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事故の直後、なぜこんなことが起こったのか、なぜ私に起こったのか、どこかに私の知らない真実があるんじゃないか。どうしたら起こったことに対して自分が納得できるのだろうか。と、たくさんの本を読んでみた。歎異抄 (五木寛之)寂聴のあおぞら説法(瀬戸内寂聴)[新訳]般若心経 人生を生きやすくするための智慧 (ひろさちや)命には続きがある(矢作直樹)千の風になってそれでも、私の心には響かなかった。特に「千の風になって」には、同じような体験をした人の声を聴けると期待した。が、かえって気がめいってしまった。なぜだろうと、理由を考えてみると、選考委員長の選考基準の一つに「喪失の悲しみを乗り越えて元気に生きている現在が書かれていること」とあった。まだまだ、悲しみに暮れていた私には、その「元気に生きている」というのが非常に重かった。親たちは、「過去のことだから」「前に進みなさい」「無理にでも笑っていれば、それが本当になるよ。」という、声をかけてくれた。でも、私は心が悲しみたいなら悲しませてあげたい。いつか自然に笑える日が来るまで、笑わなくてもいい。と、自分と世界が切り離されたような感覚の中で、なんとか一日一日をすごしていた。事故から1年半、少しずついろんな感情が解き放たれて、足が自然に前に進むようになり、自然に笑えるようにもなった。私が今、グリーフで苦しんでいる人に言いたいのは、「元気を出して」ではなく、人生は苦しい。悲しい。不平等で不公平。時間を戻せたらなら…。もし…していたら。もし…していなかったら。もしそう思っているなら、うんと泣いて、落ち込んで、人を恨んで、神を恨んで。そんな時間も人生にはあっていい。無理に笑って、無理に日常に戻ろうとしなくてもいい。周りの声でなく、自分の心の声を聞いてあげて。「乗り越える」日は、来ないかもしれないけど、その痛みを抱いて、前に向かって歩き始める日がいつかくるから。わたしは、素直に悲しみや怒りを声に出してる、この本を読んでいるときのほうがこころが休まった。I'll See You Again【電子書籍】[ Jackie Hance ]
2015年08月28日
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一時ミクシィやFacebookにハマっていた。子供が産まれて、うれしかったから、みんなに自分の幸せを見てもらいたかったのかな?それでも、他人のポスティングを見ると、自分と比べて自分が小さく見えたり、不幸せに感じたり。その時に、ふと思った。自分のやりたいことがそこにあるのか?と。SNSは、あくまで道具であって、自分のビジネスや活動をみんなに広げるにはいいかもしれないけど、プライベートを載せて、他人に見せることが自分の幸せにつながるのだろうか?少なくとも、自分がいやな気持になるくらいなら、やめたほうがいい。と。他人よりも、自分に目を向けて、自分の幸せを確認しよう。幸せは案外近くにあるもの。でも、他人の幸せはもっとよくみえる。一生懸命追いかけないと、自分の幸せは逃げて行ってしまうものなのかもしれない。
2015年08月16日
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黍の花ゆれる-植松-三十里友達に薦められて、この夏読んだ本の一冊。西郷隆盛の流刑先、奄美大島での島妻・愛加那の生涯が描かれている。一人の女の一生を一冊の本で表現するには少なすぎる。もっともっと言いたいことがたくさんあっただろうに。と、切なくなってしまう。同じ女として、妻として、母として。たとえば、彼女は島妻としての立場をわきまえて、西郷が薩摩に戻るときも、決してついていこうとしなかった。たとえ愛した人だろうとも、そこには自分の幸せがないと分かっていたから。この表現に行き着くまでに、どれだけ悩んだことだろう。そして、結論を出してからも、どれだけ「やっぱり行きたい」と願ったことだろう。そして、9歳の時に薩摩へ送った息子が、西南戦争で足を失って帰ってきたとき、父を失い、足を失い、自暴自棄になった息子を見守るしかなかった愛加那。下手に手を出すと、彼の気持ちがなえてしまう。彼がやる気になるまで、ただただ、見守るしかできない。私も、妻として、母親として、そんな風におもうことが多々ある。主人と私とは、グリーフの方法が違い、進み方も違う。彼は、ずっと同じ場所にいて、ずっと同じ苦しみを味わい続けたいと思っている。たとえ世界に取り残されようとも。自分の痛みが和らぐとき、彼女の存在が自分の中で消えてしまうんじゃないかと思っている。そして、自分は不幸であり、世界は不公平である。だれにも、自分の気持ちはわかりっこない。と思っている。一方のわたしは、たくさんの人に支えられ、その助けを受け入れられたことが、今でも、社会の中で生きていられる一因だと思う。そして、夫のために、残された息子のために毎日頑張れていられるし、もう一人子供を産んでみようと将来を考えられる。そんな違いに毎日やきもきしながらも、彼が準備ができるまでは、待ってあげないとと思うし、無理やり背中を押しても彼の気持ちが離れてしまうだけだと感じる。もしかしたら、一生立ち直れないかも。とか、子供が産まれても、父親としての自覚を持てないかもしれない。と不安になることもある。それでも、今は、彼を信じて見守ってあげよう。そう思わせてくれた本でした。
2015年08月16日
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主人は、「死んだら、また、ももとみんなで会えるね」と、よく口にする。私は、「残念だけど、私は死んだら地獄に行きたい。あなたとももは、天国で幸せに暮らしていてほしい。」と、答える。ももを守れなかった自分が今でも許せない。もし、自分の過去にした悪事のせいで、ももが死んだなら、その罰を受けたい。主人も、主人の家族も、だれも私を責めない。警察や検事が捜査して、加害者が裁判で刑を受ける。でも、誰も私を母親として、子供を守れなかったことへの罪で罰してはくれない。誰かに責めてほしい。怒ってほしい。_________________________________________事故から1年4か月が経ち、少しは気持ちが落ち着いてきて感じることは、もし、事故が、私への過去の過ちのためだとしたら、その罰は死んでから地獄へ行くことではなく、今の、娘がいない残りの人生が罰なんだと思えてきた。死にたくても死ねない。毎朝目が覚めて、ももがいないことを確認する。将来への展望は持てない。ただ、ただ、早くこの人生が終わりますように。そんなふうに思えるこの場所が地獄なんだろうと。だとすれば、この罰を悦んで受けよう。そして、罰を終えたとき、彼女に会えるように。__________________________________________お墓参りに行くと、毎回「早く、もものところへ行けますように」と唱える。でも、本当は彼女に会えなくてもいい。「若くして亡くなった魂は、より高い位へと上っていく。」と、聞いたことがある。彼女が、私たちには手が届かないほど、えらくなって、ほかの人のために忙しくしていてくれたら、そのほうが嬉しい。_________________________________________事故の直後は、彼女の怒った顔しか思い出せなくて、彼女がよく怒っていたこと(宿題を促したこと、ほしいものを買ってあげなかったこと、息子をよく優先させてたこと)を後悔していた。最後の最後、事故の直前までけんかしていた。私の最後に見た彼女は、私に対する怒りで満ちていた。それが苦しくて。でも、自分が彼女を手放そうと思えるようになった今、感じることは、彼女は、きっと私よりもずっと早い時点で、負の感情は手放していたんじゃないか。私への怒りや、やり残したことへの悔しさや、みんなにサヨナラも言えずに旅立つさみしさや、いろんな感情をすべて手放して、みんなへの感謝だけを胸に次の旅へと旅立って行ったんじゃないか。_________________________________________周りの人が、「ももちゃんは、お母さんが大好きだったんだよ」「お母さんが悲しんでいるところは見たくないはずだよ」と、言ってくれてたのを、なかなか受け入れられなかった。きっとまだ怒ってるはずと思っていた。でも、今なら、少し受け入れられる。仏として、高い所へ行った彼女が、私の母として至らなかったことくらいで怒っているはずはない。そんな小さなことをいつまでも怒っているほど、彼女が暇ではないから。もっともっとたくさんの困っている人を助けるのに忙しいはず。地球や宇宙や、すべての生命体を巻き込んだ大きな問題に目を向けているはず。そして、彼女は分かっているんだろう。私が自分の過去を反省して、これからの余生をまっすぐに人のためになるように生きていこうと思っていることも。そんな彼女に会えることを夢見て。
2015年08月13日
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7/28(tue)に採卵し、結局一個しか採卵できなかったけど、受精し、グレード1で分割も順調だということです。 二回採卵して、一個しか卵がとれていないのようで、今回の胚は凍結し、次回再度採卵するよう勧められました。 ということで、2週間後くらいには、生理が来ると言われてはいましたが、PMSがひどく、それでも排卵誘発中は控えていたホットヨガとパワーヨガに毎日通っていました。とうとう昨日の夜、耐えきれず横になっていると、やはり早めの12日目に生理がきていました。 これが痛いのなんの。 普段から、生理痛はありますが、なんとか薬も飲まず、休みながらも生活しているのに、今回は、薬をのんでも丸一日寝てました。幸い、週末だったので、息子を初めて主人に丸一日預けて、ご飯も作らず、寝てました。 たまに起きると、久々の低血圧からのめまいが。私は若いころ、血圧79-54という看護師さんもびっくりな低血圧記録があり、今回、その頃の頭痛とめまいが蘇った感じです。 苦し(*_*)
2015年08月10日
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事故後、宗教・スピリチュアル・体験記・心理学・社会学の本を読み漁ったけど、一番慰められたのがこれ。 【古本】火の鳥 1 黎明編 [文庫コミック]/手塚治虫【中古】 afbしかも、読んだ時の心理状態によって、心に残る場面が変わる。初めに読んだのは、3か月前。手塚治虫の「火の鳥」の中で、印象に残った言葉。3か月の間に、ももの夢を見たり、少し手放す勇気がわいてきたりで、自分の気の持ちようが変わった。ある時、ふと一つの場面が心をかすめた。__________________________________________________主人公ナギの村が邪馬台国に襲われ、ナギとその姉、そして邪馬台国からのスパイの男だけが、その村で生き残った。ナギは、火の鳥を探しに村を離れる。久しぶりに村に戻ってくると、お姉さんと、スパイの男が結婚し、たくさん子供を作っていた。ナギはお姉さんを責めた。「どうしてそんな裏切り者となんで結婚したの?ぼくたちのお父さんやお母さんを殺したんだよ。」お姉さんは、ナギに言う。「この村には、この人しか残っていなかったの。私が、この人との子供をたくさん産んで、その子供たちが、また子供を産めば、また村が蘇るかもしれない。」__________________________________________________これを読んだときは、とても非現実的だと思った。だから、その時は何も感じなかったんだと思う。それが、時を経て、自分が娘への気持ちに冷静になれて、手放す準備ができたときに、この情景が浮かんだ。どんなに愛していても、いつかは手放さなければいけない時が来る。「手放す」と「忘れる」は似ているけど、意味が違う。「忘れる」は、無理やり気持ちを押し殺して、痛みも思い出もすべてを「忘れる」。「手放す」は、思いっきり痛みや苦しみを味わって、気持ちを整理すると、考えても答えがでないことがあることが分かってくるし、恨みを持ち続けたとしても自分の人生がよくなることがないことも分かってくる。結局、目に見えない大きな力によって、世界が動いていて、どんなにがんばってきても、清く生きていても、その流れには逆らえない。感情に流されず、その時、その時で、自分のできることをしていくしかないんじゃないか。娘を亡くしてから、罪悪感や敗北感や疎外感や嫉妬や悲しみで早く死にたいと思っていた。生きてはいけないとも思っていた。でも、息子のことを考えると、どんなに苦しくても今は死ねない。と思い直した。死ねないのなら、お迎えがくるまで、どんな人生を送れば彼女が報われるか。自分のこれからの生き方にヒントをくれた一言でした。
2015年08月08日
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2015年08月03日
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Maui Camp Olowalu2014年 娘が亡くなって、初めての旅行。私たちは旅行どころじゃなかったけど、もともと義姉家族と行く予定にしていて、ももも楽しみにしていた旅行だったし、息子も鬱の両親と一緒にいるより、従兄弟と一緒にいたほうがいいだろうということで、行くことにした。こんなにきれいな海なのに、私は、ほとんど毎日口もきかず、どのビーチに行っても娘の名前を書いて、毎日を過ごしていた。夫は、外へも出ず、ホテルにこもりっきりだった。
2015年08月02日
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【東海道新幹線放火】「生活ができないから最後のお金を持って新幹線に乗っています」 犯行直前、区役所に電話_________________________________________この人は、なぜ最後のお金を持って新幹線に乗ったんだろう。嫌がらせなら、区役所の前ですればいい。関係ない人を巻き込むのはどうしてなんだろう。人は、自暴自棄になったとき、だれかを傷つけたくなるものなのだろうか。_________________________________________サンタクルーズ 8歳の女の子が15歳の近所の少年に殺害される記事を読むと、彼のお母さんはシングルマザーで最近までホームレスだった。彼は、うつ病らしく、何度か自殺未遂をしていたようだ。なぜ、8歳の女の子を殺害しなければならなかったのか。自分の力を見せつける先が、自分より弱者しかなかったのか。上村君のときもそうだったけど、誰に助けを求めれば誰も死なずに済んだんだろう…
2015年08月02日
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日本でもパワースポットとして有名なマウントシャスタから車で2時間ほど行くと、オレゴン州クレーターレイクにたどり着く。2千年ほど前に噴火し、山頂が飛ばされ、長い時間をかけてクレーターが湖となった。この周辺、車で3時間以内に、マウントシャスタナショナルパーク、クレーターレイクナショナルパーク、ラッセンナショナルパークがある。どれも休火山で、ネイティブインディアンたちには聖なる山としてあがめられている。この3つの火山をつなぐ、Pacific Crest Trail - P.C.Tというのが、映画「わたしに出会うまで」の舞台となっている。今まで、娘と行ったことのない場所に、家族みんなで行きたい。もしかしたら、エネルギーが感じられるかも。なんて思って。
2015年08月02日
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2015年08月02日
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先回書いたとおり、私は事故以来、1年半経ってはじめて、ももからのメッセージを感じた。いろんな迷いが吹っ切れ、大きな力に身を委ねよう。という気になった。それが、イエスなのか仏様なのか、アラーなのか、名前はわからないけど。彼女を授けてくれたのも、彼女を奪ってしまったのも、すべてその力なんだと思う。______________________________________ふと、お迎えの前に一日のニュースをチェックしていると、新聞ウェブサイトの下のほうに、「ブラウザで、自分の個人名をいれてみよう。何が起こるか…」という特集があった。何が書いてあるかは、読まなかったけど、グーグルクロームのプライベートモードで第3者が私の名前を入力すると何が検索されるのか、試してみた。すると、私がユーチューブに載せていた子供たちのビデオが全体に公開に設定されていたようで、亡くなった時に八歳だった娘が、1歳のときの歌を歌っているホームビデオが流れた。_______________________________________私が毎日、娘の位牌に手を合わせ、元気でいますように、幸せでいますように。と願っていることへの娘からの応えのように感じた。1歳のころといえば、毎日が一生懸命で、すべてが初めての経験、でもみんなに守られていて。という日々が今の彼女の環境でもあるんじゃないかって思えた。まるで彼女が「私は大丈夫。私のことは手放してもいいよ(let me go)。」って、言っているみたいだった。手放す(let me go)って言うのは、忘れるとか、放っておくという意味ではなく、大きな力に任せて、心配しないでいいよ。という感じ。彼女を失ってしまった悲しみや苦しみを抱きしめておくことで、彼女を覚えていたいって思った。彼女の部屋をそのままにしておくことで、いつでも帰ってこれるようにって思ってた。でも、彼女がそれを諭してくれたみたい。「ママ、私はもう帰らないよ。新しい生活が始まってるの。それでも、ママのことは忘れてないよ。いつでも、ママを応援してる。ママも前に進んで。」ただの偶然かもしれないけど、私にはとても不思議なメッセージに感じた。
2015年08月01日
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不妊治療がうまくいかず、毎日のように卵胞が減っていき、採卵前の時点で結局3個しかなかった。先生に、選択を迫られた。1.3個にかけて採卵する2.今回は見送って、もう一度、排卵を誘発する優柔不断で、ネガティブで石橋を叩いてわたる私。いつもなら、迷わず2を選択する。でも、私に残された時間と、1個が成熟すればいいとの思いから、採卵に踏み切った。最後の最後まで迷ってたし、まただめだったら…という不安でいっぱいで、直前までとても緊張していた。出発前に、父と娘の位牌に手を合わせ、二人が幸せに暮らしているように、そして、今日の採卵がうまくいき、二人に会うまでこちらの世界でがんばれるように助けてください。と唱えた。1個しか取れなかったと聞いてショックだったけど、よく考えてみると全身麻酔の効いている間、不思議な夢をみた。________________________________________________そこは、白くて、明るくて、気持ちのいい場所だった。遠くに女の人がいて、近くまで行くと、すっと真っ暗になり、また同じ場面が見える。また近づくと、暗くなる。________________________________________________1個しか採卵できず、落ち込んでいたときに、ふとそんな夢を思い出した。すると、クリニックから電話があり、受精して順調に育っています。と。あれは、ももだったんだ。私のところに、手伝いに来てくれたんだ。1個の卵は、彼女からのプレゼントだったんだ。そう信じることができてから、心が軽くなり、結果がどうであれ、前に進もうと決めた。
2015年08月01日
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