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昨晩は、私の送別会を開いて頂いた。営業時間の終る25時を待って、従業員が一同に会して、私の前途を祝福してくれた。皆がもれなく書いてくれた寄せ書きは一生の宝物だ。厳しい都会の冬を温かく乗り越せるような気がする。家にはメディアにまつわる物が、このPCをおいてなくなってしまった。テレビもオーディオもない。このインターネット環境も途絶えてしまおうとしている。私、引っ越して行く夜と、引っ越してばかりの夜が好きだ。電気が止まっても、そこにいたいと思う。外の往来の音を除けば、ここで物音を立てる者は私しか居なくなる。文化的ではなくても、自然な生活として感じる。その深い静寂に包まれると、私は堪らなく懐かしい想いがする。私の心の中に、数多の情念が蘇えり、私は私と向き合う事となる。そうして日々の混沌から開放されて、私は元の私になれる。開設から1年を待たずに、今、ここでこの日記を置きます。ライフワークとして文章を認めておりますが、引越しの故、ご理解下さい。再開までの間、一層感受性を高めて、研ぎ澄ませた文章を読んで頂けるよう、精進したいと思います。あなたの日々に幸多き事を。風邪など召されませんように。お元気で。
Oct 31, 2004
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今晩は私の送別会を現職場で開いて頂けるらしい。5月に前職場を解雇になり、約1ヶ月間、父の仕事を手伝って後、縁あってオーナーにお会いすることとなった。7月31日から3日間のレセプションの後、8月3日のオープンを控えて、協力して欲しいと誘われた。私がお話を頂いた時には、上京する事が確定していたため、お仕事させて頂くにしても限られた期間しかなかった。そのため、私は当初お誘いをお断りするつもりでいた。しかし、お話を頂いたのは7月も10日を過ぎていた。1ヶ月も残されていない中、オープンが控えていた。はっきり言ってしまえば、忙しかろうが大変だろうが、私の知る所ではなかった。またその時点で、私がオーナーに立てる義理はなかったのだ。ただ、私をここでの仕事に向かわせたのは、2月に出会った大阪帰りの和食の料理である。2月にたった1度しか出会ってなかったが、この男とは、いずれ繋がって行くと直感した。それが実現したのだ。オープンまで余す所1ヶ月、全てにおいて時間がない。私はこの男を助けたいと思い、ここでの仕事を選んだ。いや、むしろこの男と働いてみたいと思い、今日に至った。たかだか3ヶ月の短い期間ではあったが、私は実りある時間を過ごせた。決してパーフェクトではなかったかも知れないが、日頃の業務はもちろん、惜しまずに知恵を絞り、皆が心地よく仕事出来る配慮にも努めた。私自身もそうだが、今よりも店はもっと良くなると確信している。振り返ると、これだけ素晴らしい人間環境で仕事をした事がない。正直離れるのは忍びないが、有意義に仕事をした事がなかった。それもこれも、お声を頂いたオーナーのおかげである。いつの日か、この受けたご恩をお返し出来ればと思う。誰かに必要とされて、存在出来ることの有り難さ。この上ない仕合わせである。私は終生において、今日と言う日を心に刻みたい。松江大橋川のほとり。斬新な料理とおいしいお酒、そして、素敵な人達のいる所『ダイニングバー 粋都』どうか末永く在りますように。
Oct 30, 2004
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昨日の日記、多くの方に読んで頂き、ありがとうございます。私は飽くまで、『ユンタ』さんから頂いたメールを転載したに過ぎませんが、多くの方の善意に触れることが出来、お伝えして本当に良かったと思います。『新潟震災ボランティア日記 あなたにも出来るネット支援』上記のHPで毎日更新の現地情報が公開されております。こちらのページをご参考頂ければ、現地のリアルタイムの情報と、私達に出来る有用な支援内容が随時更新されております。今後はこちらを参考にして下さい。私のページは間もなく一旦休止致します。せっかくご拝読頂いたおりますが、しばらくお時間を下さい。
Oct 29, 2004
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私が懇意にさせて頂いている、日記リンクもして頂いてる『癒しのユンタ』さんからのメールを記載しました。以下はその本文です。ご一読お願いします。-------------------------今回は新潟県中越地震の支援のお願いとしての号外です。転送自由です。少しでも多くの方たちに力になってもらえたらと思います。遠い北陸ですが自分に出来る事を少しずつでもやって行きたいですね。どうか読んでください m(_ _)m僕も参加しているMLのHPでも地震のボランティア情報、現地情報を載せています。http://www.wha-japan.com/^^^^^^^^^^^^^^^^^^^新潟震災ボランティアの現地の生の声のプログを友人から教えてもらいました。被災した方たちに本当に有効な支援をするための情報だと思います。http://helpme.ameblo.jp/?bid=helpme以下、転載します。新潟震災の震源地となった小千谷市で支援活動をしています。マスコミの目を通さない現地の状況、必要な物資、憤りの声をお伝えしていきます。(このblogは、現地からの電話を友人が代理アップしたものです)。あなたにもできること、たくさんあります!--------------------------------------------------------------------------10/26 15:00の電話小千谷市役所、小学校での救援物資の配給や、炊き出しなどを手伝っています。現場はまだまだ混乱しているし、人出も足りていません。そんな状況下で、マスコミの取材陣が50人近く現場付近を陣取っています。小千谷市役所の正面に車を止めて、そのために、救援物資を運ぶトラックは遠くに止めることしかできず、ボランティアの人たちがせっせと現場に物資を運んでいますが、報道陣は、それを手伝う気配すらありません。心労と肉体的疲労が積もっている被災者のかたがたに、当然のようにマイクを向け、24時間カメラをまわし続ける神経もさっぱり理解できません。現地では今、「大人用の紙おむつ」が不足しています。「赤ちゃん用おの紙おむつ」は足りています。あとは、トイレが使えなかったり、下着をかえられなかったりするので「パンティライナー」があると重宝しますが、こちらではもう品切れで手に入りません。P&G 、花王、ネピアなどの紙おむつメーカーに電話をして、現状を伝えてください。夜の寒さが厳しいです。お年寄りは使い捨てカイロをもむことすらできないので、「貼るカイロ」が必要です。マスコミの仕事は、こういった情報を伝えることだと思うのですが?今日はこのあと、小千谷小学校に小泉首相が来るということで、マスコミ報道人の数はさらにふくれあがり、「毛布の配給ができないので、小泉さんが返るまで待つように」という連絡が入りました。何のための視察なんでしょう??午前中にも、数名の政治家さんが小学校に来ましたが、トイレはどこかとたずねられ、仮設トイレを案内したところ、「わたしに仮設トイレを案内するつもりかね?」と、いわれたそうです。いったいこの国は、どうなっているんでしょう.... 。--------------------------------------------------------------------------現地では、大人用の紙おむつと、パンティライナー、貼るタイプのカイロを必要としています。これらの商品を販売している企業の「お客様相談室」宛てにメールを送ったり、電話をかけたりして、「小千谷市の被災者が求めているもの情報」を、伝えてください。あなたのblogやHPの中で、ただ伝えるだけでかまいません。皆さんの声が企業を。行政を動かします。マスコミはたよりになりません。マスコミへは、支援活動の妨げとなり、被災者の心労を倍増させる今の取材のやり方についての、抗議の声をあげてください。あまりにひどい状況です。--------------------------------------------------------------------------小千谷市にも、続々と個人の方からの救援物資が届いています。ありがとうございます。しかし、それを種類別に分けて、配布する人出がありませんので、以下の点に注意して送っていただけると大変助かります。*段ボールには、外側に「毛布」「洋服」「下着」など、 中身を大きく書いてもらえると助かります。*くつした1足、下着1枚でもうれしいのですが、できれば、 ご近所の方と声かけしあって、ある程度まとまった数があると とても助かります。*送り先の住所はこちらです。〒947-8501 新潟県小千谷市城内2-7-5 小千谷市役所お手数をおかけしますが、よろしくお願いいたします。----------------------以上、私の元に届いたメールです。記載されているアドレスにアクセスしてみると、現場の混乱ぶりがつぶさに分かります。神戸の時と違い、災害現場が山間部にある事から、震災後の動揺が深刻で、援助する側、される側の意識の隔たりが混乱を深刻にしているようです。私達平穏に暮らす市民は、これらの情報を良く見極めて、出来る支援を確実に行うべきではないでしょうか。情報に過敏にならずに、落ち着いて災害者の望む物を届けてあげたいと思います。と言いますのも、現地では届いた援助物資の仕分けも侭ならない様子です。そして、神戸の震災の際には、届いた物資が有用に使えず、処分に2億円も費やしたと伝えられます。私達自身が動揺せずに、落ち着いて情報を聞き届けましょう。被災地の一日も早い復興を願います。
Oct 27, 2004
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私のインターネット環境は、今月末でプロバイダー契約を、一旦解約するため終了致します。本ページ開設から332日目、約250に上る文章をここに置き、新天地にて新たな境地に至って、新たな文章を認めたいと思います。まもなく、1度お別れ致しましょう。その日まで、伝え得る事を隈なくお伝え致します。
Oct 26, 2004
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昨日、大阪の親友から連絡があった。彼の連絡は簡潔なのが常。必要なこと以外は言わない。「おまえいつ行くの。」「来月の2週目の頭かな。」「家とかどうすんの。」「引き払う。」「そうか、車は?」「置いて行くつもりだけど。」「そっちにあるうちの家において行けよ。帰ってきたら乗れるだろ。」彼の生家はこちらにあった。「そうだな。考えてみるよ。」彼とは、長い付き合いになる。出会ったのは25の時だから、もう5年。まだ5年だが、お互いに様々な経験を重ねて来た。互いのどん底を見て、励まし合い、刺激し合い、また何度となく言い争いもした。血縁はなくとも、兄弟と呼べる友だ。私なりに彼を真剣に助けた自負がある。だからこそ、遠方からの援助に、快く甘えたい気分だ。「お前ほんで、いつまで東京に居るの。」「1年の修行と考えてるけど。」「たった1年だけ勤めさせてもらえるのか?」「分からんけど、居座るつもりはないな。」「お前それはまずいだろ。」彼の語気が上がった。「お前せっかく勤めさせてもらうんだから、義理は欠くなよ。それは都合が良いよ。」「………。」私は思わず絶句した。全くの御上りさんだ。上京に浮かれて、働く先の事情や私に対する好意の類を、予測だにしなかった。あまりの的確な意見に、思わず言い逃れ。「でも、まあ、向こうも向こうでいろいろあって…。」「だから、お前、前から言ってるだろ。店は店だ。箱だと思え。自分がどうするかしかないだろ。混乱に乗じて、自分まで巻き込むな。そんな周りの事を言ってるのは、火事場泥棒みたいなもんだ。お前がどうかだろ!」「………。」返す言葉もない。まるで、手に取るように私のことを見ているようだ。日頃、私が言っていることをそのまま言われている。「そうだろ。」「そうだ。」正直、私は観光気分だった。都合良くなにかを見てやろう、その位の気持ちしかなかった。だからこそ、こんなに自分の事に無責任なのかも知れない。未だに住む所も決まらず、片付けも進まない訳だ。いろいろな意味で覚悟が足りていなかった。「行き掛けにこっちにも寄るんだろ。こっちの宿泊代出してやるから、飲もうぜ。」「助かる。ありがとう。」しばらく、間をおいて彼は続けた。「まあ、今日電話したのは、車のこともあるけど、お前にアドバイスしときたかったからだ。1年とか訳の分からんことを言わず、自分が良しと思うまで働けや。」しばらくして私も、「おう、がんばるわ。」『持つべきものは…』とよく昔の人は言ったものだ。家族・友・仲間。これに勝る財産はない。例え距離を隔てても、友達と想う以上に、多くの仲間を持ちたい。また、誰かの仲間で居たいものだ。真一郎、ありがとう。
Oct 25, 2004
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余す所、私がここで送る週末も3回となった。こんなことを指折り数えるのも寂しいものだが、一つの節目、終りを迎えられる事の幸せを感じる。2ヶ月に1度くらいはお茶をしたり、食事をしたりする事が半ば習慣付いて、友達でも恋人でもない特別な人との食事もこれで最後となった。休日だと言うのに、一人職場に出向いて、仕事をしていたらしい。寝起きの私と2時に待ち合わせをして、遅い昼食をとった。その店は所縁が深く、以前違う看板を掲げていた時に良く出入りした。今は、内装もすっかり様変わりしてプチマダム御用達のカフェっぽいイタリアンだ。ランチタイムギリギリではあったが、お店の人は快く迎えてくれた。ここの売りは手打ちの生パスタ。私はカルボナーラ、彼女は魚介のトマトソース。どちらも平麺のタリアテレを頂いた。間もなく上京することにあたって、絵に描いた餅、私の空想とも妄想とも取れる逞しい創造話を一席ぶったが、彼女は静かに聞いてくれた。彼女もまた仕事が忙しく、遣り甲斐をもって事に挑んでいることを聞かせてくれた。皿に余したソースをプチパンで掬いながら、何とはなしに私は、「俺、がんばるよ。」そう言うと彼女は、何かを決したように、「がんばって。」そう答えた。その眼差しは、純然たる励ましと静かな期待と、そして、母親が子供を諭すような厳しさがこもっていた。何度となく突き合わしてきた見知った顔だ。彼女は時々こうして、彼女自身の人間味を前面に傾けて私を見る。そして語る。私はいつもこの人の真実の表情に魅せられていた。この人といつも一緒に居たいと思わずにはいられなかった。しかし、それももう終りだ。いずれは帰ると知っていても、もうしばらくは戻らない。私の気に入りのCDを手渡して、私達は別れた。何事もなく。家に帰ってすぐ、大阪に住む無二の親友から電話があった。行き掛けに大阪に寄る約束を取り交わし、宿を段取りしてくれるとの事を聞いた。その後、義理は欠くなと言う事と出る以上半端な覚悟では行くなと釘を刺された。そうだな。出るからには、戻る気持ちも置いて行こう。
Oct 24, 2004
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軒並み訪れた台風のおかげで、市場は野菜の値段が高騰し始めている。10個の台風は国内のありとあらゆるものに、強烈な爪跡を残した。特に青物、葉物は過去に例を見ないほど高値をつけている。レタス一玉1,200円とは。私達料理人は唯でさえ原価率とにらめっこしているのに、サラダはレタスに限らず、青物抜きで考えなくてはいけない。野菜のほか、魚は寒くなれば安定供給が難しくなる。牛肉は言うに及ばず、鶏肉もあまり歓迎されていない。ここへ来て、乳牛からもBSEが見つかった。全く今までの食の概念では、職人は根絶やしにされてしまいかねない。食の安全とは、どこに行ってしまったのか。しかしながら、私は考える。元々人間の食用に準備された生き物など何処にもいない。人間が都合良く食べたいがために、安全について考えなければならないだけだ。ようするに欲張りな考えなのではないだろうか。過去の人類の歴史において、ここまで食料の供給が安定した時期は、恐らくないであろう。そもそも人類の歴史自体が、飢餓と症病との闘いなのだから、あるべき姿に戻っているのではないのだろうか。その苦難を先人達が卓抜した知恵と努力で切り開き、現在の私達に文化として伝えてくれている。料理も文化だ。食材の困窮をあえぐよりも、より深い知恵と技術を学ぶべきだと、今更考え直す。
Oct 23, 2004
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私がこの5月まで、席をおいていた店の姉妹店が、転居先未定のまま移転することとなった。行き先も決めずに、とりあえず今の場所を離れる。私自身同様の選択を迫られているので、人ごとと笑っていられないが、とにかく1度閉めるようだ。現在店長を仰せつかる男と、元いたメンバーと会って、昨日は遅くまで話をしていた。この5月の私(当時の社員3人)の進退劇は、凄まじい腹の探り合いで、会社を二分して大茶番劇を繰り広げた。当時も今も変わらずに社員一同は、会社の再建を願って止まぬが、意志の疎通の図れない職場環境は、改善の余地がないのかも知れない。概して、人と人が関わり合う場所で、何においても通じ合わない事は、これをおいて不幸と言わざるものはない。恐らく成功者と言われる人達の多くは、個別の能力を超えて、仲間意識が働く環境を作り上げて来たのだろう。昨年から今年にかけて、ビジネスについて学んできたが、いわゆる思考停止と言われるものの類は、まず、個人レベルで生まれて来る。個人が思考停止することの一因に、職場環境、対人関係があるだろう。会社や店の一員、言わば細胞としての一人一人の思考が止まれば、チームの思考が止まり、最終的に企業規模の思考が止まる。個人レベルの思考停止は潜伏期間を長く持つが、チームから企業までのその波及速度は、加速度的で、1度露見してしまえば思いきった決断をなくしては止めることが出来ない。「うちの会社ヤバイんじゃないの。」と一同全会一致で感じた時には、「この先どうなるんだろう。」と暗雲立ち込め、一寸先は見えなくなる。一人一人の「もう無理。」とか「ダメだ。」と言う気持ち。「あいつ全然分かってねえ。」とか「俺はこんなにがんばってるのに。」と言う気持ち。そう言ったネガティブな思考をオープンにチームや企業で調和させて行ければ、会社ぐるみの大きな循環が生まれるのではないだろうか。人が変わっても問題が解決しない事は、よくある。そこに居なくても、その人の意志が伝わる関係。それが最高の人間環境かも知れない。
Oct 22, 2004
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何か事をはじめる時、私は髪を切る。同じ事を繰り返したくない性分なので、いつも違う髪形にするのが私の常だが、ここ1年は概ね同じように切っている。と言うのも、同級生が開業したのを知ったからだ。2ヶ月に1度くらい切るのだが、彼の技術と人柄を買って、わざわざ車で30分の距離を出掛けて行く。中学校来の友人、同級生は概して公務員か会社員なので、彼のサロンは専ら情報拠点と化している。週末に行けば、誰かしら懐かしい顔に会えるのは嬉しい事だ。彼も来年の5月に結婚するらしい。そう言えば先日、山口の友人からも5月に結婚するとメールが来ていた。もう私もそう言う歳なのだが、全くどこ吹く風。家財道具一式投げ打って、上京しようと言うのだから、我が身の行く末を案じる次第である。誰かと連れそうなど、夢にも思わない。今は足場の踏み場を探すのに精一杯だ。この時期に髪を切るのはどうも良くない。いつもこう言った節目に髪を切るものだから、首筋が寒くて仕様がない。くしゃみをしても一人と言ったところか。今回の散髪で、彼の理髪に預かることも久しくなる。「来年の式には呼ぶけん、来いよ。」「俺、一次会から出席していいの?」「当たり前だろ。」正直、彼とはそこまで深い付き合いをしている訳ではないから、呼ばれるのに少し気が引けたが、お招きとあれば断る筋もない。「分かった。落ち着いたら住所を伝えるよ。」「そうして。」彼はいつも店の外まで送ってくれる。「まあ、元気で。」「そっちも。」11月にはここを離れる。最初に別れを告げた人だ。今生の別れでもないのに、しばらく会えないと思うと寂しいものだ。襟元をいつもより冷たい風が吹き抜ける。
Oct 19, 2004
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SADEが2000年11月にリリースした、8年振りのフルアルバム「LOVERS ROCK」。私はこの作品を師匠の薦めで聴いた。SADEは、この5枚目を出してから2年前にライヴアルバム「LOVERS LIVE」を出しているが、アーティストとしては4年間も長きに渡って沈黙している。実は5枚目と4枚目のブランクが8年、4枚目と3枚目のブランクが7年ある。しかしながら、メンバーは結成以来不動で、実にスケールのデカイ、それでいて意識の高いメンバーが揃ったバンドだ。演奏も作品も秀逸で、ライヴは優雅の一言に尽きる。一生に一度はこの目でステージを見たいものだ。私は先の日記にも書いたが、4年前は地の淵を歩いていた。望んでそうなったのだが、さる男に出会ってから、存在の否定と人格の崩壊を、4ヶ月間日夜浴びせられ、正直殺意を抱いていた。その苦悶は未だに私をぞっとさせるが、その地の底、心の地獄にあって、見上げた景色は途方もなく美しかった。中でも師匠の存在と、このSADEの「LOVERS ROCK」には、幾度救われたか分からない。殺意を抱くのと同じように、師匠の為に死ねると思っていた。今では甚だ馬鹿馬鹿しい妄想だ。その位、人の心と魂の安息について考えていた。繰り返すが、今、引越しの準備をしている。私の生活の証、今まで持ち得た物の全てを引っくり返すと、底知れぬ無駄な物の多さよ。この物達の為に、私は何もしてやる事が出来ない。せめて役立ちそうな物は売り、譲り、果ては捨てるより他、手がない。17年間不動のメンバーと共に、わずか5枚のアルバムで人生を愛情と音楽で満たすSADEの生き様を見習いたいものだ。暮らしの術だと知りながら、活かせる物など何一つない。いずれはこの手を離れて行くのが常。存在はその実相が明確な程、壊れ易く出来ている。しかしながら暮らさねばならない。言葉で満たせるほど、世の中は安易に出来ていないし、私の俗なる魂がそれを許さない。せめては気高く生きたいと願うのみ。無駄だなどと言いながら、センチメンタルはどう言う訳だ。何も無駄なものなどないと分かっていても、社会や世界、人の心に触れる何かを残すように生きていきたいと、切に願う。私はここに居て、あなたは私の日記を読んでくれている。今日もありがとう。
Oct 18, 2004
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片付けは、なかなか進まないが、とりあえず2階の片付けの目途はついた。哀しくも快適、1戸建て5部屋ベランダとガレージが付いて5,5万円。贅沢と言うには侘し過ぎる、気まま一人暮らしは、もうすぐ幕を閉じようとしている。この頃の冷たく清しい風と相俟って、私の紐解いた思い出達は、鮮明に色づいている。全ての出来事がまるで昨日のことのように、蘇えって部屋一杯に溢れ返っているではないか。それら一切合切の、この世界で唯一私にだけ価値のある財産を、今、ゴミ箱にぶち込んでいる。何も変わりはしないし、何も終ったりしない。ただ、この捨てると言う行為だけが、私を寂しくさせている。棺桶まで持って行く事も出来ないのにね。今、私の手元にあったところで価値もないものなのに。どうして捨てるのに、ためらうのか。出来れば捨てたくないのだけれど…。大量のゴミはやはりゴミだ。買った物にしろ、もらった物にしろ、概ね価値がないに等しい。ここで学ぶ。人にあげる物は、生涯に渡って使える物の方が良い。デザインやスタイルに囚われず、長く使える良い物をプレゼントしたいものだ。そうすれば、思い出と価値を捨てずに済む。追伸、ガラクタをほじくり返していたら、昔の文章が出て来た。ガサツながら、それなりに面白い事を書いていたようなので、改めてご紹介したい。お楽しみに。
Oct 17, 2004
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(17日書き込み)只今、部屋の掃除を本格的に始めた。昨年3月にここに越して来て以来、始めて詰め込まれたダンボールを引っくり返して、過去の遺物の整理にあたっている。何しろ身体一つで出掛けるつもりだから、大抵の物が不用だ。しかし、うまく片付かないものだ。遺物が私の心を掴んで離さない。思い出と言う遺産は、一文の価値もないのに、どうしても捨てるに忍びない。さりとて、センチメンタルは無用。タスキを閉め直して、ゴミ袋に詰め込んでいる。もうかれこれ10年も前にもなる手紙や年賀の類が、ダンボールの角で待ち構えていたのだが、手紙を紐解くと、10年前と今とではそう人間環境が変わっていないと言う事に驚いた。人は違っても、自分は変わらないから、交友関係に変化はないのかもしれない。類は友を呼ぶと言うか、三つ子の魂百までと言うか。今描かれたいる人間関係は、本質的に過去にも未来にも経験することなのだろう。縁とは興味深いものだ。さて、片付けないと…。
Oct 16, 2004
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この日を境に季節が変わったと感じられる日が、年に幾度かある。私にとっての秋の始まりは、今日だった。雨降りが続いたとは言え、晴れた日は清清しい風の吹く日和であったが、今日の風は、不躾なまでに冷たく、起き抜けの電話みたいに目の覚めるような思いがした。以前にも書いた事だが、どうもこの季節の変わり目は、ひどく私を感傷的にさせる。この頃になると、もう4年も前になる出来事を思い出してしまう。それは、私を馬車馬のように働かせ、馬鹿者扱いし、哀れみの目で見て蔑んだ男のことだ。彼は今一体どうしているかも知る由もないが、その男にまつわる人間関係はひどいものであった。今、振り返るに、あれがおよそ人の触合う場であったか。人の持つ心持ちであったか。我が記憶を疑ってしまうほど、惨憺たる人間環境であった。その件の場所は、もう人の物になってしまって、当時関わっていた多くの人々が蜘蛛の子を散らすようにその場から去って行った。多くの人と出会い、別れた季節が今ごろではなかったかと記憶している。ダイチの奴は、どうしているだろう。この冷たく吹きすさぶ風に煽られると、私は4年前のことを思い出す。冷たい風に合間を縫って、ささやかな木漏れ日が、建物の間から降り注ぐと、そこには小さなな日溜りが出来る。私はこの小さな日溜りが好きだ。日溜りの中では、幼少の頃を思い出す。当時、県営の住宅に住んでいた私たち一家は、裕福とは言えなかった。若くして私達双子を持った両親は、苦労して私達を育ててくれた。保育園か幼稚園の頃か、私は家のベランダで日向ぼっこをしていた。少し寒い日の昼下がり、窓際やベランダに溜まる陽射しが、ほのかにスノコの表面を乾かして木の匂いがした。全くベランダに出てしまっては寒いから、足だけ外に投げ出して、ガラス越しの陽射しを楽しんでいた。身震いするような風の吹く日は、縮こまった体をやわらげてくれる、日溜りを探してしまう。日溜りにあって、私の魂の原型はかすかに揺らぐ。その形なきものを愛惜しく抱き締め、懐かしく、切ない想いのするものだ。
Oct 15, 2004
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引越しを間近に控えていながら、一向に片付けが進まない。よくよく部屋の物を眺めてみたら、如何に不必要な物に囲まれていることか。今月に入ってから、CDや本を売り払っているのだが、中古屋でもちょっとした収入になってしまった。されど一向に片付かない。思えば必需品と言われる物以外を、良くもここまで買い溜めたものだ。その時は必要だったのだろうけど、今は自ら価値を見失ってしまっている。考えてしまう。何と豊かな生活を送っていたことかと。
Oct 14, 2004
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今、お世話になっているダイニングバーは、8/3にオープンした。開店当初からお手伝いさせて頂いている私は、言わばマルチプレーヤーとして、業務に携わっている。和洋合体の創作料理店で、私は洋食担当で入ったのだが、何しろ開いてからまだ2ヶ月。落ち着きを見せるには、何もかもが整っていない。ノウハウも然ることながら、人員も不足して然り。よって私は一通りの業務に足を突っ込んでいる次第である。格言うのも、私が何一つ特出した能力を持ち合わせていないものだから、自らをして「元気係」と称して、ムードメーカーを一役買っている。専属バーテンダーの事情により、この週末はバーカウンターに入った。お酒に関わって長いが、元が半端だからシェーカーは振れない。しかしながら、多少のことでは怖じる事知らないから、喜び勇んでカウンターに立った次第である。久しぶりにお客さんと面と向かってサービスをしたが、なかなか心地よい緊張感のあるものだ。料理の体力的かつ知能的なプレッシャーとは違う、晒される事の熱い汗を背中にかいた。私は自分が思っている以上に口下手だと気付く。根っからの調子者だから、とにかく盛り上げたいと言う強迫観念に駆られて仕様がなかった。火口にあらず、お客様の前に立つと、ストレートな声が聞えてくる。オープンキッチンとは言え、うちの厨房からはお客様の顔は見えない。眼前で食事をされる皆様の表情と会話は、正直だ。なるほど、概して多くの出来事は格の如し。職人には陥り易いカラクリはここにある。直に顧客の声の聞える位置にいなければ、作り手は何をやっているのか分からない。作り手の満足は、必ずしも顧客の満足と一致するものではないと、改めて確認した。クレームの届く距離にいることが、クレームを回避するために有効な手立てなのだろう。お客様の声が聞えないのは、聞える所にいないからだ。ニーズもウォンツも常に発せられている。
Oct 10, 2004
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失業者として生活を続け、もう5ヶ月が過ぎた。失業保険で食いつなぎながら、新規店舗の立上げをお手伝いし、昨日東京に出向いた次第である。今回の上京は、スタイル2004の最終審査の観戦と、祖母、弟だいぽとミツ、そして従弟のタチと共に千葉の祖父の墓参りのためであったが、もう一つ重大なミッションがあった。それは、春にお話を頂いた就職の件であった。東京青山のお店は、私の師匠が勤めていたタイ料理店でライヴイベントもクラブイベントもやっている。現在後輩が勤務しているのだが、この春に、お招き頂けると言う話を頂いていた。来年からの勤務の予定であったが、急遽来るように言われ、今回の上京と相成った。この月曜日にお店に伺うと、いきなり面接。面食らったが、驚き物怖じする由もなく、ありのままをお話すると、無事採用。11月初旬から働けることとなった。20年も看板を掲げる老舗。青山の界隈でも有名な名店で、私みたいな田舎武士を使ってくれるのかと、少しく眉唾ではあったが、こうして晴れてお墨付きを頂き、スタッフ一同に、「11月からお世話になります」と声高に宣言すると、不思議と自負も生まれてくるものだ。『ここは私の居場所』と言う事になる。30年間ここに居て、まともに他の土地を知らない。室内の景色は何処でも一緒だと、連れは言う。然り。しかしながら、毎日が新しいと思うだけで、心踊るのはどう言う訳だ。また新しい毎日を送れると思うと、私は純然たる興奮を覚える。今まで知らなかった可能性が私を呼んでいる気がする。そう言えば、今日はあの人の誕生日。影ながら、おめでとう。あなたにも楽しい毎日を。
Oct 7, 2004
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昨日、スタイル2004のファイナルが開催された。昨年、弟が優秀賞を頂いたビジネスプランのコンペティションだ。今年は私の地元、島根からゆうこさんが、ファイナリストに選ばれた。私は一次審査であえなく敗退したが、弟がゲストに呼ばれていることもあって、参加した。結論から言うと、ゆうこさんは特別賞を頂いた。最優秀賞も優秀賞も該当者がなかったけど、ゆうこさんが実質的な、勝利者だと確信している。本当にあえなく、私は落選したが、ゆうこさんが賞を受賞したことは、紛れもなく励みになった。それこそ、我が事のように嬉しい。最後のプレゼンテーションを見ていて、その一言一言に、感涙に堪えなかった。やればできると言う事を身をもって伝えてくれたゆうこさんと影ながら応援し続けた闘魂君に、心から尊敬と愛情を捧げたい。人の持てる美しさを学んだ一日だった。ありがとう。尊敬してます。
Oct 3, 2004
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