことができたヴェーバーとは一体何者であったかについて、一つのまとまったイメージを得ることができるだろう。」……とお世辞をいっているけれど、その一方で「本書は学術書ではないから、ここの叙述を今日のヴェーバー研究の水準に照らして批判することは、あまり意味のあることではない」……と、学術書としてはこれじゃだめだぞと仄めかしている……。ドラマ化を避けて抑制の利いた筆致で書くというのは褒めるところではなくてむしろ欠点で、副題にマックス・ヴェーバー物語とつけたからには物語として面白くなるように書かないといけないはずで、物語として面白くないのでは一般人向けの本としては失敗だろう……。大学生の卒論ならがんばったで賞としてなんとか及第点がもらえるレベルで、著者は年の割にはがんばったけど、引用の仕方さえ直せない編集者は落第点……。どういうわけかamazonのレビューだと面白い本として評価がいいようで、私の頭がおかしくて面白さが理解できていない可能性も大いにあるので、ヴェーバーに興味がある人はとりあえず読んでみればいいよ……。★★☆☆☆【中古】 二十世紀を見抜いた男 マックス・ヴェーバー物語 新潮文庫/長部日出雄(著者) 【中古】afb
2016.10.16
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李白と酒、月の光、登楼・重陽、杜甫の律詩、蘇州詩話、閑寂・江南の春、旅愁・シルクロード、唐詩と日本人と章毎にテーマを絞って名句の解説をした本です。李白、杜甫、王維、白居易などの有名どころの漢詩をとりあげて詩作の背景や解釈についてのひととおりの説明があり、和歌との関連情報などもあるので、漢詩の初心者にはわかりやすくてよいです。事実に即して正確さを追求することだけにとらわれすぎると文学作品はその作者と同じ体験をした人にしか理解できないことになりかねないので広い解釈を許容するというスタンスで解説するので、解釈のおしつけがないのはよいです。著者は敗戦時に15歳だったという高齢の方でいらっしゃいまして、文章が丁寧すぎて現代の若造には若干読みにくい気がしないでもないのですけれど、私の育ちが悪すぎてそう感じるだけかもしれないです。私ももっときれいな言葉遣いをしたほうがよいと反省しましたが、性根がぼろぼろに腐っているのでもう手遅れな気がします。★★★☆☆漢詩の名句・名吟 [ 村上哲見 ]
2016.10.14
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漢詩200句を紹介した本。1句につき1ページの解説しかなく、さらには句をすべて紹介するのではなく一部しか紹介していないものが多い。解説にしても短すぎて中途半端な内容で、そもそも1句を1ページで紹介するというやり方に無理があり、中国語を知らない人が漢詩の面白さを理解するには情報不足。つまみぐい的に面白そうな漢詩を探すのには役に立つかもしれないものの、本格的に漢詩を知りたいという人は別のちゃんとした本を読んだほうがよさそう。面白いと思ったのは中国史上最高の女流文学者として紹介されている李清照の「声声慢」で、私は中国語を知らないのだが、尋尋覓覓 冷冷清清 淒淒慘慘戚戚と冒頭で同じ漢字を二つづつ重ねていくという字面が面白い。★★★☆☆【中古】 漢詩名句集 PHP文庫中国古典百言百話9/奥平卓(著者) 【中古】afb
2016.10.09
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カフカの各小説のあらすじ解説やらカフカの創作の背景事情やら、カフカを紹介した本。作品論や作家論というほどでもない軽い内容で、一般人や学生向けの本。カフカの小説を読んだけどいまいち面白さがわからなかったという人には見所がわかるかもしれないし、あるいはカフカに興味があるけど小説を全部読むほどの時間が無いから代表作のあらすじだけさくっと知りたいという人にはちょうどよいかもしれない。ちなみに著者の名前は紀と書いておさむと読むらしい。★★★☆☆
2016.10.06
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