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先日のレイ・サンドバルのライブ以降、技術について考えている。長い鍛練と不屈の努力は、自ずから人を感動させるものがある。取り立ててアートの世界では、誰にとっても分り良いだろう。アートに限らずとも、仕事や家事などの日々の種々様々の物事から、感動を産む人も少なくない。地元にいる時に、コンビニエンスストアで深夜の業務ながら、最敬礼をする店員さんに出会った時には、感動を覚えた。何かを追求し、取り組む姿勢。そのものが仮に技に昇華されていなくても、術であることには違いない。その真摯な姿勢を、技術と呼ぶのかも知れない。バイトのタカエちゃんが教えてくれた。「優しいと言うのは、人が悲しんだり、寂しがったりしていないかと人を憂うことを言うそうですよ。」英語で言うところの「Gentle」とは、少し語意が違うようだ。とかくニュアンスとして、接し方や扱いにおいて「優しい」と言う表現や感覚を用いるが、受動的な態度や姿勢ではなく、能動的に「人の悲哀を気遣って憂う」と言う行為や考え方を「優しい」と言う。言わば配慮やお心入れの類いだろう。然る上に「技術は人に優しい」とは、某電気機器メーカーのキャッチコピーであるが、本意として、その道を追求して取り組み、数多の術を尽くして技を磨き、更に人の憂いを招かぬように務めること。そう解する。私は今の店に来て、来て頂いたお客さまに、喜んで帰って頂きたいと考えている。今も以前も変わらぬように、個々人のやり方の違いについて、日夜議論が交わされているのが現状だ。しかし、それ以前に、喜んで頂ければそれが何よりだと思っていた。だが、それよりも前に、如何なる食事の席においても憂いを招くようなサービスであってはならない。殊更に喜んで頂く何かをするよりも前に、がっかりさせないように、務めることを一義として持っていたい。お客さまに限らずとも、人にはそうで在りたいものだ。
Nov 30, 2004
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私は以前、ライブの主催者を生業にしていたことがあった。何組かのゲストを地元に招いて、イベントを仕切った事もあった。ステージの袖と言う特等席から、演奏の様子を伺える事は、何よりの贅沢。リハーサル中や楽屋を覗き見て、出演者の秘密に触れられるのは、関係者だけに与えられた役得だ。生憎金にならず、長くは続けられなかったが、良き思い出を作った。私は現状で同じフィールドに戻って来た。昨晩は素敵なライブが、当店で行われた。「イントクシケート」と言うタワーレコードが主催する新進気鋭のアーティストが出演するイベントがあった。二組のアーティストがプレイしたが、私は先に出演した「レイ・サンドバル」と言うメキシコ系アメリカ人のアコースティックギタリストの演奏に、ひどく魅了された。クラシック・ジャズ・ラテンを融合したスピリチュアルな独創的スタイルで官能と情熱の世界観を構築している。バイオリン・チェロ・ウッドベース・ピアノ・パーカッションのストリングス中心のバンド編成で、生音の魅力を最大限に引き出していた。伸びやかな弦楽器の旋律を、畳み掛けるように乾いたナイロン弦のパッセージが追い掛け、初めて聴くような音のタンバリンがビートを支える。時には唐突なブレイクで、大胆な空白が投げられ、うねるようなベースがフューチャーされる。クラシックもジャズも素晴らしい演奏だったが、やはり彼の骨頂は、その血を流れるラテンビートだろう。特にタンゴは繊細にして情熱的。彼がパーカッシブに弦を掻き切る様は、ほとばしる何かを禁じ得ない様子だった。しかし、良くもあれだけ精妙に指が動くものだと感心して見ていた。5連符6連符を事も無げに爪弾く。自然と言うか、自動的と言うか。明らかに一つ言える事は、自由だ。彼は彼の演奏の中で、自由であった。五線譜を超えて、彼の感性はギターを通してステージを駆け巡っていた。私もささやかながら音楽をやっている。昨今は、大人ぶってジャズなんか齧ったりしている。まだまだ出来る内には入らないが、終生の嗜みとなれば良いと思っている。私は勉強と努力が足りていないから、制限が多い。速く弾けなかったり、音を外したりするのは、一重に勉強と練習が足りていないからだ。ルールを学習しない者は、ルールを超える事が出来ない。思ったように弾きたければ、基準(スタンダード)を熟知し体得しなければ、五線譜と言う大草原を駆け巡れないのだ。世に名立たる先人達が、そうであったように、学ばざる者が、真に自由を手に入れる事は出来ない。真に自由を手に入れる人達は、謙虚に取り組み、真摯に自らと向き合って、自らの限界に挑んでいる。もしかしたら、自由とは始めからそこにあって、限界を強いる者は、自分だと気付いているのかも知れない。その垣根を超える為に、日々学習し研究し、練習に練習を重ねて業を体得するのだろう。より自らを自由に表現したいと願うならば、目指す表現を見据えていなければならない。例えば師匠であったり、ライバルであったり。そしてそこまで辿り着く為の、距離も知っていなければならない。どれだけの練習を積めば良いか。自分のやり方やフォームは正しいのか。「敵を知って、自分を知れば勝てる。」と言うが、これは何も勝負事だけの世界の言葉ではない。音楽に限らず、表現の世界にも通ずる事だろう。いや、実生活の全てに行き渡っている事だろう。なにしろ「敵」と見ている者は「自分」なのだから。「何を見て」「どうするか」。日々はそれの繰り返しだ。自らの制限を超える者にだけ、自由は与えられる。
Nov 29, 2004
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先日、テレビでラグビーの試合を観戦していた。観戦と言っても夜半を過ぎて帰って、観るものもなく、なんとなく流していただけなのだが。その試合は、日本のヨーロッパ遠征の模様で、ヨーロッパのどこかのスタジアムで、ウェールズと言うチームと試合を行っていた。キックオフ後、三分でいきなりタッチダウンを食らい、ゴールキックも決められて七点を取られた。そこからは覆す間もなく、攻勢を強いられて、気が付けば4回目のタッチダウンで26対0。前半の半分も消化しない内に、試合の行く末は見えた。ウェールズのスター選手が、歓喜の雄叫びを上げると、スタジアムは割れんばかりの歓声に包まれている。オーロラビジョンに写し出された観衆は、自分が映っているのに気が付くと、自分に向かって手を振っている。満面の笑みを浮かべて、地元チームの活躍を喜ぶ少年を見止めて、私はチャンネルを替えた。大敗するのが目に見えた試合ではあったが、敗者を憂うよりも、この少年達の笑みは見ていたいと思った。スター選手に自らを照らし合わせ、「打ち負かせ!」とばかりに、拳を掲げる。タッチダウンの度に椅子に乗り上げて、あたかも自分が得点したかのように天高く吠える。彼の夢はフィールドを駆けていた。私はテレビ越しにでも、日本チームの一員に加わりたいと思いながら、点を得る度に映し出されるオーディエンスに魅了されていた。勝って喜ぶ人がいる。敗者がなければ、勝者もあり得ない。そう思えば、負けることも悪い事ではないと思えた。決して恥ずべき事ではないだろう。勝てば官軍と言いながら、敗者あっての勝者なのである。だから、仕合いと言うのだろう。仕合せとそう差異がない。
Nov 28, 2004
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当店の料理長は、割と古風な人間だ。いわゆる叩き上げの職人で、生っ粋の江戸っ子ではないが、「べらんめえ!」と顔に書いてある。とかく料理人とは、店長・マネージャーとは異質の力を持っていて、店での影響力を絶大に有するものだ。なにしろ火元に立ち、瞬間と勝負しているものだから、ホールスタッフが厳かにうやうやしくのんびりサービスしているのとは訳が違う。店のモチベーションを厨房が司っていると言うのは、ザラにある。当店の親方も、憎まれ口を挨拶代わりに他の者の追随を許さない。料理長なりの指導方法だと良く分かる。私も料理をしている時はそうだった。しかし、これは島根の創作料理店「粋都」で松崎さんに言われたことだが、怒られてばかりいると、スタッフは無難なことしか選ばなくなる。どっち道怒られるなら、考えるのも止めて開き直ってしまう。仕舞いには、誰も厨房に近寄りたがらなくなる。こうなっては対極構造を生み出すのがオチだ。まあ、どこでもある話だが、これだけは避けて通らねばならぬ。二元性を打ち出せば、常に勝敗に左右されてしまう。目的のためなら手段を選ばないと言うような、正当性に執着すると、相手を土俵の外に落とす為に、無限に続く水掛け論を演じなければならない。更に、やり方が限られると言うオプションまで付く。それよりも、受け入れると言う前提を持てば、勝ち負けはなくなる。各々が考えるから、やり方も無尽蔵。一点主権は意見が集約され易いが、集中され過ぎると相反して影も大きくなる。イスラエルのアラファト議長が良い例だろう。終止和やかである必要はないが、個々が活かされる方が、クオリティーは高まる。立場の違いを論じるのは、無意味だ。持論再燃と題したが、この話題には以前にも触れた。真に能力を要するのは、楽しませることだと考える。なぜなら、強要するよりも自発性を重んじる方が、落ち度が少ないからだ。減点式のダメ出しを繰り返すと、基準に見合う事しか出来なくなる。精々取れても百点だろう。しかし、ほめたり称えたりして、その人の魅力・自主性を尊重すると百点どころか千点でも一万点でも平気で叩き出す。しかも喜んで。店が編み目を張ったみたいに、至る所からスキも影もなくなる。然る後に落ち度は消え失せる。仕事は楽しい、ここに居たい、ここに来たいと言う言葉が、アルバイトから聞こえてくれば、その店は繁盛店になるだろう。人が人を呼ぶ魔法に掛かって、良き循環が産まれて来るものだ。うちの親方も巻き込んで、そんな店になれば良い。きっと親方もそれを望んでいるはずだから。今、読んでいる本にこんな事が書いてあった。「鶏は鶏を産む。トマトはトマトを産む。」至極当然の事ではあるが、人はこの事実をあまり理解していない。私とて例外ではなかったが、この真理は重要だ。悪意は悪意を産み、善意は善意を産む。怒りは怒りを産み、楽しみは楽しみを産む。楽しい自分を伝える事が、誰かの楽しみを伝えてもらえると言う事ではないだろうか。楽しい事は良い事だ。
Nov 27, 2004
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昨日は喜ばしい事がいくつかあった。昨日二十五日の日記コメントで、浅草がんじいさんにお誉め頂いた。十八の頃に作家になりたいと思い描き、現在まで無学無教養のまま至っているが、思いの外、温かい言葉を頂いている。もしもこれをおこがましくも才能と呼べるのなら、少しずつでも磨いて行きたいと考える。来年あたり何かの賞にでも、応募してみたい。実は家主のS氏も、ひそかにシナリオライターになりたいと願っているようだ。ここはお互い切磋琢磨したい。とにかく、お誉め頂いたのが嬉しくて、にやにやと自転車を漕いで店に向かった。店でもサービス指導の武藤さんに誉められた。成長が早い、とお声を掛けてもらった。なにしろ必死です。がむしゃらなんです。と内心返答を返して一礼。過去に例を見ないほど、口数少なく業務に従事しているが、毎日緊張で息が詰まりそうになっていた。加えて昨日より私が店に来るきっかけとなった後輩が、レストラン業務を抜ける事になった。彼はイベント業務の専属になるとの事。私が安心して指示を仰げる人間がいなくなってしまって、甚だ困惑するが、気に病んでもいられない。成るように成るでここまで来たから、成るように成るだろう。勤務以来一週間で、いきなり大きな人事を見た。帰り際、バーテンのヒロちゃんに、「サトさん(私の事)って面白いよねえ。」と言われた。「何が?」「面白いよ。」サバサバとした受け答えがヒロちゃんのナラワシ。「そう?」「そう。」入って当座はバーテンのヨシちゃんとヒロちゃんの姉妹には、ひどく叱られていた。叱られても引くものか。こっちは全てを投げ打って、三十路の王道を無尽に突っ走っている。恐くても引いてはならぬと、息巻いていたのに、なにやら最近、二人ともツボを得たように笑ってくれている。「慌てふためいているのが面白いの?」彼女は首を横に振る。「普通に面白いよ。」やはりサバサバ。「そう?」「そう。」上京して二週間。ようやく地に足が着いて来た感じだ。後輩にも顔がスッキリしたと言われている。少し馴染んだのかも知れない。我が事ながら、あまり実感ないのがその実なのだが。私はもっと面白いよ。
Nov 26, 2004
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二十三日の祝日は、近所に住む馴染みの女性と散歩をした。彼女は何しろ近くに住んでいる。待ち合わせも何も、電話の声が聞こえてきそうな程、近くに住んでいる。新宿中央公園をぶらぶらして、都庁の真下を通って新宿駅へ出た。電車にもバスにも揺られずに、繁華な界隈に行けるものだから、とにか便利が良い。祝日だから、やたらと人が歩いている。毎日お祭り騒ぎなのだが、人の感覚とは曖昧なものだ。二週間も経つと、然ほど気にならなくなって来る。一見めちゃくちゃに見えていても、非常に規則正しくなりたっているのが都会の妙だ。半端な秩序よりも、渾沌の方がより一層秩序を重んじている。小さな渦なら波の加減で左右されるが、大きな渦は、渦自体が秩序を作る。インターネットもそうだろう。無限に広がるネットワークでありながら、エチケットやモラルは、顔の見えない分、リアルだ。個性と礼儀をより重視する。物量や人口の多さが、個性を均一化させているように見えるが、むしろ個性を重んじるルールが暗に敷かれていると考える。そんな事を考えながら、彼女と大半数がそうであるように、ウインドウを冷やかした。帰るまでにはまだ早い時間、四時過ぎに街を離れ、また二人でとぼとぼと歩き出した。新宿駅までの往来は、もう何度となく歩いていたから、私にも地理は分かる。都庁の東通りに差し掛かった所、野村ビルの地下街の看板を見て我が目を疑った。そこに「LA BETTOLA per tutti」と書いてある。H16年9月 移転オープン。落合務シェフのラ・ベットラは銀座にある。その暖簾分けされた店が、このペルトゥッティだ。日本一予約の取れない店、ラ・ベットラ。赤坂の名店グラナータの料理長を経て、独立された落合シェフのイタリアンレストラン。私は料理の道に入るよりも以前から、落合シェフの著書を愛読していた。いつかは行ってみたいと思いながら、この度の上京では、仕事と引っ越しで全く忘れていた。暖簾分けされた支店とは言え、まさか偶然にも看板を目にする事になろうとは。しかも散歩の道すがら。私は興奮し、言葉を失った。私達はここで一杯コーヒーを飲んで帰った。ディナーとランチの合間のカフェタイム。スタッフは誰もきびきびと働き、店は清潔感に溢れていた。白を基調とした店は、その高い自負と誇りでピンと張り詰め、何ごとも浮き足立っていない。お客のニーズに答えるよりも以前に、高い信頼を与えてくれる姿勢が、ひしひしと伝わって来た。落合シェフに認められ、暖簾分けを許された加藤シェフの意気込みが伺える。メディアに取り沙汰され、また超一流の人間に期待される者のプレッシャーたるや、計り知れるものではないだろう。私は私自身を顧みて、それだけのサービスを提供出来るだろうか。考えてしまう。相照らすものが、何処までも高く掲げられている。ここに来れて良かった。
Nov 25, 2004
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先週の土曜日はクラブイベントが行われた。FREE SOULの橋本さんの経営されるカフェアプレミディの5周年記念のイベントで、十組近くの出演者が、その祝いに華を添えた。21時の開場と共にお客さんがどっと詰め掛け、早くも盛況の相を呈した。盛り上がりは夜半を過ぎても止むことなく、会場観客一体となって、祝いの一夜は疾走を続け大団円を迎えた。私は勤務初のイベントで、クローク係を仰せつかった。クロークはお客さんの手荷物を預かる。寒さを凌ぐ為に着て来たコートやジャケット、バッグや鞄の類いは、踊り狂うのに邪魔になる。それらを番号札を付けて、棚に分かり良く並べていく。生憎あまり忙しい仕事ではないが、続々と押し寄せるお客さんの荷物を、右へ左へ仕分けて行った。私は入り口に立って、沸き上がる会場を眺めている。ステージに向かって一様に背中を並べる大勢の観衆。バーカウンターで酔いつぶれて顔を埋める男性。終電を前にナンパにかかり、有り難迷惑にはにかんで笑う二人の女性。全てを訳知り顔で、薄笑いを浮かべる私。この景色の全部を見た事があった。たった一年半前、私は地元のクラブの店長としてこれらを経験していた。昨年5月にあの店を離れるまで、週末ごとに音楽と酒と人にまみれる生活を送っていた。誰かが言ってた。場所が変わっても、室内は一緒だと。自分の感じ方は一緒だから、収まる所に収まれば一緒だと言う事だろう。確かにそうかも知れない。店と人が変わっただけで、私と私のやり方は一緒だ。何も変わっていないかも知れない。一瞬、過去のいろいろなものがフラッシュバックして、目が眩んだ。私は前進しているのではなくて、退行しているのだろうか。何かの本で読んだことがある。一つの問題を克服しなければ、その問題は違う形で何度でも訪れると。言い換えれば、同じ意識の中では、常に同じ問題が起きている事になる。例えば、「何をやっても叱られてばかり」と言う人がいる。その人は叱られると言う意識の中に留まっているから、いつも叱られると思っているだけなのだろう。「叱られない」と言う環境は、自分の「叱られない」と言う意識の気付きからしか生まれない。むしろ誰もその人の事を叱っていないのに、本人が「叱られている」と思っているだけかも知れない。いずれにせよ、幸せも不幸せも本人だけの問題で、本人しか決める事が出来ないのだから。雨が降っても憂う人はいる。環境の新しいも古いも、自分の気の持ちようではないだろうか。誰かの言っていた事も分かるが、日々は同じ事の繰り返しではあるが、然ればこそ新しい。私の環境は出演者一つとって見ても、アマチュア相手からプロ相手に変わったのだ。お客さんを迎える事には変わりない。いつか見た景色の中で、以前に抱いた反省を活かせる事が、何よりも幸運なことだろう。何処に居ても、何をやっても同じなら、自分が同じ意識の中に留まっている訳にはいかない。過去も未来も自分にしか創り出せないから、高い意識で臨みたい。
Nov 22, 2004
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私は自転車で通勤している。西新宿から新宿中央公園の西側を通り、明治通りからラフォーレを抜け青山へ。地元の感覚からしてみれば、毎日お祭りだ。賑やかなことこの上ない。人だかりに次ぐ人だかりをかいくぐって、ようやく職場辿り着く。人や物が溢れ返って、何処かにこぼれ落ちているのではないかと感じてしまう。これだけ人や物が溢れていると、当然行き届いた管理ができようはずもない。近隣でもゴミは山となり、浮浪者を見ぬ日は1日としてない。こちらのゴミの分別の管理が出来ていないのには、かなり驚いた。コンビニの袋でゴミを出しても良いのだそうだ。日本の中心でルールを決めておきながら、それが守れないのだから笑わせる。トップダウンの仕組みの弱さを露骨に垣間見る。浮浪者も大概の駅にいる。浮浪者自体が悪いとは思わない。浮浪者を救済する手立ての弱さを憂う。私の通う青山あたりは、一大商業地域だ。バーバリーやシャネル、ルイヴィトンなどの外資系メーカーのきらびやかな建物が軒を連ねているというのに、街がこぞって社会的弱者を排斥している。どうなんだろうか。ガードしたで四六時中、本を読んでいるおじさんがいなくなった。どこへ行ったのだろうか。お菓子ばっかり食べ続けて、水の味も分からない。そんな感じだ。街を歩く度に、押し付けがましい広告が目に入る。私はバカだから、広告の内容よりも、どうやって張り替えるのだろうかと考えて、工事費用と対効果が気になっている。
Nov 20, 2004
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私は今日で三十一になった。三十路に入ったら、ゼロもイチも変わりがない。同じなら落ち着きの良いゼロの方が良かったが、致し方の無い所だ。パンクの世界では、タイトルの通りに「三十以上の奴は信用するな。」と言う格言がある。私自身、高校生の時には大人を、二十代の時にはおっさんを信じたく無かった。しかし今ではすっかり自分がおっさんの方に傾いている。どれだけ気を若く持っても、大気に研摩され、重力に引っ張られて、肉体も精神も熟成して行くもの。三次元に身を置く者の定として、感受しよう。例え若者に信用されなくても。私がここに来るきっかけになった一人の若者がいる。うちの下の弟と同い年、二十二才の後輩だ。いや地元では後輩だった。店では二年先輩になる。彼の事は彼が十五の時から知っていた。中学を不登校で紙の上だけ卒業し、高校には行かなかった。友人の弟で、ひょんな事から縁を持つようになった。仕事は出来る。料理にも酒にもわたしより精通している。しかし、何か空虚な物をその瞳の奥から感じる。一体何なのだろうか。その物の実体は分からないが、私も同じ目をしていたかも知れないと、自ら立ち返る。概して若さとはこのようなものか。何をしても満たされるものがない。高倉健も著書の中で言っているが、若い時は何をやっても退屈だったと。ここじゃない何処か。今じゃない何時か。彼の眼の奥底にはそう言った光が宿している。恐らく、年下の人に相対して、自らを立ち返る事が出来ると言う事が、私自身大人になったと言う事かも知れない。信じられなかったものを信じている。三十一になった。
Nov 19, 2004
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私の働く店はタイ料理のレストラン。開店して二十年を迎える。タイ料理の専門店と言うのもあまりないが、当店はさらに型破りで、ライブやDJのイベントも行っている。私は最初の休みを頂いたのだが、今宵はソウルのイベントで、名立たるDJの大御所が共演する。元ピチカートファイヴの小西さん、キュービズモグラフィコの松田さん、ルーチンジャズの小林さん、フリーソウルの橋本さん、その他YOU THE ROCKがライヴをやる。さらにゲストは和田アキ子だ。そんな事を仕事で関われるタイ料理屋なのだ。類い稀なる境遇が、この先に待っていると思うと心が踊るが、それだけに魅力を感じている訳には行かない。何があっても一介の店であることには変わりがない。周囲の動向に目を向けることは大事だが、目を奪われて自分を見失わないように、気を付けたいものだ。店は店であって、私は私。まだメニューも禄に覚えられず、昨日もオーダーミスと言う初歩的な失敗をしてしまった。スタッフは「三日目だから仕様がない。」言って励ましてくれるが、お客さんはそんな事で許しては頂けない。幸いオーダー頂いた以上の商品を提供してしまったため、お客さんに損害は与えなかったが、店には損害を与えてしまった。知らなかったでは済まされない。まだ私はその程度だ。十も歳の離れた若い先輩に叱られたりする。勝手ながら快い思いのするものだ。今までの甘えが根こそぎにされて行く。この際、今まで培った思い上がりの類いを一掃されたいと願う。それでさえも甘えなのだが、心のミソギを果たせると思うと、内心ほくそ笑んでしまう。全く私は幸せ者だ。都庁の見える六畳間から、大いに存在を叫ぼう。新しくなる私がここに居る。また一歩を踏み出した私が居る。どうだろう。どんなものだろう。とりあえず今の問題は、まな板のない台所でどうやって料理を作るかだ。
Nov 18, 2004
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一昨日から勤務が始まっている。ここ西新宿から勤務地青山まで、自転車で通っているのだが、再三お伝えする通りに、地の利を得ない。新宿から渋谷までの距離や、青山との位置関係が全く分からない。地図の載っている標識が見つけられなければ、立ち所に迷子になってしまう。それはもう面白いくらいに。都合20~30分の道程、1時間掛けてもたどり着けない。おかげでこの二日間とも出勤時間ギリギリ。息を切らして店に辿り着くと、すぐさま仕事が始まる。何をやるのにもおっかなびっくりで、初日は本当に疲れた。しかしながら、飲食業は初めてではない。身体が覚えているものがある。店でのルールを弁えずに、周りのスタッフを混乱させているが、今まで培って来た私なりの歴史が、私を支えてくれる。紙上には載らない私の履歴書が、私を体現する。ルールの違い、やり方の違いはどこにでもある。まずはやり方を学ぶのが筋だろうが、テキストを丸暗記するより、やって覚えた方が早い。何しろここは現場だからね。多少の不和が生まれても、今は勘弁してもらたい。必ず後で取り返すから。委細構わずここまで来てるんだ。方法論で歪み合うのはもう沢山。何だってするから、とにかくお客さまに喜んでもらおう。
Nov 17, 2004
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私は今、自分の部屋から光通信でネットにアクセスしている。S氏の計らいで、PCとテレビとビデオデッキをお借りした。全く何から何まで面倒見て頂いて、感謝に堪えない。どうも彼とはウマが合うようで、昨夜も二人でああでもない、こうでもないと言いながら、フリマで見つけてきた、このPCを弄くり回していた。今日から勤務である。住環境は概ね整った。いや、若干予想より過ぎている程、快適だ。雨漏りさえ除けば、最高と言って良い。何しろこうやって、文章をお伝え出来るのが有り難い。明日で松江を離れて一週間。さて、環境は整った。暮らす事も然る事ながら、学ぶ事に意識を傾けよう。住めば都とは、全くその通りだ。
Nov 15, 2004
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勤務は来週の月曜日から。昨日、無事に引越しを済まし、なんとか自分の居場所を確保した。鍵と言うパーミッションを得て、ここ東京でのネグラを見出し、生活基盤の第一歩を持てた事に甚だホッとしている。都会に来ると、いつも思うことなのだが、寂しい人が多いものだと感じる。精神過疎の現状をつぶさに感じ取ると居た堪れない想いがする。私は、PCを手放した由、ここインターネットカフェの存在に大変有り難く感じているのだが、目的もなくここにいる人達はどうなんだろうか。終電に乗りそびれたり、仕事を怠けているサラリーマンならまだ分かる。しかし、若い女性の姿も良く見る。複数ならまだしも、一人で来ている女性には、なんとも寂しい姿を見るのだ。良く言われることだが、東京にあって東京人は少ない。田舎の人間が集まって、形成される都市、東京。構造のモザイク化は以前にも増して拍車がかかっているのではないだろうか。私が宿を決めた西新宿は、新宿駅まで徒歩で行けるのに、街の様は下町。下宿屋みたいなのが建ち並び、定食屋や銭湯、コインランドリーがそこいらにある。土地の隙間を縫うように、高層ビルがひしめき合っているから、ツギハギだらけのへんてこな街だ。昨日は家主のS氏と新宿ゴールデン街に出掛けた。非常にユニークな飲み屋街で、概ね3畳か4.5畳の小さい店が、そのあたりに40~50、いやひょっとしたら100軒近く商いしている。S氏の行き付けのなんとかと言う店に入ったら、通称『まねんこさん』と言われる流しの老人が入って来た。店主曰く、ここの主だそうだ。他の客と戦前の歌謡曲を聞かせてくれた。ここは、まだ平成どころか戦前の様相を呈して、何かを引き摺っている。ハイソな成りをして行き交う人々、美観な建物はいつもピカピカに磨かれて、埃の一つも許さない。将来の基準はシンボリックに掲げられたステータスで、それ以外の共通言語を失ってしまっているようにも見える。過密に集中した界隈を少し外れると、喧騒をひっぺがしたような静けさが広がっている。これ以上は干渉してはいけませんと言わんばかりだ。欲しい物は全て得られる。選択は自由だ。その代わり、それと満足とが一致するとは限らない。過剰刺激、情報量に翻弄される人は多いのではないだろうか。結論の出ない会議が、延々と続けられているみたいだ。
Nov 13, 2004
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昨日、東京入りした。初めて新幹線のぞみに乗ったが、考えられないスピードで大阪から東京に駆け抜けていると、身をもって体感した。11時10分新大阪発、13時46分東京着。2時間半で着いた。3時間掛けて、松江から岡山に出る。それよりも短い時間で、新幹線は走る。飛行機ならなお速いとわかっているが、何しろ陸路。走っている事がわかっているだけに、一層速さを体感した。昨日、早速職場に挨拶にいった。そこで、改めて私の役所を聴かされる。どうやら、店長候補のようだ。リーダーを目指して欲しいとのこと。我が耳を疑ったが、どうやらそうらしい。私の為と言う訳ではないが、サービスの講師と言われる方が、たまたま店に来ていた。この方は、実質私と同期になるが、本日からの勤務。9.11の世界貿易センタービルにレストランを構えておられた53歳の方だ。あの悲劇がなければ、ここで私と出会っていない。縁とは奇妙なものだ。我ながら、どこの馬の骨ともつかぬ者を店長候補だなんて。考えられないが、事実は事実。出来得る限り期待に応えたいと、今はそれしか言えなかった。一夜明けて、宿を借りている後輩と共に、朝食兼昼食を取りに出掛ける。後輩の住む恵比寿は閑静な割りに、飲食店の多く立ち並ぶ界隈。高級店から大衆食堂、お弁当屋まで、幅広く軒を連ねている。なんとはなしに入った洋食店に中から、驚くべき光景を見た。それは、この7月に松江を離れたアメリカ人のパーシーが、表を歩いているではないか。彼には昨日電話で上京の旨を伝え、折の良い時に会おうと話したばかりだった。その彼がここに歩いていようとは。たまたま入って洋食屋の外をたまたま彼が歩いていた。油断をすれば、視線も合わなかったろうに、なぜ。その衝撃に私も後輩も言葉を失った。数奇な出来事はそれだけでは収まらない。本日、ルームシェアをお願いしている、S氏に会った。彼が紹介してくれている物件を下見するために、西新宿5丁目に足を運んだ。この5月退職した後、一度だけここを訪れたことがある。それは、長い友人が上京していて、彼女を向かえに行くために、この西新宿5丁目に来た。訳あって、彼女のアパートの門前まで来たことを覚えている。たった一度ではあるが地の利はあったから、安心してS氏と落ち合った。S氏に招かれるまま、部屋までの道程を歩いたのだが、歩く先は彼女の家の方角。まさかと思ったが、着いた先は彼女の家の隣の隣、徒歩20歩ぐらいの近所なのだ。こんな事ってあるのだろうか。彼女はこの5月に就職を決めて、慌てて住むアパートを西新宿5丁目に決めた。かたや私もインターネットで知り合ったS氏を頼りに、今日はじめての下見をした次第である。巡り合わせの妙。それだけではない。私が見ていたルームシェアのホームページの管理人が、実はこのS氏だと言うから驚きである。この全ての因果がうまく飲み込めない。しかし、事実であり現実である。私は住む所をここに決めた。大袈裟かも知れないが、なにかに導かれているような気がしてならない。あまりの衝撃に西新宿から新宿駅まで、思考を錯綜して考えていた。こんなことってあるんだ。
Nov 11, 2004
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朝10時発の大阪行きのバスに乗り、私は松江を発った。実家に車を預け、タクシーに降り立ったのだが、全く実感が湧かない。大切なあの人には、朝方顔を見せて、別れを告げたのに、しばらく時を隔てる事に、現実的な感触が湧かない。今でさえ、知る者の一人しかいない大阪のマンガ喫茶にありながら、ちょっと遠くに出掛けただけの気分だ。借家も引き払い、部屋の鍵も車の鍵も手元には残っていない。多分小学生以来だろう。鍵を一つも持ち合わせていないのは。鍵には責任と約束がある。自分の管理する環境、それは部屋や家であったり、職場であったり、また車であったり。それらを自分の責任において管理できる証、言わば許可証としての鍵は、責任を司る。そして、約束はそこが帰る場所であったり、仲間のいる場所であったり。人や物と触れ合える事を約束してくれるのも、鍵だ。私は今、誰との約束も持ち合わせていないし、責任を果たす能力も役割も担っていない。想像していた以上のリセット。行きのバスでも、この先に乗る新幹線でも考えるだろう。私は一体何が出来るのか、私はどうなって行こうとしているのか。自分を深く見つめ直し、もう一度、一から組み立ててみよう。未だかつてない想像力と、活力が湧いてくる。やる気が故にセンチメンタルを感じないのだろう。オノボリさんで結構だ。興奮が私を焚き立てる。
Nov 9, 2004
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